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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第34話
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34-1






     34-1



 夢のような時間は過ぎ、再びいつもの毎日が訪れる。

 いつもなら、この時期はすでに学校は休みのようなもの。

 出席してもしなくても成績には関係なく、また教師自体が休むため授業も自習ばかり。

 だけど今は毎日休み無く授業が行われ、生徒も真面目に出席している。

 これが本来の姿だと言えばそれまでだが、今までを経験している以上重荷に感じなくも無い。


「寝てるの」

 バインダーを振り上げながら尋ねる村井先生。

 こういう体罰教師こそ、処分出来ないのかな。

「寝てません。大体、まだHRは始まってないでしょ」

「寝てるか寝てないかを聞いたのよ」

 じゃあ、バインダーを持ち上げないでよ。

 などと言った日には本当に降って来るので、愛想よく笑ってこの場をごまかす。

「遠野さんを見習いなさい。予習をしてるわよ」

「小うるさいな」

「何か言った」

「全然」

 しばし睨み合い、本鈴が鳴ったところで相手が引き上げる。

 本当、付き合いきれないな。

 それは、向こうの台詞かも知れないが。



 淡々と告げられる事務的な連絡事項。

 半分くらい寝ながら、一応は耳を傾ける。

 「……という訳で、伝達事項は以上。それと今日は用事があるので自習にします」

 なんだ、それ。

 寝るななんだと言っておいて、結局それか。

「何か意見のある子は」

 私だけを見据えつつ尋ねてくる村井先生。

 対抗上睨み返し、机を叩く。

「意見は無いようなので、HRは終わりにします。遠野さん、悪いけれど手伝って」

「分かりました」

 筆記用具を片付け、静かに席を立つサトミ。

 彼女に頼むのだから事務仕事か通訳。

 今は教師としてではなく、理事長の妹としての依頼だろう。

「元野さんと木之本君もお願い」

「はい」

「分かりました」

 当たり前だが、良い物から売れていくな。

 でもって、私は売れ残るな。

 むしろその方が気楽で助かるけどね。


 欠伸をしながら、リュックの中を覗き込んで何をしようか考える。

「暇なの?」

 自習だし、暇なんじゃないの。

 白紙のプリントに猫の絵を描きながら、心の中でそう答える。

 本当、自習万歳だ。

「暇なら、一緒に来なさい」

 いっそ、クラス全員連れて行けば。

 んー、猫はもういいか。

「ユウ」

 UFOか。

 見ては見たいけど、宇宙に連れて行かれるって話もあるからな。

 私なんて連れて行かれたら、地球人が間違って伝わってしまう。

 どうせなら、愛想のいいヒカルを連れて行けば良いんだ。

 あの子なら、宇宙平和にも間違いなく貢献出来る。

「何してるの」

「宇宙の平和について少し」

「え」

 思いっきり笑顔をこわばらせるモトちゃん。

 どうやら、途中をはしょりすぎたらしい。 

 頭から説明しても、同じ顔をされそうだけど。

「宇宙の平和はいいから、行くわよ」

 宇宙に、ではなく村井先生に付いていくらしい。

 この場合、どっちが良いかは微妙だな。




 連れて来られたのは、教職員の特別教棟。

 その最上階のフロア。

 多分普通に生活をしていれば一生立ち入る事はないだろうが、私は縁あって数度ここを訪れている。

 それはどれも、悪い思い出しかないが。

 通されたのは理事長室ではなく、ただ内装や調度品はそれと引けを取らない部屋。

 とりあえずソファーへ座り、体の埋まる感触を楽しむ。

 楽しむのは良いけど、出られないんじゃないのか。

 そんな私を放っておいて、サトミ達にここへ来た理由を説明する村井先生。

「議員団の視察スケジュールを消してしまったのよね。それで悪いけど、改めて作り直して」

「必須の場所やコースは?」

「寮、食堂、教室、授業中の体育館かグラウンド。クラブハウス、生徒会。定番な所は抑えて」

「分かりました。まず、簡単に書いてみます」


 白紙のプリントへ、滑らかにペンを走らせるサトミ。

 時刻と場所、行動予定が書き込まれ、見る見るフローチャートが完成する。

 間違っても猫やUFOを描いたりはしない。

「木之本君。移動時間と滞在時間を確認して」

「了解」

「モト。各組織にこの予定が可能か確認して。調整もお願い」

「了解」

 てきぱきと仕事を進めていく3人。

 私は未だにソファーへ埋まったまま。

 冗談抜きで出られないのよ。

「ショウ、手。手貸して」

「遊ぶなよ」

「結構本気なんだって」

「ヤドカリか」

 ふざけた男に飛び掛る事も出来ず、ショウの腕を借りてようやくソファーから抜け出せた。

 これって大人の体重や体格を想定して作られてるんだろう、多分。

 少なくとも、私の体型は全く考慮されてないのだけは分かる。

「……ほぼこれで問題ないと思います。シミュレーションも行いますか?」

「お願い。さあ、そっちの子も出番よ」



 ヒカルが小さな旗を掲げ、それにぞろぞろ付いていく私達。

 観光客じゃないんだからさ。

「まさか、当日もこうやってやるの?」

「迷子になるのは子供だけじゃないのよ。変に知恵が付いてる分、大人の方が性質も悪いし」

