5-7
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こそっと部屋を抜け出し、人目を避けつつ地下駐車場へ向かう。
幸い知り合いには会わず、どうにかショウのバイクに辿り着けた。
断っておくと、異性を泊めるのは男子女子寮問わず禁止。
とはいえ高校生なので、羽目を外さない限りは黙認状態らしい。
中には同棲してる強者もいるという話。
朝からバイクに乗っている私達。
取りに行く荷物はリュックだけだし、家までは近いから。
彼の腰に手を回して、流れていく景色をぼんやりと眺める。
物心付いていた時からずっと見慣れていた、そしていつまでも見続けていたい光景。
ショウの家もここから近く、彼にとってもきっと同じような光景。
でもサトミは、その景色を見る事がない。
もう帰らないと決めているから。
おそらくは本心だろう。
ただ、強がりの部分もあると思う。
サトミの心の中までは分からない。
分かっているのは 彼女の悲しむ顔を見たくないという事。
それだけだ。
「……ケイに連絡するね」
「ああ」
アイカメラを操作して、外部ネットワークへつなぐ。
携帯用の端末はショウが持っているので、寮の部屋に直接アクセスする。
少しして。
「……寝てる」
「じゃあ、起きて」
「あのさ、俺今寝たんだ。昨日学校に泊まって」
日頃にも増して無愛想な声。
画面はないけど、表情すら分かりそう。
「今から。そうね、1時間後に私の部屋へ来て。サトミの事で相談したいの」
「何で」
関心なさそうな口調。
「お前も気付いてるだろ。昨日のサトミが変だったって」
「向こうは、かまって欲しくないかもしれない」
余計な世話を焼くなという事か。
現にサトミは、自分で解決すると言っていた。
でも私は、私達は放っておけない。
「それでも、私はサトミのために頑張るの。分かった」
「……断ったら俺は悪者か」
「たまにはいいだろ。いい人になるのも」
ギアを落とし、車の少ない道路を駆け抜けて行くバイク。
胸の空く加速と、押し付けられる体。
景色は、矢のように流れていく。
玄関を開け、やはりこそっと中に入る。
ショウも大きな体を縮め、後に付いてくる。
「朝帰りする不良娘だな、まるで」
「じゃあ、ショウは何よ」
「不良娘の男友達さ」
「不純異性交遊なの?」
「不純、ね」
声を押し殺して笑う私達。
そして私の部屋に続く階段を見上げたところで、笑顔が固まる。
「もう、朝よ」
「はは、そうだね」
ワンピースにエプロンを付けたお母さんは、ため息を付きながら階段を下りてきた。
「ショウ君。あなたは私の娘に、何をしてくれたのかしら」
「ご、誤解だよ。俺は別になにも。ただユウが夜来て……」
「な、何言ってるの、ショウッ。お、お母さん違うんだって」
階段脇の部屋にお母さんとショウを放り込み、すかさずドアを閉める。
「冗談よ、冗談」
「もう。それより、サトミは」
「キッチンで、お父さんとご飯食べてる。優の事は何も言ってないわ」
「そう……。ごめん、私達すぐ帰るから」
手短に状況を説明をして、ドアの隙間から様子を窺う。
少し離れているので、こっちには気づいていないようだ。
「それでね。今日はサトミを連れて、どこか遊びに行ってきて」
「行くって、どこに」
「遊園地でも、デパートでも。とにかく、遊びに行くの」
「強引な子ね。お父さん、今日は会社へ行かなくていい日だったかしら」
近くのカレンダーをみんなで見ると、「在宅も可」と書かれている。
大袈裟だ。
「いいみたいね。それではもう一人の娘を連れて、家族サービスに行きますか」
「ありがとう。後ね、今日もあの子泊めてよ」
「その間、あなた達は何やるの」
「分かんない」
前からはお母さんに、上からはショウに見つめられる。
仕方ないじゃない、今はまだ何も分かってないんだから。
考えるより動く。
今までそうしてきたんだから、これからもそうする。
間違いは、後で悔やめばいいんだ。
とにかく、今は行動あるのみ。
