エピソード(外伝) 32-3 ~舞地さん視点~
先輩 3
「まだ終わってないんですか」
執務用の机越しに声を掛けてくる矢田。
終わってないとは、雪野達の処分。
そんな事忘れてたとは言わず、適当に頷く。
「舞地さんの気持ちも分かりますが……」
「どう分かるの」
後ろから響く虎の息吹。
矢田は即座に口をつぐみ、目線を伏せた。
自警局局長だろうと、所詮は高校生。
生死に関わる日々を過ごしてきた柳の敵ではない。
ただ無闇に脅す必要もないし、私としてはいちいち相手をするのが面倒という理由もあるが。
軽く咳払いをして矢田は間を取り、スケジュール表を見せてきた。
「規則改正は、すでに始まっています。今後は遅延のない進行をお願いします」
「雪野達は、阻止すると言ってるが」
「その彼女達を処分するのが、皆さんの役目です」
「勝手な事を」
小声で文句を言う柳。
彼を軽くたしなめ、矢田には頷く。
今の自分は、自警局局長直属の立場。
理不尽な指示だろうと、従う必要はある。
「では、お願いします」
「分かった」
「何も分からないよ」
自警局内を歩きながら、柳を軽く睨む。
外見的には成長したが、中身は未だに子供。
感情の方が先走る。
「言う事を聞く必要はあるの?」
「立場上はある」
「納得出来ないな」
「世の中、自分の都合だけでは動いてないんだ」
私達は比較的、それを押し通してきた人間。
だから柳がこの事態に違和感を感じるのも当然。
私も納得はしていない。
しかし矢田達の言う秩序の大切さも、身をもって知っている。
荒廃した学校がいかにひどい物か。
そこに通う生徒の悲惨さ、沈痛な面持ちも。
それを打破する力を持つのは、自分達ではない。
だからこそ、今は耐える。
彼女達の力を確かめるためにも。
その力を示す場を作るためにも。
スティックを杖代わりに、オフィスへと入ってくる雪野。
きっかけは本人も良く分かってなく、精神的な負荷が原因で視力の低下を招くらしい。
今は輪郭がおぼろげに把握出来る程度と言うが、動きを見ている限りは普段と何も変わりない。
「っと」
机から転がり床へ落ちていくペンを、雪野はその手前で拾い上げた。。
見えていてもここまで反応するのは難しい。
それだけ集中していると言うより、感覚が研ぎ澄まされているのだろう。
視覚ではなく、聴覚、触覚、皮膚感覚。
それらが、私達とは全く違うレベルになっているはずだ。
「ここに、イチゴキャンディ無かった?」
急に出てくる怖い声。
思わず飴を噴き出しそうになり、小さく手を振る。
遠野は軽く頷き、雪野の手元にチョコキャンディを放り込んだ。
「これ、チョコでしょ」
「あなた、指先に舌でも付いてるの?」
「匂いで分かる」
「飴の匂い?」
顔を近付けるか、香りの強い物なら私も分かる。
ただこれは密封されていて、袋に顔を寄せても匂いは何も感じない。
とにかく、早く飴をどうにかした方が良さそうだ。
「誰か食べてない?」
「気のせいでしょ。イチゴのグミならあるわよ」
「そういう柔らかい気分じゃないんだけどね」
と言いつつ、口を開ける雪野。
遠野はそこにグミをそっと入れて、終わったとばかりに手を叩く。
「はは、美味しい」
「気楽な奴だ」
鼻で笑っている浦田を睨み、書類に目を通す。
H棟隊長の解任は、ほぼ決定。
ただし報告書を読む限り、旧連合と自警局内での話し合いによる合意。
その上にある組織。執行委員会の文字は書かれていない。
つまりそちら側から否定されば、この合意は一瞬にして反故となる。
「ぱっとしないわね」
私が読んでいる書類に対しての感想を漏らす映未。
とはいえお互い、話し合いで全てが解決するとも思ってはいない。
だからこそ私達はワイルドギースと呼ばれ、今もこの場所にいる。
「少し出かける」
映未を伴って訪れたのは、自警局自警課。
ガーディアンを統括する部署で、課長の立場はある意味局長よりも上。
その気になれば、私兵としてガーディアンを扱える。
「H棟の件、ですか」
私達にお茶を勧め、少し表情を曇らせる北川自警課課長。
沙紀と同級生で、こちらは典型的なエリートタイプ。
ただ嫌味な感じは特になく、むしろ優秀さが前に出てくる感じ。
人によっては、それを嫌味と感じ取るかもしれないが。
「報告書でも読まれたと思いますが、旧連合。元野さん達との協議では、一定の合意をいます。ただご想像の通り、これは私達だけでの合意。執行委員会の意向は含まれていません」
「前島君は。彼も協議に参加してるんでしょ」
