33-6
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結果はともかく、あれだけ張り切ればどうなるか。
動く気力も体力も消えてなくなる。
私はまだ一過性で、少しすれば体力は回復する。
だけど、後ろの二人は当分使い物にならないだろう。
「寝てるんですか」
サトミ達の様子を窺いながら、小声で指摘する若い男性教師。
起こせという意味かと思い振り向くと、それを慌てて止められた。
「いえ、そのままで」
「寝てますよ」
「いえ。そのままで」
なんだ、それ。
綺麗な子には甘いのか。
それとも、睨まれるのが嫌なのか。
寝てる虎を相手にしてる訳でも無いんだからさ。
何にしろこのまま放っておく訳にも行かず、自分なりの対処法を取る。
「起きて。授業始まってるよ」
教師には構わず、二人の頭を軽くはたく。
普段やられる事はあるが、やる事は無い。
非常に気分が良いな、これは。
はたくといっても、撫でる程度の勢いだけどね。
精神的に違うのよ。
「授業がどうしたって」
欠伸混じりに起き上がり、それでも筆記用具を整えだすモトちゃん。
教師には愛想良く微笑むくらいの余裕もある。
一方サトミは私を敵を見るかのような目つきで睨みつけ、筆記用具すら出さず腕を組んだ。
「あ、あの」
「お構いなく」
同時に答える、私とモトちゃん。
サトミは何も言わず、それがまたプレッシャーなのか教師はホワイトボードにものすごい勢いで年表を書き出した。
これでは確かに浮く訳だ。
逆に言えばモトちゃんはこの状況で怒ったりふてくされる事は無く、その態度は全く逆。
教師が怯えていたのもおそらくはサトミに対してで、モトちゃんにではないだろう。
本当の二人の性格や行動。心情をどの程度把握しているかはともかくとして。
どうにか午前中の授業が終わり、食堂へとやってくる。
しかしサトミは途中で私達と分かれ、また戻って来るとも告げなかった。
「本当に、生徒会へ行ったの?」
「裏切ったな、あの女」
ふざけた事を言っている子のラーメンに一味をたっぷり入れ、モトちゃんに視線を向ける。
彼女は一瞬困ったような顔をして、それでもすぐに毅然とした表情へとなった。
「そう決めたのなら、私達が何を言っても仕方ない」
「だけど、昨日のあれは」
「私の言った事で彼女が怒ったとしても、決めたのは自分自身よ。それに実際、ここにいる事が本当に彼女の幸せにつながるかは分からない」
昨日よりは冷静に話してくれるモトちゃん。
また、それは間違ってはいないんだと思う。
彼女の事を本当に思うのなら、ここよりも生徒会の方がいい。
そう。それは分かっているし、過去何度と無く話して来た。
でもそれは理屈に過ぎないし、私の感情は違うと告げている。
「大体、幸せって何」
「え」
「良い学校に進んで良い会社に入ったりするのが幸せなの」
「全てとは言わないけど、大きなウェイトを占めるのは間違いない。地位も名誉もお金も得られるのだから。心が豊かならそれでいいと言っても、生活出来なければ話しにならない」
非常に現実的な話。
これにはさすがに反論のしようもなく、食事をする手も自然と止る。
物思いに沈み、周りの景色も意識出来ない気分。
だが、その薄い闇はいつまでも続かない。
「へろー。元気ないわね」
至って明るい調子で現れる池上さん。
サトミとモトちゃんの事は当然聞いてるだろうが、その態度はいつもと何も変わらない。
暗闇で路頭に迷ってるところに、一筋の光が差し込んだような感覚を覚えてしまう。
「サトミちゃんはいないの?」
「生徒会に走りましたよ、あの女は。裏切り者だから、処分して下さい」
「君が処分されない内は、誰も処分されないわよ。ケンカ、ね。ケンカ」
「……池上さんは、舞地さんとケンカしないの?」
「あの子は感情を表に出すタイプじゃないし、言い争う事もしないから。しない訳でも無いんだけど、無いといえば無いわね」
それは理想的なのか、どうなのか。
ケンカと言うか意見の対立も、コミニュケーションの一つだと考えればまた違う見方もあるだろう。
「学校を二分する戦いになるのかしら」
「そんな、大げさな」
「そう?一人は学校創設以来の天才美少女。もう一人は、誰もが慕うリーダー。この二人が争えば、どうなるのかしら」
「どうもならないの」
軽く机を叩き、池上さんの話を止めさせる。
勿論彼女も興味本位で話してる訳では無いだろうが、私としてはあまり楽しくも無い。
何よりそこまでの事態を望みはしないし、想像もしたくない。
「じゃあ、最後の一人はどうなの」
「何、それ」
「雪ちゃん自身じゃない。連合のマスコットにして、学内最強の男をもひれ伏させる戦乙女は」
そんなキャッチコピーはいらないし、非常に表現が悪いとしか言い様が無い。
第一、ひれ伏させてはいないって。
「もう、3人で揉めたら?とことんやりあえば良いじゃない」
「気楽に言わないでよ。大体私はただの小娘で、二人みたいな支持は無いと思うけど」
「どうかしら。とにかく、程ほどにしなさいよ。この機会を狙ってる連中も色々いるだろうし」