「あ、最後にもう一つ」
「今度は?」
「サトミにね。セ、セーター買ってあげて」
問題を一つ解決して、少し気が楽になった。
お母さん達に押し付けたとも言うけど、いいじゃない。
親子なんだからさ。
私はジーパンと黒のトレーナー、そして薄手の赤いジャッケットに着替えた。
授業に出るつもりはもう無いので、制服にはしなかったのだ。
普段から、制服着る必要はあまりないけどね。
「昔は中等部の教棟まで、この道をスクーターで通ってたんだ」
「近いもんな。俺も含めて」
速度が緩まり、景色がゆっくりと流れていく。
通学路というだけではない。
私が生まれ育った場所。
さっきも思った。
サトミが置き去りにしてきた場所。
それを私はこうして見られて、彼女は見る事が出来ない。
物理的にではなく、感情として。
いつも落ち着いていて、醒めてるとも思われているあの子が。
その中にある、私にも負けない程の強い感情を持つ彼女。
それが多分、今彼女を苦しめている。
ケイの言っていたように、余計な事かも知れない。
十分分かっている。
でも、だけど。
たとえ何と思われようと、私はサトミに悲しんでほしくない。
苦しんでほしくない。
醒めていてもいい、冷たくてもいいから。
昨日の夜みたいな、寂しい顔はもう見たくない。
泣く事も出来ないような、あんな彼女は。
私がサトミの側にいる限り、そんな事は絶対にさせない……。
寮の廊下を歩いていると、大勢の子とすれ違う。
ちょうど学校へ行く流れにぶつかってしまったようだ。
「あれ、誰?」
「ほら、玲阿君。最近髪切ったのよ」
嬌声、歓声、悲鳴。
とにかく色んな声が上がり、熱い視線が向けられる。
私は小さいので、その上をすり抜けていると思う。
「どうして、ここにいるのかな」
「聞いてみれば?」
「や、やだ。雪野さんがいるもの」
「そ、そうよね」
こそこそ話す女の子達。
聞こえてます。
私が何やるっていうのよ。
みんなショウを見ている割には、近寄って来ない。
遠巻きに眺めている。
「近寄ってこないね、みんな」
「ああ」
照れ気味に頷くショウ。
それを隠しているのか、無愛想な顔をしている。
はっきり言えば軽く手を振って愛想を振りまいても、誰も文句を言わない場面。
だけどあくまでも控えめで、恥ずかしがるんだこの人は。
そこがまた素敵なんだけどね。
その、一般論として。
私情も少し……。
「あのー」
「は、はい」
壁によってショウをじっと眺めていた女の子達が、びくっとして身を固くする。
誤解されてるな、どうも。
「ごめん、そこ私の部屋なんで」
「す、済みません」
何度も頭を下げる彼女達。
私も頭を下げ、とにかくドアに取り付く。
キーを差し入れ、開けると。
みんながじっと見てきた。
ショウをではなく。
私を。
「い、今から何するの?」
意を決した様子で、ドアからどいた子が声を掛けてくる。
こちらは何の気無しに、すぐ振り向く。
「少し寝るよ」
「ええっ?」
どよめきが廊下を駆け抜け、何人かの子が端末でどこかに連絡を取り始めた。
……あ。
「ち、違うの。昨日ちょっと夜更かししたから、それで」
「よ、夜更かし?だ、誰と」
膨らむ誤解、上がる悲鳴。
あながち、誤解でもないか。
「なんか勘違いしてない?そういう事じゃないから」
「ほ、本当?れ、玲阿君」
「俺?」
困惑して顎の辺りを触るショウ。
それだけで、女の子達がまたどよめく。
顎を触っただけだって。
「ちょっと相談事があるから来ただけで、それ以外の事は何もないよ」
「そ、そうなの」
「ああ。学校休むのは悪いって分かってるけど、そのくらい大事な用事なんだ」
真摯に、そして誠実に答えるショウにみんなも表情を和らげた。
また騒ぎが大きくなるといけないので、取りあえずショウを部屋の中に放り込む。
そして私も部屋に入ろうとしたら、動きが止まった。
手を、肩を掴まれたのだ。
「あ、あの?」
「雪野さん」
「優ちゃん」
「雪野ちゃん」
知り合いの子から、全然知らない子から。
