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そんな事をしている間に、すっかり時間をとられてしまった。
オフィスに戻るとケイとショウはパトロールを済ませていて、報告書を書いている最中。
いいね。言われなくても率先して仕事をする、その姿勢。
というか、私達が仕事をしてなかっただけなんだけど。
「最近、俺達を襲ってくる奴減ったな」
「それなりに評判が上がったんでしょ。あなたがSDC代表代行、三島さんに勝ったりして。余計な事に巻き込まれなくて助かってるわ」
「そう、ですか」
首をすくめ、サトミの視線から逃れようとするショウ。
その体格で、どこへ隠れようというの。
「ただ、ブロック内のトラブルは減ってないのよ。他のトラブルが少ないブロックもそうだけど、一定数は下回らないの。やっぱり、全く何事も無くなるのは無理なのかしら」
「難しいな。これだけ生徒がいれば、どうしても揉め事は起きるだろ」
「間引けばいいんだ。間引けば」
ケイが首を切る真似をする。
自分が間引かれればいいじゃない。
少し時間が空いたのでうだうだしていると、 可愛い音が机の上から聞こえてきた。
「……はい」
自分の端末を取り、話し始めるサトミ。
少しして話が終わり、その綺麗な顔を向けてくる。
「例の、シスタークリス歓待委員会(仮)から呼び出し。今すぐ来てくれって」
「サトミ、委員だもんね。行ってらっしゃい」
手を振ったら、首を振られた。
「副委員長が、みんなも来て下さいって言ってるのよ」
「誰、それ」
「運営企画局局長の天満さん」
知らないという顔のケイとショウ。
当然私も知らない。
「いいから。早く行きましょ」
急に元気な声を出し、私達を追い立て始めた。
この人、シスタークリスの事になると妙に気合いが入るな。
という訳で、生徒会各局がある特別教棟へと足を踏み入れた私達。
もうさすがに呼び止められないし、その前に呼び止められても止まらない。
それに委員であるサトミのIDがあれば、今はフリーパスになってるし。
相変わらずこの教棟にいる生徒達は、きびきびと動き回ってる。
授業へ出る代わりに、学校運営のほぼ全般を取り仕切ってる人達だ。
その能力と意気込みは、私なんて足元にも及ばない。
何だか一人一人に、「ご苦労様です」とか言って差し入れしたくなる。
態度の大きい、ごく一部の人間は別だけどね。
エレベーターで上の階へ上がり、廊下を歩く事しばし。
ロビーを通り抜け、会議室の様な部屋の前へと出た。
左右には、ガーディアンが一人ずつ。
ロビーにも何人かいたな。
目が合う私達とガーディアン。
お互い、それとなく牽制しあってしまう。
「別に文句を言いに来た訳じゃありません。警備担当委員、遠野聡美です」
一人の男の子が、サトミの差し出したIDをチェックして即座に頷いた。
「ここは、彼女でもフリーパスじゃないの?」
「国際的なVIPの、シスター・クリスを出迎える話し合いだからね。外に漏れたらまずい事も、多少あるんだ」
彼の説明に、適当に頷く。
大変だな、よく分からないけど。
「君達も一緒に入るの?」
「呼ばれたのよ。私達は」
「へぇ」
今度は向こうが適当に頷いた。
どうも、お互い理解出来てないね。
彼もそう思ったらしく、笑ってる。
「とにかく、中では暴れないでくれ」
「はいはい」
「あなた、雪野さんよね」
一緒にいた女の子の質問に、取りあえず頷く。
すると彼女達は顔を見合わせて、肩を震わし始めた。
「始末書60枚って本当?」
言いずらそうに聞いてくる。
遠慮してるんじゃない、笑いを堪えてるんだ。
「し、知らない。それは風の噂よ」
「私の友達が、やっぱりガーディアンやってるの。彼女この間のサッカーの試合を警備してて、あなたの事聞いたって言ってたわ」
「失礼致しました……」
あえなく陥落する私。
くー、サバ読めばよかった。