 ストップウォッチ片手に答えるサトミ。

 そこまで厳格に時間を計らなくても良いと思うが、これはもう性格なので仕方ない。

「木之本君、到達予定は?」

「このペースだと、少し遅れるかな。ショートカットは?」

「コースと想定時間をメモしておいて。少し急ぐわよ」

 本当にこういう事が好きというか、凝る人だな。

「モトちゃん、何か言ってやってよ」

「言って聞くなら、誰も苦労しないでしょ。それに、悪い事でもないし」

「本当に?」 

 再びの質問には答えないモトちゃん。

 その間にもサトミはストップウォッチとコースを交互に確認し、木之本君が持っている端末で地図もチェック。

 伊能忠敬にでもなるつもりかな。


「破綻するから止めろよ」 

 笑い気味に指摘するケイ。 

 サトミはストップウォッチを止め、鬼のような形相で振り返った。

「何か言った?」

「議員が質問したらどうする。この植物の名前は何ですか?どなたが手入れされてるんですか?その方は今どこに」

「却下よ」

「質問には答えなさい」 

 重々しく指示をする村井先生。

 サトミは彼女も一睨みして、周囲の写真を撮ってメモ用紙になにやら書き出した。

「おい。質問はここだけとは限らないぞ」

「だから何よ」

「いや。俺からはもう何も無い。遠野さんの健闘を祈る」

 一人笑い、ショウの後ろに隠れるケイ。

 サトミの怒りはさらに増すが、それを気にするような人間はここにはいない。

「あの子、あんなに細かい性格なの?」

「論理派なんです。世の中の事象は、全て計算で測定出来ると考えるタイプなので」

「いるにはいるけどね、そういう人も」

 モトちゃんの質問に首を振る村井先生。

 私はそこまで全てが割り切れるとは思わないし、ただ神様任せでもない。

 大抵の人がそうであるように、運命は存在するにしろ多少は自分の力が介在する余地もあると思っている。

 サトミも運命論者ではないので私と極端に違う訳でも無いが、理屈で全てが解決出来ると思ってるのは間違いない。



 特別教棟を出て少ししたところで、ヒカルが足を止めた。

「魚がいるよ」

 ネットを張られた池の中を泳ぐ、鯉と鯛。

 海の魚と川の魚が同じ池で泳ぐという、かなり珍しい光景。 

 水流の循環システムに秘密があるらしいが、私は理屈よりもこの光景を見ているだけでただ楽しい。

「勿論ここでも質問だ。これは誰が作ったんですか」

「当校の卒業生です」

「ここにある意義は?」

「鑑賞用であるのが第一。次いで学術的な研究、最先端の技術に触れるという目的もあります」

 すらすらと語るサトミ。 

 ケイもニヤニヤとして、拾い上げた木の枝でネットをつつく。

 その途端火花が散って、下にいたうなぎが逃げていった。

「すごいな、これ」

「電気ウナギだね」

「全然違うよ、浦田君」

 冷静に指摘する木之本君。

 というか、何が電気ウナギだったんだ。

「猫が感電しないかな」

「舞地さんを突き落としてみろよ。すぐに分かる」

 別に舞地さんを落とさなくてもいいと思うし、それならケイで代用出来る。

 しかし人間よりも魚を優先するというのも、少し奇妙な話ではある。

「はい、時間ですので移動します。光、歩いて」

 言われるままに、小旗を掲げて歩き出すヒカル。

 私なら一日ここにいても平気だが、議員の視察ともなればそうとも行かないらしい。

 いや。待てよ。

「歓待のセレモニーとかやらないの?シスター・クリスの時は一ヶ月前から準備してたじゃない」

「立場も目的も違うから。税金をもらってる議員をもてなしても仕方ないでしょ」

「そういう事」

 てっきりサトミの私情が入ってるかと思ったが、そういう事ではないらしい。

 私もさすがに、国会議員のために刺繍や料理は作る気も起きないし。




 という訳で、一旦さっきの教室へと戻ってくる。

 そこでサトミが私達の立ち位置を指定し、村井先生に授業をやるよう促した。

「まずは授業中の教室を見学。固くならず、普段通りにお願いします」

 誰に何を言ってるのか分からないし、それは言われた方の台詞だろう。

 どちらにしろ簡単に授業の真似事が行われ、木之本君がそれを撮影する。

「議員団の団長がここ、副団長がその左右。後は右右、左左」

「秘書は?」

「教室には入れない。先生、そこまでで結構です。お疲れ様でした」

「どういたしまして」

 皮肉っぽく頭を下げる村井先生だが、サトミの目付きが一瞬鋭くなってすぐに愛想笑いをする。 

 彼女に頼んだ事を、今になって後悔してるだろうな。

 私なんて、中等部から今までずっとだ。

「授業後半に質疑応答。先生と生徒両者を交えたフリートークでも構いません」

「私の受け持ち時間は無かったはずだけど」

「他の先生には、すでに交渉をしています。真摯に回答し、不穏当な発言もしない。暴れない、騒がない、大人しくする。そういう事で」

 どういう事か知らないし、多分誰も聞いてない。

 一体何がしたいんだか。


 次にやってきたのは工作室。

 これは選択授業なので、私は取っていない授業である。

「今回に限り、希望者の参加も受け付けます。参加されたい方は、事前に浦田珪まで連絡をお願いします。定員はありませんが、機材や材料の調達もありますので欠席はしないように。それで時間内に作れる物として、手鏡を作成します。参加される方は当日までに、デザインを考えて事前に配布する板にそれを書き込んで置いて下さい」