人のプリンを食べながら警告する池上さん。
それって、自分の事を言ってるのか。
放課後。
会合が行われるという、指定された会議室へやってくる。
正面に執行委員会の人間は座っているが、サトミの姿は見当たらない。
それに安堵感を覚えつつ、自分も席に付く。
あまり深く考えないように、このまま時間が過ぎて会合が速く終わるように願いながら。
「遅れました」
会議室に響く静かな声。
スレンダーな体を撫でるようになびく長い黒髪。
サトミは前髪を横へ流すと、そのまま小牧さんの隣へと座った。
「予想通りだな。直接生徒会には付かず、アドバイザーとか言うんだろ」
小声で指摘するケイ。
わざとらしく彼が手を振るが、サトミの反応はまるでなし。
ただ手を振り返されても困るし、今はあまり刺激したくない。
何より、この状況がたまらなく苦痛でしょうがない。
「帰る?」
小声で声を掛けてくるモトちゃん。
彼女が動じている様子はなく、少なくともその素振りを見せはしない。
サトミがいて、モトちゃんがいる。
その二人が、場合によっては戦おうとしている。
だったら、私はここに残る。
例え何も出来なくたって、それが私のやるべき事だから。
他の誰でもない、私だけに課せられた。
「それでは揃ったようなので、第3回規則改正についての会合を行います。なお本日は、遠野さんはアドバイザーとしての立場で発言をして頂きます。肩書きはアドバイザーですが、その意見は全て議事録に記載され規則改正への参考意見として提出される事をあらかじめお伝えしておきます」
事務的に通達してくる小牧さん。
サトミは一礼して、全員に応える。
「では時間もありませんので、話を進めます。旧連合の立場及び資格に付いては、数日中にアンケートを集計します。では、何か意見のある方は。……元野さんどうぞ」
「失礼します」
顔をしかめつつ頷くモトちゃん。
執行委員会からは失笑が漏れる。
サトミと敵対している事への苦悩と取ったのかもしれない。
それもあるかもしれないが、半分以上はさっきの野球のせいだろう。
取りあえず笑った人間は、その内しっかりと後悔してもらう。
モトちゃんは顔をしかめながら、メモを片手に語り出した。
「我々がもっとも問題視しているのは、生徒会。この場合執行委員会と置き換えてもいいですが、その権限に付いてです。生徒会が一定の権限を持つのは全校生徒が同意してるとは思いますが、風紀委員や保安部に代表されるように権限を乱用しているケースが多々見受けられます」
「拡大解釈している者に対しては、厳罰に処分する。ただ、規則はすでに改正されている。それに従わないのなら、それなりの処分を受けるのも当然だ」
「では、もう少し話を遡りましょう。規則が改正されたと主張しましたが、それ程重要な案件を生徒に諮らず一方的に処理した点についてはどう正当化するおつもりですか。我々が規則改正に異議を申し立てるのは、その部分も大いに関係があります」
「規則には二通りあり、いわゆる一般的な校則と生徒会の内規を定めた規則がある。今回改正されたのは、その内規の方。つまり生徒に諮る必要はない」
詭弁とも呼べる答弁。
モトちゃんは当然、なおも追求をする。
「例えば保安部を設立する、生徒会長の代行として執行委員会を立ち上げる。役職の名称を変える。この程度なら、問題は大してありません。その内規の変更が学校生活全般に及ぶ以上、生徒に図る必要がないとは言えないでしょう。先年導入が検討された規則改正案も、基本は内規の変更です。それが何故導入されなかったのか、勿論承知されてますよね」
「一部生徒が暴動を起こしたせいだ」
「内容に不備がある、の間違いでは」
軽く返すモトちゃん。
しかし委員長も自説を譲る気は無いらしく、お互いの議論はかみ合わない。
「やや膠着気味ですね。遠野さん、何かご意見は」
「内規の変更を生徒に諮る必要は無いと、規則上もなっていますし実際必要ありません。ただ今回の変更は影響が大きいので、何らかの意見聴取は必要でしょう。例えば、この場のように」
中立とは言いつつ、今の発言は多少生徒会寄り。
ただそれはモトちゃんも承知しているのか、すぐに反発する事もない。
何となく行き詰まる空気。
すると不意にケイが手を挙げ、発言を求めた。
これには私達より、執行委員会側が大きく反応をする。
「俺も良いですか」
「浦田さん、どうぞ」
「では。生徒会規則だろうが校則だろうが、正直言ってどっちでもいい。変えるのも削除するのも、勝手にすればいい。生徒は3年すれば卒業。多少規則が厳しくても、3年我慢すればいい」
淡々と言葉を並べ立てるケイ。
ただ内容としては彼がよく口にする事で、また誰でも思うような話。
改めてここで口にする事でもないだろう。
「ただし」
少し低くなる声。
鋭くなる目つき。
正面にいる委員長の顔つきも変わる。
「では、規則は誰のためか。委員長どうぞ」
「生徒のため、だろう」
苦々しい顔でそう答える委員長。
言わされたのが分かっているが、しかしそれ以外の答えも無いと承知した上での。
「厳格結構、報償結構、密告万歳。いや、最後のは取り消す。それで最終的に生徒へメリットがあるのなら、多少の厳しさは誰だって受け入れる」
