エピソード(外伝) 33 ~ショウ視点~
自分
床を指し示す細い指。
膝を折り、腰を屈めて正座する。
「……ショウ君。何してるの」
「正座してる」
「紙が落ちてると言いたかったの」
そう言われてみると、レシートが横に落ちている。
ふ菓子ってなんだ。
「私の評判が悪くなるから、早く立って」
ため息を付き、手を上に振るモト。
俺が座っているのは、本部の受付前。
外部の人間が訪ねてくる事はあまりないが、内部の人間は普通に行き来する。
外へ通じる場所でもあるため、何をやろうと人目には付く。
軽く太ももを揉んで立ち上がり、姿勢を正す。
正座をする必要はないにしろ、呼び止められたのは確か。
まずは話を聞くとしよう。
「かしこまらなくて良いの。SDCに行って、プロテクターをもらってきて。鶴木さんが、古い物をいくつか揃えてくれた」
「分かった」
仕事というまでもなく、危険もなければ緊張感もない。
こういう事ばかりなら、世の中平和に進むと思う。
受け取りに行くのがプロテクターという矛盾はあるが。
廊下に出たところで、今度はサトミが呼び止めてくる。
「厚生局で、非常食を受け取ってきて。話は付けてあるから」
「今からSDCに行くんだ」
「私の言う事が聞けないの」
なにやら大げさな話になってきた。
今すぐ走って逃げたいが、刺すような視線が俺の影を縫いつける。
「順番だ」
「誰に頼まれたの」
「モトに」
「あの子と私、どっちが大切?」
だから、そういう問題じゃないだろ。
しかし迂闊に反論すれば、決壊したダムのように話が流れ込むのは必至。
今は取りあえず、黙っておくとしよう。
「黙っていれば、私が飽きる。そう思った?」
通用しないか、やっぱり。
脂汗を流して棒立ちになっていると、本部から出てきたユウが俺とサトミを指さした。
「何してるの」
「大事な話よ」
「モトちゃんが、サトミに構わずプロテクターを取りに行ってだって」
「面白いわね、それ」
薄く笑い、本部へ舞い戻るサトミ。
ようやく解放された所で、ユウに礼を言う。
「あの子、前世はお餅だね。ねちねちしつこいから」
本部の入り口から、目だけを覗かせてこちらを見ているサトミ。
ユウが言う事も、あながち間違いではなさそうだ。
一転して晴れやかな気分。
サトミやモトに含むところはなく、今は建物を出て外を歩いているから。
風は冷たいが、青空の下を歩くのはいつだって気持ちが良い。
隣にユウがいれば、なおさら。
「まあ、仲良くなって良かったけどね」
そう言ってくすくすと笑うユウ。
サトミとモトは、ついこの間まで顔を合わせれば角を突き合わせていた。
確かにそれを考えれば、今日の出来事はそよ風のようなものだ。
一番安心しているのは、誰でもないユウだと思うが。
SDCの正面玄関前に到着。
警備をしていた大男達は慌ててドアの前から飛び退き、愛想笑いを浮かべてきた。
襲いかかられるのも困るが、こういうのはもっと困る。
「誰が評判を悪くしてるんだろうね」
「鏡でも見てるのか」
「あ?」
真下から睨み付けてくるユウ。
臑にローが飛んできたのを軽くかわし、大男達に挨拶をして建物の中へ入る。
「暗いぞ」
「そこまで弱ってないよ」
俺が差し伸べた手を握り、慎重に建物内へ入るユウ。
普通の人間なら気にもしない、明るさの変化。
しかし今のユウには、明らかに暗くなったと思うくらいの変化のはず。
だったら、俺がやる事は一つだけだ。
彼女の目が慣れてきたところで、手を離す。
名残は惜しいが、意味もなく手を繋いではいられない。
残念ながら、俺の周りではそういう決まりらしい。
「でも、どうして鶴木さんがプロテクターを持ってるの?」
「知り合いから譲ってもらったらしい。俺も詳しくは知らない」
「たまに謎だよね、あの人。代表って事も含めてさ」
それに頷きたくはなるが、ここはSDC内。
誰が見ているか分からないし、聞いているかも分からない。
不用意な反応は慎むべきだ。
「多分、猫の方が役に立つと思うよ」
「そこまでひどくはないだろ」
「じゃあ、普段何してると思う?」
それには無言を貫き、先を急ぐ。
答えのない質問には、誰も答えられはしない。
