エピソード 36-3 ~IF編・とあるフリーガーディアン編~
IF
3
インナーのプロテクターの上から服を着込み、靴も変える。
ブルゾンの内側は道具が収められ、耐熱耐電気仕様。
フード状のヘルメットも収め、グローブを確認。
スタンガン内蔵で、相手に触れれば即失神させるくらいの事は出来る。
今までも装備を身につけて無かった訳ではない。
ただ比較的軽装備。
それで十分だとたかをくくっていた。
結果は打撲と火傷。
一週間を全く無駄に過ごした。
だけどそれも今日まで。
甘いのはお互い様。
今まで俺を舐めていた報いを、これから受けてもらう。
軽快に正門をくぐり、生徒の間を抜けて教室へと向かう。
恥も外聞も捨て、この一週間は教育庁の宿舎に泊まり込んでいた。
連中の手もそこまでは及ばず、十分な休息が取れた。
学校では悪戯と呼べる程度の事がされるだけで、実害は皆無。
その余裕が、連中の命取りだ。
教室で女子生徒に囲まれながら、たわいもない会話を交わす。
身のない、軽いだけが取り柄の話。
ただその分気分も楽で、高校生気分を味わえる。
神経を研ぎ澄ます必要もなく、相手の意図を探る事もない。
その場限りの適当な事さえ言ってれば時は過ぎ、俺も相手も楽しめる。
一時間目の授業が終わり、次は体育。
軽いトレーニング程度の事はやっていたが、本格的に体を動かすのは久し振りだ。
着替えを済ませ、体育館へ移動。
よく分からないが、器械体操をやるらしい。
身体能力の差が直接反映される種目。
またサッカー部やバスケ部なら良いとも限らず、活躍出来る人間は限られてくる。
ストレス発散も兼ねて、少し本気を出してみるか。
長身のそこそこに恰好良い男がバック転を決め、隣でバレーをやっていた女子生徒達から歓声が上がる。
そういう派手な事が出来るのはごく一部の生徒。
大抵はマットの上を普通に転がるか、せいぜい逆立ち程度。
俺も初めはその程度で済ませるつもりだった。
ここまで追い込まれるまでは。
考え方を変えれば、俺が学内でそこそこの立場になれば連中も手出しはしづらくなる。
むしろ目立ってアピールをすべき。
今日はその、第一歩だ。
軽い助走から側転。
ひねりが十分加わったところで前方宙返り。
伸身でマットの上に降り立ち、後方宙返り。
それを二度続け、最後にもう一度側転から前方宙返りへ繋いでマットを降りる。
一つ一つなら出来る奴もいるだろう。
だが続けて出来るのは、それこそ体操部かそういう類の連中だけ。
女子生徒も黄色い声を上げる訳だ。
少しの違和感。
俺がマットを降りても近付いて来る者は一人もいない。
そして黄色い声は、一層強くなっている。
目の前を軽やかに舞っていく巨体。
伸身の前方宙返り二回転。
それにひねりが加わり、軽やかにマットへ舞い降りる。
その前に何をやっていたのかは分からない。
分かるのは、俺の演技など軽くかすむレベルの演技をした。
ただそれだけだ。
黄色い歓声と名前の連呼。
しかし男はそれに応えるでもなく、軽く頭だけを下げてマットを降りた。
余裕と謙虚さ。
それに再び女子生徒達の歓声が上がる。
「さすが」
男の体をぺたぺた触り、にこやかに笑う小さい女。
別なくラストの合同授業だと聞いていたが、この連中と同じだったのか。
「回っただけだろ」
さらりと答える男。
実際本人にとっては、その程度の事らしい。
俺からすればさっきの演技ですら、それなりに真剣。
気合いを入れて挑んだ出来事。
だがこの男には、軽い準備運動程度にしかなってないようだ。
「自分もやってみればいいだろ」
「見てるだけで十分だって」
そう言って、突然男の首にしがみつく小さい女。
大胆な行動と思ったのもつかの間。
彼女は首にしがみついたまま足を振り上げ、その反動を利用して体をひねり男の肩に飛び乗った。
理屈としては蹴上がりのようなもので、それは理解出来る。
だが思いつきで出来るような事では勿論無い。
また小さい女がいくら軽いとはいえ、人一人の体重。
さらに体を振っている分、首へ掛かる負担は相当なもの。
しかし男は顔色一つ変えず、平然と小さい女を肩車している。
改めて思い知らされる連中との力量の差。
