エピソード 36-2 ~IF編・とあるフリーガーディアン編~
IF
2
翌日。
普通に授業をこなし、休憩時間を過ごし、昼休みを迎える。
幸か不幸か、あの連中とはクラスが別。
ただ元野さんとも別で、そこは少し残念だが。
食堂へ向かいながら、監視カメラへのハッキングをするか自分で設置するかを考える。
出来れば連中のたまり場に、一つくらい仕掛けたい所だが。
「本当、むかつくよね」
俺を追い越しつつ、そんな事を言っている小さい方。
相手は例の良い男。
二人とも、俺の事など全く気にしてない様子。
それに微妙な気持ちを抱きつつ、騒がしい後ろを振り返る。
俺が目にしたのは監視カメラ。
床に落ち、レンズが外れ、破片が飛び散った。そのなれの果てと言おうか。
「これって、あの小さいのがやったの?」
監視カメラを囲んでいた男子生徒の一人に声を掛けるが、返事はない。
すぐに背を向けて逃げられた。
他の連中も同様で、気付くと俺一人カメラの脇に立っていた。
このままでは、俺が犯人にされかねないな。
廊下を駆け抜け、食堂へ到着。
列に並び、食事を手に入れて開いてるテーブルに付く。
さっきの小さい女は、窓の外が見えるおそらくは特等席で食事中。
都心にしては緑の多いこの学校の景色を眺めながら食べるご飯は、一際美味しいといったところか。
「監視?」
くすくす笑いながら、俺の前に座る元野さん。
そうではないが、そうとも言える。
向こうが俺を意識しないのは、屈辱ではあるがやりやすくもある。
「弱点とか無いのかな」
「あったら、誰かがどうにかしてるでしょ」
「だったら金は。多少なら動かせる」
現金なら数百万。
見せ金で良ければ、億単位も可能。
そう告げてみるが、反応は薄い。
「彼女達は資金源をいくつも持ってるし、お金に執着してる訳でもない。見ての通り、贅沢もしてないでしょ」
確かに学食で、他の生徒と同じような食事をしているくらい。
やりにくい要素がまた増えた。
食事を終えてのんびりする連中。
デザートを前に、仲間同士で楽しく談笑といった所。
優雅というか、これを見る限り不良グループの幹部とは思いにくい。
「……久し振りに来たわよ」
「何が」
「多分、あなたの同類。どういう系統は知らないけど」
連中の座ってる方へ視線を向ける元野さん。
そのさらに先から近付いてくる、木刀を持った男。
一人ではなく、全部で10人。
彼女の説明を待つまでもなく、奴らの意図は読み取れる。
いわば政権交代。
上を倒し、自分達がその後釜に座る。
行為としては最低かも知れないが、労力の掛からない有効な手段。
しかも先頭にいるのが、昨日俺とやり合った奴。
あの時はかろうじて勝ちを拾った相手。
つまりは、俺と連中の実力差がここで……。
床を滑っていく男。
その体を飛び越えた黒い影が集団の間に突き刺さり、一人また一人と床に倒れる。
距離を置いているので、動きはどうにか見て取れる。
すぐの前だったら、気付く事無く全てが終わっていただろう。
「どう?」
興味なさげに尋ねてくる元野さん。
彼女に全てが終わったと告げ、俺も食事に戻る。
昨日俺があれだけ手こずった相手を、全く歯牙にも掛けなかった。
いや。武装して仲間を連れていた分、より手強かったはず。
それなのに、だ。
「強いでしょ」
「それは認めるよ」
悔しさを押し隠しつつそう答え、伸び始めたラーメンをすする。
最低、スタンガンは必要。
銃も、弾を入れ替えた方が良さそうだ。
「勝てる?」
「勝つよ」
これは虚勢でも強がりでもない。
素手での実力では敵わない。
それは認めよう。
ただこちらにはそういう相手用の武器が揃っている。
防具も勿論。
卑怯と言われればそれまでだが、そんな事を言っている理由はどこにもない。
負ければ全てを失う以上、下らないヒロイズムを持ち出すつもりもない。
「頼もしいね」
にやりと笑い、元野さんの隣に座る例の陰気な男。
高揚していた気分。
何より、元野さんと二人きりという大切な時間が台無しだ。
