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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第35話
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35-8






     35-8




 戻ってきた誰にも怪我は無く、服に汚れや血の跡も無い。

 どうやら、無事に済んだと考えて良さそうだ。

「ご苦労様。どうだった?」

「天井にぶつかって落ちてくれば、誰でも逃げるさ」

 鼻で笑いながら説明するケイ。

 この中で、そういう事が出来るのはショウくらい。

 というか、この学校でそういう事が出来るのは彼か御剣君くらいだろう。

「何がしたい訳」

「別に」

 珍しく、愛想無く答えるショウ。

 モトちゃんは何かを言いかけ、しかしすぐに首を振ってそれを止めた。

「分かった。小牧さんも、どうもありがとう」

「私は仕事でやっただけよ」

 彼女もあまり愛想の良くない雰囲気。

 元々て始終笑い転げるタイプでは無いが、今は多少刺すら感じる。

「何かあったの?」

 小声でケイに尋ねると、彼は視線を壁際にもたれている前島君へと向けた。


 彼もそれ程にこやかなタイプではないが、物静かで落ち着きのある人。

 ただし今は、小牧さん同様多少の刺を感じなくも無い。

「よく分からないけど、知り合いらしい。新妻さんが前にいた高校で会ってるんじゃないかな」

「そこで、何かあったって事?」

「痴情のもつれってタイプにも見えないし」

 ここだけは声を大きくして話すケイ。

 その途端、小牧さんが机の上にあったペットボトルを彼に投げつけた。

「以前顔を合わせた事があるだけよ。敵としてね」

「敵?」

「私たちの学校に来て、荒らすだけ荒らして逃げていった」

「それは、あの金髪だろ」

 珍しくというべきか、感情を露わにして反論する前島君。

 小牧さんもそれ自体は理解している様子だが、彼に良い感情を抱いてないのも伝わっては来る。

「大丈夫か」

 私の肩に手を触れ、顔を覗き込んでくるショウ。

 何がと言いかけ、視界の暗さに改めて気付く。

 どうやら私の目付きやちょっとした仕草から、異変を感じ取っていたようだ。

「病院行くぞ」

「大丈夫。少しくらいだけだから」

「行くと言ったら行くんだ」

 腕を掴まれ、半ば強引に正門まで連れ出される。

「寮から、車を取ってくる」

「ちょっと暗いだけで、歩けない程でもないよ」

「何かあったら、病院に行くんだろ」

「そうだけどね」

 私がそう答えた途端に走り出し、彼の姿は一瞬にして路地へと消える。 

 これまでの経験上、今の状態はそれ程は悪くない。

 少し落ち着いていれば明日には治っているはず。

 勿論例外はあり、明日以降さらに悪化する可能性も無くは無いが。




 そんな事を考えている間に、黒のRV車が目の前に止まる。

 ショウはわざわざ車を降りてきて、私の手を引き助手席にまで案内をしてくれる。

 普段はこういうエスコートめいた事はやらないし、私も望んではいない。

 つまりはそれだけ彼は、今の私を不安視しているんだろう。


 病院は、夕方とあってかなりの混雑。

 いつもはもっと遅い時間や朝に予約を入れてくるため、多少雰囲気が違う。

 ただし待つのは大して苦ではなく、このまま明日の朝を迎えられるくらい。

 良くも悪くも、何もしない時間を経験したせいだろう。

 何も出来なかった。する気が湧きあがらなかったと言った方が正確かもしれないが。

「お茶は?」

「いや、いい。それより、私に付いてていいの?」

「時間はある」

 すぐに答えるショウ。

 時計を気にしたり、時間を気にする様子は特に無い。

 ただ、こうして何もせず待たされるのは決して楽しい事ではない。

 それが自分の事でないとすれば、余計に。


「雪野さん。雪野優さん。中へどうぞ」

 少し眠気が訪れたところでようやく名前を呼ばれ、中の待合室へと通される。

 この奥に診察室があり、壁一枚隔てているため会話は何も聞こえない。

 重い病状の話を聞かれるのも嫌だろうし、また聞いているこっちもあまり楽しい事ではない。

「雪野さん。お待たせしました」

 看護婦さんに改めて名前を呼ばれ、診察室に入る。

 ショウは私の上着を抱え、後ろに付く。

「少し視界が暗いという事ですね。見えてはいますか?」

「ええ。蛍光灯が古くなったような感覚です」

「分かりました。問題は無いと思いますが、採血をしますね。用意するので、少し目を見せてもらえますか」

 目の前で振られるボールペン。

 それを追うと、医者は英語でカルテに数行書き込んだ。

「疲労感は?」

「少し」

「では、採血を」

 ベッドに腰掛け、腕を台に乗せてゴムで縛られる。


 病院に来るのをためらった理由の一つはこれ。

 自分のためなので避ける理由こそ無いのだが、注射をされるのは当然出来るだけ避けたい事。

 しかしそうも言ってられず、アルコールの冷たい感触の跡肘の辺りに痛みが走る。

「……もういいですよ。結果が出るまで、ちょっと待って下さいね」

「はい」

「何か、原因みたいな事は思いつきますか?」

「少しストレスを感じました」

 具体的な事は言わず、そうとだけ答える。

 医師は再びカルテに文字を書き込み、モニター上に現れた数値に目を向けた。

「血液検査では、特に気になるほどの数値は現れてませんね。脳波を見る限りやはり視神経の伝達が若干鈍くなっているので、症状とも一致します。特に問題は無いと思いますが、無理はしないように」




