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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第33話
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33-5






     33-5




 結局全員で、女子寮のサトミの部屋へとやってくる。

 しかし呼んでも返事は無く、セキュリティを確認すると留守になっている。

 今は合鍵を使う心境ではなく、またこの中にはいないような気もしてきた。

「モトちゃんの所?」

 まさかと思いつつ走り出し、すぐに彼女の部屋の前に来る。

 こっちはすぐにドアが開き、いつに無く愛想の無い顔が現れた。


「何か、用」

 取り付く島も無いといった様子。

 サトミがいないかと尋ねたら、すぐにドアが閉まるだろう。

 それでも、尋ねる以外に私は出来ない。

「サトミは見なかった?」

 一瞬の沈黙。

 心が痛くなる程の静けさと緊張感。

 モトちゃんは固くなった表情のまま、ドアに手を付いて首を振った。

「あの後は見て無いし、連絡も無い。どうかしたの」

「生徒会に行くって言ってたじゃない」

「ああ、その事。接触するにしろ、自室では会わないわよ」

 人事。

 興味も無いといった口調。

 それに反発を覚えつつ、念のために部屋の中を覗き込む。


 しかし人の気配も姿もなく、モトちゃんが愛想無く私を見ているだけだ。

「いないよね」

「サトミも名雲さんも誰もいない。私一人しか」

 大勢でサトミを探し心配している私達へのあてつけだろうか。

 いつもとは違うそういった口調ややり取りが、私の心には少し辛い。

「とにかく、放っておく訳にもいかないでしょ」

「そう?私達の所にいるよりも、生徒会にいる方が活躍出来るんじゃなくて」 

 半笑いで答えるモトちゃん。

 それはきっと正しいだろう。


 組織としても形をなさない今の私達より、将来のエリートコースを約束された生徒会こそ彼女にはあっている。

 またその稀有な能力を発揮出来る場所でもあるはずだ。

 ただしこの話は過去何度と無くしたし、それを全員が分かっていてサトミは連合に留まっていた。

 誰よりもモトちゃんが、それを理解していた。

 だけど今は、生徒会の方が良いとあっさり言ってのける。

 これが何を意味するのかは、考えたくも無い。


「とにかく、サトミはいないしこれからも当てには出来ない。明日はそのつもりで」

「大丈夫なの」

「何が」

 尋ねた事に深い意味は無い。

 胸の中の漠然とした不安や疑問が、口をついて出たのかも知れない。

「いない子の事を考えても仕方ないでしょ」

 その言葉に引っ掛かりを覚え、つい彼女を睨む。

 いつもとは違い、紛れも無い敵意を込めて。

「何か変な事言った?」

「言っては無いかも知れないけど。多分、今までは言わなかったと思う」

「今までは、でしょ。私、少し疲れてるの」

 話を打ち切りたいのか、そう告げて来るモトちゃん。 

 ただ実際に顔色は優れず、疲労が重なってるのは確かなようだ。


「分かった。それと、サトミの事は悪く言わないで」

「本当の事を言ってるだけでしょ」

 その言葉に苛立ちを募らせつつ、閉まっていくドアを眺めるしか出来ない自分。

 部屋にも入れず、説得も出来ず。

 ただ感情を高ぶらせ、虚しさを溜め込んだだけ。

「接触って。部屋じゃなかったら、どこなの」

「外には出て無いし、目立つ場所は避ける。多目的ホールだったか。あそこを探せばいるんじゃないの」

 探すのかと尋ねるような視線。

 それを振り払い、足早に廊下を歩く。

 それでこの苛立ちや違和感をも振り払えたら、どれだけ楽になるだろうか。




 いくつかの部屋を回り、ようやく使用中のところを見つける。

 とはいえ中に入る事は物理的に不可能で、外から連絡を取るしか方法は無い。

「……ユウだけど。……そう、外にいる」 

 話す前から、私が来てるのを分かっているサトミ。 

 心の準備をするより早くドアが開き、彼女が顔を覗かせる。

「話す事なんて、何も無いわ」

 初めから拒絶の姿勢を見せるサトミ。

 こうなっては何を言おうと聞く耳を持たないのは、十分に分かっている。


 ただそれは、理屈としての問題。

 私の感情では無い。

「生徒会に行くっていう話はどうなるの」

「それは私が決める事でしょ。私の問題なんだから」

 もっともな、反論の余地も無い返事。

 ただそれは彼女の言い分であって、やはり私の感情ではない。

「そういう事が許されると思うの」

「自分の行動に、あれこれ許可を得る必要があるかしら。連合が無い以上、どこへ所属しようと自由じゃなくて。実際、生徒会に移った人もいるのよ」

「だからって、サトミが移る理由にはならないでしょ」

「もう、愛想が尽きた。こう言えばいいのかしら」

 冷たさすら感じない、感情のこもらない言葉。

 まるで私達の体を透き通らせて、その先にある壁を見ているような視線。

 思った通り、説得の余地はまるで無い。


「最後に一つ。モトちゃんの事だけど」

「聞きたくない」

 突然強まる語気。

 視線は鋭さを湛え、私の心を貫いていく。

「まだ、何も言って無いじゃない」

「少なくとも私は、間違った事は言ってなかった。あの子が全体をまとめるのに苦労してるのは分かってる。だけど、守るべき原則はあるでしょ。妥協を重ねるというのは、相手のペースに乗ってなし崩しにされるのと同じ事よ」

