34-4
33-4
「どう思う」
「何が」
コタツから顔だけ出し、横目で見上げてくる舞地さん。
どうやら途中をはしょりすぎたらしい。
「サトミの事。両親が名古屋に来てる」
「子供じゃないんだ。放っておけ」
「放っておけないから、聞いてるんじゃない。舞地さんも親と仲が悪かったんでしょ」
「遠野とは、また事情が違う。それに私は自分の意志で家を出たけど、遠野は半ば追い出されたんだろ」
「どうなのかな、それも」
サトミはそう口にしているし、家を出たのも確か。
ただ小学校の頃までは実家に住んでいて、つまりは両親と一緒に住んでいた。
寮制度があるのは中学からだけど、それ以前に彼女を他の所へ預けるのが不可能と言う訳でもない。
良い方へ解釈をしすぎ。
人の善意を信じすぎているのかも知れないが。
「両親は、どういう人なの」
コタツの上でみかんを剥きながら尋ねてくる池上さん。
普段サトミを気に掛けている割には、あまりこの話に乗っては来ない。
「私も詳しくは知らないんだけど、英文学者」
「それは有名よね。文学の翻訳だけではなくて、論文の翻訳もしてる人でしょ」
「有名なの?」
「翻訳といっても、普通は自分の専門分野しか訳さない。文学なら文学で、詩なら詩。小説なら小説。論文はもっと細かくて、数学も訳せば歴史も訳すなんて事はあり得ない。単語の意味は勿論、ある程度内容を把握しないと訳しようも無いでしょ」
なるほど。
つまりサトミの両親も、彼女に劣らない天才肌という訳か。
「大体、どうして家を出たの?」
「サトミは、疎まれて追い出されたって言ってる。実際そういう面は無くも無いんだろうけど、絶対とは言い切れないんだよね」
「その根拠は」
「中等部の頃も、一度名古屋に来てる」
これは多分サトミが知らない話。
もしくは知っていても、知らない振りをしている話。
お父さん達は明確には答えなかったが、サトミの様子を見に来たのは間違いない。
ただ状況を知るだけなら学校に問い合わせれば済むし、秀邦さんに聞くという方法もある。
だけど両親は、名古屋へ来た。
秋田から名古屋。
飛行機を使えば時間はある程度短縮出来るが、決して近い距離でもない。
何より捨てた。
サトミはそう主張するが、その捨てた相手に時間を掛けてわざわざ会いに来るだろか。
「じゃあ、どうして手放したの?」
「サトミは草薙グループに売り飛ばしたお金のせいだって言うけどね。実際かなりの額を手にしたらしいし」
「両親は、なんて?」
「否定してない」
「じゃあ、どうしようもないじゃない」
それを言われると、話が終ってしまう。
確かに両親にも非はある。
それは紛れも無い事実で、否定のしようが無い。
ただ、私からするとサトミに全く問題が無いとも言い切れない。
比率でいればどれほどでもなく、比較の対象にならないかもしれない。
一方で、サトミの頑なさが事態を難しくさせている面もあると思う。
頑なになったきっかけは、親のせいと言われればそれまでだが。
「少し聡美ちゃんから聞いたけど、自分が住んでた部屋を改装されて物置にされたって」
「それは問題だろうね。ただ両親の肩を持つ訳じゃないけど、家にいないんだよ。思い出として残すのが大事と言われたら困るけどさ」
仮に私が実家に何年も帰らず、ある日戻った時荷物が跡形も無く消えていたらかなりのショックを受けるだろう。
それこそ親を恨み、家に戻った事を後悔するはずだ。
「私も、親の気持ちは分かるわよ。聡美ちゃんは実家に戻ってないんだし戻る意思も示さないんだから、部屋をどうされても文句の言いようが無い。心情的にではなく、物理的にもね。家に立ち入る事すらしようとしないんだから」
「だから、一概には言えないって事でしょ。それは分かってる」
「何を分かってるのかちょっと疑問だけど、具体的にどうしたいの」
「せめて顔を会わせるくらいはいいんじゃないの」
「難しいわね、それも」
否定的というより、賛成出来ないと言いたそうな口調。
今更波風立てても仕方ないとでも言いたげな。
「離れ離れで良い事なんてある?」
「無くは無いけど、顔を合わせて良い事ははあるの?」
「何もしないよりはましじゃない?」
その問いには答えず、みかんを頬張る池上さん。
暗に私の問いかけを否定したように取れなくも無い。
「舞地さんはどうなの」
「遠野は親を嫌ってるような態度を取ってるけど、多分口で言ってる程じゃない。人間が甘いから」
池上さんよりは理解を示した。
もしくは、かなり踏み込んだ言葉。
それに期待を寄せるが、しかしあっさりと裏切られる。
「本人がその気にならないのに、周りが騒いでも仕方ない。大体、会ってどうする」
「顔を見るだけでいいじゃない」
「ぎこちなく挨拶して、当り障りの無い会話をして。それで、何がどうなる」
「どうって」
会えば何とかなる。
もしくは、会えば全てが丸く収まる。