「協力的ではありますが、彼は保安部や執行委員会の主流ではありませんからね。出している意見も個人的なもので、執行委員会の意見を代弁してる訳ではありません」
「余り物ばかりか。どうしようもないわね」
自嘲気味に呟き、ティーカップを手に取る映未。
北川は何も言わず、机に置かれた書類の山に視線を落とす。
自分達が積み上げた成果。成し遂げた事。
それが無意味になるかもしれないと分かっていて、だけど努力を重ね続ける。
何のために。
私でなくても、抱く疑問。
ただ、誰もがその答えは分かっているはずだ。
「矢田君は」
「同席はしていますが、発言は特にありません。完全に執行委員会ではないというポジションを示すつもりでしょう」
「それこそ、彼を代えれないの」
「局長の解任ですか?リコール制もありますが、おそらく相当混乱しますよ。旧連合が解体されてもあの程度で済んだのは、塩田さんがそれに従ったからです。せいぜい、雪野さん達が生徒会の特別教棟に殴り込んだくらいで」
それだけでも十分だとは思うが、この際はよしとしよう。
確かに教棟の隊長解任だけでも、これだけの時間と手間を掛けている。
また、それすら可能かどうかも分からない。
だとしたら、局長の解任など夢のまた夢か。
話し合いでなら、という但し書きも着くが。
「力による制圧は、現在の学校の方針となんら変わりないと思いますが」
軽く釘を刺してくる北川。
言っている意味は分かるが、現実を見据える必要もある。
どうして学校や生徒会の意向が、スムーズに通るのか。
それは彼等が、力を持っているから。
様々な許認可の権限。
停学や退学の決定。
進路や就職の斡旋。
逆にそれらへ対抗するには、こちらも身を固める必要がある。
「学校外生徒を差別するつもりはありませんが、彼等の行動基準を認めてもいません。基本的には、話し合いで解決すべきです」
「解決する?」
映未の質問に、北川は自信にあふれた表情で頷いた。
今までの話の経緯を無視した、何とも清々しい表情で。
「信念があるっていいわね。それとも、仲間への信頼かしら」
「どうでしょう。現実を見据えてないだけかもしれません」
「いいわ。どちらにしろこの問題は、あなた達に任せてあるんだから。それに、あなた達の学校なんだから」
「舞地さんと池上さんの学校でもあります」
真剣な顔でそう指摘する北川。
私達の学校、か。
確かに在籍期間は、すでに2年近く。
思い入れも愛着もある。
ただそれは、自分の学校と呼べる程だろうか。
胸を張って、草薙高校が私の母校と呼べるだろうか。
何より、その資格があるのかも分からない。
「話は理解した。後は任せる」
席を立ち、逃げるようにしてドアへと向かう。
北川も、それ以上声を掛けては来ない。
私も期待はしない。
だけど、その言葉だけが胸の中へと残る。
オフィスへ戻る途中で、愛想のない顔に呼び止められた。
そのまま後に付いて行き、この寒い時期屋上にとやってくる。
特別教棟にも、屋上があったのか。
「暖かい」
北風に吹き晒されるのは楽しくないため、アクリル板で囲まれた一角で一休みする。
冬の頼りない日差しでも、風がなければ十分に暖かい。
これで猫でもいれば、申し分ないが。
「疲れたよ、僕は」
それこそ、人生に疲れたとでも言い出しそうな沢。
一体、何の話をしてるんだ。
「僕への依頼、忘れたとか言わないだろうね」
「依頼?依頼なんて、……忘れる訳がない」
そんな事、今言われて思い出した。
目付きが一層悪くなったが、やはり構わないでおく。
屋根もあるし、これからはここで寝てもいいのかな。
「彼女、落ち着きが無いんだよ」
「今更、何を」
「それにしては勘が鋭くて、何度も気付かれそうになった」
「フリーガーディアンが、情けない事言わないでよ」
ころころと笑い、アクリル板越しに景色を眺める映未。
東には、すぐそばに熱田神宮。
西は彼方に山の尾根。
それらは白く雪化粧を施していて、空気が澄んでいる今はその色がより鮮やかに見えている。
「僕の事、話してないよね」
「まさか」
「だろうね」
どっちなんだ。
しかし雪野の勘が鋭くなってるのは確かで、最近の行動を見てればそれは私にも理解出来る。
「ただ、目は相当悪いみたいだよ。殆ど、見えていないんじゃないかな」
「病院には行ってるのか」
「行って治る部分でもないらしい。気長に待つしかないね」
「何を悠長な」
端末を取り出し、兄のアドレスをコールする。
私から連絡を取るのは、いつ依頼だろうか。
「……真理依です。……いえ、そうではなく。……眼科を紹介して頂きたくて。……知り合いが治療をしているのですが」
