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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第35話
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     35-9




 鏡餅に押しつぶされる夢を見た。

 理由は簡単で、うつ伏せになっている背中にコーシュカが乗っていた。

 虎やライオンのような大型肉食獣では無いが、私からすればかなりのサイズ。 

 彼女にしてみれば、おやつにもならないと思う。

 とりあえず体を丸めてコーシュカを下へ落とし、そのまま布団で丸め込む。

 しかしこの程度では微かにも反応はせず、布団から顔だけ出して眠ったまま。

 その上からのしかかったところでようやく目を開け、耳を伏せて唸り出した。

「何よ、その反抗的な態度は」

「うーぅうぅー」

「ああ?何だって?」

 多分それはコーシュカの台詞だろうが、ここで布団をはげば天井まで飛んでそのまま私に降ってくる。 

 いかんせんこちらは寝起きで、体調万全とは言いがたい状態。

 顔だけ出しているコーシュカのひげを引っ張り、自分のストレスを逃がす。


「いつまで寝てるの。布団干すわよ」

 どたばたと部屋に入ってきて、布団を引っぺがすお母さん。 

 その勢いでコーシュカがベッドの上に転がり落ちるがお構いなし。

 人間、慣れというのは本当に怖い。

「ちょっと、このどら猫睨んでくるわよ」

「そういう言い方は止めてよね。それに、まだ寝るんだって」

「聡美ちゃんから連絡があって、学校に来るようにって言ってわよ」

「学校?今日は休みじゃない」

「こっちの、年中休みの子も連れて行ったら」 

 ベッドの上で伸びていたコーシュカを持ち上げ。

 いや。持ち上げようとして、脇に手を挟んだまま固まるお母さん。

 猫とは違う重みと意外に柔らかな毛並みに、ちょっと感じ入ったらしい。

「なんか、御餅みたいね」

 感想も私と同じだな。


 しかしここにご飯は昨日の夜に全部上げたので、この家にコーシュカのご飯は無い。

 まさかとは思うが、違うご飯を食べるとも限らないのでやはり連れて行ったほうが良さそうだ。

「車は?」

「お父さんが乗っていた。バスで行けばいいでしょ」

「この子も乗せていいのかな」

「隠して乗ればいいじゃない」

 ベンチウォーマーをクローゼットから取り出し、私に着せて襟の部分を指差すお母さん。

 二人羽織りって、どっちが顔でどっちが体でも相当に怪しいと思うけどな。




 バス停を降り、リュックを背負い直して正門へと向かう。 

 日差し以上に背中は暖か。

 何よりこの重さで、額には汗も浮かんでくるくらい。

「なー」

 とうとう鳴き出したので、リュックを開ける。 

「うなー」 

 人の頭に手を乗せて、大声で鳴き出すコーシュカ。

「ちょっと、手を乗せないでよ」

「なー」

 顎も乗せるな、顎も。

「あの。それは」 

 正門にいたジャージ姿の女の子に呼び止められ、コーシュカと一緒に顔を向ける。

 門の脇には

 「学内統一トーナメント。主催・生徒会」

 と大きく書かれた看板が掲げられている。 

 サトミが呼び出したのは、どうやらこれが理由だな。


「ああ、チケットいるんだよね」

 私とコーシュカ。

 高校生一人と猫一人。

 いや。コーシュカはイエネコの4、5倍はあるので料金も余分に払う必要があるか。

「チケットはどこで買うの?」

「か、会場で。第一体育館です」

「どうも、ありがとう」

「なー」

 真上から聞こえる野太い声。

 まさかとは思うが、返事をした訳じゃないだろうな。




 すれ違う人すれ違う人が、みな私を振り返る。

 別段パリジェンヌに見とれるようなものではなく、頭の上に乗っかっている顔のせい。

 イエネコにしてはサイズが桁外れで、しかも野性的な顔立ち。

 こんなに目立つのなら、玲阿家に返してくれば良かったな。

「うわっ」

 私の顔を見て叫び声を上げる天満さん。

 正確にはコーシュカを見てだろうが、もうこの際はどっちでも同じ事だ。

「おはようございます」

「お、おはよう。そ、その上のはなんなの?」

「ヤマネコです」

「猫?どこが」

 確かに、明らかな企画外れのサイズ。

 私はこの子に見慣れているので別段違和感を感じないが、世間の捉え方は違うらしい。

 こういうのを多分、常識外れっていうんだろうな。


「天満さんは、この大会で何かやら無いんですか」

「お弁当売りたかったけど、後輩に止められた。私の居場所はどこにも無いのよ」

 身をよじって嘆く天満さん。