「そうかな」

「そうよ」

 こちらは逆に、妥協の姿勢をわずかにも見せようとはしない。

 ひたすらに頑なで、純粋で、ただ一点だけを貫き通す姿勢。

 それは気高くもあるが、逆にもろさも備えている。


「私は彼女から一任されたから、その通りに仕事をした。確認をする必要すら無いって、あの子が言ったのは見てたわよね」

「まあね」

「だから私は、思ったとおりにやった。経費の削減は、元々連合時代からの課題で今も当然推し進めるべきテーマよ。それは誰もが分かってる事じゃない。お金が欲しいなら、生徒会にでも入ればいいのよ」

 始めの言葉とは矛盾する内容。

 それに自分でも気付いたのか、彼女は口をつぐむと俯き加減でドアを閉め始めた。

「ちょっと」

「この件に関しては譲らないし、私は悪くない。別に、謝って欲しくも無い。私は、本当の事を言っただけで後悔もしない」

「勝手に何言ってるのよ」

「あなたに言われたく無いわ」

 目の前で閉まるドア。

 さすがに拳でドアを叩き、小さく怒りを爆発させる。


 私の方こそ文句を言われる立場では無いし、何か悪い事をした訳でもない。

 二人の意見を聞いて、少しでも関係が修復出来ればと思っただけだ。

 それをさながらおせっかいで邪魔者のように言われては、立つ瀬が無いどころか馬鹿らしくなってくる。

「雪野さん、落ち着いて」

「私は冷静よ」

 そう答え、スティックに伸ばしていた手を戻す。 

 本当に冷静さを欠いていたら、今時ドアは半分に切れているだろう。

「もう遅いし、僕達は帰るよ」

「さよなら」

 木之本君に向かって手を振るケイ。

 その背中に拳を叩き込んで、少しだけストレスを発散させる。

「こ、この。俺に八つ当たりを」

「だって」

「何が、だってだ。ったく、どいつもこいつも」

「お前、愚痴っぽいぞ」 

 鼻で笑い、顎を振って歩くよう促す塩田さん。

 後ろ髪を惹かれる思いはあるが、今は彼の後に付いていくしか無いだろう。




 寮の玄関まで来て、帰っていく彼らを見送る。

 顔を上げるが窓からサトミ達が見ている様子は無く、また暗いのでその確認は出来そうに無い。

「ちょっと、あいつらには自由にさせすぎたかな。出来が良いから、文句の付けようが無かったって事もあるが」

 苦笑気味に呟く塩田さん。 

 そう考えれば、あの二人が指導されたり教育されるという場面は殆ど記憶に無い。


 無論ガーディアンとしての基礎的な事は塩田さんから教わりはしたが、大抵の事は自分で何でもこなしていた。

 中等部の1年の頃からすでにオフィスを仕切っていたし、塩田さんの所からもすぐに独立をした。

 その後は彼女達が指導的な立場になり、全体を率いていった。

 また彼女達に指導や教育を出来る程の人が、周りにいなかった。 

 というか、あそこまで優秀な人達を誰が指導するかという話である。

「全部お前だ。お前が悪いんだ」

 陰で文句を言うケイ。

 全部塩田さんが悪いとは思わない。

 ただ、出来る事もあったのかもしれない。

 それは彼だけでなく、私達全員に言える事だが。


「深く考えるなとは言わんが、あまり首を突っ込みすぎるな。言って聞くような連中でもない」

「そうですけど」

「人間誰だって考え方は違うし、いつまでも一緒って訳じゃない」

「でもそれは、一般論ですよ」

 小声でそう呟き、全員から見つめられる。


 そう。

 私達も成長し、お互いの考え方の違いが明確になり、それぞれの道を歩み出す。

 考え方も、行動も、進むべき道も。いつまでも一緒という訳ではない。

 だけど私は、私達は違うと思っている。

 そうして離れ離れになっても、何もかもが移ろっても。

 自分達は、決して分かたれる事は無いと。

「良く分からんが、あまり刺激するな。特に、遠野の方は」

「だって」

「生徒会が言いっていうなら、入れてみろ。お嬢様にはいい経験だ」

 冷たい言葉とも思ったが、どうやらそれには塩田さんなりの考えがある様子。


 私は賛成したくないし、生徒会に入るという事すらまだ受け入れられて無い。

 しかし今となっては、もう止める術は無いだろう。

 彼女達が言うように、これは自分達の問題でもあるんだから。

「私達は、こんな事でいいんですか。これで、学校と対等にやりあえるんですか」

「勝つとか負けるとかは知らんが、昔の俺達よりは相当優秀だろ。あの時は、少なくとも生徒会は味方だったからな」

「でも」

「あまり欲張りすぎるな。人間、出来る事と出来ない事もある」

 やはり、「一般論」だと言いそうになりどうにか言葉を抑える。


 出来ない事、不可能な事はあるかもしれない。

 だけど、それをそうだと決め付けて見過ごす事も私には出来ない。

 あの二人の関係を修復させるのは、誰でもない。

 私の役目なんだから。

 それがどれ程困難で辛い事だとしても。

 他の人には出来ないだろうし、また任せたくも無い。

 これは私の、私達の問題だから。




 すぐに部屋へは戻らず、ラウンジで少し様子を見る。

 今の雰囲気。

 正確には、二人が作り出している雰囲気を。

 彼女達が外に殆ど出ていないせいか、もしくは慣れたのか。

 昨日よりは落ち着いていて、緊張感もさほど無い。

 ただ快活で華やいだ様子とは言えず、どこか陰を感じてしまう。


「先輩、ちょっと」

 柱の陰から私を呼び寄せる神代さん。 

 そんな真似をしても十分目立ってるし、むしろそうした方が余計目に付く。

 普段なら気にしないような事が、今はいちいち気に障る。

 誰が悪いと言って、私自身が悪いのだけど。

「何よ。サトミ達の事なら、一応考えてるから」

「そうじゃなくて。いや、そうなんだけど」

「どっちなのよ」

「二人を悪く言ってる人が」

 パーカーのポケットからスティックを抜き、スタンガンをさせて下段に構える。


 サトミとモトちゃんを悪く言うのは、誰だろうと許さない。

 今の彼女達への感情、行動。 

 そんな事は関係ない。

 あの二人は私が支え、助け、守るべき存在。

 相手が誰だろうと、それを冒そうとするものがいれば身を持って教え込む以外に方法は無い。

「あの、落ち着いて」

「落ち着けない。誰が、何を言ってるの」

「誰も言って無いよ」

 ぱちっと飛び散る火花。 

 同時に抜けていく気力。

 空回りにしても、度が過ぎるな。


 神代さんは軽く咳払いをして、私の視線から目を背けた。

「いたらどうするのかと思って」

「どうするもこうするも無い。言った分だけの報いを受けてもらう」

「あのさ。少しは自分達のおかれてる立場を考えたら」

 突然迫力を込めて語り出す神代さん。

 身長の関係上自然と真上から見下ろされ、何やら説教を受けてる気分になってくる。

「大体そんな事したら、あの二人にも迷惑が掛かるじゃない。それは分かってるの?」

「分かるも何も、理屈じゃないのよ」

「意味が分かんないし、そんなの通用しないって。もう一度言うけど、自分達がどういう状況なのか本当に分かってる?

