5-8
5-8
結局学校には行かなくて、寮へと戻った私。
ショウも自分の部屋に戻って、体を休めるとの事。
明日は少し揉めそうだし、英気を養うってところだろうか。
私はお掃除とお洗濯を済ませ、少し早めの夕食を食べていた。
食堂へ行っても良いんだけど、今日は何となく作ってみたい気分だったので。
ネギのおみそ汁とアジの開き、後はお漬け物が少々。
シンプルで、私には丁度いいくらいの量だ。
小骨を取っていると、端末が綺麗な音を鳴らし始めた。
「はいはい」
通話ボタンを押し、ハンドフリーに設定する。
「私」
「あ、お母さん」
「今日、学校はどうだった」
鋭いね、どうにも。
それとも私が、単純なだけなのか。
「いや、その。休んじゃった」
「随分悪い子になったのね」
「だって、眠かったんだもん」
言い訳にならない言い訳をして、おみそ汁を少しすする。
「いいわ。私達も、今家に戻ったところ」
「サトミは?」
「元気。今はお父さんの仕事を手伝ってる」
「どうして高校生に手伝ってもらうのよ。すぐサトミに頼るんだから、お父さんは」
二人して、くすくす笑う。
お父さんはサトミの手助けを喜んでるし、それは彼女も同じ。
だから、問題はない。
「私の事、何か言ってた?」
「いいえ。学校の事もみんなの事も、何も言ってないわ」
「そうなんだ。怒ってるのかな……」
少し気が重くなる。
寝ていたサトミを置いて、勝手に出てきてしまった。
そして彼女を連れて遊びに行くよう、お母さん達に頼んだりもした。
サトミにしてみれば、決していい気分ではないだろう。
明日、ちゃんと謝ろう。
許してくれるかどうか分からないけど、謝らないと。
その前に、私達で問題を解決して……。
「どうかした、優」
「ん、別に。サトミ、今日も泊めてあげてね」
「ええ。彼女に代わる?」
今は、正直辛い。
「いい。お休みってだけ伝えて」
「分かった。今日は少し冷えるから、優も暖かくして寝るのよ」
「うん」
「それじゃ、お休みなさい」
「お休み」
お母さんの何気ない一言に、胸が暖かくなる。
でもサトミは、今どんな気持なんだろう。
私の余計なお節介に腹を立てながら、お父さん達と過ごしているのだろうか。
ごめん、サトミ。
明日、明日になれば。
きっと、私達が何とかする。
だから、後少しだけ我慢して。
ごめん……。
「……ん」
ベッドから体を起こし、セキュリティのコンソールへ目を移す。
誰か来ているようだ。
時計は、午前1時を回ったところ。
こんな時間に、一体。
「私よ」
しっとりとした、落ち着きのある声。
モニターに写る、長い髪の綺麗な少女。
「……今開けるね」
ロックを解除して、私も玄関へと向かう。
ドアを開け、彼女を玄関の中へと招き入れる。
醒めた、何も感情のない表情。
じっと私を見つめている。
「……サトミ」
謝らないと。
でも咄嗟な出来事に、言葉が出てこない。
そんな私に苛立ったのか、サトミが前に出てくる。
わずかに震える手が上げられる。
当然だ。
彼女の気持ちも考えないで、勝手な事ばかりして。
サトミは、一緒にいて欲しかったかもしれないのに。
それなのに勝手に抜け出して、彼女を置き去りにして。
一人にさせてしまった。
一番サトミが嫌がってた事なのに。
間近で向き合う私達。
サトミの手が上がり、私の顔へと向かう。
私は目を閉じて、歯を食いしばった。
これで彼女の気が済むとも思えない。
でも、私には他に何も出来ない。
ごめん、サトミ。
ごめんなさい……。
痛みは頬に伝わらず、何の音もしない。
代わって感じる、奇妙な感覚。
「変な顔」
私の頬をつねって、くすくす笑うサトミ。
いつの間にか、もう片方の手も私の頬をつねっている。
力は入れていなく、少し横へ引っ張っているだけだ。
「叩くと思った?」
「少し」
「そんな事する訳無いでしょ」
また笑っている。
私も手を伸ばし、彼女の頬を軽く引っ張った。
「自分だって、変な顔じゃない」
「見えないわよ、自分では」
「目の前に、同じようなのがあるでしょ」
「私、そんなに丸くないもの」
おかしそうに笑い、手を離す。
そして、そっと私の頬を手の平で挟んでくれる。
私も、それに倣った。
「私、サトミに言う事が……」
「いいの。何も言わなくても」
「だけど」
「分かってるから。ユウの事なら。あなたが何を言いたくて、何を考えてたかなんて」
優しい、誰よりも優しい微笑み。
もし天使がこの世にいるなら、きっと彼女じゃないかと思えるような。
私の頬を撫で、少し視線を伏せる。
「私こそ、ユウ達に相談しなくてごめんなさい。気が動転して、どうしていいのか自分でも分からなかったの。本当なら、あなた達にすぐ相談すればよかったのに」
「もういいよ、サトミ。私達、分かってるんだから」
「……そうね。そうよね」
はにかみ気味の、愛らしい表情。
いつも綺麗とか美しいと言われるサトミ。
でも今だけは、可愛いって私は思った。
愛おしい、守ってあげたいって。
普段はお姉さんみたいに振る舞って、私もそれを普通に思っていた。
だけど今は、妹のような気がしてる。
私より大きくて、綺麗で、頭がよくて。
そんな妹が、目の前にいる。
私を見て微笑んでいる。
大丈夫、心配いらない。
あなたは、私が守るから。
私達が、必ず。
何があっても。
一つのベッドで一緒に寝る私達。
そんなに大きくないベッド。
前も言ったように、私とサトミの体がすぐに触れ合う。
でも、それが嬉しい。
彼女の温もりや、柔らかさが伝わってきて。
その体を、心を守ってあげたい。
無性にそう思える。
私は小さくて、何の力もないけれど。
それでも。
「私も抜け出したら、おばさん達驚くかしら」
「いいわよ。夫婦水入らずで」
「ふふ。そうね」
くすくすと笑い、枕の上に置いた手を握りあう。
もう、絶対置いていかない。
離れない。
お互い、それを伝えあう。
暗闇の中、淡く輝く私達のつながり合った手。
私にははっきり見える、淡いブルーの光。
「綺麗ね……」
ぽつりとサトミが呟く。
私は少しの驚きと共に、彼女の顔を見つめた。
普段のサトミなら、決して見えない。
淡い、私達が作り出した淡い輝き。
「明日は、頑張ろう」
「ええ。自分の事だもの。精一杯頑張るわ」
光の事は、恋人である彼女にとって確かに自分の事だ。
ただ両親は、彼女が絶対認めない存在。
これからも、二度と会わないかもしれない。
彼等を認める事は、無いかもしれない。
だけど、サトミは「自分の事」と言った。
そんな彼女の気持ちが、私には痛い程伝わってくる。
その優しさと、強さと共に。
明日は、何があっても彼女を守ろう……。