代表執務室に積まれた段ボールの山。
中は少し古めのプロテクター。
服の上から着るタイプで、今の俺達には是非とも必要な物である。
「アメフトのプロテクターを改良した物みたい。多少強度は落ちるけど、無いよりはましでしょ」
「ありがとう」
「よきにはからえって事よ」
冗談っぽく言って、楽しげに笑う真由さん。
ただ彼女の後ろでは、右動さんが虚しそうに微笑んでいる。
集めたのは、間違いなく彼だな。
「お菓子とか無いの」
「無いわよ」
「良いけどね、別に」
そう言いつつ、段ボールの中を漁るユウ。
しかしここにお菓子が隠れていても、あまり嬉しくはないと思うが。
「運ぶのは私達でやるから、物だけを確認して」
「助かるよ」
段ボール一つくらいなら良いが、これだけの数だと往復しているだけで日が暮れる。
やれと言われれば、今すぐにでもやるところだが。
俺もユウの横に並んで、プロテクターを確認。
塗装もされていて、強度も別に問題はない。
インナーのプロテクターだけでは防御出来る部分は限られているし、これを身につけていれば相手への威圧効果もある。
「その代わりといっては何だけど、一つ頼みがあるの」
「俺に出来る事なら」
「野球部の試合に出て。レギュラーが怪我したから、強烈な代役が欲しいって頼まれて」
「部員に悪いんじゃないのか」
レギュラーの穴を埋めるのは、その名の通り補欠の役目。
もしくは、それ以外の部員の役目だろう。
「野球部からのお願いなの」
妙にそこへこだわる真由さん。
あらかじめ、俺が代役である事前提の話とも思うが。
「仕事を片付けた後で良いかな」
「ええ。場所と時間は連絡する。ただ、早くしてね」
「分かった」
「君は偉いよ、本当に」
しみじみ言われても困るんだけどな。
サトミに連絡を取り、そのまま厚生局へ移動。
今度は、非常食の山と向き合う。
「賞味期限が迫ってるの。切れてるのもあるけど、大丈夫よね」
「一ヶ月くらいは平気でしょ。味を保障しないだけだから」
さっき同様、段ボールを漁り出すユウ。
こういう姿を見ていると、つい猫を連想してしまう。
段ボールに興味を示す姿や、背中の丸みが特に。
「何にやけててるの」
「え」
「惚れ直した?」
「随分、マニアックな趣味ね」
俺を取り囲み、やいやいと言ってくる女の子3人。
いつもユウをからかっているクラスメートで、今は俺がターゲットらしい。
それと、別にマニアックではない。
「自分達、委員会じゃないのか」
「大きい体なのに、細かいわね」
「意外と人の事、気になるタイプ?」
「タイプは誰?」
知るか、そんな事。
これも自分一人で運べる量ではなく、ガーディアンを手配して運搬を依頼。
次の場所へと向かう。
「何やってるんだろうね、一体」
朗らかに笑いながら廊下を歩くユウ。
確かに自分でも、それは疑問に思う。
少なくともガーディアンの仕事ではないな。
「次はどこ?」
「運営企画局。余った物をくれるらしい」
「天満さんか。ちょっと要注意だな」
彼女自身は俺達に何かと気を配ってくれる、心優しい先輩。
ただ彼女の思考は、俺達とは少し違う。
結果もらえる物も、そのセンスが如実に表れる事となる。
運営企画局で待っていたのは、やはり段ボール。
さっきまでのよりは小さめで、ただ数はある。
「端末とか機械類が主ね。木之本君や浦田君なら、使い道を思い付くでしょ」
「分かりました」
「それとこっちが、暗視装置。ノクトビジョンって言うの?」
天満さんが差し出してきたのは、大きめのゴーグル。
どうして学校にあるのかとか、何故それが余ってるのかとか。
疑問は果てしなく、尽きはしない。
それでもゴーグルを装着。
スイッチを入れて、ロッカーの中を見る。
確かに良く見えるが、意味の無さは限りないと思う。
「ユウは、止めた方が良いな。万が一って事もあるし」
「ロッカーの中を見てもね」
「俺も今気付いた」
笑いながらノクトビジョンを外し、段ボールへ戻す。
用途は思い付かないが、あって困る物でもないだろう。
無くても困る物でもないが。
さっき同様運ぶ手配を済ませ、真由さんからのメールを確認。
今すぐ来いとある。
時間を教えてくれるんじゃなかったのか。
