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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第35話
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35-10






     35-10




 気の抜けた空手の演舞。

 全てが虚構というか、真実味の無い感じ。

 それはこの演舞だけではなく、今までの試合も観客も含めて。

 イベントに参加して盛り上がる、または盛り上げようという空気はまるで無い。

 目の前の出来事を淡々とこなし、スケジュールだけを進めているような印象。

 面白くも無い夢を見ているような気分だが、これは抜けられない現実。

 間違っても覚める事はなく、全てが現実でそれぞれの人の思惑に基づいて動いている。


「お待たせいたしました。それではただいまより、本選第1試合を行います。ここからは肘膝、頭突きありのルールと致します」

 途端に湧き出す観客席。

 今までのルールが甘いといえばそれまでだが、例えばボクシングは元々肘も膝も当然頭突きも無い。

 それでも格闘技での知名度は他の追随を許さず、その洗練さは芸術にも例えられるくらい。

 過激に走ったルールが面白かったり、本物と呼ばれるような物では決して無い。



 リングに登場したのは細い感じの男性と、小山のような大男。

 さっきまでのルールならともかく、肘や膝が使える時点で体格的なハンディはかなり克服出来る。

 逆に体格のいい側は、より大きなダメージを与えられる訳でもあるが。

「はじめ」

 交差するレフリーの腕。

 同時に突進する両者。

 頭から突っ込む大男のこめかみに肘を合わせる細身の男性。

 それは確かにこめかみを捉えたが、頭突きが腹にめり込みマットへ倒れる結果となる。

 その上にのしかかり、背中から顔を殴りだす大男。

 下の男性はすでにダウンしているのかタップもせず、大男の腕が機械的に動くだけ。

 あまりにも一方的で、今までとは違う展開。

 総合格闘技の良い部分と悪い部分が同時に出たような。

 良い点はオールラウンドでの攻防。

 悪い点は言うまでもなく、倒れた相手への一方的な打撃。

 陰惨という言葉しか私には思い浮かばず、大男が笑っているように見えるのは気のせいか。


 しかし観客は無責任に盛り上がり、それに煽られる格好で大男も拳を振るい続ける。

 背中からとはいえ後頭部や背中を殴ってはいなく、反則に取られる攻撃。

 一方的な暴力と観客の歓声は、レフリーの制止でようやく止められる。

 マットに倒れた男性は担架に乗せられ、朦朧とした状態で運ばれていく。 

 一方勝った大男も額をカットし、その血が顎の辺りまで滴っている。

 正直あまり楽しくは無い、目を背けたくなるような展開。

 しかし観客はまさにこういう試合を望んでいたらしく、地鳴りのような歓声が体育館内を包み込む。



「ひどいね、どうにも」

 そう呟くが、端末の画面に見入っているサトミは反応なし。

 初めから見る気もなかったようで、それは正解だ。

「あのくらい、なんでもないだろ」

 牛乳のパック片手に鼻で笑う名雲さん。

 それはそうだが、私の場合は結果的にというケースが殆ど。

 望んで相手を傷つけたり、一方的に攻撃するつもりは無いしありえない。

「結局こっちの方が分かりやすいからな。過激で制約もなくて、決着も明確。言う事無いだろ」

「ケンカじゃなくて、格闘技でしょ。大体……。もういい」

 こういうルール自体は否定しないし、私もこれに近いルールでの試合は何度も経験している。

 ただこれを高校生がやるべき事かといえばかなり疑問で、しかも生徒会や学校主催というのが引っかかる。


 いつもは風紀だ規律だといっておいて、いざやる事といえばこれ。

 生徒のガス抜きなのか人気取りなのかは知らないが、私は不快感が増しただけ。

「ローマ時代のコロッセオってこんな感じなのかしら」

 お茶のペットボトル片手に呟く池上さん。

 端末から目を離して肩を揉み始めたサトミは、薄く笑って首を振った。

「敗者は殺されたといいますし、それよりはましなのでは」

「きついわね、あなたも。圧政を敷く代わりにこういった見世物を提供する。歴史は繰り返されるって事?」

「ローマもオスマントルコもモンゴルも、決して永遠の帝国は築けませんけどね。繰り返している事は否定しませんけど」

「種として変化が無い以上、繰り返すのは必然か」

 そう呟き、話を終える池上さん。  

 二人の話で行くと、こういった事が今後も果てしなく続くという結論になる。


 実際屋神さん達の頃に一度抗争があり、サトミのお兄さん達の頃にも学校と生徒の大きなトラブルがあった。

 この学校ですら、同じような出来事が繰り返されている。