朝。
私とサトミは、一緒に寮を出た。
普段は起きる時間も違うしそれぞれ用事もあるので、別々に登校しているけど。
紺のジャケットに、緑と紺のタータンチェック柄のスカート。
白のシャツに赤のネクタイ、紺のソックスと焦げ茶の革靴。
オーソドックスな制服の組み合わせ。
サトミも、同じ服装。
私達は手をつなぎ、学校へと向かった。
授業のある教室には行かず、I棟D-3ブロックへ向かう。
同じ格好、しかも手をつないでいるので多少視線が集まる。
私達は笑顔でそれに応え、廊下を歩いていった。
恥ずかしくないし、照れもしない。
嬉しいから。
こうしてサトミと手をつないで、一緒に歩ける事が。
彼女も同じなのか、時折私を見ては笑ってくれる。
それが、また嬉しい。
オフィスのドアを手で開け、中へと入る。
するとケイが、真剣な面持ちで端末に向かっていた。
「おはよう」
私達が声を掛けると、軽く伸びをして手を上げてきた。
朝はいつも死んでる人なのに、今日は調子がいいようだ。
「それ、どうしたの」
私達を指さして、少し笑っている。
いつもより、優しげに。
「へへ、いいでしょう。お揃いなの」
「たまにはね、こういうのも悪くないと思って」
「そりゃ良いですよ、あんた達は。可愛いし、綺麗で。俺なんか、何着ても同じだから」
という彼は例によりTシャツとジーンズ、それにパーカーを羽織っている。
「また拗ねて」
「そういう年頃なんでしょ」
ころころと笑い、彼の前へ座る私達。
「……機嫌いいね、随分」
「多少」
曖昧に答えるサトミ。
ケイはそれ以上尋ねず、端末を操作してオフィスのテレビを付けた。
「予算編成局っていうのは、この学校独特の物なんだよ」
学内の生徒組織図が表示され、その中に目立つ色で「予算編成局」とある。
「中等部にも予算局はあった。でもあれは生徒会内部の局で、実際の予算編成は学校がかなり口出ししてた」
「中学生なんて、まだ子供だもの。それは当然よ」
サトミの表情が、少しだけ引き締まる。
「他の高校を調べると、予算関係は大抵生徒会的な組織が仕切ってる。公立の場合は学校や、自治体。私立の場合は、それに企業が参加する形で」
「それなのにこの学校は、予算編成局として生徒会から独立した組織になっている。どうしてかしら」
「去年辺りから、そうなったらしい。塩田さん達が関係して」
さっき見せていた、真剣な表情。
画面をじっと見つめ、深い思惟に耽っている。
滅多に見せない、そして彼の本質である一面。
「その辺りは塩田さん達の話を待つとして。今日の交渉は、さてどうなるかな」
「どうなるって、何か問題でもあるの?」
「生徒会には大山さんがいたから、最悪の状況にはならないと思ってたんだ」
そう言われてみれば。
副会長が、私達を陥れるような事をするはずがない。
それに、生徒会長も結局は私達を助けてくれていた。
でも予算編成局に、そういった知り合いはいない。
「後は、丹下の知り合いがポイントだな」
「あまり人を当てにしても仕方ないわ。自分達で何とかしないと」
「前向きじゃない、サトミ」
「当然よ」
悪戯っぽく微笑み、髪をかき上げる。
もう、すっかり元気が戻ったようだ。
「お坊ちゃんはどうした」
「ショウ?私は知らない」
それにしても、お坊ちゃんか。
確かに実家は有名な古武道の宗家だし、世界規模とも言える総合格闘技団体の経営もしてる。
お父さんは有能なセキュリティコンサルタントで、その危険度からそれなりの報酬を得ているという話だ。
彼と結婚する人は、玉の輿なんだろうな。
改めて、そんな事に気づいてしまった。
私が乗ったら、落っこちたりして。
するとドアが開き、そのお坊ちゃんが入ってきた。
「玉……」
「あ?」
首を振り、下らない妄想を消す。
大きなテーブルにご馳走を並べてた。
どうせ私の想像力では、その程度が限界なの。
「元気そうだな」
「まあね」
視線だけで語り合うショウとサトミ。
悔しいけど、この二人にはそういうのがよく似合う。
「それにしても、人の通信記録を盗み見るなんて」
「あれ。ユウ、言ったのか?」
「言ってないよ」
ケイも、首を振っている。
「あなた達。何かしようとするなら、少しは秘密を守ろうとしなさい」
自分の端末を取り出し、画面を見せてくる。
そこには、私達が強制的にアクセスした時の行為が全て記録として残っていた。
何とか君達に送った、下らないメールまである。
「光との会話まで残ってたわよ。そういう場合は私の端末へのネットワークを一部遮断するか、操作した情報が伝わらないようにそっち側でネットワークを遮断するの」
「だ、だって。やり方分からなかったんだもん」
「木之本君には頼まなかったの?」
「あいつに怒られたくなかった」
「真面目だものね、彼。あなた達と違って」
肩をすくめ、私達が操作した記録を消していく。
嫌な事を言われた気もするが、今日の所は忘れておこう。
「何したかとか、聞かないの?」
「怪しいメールやメモリー以外は見てないんでしょ」
「うん。そうだけど」
「ならいいわよ。それに、見られて困るような物は何もないわ。ユウになら」
サトミの眼差しを受け止める。
私を信頼してくれている、一つに思ってくれている。
勿論、それは私も同じ。
彼女になら、全てを話せる。
全てを分かち合える。
「……なら俺は、ケイの秘密でも確かめるか」
そう言って、ショウはケイから借りっぱなしにしていた端末を取りだした。
「昨日は7件着信あり。さて、誰からどんなのが来てる?」
「見れないよ。サトミと同じで、パスワードを入れない限り」
「サトミ、何だと思う?」
ショウに振られ、微かに眼差しを鋭くするサトミ。
「難しいわね。でも、端末があればパスワードなしでも見られるわよ。ソフトと技術があれば。少し、やってみましょうか」
端末を受け取り、ケーブルでリンクする。
ワイヤレス接続よりも情報がたくさん送れて、複雑な操作もしやすいのだ。
「……何これ。外部入力を受け付けない」
「舞地さん達に頼んで、少しいじってもらった。謎多き少年なんでね、俺は」
「下らない」
無理だと分かったのか、パスワードを入れていくサトミ。
だがその端正な顔は、すぐに曇り出す。
「駄目だわ。これ以上は、不正操作になる」
「ベッド無い?私が思い出してみようか」
「違うだろ、ユウ」
真顔でショウが指摘する。
いいじゃない、まだ少し眠いんだから。
「だったら、今度はショウのデータを見てみようか。俺の端末から、こそっと」
「駄目よっ、そんなのっ」
机を叩き、ケイを睨み付ける。
ぎょっとして私を見てくるショウとサトミ。
む、むきになる所じゃなかった?
