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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第34話
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34-8






     34-8




 サトミは以前黙って床を見つめているような状態。 

 そんな彼女に構う事も出来ず杖を眺めていると、苦笑気味に声を掛けられた。

「それと、議員と揉めたみたいね」

「揉めたと言うか、言いがかりをつけられただけです」

「国会議員が何を言おうと私も平気なんだけど、敵に回して良い相手でもないわよ」

「忠告ですか、それは」

「まあね。それにスティックだった?あれの許可を確かめるなんて、口頭で十分でしょ。連中も、少々調子に乗ってるわね」

 苛立たしげに机を指ではじく天満さん。

 彼女はもう片方の手で卓上端末を操作し、早口でまくし立てて通話を終えた。

「責任者を呼んだから、会ってみて」




 執務室を訪れたのは、仏頂面の塩田さんと沢さん。

 なぜか、大山さんも付いてきている。

「あれは、俺じゃなくて玲阿の管轄だろ。あいつの親の名義で作ったんだから」

「偉い人と揉めるのは得意でしょ」

「俺を破滅させる気か。……で、どいつだ」

「この人です」

 卓上端末に表示された議員団の一覧から一人を指差す。

 塩田さんはそのデータを自分の端末へと読み込み、鼻を鳴らして画面を指で触れた。

「視察って言えば聞こえはいいけど、雪野達への圧力だろ。随分手の込んだ事をするな」

「前回の経験を踏まえて、策を講じてきてるんだよ」

 人事のように話す沢さん。 

 彼は気の無い顔で机を見つめているサトミの様子を窺い、何か言いかけて首を振った。

「どうかしたのか」

「いや。みんな、若いなと思って」

「変な事言うな。大山、この議員の不正でも暴いてこい」

「暴いたからと言って気分がいいだけで、何の意味もありませんよ。結局この議員も、ただ利用されてるに過ぎないんですから」

 肩をすくめ、婉曲に拒否をする大山さん。

 それは私も同感で、この議員個人は確かに気に食わないが彼個人をやりこめて解決する事でもない。

「面白くないな。で、今スティックはどこにある」

「村井先生。……理事長の妹に預かってもらってます」 

「ああ、あの気の強そうな。基本的に理事長は、俺達が何をやろうと関係ないって立場を貫く。その方針がいいか悪いかは知らんが」

「それがそうでもなくて。最近、ここの経営は例の理事に一任されているようですよ。私達が解任させた、あの男に」

「理事長は何をやってる」

「新しく高校を立ち上げるらしくて、そっちの準備に忙しいとか。彼女がいない隙に、暴走してるんでしょう」

 淡々と語る大山さん。

 その話は知らなかったが、内容としては頷ける。


 理事長がいれば、いくら私達に無関心と言ってもある程度の歯止めは掛けるはず。

 でも何の手も打たないのは、ここにいないから。

 一任するくらいなので、理事が有能なのは間違いない。

 逆に言えば、その有能さが私達の負担となる。

「なかなか最悪な事態になってきたな。とりあえず、スティックを返してもらって来い。玲阿も一緒の方がいいか」

「え、でも」

「このくらいで怒る奴でもない。と、俺は怒られない立場だから言ってみる」

 こっちの戸惑いをよそに、ショウへと連絡を取る塩田さん。

 少しして、息を切らしたショウが部屋へと駆け込んでくる。


「無事か」

 あのスティックは、彼の努力によって作られたもの。

 莫大なローンも、つい最近まで彼が一人でやっていた。

 誰のためでもない、私のために。

 その大切なスティックが持っていかれても、彼は私の事をまず心配してくれる。

 甘い優しさかもしれない。

 それでも、今の自分にはその優しさが心地良い。

「見れば分かるだろ。そっちはお前に任した。で、遠野。お前寝てるのか」

「起きてます」

 即座に返される返事。 

 しかし表情はうつろで、言葉へ機械的に反応したといった感じ。

 塩田さんは彼女の目の前で手を振り、それを軽く近づけた。

「危ないので、止めて下さい」

「何が危ないのか分かってるのか」

「さあ」

「重症だな、お前も。まあ、いい。お前らが悩もうと苦しもうと、俺にはもう関係ない。学校との戦いに嫌気が差したなら、降りても構わん」

「せいせいしたぜ」

 脇腹を軽く蹴られ、壁に背を打つケイ。

 塩田さんは彼を見下ろし、その顔にかかとを近づけた。

「お前は最後まで戦うんだ」

「は、話が違うだろ」

「知らん。お前は、退学したら降りて良い」

「この下忍が。元はと言えば、お前がふがいないから」

「先輩にお前とは、良い口の利き方だな」

 床に倒れたケイの首に手を回し、ぐいぐいと締める塩田さん。

 二人がじゃれる様を、ぼんやりと眺めているサトミ。

 私も彼女と大差なく、それをからかう気も起きない。


「そういう事だ。降りたい奴はいつでも降りろ」

「だから俺は」

「知らん。お前もその教師のところへ行って、スティックを返してもらえ」

「甘い事ばっかり言って。大体国会議員程度に舐められるってのはどうなんですか、遠野さん」

 冗談っぽいケイの口調にサトミは視線だけを向け、何も言わず顔を伏せた。