再び一般論に戻るケイ。
ただこれが序章に過ぎないのは、委員長も分かっている様子である。
「規則改正賛成って生徒も意外と多い。どのくらいの比率でしょうね」
「データは、まだ集計中だ」
「生徒会長選挙でこれを争点にしたら面白いって噂があるらしいですよ。俺も、詳しくは知りませんが」
「噂?」
露骨に顔をしかめる委員長。
彼は隣に座っていた男性に顔を近付け、意見を求めた。
ケイからすれば、してやったりの反応。
そして話は、なおも続く。
「つまりは、規則改正派と反対派。双方が候補を立てて戦うって。執行委員会からの推薦が必要なので、立候補辞退は難しいでしょうけどね」
「貴様が噂を流したのか」
「まさか。大体、立候補も出来にくい状況で、選挙自体存在しない可能性もある。所詮は噂。ただ、開かれた生徒会とはかけ離れてるかな」
人ごとのような台詞。
委員長も視線こそ鋭いが、大して動揺している訳でもない。
あくまでも想定は出来ていたという訳か。
「選挙は実施する。ただし、立候補の条件は緩和しない。推薦人も集められないで、選挙に勝てる訳もない」
「結構。俺の話は以上。遠野さん、何か捕捉でも?」
話を振られたサトミは横目でケイを捉え、すぐに視線を手元にある書類へと落とした。
「選挙の公示と立候補条件の周知徹底が必要でしょう。それと、不確かな情報を流布するのは相当に問題だと思います」
「処分した方がいいですかね」
「退学が相当ではないでしょうか」
冷たく言い放つサトミ。
ケイは鼻先で笑い、それに応えた。
少なくともこの二人の間には、あまり友好的な空気は流れていない。
とりあえずは、それ程のトラブルもなく前半が終了。
思ったよりもサトミが相手側に立っていないせいもあるだろう。
とはいえ私達に協力的とも思えず、楽観は出来ないし楽しくもない。
「アドバイザーって何」
紙コップに注がれたホットミルクを自販機から取り出し、慎重に口を付ける。
執行委員会として登場する事も想定していただけに、多少拍子抜けという気もする。
安堵感も同時にあるが。
「あれだけの容姿と才能。出る杭は打たれる」
「嫌われてるって言いたいの。そんなの冗談じゃないわよ」
「俺に怒るな。そういう妬みだなんだってってのが、一番怖いんだ。あーあ、俺も女子生徒に妬まれたいね」
冗談っぽく言って、自分で笑うケイ。
何一つ笑い事では無いし、出来る事なら彼女に不満がある人間を探しに行きたい気分。
容姿も才能も、彼女には一つも非はない。
妬むのもひがむのも全く見当違いで、頭の中が熱くなってきた。
「落ち着いて」
ため息混じりに諭してくるモトちゃん。
思わず彼女にも食いつきそうになり、どうにかそれは堪える。
それこそ、彼女に言っても仕方のない事だ。
気持ちを切り替える意味も込め、いつもよりは真面目な顔をしているケイに話しかける。
「さっきの、生徒会長選挙の話はなんだったの」
「大した意味は無い。ただ、釘は刺しておかないと」
「候補って、前の生徒会長を立てる気?」
「俺が立てる訳じゃない。あの男が勝手にやりたがってるだけだ。大体噂も、あれが流してるんじゃないのか。何しろ、情報局所属だし」
そう言われてみれば、自作自演の可能性も存在はする。
ただし今の状況からすると、以前のように圧勝するかは微妙。
管理案の恩恵を受けている人もいるだろうし、その恩恵を受けたいと思ってる人もいる。
何より、目を付けられたくないと考えたらどうなるか。
投票自体は秘密投票でも、そこは人間としての心理が働く。
選挙が行われるからと言って、あまり楽観は出来ないな。
不意に乱れる空気。
それとも、不穏と言い換えた方が的確だろうか。
「これか。玲阿って」
小馬鹿にした口調でショウに近付いてくる大柄な男達。
ここは特別教棟で、不審者は入り込めないはず。
また生徒会で、彼を知らない人もいないだろう。
つまりは傭兵か、それに類する存在か。
「強いんだってな、お前」
唐突な、ただ彼に対しては良くある台詞。
自分が一番強いと思ってる人間からの挑発であり脅し。
ただ最近は彼の実力が十分浸透したので、その数はめっきり減った。
しかも周りには私達もいて、ここは特別教棟。
ここで彼を挑発する理由があるだろうか。
「強いところ、見せてくれよ」
「今はそういう時じゃない」
落ち着いて断るショウ。
私なら、即座にその強いところを見せ付けてやってるが。
「試合まで待ちたくないんだ。ほら、こいよ」
「試合?」
「とぼけるなって」
ノーモーションからのアッパー。
しかしショウは、膝を軽く上げてそれを止め、膝を曲げて男の腕を横から蹴った。
彼は足を振り上げたまま、平然とした顔で後ろを振り向いた。
「知ってるか?」
「生徒会主催で、格闘技のトーナメントをやるという話はあるよ」
「ふーん」
木之本君の答えに気の無い素振りで頷き、足を押し返すショウ。
腕を押さえた男は血走った目を彼に向け、ジャケットの懐に手を入れた。
「その辺にしとけよ。ガーディアンが来るぞ」
「来たらどうなんだ」
「なんだ、これは」