「神経外科」
「神経外科も一緒にお願いします。……ええ、またいずれ。……はい、失礼します」
通話自体久しぶりの気もするが、なんか事務的な内容に終わってしまった。
ああ、病院の名前を忘れてた。
「もう良い。後は私で連絡をしておくから。沢君は、雪ちゃんの護衛を続けて」
「疲れたよ、僕は」
「死にはしないわ。それと、報告書の提出が遅いわよ。当日の分は、当日に出しなさい」
「本当、全部俺の責任だ」
頼りなく呟き、人ごみの中へと戻っていく沢。
そちらは任せるとして、私も一度病院へ行くか。
「病院って、どこ」
「今案内します。……名雲君?すぐ、車の用意して。……私の都合よ、私の。……そう、分かれば良いの。……正門に回して。はい、はい」
「花で良いのかな」
「お見舞いじゃありません」
怒られた。
とはいえ人間、何事にも向き不向きがある。
物事を取り仕切るのは私の分ではない。
では、何が私の分かと言われればかなり困るが。
消毒の匂いと、白衣姿の男女。
やつれた顔と包帯に松葉杖。
当たり前だがあまり親しみやすい光景ではなく、用がなければ立ち入りたくもない。
「担当医が会ってくれるって。でも、何か笑ってたわよ」
「雪野はそういう子だ」
「ちょっと違うと思うんだけど」
建物の上の階にある医局。
そこの教授室なる部屋へと入り、お茶とお茶菓子を勧められる。
「彼女は有名人のようですね」
何とも楽しげに笑う医師。
別に私はおかしくないが、映未も一緒になって笑っている。
「紹介状が、二通。一つは以前に頂いたもので、もう一つはつい先程」
「彼女のお兄様です」
「矢加部財閥と、舞地財閥ですか。では、この雪野さんとは」
「小さいだけが取り得の女の子です」
冗談っぽく告げ、兄からの紹介状に目を通す映未。
私はもう一方を手に取り、送り主を改めて確認する。
矢加部といえば雪野と対立していると思っていたが、どういう風の吹き回しだ。
「海外の眼科医にも映像で診察をしてもらっています。ただ、どちらにしろ効果的な治療法はないのが現状ですね。徐々に回復するのを待つしかありません」
「悪化する懸念は」
「少しずつですがデータ上では回復してますから、特に心配はないでしょう」
「今でも見えにくそうなんですが」
この質問は多分、本人や家族から嫌というほど聞かされているんだろう。
医師は多少事務的な顔になり、モニターへいくつかのデータと視神経の構造図を表示させた。
「神経外科医や精神科医とも相談した結果、やはり精神的な負担が視力に影響を及ぼしているようです。明確な有意差も現れています」
「精神的な負担」
「疲れれば、誰でも弱い部分に症状が出やすいですよね。肩こり、頭痛、胃の痛み。彼女の場合は、それが視力になってると思われます。出来るだけ周りの人も、負担を減らすよう努力はして欲しいのですが」
多分これも、何度となく言っているんだと思う。
どちらにしろ、本人があれでは周りがどう気遣おうと無意味な気もするが。
「金銭的な負担は大丈夫なんでしょうか」
「ほぼ健康保険でカバー出来ますし、学内での事故だったのでそちらからの保証金が降りています」
それは余計な心配だったか。
どちらにしろ、これ以上私に出来る事はなさそうだ。
「分かりました。では、今後もよろしくお願いします」
「ええ。それと、精神的な負担はくれぐれも避けるように。次は腕の注射では済まないと言っておいて下さい」
やけに低い声を出してきた医者から逃げ出し、エレベーターへと向かう。
「精神的な負担ってなんだ」
「さあ。生きてる事自体ストレスって話もあるし、逆にストレスがなければ死ぬって言うわよ」
なんだ、それは。
しかし過保護になっても仕方ないが、厳しく接するのも問題か。
ガラス細工に触れるような扱いでもしろという事かな。
「あら」
エレベーターに乗り込み、軽く会釈をしてくる女の子。
気が強そうで、綺麗な身なり。
どこかのお嬢様風というか、間違いなくお嬢様だと思う。
「矢加部さん、だったわよね」
私が記憶を辿るより早く、挨拶をする映未。
向こうも少し笑顔を浮かべ、改めて会釈をした。
「どなたかのお見舞いですか」
「いや。雪ちゃんの症状を聞きにね。あなたも、彼女に眼科医を紹介したとか」
「玲阿さんに頼まれまして。ただ、それだけの事です」
少し棘のある口調。
表情も固くなり、一気に機嫌が悪くなった。
「あなたは、お見舞いに?」
「ええ。財団の関係で、ボランティアを少し」
社会的地位にある家庭に生まれた故の義務だろうか。