「怖い顔するなよ。それで、連中を倒すのは諦めた?」
「むしろやる気が出てきた。強いのは認めるが、所詮は高校生。手の内ようはいくらでもある」
「ミサイルでも撃ち込む気?北米くらいから発射すれば、もしかすると勝てるかもね」
チャーハンをこぼしながら話す男。
くだらない冗談に付き合う気はなく、トレイを持って立ち上がる。
「スタンガンとか銃とか。そんなのは、今までここに来た連中なら全員持ってきたよ」
「何」
「戦利品を見せてやっても良いし、必要なら貸してやろうか。買い手がいなくて困ってるんだ」
下らない軽口。
ただ、過去この学校を訪れた人間が武装をしていたのは真実だろう。
それが有効な手段となり得なかったのも。
昼休みの残り時間を利用し、教棟の裏手にやってくる。
周りを雑木林に囲まれた、都会の学校とは思えない場所。
周囲からの目を逃れるには好都合とも言える。
懐から銃を取り出し、地面へ置いていたペットボトルを狙う。
どうにかペットボトルだと分かるくらいの距離にあったそれは、乾いた音を立てて宙を舞った。
そこを改めて狙い、次々上へ上げていく。
ちょっとした曲撃ち。
実戦にはそれ程役に立つ事でもないが、狙いを定めるのはそれなりに難しい。
複雑に動く相手を想定した訓練としては、さほど悪くはない。
「サーカスみたいね」
褒め言葉なのか。
一応拍手をしながら笑う元野さん。
それに少し気分を良くし、懐へ銃を戻す。
ライフルでもあれば良いが、狙撃ポイントを探るのも一手間。
しかもこちらの顔が割れている以上、大きな動きをすれば察知されやすい。
中距離から銃でダメージを与え、一気に制圧。
さっきの陰気な男は、それだけで片が付く。
大きな男も、素手はともかく銃撃に耐えられるとは思えない。
後は、いつ決行するかを考えるだけだ。
「それで撃つの?」
「ん、まあね」
今更元野さんへ隠し事をしても仕方ない。
何かを言われるかと思ったが、反応は無し。
それがむしろ気になってしまう。
「駄目かな」
「彼女達を追い出してくれるなら、何をしても構わないと思う」
意外に非情な答え。
あの小さい方とはそれなりに親しそうだったので、意外な答えではある。
放課後。
さっきは無言で別れたため少し気まずかったが、自警局へとやってくる。
元野さんはすでに受付前にいた。
彼女の気持ちは分からない。
だが追い出せと言われれば、俺はそれに従うだけだ。
仕事としてではなく、彼女の気持ちに応えるために。
「昔は、普通の女の子だったの」
遠い目で語り出す元野さん。
俺は空いてる席へ座り、その話に耳を傾けた。
「全員、普通の子達だった。頭が良かったり強かったりはしたけど、本当に普通で毎日が楽しかった。でもそれは、所詮夢だったのね。あの男が来るまでの」
「男」
「そう、あの男のせい。そそのかされて、騙されて、操られて。気付けば全員が、この学校に君臨してた。でも今は、逆。彼女達は、自分の意志でその座に留まってる。あの男はただの使いっ走りに成り下がって、もしかしたら一番後悔してるのは彼かしら」
自嘲気味に笑う元野さん。
それはかつての友の有様に付いてか。
止められなかった自分への笑いか。
俺は黙って、彼女の笑い声を聞くしか出来なかった。
正直、俺一人では手に余る相手。
だとすれば、協力者を募るのが定石。
連中に不満を抱く生徒の中で、使えそうな奴を引き込むか。
だが報酬を考えると、多少無理をしても自分だけでやった方がいい気もする。
この辺は、もう少し慎重に考えるとしよう。
「……何してるのかな、あれは」
「お菓子を食べてるみたいね」
元野さんの言う通り、ラウンジでふ菓子を食べている小さいの。
どこからどう見ても子供。
とても不良グループのリーダーとは思えない。
「音楽が聴きたいな」
唐突な呟き。
すると綺麗な女が視線を横へ走らせ、例の陰気な男を捉えた。
「……軽音楽部?……いや、選曲は任せる。……ああ、予算は弾む」
あっさりと終わる通話。
何をやったのかは、大して待つ事もなく知らされた。