 サンプルの木の板を顔の前で振るサトミ。

 1時間で終わるような物とは思えないが、スケジュール管理は私の仕事ではない。

「時間内に完成するよう、デザインはシンプルかつ分かりやすいものを」

「いっそ、検閲しろよ」

 小声で呟くケイ。

 サトミは彼を一睨みして、腕時計に視線を向けた。

「詳細は、端末で連絡をします。それでは、移動します」


 今度は体育館。

 丁度バスケの試合をやっている所で、1人動きの違う人がいる。

 1:3でのディフェンス。

 フェイクで1人抜き、鋭いターンでもう1人。

 足の間にボールを通し、最後の1人もあっさりとパス。

 低い姿勢のドリブルから深く膝を曲げ、勢いよく床を踏み切る。

 羽根が開いたように華麗なジャンプを見せ、振りかぶられた腕がネットを揺らす。

 派手なダンクを見せた木村君は私達の姿を見つけ、軽く手を振った。

 甘い顔立ちと、ため息が出るほどの格好良いプレイ。

 人気が出ない訳がない。

「当日は、男女混合でドッチボールを行います。ボールは柔らかい材質の物を使用。議員の参加も予定しています」

「危なくないのかしら」

「サンプルがここに」

 白い、バレーボールに似たボールを持ってくる木之本君。

 非常に軽く、また表面も柔らかい布のような感触。

 投げるのに問題ないくらいの重さもあり、当たっても痛さはさほど無い。

 当たる場所や、誰が投げたかにもよるけどね。

「負けたチームには、罰ゲームを用意するのも面白いでしょう」

 自分を追い込んでどうするんだか。


 とりあえずボールを受け取り、軽くドリブル。

 使っていない壁際のゴールへシュート。

 綺麗な弧を描き、ボードにもネットにも触れずゴールする。

 ドッチボールではないけど、こういう事も一応出来る。

「ユウは敵じゃないわ」

 不敵に微笑むサトミ。

 体力の無さと肩の弱さを想定しての言葉だと思う。

 ただ世の中では、そういうのを浅はかと言う。

「じゃあ、こういうのは」

 ボールを両手で持ち、少しずつ手の距離を開いて交互にボールを行き来させる。

 慣れてきたところでドリブルに変え、その感触を確かめる。

「ゆっくり投げるから、受け止めて」

「掛かってきなさい」

 髪を束ね、ストップウォッチをモトちゃんへ放るサトミ。

 本当、やる気と見た目だけは申し分無いんだけどな。

 軽く振りかぶり、サトミの胸元へゆっくり投げる。

 サトミは目を見開き、その動きを必死に追って手を前に出す。

「え」

 緩くカーブを描くボール。

 それはサトミの手をそれ、脇腹を軽くかすめて床へと落ちた。

 少しの手首の返しと指の掛け方。

 肩の入れ方もあるが、サトミ相手にそこまでやっても大人げない。

「も、もう一度」

「時間良いの」

「あなた、覚悟しなさいよ」

 そんな怒られるような事をした覚えはないんだけど、時折理不尽なので気にしない。

 大体、当日この子も参加する気なのかな。


「おーい、ボール取ってくれ」

 足元に転がってくるバスケットボール。

 すぐそばのコートから手を振っている木村君。

 ボールを拾い上げ、ショウに渡して後を託す。

 シュートやドリブルはともかく、バスケットボールを遠くに投げる程の筋力はないので。

「行くぞ」

 さっきの私同様、軽く肩を振りかぶるショウ。

 そこから大きく踏み込み、上半身をひねる。

 バスケのパスと言うよりは、野球の投球ホームに近い感じ。

 ボールはうなりを上げて生徒の間をすり抜け、しかし木村君は剛速球のそれを片手でたやすく受け止めた。

 さすが、プロ候補と呼ばれるのは伊達じゃない。

「シュートも見たいな」

 ゆっくりと戻ってくるボール。

 試合は中断する格好だが、申し出たのはバスケ部のエース。

 バスケに関して、彼に異議を唱える勇気は誰もいないだろう。

「ユウ」

「はい、来た」

 手を振って、ショウをゴールの反対側へと走らせる。

 私は少し下がり、ゆっくりドリブル。

 駆けてくるショウの速度と位置を把握し、ゴールに向かってボールを投げる。


 何をやってるんだという体育館内の空気。

 だが勿論、これも計算の内。

 ボードに辺り跳ね返るボール。

 ゴール下から飛び上がり、片手を振り上げるショウ。

 その手がボールをキャッチして、真上からゴールへ叩き込む。

「バスケ部どころの騒ぎじゃないな。暇なら、試合に出てくれよ。授業じゃなくて、公式戦に」