 いつもと変わらない診察結果と注意事項。

 視神経に問題があり、完全に治るまでは数年掛かる。

 無理をするのは禁物で、ストレスは避ける。

 結局今すぐどうにか出来る事ではなく、また私自身が気を付けてもストレス自体は避けられない。

 思わずため息を付き、助手席乗り込んでシートベルトを締める。

 今更自分の身の上を嘆く気は無いが、気分が晴れやかになる訳でもない。

 今後数年。

 もしかすれば、一生この繰り返し。

 医師は大丈夫だとは言っているものの、視力が悪化する可能性もなくは無い。  

 不満は無いが、不安は嫌という程押し寄せてくる。

 誰を恨んでも仕方なく、また恨んだところで解決するような問題でも無い。


 黙ったまま運転を続けるショウ。

 彼には彼の時間があり、やりたい事もあるだろう。

 私に付いて病院に来ても、彼にとって良い事は何も無い。

 時間を拘束され、しかもその殆どが待ち時間。

 私の送り迎えにしても、彼にとっては何の得にもならない。

 言ってしまえば、今の私と一緒にいても彼に良い事は何も無い。

 私はその善意にすがり、利用してるだけに過ぎない。

 彼の優しさ思いやりを良いように使っているだけに。

 彼にはもっと、自分よりふさわしい人がいるのではないだろうか。

 目も見えず、時には歩く事もままならないような自分よりも。

 彼の選択肢は無限にあり、その気になれば誰もその申し出を断りはしないはず。

 目も見えず、何のとりえも無い私を選ぶ必要は無い。


「ごめん」

 思わずそう口を付いて出る言葉。

 殆ど意識もしない、心の中のわだかまりが形になったような声。

 彼にとっては目の見えない私よりも、私自身が負担になっている。

 それが悲しく、申し訳なく、いたたまれない。

 自分という存在自体が彼にとっての重みであり、どこまでも開けて輝いた道を塞いでいるとしたら。

 いっそ、私から身を引いた方が。

「どうした?」

 少し笑い気味に尋ねてくるショウ。

 ずっと押し黙っていた私の、突然の台詞。

 無意味に謝った訳で無いのは、彼も十分に分かっているだろう。

 だけど強く尋ねる事もなく、そんな私に合わせるように静かな調子で話してくれる。

「目も見えなくて、こうして迷惑を掛けてばかりで。本当に、ごめん」

「前も言わなかったか。俺は迷惑とは思って無いって」

「でも」

 軽く頬に触れる彼の大きな手。

 伝わってくるぬくもりは、彼の思いそのものの様。

 だけど、わたしにそれを受け取る資格はあるのだろうか。


「やっぱり、私は」

「5年か、知り合って」

「そう」

 彼と初めて出会ったのは、中等部に入学した頃。

 今は高校2年の三学期で、知り合って丸5年。

 振り返れば長い、過ぎてしまえば一瞬のような日々だった。

 ショウは私の頬から手を離し、ハンドルを握り締めて視線を遠くへと向けた。

「5年の間。迷惑と思った事は一度も無い」

「え」

「俺はユウのために何でもやるし、それを苦に思った事も無い。俺が自分の意思で、勝手にやってる事だ。ユウが迷惑と思ってるとしても、俺から迷惑だと思う事は無い」

 ゆっくりと止る前の車。

 私達の車もその後ろに止り、信号が変わるのを待つ。

「でも」

「目が見えなくても、歩けなくても。俺はそれを気にしない。目の代わりや足の代わりにはなれなくても、俺から離れるつもりは無い。言いたいのは、それだけだ」


 胸にこみ上げる思い。

 熱くなる目頭。

 思わず彼の腕にすがり、顔を埋める。

 言葉にはならない幾つもの思い。

 彼の優しさ、大きさ。

 私への気持ち。

 全てが私を包み込む。


 上げた視線の先にある彼の顔。

 私は少しだけ背伸びをして、その頬に顔を寄せた。

 微かに触れ合う頬と頬。

 そっと私の頭を撫でるショウ。

 車がゆっくりと走り出し、それを合図とするかのように私達も離れる。

 一瞬の出来事。

 だけど偶然ではない。

 私と彼の思いが溶け合い、一つになったからの出来事。

 たわいもない、子供のようなやりとり。

 私には十分すぎる、永遠に忘れない瞬間。




 寮ではなく家に戻り、彼の手を借りて玄関まで向かう。

 これに恥ずかしいとか照れるという感情はなく、日が落ちたのでさすがに人の手を借りた方が良い。

 玄関を開けたところでお母さんが出てきて、私の目を指さしてきた。

「最近よく帰ってくるけど、大丈夫なの?」

「今日は、それ程悪くはない」

「誰と話してるの」

 後ろから聞こえるお母さんの声。

 ふと前を見ると、靴箱の上にあった熊の置物と目を合わせていた。

「暗いのは暗いの」

 靴を脱いで玄関を上がり、この先は自分一人で2回へと階段へと向かう。

「じゃあ、俺はここで」