楽器を持ってラウンジへ集まる生徒達。
彼等は比較的開けているスペースに陣取ると、チューニングを始めた。
「何だ、あれは」
「音楽が聴きたかったんでしょ」
「どうして」
「理由はないわよ」
素っ気なく答える元野さん。
そんな彼女の言葉は、ベースの低い音色にかき消される。
モダンジャズの音色が響くラウンジ内。
たまにはこう言うのもいいなと、場違いな事を考える。
生徒達はそれに聞き入り、いつしか照明も落とされている。
ムードは満点。
甘い調べが心をくすぐる。
ジャズの世界に浸っていたのもつかの間。
不意に演奏が止み、軽音楽部らしい集団が帰って行く。
「飽きたみたいね」
唖然とする俺に説明をしてくれる元野さん。
そして軽音楽部に例の男が歩み寄り、何かを手渡した。
「お金よ」
「何?」
「持ちつ持たれつって事。彼女達の振るまいが表だって糾弾されない理由の一つね」
皮肉っぽい笑い。
人間、誰だって金をもらって悪い気はしない。
下手に逆らっていたい思いをするよりは、余程まし。
そう考える人間は多い。
誰しもそうとまでは言わないが。
「つまりあなたの行動を、ここの生徒が支持するとは限らない」
「良くある話だよ。甘い汁を吸いたい奴は、どこにもいる」
「最後まで、戦い抜ける?」
「そのために、俺はここにいる」
首筋に冷たい感覚。
前に立つのは、例の男。
相変わらずの醒めた笑顔で、奴は俺を見つめていた。
「希望があれば、演劇部でも呼ぶけど」
「そこまでの力があるのに、随分無駄な事に使ってるんだな」
「一番まともな使い方だろ。自分達の楽しみに使うのは」
悪びれず、そう答える男。
今すぐ飛びかかりたくなる衝動に駆られるが、背後からのプレッシャーが尋常ではない。
虎か狼にでも狙われてるような心境だ。
「どうかしたの」
大きい男にまとわりつきながらこちらへ歩いてくる小さい方。
元野さんは別にと答え、陰気な方を睨んだ。
「彼を誘っただけですよ、仲間にならないかって」
「何のために」
「教育庁のエリートだそうです」
「ふーん」
全く関心のない態度。
俺が、自分達の立場を脅かす存在だと分かった上での。
「そうは見えないけど」
「人間、見た目じゃないですよ」
「良いけどね、どうでも」
あくまでも興味を示さない小さい方。
とはいえ陰気な男も、是が非でもという訳ではない様子。
退屈しのぎ。
たまたま見かけたから、ついでに声を掛けたくらいの意識しか読み取れない。
ただ見ていて、連中の役割は大体把握出来た。
小さい女がリーダーで、子供っぽいわがままな態度で振る舞う。
綺麗な女がその意図を受け、陰気な男に指示を出す。
大きい男は、小さい女のボディーガード。
それとは別に、影で動く人間がいる。
今、俺の首筋に警棒を当てているような奴とか。
やはり要は、この陰気な男。
小さい女中心に回ってるとはいえ、どう見てもガードが堅い。
先手を取られなければ、大した相手ではない。
また学内も警備が厳しい訳ではなく、むしろ緩いくらい。
隙はいくらでもある。
連中と別れ、元野さんを自警局に残し外へ出る。
居所を探るのは、学内に巡らされた監視カメラを使えばいい。
連中が独自に設置した方も含め。
こちらは教育庁が開発したソフトを所有している身。
高校生の組んだシステムに侵入するのは造作もない。
「……いたな」
事前入力したデータ通りに、連中の映像を検索。
大して待つ事もなく、陰気な男が表示された。
正門前か、ここは。
あれだけ挑発しておいて、護衛も付けずに一人。
罠の可能性もあるが、一人なのは間違いない。
こっちは、むしろそれを利用させてもらうだけだ。
装備を確認し、街路樹の影に隠れながら男の背後に迫る。
周囲には普通の生徒しかおらず、仲間の姿は見あたらない。
一応背後も振り向くが、勿論誰もいない。
上、か。
良い枝振りの木々を見上げるが、やはり問題なし。
懐から銃を抜き、スタンガン内蔵の弾の装填。
大した恨みはないが、自業自得と思ってもらおう。