 何もお弁当が彼女のよりどころとは思えないが、人が多いと自然に心がうずくのかもしれない。

「嶺奈、何を。……うわっ」

 叫び声は違えど、反応は同じ。

 中川さんは今まで見た事も無い速さで逃げ出し、通路沿いに生えている街路樹を盾にしてこちらを睨みつけてきた。

「ヤマネコです、ヤマネコ」

 いちいち聞かれるのも面倒なので先に答え、コーシュカの手を振る。

 しかし今はやる気も無いのか、その手がだらしなく私の顔に落ちてきた。

「た、食べられないの?」

「今の所、人間をご飯とは思って無い見たいです。野生にしろ、このサイズだと獲物はもっと小さいと思いますよ」

「三島さんとどっちが強いのかしら」

 それは多分三島さんだと思う。

 普通の人間なら首筋に飛びついて一撃で終わると思うが、そのすばやさに付いていけるのなら勝ち目はある。

 肉食獣といっても大型犬よりもサイズは小さめ。

 それに猫科なのでスタミナもなく、絶対的に力強い訳でもない。

 ただ真夜中で明かりの無いところなら、三島さんが10人いてもてこずると思う。


「熊対ヤマネコなんて、人を呼べそうじゃない」

「あまり、見世物としては楽しく無い気がするけど。触っていい?」

「どうぞ」

 恐る恐る手を伸ばし、多分コーシュカの頭を撫でている天満さん。

 喉の振動が頭に伝わり、そのまま私の体を小さく揺らす。

「やっぱり、猫とは顔立ちも違うね」

「こんなの、飼っていいの?」

「許可は得てるそうですよ」

「ふーん。これを理事の部屋に放せばあっという間に解決しそうね」

 暗い顔で、物騒な事を言い出す中川さん。

 多分それだと、完全犯罪が成立するだろうな。

「二人は、試合を見に?」

「ええ。お金も賭けたし」

「賭け事はやらないって言ってませんでした?」

「ほら、浦田君のあれ。どうもあの子は、ただ賭けるだけじゃないみたいよ。それに、少し期待してるのよね」

 お金が増える事より、ケイがやる事に期待を寄せている天満さん。

 彼女らしいといえばらしいが、どれだけ渡したかは怖くて聞けない。

「中川さんも、お金を?」

「沙紀に言われて、少しね。持ち逃げするんじゃなくて、あの子」

 一転、全く信用の無い台詞。

 彼女の場合は間に沙紀ちゃんを置いた関係なので、天満さんとは評価が異なってくるのはやむをえない。


「それにもう卒業だし、思い出は一つでも多い方がいいじゃない」

「思い出」

「玲阿君の活躍を期待してるわよ。出ないといっても、最後に出てくるのはヒーローなんだから」

「あの子はそういうタイプでは無いと思いますけど」

「周りが望んでこそのヒーローなのよ」

 そう言って、天満さんと共に去っていく中川さん。

 彼が自分からではなく、周りの空気や意志が彼をヒーローに押し立てるという意味か。

 それは分かるが、彼がそういった事を望んでいないのも分かる。

 周りの期待と、彼自身の気持。

 私は言うまでもなく、彼の気持を大切にしたい。

 ただ、彼という存在自体がそれを許されないところにあるのもまた事実である。

 彼自身の意志が尊重される日は、本当にいつかやってくるのだろうか。




 ふらふらとさ迷い、一旦立ち止まって辺りを見渡す。

 周りは緑が多く、人気も無い。

 とりあえずコーシュカを下ろし、草を食べさせる。

「う、う。うがーっ」

 嫌な声と共に毛玉を吐き出すコーシュカ。

 彼女にとっては生活の一部だろうが、私としては出来るだけ見たくない光景だ。

「また、すごいのを連れてるね」

 他の人とは違い、驚きもせずに近付いてくる沢さん。

 その後ろでは、七尾君が多少警戒気味に腰を引いている。

「ヤマネコかな、これは」

「ええ。襲わないから、大丈夫ですよ」

「すごい、俺の事睨んでるんだけど」

「好き嫌いはあるからね。ケイは、たまに襲われる」

「冗談だろっ」

 慌てて近くの木に飛びつく七尾君。

 どうでもいいけど、猫はなにが得意って木登りだ。

「ブックメーカーは、とりあえず今日中に何とか出来そうだよ。一応、この大会の賭けが成立した時点で終わらせる」

「前にはやらないんですか?」

「浦田君が、お金を全て回収するつもりらしい。何か、彼に利用されているだけの気もするけど」

「手、手を出すなっ」

 枝の上に七尾君めがけ、激しくジャンプするコーシュカ。

 私から見ているとじゃれているだけだが、やられている本人は食べられると思っているかもしれない。


「コーシュカ、こっち」

 呼んでみるが、反応なし。

 この辺の素っ気無さが、猫科の魅力という人もいる。

「暴れるから、余計じゃれるんだ。じっとしてろ」

「じ、じっとって、あんた。せっ」

 木の枝から飛び降り、何を思ったのか私の後ろへ隠れる七尾君。

 普段の飄々とした態度とはまるで違い、落ち着きも無ければ余裕も無い。