「済みません。すぐ別な人間が取りに来ますから」
「暇みたいなのに、忙しいのね。あなた達って」
「色々とありまして」
「こき使われてるだけだろ」
背後から聞こえる、皮肉っぽい声。
ケイは鼻を鳴らし、段ボールの中を覗き込んだ。
「その辺で売った方が良くありません?」
「メーカーのロゴが思いっきり入ってるでしょ」
「なるほど。メーカーも、頭が良いんだか悪いんだか」
「まあ、悪いわね」
楽しげに笑う天満さんとケイ。
所属は違うが、何かあればケイは常に彼女を助けている。
天満さんの側近と考えてる人も多く、実際そのくらいの役割は果たしているだろう。
何となくゆっくりしていると、再びメールが舞い込んできた。
文面は同じで、早く来いと書いてあるだけ。
文字が大きくなり、真由さんの心情がストレートに現れてはいるが。
「後は任せた」
「たまには、報われる事をしろよ」
「何の話だ」
「分からないなら良い。頑張ってきてくれ」
寂しげな笑顔を浮かべて手を振るケイ。
そんな哀れっぽいのかな、俺は。
グラウンドへ到着するとユニフォームを渡された。
これを着るのはどうかとも思うが、一人だけジャージというのも相当変。
近くの更衣室で手早く着替えを済ませ、走って戻ってくる。
「はは」
何とも楽しそうに笑うユウ。
確かにこういう格好は、普段しないからな。
「似合ってるよ」
「そうか?」
「キャップも被ったら」
「ああ」
手渡されたロゴ入りのキャップを被り、ユウの前に立つ。
彼女は優しく微笑み、背伸びしてキャップの位置を直してくれた。
「カメラ持ってくれば良かったな」
「七五三じゃないんだ」
「記念だって、記念」
「楽しそうな所悪いが、調子はどうかな」
金属バットを担いで現れる細身の男性。
ただその佇まいは、さながら武士。
彼にとっての獲物はバットで、体の一部のように馴染んでいる。
「走ってきましたから、体も温まってます」
「そう急がなくても良かったんだが」
誰かから来たメールとは違う言葉。
予想はしていたので、驚きはしないが。
それでも試合はすでに始まっていて、夕暮れ時とあってグラウンドは照明が付けられている。
明るさは十分だが結構肌寒く、動いてないと凍えてしまいそうなくらい。
ユウもベンチウォーマーを借り、ベンチの前をゆっくりと往復している。
「っと」
三遊間に飛んできたゴロを逆シングルでキャッチ。
素早く体勢を整え、ファーストへ投げる。
アウトを確認して、ピッチャーの言葉に笑顔で応える。
ガーディアンも良いけど、たまにはこういうのも悪くはない。
見逃し三振でチェンジとなり、今度は草薙高校の攻撃。
二塁と三塁とベースが埋まり、自分の打席が回ってくる。
プレッシャーといえばプレッシャー。
とはいえ、今更帰りますと言える訳もない。
引き受けた以上責任は果たさなければならず、何より今は結果を求められている。
それなら自分に出来る事を、全力でやり遂げるだけだ。
いきなり鼻の前を通り過ぎるボール。
デッドボール覚悟での牽制。
軽い脅しか。
とはいえ当たって死ぬ訳でもなければ、避ける程もない速度。
足元をならし、ゆったりと構える。
いきなり呼ばれて、配球も何もない。
何であろうと、来た球を打つ。
背中を回り込んでこようと、何であろうとだ。
再び胸元をえぐるような鋭い変化球。
軽く下がり、肘を畳んでボールにバットを添える。
その流れに逆らわず、足に力を込めて体を返す。
無理に引っ張りはせず、あくまでも一連の流れに身を任せる。
力よりも回転。
この先は反発力に任せれば、ボールは勝手に飛んでいく。
後はユウの拍手を聞きながら、ゆっくりベースを回れば良いだけだ。
試合が終わった所で渡される商品券。
こうストレートのなのも、ちょっと考えてはしまうが。
「鶴木さんによろしく。良かったら、また来てくれ」
「時間がありましたら」
「何かと忙しそうだな、君達は」
豪快に笑って去っていく男性。
確かに今の俺達は、学校とも生徒会とも対立している立場。
のんきに野球をやってる場合ではないと思う。
「この調子で部活を回ろうか」
「忙しいって、今言われただろ」