 怖い顔で見下ろしてくる神代さん。

 対抗上彼女を見上げつつ、しかし言い返しようの無い自分。


 私が暴れれば、まさに執行委員会や学校の思う壺。

 内部分裂と、粗暴な集団というレッテルが貼られて派手に宣伝される。

「それは分かってる。ただ、私はこの件に関しては理屈では動いてない」

「気持は分かるけど。大体、もうすぐ議員も来るんだろ。暴れました、そうですかでは済まないんじゃないの」

「議員?……ああ、視察か。別に、その前で暴れる訳じゃないわよ」

「本当に?シスター・クリスの前で暴れたって私は聞いてるけど」

 古い話を持ち出してくるな。

 しかも、痛いところを突いて来るな。


 またシスター・クリスといえば世界的なVIPであり、各国首脳ににも信奉者は多い。

 その権限や名誉は国会議員の比ではなく、あの場で私達は射殺されても不思議ではなかった。

「まだ退学になるのは早いんじゃないの。気分はいいかもしれないけどさ」

「良くは無いわよ。ただ、二人を悪く言われるのは許せないの」

「困ったね」 

 苦笑気味にため息を付く神代さん。

 しかし私に対して、面と向かってこういう事を言ってくるとは思わなかった。

 内気で控えめな性格だし、わざわざトラブルに首を突っ込むタイプでもない。

 それでも言わずにはいられなかったという訳か。


 私達への思い。

 彼女自身の成長。

 以前には無かった事。

 時の流れ。変わっていく状況や関係。

 良くも悪くも、それを今強く実感した。


「……分かった。とりあえずは、自重する。ただし、面と向かって言われたら知らないわよ」

「程ほどにね。でも、面と向かって言う人はいないと思うけど」

「世の中、善人ばかりって訳じゃないのよ」

 そう答え、スティックをポケットへと戻す。


 色んな人がいるからこそ世の中は成り立ち、また面白い。

 そして、嫌な事や悪い事も起きてしまう。

 画一的な社会は面白くないが、別に波乱万丈な日常を求めてる訳じゃない。

 友達と一緒になって笑い、たわいも無い事で盛り上がり、気付けば時が過ぎている。

 そんな、当たり前の生活。

 以前は普通にあった、今思えば何ものにも代え難い。

 過ぎた後に、大切さに気付く。

 だけど、まだ失った訳じゃない。

 そう信じたい。




 早朝。

 だるさを堪えつつ、着替えを済ませ寮の周りを走る。

 あれこれ考えすぎたせいか頭が重く、体にも切れが無い。

 この辺りは、心と体が密接な関係にあると嫌でも思い知らされる。

 新聞を配る原付、犬を散歩させる老夫婦、足早に道を行くサラリーマン。


 毎日の光景。

 ただこれも、多分少しずつ変化はしているのだと思う。

 配達員の顔はヘルメットもあるので正確には覚えてないし、同じ販売店とは限らない。

 犬も成長し、大きくなっているはず。

 サラリーマンに至っては、この道を通って駅やバス停へ向かう人は数知れない。

 何も変わらない、なんて事はあり得ない。

 再び沈み込みそうになるのをどうにか堪え、ギアを上げて少し早めに走る。

 疲れはするが、余計な考えをしなくて済む。

 どこまで持つか、この後どうなるか間では考えれないが。



 結局朝から、何も出来なくなる。

 教室に入ってすぐ机に伏せて、周囲の喧騒を遠くで聞く。

 サトミやモトちゃんも登校してきたようだが、話しかける気力も体力も無い。

「風邪でも引いたのか」

 手を振り、そうではないとショウに告げる。

 少し休めば体力は回復する。

 猫科程ではないが、乳酸の分解は早い方。

 その分スタミナも無く、結局は猫科なのかもしれない。


 HRが始まっても机に伏せたまま。

 一応連絡事項は耳に届いているが、全く内容は理解していない。

 また重要な事柄だったら、自然に反応するだろう。

「では、移動して下さい」

 席を立つ音が周りからして、さすがに顔を上げる。

 どうやら例により、集会を始めるらしい。

「今日は、何やるの」

「議員が来るから、注意をするらしい」