銃を構え、引き金に指を掛ける。
エアガンなので、この距離なら音は聞こえない。
後は狙いを定め、引き金を引き絞るだけ。
結局の所は、たやすい相手だ。
額に軽い衝撃。
虫でも当たったのかと思い手を伸ばすと、冷たい感触が伝わってきた。
「血?」
赤い、ただ血にしては不自然に鮮やかな赤。
そこでようやく、ペイント弾だと気付かされる。
しかし周囲に人影はおらず、俺に対して背を向けている陰気な男が撃ったはずもない。
再び額。
続いて頬。
銃を握る右手に衝撃が走る。
額や頬からは何かが滴り、手は真っ赤。
顔を上げた先に見えたのは、教棟の屋上。
人影が動いたような気もする。
位置としては、俺を狙うのに絶好のポジション。
ただエアガンの飛距離は限られていて、これだけの距離だと風で吹き流される。
仮に届くとしても、狙った的へ当てるのは困難。
それだけの性能を持つ銃。
そして、技量。
「ぐっ」
今度は痛烈な痛みが肩に走り、思わず膝を突く。
実弾ではないが、あざくらいは出来たはず。
すかさず木陰に身を隠すが、逃げ込む寸前でふくらはぎを狙い撃たれる。
ポケットから煙幕用のボールを出し、さっきまで自分がいた場所へ放る。
すぐに煙が立ち上り、これで姿は見えなくなるはず。
今の内に、この場を……。
「ぐぁっ」
立ち上がった途端、首筋に激痛。
赤外線スコープか。
「ちっ」
懐に手を入れ道具を探るが、その腕を肩から手首に掛けて連射された。
それでもポケットから別なボールを取り出し、地面へ放る。
今度は蒸気が吹き出て、ようやく射撃が収まる。
とにかくこれ以上ここに留まるのは危険すぎる。
何より、今は何も出来そうにない。
学内の医療部とかいう場所は避け、近所の総合病院で治療を受ける。
服を着ていたせいか、どうにか軽度の打撲で済んでいた。
それでも右腕は動かす事が出来ず、左足は完全に引きずってしまう。
隙だらけなのは、むしろ今の自分という訳か。
まさに満身創痍で病院を出ると、車が目の前に横付けされた。
出てきたのは、例の陰気な男。
俺にとっては、不吉を運ぶカラスにも見える。
「送ってやるよ。純粋に」
「目的は」
「疑り深い男だ。乗って損はしないだろ。……彼を中へ」
「ああ」
俺の腕を掴み、荷物でも放り込むように車内へ引っ張り込む大男。
でもって車内には、どう見ても本物としか思えないライフルが転がっている。
間違いなく、さっき俺を撃った物だな。
「おもちゃ、おもちゃ。出してもらえますか」
「ああ」
後部座席から声を掛けられ、車を走らせる大男。
俺が座っているのも後部座席。
不意を突く方法はいくらでもあるし、自分だけ逃げる事だって出来る。
そういう簡単な相手ではないと、ついさっき思い知ったばかりだが。
陰気な男はダッシュボードからビールを取り出し、それを勧めてきた。
酒を飲むような状況ではないし、発熱をしてそれどころではない。
無愛想に断ると、陰気な男は肩をすくめてダッシュボードにそれを戻した。
「分かったかな、俺達の実力が」
「ライフルなんて、どこで手に入れた」
「北米軍の横流し品さ。このくらい、すぐ手に入るだろ」
戦後すぐなら、銃は高校生でも入手出来たとは聞く。
だが今は、前大戦から10年以上立っている。
所持をしている事自体が犯罪で、俺ですら本物を見たのは数度でしかない。
「君も良くやったよ。失敗でしたと報告しても、上司は咎めないさ」
「銃で撃たれただけだ」
「名が通ってる不良を何人か警察に引き渡させば、多少の言い訳は立つだろ。手はずはこっちで整えてやる。金一封くらいは出るかもな」
駄目な子供に手を貸すような口調。
頭に血が上り、思わず男の襟に手を掛ける。
男はにやけながら俺の手を払い、胸元を指さした。
「俺達も、教育庁と決定的に対立はしたくない。だから、妥協案を示してるんだ」
「子供の使いか、俺は」
「考え方一つだろ。最後まで意地を貫くなら、それで良い。ただし、これが最後通牒と思ってくれ」
「ありがたくて、泣けてくるな」