彼等に別れを告げ、とにかく室内へと逃げ込む。
始末書が何枚だっていいじゃない。
いや、よくないか……。
「天満さん、みんなを連れてきました」
ウルフカットというのか、無造作な髪型の女の子が振り向いた。
可愛いというか、優しそうな顔の人だ。
「あ、そう。そこ、そこに座って。矢田くーん、お茶、お茶。それと、お菓子も。あ、その書類は厚生局にね。で、服は出来上がった物から……」
矢継ぎ早に、身振り手振りを交えながら指示をしていく天満さん。
落ちつきない人だな。
でも、愛嬌があるというか好きなタイプだ。
思わぬ所で、離ればなれになっていた仲間に会った気分でもある。
「はいはい。座って、座って」
彼女に会釈して、席に着く私達。
長い机を四角く囲っていて、よくある会議スタイルになっている。
天満さんは私達の斜め前に座り、書類をバラバラとめくり始めた。
一枚落ちた。
「落ちましたよ」
「ん、そう。でね。あなた達を呼んだのは、私じゃなくて他の人なんだけど。ただ個人的に会ってみたくて。あ、矢田君お茶はそこに置いて。あれ、お菓子は」
「今、持ってきます」
弱々しい笑みを浮かべ、湯飲みを置いていく矢田局長。
こき使われてるな。
たまにはいいかもね、普段秘書さんにやってもらってるんだから。
私達なんて、何から何まで自分だよ。
「私達、何かしました?」
「敬語はいいって。あ、私2年の天満よろしく。局次長や他の子は今いないから、後で紹介するわね。それで、浦田君って誰」
私達の視線が、お茶をすすっていたケイへと向けられる。
「俺だけど」
何故か気まずそうな顔をしている浦田君。
すると天満さんは何度も頷いて、書類を取り出した。
「これ、例の請求書。あなたへ渡すようにって、自警局の子に言われたから」
「……矢田君は何って」
「事後承認してくれた。ね、矢田君」
カステラを持ってきた局長は、やはり弱々しく微笑む。
「何だ、その請求書って」
「いいの。俺の個人的な物だから」
「正確には、公共の物です……」
そう言い残し、肩を落として去っていく。
「あの二人以外の子も、矢田君に感謝してたわ。実際は君がやった事なんだけど」
「別に。所詮、着服というか横領ですから」
素っ気ない顔で、とんでもない事を言うケイ。
後で、じっくり聞くとしよう。
「あ、そうそう。それでみんなを呼んだのは、えーと」
書類をめくり出す天満さん。
ほら、また落ちたって。
「おう、来たか」
奥のドアが開き、塩田さんがやってきた。
沢さんも一緒だ。
「あ、こんにちは」
「そうそう。彼が、みんなを呼んでくれって。私は、そのおまけ」
「はあ」
「エアリアルガーディアンズに会いたいってうるさくてよ。落ち着きのない子だけど、勘弁してやってくれ」
チャカチャカと指示を出している天満さんは、気にもしていないようだ。
「みんなもガーディアンなんてやってないで、企画局に来ない?面白いわよ。あれこれ考えて、それを計画して、実行に移すの。夢、夢の実現よ」
拳を握りしめ、熱く語り出す天満さん。
このバイタリティーが、その企画力の源だろうか。
聞いているだけで、こっちまで熱くなってくる。
「夢でもなんでもいい。大山が連絡してくれってよ。向こうの幹部会が、調整したい事があるらしい」
「はいはい。じゃ、みんなまた後で。誰かー、大山君に連絡してー」
やはり大騒ぎしながら去っていく天満さん。
何かいいな。
「ふぅ、やっと静かになった」
「女の子に、そういう言い方はないだろ」
軽くたしなめる沢さん。
フェミニストなんだよね、この人。
「固いな、公務員は」
「公務員って、沢さんが?」
怪訝な顔をするショウ。
「ああ。フリーガーディアンは通称で、正式には特別地方警備担当監査官第二種だ」
「一種は教師の場合で、僕みたいな生徒は二種。今は一種なんて殆どいないけれど」
「恩給付いていいですね」
下らない事で感心するケイ。
他に、目を付ける所はないの。