そこまで楽観的ではないにしろ、会う事が目的と私は考えている。
その先や、その時どうなるかまでは想像の範囲外。
ただ舞地さんや池上さんが危惧するのは、その会った後の話。
顔を合わせた、会話を交わした。
だけどお互い、ぎこちないまま。
だったら会わなかった方がいい、という話になる。
「浦田はなんて言ってた」
「お兄さんの方は、私に任すって。弟は、放っておけって」
「今回は、弟が正解だ」
そう言って、体を丸める舞地さん。
同やら、これ以上話をする気はないらしい。
「二人とも先輩なんでしょ。もう少し何か無いの?」
「あったら雪ちゃん達が、その何かをもうやってるでしょ」
ため息交じりに指摘する池上さん。
確かにその通りで、ここまでこじれてしまった関係を一瞬にして解決する方法などありはしない。
もしかすると今までの時間の長さの分だけ、解決するまでの時が必要かもしれない。
「私達も気には掛けておくけど、あまり無理はしない方がいいわよ。それに、あの討論会もまだ続くんでしょ」
「まあね」
「二兎を追うものは一兎も得ずって言うじゃない。何もかもを得ようなんてのは、大変だと思うわよ」
慰め、忠告。
それとも、警告。
彼女の言ってる事は十分に理解している。
彼女だけではなく、ケイ達が言う事も。
周りがどう騒ごうと、結局本人達次第というのは。
だけど、そうだからと言って見過ごす事は私には出来ない。
親友だから。
それに関わってしまったから。
彼女には幸せになって欲しいから。
私のやる事を例え迷惑と思ってもいい。
彼女達が幸せになるのなら、それで。
突然頬に感じる暖かい感触。
ただ両手で頬を包まれているのではなく、両端から頬を引っ張られてた。
「ちょっと」
「思い込むと、目に悪いわよ。医者に言われなかった?
「言われたかもね。でも」
「でもじゃないの。性格だから直す直さないって問題でもないけど、思いつめるのを少し止めるのは出来るでしょ」
たしなめる口調でそう指摘し、私の目を覗き込んでくる池上さん。
それには反論のしようが無く、口の中でもごもご言って適当にごまかす。
「何も考えないのは論外にしても、考えればいいってものでもないのよ。聡美ちゃんが、まさにそうじゃない」
「どの辺が」
「親と会う。何を話す。適当な世間話、論文の話、学校の話。話が尽きて、間が持たない。空気が重くなって耐えられない。第一向こうは、私を捨てた人間。今更会っても仕方ない。会っても何も変わらない。変わらないなら会わない方がいい」
矢継ぎ早に言葉を並べ立てる池上さん。
それが正しいかどうかはともかく、サトミの思考をかなり理解した発言である。
少なくともあの子に、出たとこ勝負という考え方は無い。
事前に入念な下調べをして、シミュレーションを重ね、それを検討して、手直しをする。
本番は、そのリピートと言っても過言ではない。
だから本番がシミュレーション通りに行けば最強と言える。
逆に何らかの不確定要素が含まれれば、自滅する場合もある。
勿論不確定要素も事前のシミュレーションに含まれてはいるが、さすがの彼女も世の中全ての事象を推測出来る訳ではない。
それと今回は特に、その不確定な出来事が起きた場合を恐れているのかもしれない。
結局駄目だったという始めの予想。
諦め。
都合のいい、どちらも傷付かない現状維持。
でもそこに何かのハプニングが発生したら。
良い方向へ向かうかもしれない。
それとも、悪い方向へ。
諦めという場所へ逃げ込み、どちらも傷付かないでいる。
それは小さな刺のように痛みはするが、傷は浅い。
いつしかそれにも慣れるだろう。
だけど、もしその傷を広げるような出来事が起きたら。
自分の予想を越える出来事が。
それが良い方向であれ、悪い方向であれ彼女は恐れているのかもしれない。
「とにかく、一度サトミに話してみる」
「止めた方が良いと思うわよ、私は」
「もう決めたの」
決して気は進まないし、良い結果が出るような気もしない。
だけど、恐れていても何も始まらない。
それを彼女だけに押しつけるつもりもない。
寮に戻り、そのままサトミの部屋へと向かう。
ドアにはキーが掛かっているが、中にはいる様子。
一応端末で連絡を取り、彼女を呼び出してから部屋へと入る。
落ち着いた感じの室内。
全体的にシックで、ぬいぐるみや可愛い小物はどこにも見当たらない。
私の部屋と対極とまでは行かないまでも、いわゆるこの世代の女の子とは趣味を事にするのは確かだろう。
「どうかしたの」
ローテーブルの前に座っているサトミは書類から目を離さず、マグカップを口に運んでその隣に置いてあるティーポットを指さした。
キッチンへでマグカップを一つ持ってきて、サトミの向かい側に座ってコーヒーを注ぐ。
「最近、何か無い?」
「漠然としすぎて答えようがないわね」
特に動揺した様子はなく、また感情を抑えている訳でもなさそう。
