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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第35話
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35-6






     35-6




 午後からはグラウンドでの種目。

 少し空気は冷たいが、日は差していて冬にしては暖かな陽気。

 体を動かすにはちょうどいい日かも知れない。

「ここからは、私達も参加するわよ」

 ぐっと私に近付いてくるサトミ。

 仮想敵とされているようだが、色んな意味で勝負にならないと思う。

「まずはこれ」

 やってきたのは、さっきぶつかりそうになったソフトボールの遠投。

 私はやや苦手で、肩はかなり弱い方。

 短い距離でスティックを投げるくらいならともかく、遠くへ飛ばす体力も技術も持ち合わせてはいない。

「取りあえず、私から」

 ソフトボールを握り、大きく振りかぶるサトミ。 

 太陽とボールと彼女の黒髪が直線で結ばれ、白い光に包まれる。 

 それまで冷たい視線を向けていた周囲の生徒が思わず見とれてしまうような姿。

 彼女は大きく一歩踏み出し、黒髪を辺りへ広げながら勢いよく腕を振り切った。


 鈍い音を足元で立て、ころころと目の前を転がっていくボール。

 地球に恨みでもあるのか、この人は。

「真面目にやりなさいよ」

 くすくす笑いながらからかうモトちゃん。

 サトミはそれでも真剣な顔でボールを拾い上げ、似たようなフォームでボールを投げた。

 今度は多少前には飛んだが、距離としては子供のキャッチボール程度。

 言いたくは無いが、ここまで見掛け倒しな人も珍しい。

「文句があるなら、やってみなさいよ」

「無くてもやるのよ」

 苦笑気味にボールを受け取り、サトミほどは無理をしないフォームで投げるモトちゃん。

 どうも付き合ってる人間の影響か、前よりはスポーツが上手くなっている。

 距離としては物足りないが、ボールはきちんと前に飛び特に問題の無い記録も出た。

「ボールを投げただけじゃない」

 それはもういいんだって。


 欲を掻いたのか、2投目がファールになったところで私にボールが回ってくる。

「言っておくけど苦手だし、無理しないからね」

「分かったから、ボールを。……握れるの?」

 私の手の平にボールを置き、そのまま顔を寄せていくサトミ。

 一応掴もうと努力はしているが、さっきの握力計同様ボールに指が回らない。 

 こうしてお椀を持つような格好には出来るが、振りかぶった途端下へ落ちる。

「力強く掴めば。……ああ、握力が無いのね」

「困ったわね」

 深刻な顔で話し合う二人。

 からかっているのか本気なのかは知らないし、どっちも勘弁してほしい。

「投げるだけなら出来るから大丈夫」

 二人を下がらせ、ボールを腰の辺りまで下げて腕ではなく体を大きく横へ振る。

 ある程度加速がついた所で腕を振り、遠心力を利用してボールを手の平に吸い付かせる。

 そのまま大きく振りかぶり、ややアンダースロー気味なフォームでボールを投げる。


 大きく弧を描いて空に舞い上がるボール。

 やや上に角度が付き過ぎたが、それでもモトちゃんの位置はかろうじて越えてボールは地面に落下した。

「今の反則よ。円盤投げじゃないんだから」

 何だ、反則って。 

 そんな事を言うなら、あのどたばたした投げ方だって反則だ。

「記録は記録ですので」

 知らんとばかりに首を振る測定員。

 後ろには列も出来ていて、サトミも抗議は通らないと思ったのか私をきつく睨みつけて足早に歩き出した。

 本当この視線と比べれば、周りからの冷たい視線なんて春の日差しみたいなものじゃないのかな。



 次にやってきたのは鉄棒。

 小学生なら、逆上がりという種目もあるんじゃないのかな。

 今は何人もの生徒がぶら下がり、合図と共に必死の形相で懸垂に励んでいる。

 これはまた、私に不向きな種目だな。

「はい、次の方」 

 ちょうど空いている3つの鉄棒の下に立つ私達。

 女子は斜め懸垂だと思っていたが、鉄棒の位置まで顎を上げる普通のスタイル。

 ステップを使って鉄棒を掴み、隣の二人を眺めている。

 この時点で二人とも息が荒く、やや緊張気味。

「では、始めます。ステップをどかして」

「きゃ」

「わっ」

 いきなり叫ぶ二人。

 でもって息使いがさらに荒くなっていく。

「では、始めます」

 合図をされるが反応なし。

 二人とも足をじたばたさせるが、上がるどころか疲労感が増していくだけ。

 私はもう上がる気すら起きないので、だらしくなくぶら下がるだけ。

 蹴上がりなら出来るんだけどね。


 これはもう駄目だなと思っていると、視界の下に半笑いの顔が映った。

「天才少女とカリスマリーダー。それがこの様か。ファンが泣くね」

 ちくちくとからかうケイ。

 さすがに二人ももがくのを止めて、彼を睨む。

「睨むなよ。さて、こっちの天才格闘少女はどうかな。っと」

 私が振り上げた足を避け、げらげら笑うケイ。

「干物だね、まるで」

 彼の隣に並び、多少好意的に笑うヒカル。

 それにはさすがに馬鹿馬鹿しくなり、まずは私が地面へ降りる。

 もがいていた二人もだらしなく地面へ落ちて、腕を押さえながらケイ達のところへ歩いていく。

「誰が干物ですって」

「冗談だよ、冗談。それで、記録は」

 今まで何を見ていたのか聞いてみたいが、それはもう今更の話。

 何秒ぶら下がれるかって種目と勘違いして無いだろうな、この人。



 苦笑気味に前に出て小さく飛び上がるショウ。

 彼が掴んだのは、一番高い鉄棒。

