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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第35話
387/596

35-3






     35-3




 朝。

 寮の自室を出て玄関に降りてくると、何人かの生徒が待っていた。

 それはいつもの光景だが人数は半分以下。

 バレンタインディは昨日の事で、数が減ったのは違う理由がありそうだ。

 ただしそれは、正直私が気にする事ではない。

 私の存在は、言うなれば正門をくぐる時の魔よけのような物。

 さらに言うと、それに関して私のメリットは殆ど無い。

 むしろ風紀委員会などからは目の敵にされるくらいだ。



 自分は一体何なのかと考えつつ。

 また今日のお昼は何を食べようかと考えつつ正門をくぐり、教棟へと辿り着く。

 結局は、まだ半分くらい寝てるんだろう。

 教棟の中に入ると、その眠気も吹き飛んだ。 

 刺すような視線と冷たい空気。

 誰でもなく、それは私へと向けられている。

 居心地の悪さを感じつつ早足で廊下を通り、教室へ辿り着く。


 ここは昨日までと変わらない、変化も何もない空間。

 普通にクラスメートが談笑し、挨拶を交わし、机に伏せて寝ている子もいる。

 私を疎外する雰囲気はなく、元気な挨拶に私も返事を返す。

「おはよう」

 気だるそうに私の後ろへと座るサトミ。

 彼女も特に変化はなく、廊下の外での雰囲気は私だけに向けられたものなのだろうか。

「外で、何か無かった」

「みんなに睨まれたわ」

 今日は雨ね、くらいの感じで答えるサトミ。

 この手の事には耐性が出来ているので、今更動揺はしないようだ。

「私達、何かやった?」

「モトがこの前、警備員に楯突いたでしょ。加えて、学校への明確な反抗。そんな人間とは、誰も付き合いたくないのよ」

「この教室は、普通じゃない」

「だったら、普通ではないんでしょ」

 なんだ、それ。

 と思っていると、突然頭を撫でられた。


「デートはどうだった」

 ニヤニヤしつつ、髪全体にウェーブのかかったお嬢様風の女の子。

 全然笑い事ではないし、外の空気とはまるで違う態度に少し戸惑う。

「キスした?」

 頬を引っ張ってくる、前髪にウェーブを掛けた優しげな顔立ちの子。 

 どうでもいいけど、引っ張る事の意味を問いたいな。

「不純異性交遊ね」

 人の鼻を押してくる、清楚な顔立ちの眼鏡っ娘。

 この子達は、深刻さの欠片もないな。

「私と遊んでて良いの?」

「雪野さんを遊ばなくてどうするの」

 聞いた質問とは違う答えだが、サトミの言うように彼女達が普通でないのは何となく分かった。

 その理由、そうしたこ事による結果までは分からないが。

「私達と一緒にいると、迷惑が掛かるんじゃないの」

「何を今更」

「今更何を」

「さらさらおかしいわ」

 立て続けに言葉を並べ、私の周りから去っていく三人。

 分かったのは彼女達の優しさと暖かさ。

 私は一人ではないという安堵感。



 今度は私がにやにやしていると、笑い気味に声を掛けられた。

「何か面白い事でも」

 欠伸混じりに私の隣を通り過ぎるモトちゃん。

 彼女はおそらく私以上睨まれたと思うが、それを気にした様子はまるでない。

 こうなると、私達が相当図太い人間に思えてくる。

「外の空気が冷たいなと思って」

「ああ、廊下。今更気にしても仕方ないでしょ。それに、私達が悪い訳でもないんだから」

 きっぱりと言い切るモトちゃん。

 私はここまでの自信はなく、むしろ少し不安になる。

 言葉通り他人の目が気になるというか、他人をどうしても気にしてしまう。

「おはよう」

 仲良く3人で現れる、ショウと木之本君とヒカル。

 陰めいた物は一切無く、朝日をそのまま吸い込んだように明るさで満ち溢れている。

 ショウや木之本君は、多少なりとも気にするかとも思うが。

「こんなの落ちてた」

 廊下の雰囲気は語らず、ヒカルが小さな紙切れを渡してきた。


 「余ったチョコ、引き取ります バレンタインディ撲滅委員会」


 ……言葉に詰まるな、これは。

「撲滅するのにチョコくれって、矛盾してるじゃない」

「不憫だよね。僕が買ってあげようかな」

「買ってどうするの」

「僕が渡すとまずいから、サトミかユウが渡してあげて」

 それはそれで、相当にまずいというか不憫すぎる。

 サトミからもらって小躍りしたかと思えば、送り主はここでにこにこ笑っている男の子。

 悲しいどころの話じゃない。

「受け取り場所も何も書いてないから、渡しようもないでしょ」

「書いてあったらどうするの。それこそ、自殺物じゃなくて」

 さらりと怖い事を言うサトミ。 

 ただしそれももっともで、自分から晒し者になっても仕方ない。

 痛し痒しとは、まさにこの事かもしれない。

「おはよう」

 挨拶するが返事無し。

 幽鬼のような足取りで通り過ぎ、後ろへ座るケイ。

 この子こそ、廊下の冷たい空気は意に介しないだろう。




 1時限目が終わり、教室を移動。

 当然廊下を歩くので、視線を浴びる事になる。

 それを気にしているのは、どうも私くらい。

 サトミは我関せずという態度で、モトちゃんも平然としたもの。

 ヒカルに至っては、にこやかに笑っているくらい。

「気にならない?」

 隣のショウに尋ねるが、彼は静かに首を振る。

 視線は意識しているだろうし、人の目を引くのはサトミか彼。

