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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第36話
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36-10






     36-10




「汗出てるわよ」 

 ハンカチで、額の汗を拭いてくれるモトちゃん。

 相当緊張していたので、冷や汗はかなりかいたと思う。

 今は震えも収まり、少し呼吸が浅いくらい。

 記憶自体は消し去れないが、それに抗う事は出来たようだ。

 ビーカーとハサミを取りに行っただけだから、そこまで大袈裟な話でもないが。


 小さく手を叩き、私達の注意を喚起するモトちゃんのお母さん。

「用意が出来たようなので、始めましょうか」

 この辺りは娘と同じというか、多分娘が母親と同じなんだろう。

「そろそろ春。緑が芽吹く時期。山に行けば多くの山菜が採れると思います。ただ市内でも緑はまだ残っていて、意識すれば以外に多くの野草を目にします。その中には食べられる物もありまして」

 確かに食べられる物はあるかもしれない。

 ただみんなが食べないのは、単に普段の食生活に満足しているだけではない。

 私も、ツクシくらいなら摘んで食べるから。

 でも、それ以外の野草には手を出さない。

 あまり美味しくはないし、衛生的な問題もあるから。

 何より、探して摘むのは結構手間。

 それだけの労力に見合う味かと言われると、さすがに私も疑問に思う。


 ただそれは、私の考え。

 モトちゃんのお母さんは、また違う考えを持っているようだ。

「例えば春の七草。これはお正月のイメージが強いですが、今でも比較的手に入りやすいですね。またどれも身近な野草なので、学校内にも生えています」

「ちょっと」

「採集するのは時間が掛かるので、今日は自宅の周りに生えていたツクシと、先日山で採ってきた山菜を持ってきました」

「そう初めから言ってよね」

 おそらくクラスの誰よりも気を揉んでいただろうモトちゃんの呟き。

 こうなると、普段彼女が何を食べさせられているかという話だな。

「鞘を裂くまでは済ませてあるので、今日はあく抜きをやってみましょう。では、あくとはなんでしょうか」

 目の前で寝てる男じゃないのかな。

 いや。それは、悪か。

「では、遠野さん。あくの成分は」

「ホモゲンチシン酸やショウ酸。アルカロイド、カルシウム。そしてタンニンなどのポリフェノールです」

「それを除去するにためには?」

「米のとぎ汁の酵素によって、ショウ酸などが溶出。酢水では、酸化酵素を押さえ色の変化を防ぎます。また重曹のアルカリ成分を加熱する事により繊維が柔らかくなると同時に、悪の成分が溶出します」

 堅苦しいというか、おおよそあく抜きとは縁遠い単語ばかり。

 お母さんなら、問答無用でとっくに茹でてるところだろうな。

「ありがとう。成分を分析しても良いのですが、手間も掛かるので今日はあくを抜くだけにします。ビーカーでお湯を沸かして、ツクシや山菜を茹でて下さい」

 言われるまま水を注ぎ、簡素なコンロに掛ける。

 後はツクシを入れて湯がくだけ。

 しかしビーカーというのは、どうにも味気ないな。


 そのツクシがふつふつと煮えたってきた所で、コンロの火が止められる。

「……では、食べてみましょうか」

「え」

「少しお腹が緩くなるくらいです。はい、どうぞ」

 そんな事を聞かされて食べる人もいるとは思わず、誰一人ビーカーの中で揺れるツクシに手を伸ばそうとはしない。

「では、指名しますね。玲阿君」

「いや。俺もちょっと」

「どうぞ」

 妙に押しの強いモトちゃんのお母さん。

 ショウはガラス棒でツクシをすくい上げ、意外にためらいなく口の中へと放り込んだ。

「どうですか」

「あまり苦くない」

「これは、昨日一晩水に漬けていましたからね。何でも無闇に食べないように」

 おい。

 さすがに体へ害のあるような物を食べさせるとは思わなかったが、そういう事か。

 ただこれは、理科の授業以前の問題の気もするが。

「ツクシそのものの、湯がいた前と湯がく前の分析。重曹を入れた場合、入れてない場合の分析。生の場合、加熱した場合。昔の人はこれらを経験によって学び、我々に伝えてくれました」

 淡々と語るモトちゃんのお母さん。

 私達は静かにその話へ耳を傾ける。

「今こうして私達が便利な生活を過ごせるのも、そういった人達の努力によるものです。こういった基礎的な部分はおろそかになりがちですが、その大切さを一度振り返ってみてもいいですね。では、器具を片付けて下さい」




