35-2
35-2
バレンタインディ当日。
寮の自室を出た途端、雰囲気が普段とは違っていた。
良く言えば華やいだ。
さらに言うのなら、殺気だった。
全員が全員という訳ではないが、告白を予定してる子は明らかに普段とは違うオーラを発している。
いつもは私を待ってる子達も予定があるのか、集まってるのは半分以下。
ただこの中でも、お互いを牽制するような視線が時折行き交う。
必死になるのは男の子だけだと思っていたが、それは私の勘違いらしい。
変に張り詰めた空気の中、ほぼ無言で正門までやってくる。
「恵まれない子に愛のチョコを」
正門の脇に張られた不気味なポスター。
悪戯なのか、何かのイベントの告知なのか。
青白い顔の男の子が、集団でこちらに向かって手を差し伸べている。
あまりにも気味が悪いので、正門の外にたむろしている風紀委員に声を掛ける。
「あれ、気持ち悪いんだけど」
「だから」
「破くなり捨てるなりしてよ。明らかに、風紀を乱してるじゃない」
「それもそうだ」
あっさり請け負い、いそいそと破りだす風紀委員。
もしかして自分では破れないから、誰かが言い出すのを待ってたのか。
「これ、誰が張ったの」
「夜中に誰かが張ったらしい。呪われるとか、どうとかって話だ」
「私は破ってないからね」
「俺は、あくまでも頼まれて破っただけだ」
二人で責任を押し付け合い、親の敵を見るような眼で睨み合いながら離れていく。
まさかとは思うが、学内にも張ってないだろうな。
思った通りと言うべきか。
階段の踊り場。
廊下の壁。
教室のドア。
黒板。
至る所にポスターが貼られてあった。
内容も何種類かあり、「チョコ、ちょこっと下さい」という軽いものもある。
ただ「バレンタインディは、政府の陰謀だ」という、相当に意味不明なものもある。
しかしこれに似たフレーズは、昨日陰気な男から聞いた気がする。
おそらくは、バレンタインディに恨みを持つ者の犯行。
重要参考人であるのは間違いない。
「おはよう」
「おはよう。ポスター、見た?」
「ええ。10種類以上はあるわね。夜の間に準備をしたみたい」
「どうよ、これ」
「実害は無いし、それほど問題ではないと思う。要は、もてない男の僻みでしょ」
一言で切って捨てるサトミ。
ポスターを貼った本人が聞いたら、その場で自害しかねない。
「ケイが関わってない?」
「アイディアくらいは出したかも知れないわね。ひねくれてるから」
「あの男。何考えてるんだか」
そこに、明るい笑顔を携えたお兄さんの方がやってくる。
彼にこういう恨みつらみは似合わないし、何よりそういう感情を持ち合わせていないだろう。
「おはよう。ポスター、どうにかしてよ」
「表現の自由は、憲法で保障されてるよ」
「恥の上塗りも保障されてるの」
「その辺は、僕にはちょっと。で、チョコがどうかしたの」
根本的にずれた発言。
サトミが後ろで椅子から転げ落ちるのも仕方ない。
「あ、あのね。今日は、バレンタインディでしょ」
「へぇ。そういえば、去年もあったね」
朗らかに笑う、仙人一人。
これ以上は、もう何も言わないでおこう。
サトミを、これ以上傷付けない為にも。
「木之本君は、誰がやったか知ってる?」
「悪戯だから、詮索しなくても良いと思うよ」
「気味が悪くない?」
「何が?」
いまいち噛みあわない会話。
どうも彼には、人の恨みつらみを理解する部分が乏しい様子。
「人これ善なり」という思想の持ち主だからな。
第一、チョコが貰えなくてひがむような人生を歩んでないし。
「こんなの落ちてたけど」
教室に入ってきたモトちゃんが手にしていたのは、安っぽい紙質のビラ。
文面はポスターと大差なく
「打倒バレンタインディ 2・14 決起」
とある。
こういう事をやってる時点で自分達が打倒されてると思うが、それは彼らの判断だ。
多分暴れる程の気力も無い連中の行為だとは思うが、一応気にはしておいた方がいいかもしれない。
「おはよう」
「おはよう」
普通に教室へと入ってくるショウ。
皮のジャケットにジーンズという、普段とあまり変わらない格好。