処置無しと言った顔で首を振るショウ。
確かにガーディアンがここまで舐められては話にならず、何よりここで暴れる事自体が常識の範囲外。
自分達はどうなんだと言われそうだが、私達の場合はそれなりに理由があった。
あったと思う。
ショウの指摘通り、当然の事ながら駆けつけて来るガーディアン。
彼等は私達も含めて周りを囲み、一斉に警棒を抜いた。
「懐から手を出して」
「素直に言う事を聞くと思うのか」
「所詮は傭兵か」
「お前こそガーディアン程度が。口の利き方に……」
気をつけるのは誰だったのか。
懐から武器が抜かれるより早くバトンでの鋭い突きが決まり、男は落ち葉よりも軽く吹き飛んだ。
「他に暴れたい奴は」
今のを見て抵抗しようと思う訳も無く、全員が青い顔で手を上げる。
「馬鹿が。全員拘束して、身元確認。連れて行って」
言われた通り拘束をしていくガーディアン達。
でもってその中の一人が、ショウの前へと近付いてきた。
「え、俺も?」
かなり間の抜けた声を出すショウ。
とはいえ暴れていたのは、むしろ彼の方。
このくらいの勘違いはあるだろう。
「そっちの大きいのと、小さい方のグループは良い」
「しかし」
「それが玲阿で、小さいのが雪野だ」
「え」
傭兵達よりも青い顔で後ずさるガーディアン。
一体どんな評価を受けてるんだ、私達は。
「とはいえ、話は一応聞いておこうか」
笑い気味に近付いてくる土居さん。
彼女は直属班なので、特別教棟にいてもおかしくはない。
むしろ、彼女がいて助かったと言うべきか。
「そっちの馬鹿が悪いんですよ。試合がどうとかって言って、ショウに襲い掛かってきたから」
「ああ、生徒会がやるっていうトーナメント。出ないの、あんた」
「試合の存在自体、今知りました」
素直に答え、一瞬私を横目で捉えるショウ。
少し笑い気味の、また私にしか分からない親しみを込めての。
彼の試合と言えば、三島さんとの試合を思い出す。
彼と付き切りで過ごした日々を。
心を痛め、その無事を願い続けた日々を。
「どちらにしろ、俺は出ないので」
「おかしいな。パンフレットには、招待選手として載ってるよ」
ポケットから取り出されるパンフレット。
折りたたまれたそれを広げると、試合日時や会場と共にショウの名前も確かにある。
「これ、主催は誰なんですか」
「生徒会と学校。健全な肉体には、健全な精神が宿るらしい。そう、出ないんだ」
「土居さんは?」
「バトンを使わないと、私はただの小娘でね」
それはどうにも疑わしいが、この試合に付いてはちょっと注意しておいた方が良さそうだ。
そんな事をしている間に休憩時間は終わり、再び会議室へと戻ってくる。
今はやはり、試合の事を聞くのが先決だろう。
「何か、発言のある方は……。雪野さん、どうぞ」
「今聞いたんですけど、生徒会主催で格闘技の試合が行われてるって本当ですか。それと、その試合に玲阿君が招待されてるって言うのは」
これには委員長ではなく、彼の隣に座っていた男性が手を上げる。
どうやら彼は情報部の人間のようだ。
「試合に付いては、ご指摘の通り行われます。また玲阿さんの招待は、現時点では予定となっております」
「本人は参加しないので、取り消して下さい」
「しかしこれは」
「取り消して下さい」
改めて念を押し、机に手を置く。
やりはしないが、このまま机を二つに折る事だって出来る。
「わ、分かりました。早速その旨伝えておきます」
やはり青い顔になって頷く男性。
初めからそう言えばいいのよ、全く。
「出ないのか。学校最強なんだろ」
笑い気味に指摘する委員長。
明らかに何らかの意図を含んだ表情であり、問いかけ。
それでもショウは、落ち着いて返事を返す。
「出る理由が無いし、利用されるつもりも無い」
「かんぐりすぎだ。それに多少とはいえ賞金や商品も出る。当然名誉も与えられる。今度の大会で買った人間が、学内最強の称号を得るとしてら」
「じゃあ、そいつが学内最強なんだろ」
この程度の挑発には全く乗ってこないショウ。
また彼が、その呼称に興味を示すとも思わない。
「まあ、いい。試合は必ず出る事になる」
「俺から忠告。どう甘く見てるのか知らないけど、出場させた方が絶対後悔する」
半笑いで指摘するケイ。
勿論委員長や生徒会を思っての発言で無いのは明白で、ただ単なるブラフで無いのも確か。
それを素直に受け取る度量が、この委員長にあるとも思えないが。
予想通りと言う程でもないが、委員長はなおも執拗に絡んでくる。
「少し強いからって、あまり調子に乗らないほうがいいぞ」
「少し、ね」
仕方なさげに首を振るケイ。
ショウの強さ、その実力は私達なら誰でも承知をしている。
この学校の生徒が知らない面も。
何より彼が負けるという事は誰もが考えていないし、その勝利を疑う余地は無い。
ただ彼が無意味な戦いを望まない以上、積極的に応援する理由も無い。
私の心情としては、特に。
「この件に関しては、もう結構。小牧さん、次の議題にどうぞ」
「これは再三議題に上がっている、生徒会組織による権力の乱用について。まずは、執行委員会からの説明をお願いします」
指名を受け、今度は委員長から口を開く。