「戻っても、殺伐としてるからさ。たまには夢も見たいのよ」
切なげに笑うユウ。
サトミとモトの諍いは収まった。
ただ俺達の立場は相変わらず。
学校や生徒会からは睨まれ、生徒から疎まれるのも時間の問題。
殺伐とまでは行かないが、以前のような過ごし方は望めない。
「旅にでも出るか」
「戻ってこないの?」
「それも良いかもな」
「私は行かないけどね。そういうのには向いてない」
ユウはどちらかといえば、根付くタイプ。
場所に愛着を持つとでも言うのか。
旧クラブハウスにも、多分まだ思い入れがあると思う。
「まずは中庭に、テントでも張ってみたら」
そういう事は求めてない。
本部に戻ったところで、段ボールの山と向き合う事となる。
SDCや厚生局からの運ぶよう、手配はした。
その通り、運んでもくれた。
ただ細かな収納は、また別らしい。
「似合ってるわよ、それ」
「ああ、忘れてた」
ユニフォームを指さしながら、くすくす笑うモト。
そんなにおかしいかなと思いつつ、段ボールの影から陰気な緯線を浴びる。
「じゃれてないで、早く運べ」
「たまには一人で頑張ってみたら」
「俺がどれだけ運んだのか、教えてやろうか」
「教えてもらうのは良いけど、感心はしないよ」
さらりと受け流すユウ。
ケイはうなだれて、段ボールに顔を伏せたまま動かなくなった。
「運んだのは確かだから、手伝ってあげて」
「場所はあるのか」
「山羊の住んでる部屋があるでしょ、あそこにお願い」
住んでたのか、あれは。
言われるままに段ボールを、本部の奥の奥へと運び込む。
丹下さんのオフィスを使う事も最近は多いため、この辺りに来るのも久し振り。
山羊ともようやくのご対面か。
「それ、他に持って行くんじゃなかったの」
付いては来たが、山羊の部屋までは入ってこないユウ。
そんなに気味が悪いのかと思いつつ、被せてあったシートを剥がす。
虚ろな瞳に二足の姿勢。
変な圧迫感は感じるな。
「近い内にどうにかする。夜中に出会いたくないのは、よく分かった」
「早急にお願い。……付いてこないよね、それ」
廊下に出たところで素早く振り返るユウ。
そんな早さで振り向いたら、動いてた時どうするんだ。
段ボールを運び込んだところで、就業時間が終わる。
一日何をしていたとも思うが、暴れ回るよりはましか。
「……早く戻れ?」
メールの相手は父さん。
あまり良い予感はしないが、戻れと言われたからには戻るしかない。
みんなへの挨拶もそこそこに寮へ走り、駐輪場からバイクを引っ張り出して道路に出る。
後は交通法規を守りつつ、家へと急ぐ。
用もなく、赤信号に突っ込む必要はない。
程なく、自宅のマンションに到着。
玄関で俺を出迎えてくれたのは、例により段ボール。
目の錯覚とは思わないし、誰かの陰謀の訳もない。
昨日という一日があれば、今日や明日という日々もある。
つまりは、そういう事だ。
「来たな。駐車場まで運べ」
俺の顔を見るなり、段ボールを指さす父さん。
数は多いが、一人で運んで運べない程ではない。
そんな疑問を読み取ったらしく、父さんはにやりと笑って段ボールの一つを開けた。
「……銃?」
「心配するな。非合法な物じゃない」
「でも、どうしてこんなに」
「大人には色々事情があるんだ。本家で保管するから、全部運べ」
中身は分かったが、運ぶ理由がやはり不明。
いくら重くても下まではエレベーターが通じてるし、廊下は荷台を使えばいい。
その疑問も読み取ったようで、改めて段ボールが開けられた。
「俺が一人で運ぶとする。これだけの量。当然往復するだろう。その間、車に積んだ銃は誰が守る」
「ああ、そういう事か」
「分かってくれて助かった」
「四葉が番をして、あなたが運べば良いんじゃなくて」
冷ややかな視線を父さんと段ボールへ等分に注ぐ母さん。
そういう発想は無かったな。
「子供は親の言う事を聞いてれば良いんだ。だろ、四葉」
「え、ああ」
「四葉、ちょっと待ちなさい」
段ボールを台車へ一つ乗せたところで、手招きされた。
こういう状況はあまり歓迎しないが、俺にとっては日常。
避けていたら、地球の裏まで行く羽目になる。
「あなた、断るという事を知らないの」