 それでも落ち着いた態度を崩さず、過敏な反応もしない。

 あくまでも自然体で、彼は今という時を過ごしている。

「鈍いからな、俺は」

「そうかな」

「そうさ」 

 それとなく私をみんなの中へと入れるショウ。

 少し甘えすぎかと思いながら、彼の思いを受け取りみんなのぬくもりに包まれる。

「世間の風は、もっと冷たいぞ」

 ありがちなお説教みたいな事を、遠くから言ってくるケイ。 

 彼に何か言い返そうとしたところで、視界が暗くなったのに気付く。

 視力の低下ではなく、視界が暗くなっただけ。

 理由はどこからか跳んできた、頭上を舞うペットボトルのせいだろう。

「動くなっ」

 鋭く言い放ち、床を踏み切るショウ。

 軽やかに宙を舞った巨体が翻り、振り上げられた足が跳んできた幾つものペットボトルを同時に捉える。

 次の瞬間激しい炸裂音がして、遠くの壁が水浸しとなる。

 その周りにいた生徒も。

 おそらくは、ペットボトルを投げた連中のはず。


 一回転をして床へと舞い降りるショウ。

 彼自身に怪我はなく、私達も水滴一つ浴びていない。 

 例えばあれが単なる水やお茶ではなく薬品だったらと思うと、不安と恐怖がこみ上げてくる。

 理科準備室で薬品を浴びた時のイメージは、まだぬぐい去れない。

「大丈夫か」

 私の肩に軽く触れるショウ。

 その手をそっと握り返し、自分の無事と気持ちを伝える。

 彼は少しだけ表情を緩め、しかしすぐに厳しい顔に戻って辺りを見渡した。

「今投げた奴。卒業まで、病院で寝る事になるぞ」

 真横に振られた腕が壁を捉え、その形通りに壁が砕ける。

 静まりかえる廊下。

 視線を伏せる、今まで私達を睨んでいた生徒達。

 ショウは改めて廊下を見渡し、私達に歩くよう促した。

「やり過ぎじゃないの」

 やや固い声で尋ねるモトちゃん。

 周囲を警戒しつつ先を行くショウは振り返る事無く返事を返した。

「やられるよりはましだろ」

 それは私も同感。

 沸き上がる不安と不快感を考えれば、これでも甘いと思うくらいだ。



 移動先の教室内は、さっきと同じ。

 昨日までと変わりはなく、ペットボトルが振ってくる様子もない。

 ただそれは、サトミが言うようにこのクラスだけの事情。

 私達と付き合いが比較的長く、深い人達に限られた話。

 そうでない生徒も中にはいて、露骨に不快そうな視線を向けられる。

「私達が悪いって言いたいの?」

「さあ。他人に理由を押しつければ、自分は悪くないでしょ」

 何の関心も無いと言った態度で答えるサトミ。

 実際彼女のように無視をすればいいのかも知れないが、私はそこまでは割り切れない。

 どうしても人の目、考え方を気にしてしまう。

「あまり悩むと、また目の調子が悪くなるわよ」

「ああ、うん」

 それもそうかと思い、ただそう簡単に考えは切り替えられないので端末にイヤホンをつないで音楽を聴く。

 無理に他の事を考えるより、完全に外部を遮断して違う事に没頭した方が速い。

 逃げたように思えなくもないが、サトミの言う通り調子を悪くするよりはましだろう。


「……これは随分酸っぱいね」

「若旦那、一体何という食べ物で」


……酢豆腐か。

 音楽ではなく、落語のチャンネルになっていた。

 どうして分かるかと言えば、前は一日中端末で音楽やラジオを聞いていた。

 その時は気晴らしになるかと思って、音楽以外に落語や詩の朗読なども。

 笑った記憶はないが、内容は頭の中に入っている。

 古い、長い時を経た話。

 誇張、過剰、非現実。

 ただそこに、人の心を揺り動かす何かがあるからこそ話は今でも残っている。

 その何かが分かればとも思うが、分からないからこそ私達はそれに惹かれるんだろう。


「落語を聞いてる顔でもないわね」

 私の端末をリンクして、イヤホンを耳に添えるサトミ。

 丁度時そばをやっていて、こんな時代から詐欺はあったんだなと思ってしまう。

「落語が好きになったの?」

「そういう訳じゃないんだけど」

 チャンネルを、今週のヒットチャートへと変える。

 幾つかは聞き馴染みがあり、幾つかは聞いた事もない。 

 この中で時を越えて後世まで残るのは、何曲あるだろうか。

「落ち着いた?」

「少し」

 イヤホンを外し、深呼吸する。

 すぐに明るくはなれないが、底まで気持ちが沈み込んだ訳でもない。

 それに前よりは、立ち直るのも速くはなった。


「席に付け」

 横柄な口調と共に入ってくる年配の教師。

 自然と教室内の空気が悪くなり、それでも生徒達は席に付く。

「テストをやるから荷物をしまえ。早くしろ」

 ブーイングすら起こさないクラスメート。

 それを単に服従と取ったのか、教師は愉悦の表情を浮かべて端末を操作する。

 視線は生徒達。

 そして彼が入ってきたドアへと向けられる。

「……外にいるな。警備員が」

「それで強気に?馬鹿じゃないの」

「じゃあ、馬鹿なんだろ」

 一言で終わらせ、配信されてきたテストに取り掛かるケイ。

 ただしこの授業は数学で、彼は適当に数字のキーを押しただけだと思う。



「そこまでだ」

 強制的に終了する画面。

 これに対しても不満の声は上がらず、教師の表情が緩むだけだ。

「点数が低い者は、罰を与えるから覚悟しろ」

「それは大変だ」

 後ろから聞こえる、気のない声。

 教師が一瞬こちらを見るが、特定が出来なかったのか舌を鳴らして採点結果を確認し始めた。

 その顔付きが変わり、卑劣な表情が改めてこちらに向けられる。