「そういったケースには厳罰な処分で対応している」
「処分するのが生徒会では、馴れ合いになってしまうのではありませんか」
「では、その生徒も処分する」
「していますか、本当に」
再三の質問に、委員長の顔色が少し赤くなる。
やはり感情のコントロールは不得手のようだ。
委員長はそれでも息を整え、無理矢理冷静さを装った。
「組織が肥大化している以上、全てには目が行き届いていない。だからこそ組織を縮小し、人員も削減する」
「では視点を変えましょうか。どうして彼等が、権力の乱用に走るのか。旧来の生徒会組織でもそういったケースは見られましたが、ここまで顕著ではなかった。つまり現行組織、現行の規則に問題があるのではないでしょうか。もしくは、それを誘発する何らかのベクトルが」
「導入時の不手際は当然発生すると再三言っている」
苛立ち気味に答える委員長。
モトちゃんは、それでも質問を重ねていく。
「では、以前と何が違うのかを考えてみれば明白です。組織や規則が変わったのは、多分今回に始まった事では無いでしょう。創設以来規則は変化し続けているはずですから」
「それで」
「もう一つ言うのなら、どうして草薙高校は今のような状態。つまり生徒が学校を運営するようになったのか。そして自由な校風になったのか。言うまでも無く、学校の影響力を受けていないからです」
なぜかサトミへと流れる視線。
それを受け止める彼女。
二人は一瞬視線を交わしあい、どちらとも無くそれを反らした。
「言うまでも無くそれが生徒の自治であり、誇りにつながっています。ここは自分達の学校なのだと言う」
「だから」
「結果、自治と自由の意味を履き違えた生徒も出てきました。それでも最低限のルールはあり、生徒はそれを守っていた。生徒会も自分達に誇りを持ち、気概をもって行動をしていた。しかし」
一旦言葉を切り、机に身を乗り出すモトちゃん。
自然と全員の注目は、より彼女へと集められる。
十分に間を置き、モトちゃんは語気を強めて語り出した。
「現在の状態はどうですか。恐怖と不信感と倦怠感。かつての草薙高校とはまるで違う状況です。いや、もしかすると創立当初はこうだったのかもしれない」
「何が言いたい」
「生徒は何に怯えているか。生徒会?執行委員会?保安部?まさか、そんな事はありません。表面的にはあなた達に怯えているでしょう。ただ実際問題として彼等が見ているのは、その背後にある学校です」
これ以上無い程明確に指摘するモトちゃん。
それには委員長よりも、後ろに控えていた職員達が怒りを露にする。
「ここが高校である以上、主導権が学校にあるのは誰もが認めています。ただ過剰な関与は必要ないのは、今までの経緯を見れば明らかでしょう。それを今更学校の影響力を強めるという部分に、全ての問題が集約されているのではないでしょうか」
「これに付いて、職員の方からご意見は。……どうぞ」
「生徒に過度な権力を与える事こそ問題だと、当学園の研究所で結果が出ています」
「研究と現実は違いますよ」
あっさり返すモトちゃん。
何よりこの学校の過去の実績を考えれば、どちらが正しいかは明白だ。
大企業や自治体、中央政府に多数の人材を輩出してきた草薙高校。
それに対して、データだけで否定する職員。
何よりこの学校を作り出し、生徒を卒業させて来たのは彼等自身。
すなわちそれは、自分自身を否定する事にもつながる。
「もう少し分かりやすく言いましょうか。私は生徒会や執行委員会に対してではなく、学校に対して意見を述べています。彼等は学校からの指示を受けて、それを忠実に実行しているに過ぎません」
「何だと」
声を荒げ、席を立つ委員長。
侮辱されたと取ったのか、もしくは図星を突かれたのか。
どちらにしろ、彼がこの事を気にしている証拠でもある。
「規則の変更にしろ生徒の処分にしろ、どちらも生徒会単独では出来ません。これは前回の規則改正が目論まれた時も同様です。主導権は生徒側ではなく、学校にあるのではないですか。当然この混乱の責任も」
「元野さん。それは、学校への正式な抗議と考えてよろしいですか」
「当然です。本来なら生徒会がその立場に立つべきなのでしょうが、学校の出先機関となっている以上個人的に意見を述べるしかありません」
「分かりました。この件に関しては、次回以降の議題ともさせていただきます。職員の方も、これを踏まえて次回以降望んで下さい」
ごく淡々と進める小牧さん。
しかし彼女が指摘した通り、これは生徒会ではなく学校への反抗。
具体的に何かをした訳ではないが、明確に反旗を翻した事になる。
今まで以上に目を付けられるどころか、完全に処分の対象となったはず。
ただそれを気にするような人間が、今こちら側の席に座っているとは思えない。
一人だけ。
小牧さんの隣で、醒めた顔をしているサトミはともかく。
それを気にしたのか、小牧さんが控えめに彼女へ問いかける。
「遠野さん。今の件に付いて何か」
「意見としては妥当な部分もありますが、この学校の生徒である以上この学校の規則に従うのは当然です。またその規則は学校の裁量である程度は変更が出来ます」