婉曲に申し出を断り、車を止めるよう前の男に声を掛ける。
意外に車は滑らかに止まり、道の左へと寄せられた。
「残念だな、実に」
「お前達こそ、今の内に観念した方が良い。俺は仲間を呼ぶ事だって出来るんだ」
「100人でも1000人でも呼んできてくれ。それとも、軍でも要請するか?」
小馬鹿にした笑みで笑う男。
最後に殴ってやろうと思ったが、それまで運転していた男の視線がバックミラー越しに俺へと突き刺さる。
不審な行動をすれば、手にしているライフルの台座くらいは飛んできそうだ。
苦痛を堪えながら車を降り、ガードレールにもたれかかる。
ここがどこか知らないが、我ながら下らない意地を張った。
「寮まで送ってやるよ。最後の情けで」
「断る。明日からは学校にも圧力を掛ける。自分達こそ逃げ出す相談でもしてろ」
「フリーガーディアンのお手並みを、せいぜい拝見させてもらうよ。今日からは、寝ない方が良いぞ」
何かを放り、窓を閉める男。
車はすぐに走り出し、その直後足元で爆音が響く。
爆竹と分かったのは、ジーンズの裾が丸焦げになった後。
下らない、だが非常に勘に障る悪戯。
あの男だけは、何が何でも制裁を加えてやる。
男の忠告を受けたからではないが、さすがに寮を引き払う。
神宮駅前のビジネスホテルへ移り、盗聴装置とカメラを確認。
何も無いのを確かめたところで、自分のカメラとマイクを仕込む。
侵入された際の証拠にもなるし、その場合は相手の行動も監視出来る。
むしろ侵入してくれと言いたいくらいだ。
「……ルームサービスです」
ドアの向こうから聞こえる愛想の良い声。
そんな物は頼んでないと思いつつ、懐に手を入れてドアを開ける。
立っていたのは、さっきフロントで見た従業員。
ワゴンにはサンドイッチとペットボトルのお茶が乗っている。
「頼んでないけど」
「サービスですので」
こちらの意志を無視した台詞。
不審以外の何者でもなく、ワゴンに足をかけて押し戻す。
従業員は廊下の壁際まで吹き飛び、その隙にドアを閉める。
居場所を特定されるとは思ったが、ここまで露骨に攻めて来るか。
「開けて下さいよ。サービスですから」
「警察を呼ぶぞ」
「すぐに、呼んで下さい」
ドアを執拗に叩きながらの、処置無しの答え。
とはいえ夜通しこの押し問答をやるのも面倒で、言われるままに呼んでみる。
すぐに制服姿の警官が数名駆けつけ、男と俺を向かい合わせる。
「ルームサービスを頼んだと言ってますけど」
「頼んでないし、ドアを叩き続けられても困る」
「そういうサービスだとも言ってますよ」
どんなサービスか知らないし、この警官からして妙。
やけに、従業員の肩を持っている。
「……警察手帳、見せて下さい」
「手帳ね」
ニヤニヤと笑い、顔写真の入った手帳を示す警官。
不審な点は特にない。
つまり偽警官などではなく、本物。
それがこの態度だとすれば、ここからの行動は慎重になるべきだ。
「俺の勘違いでした。ルームサービス、頼んでましたよ」
「そうですか。では、我々は引き上げても良いですか」
「ええ。お手数をお掛けしました」
「いえいえ。警察官として、当然の仕事をしたまでです」
すぐにドアを閉め、荷物をまとめて部屋を出る。
これ以上ここに留まるのは危険。
警察権力があてにならないような場所で、何が起きるか想像もしたくない。
「お出かけですか」
フロントで声を掛けてくるさっきの従業員。
カウンターに適当な額の金を叩き付け、正面玄関へと足早に急ぐ。
「出て行くよ」
「またのお越しを」
二度と来るか。
考えが浅はかだったと言うべきか。
どのホテルに入っても、満室だと断られる。
大抵は手元のプリントに視線を向けながら。
ひどい場合だと、俺の顔写真が入ったそれをカウンターに置きながら。
金を積まれても泊まりたくないようなホテルでも結果は同じ。
いかがわしそうなホテルでもそれは変わらず、泊まる事は諦める。
マンガ喫茶かスーパー銭湯という手もあるが、個室でないためあまり環境は良くない。