「猫、嫌いなの?」

「動物は、ちょっと。昔、猪に追いかけられた」

 何の話だ、それは。

「コーシュカ、こっち。リュックに戻って」

 地面に置いていたリュックの口を開け、その中を手で叩く。 

 もう飽きたのかコーシュカは小さく鳴いて、七尾君を見もせずにリュックの中に入って丸まった。

「あー、焦った。いっそ、この猫を試合に出せばいいんじゃないのか」

「噛むのと引っかくのが武器だから、反則でしょ」

「浦田君のやってる事も反則って気はするけど。さて」

 ようやくいつもの調子に戻る七尾君。

 しかしリュックがもぞりと動いた途端、声を上げて後ずさった。

「と、とにかく。試合は楽しみにしてる。玲阿君の負担は大きくなるだろうけど、彼はそういう星の下に生まれ付いてるんだよ」

「それって、苦労する人生って事?」

「まあね。でもいいんじゃないの。人からの期待で苦労するんだから。不幸の連続で苦労するよりは」

 そうかもしれないが、そういった期待自体が彼にとっての不幸という考え方もある。

 言ってみれば周りの身勝手が、彼に負担を与えているとも。


「不満かな」

 私の表情を読み取ったのか、笑い気味に話しかけてくる沢さん。

「不満というか、だったら彼の意志や気持はどうなるのかって気がするので。あの子だって、自分の考えややりたい事はあるんだから」

「確かに。ただ、今の状況は君達の犠牲の上に成り立っていると言ってもいい。生徒は君達が暴れるから規則が変わったとか警備員が導入されたと主張するが、ターゲットが君たちに向いているからあの程度で済んでいるとも言う」

 ショウの事から少しずれる話題。


 ただ、話している内容は変わらない。

 彼個人から、私達全体へと対象が変わっただけで。

「良くも悪くも君達は目立つから、批判もしやすい。誰が悪いと聞かれて、答えに出るのは目に付く存在だよ。君達に全く非が無いとは言わないけどね」

「理解されて無いって事ですか?」

「いや。理解はされてる。ただ、基本的に他人の事には無関心。自分さえ良ければそれでいいという考え方が主流なんだよ。例えこの学校でもね」 

 険しくなる表情。

 固められる拳。

 彼はフリーガーディアンという資格を封印してまで、この学校に留まった。

 その思い入れはおそらく私が思っている以上で、だからこそ現状に悔しさを感じているんだろう。 

 何より、この学校の生徒が取っている行動に。


「七尾君はどう思う」

 間を置く格好で話を振る沢さん。

 雑草でコーシュカとじゃれていた七尾君は、苦笑気味な顔を私へと向けてきた。

「俺も以前は単なる生徒の一人。傍観する側だったので、気持は良く分かりますよ。トラブルに進んで巻き込まれたくないし、それを解決するだけの力も無い。誰か偉い人かヒーローが現れて、勝手に話をまとめてくれる。それが済むまで頭を低くしてやり過ごせばいい」

 コーシュカと遊びながら、そう話す七尾君。

 言っている事は私も分かるし、それ自体を否定はしない。


 私にだって事態を傍観し、やり過ごしたいという気持はある。

 好き好んでトラブルに首を突っ込みたいとは思わないし、関わりたくも無い。

 あくまでも巻き込まれたから、それに対応しているだけに過ぎない。

「そういう気持が逆に、雪野さん達のような存在に色んな感情を抱くんだよね。例えば丹下さんみたいに、そこを目指して努力するとか。もしくは、ファンになるとか。後は、逆に反発するとか」

「でもそれは、私達が」

「そう。雪野さん達は関係ないし、言ってみればそれこそ身勝手な話になる。ただ、周りで見てる生徒はその程度。良くも悪くも、深くは考えて無い。自分とは違う存在で、TVでも観てるような感覚だよ」

 素っ気無い口調でそう締める七尾君。

 それにはこちらこそ反発を覚えるが、彼が言っている事こそ事実なんだろう。

「そういった無責任な期待や反発を雪野さん達には向けられてるし、学校からのプレッシャーも一身に集める。やってられないといって投げ出せば、当然非難を浴びる」

「だから?」

 彼が言っているのは私達を取り巻く状況であり、事実。

 では、どうすればいいか。

 もしくは、彼はどう考えているかは出てこない。


「……あまり言いたくなかったけど、猫と遊ばせてもらったお礼に一つだけ。さっきも言ったように、俺も周りのトラブルを傍観するだけの存在だった。でも、それに本心から満足してた訳じゃない。能力が足りないのも分かってた。ただ何かのきっかけさえあれば、一歩前に出られる」

「それが、小泉さんって事?」

「俺の場合はね。今傍観してる生徒達も、その一歩を踏み出したいって思ってる子も大勢いると思うよ。勿論最後まで傍観する人間もいるし、君達には協力しない人もいるにしろ。それは、この学校を信じるしかないね」