「反論もなしか。雪野さんは」

「私は、別に何もない」

「なるほどね。どうもぱっとしないな、二人とも」 

 軽い調子でそう言って、そばにいたショウの肩に触れるケイ。

 でもって笑顔を浮かべ、こちらを見てきた。

「女の時代も、もう終わりだ。後は俺達に任せて、ゆっくり休んでくれ」

「俺はそんなつもりはないぞ」

「現実を見たまえ。この二人は、もうやる気も何もないらしい。後は俺達二人で頑張って、英雄になろうじゃないか」

「それはないだろ」

 一言で終わらせるショウ。

 ケイは鼻を鳴らし、にやにやしながら彼から離れた。


「すぐに分かる。さてと、二人が使い物にならないのなら俺が仕切らせてもらおうかな」

「好きにすれば」

「反発する気力もないですか。まずは議員を拘束して」

「勝手な事を言ってるのは誰」

 颯爽とした足取りで執務室に入ってくるモトちゃん。

 今の私には眩しい笑顔を浮かべた彼女は、どこからから持ってきた警棒を肩に担いで彼の前に立った。

「あなたが指揮を執るのは、私がいなくなってから。そして、私はここにいる」

「二人はもう止めたって」

「私は止めてない」

 あっさりとそう口にするモトちゃん。

 私を責める事も無いし、かといって慰めもしない。

 彼女は、ただ事実を述べたに過ぎない。

「それに、止める止めないは自由よ。強制じゃない。ですよね、塩田さん」

「俺からお前に言う事はないよ」

「結構です。まずはスティックを返してもらってきて。それが終わったら、今日はもう帰って良い。議員については、今は刺激しないように。とりあえずは以上」

「偉いね、お前は」

 苦笑して机に腰を下ろす塩田さん。 

 それを見てもサトミは反応せず、視線を伏せたまま。

 私も言う事は何もない。


「ほら、スティックを取りに行って。大事な物なんでしょ、あれは」

「大事だよ」

「だったら、早く」

 ここは少し語気を強めるモトちゃん。

 彼女は元気だなと思いつつ、ため息混じりに席を立つ。

「ショウ君、ユウをお願い。木之本君とヒカル君は」

「授業に出てるんだろ。もう、1時間目が始まる」

「二人も呼んで。……そうね、私も行くわ」 

 やる事と言えば、村井先生に会ってスティックを返してもらうだけ。

 こんな大勢で行く必要はないし、行っても仕方がない。

 ただ断る言葉を考えるのも面倒で、何か言う気にもなれない。

「では皆さん、失礼します」

「ああ。後は任せた」

「分かりました。では」




 やってきたのは、教職員用の特別教棟。

 一般教棟とは雰囲気がまるで違い、廊下を行き交うのは殆どが大人。

 当たり前だがケンカなどはどこでも起きていなく、笑い声や話し声が響き渡る事もない。

 非常に落ち着いた空気で、今の自分には丁度良いのかも知れない。

「職員室は、ここね」

 なんのためらいもなく、自動的に開いたドアの中へと入っていくモトちゃん。

 スティックは私の物なので、一応二番目にその後へと続く。

 後はみんなが後ろから付いてきて、その人数に職員室内の視線を浴びる事となる。

 ただ、こちらを見たのは極一部。

 それ以外の教師は違う方向へ視線と意識を向けている。

「何かあったんですか」

 近くにいる若い男性教師に尋ねるモトちゃん。

 彼は天井を指さし、声を潜めて話し出した。

「議員団が来て、クレームを付けてる。朝、正門で揉めたらしいね」

「揉めた。武器の確認という話ですか」

「ああ、君達の。気付かれない内に逃げた方がいいよ」

「そういう訳には行きません」

 教師に礼を言い、早足で歩いていくモトちゃん。

 逃げる気はないが、あまり関わりたくないと思いつつ彼女の後を追う。


 彼が言っていた通り、村井先生を机の周りを何人もの議員が取り囲んでいた。

 罵倒している訳ではないが、しつこくスティックを出すよう要求している。

 彼女は自分が預かった物だと主張し、譲る気配はない。

 そのスティックは誰の物でもない、私の物だ。

 彼女がそれを守り通して何の得があるのか。

 議員からこうして責められてまで、スティックを。

 私を守り通して。

「意外に義理堅いな」

 人ごとのように呟くケイ。

 ただ彼の表情はいつになく険しく、厳しいものへと変わっている。

「のんきに言ってる場合じゃないでしょ」

「それは失礼。で、元野さんとしてはどうするおつもりですか」

「話を聞く。全てはそれからよ」

 さっきから持っている警棒で、近くの机を叩くモトちゃん。

 村井先生を責めて立てていた議員の注目を集め、彼女はその警棒を邪魔だとばかりにケイへと渡した。

「失礼します。今お話の件は私達が原因ですから、こちらで伺わせていただきます」

「子供の出る幕じゃないよ」

「ここは学校ですから、子供以外の出る幕でもありません。まして、議員の先生方がどんな権利を主張するのでしょうか」

 落ち着いた口調でそう語るモトちゃん。

 議員達はそれとなく視線を交わし合い、しかしこちらも余裕を持って彼女と向き合う。



「彼女が強情で、警備員に警棒を渡さなくてね。これは、警備員の仕事の妨害だよ」

「それと議員達と、何の関係が」

「円滑な学校運営を、我々はこの学校に求めている。教育モデル校である以上、教育庁の意向に沿ってもらわないと。警備員の導入は、我々も以前から求めていた事でもある。生徒が警備をするなど、論外だよ」

