表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第32話
352/596

32-5






     32-5




 教室で筆記用具を並べていると、サトミとモトちゃんが一緒にやってきた。

 顔は笑ってるが、目は笑って無いという嫌なパターン。 

 誰が原因かは、この際考えないでおく。

「あなたね」

「いいじゃない。頼りにされてるんだから」

「恥ずかしいのよ、本当に」

 絞り出すような声で訴えてくるサトミ。

 しかし彼女も、それを断らないくらいの人間性は兼ね備えている。

 逆に言えば、私の知り合いで断るような人はいないだろう。

 いや。一人いるか。

 それとも、寄り付いてこないかな。



「おはようございます。雪野さん」

 朝から、やたら丁寧に挨拶をしてくるケイ。

 いつに無く刺々しくて、敵意に満ちている。

 この子には声を掛けないと思ってただけに、少し意外だな。

「朝から大名行列をやる趣味は無いんだ」

「ケイには声を掛けないと思ってた。意外と人望があるんだね」

「こいつが勝手に集めやがった」

 彼の後ろから、すがすがしい笑顔と共に現れるヒカル。

 確かに彼ならありうるというか、放っておいても人が集まる。

 人望とはまた違うけど、親しみやすさや人との壁は皆無に等しい子だから。

「朝は、何もしたく無いんだ」

「これも管理案に反対する事へのアピールじゃないの。分かんないけどさ」

「分からん事をやるな。俺は寝る」

 机に伏せた途端振ってくるバインダー。


 しかし彼を見下ろしたのは村井先生ではない。

 顔立ちは似ている。服装も大差ない。

 ただその雰囲気、威圧感は全くの別物だ。

「寝ないで」

「HRは寝る時間なんです」

「そんな規則は初めて聞いたわ。今度寝たら、退学よ」

「おい」

 ケイの話を聞かず、すたすたと教壇へ戻っていく理事長。

 しかし彼女が理事長だと気付いているのは、本当にごく一部。

 前の私もそうだったが、顔すら知らない生徒の方が多いだろう。



「HRの内容は、プリントで配った通り。後で目を通しておいて」

「だったら、起こすな」

 鋭い勢いで飛んでくる細いペン。 

 それは机に伏せたケイの頭にヒットする。 

 自然と沸き起こる拍手と歓声。 

 理事長は微かに笑顔を浮かべ、手をゆっくりと下げて静まるように促す。

「さて。ここからが本題。近々、東京の国会議員が当校を視察します。その際このクラスを中心に視察されるので、良く覚えておいて下さい」

 一斉に上がるブーイング。

 議員や企業の視察は多いが、見られて楽しい事は一つも無い。

 しかし理事長は動ぜず、先ほど同じように手をゆっくりと下ろして静まるよう促した。

「負担は分かるけど、集中して勉強する良い機会だと思って。質問は」

 漠然としていて聞きようが無いし、それ以前に聞きたい事も無い。 


 ケイではないけど、可能なら少し眠りたいくらいだ。

 サトミが議員の構成や目的を聞いているが、その半分も頭に入ってこない。

 誰が来ようと関係ないし、朝は眠るための時間。

 理事長も、寝ている私に構ってる暇は無いだろう。


「それと急遽ではあるけど、今日は予行演習として学校の職員が見学します」

 なるほどね。

 全然分からないまま、心の中でそう答える。

「また急な事なので遠方は無理でしたが、近隣にお住まいの父兄の方にも参加頂いています。突然の事で大変申し訳ありませんでした」

 後ろから聞こえる拍手と笑い声。


 なんか、一気に目が覚めたぞ。

 近隣といえば、私の家はすぐ近く。 

 まさかとは思うけど、まさかじゃないだろうな。


「わっ」 

 思わずそう声をあげ、慌てて顔を前に戻す。

 予想通りというべきか、夫婦揃って見学に来てた。

 嬉し恥ずかし、なんて言ってる場合じゃないね。

「雪野さん、何か」

 何故か名指しで指名してくる理事長。 

 別になんでもないと適当に答え、彼女を睨む。

 これって地味で目立たないけど、相当な嫌がらせだと思う。

「では、授業を始めます。今日は特別に、私が」

 若干ざわめく教室内。


 見慣れない女性。

 唐突な予行演習。

 戸惑うなという方が無理で、落ち着いているのは彼女の素性を知っている私達くらいだろう。

 いや。私は落ち着いて無いけどね。




 それでもごく普通に進められる、日本史の授業。

 経営者一族とはいえ、仮にもこの年齢で理事長になるような人。

 授業の一つや二つ、軽いものなんだろう。

「という訳ですが。元野先生、不備は無かったでしょうか」

「私は理科の教師だから、授業内容についてはコメントが出来ないけれど。大変良い教え方だとは思いますよ」 

 後ろから聞こえる、穏やかな口調。 

 モトちゃんのお母さんも来てたのか。

「どうも、ありがとうございます。では、天崎先生は」

「少なくとも、私よりは立派な教師だと思うよ。理事長なんかにしておくのは惜しいね」

 ざわめく教室内。

 ポインターを手の中で転がしながら、苦笑する理事長。

 とはいえこのざわめきから悪意は感じられず、こんな人が理事長だったのかという好意的な空気。

 理事長もイメージアップを図って授業を行った訳では無いだろうけど、少なくともこのクラスに関しては評価が上がったはず。

「では、続けます。第2次大戦での主要な参戦国を両陣営に上げて答えなさい。はい、端末に入力して」

 近代史は苦手なんだって。

 大体この時期は授業なんてやらないし、中等部でも近代史は習った記憶がない。


「答えは」

「赤組と白組」

 無愛想に答えるケイ。

 誰が、運動会の話をした。

 一応予習はしているが、国の名前までは出てこない。

「あまり正答率は高くないわね。高校では近代史をあまり教えないし、試験にも出ないから当然なんだけど。一応はこの国の歴史だから、学ぶ意義は十分にあるわ。では、自信のある人は手を上げて」