「あら、ご飯は?」

「それは、今度。ユウ、またな」

「あ、うん。ありがとう」

 私に手を振り返し、すぐに玄関を出て行くショウ。

 少し素っ気ない気がしないでもないが、彼には彼の用事もあるだろう。

 元々私が無理をさせている訳で、その辺りは今でも心苦しい。

「四葉君、何かあったの?」

「どうして」

「ご飯食べないなんて」 

 そういう目で見ないで欲しいが、お母さんの言う事ももっともだ。

「あの子にはあの子の事情があるんでしょ」

「物分かりが良いのね」

 鼻歌交じりにキッチンへと消えるお母さん。

 自分でそうは思わなく、多分さっきの出来事が多少影響しているんだろう。

 気持ちが通じたというのが私の一方的な思い込みだとしても、少なくともそう思えるだけの出来事だったのは確かだから。



 ブリのしゃぶしゃぶをちまちま食べ、ふとTVに目を移す。

「誕生石って何」

「宝石メーカーの陰謀だよ」

 少し陰のある顔で答えるお父さん。

 一方のお母さんは、それこそ宝石のように目を輝かせてTVに見入っている。

 今映っているのは、2月の誕生石。

 私も2月なので、もらうとすればこれなんだろう。

「アメジスト?」

「紫色の水晶」

「高い?」

「物にもよるけど、水晶自体そう高い物ではないと思うわよ。上を見ればキリはないでしょうけどね」

 次に出てきたダイヤに、さらに目を輝かせるお母さん。

 というか血走ってきたので、赤ダイヤかも知れないな。

「お母さんの誕生石はダイヤなの?」

「違うよ。全然違うんだよ」

 細い声で答えるお父さん。

 やはりお母さんは聞こえてないらしく、TVのボリュームまで上げだした。

「綺麗だけど、あんまりピンと来ないな」

 くれればもらうだろうし、身に付けたいと思う物もある。

 ただこれにお金をつぎ込みたいとは思わなく、余程その分でご飯を食べた方が良い。

 勿論目の前に宝石が無いから言える事で、実際ダイヤを渡されたらそのまま走って逃げるかも知れない。

「ダイヤって、炭素だよね」

「鉛筆と同じだよ」

 なんか、ヒカルみたいな事を言い出すな。

「人工ダイヤって、あるじゃない。あれは駄目なの?」

「僕は良いよ。人工でも養殖でも」

 なんか、末期的になってきた。



 翌日。

 窓から差し込む白い日差しはいつもと同じ。

 顔の前で手を動かすと、やはりいつものようにはっきり見える。

 昨日の暗さは全く感じず、日差しの中に入るとむしろ眩しいくらい。

「……ああ、休みか」

 カレンダーで日付を確認し、それでもベッドから床へと降りる。

 軽く体を解し、一歩一歩慎重に歩いていく。

 特に体が揺れるような感覚はなく、周囲の景色もはっきりと見えている。

「大丈夫かな」

 パジャマを脱いで、クローゼットを漁りシャツとスカートを取り出す。

 何種類か入れ替え、コーディネートを考え最後に決めた組み合わせを身に付ける。

 まだ寒そうなので、セーターも取り出す。

 暦の上では春だけど、まだまだ本当の春は遠い。

 なんて、天気予報の枕言葉のような台詞が思い浮かぶ。


 軽い足取りで階段を下り、キッチンに入る。

 まだご飯を作ってる最中か、お母さんがまな板の上で小気味良いリズムで包丁を動かしていた。

「おはよう。ご飯、まだ出来てないわよ」

「ちょっと、散歩してくる。コンビニ行くけど、何かいる?」

「牛乳とタマゴお願い」

「分かった」


 少し寒いが気持ちの良い朝の風。

 日差しは少しずつ色を帯び、家々の緑が輝きを増していく。

「なー」 

 尾を上げて、塀の上を歩いていくシャム猫。

 猫は一瞬私を見下ろし、鼻を鳴らして駆け出した。

 それを追い掛けるほど子供ではないし、視力の不安もある。

 綺麗な背中を見送り、コートの襟を立てて歩いていく。


 穏やかな日差し。

 程よく冷えた、身の引き締まるような空気。

 少しずつ体が暖まって行くのを感じつつ、軽い足取りで猫の背中を追って行く。


 コンビニに付いた頃には猫の姿はどこにもなく、自分一人で店へと入る。

 それ以前に猫は入れないし、利用もしないだろうが。

 ドアのすぐそばにある、スポーツ新聞。

 「ボクシングヘビー級、日本人制覇」

 その見出しに思わず新聞を手に取るが、二つ折りになった下に

 「も夢じゃない」

 と続きがあった。

 この手の新聞かと、朝から脱力感を味わい棚へ戻す。

 他の紙面は、プロ野球やサッカーのオープン戦。

 今年はグランパスとドラゴンズのアベック優勝もあるらしい。

「リネカーjr・ピクシーjr。夢の2トップ」

 なにが夢かは分からないが、紙面のトップを飾るくらいなので余程大きな事なんだろう。