力が及ばないのは認めよう。
連中の上を行くのは、決してたやすくないのも。
だがそれを埋めるための装備はこっちも用意してある。
戦いは始まったばかり。
何より、今さら引き下がる訳には行かない。
「相手にされてないな」
陰気に呟き、俺の前を通り過ぎる男。
無防備な背中に襲いかかりたくなるが、それは我慢する。
今は。
いつまでもという訳ではない。
昼休み。
例により学食で昼食を食べる。
外で食べても良いらしいが、下手な店で食べるよりは余程美味しいしメニューも充実している。
気付けばここにいるといった所だ。
「格好良かったわよ、さっき」
俺の前にトレイを置き、くすくすと笑う元野さん。
体育館では分からなかったが、どうやら俺の演技を見てたらしい。
皮肉で言っている訳でも無いようだ。
「あの男には負けるよ」
「玲阿君?あの子は別格よ。そもそも、雪野さんの使い走りをやってるレベルじゃないんだから」
「付き合ってるのか、あの二人」
「あれで付き合ってないのなら、明日辺りひまわりが咲くんじゃなくて」
ちょっと遠回しな肯定。
男女故の結束、従順さ。
この場合、男が付き従ってる訳だが。
確かに見ている限り、男は小さい女の言いなり。
あれだけの実力ならこの学校どころか近隣の学校を従えてもおかしくはない。
その意味では謙虚とは言える。
「何か、いい手は思い付いた?」
「実力行使しかないな、結局」
「勝てる?」
聞きようによっては侮辱とも取れる発言。
ただ普通にやり合えば、多分あの小さい女にも勝てないだろう。
だから彼女の質問は、ごく当然だ。
「それなりの装備も揃えた。軍用品もある」
「連中は銃を持ってるって噂よ」
「らしいね」
未だに痛む腕をさすり、苦笑する。
あれだけの距離での精密射撃。
相当性能の良いライフルを持ってるのは間違いない。
いや。本物を持っていると考えるべきか。
「それにこの服は防弾で、それ用のフードもある」
「本当に大丈夫?」
「試してみようか」
ハンバーグ用に持ってきたナイフを逆手に握り、勢いよく腕に突き刺す。
軽い痛みはあるが、ナイフはパーカーを突き刺す事無く跳ね返る。
「刃物も通らないし、火も点かない。これ自体に電気を流して、殴ってきた相手を倒す事も出来る」
「相手は、一人じゃないのよ」
「場合によっては応援を呼ぶ。だけど、その必要はないだろ」
必要は十分にあるし、連絡も教育庁に取っている。
しかし反応ははかばかしくなく、追って連絡するの一点張り。
あまり良い予感はしないが、だとすれば自分一人で戦うしかない。
少なくとも、その方が受けは良い。
「良いのよ、無理をしなくても」
「元野さんはどうなんだ」
「私は別に。今更何も期待してないし」
彼女には珍しい、投げやりな口調。
切ない横顔に思わず胸が詰まり、拳を固める。
一人頑張って来た彼女に、俺は何の役にも立てなかった。
そしてその言葉通り、期待にも添えていない。
己の過信、慢心。何より、力不足のせいで。
だけどそれも、もう終わる。
俺が終わらせる。
彼女の憂いも悲しみも、俺が消し去ってみせる。
誰のためでもない、元野さんのために。
午後の授業を適当に受け、HRが終わると同時に廊下へ出る。
狙うはやはり、陰気な男。
帰宅する生徒でごった返す時間。
いつも俺の背後に付く奴も、そう簡単に身動きは取れないはず。
あいつ一人であれば、拉致するのは造作もない。
奴は連中の手足。
まずはそこをもぎ、動きを封じる。
他の生徒に紛れ、猫背気味に歩く男。
周囲に不審な人物は無し。
眼鏡の網膜投影映像で背後を窺うが、やはり不審な奴はいない。
パーカーのポケットに入れたグローブのスタンガンを作動。
後は軽く男に押し当てれば事は済む。
特に気負いもせず、男の後ろに付いて歩く。
教棟を出たところでばらけ出す生徒達。
少しずつ周りとの距離が開き、男は一人正門の方へと歩く。
無防備な背中。
周辺にやはり不審者は無し。
すぐに男へ組み付き、首筋へグローブを押し当てる。
小さく声を漏らし、だらしなく崩れる男。
あっけない、自分でも笑ってしまうくらいのたやすさ。
初めからこうしていれば良かったんだ。
ぐったりする男の肩を担ぎ、友達っぽい振りをして街路樹の中へと入る。