兄や華蓮も、その手の団体の代表や役員に名を連ねている。
パーティに顔を出したり、その団体の趣旨に沿った模範的な行動をしたりと忙しいらしい。
私も名義だけは使われているが、自分達にとって必要でない限りは関わっていない。
一方この子は自分に課せられた使命や義務を果たしている。
雪野は何かと嫌っているが、その意味においては尊敬に値する。
「猫は」
「は」
笑顔のまま固まる矢加部。
少し、途中を省きすぎたか。
「前言っていた、猫の収容施設は」
「どうにか目途は付きました。里親やアニマルセラピーで資金をある程度得て、足りない分を皆様方の寄付に頼ろうと思っています。今後は名古屋だけでなく、各都市に展開するよう検討しています」
そこまでは頼んでいないが、やってくれるならむしろ助かる。
野良は野良の自由があるにしろ、好きで野良をやってる訳でもない。
食べる物と住む場所がるのは、それだけで幸せだ。
「食べられれば、それでいい」
「え」
再び固まる矢加部。
説明するのも面倒だし、私も良くは分かってない。
「とにかく、舞地家としてはこれからもその施設及び活動に対しては援助をしていきます」
私に代わって答える映未。
勝手な約束のようでもあるが、彼女は私よりも父や母達と連絡を取っている。
つまり、彼女に任せておけば問題は何もない。
「分かりました。それと、今度国会議員が視察に見えると聞いてますが」
それは私も知っているが、舞地家とは特に関わりはない。
グループとして支援していたり議員として活動しているのは、国防や金融族が中心。
教育族はいなかったはずだ。
「暗にプレッシャーを掛けてきた訳ではないんですね」
「舞地家の関係に教育族はいないし、コネクションもないわよ。あなた、そこまで気を回してるの?」
「草薙高校は教育庁の直轄といっても良い学校。その意向は十分に把握すべきでしょう」
「お嬢様はどっしり構えていれば。この子みたいに」
人の頭をぺたぺたと叩く映未。
で、誰がお嬢様だって。
「私も構えたいところですが、少なくとも学校からの圧力は生徒会に掛かっています。その学校への圧力は、理事会。高嶋家や教育庁に発端があると考えるべきでしょう」
「あなたも苦労してるのね。少し見直したわ」
「別に私は」
「理解されようってタイプじゃなさそうだ物ね、あなた」
明るく笑い、彼女の頭を撫でようとする映未。
しかしその手は途中で止り、映未は素早く後ろへ飛びのいた。
「その子は、私の管轄下にある。気安く触らないで」
映未の手を遮った木刀がこちらを向き、切っ先が徐々に大きさを増していく。
私も素早く警棒を抜き、映未をかばいつつ木刀と対峙する。
肌で感じる、相手の実力。
体が押しつぶされそうな威圧感。
視線の先には、照明に黒髪をきらめかせる侍が立っていた。
「恥ずかしいから、止めて下さい」
「暇なのよ。お見舞いはもう終わった?」
「滞りなく。どうも、申し訳ありません」
深々と頭を下げる矢加部。
その後ろでは、侍を連想させた女が気楽な笑顔を浮かべていた。
確か名前は鶴木。
玲阿とは遠縁で、実戦系剣術の宗家と聞く。
「大体あなたには、遠野さんと元野さんがいるでしょ」
「可愛い子と綺麗な子は、全部私の配下に置くのよ」
「そんな冗談、通じると思ってる?」
一体、どっちの話が冗談だ。
しかもお互い、半分以上は本気と来ている。
「もういい。二人とも離れろ」
「ちっ。助かったわね」
「そっちこそ」
病院なので怪我をしても問題はないが、勿論していい訳でもない。
「それで、雪野さんだった?彼女の調子はどうなの」
「可もなく不可もなく」
「意味不明ね。どちらにしろ、私の敵じゃないわ」
どうも言ってる事が分からないというか、その価値基準について行けない。
大人しくしていれば綺麗な女の子で通るんだろうけど、この雰囲気は紛れもなく侍。
戦国の世に生まれていれば、女武将として名を馳せたかも知れない。
「真理依が言うには、今の雪ちゃんは達人に近いって」
「見えて無くても、気配で戦うんでしょ。確かに並じゃないわね」
「でも、あなたは勝てるの?」
「私は、誰にも負けないのよ」
これ以上は、話さない方が良さそうだ。
睨み合ったままの二人を放っておき、病院の駐車場へとやってくる。
そこにいたのは名雲。
そして、御剣。
これだけの大男が二人揃うとかなり圧倒されるし、自分の小ささが嫌でも目立つ。
「鶴木さんは?」
「すぐ来る。それまで待ってろ」
「仰せのままに」
やるせなくため息を付き、背中を丸めて歩き出す御剣。