「私達に、何か用事でしょうか。警備関係で、問題でも」
「少しな。それより、たまにはおまえらと話がしたくてさ」
にやりと笑い、サトミの顔を指さす塩田さん。
「基本的にはシスター・クリスの連れてくるSPが警備をするんだから、それは問題ない。僕らはあくまでも、彼女を警備するという名誉を賜るだけだよ」
「お飾りだ、お飾り。それなのに矢田は、妙に気合い入れてるんだよ。お前もな」
「私は、その」
何か言いたそうな顔をするサトミ。
「ファンなんだろ、彼女の。だからって、そんなに根を詰めなくてもいいんだぞ。俺達は学生なんだから、警備だけに目を向ける必要はない。沢も言ったように、それは向こうのSPに任せるくらいに思っておけばな」
「はい」
「だからお前は、もっとファンとしての自分を出せばいいんだ。警備担当遠野聡美じゃなくて、シスター・クリスに憧れる遠野聡美を」
サトミは素直に頷き、軽く息を付いた。
背負っていた重荷を下ろしたような顔で。
結構思い詰めるから、サトミは。
「いい事言いますね、塩田さん」
「お前らの先輩だからな」
さらっと言ってくれる。
でも変に先輩ぶってる訳じゃなくて、すごい自然な態度。
中等部の時のような思いは薄れてきたけれど、やっぱりこの人は私にとって憧れの存在だ。
好きな人かって言われると、また困るけど。
「ん、どうかした」
ショウと目が合ったので、「別に」という感じで首を振る。
つい、見てしまった。
「そのシスター・クリス。修道女の割には、いつも護衛を付けてるらしいな。実際は幹部会の連中が心配して、こっそりと護衛させてるんだが」
「国際紛争の調停をしたり、難民キャンプや危険地帯へ、政府の許可無しに慰問するような人だよ。その政治力を考えれば、命を狙う国家の一つや二つはあるだろ」
「……この学校で、テロが起きる可能性があるっていうのか」
塩田さんの目が細められる。
「それを防ぐために、彼女には多くのSPが付いている。逆を言えば、普段以上にこの学校は安全になる訳さ」
「可能性は否定しないんだな」
「彼女が来るというのには、そんなリスクを追う事でもあるんだ。そのSP達が、せいぜい凄腕であるのを祈るしかない」
「他人事みたいにいいやがって」
塩田さんがそう言ったように、沢さんは関心なさげに書類をめくっている。
「さっき君が言っただろ。僕達は、所詮お飾り。護衛の邪魔にならないように、その役割を演じるしかない」
「まあな。矢田も、お前くらい割り切れれば楽なんだが」
「性分なんだろ。それと彼みたいに真面目な人がいないと、物事は進んでいかない」
「嫌みな奴だな。取りあえず各ガーディアンの配置だけでも決めるか。遠野、頼む」
「あ、はい」
学内の地図を疑似ディスプレイに表示させ、話を進めていくサトミ達。
実際に彼女が来るのはごく一部の場所だけだし、私達が護衛する場所もまた限られている。
基本的には彼女が移動するのに合わせて、各ガーディアンもそれに付いていくスタイル。
当日には警察や軍も内密に来る事だし、塩田さん達が言っていた通り私達は護衛の形を取ればいいだけ。
それでも、やるからにはビシッとしたいね。
「結構いるんだね、ガーディアンって」
「各組織合わせて、2000人弱。生徒の数が5万としても、約4%。生徒会のスタッフがせいぜい500人と考えたら、確かに多いわ」
「それだけトラブルがあるって事なのかな」
難しい問題だ。
結局現状では私達のようなガーディアンがいないと、学内の治安はかなり悪化する。
でも、2000人というのはどう考えても多過ぎだ。
その多過ぎるガーディアン自体が、治安を悪化させる原因にもなりかねないから。
この問題は、その内考えないといけないじゃないだろうか。
勿論私達ガーディアンだけでなく、学内の生徒全員で。
取りあえず今は考えだけにとどめておいて、シスター・クリスの事に専念しよう。
「……まあ、こんなところね」
「よし。後は、矢田達に頑張ってもらうだけだ」