「悪いけど、何かと忙しいんだ。迷惑が掛かっても困るし」

「俺より迷惑な人間はバスケ部にいないさ。まあ、君にも君の都合があるか」

 ボールを拾い上げ、試合の再開を告げる木村君。

 ショウは肩を回しながら、サトミの視線を避けるようにしてこちらへと戻ってきた。

「今度の試合はドッチボールなのよ。バスケが上手くても関係ないのよ」

「サトミと敵になる訳でもないんだろ」

「チーム分けは私の裁量内よ。いつまでも、あなた達の天下が続くとは思わない事ね」

「せいぜい気を付けるさ。その前に、転ぶなよ」

 その冗談に鼻先で笑って応えるサトミ。

 気味が悪いというか、私達に勝手も彼女には何の特も無いと思うけどな。

「あの子、何張り切ってるの」

「鈍いから、コンプレックスがあるんだろ」

 一言で切って捨てるケイ。

 言い方は他にもあるだろうが、言ってる事は間違ってないと思う。

 ただ勝てないからコンプレックスな訳で、そんな簡単に克服出来るのなら誰も困りはしないだろう。

「さあ、スケジュールが押し気味よ。みんな急いで」

 誰が押させたのかは、ここでは議論の対象にならないようだ。




 ようやくやってくる、お昼の時間。

 議員用に特別なメニューを出すかと思いきや、出ていたのは今日の和食セット。

「普段通りの生活を見てもらわないと、意味がないでしょ。先生、これでよろしいですよね」

「ええ。高価な物を出す必要もないし、手間も掛からなくて良いんじゃなくて。それに、ここの食事は美味しいから」

 それには異論がないし、私もここのご飯は好きだ。

 ただせっかくのイベントなんだから、もう少しなんかこう華があってもいいじゃない。

「テーブルはドアの近く。入室退室時の混乱を避けるためです。また時間的なロスを避けるため、オーダーはこちらで済ませます。どうしても経験したいという方は、何人か生徒を付けて空いている列を利用していただきます」

「他には」

 もはやケイすら口を開こうとはしない。

 呆れてるのか、一分一秒でも早く終わらせたいのか。

 とにかくこういう事は、一生に一度くらいで十分だ。

「何度も言いますが、時間厳守。特に食事は時間が掛かるので、今後の予定に関わります」

 何か言いたそうな全員の空気。

 時間は確かに大事だけど、予定通りに行かないのがイベントというものだ。

「では、私達も食事を。要人ではないので、毒味は行いません」

 ひどい言われようだな。

 彼等も一応は国会議員で、権力も権限も備えている。

 ただ省庁の長官や総理大臣ではないし、国際的なVIPでもない。

 何より、彼女にとって重要な存在ではないのだろう。


 指定されたテーブルへ付き、全員で食事を取る。

 まずはふきのとうの天ぷら。

 さくさくとして、青々とした味。

 そんな味は無いと言われそうだけど、気分的にそうなのよ。

 まだ外は寒いし風も冷たいけど、春は少しずつ近付いてきているようだ。

「……寝ない?」

 私の質問に、眉を動かすサトミ。 

 ご飯を食べれば眠くなるのは人間という物。

 退屈な授業。

 その視察。

 外と違い、教棟の中は暖かい。

 寝ないという方が無理な話のような気もする。

「多少は大目に見るわ。ただ、度が過ぎるようなら退場してもらう」

「国会議員でしょ、相手は」

「だから?彼等はあくまでも代議員。私達を代表して法律を立案して政策を実行している。私達を代表して。彼等固有の権利ではないの」

 それはそうだが、選挙がなければ彼等固有の権限みたいなもの。

 だからこそ国会議員におもねり、とりいろうとする人もいる。

 ここにいる人達は、ともかくとして。

「議員の権限については、またいずれ」

 早く食べろと言わんばかりに手を叩くサトミ。

 どう考えても食べられないので、ブリの照り焼きをショウのトレイへ乗せる。

 後は残りのご飯と天ぷらをゆっくり食べて、デザートを何にしようか考える。

「食後は授業が始まるまで、ラウンジで休憩します。では、そちらへどうぞ」




 これも選択肢はないらしく、出てきたのは紅茶と市販のお菓子。

 どうやら、スポンサー企業のものらしい。

「スポンサーの援助によっても成り立っている例として説明します。午後からは授業ではなく、生徒会や教職員の仕事ぶりを視察。その後、生徒会と旧連合との会合に出席。そこで日程は終了です」