「そ、その。人のプライバシーを見ようなんて、よくない。絶対に駄目」
「自分だって、サトミのは見たのに」
「あれは、非常事態なの」
「その内、暴いてやる……。冗談、冗談」
喉元にスティックを突き付けられ、ようやく諦めるケイ。
本当に冗談だとは思うけど、私もパスワードは変えよう。
見られて困るような物はそれ程無いからといって、恥ずかしい物も少しはある。
「……舞地さん達に頼むと、お金取られるの?」
「まあね。俺はこの前の契約を盾に、無理矢理やらせたんだけど」
「それだけ色々やってもらってるのなら、あなたが払った分の元は取ってるでしょ」
呆れたという顔のサトミ。
それでも、ケイは頑として首を振る。
「いや。あの連中は、とにかくなってない。今後も俺は、彼等の横暴を追求し続ける所存だ」
「言ってろ。……ん、誰か来たか」
分からないという顔の、サトミとケイ。
当然、私は聞こえてた。
どうせ、犬並に耳はいいですよ。
「あの……」
遠慮気味に入ってくる沙紀ちゃん。
彼女も珍しく、制服だ。
それも、私達とよく似た組み合わせ。
スカートが紺で、ブーツを履いているくらいの違い。
それにしても、似合うね。
胸なんて、無理矢理押し込んでる風で苦しそうだし。
私の場合、シャツに隙間が出来てるから……。
「優ちゃん、どうかした?」
「いえ。なんでもありません」
深く頭を下げ、完敗を告げる。
「そ、そう。予算編成局の知り合いに連絡したら、今からでも来てくれって」
「よしっ。行こう、みんなっ」
気分を入れ替え、勢いよく立ち上がる。
空元気という話もあるけど、気にしない。
とにかく、元気だから。
横から沙紀ちゃんを仰ぎ見て、少しため息。
均整の取れたプロポーションに、目を見張るような凛々しい顔立ち。
胸なんてもう、はち切れそうなくらい。
前世で、よっぽどいい事したのかな。
それとも、私がよっぽど悪い事したのかな。
神様、教えて。
「……前世、か」
「え?」
「いや。全然気にしないって。うん、本当」
「そ、そう」
沙紀ちゃんは、首を傾げつつ私から離れてしまった。
おーい、見捨てないで。
すがりたくなるのを堪え、少しでも御利益があるよう拝んだりする。
髪の毛でも、今度もらおう。
気を取り直そうと、軽く伸びを。
すると今度は、サトミが目に入った。
綺麗な、同性なのに見とれてしまう程の端正な顔立ち。
スレンダーかつ、女性らしいプロポーション。
思わず、ため息が出てしまう。
……止めよう、無い物ねだりは。
と思いつつ、視線がショウへと向く。
最近何だか、凛々しさを増してきた。
甘さを漂わせた、彫りの深い顔立ち。
見上げる程の、鍛え込まれた大きな体。
彼等を見ていると、自分の貧弱さがつくづく分かる。
はぁ。
なんて思っていたら、目の前に一人。
中肉中背、やや猫背。
平凡な顔立ちと、変哲もない髪型。
普通の、どこにでもいそうな男の子。
「……なに」
私の視線を感じたらしく、怪訝そうに顔を向けてくる。
「え、どうかした?」
すっとぼける私。
しかし。
「俺には勝った、っていう雰囲気だね」
「え?」
う、読まれた。
「い、いいじゃない。私だって、たまには優越感に浸ったって」
「じゃあ俺は、いつ浸ればいいんだ」
「さあ。一生無理かも」
慰めもせず、ヘヘッと笑う。
向こうも、虚しそうに笑う。
「……柳君と、体入れ替わらないかな」
ぽつりと下らない事を洩らすケイ。
入れ替わるだ?
すると、柳君の顔にケイの心。
ケイの顔に柳君の心。
なんといっても、ケイが中身というのは問題だ。
見た目が柳君だと、それを使って悪い事しそうで。
私だったら、誰と入れ替わろうかな。
沙紀ちゃん、サトミ。モトちゃん。
池上さんとか舞地さんだって、素敵じゃない。
でも、私にはこの体がお似合いかもね。
人間、分相応が一番って言うから。
小さいなら小さいなりに、せいぜい頑張ろう。
昔の服が今でも着れる。
食費が掛からない。
お風呂のお湯も少なくて済む。
いい事ばかりだ。
そう前向きに考えよう……。
気を取り直して顔を上げると、小さな建物が目の前にあった。
予算編成局のみが入っている、特別教棟の別館。
周囲には、ガーディアンらしき人間が何人もいる。
向こうも、こっちの様子をそれとなく窺っているようだ。
何せお金を扱う所だから、最新機器を駆使したセキュリティが付いてるとも聞いている。
「大丈夫かな」
「優ちゃん、心配しないで。連絡は付けてあるから」
「だといいんだけど……」
ついに歩み寄ってくるガーディアン達。
予算編成局なので、当然その傘下にあるフォースだろう。
「ここに、何かご用ですか」
丁寧な物腰。
生徒会の特別教棟を警護するガーディアン達とは、どうも様子が違う。
ここには普段来ないので、よく知らないけど。
沙紀ちゃんが一歩前に出て、IDを見せる。
「拝見します」
IDをチェックするガーディアン。
きびきびした身のこなしと、礼儀正しい態度。
でも、どこかで見た人だな。
「……連絡は受けています。今からご案内しますが、よろしいでしょうか」
「はい。お願いします」
彼は沙紀ちゃんにIDを返し、仲間のガーディアンにその旨を告げた。
「では、どうぞ」
2重の大きなドアを通り抜け、ようやく中へと入る。
生徒会内部並の厳重さ。
学内生徒組織の予算を扱うだけに、この程度は当然だ。
中に入って気付いたのは、歩いている人が生徒だけではないという事。
おそらくは学校関係者、自治体、後は出資している企業から来ている人達だろう。
「こちらへ」
しなやかな動きで私達を先導していた彼が、エレベーターを示す。
中に乗り込み、ちょっと彼の様子を窺ってみた。
一重のやや鋭い瞳に、引き締まった口元。
少し短めの髪で、格好いいというよりあどけなさを感じる顔。
体格はそれ程大きくないが、鍛え抜かれてあるのはすぐに分かる。
また動きや立ち振る舞いに隙はなく、相当の腕前なのが推測出来る。
無論それは格闘面から見た視点で、ケイ達から見ればまた違う印象があるかもしれない。
私はショウをつついて、彼の頭を下げさせた。
そして、彼の耳元に口を寄せる。
「思い出した」
「40204か?」
「違うわよ」
耳に息を吹きかける。
一瞬体を震わすショウ。
面白いけど、ふざけてる場合じゃない。
「ほら、あの人。三島さんとショウが戦った時のレフリー」
「……ああ」
ショウも覚えていたらしく、軽く頷く。
あの時も、きびきびした人だなって思ったんだ。
「ちょっと、聞いてみる。あの、済みません」
「はい、なんでしょうか」
柔らかな動きで振り向く彼。
ショウは会釈して、自分の顔を指さした。
「俺の事、覚えてますか」
「勿論です。前期にSDC代行と戦った、玲阿君ですよね」