何を着ても似合うので、それは別段問題ない。
何が問題ないのかは知らないが。
「ポスター見た?」
「ああ」
隣に座った時、なんとなく目に入る彼の背中。
いつ、誰がどうやって張ったのか。
背中に紙が張られていた。
「この男。チョコをもらっても、饅頭と同価値」
と、ある。
ますます、陰気な顔が思い浮かぶ。
「それ、わざと?」
笑い気味に背中を指差すモトちゃん。
ショウは何がという顔で背中に手を回し、紙を掴んで文章を読んだ。
「誰だ、これ張った奴」
「文章についての意見は無いの」
「え、何が」
「いや、こっちの話」
今から、お饅頭でも買いに行った方がいいのかな。
張り詰めた空気と弛緩した空気が入り混じる中、教室に陰が差す。
朝にしては珍しく軽い足取り。
表情にはゆとりが漂い、周りを見渡して挨拶をするくらいの余裕すらある。
「おはよう」
自分から挨拶をするという奇行。
バレンタインディ当日に愛想を振り撒いても仕方ないのは、彼が一番分かっているはず。
間違いなく、関わってるな。
「この紙、それとポスター。ビラも」
「実行犯は知ってる。でも、言わない」
「どうして」
「そういう連中が、今日一日をどんな思いで過ごすと思ってるんだ。砂を噛むどころの騒ぎじゃないぞ」
妙に力を込めて話すケイ。
少し、想像してみるか。
目の前で行き交うチョコ。
温かい笑顔と思慕の感情。
はにかんだ表情、触れ合う指先。
そんな光景を、ただ傍観するだけの自分。
確かに、多少は同情出来る。
ただ言うなれば、それは日頃の報い。
本命ではなくても、普通の学校生活を送っていれば義理の一つは二つは貰えるはずだ。
「義理チョコはどうなのよ」
「それすら貰えない場合もある。平等で公正な社会なんて、嘘っぱちだ」
何が嘘っぱちか知らないし、それは貰えない方が絶対にどうかしてる。
勿論上げる方にも相手を選ぶ権利はあるが、義理というくらいなので多少は多めに配るもの。
何より告白以外の場合は、すでにイベントや行事感覚。
それこそ池上さんが言っていたように、社会人なら宅配便で送られてくる場合もあるだろう。
「とにかく、人を襲う訳じゃないんだ。ポスターくらい良いだろ」
「ショウの背中に張ってあった、この紙はどうなのよ」
「間違ってるなら、訂正する」
それには答えず、席を立って紙をごみ箱に捨てる。
全く同意は出来ないし理解もしたくない。
ただ、そういう立場の人や考え方を持つ人がいるのも事実。
好事魔多しとは言うが、あまり浮かれてばかりもいられない。
なんて考える日なんだろうか、今日は。
やがてHRが始まり、村井先生が黒板に大きく「バレンタインディ」と書きなぐった。
「チョコのやり取り結構、デート結構。ただ、あまり羽目を外さないように。それとホワイトディのお返しにしろ高額な物品のやり取りは厳禁。交際の強要も。という通達が、学校からありました」
その話を全く聞かず、浮かれた顔で机の中や自分のリュックに視線を向ける生徒達。
もてない軍団が何をやろうと、今日1日はどこへ行ってもこんな調子だろう。
「もういい。授業を始めます」
ため息を付き、課題を送信してくる村井先生。
内容は、若きウェルテルの悩みを写す事。
人の苦悩を知っても仕方ないと思うが、画面を見つつキーを叩く。
この人もうだうだ言ってないで、さっさと考え方を切り替えれば良いのにな。
私も内向的なタイプではあるが、何も死ぬとまでは思わない。
当事者にとっては目の前の事が全てであって、一生それが続くような気分になるんだろうけどね。
「どんな感じ?」
私の様子を窺いに来たのかと思ったら、ショウの手元を眺め出す村井先生。
正確には彼の周辺。
足元やリュックの周りを探り出した。
「あら、何も無いじゃない」
「プレゼント希望者は、随時受け付けております。先生は教員という事で、今プレゼントをお渡ししても構いません」
後ろから聞こえる事務的な口調。
村井先生は眉間にしわを寄せ、ショウとケイを交互に指差した。
「渡すのに受付が必要な訳?」
「何分、人数が多いものでして。混乱を避けるための処置です。ちなみに、浦田珪へのプレゼントも随時受け付けております」