「断る?何を」
「……何でも無い。ワインがあるから、それも運んで」
結局運ぶんじゃないか。
車を運転し、玲阿家本宅に到着。
銃を運び、ワインを運び、最後に足へ飛びついてきたコーシュカも運ぶ。
「遊んでる場合じゃないんだ」
「なー」
「乗るなよ」
「ふぅー」
頭の上で、暗闇に向かって威嚇し出すコーシュカ。
俺には何も見えないが、彼女には敵視すべき何かが見えているようだ。
その辺は俺も興味がないし、見たくもない。
「ふぁー」
人の頭を踏み台にして、暗闇へ突っ込んでいくコーシュカ。
全く意味が不明だな。
「ばうばう」
今度は羽未がすり寄ってきた。
ユウでないので背中には乗らず、軽く頭を撫でて母屋へと向かう。
「調子、どうだ」
「ばう」
「寒くないのか」
「ばうー」
一応返事は返してくるコーシュカ。
ただ、何を言ってるのかは分からない。
そもそも、返事ではない可能性もあるが。
羽未とじゃれていると、背後に気配。
即座に水面蹴りを放ち、サイドキックで距離を保つ。
しかしどちらも、手応えは無し。
誰もいない訳ではなく、軽くかわされた。
「犬と話すな」
重々しく話すお祖父さん。
いつから見てたんだ、一体。
「悩みでもあるのか」
「いや。いくらなんでも、犬には相談しない」
「お前は、どうも思い詰めるタイプだからな。父さんに似て無くもないが」
この場合の父さんとは、俺から見てひいお祖父さん。
俺が幼い頃に死んだため記憶はあまりないが、かなり厳格な人だったと思う。
実際玲阿家の中でも、俺は若干異質。
性格の差こそあれ、全員柔軟な思考の持ち主。
犬に悩みを相談する人間はいない。
「自分の意見はないのか、お前には」
「無くはないけど、それは通るのかな」
「それを押し通すために、生きているんだろう」
そんな大げさな話かな。
というか、押し通せるのかな。
翌日。
昼休みに本部へ呼ばれ、段ボールの空き箱を見せられる。
「後で、捨ててきて」
にこりと笑うモト。
ここで、昨日お祖父さんから言われた事を思い出す。
自分の意見を押し通す、か。
「燃やしても良いのかな」
「処分方法は好きにして」
軽く流された。
何より、これを自分の意見と呼ぶのも虚しいな。
ただ、それはそれ。
ゴミを捨てなければ、貯まる一方だ。
「他に仕事はないのか」
段ボールを潰して積み上げていると、ケイに声を掛けられた。
言いたい事は分かるが、今は特にやる事はない。
「無駄な事に力を使うなよ」
「だったら、何をすれば良いんだ」
「生徒会を潰して、草薙高校を支配。後は近隣の学校を平定する。卒業しても後輩に影響力を残して、悠々自適の毎日だ」
「何のために」
普通に尋ねたら、嫌な顔をされた。
疑問を抱く事すら、彼にとっては悪らしい。
「良い子ちゃんごっこはもう良いんだ。そろそろ大人に脱皮する時期だろ」
「学校を支配する大人って、それこそ恥ずかしいじゃないのか」
「例えだ、例え。まずはこの組織から行こう。目障りな奴の名前を挙げてみろ」
「別にいないぞ」
ケイを見つつ、ぽつりと呟く。
皮肉は通じたらしく、にこっと笑って膝蹴りを出してきた。
訓練や試合なら、100回やって100勝てる相手。
ただし今は、ルールも何もない状態。
冗談でやってるならともかく、本気の可能性もなくはない。
こちらから攻撃する事は控え、飛んできた膝を肘で軽く叩き落とす。
「ちっ」
肘が膝へ張り付き、体が前へ流れる。
接着剤が付いていたと気付いたのは、後頭部に気配を感じた後。
素早く体をひねり、ケイの体ごと壁際に飛ぶ。
受け身さえ取れば大怪我はせず、後頭部に打撃を加えられるよりはまし。
いや。そうでもないか。
今度は背中が壁に張り付き、動けなくなった。
ケイはいつの間にかジーンズを脱ぎ、短パン姿で手を振っている。
「修練が足りないな。油断だ、油断」
「その格好で言うな」
「それもそうか。さてと、玲阿四葉に勝った男として報道部へ売り込みに行ってこよう」
俺を残し、鼻歌まじりで歩いていくケイ。
だから、下を履けよ。
上着を脱ぎ、取りあえず壁から離れる。
しかし、この上着自体はどう剥がすんだ。
「……融解剤が必要だと思うよ」