 いきなり静まり返る教室内。 

 誰もが息を殺し、姿勢を低くし自分の気配を消していく。

 生徒にとっては地獄のような時間だけど、教師にとっては天国のような時間かもしれない。

「積極性に欠けるわね。間違ってもいいから、こういう時は手を上げるものなのよ。では、私からの指名に変えるとして。……雪野さん、どう」

 どうもこうもないよ。

 それでも一応立ち上がり、埋もれている記憶を必死に掘り起こす。

「日本と、イタリア。もう一方が、イギリスとフランス」

「他には」

 それだけの国が戦えば十分だと思うが、世界大戦というくらいだからもっとたくさんの国が参戦していたんだろう。

 えーと、枢軸国と連合国か。

 日独伊三国防共協定。

 で、独ってなによ。


 ど。 

 ドッグフード。

 どら焼き、ドーナツ。

 都々逸。

 下らないけど、答えは分かった。

「日本、イタリア、ドイツが枢軸国」

「連合国は」

「イギリス、フランス、中国、北米」

「最後が惜しいわね。当時はまだ、アメリカ合衆国。とはいえ、ほぼ正解よ」

 ほっとしたのもつかの間。

 後ろから聞こえてくる拍手。

 それは少しずつ広がり、教室全体を包み込む。

 誰よ、初めに拍手した人は。

 それと、「私の娘なんですよ」って言ってる人は。




 ようやく授業は終了。

 理事長は教室の後ろで、父兄達と楽しそうに話し込んでいる。

 私は今日一日分の気力を使い果たしたので、もう何をする気にもなれない。

「あなた、勉強してるのね」

 ぺたぺたと頭を触られる感触。

 馴染みのある、生まれた時から知っている感覚。

「一応は高校生だしね。それと、恥ずかしいから来ないでよ」

「親に向かって、そういう口のきき方をする訳。お父さん、この子反抗期よ」

「親の事が恥ずかしいって時期は誰にでもあるよ。お母さんは、優に構い過ぎなんじゃないかな」

 優しくて、理解のある言葉。

 そんなお父さんにしがみつき、その反対側の腕を取っているお母さんと睨み合う。

「それは恥ずかしくないの」

 冷静に指摘する声も聞こえて来るが、この際は気にしない。

 親子で仲が良くて、何が問題なのよ。

「今日はみんな疲れたと思うので、午前は全部休み。ラウンジを貸切にしてあるので、休んできなさい」

 一斉に上がる歓声と拍手。

 飛び出ていく生徒達。


 ただこの中の何人がラウンジへ向かったかは不明で、理事長もそこまでやかましく言う気は無いようだ。

「父兄の方がみえてる子は、学校の中を案内してあげて。また午後からは教職員とのディスカッションも用意していますので、お時間のある方はご参加下さい」

 案内といっても、こちらは迷子が専門。

 それにお母さんも行事のたびに学校へは来ているので、特に見たい場所もないだろう。

 先日は、単独潜入したとの情報も入ってるし。

「私達は行く場所があるんだけど、お父さん達はどうする?」

「天崎さん達と一緒に、少し理事長と話をさせてもらうよ。こういう機会は、滅多に無いからね」

「そう。何かあったら、端末に連絡して。それと、理事長に私の事は聞かなくて良いからね」

「自分から言われると、すごい気になるんだけどね」




 確かに、自分で言う事でもなかったな。

 聞かれてまずいような事を理事長が言うとも思えないが、学校からの評価があまり良くないのも事実。

 それをわざわざ、お父さん達に教える必要もない。

 私達はラウンジではなく、G棟の本部へとやってくる。

 モトちゃん達はいつも通り、忙しくどこかと連絡を取ったり書類をめくっている。

 私はこれといってやる事も無く、スティックを解体して異常がないか確認してみる。

 少しバランスを調整して、重くしてもいいかもしれない。

「まだ使ってたのか」

 獲物を見つけたとばかりにやってくる瞬さん。

 彼も教室の後ろに並んでいた一人で、何故かここまで付いてきた。

「組み立てられる?」

「すぐ出来ますよ」


 木之本君程ではないが、持ち主として一応扱いには慣れている。

 今は細かい電子機器を解体しなかったので、それこそ目を閉じていても出来るくらい。

 手順は体が覚えていて、一つ一つの作業に意識を払う事もない。

 逆におかしいと思えば、それはスティックに異常がある時だ。

「出来ました」

「良い手際だね。……結構重いな」

 スティックの特性は私以上に知っているので、力任せには振らない瞬さん。

 そして数度打ち下ろす仕草をしたところで、私に返してくる。

「手首が痛い。当たり前だが、俺には無理だ」