「ありがとう。これで姉さんに提出しておくわ。多分、このままで大丈夫だと思う」

 端末でスケジュール表を確認し、小さく頷く村井先生。


 こういう姿を見ていると、彼女も結局は向こう側。

 教師というよりは、理事長の妹。

 私達とは異なる立場にいるんだと強く実感する。

「お礼は何がいい?あなたに今更奨学金や何らかの権限と言っても、大して価値は無いと思うけど」

「では、保留という事で」

「分かった。年度内なら、多少の無理は聞いてあげる」

 村井先生の言葉に、軽く会釈するサトミ。

 私なら何を頼むか考えたけど、これといっては思い付かない。

 大きく出るのなら今の学校の状況をどうにかしてと言いたいし、理事会のあり方や生徒会の方針や活動を改めさせて欲しい。 

 ただ彼女がそれに対する権限を持っているとしても、ここで頼む筋合いの事ではないだろう。


「他に、意見のある子は」

「その議員って、どういう関係なんですか。単に教育族だけなのか、それとも違う面もあるのか」

 多少真面目な顔で質問するケイ。

 それには村井先生にも表情を改め、テーブルに肘を付いて顎に添えた。

「一部、国防関係の人間も混じっている。今現在政治家を狙ったテロは行われていないけど、護衛は付いて来るみたい」

「まともな人間でしょうね」

「それは、こちらでも確認してある。ただ、銃は持ち込むんじゃないかしら。本物をね」

 何となく静かになる私達。

 普段学内で見かけるのは、所詮おもちゃ。

 撃たれても怪我をする程度で、死ぬ事はない。

 逆を返せば、そういう人達が来る訳か。

「無闇に撃つ訳じゃないし、念のためよ。最近発砲したという事例も聞いてないし」

「では、銃の学内への持ち込みは禁止でお願いします」

「分かった。昔はあったんだけどね、銃撃戦とか」

 何をしみじみ語ってるんだか。




 視察のシミュレーションも終了。

 午後からは通常通りの授業に戻る。

 源氏物語、ね。

 しかしこの光源氏ってのは、一度地獄を見た方が良いんじゃないのか。

 私が声を掛けられたら、即刻手打ちにするけどな。

 その時代の人間じゃないし、何より一庶民はお目通りすら敵わないけどね。

「人の御容貌も光まさりて見ゆ。これは誰のどんな様子を差しているのでしょうか。端末に入力してください」

 源氏物語は、源氏物語を褒め称えるのが基本。

 無常観もベースにあるとは思うが、女性絡みというのが気にくわない。

 いや。それはともかく、今は答えか。

「光源氏が光り輝くような綺麗な様子」

 つまりは、光源氏と光を掛けているのかな。

 分かんないけどさ。


 そうこうしている内に、次の問題が示される。

「 ……いと多うまろばさむと、ふくつけがれど、えも押し動かさでわぶめり。これは、丁度今の時期と重なり合う事ですね。さて、訳しなさい」

 気楽に言ってくれるな、教師というものは。

 えーと、なんだ。

 かなり大きい物を丸めようとするけど、とても押せそうにないか。

 相当の意訳だけど、多分間違ってはないと思う。

「……ああ、雪だるま」 

 段落がこれで終わりなので、雪だるまを作ったかどうかは分からない。

 当時にそう言う風習があったかどうかも分からない。

 ただ童子と書いてあるからには、子供のやること。

 雪だるまの一つや二つは作るだろう。


「えーと。子供が雪だるまを作ろうと必死になって頑張った」

「あなた、何書いてるの」

 後ろから人の答えを覗き込むサトミ。

 私の答えに文句があるらしい。

「雪だるまなんて、どこにも書いてないでしょ。雪まろばしは、雪を転がす遊びなの」

「その後、だるまを作ったかも知れないじゃない」

「この場合の童子は女の子。あなた、寮で雪だるまの頭を持ち上げた?」

 いつの話というか、あの場にこの子はいなかったはず。

 本当、昔の事から今の事までよく知ってるな。

「それはショウだけどさ」

「高校生のユウが持ち上げられないのに、子供が持ち上げられる?」

 それは理屈だ。

 言ってみれば、文章だけを読んでいるだけだ。

 文章の間と間。

 行間を読んではいない。

 というか、私も読んでないけどさ。


 しかし私も、自分の説は譲れない。

 相手がサトミであれば、なおさら。

「とにかくだるまなの。達磨様は、もっと昔の人間じゃない」

「普通のダルマが日本に伝わったのは、江戸時代。時期が違うでしょ」

「じゃあ、この時代はダルマとは呼ばなかったのかもね。でも、現代訳すれば雪だるまでしょ」

「ええ?」

 声を裏返すサトミ。

 何も、そんな変な事は言って無いじゃない。


「違う、全然違う」

「どうだか。先生、先生はどう思います」

 初老の教師を手招きし、私の訳とサトミの訳を両方見せる。

 老教師は目元に手を添え、それを小さく動かした。

 今なら分かる、多分眼鏡を掛けていた時の癖だろう。

「……そうですね。試験の回答としてなら遠野さんの方でしょう、が」

 胸を反らし、私を見下ろすサトミ。

 が、だよ。が。

「源氏物語は多くの訳があり、雪野さんの訳は十分通用すると思いますよ。言うなれば、雪野版源氏物語ですね」

「間違ってはないですよね」

「ええ。ただ、試験にダルマとは書かないように」

 最後の一言は聞かなかった事にして、今の回答を送信する。

 そうだよ、世の中理屈だけじゃないんだよ。

「先生、それは推測の部分ですよね」

「そうですよ。原文はあくまでも、雪まろばし。雪を転がして遊んでいるだけですからね」

「雪だるまとは書いてない。書いてませんよね」

「そういう古文も聞いた事はありません。ですが、推測は自由ですから」

 からからと笑い去っていく老教師。

 本当、亀の甲より年の功とは良く言った。



 最後の授業は日本史。

 これこそすでに確定した話なので、私もいちいち解釈のしようが無いし解釈する程詳しくも無い。

 古文は、もっと詳しくないけどね。

「近代史ですが、学校から指摘があったので概略の説明だけでもしておきます」

 それってこの間の授業の事か。

 理事長も結構細かいな。

「基本的には石油利権を巡る戦い。そこに民族問題、この場合はアジア対欧米という構図が加わっています。結局第1次大戦中から、日本はヨーロッパと戦っているんですね」

 ホワイトボードに書かれていく簡単な年表と出来事。

 第1次大戦は、ヨーロッパが舞台。 

 ただ日本も一応、日本近海で申し訳程度に参戦をしている。

 第2次大戦では、ちょっと信じられないがほぼ世界中を敵に回しての戦い。

 これが戦争の狂気なのか、狂気だから戦争に邁進したのか。

 当たり前だが、普通の状況ではなかったんだろう。

「第一次大戦では、国同士の意識のぶつかり合い。ただ世界大戦とは呼んでいますがヨーロッパを中心とした戦いであり、武器や装備が変わっただけの以前からの延長と言えます。この辺りは、世界史で勉強をして下さい」