 はにかみ気味に笑い、最後にコーシュカの頭を撫でて立ち去る七尾君。

 沢さんも少しだけ笑い、私に向き直って表情を改めた。

「君達には迷惑で辛い状況かもしれないが、これもまた現実だ。ただ僕達はここまで。つまり、生徒の支持を得る段階にまでいたらなかったらアドバイスの仕様も無いが」

「いえ。もう十分です」

「そう言ってもらえると助かるよ。それと玲阿君が試合に出るようなら、相当気をつけた方がいい。今更という話だけどね」

 そう忠告を残し、七尾君の後に続く沢さん。

 私もリュックを背負い、歩き出す。

 まだ定かではない、だけど自分の道を。

 多分間違ってはいない、進むべき方向へ。




 気持としては間違っていない。

 ただ、ここがどこだけも分かって無い。

 少なくとも、現状においては進むべき方向を間違えたらしい。

 聞くのは一時の恥聞かないのは一生の恥というが、まさか一生学内で迷い続けるんじゃないだろうな。

「ユウ、どこに行ってたの」

 タイミング良く現れるサトミ。

 私の行動パターンを読んで探しに来てくれたのか偶然かは知らないが、地獄に仏とはこの事だ。

 たまに、般若になるけどね。

「ちょっと迷ってた。で、第一体育館ってどこ」

「たまにすごい事を言うわね、あなたは。この学校に、何年通ってるの?」

 それに反論の仕様がなく、何よりここで機嫌を損ねては一生学校をさ迷う羽目になる。

 とりあえず愛想良く笑い、彼女が着ているジャケットの裾を掴む。

「迷子になる程複雑でも無いでしょ。……それは何」

 今頃気付くサトミ。

 ただ彼女はコーシュカに慣れているので驚きもしないし、慣れているからこそ頭の上に乗っていても気付かなかった。 

「昨日、家に連れて帰ったの。玲阿家に返せばよかった」

「重くないの?」

「重いよ、勿論」

 ただその重さがあまり気にならないというか、実感が薄い。

 自分と一体化している感覚というか、赤ちゃんを抱いたお母さんがこんな気分なのかもしれない。

「でも、さすがに限界かな。降りて」

「うなー」

 リュックから飛び出て,私の肩から地面へ滑り落ちるコーシュカ。


 当然首輪にはロープをつけていて、逃げ出さないようにもしている。

 力勝負では全く敵わないが、そこはヤマネコに負けないくらいのテクニックでカバーしてきた。

 それが分かってるのかコーシュカも逃げようとはせず、サトミの周りをぐるぐると回りだした。

 その意味は分からないし、猫の行動に理由を考えても仕方ない。

「体育館はここから近い?」

「すぐそこよ」

「そう。チケットは?」

「私達はフリーパスですって。その時点で相当に問題ね」

 サトミが言っているのは、勿論金銭的なことではない。

 私達がこの大会に深く関わらされている。

 つまり、ショウの出場は決定的という意味だろう。



 第一体育館の正面玄関には行列が出来ていて、そこを少し外れるとダフ屋風の生徒が低い声でチケットを売っていた。

 どうもそれ程安いチケットでは無いらしく、しかしそれでもこの人手。

 天満さんの血が騒ぐのも頷ける。

 ただ私達はフリーパスという事で、一般客とは別の招待客用の入り口へと向かう。

 それがまた反発を招くのか、行列からは何とも険しい視線が飛んでくる。

 さすがにこれはまずかったかと思った途端、私達を睨んでいた全員が顔を背けた。


 私の真上から発せられる、強烈な殺意。

 人間が放つそれとは根本的に異なる、純粋にして鋭利な感情。

 肩に乗っていたコーシュカを足元へ下ろし、低い声で唸る彼女の頭を軽く撫でて落ち着かせる。

 私達をかばったのではなく自分に敵意が向けられたと勘違いしただけのようだが、彼女に助けられたのは間違いない。

 それに状況が状況なら、私もコーシュカと同じ真似をした。

「脅さないで」

「私じゃなくて、この子が勝手に怒っただけだって。ご飯持ってくれば良かったな」

 野生なら、食事は一週間に数度だと思う。

 ただこの子は人に飼われているので、一日に数度。

 人をご飯にしないのは、そうしてお腹を満たしているせいもあるだろう。

 逆にご飯が途切れればどうなるかは、あまり試したくは無い。


 招待用の入り口にも警備ともぎりが立っていて、ただここの流れは隣の一般客用に比べてあまりにもスムーズ。

 少しこっちに一般客を回せば良いと思うが、それでは招待客の優越感を満たせないといったところか。

「チケットは」 

 そう言いかけ、隣の子に肘で突かれるもぎりの男の子。

 私の顔を見て、「あっ」と声を漏らし後ずさる。

 コーシュカへの反応よりも恐怖におののいてるな。

「し、失礼しました。え、えと。雪野様と、遠野様ですね」

「様じゃないと思うけどね」

「え?」

「いや。こっちの話」

 こんな事であれこれ言い合っても仕方ないし、一般客ゲートからの視線は再び冷たさを取り戻しつつある。

 先を急いだ方が、どちらにしろ賢明だ。

「ただいま、お席にご案内したいます」

「ご案内って」