 戦いと滅びが人の常で、それは永遠に無くならないのかも知れない。

 ただ目の前で起きている悲劇や暴力を、人間が種として捨てられない必然とまで私は捉えない。

 暴力を振るい身勝手に振舞う人がいる一方、それに抵抗する人もいる。 

 暴力を否定し、協調を図ろうとする人もいる。

 暴力や支配欲が人間として捨てられない部分だとしても、人との輪を尊ぶのもまた人として必ず持ち合わせている部分だと私は思う。

 こうして抵抗して仮に勝利と勝ち取った後、再び同じような事が起きるかもしれない。

 だけどいつか、その輪廻の輪から抜け出す時が来る。

 種として変わった後ではなく、あくまでも私達と同じ人として。

 それを夢見るからこそ、屋神さん達は私達に後を託したのではないだろうか。




 だがそんな私の思いとは関係なく、試合のスケジュールは進んでいく。

 先ほどから一変して、殆どがKOもしくはギブアップでの決着。

 判定まで進んでも両者は大きな怪我を負い、またそれが客の感情を煽る。

 煽られた観客が選手を煽り、試合は異常な熱を帯びていくという連鎖。

 ただ観客でも、席を立ち帰り出す女の子もちらほらと現れ出す。

 そちらへも野次が向けられ、会場内の空気が荒んでいるのは間違いない。

「面白く無いわね」

 そういって欠伸をする池上さん。

 彼女は私とは違う視点で試合や、この状況を見ている様子。

 血みどろで戦う選手達には何の興味も引かれていないらしく、不快感が顔に出る事も無い。

「真理依、起きてるの」

「なにが」

 はっきりしない、くぐもった声。


 先ほどから顔は伏せられ、キャップは深く被ったまま。

 腕を組み、体は若干前のめり気味。

 彼女もやはり、試合には何の感情も示しはしない。

「雪ちゃんが、気分悪いって。試合内容が下らなくて」

「好きでやってるんだ。嫌なら、試合に出なければいい」

「そうだけどさ。学校でやる事なの、これは」

「理由や目的は知らない。たださっきの映未や遠野の話のように、こういうのが好きな人間もいる。何より、自分の事とは違うから無責任に盛り上がれる」

 その言葉には確かに納得がいく。


 以前の三島さんとショウとの試合。

 私は平静を失い、心が引き裂かれるような気持を味わった。

 願ったのは彼の勝利よりも、彼の無事。

 またそれは、先日風成さんが試合に挑んだ時の流衣さんの心境とも重なると思う。

 身内や親しい人がもしこれに出場するとなればここまでは騒げないし、この場にいる事すら耐えられないかもしれない。

 クラブの仲間は身内とも言えるので、誰もが私のように気を滅入らせる訳でもないようだが。

「私は、自分のお金が増えればそれで良い」

「増えれば良いって」

 彼女の無責任な姿勢に呆れるというより、無防備な心境に呆れてしまう。

 彼女が資金を預けたのはケイ。

 彼が舞地さんを裏切るような真似をするとは思えないが、あまり信用が出来るようなタイプにも思えない。

 この辺りは良くも悪くもお嬢様。

 彼女の人の良さなんだと思う。

 得てしてそういった人の良さは、悪意に踏みにじられる傾向はあるが。

「私のお金じゃ無いからいいけどね」

「元本保証をすると、浦田は言った」

「言ったのはいいけど。あの子はその元本を保証出来るだけのお金を持ってないよ」

「そこはなんとかするんだろう」

 根本的な部分が分かって無い台詞。

 詐欺師からすれば、ここまで騙しやすい相手も無いかもしれないな。

「間が抜けた子の話はどうでもいいけど。智美ちゃんは、どこに?」

「さあ。そういえば、木之本君もいないな」

 言ってみればあの二人は、私達の組織の要。

 トップがモトちゃんで、その補佐が木之本君。

 仮にモトちゃんがいない場合は木之本君が代行をする立場にある。

「何か悪い事でも?」

「私は聞いて無い。サトミは?」

「貴賓室にいるんでしょ。狸親父達と」

 若干棘を帯びる口調。

 狸親父とはつまり、学校の理事か職員。

 後はスポンサーの企業や中部庁の職員といったところか。

 場合によっては、議員も来てる可能性もあるな。

「そっちは大丈夫なの?」

「ブックメーカーにいるのよ。あそこには、悪魔が取り付いてるでしょ」

 鼻先で笑い、キーを操作するサトミ。

 確かにあの子がいれば問題は無いだろう。

 あの子の行動パターンや人間性はともかく、仲間を守る事に関しては全幅の信頼を寄せられる。




 延々と続く凄惨かつ面白みの無い試合。 

 また人間の特性として、良くも悪くも慣れてしまう。

 始めは血を見るだけで騒いでいた観客達の空気もだれ気味となり、拍手や歓声も減り始める。

 それを読んだのか、選手が引き上げたところでリングアナウンサーが登場した。

「ここからは、若干趣向を変えて行いたいと思います。無作為に抽出した選手同士に組んで頂き、タッグ戦を行います。リングに上がる選手の数は自由。二人同時に上がって頂いても構いません」