「0点の馬鹿がいる。心当たりのある奴は」

 教室内に反応はない。

 教師は端末片手に、にやけながら机の間を歩いていく。

 その足が私達の後ろ。

 つまりはケイの隣で止まる。

「お前だ」

 机を手で叩く教師。

 一斉に視線が集まり、教師の表情がさらに歪む。


 今まではどちらかと言えば大人しく、少し陰険な部分があったというだけ。

 それが警備員導入をきっかけに、こういう真似をするようになる。

 権力を持つ怖さなのか、本質が表に出たのか。

 何より、良い傾向ではない。

「お前、ふざけてるのか」

「いえ、全然」

「だったら、どうして0点なんだ。今日は、床に座って授業を受けろ」

「はあ」

 大人しく床に座るケイ。

 それには教室内がざわめき、一部生徒は露骨に敵意を見せる。


 私は、体罰を全否定はしない。

 ただ、成績が悪いと言って床に座っても成績が上がるとは思えない。

「椅子だ。椅子を机にしろ」

「はあ」

 やはり大人しくそれに従うケイ。

 教師は笑いを堪えるのに必死という顔で、軽い足取りでホワイトボードの前へと戻っていった。

「何あれ」

「戦前はこういうのがあったらしい」

 後ろを見つつ呟くショウ。

 特に同情をした様子はなく、むしろ笑っているくらい。

 ただそれは教師の笑みとはまた違う。

 彼の笑顔は、仲間をからかう意味のもの。 

 教師の笑みは、自分の権力で生徒をひれ伏させる事への優越感から来ているもの。

 しかし当の本人は大人しく座っているので、こちらからは何かを言い出しにくい。


「おい、正座をしろ」

「はあ」

 後ろで姿勢を直すケイ。

 固い床の上での正座。

 ここまで来ると本当に体罰で、さすがに笑えなくなってくる。

「成績が悪い奴は随時罰を与えるから、覚悟しろ」 

 心の中では叫び声くらい上げていそうな顔。

 権力を握った人間が陥りがちな事ではあるが、それが何をもたらすかは考えるまでもない。

「改めてテストだ」

 再び送られてくるテスト。

 一斉に問題へ取り掛かるクラスメート達。

 この際はケイの事も一旦横へ置かれ、私も問題に集中する。

 体罰は気にならないが、テストはテスト。

 作り手の人間性は関係ない。



 時間が来て、再び画面が終了する。

 教師の表情が一気に緩み、一歩一歩確かめるようにこちらへと歩いてくる。

 今は全てがバラ色で、輝いて見えているのかも知れない。

 自分の歩いた床には花が咲き、触れる者は黄金に輝くとも。

「貴様だ」

 もう一度ケイかと思ったら、席を立ったのはショウ。

 少なくとも彼がそこまでひどい成績を取るとは思えず、それでも彼は私の隣で席を立つ。

 身長の関係上、そのショウに見下ろされる教師。 

 明らかな違和感を感じている表情。

 それでも彼からのプレッシャーを避けるようにして、一歩下がって近くの机を叩いた。

「お前も0点だ。馬鹿か」

「それが、教師のやる事か」

「な、なに?」

「教師のやる事かと聞いたんだ」

 一歩前に出るショウ。

 それに合わせて下がる教師。

 視線はすでに泳ぎ気味で、それはショウを逸れてドアへと素早く向けられる。

「こういう態度を取って、ただで済むと思ってるのか」

「今聞いてるのは、俺だ」

「馬鹿が」

 背を向けて、教室内を走り出す教師。

 彼は息を荒くしながらドアを開け、廊下で待機していた警備員を招きいれた。


「あの生徒が暴れてる。なんとかしてくれ」

「お任せを」

 一斉に抜かれる警棒。

 気付くと後ろのドアからも、警備員が入ってくる。

「任せろ」 

 席を立ちかけた私を制し、机の間を駆け抜けるショウ。

 教師の鈍い動きとは全く違う、躍動感に溢れた走り。

 彼はドアまでたどり着くと警備員をタックルで押し戻し、そのまま廊下へと飛び出ていった。

 後ろのドアから入ってきていた警備員もすぐに廊下へと戻り、外から叫び声が幾つか伝わってくる。



 少しの間を置き、無言で教室に入ってくるショウ。

 殺気だった感は否めず、彼に声を掛ける者は誰もいない。

 好戦的とも言える、普段の彼とは違う行動。

 それに疑問と違和感を抱きつつ、隣に座った彼を見上げる。

 息を弾ませて、頬は少し赤い。

 視線は鋭さをたたえたままで、彼から何かを言う様子は無い。

「教師はどうなったの」

「もうすぐ来る」

 短い返事。 

 その言葉通り、青い顔で教室へと戻ってくる教師。

 彼は黙って黒板に公式と例題を書き、その説明を淡々とした口調で読み始めた。

 私達がそこにいないかのように、書いては読んで書いては読んでの繰り返し。

 一方的な、さながらビデオでも見ているような感覚。

 視線は黒板と手にしているノートに向けられるだけで、決してこちらには向けようとしない。

 やがてチャイムが鳴り、その瞬間に荷物をまとめて教師は教室を飛び出していった。


 教室内には依然として、静けさと緊迫感が漂い続ける。

 私達に理解があるといっても、目の前で一方的な暴力を見せられた後。 

 それに対してまで理解を示すのは、そう簡単な事ではない。

 またあの教師が復讐心に燃え、対象をショウだけではなくクラス全体へ向ける場合もある。

 彼の行為は決してヒーローとして迎えられず、むしろ余計な真似をしたとも思われかねない。

 一言彼が謝るか、何かのきっかけがあれば。


「悪かった」

 席を立ち、固い口調ではあるがそう告げるショウ。

 何度も、何度も頭を下げる。

 この事に責任を感じ、それを謝罪し、反省をする。

 誰にでも分かり伝わる、彼の強さ。