たくさんの子が私を取り囲んでる。
すがるような、託すような眼差しで。
「……抜け駆けは駄目よ」
「まだ、高校生なんだから」
「自重して」
あのね。
「いいから。ほら、早く学校行ってきてよ。何もないから、本当に」
手をワヤワヤさせて、みんなを押し下げる。
「その言葉、信じてるわー」
「ここは神聖な女子寮なのよー」
「早まらないでー」
よく分からない事を叫びつつ走っていく女の子達。
どっと疲れた。
寝不足、気疲れ、お腹も空いた。
どこから手を付けたらいいんだか……。
やっぱり食べる事からだ。
食堂へ行くとまた騒ぎになるから、適当にある物を食べる事にした。
美味しいカップラーメンがあるんだけど、朝から食べる物でもない。
と思ったら、ショウがお湯注いでる。
「ユウも食べる?」
「う、うん。少しだけ」
くー、この手の誘惑には弱い。
「サンドイッチだけでいい?」
「ああ。耳残して」
「切れ、じゃないのね」
マスタードを多めに塗り、レタスとハムを乗せていく。
バターとマヨネーズは控えめと。
後は半分に切って。
簡単だけど、こんな物でしょ。
「はい」
「ありがと」
美味しそうに食べているショウを見て、私も一口。
うん、美味しい。
コーヒーもいう事無し。
これで少しは目が覚めてきた。
やっぱり人間、食事だね。
「……あれ」
セキュリティが反応している。
誰か来たようだ。
モニターを見て、やっと分かった。
「開いてるわよ」
「ああ」
低い声がして、ドアの開く音が。
そして部屋に入ってくる、無愛想な男の子。
浦田君だ。
「何よ、その顔は」
「寝てないんだ」
疲れきったため息を付き、壁際にしゃがみ込む。
相当だね、この人も。
「丹下が残した仕事を終わらせて、部屋を出たんだ。そうしたら、大山さんに会って」
「副会長?」
大山さんって呼ぶようになってる、いつのまにか。
「あの人もちょうど仕事を片付けたところで、そうしたら付いてこいって言うんだ」
「飲みにでも行ったのか」
「まさか。早く仕事が終わった時は、他の残っている生徒会や委員会の子を手伝うんだって。それに、俺も付き合わされたんだよ」
何でも「夜回り」らしい。
下らないけど、面白いな。
でも、いつ帰るんだろ副会長は?
「それが終わったと思ったら、今度は会長も来てさ。3人で騒いで、気づいたら朝になってた」
「騒いだ?あの二人と?」
「草薙高校陥落ゲームとか言って、シュミレーションやってたんだ。そうしたら会長、途中でごまかそうとしやがって。あの男、性質悪いぞ」
よく分からない。
でも死にそうな顔だし、怒ってる。
「時間切れで賭には負けるし。あー」
低い声で叫ぶ男の子。
また負けたのか。
止めればいいのに、案外懲りないな。
「はい、コーヒー」
「ありがとう。砂糖とミルクは?」
「そのまま飲め」
そう言って、平然とブラックを飲むショウ。
「俺は子供なんでね」
私も。
「で、サトミがどうしたって」
「知らない」
「は?」
ケイの手から落ちた角砂糖が、テーブルの上を転がっていく。
彼はそのまま立ち上がる。
「……帰る」
「待ってよ。理由が分からないって言うだけで、あの子が悩んでるのは本当なの。だから、それを相談しようと思って」
「手がかりは」
「これ、見て」
サトミの通信記録が表示されている、ショウの端末を見せる。
「……不正アクセスは犯罪だろ。しかも、プライベートに踏み込んでる」
「分かってる。それについては、後で謝るつもりだ」
「アクセスした事実と盗み見た現実は、謝っても無くならない」
淡々と告げるケイ。
画面は一旦消され、外部ネットワークへの接続画面へ変わる。
「ここに、サトミが落ち込んだ理由があるとは限らない。もしあっても、俺達には解決出来ない事かもしれない」
見慣れないアドレスが表示される。
「恐喝されてるなら警察に行けばいいし、病気なら医者、学内の問題なら生徒会や学校に言えばいい。例えば、今内局に臨時設置されてる学内問題対策センター」
「助けを求めろって言うの?自分達の事なのに」