最後は低い声で笑って締めるケイ。
笑ったのは彼くらいで、村井先生は魔物にでも会ったような顔をして彼から視線を逸らした。
「気持ち悪い」
「おい」
「あなたじゃないでしょうね、このポスター。職員室でも、騒ぎになってたわよ」
「もてない男の恨みつらみを、小さく発散させただけです。なんなら先生が、彼らに義理チョコを配りますか」
「貰えないのなら、貰えない方に原因があるのよ。そういう人生を送ってきた自分の過去を、まずは恨んだら」
厳しく断罪し、小さなをショウの机に置く村井先生。
そういう行為は私が許さないので、袋を奪って中を開ける。
「……なんだ」
ショウだけではなく、木之本君達も含めて連名で。
しかも彼だけではなく、クラスの男の子グループに一つ一つ渡していった。
「はは。草薙高校のビューティマドンナ万歳」
なんか調子の良い事を言ってるケイだけど、彼の名前が書いてない事は今は言わないでおこう。
休憩に入るや、教室を飛び出していく女の子達。
この教室内でやりとりされるのは、義理が殆ど
明らかに義理というものに関しては、受付無しでショウの所へもやってくる。
とはいえ数が普通ではなく、まずは各クラス代表、各クラブ代表。
SDC代表、生徒会代表、1年代表、2年代表、3年代表。
教員代表、職員代表。
中等部代表代理や、大学代表代理。
小等部代表代理なんて人もチョコを届けに来た。
「こんなのもあるの」
購買代表と食堂代表。
これは、彼が日頃利用してる事へのお礼かもしれないな。
「単純にすごいわね」
苦笑しながら感心するモトちゃん。
笑いもせず、事務的に大きな紙袋へチョコを入れていくケイ。
文句を言う割には、こういう事に関しては普通にやるんだよね。
そんなせわしくも微笑ましい空気が、不意にかき乱される。
「全員、席に付け」
突然の怒号。
教室へ、押し入るようにやってくる制服姿の男女。
その後ろには、警備員が付いて来る。
「所持品検査を行う。全員、荷物を机の上へ置け」
かなり場違いな。
何より、今日という日を理解していない台詞であり行動。
当然机の上に荷物を出す子などおらず、むしろ出していた物をしまうくらい。
誰一人、従う素振りすら見せようとはしない。
「今朝HRで通達があったように、高額な商品を持ち込んでいないかを検査する。ただちに、持ち物を」
「ふざけるな」
「帰れ」
「消えろ」
一斉に飛び交う野次。
警備員が前に出てくるが、それでも野次は止まらない。
それに戸惑いを見せるのは、警備委員と教室に押し入った連中。
多分他の教室では、この強引で無茶苦茶なやり方が通用したんだと思う。
でもここでは意味をなさないし、反発をより増幅させるだけ。
一人として下がろうとはしないし、むしろ前に出る。
その理由はなぜか。
「玲阿君」
「雪野さん」
名指しで言われても困るが、動く事にやぶさかではない。
何より、今日という一日はもっと神聖で崇高であるべきだ。
こうして、自分達の権力を振りかざし見せつけるための日ではない。
「という訳だ。早く帰れ」
言い方はともかく、静かに諭すショウ。
彼の体格、風格に警備員も一瞬たじろぐ。
「お、お前逆らう気か」
「だったらどうする」
「どうするって、それは」
視線を交わし合う警備員達。
人数では勝っているが、ショウの落ち着きにやや気圧されている様子。
また襲い掛かるにしろ、時期を逸した感もある。
加えてこの、強烈に敵外的なムード。
クラスメート全員を相手にするとなれば、警備員と風紀委員でも分が悪い。
背を向け、無言で教室を出て行く警備員。
その後を、慌てて追いかける風紀委員。
ショウはドアの外まで彼らに付いていき、廊下から軽く手を振ってきた。
「さすが」
「素敵」
「格好良い」
今度は歓声と拍手が巻き起こり、教室内は暖かな空気に包まれる。
この人の場合評価が上がる事はあっても、下がる事はまずないな。
生まれ持った人間性。
人のために努力を惜しまず、常に献身的であり続ける。
こうでありたいという見本とでもいうのだろうか。
友達としてだけではなく、人間としても尊敬が出来る。