 そして優しさ。

 人を思いやり、人のために戦い、人の心を理解する。

 変わったように見えても、彼は何も変わっていない。

 初めて出会った頃からずっと。




「格好良いね、君は」 

 食堂で、ぐちぐちとショウに絡むケイ。 

 膝や足首を時折さすりながら。

「俺が正座させた訳じゃない」

「君が格好良い事をしてくれたお陰で、僕は立ち上がるタイミングを失いましたよ」

「0点を取るから悪いんだろ」

「おい、俺が本気で0点取ったと思ってるのか」

 血相を変えていきり立つケイ。

 しかし彼をなだめる者は誰もいないし、信用した様子も無い。

 確かに0点は無いかもしれない。

 ただ本気で問題に取り組んだとしても、結局正座はしたというのが私達全員の共通した認識だ。

「ちっ。所詮はぐれ者の集団。人を思いやる気持ちなんて持ってないか」

「あなた、鏡でも見てるの?それと、こぼさないで」

 ぼろぼろと、チャーハンをテーブルへこぼすケイ。

 彼はサトミをぎっと睨み、落ちたチャーハンを手で掴んで食べ始めた。

「落ちたの食べないでよ」

「テーブルは綺麗に拭いてある。俺の手も、食事の前に洗った。何が問題なんだ」

 ここまで言い切られては反論のしようが無いし、私が食べてる訳ではないからどうでもいい。



「ヒーローがいるって聞いたんだけど」

 笑いながら、ショウの肩を後ろから揉む七尾君。

 カツ丼に集中していたショウはその手をさすがに止めて、気まずそうに後ろを振り返った。

「ヒーローといっても、俺は別に」

「横暴な教師を一喝して、それに従う警備員を一掃。当然、学校中の噂だよ」

「悪い事はしてない」

「だから言っただろ、ヒーローって。で、そっちの子は何を」 

 テーブルに落ちたチャーハンを手づかみで食べるケイに視線を向ける七尾君。

 方やヒーロー、方や落ちたチャーハンを食べる男の子。

 比較をしてしまうのは致し方ない。

「世の中には、何も食べられない人もいる。落ちたくらいで捨てるなんて、贅沢なんだ」

「そういう理屈。……ブックメーカーの件、俺も乗りたいんだけど」

「それは誰から聞いた?」

 チャーハンを拾いつつ、少し低い声で尋ねるケイ。

 七尾君は笑うだけで、それについては答えない。

 ケイはテーブルに備え付けられているウェットティッシュで手をぬぐい、その手を彼に差し出した。

「カードか現金。俺の取り分は、30%」

「高くない?」

「だったら友情に免じて、20%で良いよ。差額分は、おいおい返してもらう」

 魂の予約をした悪魔みたいな顔。 

 それに七尾君は気分を害した様子も無く、無記名のカードをケイの手に置いた。


「ブックメーカーは潰れるとも聞いたけど」

「ああ。俺が潰す。清算には問題ないから、今の内に欲しい物のリストでも作っておいて」

「すごい自信だね」

「俺は、ただ賭けるだけだよ」

 横へ流れる視線。

 そこには、黙々とナポリタンを掻き込むショウがいる。 

 賭けの対象とされるのは、ショウが出場するという試合。

 彼は拒んでいるけど、ケイはそれを確定したものとして話を進めている。

 どういう事は知らないが、執行委員会は相当強引な手段を考えているようだ。

「しかし、警備員に睨まれて大変だね」

「七尾君は、大人しく言う事聞いてるの?」

「長いものには巻かれろってね」

 にこりと笑う七尾君。

 明るさの奥に宿る一瞬の鋭さ。


 彼こそ人の言うなりに従うタイプとは思えず、こうした表面上の愛想の良さはかなり苛烈なものがある気がする。

 私は幸か不幸か、彼のそういった部分を今まで殆ど見ていないが。

「君達には関わるなって通達が、警備会社内で出てるらしいよ。本当、すごいね」

「良い事なの、それは」

「性質の悪い警備員を駆逐する為にはね。その分軋轢も生じるだろうけど。じゃあ、試合を楽しみにしてる」

 最後にもう一度ショウの肩を揉み、人込みの中へと消えていく七尾君。

 ただショウをからかいに来たのではなく、一応は忠告をしてくれたのだろうか。

「試合は、止められないの」

「例えば子猫を引っ張り出されて、それをぐるぐる振り回したらどうする」

「絶対止める」

「そういう事」 

 どういう事かはともかく、言いたい事は分かった。


 ショウの弱い部分。

 彼に限らないが、そういう人の心の優しさをついてくるという訳か。

 それが子猫ではないと思うが、近い事をやるのは難しくない。

 交換条件を出されれば、彼は飲むしかない。

 それはすなわち、試合の出場という結果になるんだろう。

「本当、卑怯だね」

 ケイの肩に触れ、ニコニコと笑うヒカル。

 少なくとも今の話に関して、彼は卑怯ではないが。

「もしかして、ショウを出場させる事にも一枚噛んでる?」

「そんな面倒な事するか。手っ取り早く稼ぐのなら、こいつを1日5人ずつデートさせた方がいい。一ヶ月で風俗嬢なんて目じゃないぞ」

 何を言ってるのかはともかく、向かいからスティックで脇を突いて黙らせる。

 もう少し、違う例えは無かったのか。




 午後からは幾つかのクラスで合同の体育。

 なんとなく空気が張り詰め、なおかつ高揚した様子の生徒達。

 体育館ではななく、マットの敷き詰めれられた格闘技専用のトレーニングセンター。

 壁は鏡張りの所が多く、あちこちでシャドーボクシングを始めている。

「今日は総合格闘技の練習を行います。今度生徒会が主催して大会を開くようなので、その練習を兼ねてですね。興味が無かったり怪我をしたくない場合は、見学していて結構です」