 その周囲には、いつしか彼と同じくらいの体格の大男が鉄棒にぶらさがっている。

「では、始め」 

 合図と共に懸垂を始めるショウ達。

 スピードではなく回数をこなす種目だが、今のところは誰もがかなりのハイペース。

 ただ変に間を置くよりは、早くやった方が腕への負担は少ないかもしれない。

 20回を越えたところで半分が落ち、ペースもゆったりとしてくる。


 筋力は並外れているが、その分体重も重い。

 それでも彼はペースを崩さす、黙々と懸垂をこなす。

 最後の一人が落ちたところでショウも鉄棒から手を離す。

 すでに回数は50回を越えていた。

 記録としては意味はあるが、ここまでくれば50回も100回も同じ。

 実際彼は、100回までこなす事も出来るだろう。

「この野郎」

「すごいな、お前」

「負けたぜ」

 なにやら台詞を残しながら去っていく大男達。 

 今気付いたが、さっき私のそばに来ていた男女と同一系統のグループの様子。

 間違いなく私やショウに、勝負を挑んでいる。

「SDCかな」

「みたいね」

「雪が降ってきたよ」

「みたいね」

 話にならないサトミを放っておいて、ストップウォッチを握り締めている木之本君に話を振る。

「何か聞いてる?」

「噂は多少。浦田君が関わってるって」

「またそういう話か」

「危害を加えるという事ではないらしいよ」

 それはそうかもしれないが、一方的に勝負を挑まれてもあまり楽しいものではない。


 いや。戦いに没頭出来る瞬間は確かに燃え上がるが、その裏に何らかの意図があるのは面白くない。

 言い方を変えれば、勝負を汚されたような気になる。

「SDCが関わってるって事?」

「僕も詳しくは知らないけど、SDCが雪野さんと玲阿君に勝負を挑むって」

「なんのために」

「さあ。お金が動いてるとも聞いたよ」

 苦笑しながら教えてくれる木之本君。

 彼が怒らないのを見ると、不正なお金の動きではない様子。

 ただ自分達の知らないところでそういう事をやられるのは、あまり楽しいものではない。

「ちょと、こっち来てよ」

 懸垂を終えて腕を押さえているケイを呼びつけ、彼の鼻に指を突きつける。

「SDCが何か関係あるの?」

「悪い事じゃないし、俺が始めた訳でもない。それに、殴りあうよりはましだろ」

「勝手な事をされたら迷惑だって言ってるの」

「本当、そう言ってやってくれよ」

 げっそりした顔でそう呟くケイ。

 彼は彼で悩んでいるようだが、それは彼の問題。

 私が思い悩む事ではない。


「とにかく、どうにかして」

「これでも妥協した方だ。本当に」

 何が本当かは知らないが、ため息を付いてその場にしゃがみ込んでしまった。

 演技にしては真に迫ってるし、多少疲れがたまっている様子。

 それに彼の言う通り、実害めいたものは別にない。

「一つ貸しだからね」

「俺からの貸しは、いつ返してくれるんだ」

 それには答えず、肩を押さえているショウの側へと並ぶ。

「今の話、聞いてた?」

「ああ。追われる者は辛いらしい」

「何それ」 

 彼には似合わないというか、彼の思考や人間性からは出てこない台詞。

 ただ「らしい」と付いているので、彼自身の言葉では無さそうだ。

「と、三島さんが言ってた」

「いつの話、それ」

「さっき。ユウが来る前に」

「学校に来てたの?なんで」

「そこまでは知らない。ただ言いたかった事は、今実感してる」

 今時実感されても困るが、三島さんにしろ彼にしろ始終プレッシャーに晒されているのは間違いない。

 強さは権力の象徴で崇拝の対象かも知れないが、それはすなわち標的であり嫉妬やねたみの対象でもある。

 私ですらその対象になっているようなので、彼やサトミの精神的な負担は想像も出来ない。


「大変だね、色々」

 思わずさっきの小谷君のような台詞が出る。

 しかしこれ以外には何も言いようが無く、私に出来るのはただ彼の肩を揉むくらい。 

 いや。揉もうとしたけど、手が届かなくて肩甲骨辺りを撫でて終った。

「くすぐったいんだけど」

「じゃあ、屈んでよ」

「おんぶか」

「あのね」

 それでも彼が腰を屈めたので、背中に手を回して首筋辺りを軽くさする。

 ハードなトレーニングをしている割に筋肉は柔らかく、ボディビルダーのようなごつごつした感じも無い。

 ただ以前も思ったが細かい傷は数知れず、中にはかなり深い傷もある。

「傷多いよね」

「毎日殴られてるからな」

「まだ、玲阿流では一番弱いの?」

「とにかく、上がすごすぎる」

 瞬さんや水品さんは別格にしろ、それ以外の門下生でも試合に出れば大抵の競技で優勝を修めるレベル。

 強い人しか弟子に取らないという事と、元々強い人しか集まってこないという理由。


 後は玲亜流の本質的な部分。

 彼らの理念に礼節を重んじるという文言は無く、最終的な目的はただ一つ。

 人を殺す事としている。

 殺伐とした、おおよそ現代に生きる人達とは思えない思想。 

 実際彼らが人を殺して回っている訳ではないが、この時点で他の格闘技や武道とは根本的に気構えが違う。

 優先されるのは勝つ事であり、卑怯とかルール違反という言葉は玲阿流にはない。

 私はRASレイアン・スピリッツ出身なのでそこまで染まってはいないが、先生が玲亜流を修めている水品さんのため技術的な面においてはやはり他の格闘技とは一線を画す。


「うっ」 

 どこかで聞こえる低い悲鳴。

 何かと思ったら、ショウが首筋を押さえて地面に倒れそうになっていた。

 一体何事かといえば、私が頚動脈に指を突き立てていたから。

 どうも玲阿流の事を考えている内に、おかしな事になっていたようだ。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫な訳あるかっ。一瞬目の前が真っ白になったぞ」