「サトミは何て言ってた」
「自分で解決するって」
「じゃあ、ユウ達は何してる」
返す言葉がない。
自分のしている事と。
その矛盾と、独りよがりな考え。
自分だけで出来る、人を頼らない。
サトミ自身も、そう言っていたのに。
自分で解決するって。
私は身勝手な考えで、彼女の気持ちを無視していたのか……。
「お前の言う事は、一から十まで正しいさ」
箸をカップラーメンのふたにしたショウは、床にあったある物を手に取った。
「俺も反論のしようがないし、その根拠もない」
「分かってくれれば結構。じゃ、俺は帰って寝る」
「待てよ。まだ話は終わってない」
テーブルの上に置かれる、パワーリスト。
普段私が付けている、500g程度の物だ。
リストと言っても肘の辺りにはめるタイプで、サポーターの代わりにもなっている。
「この前俺とやり合った時、お前これ取ってただろ」
「俺がショウとやり合うとなったら、そのくらいはしないと。それがどうかした」
「あの時、お前は何のために頑張ってたのかなと思ってさ」
何気ない言葉。
ケイは黙ってパワーリストを見つめている。
「ヒカルのためだろ、お前が無茶してたのは。勿論あの時は、事情がはっきりしてたからな。今みたいに、何も分かってないのとは違う」
パワーリストを手に取ったショウは、それを自分の腕にはめた。
「理屈じゃ、俺達はどうしようもない。勝手に人のデータ見て、サトミ本人の考えも無視してる。実際は本当に大した事じゃなくて、こうして相談してるの自体無駄かもしれない」
「ショウ……」
「でもな。それでも俺達はサトミのために動く。あいつが嫌がってても、誰が何と言っても。間違ってるか、俺」
真っ直ぐな眼差し。
諭す訳でも、言い聞かせている訳でもない。
自分の気持ちを、ケイに語っている。
ありのままの思った気持ちを。
私も抱いていた同じ思いを。
「俺は、光のためだけに頑張ってた訳じゃない」
素っ気ない呟き。
表情は普段と変わらない。
「俺達も、って言いたいのか」
「それも、少しはある」
含みのある発言。
でもいつもより、自分の事を話している。
「それより、モト達には連絡した?」
「してない。あの子、今忙しいから」
「木之本は、こういうのに向いてないだろ」
「人がいいからな。腕はあっても倫理観が邪魔をする、か。とはいえあの子に頼んで怒られるのも、気が進まないし」
端末の画面を変えるケイ。
そこには、再び通信記録の一覧が。
「一緒にやってくれるの?」
でも彼は、黙ったまま操作を続けていく。
照れているらしい。
付き合いが長いので、そのくらいは分かるのだ。
「こっちのは俺達ので、こっちは学内関係。これは広告と……」
「削除してあるデータが怪しいと思わないか」
「ああ。誰だ、これ?」
「サトミのアドレスを無理して調べて、ラブレター代わりに送ってきたメールだろ。もてるからな、あいつ」
面白くなさそうに笑うショウ。
ケイはもっとつまらなそうな顔で、その通信記録を開いた。
「……ショウ、当たりだ。愛が詰まってる。親父がイタリアンレストランを経営してるってさ」
「そんなのでサトミがなびくと思ってるのかね」
「思ってるから、送ってくるんだろ」
キータイプを始めるケイ。
私は欠伸を噛み殺し、画面を覗き込んだ。
「これ以上の行為に及ぶならば、こちらとしても法的な処置を取らせていただきます。当方は学校指定の弁護士に連絡して……。あなた、何書いてるのよ」
「こういう奴には、現実の厳しさを教えてやらないと。大丈夫、脅しだけで実際に手は打たないから」
「面白いな。他の奴には、それをコピーして送ろうぜ」
「ショウまで、もう」
と言いつつ、止めない私。
サトミがこの手のメールや手紙を嫌っているのは知っているので、このくらいは当然とも思っているから。
私の所には、滅多に来ないけどね。
「……終わったな」
「よし。寝よう」
「おう」
端末をしまい、カーペットに寝ころぶ二人。
私も少し手伝ったので、一休み。
あれ?