「いやはや」
照れながら戻るショウを、薄く笑って出迎えるケイ。
おおよそ人望とは程遠い、またそれを気にもしない表情で。
今回の黒幕は、やはりこの子を第一として考えた方が良さそうだ。
昼休み。
食事もそこそこにラウンジへ移動し、テーブルの一角を私達が貸しきる。
すると放っておいても、思い詰めた顔の女の子達があっという間に列を作り出した。
真っ直ぐとした縦ニ列。
テーブルは壁際なのでそれほど周囲の邪魔にはならず、また女の子達も騒ぎもしなければ話もしない。
ただ黙って、テーブルの中央に座っているショウに視線を向けている。
「晒し者だぞ、こんなの」
文句を言うショウの頭を、丸めた書類で叩くケイ。
それに対しては女の子達が、一斉に殺意すら感じさせる視線を彼へと向ける。
「寿命が縮みそうだな。それとここでやるのは、オフィスがないのとチョコを持ってくる人数が増えたから。文句があるのなら、自由競争にするぞ」
「俺は何も、チョコが欲しくて」
「死ね、二回くらい死ね。……はい、1番の方からどうぞ」
拡声器を使い、番号を読み上げていくケイ。
彼の言うように去年よりも人数が増え、さらに事務化が進んでいく。
一人辺りの時間は30秒程度。
チョコを渡して一言話せば終りで、中には感極まったのか泣き出しそうな子や緊張でチョコすら渡せない子までいる。
本当ここまで来ると、罪としか言いようがないな。
横から見ていても顔は凛々しいし、背も高い。
実家は良家で、スポーツ万能。
ただ御剣君と違うのは、がさつではない点。
人のために自分を犠牲にして、それをあまり気付いてないか気にしないタイプ。
単に外見が良いだけなら、彼を越える人はいるかもしれない。
だけどこれだけの優しさと暖かさを兼ね備えた人は決していない。
5年間彼の傍らにい続けたからこそ、そう断言出来る。
「はい、時間です。お昼の部はこれにて終了させていただきます。渡し忘れの方はいらっしゃいませんね。……では、残りの方は予定通り午後からとなりますのでご了承を。なおまだ受付はしておりますので、時間がよろしければご連絡下さい。以上、玲阿四葉管理委員会からでした」
ぱらぱらと起きる拍手。
拍手も変だし、管理委員会ってなんだ。
「全く、半分は寄付しろよ」
「え、ああ」
「金くらい渡せば、便宜を図るって言うのに。どいつもこいつも、チョコだけか」
なにやら文句を言ってる男の子を放っておいて、ショウが袋に詰めているチョコの山を眺めてみる。
どれだけ見ても市販品で、手作りはなし。
事前にそういう通達をしているし、また基本的にチョコ以外は受け付けない。
それこそ今のケイではないけど、現金どころか自分を包んでくる子まで現れるので。
「久しぶりに見たけど、圧巻だね」
人のいい笑顔を浮かべ、ショウの肩を撫でるヒカル。
撫でる事の意味は分からないが、彼の言いたい事は良く分かる。
学校周辺でのチョコの売上は、半分くらいショウが貢献してると言いたくなるくらい。
実際これを綺麗に並べれば、小さなお店が開けそうだ。
私も彼用のチョコは持っているが、これは後で渡せばいい。
今の彼は大勢の女の子のためにいるのであって、私のためではない。
過去私のためであったのかは、ともかくとして。
ぐったりしているショウをよそに、午後の授業も終了。
今度は教室で受付が始まる。
「はい、午後の部を開始します。列が出来ている間は受付をしますので、随時ご連絡を。冷やかし、度胸試し、理由はなんでも結構です」
すごい事を言いつつ、番号を読み始めるケイ。
光景としてはさっきと同じ。
ショウが見る見るやつれ、元気を失っていく事以外は。
それとなぜか、ショウにチョコを渡した後で私に頭を下げてくる。
初めは私達全員にかと思っていたが、彼らから離れても私の顔を見てから頭を下げてくる。
変なプレッシャーでも与えてるのかな。
「私、どこかに行った方がいいの?」
「行けるの?」
逆に尋ね返してくるサトミ。
目の前では、ショウに思いを抱いて集まってくる女の子の列。
教室内だし、サトミ達もいる。