「子ども扱いだね、まるで」

「暴れる奴がいるからだろ」

 それが誰とは言わないショウ。

 私は暴れないし、そういう理由も無い。

 ただ、絶対という訳でもない。

 何を言ってるかは、自分でも分からない。



 半分寝たまま講堂へと辿り着き、人目につかない後ろの方の席へ付く。

「え」

 目を開けると、右がサトミで左がモトちゃん。

 二人に左右を挟まれていた。

 意図的では無いだろうが、勿論偶然である訳も無い。

 以前なら良くある、それこそ意図的にあったような座り方。

 ただ今は、少しの気まずさとぎこちなさだけがある。


 二人が私を挟んで言い合ってはいないが、冷たい空気はどちらからも漂ってくる。

 自然と周りは空席が目立ち、誰もがここを避けていく。

「注意って、何やるの」

 つい普段通りの調子で聞くが、お互い一言も返さない。

 それにはさすがにむっと来て、顔を叩いて眠気を覚ます。

「今日は、何やるの。サトミ」

「議員が来るから、簡単に注意事項を説明するだけ。それと地元議員の挨拶」

 名指しされ、ようやく口を開くサトミ。 

 あくまでも事務的、儀礼的な態度で。

 余計な事は何も言わないし、こちらを見ようとすらしない。


 それには寂しさよりも、少しの怒りがこみ上げてくる。

 サトミとモトちゃんはケンカしてるかもしれないが、私が怒られる筋合いではない。

「今日、会合はどうするの。モトちゃん」

「出る」

 短い一言。

 昨日の事に付いての説明や、今日どうするべきかといった言葉は一切話さない。

 聞かれたから、それについて話す。

 逆に、聞かれない事は話さない。

 徹底をしてるというか、やりすぎという気がする。


「静粛に。ただいまより、臨時集会を始めます。内容はお伝えした通り、議員団の視察に伴う注意事項に付いて。ごく一般常識ですので大丈夫だとは思いますが」 

 だったら呼び出すなと言いたいが、司会役の男の子はメモを片手にありきたりな注意事項を読み上げていく。

 挨拶をする。

 笑顔で出迎える。

 聞かれた事は、はきはき答える。

 掃除をする。

 身なりを整える。

 小学生を相手にしてるのかと言いたくなる。

 無論国会は国の最高機関で、当然議員もそれに見合っただけの地位と権限を持ってはいる。


 ただ、それはそれ。 

 こびへつらう必要は無いし、普段通りに振舞っても問題は無いと思う。

 この辺りが、管理案施行後の厄介さやわずらわしさと重なる。

 風紀を糾すのはいいが、私達も手取り足取り教わらなければ出来ない程の子供ではない。

 ここがどうも、最大のネックでは無いだろうか。

 しかもそれが善意の押し付け程度ならいいが、明らかな悪意が込められていれば余計に。



 気付けば注意事項の説明は終わり、司会者が突然張り切りだした。

「それでは、次いで議員によるご挨拶を。現在先生は国防を中心に活動をされ」

 なんかかなりどうでもいいプロフィールを紹介され、その議員先生が壇上にと現れた。

 おざなりの拍手がパラパラと起きて、締まらない空気の中議員の挨拶が始まる。

「まず申しておきたいのは、今の日本人の危機意識であります。前大戦からはや10年。奇跡的な経済復興を遂げ、近隣諸国とも安全保障条約を結び非常に安定した状況下にわが国は置かれてます」

 だったらいいじゃない。

 なんて思っていたら、議員先生はマイクを握り締めて目を見開いた。

 見開いたと分かったのは、本人ではなくモニターを見ているから。

 私達がいるのは別会場で、態度が多少だらけるのは致し方ない。


「常温核融合炉が各国で稼動しつつあるとはいえ、石油に対する依存はいまだ高いまま。天然ガスハイードレードなどに代表される資源問題。そして民族問題。我々は島国という立地上国際紛争に馴染みが薄いですが、それは決して対岸の火事ではありません。近年中華連邦東南部における対立の芽は根深く、独立運動の動きも活発です。果たしてこれは他人事か。否、断じて否であります」