 いきなり沸き立つ体育館内。


 どの格闘技でも、一対一がまず前提のルールとして存在する。

 プロレスではバトルロイヤルや変則のタッグマッチはあるものの、あれはギミック。

 予定調和の話。

 真剣勝負で複数同士が戦う場面など、現実にはありえない。

 そのありえない事をやるというリングアナウンサー。

 嗜虐性が刺激されたのか、足音が鳴り響き怒号が行き交う。

「では、名前を呼ばれた選手はリングに上がってください」

 若干戸惑い気味に登場する選手達。

 彼等は仲間と敵へ交互に視線を向け、騙されたとでも言いたげな顔でコーナーに向かう。

「ファイト」

 腕を交差させるレフリー。

 若干戸惑いを見せつつ、それでも前に出る両陣営。 

 始めは一対一というペアで戦っていたが、それが徐々に接近しもつれ合う。

 やがて一人が転んだところで二人が同時に飛び掛り、片方が足を抑え片方が上半身を攻め立てる。 


 プロレスでならそれをカットする形で、余っていた選手が組み付いている敵の背中に蹴りを叩き込む。

 すでに格闘技とは程遠い、単なる暴力としか呼べない状況。

 しかし観客は爆発的に盛り上がり、無責任な野次が飛び交う。

 完全に消耗しきった一人がマットに倒れ、残った一人は左右から攻めたてられあっさりとK0。

 凄惨であるとか残虐という言葉以前の、倫理観を疑いたくなるような戦い。

 これが学校のイベントである事など、一体どれだけの人間が覚えているだろうか。



「盛り上がってきたところで、今度は3対3の形式で行ってみたいと思います」

 悲鳴にも似た歓声。

 顔を真っ赤にさせて叫ぶ観客達。

 ヒートアップした者があちこちで小競り合いをはじめ、混乱に拍車を掛ける。

 正直身の危険を感じる程で、念のためスティックを握り締め対応を出来るようにする。

 これさえあれば、サトミ達を守って通路まで突破するだけのの自信はある。

 そういう事態にならないように願いたいが、不測の事態がいつ起きてもおかしくない雰囲気は垂れ込め始めている。


 これで誰が得をするのかは私には分からない。 

 ただ学校で行われるような事でもなければ、教育という言葉とはもっともかけ離れた状況に今私は置かれている。

 リング上では3対3の殴り合いが繰り広げられ、お互いに組み付き敵意むき出しの表情で相手に挑みかかっている。

 実際リング上では相手が向かってくる以上、それに対応する以外に助かる道が無い。

 しかも仲間も誰かはっきりと把握出来ないような状況。

 人間性という言葉が意味を持たないような精神状態に、彼等は追い込まれているのかもしれない。



「お前も出ろ。玲阿っ」

 どこからかの野次。

 その野次に乗り、彼の名を呼び始める観客達。

 やがて体育全体に玲阿という言葉が鳴り響き、周り人が集まり出す。 

 幸い警備の人間が数名いて襲い掛かられる心配は今のところ無いが、空気としては最悪。

 獲物を見つけたハゲタカの集団に囲まれているような心境だ。

 それでもショウは動かず、近付いてきた男達を軽く睨むくらい。

 会場内をブーイングが埋め尽くし、彼を臆病者とそしる者も出てくる。

 それには私の方が熱くなるが、ショウが目線で制してくる。

 間違っても彼は臆病者では無いし、罵倒されるいわれは無い。

 これがまださっきまでの試合ならともかく、いまは単なる嗜虐性のはけ口。

 敵意と悪意を一身に浴びるショウ。

 しかし彼は反発もしなければ落ち込みもしない。

 この試合の虚しさ無意味さを、彼は誰よりも分かっている。


 ただ、それは彼の考え方。

 無責任に騒いでいる観客が彼の心を理解するはずもなく、喧噪は一層激しくなる。

 頭上を行き交うペットボトル。

 その一つが、私の目の前に落ちて中のジュースがはじけ飛ぶ。

 頭から被るほど鈍くはないがテーブルはずぶ濡れで、私への野次も聞こえてくる。

 今までなんの間違いもなく生きてきたとは思わないし、人を不快にさせた時もあっただろう。


 だけど、ここまでの仕打ちを受けるような事をした記憶はない。

 わずかとはいえこの学校に尽くしてきたという自負もある。

 それが今ジュースを被り、野次を浴びせられ、蔑んだ目で見られ。

 こうして惨めな思いを味わっている。

 ガーディアンを辞めさせられ、サトミ達は寝る間も惜しんで努力をして、木之本君は停学にもなり。

 それに対する生徒達の答えがこれだとしたら。

 全身を包む無気力感と虚脱感。

 自分達のやってきた事は何一つ理解されず、全く無意味でしかなかった。

 飛び交うペットボトル。

 足元に落ちてくる生卵。

 飛び散る卵を避ける気にもなれず、罵声を浴びるままに虚しく立ちつくす。

「なー」

 不機嫌そうに鳴き、私の膝の上で丸くなるコーシュカ。

 そのぬくもりだけがせめてもの救い。

 心の平穏をつなぎ止める。 



「静粛に。では、改めて試合のスタイルを変えてみたいと思います。次は一対三の変則マッチ。一人の方は、当方で指定した選手を。3人は、チャレンジしたい方がご自由にお申し込み下さい」