その奥はうっそうとした雑木林。
とても都心の学校とは思えないが、今はそれが好都合。
枯れ葉の上に男を転がし、手足を縛って所持品を探る。
強気な事を言っていようと、所詮は高校生。
何よりこいつ自身は、体術に優れている訳でもない。
どちらにしろこれで、半分くらい事は成った。
「聞こえてないだろうけど、一言言っておく」
微かにも反応せず、枯れ葉に顔を埋めたままの男。
それに構わず、言葉を続ける。
「お前が俺に敵う訳無いんだ。他を片付けたら回収に来るから、そこで寝てろ」
やはり返事はなく、微かに背中が上下する程度。
その背中に足を乗せ、寝た振りでないかを確かめる。
「……大丈夫だな。いざとなれば、あの綺麗な女も味方に引き込む。裏切られてるんだよ、お前達は。両手に花っていうのは正解だ」
最後に軽く頭を蹴り、男を置き去りにして雑木林を抜け出す。
久し振りの開放感というか爽快感。
失いかけていた自信が、体の中に漲ってくる。
気分揚々と学内を歩き、次のターゲットを射程内に収める。
相手は言うまでもなく大きな男。
接近すれば苦戦するのは必至。
だが、だからといって逃げるのも癪。
俺のプライドがそれを許さない。
小さい女に頼まれたのか、コンビニの袋を下げて狭い路地を歩いている男。
俺が付けているのを知っての誘いと取るべきか。
それなら誘いに乗るだけ。
こいつが強いのは認めよう。
ただ今まで、自分より勝る相手と戦ってきた経験はいくらでもある。
そして俺は、その全てに勝利を収めてきた。
それ今回も変わらない。
足を止め、コンビニの袋を路地の脇にあるベンチへ置く男。
構わず距離を詰め、男に近付く。
「忙しいんだ。早く済ませようか」
体を解しながら声を掛けてくる男。
実際そうするだけの自信があるからこその発言。
だがそれが、単なる過信に過ぎないと思い知らせてやる。
服とグローブのスタンガンを作動。
同時に懐から銃を抜き、散弾を発射。
男が顔を腕で覆ったところで、足元に煙幕弾を転がす。
即座に男を包み込む煙。
視界を奪ったところで位置を変え、次は爆竹。
聴覚も遮り、銃を乱射する。
男の位置はサーモグラフィー内蔵のスコープで確認済み。
この状況でも相当避けているのには驚くが、それも消極的な抵抗に過ぎない。
向こうから攻めてくる事は一切無く、その動きも徐々に鈍り出す。
スタンガン内蔵の散弾をセットし、それを乱射。
小さい分威力は少ないが、相手の戦意を削ぐには効果的。
男の動きはさらに鈍くなり、とうとう地面に膝をついた。
それでも銃を撃ち続け、ネットを取り出す。
倒れている男にそれを投げつけ、絡みついたところで声を掛ける。
「まだ動けるか」
手足は多少動いているが、返事はない。
煙が風に流され、ネットに絡まって地面に倒れてている男の姿がようやく見えた。
「お前に大した恨みはないけど、多分一番厄介だからな」
やはり手早く手足を縛り、近くの雑木林へ引き込む。
ここまで来ると抵抗もなく、あまりものあっけなさに拍子抜けしてしまう。
「所詮はお前もただの高校生か。ちょっと顔が良くて、運動神経が良いだけの」
声を掛けるが返事はない。
スタンガン内蔵の散弾を相当浴びたはずで、意識すらないのかも知れない。
「用が済んだら回収してやる。お前達が駄目なんじゃない。俺が強すぎるって事か」
浮かれるのは良くないが、気分を高揚させるのも時には大事。
今度は小さい女を捕まえて終わり。
すばしっこそうで、もしかすると捕まえる事に関しては大男より厄介かも知れない。
でも、所詮は女。
十分に備えて挑めば、大した相手じゃない。
今までは油断をし、軽い気持ちで仕掛けていた故の失敗。
本気で戦えば、高校生程度に後れを取る訳はない。
正門前。
所在なげに立ち尽くす小柄な女。
夕焼けに染まるその姿に少し胸が痛むが、こいつが連中のリーダー。
それを意識していようといなかろうと、責任は取ってもらう。
ただここは礼を尽くし、正面から挑ませてもらう。
「初めまして。じゃないよな」
気だるそうに顔を上げる小柄な女。
目元が細められ、俺を誰だか思い出すような表情が浮かぶ。
「そう。転校生だよ」