 熱弁を振るう議員先生。

 問題提起としては悪くないが、朝から高校で話す内容でも無いだろう。

「世迷言、年寄りの戯言と思う無かれ。私も前回の大戦では一兵士として戦地に赴き、その惨状を目の当たりにして参りました。戦争の悲惨さ、残酷さ。それは身を持って知っております。だからこそ私は訴えるのです。この国の防衛は、本当に完璧であるかと。他国からの侵略は、決してあり得ないかと。ちなみに私の体験談は、書籍にもなっておりますので是非お買い求めを」

 最後のはともかく、実体験から基づく信念という事か。

「あの玲阿兄弟と共に私も戦い、彼等を指導してきた私だからこそ語れる事もある訳です。二度と過ちは犯してはならない。つまり二度と侵略を許してはならないのです」

 少し離れたところでむせかえすショウ。


 この反応を見る限り、戦友であったかどうかはかなり怪しい。

 いや。もしかして同じ部隊にいたとか、戦地にいた事はあったかもしれない。

 ただ指導したという部分は、間違いなく誇張か創作だ。

「ああやって、利用されるだけなのよ。どれだけ優秀でも」

 何気ない口調で呟くモトちゃん。

 私を置いて隣にいたサトミが、それに素早く反応する。

「みこしの様に担がれる方が、余程利用されてるんじゃなくて」

「私は自分の立場を分かってる」

「どうかしら。人の心は読めても、自分の心は分かって無いんじゃなくて」

「面白いわね、それ」

 私を間においてやりあう二人。

 正直かなり迷惑で、こういう事こそいたたまれないと言うんだろう。


「そこ、静かに」

 厳しい声で叱責してくる保安部の人間。

 しかしサトミとモトちゃんに睨まれて、慌ててどこかへ逃げていく。

 じゃあ、後は誰が注意してくれるのよ。

「分かったから、静かにして。みんなに迷惑でしょ」

「仕方ないわね」

「助かったじゃない、止めが入って」

「お酒でも飲んでるの」

 最後の最後までやりあう二人。

 気付けば議員先生は壇上から手を伸ばし、生徒達と握手をしている。

 3年生は、卒業した時点で選挙権が与えられる。

 つまりは有力な票田であり、多少のオーバートークは仕方ないか。



 しかしこの程度の事なら生徒を集めずに、放送だけで済ませば良いと思う。

 つまりは何らかの力。

 例えばさっきの議員先生からの圧力。

 もしくは、こちら側が擦り寄ったという可能性もある。

 なんにしろ、数学が潰れてくれて助かった。




 次は体育。

 手早く着替えを済ませ、グラウンドへとやってくる。

 この時期に外でやらなくても良いとは思うが、動いてしまえば同じ事か。

「今日は野球をやります。ソフトじゃなくて、野球。いつまでも女を舐めてちゃいけません」

 意味不明な事を言ってバットを担ぐ体育教師。

 ただ私も、ソフトよりは野球の方が好き。

 競技としてはほぼ同じだが、何が違うと言ってボールのサイズ。

 正直、ソフトのボールは片手では掴めない。

 野球のボールでも、ちょっと辛いけどね。

「適当にポジションを決めて散りなさい。それと、雪野さんは選抜だから最後まで取っておいて」 

 これはケーキのイチゴ的な扱いなのか。

 それとも、トランプのジョーカー的な意味なのか。

 少し微妙な気分だな。


 仲の良い子同士が集まって徐々にチームが作られ、ポジションが埋まっていく。

 全てのポジションが決まったところで残りの子が補欠となり、どうにか2チーム分で来てようやくお呼びが掛かる。

「では、雪野さんが欲しい子は」

 一斉に上がる手。

 これは少し、気分がいい。


 結局くじ引きで、チームが決定。

 とりあえず、私の意志は介在しない。

「よろしく」

 低い声で挨拶をしてくるモトちゃん。

 ちなみに、相手チームにはサトミ。

 この時点で、おおよそ普通とは違っている。

「嘘」

 二人して声を揃えたのも無理は無い。

 マウンドに颯爽と登場したサトミの姿を見てしまっては。

 スレンダーなボディと腰まで伸びた黒髪。

 端正な顔はキャップで隠れ、長い足がしなやかに上げられる。

「ああ」

 つい漏れるため息。

 かなりぎこちないフォームから投げられる、へろへろしたボール。

 見当違いのところへは飛んでいかないが、拍子抜けとはまさにこの事。

 本当、見た目だけなら今でもプロで通用する。

「そんな訳ねえ」

「本当」

 ここはモトちゃんと一緒に頷き合い、そんな事はありえないと分かり合う。 

 何を分かり合うかは、私達にしか分かって無い。


 しかしそのへろへろした球が逆にタイミングを狂わせるのか、あっさりと三者凡退。

 チェンジとなって、私達が守備へ付く。

「モトちゃんは」

「私は監督」

 キャップを深く被り、私を追い立てるモトちゃん。

 上手い事逃げたな、この子。

 まあ、足を引っ張られるよりはいいか。

「何か言いたいの」

「別に」

 ここでとばっちりを受けても仕方なく、グローブをはめてショートに付く。

 外野でも良いけど、肩が弱いので取った後の処理に難ありだから。