どう考えても彼の方が強いだろうし、見た目の迫力も段違い。
しかしそこは物理的な強さ以外に、精神的な何かが作用しているのだろう。
「俺は同情するね、あいつに」
そんな名雲を軽く睨み、車に乗り込もうとしたところで後ろを振り返る。
大きな笑い声と、センサー音。
どこかで、盗難防止装置が作動した。
それも故意に。
姿を隠す事もなく車の間をすり抜け、音と笑い声がする場所を見つける。
高級外車を取り囲み、それを蹴りつけている何人かの男女。
仮に自分達の車でも褒められた行為ではなく、他人の車なら論外だ。
「うるさいな、お前ら」
機嫌の悪さを剥き出しにして声を掛ける名雲。
男女は別な獲物を見つけたとばかりに、彼へと近付いてくる。
そこですぐに、気付く。
彼の体格。雰囲気、迫力。
自分達とは異質な存在だと。
「お、俺の車に何をしようと勝手だろ」
「蹴るなとは言ってない。うるさいと言ったんだ」
とりあえずはまともな反論。
ここは草薙大学医学部の大学病院も兼ねている。
そこに通う金持ちの子弟がやった、性質の悪い遊びという事か。
「お、お前に迷惑を掛けたのか」
「そ、そうよ。どうせ、ひがんでるだけでしょ」
「格好悪いぜ」
勢いを取り戻したかのように起きる笑い声。
名雲も薄い笑顔を浮かべ、反対側から近付いてきていた鶴木達に手を振った。
「この車、壊して良いそうだ」
「何の冗談?」
「許可は得てる」
勝手な事を言い、フロントガラスにミドルキックを叩き込む名雲。
砕けたガラスが辺りへ飛び散り、車内も当然ガラスまみれとなる。
「お、おい。何を」
「構うな。やれ」
「あなた、ひどいわね」
にやりと笑い、下段に構えた木刀をドアへ突きつける鶴木。
穴こそ開かないがフレームは完全に歪み、おそらく二度と開かなくなった。
「おかしいな」
「こうですよ、こう」
ボンネットにめり込む、御剣の拳。
一つ、二つ、三つ、四つ。
規則正しく穴がうがたれ、なにやら液が吹き出てきた。
「馬鹿じゃないかしら」
顔を押さえ、疲れ切ったようにため息を付く映未。
それは同感だが、自業自得で同情の余地はない。
自分達の存在を誇示するのなら、もう少し別な方法もあっただだろう。
「いい加減にして下さい」
さすがに低い声を出して怒る矢加部。
今度こそ穴を開けるのに成功した鶴木は空に突き上げていた拳を引き戻して、どこかへと逃げ去った。
「全く。武士さんも帰りますよ」
「はいはい。裏返したかったんだけどな」
「どうやって。ほら、早く」
犬を追い立てるように手を振る矢加部。
御剣も、すぐに鶴木が消えた方へと走っていく。
「ま、待て。こ、この車どうする気だ」
血相を変えて詰め寄る男。
車は破損どころではなく、全壊といった方が正しいくらい。
連中も、ここまで壊す事は想定してなかったはずだ。
しかし矢加部はそれを一瞥しただけで、何も言わず彼等の横をすり抜けた。
「ま、待てよ。こ、この車を」
「こんな安物、買い換えるまでもないでしょう。みっともないですわよ」
鼻先で笑い、コートを翻して去っていく矢加部。
何が「ですわよ」かは知らないが、本気で言ってるのだけは理解出来た。
「さて、第二ラウンドか」
上着を脱いで、袖をまくり出す名雲。
こっちはこっちで本気だから嫌になる。
「あなたもいいのよ。ほら、早く車出して」
「ここから面白くなるんだけどな」
肩をすくめ、少し離れた所にあった自分の車へと向かう名雲。
私達も彼に付いていくが、もう声が掛かる事はない。
男女は呆然と立ち尽くし、壊れきった車をただ眺めるだけで。
何分、相手を見る目は養った方が良さそうだ。
翌日。
呼び出しを受け、自警局局長室へとやってくる。
H棟での活動は順調で、叱責を受けるようなトラブルも起こしてはいない。
つまりは、それ以外の目的。
いや。H棟は関係あるが、治安維持以外の目的で呼び出されたと考えるのが妥当だろう。
執務用の机には矢田。
その隣に、小谷。
彼等の前に、前島。
そして保安部の責任者に就任したという、金髪の傭兵。
「ご苦労。H棟での活躍は聞いている」
毒蛇が口をきけば、多分こんな感じになると思う。
そんな私の感情を理解してか、男は口元を横に裂いて下品な笑い声を上げだした。
「そう怒るな。今は俺の方が上にいるんだ。それに、無理な命令もしていない」
「お前と話し合う気はない。矢田、呼び出した用件は」
「H棟ではなく、旧連合についてです。隊長解任を自警課課長と相談しているようですが、それに付いてご意見は」
視線を交し合う、映未と名雲。