 殺伐とした空気の中、リングに上がる長身の男。

 一目で嫌な気配を放っていると分かるが、それに気付いたのは一体何人いるのか。

 申し込みが殺到したらしく、リング下に何人もの生徒が列を作る。

「では、初めの方々どうぞ」

 見た感じ柔道部風の3人がリングに上がり、長身の男性を取り囲む。

 この時点でかなり異常な状況だが、それに異議を唱える者は誰もいない。

「ファイトッ」

 あっさりと開始を告げるレフリー。

 それと同時に一斉に襲いかかる男達。

 しかし長身の男が腕を振ると、3人はあっけなくマットへ崩れた。

 これまた、明らかに不自然な動き。

 男のジャージの下は、プロテクターか警棒を仕込んでいるはず。

 これにも異議を唱える者は誰もいなく、観客は狂ったように歓声を上げる。

 すでにトーナメントという前提すら消えて無くなり、異常な状況での暴力が際限なく繰り広げられる。

「玲阿さんは、どうですか」

 おざなりに話を振るアナウンサー。

 しかしショウに反応が無いのを見て、次の選手を呼び込む。

 結果は同じで、今度はタックルを食らったがタックルを仕掛けた相手の方がマットにうずくまる。

 膝をかち上げてはいないし、上から攻撃を受けた訳でもない。

 スポーツでもなければ、勿論格闘技でもない。

 馬鹿げた茶番が目の前で繰り広げられ、私達には罵声が浴びせ続けられる。

 これが今の私達。

 そして学校の現状だ。




 挑発的にこちらを見てくる、長身の男性。

 それでもショウは動かず、座ったまま。

 罵声を浴びせられ、物をぶつけられ、ジュースを掛けられても。

 彼はじっと耐えている。 

 耐えるって、何を。

 その言葉をどうにか飲み込み、しかし次の瞬間意識が真っ白になる。


 リングに上る5人の生徒。

 ジャージにリングシューズ。

 ヘッドギアと薄いグローブ。

 全員が怯えきった顔を浮かべ、コーナーのぎりぎりにまで下がる。

「今回は1対五。かなり趣向を変えてみましたが、いかがでしょうか」

 地獄の底から湧き上がるような、低いどよめき。

 どす黒くなる辺りの空気。

 それでいて異常な熱気はさらにヒートアップし、聞くに堪えない野次が飛び交う。


 リングに立ったのは、全員女の子。

 表情や態度から、どう考えても自分の意思でリングに上がったとは思えない。

 そしてその中には、私をにらみ付けた生徒会のあの子もいる。 

 もう、生徒会がどうとか学校がどうとかは問題ではない。

 これは人間としての尊厳。心の問題だ。

 何を耐えようと他にどれだけ大事な事があろうと、これを見過ごすようなら私は死んだ方が良い。

 退学も処分も関係ない。

 私はこの状況を許せない。

 今の私の意識は、ただそれだけだ。


「落ち着け」

 低い、思わず私でも背筋が寒くなるような感情を押し殺した声。

 ショウはゆっくりと立ち上がり、大きく息を付いてジャケットを脱いだ。

 そこに飛んでくる大きなペットボトル。

 しかしジャケットの袖がペットボトルを捉え、飛んできた以上の勢いで弾き飛ばされリング上で弾け飛ぶ。

 一瞬にして静まり返る会場内。

 全員の注目も、立ち上がったショウへと向けられる。

「リングを降りろ。俺が代わる」

「で、でも」

「何もかも、俺が引き受ける。借金も処分も、相手がマフィアだろうと俺に任せろ」

 静かに伝わる彼の声。

 女の子達は泣きそうな顔でロープをくぐり、我先にとリングを降りた。

 それを冷笑しているリングアナウンサー。

 策がはまったとも言いたげな表情。 

 その余裕は長くは続かないし、この先彼には後悔しか待っていない。

 自分が誰を相手にし、どんな手を使ったのか。

 今この瞬間から一生後悔してもらうしかない。



「では、代わりまして玲阿四葉さんの登場です」

 ざわめきは怒号と悲鳴に変化し、彼を応援しようという空気はまるで無い。

 せっかくの見世物を邪魔にされたという野次が飛び交い、彼の名前をコールした事など過去の話どころか意識すらしていないだろう。

 それでもショウはゆっくりとロープをくぐり、リングへと下り立った。




 その瞬間静まり返る会場内。

 彼はただリングの上に立っただけ。

 そのあまりにも絵になる姿。

 戦いの場にもっともふさわしい存在が登場し、リングという価値も上がっていく。

 よどんだ空気、翳った光の中に光り輝く一筋の光。

 だがそれに感嘆の声を漏らす間もなく、彼という存在を改めて誰もが思い知る。

「試しに」

 笑顔で近付く長身の男。

 その腕が横に振られ、ショウの顔を狙う。

 ジャージの下は、おそらくプロテクターか警棒。

 当たるだけで大怪我は必至。

「ぐっ」

 鋭く前に出て懐に入り、相手の肩を掴みそのまま押し倒すショウ。

 倒れた反動で腕の振りは勢いが強まり、固定された肩を軸に腕が自分の顔を叩く。

 一瞬にして動かなくなる男性。 

 今まで3対1という勝負ですら難なくこなしていた男は、両手両足をもたれて無様にリングの下に下がっていく。

 勿論ショウは息すら上がっていなく、次を呼ぶよう目線をリングアナウンサーへと向ける。


「さすが学校最強ですね。では」

 その言葉が終わりきる前に、後ろからショウへと襲い掛かる大男。

 その突き出た腹にショウの後ろ蹴りがめり込み、ロープまで吹き飛ばされる。

 反動で戻ってきた顔を横から肘で叩き落され、男はうつぶせのまま動かなくなる。

「これは」

 さすがに顔色を変えるリングアナウンサー。

 今リングにいるのは、ショウと彼。 