思うよというか、それを手にしながら話しかけてくる木之本。
見てたのなら、初めから言ってくれ。
「浦田君が一度試したいって言うから。でも誰もが壁際に飛ぶ訳じゃないし、自分がひっつく可能性もあるからね。あまり有効な方法とは思えない」
「飛ぶようにし向けるって事だろ。というか、これって綺麗に剥がれるのか?」
「洗濯すれば大丈夫。でも浦田君に、手を出さなかったね」
「それはどうかな」
見える形での打撃は加えなかったが、お互いに密着した状態。
やれる事はいくらでもあり、即効性の無い技もある。
多分報道局へ行く前に、医療部へ行き先を変えているだろう。
段ボールが満載された台車を二人で押し、ゴミの集積所へとやってくる。
なじみの場所というか、最近は一日に一度は訪れる。
「猫がいるね」
「暖かいからな」
建物の裏側は少し外へ突き出ていて、焼却炉の熱がそこから放出されるとの事。
野良猫に気を遣うというのもよく分からないが、悪い話ではないだろう。
「にゃーにゃー」
随分平坦な声で鳴く猫。
の訳はなく、舞地さんが腰を屈めて猫の頭を撫でていた。
しかし猫は愛想の欠片もなく、その手を避けて逃げていく。
「雪野みたいだな」
「はぁ」
「煮干しを買ってきて。木之本は、そのどら猫を学校の外へ」
話の流れに付いていけないが、煮干しを買ってくる事だけは理解出来た。
購買に売っていた駄菓子の煮干しを彼女に渡し、猫を眺める。
勝手気まま、自由の代名詞のような生き物。
野良猫は生活の苦労こそあれ、その最たる物だろう。
「猫にでも憧れてるのか」
どうにも鋭いな。
とはいえ、それに頷くほど子供でもないが。
「諦めろ。お前は一生、そういう人生だ」
「どういう人生なんです」
「人に尽くす人生。それはそれで、悪くないだろ」
「猫、連れて行きました」
息を弾ませ戻って来るや、そう報告する木之本。
それに重々しく頷く舞地さん。
この人は多分、尽くされる人生なんだろうな。
でもって、木之本の後ろを歩いてる猫は何だろうな。
尽くす人生か。
他人からすると、そんなに不幸体質に見えるのかな。
「俺って不幸なのか」
集積センターからの帰り。
自販機の前で、お茶を飲みながら尋ねる。
木之本は苦笑して、俺と自分の顔を交互に指さした。
「似た者同士だから答えにくいけど。多分、バラ色の人生ではないと思うよ」
「俺は至って普通のつもりだぞ」
「本人が良いなら、それで良いんじゃないかな」
逃げられたというか、遠回しに肯定された気もする。
つまり、俺が世間からずれてるって事か。
「みんなの言う事を聞いて、何が悪いんだ。それに、自分の意見が正しいって訳でもないだろ」
「僕に言われてもね」
それもそうだ。
ただ木之本以外の人間にこんな事を言えばどうなるか。
鈍い俺でも想像は付く。
馬鹿にされるくらいなら、まだまし。
サトミにでも聞かれれば、1時間くらいの説教は覚悟した方が良い。
「どけ」
荒い声を出し、自販機へ手を伸ばす男達。
確かにここで立ち話も迷惑か。
そう思った途端、自販機が派手な音を立てた。
ジュースが出てきた訳ではなく、蹴りつけられたから。
そのくらいで壊れるような作りではないが、蹴るために存在もしていない。
取りあえず男の首にかかとを振り落とし、馬鹿げた行為を止めさせる。
「……他に、やり方は無かったの?」
「見過ごすよりはましだろ」
倒れた男をまたぎ、一瞥もせずこの場を離れる。
こんな連中の相手をしていても仕方なく、もしかするとまたゴミが出ているかも知れない。
今は、そっちの方が気になるな。
「こ、こんな事をして、ただで済むと思ってるのか」
「自販機を壊して捕まるよりはましだろ。むしろ、感謝してくれ」
「ガーディアンでもないのに、調子に乗りやがって」
「いつまでもでかい顔が出来ると思うなよ」
捨て台詞を残し、仲間を担いで去っていく男達。
すぐに追いかけようと思ったが、木之本に袖を引かれた。
「殴られるよう、誘ったのかも知れないね。トラブルになるよう、初めから計算してたとか」
「だったら、それを防げば良いだけだろ」
「そうなんだけど。一度相談してみよう」
「俺はしたくないな」
同じ顔で、一緒にげらげら笑われた。