 端末に表示される、宿題の文字。 

 世界史で勉強するんじゃなかったのか。

「第二次大戦から、本当の世界大戦というべきでしょうか。ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニア、中東。主な戦場はヨーロッパとアジア。結果として植民地政策の衰退と民族主義の台頭を招いた戦いですね。冷戦という米ソの対立構造は、結局欧米社会中心の世の中から一歩もはみ出していません。ソ連はスラブ系なので純粋にヨーロッパでもないですが」

 第一次大戦から第二次大戦までが、30年くらい。

 第二次大戦から第三次大戦までが、70年以上。

 このスパンで行くと、当分戦争は無い様子。

 とりあえずは一安心だと思いたい。


「そして第三次対戦は、初めに言った通り石油利権を巡る戦い。脱ヨーロッパ支配という側面もあります。支配構造が大きく転換し、より民族主義が台頭としたと言えるでしょう。今後は天然資源の利権を巡る戦いとともに、民族間の対立。国家対国家よりも、内戦が多く発生すると思われます」

 あまり夢の無い話。

 歴史的事件やそれに関する話なので、大抵は戦争やそれに関わる出来事。

 何百年も昔の事なら大して気にも留めないが、第三次大戦はついこの間の事。

 そして今話しているのは、これからの事。

 教室内の空気が重くなるのも仕方ない。

「私は当時、海軍に所属していましてね。第二次ミッドウェー大戦にも一応参加しています。単なる甲板員で、銃撃から逃げてただけですが」

 さらりとすごい事を言い出すな。

 つまり銃撃は浴びて、幸いにもそれへ当たらなくて済んだという事。 

 それに沈んだ船もあるだろうし、よく生きて帰って来たとしか言いようが無い。

「日本は島国なので、他国へ侵略するのもされるのも海を渡る必要があります。古くは飛鳥時代、百済対新羅の戦いに参加した白村江。初めての侵略は、元寇。豊臣秀吉の朝鮮出兵。そこからさらに時代を経て、日清日露。中国との戦争。海を越える分攻め難く、基本的にはどの戦いも失敗をしています。逆に攻める側も船や、現代なら航空機を使う必要があるのでたやすくはないですね。現在は周辺国とも友好状態にありますし、北米とも平和条約を一応締結はしているので日本本土が戦場になる事はあなた達が生きている間は無いかもしれません」

 断言をしないのはどうかと思うが、国内にいればとりあえずは安全という訳か。

 逆に国外はどうかという話だが。

「日本は海外派兵を憲法上禁止していますので、戦争に巻き込まれる可能性も低いです。ただ前回の大戦も憲法で戦争は否定していたので、全く無いとは言えません。この中で将来軍に進む人もいるかとは思いますが、その事も考えておいた方がいいでしょうね。さて、ミッドウェー海戦ですが」