 雑誌を表紙だけ軽く眺め、そのまま戻ってレジの脇にある生鮮食料品のコーナーにやってくる。

 コンビニというよりはスーパー的な要素も強く、新鮮な野菜は勿論焼きたてのパンや手作りおにぎりなども売っている。

 平日の朝はサラリーマンや学生でかなりの賑わいを見せる店で、私もたまに利用する。 

 まずは卵、次に牛乳。

 当たり前だけど、結構重いな。

 ただショウはこのくらいを軽く一気飲みするので、ちょっと不思議な気分。

 朝から考える事でもないとは思うが。



 多少よろめきつつ家に辿り着き、キッチンへ卵と牛乳を運ぶ。

 牛乳は、もうワンサイズ小さくすれば良かったな。

「四葉君から、連絡があったわよ。あなた、端末もって行かなかったでしょ」

「ああ、そういえば。それで、何の用事?」

「さあ。実家に来てくれって。マンションじゃない方に」

 焼きあがった赤いウインナーを皿に乗せながら話すお母さん。

 特に急を要する用事は私には無いし、彼も急ぎならここに来ているはず。

 それほど大した事ではなく、珍しいお菓子でも手に入れたとかいう程度か。

「ご飯は?」

「食べるよ」

「そう。朝からデートとは楽しそうで結構ね」




 スクーターを屋根のある駐車スペースに止め、母屋を回りこんで庭へと向かう。

 私を見るや、芝の上を一目散に掛けてくる羽未。

 しかし飛び掛るような真似はせず、目の前で止ると背を向けてそのまま姿勢を低くした。

 どうやら、乗れという意味らしい。

 いや。全然違うかもしれないが、乗って悪い理由も無い。

 その背中にまたがると羽未はのそりと立ち上がり、ゆっくりとした歩調で歩き出した。

 毛並みは冬に比べて柔らかく、春に向けて生え変わっている様子。 

 日差しのぬくもりを毛皮が包んで、触っているだけで幸せな気分になってくる。

「なにしてるんだ」

 多少呆れ気味に私を出向かえるショウ。

 それに構わず、背中のリュックを降ろして彼に渡す。

「お土産」

「……卵が入ってるぞ」

「地鶏、地鶏」

「全然意味が分からん」

 首を振り、それを右肩で担ぎ顔ををそらすショウ。

 彼は頬を指先で撫で、数歩歩いて呟いた。

「ちょっと、待っててくれ」

「何かあるの?」

「すぐ戻る」

 リュックを押さえ、庭に面した縁側へ向けて走っていくショウ。


 下にいる羽未を覗きこむが、知らないという顔。

 知っているという顔でも、彼女から話を聞きだすのは難しそうだが。

「おはようございます」

 ダンベルを両手に提げて現れる御剣君。

 彼は玲阿家の遠縁に辺り、ショウとは兄弟のような付き合い。

 ここに顔を出す事も多い。

「ショウが慌ててるけど、何かあるの」

「俺からは、何とも。意味が分からないんですけどね、全く」

「何の」

「何もかもが」

 ダンベルを頭上まで持ち上げる御剣君。

 その方が私には分からないし、それ以前に持ち上げる事すら不可能だろう。

「お邪魔してもなんなので、少しよそに行ってます。羽未」

 名前を呼ぶが、返事無し。

 羽未は小さく欠伸をして、そのまま青くなり始めた芝の上に寝そべった。

「言う事聞かない犬だな」

「羽未。ちょっと用事があるから、向こう行ってて」

 背中から降りて軽く頭を撫でると、羽未は小さく鳴いて軽い足取りで走っていった。

「犬語ですか」

「そういう言い方をされると困るんだけどね」

「とにかく、また後で来ます。本当、訳が訳が分かんないんだよな」

 首を傾げながら歩いていく御剣君。



 その彼と行き違ったショウが何やら彼に話しかけ、いきなり回し蹴りを食らわせた。

 御剣君はそれを軽く避け、笑いながら母屋へと歩いていく。

「あの野郎」

「どうかしたの」

「い、いや。なんでもない。なんでもなくは無い」 

 どっちなんだ。

 ショウはさっきと同じく落ち着きが無く、視線を合わせようともしない。

 その代わりに、下の方から手が伸びてきた。

 そこには小さな箱が乗っていて、どうやら私にくれるという意味らしい。

「いいの?」

「そのために持ってきた」

「じゃあ、遠慮なく」

 ちょっと意味は分からないが、拒む理由も無いし彼の好意は単純に嬉しい。

 しかしこういう箱は見覚えが。


「え」


 目の前を過ぎる紫の燐光。

 透き通った水晶の中を駆け巡る、春間近な日差し。

 小さく、だけど澄んだ色の水晶が輝きを放ちながら私の手の中にある。

「紫……。アメジスト?」

「え、知ってた?」

 声を裏返して尋ねてくるショウ。

 彼としては意表をついたらしく、これは私も少し失敗したか。

 ただ同年代の女の子なら、自分の誕生石くらいは知っているはず。

 この辺の彼の世慣れてなさが、逆におかしくもあり嬉しくもある。

「昨日、ちょうどTVで観てね。これ、高くないの?」