「軍でも、似たような物は使ってたんですよね」

「ああ。それでも白兵戦なんて滅多にないし、使い捨てかな」

 これ以上はあまり聞かない方が良さそうだ。

 何しろ実戦を経験して、なおかつ生き残ってきた人。

 私のような小娘とは、語る言葉の重みが違う。


「しかし、みんな真面目に何やってるの」

「私達は学内での立場が弱いので、支援してくれるようあちこちに呼びかけてます。それと、予算の工面ですね」

 インカムをしたまま、瞬さんに笑いかけるモトちゃん。

 しかし今の結果ははかばかしくなかったらしく、目の前にあった書類に大きく×印が打たれる。

「大変だな、みんな。でも、流衣や風成もこんな事してたか」

「その時は、どうなったんですか」

「ある程度の成果は上げたと聞いてる。この学校の生徒会がここまで大きくなったのも、それが関係してるはずだ。聡美ちゃんのお兄さんが首謀者って俺は聞いてるが」

「兄は、助言をしただけです」

「そう?銃撃戦になったって、俺は聞いてるけどな」

 何だ、それ。


 しかしおそらくは、今よりは戦争の陰が色濃い時代。

 実際学内には銃痕も残っているし、冗談だと笑い飛ばす事ではなさそうだ。

「まあ、これも青春だ。頑張ってくれ」

 訳の分からないまとめをしだす瞬さん。

 この人は今でも、我が世の春を謳歌してるようだけど。

「さてと。こっちは大体片付いたから、ユウ達はH棟へ行って。先に、舞地さん達が待機してるから」

「分かった」

 スティックを背中のアタッチメントへ取り付け、プロテクターを確認。

 サングラスをポケットに忍ばせ、グローブをその反対側に入れる。

「楽しそうだな、なんか。ケンカでもやる?」

「それを抑える事なら」

「子供ながらに大変だ。俺は少し寝るよ」




 お父さんが寝てしまったので、その分子供は働く事になる。

 という事ではないにしろ、昨日同様本棚の配置を変えているショウ。

 足元にキャスターを敷き、いざという時は押して相手を潰すらしい。

 随分原始的というか、力任せなアイディアだな。

「意味あるの、こんなの」

「篭城する際にはね。入り口にこれがふさがってたら、通りにくいでしょ」

「自分達も出られないじゃない」

「その時はその時よ」

 どんな時なんだか。

 第一、篭城はしないって言ってたじゃない。

「ユウ。押してくれ」

 タオルで汗を拭きながら声を掛けてくるショウ。

 軽く彼の背中を押して、一斉にみんなから睨まれる。

 いいじゃないよ、このくらいの冗談。

「分かってるっていうの。本棚を押すんでしょ。えいえい」

 掛け声に意味はない。 

 強いて言うなら、場を盛り上げるため。 

 もしくは、自分が楽しむためだ。

「わっ」

「うわっ」

 同時に叫ぶ、私とショウ。

 丁度反対側にいたショウめがけて、本棚が轟音と共に突き進む。

 後ろは壁で、激突は必至。

 咄嗟にスティックを抜き、本棚を横倒しにしようと思ったところで手が止まる。


 腰を落とし、真正面から本棚の突進を受け止めるショウ。

 衝撃は多分、バイクと正面衝突した位の威力はある思う。

 それを彼は、本棚の重さ分後ずさっただけで受け止めた。

 本当、格好良い以外の言葉が見つからないな。

「やはり、危なくないですか」

 さすがに、遠慮気味に指摘するサトミ。

 今はショウだったから受け止められたし、彼なら本棚と壁を破壊する事を前提に逃げだす選択肢もあった。

 私でも、逃げるだけなら問題はない。 

 だけどあれがサトミだったら、かなりひどい事になっている。

「聡美ちゃん、鈍いものね」

「鈍くはありません。本棚の動きも速度も予測は付きます」

「付くのと避けるのは、また別でしょ。いいわ、キャスターは戻して」

「おい」 

 同時に声を上げるショウと名雲さん。

 これって、今のショウの格好よさを演出するためだけの遊びだったんじゃないだろうな。


「分かったわよ。片側のキャスターを固定して、そこを軸に回るようにして。これなら潰されないし、ドアを塞ぐのも可能になる」

 あくまでも、ドアを塞ぐのにこだわる池上さん。

 しかしここは外に面した窓があり、言ってしまえばそこからの侵入も可能。

 窓ガラスも強化ガラスを使ってはいるようだが、あくまでも普通のガラスより固いだけで割れない訳ではない。

「窓はどうするの。私なら、あっちから入ってくるけど」

「浦田君、どうなってるか見てみて」

「引っかかるか」 

 鼻を鳴らし断るケイ。 

 池上さんはにやりと笑い、手にしていた端末のボタンを押した。