 そのまま教室を移動。

 今度は、調理室へとやってくる。

「まさか」

 さっきのサトミと同じような呟きが、つい口元から漏れる。 

 理科の授業には、モトちゃんのお母さんがやってきた。

 でもって、さっきはツクシを茹でていた。

 残りのツクシはどうするか。

「はい、席について」

 赤いエプロン姿で調理室に入ってくるお母さん。

 予感的中どころの騒ぎじゃないな。

「家庭科をとってない子もいるだろうけど、関係ありません。今頃自分で食事も作れないで、何の話かという事です」

 また大袈裟な話をしてきたな、この人は。

 でもって、私を手招きしてくるのは止めてくれるかな。

「優、こっち」

「何しに来たのよ」

「可愛い娘のために一肌脱ぎに来たんでしょ。そこ、寝たら殺すわよ」

 テーブルへ伏せようとしたケイの頭へさいばしを投げるお母さん。

 彼が何か言いたげに立ち上がったところで、今度は包丁を手に取った。

「何か用?」

「いえ。雪野家万歳」

「分かればいいのよ。自信がない子は、端末を見ながら少しだけ調理して。分からなければ他の子に聞く。気付いたら声を掛ける。みんなで助け合っていきましょう」

「はーい」

 綺麗に揃ったいい返事。

 とはいえ言ってる事は間違っていなく、私も一緒に返事する。

「それと作った物は自分で食べるから、各自で責任を取るように」 

「えー」

「そのためにみんなで助け合うんです。はい、始め」



 とりあえず自分のテーブルへ戻り、様子を見る。

 モトちゃんはお母さんと付いて、他のこの面倒を見ている最中。

 ここに残ったのは、サトミとショウと木之本君。

 でもって、浦田兄弟。

 ちょっと不安だな。

「まずは山菜の分量を量って、それに応じた調味料を揃えましょう。スプーンに付着する分がロスすると考えて、1%を多めに」

 サトミの意見をメモし、器具を並べ出す木之本君。

 放っておくと、理科の実験が始まりそうだ。

「温度の管理はコンロがするのかしら」

「サーモセンサーならあるよ」

 多分、間違いはないだろう。

 あまり、ここの料理を食べたいとも思わないが。


 テーブルを離れ、他の子のテーブルを見に行く。

 和気藹々とした、楽しげな空気。

 少しの失敗も笑い声を誘い、この中に溶けこみたいと思うくらい。

 以前は当たり前で気にも留めないような事だった。

 こうして学校が重苦しい雰囲気に包まれたからこそ、その大切さがより理解出来る。

 一緒に笑い合い、冗談を言い、その時を共に過ごす。

 その大切さ貴重さ、尊さを。


「雪野さん、これ大丈夫?」

 わずかにも波立たない天ぷら鍋を指差す男の子。

 大丈夫も何も、温度が低すぎる。

「もっと火力を上げて」

「火がつかない?」

「ちまちました事言わないでよ。男の子でしょ」

「差別的な言い方だね」

 その台詞に若干調子を狂わせつつ、火力を上げて油の温度を上げる。

 適当なところで衣を垂らし、浮き上がり具合を確認して箸で素早く衣を油の上へと散らす。

 油の上には一気に衣が浮き上がり、小気味良い音を立て出した。

「後はこの上に山菜を入れて。そうすると、綺麗に仕上がるから」

「なんでも出来るんだね」

 普通に褒められた。

 というか、なんでも出来るなんて言われたのは初めてだ。

「雪野さん。卵っていつ入れるの」

 隣のテーブルからの声。

 そちらにも反応し、先に卵をといてふたを下がす。

「もう入れていいよ。その後にふたをしてから蒸らせば、半熟にもなるし」

「何でも知ってるのね」

 また褒められた。

 比較的私の事を知っているクラスメートですら、この反応。

 彼らは私の事をまだまだ知らないし、私も彼らの事を知らない。

 そんな距離が、少しだけど近付いた気もする。





 美味しく山菜を頂き家庭科の授業は終り。

 次は再び一般の教室へと戻り、教師が現れるのを待つ。

「お待たせ」

 爽やかな笑顔と共に現れる秀邦さん。