「いいよー、打たせていこー」

 そう叫んだ途端、モトちゃんに睨まれた。

 監督は良いけど、野球を知ってるのかな。


 とはいえ、今は試合に集中。

 腰を落とし、左右の足へ均等に力を掛ける。

 バッターは右打席。

 内角への緩いボール。

 それをかろうじてとらえ、私の右側へボールが転がってくる。

「っと」

 素手で拾い、そのままファーストへ素早く投げる。

 タイミングを争うまでも無く、難なくアウト。

 次は三振。

 なかなか良いリズムだな。


「ふふふ」

 笑いながら現れる、どこかで見た事のある女性。

 小牧さんか。

「何してるの」

「助っ人よ。傭兵だから」

 多分それは違うと思うし、今は授業中だ。

 ただいかにも自信ありげで、どうやらバッティングは得意らしい。 

 それ以外はともかくとして。

 打席は左。

 長い腕。

 要警戒だな。


 外角へ逃げるスライダー。

 小牧さんはやや上体を突っ込ませ、さらに長い腕を伸ばして先端に当てた。

 流し気味のバッティング。

 矢のように飛んでいくボール。

 歓声が一気に上がる。 


 こちらもそれに合わせ、右へ飛ぶ。

 逆シングルでボールをキャッチ。

 空中で体をひねり、真上からサードへボールを渡す。

 後はゆっくり舞い降りて、小牧さんへグローブを掲げる。

「あら、残念」

 大して残念そうでは無い口調。

 どうやら、それ程根に持つタイプではないようだ。

 鬼のような形相でネクストサークルに控えている、黒髪の美少女とは違って。



 似たような展開が続き、あっという間に3回を迎える。

「モトちゃんも出たら。疲れてるみたいだし」

 フェンスにもたれ、大きく方で息をしている私達のピッチャー。

 肉体的な疲労は勿論、精神的な疲労の方が大きいと思う。

 野球は結局、ピッチャー次第。 

 だからこそやりがいもあるが、負担も大きい。

 これでバッターボックスに立たせるのは、少し無理があると思う。

「良いけど。期待しないでよ」

「それは初めからしてない」

 バットを持つ前にそう答え、ヘルメットを渡す。

 いっそ、私が被った方が良いかもしれないな。


 結果として、サトミがピッチャー。

 モトちゃんがバッターという構図が出来上がる。 

 別に狙ったつもりは無いけど、チームが違う以上当たり前の事。 

 私が気を揉んだり、気を回しても仕方ない。 

 後はお互いに任せる以外は。


 この状況で闘争心に火が付いたのか、大きく深呼吸をして肩を回すサトミ。

 3回投げてきた事で、おそらくは自信も付いてきたんだと思う。

 フォームも多少は様になってきたし、コントロールも定まってきた。

 また勝負事には燃えるタイプなので、これはサトミ有利だな。

「逆よ」

 マウンドからグローブを振り、素っ気無く指摘するサトミ。

 モトちゃんは彼女を見つめ返し、足元を指差した。

「右利きだから、右打席に入ってるじゃない。そのくらい、分かってるのよ」

「バットの持ち方が逆だと言ってるの。ユウ」

「はいはい。バットはこう、構えはこう。立ち位置はここ。無理して振らない。高めも振らない。危ないと思ったら、すぐに逃げる。出来る?」

「みんなして馬鹿にして、こんなのバットを振るだけじゃない」

 それが難しいから、世の中にはプロ野球選手も存在する。

 とにかく後は、二人に任すか。


 大きく振りかぶり、しなやかに腕が振り抜かれる。

 豪速球とは行かないが、内角の良い所にボールが決まった。

「ストライク」

 無慈悲に告げる審判。

 慌てて腰を引いていたモトちゃんは、彼女を見つめてそのままサトミを振り返った。

「ちょっと」

「試合中よ。私語は厳禁」

「ホームランよ、ホームラン」 

 多分意味は分かってなくて、知ってる言葉を口にしただけだろう。 

 どうやら期待は出来そうに無く、怪我だけしなければそれでいい。

「ストライク」

 今度は外角一杯。

 腰が引けていたモトちゃんは、口を開けてサトミを指差す。

「セオリーじゃない」

「ゲッツーよ、ゲッツー」

 意味が違うし、ランナーもいないよ。

 とりあえずグローブはと。


「え」

 鈍い金属バットの音が響き、ボールがグラウンドを転がっていく。

 それに合わせて走り出すモトちゃん。

 サトミも目の前に転がって来たボールを素早く掴み、ファーストへ投げる。

 しかし一瞬早くモトちゃんがベースを駆け抜け、辺りから歓声が上がる。

「よしよし」

 ここはとりあえず、お互い良くやったと褒める場面だと思う。

 何より、怪我が無くて一安心だ。

「……代打、雪野さん」

 勝手に告げる体育教師。

 別に良いけど、何か嫌だな。

「友情よ。友情の力を見せ付けるのよ」

「誰に、何のために」

「知らないし、興味も無い」 

 変なドラマでも見たのか、この人。

 とはいえ今までは守備しか付いていなかったので、少し退屈してたところ。

 友情はともかく、くじで引かれた分だけの働きはするか。

「ユウ、ゲッツーよ。ゲッツー」