漠然とした、ただ慎重を要する質問。
問題は、こちらがどう返事をしようと向こうはすでに答えを決めている事か。
「協議の内容を参考にして、H棟隊長は解任します」
これは元野達からも聞いている、決定事項。
ただし、話には続きがあるようだ。
「後任に付いては、我々が決めます。異存は」
「あるといったら?」
相当に嫌な顔をする矢田。
やはり、表情を隠す余裕もないらしい。
「これは命令で、拒否は認めません」
「だったら聞くな」
「……後任は、舞地さん。あなたにお任せします」
唐突な、ただ当初からある程度は予想出来た内容。
私を隊長に据えれば、雪野達との対立は必死。
仮に断れば、ガーディアンを解任。
例の契約も盾に取ってくるだろう。
「分かった」
即答し、呆気に取られる矢田へ詰め寄る。
別に脅す訳でも、殴りかかるつもりもない。
机にあった、私に渡すはずの書類を受け取っただけだ。
「あ、あの」
「他に、何か」
「い、いえ。頑張って下さい」
「言われるまでもない」
背中に突き刺さる鋭い視線。
それを無言で跳ね返し、書類を握り締める。
馬鹿げた茶番。
人を駒のように扱い、高みの見物を決め込む輩。
その報いは、いずれしっかりと受けてもらう。
オフィスに戻り、雪野達をパトロールに出して先程の書類を机に置く。
「少しは交渉でもしたら」
「して、どうなる」
「努力した気分になるじゃない」
鼻先で笑い、書類をめくる映未。
表情は固く、いつもの軽さはどこにもない。
それは名雲も同様で、放っておけばその辺の物を叩き壊しそうだ。
ただ私の独断で決めてきたが、誰も異議は唱えない。
私が彼等をまとめているからではなく、その決定を正しいと思ったから。
逆に間違いだと思えば、当然意見を述べるか敵に回る。
敵に回った事は、今までないが。
「雪野さん達はなんて?」
「まだ話してない。一応、元野には通しておく」
「なんか、危ういな。名雲さん、護衛してた方がいいんじゃないの」
「過保護だろ」
そう言いつつも腰に警防を提げ、銃を上着の内側へとしまう名雲。
発射されるのはスタンガンが仕込まれていたり、金属製であったりする。
当たれば怪我では済まないが、こちらもそれだけの危険に晒されている事の裏返しである。
「元野達は任せる。緒方か、あれが確か元傭兵だろ。彼女も使え」
「分かった。柳、お前もここから離れて護衛だ。ただし、隙は作るな」
「作るように見せかけるの?雪野さん達用?それとも」
「あいつらが不意打ちを仕掛けてくるとは思えん。学校側の動きに注意しろ」
「分かった」
柳も上着の下に銃を隠し、袖口に何かをしまい込む。
動きが早いのと角度が悪くて見えないが、細いナイフだったはず。
手首と指先の動きでそれを出し入れして、刃物を持ってると悟らせず相手を攻撃するためのもの。
この学校では必要ないと思っていたが、物事は大抵予想の上を行く。
その予想はまた、悪い方へ傾くのが慣わしだ。
来客を告げるセキュリティ。
ドアの左右へ走る、名雲と司。
通話を映未に任せ、自分も警棒に手を添える。
「……ええ、入って」
問題無しとのハンドサイン。
それでも名雲達はドアの死角に移動する。
モニターで見える範囲には限界があり、カメラの外から走り込んでくる可能性も無くはない。
それを踏まえて問題ないと映未は判断したのだろうが、今となっては警戒しすぎてしすぎる事も無い。
「失礼します」
入ってきたのは前島。
H棟へ一緒に派遣されたはずだが、彼はここより元野達との会合に参加する機会が多かった。
まさかその事を謝りに来た訳でもないだろう。
「今回は力不足で申し訳ありません」
いきなりの謝罪。
ただその意味はここを留守にしていた事ではなく、H棟隊長に付いての事だろう。
解任までは良かったが、全ての協議結果を破棄して私を隊長に据えるとは誰も想定していなかったはず。
それを止められなかった事への謝意か。
「あなただけが悪い訳でもないでしょ。決めたのは矢田君や執行委員会なんだろうし」
「あの協議に参加していて、何も成果を残せませんでした」
「生真面目ね、随分。木之本君と気が合うんじゃない」
明るく笑い、首から提げているネックレスに触れる映未。
父から送られた青、母からの赤。
二人から送られた緑の三種類の宝石が付いている。
今日はその内の緑で、色は違えど付けていない日は無い。
「それに智美ちゃんや木之本君の力不足って事でもあるわ。即断即決。自警局を素早く押し切れば、また違う結果が出た可能性もある」
「協議自体紛糾する場面もありましたから、これでも早いくらいだと思います」