「何か用」
興味も関心もないという態度。
それににこりと笑いかけ、グローブのスイッチを入れる。
「悪いけど、拘束させてもらう」
「どうして」
「自分の胸に手を当てて聞いてみたらどうだ。思い当たる節はいくらでもあるだろ」
罪状を並べ立ててやろうかとも思ったが、時間は有限。
雑木林に転がしておいた二人が誰かに見つかり、万が一戻ってこないとも限らない。
「女にしては強いだろうね。多分、俺より。でも、所詮高校生レベル。こういう装備の前では」
「スタンガン内蔵のグローブ?今時そんなの使ってる訳?」
小馬鹿にした口調で言い放つ小さい女。
あまりもの醒めた態度に、背筋に冷たい物が走る。
グローブ自体、確かに珍しい物ではない。
ただ実戦で使われれば、威力は絶大。
しかし女が意に介した様子は、微塵もない。
いや。これもこの女得意の挑発。
それに乗る必要は全くない。
「だったあr、銃を使わせもらおう」
エアガンだが、回避不可能な至近距離。
この近さで初速の弾を避けるのは、人間には不可能。
散弾を使えば、その範囲はより広がる。
「それにもスタンガンが入ってるんでしょ。その程度の装備で、良くフリーガーディアンとか言えるよね」
「強がりは結構。大人しく従うなら何もしない。抵抗するなら、遠慮無く撃たせてもらう」
「正義って何」
唐突な質問。
引き金に掛けていた指が一瞬鈍る。
「自分のしてる事が正しいと思ってる?」
「話し合うつもりはないよ。捕まるか倒れるか、それを選ぶだけだ」
「私達が正義だと言ったつもりもないけどね。ここへ私達を捕まえに来る連中が正義の味方とはとても思えなくて。自分の出世や金のためだけで」
「黙れ」
感情にまかせ引き金を引く。
弾は風に吹かれ、女の頬をかすめて正門の塀に立った。
「自分は何のため?出世?お金?それとも、女の子に格好を付けるため?」
「話し合うつもりはないと言った。俺が正義でなくても、自分が正義でないなら同じ事だ」
「私達を倒して、その後釜に座る気?いるんだよね、そういう人も。初めはそんな気無いって言っておきながら、実際現実が突きつけられると」
「黙れ」
今度は足元に一撃。
弾が跳ね返り、それが俺の方へと向かってくる。
一瞬顔を背けた。
本当に一瞬。
瞬きもしないくらいの時間だけ。
気付けば地面が目の前に見えていて、全身がひどく痛む。
「話し合うつもりがないなら、すぐに撃って捕まれば良いのに。所詮女?私から言わせると、所詮男だけど」
「くっ」
上着に電気を流すが、首に足を掛けている女が感電する様子は全くない。
絶縁体の靴を履いてるか、アース線でも忍ばせてるか。
だが、この程度ピンチでも何でも無い。
「本当、道具だけは持ってるよね。二級品ばかり」
両肩を蹴られ、途端に腕の感覚が消える。
腕への神経が麻痺した様子で、痛みすら感じない。
「友達が来ないから、私はもう帰るね。こんな所で遊んでても仕方ないし。教育庁を敵に回す気もないから」
「その程度の覚悟か」
「覚悟よ。自分だって好き勝手に暴れ回って、その様でしょ。さてと、面倒な事になっても嫌だし少し旅行でも行こう」
俺を置き去りにして、正門をくぐる小さい女。
手も足も出ないとはまさにこの事。
彼女が気にしているのは、あくまでも教育庁。
そこから派遣された俺など、端から眼中にない。
胸の中に沸き上がる屈辱。
だが女が俺を徹底的に叩きのめすつもりが無いのは分かった。
男二人はすでに拘束。
小さい女は逃走。
そう考えれば、結果的にはほぼ満足のいく状況。
殴られようとどうしようと、最後に立っていた者が勝ち。
どんな力を利用しようとだ。
残るは後一人。
それを考えた途端、胸の奥で音がした。
これで最後という思い。
何が最後なのかは、自分でも何故か分からない。
分かるのは高まる期待。
はやる気持ちを抑えつつ、感覚の戻ってきた腕を振って立ち上がる。
自然とこぼれる笑みを、必死で堪えながら。
指定されたのは、学校のすぐ側にあるファミレス。
少し余裕を持ったつもりだったが、先に来たのは俺の方。
自分の方が積極的と思われかねず、反省をする。
「ごめんなさい。用事があって」