「なるほど。それは置いておくとして。所持許可の確認くらい、ここに端末を持ってくれば済む事でしょう。何よりこうして職員室の機能を阻害している事自体、円滑な学校運営を妨げてるのでは?本末転倒というお言葉をご存じですか」

 口調は柔らかいが、言ってる事は非常に厳しい。

 しかし議員達は動じた様子もなく、あくまでも余裕の表情を崩さない。

「一つの原則が崩れれば、全てがなし崩しになる。例えここの機能が一時的に阻害されようと、警備員の権限を妨げる事を見すごす事は出来ないんだ」

「分かりました。では、端末を持ってきて下さい。本人のIDを読み取れば、すぐに所持許可は確認出来ます」

「修理に出していて、ちょっと持ってくるのに時間が掛かるらしい。その間だけでも、我々が預かろうと言ってるんだが。彼女が渡してくれなくてね」

「渡す理由は一切ありません」

 明確に拒否の姿勢を貫く村井先生。

 私がいるんだから、私にスティックを渡せば彼女が責められる事はない。

 それでも彼女はスティックを持ち続ける。



「先生、スティックは俺に」

「君に?」

 一瞬怪訝そうな顔をして、それでもスティックをケイに渡す村井先生。

 彼女は私に視線を向け、確かめるように見つめ続ける。

 私はため息を付いて、ただ頷くしか出来ない。

 ここまでの混乱を招いた原因が自分だと分かっていても、まだ。

「さて、武器は俺の手に渡りました。そちらの先生を責める理由も無くなりました。それとも、彼女を責めたい理由でも?高嶋家が草薙草薙グループを支配するのが気にくわないとか」

「言ってる意味が分からんがね」

「彼女の素性くらい承知の上でしょう。理事長の妹。草薙グループの直系と分かっていての、この仕打ち。ここの理事から、甘い物でも送られました?」

「子供だからと言って、遠慮はしないよ。名誉毀損で訴えられたいのかな」

 軽い脅し。

 実際彼等にはそれをするだけの財力も人脈もある。


 また大抵の人間なら、この一言で引き下がるだろう。  

 普通の人間なら。

「たかだか国会議員程度が、調子に乗られても困りますね。この前の、大学助教授の話を聞いてました?あなた達はあくまでも国民から民意を委託されたに過ぎないんですよ」

「建前としてはそうだ。だが権限を振るうのは、我々議員だ。法務庁に話をして、君の戸籍を消す事くらい訳はないんだよ」

「だからそれは、あなたの権限ではなく国会議員としての話でしょう。今日下院が解散されれば、全て終わりですよ」

「選挙は今年あったばかり。数年は安泰だ」

 ケイの言葉に高笑いで答える議員。 

 しかし彼もそれに笑顔で応える。

 醒めきった、闇を形にしたような笑顔で。

「まあ、それはいいでしょう。とにかく、武器は俺が持ってる」

「それを渡してもらおうか。警備員も、いつまでも甘い顔はしていないと思うよ」

「後悔すると思うけどな。……木之本君」

「簡単なのは、右二回」

 意味不明な台詞。

 ただ私には、その意味が理解出来る。

 ケイがグリップを二回回したのも確認出来た。

「もう一度言う。絶対後悔するし、渡した後の責任は持たない。それとこれは非常に高額な物だから、壊した際は損害賠償をさせてもらう。警備会社は勿論、それを支援した議員全員にも」