「俺達も、あなたの事覚えてましたよ」
「恐縮です」
今度は彼が頭を下げる。
あくまでも丁寧に、でもさっきよりは親しみを込めて。
「えーと」
「七尾未央と言います。予算編成局周辺警備担当、みなさんと同じく1年です」
「あ、ご丁寧にどうも」
同時に頭を下げる二人。
なにやってるのよ。
「玲阿君だけでなく、みなさんの評判も勿論知ってます。中等部の時から」
「丹下ちゃんも、そんな事言ってたわね」
「憧れだから。丹下さんにとって、あなた達は」
「七尾君。いいってそういう話は」
手を大きく振って、沙紀ちゃんが話を遮る。
よく分からないけど、知り合いらしい。
「憧れって、ケイ。……浦田珪も含めるのかしら?」
「どうかな。雪野さん達の話は中等部の頃よくしてたけど、彼の話は殆ど聞いてないので」
「そ、その。前は、浦田がエアリアルガーディアンズって信じて無くて。データベースが間違ってるんじゃないかって」
壁にもたれていたケイは、ドアが開くと同時に出ていってしまった。
「お、怒ったのかな」
「まさか。今のくらいで落ち込むなら、可愛いもんだ」
「人としての感情を持ち合わせていないのよ、あの子は」
言いたい放題だね。
同意見だけど。
廊下を歩く事しばし、ガーディアンらしい人達が数人ドアの周囲に立っている。
ドアの様子から見て会議室らしい。
「あちらで、局次長がお待ちになっています」
柔らかな笑顔でドアを示す七尾君。
へぇ、結構可愛い顔するんだ。
って、そんな事考えてる場合か。
「局次長って、今の予算編成局のトップじゃない。私達が会うのは、幹部じゃないの?」
「彼女が、是非みなさんにお会いしたいという事で。それに局次長も、幹部は幹部ですから」
「とにかく会ってみて」
仲介してくれた沙紀ちゃんが、困惑気味に促す。
彼女に悪いし、ここまで来て後込みしてても仕方ない。
「分かった。では、お願いします」
「はい」
七尾君が軽く手を振ると、ドアの周囲にいたガーディアン達がドア脇のコンソールを操作し始める。
ゆっくりと開いたドアの中に、私達は足を踏み入れた。
広い会議室。
円卓上のテーブルと、いくつかの調度品。
ただそれは申し訳程度に置かれてあり、殺風景な雰囲気すら覚える。
正面に、一人の女の子が立っている。
窓の外を眺めていた彼女が、静かにこちらを振り向く。
「きちんとした形で会うのは、今日が初めてね」
意志の強さを感じさせる、それでいて涼しげな顔立ち。
肩の辺りまである黒髪。
背は高く、スレンダーな体型。
「予算編成局局次長。2年、中川凪よ。どうぞ、よろしく」
隙のない、引き締まった表情。
笑顔を浮かべてはいるけれど、瞳には鋭さが宿っている。
「……一度、前期にお会いしました」
一人歩み寄ったサトミが、彼女に手を差し出す。
「彼と、三島さんの試合ね。ええ、覚えているわ」
サトミの手を握り、私達に座るよう促す中川さん。
七尾君は、彼女の後ろに立つ。
「君も座ったら?」
「俺は、部外者ですので」
「フォースが予算編成局の指揮下にあるのは、誰だって知ってるわ」
それでも中川さんは無理に席を勧めようとせず、私達と向き直った。
「エアリアルガーディアンズのみなさんがお揃いで、一体何のご用かしら」
ふざけたような口調。
テーブルに肘を付き、組んだ手の上に顎を乗せている。
「ガーディアン連合に目を付けられるような事は、してないつもりだけど。それとも、予算配分に文句でもあった?」
「それについては連合の全員が、代表の塩田さんにお任せしています」
冷静に返すサトミ。
こういう場合もう一人の交渉役であるケイは、関心なさそうに机へ視線を落としている。
「あなた、遠野聡美さんよね」
「ええ」
「中等部では3年間、学内学年共にトップ。高等部でも、やはり前期学内学年トップ。新カリキュラムの生徒を軽く抑える、才色兼備の女の子。うらやましいわね」
「恐れ入ります」
丁寧に下げられる頭。
向こうは薄く微笑み、髪を軽く撫でた。
「知能向上プログラムなど到底及ばない、生まれついての天才。ご両親は、随分鼻が高かったんじゃない」
「かもしれません」
親の事を言われても、感情を乱さない。
でもそれを彼女が口にしたという事は、メールの件がやはり関係あるのか。
「……本題に入りたいのですが、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「このメールを見て下さい」
端末をワイヤレスでリンクさせ、机に備わっていた疑似ディスプレイを表示させるサトミ。
画面には、昨日私達が見た例のメールが映し出される。
「これに、見覚えは」
「無くもないわ」
あっさり認める中川さん。
腰を浮かしかけた私とショウを、サトミが手で制する。
「予算編成局が、私に対して送ってきたと解釈してよろしいのですか」
「そう、矢継ぎ早に言わないで。私、そういうのに慣れてないの」
「あなたのペースは聞いてません。聞いているのは、これを送ったかどうかです」
有無を言わせない、鋭い口調。
厳しい表情は、真っ直ぐ中川さんを捉えている。
「もし、そうだとしたら?」
あくまで、はっきりとは答えない。
挑発しているのか、そういう性格なのか。
それでもサトミは、手を緩めない。
「なんでしたら、今から予算編成局の全通信記録を拝見させていただきます」
「そんな権限が、あなたにある?」
「私としては、警察に介入してもらってもかまいません。ただその時間が惜しいのと、証拠隠滅を防ぐためにです」
「なるほど。でも、あなたに出来るかな」
突然前方の大型モニターが付く。
表示されたのは、企業名や自治体の細かな制度。
「あなたの彼氏、浦田光君だったわね。彼の奨学金リストよ」
「見れば分かります」
「止まってるんじゃない、今」
深い笑み。
サトミは身じろぎ一つせず、彼女を見つめる。
「それと、ご両親の資産はどうなってる?」
「資産凍結など、今の日本では不可能です。まして学校組織に、そんな権限はありません」
「ご明察。いくら銀行が出資していると言っても、あなたの言う通り不可能よ。個人口座の内容を覗き見るくらいが、限界ね。無論それも、違法すれすれだけれど」
画面が代わり、預金残高一覧とある。
入金は約二ヶ月前から止まっていて、一方的な出金のみになっている。
残高は、もう残り少ない。
「でも、あなたの彼氏は奨学金が止められている。この通りね」
「こちらは事実だと言いたいんですか」
「見れば分かるでしょ。預金者名、浦田光。同姓同名の他人じゃないわよ、勿論」
攻守を変える両者。
中川さんは意味ありげに微笑み、何枚かの書類をサトミの前に差し出した。
「退学申請書。それが嫌なら、ガーディアンを辞める事でもいいわ」
「ちょ、ちょっと。何よそれ」