「異議を申し立てる権利は生徒も持っているはずです」
「まだ私が発言していますので」
サトミとモトちゃんの間で散る火花。
先程までやり取りがいかに生温かったかを、今ここで思い知る。
「その際異議申し立てをするのは、無論生徒の権利として認められているでしょう。ただし武装をして徒党を組んでの抗議は、学内秩序を乱す原因です。その点を、どうお考えですか」
「武装をしているのは自衛のため。人数が多いのは、それだけ今の体制に不満が多い事の証拠です」
「部屋の貸与や武装の許可を、強引な手段で認めさせた件に付いては」
「非常識な手段もあったでしょうが、やむを得ない措置だったと考えています。何より学校の言いなりになるという選択肢は考え付かなかったので」
口調としては静かで丁寧。
だからこそ緊張感をはらみ、迫力を感じる両者。
私達はただ二人の言葉に耳を傾ける事しか出来はしない。
サトミは小さく息を付き、改めてモトちゃんを見据えた。
「正式な手続きを踏んでから意見を述べてはいかがでしょうか。このような、強引な手法ではなくて」
「済みません。私は規則全般に精通している訳ではないので、その正式な手続きというのが分かりません。第一規則を全部理解している人なんて、この学校に存在するんですか」
「分からないなら、分かるよう努力するべきでしょう。それを怠って不平を並べ立てる方が問題なのでは」
「随分立派な考え方ですね」
全くお互い譲る事はなく、また歩み寄る気配もない。
敵意は感じないが、決して友好的な態度でないのも確かだろう。
「二人とも、その辺で。ご意見は拝聴したいですが、時間の制約もありますので」
やんわりと間に入る小牧さん。
サトミとモトちゃんが同時に視線を彼女に向け、それをすぐにお互いへと戻す。
それこそ、「助けられたわね」と言わんばかりに。
「では、私の方で改めて話し合うべき議題をまとめたいと思います」
モニターに表示されていく文字。
小牧さんはレーザーポインターを使い、その文字をなぞっていく
・旧連合の資格要件-全校規模でのアンケート実施
・生徒会組織の権力乱用-規則の厳格な運用及び、厳格な処分
・学校の生徒会組織への関与-職員が意見を持ち帰り。次回以降に報告
・規則変更に対する異議申し立て-規則に基づく手続きを求める
「今回特に議題となった点です。これは次回以降も話し合いますので、双方よく検討しておいて下さい。また来週からは公開形式となりますから、その点もご了承下さい」
「公開するだけで、やり方は同じですか」
「私はそのように聞いています。執行委員会からは」
「異論はない。傍聴者からの発言も認める」
「との事です。お疲れ様でした」
若干の気まずさを残して終わる会合。
サトミは書類を片付けていて、まだ帰る様子はない。
執行委員会の生徒が彼女に言葉を掛ける事はなく、自分からも話し掛けない。
彼女は1人、その場にいる。
「ちょっと」
モトちゃんの制止を振り切り、小走りでサトミの元へと向かう。
彼女は視線をこちらへ向け、何も言わず書類をリュックの中へとしまい込んだ。
「何してるの」
「帰るのよ」
素っ気ない、私が聞きたい言葉とは違った台詞。
自分でも何が聞きたかったかは分からないが、私が求めていた答えではなかった。
「ご飯は」
「一緒という訳にはいかないでしょ」
寂しげな微笑み。
こちらに向けられる背中。
彼女は私から離れ、遠ざかっていく。
一言声を掛ければ届く距離。
少し走れば追いつける距離。
だけど言葉は出ない。私の足は動かない。
何を言えばいいのか、どう接すればいいのか。
今まで考えもしなかった、当たり前にしてきた事が分からない。
何も変わってないと思っていた。変わらないはずだった。
でも本当は、当たり前だけど変わってしまった。
彼女も、そして私自身もきっと。
減らない食事。
食欲がない訳ではない。
ただ、あまり食べたいとも思わない。
病気をした時でも基本的に食欲は保たれていて、こういう経験は今まであまりない。
記憶に残っているのは、目を患っていたあの頃くらい。
かなり特殊な状況で、ただ今と似ていなくもない。
虚無感、不信感。
そして、絶望。
今はサトミが少し距離を置いているだけの事。
それだけの事が、私の胸に大きくのし掛かる。
彼女という存在が欠けている事実、その現実に。
端正な横顔はどこにもなく、何をしてもたしなめては来ず。
私の頭を撫でる手もありはしない。
いつまでも一緒にいられるなんて事はない。
それはもう分かっていたけれど、実際にいなくなればその辛さが身に染みる。
「食べないの」
さすがに見かねたのか、減りもしないシチューを指さすモトちゃん。
しかし、どうしてかとは尋ねない。
理由は誰もが分かっていても、口にはしない。
「食べる」
スプーンを手に取り、冷えて固まり始めたシチューを口へと運ぶ。
重くてくどくて、正直気分が滅入ってくる。
「もういい」
皿を横へずらし、カットされたフランスパンだけを食べる。
乾いて固くて、味と言えるのは生地に付いた薄い塩味だけ。
それでもパンだけは食べ終え、残っているシチューにため息を付く。