「分かった、分かった。全く子供は、ごねれば良いと思ってる」

「それは失礼。警備員さん、どうぞ」

 あっさりと、何のためらいもなくスティックを放るケイ。

 村井先生が血相を変えて彼を睨み付けるが、私達の様子を見てさらに表情を変える。

 あくまでも冷静で、彼の行為を疑う事が無いのを見て。


「がっ」

 スティックに指先が触れたか触れないかの内に、悲鳴を上げて床へ崩れる警備員。

 理由は、内蔵されているスタンガンが作動したから。

 失神する程の威力にはなってないようだが、おそらく二度と掴む気にはなれないだろう。

「言わん事じゃない。スティックを落として、故障した。さて、議員。この責任をどうとってもらえます」

「壊れていると、どうして分かる」

「では、手にとって確認を。もうそちらへお渡ししたので、持って行って下さい」

 低い声で促すケイ。

 議員は目付きを鋭くし、彼の顔を睨み付けた。

「こういう真似をして、ただで済むと思ってるのか。子供同士の遊びとは訳が違うんだぞ」

「これだから議員は馬鹿にされるって分かってます?さっき俺が言った事は、もう無かった事にしてる。発言が軽いんだよ」

「誰か、弁護士と警官を呼べ。今、すぐに」

「答弁も法律の作成も官僚任せで、ここでも弁護士任せ。国会議員は良い仕事だ」

 軽い調子で笑うケイを無視し、秘書に指示を出す議員。 

 周囲の緊迫感は一気に増し、村井先生も顔付きを変える。

「先生、構いません。やりたいようにやらせましょう」

「いいのね?」

「国会議員程度に舐められて、高校生をやってられませんよ。久し振りだな、警察も」

 薄い笑顔を浮かべ、議員と目を合わせ続けるケイ。

 議員は彼をその辺りの雑草でも見るような目付きで見返す。

 たかが高校生。

 何の力も持たない、ただ粋がるだけがせいぜい出来る事。

 今に泣きを見て、自分お前にひれ伏すとでも言いたげに。


 私はそれを見る。

 見ているだけで、何もしない。

 睨み合う彼等にも。

 床へ落ちたままのスティックも。

 私は何もせず、人の後ろからそれを見ているだけに過ぎない。

 彼のように反発する事も、モトちゃんのように冷静にもなれない。

 怒りも悲しみもない。

 ただここにいる。

 自分という抜け殻が。

 それだけだ。


 時が過ぎ、感情は止まる。

 今という時は二度と戻らない。

 この感情も、もしかして。

 目の前の出来事がどれだけ大変な事かは理解している。

 ただ、それは自分とは関係ない別な世界での話。

 薄い幕一枚隔てた、近くて遠い場所。

 もう、私には関係がない。



 そう。学校がどうなろうと、卒業すれば関係がない。

 後1年経てば、全てが終わる。

 卒業した後に、そんな事もあったねと昔話になるくらい。

 遠い、過ぎ去った過去。

 もう戻れない時を懐かしむ事でしかない。 

 あとはただ、その繰り返し。

 目の前の事をやり過ごし、時の流れを傍観する。

 今という時ですら、結局過去でしかない。

 二度と戻っては来ない、過ぎた時でしか。


 戻らないから貴重なのか、大切なのか。

 それは分からない。 

 時は私の前を流れ、過ぎ去る。

 今日一日の出来事。

 幾つもあった大変な事、大切な事。

 それらも全ては過去の事。

 その間にも次々と出来事は起き、押し流されていく。

 どんな嬉しい事、悲しい事も。

 些細な目の前の出来事に押し流され、過去に追いやられる。

 もう、戻る事はない。

 だから大切なのか。

 どうなんだろう。




 騒がしくなる職員室。

 気付くと制服姿の警官が何人か、私達の周りに集まっている。

 棘のある、険しい顔をした若い女性。 

 こちらは胸のバッチから見て、弁護士か。

「お巡りさん。そこの少年を、傷害の現行犯として逮捕してもらえますか」

「話は伺いましたが、傷害事件と呼べるのかどうか」

「私の話が信用出来ないとでも?」

「いえ、そういう訳では」

 たじろぎ気味の警官。

 それに満足げな表情を見せる議員。

 世の中で強いのは誰か。

 公平という言葉は何なのか。

 規範、道徳、モラル。

 そんなのは、結局ただの言葉に過ぎない。

 違うと否定する人もいるだろう。

 でも現実は、私の目の前にある。

 確かな事実として、強者が弱者を虐げている。

 望む望まないに関わりなく、力が人を支配し関係を作り上げる。


 今までも、それは変わらない。

 私達がやってこれたのは、所詮相手が中学生であり高校生だったから。

 生徒会といえど、立場は同じ。

 権威も権力も、いわば学校から与えられたに過ぎない。

 大人の手の中で踊っていただけだ。

 自分達の力を過信し、人より上にあると思い込んでいただけだ。

 彼等も、そして私も。

そこに大人が。本当に力のある者が出てくれば、ただひれ伏すしかない。 

 力あるも者に従い、彼等の意向に沿って動いてさえすればいい。

 それがこの世の中を、上手く渡っていくルール。

 全ては今更だ。


「手錠は大袈裟だが、この際そのくらいしてもいいだろう」

「未成年ですし、抵抗もしてませんよ」

「傷害の現行犯だ。何をするか分からん。それとも、本部長へ連絡を入れようか」

 鋭い眼差しで警官を見据える議員。

 出てきたのは直属の上司どころか、この地域を統括する役職。

 警官が慌てて手錠を取り出したのも当然だろう。

「これは、本当に異例な事ですからね。後で、課長の方にも証言をお願いしますよ」

「分かった、分かった」

 鷹揚に請け負う議員。

 それにどの程度信憑性があるかは、今までのやりとりを聞いていれば分かる。

 発言に責任を持たず、その場限りのものとしか思っていない。

 何より議員の特権で、発言の責任を問われない。

 それは本来国家からの不当な弾圧を防ぐ目的のはず。 


 だが今は、単なる保身。