「……ちょっと。まだなにも終わってないわよ」
「あ、そうか」
二人はのそのそと起きあがり、端末を起動させた。
「これ以外で怪しいのは」
「おい、これ。向こうのアドレスが無い」
「……嫌な事思い出した」
わずかに顔をしかめ、ショウが指摘した通信記録を開くケイ。
そして全員の顔が、すっと強ばる。
「……上記の件により、あなたのご両親の資産を凍結いたします。また現在浦田光様に対して支払われている各種奨学金も、同時に停止させていただきます。これはあなたが学校を退学されるまで有効で……」
「嫌がらせじゃないの?誰から送られてきてるか分からないし」
「ここに書いてある奨学金の種類は、光が受け取ってるのと同じだ。前見せてもらった事あるから、間違いない」
「偶然じゃないのか?」
「学校関係はともかく、全部の企業名は無理だろ。この会社なんて、一般には殆ど知られてない」
下の方に書かれている企業名を指さすケイ。
併記されている金額も、彼の記憶とほぼ一致するらしい。
「すると、両親の資産凍結も間違いないって事?」
「どうかな。確かに奨学金の種類は当たってるけど、それが差し止められたって話は聞いてない」
「ならそのメールは、あくまでも脅しって訳か」
頷くケイ。
「でも、サトミが動揺してるのは事実よ。両親の事を言われたんだから、当たり前だろうけど」
「嫌っている親をネタに脅されるんだもんな。怒りのぶつけようが無いし、自分で解決しようもない問題か。どうして俺達に言わないんだ、あいつは」
ショウは短い髪をかき上げ、苛立ったように画面をつついた。
「私達に、余計な心配掛けたくないって思ってるのよ。自分で解決出来るって。サトミの気持ちは、私はよく分かる」
「……で、このメールの目的は何だ?内容がただの脅しなら、意味無いだろ」
「でも、サトミは実際に落ち込んでる。嘘だって分かってても、どこかでそれを信じてるんじゃないのかな。ユウはどう思う」
ケイの言葉に、微かに頷く。
「サトミが親を嫌ってるのは本当で、二度と会いたくないって思ってる。でも、だけどあの子はそれでも両親を見捨てられないの。そういう子なのよ。メールの内容が嘘でも、自分が退学して親が助かるならって……」
「だったら、このメールが本当に嘘って分かればいいのか」
「その確証があれば、サトミも落ち込まないさ」
難しい顔で、通信記録を見つめるケイ。
ショウは彼の肩に手を置き、同情気味に苦笑した。
「それにしても、またヒカルが絡んでくるのか。困ったもんだな」
「説教してやる。戸籍上の弟として」
「血縁上もだろ」
下らない。
外部ネットワークに接続して、コールする事しばし。
「……聡美、じゃないみたいだね」
「俺だ。お前の弟だ」
「僕だ。君の兄だよ」
何やってるんだ、この兄弟は。
「夜中にショウから連絡があったけど、何か用」
「それも含めてだ。今、時間いいな」
ショウも携帯の端末を使い、回線に入る。
「いいよ、まだ朝だから。で、どうかした?」
普段通りの、のんきな口調。
特に困っているとか、切羽詰まっている様子はない。
おかしいな。
「ヒカル、一つ聞くわよ」
「どうぞ」
「あなた、奨学金はどうなってる?」
「もらってるよ、たくさん」
あれ。
顔を見合わせ、ホッとする私とショウ。
やっぱり嘘だった。
サトミはその辺を確認してなかったんだ。
よかった。
するとケイが、ため息を付いて画面を睨んだ。
「今度は、俺から一つ」
「なんなりと」
「最後に奨学金が支払われたのは」
「えーと、2ヶ月くらい前」
ほら見た事かというケイ。
私とショウは、慌てて端末に戻った。
「な、何それ。止められてるじゃない」
「遅れてるんだよ、きっと」
「2ヶ月も遅れるかっ」
ショウの手の内にある端末が、変な音を立てる。
「……もういい。お前は、後でサトミに謝れ」
「何を?」
「いいから、「ごめんなさい」って言うの。分かった?」
「うん。あ、みんなには言わなくていいのかな」
言われたら余計血が上るので、今は抑えておこう。
本当に、この人だけは。
「いい。それより、止められてる奨学金はどれなの?」
「全部」
「2ヶ月も金無しで、よくやってけるな」
「手持ちのお金が、まだ少しあるから。それにご飯も寝る所も無料だしね」
そう、こういう人なんだ。
無頓着というか、脳天気というか。
良く言えば大物、悪く言えば大馬鹿者。