「電源は落としたから大丈夫」

「やると思った」

 今度は無造作に窓を開けるケイ。

 途端に冷たい風が吹き込み、彼もすぐにドアを閉める。

「わっ」

 でもって、床に転がった。

 どうやら、窓枠の辺りに電流を流しているようだ。 


「電気は通ってるみたいね」

 倒れているケイには目もくれず、テスターのセンサーを窓枠に当てていく木之本君。

 というか、初めからそれを使えば良かったんじゃないの。

「奥の仮眠室は、窓無かったっけ」

「あっちは、完全な密室。逃げ場はないから、こもるには向いてないわよ」

 やはりこもる点にこだわる池上さん。

 私はこもるタイプではないので、正直ここの武装にはこだわってない。

 攻められたら打って出る。

 今までそれで乗り切ってきたし、これからもそうするつもり。

 賢い生き方では無いかも知れないけど、賢い生き方よりもこっちの方が私には合っている。




 キッチンで食材を漁っていると、スピーカーから声が流れてきた。

「G棟Aブロックで、トラブル発生。授業中の教室で、生徒とガーディアンズが小競り合いを起こしている模様」

 何だ、それ。

 生徒同士じゃなくて、生徒とガーディアン。

 しかも、授業中ってどういう話だ。

「特殊な状況ですので、保安部もしくは各ブロック隊長以上の応援を要請します」

「私は」

 答えないのは分かってるが、一応質問を試みる。

 誰かは知らないが、この子の声を聞くのも久し振りなので。

「繰り返します。保安部もしくは、各ブロック隊長以上の応援を要請します」

「じゃあ、私は関係ないね」

「直属班所属、その傘下の方も至急向かって下さい。入電以上」

 いつも思うけど、どこかにマイクが仕込んであるのかな。

 背伸びしてスピーカーの裏側を覗き込んでいると、襟首を軽く掴まれた。

 猫の子じゃないんだからさ。

「雪ちゃんも行くのよ」

「正直、気が進まないんだけど」

「大丈夫。責任は全部、真理依が取る」

 自分が取る訳じゃないのね。

 しかし、それさえ確認出来れば後は準備をするだけ。

 荒れているという実態を掴む良い機会でもある。



 私達が付いた頃には、すでに廊下に野次馬が溢れていた。

 授業への出席率は管理案施行後高くなったはずだが、この野次馬だけはいなくならないな。

 どちらにしろ通らない事には始まらないので、スティックを抜いて一番後ろの生徒から下げていく。

「下がって。道を空けて」

「うるさいな、邪魔するな」

 スティックで床を叩き、振動を辺りに伝える。

 床が割れない程度の勢いで、しかしそれなりに力を込めて。

 やがて私を中心とした半径から人が消え、後はそれを広げていく。

「ドアが見えてきた。揉めてるね、当たり前だけど」

 そのドアまでの道筋を確保し、スティックを一旦背中へ戻す。


 教室内へ入っていくショウと名雲さんを見送り、まずは廊下で待機。

 今日は4人ではなく8人なので、私が前に出る必要もない。

 その間に柳君が、もう一つのドアも確保。

 サトミとケイが野次馬を下げさせ、体制は整った。

「人数が多いと、仕事もはかどるね」

「揉める原因にもなる」

 ぽつりと呟く舞地さん。 

 確かに人間関係の面を考えれば、人が多ければ多いほど意見が増えて対立する原因にはなりそうだ。

 私達4人でも相違点は当然あり、それが決定的な対立に結びつかないのは逆に4人しかいないから。

 これが10人20人ともなれば派閥が出来、お互いが反目し合う事にもなりかねない。

 ただそれは、今考えてる事でも無いか。


「廊下の整理は済んだ。中は?」

「怪我人はいない。生徒会ガーディアンズは、10人。銃は一丁。反対側から、柳君を入れてくれ」

「了解」

 ハンドサインで柳君へ意図を伝え、ドアから中へ入ってもらう。

 いつもならそれは私がやってるような事で、多少の違和感はあるが不満はない。

 その分全体の状況を把握出来るし、何が何でも自分でやらないと気が済まないという性格でも無いので。

 応援のガーディアンズが来たのを確認し、彼等に廊下を任せて私達も教室の中へと入る。



 教室の前に並ぶガーディアン達。

 怯え気味に、教室の後ろへ集まる生徒達。

 その中から数名が、代表する形でガーディアン達と近い位置に立っている。

 体型からして運動部に所属していると様子。

 ガーディアン対一般生徒とSDCか。

 ますます厄介だな。

「誰か、状況を説明して」

 池上さんの問いかけに、ガーディアンと睨み合っていた大柄な女の子が手を挙げる。