「雪野さん、だったわね。子供は黙ってて」
軽く私をあしらい、ペンを差し出す。
「大丈夫。退学しても、他の学校へ推薦してあげるから。それにあなたなら、大学へも今すぐいけるでしょ。心配しなくても、それなりの補償金は出すつもりよ」
「私を退学させて、あなたにどんなメリットがあるんです」
「質問してるのはこっち。私は退学するか、それとも残って彼氏を苦しめるのかを聞いてるの」
さっきのサトミにも負けない、強い口調。
威圧されそうな、否応無い迫力。
そして、その選択肢。
「退学したりガーディアンを辞めるのは簡単ですが、私には出来ません」
「どうして?」
興味なさそうな顔。
サトミは気にせず、静かに立ち上がる。
「私が退学しても、あなた達以外は誰も喜びません」
「彼氏は喜ぶかも。何たってあなたが辞めない限り、奨学金が止められるんだから。彼の収入源はそれだけなんでしょ。まさか、いつまでも無一文では過ごせないわ」
「私が学校を辞めるなんて、あの人は何があっても望みません」
強く、自信を持って言い切るサトミ。
中川さんは何か言いかけて、すぐに表情を崩した。
「信頼、って訳。それは結構な話だけど、お金も無しで彼にどう過ごせって。自分達の奨学金を渡せばって思ってるのなら、止めた方がいいわよ。それとバイトの斡旋も、してもらえないから」
ヒカルの奨学金を止められるのなら、私達のを止めるのも簡単だと言う事か。
「かまいません。働こうと思えば、仕事はいくらでもありますから」
「彼氏は大学院の修士課程よね、まだ。論文や研究が忙しくて、バイトをしている暇なんてとても無い。すると、代わりにあなたが働くって?」
中川さんの表情が、柔らかくなる。
獲物を見つけた、歓喜の笑みを浮かべる肉食獣のように。
「予算編成局に出資しているのは、大企業ばかり。傘下の企業や下請け、影響力のある企業は数え切れない。そこに一言言えば?草薙高校の遠野聡美を雇わないで下さいって」
「関係ないお店で働くだけです」
「どんな小さな店でも、大企業とは繋がってるわ。仕入れ、設備投資、エネルギー供給、顧客。そこから攻めれば、どの店もあなたは雇ってくれない。当然、あなた達全員を」
「それでも、かまいません」
サトミの態度は変わらない。
冷静に、静かに中川さんの言葉に答えていく。
「誰も雇ってくれないなら、自分でお金を稼ぐだけです」
「どうやって。家庭教師なんて言わないでよ。それこそ、学校から圧力を掛けられるわ」
「私は、女です。それならば、体一つでお金を稼ぐ事が出来ますから」
澄んだ声。
「……面白いわね、遠野さん。体を売ってでもって事?」
「はい」
「出来る?そんな事。頭で考えているよりも、ずっと辛いわよ。汚れて、穢されて、弄ばれて、堕ちていって。それでも、かまわないって?」
「はい」
微かに、声へ力が増す。
大きくなった訳ではないのに、強さが感じられる。
「あなたがそう頑張るのはいいけれど、彼氏は愛想を尽かすかもよ。それに体を売って稼いだ金を、受け取ってくれるかしら」
「受け取らせます」
「言うわね、随分。尽くした相手には捨てられて、お金も持っていかれて。あなたに残るのは汚れた体と、傷付いた心だけ。後は悲しい自己満足だけで、一生生きていくのかな」
笑いかけた中川さんの表情が固まる。
「……それでもかまいません」
静かな、静かなサトミの声。
誰の耳にもはっきりと聞こえる、力強い声。
「私がどうなろうと、彼がどう思おうと。そんな事はどうでもいいんです」
彼女の体が、まるで一回りも二回りも大きくなったかのような錯覚。
そして立ち上る、赤い揺らめき。
隣にいた私の手を、しっかりと握りしめる。
私も彼女の手を、しっかりと握り返す。
「あの人が勉強に集中出来るなら、それだけで。私が望むのは、ただそれだけです」
サトミは震えるもう片方の手を机へ付き、唇を噛みしめた。
「これ以上彼に干渉するようなら、覚悟はしておいて下さい」
「……どうするつもり」
気圧されたように、背もたれへと下がる中川さん。
私の手には、サトミの震えが伝わる。
相手に与えている以上の不安と焦り、緊張。
その全てが伝わってくる。
でも私は何も言わない。
その代わりに、彼女の手を強く握った。
大丈夫。
大丈夫だから。
「何があっても、例え私がどうなろうと。彼は守ってみせます」
私が彼女に対して思っていた言葉。
震える手を握りしめ、その不安を少しでも分かち合う。
そして勇気を一つにする。
小さな、小さな私達の勇気。
せめて私の分が、少しでも彼女の助けになるように。
肩が小さく揺れ、下がっていたサトミの顔が上がる。
綺麗な、今まで見た中で一番綺麗な顔が。
「私の、私の家族を傷つける人は、絶対に許さないっ」
拳が激しく机へとぶつけられる。
荒い息と、上気した赤い頬。
乱れた前髪が、端正なサトミの顔に掛かる。
落ち着いてなどいない、醒めてなどいない。
抑えていた、普段は鎮まっている彼女の思い。
私達なら誰でも知っている、遠野聡美の姿がそこにあった。
息を飲み、動きを止める中川さん。
それまでの余裕も、笑みも消える。
彼女の体は微かに震えていないか。
怯えともつかない表情を浮かべて。
「……とはいえ、サトミにそんな真似をさせる気もないので」
静寂を破って、ケイが立ち上がる。
あくまでも冷静に。
しかし彼女以上の怒りを、その下に隠して。
「それに光は、戸籍上の兄でもあるし。一応、血縁上も」
彼は自分の端末を取り出し、何やら操作した。
「予算編成局へ出向している、企業や自治体の職員。勿論、生徒の口座もある」
「どういう事」
疲れたような表情で画面を見る中川さん。
その顔が、微かに歪む。
「そう。全員の口座に、入金がされている。正規の報酬じゃなくて。金額は、微々たる物だけど」
振り込んだ相手の肩書きは全員、予算編成局とある。
「問題じゃないの、こういうのって。賄賂か、横領かはともかくとして。警察に連絡したら、面白そうだ」
「データの書き換えはすぐ出来るわ。証拠は一切残さないで」
ケイはDDを取り出し、それを中川さんの方へと滑らせた。
「俺の手元には、それと一緒のが後5枚ある。警察が駄目なら、マスコミに流してもいい。あっちは証拠云々より、そのゴシップ性が問われるんだから」
「名誉毀損、私文書偽造で訴えるわよ。学校にではなくて、警察に。それに、あなたへの退学申請もすぐに出すわ。予算編成局からの申請は、生徒会内部と同様に最優先で審議される」
「結構。予算編成局からの申請は、当分受け付けないとの言質を生徒会スタッフから取ってある。そしてあなたの退学申請も頼んである。俺は学校は辞められない事情があるから」
沙紀ちゃんを見て、苦笑するケイ。
しかし中川さんは、険しい顔で私達を見つめてくる。