 すでに先生の話は聞こえていなく、隣に座るショウの事が意識される。

 彼は間違いなく軍に進み、その後の人生を歩む。

 周辺国とは友好状態で、また戦争も行われてはいない。

 ただそれは、今の話。

 彼が入隊するのは数年後で、そのときの世界情勢は今とはまた違っているはず。

 国内で戦闘が行われなくても、国連の要請で軍が出兵する可能性は十分にある。

 つまり、ショウが戦争に行く事も。


「ん。俺の事か」

 苦笑気味に自分の胸元を指差すショウ。

 私は頷く事も出来ず、なんとなく視線を逸らしてしまう。

「戦争なんてそう簡単に起きないし、軍の全部が派遣される訳じゃない」

「まあ、ね」

「その時になってみないと分からないけどな」

 ポツリと呟くショウ。

 軍に進むなとは、彼の思いを知っている私からは言えない言葉。 

 それは戦場に行くなと言う事ともつながっては来る。

 ただ、軍に進むのと戦争に行くのは同じ事だが納得が出来る事でもない。

 死にに行くのを、誰が笑顔で見送れるだろうか。

 勿論今は全てが仮定の話で、彼はまだ高校生。

 取り越し苦労が過ぎるとも言う。

 どうもこの辺は性格で、今更直しようも無い。

「御剣少尉の雷撃機はそのまま急降下し、その機体もろとも敵空母が爆炎を上げました。誰もが彼は死んだと思っていたのですが」

 こっちは何の話をしてるんだか。




 2時限だけだが授業は全て終る。

 今日は生徒会との会合は休みで、明日来る議員のための準備に追われているらしい。

 私は生徒会ではないので関係なく、空いた時間をどうするか考えるだけ。

 特に予定は無いが、なんとなく空母に特攻した人の所へ行く。

 御剣さんのではなく、尹さんの経営する焼き肉屋さんに。

 家へ連絡したら、ここに集まっていると聞いたので。

「ん、ご飯?」

「いえ。ミッドウェー海戦について。敵の戦艦に乗り込んで強奪したって本当ですか」

「学校で、そんな事習った?」

 半笑いの尹さんと、苦い顔でグラスの水を飲む御剣さん。

 どうやら本当の事だったらしい。

「俺も話でしか聞いてないんだけどさ。空母を撃沈させた後、脱出したら落ちたのが敵戦艦の甲板上。そのままブリッジを占拠して、戦艦を一つ強奪したらしいよ」

「行きがかり上だ。まさか戦艦の上に落ちるとは思ってなかったし、無人化が進んでて殆ど人もいなかった」

 しかし話は本当で、改めて彼等のすごさを実感する。

 空母へ特攻する時点でどうかとも思うしね。


 御剣さんは軽く咳払いをして、床に落ちても笑い転げている瞬さんを睨みながら話しかけてきた。

「その話、誰から聞いた?」

「日本史の先生から。海軍で甲板員をやってたって言ってましたよ」

「知ってる人は少ないと思うんだけどな」

「結構あの学校の先生も、戦争に行った人が多いみたいですね」

「年齢的に、ちょうど重なるんだろ。なあ、水品君」

 餃子を作っていた先生は顔を上げ、何の話だという目でこちらを見てきた。

 それは私の台詞だと思う。

「ここって、ステーキハウスじゃないんですか」

「この野郎が、また商売を始めるんだとさ。次は中華を」

「儲かってるんですね、尹さん」

「お陰様で。後は瞬のツケを全部払ってもらえると、言う事無いな」

「父さん」

 生真面目な顔で詰め寄るショウ。

 しかし瞬さんは知らないとばかりに、ボールの中にある餃子の餡を覗き込んだ。

「ニンニク入れないのか」

「中国では入れないそうだ。なあ、水品君」

「ええ。私もそう聞いてます」

「ここは日本だろ。ニンニクの入ってない餃子なんて、餃子じゃないぞ」

 そこまで大げさな話ではないと思うし、メニューを増やせば言いだけの話。

 彼のように、ニンニクへ愛着を持つ人も多いだろうし。

「それで、どうして先生が作ってるんですか」

「試作ですよ。戦争中、トルコでおいしい餃子を食べましてね」

「ふーん。そう言えば、ラビオリも餃子みたいな物なのかな」

「優ちゃん、餃子は餃子だ。日本にしかないよ」

 中華料理だよ。



 この人と話してても埒が開かないので、先生と一緒に餃子を作る。

 ちまちました仕事だけど、私はこういうのが性に合っている。

「戦争って、いつ起こるんですか」

「かなり漠然とした質問ですが、日本が巻き込まれるような状況は今のところありませんね」

 日本史の教師と同じ回答。

 つまりこれが今の日本の一般的な考え方であり、世界情勢の捉え方か。

「戦争は起きないんですよね」

 改めて念を押すと、水品さんは餃子の皮から手を離してその下に敷いてある新聞を指差した。

「インドと中華連邦の国境線で小競り合いが起きてます。中華連邦対近隣アジア諸国という戦いは、いずれ起きるでしょう。これは中華連邦の分裂もはらんでますが」

「日本とは関係ないですよね」

「日本と結びついてるのは、極東シベリアとツインコリア、台湾、中華連邦の東北政府。実質東北政府は独立状態ですから、戦争には介入しないでしょう。ただ、国連が調停に入れば日本としても派兵はするでしょう」

 これも日本史の教師と同じ答え。

 少し気持ちが重くなる。

「とはいえまだ国境警備隊同士の挨拶みたいなものですし、実際に戦闘が行われるのは数年先でしょう」

「数年先」

「四葉さんの事を気にするのは分かりますが、彼の部隊が派遣されるとは限りませんからね。新兵よりも、経験のある者を連れて行くでしょうから」

 前大戦が終って、10年余り。

 実戦を戦った部隊はまだ残ってるだろうし、10年経っても残ってるはず。

 そう。少し気にしすぎだ。

 余程の偶然と悪い事が重ならない限り、彼が戦地に赴く事は無い。

 何より、まだ戦争も始まっていない。

「戦争が無ければ一番良いんですが、人間である以上難しいでしょうね」

「水品さんは、どうして軍に入ったんですか」

「当時は、強さに憧れてまして。その際たるものが軍人だと思ったんです。また玲阿流に対して、政府から極秘裏に入隊するよう要請がありましたから。何しろ玲阿流は、素手においての殺人を極めた流派。また実際、それは証明されましたから」