だから嫌だったんだ、相談なんて。
「君は若いね。挑発に乗るね。冷静さって物がないね」
「控えめにやったつもりだ。大体、あの場で全員倒せば終わりだろ」
「映像撮られてるぞ、絶対。木之本君みたいに」
にやにや笑いながら指摘するケイ。
それは困るかも知れないが、だったらその映像も消せば良いだけ。
どうやって消すも知らないが。
「まあ、俺に任せろ。悪いようにはしない」
映画に出てくる悪役って、大抵こういう台詞を口にする。
でも、本物もそう言うんだな。
「相変わらず、元気だね」
ケイよりは品の良い笑顔で笑うヒカル。
そんなに微笑ましいエピソードとも思えないが、昔だとこういう事は日常茶飯事。
懐かしい気持ちは無くもない。
「木之本君、連中の特徴覚えてる?」
「全員大柄で、統率は意外と取れてた。運動部だと思うよ」
「ふーん。ショウは」
「俺もそう思う。拳にタコがあったから、空手部かもな」
この辺の因縁は相変わらず。
中等部に入学して以来、ずっと引きずっている。
俺は引きずりたくもないが、相手がそれを許してくれない。
ケイは卓上端末を引き寄せ、学内にある空手部のリストを表示した。
「前揉めたのがここで。……この中には」
「暗かったから言い切れないが、多分いると思う」
「身元が割れても問題なし、か。覚悟はあるんだな」
あまり性質の良くない微笑み。
こいつに相談したのって、絶対失敗。
今なら目の前にいるのが悪魔だと言われても、俺は素直に頷ける。
「心配するな。SDCとのトラブルには発展しない。代理を立ててやるから」
「武士にでも頼むのか」
「そんな芸の無い事はしない。決行は明日。今日は準備があるから、少しだけ残ってくれ。なんか、わくわくしてきたな」
全く読めない話。
だが今は、こいつの話にすがるしかない。
悪魔と契約を交わした人間って、もしかするとこんな心境なんだろうか。
翌日。
相棒を伴い、空手部へとやってくる。
「交渉は俺がやる」
喉元で笑いながら、部室のドアを叩くケイ。
インターフォンや監視カメラは事前に壊してあり、それ以外に呼び出す方法も無いんだが。
「……なんだ、お前ら」
俺達を見るや、露骨に動揺する道着姿の部員。
その反応に、ぞろぞろと空手部が部室からあふれ出してくる。
「廊下になるけど、どうだ」
「むしろやりやすい」
「頼もしいね。……済みません、ちょっとお話があるんですけど。最近、自販機を壊す生徒がいるって聞きまして。今生徒会で調査してるんですが、俺達はその下請けを頼まれましてね」
ねちねちとした入り方。
相手がそれでも話しに付き合っている間に、相手の人数と立ち位置を確認。
野次馬や壁との距離も。
ケイの長話に相手が飽きてきた所で、軽く足を踏みならす。
状況が確認出来たという合図。
事前に話し合った訳ではないが、それは今更だ。
「……木之本、煙幕玉みたいのあるか?」
「あるよ」
ウェストポケットから小さな球を取り出す木之本。
今日は妙に積極的だな。
「俺が突っ込んだら、それを部室に放り投げてくれ」
「分かった」
今度はケイが調子の良い台詞を並べ立てながら、後ろへ下がる。
それを合図に前へ出て、ケイの肩を掴んでの跳び蹴り。
その上を小さな球が飛び、すぐに煙が部室から吹き出てくる。
「出来るだけ、背中を向けよ」
嫌な忠告を受け、仕方なく体をひねって後ろ回し蹴りに切り替える。
次いで裏拳から肘打ち。
やりにくくて仕方ない。
息が上がる前に、部室から出てきた部員は全滅。
中にいた部員は煙で、そもそも身動きが取れないだろう。
「これはひどいな」
ドアの横で警棒を構えていたケイが、中を覗き込んでぽつりと漏らす。
出てきた奴を、片っ端から殴り付けていた人間の台詞ではない。
「お待たせしました」
のたのたと、廊下を走ってくる大根。
もう少し正確に言うと、巨大な大根のぬいぐるみを背負った武士。
ケイはそれを見て床に転がり、木之本もさすがに肩を振るわす。
「へ、蛇を借りて来いって言っただろ」
「こっちの方が面白いって言われたんです。ここへ来るまで、笑われ通しですよ」
「笑わない奴がいるか」
涙を流して床を転げ回るケイ。