「油断してるからでしょ。いつ何時、敵が襲ってくるかも分からないんだから」

 われながらひどい言い訳だと思いつつ、起き上がってきたショウの首を改めて揉む。

 普通の人ならここで警戒して逃げ出すのだが、彼は多少びくびくしつつも私から離れようとはしない。

 こういう所がなんというのか、格好良いし思わず声を上げたくなってくる。

 などと興奮するとまた指を突き立てるので、少し押さえて深呼吸する。

「試合はどう?」

「俺は出たくないけど。強制的に出場させられるんだろ」

「ケイはそう言ってたけどね。その日は休めば」

「休んで解決するなら、俺はどこまでも逃げる」

 冗談っぽく言って笑うショウ。


 ただし彼が今まで何かから逃げた記憶は無い。

 それは玲阿家の家訓、「引くこと無かれ」という部分に感化されているのが大きい。

 後は私達が、彼に逃げ道を与えていないせいだろう。

 私はともかく、サトミやモトちゃんからそう簡単に逃げられるとは思えない。




 再び室内へと戻り、今度は柔軟系。

 まずは前屈で、測定用のバーをぐいぐい下へ通していく。

 顔が膝についたところで、腕の長さに限界が来る。

 つまり同じ柔らかさでも、腕の長い方が有利だと思う。

「酢でも飲んだの」

 おおよそ天才少女らしからぬ事を言い出すサトミ。

 この子も固くは無いが、それほど柔らかい方でもない。

 ただあれだけごろごろ転ぶんだし、少し柔らかい方が怪我をしなくていいとは思う。


 そんな事を思っている内に、ショウの番が回ってくる。

 隣はいかにもといったアンコ型。 

 確かに相撲取りは柔らかいって言うけど、今回に限っては間違えてると思う。

 私同様、膝に顔が付く位置まで体を前に倒すショウ。

 これにはさすがに、周りから感嘆の声が上がる。

 隣のアンコ型も頑張ってはいるし、多分柔らかいとは思う。

 ただそのお腹に阻まれ、傾くところか反動で跳ね飛ばされて後ろに転がった。

 一体、何がしたいんだか。


 今度は上体反らし。

 さっきも思ったが、もともとの身長が低いので伸びあがれる距離にも限界がある。

 私が精一杯伸ばすのと、サトミが必死で伸ばす長さ。

 上体が長い分、サトミの方が有利と言える。

 勝ち負けじゃないけどね。

「はは、今度は負けないぜ」

 再び現れる相撲取り。

 ただ大抵の人は予想をすでに想像しているのか、諦めムード。

 そんな中ショウが大きく上体を反らし、高記録を叩き出す。

「まあやるようだが、本当にすごいところを見せてやる」

 床に寝そべるアンコ型。

 両手を浮かす前に、お腹で体が浮き上がる。

 こうなるともう誰も笑う気にもなれないのか、ただため息ばかりが漏れる事となる。

「あれも、SDCなの?」

「こっちが選んだ訳じゃない。向こうが勝手に張り合ってるだけだ」

「張り合うも何も、一人相撲じゃない」

「上手いね、どうにも」

 そう言う割には笑いもせず、何もしないのに大汗を掻いて立ち上がる相撲取りに醒めた視線を注ぐケイ。


 彼のデータを確認するが、ほぼ平均といったところ。

 人間性はともかく、身体能力としてはごく普通だ。

「木之本君は?」

「僕も、浦田君と大差ないよ」

 若干ケイよりは上回っているデータ。

 ただ彼は、勉強も出来てこの数値も併せ持つ。

 サトミのように頭は良いが運動は駄目という訳でもなく。

 私やショウのように、運動は出来るけど勉強はいまいちではない。


 どちらもそつなくこなし、かつ性格も温厚。

 非常にバランスの取れた、ある意味理想的な人なのかもしれない。

 ただ温厚すぎて、色々不利益をこうむる事もあるようだが。

 その辺は、隣で薄笑いを浮かべている人も似たようなもの。

 成績や身体能力では木之本君に劣るし、性格もこの通り。

 ただ陰で善行を積んでいるという話もあり、ごく一部では意外に評価が高い。

 また一部では、彼を敵とみなして活動するグループもあるらしいが。



 一通り終えて、また休憩。

 何気なくショウのデータを確認しようとしたら、周りに人が集まっていた。

 見たところ、さっきまで私や彼に勝負を挑んできた人達。

 どうも、データ上での勝負も望んでいるらしい。

「見ても良いけど、多分後悔するよ」

 事前に釘をさすが、聞いている顔は一つも無い。

 仕方ないので、上から数値を読み上げていく。


 その一つ一つに「勝った」という歓声が上がり、拍手が起きる。

 そう。個々の数値さえ見るなら、彼を上回る人はいなくもない。