データを転送した塩田さんは、首を廻して体を机に伏せた。
「君は、これ以外にも仕事があるだろ」
「うるさいな。俺は、こういうデスクワークに向いてないんだ」
「モトちゃんは?あの子にやらせればいいじゃないですか」
「あいつ、今服作ってるんだ。それが忙しいとか言って、全然仕事しねえ」
そういえば、この前遊びに行った時も服縫ってた。
お針子さんだって、自分で言ってたくらいだから。
「普段仕事しないって俺を怒るくせに、あの野郎」
「女の子です、モトは。それにあの子は、服を作るように言われてるから仕事してないんです」
鋭い目線で睨むサトミ。
塩田さんもそれには参ったらしく、「へへー」と謝る。
「沢。お前も謝れ」
「僕は関係ない。全て君が悪いんだ」
「てめ。一介の隊長なのに、自警委員の命令が聞けないのか」
「フリーガーディアンは、教育庁長官直属の公務員だ。もし命令するとしたら、僕の方だよ」
「このっ」
塩田さんの拳を軽く避け、その顔に手を持っていく沢さん。
しかしそれは肘でいなされ、極めに入ろうとする。
沢さんは上体を振ってそれを外し、再び手を伸ばしに掛かった。
二人とも座ったままで、訳の分からない攻防を繰り返している。
「ちょ、ちょっと」
私が塩田さんを、ショウが沢さんを止める。
「子供ですか、あんたらは」
ケイにまでたしなめられる二人。
「だってよ、こいつが俺の言う事を聞かないから」
まだ言ってる。
「沢さんも、少しは落ち着いて下さい」
「ああ、ちょっと大人げなかったね」
苦笑して、さらさらした髪をかき上げる沢さん。
「それにしても、よく沢さんに手を上げられますね」
「雪野さんよ。俺は相手が誰だって遠慮しないぜ」
「下らない」
呆れるサトミ。
ショウとケイも、首を振ってため息を付いてる。
「でも沢さんがフリーガーディアンだって知ってるなら、普通手を出しませんよ」
「いや、舞地さん達がいるだろ。あの人達は逆に燃えるんじゃないか」
「そういえば。柳君なんて、沢さん見たら目の色変えるもんね」
とはいえ、あの人達も普通じゃないから。
むしろ沢さんに近い人間だ。
「舞地、柳……」
「知ってるんですか、塩田さん」
一瞬揺れる、彼の表情。
だが薄く宿っていた陰はすぐに消え、普段の快活な雰囲気が戻ってくる。
「俺も、自警委員の肩書きが一応あるからな。矢田の所で何度か会った。愛想がないのと、うしゃうしゃ笑うのと、格好良いのと、可愛いのだろ」
「ええ。舞地さんと、映未さん、名雲さんと、柳君です」
名前をフォローしていくサトミ。
やっぱり池上さんは、どこでもうしゃうしゃ笑ってるのか。
「あの連中は手強そうだな。下手したら、お前らより強いぞ」
「勿論です」
「ああ、浦田は一緒に仕事してたんだな」
「下手しなくても、圧倒的に強いですよ。何もかもが」
あっさりと認めるケイ。
この中では沢さんに次いで彼等を知っている彼だけに、その発言は重い。
「彼等は、「渡り鳥」のルールで行動する。そのルールに彼等が従っている限りは、誰よりも頼もしい存在さ」
「なる。一度個人的に会ってみたいな」
「向こうも、きっとそう思ってるよ」
沢さんの言葉に意外そうな顔をする塩田さん。
「君は、自分で思っているより有名人なんだ。学外でも、君の名前は何度も聞いたと言っただろ」
「実感無いな」
「この高校には、忍者の末裔がいるって評判だった」
「だから、俺は忍者じゃねえ」
顔をしかめるが、沢さんは信じてないという様子だ。
昔からある、塩田さん忍者説。
出身が、忍者の里伊賀上野だから。
しかも、あの隠業の冴え。
実は私も、少し疑っていたりする。
とはいえ、自分で「俺、忍者だ」と言われても困るけど。
そんなの忍者じゃないって。
ようやく学校から戻ると、外はすっかり暗くなっていた。
秋なので、日が暮れるのはどんどん早くなる。
秋の日暮れはつるべ落としなんて言うもんね。
でも「つるべ」ってなに?