「原石を削ったから、元手は掛かってない」

「元手って、原石自体は必要でしょ」

「偶然手に入ったのを削った」

 まだ声を裏返しながら話すショウ。

 それに頷きながら、綺麗に光り輝くアメジストをそっと手に取る。

 光の入り方により辺りへの光の散り方も変わり、これ自体が光を放っているよう。

 宝石としての価値は分からないが、私にとっては何百カラットのダイヤよりも嬉しい贈り物だ。


「ありがとう」

「い、いや。その、誕生日からは、ずれたけど」

「そういう意味でなの?」

 誕生日には、彼からもプレゼントを受け取っている。

 それが代用とは思えないが、確かに誕生石なので誕生日とは大いに関係があるか。

「でもそんな簡単に削れるものなの?」

「機械さえあれば、何とかなる」

 ちょっと落ち着きを取り戻した口調。

 そこに、半笑いの御剣君がやってくる。

「紫色だったんだ」

 驚きの声を出し、私の手の中で輝くアメジストを見つめる御剣君。

 ただそれは色に対しての驚きであって、宝石自体にはあまり興味は無いらしい。

「何か知らなかったの?」

「宝石なんて、ダイヤくらいしか知りませんし。紫色って、サファイヤでしたっけ」

 ちなみにアメジストは、私の小指の先くらいのサイズ。

 これでサファイアなら、さすがに私も笑ってる余裕は無いともう。

「お前はいいんだ。雑草でもむしってろ」

「しかし、宝石を送るって柄かな」

「う、うるさいな」

 それはショウも自覚をしてたらしく、少し口ごもる。

 追い討ちを掛ける台詞がさらに。



「よう、誰だ。女に宝石を送るっていう軟派野郎は」 

 なぜか木刀片手に現れる風成さん。

 まさかこれでショウを懲らしめるつもりでは無いと思うが、さすがにこの人が持つと威圧感がある。

「俺は、ただ。その、アメジストが誕生石って聞いたから」

「何だ、誕生石って。宝石メーカーの陰謀だろ、そんなのは」

 どこかで聞いたような台詞。

 それは確か、妻帯者が言ってたような気もする。

「風成さんは、流衣さんに送らないんですか」

「今言っただろ。宝石を送るなんて、軟派野郎のやる事だって。なあ、武士」

「俺達に、そういうのは似合いませんよ」

「お前、話が分かるな」 

 肩を組んで大笑いする馬鹿二人。

 私がこの人達の彼女か奥さんだったら、この場で飛び蹴りの一つでも食らわしてるな。


 満を持してというべきか。

 不意に日が翳り、周りが薄暗くなる。

 今まで降り注いでいた日差しは消え、私達は影の中へと落ちていく。

「随分、楽しそうね。私も混ぜて」

 刃のような声が、日の落ちた芝から這い上がる。

 風成さんは木刀を担ぎ直し、腰を落として流衣さんと向き合った。

「お、俺は自分の考えを言ったまでだ。なんか、間違ってるか」

「全然。私も別に大して興味は無いわ。でも、武士君に余計な事を吹き込まないで」

「余計って。それは、その。いや、そうだな。女性は大切にしないとな」

 木刀越しに手刀を振り下ろされ、がくがくと頷く風成さん。 

 流衣さんはそのまま視線を御剣君に向け、愛想良く。

 愛想がいいくらいに微笑んだ。


「今の話、聞いてた?」

「俺、彼女いないし。興味も無いし」

「いるとかいないとか、興味があるとか無いとかじゃないの。女性は大切にしなさいという話。なにより、あなた達みたいに強くも無いしか弱いんだから」

「か弱いって、誰が」

 言葉が終わる前に手刀が、御剣君の首筋へと添えられる。

 本当、彼の言ってる事は何一つ間違って無いと思う。

 この場で反論した事以外は。

「わ、分かった。女性万歳」

「……誰も、そんな事は言って無いわよ。本当、あなた達はがざつなんだから」

「ちっ。四葉、お前のせいだ」

「全部四葉さんが悪い。この世の諸悪の根源だ」

 そう言って、ショウに飛びつく二人。

 動物もののドキュメンタリーで見た、狼のじゃれあいがちょうどこんな感じだったな。

 見た目には愛らしく微笑ましいけど、人間が中に入れば数秒で命がなくなる。



「本当、全く」

 しみじみとため息を付き、私の手の中を覗き込む流衣さん。

 彼女は私に断りを入れて、そっとそれを掴んで晴れ始めた空にかざした。

「思ったより透き通ってるわね」

「原石から削ったって言ってたけど、本当ですか?」

「研磨機さえあれば、そう難しくは無いらしいわよ。綺麗にカットする事を考えなければね」

 彼女が言うように、アメジストの形は多少不恰好。

 丸みを帯びているもののアンバランスで、均一な曲線でもない。

 その辺りがいかにも手作りという気分もするが。

「風成は、多分思いも付かないでしょうね」

「でも、宝石メーカーの陰謀って言ってましたよ」