「女子は全員見学。はい、解散」

 事務的に今日の内容を告げる、体育の教師達。


 という訳で、女の子の大半は壁際に集まり座っている。 

 逆に男の子達はプロテクターを着け、やけに気合を入れて体を動かしている。

 女の子の前では自然に張り切ってしまうのが男の本能とでもいうのか、日頃は大人しく本を読んでいるような子ですらサンドバッグに組み付いている。

「よくやる」

 マットの上に横たわり、手で頭を支えて欠伸をするケイ。

 彼の場合はやる気の欠片すら見せていなく、また女の子も特に彼へは注目をしていない。


 注目を浴びているのは、やはりショウ。 

 彼もケイの隣で足を伸ばして座っているだけ。 

 何もしていないのは同じだが、それを見ているだけでも幸せな気分になれる。

 それは私の主観が多分に混じっているが。

「では、試合形式でやってみましょう。参加希望者は前に」 

 赤いテープで仕切られた、試合用のスペースへと集まってくる男の子達。

 私達からは誰の参加も無く、これにはショウへ対してブーイングが上がる。

「臆病者。逃げるな」

 下らない野次を飛ばした男の子の腕を払い、頭をマットの上に落とす。

「こ、この。今、舌を」

「二枚あるんでしょ」

「いや。この前閻魔様に、一枚引っこ抜かれたよ」 

 ヒカルと二人で盛り上がり、ぺたぺたとマットを叩く。

 さっきまでの重い気分もかなり和らぎ、自然と笑えるようにもなってきた。

 時の流れは傷を癒し、友情が心を暖かくする。



 かなり淡々と進んでいく試合。

 本人達は真剣かもしれないが、そこは素人同士。 

 こぶしを振り回してもつれ合い、最後にはマットの上でごろごろ転がるという展開が続く。

 KOするだけの打撃力も無ければ、そうするだけの心構えも無い。

 実際人を殴るというのは、それなりの覚悟が必要だから。 

「武器でも持たせろよ」 

 無責任に声を上げ、女の子から睨まれるケイ。 

 その視線ににこりと笑い、一斉にブーイングを浴びる事となる。

「評判悪いわね」

 なんとも楽しそうに笑うサトミ。

 ケイはそれにも愛想よく笑い、あぐらをかいている太ももに乗せてある端末のボタンを押した。

「勝てないな」

「賭けてるの?」

「連戦連敗だ」

 胴元はこの間のブックメーカーと違い、クラス内での賭けの様子。

 また賭けているのも非常に小額で、仮に全部の試合に負けても一食抜く程度で済むようなものだ。


 ただし彼が賭け事に強いイメージはなく、今のように大抵負けている。

 データを取りもしないし、その場の勢いで買ってる様子。

 何より、勝利に対する執着が薄い。

 とはいえ三島さんとショウの試合では、莫大なお金を手にしている。

 いざという時。ここ一番の負けられない勝負には、今までも確実に勝利を収めてきた。

 逆に言えば、勝算が無ければ勝負に挑まないんだろう。

 もしくは、勝利を確信するだけの準備をしなければ。


「どうも試合になりませんね。誰か経験者は」

 視線が流れ、やがてショウの所で止まる。

 教師は申し訳なさそうな顔で彼の前までやってくると、恐縮しながら赤いテープの貼られた試合用のスペースを指さした。

「済みませんが、お願い出来ますか」

「いや、俺はちょっと」

「本当、申し訳ないんですが」

 頭を下げる教師。

 こうなるとすでに勝負は決まり、ショウは仕方なさそうに立ち上がって体を解す。

 礼には礼で尽くすではないが、ここまで頼まれて断るような性格ではない。

 それが良いのか悪いのかは、ちょっと難しい問題ではある。

「相手は。えーと」

「俺が」

 のそりと近付いてくるやたらに大きな男。

 柔道、それとも相撲部か。