この調子だと、両親の事は本当に知らないのだろうか。
「最近、親からは連絡無い?」
「さあ。兄さんの所にはあるみたいだけど」
落ち着いた態度は変わらず、むしろ少し温度下がった感じ。
それでも話を続けようとしたところで、先に口を開かれた。
「今更会っても仕方ないし」
先手を打つような台詞。
さらに続けて、もう一言付け加えられる。
「捨てた相手に会いたいとも思わないわ」
淡々とした、感情すら交えない口調。
だからこそ、余計に彼女の気持ちが伝わってくるような。
「でもさ」
「大体、会って何を話すの?あの時は、お互い大変だったわねって?」
「それは」
「話す事もなければ、親交を深めたくもない」
「でも、両親は他人じゃないよ」
一瞬揺れるサトミの表情。
しかしその端正な顔にはすぐに冷静さが宿り、次の書類に手が伸びる。
「そんな事より、今はこっちの方が大切なの」
目の前で振られる書類。
微かに読み取れるタイトルは、規則改正時の通達。
私からすると改めて読むようなものではなく、また文章としても数行書いてあるだけのもの。
規則が変更されるので注意するようにと言った程度の。
「そこに、大切な事が書いてあるの?」
「全体のつながりを把握するためには、一通り目を通す必要があるの。これ自体にはなくても、読んだ事で理解出来る時もある」
「それで?」
「学校が一度規則を変えた以上、それを覆すのは難しいわね」
聞かなければ良かった話。
両親の話題を逸らされたような気もするが、一気に押し切れるものでもないとは分かっている。
「前回屋神さん達の時は、生徒との話し合いや協議があったんでしょ」
「彼らは、その頃生徒会の幹部。一般の生徒ではなくて、学校と生徒会との話し合い。それは今回も行われている」
「生徒会と話し合うだけでいいの?」
「規則を変えるのに生徒の許可がいるとは書いてないし、生徒会と話し合えば一応のポーズは付く。彼らは、生徒の代表なんだから」
学校寄りのスタンスにも聞こえるが、言ってる事は本当だろう。
規則を変える権限は学校にあり、生徒を代表するのは生徒会。
その両者が話し合えば、規則を改正するための努力をしたという理屈は成り立つ。
「なんか納得出来ないな」
「でも、現実よ」
現実、か。
辛い事ばかりが現実で、幸せな事は全て理想に過ぎない。
言いたくは無いが、なんとなくそんな気にすらなってきた。
「屋神さんは私達を良くやってるって言ってたけど、本当かな」
「生徒会ですらないと考えればね。ただ今回の会合もガス抜きに過ぎない気もするから、どうなのかしら」
あまり楽観的な事は言わないサトミ。
外部からの視線と、実際の自分達の見ているものや感じ方が違うのだろうか。
それとも、どちらかが勘違いをしているかだ。
「この会合をやるのが一番いいのかな。他には方法が無い?」
「私達の主張をアピールする場としては申し分ない。ただユウが思ってる通り、実行力がある訳でもない。あくまでも話し合いであって、規則を変えるための場ではないから」
書類に視線を向けながら説明するサトミ。
それを一番分かっているのはおそらく彼女で、だけど諦めてはいない。
もしかすると無意味で、ただの時間稼ぎかもしれない今回の討論会。
それでも彼女は真剣にそれへと挑み、努力を惜しまない。
その真摯な姿勢は変わらない。
「分かった。後は頑張って」
「ええ」
「じゃあ、また明日」
「おやすみなさい」
寮の部屋へ戻ろうとしたら、後ろから声を掛けられた。
顔を知らない数人の女の子。
思いつめた、感情を押し殺した表情。
時期が時期。
その意図は想像が付く。
ただ、まさかナイフを持ってないだろうな。
「お、お時間よろしいですか」
「まだいいよ」
「ラ、ラウンジにお願いします」
夜更けとは思えない程の賑わいを見せるラウンジ。
テーブルは全て埋まり、床に新聞紙を引いている子もいるくらい。
火事場、それとも戦場と言った方が正しいだろうか。
私はその奥へと連れられ、ぽっかりと空いているテーブルの多分上座に座らされた。
「あ、あの。その」
非常に言いにくそうな女の子。
周りの子も完全に萎縮していて、見ているこっちが申し訳ないくらい。
ただこの件に関しては私も譲れないので、助け舟は出さない。
「そ、その。もうすぐ、あれなんですか」
「あれ」
「え、ええ。その、あの。えと」
「バレンタインでしょ」
とうとう根負けしてしまい、結局自分からその言葉を口にしてしまう。
人が良いというか甘すぎというか。
自分でライバルを増やしていては世話が無い。
「その、あの。それで、えと」
「ショウに渡したいなら、私じゃなくて浦田珪に連絡して。多分、整理券や注意事項を配ってるから」
「は、はい。それで、その。あの」
どうやらその段階は、すでにクリアをしていた様子。
もしそれ以上を望むというのなら、私もそう愛想の良い顔はしていられない。