「誕生日の時に自分で買って、請求書だけ送りつけたのよ」

 何やら怖い事を言って去っていく流衣さん。

 ショウ達はまだ取っ組み合いをやっていて、当分は収まりそうに無い。

「ばう」 

 いつのまにか私の足元に寄り添っている羽未が、飽きたとばかりに小さく吼える。

 私はその頭を撫で、アメジストを握り締めて歩き出す。

 彼の優しさに感謝して。

 その変わらない心にも。

 変わらない、自分の気持を込めて。 




「アメジストを贈っただ?この野郎、どこでそんな手口を覚えやがった」

 リビングの床で、ショウの首を後ろから締め上げる瞬さん。 

 どうでもいいけど、手口という言い方は止めて欲しい。

「大体アメジストだって、そんな安い物でも無いだろ」

「知り合い、から、もらった。原石を」

「誰だ、それ。密輸商か」

 なんか怖い話になってきたな。

 大体原石って、密輸商から買うものなのかな。

「どういう意味なんですか?」

「都市部はともかく、銀行も商店も無い場所ではお金を持っていても仕方ありませんからね。砂金や宝石で、その代わりにする訳です」

 じゃれあう二人を微笑ましげに見つめる月映さん。

 さすが元情報将校だけあり、こういう事には詳しいな。

「月映さんも、誕生石を贈った事は?」

「兄貴はすごいぞ。当時はポケットにありとあらゆるアクセサリーを持ってて、相手の生年月日が分かるとそれを」

 風のような素早さで瞬さんの後ろに周り、その首を締め出す月映さん。

 一家揃って楽しそうで結構だ。

「なにがしたいのかしら、全く」

 それとは関わらず、至って冷ややかな流衣さん。

 ただその膝元には、宝石を特集した通販雑誌が載っている。


「それで原石は、誰から手に入れたんですか?」

「良く分からないけど、背の高い綺麗な女性が恭しく持ってきてたわね」

「金髪で目の青い」

「そう。知ってるの?」

 曖昧に頷き、少しの疑問も胸の中に生じる。

 玲阿家と同じルーツを持つと言っていた女性。

 ここまで来ると、本当に関係があるのかもしれない。

「玲阿家の祖先だって言ってませんでした」

「そこまでは聞いてないし、先祖のレイアンさんにしろあくまでも伝承よ。当時はすでに鎖国が始まっていたし、どうなのかしら」

「そうですよね」

 すると、また別なルート。

 ただ外国人に知り合いはいないし、会うのは英会話の教師くらい。

 いや。そうでもないか。


「その人、クリスチャンでした?」

「みたいね。何か言うたびに胸元で印を組んだから」

 そう言って胸元で十字を切る流衣さん。 

 彼女がやるとさまになるが、私がやるとかゆいのかと思われそうだ。

「贈り主は分かりました。理由は分からないけど」

「誰?」

「多分、シスター・クリスだと思います」 

 彼女がショウに何らかの思いを抱いていたのは間違いない。 

 ただそれを成就する事が出来ないのは、本人が一番分かっていた様子。

 自分のわがままを押し通すにはその存在が大きくなりすぎ、何より私という存在を彼女は認めてくれた。

 あれから1年以上経っている今、何故という疑問が沸き起こる。



 ショウの部屋で二人きりとなり、気になっていた話。

 流衣さんから聞いた事を尋ねる。

「結局原石は、誰から手に入れたの」

 この質問にそれ程慌てる様子も無く、ただ少しだけ表情を厳しくさせるショウ。

 床に座っていた彼は私の方へと向き直り、姿勢を正した。

「聞いたと思うけど、シスター・クリスの代理って人からもらった」

「どうして?」

 あまりにも立ち入った質問。

 彼の気持。

 そして贈った彼女の気持をないがしろにしかねない。

 ただ、今の私にはそれを聞く権利はあると思う。

「隠してた訳じゃないけど、口外するなとも言われてたから黙ってた。彼女の警護に付いてくれと頼まれた」

 苦笑気味に話すショウ。

 これ自体は以前来日した時にも会った話。

 それはすなわち、彼女の彼に対する思いでもある。


 たかが高校生の私。

 そして方や世界的VIPのシスター・クリス。

 どちらを選ぶかは彼次第で、これに私が異議を唱える事は出来ない。

 日本で軍に進むよりも将来の展望は圧倒的に開け、やりがいも何もかもが違うと思う。

 何よりシスター・クリスのために働く。

 その指名を受けて働くという意味は、私にもどの程度の価値があるかは理解出来る。

 あれから1年以上経ち、彼がその申し出を受けても不思議ではない。

 世界的VIPであり、人間的にも優れ、容姿も端麗。

 その護衛ともなれば名誉と栄光は有り余るほどで、命を賭けても惜しくは無い仕事だろう。


「俺は、そういう柄じゃないから断った」

 あっさりと。

 何の惜しさも感じさせずに答えるショウ。