言葉の割には慌てた様子もなく、優雅な仕草で俺の前に座る女性。
長い黒髪が流れ、コロンの香りがそっと漂う。
「それで、話は」
静かに、探るような口調で尋ねてくる女性。
俺はコーヒーのカップに指を触れ、彼女を見つめた。
「分かってるだろうけど、君の仲間は全員捕まえた。女の子は逃げたよ」
「そう、みたいね」
「君も素直に従ってくれるなら、手荒な真似はしない。情報提供者として、話を聞くだけに留めても良い」
「優しいのね」
少し皮肉気味の笑顔。
仲間を捕まえておいて、この台詞は確かにない。
「言いたい事は分かる。でも、すでに決まった事だ。ただどちらを選べばいいかは、当然分かると思う」
「仲間を裏切れと?」
「大切なのは自分だろ。仲間と心中でもしたいのか」
「だから、仲間と呼ぶのではなくて?」
意外に頑なな態度。
今までこういう事を言えば、大抵の人間はあっさり落ちた。
つまりそれだけ、彼女達の結束が強いという事か。
彼女は運ばれてきた紅茶を優雅にたしなみ、ティーカップに浮かぶレモンのスライスをスプーンで沈めた。
それに自分を置き換えているのか、単に間を持たせるための事なのか。
しかし俺も、それ程時間がある訳じゃない。
「答えないなら、君を拘束するしかない。すぐにここを出て、教育庁の施設に行ってもらう」
「逮捕と同意義なのかしら」
「それは君達が、あの学校で何をしてたかによる。場合によっては刑事罰も下るだろう」
「助けてはくれないの?」
俺へと向けられる、すがるような視線。
思わず手を伸ばすが、彼女がそれとなく身を引いて避けられた。
「ご、ごめん。今言ったように、協力してくれるなら君を助ける事は出来る」
「本当に?」
「約束する」
大した根拠もなくそう答え、彼女を安心させる。
いわば口約束。
胸は痛むが、俺のリスクは何もない。
それでも彼女は安心した表情を浮かべ、微かに頷いた。
「信じて、良いのね」
「任せてくれ」
「あなただけが頼りなの」
小声でささやき、立ち上がる彼女。
俺もレシートを手に取り、その後を追う。
ファミレスの外で、ハーフコートの裾をはためかせながら空を見上げている女性。
声を掛けるのもためらわれるような、はかなく切ない佇まい。
彼女は俺の足跡に気付いたのか、薄く微笑みながら振り向いた。
「私は、どうすればいいの?」
「え、ああ。寮はまずいから、ホテルにでも泊まってくれ。部屋は用意する」
「あなたの言いなりって事?」
からかうようにささやく女性。
顔どころか体中が赤くなるが、彼女はそんな俺に構わず歩き出した。
「ホテルはどこ」
「駅前の一番大きなホテル。俺の名前を出せば、スイートに案内してくれる」
「みんなに悪いわね」
「仕方ないよ」
何が、とは尋ねない女性。
俺も言葉のつなげようはない。
「どうして、私だけ?」
「一番問題が無いと判断したから」
「それだけ?」
今度は俺が答えに詰まる。
理由は自分で言った通り。
それ以上の事は何もない。
そのはずだ。
タクシーに乗り、ホテルへと向かう。
彼女を送り届けた後は、学校で事務手続き。
その後で、あの二人の回収。
いや。その前に、元野さんか。
「考え事?」
不意に尋ねてくる女性。
勘が鋭いなと思いながら、首を振る。
「役人が来るかも知れないから、知ってる事は何でも話して」
「自分にとって不利益な事も?」
「それは任せる」
少し調子の狂う会話。
騙されてるとは言わないが、保身に走るタイプだったのかと思ってはしまう。
「私のためじゃなくて、あなたの事を言ってるんだけど。こうして二人きりで会う事自体、問題でしょ」
「ん、ああ。そういう事か」
自分の迂闊さに今頃気付き、余計な事は言わないよう告げる。
ちょっと頭が働いてないな。
結局ホテルまで着いてきて、フロントでチェックイン。
少し休んでいきたいが、時間がない。
「コーヒーでも飲んでいかない?」
紳士淑女でも集いそうな広いロビーを指さす女性。
それに首を振り、腕時計を確認。
ちょっと押してるくらいか。
「悪い、急いでるんだ。後で連絡する」
「今日、会える?」
唐突な。
しかし、ある程度は期待していた言葉。
当然とも言える言葉でもある。
「時間があれば」