 もしくは、自分の権力を誇示するためのものでしかない。

 何にしろ、どうでもいい事だ。

「君、両手を出して」

「どうぞ」

 両手を前に出すケイ。

 無情にも下ろされる手錠。

 冷たい金属音が、静まりかえった職員室に響く。

「黙秘をする権利はあるが、それが裁判で不利に働く場合もある。また弁護士を呼ぶ権利も認められている」

「丁寧にどうも。今はとりあえず結構です」

「逮捕時刻は……」

 遠くで聞こえる警官の声。

 黙って連行されるケイ。

 私はただそれを眺めるだけ。

 時だけが過ぎ、私が一人止まっているような心境。

 誰も彼を助けない。

 言葉を掛けもしない。

 誰も。



 誰もって、誰だ。

 何より、私はここで何をしてる。

 彼の背中を見送り、自分の不幸を嘆き、絶望して。

 それで何かが変わるのか。

 勿論変わりはしない。

 でも、何も変えられはしない。

 私一人があがいてどうなるのか。

 サトミは両親と会いもしない。

 誰もが何もかもを諦める。

 いや。諦めていると、私が勝手に思い込んでいるに過ぎない。


 床に転がったままのスティック。

 スタンガンを恐れ、それを誰も拾いはしない。

 危ないから。自分が傷付くから。

 そう。誰も傷付きたくはない。

 苦しむと分かっていて、その足を前に進める訳がない。 

 でも違う。

 そうじゃない。

 本当に苦しいかどうかは、やってみなければ分からない。

 その苦しさが何のためにあるのか。

 先に進まなければ。



 一歩前に出て腰を屈める。

 青い火花を散らし続けるスティック。

 それにそっと手を伸ばし、グリップを握りしめる。

 一瞬指先に感じる電気の感覚。

 青い静電気が指先を過ぎ、腕を伝って制服を辿る。

 それは私の全身を駆けめぐり、そのまま周囲へ四散した。

 スティックのグリップを握り直し、感覚を確かめる。

 あの杖も頼りにはなった。

 歩くだけなら、向こうの方が何倍も便利だろう。


 でもこれを持った時の安心感、信頼感には代えられない。

 人の思いが込められた、私への思いが込められたスティック。

 何があろうと、二度とこれを手放しはしない。

 そう。例え何があろうとも。

「困るな。そういう真似をされては」

 半笑いで近付く議員。

 手首を返してスティックを伸ばし、スタンガンを作動させる。 

 飛び散ったのは、真っ赤な火花。

 スタンガンだけではなく、駆動するモーターの火花。

 触れるだけで、机を輪切りにするのも訳はない。

 まして人など、言うまでもない。

「近寄らないで。冗談抜きで、死ぬわよ」

「脅しか。殺人未遂で捕まえられたいのかな」

「好きに言ってれば。これは私の物で、あなたには何一つ関係ない。それにここは、私達の学校よ。部外者が口を出さないで」

「部外者でも誰でも関係ない。君達のやってる事が周りにどれだけの迷惑を掛けているか分かっているのかな」

 恫喝気味の口調で話してくる議員。

 それに反応して腰を落とした私の前に影がよぎる。


 目の前を覆う長い黒髪。 

 辺りへ舞い散る燐光。

 振り向いた横顔は、見慣れた今でも見とれるくらい。

 サトミはたおやかな仕草で前髪を掻き上げ、腕を組んで議員と向き合った。

「もうよろしいでしょう。これ以上恥をかかないうちに、お引き取りを」

「君が天才だか教育庁指定の生徒だか知らんが、子供の出る幕じゃないよ」

「今彼女が言った通り、ここは学校です。議員の方こそ、出る幕ではありません。早々にお引き取りを。今なら、これまでの不始末は不問にしておきます」

「大きく出たな。奨学金を全部止めるのも可能なんだよ、こっちは。学校を退学して寮を追い出されて、どうする?両親とも疎遠らしいじゃないか」

 卑劣に歪む表情。

 スティックを握り返した私を手で制したサトミは、鼻を鳴らして議員を見返した。

「その程度で、私が困るとでも?」

「金もなく住む所も無く、どうして生きていく?戸籍を抹消する事も出来るんだよ。政治家という物は。日本に住めなくしてやろうか」

「それで?」

 存在すら抹殺させるという議員の恫喝。

 しかしサトミはわずかに動じた気配もない。

 それが単なる虚勢でないのは、誰の目にも明かだ。

 あまりの余裕に議員の方が焦りの表情を浮かべ、近くの机を蹴り付ける。

「ガキが。本当にやらないとでも思ってるのか。今すぐ法務庁に連絡すれば、戸籍を消すくらい訳はないんだ」

「どうぞ。ご自由に。断っておきますと、私は北米の国籍も取得していますので」

「なに?」

 表情を強ばらせる議員。

 額に汗が一気に浮かぶ。


「北米国民として不当な扱いを受けたと、大使館に申し出ましょうか。EU代表部に連絡しても構いません。日本の国会議員として、国際問題に取り組んでみて下さい」

「で、出任せを。そんな事、履歴には」

「学校に全ての情報を提供しているとでも?先程侮辱をした大学助教授は私の兄ですが、彼は内閣官房から委託を受けて幾つかのプロジェクトチームを統括しています。教育はその専門ではありませんが、公務員の倫理行動基準問題チームに外部アドバイザーとしては参加しています。無論これは、国会議員にも適用する事が前提です」

「そ、そんなの、内閣が替われば終わる事だろ」

 血相を変えて叫ぶ議員を一瞥し、サトミは近くの机に置いてあった卓上カレンダーを指さした。

「兄が内閣官房の委託を受けて仕事を始めたのは、5年以上前から。その間に政権政党も変わっていますが、解任はされていません。ちなみにそれらのプロジェクトは北米、EU、AUなどとの共同チームですので」

「何?」

「私も嘱託としてその一部に参加をしています。今回の件に関してましては、具体例の一つとして倫理行動基準問題チームにレポートを提出させていただきます。ちなみにこの学校では業者との癒着を防ぐため、各所にカメラ及び集音マイクが取り付けられている事をご承知下さい」