「その子達が勝手に教室へ入ってきて、ここを使うって言い出したの。どう考えても、おかしいでしょ」

「我々は理事会の許可を得て行動してる。生徒が口出しするレベルの問題ではない」

「自分達も生徒じゃない。大丈夫?」

 かなり強気で責め立てる女の子。


 声には出さないが、教室の後ろに固まっている生徒達からも彼女に賛同するという雰囲気。

 何より、生徒会ガーディアンズの行動が非常識すぎる。

 元々統制は取れていて、こういう事をする組織では決してなかったはず。

 ただ保安部の影響下にあり、生徒会の権限が増大する今。

 勘違いをし始める者がいてもおかしくはない。


「先生。学校では、この場合どういう対応をするようになってますか」

 教室の隅で呆然と立ちつくす初老の教師。

 学内でのトラブルは日常茶飯事で、今更驚くような事ではない。

 しかし教室へ勝手に入ってきて我が物顔で暴れるのは、彼にとっても衝撃だったようだ。

「先生」

「え、ああ。対応も何も、勝手に入ってこられては困る」 

 普通の。

 しかし、あまりにも当然な答え。

 池上さんは軽く頷くと、生徒会ガーディアンズに向かって教室から出て行くよう勧告した。


 やはりというべきか彼等が出ていく様子はなく、銃を彼女へ向けるくらい。

 その前をショウと柳君がふさぎ、私も周囲の状況を確認しつつ銃を構えている男の死角へ移動する。

「教師も何も関係ないんだ。俺達は、こうするだけの権限与えられている」

「そう勘違いしてるだけでしょ」

「う、うるさい。お前達こそ出ていけっ」 

 引き金に掛かる指。

 姿勢を低くして飛び出す準備に入るショウ達。

 私も大きく動いて、生徒会ガーディアンズを牽制しつつ男に近付く。



「ふざけるな」

「え」

 頭上を飛んでいく椅子。

 ショウ達は、池上さんのそば。

 名雲さんは、教室の後ろ。

 サトミ達も。

 では、誰が投げたのか。

 それを考える間もなく、椅子は銃を構えていた男の目の前に落下する。

「わっ」

 腰を抜かして、天井へ向かって発砲する男。

 その隙にショウが男を捕まえ、柳君が銃を確保。

 私は後ろを振り向き、スティックを背中へと戻す。

「あの。何で投げたんですか」

「あ、危ないと思って」

「はぁ」

 自分でも何をやったのか分かってないという初老の教師。

 ただ彼が何のためにやったのかは、教室にいる誰もが理解したと思う。

 生徒を守るため、そのために彼は力を振るった。

 行き過ぎであれ、無謀な行為であれ。

 彼は、生徒のために。

 私達のために戦ってくれた。

 この事は、今この場にいる誰の胸にも刻まれる。

「後は、私達で処理しますので。お手数をお掛けしました」

「い、いや。おもちゃの銃だし、それ程危なくは無かったのか」

「え」

「昔は、あれが本物だったから」




 隠れたところに強者は潜んでいるようだ。

 教師の中には従軍経験者もいるし、私達より過激な人間は案外多いのかも知れない。

 教室を後にして、私達は今の連中を引き連れそのオフィスへと向かう。

 目的、理由、そうした根拠。

 聞きたい事は山ほどあるし、何よりこれを前例としてはならない。

「……キーが掛かってるな」

 拳で軽くドアを叩く名雲さん。

 彼は迷わず脇にあるコンソールへカードを差し入れ、キーを操作してドアを開けた。

「マスターキーさ。この教棟なら、殆どのドアは開く」

 自分は入らず、連れてきた内の一人を中へ放り込む。

 すると中から呻き声が聞こえ、ざわめきが伝わってきた。


「勘違いするな。そいつは仲間だろ」

 床に倒れている男を踏み越え、オフィスの中へと入る名雲さん。

 そこに待ち構えていたのは、警棒やバトンを構えたガーディアン達。

 友好的な空気は欠片もなく、敵愾心と怯えだけが私達に向けられる。

「責任者を出せ」

「せ、責任者って、それは」 

 下へ向かう視線。

 そういうフェイントではなく、床に倒れている男が責任者らしい。

「まあいい。教室に押し入った奴は、全員処分する。それに関わった人間も含めて。今までこの教棟でどうなってたかは知らんが、これからはこういう真似が通用すると思うな」

「わ、私達はただ、上から言われた通りに」

「何を言われたか知らんが、授業中の教室に押し入るのが仕事か。随分立派だな」

 強烈な皮肉に、顔を伏せるガーディアン達。


 それを恥じ入る気持ちがあるのなら、初めからやらなければ良いだけの話。