むしろ連中の思うつぼだろう。
たかが高校生にここまでの事が出来るとは思えないが、起きているのは事実。
仕方なく段ボールを抱えて、広い公園の奥へと向かう。
改めて周囲を確認。
先客は無し。
大きな木を背にして、段ボールを三つばかりつなぎ合わせる。
見栄えはともかく、多少の雨風なら十分に防げる。
後は明日に備えて、早く寝よう。
緊張で眠れないかと思ったが、疲れもあったのか気付けば意識が飛んでいた。
飛んでいたと分かるのは、目が覚めたから。
段ボールの中で、時計をチェック。
時刻は日付をまたいだ頃。
カチカチという音がする。
時計はあくまでも端末の機能。
設定でもしない限り、音などでない。
明るくなる足元。
朝日が昇るのは、まだ先の時間。
だけど、俺の足元は赤く染まって見える。
「冗談、だろ」
眠気は即座に消え去り、段ボールを蹴りつけ外へ逃げる。
その途端、背中に一撃。
枯れ葉の上へ転がった所で、燃えさかる段ボールが目前に迫る。
ホームレス狩りか。
しかしそれにしては、随分手慣れた手口。
「寒いと思って、暖かくしてやったのに」
聞き慣れた。
二度と聞きたくはない声。
銃を取り出し乱射するが、反応はない。
すでに襲撃した相手は逃げた後。
声は、足元に転がっている端末から聞こえていた。
「人間、一週間くらいは寝なくても生きていける」
「お前だけは殺す」
「勇ましくて結構だ。今日はこれで、許してやるよ」
一方的に切られる通話。
そんな事が信じられる訳はなく、端の方が焦げたリュックを背負い歩き出す。
これなら、まだ街中にいた方がまし。
少なくとも、いきなり火を付けられる事はないだろう。
足を引きずりつつ、それでも学校にはやってくる。
無理して登校する理由はないが、ここで背を向けるのはプライドが許さない。
また連中と直接接触出来る場所であり、自然とチャンスも生まれるはずだ。
正門をくぐったところで足を止め、大きく息を付く。
鎮痛剤のお陰で痛みはあまりないが、その分だるい。
いつもは気にもしない距離が、今はフルマラソンのコースにも思えてくる。
「医療部へ行ったら」
元野さんにしては感情のこもらない、素っ気ない口調。
ふと漂うコロンの香り。
黒い髪が目の前をよぎり、切れ長の綺麗な瞳が俺を捉える。
「君、は」
「教室に行っても寝るだけでしょ。付いてきて」
医師の簡単な診察を受け、そのまま病室で横になる。
罠かとも思ったが、自由が効かないのは確か。
少しくらい休むのは、むしろ助かる。
「良いのか」
「何が」
あくまでも素っ気なく返す美少女。
声を聞いたのは初めて。
綺麗な面差しによく似合った澄んだ声。
「俺を助けて」
「一緒に歩いてきただけでしょ」
ベッドサイドに座り、じっと足元を見てくる美少女。
変な靴を履いてはいないが、彼女に見られてると思うだけで気恥ずかしくなってくる。
「ナイフが仕込んであるわね」
「え」
「見れば分かるわよ」
やはり素っ気ない美少女。
格闘技の達人とは思えないし、そういう身のこなしでもない。
ただナイフを仕込めるような靴の形状は限られ、オーダーなど不可能。
その辺の知識があるか、それなりの修羅場はくぐってきてるようだ。
会話はそれきり。
一体何が言いたかったのか全く分からないまま、沈黙の時だけが過ぎていく。
「仲間になる気はないの?」
唐突に切り出す美少女。
彼女は俺が口を開くより先に、言葉を繋いできた。
「あの男に何を言われた知らないけど、私達に拒む理由はない。協力してくれたら、助かるわ」
「助かる」
どこかで聞いた台詞。
鎮痛剤のせいか、いまいち頭が働かない。
それとも、心のどこかでブレーキを掛けているかだ。
さすがに返答へ困り、唇を噛んで床を見つめる。
ただこれに乗る理由は無い。
彼女の容姿を除いては。
「これは、私とあなただけの秘密。二人きりの約束よ」
「二人?」
「そう。私と、あなたの」
素っ気ない口調。
そこへわずかにこもる感情。
切れ長の瞳は、真っ直ぐと俺の心に突き刺さる。