 リングの上は、戦う場所。

 勿論リングアナウンサーは除外されるが、そういう逃げ口上が通用するとは誰も思っていないだろう。

「出て来いっ」 

 変わる口調。

 それに合わせてリングを囲む何人もの大男。

「やれ、早く。やれっ」

 一人ずつではなく、一斉にロープをくぐる男達。

 ショウは素早くコーナーを背にし、まずはコーナー越しに首を絞めに来た男を肘でリング下へ叩き落す。

 そのままロープに手を掛け体を浮き上がらせ、相手の手が届く前に正面から来た二人を蹴り倒す。

 倒れた男に行く手を阻まれたのを確認し、それを乗り越えまごついている相手をとび蹴り。

 リングに着地するや手を付き、水面蹴りで足を払って側転気味に立ち上がる。

 そこを後ろから組み付く大男。

 正面と左右からも、拳を固めて近付いてくる。

 倒れていた男が足を掴み、絶体絶命の状況へと追い込まれる。




 天井に舞い上がる人の姿。

 それが彼の足を掴んでいた男だと気付いた頃には、ショウが後ろ向きに倒れて組み付いていた男を押しつぶす。

 その体勢のまま、正面から襲ってきた男を蹴り上げる。

 残った左右の男達が倒れているショウへ蹴りを放つ。

 鋭く、体格に見合った重い蹴り。

 しかし彼はその足首を横から掴み取り、手首をひねってリングの上へ転がした。


 全ては一瞬の攻防。

 何をやったのか分からない人の方が多いだろう。

 何より、ショウ自身意識して動いた訳では無いはず。

 体に叩き込こまれた技術と技。

 日々の努力の積み重ねの結果。

 血を吐き床に倒れ、叩きのめされ。 

 それでも前に進み続けた彼の中に育った力。

 誰のものでもない、彼だけにある彼が育てた力。



 リングの外にはまだ何人かが残っているが、今の動きに打ちのめされたのかリングに上がっては来ない。

 アナウンサーの金切り声も虚しく、そして彼に詰め寄るショウ。

 これで終わった。

 それを油断、心の隙と呼ぶのか。

 ショウの膝が折れ、バランスを崩した彼にリングアナウンサーが懐から抜いたナイフで襲い掛かる。

 照明にきらめく鈍い光。 

 スティックを投げるが、それより早くショウが上げた腕にナイフ突き刺さる。

 しかし彼はひるまない。

 ナイフを腕に刺したまま、アナウンサーの顔を横から捉えてマットへと叩き付ける。

 倒れたアナウンサーに当たって転がったスティックを拾い上げ、強引にナイフを抜いたショウへ駆け寄る。

「誰か、医者はっ」

 私の怒号に反応し、白衣の男性がリングに上る。

 倒れている男達も重症だろうが、打撲程度。

 ショウの腕からは血が止らず、リングを赤く染めていく。

 私もすぐにリングへ上がり、ハンカチで肘の辺りをきつく縛る。


「……大丈夫、なんですか」

「ちょっと深いので、検査してみないとなんとも。ゆっくり指を動かして」

 言われるまま指を開けるショウ。

 素人の私が見る限りは問題なく、医師も小さく頷いた。

「後、膝を見て下さい。右膝」

「……痛みは」

「打撲の感じで、少し」

「曲げるよ。……大丈夫みたいだね」

 この場合の大丈夫は、骨折や腱が切れていないかどうかという意味。

 怪我をしていないという事ではないと思う。

「腕の傷は、縫った方がいいね。医療部に」

「いや。ここでお願いします」

「ここでって、君」

「俺はまだ、戦えます」 

 脂汗を流し、それでも務めて落ち着いた声でそう語るショウ。

 思わず口元を押さえ、こみ上げる感情を必死に堪える。


 彼がここまで頑張る理由は、もうどこにもない。

 今まででも十分戦い、何よりここは彼が立つような場所ではない。 

 戦いとも呼べない暴力が繰り広げられただけの所でしか。

 それでも彼は血を流し、うずくまり。なおも戦うという。

 私に出来るのは、その手を握り祈る事くらいしかない。


「医療キット持ってきて。……麻酔するからね」

 シャツの袖を破り、ため息混じりに注射をする医師。

 傷口に消毒が掛けられたところで、ショウの手に力がこもる。

 その手をこちらからも強く握り返し、一緒になって痛みに耐える。

 私の痛さなど彼とは比べ物にはならないが、せめてもの思いを込めて。

「君の、従兄弟の試合を見てね。今回君が出るって話を聞いて見にきたら、あんな事ばかり。失敗だったと思ったけど、着て良かったよ」

 ショウの腕を縫いながら話す医師。

 その口元が少し緩み、一瞬視線がショウの顔へと向けられる。

「正直、今すぐ病院に行ったほうがいいんだけど」

「すぐ終わります」

「男だね、君は。……良し、終わった。神経や腱が切れてる様子は無いから、動かすだけなら大丈夫だと思う。ただ、無理はしないように」

「ありがとうございました」

「礼を言うのは、こっちの方だよ。頑張って」

 ショウの肩に軽く触れ、リングを降りる医師。

 倒れている男達はかなり雑に引きずり下ろされて行き、私も彼の手を離してリングを降りる。

「無理しないでね」

「大丈夫。心配するな」

 包帯の巻かれた腕を振り回すショウ。

 言ってる事とやってる事が全く違うが、今はただ笑い返す以外に無い。

 彼の気持。

 彼の強さ。

 彼の大きさ。 

 それを誇らしく思うしか。




 リングに転がっていたマイクを手に取り、軽く咳払いするショウ。

 会場内は静まり返り、固唾を呑んで彼の言葉を待つ。

 耳が痛くなるような静けさ。 

 ショウの肩が少し上がり、こちらは息を止めて集中をする。

「トーナメントの続きだ。今日出場する予定だった奴は、順番に出て来い」