「……あまりこういうのは好きじゃないんだけど」
視線が、後ろに控えていた七尾君へと向けられる。
「力尽くで抑えるつもり?」
私も立ち上がり、サトミを後ろに下げる。
そして、ショウも。
「俺もこういう言い方は好きじゃないけど、彼一人じゃ俺達を止められないぞ」
「玲阿君、分かってるよ。俺は、人を呼びにいくだけだから」
軽く手を上げ、ドアへと消える七尾君。
私はスティックを伸ばし、胸元に構えた。
「ショウ、前をお願い」
「了解」
革手袋をはめ、体を解し始めるショウ。
抑えていた感情を、少しずつ噴き出させている。
その視線だけで、相手をひれ伏させる程の気迫。
怒っているのは私やケイだけじゃないんだ。
「サトミは、私と一緒に来て。ケイは沙紀ちゃんを頼むわよ」
「丹下の方が、俺より強いのに?」
「いいから」
ドアの前には誰もいない。
しかし、さっき七尾君が出ていった事。
そして事前の連絡で、私達がここへ来るのも分かっていた。
一歩外へ出れば、何が待っているとも限らない。
「……窓から出るか」
「道具は?」
顔を寄せ合い話す、私とショウ。
「例の箱がある。ケイも、多分あの変なロープ持ってるだろ」
「途中で壊れても、最悪私達は飛び降りればいいしね」
「そういう事」
振り向き、目線を後ろの窓へ向ける。
そして、ケイにその視線を移す。
自分のポケットを指さすケイ。
分かってくれたようだ。
「……下がるわよ」
作戦変更だ。
ショウをしんがりにして、窓を目指す私達。
沙紀ちゃんは上の空という感じだが、今はかまっていられない。
まずは、この状況を打開しないと。
「どこへ行く気?」
「外の空気が吸いたくなったの」
「せっかちな子ね。ここ、5階よ」
「6階じゃないのは、分かってるわ」
ケイがもう窓に取り付いて、かなり強引に鍵を開けている。
「ユウ、開いた」
「沙紀ちゃん、先に行って。ケイはロープ支えて」
「あの、優ちゃん」
「話は後で聞くわ。早く」
「だってさ。大丈夫、保険金は俺がもらうから」
訳の分からない事を言って、沙紀ちゃんを窓枠へ上らせるケイ。
するとドアが開き、一人の男の子が入ってきた。
「集団自殺でもする気かい」
笑いを含んだ、落ち着いた声。
穏やかな顔と、どちらかといえば華奢な体付き。
「……沢さん」
後ろには、苦笑気味な七尾君も控えている。
「ユウ、下がれ」
「了解」
サトミの手を引いて、一気にドアへと走る。
万が一の危険を考えて、ケイは沙紀ちゃんを部屋へと引き戻している。
構えを取りつつ、沢さんとの距離を詰めるショウ。
単純に格闘技の腕なら、おそらくショウの方が上。
でも沢さんには、それを凌駕するだけの経験がある。
正直、今の彼が敵うかどうか。
でも私は彼の勝利を、一度として疑った事はない。
ケイと戦った時ですら。
ショウより強い人なんて、いる訳がない。
「君達、何か勘違いしていないかな。僕は、何もする気はない」
「え?」
「七尾君、一体どうなってるんだ。説明してもらおうか」
「その。中川さんが、どうしてもというので」
逃げる感じで視線を逸らす七尾君。
「はは、冗談冗談」
それとは打って代わって、陽気に笑い飛ばす中川さん。
表情にもゆとりがあり、先程までの冷たさや高慢な様子は見られない。
「笑い事じゃないと思うけどね。彼等が本気になったら、僕でも止められるかどうか。玲阿君なんて、今にも爆発しそうだ」
「だから、冗談なの。ごめん、遠野さん。ちょっと、ふざけ過ぎたみたいで」
「は、はあ」
中川さんはテーブルを回って、サトミの手を握った。
呆然としつつ、ぎこちない笑顔を浮かべるサトミ。
「こういう事をするならするで、最初から言って欲しいね。昨日から端末は繋がらなくなるし、監視は付くし。君の仕掛けと気付いたから、よかったものの」
「はいはい、小言は後で聞きますから」
軽く沢さんをあしらい、私達に座るよう促す。
「随分、親しいんですね」
「フォースは、予算編成局の下部組織だから。沢君より、私の方が上の立場にいるのよ」
「でも、沢さんは……」
言いかけて、すぐ口をつぐむ。
「フリーガーディアンでしょ。そのくらいでおたついてたら、女なんてやってられないわ」
さらっとすごい事を言ってきた。
彼女の性格が何となく分かる言葉でもある。
「大体は聞いていたけど。僕にも、分かるように説明してくれるかな」
「だって君は彼女達と親しいとしても、私は殆ど会って無いのよ。いくら塩田君のお気に入りだからといって、そう簡単に全てを託す気にはなれないわ」
「それで、雪野さん達を試したって?浦田君、舞地さん達に申請の取り消しを頼んでくれ。事情があって、その申請は学校に受理されかねないんだ」
「さすが。分かってると思いました」
「……君が、浦田君。随分、楽しい子ね」
「どうも」
未だ警戒気味のケイに対して、中川さんはかなり楽しそうだ。
「雪野さん達にもそうだけど、一度あなたには会ってみたかったのよ」
「予算編成局には、迷惑を掛けてないと思うけど」
「あれ?沙紀から、私の話は聞いてない?」
さき?
そんな名前の人って……。
「沙紀ちゃんと知り合いなの?」
ずっと黙っていた沙紀ちゃんが、済まなさそうに頷く。
「凪とは従姉妹なの。お父さん同士が兄弟で」
「その様子だと、何も知らなかったみたいね。沙紀、別に隠さなくてもいいのに」
「私はかまわないけど、凪が困るでしょ。生徒会に知り合いがいるって分かったら」
「そんな事気にしてたの。大山君達からも、何も聞いてないのか」
大山君って、副会長の事?。
副会長って、生徒会の副会長じゃない。
当たり前だけど。
「沢君、これはまだ秘密なの?」
「秘密と言うよりは、知らない方がいい事だから。僕達だって、まだ迷ってるさ。君が言ったように、全てを彼女達に押し付けていいのかどうかを」
「私は、終わったと思ってるから。杉下さんが辞めた時点で、私にはもうその資格はないのよ」
「それは僕達だってそうだ。……と、済まない。勝手に変な話をして」
沢さんが、中川さんと目線を交わす。
彼女はすぐに頷き、苦笑気味に髪をかき上げた。
「内緒の話は出来ないけど、そのメールについてなら話して上げるわ」
「知ってるんですか」
「私の所へも来たもの。遠野さんを利用して、あなた達に圧力を掛けるようにって。教師達が下らない言い掛かりを付けてきたのも、その一環よ」
疑似ディスプレイに、そのような内容のメールが表示される。
「分かっているだろうけど、送り主は学校。要求は、あなた達の退学かガーディアンの脱退」
「学校は、どうして私達を退学させようとしてるんですか」
「仲間だと思われてるのよ。……私達が悪いんだけどね。その内話すわ」
またこれだ。
合い言葉なんだろうか?