 後ずさる議員。

 それに代わって前に出てきたのは、弁護士バッヂを付けた若い女。


 彼女はサトミを敵でも見るような目付きで睨み付け、鼻先に指を突きつけた。

「議員は発言の責任を問われないと、憲法で保障されているわ。まして隠し撮りなど、法的能力にも欠ける」

「今言ったように、法廷ではなくプロジェクトチームに具体例として提出するだけです」

「では弁護士として言うわ。その差し止めを要求する」

「済みません。すでに、ネットワークを通じて送信済みです」

 横に流れる視線。

 小さく肩をすくめる木之本君。

 女は二人を睨み付け、端末を取り出した。

「大人を舐めない事ね。内閣官房だろうと、差し押さえるのは訳無いのよ」

「ご自由に。ただしこの映像は、倫理行動基準問題チームに送信されたのをお忘れ無く。彼等が論議しているのは法律論ではなく、倫理ですので」

「法律を守れば、倫理なんて関係ないのよ。……差し押さえたわ」

 勝ち誇った表情でサトミを見返す女。

 自分の力を過信し、おごりきった。


 サトミは相手にする気にもならないとばかりに、職員室のドアを手で示した。

「そろそろ、お引き取りを」

「言われなくても帰るわよ。ただ、これで終わったと思わない事ね」

「お引き取りをそれとこの件は、弁護士法56条に記されているその他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行という部分に抵触します」

 サトミの言葉に眉をつり上げる女。

「無形な物を非行も何も無いわ。」

「過去の事例において同一の例が日弁連において懲戒手続きを取られています。それに弁護士は被疑者の権利を守る存在ではありますが、刑罰から逃れさせる事ではありません」

「もう一度言うわ。倫理なんて、何の意味もないのよ。馬鹿じゃないかしら」

「倫理は人の心から生まれる物です。多分、あなたには分からない事でしょうね」

 そう切って捨てるサトミ。

 女は机を蹴り付け、振り返る事無く職員室を飛び出していった。


「うがっ」

 低い叫び声を上げて、背中を押さえて床へと倒れる議員。

 何かと思ったら、手錠を掛けたケイが腕を動かしそれを鳴らしていた。

「き、貴様。こ、今度こそ現行犯で」

「じゃあ、証拠としてさっきの映像を採用してもらいましょうか。カメラがあるのは現時点で全員分かっているので、隠しカメラの定義には入りません」

「え」

「死ぬまで殴られるか、議員を辞めるか。選べって言ってるんだ」

 振り上げられる手錠。 

 両腕で頭を抱え、それを避ける議員。

 すでに勝負はあった。

「という訳で、議員団の方もお帰りを。皆さんがこの学校で何かをしたかは、しっかりと覚えておきます。当然今後の、俺達の投票行動にも関わってきます。たかが数人で何が変わるかって言いたいでしょうが、その一票欲しさにここへ来たのを忘れずに」

 反論もせず、うなだれる議員達。

 ケイはすでに彼らを見ようともせず、手錠のはめられた手首を警官へと差し出した。

「外してもらえますか」

「え、ああ」

 細いカードキーを手錠の上にかざす警官。

 それと共に手錠が外れ、ケイは手首を押さえて薄く笑った。

「不当逮捕でこっちが訴えたいくらいだな」

「い、いや。私はただ」

「冗談です。お巡りさんも、お引取りを」

「あ、ああ。では、失礼」

 飛ぶように去っていく警官達。

 残ったのは私達と警備員。

 そして、元々職員室にいる教師達。

「では、話を元に戻しましょうか」

 軽くてを叩くモトちゃん。 

 体を震わせ、後ろへ下がる警備員。

 彼女は穏やかに微笑むと、私が構えたままのスティックを指差した。

「所持許可が下りているか、確認を。それと、今後こういう事が無いように全員へ通達を」

「は、はい。今すぐ」

 予想通りというべきか、口頭で確認をしだす警備員。

 IDカードで読み取る方が正確で正式な確認手段ではあるが、私の名前さえ分かればそれを照会するだけでも済む。


 初めからこうすればよかっただけの事。

 それをここまでの騒ぎにした張本人は誰なのか。

 私に一因もあるが、仕掛けた人間はそれ相応の報いを受けてもらうしかない。

「か、確認は取れました」

「結構です。それで、まだ何か問題でも」

「い、いえ。もう結構です」

「そうですか。では、ここで我々の警備員導入に対する立場を表明させていただきます。導入に関しては反対。各門及び教職員などの一部を除いて、警備員が学内に常駐するのは反対します。パトロールをするのは、生徒にとって不利益にならない限り黙認をします。ただし生徒への威圧妨害などの行為が見られる場合は、断固とした処置を取らせて頂きますのでそのつもりを」