 立ち見でもいいんだが、やはりあれこれ言うのも馬鹿らしい。

 ただ私達を特別待遇にして回りから浮き上がらせるのは結果的な事だと思う。 

 実際は私達の反応や行動をより確実に知るために、執行委員会側が特別室に隔離したと考えるべきだろう。




 一般客の流れから反れ、人気の無い廊下を歩く。

 サトミが言うにはこの先は映像や音響を取り扱う副調整室や、建物の管理を行うシステム室があるとの事。

 つまりは、この建物の中枢に向かってる訳か。

「私達の他に、誰か来てる?」

「舞地様達がいらっしゃっています」

 彼女は生粋のお嬢様なので、様と呼ばれても違和感はあまり無い。

 いや。待てよ。

「もしかして、矢加部様も来てる?」

「ええ。別室ですが」

 やはり、来てるには来てる訳か。 

 ただ彼女は自警局長補佐という肩書きがあるので、今はその立場で来ているのかも知れない。



「こちらです」

 通されたのは、ナゴヤドームの貴賓室のような部屋。

 あそこよりは多少狭いが、高級そうな調度品や家具は決して引けを取る事は無い。

 また見覚えのある、オッズが表示されるテーブルも室内の中央に用意されている。

 いくら貴賓室とはいえ学校の体育館にはあまりにも不釣合いで、今日のこのために持ち込んだのは間違いない。

「それでは、失礼致します。御用がありましたら、何なりとお申し付けください」

「生の鶏を、骨付き丸ごとで」

「は、はい。かしこまりました」

 がくがくと頷き、飛ぶように逃げていく男の子。

 まさかと思うが、私が食べると思ったんじゃないだろうな。

「雪ちゃん、いつからひげが生えたのよ」

 私の頭に乗っかるコーシュカのひげを引っ張る池上さん。

 彼女はあまり怯えていはいなく、何やら私に接する態度のよう。

「この子って、雪ちゃんの妹?」

 そんな訳あるか。

 ただ年齢としては彼女の方が若いので、お姉さんではないだろう。

「真理依、猫よ」

「だから」

 素っ気なく返し、部屋の隅でこちらの様子を窺っている舞地さん。

 どうも彼女には、この子が猫とは認識されていないらしい。

 確かにサイズがサイズで、いわゆる世間で言う猫とはさすがに違う。


「名雲さん達は?」

「狩りよ、狩り。男は狩りに出て、女は家を守る。昔からそう言うじゃない」

「狩りって、何を」

 肝心の部分には答えない池上さん。

 この間は警備員をからかいに行っただけのようだが、今回はもっと明確な目的が存在する様子。

 しかも、たやすくは口に出来ないような目的が。


 コーシュカを背負って疲れたのでソファーに横たわっていると、ドアがノックされさっきの男の子が入ってきた。

「お、お待たせしました。鶏でございます」

 大きな銀の皿に乗った、生の鶏一匹丸ごと。

 しかもご丁寧に、ナイフとフォークまで添えられている。

 やっぱり勘違いしてるな、この人。

「あのさ。ナイフもフォークももいらないから」

「し、失礼いたしました。お箸の方がよろしかったでしょうか」

 生の鶏一匹丸ごとを、箸でどうやって食べるんだか。

「食べるのは私じゃなくて、この子」

 床に丸まっているコーシュカを見つけ、「ひぃ」と叫んで後ずさる男の子。

 さっきからずっと同じ場所にいたんだけど、彼には全く見えていなかったらしい。

 それに気付かないほど私達は、彼に緊張を強いているんだろうか。

「とにかく、もういいから。ご苦労様でした」

「い、いえ。失礼いたします」

 一礼して、後ろ向きのまま部屋を出て行く男の子。

 まさかと思うが、背中を向けたら襲われると思ってるんじゃないだろうな。


「すごいのを食べるのね。雪ちゃんの妹は」

「別に良いよ。池上さんのお腹を食べさせても」

「冗談じゃない、冗談」

 顔色を変え、舞地さんの所へ逃げ出す池上さん。

 全然冗談って態度ではなく、余程この子は信用がないな。

「うなー」

「今上げる。サトミ、そこの新聞取って」

 彼女から新聞を受け取り、それを床に広げて鶏を置く。

 羽未なら私が良いと言うまで待つんだけど、そこは猫。

 鶏が新聞に触れたか触れないかの内に飛びかかり、唸り声を上げて食べ始めた。

「あーあ」

 何かもう、一仕事やり終えた気分。

 それにまだ眠気が残っていて、とにかく疲れた。

 改めてソファーに横たわり、体を丸めて目を閉じる。

 意識が薄れて体の力が抜けていき、何とも幸せな気分。

 猫は、毎日こんな気分を味わっているのかな。



 どたどたと足音を立てて部屋に入ってくる名雲さんと柳君。

 二人とも息が上がっていて、名雲さんは今にもへたり込みそうな様子。

 しかしコーシュカを見て、叫び声を上げて逃げ出した。

「お、俺は疲れてるんだ」

「何してきたの」

「悪い事よ、悪い事」 

 うしゃうしゃと笑い、肩を揺する舞地さん。

 一方の名雲さんは何とも憔悴しきった顔で、床に座り込んで顔を伏せた。

「どうかしたの?」

「ん。ちょっと追い掛けられただけ」

 明るく答える柳君。