「この事は誰にも言わないで。勿論、私も誰にも言わないわ」
「どうして」
「理由なんて、いるのかしら」
薄く笑い、伸ばしかけた俺の手を避けて病室から出て行く彼女。
胸の中でで繰り返される彼女の言葉。
脳裏に焼き付く、刺すような視線。
決して忘れる事の出来ない。
昼休み。
授業にも出ず、学食へ向かう。
相変わらずの生徒の群れ。
よく分からないままカウンターで食事を受け取り、一番近い席へ座る。
「どけよ」
後ろから、頭を押される感覚。
つい感情が先走り、フォークを振って威嚇する。
何か鳴き声も聞こえるようだが、気のせいだ。
「こ、この野郎」
「食事くらいさせろ」
目立つのは本意ではないが、痛みと空腹とだるさで気分は最悪。
こういう下らないやりとりに関わる気も起きない。
「お前達のランクは」
「ランク?」
「分からないなら、ひっこんでろ」
いっそ銃でも抜こうかと思ったが、男達の方から勝手に俺から離れていった。
正確には、逃げ出した。
俺の側を通りかかった、小さい女を避けるようにして。
どこからどう見ても、普通の少女。
せいぜい小学生と見間違えるくらいで。
逃げる理由は何もない。
こいつがリーダーなら、ここですぐに……。
鼻が焦げたような感覚。
後ろ蹴り。
いや。ソバットか。
女がそれを放ったと分かったのは、鼻血が床に滴った後。
俺はせいぜい、一歩前に出ただけ。
わずかな敵意を抱いて。
女はそれに反応し、反射的な攻撃を仕掛けてきた。
「まだいたの?」
不思議そうに俺を見つめる小さい女。
今の動きが本人も意図しないと示す台詞。
だが仮に意図した動きだったなら、俺の首は今頃後ろに反り返っていただろう。
「何か用?」
「い、いや。別に」
「ふーん。取りあえず、鼻血拭いたら」
冷ややかにそう言い放ち、すぐに背を向けて歩き出す小さい女。
単に小柄で愛嬌の良いマスコットという訳ではないようだ。
だが、隙はある。
彼女の動きは、あくまでも寸止め。
敵意を感じた時点で相手を倒す性格ではない。
甘さは美徳かも知れないが、戦いの場面においてはむしろ害でしかない。
テーブルへ戻り連中を遠くに見ながら食事を進める。
基本的に、やはり小さい女が中心の様子。
綺麗な女も大きい男も、彼女の面倒を見るのに一所懸命。
陰気な男は彼等の命令を受けて実行という構図。
生徒が表立って糾弾しないのは、先日見た癒着もあるが無意味に暴れない点か。
それを連中が、意図してるかどうかはともかくとして。
「事故にでも遭ったの?」
「ちょっと転んでね」
「階段から落ちた?」
さすがに不安そうな顔をする元野さん。
肌が出ている場所はガーゼか包帯。
箸も満足に握れないと来ては、何を思われても仕方ない。
「それより、教職員か理事に会いたいんだけど。元野さんも来る?」
「圧力を掛けて、彼女達を追い出す気?多分、無理よ」
「どうして」
「行ってみれば分かるわ」
一般の教棟からは別な建物に案内され、慣れた調子で歩いていく元野さんの後に続く。
教師や職員達は彼女を知っているのか、その挨拶へ気軽に答えている。
「私も一応、生徒会の一員だから」
「学校に相談をした事はあると」
「当然。子供達で解決出来ないなら、大人を頼るしかないでしょ」
自嘲気味に語る元野さん。
それは現実的な対応であると共に、自分の力不足を認める事にも繋がる。
俺はそこまで割り切っておらず、今回ここに来たのはあくまでも力を借りるだけ。
そう、自分に言い聞かせている。
生徒指導課課長という肩書きを持つ男と応接室で向き合い、事情を話す。
しかし態度はいまいち煮え切らず、教育長の名前を出しても同じ。
あくまでも生徒同士の問題と告げられる。
「多少度が過ぎているのは我々も認めていますけどね。物を壊して回ったり、生徒に危害を加えてる訳ではないですから」
「専横的に振る舞ってるんですよ。他の生徒を支配するような形で」
「これだけの規模の学校です。むしろそうやってまとめてくれる生徒がいると、我々も助かります。いわゆる不良連中を押さえ込んでる訳ですし」