 多分今、彼の台詞を聞いた全員の頭に疑問符が浮かんでいるはず。

 主催者の生徒会や学校への不満をぶちまけ会場を煽るのでもなく、彼と戦った柄の悪そうな連中を責める訳でもない。

 一体何が言いたいのかと思ってると、彼は頭上にある大型のモニターを指差して改めて同じ台詞を告げた。

「草薙高校の生徒らしく、正々堂々と戦おう」 

 キーボードを叩くサトミの手が止り、ショウのぬくもりを感じていた私の拳も動きを止める。



 ……別に、間違った事は言って無い。

 悪い事も言って無い。 

 ただ間違いなく、この場にはふさわしく無い言葉。

 見当違いどころか、今すぐ彼を置いて逃げ出したくなるくらいの恥ずかしさ。

 いたたまれないという言葉がぴったり当てはまるような心境で、しかし逃げ出そうにもショウはこちらを向いてにっこり笑っている。

 こちらも仕方なく笑顔を作り、そのままサトミに視線を向ける。

 彼女は言葉も無いといった具合に首を振り、やるせなそうにため息を付いて再びキーボードを叩き出した。


「レフリーは」

「僭越ながら、俺が」 

 笑いを堪えながら登場する七尾君。

 こちらは笑うどころの心境ではなく、もう何も言葉が思い浮かばない。

「ルールを確認する。肘、膝、頭突きは双方の合意時にのみ使用可能。倒れた相手への打撃も同様。勝敗はK0とギブアップのみ。両者リング中央へ」

 七尾君の指示を受け、リングの中央に進むショウ。

 そして柔道着姿の男性。 

 二人は軽くこぶしを交わし、そのままコーナーへと戻る。

「セコンドアウト……。ファイトッ」

 鋭い出足を見せる相手。

 ショウはあっさり襟を取られ、腰に体が乗せられる。

 しかし投げられる寸前で足を絡め、後ろから首を絞めてギブアップを奪い取る。

 首を押さえながら、激しく呼吸する相手。

 その彼に手を差し伸べるショウ。

 リングの中央で二人は握手して、視線を交わし合う。

「ユウ、止められないの」

 端末を耳に当てながら話すサトミ。 

 それが出来るのならとっくにやっているし、今すぐリングに上ってショウを引きずり降ろしたいくらい。

 だが彼が望んだ以上それを阻む権利は、誰にもない。

 彼が何をしようと、今このリングを支配しているのは彼なのだから。

 本当に。



 椅子に崩れ、膝の上に乗っているコーシュカを撫でながらぼんやり試合を眺める。

 基本的にショウが相手の攻撃を受け、その後KOもしくはギブアップというスタイル。

 さっきまでとはあまりにも違う内容。

 その落差に若干拍子抜けはするが、見ていて気分を害する事はない。

 攻防と呼べる戦いでもないため不安や苛立ちも募らず、非常に落ち着いた気分にはなれる。


 ただ不安はないが、不満はある。

 あれだけの事をやってのけたショウ相手なので仕方ないが、やや攻めが遠慮気味。

 卑怯な真似をする必要はないけど、もっと死角を付くなりトリッキーな事をやってもいいと思う。

「足。足怪我してるから、足攻めて」

 腕はさすがにまずいので、怪我の程度が低い足を狙わせる。

 しかしそれをショウへのアドバイスと思ったのか、長身の男の子は視線を足元へ落としてそのまま素早く後ずさった。

「違うわよ。あなたが、ショウの足を攻めるの」

「え」

「え、じゃないの。遠慮しても仕方ないでしょ。遊びじゃなくて、試合なんだから」

 この言葉に何を思ったのか、一点真剣な表情になり前傾姿勢を取る男の子。


 鋭いジャブでショウの集中を上に向け、間を置いてロー。

 それも、怪我をしている右足へ。

 比較的オーソドックスなコンビネーションはあっさり読まれ、カウンターでマットに倒される。

 手を差し伸べるショウ。

 その手を握り、立ち上がる男の子。

 言いたい事は色々あるが、決して気分は悪くない。

 どうやら私も、少しショウに感化されたようだ。

「次。次っ。攻めの基本は足。手数を多くして、休ませないで」

「という事らしい」 

 苦笑して次の選手を呼び込む七尾君。 

 彼はその子の肩を抱き、耳に口を寄せて何やらささやき始めた。

 私はショウに近寄り、リングに這い上がって腕と足をチェックする。

「何が、足を攻めろだ」

「セオリーでしょ。……血は止まったね」

「足は痛いぞ」

「テーピングする」

 ジーンズを脱がせ、傷の目立つ足にテーピングを施す。

 関節ではないので固く巻いても問題はなく、ただ巻いたからといって痛みが緩和される訳ではない。

 多少ダメージが和らぐ程度。

 それでも丁寧にテープを巻き、競技用のトランクスをはかせる。

「大丈夫?」

「任せろ」

「何をよ」

「全然分からん」



 どの相手とも、実力差は誰の目にも明らか。

 腕の怪我は重く右手は殆ど使えないが、ハンディにすらなっていない。

 だけど真剣に攻める相手に対して、ショウも真剣になってそれを受ける。

 彼の技量があれば、軽くかわしてカウンターを取れば済む。

 それでも真正面から相手とぶつかり、組み付き、打撃を受ける。

 何のためにかは、私には分からない。

 彼も分かって無いという。

 だけどそれが無意味だとは思わない。


 少しずつ起き始める掛け声。 

 さっきまでの、聞くに堪えない野次ではない。

 相手の選手を応援する叱咤激励。

 そしてリングを降りていく選手への惜しみない拍手。

 それは試合が進むたびに増え始め、やがては会場全体から発せられる。


 淀んだ空気、殺伐とした雰囲気は今は無い。

 必死で戦う選手とショウの姿を見て、何も思わない訳が無い。