 その瞬間から教室には花が咲き乱れ、空気が甘く感じられる。

 女子生徒はすでに浮つき気味で、男子生徒も顔を赤らめたりしている。

 サトミの危惧は、つまりこの事だったという訳か。


 だた普通にしていれば、秀邦さんは美形の優秀な大学助教授。

 問題は何一つ無いし、欠点を探す方が難しいくらい。

 彼の私生活については、私からも言いたい事の一つや二つはあるにしろ。

「一応、この学校の卒業生としてやってきました。以前一度来ているので、覚えている方もいるでしょうか」

 この人を忘れる訳は無いし、それこそ夢にまで見るというレベル。

 振り返ると、サトミは夢なら醒めてほしいという顔だが。

「別にいいじゃない」

「あなたのお母さんとかモトのお母さんとは訳が違うのよ」

 悲壮な声を出し、机に爪を立てるサトミ。

 そこまでひどくはないと思いつつ、顔を前に戻して秀邦さんの話を聞く。


 秀邦さんは教壇に手を付き、爽やかに笑って教室内を見渡した。

「特にこれといったテーマは設けず、自由にやってみようか。どんな質問にも答えるからね。ああ、プライベート以外で」

 どっと沸く教室内。

 軽い冗談に空気も解れ、親しみが生まれる。

 こういう事も出来る人なんだ、これが。

「空が青いのは?」

「大気の埃の乱反射。星の瞬きは、風のせい。詩でも書けそうだね。では、次」

「本能寺の変の真犯人は?」

「旧幕府体制を復活させようとした将軍達を中心とする勢力。光秀はその先兵だね。はい、次」

「フランス語で愛してるって?」

「Je t’aime。ある意味日本語としても使われる、ジュテームだね。はい、次」

「円周率を20桁までお願いします」

「3.14159 26535 89793 23846 26433 83279。はい、次」 

 浴びせられる質問に次々と答えていく秀邦さん。

 言ってみれば雑学的な知識で彼の専門でもなければ、授業とはあまり関係が無い。

 ただ質問をするごとに疑問が深まる部分もあり、知的探究心は掻き立てられる。

 もしかすると、それを狙っての事かも知れない。


「大体出尽くしたかな。ではこちらから質問。自治制度とはなにか」

 かなり漠然とした内容。

 これは私も少し考えはしたが、明確な答えは出てこなかった。

 生徒が生徒の手によって学校を運営する。

 ただ施設の維持や事務処理までを、自治と呼ぶのかどうか。

 それは単に学校の代行に過ぎない気もするから。

「ちなみにこれに正答は無いからね。一人一人の思い描く自治が正答とも言える」

 なにやら曖昧な回答。

 そう言われてみるとそうかとも思うが、違う気もする。


 何より、共通の認識があってこその団結。

 そこから自治の生まれる気がする。

「明確な答えを出すのは簡単で気持ちが良いけど、世の中全てが理屈で割り切れる訳でもない」

 淡々と説明し出す秀邦さん。

 それは私達にというよりは、サトミに語られているような気もする。

「思いの表し方。表現の仕方は人それぞれで、また他の人にも分かりにくい。だけど思いを同じくしていれば、それはきっと通じるんだと思う。今回の混乱にしろ、生徒の心の中に一つの思いがあったからこそここまでの騒ぎになった。ではその思いとは何かと聞かれても、答えられる人は少ないし誰もが納得するとは限らない。もしかすると、考えてる事は別々かもしれない」

 一旦言葉を切り間を置く秀邦さん。

 彼は生徒達を見渡しながら、ゆっくりと机の間を歩き出した。


「だけどそれに何かの共通点、共有する部分があるからこそ君達は立ち上がっている。考え方や方法は違っても、そこにつながる何かがあるから。と、抽象的な事ばかり言っても仕方ないんだが」

 苦笑して私の側で。

 つまりはサトミの側で止まる秀邦さん。

「話を戻そうか。自治は言うまでも無く、自分達で治める事。それは権利であると同時に義務も生じさせる。生徒の義務とはまた別にね。それが嫌なら自治を口には出来ない。行動するためには責任を負う必要がある。かつての俺もそうだった」