「可能性って言ったでしょ。それにこのシナリオを書いた人間の意図は、また違うはずよ」
「シナリオというのは、学校や執行委員会の事ですか?」
前島の質問に、ゆっくりと首を振る映未。
無論学校もシナリオを描いてはいるが、映未が今指しているのは別な人物。
その学校のシナリオを、読みにくい字で上書きしようと企む奴の事だろう。
「一見押し切られてるように思えるけど、それ程悪い状況でも無いわよ」
「旧連合幹部と皆さんを処分するという部分に関しては?」
「そうならないよう努力する。なってもいいよう、事前に根回しをする。そのどちらも、私達は怠ってない」
きっぱりと答える映未。
また、そうなってもいいだけの覚悟を持つべきか。
私は軽く胸を叩き、前島に指を向けた。
しかし彼は何の反応もなく、苦い顔で机を睨み付けるだけ。
私達とは違う立場。
そして同じく、契約というものに縛られる立場。
自分の力不足を嘆き、ふがいなく思うのは良く分かる。
ただ、落ち込んで何が解決する訳でもない。
「えっ」
戸惑い気味の顔で胸を押さえる前島。
私は彼の胸に添えた手を戻し、自分の頭に軽く触れた。
「えへ」
むせかえす映未と名雲。
司も口を開けたまま、呆然と立ち尽くす。
場の空気を変えようとしたんだけど、あまり効果的ではなかったらしい。
というか、今更ながら恥ずかしくなった。
「何が、えへ。よ」
「場を和ませようと思っただけだ」
「逆効果じゃない。何をしたいの、何を」
そんな事、私が知りたい。
後輩を気遣うなんて、少し柄ではなかったか。
「咳が出るなら、病院でも行ってきなさい」
「もういい。……私が隊長、か。少しまずいな」
「少しどころじゃないわよ。第一、雪ちゃん達にはどう説明するの」
私に言われても困るし、特に何も考えていない。
最善の方法は何か。
私達が退学になるのは、大した問題ではない。
しかし、彼女達に後を任せられるだけの力がなかったら。
「説明は必要ない。彼女達を追い込んで、力を見る。向こうが勝てばそれで良し。駄目なら、私達で学内を占拠。執行委員会を壊滅させ、反抗する傭兵を駆逐。ガーディアンも同様。その後の処理は、沢に任せる」
「本気?」
「私一人でも」
「私達、でしょ」
肩に回される腕。
頬に頬が触れ、吐息が掛かる。
私も映未の髪を軽く撫で、その気持ちに応える。
私の思いは、彼女の思い。
例え離れ離れになったとしても、その気持ちは変わらない。
「やってろ。大体沢は、承諾してるのか」
「なるほど。少し話をしてくる」
教棟の中庭。
いつの間にか周りに集まってくる猫達。
煮干しを適当にばらまき、目付きの悪い白い猫の頭を撫でる。
「ふーっ」
毛を逆立てて怒ってくる白い猫。
どうも、誰かを思い出すな。
「猫と僕と、どっちが大事なのかな」
猫。
とは言わず、残りの煮干しも撒いて手を払う。
沢は仏頂面で足元に群れている猫を見下ろし、それとなく距離を置いた。
「猫が苦手とか」
「そうじゃないけどね。君に懐いてるから、襲われるかも知れない」
「猫にそういう情はない。それで、話だが」
簡潔に先程の話を説明し、彼の言葉を待つ。
沢は驚きもしなければ怒りもせず、微かに頷いて同意の意志を示した。
「多分それはみんなの本意ではないけど、君の考えは理解出来る。今までやってきた事はなんだったのとは思うが」
「気持ちや心情は関係ない。今必要なのは、現実に対応する力だ」
「契約は?」
「それに優先する」
今まで相手の不義や不正以外で、契約を破棄した事はなかった。
最後の最後で、自分の意志で契約を破棄する可能性が出てくるとは思ってもみなかった。
また雪野達が私の期待に添っても、契約不履行となる。
どちらにしろ、最後に汚点を残すという訳か。
「今から後悔を?雪野さんを信じられないかな」
「気持ちは心情は関係ないと言った」
「なるほどね。とにかく、彼女の護衛は続けるよ。H棟の件に絡めて、学校も仕掛けてくるようだし」
「任せる」
隊長就任を雪野達に告げ、H棟からガーディアンを全員退去させる。
放課後になれば、同時に一般生徒も。
あの調子なら、今すぐここに来てもおかしくはない。
「真理依一人で大丈夫なの?」
「私が相手にするのは、雪野一人だけ。問題ない」
「信頼してるのか、なんなのか。第一、来る?」
それには何も答えず、警棒を机の上に置き不具合がないかチェックする。
映未も分かっているだろう。
雪野という存在を。
そんな彼女を利用しているかもしれない、今の自分達。