 同情のしようもないし、何がしたいのか自体分からない。

「不満があるのなら、お前達の好きにしろ。押し入ろうが生徒を襲おうが、お前達の勝手だ。俺達も、勝手にやらせてもらう」

「あ、いや。それは」

「警告はした。帰るぞ」





 どうにも納得の出来ないまま、オフィスへと戻ってくる。

 彼等の目的、理由、事に至った経緯。

 何もかもが不明で、私の理解を超えている。

 あの傭兵の隊長が指示を出したらしいが、名雲さんの言う通り従う理由も根拠も何もない。

 普通に考えれば、授業中の教室に押し入るなんて無意味以外の言葉が見つからない。

 しかし彼等は、命令されたという理由だけで事に及んだ。

 これは命令した側も勿論悪いが、従った側も同罪だろう。


「あれは傭兵でも、転校生でもないの?」

「プロフィールを見る限り、小等部からの繰り上がり組。外から入って来た訳ではなくて、元々この学校の生徒よ」

 目の前の卓上端末に表示される、教室に押し入った生徒達のデータ。

 サトミの言うように、出身はこの近辺で小等部から高等部まで一貫して草薙グループで学んでいる。

 しかも、彼等は仮にもガーディアン。

 治安を維持するのが職務であり、今回のような事はあり得ないしあってはならない。

 改めて傭兵が悪いのではなく、個々人が問題だと思い知らされた。

「唸ってないで、仕事しろよ」

 目の前に積まれる書類の山。

 これだけの量は、久し振りに出会ったな。


「仕事って、私はもうこの手の仕事とは関係ないでしょ」

「最近取った、生徒会と連合に関するアンケート。データは集計してあるから、感想を読んでくれ」

 丸や数字が書き込まれている書類の一番下。

 そこには手書きで数行、何やら書き込まれている。

「感想、ね。読んでどうするの」

「それは任せる」

 私を信頼した上での発言か。

 単に面倒なだけか。

 とにかく後は託された。



「生徒会は不満だけど、連合も何をやりたいのか分からなくて気持ち悪い。気持ち悪いが一票」

 怖いとか嫌いはまだ分かるけど、気持ち悪いは止めて欲しいな。

「そもそもの問題の発端は、生徒会の特殊な組織体制に起因する。まず第一に生徒会内での意志決定に関する不備について記してみようと思う。生徒会の組織は局長局次長事務局長が各局の意志を決定し、明確なヒラエルキーを構成している。しかし意志決定の迅速化と……」

 裏まで続いていたので、これはパス。 

 というか書類に書ける行数は限られてるんだから、要点をまとめないと読まれないと分かって欲しい。

「私は生徒会に入りたいんですけどー、どうしたらいいんですかー」

 知らないわよ、そんな事。

「死ね、死ね、生徒会は全部死ね。連合は消え失せろ」

 ……これは後で、誰が書いたかを調べてもらうと。

「今度のデートは、名古屋港水族館に行きまーす。お仕事、頑張って下さいね」

 ハートマークで締められた。


「あのさ。何一つ参考にならないんだけど」

「つまり世の中。じゃなくて、普通の生徒はそんなものなんだよ。多少の不満はあっても、具体的にどうしたいって訳じゃない。文句は言いたいけど、何を言いたいのか分からない。だけど、文句は言いたい」

「意味側か分かんない。……バレンタインデイに、玲阿さんへチョコを渡すのは可能なんですか」

 だから、質問状じゃないって言うの。

 それにこれは私の管轄ではないので、ケイに渡す。

「もうそんな時期か。イベントはイベントだし、なんとかするよ」

「私に言わないでよ。でも、私も全然忘れてた」

 自分の誕生日も忘れてたし、日々の生活が忙しいのも良し悪しだな。

 これは頭の中ではなく、きちんと端末に入力しておこう。


「力に頼りすぎるのが問題で、話し合いを基本に物事を進めれば良いと思います」

 ようやくの、建設的な意見。

 それが難しいから力に頼ってると言いたいが、こういう意見があるのは正直ほっとする。

「えー、次は。……結局、生徒会に関しても連合に関してもトラブルの押さえ方が生ぬるい。悪い生徒は、徹底的に力で押さえ込むべきだ」

 なんか、一気に疲れてきたな。




 参考になったのかどうかは不明だが、みんな色々考えているのは理解出来た。 

 私もそれ程深く考えてはいないし、アンケートを採ればこれと同じような文章を書くのかも知れない。

「で、連合として支持は得てるの?」

「基礎となる支持層は、それ程変化無い。生徒会ガーディアンズよりも親しみやすいし、フランクな雰囲気が受けてるみたいね。とはいえ、過半数も支持はない。生徒会も同様。浮遊層の獲得がキーね」