 小さな声。

 私達だけに聞こえたささやき。

 サトミは黙って、秀邦さんの言葉に耳を傾ける。

「ただしこの学校は、君達の学校。それをどうするかも君達の自由であり、責任でもある。これは自治ではなく、後へ続く生徒達へのね。その事もよく覚えておいて欲しい」



 多少彼らしくない、やや感情の感じられる話。

 自治制度の歴史や根拠について話すかと思ったが、精神的な部分を語るとは意外だった。

 ただし彼こそ、この学校へ自治制度を導入した生徒の一人。

 私達以上に、自治への思い入れは強いんだろう。


 昼休みになったので食堂へやってくると、やはり見慣れた人と出くわした。

「固い肉だな」

 骨だらけの、犬が食べそうなお肉をかじる風成さん。 

 というか固いって、それは骨をかじってるからじゃないの。

「風成さんも授業をやりに?」

「体育だってよ、体育。いいね、薄着の女子高生と体育なんて」

 とりあえずすねを蹴り、それ以上話すのを止めさせる。

 しかしこのすねが尋常ではなく固いから、多分つつかれたくらいにしか思われないだろうな。

「まさか、格闘技をやるとか言わないでしょうね」

「そんな芸の無い事はしないよ。さてと、久しぶりに学内でも歩いてみるか」

 鼻歌交じりに食堂から去っていく風成さん。

 何しろ見上げるどころのサイズではなく、彼が通るところでは誰もが立ち止まって彼を見る。

 見た目のインパクトだけならショウの比ではなく、もしかすると三島さん以上かもしれない。

 人間性とか思考はともかくとして。



 着替えを済ませて、春を感じさせる日差しを浴びる。

 本格的な春の訪れはまだ先だけど、こうして暖かな日が時折訪れる。

 いつまでも冬は続かないと、こういう瞬間は強く感じる。

 とはいえ今は結局まだ冬で、冷たい風が吹くたびにも実感するんだけど。

「玲阿風成です。よろしく」

 意外に落ち着いたトーンで入る風成さん。

 クラスメートが彼の大きさに圧倒される中、彼が私を指差した。

「じゃあ、優ちゃんが鬼で」

「何かの例えですか」

「いや、鬼は鬼だよ。今から、鬼ごっこをやる。はい、始め」

 その言葉と共に四散する生徒達。

 異常にノリがいいというか、今日の午前中の授業の成果だな。


 ただこのくらいはハンディの範囲内。

 犬のように追うのは辛いが、瞬発力なら猫にも劣らない。

 この例えもどうかとは思うが。

 とりあえず視線を近くに向け、獲物を探す。

 サトミやモトちゃんもいるけど、彼女達を鬼にするのは忍びない。

 多分、授業の終りまで鬼になるから。

 まずは、日頃の恨みを少し晴らすか。


 すでにそれは察知しているらしく、ケイの姿はどこにも見当たらない。

 などと考えるのは素人。

 私の死角に入ってるはずで、例えば後ろにいたりもする。


 振り向いたところで彼と目が合う。

 距離はあるが、向こうはすでに出遅れている。

 後は軽く加速して風を切り、砂を舞い上げ首筋に襲い掛かる。

「はい、タッチ」

 実際はサッカーゴールを回り込もうとした彼の背中を軽く触れ、勝負を決める。

 そのまますぐに離脱。 

 後は一定の距離さえ保っていれば、絶対追いつかれない自信はある。

「覚悟しろよ」

 遠くから聞こえる、負け犬の遠吠え。

 こちらは腰に手を当て、高笑いする。

「追いつけると思ってるの」

「甘いな」 

 私の方ではなく、サトミ達に向かって走り出すケイ。

 なかなかに卑劣な、しかし効果的な作戦。

 当然そうはさせられなく、間に割って入って動きを止める。

「麗しい友情だ」

 あっさり彼にタッチされ、再び鬼に。

 この恨みは、また別な形で晴らすとしよう。


 さすがにこれ以上は疲れるので、近くにいた男の子にターゲットを絞る。

 しかし向こうは不敵に笑い、小さくフェイントを入れてきた。

 動きから見て、格闘技ではなくサッカーかバスケ。

 かなりの手だれと言いたいが、素早さに関してはこっちも負けてはいられない。

 私から見て右側への前傾姿勢。

 それがすぐに引き戻され、私が左側へ踏み込んだ途端彼の体は右へ流れる。


 ただ、このくらいはなんでもない。

 むしろこちらの踏み込みが誘い。

 姿勢を低くして足を伸ばし、つま先で彼の膝を軽く触れる。

 鬼ごっこの場合、別にセンサーを付けてる訳でもないし審判もいない。

 全てはお互いの信頼、そして自己申告に掛かっている。

 そして彼は素直に手を上げ、自分が触られた事をアピールした。

 小さく拳を掲げ勝利を喜ぶと共に、彼の健闘を称える。

 彼も小さく拳を掲げ、それに応える。

 敵同士であるけれど、そこには通じ合うものがある。

 だからこそ、私達はこの場にいる。