 彼はすでに息の乱れも収まっていて、今からもう一度同じ事をやれそうな雰囲気。

 何をやって来たかまでは知らないが。

「参った、参った」

 至って落ち着いた態度で部屋に入り、さすがにコーシュカは見咎めるケイ。

 彼は唸りながら鶏を食べている彼女を大きく迂回して、私の前にとやってきた。


「あれって、外に出して良いのか?条例とか法律に引っかかるような気もするけど」

「良いんじゃないの。それより、何してきたの」

「ヤマネコを、街中に連れ出すよりはまともな事を」

 軽くはぐらかし、ソファーに座ってお茶を飲み出すケイ。

 ただ彼の視線は、テーブルに表示されているオッズ表へと向けられている。

「なるほどね」

「何が」

「いや、別に。しかし、結構入ってるな」

 席を立ち、ガラス張りの壁際から会場を眺めるケイ。

 すり鉢状になっている観客席はほぼ満員で、後ろの方は立ち見も現れている様子。

 興行的には大成功だろうが、これが難のために開催されるかがいまいち分からない。


「し、失礼します」

 改めてやってくるさっきの男の子。

 今度はコーシュカとも私とも目を合わせず、ドアを開けたまま棒読みで話し始めた。

「リングサイド席を用意していますので、そちらへご移動下さい」

「移動?ここでいいじゃない」

 試合に興味は無いし、何より外に出ればトラブルの素が増える。

 それならここに閉じこめられている方が余程ましだ。

 しかし外へ連れ出すのは初めから計算されている事で、文句を言っても理由を付けて部屋を追い出されるのは間違いない。

「分かった。ただし、何かあっても責任は取らないわよ」

「も、勿論です。ご案内しますので、こちらへどうぞ」




 外へ出て、観客席へ続く廊下と合流。

 この時点で、一般用のゲートから入った生徒達とも当然ながら合流する。

 冷たい視線は相変わらずで、自然と気分が滅入ってくる。

「繊細なのね」

 私とは違い、鼻歌交じりで歩いていく池上さん。

 舞地さんも我関せずというタイプで、柳君はニコニコしたまま。

 多少名雲さんの機嫌が悪くなる物の、落ち込むような人はいない。

「気にするほどの事でもないだろ」

「そうなんでしょうけどね。私は、ちょっと」

「馬鹿馬鹿しいから、今更暴れはしないけど。考え違いしてないか、こいつらは」

 軽く腕を振り、壁を叩く名雲さん。 

 その衝撃で破片が辺りに飛び散り、視線を向けていた全員が顔を背ける。

「何してるのよ、あなたは」

 低い声で怒る池上さん。

 名雲さんは構わずもう一度壁を叩き、その言葉をも止めさせた。

「傍観ってのは、俺は好きじゃないんだ」

「誰も、君の好き嫌いは聞いてない。大体こういう事が、イメージダウンにつながるのよ」

「何もせずに睨むだけの連中のイメージなんて知った事か」

 ふと思い出す、七尾君の話。


 傍観している人は、ただ踏み切れていないというのが彼の意見。

 だが名雲さんは、また違う考え方を持っている様子。

 これは性格よりも、それぞれが過ごしてきた環境の影響が強いと思う。

 七尾君は、波乱はあったにしろ草薙中学出身で草薙高校で過ごしてきた。

 名雲さんは最近でこそ草薙高校にいるが、それ以前は多くの学校を点々としてきた。

 その中ではこういった状況を数多く経験し、きっと嫌な記憶や出来事があったんだと思う。

 ただ草薙高校で過ごしてきた私としては、七尾君の考え方を信じたい。

 名雲さんの憤り、感情も十分に理解は出来るが。

 何より、この視線や雰囲気に晒されているのは私達自身なのだから。

「なあ、柳」

「僕は別に。もう、ストレスを発散したから」

 そう言って、口を押さえる柳君。

 その仕草が可愛いなと思ってる場合ではなく、ストレスってなんなんだ。


「どういう意味?」

「少し外を走ってきただけだ。俺達は、試合に出ないからな」

「まさか、もう試合をしてきたとか」

 ぽつりと呟くサトミ。

 乾いた笑い声を立てて先を急ぐ名雲さん。

 彼は案内されたリングサイトに腰を下ろし、バニーガールの服装をした女性にビールを頼んだ。

「アルコールは受け付けてませんが」

「じゃあ、ウイスキー」

「受け付けてないんです」

 一瞬低くなるバニー嬢の声。

 リングサイドにしては、随分愛想のない人だな。

「ミルクお願いします」

「承りました。他の皆さんは」

「ソフトドリンクを適当にお願い。雪ちゃん、その猫は?」

「ミルクはお腹壊すから、水下さい。それと、煮干しを少し」

 私にも怖い顔をして去っていくバニー嬢。

 これも嫌がらせの一環なんだろうか。


「なに、あれ」

「借金がかさんで、バニーガールをさせられてるんじゃないの」

 鼻を鳴らし、大きな椅子にゆったりと座るサトミ。

 よく見ると一般客とは椅子の作りも違い、ここのは肘掛けもある。

 正直私はこういう対応の違いに気が引けるんだけど、それを気にしているのはやはり私だけ。

 気が小さいと言われればそれまでだが、あまり落ち着かないまま端の席に座りコーシュカを足元に呼びよせる。