「デ、デートを」
「ああ?」
思わず声を裏返し、ポケットをまさぐりスティックを探す。
以前はともかく、目の事があってからは常に肌身離さず持ち歩いている。
これさえあれば、このラウンジを制圧するくらいの事だって出来る。
今は、それをやっても後悔しない心境だ。
「い、いえ。あくまでもそういう話が出たというだけで、滅相も無い」
そういう言い方をされると、こっちがすごい悪人みたいに思えてくる。
大体、滅相も無いっていつの言葉だ。
ただ、チョコを受けた渡して終わりでは味気ないのも分かってはいる。
もう少し、イベントめいた内容を彼女達が期待したいのも痛い分かる。
絶対に分かりたくないという気持ちも勿論あるが。
正直に言ってしまえば、彼を独占する権利は私にあるのかもしれない。
ただそれを今まで行使した事は殆ど無い。
公共財とは言わないが、学校にいる以上彼は女子生徒の憧れの的。
それについては、私も分かってはいるつもりだ。
「・・・一応、ケイに相談してみて。私は了承したって言ってくれればいいから」
「あ、ありがとうございます。で、では」
一礼するや、テーブルの間をすり抜け走り去っていく女の子達。
そこまでの思いがあるのなら、私も少しくらいは譲って良かったのかもしれない。
何が良いのかは全然分からないが。
一人憮然としていると、紙コップを手にした渡瀬さんと神代さんがやってきた。
その後ろからは、真田さんと緒方さんも。
「ここ、空いてますね」
コロコロと笑う渡瀬さん。
この感じからして、事前に何らかの情報を得ていたらしい。
「笑い事じゃないわよ。どうなってるの、一体」
「人気があるって大変ですね」
どこか含みのある口調。
ニコニコ笑う渡瀬さんと、呆れ気味にこちらを見てくる神代さん。
「何よ」
「知らないの?デートって、玲阿先輩だけじゃないんだよ」
「何、柳先輩?」
人気と言えば、多分ショウと双璧のはず。
ただ彼の管轄は舞地さんであり池上さん。
私に許可を求めには来ないだろう。
「とぼけてるんですか。それとも、素で分かってないとか」
かなり厳しい口調で攻め立ててくる緒方さん。
先輩にも容赦無しか、この子達は。
「では、私から一言」
ポツリと呟き、メモ書きをテーブルの上へと置く真田さん。
そこに書いてある文字を見て、思わず鼻を押さえる。
「何、これ。雪野優デート権って」
「読んで字のごとく。人気者は大変ですね」
さっきの渡瀬さんと同じ事を言う真田さん。
しかしそんな事を許した覚えは無いし、企画もしない。
いや。待てよ。
「・・・天満さんですか。・・・いえ、バレンタインディの企画について。・・・ああ、分かりました。・・・はい、ではこちらで。・・・ええ、お休みなさい」
端末をしまい、お茶を飲み干しごみ箱へ放る。
そしておもむろに席を立ち、スティックでラウンジの出入り口を指し示す。
「学校に行くわよ」
「行ってらっしゃい」
のんきに手を振る渡瀬さん達。
すぐさまスティックを伸ばし、それを床に付きたて全員を促す。
「先輩が行くと言ったら全員行くの。白といったら白なのよ」
「そういうノリじゃないだろ、あたし達は」
「神代さん、何か言った?」
「いいえ。それで、学校のどこに?」
「特別教棟の地下」
薄暗い廊下に響く足音。
床へ伸びる影が揺れ、どこからか生暖かい風が吹いてくる。
「帰ろうか」
そう言った途端、全員にすごい顔で睨まれる。
本当、誰が先輩で誰が後輩って話だな。
「だ、だってさ。出そうじゃない」
「出ないよ」
一言で終らせる神代さん。
どうやらお化けを怖がる習慣は無いらしく、今も怯えた様子は見られない。
「でも、学校にはいるって話ですけどね」
唐突に呟く渡瀬さん。
何がいるのかも、何を言ったかも聞かなかった事にしよう。
「結構、夜中には歩いてるらしいですよ」
人の気を知ってから知らずか、話を続ける渡瀬さん。
まさかとは思うが、怖いもの好きじゃないだろうな。
「風間さんから聞いたんですけどね。生徒が全員帰った後の教棟に忘れ物を取りに帰ると、どこからか足音が聞こえてくるって。ひたひた、ひたひた。一晩中」
「音が跳ね返るんじゃ」
真田さんの言葉に渡瀬さんは首を振り、いつに無い真剣な顔で話を続けた。
「すぐそばじゃなくて、遠くから聞こえてくるの。ひたひた、ひたひたと」
もういいよ、それは。
というか、なんか本当に音が聞こえてきそうだな。
「足音がする方へ向かうんだけど、そこには誰もいないの。だけどまたすぐに、ひたひた、ひたひた」
「え」
突然声を上げる緒方さん。
思わず神代さんにしがみ付き、彼女を前に押し立てる。
「な、なに?」
「その。ひたひたって足音が」
私達は、廊下で足を止めて話している。
足音なんて起きはしないし、反射もしない。
まさかと笑い飛ばそうとした瞬間、遠くから音が聞こえてきた。
「か、帰ろう」
「出口の方からするんですが」