 個々の数値を見るのなら。 

「で、この人に勝ったのは誰?」

 周りに集まっている大男や大女が一斉に手を上げる。

 自信が無ければ勝負に挑むはずはなく、ある意味当然の結果。

 ただ何度も言うが、それは個別での種目。

 彼らの得意分野で上回ったに過ぎない。

「じゃあ、幾つ彼より上だった?1つの人」

 これは全員が手を上げる。

「二つ」

 いきなり半減。

 3つでさらに数は減り、4つになると殆どいなくなる。

「5つ、はいないね」

 静まり返る廊下。

 うなだれるクラブ生達。 


 彼らの自信の源は、その身体能力の高さ。

 人より上回るという自信が彼らを育て、より高みへと上らせる。

 それが慢心を生む事もあるが、終る人はそこで終る。

 終らなかった人がより高みに登り、その自信ゆえショウに勝負を挑んできた。

 自分達の誇りを賭けて。

 個々の種目では、確かにショウを上回った。

 そのプライドは保たれたと思う。


 だがトータルで彼を上回った人は一人もいない。

 そして彼の成績は、どれもが2番か3番。

 負けはしたものの、その実力は自ずと知れる。

 彼という存在をも。

 バランスの取れた、圧倒的な身体能力。

 奢らない心。

 戦う意思。

 彼の強さ、そして大きさを。

「負けたぜ」

「すごいのね」

「お前に乾杯」


 最後のはともかく、彼らがショウを認めてくれたのは間違いない。

 SDCとしてではなく、彼ら個人が認めてくれた。

 私達にとって必要な事。

 何より大切なのは、その事ではないだろうか。

「ちなみに、ユウより高く跳べた人は」

 サトミの質問に手を上げたのは三人程度。

 全員いかにも全身これバネといった、長身で引き締まった体型。

 私が隣に並べば、ガリバー旅行記を思わせるくらいの身長差があると思う。

「ショウも良いけど、彼女の事も認めてあげて下さいね」

 なにやらフォローに回ってくれるサトミ。

 勝負だなんだと言いながら、最後には優しいところを見せてくれた。

 思わず彼女の腕を取りがっしり抱きついてその暖かさに頬を緩める。

 私が猫なら、多分甘噛みしてるくらいの心境だ。


「という訳でした。まだ種目が残ってる人もいると思うので、今日はこれで解散します。お疲れ様でした」 

 そう言って頭を下げるモトちゃん。

 なにやら上手くまとまり、SDCの面々は満足げな表情で去っていく。

「それで、いくら儲けたの」

 サトミの呟きに、腕を押さえて顔をそむけるケイ。

 そう言えば、お金が動いてるとか言ってたな。

「これは大した額じゃない。自信があるなら賭けてみろっていう、儲けよりも信頼の問題だったから」

「信頼?誰が、誰を」

「友情に厚いんだよ、俺は」

 だったら、その友人を賭けの対象にしないでよね。

「浦田君は浦田君で苦労してるみたいだよ」

 苦笑気味にフォローする木之本君。

 それは私も分かっているが、彼が語らないし聞いても教えないのでどう苦労しているかまでは分からない。


「試合にしても、何かメリットはあるの?」

「学校最強は受けて立つ立場。拒否権は無い」

「それは周りが勝手に言ってるだけでしょ」

「当たり前だ。自分で学校最強を名乗るなんて、相当に間が抜けてる」

 なるほど。それも一理あるな。

 あくまでも周りの評価の結果が、学校最強という称号。 

 つまりは誰もに認められる存在であり実力があってこその。

 逆に誰からも評価をされない学校最強という呼び方は、自分一人の空回りという事か。

「そうやって一生苦労する宿命なんだ。もう諦めろ」

「俺は別に苦労してないぞ」

 むきになった様子も無く、ごく自然に返すショウ。


 それにはケイも、私達も思わず言葉を失ってしまう。 

 彼がその容姿や能力、家柄に比例しない人生を送っているのは私達の一致した意見。

 その気になれば周りに何人もの女の子をはべらせ、学校を恐怖で支配するのも可能。

 口を封じるだけの実力も、経済的な余裕もある。

 しかし現実において、彼が恵まれた学校生活を送っているかといえば疑問が残る。

 こうして付け狙われ、誹謗中傷を受け、時には襲われる事もある。

 サトミには怒られ、ゴミ捨てを命じられ、掃除もさせられて。


 それでも、彼自身は私達が思っている程の不満は感じていない様子。

 これが性格なのか慣れなのかは分からないが、それはそれで褒められる事かも知れない。

 多少、修行僧的な気がしないでもないけれど。

「お前は偉いよ」

 頼りなく笑い、彼の肩を叩くケイ。