だからこそ、私は全力でそれに応える以外に方法はない。
「ちょっと、様子見てくるわね」
「止めろ」
「大丈夫、見てくるだけだから。すぐ戻る」
その言葉通り、血相を変えた映未がドアから飛び込んできた。
「か、鍵掛けてっ。銃、銃はどこっ。名雲君と柳君はっ」
「落ち着け」
「お、落ち着け?あ、あの子、私を殺そうとしたわよ。いいや、あの目は本気だった。間違いなく本気だった」
一人興奮し、本棚を動かそうとする映未。
しかしここはキャスターをつけてないので、彼女が押したくらいでは揺れもしない。
「なによ、これ。……ああ、部屋が違うのか」
「馬鹿。それと、どうした」
「雪ちゃん、棒持ってるじゃない。スティックって言うの?あれをもらおうと思ったら、親の敵みたいな顔をされたわよ」
その状況を思い出したのか、肩を押さえて身震いする映未。
あれは玲阿に作ってもらった、いわば思い出の品。
その二人の関係を考えれば、何があろうとスティックを渡す事はない。
特に今は、そんな冗談も通じないだろう。
「本当に、殺されるかと思ったんだから」
「もういい。それで、雪野達はどうだった?」
「どうもこうも、私を殺そうと」
これがワイルドギースにその人ありと言われた、池上映未か。
北米軍のシステムに侵入し、教育庁をも手玉に取っていた姿は見る影もないな。
「話は分かった。これで確実に、雪野はここに来る。相当の恨みも持って」
「私の狙い通りじゃない」
今思いついたな、この台詞。
大体、誰が相手にすると思ってるんだ。
言うまでもなく、それは私。
サングラスをしていてこちらからも瞳を見えはしないが、おそらくは目を閉じているはず。
それでも私の攻撃を的確にかわし、決定的なダメージを与えれらない。
しなやかな布を叩いているような気分。
加えて、こちらの動きを完全に読みきられている。
目は見えていないはずで、実際顔は俯き加減。
それでも私の打撃は意味を成さず、連打でダメージの蓄積を狙うのが限界。
以前は、明らかに自分の方が強いという自信があった。
今日この瞬間までは、まだその気でいた。
本気を出せば勝てる。
加えて、視力というハンディ。
だがそれは、私の勘違い。
彼女は、私程度では及ばない存在になっていた。
本人がそれを、どこまで自覚しているのかは分からない。
だけど、後を託すには十分な程の強さを備えているのは間違いない。
私が、今更でしゃばる必要もない。
それは彼女達との別れをも意味するが、後悔もない。
少しの寂しさと切なさが、胸の中に去来するだけで。
こうして彼女と向き合うのも、これが最後かもしれない。
右肩に走る強烈な痛みを感じながら、ふとそんな事を思っていた。
右腕を肩から吊り、左腕には松葉杖。
全身に包帯が巻かれ、ガーゼが張られた。
歩けない事はなく、苦痛で涙が流れるという程でもない。
熱を帯び火照った体に、冷たい夜風が気持良い。
「大丈夫?」
何とも心配そうな顔をする映未。
問題ないとばかりに腕を振ると、松葉杖が一緒に揺れた。
どう見ても、大丈夫な状況ではないか。
「でも、よかったじゃない。雪ちゃんも成長してたし」
「どうだか」
少し笑い、彼女が言い放った言葉を思い出す。
以前の契約を破棄して、私達と改めて契約を結ぶ。
その責任は全て自分が追う。
あまり賢いとはいえない、だけど私達を思う気持が伝わってくる言葉。
言いたい事はいくらでもあるが、今は彼女の気持に甘えるとしよう。
私が頑張らなくても、一人で必死にならなくてもいい。
私が思っている以上に後輩達は成長し、自分の力で歩き出している。
それを手助けする必要も、もうないだろう。
「卒業までは残らないといけないし、大変よ」
「それもいいだろう」
「何がいいんだか。それに、殴りあう必要はあったの?」
おそらくは無かっただろう。
強いて言えば、あの場の雰囲気。
お互いの気持が通じ合ったからこそ。
私と雪野。どちらが上か。
それを決める必要は少なくともあったが。
誰がリーダーで、誰がボスか。
狼なら、このくらいはするだろう。
お互い、狼と呼ばれるには多少迫力不足ではあるけれど。
「それにまだ終わってないわよ。執行委員会や保安部はクレームをつけてくるだろうから」
「何とかする。自暴自棄になるつもりも無い」
「卒業までは残るって契約だから?」
「勿論」
夜空に瞬く無数の星。
冷たい夜風。
昔はそれに寂しさと切なさを感じていた。
でも今は、暖かな気持で空を見上げられる。
私を支えてくれる映未。
後に続く者達。
その思いが私の心を和らげ、暖めてくれる。