 だから、意味が違うって言うの。



 肩で息をし始めているサトミ。

 今まで本当、良く頑張った。

 それは素直に褒めてあげたい。 

 でも今は、敵同士。

 そんな感情は不必要だ。

「本気出すわよ」

 背中に走る悪寒。

 別に彼女の豪速球をイメージした訳では無い。

 コントロールがすっぽ抜けて、頭にボールが飛んでくるのを想像しただけだ。

 ヘルメットは被ってるから大丈夫だとは思うけど、集中はした方が良いだろう。


 先程から変わらない、整い始めたフォーム。

 こちらは十分にためて、まずは一球見極める。

 若干シュート回転の掛かったボール。

 握りから見ても変化球というより、自然な変化。

 いわゆるナチュラルシュートというあれか。

「ストライク」

 淡々と告げる審判。

 軽く足場をならし、ヘルメットを少し上げて構えを取る。

 友達は友達。

 戦いは戦い。

 手を抜くのは却って失礼で、ここは全力で当たる場面。

 今自分達が置かれている状況や心情は関係ない。 

「ユウ、早く打って」 

 そういう問題じゃないっていうの。


 タイミングが狂ったので、一旦バッターボックスを外しリズムを改めて整える。

「プレイ」

 審判の合図と共に構えを取り、やや前傾姿勢で腰を落とす。

 高く上がるサトミの足。

 しなやかに振られる手。

 黒髪が彼女の体を包み込み、白いボールが私めがけて突き進む。

 内側へ入ってくるシュート回転のボール。

 体を開き、肘を畳んでそれに対応。

 一気にステップインして、足場を固める。

 バットから伝わる、真芯で捉えた感触。

 太ももで壁を作り、軸を揺らさず体を回す。

 小気味いい金属音が聞こえたのは、多分かなり後になってから。

 つまりは記憶としての音が、遅れて頭の中で再生された。

 ボールは綺麗な弧を描き、外野の頭上を遥か越えて隣のグラウンドまで飛んでいった。



 ガッツポーズは取らないし、その必要も無い。

 サトミは全力を尽くし、私はそれに応えた。

 ホームランというのは単なる結果に過ぎず、今大切なのはお互いの力と力をぶつけ合った事。

 それでも一応ホームランはホームラン。

 笑顔をモトちゃんに向けるが、彼女はこちらを見てもいない。

 ボールの行方も追ってない。

 マウンド上でうなだれているサトミを心配そうに見ている。

 仲直りをしたとは思えないし、またこれがそのきっかけにもなりはしないだろう。

 それでも彼女はサトミの心を思いやり、自らの心をも痛めている。

 それがこの二人の関係であり、つながりだ。


 ベースを一周し、チームメートからハイタッチで迎えられる。

 モトちゃんもおなざりに手を合わせ、ため息混じりにフェンス際へと戻っていった。 

 なんか、私が悪いみたいじゃない。

「あのさ。ホームランなんだから、少しくらいはねぎらってくれてもいいんじゃない」

「え、ああ。良くやった、偉い」

 かなり適当な、上の空といった口調。

 視線はサトミから離れないが、そこに敵意はまるでない。

 ただ彼女を案じ、憂う感情以外は。

「じゃ、雪野さんは向こうに」

 唐突に告げて来る体育教師。

 また嫌な場面でのトレードだな。

「あの。私、今ホームラン打ったばかりなんですけど」

「3回ずつって言ったでしょ。ほら、みんな大歓迎よ」

 確かに相手チームは、一様に笑顔を浮かべている。 

 これこそ敵意のこもった、獲物を見つけた狼のような笑顔を。


「へ、へろー」

「ナイスバッティング」

「すごいわね」

「本当。で、どうする気」

 そんな事、私に言われても困るんだけどな。

 なんて思ってると、肩で息をしながらサトミがマウンドから戻ってきた。

 どうやら後続はあっさり討ち取れたようだ。

 モトちゃも安堵の表情を浮かべ、そこでようやく私の視線に気付き慌てて顔を反らす。

 本当素直じゃないな。


「お疲れ様」

「2点」

 それだけ呟き、しゃがみ込んでフェンスにもたれるサトミ。

 別に悪意は無いが、決して友好的な台詞でもない。

「だ、大丈夫。2点くらい軽い。誰か、サトミの代打。それとピッチャー変えて」

「雪野さんは?」

「ピッチャーは無理。スタミナが無いし、肩もそれ程強くは無い」

 顔を伏せたまま、冷静に指摘するサトミ。

 実際その通りで、ワンポイントリリーフならまだしも3回投げぬくのはまず不可能。

 また短い距離はともかく、ピッチャーが務まる程の肩でも無い。

「DHなんだし、打つだけでもいいよ」

「いいわ。やっぱりショートに入って。それとそっちは、元野さんがピッチャーで」

 勝手に仕切りだす体育教師。

 私は特に不満も無いが、口を開けたままの少女は一人。

「私、こういう事には向いて無いんですけど」

「全員参加の全員野球。張り切っていこう」

「どこへ」

「そこで白けないで。雪野さん、投げ方を教えてあげて」

 上げても上げないも無いし、何より満足にボールも投げられないと思う。

 大体今は、モトちゃんは敵チームじゃないのかな。