 今はこの柔らかな感触が拠り所みたいなものだ。

「お待たせしました」

 キャスターを押して、飲み物を運んでくるバニー嬢。

 彼女は私達の前にあるテーブルにそれを置き、卓上端末をその隣に並べた。

「ブックメーカーを利用されたい方は、こちらをどうぞ」

「公然とやっていいの?」

「私の知った事ではありません」

「バックマージンが入るんでしょ。苦労してるみたいだから、賭けてあげたら」

 理解のある事を言って、端末を引き寄せるサトミ。

 彼女はスリットに自分のカードを差し込み、それを起動させた。

「借金はいくら」

「簡単な額ではありません」

「元手は十分にあるから、リスクなしで勝つ事も出来るのよ。他に困ってる子がいるのなら、その分も金額を提示して」

「本当、ですか」

 少し変わる表情。

 すがるような、しかしまだ信用しきっていない瞳の色。

 サトミは前髪を大きく掻き上げ、黒髪を照明にに輝かせた。

「私に任せなさい」

 赤らむ頬。漏れる吐息。

 なびいた黒髪が彼女の頬を一瞬撫で、腰がくだけて床に崩れる。

 感極まって泣き出さないだけ、まだましと言うべきか。



「いつから、そんな積極的になったの」

 笑い気味に話し掛ける池上さん。

 サトミはヘアバンドで後ろ髪を束ね、それを軽くかき上げ端末のキーボードに手を置いた。

「自分に出来る事をしようと思っただけです。無意味にあれもこれもやるつもりはありません」

「そういうタイプではなかったでしょ」

「最近、気の迷いが多いんです」

 明るく笑い、画面を埋め尽くすオッズのデータに見入るサトミ。

 画面には計算式が書き込まれ、どうやらそこにオッズを当てはめているらしい。

「投資した分を、配当が上回ればいいんですよね」

「理屈としては。ただ今まで、絶対に損をしないギャンブルの方程式を導き出した人なんていないわよ。胴元が儲からないギャンブルなんてあり得ないんだから」

「今回はその胴元を潰すのが目的ですから、従来のセオリーには縛られないと思います。それに私が利益を上げなくても、トータルで利益を出せばいいだけですから」

「悪い子達ね」

 苦笑して、オレンジジュースのペットボトルを手に取る池上さん。

 その視線はサトミではなく、席を立ったケイへと向けられる。

「ブックメーカーに行ってくる」

「あ、僕も」

 すぐに席を立ち、彼の腕を取る柳君。

 ただしその瞳は普段よりも厳しさを宿し、緩んだ表情ほどの穏やかさは無い。

「行くのは良いけど、ショウはどこにいるの」

「真打ちは、最後に登場するんだろ。本当、俺も一生に一度くらいヒーローになりたいね」

 冗談っぽく言って、バニー嬢の刺すような視線を受けながら去っていくケイ。

 相変わらず何かを企んでいるようだが、それこそが彼の本分。

 彼に任せておけば何も問題はなく、また私は信頼で彼の密かな努力に応えるしかない。



 ざわめく観客席。

 一つの方向へ向けられる視線。

 廊下を歩く一人の少年。

 彼の整った容姿にではない。

 今日起きるだろう出来事を予想しての期待、好奇心。

 ただそれは、見せ物としての話。

 チケット分は楽しませてもらうとでもいった空気。

 重く粘り着くような空気の中、ショウは私の隣へとやってきた。

「来たの、やっぱり」

「一応」

 テーブルに置かれたペットボトルへ手を伸ばすショウ。

 一見なんでもない、ただ私からすると違和感のある動きをわずかに感じる。

 その腕を握り、素早くジャケットの袖をまくってシャツのボタンを外す。

 若干赤みがかっていて、打撲とは言わないまでも手当をした方がいい状態。

 すぐにバニー嬢を呼び、アイシングの用意をしてもらう。

「大した事無い」

「そうだろうけど。これは、どうしたの」

「転んだ」

 おおよそあり得ない答え。 

 例え転んだとしても、ここまでの怪我になるような転び方をする人ではない。

 何より怪我をするには不自然な場所で、丁度攻撃を受け止めたり受け流す箇所。

 襲われたとしか考えようがない。


 運ばれてきたアイシングスプレーで赤くなってる箇所を冷やし、ガーゼを押し当て包帯で巻く。

 彼の言う通り、普段なら放っておくような怪我。

 ただこれからの事を考えれば、少しでも手当をしておきたい。

「他は大丈夫?」

「ああ」

 嘘を言っている様子はなく、また全身を触った限りおかしな感覚は特にない。

 それに少し安心をして、ペットボトルのお茶を飲む。

「俺のだ、それは」

「誰のでも良いじゃない」

「楽しそうだな、お前ら」

 残りの飲み物をかき寄せ、鼻で笑う名雲さん。

 笑い事ではないが、反論のしようもない。

 ショウの腕が動くか改めて確認して、オッズが表示されている画面を覗き込む。

「ショウのオッズは?」

「怪我の割には、下がってないわね。今の治療で多少動くにしても」

「それって」

「自分達の賭けたい相手のオッズは高く保ち、ショウを弱らせる。そういったところかしら。その怪我で弱ったらの話だけど」