突き抜け過ぎてるのよ、とにかく。
「光。サトミから、何か聞いてない」
「いや。勉強頑張るようにって、連絡があっただけだよ。聡美がどうかした?」
「風邪引いたから少し元気がないだけ。いいよ、後は俺達で面倒見るから」
「ごめん、珪」
「いいから。それじゃ、また」
「ああ。みんなも」
通信が切れ、画面をさっきの通信記録へと戻す。
「ったく。あの脳天気野郎。仙人じゃないんだからよ、金無しで暮らすな」
「本当、サトミも大変ね」
「男女の間は、俺には分かんないよ」
だれきった雰囲気になる私達。
それでもサトミが落ち込んだ理由は分かったし、収穫はあった。
送り主不明の、親や光をネタにした脅しのメール。
サトミの気持を乱すには十分な内容。
そしてヒカルの奨学金は、確かに止められていた。
どちらにしろ、彼女の優しさにつけ込んだひどい話である。
「親の方は、この際無視していいと思う。気にしてるのはサトミの性格的な問題で、内容は誰が見ても怪しい」
「そうだけど、何か根拠があるの」
「俺の所に来たのと同じだから」
あっさりと言うケイ。
「夏休みに、こういうメールが来た。その時の内容は、光の在籍データ削除だけだったけど」
「お前が、生徒会長室に殴り込んだってあれか。でもヒカルのデータは、実際になくなってただろ」
「ああ。ただあの時生徒会長は俺が来るのを知ってたけど、送ったのは自分じゃないって言ってた。実際にそうだったし」
「じゃあ、送り主は学校って訳?」
「多分。直接学校が脅すのは問題だから、俺の場合は生徒会長が間に入るようにしたんだ。でも、今回はちょっと違う。親の資金なんて、学校が止められる物じゃないから」
確かに。
生徒の在籍データを消すのとは訳が違う。
よく分からないけど、それは行政や司法レベルの問題だ。
……そうでもないか。
同じ事を思ったらしく、ショウが顔を上げる。
「この学校、銀行の出資も受けてるぞ。違ったか?」
「サトミの両親が預けてる銀行とそこが一緒だったら、接点はあるわよね」
「二人とも待てって。余程の事でもない限り、資産の凍結なんてやらないの。しかも、一個人を相手に」
画面の右端に、この学校へ出資している企業の一覧が表示される。
半数は電子機器メーカーで、それ以外は他業種に渡る。
そして、幾つかの銀行名も表示された。
「でもサトミは、全部悪い方向へ考えてるんでしょ。親の資産がある銀行と、学校に出資してる銀行が同じ。だから、あながちそのメールも嘘とは思えないって」
「そこへ来て、ヒカルの奨学金打ち切りか。落ち込むのも無理ないな」
ショウは冷えたブラックをすすり、苦い顔をした。
「つまりは、メールが嘘だっていう確証があればいいんだろ」
「理屈としては。そうすれば、親の事で悩まなくても済む。光は別に困ってないから、論外として。でも、学校に聞く訳にはいかない。勿論、銀行にも」
「奨学金は殆ど、予算編成局経由でしょ。あの子の籍は、基本的に高等部なんだから。やっぱり、行くしかないんじゃない」
頷くショウ達。
そして、ふっと息を付く。
「めどは、少し立ったかな。後は、予算編成局へどう交渉するか」
「知り合いが……、沢さんがいるな」
「あの人、フォースだもんね」
名目上は独立した組織だが、予算や人事系統は予算編成局の下部組織と言っていい。
「一応は幹部だし、フリーガーディアンだ。この際、頼ろうぜ」
「うん」
再び外部ネットワークに繋ぎ、沢さんを呼び出す。
「……出ない」
「通信を受け付けてないな。妨害されてるのか、向こうで逃げてるのか。フリーガーディアンのやる事は分からん」
ため息を付いて、壁にもたれるショウ。
「直接行くしかないわよ。いつもみたいに」
「また?今日は駄目だって、眠過ぎる」
「右に同じ。寝よ寝よ」
どさっと倒れる二人。
私もその言葉に従って、ベッドに倒れる。
「後で起きてよ。泊めないからね」
「そこまで寝るはずないだろ。多分」
「俺は、自信ないぞ」
か細い声が消えていき、静かになる室内。
これで、本当に寝られる。
でも今寝たら、また目が冴えたりして。
そして、寝れないから徹夜して。
勘弁して……。
結局起きたのはお昼前で、少しは体も軽くなった。
これなら、夜寝られないなんて事もないだろう。
「ねえ、お昼どうする?」
「食堂へ行こう。俺、金ないし」
「肉食おうぜ、肉」
妙に気合いが入っているショウ。
寝起きでお肉?