「インターバルに入ります。そっちのピッチャーは誰にする」

 今度はこちらへと向かってくる体育教師。

 それはは任せるとして、今は青白い顔をしているモトちゃんをどうにかするか。

 さすがに、今更敵も味方もないだろう。



 ボールを鷲掴みしてるモトちゃんの肩を触れ、取りあえず覚醒を促す。

 砲丸投げでも、もう少し持ち方があると思う。

「右利きだよね。まずはボールを右手に持って、普通に投げてみて」 

 手というか、腕だけで投げるモトちゃん。

 もう一度投げさせ、軽く足を払いステップを踏ませる。

「ちょっと」

「このくらい勢い良く前に出てね。それと、ボールはぎりぎりまで離さない事」

「離さなかったら、投げられないじゃない」

「屁理屈は聞いてないの。それと体も開く。……固いな」

 少し押しただけで悲鳴を上げて、何やらミシミシと音が聞こえてきそうな感じ。

 酢を飲むと、今からでも間に合うだろうか


「今の感じで投げてみて」

「一度にそんな覚えられる訳無いじゃない」

「いつも私には一遍に言うじゃない。ほら、きりきりやる」

「後でひどいわよ」

 もう聞き飽きたし、今は試合の方が大事。

 それにサトミだけ格好良いというのは、私としても面白くは無い。

「……何してるの」

「投げた」

 ボールはキャッチャーの頭上を遥か越え、バックネットに当たって力なく転がってきた。


 大きく深呼吸して、変に誇らしげな彼女と向き合う。

「もう一度言うよ。ボールは出来るだけ最後まで離さない。振りかぶって、ステップを踏んで勢い良く投げる」

「言うのとやるのとは違うのよ」

「仕方ないな。貸してみて」

 ボールを受け取り、プレートに足を掛けワインドアップに構える。 

 ボークを取る訳ではないので、フォームを気にする必要は無い。


 上体を後ろへ少し反らし、体を横へ開いてグローブの中で握りを変える。 

 反らした体が戻る反動を利用して体を前に移動させ、軸足を保ちながら体重を移動。 

 腕をしならせて前へと運び、体を強くひねっていく。

 最後の最後まで耐えて、狙い済ましてボールを投げる。

 後はマウンドに足を付き、ボールの行方をこの目で追う。

「わっ」

 叫び声を上げてボールを後逸するキャッチャー。

 シンカーと呼べる程の落ち方はしなかったが、多少の落差はあったようだ。

「何、あれ」

「モトちゃんは気にしなくていいの。一応握りだけ教えるか。普通に握りこんで、人差し指と中指で転がす感じ。硬球じゃないから、縫い目はあまり気にしなくていいよ」

 ぎこちない仕草ながら、どうにか投げきるモトちゃん。

 さっきよりはコントロールも定まり、とりあえず届くだけでもましな方か。

「10球くらい練習してから、本番に入るから。相手にぶつけないように気をつけて」

「私に言わないで」 

 じゃあ、誰に言えばいいっていうのよ。



 ようやく試合再開。

 ちなみにサードは小牧さんで、一応鉄壁の三遊間にしておこう。

「モトちゃん、とにかくミットめがけて投げて」

 返事もせずに構えるモトちゃん。 

 ただし私を無視してるのではなく、おそらくは緊張のせいだろう。

 山なりに飛んでいくボール。

 それを芯で捉えられ、グランドでワンバウンドしたボールが矢のように飛んでくる。

 逆シングルでそれをキャッチ。

 即座にグラブトス。

 小牧さんがファーストへ投げ、アウトを取る。


 悪くない連携に気分を良くし、声を掛ける。

「良し、打たせていこー」

「そういう意味だったの」

 なにやら呟いているモトちゃん。

 ただ、周りを見るくらいの余裕は生まれてきたようだ。

 次のバッターは焦りすぎて、あっさりフライ。

「何してるの」

 モトちゃんの問いには答えず、ヘルメットを被り直して打席に立つサトミ。

 低い姿勢とみなぎる闘志。

 モトちゃんも表情を引き締め、一気に集中力を高める。


 疲労、緊張、不慣れ。

 友情、諍い。

 いくつかの感情や思惑、状況。

 今はただ、勝負するだけ。


 やはり山なりのボール。

「ん」

 バットの中央を持って前に出るサトミ。

 速い球ならともかく、これなら彼女でもバンドは可能。

 ただあまり勢いは殺せず、ボールはそれなりの勢いでモトちゃんの前へと転がっていく。

「走って」

 どっちに言ったのか、それは自分でも分からない。

 ベースに向かうサトミ。

 ボールに向かうモトちゃん。

 どちらも真剣で、余計な感情は何も無い。

「アウト」

 無慈悲に告げる審判。 

 ベースを通り過ぎたところで大きく深呼吸するサトミ。

 声を掛けたそうに彼女を見つめ、そのまま背を向けるモトちゃん。


 今までと何も変わらない。

 いや。もしかすると、また違うのかもしれない。

 でも今はお互い口を利かず、目を合わせようともしない。

 二人はそのまま離れていき、すれ違う事すらない。

 その距離は、どこまでも遠ざかる。











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