ただショウとの距離は握手が出来るくらいの近く。
例えばつまづいたら。
ちょっと気を許したら。
目を離したら。
「どかない。一生ここにいる」
「一生はいなくていいと思うんだけど」
「うー、あー」
少し唸り、まずはストレスを逃がす。
隣でサトミが嫌そうな顔をするけど、壁に穴を開けるよりはましだと思ったので。
「まだ?」
「まだよ」
「まだ?」
「隠れんぼでもしてるの」
にこにこと笑いながら尋ねてくるヒカル。
そう言えば、この子には一度話をしておいた方が良いな。
「あのさ。今日何日か知ってる?」
「2月14日」
普通に答えるヒカル。
ただ、問題は次だ。
「バレンタインディって知ってる?」
「女の子が、男の子に告白する日だよね。チョコを渡して」
「それ、何日か知ってる?」
「2月14日」
さて、これは困った。
これ以上尋ねるのは正直怖いが、怖いもの見たさという気分もある。
「今日が2月14日で、バレンタインディが2月14日。それで、何か言いたい事は?」
「ああ、そういう事」
右の拳で左手の手の平を叩くヒカル。
別に上手い事は言ってないし、何がそういう事かも分からない。
ようやく最後の一人が渡し終わり、憔悴しきったショウが机へと伏せる。
「寝るな。これからデートだ」
「疲れたんだ、俺は」
「お前の都合は聞いてない。女の子の都合に合わせろ」
良い事を言ったのか言ってないのか。
それはともかくショウは無理やり起こされて、引きずるような足取りで教室を出てった。
悲哀という言葉がしっくり来る背中で、ただそれを見送ってる場合でもない。
場合でもないが、他人のデートを見て何が楽しいかという話。
柳君の時に散々懲りたが、しかし見ずにもいられない。
女心は複雑なのよ。
正門前で待っていたのは、思わず見入ってしまうくらいの綺麗な女性。
彫りの深い、スラブ系の顔立ち。
身長もかなり高く、少し視線を上げるとショウと目が合うくらい。
プロポーションも申し分なく、それにセーラー服というやや倒錯的な服装。
ただこの学校指定のセーラー服ではなく、何よりこれだけの容姿の生徒を見た記憶はない。
「他校の生徒よ」
「これって、学内のイベントじゃないの?」
正門の脇に付けられた、「草薙高校」というプレートに思わず爪を立てる。
プレートに罪は全くないが、今は何かをしないと収まらない。
「制限時間は事前にお伝えし通り。コースはこちらの指定通り。周囲に野次馬があふれる可能性もありますが、ご了承を」
「分かり、ました」
ゆとりと気品のある微笑。
またすごい人を連れてきたな。
「では、楽しんできて下さい」
女性とは違い、愛想の欠片もないケイ。
それは女性にはどうでもいい事らしく、疲れきったショウも同様らしい。
私にとっては死活問題ではあるが。
コースは学内の散策。
特に木々の多いスペースを歩いて回るというもの。
刺激はないが、この二人が歩いているとそれだけで様になる。
映画のワンシーンかドラマのシチュエーションか。
少し翳り始めた日差しに二人の姿が淡く浮かび、思わず叫びそうになってくる。
「なー」
私を睨み上げながら足元を通り過ぎる猫一匹。
ショウはスラブ美人で、私は猫か。
なんか、泣けてきたな。
「ユウ、何してるの」
ある意味私よりも興味深々に、二人の様子を窺っているサトミ。
猫に睨まれましたとも言えず、ため息を付いてショウ達の後を追う。
これって、相当に間の抜けた行動じゃないのかな。
「追いかけてていいの?」
「何が。……そこで止まるのよ」
どうもコース設定はサトミらしく、彼女に睨まれて足を止めたショウの目の前には冬なのに花が咲き誇っている。
温風を利用して年中春の気候を再現しているブロックで、逆に夏場は少し冷たい風が吹いている。
花に包まれた華。
舞い踊る蝶も、彼女の金髪に止まるってものだ。
「金髪?あれって、地毛?」
「眉もだから、多分そうでしょ」
話し掛けるなという声で返してくるサトミ。
後ろから飛び掛りたくなるが、その衝動をこらえてなんとなく自分の髪に触れてみる。
柔らかな髪質ではあるが、サトミのように長くもなければ漆黒でもない。