私はスパゲッティくらいで抑えておこう。
お肉は、少し分けてもらえばいいや。
どうせ、注文しても残すし。
食べられないんだよね、本当に。
でも食べたいんだ。
ちょうどお昼時なので、食堂はかなり混んでいる。
教棟にある食堂の混雑を避けて、寮へ戻ってきている人も多いのだ。
そして、私達のようにさぼっている人もまた多い。
私達はトレイを持って、隅っこの空いているスペースに収まった。
カウンターから遠いので、人がいない。
落ち着いて食べられるから、いいけどね。
「あれ、遠野ちゃんは?」
スパゲッティをくわえたまま、顔を上げる。
沙紀ちゃんが、トレイを持って笑っている。
彼女も休み組かな。
「お姫様は、遊園地だ。いや、デパートだ」
「何それ、玲阿君」
くすっと笑い、私の前に座る沙紀ちゃん。
言い換えれば、ケイの隣に。
「そういえば丹下さん、予算編成局に知り合いがいるって前言ってたよな」
「ええ、一応。それがどうかした?」
「俺達ちょっと用事があって、予算編成局へ行きたいんだ。でもいきなり行くと揉めるから、アポ取りたくて」
「そういう事……」
スプーンをチャーハンのお皿に戻し、難しい顔をする。
何か、まずかったのだろうか。
「あ、悪い。駄目ならいいんだ。俺達だけで何とかするから」
「いいの。別に問題はないのよ。ただ、私は生徒会でしょ。だから、その辺で多少」
「あんまり仲良くないもんね。どうしてだろ」
「さあ。去年の途中からだって聞いてるけど」
曖昧な返事。
彼女自身、はっきりとは知らないようだ。
私達は、全く知らないけど。
ケイとサトミも、この件に関しては全く調べていない。
塩田さんが、話してくれると言っていたから。
その時まで、私達は待ち続けると決めているのだ。
「ちょっと待って。今聞いてみる」
端末を取りだし、連絡を取る沙紀ちゃん。
「……私。……ええ、会いたいっていう人がいるの。……知ってるの?……いえ、私は。……分かった、うん。……はい、また」
端末をしまい、軽く手を上げてくる。
「大丈夫、幹部に取り次いでくれるって」
「へえ。そんなに偉い人なんだ」
「私も誘われてるのよ。でも、生徒会も気に入ってるから」
「モテモテで結構。俺とは大違いだね」
鼻を鳴らしてチャーハンを頬張る男の子。
ちなみに彼が食べてるのは、無料で食べられるフリーランチの中華メニュー。
私はお金を払って、ミートスパの小を。
値段も安いから、デザートまで頼める。
「あんまり丹下さんに絡むなよ。生徒会幹部に逆らうと、退学もあり得るからな」
そう言って、お肉をパクつく男の子。
さすがにステーキじゃなくて、ショウガ焼き。
どっちにしろ、よく食べる。
私のお皿にも、一切れ乗ってるけどね。
「そんな事しないわよ。多分」
「断言してくれ……」
「無理だって。名雲さんも言ってたけど、生徒会の一部はあなたを目の敵にしてるんだから。私がかばうんだって、限界があるわ」
沙紀ちゃんは、フウフウ言いながらラーメンをすすっている。 真剣なのか、ふざけてるのか。
でも、美味しそうだな。
「……な、なに。優ちゃん」
思わず視線が合う私達。
「もしかして、食べたいの?」
「沙紀ちゃん、エスパー?」
「誰だって分かるわよ。はい、あーん」
子供か、私は。
「あーん」
うん、美味しい。
たくさんじゃなくて、一口だけっていうのがポイントだね。
「どうしてそう、食べたがるんだ」
隣でショウが呆れてる。
「いいじゃない。量が食べられない分、種類で勝負なの」
「勝負って、食べてるだけだろ」
「人生、いつ何時なりと戦いよ」
みんなの視線が、違うといっている。
う、やっぱり。
「でも、サトミは今何食べてるのかな。お父さん、給料出たばっかりだし」
「寿司、高級中華、ふぐ。カニが食べたい、俺は」
叶わない希望を言うケイ。
「遠野ちゃんは、優ちゃんのお父さんとどこか行ってるの?」
「うん、ちょっとね」
私は、手短に昨日からの経緯を説明した。
「へぇ。そうなの……」
食事を終え、テーブルにはジュースやケーキが並んでいる。
「という訳で、予算編成局へ行く事にしたんだ。サトミにとっては、余計なお世話だけど」
「そうでもないと思うわよ、玲阿君。私が遠野ちゃんだったら、すごい嬉しいから」
「ありがとう。ただ問題は、行ってどうなるかって事なんだ」
「行けば分かるって。悩むのは、その後でいいじゃない」
脳天気に言って、イチゴシューを頬張る。
甘い物は、良い。
つくづく思う。
「気楽だな、随分。俺は、気が重い」
「経験者は語る、か。浦田は苦労した物ね」