少し遅い食事を済ませ、寮の自室でのんびりと寝転がる。
何もしなくていいこの時間が、私は好きだ。
テレビでは、犬が工場の取材をしている。
実際は人間のナレーションが入っていて、犬はただ座っているだけ。
茶色の小さな雑種で、可愛らしい顔をしている。
お腹に「報道」というIDを巻いているのが、また面白い。
犬が砂浜を駆けているのを見ていたら、セキュリティが反応した。
ベッドにあるスピーカーがオンになり、玄関先のインターフォンと接続される。
「……はい」
「私」
しっとりした、落ち着きのある声。
モニターを見なくても分かる。
サトミだ。
「今開ける、入ってきて」
リモコンを操作して、セキュリティを解除。
声紋や画像認識で自動的に開けるシステムもあるけど、万が一を考えて。
私だって女の子だから、一応用心してるの。
ドアの開く音がして、白のシャツにホットパンツ姿のサトミが入ってきた。
青い色が、彼女の白い足をまた引き立てるのよ。
「寝てた?」
「テレビ見てた。ほら、犬」
画面を指さすと、例の犬が天気予報をしていた。
思わず笑うサトミ。
「私は、猫の方が好きね」
「だけど、猫ってわがままし放題じゃない。あれは飼ってるとは言えないわよ」
「そこがいいの」
どこがいいんだか。
「で、何。夜食でも作ってくれるの?」
「違うわよ。いいから、ちょっとこっち来て」
「あ、うん」
タオルケットを落とし、ベッドから降りる。
私はTシャツにスパッツ。
自分の部屋だし、動きやすいから。
色気は全然ないけどね。
というか、どんな格好しても大差ないし……。
その前にお茶をいれて、グラスに注ぐ。
するとテーブルには、見慣れない大きなリュックが一つ。
さっきから、変なの背負ってきたなって思ってたんだ。
「これの用事?」
「ええ。ちょっと、ユウにも見てもらいたくて」
サトミがリュックの中身を取り出す。
出てきたのは白いシーツ。
それをテーブルの横に広げ、その脇に腰を下ろすサトミ。
「これ、なんだけど」
シーツの端にある、綺麗な模様。
そしてそこに散りばめられた、草花や小さな動物。
季節を表現しているのだろう。
小鳥、芽吹く緑、ひまわり、トンボ、紅葉、雪だるま……。
小さく控えめな、でも素敵な刺繍だ。
「へぇ。刺繍なんて出来たんだ、知らなかった」
「後期に入ってから覚えたの」
「どうして」
「ほら、例のシスター・クリス」
照れ気味に刺繍を触れるサトミ。
ああ、聖なる修道女。
「彼女達は、本当に慎ましい生活を送ってるの。あれだけ偉大な業績を残してるせいで、各国からは寄付金がすごい集まってくるんですって。でも彼女達は必要最低限だけを手元に置いて、後は全部別な所へ寄付してしまうのよ」
「ふーん。世の中には、そういう立派な人もいるんだ」
「紛争地域や災害地域に慰問をして、困っている人達のために献身的に働いて。でも彼女はその見返りを要求しない。自分に出来る事をしているだけだって言って」
胸元に手を合わせ、遠い目で天井を見上げている。
普段の醒めたような彼女ではなくて、夢を見る可愛らしい女の子の表情で。
「それでね。彼女達がこの学校に、1日だけ泊まるでしょ」
「うん、そう聞いてる」
「その時彼女達が使うシーツや、部屋のカーテンとかをみんなで刺繍しているのよ。彼女達にあげる人形を作ってる子もいるし、スカーフを染めてる子もいるわ」
シスター・クリス達が質素な生活をしている以上、それを受け入れる私達も彼女達に会わせた歓迎をするという訳だ。
そこまで手作りでやるなんて、みんな偉い。
きっとシスター・クリス達も喜んでくれるよ。
「大変だね、そこまでするなんて。刺繍って、結構時間掛かるでしょ」
「ええ。でも、少しずつ出来ていくのは面白いわよ。それに一針一針思いを込めて縫うのも、そんなに悪い気分じゃないわ」