 政治家みたいな事を言い出すモトちゃん。

 でもって資金不足と人手不足。

 支持のあるのが、せめてもの救いか。

「細かい分析は木之本君とサトミがやってるけど、力押しはそれ程評価されない。それが、いつ自分に向けられるかという不安もあるのかな」

「ああ、そういう事。難しいね。相手が強ければ、こっちも強くならないと」

「ジレンマと妥協で、世の中は成り立ってるのよ」

 ため息を付き、書類の束をテーブルへ放り出すモトちゃん。

 資金不足、不許可、再考を促す。

 どうにもはかばかしくない内容ばかりで、ため息の一つも出るだろう。


「この教棟を傭兵にして、こういう結果になって。生徒会には不利なんじゃないの」

「結局向こうも、力押しをメインに考えてるのかも。理屈よりも、力による弾圧と統治ね」

「時代錯誤というか、高校でやる事かな。それって」

「だけど、現実よ。少なくとも生徒会は、この教棟で行われてる事を黙認してる。嫌な連鎖だけど、今は私達も力に頼るしかないのね」

 もう一度漏れるため息。

 彼女は力の対立を嫌い、だからこそガーディアンとなった。

 それでも現実を考えれば、力に頼る以外にない。

「何とかなる?」

「するしかないわよ。サトミ、データは?」

「ある程度はまとまってる。今送るわ」

 卓上端末に転送されてくるデータ。

 モトちゃんはそれに目を通し、幾つかメモを書き留めた。

「大体予想通りか。個別面談もやった方が良いかな。木之本君、選定お願い」

「情報局に掛け合ってみる。データは今のアンケート同様向こうにも渡るけど」

「構わない。真田さんを情報局へ送って。後は、中川さんと連絡を」

「了解」


 こういう事は関われないので、テーブルに積まれている雑誌をめくる。

「バレンタインディ間近。手作りよりも市販タイプが主流」

 なるほどね。

 下手に素人が作るよりも、プロの方が確実だし間違いはない。

 溶かして型へ流し込むだけなら、買ったまま渡した方が美味しいに決まってる。

 だけど、溶かして型に流し込むのも楽しいんだってば。

「池上さんは、チョコ作らないの」

 さっきのアンケートの集計内容を読んでいた池上さんは、小難しそうな数式をメモ用紙に書いてそれに大きく斜線を引いた。

「誰に」

「伊達さんとか」

「古い話するわね、あなたも。大体、柳君も名雲君も彼女がいるのよ。虚しいだけじゃない」

 そういうものかな。

 私はショウ以外にも送るので、その辺をあまり気にした事はないが。

「それに手作りチョコなんて、怨念の固まりじゃない」

「ああ、それは分かる。ショウなんて、大変そうだもん」

「こういうのは宅配業者にでも頼んで、さくさく配ればいいのよ」

 お歳暮じゃないんだからさ。

 ただ、言いたい事は何となく分かる。 

 バレンタインディが義務化して慣習化し続ければ、彼女の言う方法が主流になる日もくるかもしれない。

「雪ちゃんはどうするの」

「私も手作りはパスかな。チョコなんて作れないし、下手にいじっても美味しくはならないから」

「変な所で冷静ね。徹夜で作り込むかと思ってた」

「中等部の頃は、考えたけどね。そこまでやる必要はないって結論を得た」

 見た目も大事だとは思うが、もっと大事なのは気持ち。

 相手への思い。

 作る行程を含めてだとしても、値段や大きさより大切な事があると思う。

「智美ちゃんは?」

「作ってる暇もないですし、量だと思いますよ」

 なんか、身も蓋もない事とを言い出した。

 しかし送る相手が名雲さんなら、その答えも頷ける。

「聡美ちゃんは?」

「今年はカカオを買い付けてます」

 何を考えてるんだか。 



「舞地さん、チョコは」

「あられの方が良い」

 どうも、洋風より和風を好む傾向にあるな。

 何より、バレンタイデイに浮かれる舞地さんという絵も想像はしたくない。

「そういう意味じゃ無いんだけどね」

「上げる相手もいないし、そういう柄でもない」

 床に寝転び、タオルケットを被ったまま答える舞地さん。

 自己分析は完璧だな。

「1回もない?」

「映未に言われて、買った事はある」

「それで、どうなったの」

「気付いたら、名雲が全部食べてた」

 なんだ、それ。

 バレンタインデイまでにここを利用する事があったら、チョコを隠すのは止めた方が良さそうだ。

「まあ、良いけどね。……あれ」

 不意に消える照明。

 いや。天井を見上げると、薄暗い景色の中に照明の輝きが見えている。

 あくまでも、周囲の闇よりもうっすらと明るい位の違いしか判別出来ないが。

「ふぅ」

 慌てずに、すぐ腰を下ろしてしゃがみ込む。

 周りに危険はないと、手探りで判断。

 何か、柔らかい手応えが返ってきたくらいか。

「どうした」

「ちょっと目が。スティックは、あるか」

 最近サングラスとスティックは、常に手元へ置いてある。

 これさえあれば、完全に見えていなくてもどこにでも行ける自信がある。

「おい」

「え」

 必死でスティックを振るが、伸びる気配無し。

 よくよく触ってみたら、サインペンを握ってた。

「冗談だって。えーと、こっちか」

 今度はもっとしっかりした、手に馴染む感覚。

 小さく手首を返してスティックを短く伸ばし、それを頼りに立ち上がる。

「器用だな」

 声は掛けてくるが、手は貸さない舞地さん。

 この辺りは、彼女らしいと言えばらしい。

「結局人間は、一人で生きて行かないとね。ショウー、手貸してー」

「今、なんて言った」

 聞こえない振りをして、さらにスティックを伸ばして広い範囲を索敵。

 毛布の柔らかい感覚以外は、これと言って伝わらない。


「っと」

 咄嗟にスティックを振り上げ、背中に担ぐ。

 毛布から伝わったのは、柔らかすぎる感覚。

 人を押す手応えは、まるでなかった。

「何してる」

「さあ」

 背後から聞こえる声にそう答え、小回りして声の方へと体を向ける。

 舞地さんは何もしなかった。

 ただ、一言も声を発さず私の後ろへと回り込んだ。

 理由も何も関係ない。

 今求められるべきは、背後に回り込まれた事への対処。