 耳が腫れているので、寝技も得意らしい。

「誰、あれ」

「目立つ子は敵が多いのよ」

 結局誰とは言わないサトミ。

 どちらにしろ友好的な関係ではなく、いつしかトレーニングセンター全体の空気も変わってくる。


 戦いに対する自然な反応。

 好奇心と、先程とは比べものにならない高揚感。 

 傷付き、倒れ、打ちのめされる。

 単なる戦いだけではなく、そういった姿をも期待する空気が広がり出す。

「気を付けて」

 そう声を掛けるが、周りの黄色い歓声に私の声は掻き消される。

 いつかこういう事があり、その時は私にだけ手を振ってくれた。

 多分今も。

 私の勝手な思い込みだとしても、私の心の中にはそれが真実なんだから。



 突っ張りのようなジャブを肘で受け流し、細かく自分もジャブを返すショウ。

 そのまま懐に入りジャージの腰の部分を掴んで四つに組み合う両者。

 お互いの肩が一瞬盛り上がり、どちらも動きが止まる。

 鋭く飛んでくる相手の足払い。

 ショウはそれを空かし、相手を引きつけバランスを崩させる。 

 相手はすかさず彼から離れ、再び突っ張りを繰り出した。


 実力差を考えれば、ショウがファーストコンタクトで決めてもおかしくない相手。

 それでも彼は相手に合わせ、教師に言われた通りに見せる試合をやっている。

「強いの、相手は?」

 格闘技に関して専門ではないサトミが訝しげに尋ねてくる。

 余程の事が無い限り大抵の相手とは一瞬で勝負が付く為、それに対する疑問だろう。

「相手に合わせてるみたい」

「人が良いのね。でも、それってどうなのかしら」

 隣で大人しく座っている木之本君とヒカルに視線を向けるサトミ。

 特に木之本君はその人の良さを逆に突かれ、停学にまでなった。

 美徳の一つとしては数えられるが、今の世の中で賢い生き方とは言いにくい。


 咄嗟に足元へ手を伸ばし、マットの上に置いてあったスティックを握る。

 しかしショウは一瞬私を視界に捉え、微かに首を振った。

 突っ張りを繰り出す相手の袖口。

 目が悪くて今まで気付かなかったが、ジャージの下に何かを隠している様子。

 ナイフか警棒か。

 どちらにしろ、体育の授業中に使用すべき物ではない。

「どうかしたの」

「あの男が武器を」

 そう答えた途端ショウが相手の懐へ飛び込み、腕と襟を引いて腰に乗せる。

 相手が出てきた動きに合わせての背負い投げ。

 綺麗な弧が描かれ、相手の足が天井高く跳ね上がる。

 そのまま巨体が翻り、マットが揺れて男はその上で動かなくなる。

「やった」

 拍手をしたのは私だけ。

 あまりにも突然で、あまりにもの技の切れ。

 そして、その威力。

 強さという定義が、私達とは根本的に異なる存在。

 自分達とは遥か超越したところに位置するのが、わずかながら垣間見えた瞬間。



 静寂の中、一礼をして戻ってくるショウ。

 教師はすでに彼へは関心を払わず、倒れた男を介抱している。

 ショウに罪は無い。

 それでも非難され、甘んじてそれを受けてきた。

 だから私は手を叩き、暖かく彼を出迎える。

 彼の無事を喜び、健闘を称える。

 彼の勝利よりも、ただそれを心から嬉しく思う。



「怖い奴だ」

 相変わらずマットに寝たままのケイ。

 その後ろにヒカルが、同じ格好で横になっている。

 どうでもいいけど、気味が悪いから止めて欲しい。

「お陰で、賭けに負けた」

「相手に賭けてたの?」

「空気を読むと思ってね」 

 鼻で笑うケイ。

 その後ろで、にっこり笑うヒカル。

 そういう笑顔を浮かべる場面じゃないとは思う。

「今度は二人でやったら?」

 無責任に提案するモトちゃん。

 見た目の面白さだけで言ってないか?