というか、大根のぬいぐるみって何だよ。
「四葉さんだって、山羊じゃですか」
不満そうに俺の背中を指さす武士。
そこには例の、山羊のぬいぐるみが縛り付けられている。
「好きで背負ってるんじゃない」
「俺だって」
日頃の鍛錬とか努力とか、家風とか。
お互いの背中を見ていると、何もかもが馬鹿馬鹿しくなってくる。
ご先祖様が見たら、泣くか殺されるかのどちらかだ。
本部へ戻ったところで、床を指さされる。
今度は間違いなく、正座をしろと言う顔のモト。
俺も武士も、大人しくそれに従う。
木之本も、ケイもまた。
「山羊が暴れたって、評判になってるけど」
「じゃあ、暴れたんだろ」
げらげら笑いながら答えるケイ。
空手部には、俺達の名前を出さないよう強く言い含めてある。
連中の口から出てくるのは、何があろうと山羊と大根の話だけだ。
「本当、ごめん」
低く頭を下げる木之本。
俺と武士もそれに倣い、ケイはわざとらしく土下座する。
「……今日は木之本君に免じて許すけど、同じ事をやったら分かってるわよね」
「山羊だけに、大目に見てくれよ」
「命日って考え方もあるわよ」
物騒な台詞を残して去っていくモト。
ケイは足を崩し、まだ肩を揺すって笑っている。
例え山羊を背負いながらでも、それは言い訳にすらならない話。
むしろ性質の悪い冗談とも言える。
ただ相手が山羊としか答えない以上、モトも追求のしようがない。
また今回は俺だけではなく、武士とケイ。
そして木之本の連帯責任。
責任は4等分され、俺への負担も軽減された。
木之本が積極的だったのは、その辺に理由があるんだろう。
自分が責めを負ってでも、俺への負担を和らげるようにと。
「悪いな」
「僕は何もしてないよ」
「ほのぼのするな」
嫌な突っ込みをされ、苦笑気味に立ち上がる。
確かに、のんびりしてる場合でもないか。
ゴミ集積所へ段ボールを運び込み、指定された場所へ置く。
もはや最近の日課で、ここに通うのが当たり前。
むしろ通わないと、違和感を感じてしまう。
「あの山羊、やっといなくなったね」
晴れやかな笑顔で見上げてくるユウ。
ケイが山羊を背負わせたのは下らない言い訳より、多分ユウのため。
この笑顔を見れば、そうだはっきり分かる。
あいつ自身は、絶対認めないだろうが。
「でも、山羊はどこに行ったの?」
「一人部屋をもらったから、しばらくそこで過ごすんだろ」
「贅沢な話だね」
ころころと笑い、集積所に集まっている猫へ駆け寄るユウ。
日は傾き、焼却炉の熱が淡く外へ漏れ出ている。
ユウの影と猫の影が重なっては離れ、切ない鳴き声がどこからか届く。
「今日も終わりだな」
「平和で何よりじゃないの」
「それもそうだ」
空手部とのいざこざはあったにしろ、今は何もない時間を過ごしていられる。
無為に過ぎる時間。
そんな時を過ごせる幸福。
自分の意見も主張も、決して無くは無い。
だけどこの平穏な日々に比べれば、それは取るに足らない事。
この平穏な時を守る事。
それだけが、俺の願いなんだから。
了
エピソード 33 あとがき
使い走りに甘んじるような人では無いんですが、本人は納得してる様子。
そういう性格だから慕われ、頼られるんでしょう。
その是非はともかくとして。
本編でもあるように、彼は「学校最強」
また作中内では、基本的に最強キャラ。
彼が苦戦するシーンはほぼ皆無。
そのくらい図抜けた存在という設定です。
ケイが指摘する通り、「本気になれば学校の支配も可能」な人。
能力的にそれが出来るのは本人も分かってますが、性格上不可能。
自分の事より、まず他人。
そういう人です。
ただ彼の設定を「最強」にしたのは、今思えば助かったかなと。
つまりこの手の話でありがちな、「強さのインフレ」を起こさないので。
常に彼が最上位。
より強い存在が出てくる事はなく、それに伴い強さを増す必要もありません。
逆を言うと毎回圧勝で、そういう意味では面白くも何ともないんですが。
その分玲阿流など、学校外ではまだまだ未熟な存在。
彼の父親達は前回の大戦を戦い抜いた精鋭揃いなので、当然と言えば当然。
そんな環境に育ったからこその強さとも言えます。