ましてやブロンドであるはずもない。
手足は短いし、背は低いし、当然胸もないし。
出るのはため息ばかりだな。
「次はどこに行くの」
「自販機コーナー。時間が押してるから急ぐわよ」
何を急ぐのかは知らないが、ショウ達の後に付いてぞろぞろと自販機コーナーまでやってくる。
正直デートコースに自販機も無い思っていたら、それはそれ。
モデルが良いと、何もかもが輝いて見える。
沈み始めた太陽が二人の姿を微妙に翳らせ、小粋な演出をしてくれる。
遠いので聞こえないが会話も弾んでいるようで、こうして指をくわえて見てるのが非常に馬鹿らしくなってくる。
「あの子は結局誰なの」
「玲阿家の遠縁とか言ってたわよ。ご先祖様の」
「それって、名前の由来になったレイアンさんの?大体イギリス人じゃないの、ご先祖様は」
「どこからの情報よ、それ。親戚云々はともかく、厳正に抽選されたというのも怪しいわね」
鋭い眼差しを、暇そうに欠伸しているケイへと向けるサトミ。
確かにこれは出来すぎで、もしかすると他校どころか国外の他校かもしれないな。
「本当はどうなの」
「DNAを調べればすぐに分かるわよ。ただ、今日は思い出という事でいいんじゃなくて」
思い出、か。
遠い異国の地。
会った事も、話した事も無い遠い親戚。
自分の先祖が渡った地でその人と再会する喜び。
時を越えて、時代を超えて。
それでも断ち切れる事の無い絆。
光の中に見える彼女の表情が、少し切なげに見えるのは気のせいか。
「あくまでも、その申請が本当ならって話よ」
「そうだけどさ」
「いけ、やれ。押し倒せっ」
ふざけた事を言ってる男を引き倒し、それを踏み越えショウ達の様子を窺う。
さっきまでよりも近い二人の距離。
切なげな表情で顔を上げる女性。
その顔を真上から見下ろし、じっと見つめるショウ。
思わず息を呑み、喉を鳴らす。
でもって、右手は自然とスティックに伸びる。
「デートにはハプニングがつき物だろ」
「身元不明の高校生が名古屋港に浮かんでも、ハプニングじゃないの」
「冗談だ、冗談。大体、あの男にそんな度胸があるか」
服の汚れを払いつつ立ち上がるケイ。
彼の言葉通りショウは人の良い、正直今のシチュエーションとはずれた表情を浮かべて女性から離れた。
「という訳だ。さて、そろそろ時間かな」
「レイアンさんの子孫って話は本当なの」
「さあね。第一玲阿家が、そのレイアンさんの子孫かどうかも分かってない。大体、レイアンさんって誰だ」
それを言われると、話が終る。
何より玲阿家の人ですらよく分かってない話。
資料もあるらしいが、昔の事過ぎて信憑性は乏しい。
「思いでは思い出。真実とは関係ない」
「たまには良い事言うのね」
「たまにはね。……はい、時間です。お疲れ様でした」
やはり事務的に終了を告げるケイ。
女性は彼に愛想よく笑い、小さく首を振ってそのまま背を向けて去っていった。
名残を惜しむ様子も見せず、凛とした態度で。
彼女が何者かは分からない。
単にプロフィールを詐称しただけかもしれない。
それでもここまで潔い態度を見せられると、少し胸は痛む。
「あなたは人が良いわね。嘘だったらどうするの」
「嘘でもなんでも、いいんじゃないの。ショウも親戚に会えたんだし」
「光達の事、笑えないわね」
苦笑して人の頭を撫でるサトミ。
ただそれが慈しみのものだと思ったのは、次の台詞を聞く前の話だ。
「次は、ユウのデートよ。楽しみね」
楽しんでるのは周りばかり。
こちらは本当、いい晒し者だ。
ショウの時程ではないが、それでも野次馬が周りを取り囲んでいる。
加えてサトミ達も。
恥ずかしいというより、根本的にこの方法が間違ってるんじゃないのかな。
「雪野さん、挨拶を」
不意に声を掛けられ、慌てて頭を下げる。
その顔を上げると、二人の女子生徒がにこやかな笑顔で微笑んできた。
「二人?」
「二人。三人仲良く、楽しんできて下さい」
私を真ん中に据え、左にショートヘアの小柄な子。
右に長身長髪の綺麗な女の子。
小さい方は1年で、大きい方は3年との事。
相手が二人なのは、多分一対一では私の間が持たないという配慮だと思う。