冷静に指摘する真田さん。
どうやら怖がっているのは私と緒方さんだけ。
渡瀬さんと神代さんと真田さんは至って冷静。
どうも、お化けの怖さを分かってないようだ。
「ほ、他に出口はあるんでしょ。と、とにかく逃げないと」
「に、逃げると追って来ませんか?」
「な、なるほど」
「二人とも、犬じゃないんだよ」
ごく冷静に指摘してくる神代さん。
どうも彼女は当てにならないので、緒方さんの腕を取ってみんなの間に入り込む。
この場合一番頼りにならない同士が手を取り合ってるので、なんの助けにもならないが。
「お、音は」
「まだ聞こえます。こっちに来てるみたいですね」
「多分あの角から来るんでしょう」
ずっと先にある壁の切れ間を指差す真田さん。
こちらはいよいよ逃げ腰になり、すがるものを必死で探す。
その手に触れたのが、ブルゾンのポケットに入れていたスティック。
これさえあれば怖いもの無しと言いたいが、幽霊に通用するかどうかは分からない。
「先輩、落ち着きなよ」
「お、襲ってきたらどうするの」
「あ、危ない」
叫んだ拍子にスティックを振ってしまい、火花を散らしながらみんなの頭上をかすめてしまった。
当然全員から冷たい視線を浴びて、距離を置かれる事となる。
「ちょっと、見捨てないでよ。お化け、お化け」
「お化けがどうしたんですか」
「ひたひたと、角を回って・・・」
肩に置かれた手をひねり、下に見えた足を後ろ向きで払って投げ飛ばす。
宙に浮いたところで体当たりして、壁際まで一気に運ぶ。
「降参、降参」
殊勝な事を言ってくるお化け。
いや。お化けにしては足がある。
違う、足が無いのは幽霊か。
かなり混乱しているので、一回大きく深呼吸。
目元を押さえ、何が起きたかを確かめる。
「・・・大山さん?」
「こんばんは」
私に壁へ押し付けられたまま、もごもごと答える大山さん。
よく考えれば、深夜の学校と言えばこの人か。
ただ、本当にさっきの足音と彼とが一致した訳ではない。
しないと困るんだけどね。
「こんな夜更けにどうしたんですか」
それはこっちの台詞だと言いたいが、彼は深夜の学校の主。
いない方がおかしいのだろう。
「ケイを探しに来たんです。特別教棟の地下にいるって聞いたんだけど。ここが地下ですよね」
「ええ。今日はお化けも幽霊も出てませんよ」
それは良い事を聞いたと言いたいが、だったら今日以外の日はどうなんだ。
「それで、浦田君なら奥の部屋でゲームをやってますよ」
「ゲーム?こんな真夜中に学校で?何かの秘密クラブですか?」
「鋭いですね、どうにも。別に、下着姿の女性がレースをしている訳ではありません」
そんな事は聞いてない。
大山さんに連れられてやってきたのは、小さな会議室風の部屋。
円卓上に机が並べられ、正面には大きなモニターが一つ。
また各椅子の前に、卓上端末が置いてある。
ただ席には空席が目立ち、座っているのは数人だけ。
その数人は見た顔ばかりと来た。
「何、これ」
露骨に嫌な顔で画面を指差す神代さん。
大型モニターに移っているのは、草薙高校の教棟。
それをデフォルメしたゲームと言えば、草薙高校陥落ゲームか。
「ゲームはお嫌いですか?」
「子供がやるものでしょう」
「なかなかに手厳しい」
乾いた笑い声を上げ、私達にも席を勧める大山さん。
何も言われないが、目の前の卓上端末は起動しているので私も勝手にプレイする。
勿論キャラは、「雪野優」
相変わらず小さくて、じっとさせるとお菓子を食べだす。
しかもよく見ると胸元にサングラスを差していて、今の私を忠実に再現している。
「デザインが変わってるんですね。前見た時は、サングラスが無かったのに」
「毎週日曜の深夜に、メンテナンスが行われますから。ちなみに私のキャラは卒業間近なので、色が薄くなってます」
長髪をなびかせながら、私の前に登場する大山さんのキャラ。
確かに良く見ると後ろが透けて見え、足元は幽霊みたいに細長くなっている。
「それは分かったんですけど。ここで、何してるんですか」
「このゲームには秘密クラブがありまして、一定の条件を満たした者のみがそれに加盟出来ます。私達3年が卒業して枠がいくつか空くため、希望者を募って審査をしてます」
「加盟して、何か得な事でも?」
「ゲーム内では色々と。他のプレーヤーから不可視のキャラを作ったり、瞬間に別な場所への移動が可能になります」
「下らない」
ポツリと漏らす神代さん。
私もこれに関しては、彼女と同意見。
言ってみればたかがゲームで、夜中にこんな場所へ集まる程の事でもない。
「しかしこの秘密クラブ入りたさに、高額の現金が動くと言われてますからね」
「ふーん。真田さん、知ってた?」
「ええ。私もたまにはプレイしてますから。この組織に入るのはかなり難しいですし、私はそこまで入れ込んでませんけど」
一応自分のキャラを起動させ、私の前に座らせる真田さん。