心にもない事を言い、手を振ってホテルを出る。
吹き付ける冷たい夜風。
だけど心は晴れやか。
足取りは軽い。
誰もが解決出来なかった草薙高校の問題を、俺一人であっさりと片付けた。
何よりこれ以上はないという美少女の協力も得られた。
そしてもう一人の信頼も。
これで浮かれ無い人間はおらず、鼻歌くらいは許して欲しい。
良い気分のまま草薙高校へ戻り、ある教棟へ向かう。
空に星が瞬くような時間だが、意外に人の出入りが多い。
俺が教棟へ向かうのも、不審がられる事はない。
エレベーターを降り、ここは人気のない廊下を歩く。
廊下に響く乾いた靴音。
照明は点いているが、窓の外は暗闇。
正直、用がなければあまり来たくない場所だ。
だがここに来ない事には、話は始まらない。
まずは彼女に報告。
学校へや教育庁への報告は、その後だ。
相変わらず誰もいない自警局の受付。
資料だけが詰まれているカウンターが寂しさを演出し、虚しさを掻き立てる。
受付奥に並ぶ多くの机も同じで、古いプリントが雑然と置かれているだけ。
そこで仕事をする生徒の姿はどこにもなく、このブースの広さの分だけ寂しさが募る。
いつものように、受付で一人座っている元野さん。
彼女は俺に気付くと、下がり気味だった顔を上げてほほ笑んで見せた。
「良い話があるんだ」
「いい話?」
「ああ。例の連中を捕まえた。女達はとりあえず見逃したけどね」
小さい女の事は言わず、適当にごまかす。
それでも元野さんは半信半疑といった顔。
仕方なく、さっき写した写真を彼女に見せる。
手足を縛られ、雑木林に転がる男の写真を1枚ずつ。
「そろそろ連中の回収もしないとね。俺は学校の職員に話をしてくるけど、元野さんも来る?」
「どうして」
「君の願いだったんだろ。連中を捕まえて、追い出すのは」
「ええ」
「その願いが。夢が叶ったんだよ」
声を張ってそう告げる。
彼女のためとまで、恩着せがましくは言わず。
ただそれは、この成果を見れば分かってもらえるだろう。
俺のやった事。
何より、俺の気持ちを。
しかし元野さんは席を立たず、再び伏し目がちになって机を見つめ出した。
「これって、誰のため?」
「誰ってそれは、その」
「あなたの出世のためじゃないの」
辛辣とも言える一言。
始めは確かに、そんなつもりでこの学校に来た。
自分のため、名をあげるために。
でも、今は違う。
俺の思いはただ一つ。
誰のためでもない。
ただ元野さんのためだけに、俺は頑張って来た。
彼女なら、きっとその事を分かってくれるはずだ。
顔を伏せたままの彼女。
俺は改めて、それを否定した。
「今はそんな事を思ってないよ」
「だったら何のため?正義のため?」
「そういう訳でも」
調子を狂わせつつ、それを否定。
同時に、胸の中に違和感が巻き起こる。
これと似た会話を、どこかでした気がする。
いや。気のせいだ。
単なる偶然だろう。
「俺はその。誰のためというか」
「私のため?」
やや唐突な発言。
依然として顔を伏せながらの。
もしかして照れているんだろうか。
逆にそう考えれば、つじつまは合う。
それ以外にはないと言うべきだろうか。
俺も今更隠したり、取り繕ってる場合ではない。
今こそ、俺の思いを伝える時だ。
「そう。元野さんのためだよ」
「どうして。同情?それとも哀れみ?」
「違う。俺は、元野さんが」
突然揺れ出す彼女の肩。
俺の言葉に、感極まったんだろうか。
「本当に私のため?」
「あ、ああ。勿論」
「へぇ」
固く、低い声。
今までとは違う雰囲気に、違和感を抱く。
「どうして、女の子は見逃したの?」
「俺の目的は不良グループの一掃で、一人一人をどうするかは俺の裁量に委ねられてる」
「そうなんだ」
言っている事は本当。
こういう状況では全員拘束。
教育庁。
場合によっては警察に引き渡すのだが、それを言う必要はない。
彼女の肩は揺れ続け、とうとう口元を抑え始めた。
そして漏れ出す嗚咽。
かつての友の不遇を案じてか。
それとも喜びなのか。
何か声を掛けようと手を伸ばしたところで、突然彼女が顔を上げた。
「駄目、もう限界」
俺が見たのは、泣き笑いの顔。
感極まってではない。
おかしくてたまらないと言った表情のそれ。