 彼等は勝っても何も得ないし、負ければ悔しさが待っているだけ。 

 報酬という意味で考えれば、馬鹿げた事かもしれない。

 だけど観客達は純粋に歓声を送り、拍手をして選手を称える。

 その戦いぶりに、健闘した姿を惜しみなく賞賛する。

 熱い戦いが醒めた空気を変え、会場全体が暖かな雰囲気に包まれる。



 三島さんとも違う一つの形。

 畏怖だけではなく、信頼だけでもない。

 彼という人間のありのままを皆が知り、それを受け止めてもらう。

 強さや信頼では、もしかすると三島さんには及ばないのかもしれない。

 だけど今ここにいる観客達との間に出来た絆は、決して劣りはしないはずだ。


 足を引きずった選手が降りたところで、七尾君が上着を脱ぐ。

「疲れてるところ悪いけど、たまには俺も」

「来いよ」

 ロープにもたれ、あえぎながら答えるショウ。

 何十人もの相手と連続して戦い、休憩は選手が交代するわずかな間だけ。

 疲労や肉体的なダメージは計り知れないが、彼は弱音を吐きはしない。

 そして七尾君も、それを労わりはしない。

 この場に立てるのは、戦う意志を持った者だけ。 

 情けや気遣いは無用。

 相手を倒し、自分が最後にこの場へ立つ。

 必要なのは、その闘志のみだ。


 鋭いローからベクトルを変えてのミドル。

 フェイントを読みはしたが、ブロックをし損ねるショウ。

 しかし彼はバランスが崩れたのを逆に利用し、体を倒しながら浴びせ蹴りを見舞う。

 前に出てダメージを減らす七尾君。

 彼はショウの足を掴んで膝と足首を極め、そのままマットへ強引に押し倒した。

 一気に赤くなるショウの顔。

 しかしその体を無理矢理横へひねり、七尾君をしがみつかせたまま足を持ち上げる。


 猫の子のように持ち上げられ、そのままマットに叩きつけられる七尾君。

 これにはさすがに手が緩み、そこにショウの蹴りが入る。

「熱いな」

 シャツを脱ぎ、上半身裸になる七尾君。

 彼はロープまで下がり、その反動を数度確かめ軽やかな動きでロープの最上段に乗った。

「よっ」

 ロープのしなりを利用しての跳躍。

 照明と重なり消えるその姿。

 ショウは腰を落とし、顔めがけて突き進んできた七尾君を受け流して足首を掴んだ。

 鍬でも振るように、マットへ叩きつけられる七尾君。

 かなり容赦の無い、力を込めた一撃。


 静まり返る会場内。

 しかし七尾君が顔を抑えながらも立ち上がったのを見て、歓声と拍手が巻き起こる。

「参った。さすが、学校最強」

 押さえた手元から漏れる鼻血。

 もう片手は上がらないようで、左足も引きずっている。 

 それでも七尾君は笑い、ショウも笑顔を返す。  

 観客は拍手でそれを称える。


 血を見るのも、激しく傷付き合うのも始めの試合と変わらない。

 違うのはそこにあるお互いの意思。

 戦いへの、相手への敬意では無いだろうか。

 照明は明るく降り注ぎ、拍手は暖かく、誰もが心を熱くする。

 彼がこれを狙っていたとは思えない。

 だけどこうなる事は必然だったんだろう。


 それが彼の進む道。彼が築き上げてきた事の結果。

 三島さんとは違う、もう一つの形。

 その始まりが、もしかすると今なのでは無いだろうか。

 突然大歓声に包まれる会場内。

 気付くとリング上に柳君が立ち、ショウが呆れた顔で首を振っている。

 実力としては、おそらくショウと互角。

 今の状態では、どう考えても勝ち目の無い相手。

 しかし柳君は子供のように笑い、体をほぐして試合の開始を待つ。

 本当に、これだから男の子というのは仕方ない。

「七尾君」

「俺はもう知らん。後は頼む」

「頼むって。……もう」

 鼻を押さえてリングを降りた七尾君に代わり、リングに上がって二人を中央へ呼び寄せる。

「肘、膝、頭突きなし。倒れた相手への打撃も認めない。グランドでは寝技のみ。ブレイクはレフリーの裁量に委ねられる」

「えー」

「えーじゃないの。私とショウのタッグでもいいのよ」

「えー」

 少し嬉しそうに笑う柳君。

 これ以上言うと本気になりそうなので、二人を下げさせ大きくため息を付く。


 始めの重苦しさは消え去り、今は照明の光が眩しいだけ。

 少し気の抜けた。

 ただ、決して悪くも無い気分。

 私達が目指す学校は、多分この先にあるんだと思う。




 医療部のベッドに横たわり、綺麗な看護婦さんに囲まれるショウ。

 看護学校の実習らしく、正確には看護婦の卵。

 その分初々しく、年齢も私達と変わりない。

 何よりナース服は、ポイントが高い。

「すごい筋肉ですね」

「うわー、腕も太いー」

「触っていいですか」

 駄目だよ。

 とは言えずスティックを背負いながら、なすがままにされるショウを睨む。


 困っているのはむしろ彼の方だと思うが、怪我は右腕と右足だけではない。

 生傷の無い箇所はなく、打撲は両手両足。

 右足をかばう格好で動くから、その負担が左足に掛かり膝と足首も痛めている。

 これは、七尾君に極められたせいかもしれないが。

「先生。とりあえず終わりました」

「何が終わったのか知らんが。……注射持って来い」 

 浅黒い顔に凄みを宿らせ、そう指示を出す医師。

 胸元のIDは、「平田・外科」とある。

「えと。点滴はもう済ませてますけど」

「太い奴だ」

「え」

「とにかく、一番太い注射器を何でも良いから持ってこい」

 どすの聞いた声に、「ひぃ」と悲鳴を上げて逃げ出す看護婦達。

 平田先生はそのままショウの右手を持ち上げ、指を動かすよう促した。