根本的に噛み合わない会話。
確かに治安が極端に悪い訳ではないし、柄の悪い連中もあの女達の前では大人しくするより他ない。
ただ本当に実害が無いのかどうかは、生徒に聞いてみないと分からない。
俺の印象では甘い汁を吸ってる連中以外は、決してその存在を歓迎してるとは思えない。
「これは教育庁として解決すべき案件です。俺はそのために、この学校へ派遣されてるんですから」
「公式な書面でもお持ちですか?」
「……隠密行動が基本なので、そういった類の物は持ち合わせてません」
「では、教育庁に問い合わせてから再度お願いします。我々も連中を放置している訳ではありません。ただ生徒の自治という原則がある以上、介入は出来るだけ避けたいんです。それは生徒だけでなく、学校の総意でもあります」
連中をかばうような台詞。
さすがに耳を疑うが、どうやら本気の様子。
これ以上の話し合いは無意味と思った方が良さそうだ。
怒りというか、むしろ虚しさが先に立つ。
別に生徒のためとか学校のためという大義を抱いてはいない。
ただこれは、この学校の問題。
当事者があの態度では、俺の意気込み自体が非常に無駄な物へ思えてくる。
「あれが現実よ」
醒めた口調で呟く元野さん。
冷たい風が彼女の髪をかき乱し、その表情をも隠す。
「だからこそ、あなたが頼りなの」
かすれ気味の声。
震える肩。
彼女はずっと、この空しさとやり切れなさとも戦ってきた。
誰の手助けも得られないまま、最後の一人になるまで。
「私を助けて」
すがるように、俺の肩へ触れる彼女の手。
上着越しに伝わるその重さ。
そして違和感。
デジャブ。
似たようなやりとりが、脳裏の片隅によぎる。
それは先日の出来事か、それとも。
ただ思い出されるのは、切れ長の奇麗な瞳とコロンの香り。
二人だけの秘密という言葉。
そう。
あれは二人だけの秘密。
決して他言は出来ない。
例え元野さんであろうとも。
これは最後の切り札。
連中を動揺させるための、有効な手段となりうる。
だから彼女には明かせない。
やましい理由は何一つない。
何一つ。
お茶を買いに、自警局の受付を出て行く元野さん。
誰もいない受付に一人きり。
ゆっくり考え事でもと思った矢先、靴音が響く。
忘れ物を取りに来たのなら、少しくらい小走りになるはず。
だが聞こえてくるのは、もっと単調なそれ。
誰であるかは、見なくても分かる。
「よう、色男」
人の心の隙を見計らったように現れる陰気な男。
もしかして、どこかで監視でもしてるのか。
「両手に花で結構だな」
「……なんだと」
「看護婦さんといちゃついてただろ、医療部で」
「あれは、向こうが勝手に」
実際保健室。
この学校で言う医療部で、そういう事は確かにあった。
口外する事でもないが、こういう勘違いならむしろ助かる。
さすがに彼女。
遠野さんとの会話は知らないはず。
あれがもし罠なら、俺は首を吊るしかない。
カウンターに背をもたれ、ニヤニヤと笑う男。
今すぐ飛びかかりたくなるが、昨日の例もある。
こいつに仕掛けるのは、本当に二人きりになった時だけだ。
「よく眠れたか」
「おかげさまで。お前はどうなんだ」
「子供は、早寝早起き。段ボールの中では寝ないよ」
昨日の出来事は、明らかにこの男の主導によるもの。
しかしこいつに手を出しても、今の段階では無意味。
絶対という時を窺い、後悔という言葉しか思い浮かばないようにしてやる。
「今日は、よく眠れると良いな」
「いつまでも、こんな事が許されると思うなよ」
「それもそうだ」
気楽に笑い、受付から去っていく男。
それと入れ替わるように、怪訝そうな顔をした元野さんが戻ってくる。
「あの男、何しに来たの」
「からかいに来ただけだろ。俺は大丈夫だよ」
「だと良いけど。体だけは大事にしてね」
そっと重ねられる大きな手。
早まる鼓動。
熱くなる胸の奥。
俺は彼女を見つめながらはっきりと頷いて見せた。
重なる二つの言葉を、胸の奥で繰り返しながら。