 彼女の心情やその意味を考えている場合ではない。

「……どうした」

「別に」 

 ショウの声を頼りにその腕へしがみつき、しかし背後への警戒は怠らず部屋を出る。

 ふと蘇る、傭兵という言葉。

 彼女がこの学校へ来た理由。

 信頼という言葉の意味。

 今は、それを考え始めてもいいだろう。



 医療部で検査を受け、特に問題ないとの診察結果を聞かされる。

 結局視神経。

 表面上は見えないし、今の医学では治療の及ばない部分への障害。

 医師としても、手の施しようが無いんだろう。

「明日でもいいので、第3日赤へ行って下さいね。調子が悪くなれば、夜中でもすぐに」

「あ、はい」

「それと何度も言いますが、精神的な負担になる事は避けるように。過度な運動も」

 これは本当に何度も言われるが、結局守れてはいないので反論のしようもない。

 その度に採血を受けるし、私も出来れば負担になるような事へ関わりたくもない。

「カルテを書くので、少し待って下さいね。明日は精密検査をするようオーダーをしておきます」

「検査」

「普段の検査に加えて、CTとMRI。造影検査。今日は、食事を控えて下さいね」



 翌日。 

 朝から八事の第3日赤病院へとやってくる。

 付き添いは誰もいなく自分だけ。

 サトミ達は学校があるし、お父さんとお母さんも今日はそれぞれ仕事。

 それに検査だけなので、付いてきてもらう必要もない。

 心細いという気はしないでもないが、私もそれを訴える程子供ではない。

「はい、ご苦労様。これで、最後ですね」

 筒状の装置から下へスライドしていくベッド。

 看護婦さんが少し乱れていたガウンの襟を直し、こめかみにつけていたコードを外す。

「正式な結果は先生からあると思いますが、この検査に関しては問題となる箇所や数値は無いですね」

 大体、今までの検査で聞いたのと同じ答え。

 結果に時間の掛かる検査もあるが、どうやら特に問題は無いようだ。

 勿論治った訳ではなく、治療方針を変えるような結果ではないというだけだが。



 例によりかなり待たされ、診察室へ入る。

 そこには数人の白衣を着た男性と女性が集まっていて、椅子に座る私を取り囲んでいる。

「済みませんね。インターンの教習中なので。嫌だとは思いますが、よろしければ彼らに診断をさせてって下さい」

「痛くしないのなら」

「大丈夫。今の検査結果から、雪野さんの状態を診断するだけなので。では、一人ずつ」

「眼底圧の数値から、網膜はく離……」

「却下。数値の桁数を読み違えてる。もう一度読み直しなさい。はい、次」

「毛細血管の増大により、他の神経への……」

「却下。造影剤の写真をもう一度見てきなさい。はい、次」

「末梢神経の過敏な反応は脳神経の異常刺激による……」

「却下。それは生まれつき。神経組織図を100回書いて出直してきなさい。はい、次」


 10人以上いて、私が普段聞いているのと同じ診断を下したインターンは0。

 他人事ながら本当に大丈夫かと思いたくもなる。

「医者といっても、その資格があるというだけですからね。個別の症状や数値だけに反応して、全体を把握してないんですよ」

「でも、お医者さんなんですよね」

「まずはインターンで2年。次いで、レジデントで3~4年。医者という肩書きがあるだけの大学生ですね」

 つまり彼らはまだ入り口に入ったばかり。

 そこにある花や動物に目を奪われ、その場所がどこかも分かってないという事かな。

 私がそんな夢みたいな場所とは思えないけどさ。

「そんな彼らだって、10年も経てば良い医者になってる。逆に駄目な医者や人間は、免許を剥奪されるか別な職業に就く」

「厳しい世界ですね」

「直接、人の命を預かる仕事ですからね。ああ、それで検査結果ですが。大体聞いている通り、大きな問題はありません。精神的な負担を和らげるよう心がけて下さいね」

 それに頷き、サングラスを掛けてお礼を言う。

 サングラスをしたままでは失礼という言葉は、当たり前だが出てこない。

「今のところ視界が弱まった時の状況を確認していると、良く動いた後や何らかのストレスを感じた時が多いですからね」

「それは自分でも分かってはいるんですが」

「高校生に動くなというのも無理な話か。とにかく、おかしいと思ったらすぐ医者に。それと、絶対無理はしないように。まず大事なのは、自分の体ですから」

 支払いを済ませ、咳き込みながら入ってきた男性とすれ違って病院の外に出る。

 私も目を患っているとはいえ、大抵は検査目的でここを訪れる。

 結果が出るまでの不安。実際の症状。

 すぐには直らず、長く今の状態を見守っていくしかない。

 ただここにいる人の中には、私よりずっと症状の重い人がたくさんいるはず。

 それと比較するのも無意味な話ではあるが、私はまだ恵まれている方なんだろう。 


「あら」

 やや甲高い、耳に付く声質。

 まさかと思い振り向くと、そこには毛皮のコートを腕から下げた矢加部さんが立っていた。

「ここに入院している学校の生徒へ、生徒会からの届け物をしただけです」

「ふーん。そうなんだ」

「雪野さんは、検査ですか」

「まあね」

 お互いに共通した話題など無く、なにより親しい関係でもない。

 話が続く訳も無く、どちらからともなく視線を逸らして帰り道を急ぎだす。

 彼女は駐車場へ。私はバス停へと。 

 言えば乗せてもらうのは可能だろうが、それこそ気詰まりで精神的な負担になる。


 すぐにバスが来て、空いてる席へ腰を下ろす。

 渋滞している道路。

 バスはのろのろと進み、目の前の信号が何度と無く切り替わる。

 適当な揺れと、窓からの日差し。

 北風が吹き込む事も無く、さながら春の日差しを浴びているような気分。

 快適なリムジンでの送迎ではなく、かしづかれて過ごす訳でもない。

 バスに揺られ、進まない渋滞に掴まっているだけの今の状況。

 それでも心は和み、落ち着いていく。 

 多分これが、私に合った生活。

 身も心も癒される、何よりの治療法なんだろう。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