 私が前に話したのと似たような内容。

 あの時は誰もが否定的で、私もそれ程本気で言ったつもりは無かった。


 子供が大人に敵う訳が無い。

 力のある者の前では、私達などなにも出来ない。

 口にはしなくても、そう思っていた人も多いだろう。

 でも、今は違う。

 少なくとも私は。

 そしてサトミも、モトちゃんも。

 今私達は、肩を並べて戦う仲間。

 例えそれが辛く苦しい事だとしても、私達はお互いを励まし支えあう。

 時に傷付き、挫折し、絶望を味わうかもしれない。

 例えばこの数日間のように。

 それでも私達は戦える。

 仲間がいる限り。

 その思いがある限りは。



 職員室を後にし、気分を良くしつつ廊下を歩く。

 視力の回復はまだだが、精神的にはすっかり晴れ渡った気分。

 それこそ壁を登って天井にまで駆け巡れるんじゃないかと思うくらい。

 やらないし、出来ないけどね。

「良かった、良かった」

 後ろの方で、すごいまとめ方をする人がいる。

 振り向くとヒカリがにこにことして、私達を見守っていた。

「僕も何かやろうと思ったけど、そういう必要は無いみたいだね。いや、居場所が無いって意味じゃないよ」

 その言葉に一瞬胸が痛む。

 誰かが欠けても、穴は埋まる。

 逸れはすっかり忘れていたが、彼の事では無かったのか。

 中等部の頃。彼が大学に進んでしばらくは、たまらない喪失感を感じていた。

 時が経つ内にそれは薄れ、普通に笑えるようになっていた。

 彼がいない悲しみを乗り越えたというよりは、忘れてしまったから。

 それが良い事なのかは、私には分からない。

「みんな、重いね」

「お前の一言でぶち壊しだ」

「兄に向かって、そういう言葉は良くないね。倫理に反するよ」

「倫理も法律も知るか」

 さっきの議員や弁護士よりもひどい人が、ここにいた。

 法律はともかく、彼が私達と違う倫理観で行動しているのは確か。

 そうでなければ、あの場面であんな行動も取らないだろう。


「それはともかく。本当に、これでいいのかな」

 口調を改め、改めて確認するヒカル。

 彼は大学院生で、すでに修士課程も終えている。

 言ってしまえば高校でのペナルティは、彼にとって大した意味はもたない。

 だけど私達は、結局は高校生。

 退学ともなれば行き場を失い、路頭に迷うとは行かないが相当困った事にはなる。

 サトミは北米の国籍を持ってるとしても、今住んでいるのは日本。

 まして私達は、退学などすれば完全に行き場を失う。

 他校へ再入学しようにも、学校や議員は他校に手を回すくらい簡単にするだろうから。

「構わない。それよりも大切な事がある」

 胸に手を添え、そう答える。

 自分の事よりも、自分の将来よりも大切な事。

 いや。それにつながる、大切な事。

 学校のやってる事を見過ごすのは簡単だ。

 世の中を上手く渡っていくためには、その方がいいかもしれない。

 だけどそれで失うものも、また多い。

 むしろ、失ってはならない物ばかりとも思う。

 だからこそ、私は戦う。

 そして、勝つ。

 そう。目的は戦う事ではなく、勝利を収める事。

 誰もが楽しく、幸せに過ごせる学校生活を取り戻す。

 それはきっと屋神さん達の思い。 

 そしてガーディアンを創設した人たちの気持ち。

 草薙高校の気風を作り上げた人達の願いだと思うから。



「分かった。僕は今日みたいに何の役にも立たないけど、見守らせてもらうよ」

 優しく、暖かい笑みを浮かべるヒカル。

 その笑顔に私は何度も助けられ、今日も救われる。

 自分を認めてくれる人がいる。

 私を分かってくれる人がいる。

 それだけで十分だ。

「しかし、君は大人しいね。どうかしたのかな」

 黙ったままのショウに話を振るケイ。

 そういえば職員室でもずっと静かで、これといった事はしなかった。

 警備員を投げ飛ばすくらいはするかと思ったんだけど、彼も自制心が芽生えてきたのかもしれない。

「どのくらい、我慢出来るかと思って」

 私が想像した通りの答え。

 頭に血を上らせ暴れるのは簡単で、気持ちが良い。


 ただそれが引き起こす結果は、必ず良い方向へ向かうとは限らない。

 今回の件も、常日頃私達が暴れている事が原因。 

 そしてその張本人は、言うまでもなく私とショウだ。

「ごめん」

 頭を下げ、彼に謝る。

 暴れると言っても、彼に無理を強いているのは私が原因でもある。

 視力が低下した最近は特に。

 それを当たり前の事と思って、彼には何も伝えていなかった。

 彼の優しさ、その思いを。そこにあるべきものだと、思い込んでいた。 


 でも勿論そんな事は無く、全ては彼の努力と気持ちによるもの。

 結局私は彼に頼り過ぎているのかもしれない。

 来年には、その彼もいなくなる。

 胸の奥に走る鈍い痛み。

 でも、私は歩いていかなければならない。

 自分の足で、前へと向かって。

「謝られると困る」

 はにかみに呟くショウ。

 そんな思いが、私の胸を熱くする。

「やってろ、一生。あーあ、手首痛い」

 人の感慨をぶち壊す台詞。

 脇腹を掴んでやろうと思ったが、見えないのでとりあえずは保留する。

 この辺りは、視力が回復した後の貸しだな。

「大体日和見ってのは最悪なんだ。そんな事で許されると思ってるのか」

「日和見かな?」

 ニコニコと笑うヒカル。

 何がおかしいかと思ったら、ショウの手を指差した。


 そこに握られていたのは、鉄の塊。