話題は必然というべきか、私の事が中心になる。
「綺麗な髪ですよね。黒でもないし茶でもないし。さらさらしててきらきらしてて」
「たまに陸上部で走るのを見てるんだけど。綺麗なフォームよね。カモシカというよりは野兎って感じで」
褒められる事に慣れてないし、褒められるような要素も無い。
こういう状況はむしろ苦痛というか、身の置き所がない。
反論するとすぐに
「いえ、いえ。そんな事ないですよ」
「全然違うわよ。違うのよ」
と、二人同時に返って来る。
自分がそこまでの存在とは思えず、どうも私は人にちやほやされる立場には向いてないようだ。
どちらかというと自分の評価は、マイナスから入る方なので。
コースはさっきのショウと同じ。
学内の緑の多いエリアの散策。
目の前には暖かい風の吹く、華が咲き誇る花壇が現れる。
時期外れの花が咲き、蝶が軽やかに舞い踊る。
猫が非常に好みそうな場所だな、ここは。
なんとなく花壇の中を覗き込み、きつい目付きで睨まれる。
猫かと思ったら、視線は後ろのサトミだった。
いいじゃないよ、少しくらい羽目を外したって。
照れ気味に振り向くが、二人の反応は特になし。
それは、私に対して特にないというだけ。
彼女達は彼女達で、なんとも楽しそうに盛り上がっている。
最初は私の事を話していたようだが、いつしかそれは学内生活や寮での出来事。
休日は何をして、趣味はという話になっている。
私は一人蚊帳の外で、のたのたと前を通り過ぎる猫と目を合わす。
「あったかいよ、ここ」
「ふ」
鼻を鳴らし、足元を通り過ぎていく猫。
猫にも見捨てられ、楽しそうに会話を続ける二人の後を黙って追う。
時折話題を振っては来るが、こちらは適当にあいつぢを打つだけ。
何よりこちらの返事を待つより早く、二人の間で会話が成立してる。
「なにを飲みますか」
私にではなく、3年生のお姉さまにお伺いを立てる1年生。
ただ、こういうのも縁は縁。
その仲立ちとは言わないまでも、きっかけの一つとなれたくらいは思っても良いだろう。
とりあえず自分でホットチョコを買い、すっかり暗くなった中庭を一人眺める。
寒さは今がピークだけど、後は暖かくなる一方。
日も少しずつ伸び始めたし、春も近いかな。
「どうぞ」
なにやら惜しそうな顔で差し出される、チョコの箱。
3年生からも同じような顔で受け取り、両手にチョコでため息を付く。
「どうぞ」
サトミから事前に受け取っていたチョコを添えて、二人の間を交換する格好でチョコを返す。
溢れるような、周りの暗闇が一瞬明るくなったかと錯覚するほどの笑顔。
こうなるともう笑うしかなく、当初の目的がなんだったのかと思えてくる。
「はい、終了です。お話があれば、今の内にどうぞ」
「あ、あの。これ、私のアドレスです」
「こ、これ、私の」
頭上を行き来するメモ用紙。
私が目に入ってないのは、背が小さいためだけではないだろう。
「お疲れ様でした。なおこれからは我々は関与しませんので、両者合意の上でならご自由にお時間をお過ごしください」
過ごすも何も、こちらは自販機の前に一人取り残されただけ。
野次馬から失笑が漏れるのも当然で、笑いたいのはこちらの方だ。
「お疲れ様」
へらへらと笑いながら近付いてくるケイ。
一生人を殺める事は無いと思ってたけど、それは私の勘違いだったらしい。
「折角のバレンタインディだろ。ほら、スマイルスマイル」
頬に指を立て、小首を傾げるケイ。
何一つ面白くないし、気分が悪くなるだけだ。
「さっきの二人は、一体なんなの」
「憧れと本当の気持ちは別って事じゃないのかな」
「女同士じゃない」
「そこは、俺の知った事じゃない」
根幹の部分では納得出来ないが、言わんとしたい事はなんとなく分かった。
私への感情は憧れで、二人の間は本気の思い。
だからそれを結びつけたと言いたいのだろう。
ただこれは、私がある程度彼の考え方を知ってるから理解出来るに過ぎない。
本人達は、都合のいい偶然と思っているはずだ。
「じゃあ、さっきの金髪美人は」
「ショウの先祖って言うから、取りあえず会ってもらった。もう、空港へ向かってる」