全く意味が分からず、思わず俺もぎこちない笑顔を作る。
「えと、何が?」
「何もかもが。ホテル、早く戻らなくて良いの?」
「え」
「駅前のホテル。スイートを取ってるんでしょ」
顔から血の気の引いていく感覚。
でもそれは、誰も知らないはず。
俺と、あの子を覗いては。
そんな戸惑いがまたおかしいのか、声を出して笑い出す元野さん。
もはや違和感どころではなく、不審感が先に立つ。
「どういう事だ」
「結構鈍いタイプ?洞察力って無い?」
「何の話だ」
「それとも、人の善意を信じるとか。悪くないけれど、この学校に来るにはふさわしくなかったわね」
席を立ち、真正面から俺を見据える元野さん。
今まで見た事のない威厳に満ちた、凛々しい表情。
まさかと思い懐に手を入れるが、手の甲に激しい痛みが走り銃が床へと落ちる。
「モトちゃん、笑うの早過ぎる」
「ごめん。我慢出来なくて」
「それは確かに、そうだけどね」
くすくすと笑いながら、細長い棒を担いで現れる小さな女。
二人が親しかったのは、過去の会話から分かっていた。
元野さんが彼女を気に掛けていたのも。
いや。それだけじゃない。
予兆はいくらでもあったし、おかしな事もどれだけでもあった。
俺がそれに気付かなかった。
気付こうとしなかっただけで。
「ショウ君達は?」
「後ろ後ろ」
「あら」
後ろを振り向き、小さく声を出す元野さん。
そこに立っていたのは例の大男。
つまり、大男が気絶したのも演技だったという訳か。
「ちっ」
だとすれば、この場所に止まるのは危険すぎる。
一旦引いて、体勢を立て直し……。
首筋を万力のような物で締められ、息が詰まる。
いや。頸動脈が抑えられ、血液がどちらにも流れていかないのか。
何度も大男が後ろにいるのだと疑っていたが、彼は目の前に立っている。
つまりそれと同程度の技量を持つ人間が、他にも存在する事が立証された。
分かったからといって、この窮地を脱出出来る訳でもないが。
「程々にしなさいよ。御剣君」
「骨は?」
「加減は任せる」
決して止めはしない元野さん。
そして気付くと、野獣みたいな目をした男が俺の顔を上から覗き込んでいた。
「本当にお前、フリーガーディアンか?どこからどう見ても、隙だらけだぞ」
「ふ、ふざけるな」
「この学校に派遣されるレベルなら、後ろに立たれただけで振り向くんだけどな」
「誰もがあなた達みたいに優秀でもないのよ」
元野さんは辛辣にそう言ってのけ、いつの間にか現れていた綺麗な女から書類の束を受け取った。
「警備局特別監査官。……大した履歴じゃないわね」
「だから、この程度の実力なんでしょ」
俺を見もせず会話を交わす二人。
屈辱と気恥ずかしさ。
今更後悔してもしきれないが、とにかくそれ以外の言葉が思い付かない。
気付くと受付にはかなりの人数が集まり、話し合いが始まった。
俺をどうするかよりも、教育庁との交渉。
対策というべきか。
「ケイ君はどう思う」
「教育庁としても、俺達への対応はしていますというアピールでしょう。本気で潰しに掛かってるなら、もっと優秀な人間を大勢派遣してきますよ」
「サトミは」
「私も同意見。捨て駒ね、この人は」
醒めた口調で告げる綺麗な女性。
身を切るように辛い言葉だが、そう思ってるのは俺くらい。
そもそも彼女達は、俺の存在すら意識してないようだ。
「分かった。教育庁については、私からお父さんに言っておく。適当に不良を退学させれば、お父さんの面目も立つでしょ」
「悪いわね、親子共々」
「処世術といって。ショウ君、ホテルの捜索は?」
「武器と道具、端末一式を持ってきた」
「木之本君、チェックして」
彼女達の中から現れたのは、大人しそうな少年。
どう見ても悪事に手を染めるタイプには見えず、この場にいるのも気が進まなそうな雰囲気。
だとすれば、まだ俺にも救いがある。
「……悪いけど、君を助ける事は出来ないから」
「え」
「逆らうと、僕のカメラを壊すって言うから。それは困るんだよね」
何を言ってるのか意味が分からない。
教育庁の意向より、自分のカメラが大事だってこの男は言いたいのか。
「カメラと俺と」
「カメラだよ」
即答された。