 それが皮肉なのは分かったようだが、ショウは特に反論もせずただ頷いて見せた。

「その内出家するんじゃなくて」

 冗談っぽく笑うサトミ。

 ありえないと言いたいが、行動様式は修行僧と大差ない。

 我を押さえ、人のために尽くし、研鑚を怠らない。

 まあ、食事の面では絶対に引っかかるけれど。

「それで、次は何」

「短距離よ。50M走」




 グラウンドに引かれた直線のライン。

 一列に並ぶ生徒達。

 日の翳り始めた空に向かって放たれる空砲。

 一斉に飛び出した生徒達は風だけを残し、私の前から去っていく。

 来たか、ついにこの時が来たか。

「スパイク、スパイクは」

「スニーカーで十分でしょ」

「いや。絶対駄目。なってない、分かってない、意味が無い」

「全く意味不明ね」 

 そんな事は、私が一番分かってる。

 だけどこれだけは、絶対何がどうだろうと譲れない。

 視界に映った浅黒い肌。

 小柄な、しかし磨き上げられた肢体。

 陸上部の仲間と話をしながら、不敵な笑顔で振り返るニャン。

 彼女が見ているのは私ただ一人。

 私が見ているのも、彼女ただ一人。

 今、この世界は私と彼女だけがいる。

「陸上部の部室から、私のスパイク持ってきて」

「ありますよ、ここに」

 揃えたスパイクを私の足元へ置いてくれる青木さん。

 彼女の肩を借りて靴を履き替え、屈んで紐を強めに結ぶ。

陸上部として、友達として。

 その思いを受け取り、ジャージを脱いでヘアバンドを額に巻く。

「脱がなくても」

 咎めるように私を見てくる黒沢さん。

 彼女は、敵と思って良いだろう。

「何か」

「いや、別に。それと、SDC対玲阿四葉は玲阿四葉が勝ったから」

「それは、私ではなく鶴木さんに言って」

 また、嫌な名前が出てきた。

 まさかとは思うが、あの人が焚きつけたんじゃないだろうな。

「SDCとしては、問題ないのね」

「私は連合に好意的よ。揉める理由もないし、治安維持に関して私達が前に出るのは混乱の元でもあるし」

「色々考えてるんだ」

「雪野さんよりは」

 なんだ、それ。

 ただ彼女はSDCの代表で、生徒会で言うなら局長かそれ以上の立場。

 組織にすら属していない私とは、比較にすらならない。

 とはいえ私は今の自分の立場に満足しているし、特に彼女が羨ましいとも思わない。

 何より私に代表なんて分が過ぎるし、その能力もない。

 私はこうしてちんまり収まるのが、性にあっている。


「測定される方は、ラインに並んで下さい」 

 隣同士に並ぶ、私とニャン。

 他にも何人かいるが、私が意識するのは彼女だけ。

 彼女が意識するが私だけと思うのは、自意識過剰ではないだろう。

 スターティングブロックもなければ、グラウンドは荒れ放題。

 注目もなければ、栄誉もない。

 ただ自分自身のプライドだけを懸けた戦い。

「では、位置について」

 訓練を受けた競技員ではないため、スタートのタイミングはかなりずれるはず。

 多少のフライングも見すごされるだろう。

 でも、それで勝っても何の意味もない。

 正々堂々と、正面から戦うからこそ勝利に価値が生じる。

 またこれは私だけではなく、ニャンの思いでもある。

 彼女は何も言わず、腰を落として地面に手を付くだけ。

 私も腰を下ろし、息を整える。

「用意」

 一斉に腰を上げる生徒達。

 ゆっくりと流れる時。

 風に吹かれた細かな砂が目の前を過ぎていき、その一粒一粒がはっきりと見て取れる。


 辺りに鳴り響く、軽い空砲の音。

 あくまでも、それに合わせて飛び出す私とニャン。

 一気に開ける視界。

 頭上をソフトボールが飛び、緩んだ地面が足をすくう。 

 世界GPに出場した選手が走るべきではない、最悪のコンディション。

 しかしニャンは手を抜かず、私のやや前を疾走する。

 いつもと変わらぬフォーム。

 いつもと同じ速さ。

 私が憧れ、目指し、ずっと追い掛けてきた。

 今はもう届かない。

 だけどずっと一緒に走ってきた背中。

 彼女に背中を見せる日はもう来ないけど、それでも諦める事はない。

 いつまでも、いつまでも。



 50mはあっという間。

 より短距離なのでもしかしてとは思ったが、どうしても後一歩で届かない。

 負けるのは分かっていても、実際負けるとやはり悔しい。

 まあ、オリンピック候補に勝とうという考え自体どうかとも思うけどね。

「多分、猫木さんがトップだと思います」

 計測結果を端末に転送する測定員。