 彼は床にあった小さな紙袋を手に取り、その中から違う石を取り出した。

「こっちは、」

「ショウの誕生石?」

「ああ」

 胸の中に湧き上がる切なさと苦しさ。

 私は彼女のような存在では無いし、とてもその足元にすら近づけない。

 だけどその思いは、今自分の事のように感じられる。

 相手を思い、慕い、焦がれ。

 それでも自分から下がる彼女の気持。

 思うからこその行為。

 それが尊くもなければ、人からすれば単なる諦めと取るかもしれない。 

 だけど世界中で誰一人彼女の気持を理解しなくても、私だけは分かっている。

 このアメジストのように澄み切った輝きを放つ心の内を。


「本当にいいの?」

「言っただろ、そういう柄じゃないって。俺は日本で、ちまちまやってるのがせいぜいだ」

 原石を大切そうにしまい、変わって士官学校のパンフレットを手に取るショウ。

 ただどちらにしろ、彼が進む道は人のために尽くす事。

 その先には困難と苦悩ばかりが付きまとうような気もして、私からすると諸手を上げて歓迎するとまでは言えない。

 ただし将来をどうするかは私が口を挟む事では無いし、それで進路を変えるような信念であってほしくもない。

 どちらなんだという話だが、そういう矛盾した進路に彼は進もうとしている。

「それに代理の人の話で、本人が警備をしてくれって言った訳じゃないらしい」

「そうなの」

「第一、俺が警備しても仕方ないだろ」

 明るく笑い飛ばすショウ。


 仕方なくは無いし、女性の心の機微にはおおよそ疎いのと改めて理解した。

 とりあえずシスター・クリスの代わりに彼の頭を軽くはたき、彼女の無念を晴らす。

「な、なんだ?」

「なんでもいいの。それより、これはどうやって削ったの」

「木之本が研磨機を持ってたから、削る部分のベルトを固いのに変えてこうやって」

 指先で何かを挟むような仕草をして、手前に出すショウ。

「どうして、原石なのかな」

「本物は高いから、って理由でも無いだろうな」

 彼女自身は慎ましやかな生活をしているだろうが、財団には莫大な寄付金が世界各国から集まってくるはず。

 それを私達個人への贈り物に使うのは問題があるにしろ、それこそ何十カラットのダイヤも寄付されていると思う。


 あえて原石を選んだところに彼女の意図。

 思いが込められているような気もする。

「とにかく、ありがとう」

「いや。俺は削っただけだから」

 あくまでも謙遜するショウ。

 プレゼントを贈るという柄でも無いし、それを押し付けがましくするタイプでもない。

 言ってみれば、不器用な人生を歩んでいるんだと思う。

 人が良い分損もしているようだけど、見ている人はちゃんと見ている。

 アメジストを強く握り締めながら、私はそう思う。


「サトミは、何も言ってなかったけど」

「そうか?」

 突然げっそりした顔で呟くショウ。

 知らなかったのは私だけで、あの子はあの子で相当口を挟んだ様子。

 天才少女が聞いて呆れるな。

「サトミにも贈られてきたの?」

「8月の誕生石が。惜しいとかいって、削った部分まで持って帰ろうとした」 

 この場合思いはサトミからシスター・クリスという流れなので、気持としては分からなくも無い。

 ただし削り取られたのは、ただの石。

 そこにまで価値を見出すようには、シスター・クリスも意図していないだろう。

「分かんない子だな。……じゃあ、玲阿家の子孫って言うのはどうだったの」

「なんだ、それ」

 今聞いたという顔のショウ。


 これは全くの嘘か。

 それとも、彼にだけ明かさなかった話。

 いや。もしかして、その代理とかいうのも彼に入れ込んだんじゃないだろうな。

 ちょっと待てよ。

「あの金髪のお姉さんから、個人的に何かもらった?」

「もらったっていっても、これを」

 立ち上がりローボードの上にあった小さな棚から、金のロザリオを取り出すショウ。

 これはまた重いな、色んな意味で。

「どういう意味なの?」

「さあ。全く」

 本当にここまで鈍いというか、尽くし甲斐の無い人もそうはいないな。

 ただ、あの金髪美人もただ見に付けたものを渡した訳ではないはず。

 どこかに何か。

「……これは?」

 ロザリオを上下逆にして、その交差している部分。

 良く見ると、多少雑だが、何か彫り込まれている。


「……Cか」

 Rでもないし、Lでもない。

 Cならクリスか、キリスト。

 どうも、疑心暗鬼になりすぎていたようだ。

 ただ、これはこれで彼女の思いが詰まったものだ。

「これは大切に取っておいて」

「ん、ああ。でも俺、クリスチャンじゃないぞ」

「いいから、大切にするの」

「ああ」

 訳が分からんという顔で棚に戻すショウ。


 ショウ?