 鼻先で笑い、画面を指で操作するサトミ。

 彼女の言うように、この程度の怪我で戦えなくなるようなら彼は彼ではない。

 大げさな言い方をすれば、例え腕が一本無くなろうとも彼は戦う。

 そして彼が戦うというのは、勝つというのと同じ意味を持つ。




「お待たせしました。第1回草薙高校統一トーナメントを開催いたします」

 会場に鳴り響く派手なBGM。

 拍手や歓声がそれに重なり、通路をジャージやTシャツ姿の選手達が登場する。

 暗転した会場と、通路だけを照らすスポットライト。

 七食のレーザー光線が会場を駆けめぐり、必然的に観客も一層の盛り上がりを見せていく。

 ただそれは作られたというか、一過性のもの。

 登場した選手ではなく、この演出に対して。

 リングに登った選手は大勢いるが、知った顔は殆どいない。

 さらに言うと、身内は一人も登場しない。

 どれだけ会場が立派でも演出がすごくても、肝心なのは選手であり彼等が作り出す試合。

 ただこの選手達がどの程度のものかはかなり疑問で、何となく結果が想像出来る。


 BGMが鳴り止み、それに合わせて拍手や歓声も収まり始める。

 リングアナウンサーなのか、制服姿の生徒がマイクを口元へ寄せて改めて大会の開催を宣言する。

「なお今回は入賞選手に賞金及び商品を用意していますので、選手の皆さんは奮ってご活躍下さい」

 リング上の大きなモニターに表示される賞金総額。

 高校生が用意するには数桁違う数字で、かつこれだけの舞台装置。

 ある程度は元々ある設備を利用出来るにしろ、相当の資金が動いている。

 そしてあのブックメーカー。

 イベントにしてもやや度が過ぎていて、学校法人の経費として計上出来る性質の物とも思えない。

「それでは、第1試合を行います」

 私の疑問をよそに、ここは事務的に進んでいく進行。

 リング上には柔道着の男と、薄いグローブをはめたTシャツ姿の男が残る。

 端末を見ると、柔道部とボクシング部。

 双方のコーナーには部員らしい生徒が固まっていて、個人的な試合と言うよりも部の対面を賭けた戦い。

「SDCという形態を崩すにはもってこいね」

 リングには視線を向けずに、そう呟くサトミ。

 SDCは、運動部の部長の親睦会。

 彼等の協議により運動部は友好的な関係を保ってきた。

 しかしこうして戦い勝敗の結果が出れば、優劣はともかく上下の関係は発生する。

 それに対してSDCの押さえが利くかどうかという意味だろう。



 予想通り、試合は凡戦。

 お互い悪い選手ではないと思うが、異種格闘技は戦いの考え方を変える必要がある。

 それぞれが自分の距離を保ち有利に進めようと思うため殆どコンタクトが起きず、接触してもすぐにクリンチ。

 試合にならないまま、時間だけが過ぎていく。

 血を見ないという意味においてだけ、安心してみられる内容ではあるが。


 やがてこれといった盛り上がりもないまま試合終了。

 多少のブーイングがあちこちから上がり、選手は背を丸めて退場をする。

 ただ練習ではなくこれが試合である以上、結果を出すのは選手の使命。

 見せる内容とまでは要求しないが、こういう戦い方をしていてはブーイングを浴びても仕方ない。

「今のは勝った?」

「私はオッズを調整してるだけ。儲けは気にしてないわ」

 どうやらその調整は満足のいく結果が続いているらしく、キーボードを操作する指の動きは滑らか。

 私は正直眠くなってきた。

 周りの冷たい視線は相変わらずで空気も重い。

 ただ人間、どんな環境にも慣れるからこそ今の地位を気付いてきた。

 とりあえず私も、少しはその恩恵を受けているらしい。

 その間に次々と消化されていく試合。

 試合時間は3分のみ。

 サイクルは早いが、内容は退屈そのもの。

 何より選手に思い入れがないため、なんの感情も怒らない。

 選手達もそれは同じらしく、雰囲気は盛り下がり醒めていく一方。

 盛り上がっているのは選手のコーナーにいるクラブの関係者くらい。


「あなた、寝てるの?」

「この内容だったら、寝ない方がどうかしてる。やる意味あるのかな」

「リザーブファイトらしいわよ、まだ」

「それでもね」

 少し納得出来たが、むしろリザーブの方が必死になるはず。

 負けないと必死になってる分の気持ちを、勝つ方へと向けて欲しい。

「リザーブファイトは以上です。本選において棄権もしくは負傷が出た場合に参加する権利を得ましたので、勝った選手は控え室でお待ち下さい」

 もしくは、この本選に戦力を温存するつもりか。

 かなり賢いとも言えるが、必ず空きが出るとも限らない。

 いや。もしかすると、空きが出ると想定しての行動だとしたらどうだろう。

 どちらにしろかなり裏がありそうで、あまり楽しい話ではない。

「休憩後、本選を開始いたします。では、しばしおくつろぎ下さい」












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