お下げ髪で、小脇に六法全書。
本当、よく調べてるな。
「渡瀬さんのは?」
「ここに」
ちょこちょこと走ってくる、私に負けず劣らぬ小さなキャラ。
違うのは周りがきらきらしてて、湯気みたいのが立ち上ってる点。
元気炸裂といった彼女のイメージを表してるのだろうか。
「緒方さんは?」
「なんか、嫌だ」
出てきたのは、無愛想で顔に陰があるキャラ。
じっとさせると鼻で笑い、周りに風が吹き抜ける。
私からすれば面白いけど、当人とすればそれ以外の言葉は無いだろう。
「神代さんは?」
「やらないからいいよ」
それは彼女の都合。
構わずキャラを呼び出してみる。
登場したのは長身美形のキャラ。
緒方さんのように陰を宿しているが、顔の凹凸をよりはっきりさせて魅力的になっている。
なんかこれって、作り手の思い入れで出来てるような気もするな。
「誰よ、これ作ったの」
「ここには、製作者はいないんだ。大人しく、饅頭でも食べてろよ」
目の前に置かれるお饅頭。
それを拾い、むしゃむしゃと食べだす私。
あくまでもゲームの中での話だが、なんで勝手に食べてるんだ。
「何よ、これ」
「強いキャラには弱点もある。今のは、足止め」
鼻で笑うケイ。
今度置かれたのはハンバーガー。
それもむしゃむしゃ食べて、またこの間は操作を受け付けない。
そしてケイのキャラが木刀を構え、後ろへと回り込んできた。
「こういう使い方をするのが基本」
「私はゲームをやりに来たんじゃないの。バレンタインディのデートって何」
「そのくらい夢を見てもいいだろ」
「どうして、私までデートするの」
「運営企画局で、こういうキャンペーンをやっててさ」
机の上に置かれている書類を指差すケイ。
そこにはバレンタインデイのイベント内容がいくつか書き込まれ
「男が告白して、一体何が悪いのよ」
という、嫌なキャッチコピーも乗っている。
だったら、「よ」って言わないでよ。
「おかしい奴は事前審査で跳ねる。これみたいに」
大型モニターへ向けられる視線。
秘密クラブへの加盟と私やショウのデートと同列にされても、あまり気分は良くない。
「それに、私は承諾してないのよ」
「デートと言っても、学内を少し回るだけ。イベントだよ、イベント」
「そういう軽いものなの」
「じゃあ、重い方がいいのか」
「いや。それも困るけどさ」
遊び感覚と言うのはどうかと思うし、ただあまり本気でやられてもどうかと思う。
ただ断るのも大人げが無く、それはそれで気が進まない。
「本当に相手は選んでよ。それと、私に拒否権があるんでしょうね」
「勿論。ショウには後で話す。時間はずらすから、相互の監視も出来る」
ショウか。
私は彼がそういったイベントに参加するのは、もう仕方ないと思っている。
それだけの人気があり、またその人気に答えるべきだと。
私一人の感情やわがままだけで、それらを断るのは難しい。
勿論限度はあるし、私も自分の感情を主張はするが。
突然ドアが蹴破られ、疾風が目の前を駆け抜けた。
黒い影は机を飛び越え、速度を落とさず会議室内を掛けて行く。
「デートってなんだ」
襟首を掴まれ、そのまま持ち上げられるショウ。
掴み上げているのは片手で、もう片手は顔へと押し付けられている。
少しでも本気になれば、一生首は逆さで後ろを見続ける事になるだろう。
「離せ、この馬鹿」
襟首を掴まれたまま、ごく冷静に言い放つケイ。
彼の体は宙を舞い、猫の子のように飛んでいった。
「こ、この」
壁にぶつかり、よろめきながら立ち上がるケイ。
そこで改めて襟首が掴まれ、持ち上げられる。
「話は終ってないぞ」
「終わりだ、終わり。本人が承諾した」
「ああ?」
「聞いてみろよ、本人に」
顎を振るケイ。
その動きに警戒しつつ、後ろを振り向くショウ。
そこで、手を振る私と目を合わせる事となる。
「な」
「な、じゃないんだ。イベントだって言っただろ」
「イベントだからって、その、あの。あれ、なんだ」
「君は何だね。束縛して、自分の権利を主張するタイプかね。自分から一歩も離れるな、一生俺の男と口をきくなってタイプ科ね」
矢継ぎ早に責め立てるケイ。
ショウは口元でなにやら呟き、腕を振ってケイを床へ叩き落した。
「この野郎。お前なんて、こうだ」
何をするのかと思ったら、ゲームにショウのキャラを登場させて一方的に殴り出した。
ショウのキャラは操作されてないので殴られっぱなし。
ストレスを発散させるには良いかもしれないが、おおよそ虚しい行為なのは間違いない。
「やり返せば」
笑い気味に指摘する神代さん。
ケイはそれには答えず、ショウのキャラを倉庫に閉じ込めて外から鍵を掛けた。
「とにかく、デートは決まり。審査は厳正。おかしな奴は入れないから、安心しろ」
「当たり前だ。大体、デートってそんな軽いものなのか」
私と同じ意見を主張するショウ。
それにうれしくなって、彼のジャケットの裾を掴む。