「……神経系の電流量を見る限り多分大丈夫だろう。太い血管も切れてない」

「あ、はい」

「ただ、これだけの怪我をしてケンカをしたらしいな。医者を舐めてるのか」

「い、いや。そういう事では」

 どういう事かは分からないが、彼が追い込まれてるのは間違いない。

 ただこれは私も言いたかった事で、少しきつく叱って欲しい。


「持って来ました」 

 看護婦が差し出した注射器に、思わずむせ返す。

 私の腕の太さくらいありそうな、馬の治療にでも使うのではという注射器。

 中には得体の知れない、緑色の液体がこれでもかというくらい入っている。

「脱がせろ」

「え。服を?」

「何もかもだ。尻に打つ」 

 冗談を言ってる顔には見えず、何よりこの顔に冗談は似合わない。

 またここは医師の威厳か、ショウの体を拘束して手際よくガウンを脱がせて体を裏返す看護婦。

 ただ表情はかなりゆるみ気味で、よからぬ期待のせいという気もするが。

 しかしさすがに怖くなり、おずおずと極太の注射器に指を向ける。

「そ、それって。中は何なんですか」

「ビタミン剤と生理食塩水だ」

「お尻から打つ意味は」

「俺も知りたい」

 何の前触れもなくトランクスをめくり、針を突き立てる平田先生。

 「きゃっ、綺麗なお尻」という看護婦の台詞もどこか遠く、ショウの唸り声が病室に響く。



 そこに大笑いしながら現れる悪魔一匹。

 でもって注射をし終えた平田先生に睨まれ、そのまま背を向ける。

「待て。お前、どこかで見た顔だな」

「似た顔なら、そっちに」 

 人身御供にヒカルを差し出すケイ。

 しかし平田先生はそちらには目もくれず、ケイの襟首を掴んで太ももを撫でだした。

 まさかとは思うけど、そういう趣味の人じゃないだろうな。

「特に問題は無いな」

「何も無いですよ。俺には」

「全く、どいつもこいつも。今度来たら、全額自腹で払わせるからな」

 足音を立てて病室を出て行く平田先生。

 その後を名残惜しそうに看護婦が追いかけ、病室内は私達だけとなる。

「よう。ヒーロー」

 ショウはその台詞に反応もせず、お尻を押さえたまま動こうともしない。

 あまり揺するので止めに入ったら、今度は私に矛先が向いた。

「なんだよ、学校最強」

「それはショウでしょ」

「柳君との試合の最後。あれはなんだった」

「行きがかり上。レフリーとしてブレイクしただけよ」 

 ブレイクの仕方に問題がなかったとは言えないが、間に割って入ったくらいではこちらが押しつぶされるだけ。

 だったら、多少は手荒な真似をするしかない。

 度が過ぎたという意見もかなり飛び交ったが、とりあえず忘れる事にする。


「ブックメーカーはどうなったの?」

「玲阿君の大活躍で、十分稼がせて頂きました。十分過ぎるほどに」

「だったらいいじゃない」

「俺は、あれを見てて死ぬかと思ったよ」

 身震いをして両肩を抱くケイ。 

 人の善意や温かさが苦痛なんて、やっぱり悪魔の証拠だな。

「とにかく、押さえるものは押さえた。これでかなり目途は付いたかな」

「ショウが恥ずかしい事をやっただけなのに?」

「風向きは完全に変わっただろ。俺はもう少し威厳のある方向で進めて欲しかったけどね」

 もう一度身震いしてショウを揺するケイ。

 その途端ショウが跳ね起き、彼を抱きすくめてベッドに押し倒す。

「そういう趣味は無い」

「俺は俺で大変だったんだ」

「初めからああすればよかったんだろ」

「我慢も大事だと思ったんだ」

 小声でそう呟くショウ。

 そして彼の下に組みひしがれたケイからは、うめき声が聞こえてくる。

「で、悟った。我慢しても良い事は何も無い」

「それは、間違った悟り方だ。お前は学校最強にふさわしく無い」

「俺が決めるんじゃないし、お前が決める事でも無い。俺は自由にやるだけだ」

 ぐいぐいとケイの首を締め上げ、最後に手首を返すショウ。



 耐えるのも確かに大切だが、それで全てが得られる訳ではない。

 また彼が担うべき役割は、耐えるだけでは務まらない。 

 時には非情と言われるような事もしなければならないのだと思う。

 多分三島さんや塩田さんは、その部分が彼に欠けているから不安や不満を抱いていたはず。

 こうして自由に振舞うと言ってはいるが、彼は結局人のためにしかその拳を振るわない。

 三島さん達が望む強さ、ケイの言う強さとは違うかもしれない。




 だけど彼だけの強さがあっても良いと思う。

 人に暖かさを与え、支えるような。

 決して目立ちはしなくても、私はそれを認めたい。

 彼の強さを、彼の良さを。

 出会った頃から知っている、変わらないままの彼の良さを。
















     第35話 あとがき




 という訳で、玲阿四葉編でした。


 基本的に彼とユウは、圧倒的強者。

 作品中では、敵無しという設定。

 これを初めに決めておいて良かったです。

 つまり、「強さのインフレ」が起きないので。


 誰が現れようと、勝つのは彼等。

 敗北するには理由があり、それもごく希な場合のみ。

 変なトレーニングとか武器とか、修行とか。

 それが終わると新たな強敵が。

 という事をやらずに済みますから。


 結果今回のような事があっても、彼の勝利は揺るぎません。

 面白みはないんですが、その安定さが彼の強み。

 外見はともかく、性格ともども堅実タイプです。



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