「食べないのか」
スプーンを持ったままシチューを指さすショウ。
多分モトちゃんとは違う意図なんだろうけど、今はその食欲がありがたい。
無言で皿を彼の前へと動かし、黙々と食べていく姿を眺めながらお茶を飲む。
そして、つい思ってしまう。
どうしてこんな事になってしまったのかと。
予兆は幾つもあり、小さな衝突もあった。
ただそれは一過性のもののか、すぐに収まるものだと高をくくっていた。
まさかここまでこじれるとは想像もしていなかったし、したくもなかった。
それを放置し見過ごしてきた結果が、今の状態。
結局は、自分自身でまいた種だ。
無味乾燥な食事を終え、そのまま寮へと戻る。
話したい事、話しておいた方がいい事はいくらでもある。
でも今はそんな心境ではなく、思考も回らない。
自室へと入り、お風呂に入って湯船に浸かる。
温まっていく体と共に心も少しは軽くなるが、ただ意識が薄れているだけの話。
バスルームから出て体が冷え始めれば、心も冷える。
湯船に沈む手足を軽くさすり、ついため息を付く。
ここはこんなに心地良くて暖かいけれど、ずっと留まってはいられない。
あまりにも当たり前の、考えるまでもない事。
そう。当たり前の事なんだ。
お風呂を上がり、宿題と復習を済ませて予習に取り掛かる。
こういう習慣が付いたのは、サトミと出会ってから。
彼女が何かとうるさく、初めは仕方なくやっていた。
逆に今はやらない方が落ち着かず、生活の一部ともなっている。
勿論惰性で出来る程気楽な事でもないが、強く意識する事柄でもない。
またこのお陰でそれなりの成績がキープ出来ているのは、全て彼女のお陰。
そんな事とを、今更ながら感謝する。
「終わった」
そう呟き、参考書をリュックへ入れる。
明日の準備も一通り済ませ、後は心を休めて眠るだけ。
やる事は何もないし、やりたい事もない。
何よりやる気が起こらず、そのままベッドに潜り込んで明かりを消す。
すぐに眠れる訳もなく、色んな事を考えては忘れてまた同じ事を考える。
今日の出来事、以前からの疑問、明日以降への不安。
忘れるからにはそれ程切羽詰まってはないんだろうけど、すぐに思い出すんだから心には引っかかっているはず。
ただし大半がサトミとモトちゃんの事であり、今の心理状況を端的に現している。
眠りに落ちそうになる度に何かが引っかかり、現実へと引き戻される。
眠って、一瞬でも忘れたい。
そう思う気持ちと、ずっと考え続けていたい。
矛盾する心の中。
自分がどうすればいいのかは、初めから分かっている。
二人を仲直りさせる。ただそれだけ。
それが難しいからこそ、こうして悩んでいる訳だが。
いや。難しいと決め込み、逃げているだけかもしれない。
余計にこじらせないように、周りに迷惑を掛けないようにと都合の良い言い訳を自分で勝手に作って。
今のあの二人を諫める事が出来る人間は、そう何人もいないだろう。
その中で、一番彼女のそばにいるのが自分という自負はある。
だからこそ、私がやるべきなんだろう。
元通りの仲に戻すとまでは言い切れない。
だけど、今のような冷たく寂しい関係を続けさせてはいけない。
そのために、私が出来る事をするしかない。
そう。するしかない。
とりあえず結論は出たためか、気付くと朝になっていた。
若干寝不足だが、憂鬱さは解消された。
大袈裟に言えば、やるべき事を見つけた。
むしろ、充実感がみなぎってきたくらい。
まずはジャージに着替え、ヘアバンドを付けて外に飛び出す。
吹き付ける寒さがむしろ身も心も引きし締めるようで、心の底から叫びたいくらい。
とはいえそこまで浮かれても仕方なく、玄関前で体を解す。
何事も、無理は禁物だ。
「さてと」
ゆっくりと走り出し、まずはペースを整える。
整えようとしたところで、目の前が暗くなった。
「え」
一気に狂う平衡感覚。
咄嗟に目を閉じて足を開き、かろうじて転倒を免れる。
体を温めておいたのも、功を奏した理由の一つだろう。
しかしこれでは走るどころか、歩くのもやっと。
盛り上がった気分が一気に醒めてきた。
「よいしょ」
ただ、それはそれ。
嘆いて視力が回復する訳もなく、ゆっくりと目を開き周りを確認する。
真っ暗という程ではなく、ぶつからない程度に歩けるレベル。
それでもすり足で、手を前に出して慎重に進む。
「お」
階段の段差に足が掛かり、体が前に倒れ込む。
多分普段は階段がある事すら意識をしていない。
それを今悟っても仕方なく、すぐにしゃがみ込んで階段に手を付く。
これも普段なら、危ないと思う前に階段を駆け上って終わり。
つくづく、今の自分の限界を理解する。
「犬?」
誰か、失礼な事を言ってる人がいる。
このまま噛みついてやろうかと思ったが、それを見越してかかなり遠くから声を掛けてきてる。
私をよく知ってる人だろう。
毎日聞いてはいないが、聞き馴染みはある。
ただ、見えないからと言って動けない訳ではない。
音の位置を想定して、このまま飛びかかるくらいは簡単だ。
「冗談だよ。立てるかな」
「手を貸してくれると助かります」
「四葉君に怒られそうだけど、この際は役得としておこう」