 良く見ると、はさみが丸まっていた。

 当たり前だが握るものではないし、何より握って潰れる物でもない。

「職員室の机には、もっと色々置いてあったよ。珪も握ってもらえば」

「いや、結構。玲阿君の健気な努力に乾杯」 

「待てよ。誰が日和見だって」

 ケイの首を後ろから掴み、そのまま持ち上げるショウ。

 猫の子ならともかく、相手は普通の男子高校生。

 それを片手で、しかも握力だけを支えに持ち上げている。

「危ないから、止めたら」

「助かったな、おい」 

 それこそ猫の子のように揺すられ、床へ放られるケイ。 

 人間がここまで簡単に飛ぶものかと思うが、はさみが潰れるくらいなので何でもあるんだろう。

「次は、どうする気」

 話を元へと戻すヒカル。

 この場合は私ではなく、勿論サトミへ意見を求めている訳ではない。

 私達を率いるのは、ただ一人なんだから。

「執行委員会に会いに行く」

 高らかに宣言するモトちゃん。 

 すぐに賛意を見せるみんな。

 勿論、私も。


 一度は引き下がった。

 絶望を味わい、虚無感に苛まれた。

 でも私は今顔を上げ、前に進んでいる。

 時に足を止め戻る事があっても、再び歩き出せばいい。

 それが出来ない時が終わりでもない。

 共に歩いてくれる人がいれば、支えてくれる仲間がいれば。

 私はどこまでだって行ける。



 職員室で騒動があったのは伝わっているのか、生徒会の特別教棟前にはガーディアンだけではなく警備員も待機をしていた。

 全員が完全装備で、前列は盾と銃も持っている。

 ちなみに私達は武装と言っても、警棒を持っているくらい。

 先頭を行くモトちゃんに至っては、その警棒すら持っていない。

 やがて私達と正面玄関を守る警備員達との距離が近付き、彼らが制止するよう合図をしてくる。

「何か、用事でも」

「中へ入りたいだけです」

「アポイントメントは?」

「取っていませんし、本来ここは生徒であれば立ち入り自由なはず。規則が改正された後も、それは変わっていませんが」

「不測の事態に備え、現在は立ち入りを制限しています。またその許可を、学校当局から得ています」

 ある程度予想された答え。

 するとモトちゃんは両手を上げて、小首を傾げて穏やかに微笑んで見せた。

「少なくとも私は何も持っていませんし、彼らも警棒を所持しているだけです。ご心配でしたら、付いてきて下さって構いません」

「立ち入りは許可出来ません」

 同じ言葉の繰り返し。

 それでもモトちゃんは諦めず、両手を上げたまま穏やかに微笑み続ける。

「手が、疲れたんですけど」

「それは私の知るところではありません」

「中へいれてさえくれれれば、手は下ろせるんですが」

「困った事を言わないで下さい」

 実際に困惑した表情を浮かべ、そばにいた仲間の警備員と小声で話し出す。

 そして端末でどこかと連絡を取り、何人かの警備員を集めて私達を取り囲んだ。

「私達が帯同するという条件において、立ち入りを許可します」

「ありがとう。お陰で助かりました」

 にっこりと笑い、両手を下ろすモトちゃん。

 礼を言われる理由はないとは警備員も言わず、少し笑って正面玄関のドアを開けた。

「相変わらず、人をだますのは上手いな」

 低い声でそう呟くケイ。

 モトちゃんは彼の足をかかとで踏みつけ、穏やかな笑顔のまま玄関をくぐった。



 私達を囲むガーディアン。

 さらにその外を囲む警備員。

 人目を引くどころの騒ぎではなく、私達が通ればすれ違う人達は行き場が無くて後ろへ下がるくらい。

 この時点で混乱させているし、相当に迷惑な存在になっている。

「それで、どちらへ」

「生徒会総務局、執行委員会執務室へお願いします」

「分かりました」

 ここは断る事も無く、事務的に話を進めていく警備員。

 やがてエレベーターの前に来たところで、二手へと別れる。

 安全を考え、サトミとモトちゃんはショウと一緒に。

 私は残った事一緒に、それぞれのエレベーターへと乗り込む。

「……足踏むな」

「狭いから、仕方ないじゃない。それとくっつかないで」

「子供とくっついて、何が楽しいんだ。上から、70.70・70じゃないのか」

 面白い事言うなと思いつつ、足の甲のつぼをつま先で突く。

 靴を履いていようと加減さえ調整すれば、効き目は抜群。

 悲鳴も上げられず、ただ額から脂汗がどくどくと吹き出てくる。

「熱いの?エアコンが壊れてるのかな」

 のんきな事を言ってるお兄さん。

 これ以上やると違うものも出てきそうなのでつま先を離し、最後にみぞおちをこぶしで突く。 

 これは嫌がらせではなく、足の甲へ集中していた感覚を分散させるため。

 一応は彼のためを思ってだ。

 やってる事は、ただ殴るだけだとしても。

「このガキ。警備員さん、この子スタンガン持ってます。捕まえて下さい」

「自分だって、ライター持ってるじゃない。大体、犯罪歴もある癖に」

「狭いんだから、暴れないようにね」

 少し目を怖くしてたしなめてくる木之本君。

 真面目なだけに怒ると怖いので、相手を睨みつつ距離を置く。




 しかしこういう事が出来るのも、精神的にゆとりが出てきたから。

 職員室へ来る前までは、こうはいかなかった。

 私の気持ちの変化。

 それは誰でもない、みんながもたらしてくれた。

 今はそれに感謝し、ぬくもりを確かめ合いたい。







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