いいじゃないよ、このくらいは。
「案外古風なんですね」
ニヤニヤと笑う緒方さん。
どうも彼女達にとって、彼はいいおもちゃというか標的でしかないらしい。
それは、私を含めてかも知れないが。
「二人はデートしないんですか」
渡瀬さんの質問に、思わず顔を見合わせる私達。
彼はそんな事言わなかったし、多分思っても見なかっただろう。
私もそれは同じで、正直何も考えていなかった。
「二人はいつまでも初々しいの」
私達の昔を知っている真田さんがそう言って、うっとりしたように指を組む。
そんな事は無いと思うが、完全に否定も仕切れない。
大体私達の関係ってなんなのかという話でもあるし。
「こういうのこそ、本当風紀委員が取り締まって欲しいね。学内での男女交際を禁止するって規則を、是非いれるべきだ」
やけに力を込めて話すケイ。
だったら自分と沙紀ちゃんはどうなんだと言いたくなるが、その辺が分かってるのかは疑わしい。
自己分析も出来ている人ではあるけど、恋愛についてのエキスパートとは思えない。
そういう彼であって欲しくも無いが。
「楽しそうで良いですね」
穏やかに微笑みながらこちらを見てくる前島君。
私達が乗り込んで来た時からいたので、彼もこの秘密クラブのメンバーなのだろう。
「チョコの予定はある?」
「さあ。俺みたいな新参者には、義理もないんじゃないんですか」
謙遜か、それとも自己評価が辛いのか。
また醒めてるタイプなので、あまりこういう事でははしゃがないんだろう。
「私、上げようか。サトミ達と連名で」
「義理かよ」
なにやら呟いたケイを睨み、前島君には愛想よく笑う。
ショウも睨んできてるようだけど、このくらいは許される範囲内だろう。
「問題が無いのなら」
私の後ろにいるショウを気にしつつ、笑顔で答える前島君。
柔らかい、年頃の高校生の顔で。
「任せて。大山さんにも送りますね」
「それはどうも」
「八方美人で結構じゃない」
なにやら刺のある台詞。
バレンタインデイの告知プリントを丸めて投げると、木刀で即座に打ち返された。
「鶴木さんもここのメンバーなの?」
「草薙高校の女王と言って欲しいわね」
画面に見えるのは、ティアラを被った鶴木さん。
多分オプションだとは思うが、手には日本刀も持っている。
これはただの殺人鬼じゃないの。
「鶴木さんが入れるなら、誰でも入れそうな気もする」
「何か言った」
「別に。それで、誰か合格者は?」
「今のところなし。私達の枠は空くけど、それは必ず埋める必要はないのよ」
そんなものかと興味も無く聞き流し、ぼんやりと画面を眺める。
神代さんの言う通り、結局はゲーム。
この中でどれだけの利益があっても現金を動かす気にはならないし、審査を受けてまで入りたくも無い。
ただこれに愛着を感じている人もいるだろうから、ゲーム自体を否定はしないが。
「雪野さんも参加したら」
手元でメモを取りつつ、話を振ってくる黒沢さん。
このメンバーを見ていると、全員生徒会組織の幹部や主要なメンバー。
それが参加資格なのかとも思ったけど、違う人も混じっている。
いや。それは彼一人だけど。
「参加資格って何」
「視野が広くて、公正中立」
ますます鶴木さんは違うと思う。
彼女は直情型で、公正中立というタイプでもない。
義を重んじ、だからこそ偏った行動を取る。
それ自体は、悪くないけどね。
「ケイは、どうやって入ったの」
「クラブ加盟者の推薦があれば、審査は必要ない。勿論、加盟者全員の同意が必要になる」
「ふーん」
どうも単なる遊びの集まりとは訳が違うようで、言ってみれば草薙高校の裏組織なのではと思えてきた。
具体的な実行力は無いが、意見の交換や意思の調整は可能。
私は万事オープンに進めたいので、これをあまり良いとも思わない。
ただそれは私の考え方。
甘い、目の前の出来事しか見ていない子供の視点とも言える。
「とにかく、デートの件は頼むわよ。絶対、変な事にならないように」
「分かってる。あーあ、バレンタインデイなんて、法律で禁止してくれよな」
馬鹿げた詠嘆を聞き流し、人気の無い学内を歩いていく。
ケイや大山さんはまだ学校に残り、なぜかショウも。
という訳で、行きと同じメンバーで帰る事となる。
しかし夜は寒いし暗いし気持ち悪いで、学校なんか来るんじゃなかったな。
風に木が揺れるだけでも思わず身をすくめてしまい、姿勢が自然と低くなる。
その内、地面を這いつくばるんじゃないのかな。
それでもどうにか、正門が前の方に見えて来る。
学内の明かりは通路に点々と灯る街灯だけで寂しい事この上ないが、外に出れば明かりは無数にあふれている。
都会の夜は明るすぎるなんて言うけれど、明るくて何が悪いのか聞いてみたくなる。
「あー、助かった」
「何が」
一斉に尋ねてくる後輩達。
どうやら一度、先輩としての威厳を示した方が良くないか?