 凄みのある話をさらりと言ってのける水品さん。

 瞬さんや月映さんはともかく、玲阿流の人に元軍人が多いのはそのためか。

「私は空軍なので、白兵戦の経験は殆ど無かったんですけどね」

「どうして空軍に?」

「飛行機にも憧れてましてね。適性検査にパスしたという事もあります」

「瞬さんは?」

「あの人は戦争前から陸軍に在籍していましたから。一応バランスも考慮されたんです。だから御剣さんは、海軍に。鶴木さんは参謀本部という訳です」

 そんな深い話だったとまでは知らなかった。

 ただそうして、自分の意志とは関係なく言ってみれば自分の死に場所までを指定されるのもどうかと思う。

 戦時下においては、そんな事を言っている場合ではないかもしれないが。




 生の餃子をもらって、自宅に帰って焼いてみる。

「少し変わった匂いがするわね」

「香草が入ってるのかもしれない。ニンニクの代わりにね」

「餃子だからって、ニンニクを入れればいいってものじゃないのよ。そういう人はたまにいるけどね」

 どこかで聞いたような話をするお母さん。

 それには曖昧に笑い、片栗粉を溶かした水を流し込む。 

 コンロの上に立ち上る水蒸気。

 それが立ち上っていくのをぼんやり眺め、蒸発する音が収まったのを確かめフライヤーで餃子を返す。

「大体いいかな。出来たよ」

 大皿に餃子を盛ると、ショウが来てすぐに運んでいった。

 ご飯はお母さんが作ったカツ丼を食べたように思うけど、気のせいかもしれない。


「そう言えば、さっき優に通話があった。綺麗な声だけど、名乗らなかったわね」

「……なんて言ってた?」

「寮にいるって伝えておいた。誰」

「多分、サトミの両親だと思う。今、名古屋に来てるみたいだから」

「なんか、重い話になりそうね」

 蒸篭の火を止め、蒸し餃子の具合を確かめるお母さん。

 でもって顔をのぞかせたショウを手で追い払い、改めて火を付けた。

「綺麗な感じの人でしょ」

「まあね」

 両親には中等部の頃あった事がある。

 話もして、彼らの心情も聞いた。

 当時は納得出来ない部分もあったが、今思い返すと少しは頷ける。

 ただ彼らがサトミを遠ざけてしまったのも、確かな事実である。

「会いに来たのかな」

「心情としてはそうでしょう」

「今まで会ってなかったのに?」

「親子でしょ」

 それはそうだ。

 でも、今の彼女達を親子と言えるだろうか。

 殆ど顔を合わせず、音信も不通。

 相手の事を口にもしない。

「何が親子なの」

「少なくとも、法律上血縁上は」

「それは理屈じゃない」

「理屈以外に何があるの」

 思わず声を荒げるが、お母さんは相手にもせず火を止めてせいろから餃子を取り出した。

「ショウ君、出来た」

 お母さんが呼ぶより早くキッチンへやってくるショウ。

 でもって餃子を指で突いて首を傾げた。

「柔らかい」

「蒸し餃子、嫌いなの」

「焼いた方が好きだな」 

 そう言いつつ、タレも付けずに食べ出すショウ。

 何が好きで、何が嫌いなんだって。



 次々と消えていく餃子を眺めつつ、サトミの事を考える。 

 モトちゃんとの仲違いは解決した。

 元々些細な行き違いで、相手の事は当の本人よりも理解している二人。

 元通りという事ではないと思うが、二人の思いは以前と変わらないはず。

 ただ、両親との関係は全く異なる。 

 信頼、理解、慕う。

 そんな言葉が思い浮かばない。

「食べないのか」

「何を」

「何って、餃子しかないだろ」

 それ以前に、餃子自体がもう無いじゃない。

「サトミの事、どう思う」

「難しいな。この間でも人の話を聞かなかったのに、今度は余計聞かないだろ」

「そうだけどさ。放っておいても良くないでしょ」

「難しいな」 

 酢を掛けるか掛けないかを迷っているショウ。

 包丁を持って来たくなったけど、馬鹿馬鹿しいので手づかみで最後の一つを口に運ぶ。

「おい」

「私は真剣に聞いてるの」

「俺だって真剣だ」

 本気で怒られた。

 ここまで来ると、さすがに人間性を疑うな。


「一度、風成さんと流衣さんにも話しておいて。秀邦さんから、何か聞いてるかも知れない」

「分かった。でも、姉さんはともかく風成には相談しないだろ」

 確かに、そういう込み入った話が出来るタイプには思えない。

 木を切り倒して欲しいとか、机を運んで欲しいとか。

 端的に言えば、頼みたいのはそういう事だ。

「とにかく、お願い。サトミの両親、英文学者なんだよね」

「ああ、そういえばそうだったか。親が頭良いから、子供も頭が良いのかな」

「多少なりとも遺伝はしてるんじゃないの」

 サトミに限らず、玲阿家でも遺伝はしているはず。

 そうでなければ、代々軍の英雄は誕生しないだろう。

 ただし雪野家にもお母さんの実家である白木家にも運動神経の発達した人はいないらしいので、私はかなりの突然変異と言える。

 外見は、間違いなくお母さんから全面的に引き継いでるけどね。




 洗い終わった食器を片付け、シンクを洗って水を止める。

 エプロンを外し、蛇口から落ちる水滴をぼんやり眺める。

 止めても止まる事はなく、水滴はいつまでもシンクを叩く。

 終わりはいつまでも訪れず、ただ時が流れていく。

 水滴が垂れ、シンクに落ちているだけの事。 

 少し、気にしすぎているのかも知れない。

 あまり良くはない兆候。

 だが、それに構ってもいられない。

 大事なのは自分ではなく、サトミの事。

 ただ、それだけだ。 











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