 男の子は苦笑しつつ、視線を遠い彼方へ向けた。

「この恨みは彼氏で晴らさせてもらうか」

「何、それ」

「いやいや。こっちの話」

 機敏な動きで目の前から消えるや、ショウの背後へと忍び寄る彼。

 多分ディフェンダーだな、この子は。 

「後ろっ」 

 と叫んだと同時に後ろ回し蹴りが跳んだ。

 それは彼の頭を掠め、そこにそっと手が添えられる。

「馬鹿じゃないの、あの子」

 さすがにそう呟くモトちゃん。


 馬鹿ではなくて鍛練の賜物。

 勿論賢い反応ではないし、今の光景に関してはあまり格好よくも無いが。

「ちょっと」 

 参ったなという顔で立ちつくショウ。

 その側へ、それとなく近付いていく女の子達。

 鯛や平目が舞い踊るではないが、しなを作った女の子達が彼の周りを取り囲む。

 この場合ショウが鬼なので逆なんだけど、いわば公然と彼に接触出来る機会。

 上目遣いでにじり寄るのも致し方ない。

「随分人気者だな」

 無愛想な声を出し、ショウを睨む風成さん。

 私も同じくらい無愛想な声で同意して、足元の地面を削り出す。

 闘牛の心境が、今は少しだけ理解出来る。

「俺が高校生の時は、誰も近付いてこなかったぞ」

「流衣さんと付き合ってたからなのでは?」

「それを言うなら、四葉には優ちゃんがいるだろ」

 そうなのかなと思いつつ、軽く彼の背中を撫でて喜びを表現する。

 自分ではあれこれ言えないが、人が言うには問題ない。

 なんか、目の前が一気に明るくなってきたな。


「……なんだ?」

 素早く振り向く風成さん。

 その先には、背を向けて走り去るショウがいた。

「なるほど。そういう事か」

「どういう事なんですか」

「こういう事だろ」

 鋭く地面を切り裂く風成さんの足。

 一瞬砂煙が上がり、彼の姿はかき消える。

 まずいと思った時には、その姿が頭上に見える。

「せっ」

 地面を踏み切り、側転気味に逃げる。

 さらに後方宙返りを決め、突進してきた彼をかわす。


 背後は教棟の壁。

 そこに足を添え、彼を飛び越え今度はこっちが背後に降り立つ。

「やっ」

 膝の裏を押し、風成さんを地に這わせて私も素早くその場から離脱。

 この場合はあくまでも緊急回避で、鬼は彼のまま。

 という事にしておこう。

「もう許さん」

 顔を伏せたまま、のそりと起きあがる風成さん。

 それを見て、嬌声を上げて逃げ出すクラスメート達。



 陰り始める日差し。

 冷たくなる風。

 景色は白く、薄く染まり出す。

 グラウンドに響く生徒達の歓声。

 絶え間ない笑い声。

 手を取り合い、懸命に逃げる生徒達。




 子供のように時を忘れ。

 だけど真剣に、一所懸命走る彼等。

 ずっと忘れていた。

 まだ失うには早い、子供という感覚。

 子供という時期。

 大人びる必要も、無理をする理由もない。

 意味もなく走り、声を上げ、笑ってさえいれば。


 今はそれが許されるから。

 いつまでもではないけれど。いつ終わるかも知れないけれど。

 沈み行く夕陽。

 伸びる影。

 薄れ始める生徒達の姿。

 それもいつか闇に溶けていく。



 朝日が昇れば、明日という日は訪れる。

 生徒達は、元気に学校へと登校する。

 例え卒業しても、次の世代が通う。

 いつか終わりは訪れる。

 それでも繰り返され、続いていく未来もある。

 それを紡ぐ責任は、きっと私にもあると思う。




 遠くから聞こえる笑い声。

 薄闇に浮かぶ幾つもの笑顔。

 どこにでもある、当たり前の光景。

 それを守るため、私はここにいるんだから。





                       第36話












     第36話 あとがき




 後はラストへ向けて一直線。

 第37話で、2年生編はラストとなります。

 今回は、生徒全体がユウ達側へ付くターニングポイント。

 36-4で、ペットボトルを頭に受けたシーンが全てですね。


 これでユウの存在が誰にも明確になったはず。

 作中でも書いてますが、リーダーはモトちゃん。

 ただ全体の象徴。シンボルはユウ。

 彼女という旗頭があってこその抵抗活動。

 それが分かりやすく表に出た状況だと思います。


 またラジオ出演も、一つの契機。

 視力への不安定さが、若干ではありますが払拭されました。

 リン中毒という設定なので、身体的な症状が回復するのは数年先。

 ただ精神的な部分で、一つ何かを乗り越えた様子。

 自分の名前を堂々と名乗るのも、どうかとは思いますけどね。



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