そして男は慣れた様子で端末を解体し、個人情報の書き込まれたチップを取り出した。
「多分命令書も、この中に入ってると思う」
「バックアップを取って、別なデータを上書きして。内容は、ケイ君とサトミに相談して」
「分かった」
あくまでも素直で従順。
そして、俺を助けるつもりは微塵もないと来た。
「それより元野さん。この男は、どうするんですか。しがみついてても、面白くないんですけど」
「ああ、忘れてた。丹下さん、どうする?」
「腎臓は余ってるわよ」
興味なさげに答える、ポニーテールの美少女。
言ってる意味が分からないし、分かりたくもない。
「今のは冗談だから。ね、丹下さん」
「冗談、ね」
ニヤニヤと笑う丹下さんとポニーテールの美少女。
俺も笑おうとするが、顔の筋肉が固まって動きそうにない。
「とりあえず、縛っておいて。明日までに考える。木之本君、後はお願い」
「僕が?」
「新しいカメラ、用意するから」
「そういう意味じゃないんだけどね」
文句を言いつつ、それでも慣れた調子で俺の手足を縛っていく男。
一応謝りながらで、それが余計に腹が立つというか気味が悪い。
そのまま薄暗い物置に放り込まれ、ドアが閉められる。
明かりは天井に、小さな蛍光灯が灯っているだけ。
部屋の中には何もなく、壁には小窓すらない。
叫ぼうにも口にはタオルがまかれ、言葉の出しようもない。
手足を縛るロープは頑強。
「冗談よ」
と、ドアが開けられる事もない。
今が何時で、今日がいつなのか。
暗闇の中。
無限とも思える時が過ぎていく。
リクライニングチェアにもたれ、大きく息を付く。
「大体ですが、そんな所です」
都内のホテルの一室。
是非草薙高校の話を聞きたいという高校生に頼まれ、下らない事を話してしまった。
あそこで起きた事は他言無用と言われていたが、彼等も俺同様フリーガーディアン。
敵を討つと言われれば、重い口もつい開いてしまう。
それにここは東京。
彼等の手もさすがには及ばない。
「良く無事でしたね」
精悍な顔立ちの男は、感心した顔で俺を見る。
それは俺も意外。
精密検査を後日受けたが、五体満足。
腎臓も二つあるし、角膜も無事。
生活に不自由もない。
解放されたのは翌日で、それはTVや端末で何度も確認済み。
結局は気まぐれな連中。
俺に飽きたんだろう。
「他言無用って言われませんでした?」
「え。ああ、言われたよ。でも、別に」
「軽いな、お前」
突然暗くなる視界。
顔が掴まれ、持ち上げられたと分かったのはその後。
すぐに手が後ろへ回され、指錠と手錠がはめられる。
「名雲さん、どうする?」
「俺達は言われた通りにするだけだ」
「元野さんには甘いんだね」
「良いから車に運ぶぞ」
暗闇の中聞こえる二人の会話。
決して聞きたくはない、だけど嫌でも聞こえてしまう台詞。
この先自分がどうなるかは分からない。
分かるのは、彼女達は俺がどうなろうと気にも留めていない事。
その闇に、俺はわずかにも届かなかった。
ただそれだけだ。
了
エピソード 36 あとがき
「もしユウ達が悪い方向へ走っていたら」という話でした。
実際には彼女達の性格上、ありえないんですけどね。
そこは、アナザーストーリーという事で。
基本的な役割は、現実の彼女達と同じ。
ケイが、完全に使いっ走りといったくらいですね。
一応、不憫なフリーガーディアンについて少し。
能力としては、中の上。
実績はそこそこあり、ただ実際の成果よりも誇張して報告するタイプだった様子。
超一流。つまり、沢さんとは比ぶべくも無いレベル。
有能ではあるけれど、ずば抜けてはいません。
だからこそ、今回「スケープゴート」に選ばれたとも言います。
悪い人では無いんですけどね。
相手が悪すぎました。
ちなみにユウ達は本編でもあるように、力のみで草薙高校を制圧している訳ではありません。
非道悪辣ではなく、むしろ生徒受けが良い行動が多いです。
またモトちゃんのお父さんを通じて、教育庁とも結託している様子。
対立組織などは、こまめに芽を摘んでもいます。
一般生徒からすれば、「少し得体が知れないけど、実害は無い」存在。
支配されている事にすら気付いてません。