「それはともかくとして。彼氏の奨学金停止、ご両親の資産凍結。資産凍結の方はブラフで、実際は何もしてないけれど」
「そうすると、光の奨学金を止めたのは本当なんですか」
すると中川さんは端末を操作して、苦笑した。
「そっちもブラフよ。あなたが言ったように予算編成局だけじゃなくて、学校にだってそんな権限はないわ。在籍データと違って、その権限は企業や自治体にあるんだから」
「じゃあ、何で奨学金が止まってるんだろ」
サトミのほっそりした指が、疑似ディスプレイの上を滑る。
あ。
「彼、この間口座を変えたみたいね。それを、忘れてるんじゃない」
「車のローンやアパートの家賃は、支払われていましたから。古い暗証コードのままなんだわ、あの人」
一斉に俯く私達。
ケイに至っては、頭を抱えて机に伏せている。
もう少し、調べればよかったんだね。
サトミの通信記録にかまけ過ぎていたようだ。
「在籍データと言いましたけど、生徒会との出来事も知ってるんですか」
「ええ。向こうは生徒会長の考えもあって、少し揉めたみたいね」
中川さんの視線が、まだ伏せているケイへと向く。
「こっちは私のわがままで、様子を見させてもらったし。でも大丈夫、学校になんて絶対に手出しさせないから」
さっきのサトミが言ったのと同じ言葉。
力強い、素敵な笑顔。
そう、彼女も私達と同じなんだと気付かせてくれる程の。
「学校から連絡が入ったのが、一昨日。遠野さんも、同じくらいよね」
「ええ。怪しいとは思ってたんです。内容が内容でしたので。ただケイが光を材料に、同じ様な事をされましたから」
「……ごめんなさい。私がふざけたせいで、あなたを傷つけてしまって」
深く頭を下げる中川さん。
仕草だけではなく、彼女の本心から。
少なくとも、私にはそう思えた。
「いいんです。私も、変を事を言ってしまって」
はにかんだ笑みを浮かべ、サトミが髪を撫でる。
「腰が抜けたかと思ったわ。玲阿君もすごい怒ってたし。本当、ふざけ過ぎは良くない」
「たまには良い薬だよ。君には」
「失礼ね」
中川さんに睨まれた沢さんは、気にした様子もなく書類の束をめくっている。
「あなた達がどういう手で来るかと思って、一応監視を付けてたのよ。勿論、口座もチェックしてたのに」
「相手が予算編成局、もしくは銀行だって分かった時点で手を打ったんです。人に頼んで、お金を振り込んでもらって。出金なんて無理だけど、入金用の口座を調べるなんて簡単だから」
「……昨日舞地さん達の所に言ったのは、それを頼むためか」
ショウの言葉に、平然とと頷くケイ。
ある意味、私達も騙していた訳だ。
すごいというか、この人は一体何をどこまで考えてるんだろう。
「でも、良くお金あったね。ヒカルじゃないけど、あなたもお金無いでしょ」
「この人、真理依さん達に多めにお金を渡してたの。多分、それを使ったんだわ」
「正解。俺が持ってるよりは、使い道が色々あると思って。まさか、こういう使い方をするとは思わなかったけど」
こういう事には頭が回るんだ。
そのほんの少しでも、足し算引き算に使えばいいのに。
二桁の計算が出来ないなんて、どうかしてるよ。
「ワイルドギース……。舞地さん達が、良く協力してくれたね。浦田君との契約は、もう切れてるんじゃなかったのか」
「貸しと言う事で、無理矢理やってもらいました。おかげで俺は、また苦労します」
「彼等は、契約以外ではまず動かない連中だ。君は、余程彼等に見込まれてるんだろう」
誉め言葉とも言える沢さんの台詞に、ケイは面白くなさそうに笑った。
でもその「貸し」を返す時は、私達も協力しよう。
それと、今度会ったらお礼も言わないと。
色々迷惑かけてるな、あの人達には。
「それはいいとして、学校側から予算編成局に圧力は掛かってこないんですか。私を退学にしない事を理由にして」
「今さらって話よ、そんなのは。せいぜい学校からの予算を減らすか、書類の申請にケチを付けるくらいね。遠野さんは、何も気にしなくていいから」
「はい」
素直に頷くサトミ。
中川さんはコンソールを操作して、疑似ディスプレイを指差した。
「これからは、私も積極的に行動していくわ。生徒会への復帰は難しいけれど、まずはフォースの解体が目標ね」
「復帰?」
「以前ここは、生徒会予算局だったの。それが分離して、外局というか独立組織になったのよね。大体予算を扱う組織が、フォースなんて自警組織を持つなんておかしいと思わない」
「生徒会の傘下、いわば官営の自警局生徒会ガーディアンズ。君達のように、その意志に賛同して集うガーディアン連合。そのどちらとも、違うだろ」
はたと顔を見合わせる私達。
そう言われてみれば、確かに。
「フォースは、自警局の約半数を吸収して出来たのよ。元は予算局警務課。局内の人間を護衛するための、小さな課がね」
「その辺りは、俺もあまり知りませんが」
首を振る七尾君。
所属はしているけど、1年だから経緯については聞かされていないのだろう。
やはり塩田さん達が絡む、去年からの出来事に関係があるのか。
「だからある時期は、自警局長とフォースの代表を一人の人間が兼ねてたりしたわ。屋神さんがね」
「誰です、それ」
「君達は知らないかな。第2体育館の脇にある、旧クラブハウス。あそこの主を」
ああ。
塩田さんが慕っていたという、あの大きな目付きの鋭い人。
そういえば、そんな事も言ってたな。
「学内組織には、そういう複雑な経緯があるのよ。例えばあなた達が退学させた元自警局長や、予算編成局の幹部。あの二人は、私達と対立していたグループの一員なの」
「彼等は上手く立ち回って、退学から逃れた。そして、自警局長の座を手に入れた。結局は、君達の手によって退学されられてしまったが。その辺りについては彼らなりの事情があるんだけど、いずれね」
「何となく裏があるのは、最近分かってきましたよ。前期に塩田さんが代表を解任されたのも、もしかして自作自演の芝居じゃないかって」
不意に、驚くような事を言うケイ。
サトミは黙ったまま。
私とショウも、訳が分からないので黙ったままだ。
「去年の出来事については、今の2、3年は何も語らないだろう。詳しい事情を知らないから。知っている人は、怖くて余計何も言えない」
「あなた達も知りたいでしょうけど、もう少し待って。こっちも、色々と事情があるのよ」
「はぁ」
取りあえず頷く私達。
ケイは醒めた表情で、疑似ディスプレイを見つめ続けている。