 ニャンは小さくガッツポーズを取って、私を振り返った。

 敗者は勝者に語る資格はなく、今はその健闘を湛えるだけだ。

「ユウユウ。雪野さんは?」

「えと。多分、女子では2番かと。陸上部ですか、彼女も」

「も、元陸上部」

 息も絶え絶えにそう答え、視線を彷徨わせる。  

「鶴木さんは、今どこに?」

「家じゃないかしら」

「家?……ああ。3年生だから、今更体力測定も何もないって事」

「そういう訳。それと今の、良い走りだったわよ」



 最後の最後に褒られた。

 今度甘い物でも贈っておくかと思いつつ、鶴木さんの実家へとやってくる。

 ショウの家からみて北西。

 名古屋城が比較的近く、つまり中等部は南地区のエリア。

 ショウの実家の周囲よりも庶民的な家がまわりに立ち並び、生垣や木戸といったノスタルジックな風景が辺りに広がっている。

 夕日が差すと自分達の影が狭い路地に伸び、少し切ない気分にすらなってくる。

 そんな光景の中でやや目を引く、大きな門と高い生垣。

 木製の表札には達筆な字で、「鶴木」と書き込まれている。

「……済みません、雪野ですけど」

 事前に連絡はしてあったし、何度と無く訪れた家。

 それでも一応断りを入れ、中へと入る。

 入れずに入るのはショウの家くらいなものだけど。


 門をくぐるとこじんまりとした日本庭園が、飛び石の周りを囲んでいる。

 綺麗な眺めであると同時に、周囲の視界を遮るような配置。

 母屋の玄関までも真っ直ぐではなく、若干迂回して進む事となる。

 この辺りはショウの実家もそうだが、外部からの進入を想定しているのではと思う。

「来たわね」

 木刀を担ぎ、私達を出迎えてくれる鶴木さん。

 木刀の意味は分からないが、笑ってはいるので機嫌は悪く無さそうだ。

「話を聞きたいんですけど。ショウと、SDCの事について」

「大した理由も無いわよ。納得がいかないって連中がいたから、勝負しろって言っただけ」

「納得って、何が?」

「犬でも猿でも、誰が強いかを決めたがるでしょ。SDCの人間がそうとは言わないけど、それなりに自分への自信がある人達。いくら四葉君が強いからって、はいそうですかって素直には認められないの」

 大体私が思っていたのと同じ答え。

 多少厄介ではあるが、ショウが勝った時点でそういったわだかまりも解けたと思う。

 少なくともあの場にいた人達に関しては、問題ないだろう。


「学校最強っていうのは、かくも面倒なものなのよ」

「ショウが望んだ訳じゃないですよ」

「三島さんだって、望んだ訳じゃない。あの人もそれを快くは思ってなかったし、大した価値も見出してはいなかったはず。それでも、学校最強という事の意味は分かってたわよ」

「意味って」

「私は三島さんじゃないし、学校最強でもないから分からない。それに、具体的にどうって事でもないでしょ。何をするとか、どうするって事では」

 漠然とした、つかみ所の無い話。

 言いたい事やニュアンスは分かるが、だったらショウにどうしろという話。

 また、彼自身が何をすべきか理解しているかも怪しい。

 その重責だけを担い、苦労をしているだけのような気が私にはするが。

「四葉君は、どう思ってるの」

「俺は何も。自分から何かをしようとは思わないし、する気も無い」

「それでいいと思うわよ。比較されるのは嫌かもしれないけど、三島さんも自分から動いた事は殆ど無かった。逆に言えば、自分が動けばどれだけの影響があるかを分かってたのよね」

「影響?」

「その気になれば、学校全体を支配するのも難しくは無い。あなたや三島さんにすごまれて、それを断れる人が何人いると思う?」

 いつにない真剣な表情で語る鶴木さん。


 私達は彼と親しく、気心も知れているので彼が怒っても受け流すくらいの余裕はある。

 だけど彼女の言う通り、大抵の生徒にとっては畏怖の対象として見られているんだろう。

 ガーディアンとして振るっていた力が、自分達に向けたれらどうなるか。

 プロテクターを砕く程の力が、自分の顔に向けられたら。 

 そう考えれば、彼から何かを強要されて断る理由は全く無い。

「勿論おかしな連中は学校最強なんて呼ばれない。ただ強いだけじゃなくて、生徒が認めるって事だから」

「それは分かるけど、俺は大した事を出来るとも思わない」

「それだから、三島さんもあなたに後を託したのよ。託されてないって思うかもしれないけど、拒否権は無いと思って。今度の試合もどうしても出たくないのなら、ずっと休めばいいだけよ。ただ、あなたが休んでる間にどんな試合が行われるかよね」