和らいだ顔付きで、刺繍を撫でるサトミ。
「私が刺繍したのを使ってくれるのかとか、見てくれるのかも分からない。でも、それでもいいと思ってる。彼女達が、少しでもいい気持で泊まってくれるのなら。彼女達の安らぎに、少しでも助けになれるなら」
「サトミ……」
「今なら、自分の一針がみんなの一針だって思えられる。自分だけじゃなくて、みんなで作ってるんだもの。初めて刺繍をする人達が、一生懸命に頑張ってるの。そんな中に私もいるって思ったら」
はにかんだ笑み。
私は彼女の手を握り、その眼差しを受け止めた。
シスター・クリスに憧れる、可愛い女の子の気持ちを。
「これは、まだまだ終わらないの?」
「ええ。でも別に、手伝わせに来た訳じゃないわよ」
そしてサトミは、リュックから裁縫セットみたいなのを取り出した。
刺繍用のキットらしい。
「これで、ユウも何か縫ったら」
「私はいいわよ。全然やった事無いから、変な風になっちゃう」
すると首を振り、刺繍の図案が書かれた本を渡された。
「あなたは、シスター・クリスのために縫うんじゃないの」
悪戯っぽい笑み。
言いたい事が、少し分かった。
「じゃあサトミは、ヒカルのために何か縫った?」
「これが完成したら考えるわ。そんな事はどうでもいいから、ほら無地のハンカチ持ってきて」
ヒカルはどうでもいいのか。
彼氏より、今はシスター・クリスなのか。
いいのか遠野聡美、それで。
「何よ」
「いや、別に」
ハイチェストの引き出しを開けて、捜索することしばし。
普段滅多に開けないような所まで開けて、とにかく捜してみる。
……あった、白のハンカチ。
何だこれ、こんな所にペンいれたかな。
あ、DDもある。
中は何だろ、ラベルないや。
メモもある、40204……。
暗号?
いや、確か懸賞の答えだ。
この間サトミと一緒に解いた。
あの時は、遅くまで頑張った。
次の日、学校休んだくらいだもんね。
締め切りって、もう過ぎてるのかな。
大体、何が当たるんだろ。
コート、マフラー、ジャケット、セーター。
違う、それはこの前の約束だ。
「思い出せない……」
「何が?」
「いや。懸賞のプレゼントが」
真っ白な表情で見据えられた。
何も、そんな顔しなくたって。
「ハンカチでしょ。あるって、ありました」
引き出しを閉め、急いでサトミの元へ向かう。
すると彼女、今度は紙を取り出した。
書くと裏に写るカーボン紙のような物で、布にも写るらしい。
その後は洗濯すれば、その写ったラインは消えるんだって。
「簡単なので、ユウが思い浮かぶのは」
「相手を誰にするとか聞かないの」
「聞いて欲しいの?」
「いえ、いいです」
ほら見た事かという顔。
いいじゃない、そのくらいは抵抗したって。
「……四つ葉のクローバーってどうかな」
「ショウ、玲阿四葉。四葉でクローバー。なるほど、上手いわね」
「でしょ。あれなら簡単だと思う」
うん、我ながら冴えている。
でもクローバーって、どんな形してるんだろ。
いざ思い出すとなると、出てこない。
丸っこい感じのはずなんだけどな。
「何か参考にしたら」
ペンを持って唸ってたら、サトミがいい事を言ってくれた。
「さすが学年トップ、頭良いね」
「あんまり関係ないと思うわよ」
「いいから」
今度は机の引き出しを開け、厚めの小説を取り出す。
「それにイラストでも載ってるの?」
「まあ見てなさいって」
本をテーブルの上に置き、しおりの部分を確かめて慎重に開ける。
「……押し花」
納得という声を出すサトミ。
ページの上に並べられる、綺麗に乾燥した幾つものクローバー。
私が集めた、四つ葉のクローバー。
彼と出会ってから集め始めて、気づいたらこんなになっていた。
昔は、好きとかどうとかいう気持は分からなかった。
だからこそ思う、集めていてよかったと。
どうにかハンカチに写し終え、ようやく針に糸を通す。