ただ沙紀ちゃんと七尾君の表情が勝れない。
思い詰めたというか、考え込んでいるというか。
よく考えてみたら、退学になった二人は彼女達の上司に当たる人達。
その辺りが、何か関係あるんだろうか。
ただそうなると私達はその仇になる訳で、複雑な心境だ。
「さっきも言ったように、予算編成局とフォースは形を変えるつもり。大体、フォースなんて名前格好悪いでしょ。どうせすぐ解散させるからって、適当に付けたんだけど」
「そうすると、俺はクビですか」
自分の首を撫でる七尾君。
かなり冗談ぽく、笑い気味に。
「現段階ではね。ただ残りたい人は、自警局や連合に移ってもらう。それで余った人は、各委員会へ待ってもらうつもり。とにかく今のままでは、ガーディアンが多過ぎるから」
「七尾君は大丈夫だよ。もしどこも雇ってくれないなら、フリーガーディアンになればいい。僕から教育庁に推薦状を書いておこうか」
「流れ者には向かない性格なので」
はは、それ面白い。
「渡り鳥」じゃなくて「流れ者」か。
ケイなんて、一度流されればいいんだ。
あ、それじゃ「流刑者」かな。
でも、間違ってない気もする。
「君達への、学校からの仕掛けは取りあえず一巡した訳だ。最初が玲阿君、次が浦田君、最後に遠野さん」
「私は?」
「雪野さんは要だからね。狙うとすれば、はっきりと分かる形で仕掛けてくるよ。今までのように、小細工じゃなくて」
「え?」
何されるんだろう。
不安だな。
「勿論そうならないように、私達も努力はするわ。ただ仮にその時は、仲間を頼りなさい。私達がそうしてきたように。沙紀もね」
「ええ。私もよく分からないけど、絶対に優ちゃんの味方だから」
「ありがとう」
にこっと笑い、沙紀ちゃんと目を合わせる。
「あなた達の事もよく分かったし、今日は会えて嬉しかったわ」
「私もです」
サトミが差し出した手を、力強く握りしめる中川さん。
強く、思いを込めて見つめ合う二人。
「まだ言えない事は幾つもあるけど、本当にいつか話すから」
「ええ、待ってます」
会議室を出て、廊下を歩いていく私達。
ケイは後ろの方で、端末を使っている。
相手はヒカルで、口座の変更について文句を言っているようだ。
本当、何やってるんだろ。
「参ったね」
「詳しく聞けばよかったわ。おかしいとは思ってたんだけど、気が焦ってて」
サトミも気まずそうに髪をかき上げる。
先程の怒りはまるでなく、普段の綺麗な女の子へ戻って。
「でもよかったな。止められた訳じゃないんだし。それに、親の方も」
「どうでもいいわよ、あの人達の事は」
素っ気ない態度。
きっとそれは彼女の本心で、これからも変わる事は無いかもしれない。
でも彼女は、「家族」と言う言葉を使った。
それがヒカルだけに向けられたのか、それとも。
「……さっきは、嬉しかった」
「え、何が」
「私の手を、握ってくれて。私を守ってくれて」
「サトミ」
「昨日は、楽しかったわ」
くすっと笑い、指輪を取り出すサトミ。
イミテーションで、昨日お父さん達に買ってもらったと言っていた。
「こんなに素敵な物も、買ってもらったし」
「本物でもよかったんじゃない」
「いいの。私にとっては、これで」
窓から差し込む日差しに、指輪がかざされる。
赤いガラスが輝き、淡い光を辺りに広げていく。
サトミは子供みたいに無邪気な顔で、その光を見つめていた。
「宝物、かな」
可愛らしい声を出し、大切に指輪をしまう。
本当に大切そうに、愛おしそうに。
「よかったね」
「ジャケットももらったし、おじさん達には感謝しないと」
「え、セーターじゃないの」
するとサトミ、フフッと笑って指を振った。
「セーターは、ユウが買うのよ。約束だもの」
「だ、だって。お母さんは私のお母さんで。顔も似てるし、だから私と一緒というか、何というか」
鼻歌交じりで先に行ってしまった。
スキップしながら。
聞く耳持ってない。
「私のブーツもよろしく」
後ろから、少しハスキーな声が聞こえてくる。
こっちは、胸の大きい子だな。
だから、長靴でいいじゃない。
長靴を履いた沙紀ちゃんで。
何が不満なのよ。
「大変そうだな」
笑ってるショウ。
ただ彼はからかうだけでは終わらず、顔の前で指を動かした。
何かを描くようにして。
「あれだ。姉さんの服やブーツじゃ駄目なのかな」
「いいの?」
「昔のなら、いくらでも余ってる。新しいのでも、交渉次第だろ」
「へぇ」
お姉さん、スタイルいいもんね。
サイズでいくと、沙紀ちゃんは丁度いいくらい。
サトミには少し大きいかもしれないけど、セーターならそれ程問題無しだ。
「私も、もらっていい?」
そうしたらどうだ。
目を丸くされた。
戸惑い、驚きといってもいい。
「……サイズが合わないって言いたいの」
「何も言ってない」
「そういう顔してるじゃないっ」
ガッと吠えて、ワーと揺する。
「わ、分かった。俺が悪かった」
「じゃあ、何か買って」
「は?……わ、分かった」
ふっ、勝った。
学内最強の男に。
「サトミみたいに多くは望まない。手袋でいい」
ため息を付き、端末に「手袋」と書き込むショウ。
何よ、セーターくらい書いてよね。
気が効かないな。
私の意図を察知したらしく、ショウは嫌な顔で睨んできた。
当然こっちも、すぐに睨み返す。
「悪い事してるわね」
「あ、中川さん」
おかしそうに笑い、睨み合う私達の顔を覗き込んでくる彼女。
「脅すのはよくないよ」
沢さんも、その隣で微笑んでる。
「そ、その。揺すっただけですから」
もう一度ショウの体を揺する私。
強請ったんじゃなくて、揺すったの。
面白くないね。
でもいいや、取りあえず問題は片付いたんだから。
分かっていない事も、いつか話してくれると言ってくれたし。
その時まで、私達は自分達に出来る事を精一杯やるだけだ。
私達の前をいくサトミが、振り向く。
射し込む光に、笑顔が包まれる。
綺麗で、頭が良くて、すぐ落ち込んで、優しくて。
手を振っている。
私は彼女に駆け寄って、その手を握る。
それには何の意味もない。
サトミが私に手を振ったのも。
でも私は、それがとても嬉しかった。
きっとサトミも。
彼女の笑顔を見れば、そう思う。
秋の日差しのような。
冷たな風が吹く中、それを心地よいと思わせるような柔らかい日差し。
ケイが秋の風なら、サトミは秋の日差し。
そんな事を思いながら、私は彼女の手を握り続けていた。