軽い冗談と、慣れた体への触れ方。
多分目が見えていたら、相当に勘違いするだろうな。
「こんな朝から、女子寮に何の用ですか」
「ちょっと、妹に用があってね。いるかな」
「夜遊びはしないので、いると思いますよ」
「厳しいな」
耳元で楽しげに笑う秀邦さん。
つまりは、今の言葉を厳しいと思うだけの行動を取っている訳か。
とりあえず部屋まで送ってもらい、お茶を頼む。
さすがに、今は動きたい心境では無いので。
「病院は?」
「診察時間になったら行きます。このくらいはたまにありますし」
「君は強いね。さて、僕の妹はと」
端末で連絡を取る秀邦さん。
どうやらまだ寝ていたらしく、端末からも不機嫌さが漂ってくる感じ。
しかしそこはさすがにお兄さんとあって、たやすく受け流している。
「……そう、書類だけ用意してくれれば後はやっておく。……ああ、寝ててくれ」
「また、奨学金ですか」
「何しろ天才少女だから」
「秀邦さんは、自分の10倍はもらってるってサトミが言ってましたよ」
ちなみに彼は、20過ぎですでに助教授。
ただその年齢分、サトミよりは世の中を渡っていく術を身に付けている。
もしくは、生まれついての性格的なものだろうか。
秀邦さんは床に転がっていたファッション雑誌を手に取り、意外と興味深そうにそれを読み始めた。
そこから複雑な経済システムを読み取っているのか、単に女性の情報に精通したいのか。
どちらにしろ、肩を揺らす程面白い事が書いてあるとは思えない。
この辺は、天才故のといったところか。
「ケンカしてるって聞いたけど。智美ちゃんと」
「ええ。なんか、急に揉めだして」
「思春期だから、ケンカもするよ。サトミはその辺が苦手だから、反応が過剰になるんじゃないかな」
「苦手」
人付き合いが苦手なのは確か。
壁というか、他人と距離を置くタイプ。
精神的に近付く事は無いとでも言うんだろうか。
「君達とは比較的良くやってるけど。逆に言えば、そういう甘えで智美ちゃんとケンカしてるんだろ」
「甘え、ですか」
「あれも一応は、まだ子供。甘える時くらいあるよ」
「そう、ですか」
言わんとする事は私にも分かる。
ただ、私に甘えないというのは多少気にはなる。
気にくわないと言い換えても良い。
「機嫌悪い?」
「いえ、別に」
「なら結構。後で、浦田君と会っても良いかな。弟君の方と」
「ええ、どうぞ」
どうしてわざわざ断るのかは分からないが、それきり口を閉ざし私の本棚を眺めだした。
あまり話題にしたくない話題だったのかもしれない。
「私、そろそろ着替えるので」
「ああ、失礼。僕は気にしないよ」
多分、普段からあんな事ばかり言ってるんだと思う。
彼にとっては、それが普通であり日常。
私にとっては、彼の上着を引き裂くくらいの言葉ではあったが。
「調子悪いのか」
病院にまで付き合わせてしまったショウが、頭の上から声を掛けてくる。
多分この人は、一生あんな事は言わないだろうな。
逆に、知らないところで言われても困るけど。
「雪野さん、どうぞ」
看護婦の案内に従い、ショウの腕を借りて診察室に入る。
いつものように検査器具を取り付けられ、やはり採血を受ける。
「今日は、どうされました」
「外を走ろうとしたら、突然暗くなって。見えない程ではないんですけど」
「最近、ストレスを感じるような事は?」
「……友達がケンカしてるかな」
思い当たるのはそれくらい。
ただ、もうその事は自分の中で解決した。
二人を仲直りさせると。
その難問に対して、心理的にブレーキが掛かったとも思えないが。
意志は採血の結果を見て、小さく頷いた。
「心配する程の数値ではないですね。それでも、出来るだけストレスは避けるようにして下さい。それと、新しいサングラスが届いてます」
そんなの頼んだ覚えは無いが、ぼやけた視界の中にサングラスとケースが差し出された。
殆ど色のないグラスの、やや丸みを帯びたデザイン。
「支払いは済んでいるようなので、このまま持って帰って下さい」
「高いんですか、これ」
「特定の波長をカットする、かなり特殊な素材を使ってますからね」
具体的にいくらとは言わないが、高校生が持つにはかなり高額なものらしい。
そういえばサングラスがどうのって、沢さんが言ってたな。
どうして送ってくれたのははともかく、今はその好意を素直に受け取ろう。
「……似合う?」
「似合う」
はにかみつつも、即答するショウ。
その言葉を聞いただけで目の前が明るくなり、彼の笑顔がはっきり見えてくるよう。
人間気の持ちようとは良く言った物だ。
サングラス。スティック。
私を支えて駐車場へと歩くショウ。
こんな私を支えてくれる幾つもの物や人。
そこまでの価値が自分に備わっているかという疑問は常に付きまとっている。
期待に応えるだけの事が出来ていないという思いも。
でもまだ見捨てられてはいないし、期待を掛けられる何かが自分にはある。
そう思いたいという願望も含めて。
何も出来ないと嘆くだけではなく、自分にも出来る事から始めよう。
一歩一歩、少しでも前に進んでいこう。
今の、この歩みのように。