 低くなる声。険しくなる視線。

 ショウが望む望まないに関わらず、彼への期待や要求は発生してしまう。

 それが好意的であるとは限らず、今回のように悪意に満ちたものも含められる。

 鶴木さんが言うように逃げるという選択肢も無くは無い。 

 ただ彼の性格からして、あまり現実的ではない。



「俺は逃げないし、逃げる気も無い」

「悪いわね。結局私達のツケをあなた達に回してるようなものなんだけど」

「それは」

「私は前回の抗争に直接は関わってないんだけどね。退学したり転校した人達は全員よく知ってる。それを考えると、柄にも無くあれこれ考えたくなる訳よ」

 自嘲気味に笑い、視線を伏せる鶴木さん。

 彼女には似合わない、寂しげで苦しげな表情。

 それを自分でも分かったのか、鶴木さんはぎこちない笑みを作って木刀を担ぎ直した。

「私からは、それくらい。悪いけど、そういう事でお願い」

「俺も納得はしてないけど、自分に出来る事ならやるつもりだから」

「ありがとう。それを聞いて、安心した」

 柔らかく緩む口元。

 表情の陰りが薄れ、暖かい眼差しがショウへと注がれる。

 ショウの決意、鶴木さんの思い。

 私はそこに何も関わる事は出来ない。

 そんな身勝手な思いが、少し胸を苛む。

「それと雪野さん」

「はい?」

「あなたは、ナンバー2なんだからその自覚もしておいてよ」

「なんの」

「学校最強のに決まってるじゃない。玲阿四葉と言えば、雪野優。雪野優と言えば、玲阿四葉。どっちが欠けても駄目なのよ。春先の事を思い出したら」

 そう指摘され、思わず頬を赤らめる。


 ショウと仲違いし、疎遠になっていた事があった。

 確かにあの時は自分の力を十分に発揮出来ず、またショウも同様の様子だったと思う。

 それは今考えれば物理的な問題ではなく、精神的なつながりなんだと思う。

 彼という存在が自分の中でどれだけ大きいのかを、あの時は改めて認識をした。

 彼の中で私がどの程度の存在なのかは知らないが、ここは鶴木さんの言葉を信じたい。

 ただ。

「私こそ、大した事は出来ませんけど」

「出来るかどうかはこの際、あまり関係ないのよ。良く言えば、あなた達は希望なんだから」

「希望?なんの」

「理屈じゃないのよ」

 きっぱりと言い放つ鶴木さん。

 あまりもの清々しい態度に頷きそうになるが、結局何を言いたかったのかは分からない。

 それはショウも同様らしく、意見を求めるかのように私と目を合わせてくる。

「何か、問題でもあるの」

「いえ、別に。それに、大体は分かりました。ね」

「ああ。大体は」

「なんか引っかかるけど、いいわ。それと、怪我はしないようにね」

「だったら、試合自体を止めて下さい」

「私はもうSDCからも身を引いてるし、主催は生徒会だから」

「格闘系のクラブがチケット売ってましたよ」

「あの辺りは、生徒会に魂も売ったのよ」

 大げさな事を言い出したが、彼女らしさが戻ってきたとも言える。

 それに少し安心をして、彼女の軽口に気持ちよく笑う。

 彼女の思い、伝えれていく気持ち。

 私はそれに応えられるのか。

 せめて、その手助けが出来るのか。

 夕闇に浮かぶ小さな手をじっと見つめ、自問する。




「学校最強だ?お前、随分偉いんだな」

 後ろから、ぐいぐいとショウの首を締める瞬さん。

 どうして鶴木家に来ていたのかは知らないが、ショウにとっては不幸としか言いようが無い。

「瞬さんは、そう呼ばれてなかったんですか」

「彼の場合は、強いではなく凶の方ですからね」

 笑い気味に指摘する月映さん。

 未だに息子の首を締めつづけている姿を見る限り、その話は十分に納得出来る。

「誰が強くてもどうでもいいと思うけどね、俺は」

 至って軽い調子で話す鶴木さん。

 内心はともかく、この人は確かにそういう事へのこだわりはあまり見せない。

 性格的な部分でもあれば、それだけ大人でもあるんだろう。

 まだショウにむしゃぶりついている人は知らないが。

「大体この中で誰が強いかなんて言い出したら、死人が出る」

 げらげら笑う瞬さん。

 笑い事ではないが、多分冗談で済む話でもない。

 実際それだけの実力を持ち、またそのために己を磨いてきた人達。

 前大戦での数多くの勲章が、図らずもそれを物語る。

「俺をお前達と一緒にするなよ。俺は戦争中、ずっと参謀本部で大人しくしてたからな」

 澄ました顔でそう語る鶴木さん。

 すると瞬さんはすっと目を細め、顔の前で指をくるくる回し始めた。


「えーと。あれは誰だったかな。参謀本部にゲリラが潜入した時、それを殲滅した小隊の部隊長は」

「誰だったかな」

 瞬さんと視線を交し合う御剣さん。

 その間鶴木さんは黙ったままで、何も口を挟もうとはしない。

 彼が参謀本部にいたのは最近知ったが、そういう経歴があるのは今知った。