「悪いけど、俺が勝つよ」

「だったら、僕は負けるね」

 そう言って、明るく笑うヒカル。

 多分この人は、幸せな人生を送ってるんだろうな。


 どういう訳か知らないが、マット上で向き合う二人。

 以前はヒカルの方がわずかながら上回っている部分があり、それは試合の上でも結果として現れていた。

 しかし今見ているとケイの動きの方が軽く、また速い。

 ヒカルは受けに回るばかりで、すでに息が上がり気味。

 病み上がりとはいえ、一応は5年間ガーディアンとしての訓練を受けてきたケイ。

 一方のヒカルは、この数年は大学生と大学院生という勉強漬けの生活。

 運動も少しはしているだろうが、量質ともにケイには及ばなかったらしい。

 ヒカルの足元がふらついたところでケイが軽く押し倒し、そこで試合が終る。

 勝ち誇るでもなく突っ立ったままのケイ。

 その下で頭を押さえて笑っているヒカル。

 ここまで来ると、もう神々しいな。



「先生、そんなの面白くありません」

「勝ったんだから、玲阿君との試合をさせて下さい」

「見たいー」

 突然盛り上がるトレーニングセンター内。

 彼への敵愾心がここまであるとは思えず、またそこまで興味を引くような試合ではなかったはず。

 物珍しさはあるが、試合としては凡庸。

 ショウとの試合も、大して面白みがあるとは思えない。

「本当、困ったものね」

 腕を組み、くすくすと笑うサトミ。

 照明の加減で端正な横顔には影が落ち、視線は鋭さを湛えたまま。

 魔女って、案外身近にいるものだ。

「あなたが仕組んだの」

「人聞きの悪い。こういう試合も面白いでしょって、少し教えただけよ」

「それを仕組んだって言うのよ。虐殺じゃない」 

 鼻を鳴らすモトちゃん。 

 しかしそれを言うのなら、せめて虐待といって欲しい。

 殺してどうするのよ。




 身長、横幅、体重。

 風格、容姿。

 向かい合えば分かるが、何を取って見てもケイが勝る要素は無い。

 容姿は、この際関係ないけどね。

 また試合形式においてケイが勝ったためしは無いし、この先一生勝つ事は無いと思う。

 実力差はハンディ以前の問題で、熊にミジンコが襲い掛かるようなもの。

 試合にならないというか、試合をすべきではないだろう。

「始め」

 背を向けて、露骨に逃げ出すケイ。

 周りの生徒から失笑が漏れるが、作戦としては間違ってはいない。 

 どう考えても正面から掛かって勝てる相手ではないし、奇襲も通用しない。

 あるのは時間一杯逃げ切る事だけだ。


 一瞬にしてケイへ追いつき、足を払ってバランスを崩させるショウ。

 よろめいたところで後ろから襟を掴み、軽く引き寄せ首に腕を回す。

 ケイの体は簡単に持ち上がり、一瞬顔が赤から青に変わって力が抜ける。

 彼もショウに比べれば小さいが、高校生としては平均的な体格。

 猫の子のように持ち上げようとして持ち上がるものではない。

「すごい」

「さすが」

「格好良い」

「好きにしてっ」

 最後のはともかく、いきなり盛り上がるトレーニングセンター内。

 実力差が圧倒的なのはさっきと同じだが、笑いを買うようなやられ方。

 サトミやケイ。

 何よりショウがそれを狙ったとは思えないが、結果としては良い方向へ転んだと言っていい。


「やっぱり強いよな、玲阿は」

「男だからな」

「男の方が強いのは、当たり前だろ」

 どこからか聞こえてくる会話。

 そんな事、誰が何時何分何秒に決めた。


 とは、子供ではないので言いはしない。

 あくまでも、心の中で思うだけ。

 実際彼の強さは圧倒的で、私もその足元にも及ばない。

 ただ勝負ともなれば勝つために戦うし、自分の勝利しか信じない。

 例え相手が誰だろうと、それが変わる事は無い。

「強い女もいるけど、所詮は女だからな」

「やっぱり男の方が強いって」

「当たり前だろ、そんなの」

 とりあえずストレッチを始め、少しずつ体を温める。

 少し気分は重かったが、動くたびに重さは薄皮がむけるように剥がれていく。

「男だよな、やっぱり」

「本当、男に生まれて来て良かった」

「女じゃなくてよかったぜ」



 その会話は当然他の子にも聞こえていたらしく、盛り上がる男の子達とは対照的に女の子達の空気は不穏なものとなる。

 体が温まったところで蹴りを放ち、ステップを踏んでマットの具合を確かめる。  

 RASレイアン・スピリッツ)のものより柔らかめだが、私の体重ならそれほど沈み込む事は無い。

「あなた、何してるの」 

 すでに私の意図は読み取り、それでもなお確認をしてくるサトミ。

 数度跳躍をしてマットの具合を改めて確認し、息を整える。

「男が偉いって、誰が決めたの」

「強いって言ってたわよ」

「偉いも強いも同じでしょ」

「意味としては似てるけど、違うんじゃないかしら」

 その割には止めようとはしないサトミ。

 モトちゃんは処置なしという顔で、ため息を付いて首を振った。

「何よ。あれだけ言われて、黙ってるの」

「偉くても強くても良いでしょ。何か困るの?」

「これはプライドの問題なの。譲れないのよ」

「たまには譲ってよね。ヒカル君」

 モトちゃんに次いで温和な意見を持つ子へ話が振られる。


 しかし眠いのか、マットの上に転がったままこちらを見ようともしない。

 いや。これはケイの方か。

「生物学的には男の方が、筋力は強いけどね」 

 ケイをまたぎ、苦笑気味に説明をし出すヒカル。

 こうなったら、私が止まらない事は彼も分かっている。