「何しに来たの」
「そこまでは知らない。でも、会えたのならそれで良いんだろ」
優しいのか冷たいのか分からない答え。
彼らしいといえばらしいのだが。
「本当は誰なのよ」
「DNAを調べれば分かる」
サトミと同じ返答。
ただそれをするとは言わないし、しようかとも尋ねては来ない。
何が本当で、何が大切なのか。
その事は、それぞれの胸の内に聞く以外ないだろう。
「ぱっとしないけど、とにかく終った。お疲れ様」
なにやら強引にまとめ、背を丸めて帰っていくケイ。
気付けば回りには野次馬もいなければ、サトミ達の姿も無い。
自販機の明かりに照らされたショウが一人立っているだけで。
「なんだったの、一体?」
「何が」
「え」
不思議そうに私を見てくるショウ。
さっきの金髪美人が誰かを分かってないという顔。
ケイも伝えていなければ、あの女性も口にはしなかたっという訳か。
これこそ意味が分からないけれど、それなら私が話を明かす訳にもいかない。
「なんでもない。まだまだ寒いね」
「おでんの時期だな」
「あのさ。今日、バレンタインディだよ」
いっそちくわでも渡せば良かったのかな。
いや。まだ何も渡してないか。
「……これ」
ポケットから小さめの紙袋を取り出しショウへと手渡す。
彼はそれを両手で受け取り、私の様子を窺いつつ中を開けた。
それほど高価でもない市販品のチョコレート。
ショウはそれを小さくかじり、残りを私に渡してきた。
私も黙ってその端をかじり、ほどよい甘味に心地よくなる。
「甘いのを食べると、幸せな気分になれるよね」
「饅頭でもか」
まだ引きずってるな、この人は。
仕方ないのでもう片方のポケットを探り、皮の張った饅頭も渡す。
「バレンタインディじゃなかったのか」
「いいのよ、無理して食べなくても」
「チョコと饅頭は同価値なんだろ」
自分で認め、饅頭も食べだすショウ。
風情には欠けるが、彼はなんとも嬉しそうで私も自然と頬が緩む。
私達には、こういうバレンタインディが似合っているのかもしれない。
「先祖?古文書の写しがあったと思うけど。……えー、これか」
リビングの本棚から、小冊子を取り出す瞬さん。
表紙には「玲阿家概要」とあり、ページをめくると読みにくそうな筆の文字が細かく書き込まれている。
「双眸薄紺後光絢爛身の丈六尺、菩薩もかくやの面差し。これ玲阿家発端の人物なり。と書いてある。目が青くて、頭が光ってる。金髪碧眼って事だろうな」
「その親戚に、今日会ったんですけど」
「騙されてない?」
笑いながら本をめくる瞬さん。
当事者がこういうくらいなので、信憑性は薄い話なのかも知れない。
「兄貴は、ヨーロッパで会わなかったのか」
「戦時中で混乱してましたからね。一応調べはしましたが、確証は得られませんでした」
「とにかく、女には気を付けろって事だ」
随分嫌な結論を得たな。
それとも、そういう経験でもあるのだろうか。
「あくまでも言い伝え。古い資料にそう書いてあるだけの話ですからね。当時、女性が海を渡ってきた事が可能だったのかどうか」
「サトミのお兄さんも、そう言ってました」
「これが家系図なんですが」
小冊子の前の方のページをめくる月映さん。
上の方を見ると、鶴木家から始まり玲阿家が誕生。
さらにそこから御剣家が分かれ今に至っている。
下の方にはショウや流衣さんの名前も書き込まれている。
「そのご先祖様と結婚した方が鶴木家から分かれて、玲阿家の礎になったと言われています」
「御土居下同心は、もう何家もあるんですよね」
「古武道として続けているのは、私達3家だけ。今更古武道でもありませんから」
あっさりと、自分達の存在を否定する月映さん。
系図から行けば彼は直系であり、言うなれば当主とも呼べるべき立場。
それでも今の自分達が、決して日の当たる存在ではないと口にする。
「何にしろ誰か先祖がいない事には始まらない。誰かはいたんだろ」
「そうですね」
過去があり、今があり、未来に至る。
今はショウで止まっている家系図も、いつか新たに書き加えられる日が来るのだろうか。