 この間の暴力団事務所襲撃でも分かったが、彼らは対ゲリラ戦にも精通している。

 それはつまり、経験に裏付けられた結果でもある訳か。

「人聞きの悪い事を言うな。襲ってきたから、仕方なく抵抗しただけだ。自己防衛と言ってくれよな」

「進入した部隊を殲滅後、敵の仮設本部まで攻め入ったと聞いてますが」

「昔の話すぎて忘れたよ」

「衛星回線を使って、レーザーで北米のホワイトハウスを炎上させたって言うのは?」

「誤作動だ、誤作動」

「潜水艦をハッキングして、空母にぶつけたっていうのは?」

「鯨と間違えたんだろ」

 なんだか聞いているこっちが怖くなる話ばかり。

 むしろこの人が参謀本部にいた事自体、問題なんじゃないだろうか。


「優ちゃん、なにか」

「いえ。雪野家は、のんきな家系でよかったなと思っただけです」

 お父さんは敵を撃てず、そのまま捕虜になった人。 

 自分が撃たれる事を考えなかったのかとも、少し疑問に思うが。

「軍人としては失格かもしれんが、人間としては数段ましだよ。人を殺していい事なんて、何も無い」

「ホワイトハウスを燃やすなんて、もってのほかです」

「だから、俺がやったんじゃない。あれは塩田少佐が潜入する時に、陽動として仕組んだって聞いてるぞ」

「それにあんたも一枚噛んでたんじゃないのか。衛星のハッキングなんて、現場の兵士には無理だろ。その後庭に鶴の絵を書いたって聞いてるけど」

「そんな訳あるか」

 こめかみの辺りから汗を滴らせる鶴木さん。

 今の話は、聞かなかった事にした方が良さそうだ。

「本当、こういう大人になっちゃいかんって見本だな」

「瞬さんは、見本になるような大人なんですか」

「この人は、まだまだ子供ですからね」

 明るく笑い飛ばす、お兄さんの月映さん。 

 正直笑い事ではないと思うが、本人達は楽しそうなので良いとするか。




 鶴木家からの帰り道。

 ショウの運転する車で、助手席に収まり流れていく景色を眺める。

 景色といっても暗闇の中に、車のヘッドライトや街灯が溶けていくのしか今の私には見えないが。

 視力はおそらく、以前の半分程度。

 この暗さでこの速度だと、正直全く見えない時もある。

 流れに乗ってゆっくり走るのはいいが、入り組んだ道を走るのは多分不可能。

 成長どころか、むしろ衰えている。

「どうした」

 押し黙っている私を不安に思ったのか、落ち着いた声で尋ねてくるショウ。

 彼は日々成長し、強く大きくなっている。

 身体的な事だけではなく、精神的な部分においても。

 余裕、ゆとり。

 元々大騒ぎをするタイプではないが、もっと血の気が多くてふとしたきかっけで怒る事は良くあった。

 そういった事が少しずつ減り、控えめだが安心感のある落ち着きを保つようになってきた。

 丸くなったという気もするが、それは別段悪い事でもない。 

 暴れ回って人に迷惑を掛けたり、無意味に恐れられるよりは余程ましだと思う。

「私は進歩がないなと思って」

「何だよ、進歩って」

 苦笑するショウ。

 私も具体的には説明出来ないが、それは成長している箇所を思い出せないからという気がする。

「背も伸びないし、目も悪くなったし」

「精神的には成長してるだろ」

「それこそ、どうなのかな」

 ついネガティブな事を言ってしまい、その気まずさに口を閉ざす。

 ショウはそれに怒った様子もなく、変わらぬ調子で車を走らせる。

 怒って欲しい訳ではないが、あまり落ち着きすぎるのも少し調子が狂う。

 結局は、私が何に対しても無い物ねだりをしているだけかも知れないが。

「俺としては、あまりユウに強くなられると立場がない」

「え」

「い、いや。こっちの話」

 突然の慌てた口調。

 彼の動揺を感じ取ったように、急加速する車。

 体がシートに押しつけられ、思わず小さく声を上げる。

「あ、悪い」

「いや、いいんだけど。何の話」

「こっちの話。もう、着いた」

 気付けば車は女子寮の前で止まっていて、警備員が警棒片手にこちらの様子を窺っている。

「ありがとう。お茶飲んでいく?」

「いや。急ぐから」

「急ぐってどこに」

「色々と」

 ちぐはぐな事を言い、私を降ろした途端あっという間に走り出す車。

 怒った訳では無いが、慌てた理由が分からない。

 少し気を抜いていて、何を言っていたか良く聞こえてもいなかった。

「彼氏?」 

 警棒を担ぎながら尋ねてくる警備員。

 どう答えようか迷ったが、彼女は私の問いには興味がなかったらしくそのまま詰め所へと戻っていった。




 曖昧な関係。 

 はっきりと自信を持って答えられない自分。

 周りに広がる薄い闇。

 街灯の光も、寮の明かりも今は遠い。











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