「別に。俺一人、大変だった訳じゃない」
何となく沙紀ちゃんを見つめるケイ。
沙紀ちゃんは、くすっと笑い前髪をかき上げた。
ちょっといい雰囲気で、口を挟むのが恥ずかしい感じ。
ただ、ケイが実際に何を考えてるかははっきりしないんだよね。
一度、問いつめてみようかな。
でも、簡単に口を割る子じゃないし。
拷問したりして。
……これが解決したら、モトちゃん達と相談しよう。
そうしよう。
冗談だけど。
でも、相談はしよう。
沙紀ちゃんも、今日は学校へ行っていないとの事。
昨日舞地さん達と遊んでいたので、疲れたらしい。
「映未さんが、裁縫出来るのよ。それで、少し元野さんの裁縫を手伝ったの」
「家庭的なんだね。綺麗なお姉さんって感じだけど」
「人の金持ってくような連中だ。俺は信用出来ん」
舞地さん達を雇った時に相当お金を支払ったので、まだ文句を言うケイ。
「お前が勝手に雇ったんだろ。それに名雲さん達にも色々助けてもらってるんだし、そのくらい気にするな」
「玲阿君。君は、俺が舞地さん達にいくら払った知ってるのかい」
「知らん」
「だからそんな事が言えるんだ。耳を貸したまえ」
変な言葉遣いで、ショウの耳に口を寄せる。
見る見るショウの顔が、強ばっていく。
「本当か?」
「前ショウの賭で、大儲けしたのは覚えてる?」
「あ、ああ」
「この前は、それが殆ど無くなってただろ」
「あ、ああ」
「全部、舞地さん達が持ってたんだよ」
弱々しく笑う男の子と、憐れむような顔をする男の子。
本当、あれだけのお金をよく払ったもんだ。
冗談とはいえ、少しくらいケイが怒るのも無理はない。
「モトは何やってる?」
「映未さんと、服作ってると思うわ。真理依さんも手伝うとか言ってた」
「結構。人間、楽してお金を稼いじゃ駄目だ。額に汗して働かないと」
自分こそ、賭で儲けたくせに。
大体モトちゃん達が作ってる服は売り物じゃなくて、みんなに渡す物だ。
分かってるのかな、その辺。
「……その女工さん達を、ちょっと見てくる。ついでに、金返せって言ってやる」
「誰が女工なの。どうでもいいけど、邪魔しちゃ駄目よ」
「いいわ、優ちゃん。私も付いていくから」
「ごめん」
気にしないでという顔で、後を追う沙紀ちゃん。
本当、何考えてるんだか。
「確かに、あれだけ払えば怒るのも無理無いな」
「どうせショウの試合で儲けたお金だもん。いいわよ、無くなったって」
でも、ある内にもう少しおごってもらえばよかった。
もったいないのは、もったいない。
私も、少し賭けてれば……。
「惜しいね」
「あ?」
不思議そうな顔をするショウ。
意味通じないか、当たり前だけど。
「何でもない。美味しいねって」
適当な事を言って、沙紀ちゃんが残していったチョコケーキのお皿を引き寄せる。
そして、少しだけ付いているチョコクリームをぺろりと舐める。
「犬か……」
「え?」
あ、直接お皿舐めてた。
ごまかしついでに、ショウへとお皿を差し出す。
「お裾分け」
「はいはい」
取りあえず付き合ってくれるショウ。
でも、もう殆どクリームは残ってない。
隣で見てると笑えるね、お皿持って舐めてる光景は。
さっき自分が舐めてたのは、この際忘れるとして。
「……今思い出した」
「ん、なに」
口に付いていたクリームを舐め取りながら、ショウを見上げる。
「サトミは、良い物食べてるんだろうなって」
「多分ね。やっぱりお寿司でも食べてるんじゃない」
「じゃあ、俺達は何食べてるのかな……」
何も付いていないお皿が、テーブルに置かれる。
そして、そんなお皿を舐めあっていた私達。
お寿司とお皿。
合っているのは、「お」だけ。
というか、寿司と皿なら一つも合ってない……。
「あの」
数人の女の子が、私達のテーブルに寄ってきた。
「はい。何か用?」
「え、ええ」
差し出される、手つかずのショートケーキ。
「これ、よかったらどうぞ」
「え?」
「そ、その。お腹空いてるみたいだったから」
私達が舐めていたお皿を、遠慮気味に指さす彼女達。
み、見られてた?
「私達、もうお腹一杯なの」
「残すのはもったいないし」
「元気、出してね」
最後に意味不明な事まで言って、立ち去っていく女の子達。
「親切って、解釈すればいいのか?」
「さあ」
ケーキを切り分け、大きい方をショウの前にあったお皿に載せる。
「食べようよ。とにかく」
「そうだな……」
無言でケーキを食べる私達。
その味が何となく苦かったのは、決して気のせいじゃない。
お願いだから、施さないで。
それともう一つ。
出来れば、今度はレアチーズケーキにして。