正門を出て、今度は路地へと入ってく。
民家の間を抜けていくため、家々から漏れる明かりも行く道を照らしてくれる。
また女子寮までの道は監視カメラが死角無く設置されていて、不審な車両や人物がいればすぐに警備員が駆けつける。
場合によっては即座に警察へ連絡が行き、近所をパトロールしている警官もやってくる。
しかし言葉にしようの無い違和感を感じ、歩く速度を緩めて全体のペースを落とす。
「どうしたの。目の調子でも?」
心配そうに声を掛けて来る神代さん。
横へ手を出し、彼女が前に回りこんでくるのを防ぐ。
「渡瀬さん、後ろは」
張り詰めた私の声に即反応し、後ろの様子を窺う渡瀬さん。
「車、人影。共にありません。建物の影までは見えませんが」
「後ろはお願い。どうも、嫌な感じがする」
「了解」
警防を抜く音を背中で聞き、出来るだけカメラから避けて動く。
本来ならカメラに入って動くところだが、このカメラに問題がある気がしてならない。
つまり逆に利用されていると。
「真田さん、警備の詰め所に連絡」
「了解」
「全員走れるように準備して」
スティックを抜き、全身で周囲の気配を探りながら一歩一歩進む。
単なる取り越し苦労ならそれでいい。
またこれは非常に感覚的な部分で、具体的に何かがある訳ではない。
目を患ってからの、神経が過敏になっている状態。
それが、人の緊張や興奮を感じ取るのかもしれない。
予想通りというべきか、アパートから数人の男が出てきて道をふさぐ。
音からして、どうやら背後からも。
誘拐未遂は経験済み。
本気ではないにしろ、脅しで済む事でもない。
「真田さん、、警備員は?」
「今向かってます」
「渡瀬さん」
「スタンガンを使います」
背後から聞こえる火花の散る音。
それに頷き、私もスティックのスタンガンを作動させる。
「緒方さん、道具は?」
「警棒とスタンガン。銃を一丁」
「当てられる?」
「連射すれば、突破くらいは可能です」
戦闘に耐えうるのはこの3人。
ただ真田さんはこういう状況に場慣れしてるし、神代さんも以前とは違う。
むしろ穴は、目に不安を抱える私かもしれない。
やがて目の前に現れる数名の男達。
暗くてよく見えないが、見覚えがあるような気もする。
それもあまりよくない記憶の中で。
「何か用?」
「先日の続き、と言えば分かるかな。車、全損だよ」
やはり、この間の誘拐犯か。
当然同情の余地は無く、こうして話している事すら腹立たしい。
「警備なら来ないぞ。カメラは全部、こっちでコントロールしている」
「私に何か用」
「少し話を聞くだけだ。我々に協力してくれば、悪いようにはしない」
「断ったら」
「断れないんだよ、これが」
闇夜に浮かぶ陰惨な笑み。
周りから響く下品な笑い声。
お化けや幽霊を恐れる気持ちはあるが、こういう輩に引く気は一切無い。
私はまだ対抗する術を持っているが、世の中の誰もがそうという訳ではない。
仮にこれが神代さんを狙っていた場合。
その時彼女が一人きりだったら。
考えただけででも気が遠くなりそうで、だからこそこういう連中をのさばらせる訳には行かない。
「どっちにしろ、話す事も無いし話したくも無い。今すぐ帰るのなら、見逃してあげる」
「この前の連中と一緒にするなよ。高校生程度が調子に乗るな」
「乗ってるかどうか、試してみれば。今日は手加減しないから」
「口の減らないガキだ。誰か、お仕置きしてやれ」
バトン片手に出てくる、小山を思わせる大男。
しかもプロテクターを装着していて、防護は完璧。
連中が自信を持つのも頷ける。
「ガキをいたぶるのは趣味じゃないが、礼儀知らずは嫌いでな」
下品に笑い、バトンを振りかぶる男。
どっちがだと思いつつ、がら空きの脇に飛び蹴りを見舞う。
「そんなのが利く・・・」
蹴ったのは、腕の下。
神経を痺れさせ、落ちてきたバトンを踏み切った足で引っ掛ける。
それを蹴り足の上に乗せ、オーバーヘッドキックの要領で体を回しながら頭の上へと叩き落す。
「このっ」
巨体とプロテクターで、大したダメージは与えられなかった様子。
また私の動きを単なるアクロバット的なものだと思ったらしく、ヒビの入ったヘルメットを押さえつつ余裕の表情で近付いてきた。
「さて、お仕置き・・・」
言葉は最後まで続かず、膝から崩れて前のめりに地面へ倒れる。
打撃を加えたのは、後頭部から延髄にかけて。
今ごろ効いてくるなんて、恐竜並に鈍いんじゃないのか。
「それで、次は」
「・・・同時にかかれ」
若干声を鋭くして指示を出すリーダー格の男。
武器を持った人間が、私達全体を取り囲む。
おそらくは神代さん達をもターゲットにして、私の隙を誘おうと言うのだろう。
卑怯だが有効な手段。
セオリー通りならば。
私が修めているのは、RASであり玲阿流。
対複数を想定した格闘技で、それには味方を守る事も含まれている。
しかも今は渡瀬さんもいるため、連携した動きも可能。
誰を相手にしたのか、骨の髄まで思い知らせるしかない。