 ローマ字にすると、SYO。

 ただこれは日本人がローマ字に変換した場合。

 何より彼の本名は、四葉。

 ローマ字すると、SHIYOUだが。

 CIYOU、と書く人もいるかもしれない。

 まさか考えすぎだろう。

 しかしそれにしては、あの削った後が新しすぎる。 

 ちょっと、汗が止らないのは気のせいだろうか。



 実家に戻り、お母さんに飛んで逃げられる。

「うなー」

 私の足元で鳴き声を上げるコーシュカ。

 今日は家族で出かけるので、代わりに私が預かった。

 お手伝いさんや弟子の人もいるけど、私が預かってもいいじゃない。

「と、虎っ。虎が出たっ」 

 こんな小さい虎はいないし、しまの無い虎なんて見た事無い。

 こんな大きい猫も、そう見ないだろうけどね。

「大丈夫。逃げないように、ロープでつないでおくから」

「す、捨ててきなさいっ。今すぐに」

「捨てないっていうの。大体こんなの外に放したら、捕まるよ」

「私達が掴まって、食べられるんじゃないの」

 異様に警戒して、キッチンから包丁を持って出てくるお母さん。

 多分コーシュカには何の意味もなく、それ以前にお母さんを見てもいない。


「ショウの家では、何度も会ってるでしょ」

「その猫は避けてきた」

 確かにそれ程親しみやすい目付きではないし、初めての人は大抵逃げ出す。

 当然肉食だし、この子が本気になれば私など晩御飯にもならないだろう。

「大丈夫。トイレのしつけもしてるし、暴れたら私が抑えるから」

「あ、暴れる?」

「本当に、大丈夫。この子のご飯はもらってきたから、私の分だけ用意して」

「あ、あなたは大丈夫でも」

 開く玄関のドア。

 それきり何の反応もなく、何かが床に落ちる音だけがする。  

 振り向くと、目を丸くしたお父さんが直立不動の姿勢で固まっていた。

「バッグ、落としたよ」

 全然反応はなく、足元にまとわり付いているコーシュカを見ようともしない。

 我が家は、間違いなくこの子のご飯にしかならないな。


 本当は放し飼いにしたいが、二人が露骨に嫌な顔をするのでリビングの柱にロープを固定してご飯を食べる。

「うー」

 低い声で唸りだすコーシュカ。 

 どうやら、ご飯の匂いに反応したようだ。

「はい、はい。今上げるから」 

 床に新聞を敷き、冷蔵庫から骨付きの牛肉を取り出しその上に置く。

「うぅーう」

 唸り声を上げながら、骨ごと齧っていくコーシュカ。

 どうでもいいけど、カルシウム取りすぎじゃないのかな。

「お、怒ってない?」

「ご飯の時は、いつも唸ってるよ。ちょっと、こぼさないでよ」

 新聞から飛び出た骨を戻し、コーシュカの背中を軽く撫でる。

 しかし食べている最中に触られたのが気に食わなかったのか、今度は私を睨んで唸り出した。

 ほう、随分良い態度だな。

「あなた、私とやる気なの」

「うぅー。みゃー」

 なにやら可愛い声を出すコーシュカ。

 別段私の貫禄が勝った訳ではなく、お肉ごと新聞紙を下げようとしただけ。

 どうもこの子は自分が一番偉いと思ってる節があり、またその可愛さが人間に通用しているのも分かっている様子。 

 実際私もすぐにお肉を彼女に戻すので、いいように使われている気はする。



 ご飯を食べ終え、デザートのイチゴを食べながらTVを観る。

 コーシュカは私の隣で、ソファーの上に丸くなっている。

 こうしていると野生も何もなく、少し厚めの座布団といった風情。

 TVから聞こえる、鳥の羽ばたく音。

 動物もののドキュメンタリーで、それを狙ってチーターが走り出す。

「ふぅーっ」 

 突然飛び起き、天井まで跳ね上がるコーシュカ。

 寝ぼけてるな、間違いなく。

「うわっ」

「きゃっ」 

 ソファーから転げ落ち、魂が抜けたような顔をしている二人。

 どうも、これ以上の刺激はお互いに与えない方が良さそうだ。

「私、部屋に戻るね」

「大丈夫?」

「朝起きたら、いないってオチじゃないでしょうね」


 怖い台詞を受けて、ベッドにもぐりこむ。

 コーシュカも布団に入ってきて、喉を鳴らして私にしがみついてきた。 

 でもそれは始めの内だけ。

 やがてお互いに力が抜け、とろけるようにして重なり合う。

 大騒ぎしたのも、ケンカをしたのも遠い過去のよう。

 今はただこのぬくもりが全て。

 一瞬脳裏をよぎる、アメジストの輝き。

 澄み切った、だけどこの暖かさに似たぬくもりを感じさせる。






   







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