「第一勝てるの?」

「勝てなくてもやるの」

「久しぶりに聞いたよ、そういう台詞」

 呆れた様子で首を振るヒカル。

 この子に呆れられるとは、私も結構なところにまでやってきたな。

「行け、女の意地を見せろっ」

「男に負けるなっ」

「当たって砕けろっ」 

 最後のはともかく、女子生徒はかなりのボルテージを上げている状態。

 私への敵意や疎外感はすでに無く、女である事の連帯感。

 理屈ではない一体感が体の奥から湧き上がってくる。


 静かに歩を進め、ラインが引かれたマットの中央へと立つ。

「あのな」

 モトちゃんやヒカル以上に呆れているショウ。

 言いたい事は私が一番分かっている。

 でもこれは理屈ではないし、矛盾するが勝敗でもない。

 プライド。私一人ではない、女性としての尊厳を掛けた戦いだ。

「本気ですか」

 かなり困った顔で尋ねてくる体育教師。

 一方女性の体育教師は、嬉々として私の肩を揉み出した。

「彼女は本気ですよ、やりますよ」

「怪我をしなければいいんですが」

「そういうおごりが、世の中を破壊に導いてきたのよ。女は原始以来太陽なのよ」

 何の話をしてるのかは分からないが、彼女が怒ってるのだけは理解出来た。



 女性というだけで差別をされ低く見られる事はままある。

 社会に出ればそれはより顕著な形で現れる。

 この学校の理事長は女性だけど、それは創設者の孫娘だからという但し書きがつく。

 理事の大半は男性で、主要なポストも然り。

 結局世の中は、昔から男性中心で回っている。

 それを私とは言わないが、私達から変えていくべきではないだろうか。 

 なんて今まで思いもしなかった事を考え付くのだから、おそらくまともな精神状態ではないんだろう。


「ルールは?」

「ありありで」

 勝手に答える女子の体育教師。

 ちなみにありありとは、なんでもありというルールの略だ。

「無し無しでもいいですよ」

「その、無し無しとは?」

「投げ無し、間接無し、グランドでの攻防無し。寸止めの、お坊ちゃまルールです」

 挑発的な口調でそう言ってのける女子の体育教師。

 それには男子の体育教師もむっとしつつ、ショウを振り返った。

「君は」

「ありでも無しでも、どっちでも」

「では、ありで」

 どうやら私の意見は求められてないらしい。


 異様な盛り上がりを見せるクラスメート達。

 それを感じつつ、ただ無駄に熱くはなりすぎない。

 冷静さを保ちつつ、ただ闘志を徐々に高めていく。

「しかし、本気でやるのならレフリーが」

「僭越ながら、俺が」

 苦笑気味に登場する七尾君。

 ここぞという時は出てくるな、この子は。

「今のありとか無しってのは分かりますか?」

「勿論。勝敗はKOおよびギブアップのみ。判定は無し。体重によるハンディも認めない」

「了解」

 拳を中央で重ね合い、後ろ向きのままコーナーへ下がる。

 私達が十分に距離を取ったところで、七尾君が両手を交差させた。

「始め」



 マットを指で掴み、そのまま踏み切って懐へと飛び込む。

 リーチが長い相手に距離を取られては勝ち目は無く、動きの取りづらい内側に入るのはセオリー。 

 ただ今回は投げと間接もありなので、抱きすくめられる危険性もある。

 何よりリーチ差や、内側に入った時の攻撃方法を彼は十分に理解している。 

 そこに突っ込んでいく自分の無謀さに笑いつつ、長い腕をかいくぐり体をひねって脇腹に掌底を見舞う。

 私の腕の動きに合わせて下がる体。

 掌底はダメージを消され、代わりに後ろから腕が迫ってくる。

 このまま抱きしめられれば、投げられて一瞬にして勝負は付く。

 それでもあえて懐に入ったまま彼の動きに身を任せる。

 予想通り私を完全に抱きすくめるショウ。

 照れる間もなく体が持ち上がり、マットが頭の上に見えている。

 手加減無しだなと思いつつ、その勢いに合わせて浮いている足を力強く振り抜く。


 ショウの予想を越える加速を付けて倒れていく私達。 

 本来なら私の背中がマットに当たるタイミングだが、勢いが付いている分二人の体はさらに回る。

 ショウをマットに叩きつけ、腕が緩んだところでそこから抜けてマウントを取る。

 本来ならここで勝負がつくのだが、体重差が大人と子供。

 彼がブリッジをした途端、あっさりと弾き飛ばされる。


 ただ、それも予想済み。

 浮いた瞬間を狙って彼の腕を取り、その勢いを利用して腕を伸ばす。

 ただそれは彼が予想していたらしく、私を腕にしがみ付かせたままそれを力任せに振り回した。

 普通の人がやれば肩が抜けるか、骨が折れる。

 その代わりに私がマットの上に転がって、ショウの蹴りが頭上を掠めた。

 ここまではお互い五分と五分。

 少なくとも、負けてはいない。

「・・・チャイムですね。はい、そこまで」

 突っ込みかけたところでつんのめり、身構えていたショウの懐にそのまま飛び込む。

 今度は優しく抱きしめられ、そっと後ろに戻される。

「はは」

「へへ」 

 二人でにこやかに笑いあい、お互いの健闘を湛えあう。




 本気であればあるほど、熱く戦えば戦うほどお互いを理解しその関係を深め合える。

 彼という存在を、その偉大さを。

 今日改めて分かる事が出来た。

 女子生徒からはすさまじい視線が飛んできているようにも思えるが、それはこの際気にしないでおこう。






 







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