糸がすぐに解けて、入りにくい。
「裏に刺して、そう。ハンカチの繊維を数本だけ縫うの……。そう、それが縫い始め」
「ふぅ」
まだ一針刺しただけなのに、すごい疲れた。
慣れない作業で、力を入れ過ぎてるんだ。
縫い方や色はサトミに教わりつつ、慎重に針を進める。
最初は本当にただ縫っているだけだった。
でも少しずつ進むに連れて、余裕が出てくる。
技術的にも、気持的にも。
サトミの言っていた、思いを込めるという事が分かってくる。
一針一針に、思いを込めて縫っていく。
少しずつ、少しずつ進めていく。
急がずに、慌てずに。
そうすれば、いつか形になるから。
彼が怪我をしないように、いつも笑っていられるように。
お父さんへ近づき越えるという夢が叶うように。
私のお願いなんて、何の意味もないかもしれない。
それでも、私は針を進める。
一針一針、彼の事を想って。
いや、ほんの少しだけ自分の事も思いつつ。
これを、彼が受け取ってくれるといいな……。
かなりの時間を掛けて、やっと一葉縫えた。
といっても、縁取りだけ。
葉の中まで縫うとハンカチが固くなるし、そこまでを求められても困る。
こっちの方が、シンプルでいいしね。
「疲れた」
「一気にやろうとするからよ。シスター・クリスが来るまではしばらくあるんだから、その辺をめどに作れば」
「そうね。そうさせて貰う」
「その刺繍キットは使ってないから、ユウにあげるわ」
手を叩き、サトミを拝む。
いい友達を持った、いい友達を持った。
……何か変だな。
「そういえば、モトちゃんは服作ってるんだよね」
「あの子こそ大変よ。服は、そう簡単に作れないから。しかも、何着も作るの」
「よし、話を聞いてみよう」
「止めなさいよ。忙しいんだから」
といいつつ、私に端末を渡してくるサトミ。
自分だって、会いたいんじゃない。
「……「野」三姉妹集合」
それだけ言って、通話を終える。
私は「雪野」、サトミは「遠野」、モトちゃんは「元野」
という訳で、「野」三姉妹という訳だ。
少しして、長姉がやってきた。
「忙しいのよ、私」
座るやテーブルを叩き出すモトちゃん。
私達は気にせず、お茶を飲む。
「いいじゃない。あんまり根詰めると倒れちゃうよ」
「そうそう。ほら、モトも飲んで」
サトミが差し出したハーブティを口にして、モトちゃんはハイチェストへともたれた。
「分かってる。んー、ちょっと一休み」
そのまま床へと崩れていく。
「風邪引くわよ」
彼女の体に、さっきのシーツを掛けるサトミ。
モトちゃんはそれにくるまり、顔だけを出した。
てるてる坊主じゃないんだから。
「刺繍、上手くいってるじゃない」
「先生の仕込みがいから」
「私はちょっと教えただけよ」
ふーん、師匠はモトちゃんか。
彼女、服飾関係の授業も取ってるもんね。
それに、こういう家庭的なのが好きなんだ。
料理も上手で、裁縫も出来て、それで優しくて。
昔のお母さんタイプで、私のお嫁さんに欲しいくらい。
男の子に生まれればよかったかな。
モトちゃんは疲れているらしく、シーツにくるまったまま動こうとしない。
「作ってる服って、いつ着るの?」
彼女の体を押し、床を転がす。
「押さないで。シスター・クリスを招いた夕食会というか、パーティの時」
「食事も手作りで、中庭を利用したガーディンパーティ形式なの」
なるほど。
夢があるっていうか、面白そうだ。
この間会った、天満さん達のアイディアだろうか。
「じゃあ、私にも服作って」
「何言ってるの、ユウ。私達ガーディアンや生徒会関係者は、全員制服着用よ」
私の方へ転がってくるモトちゃん。
そして下から、私の顔を見上げる。
「服を着るのは、一般の生徒だけ。私達裏方は、パーティを楽しんでる余裕もないし」
「つまんないな、それ。警備はお飾りで、服も着れないなんて」
「シスター・クリスを守るという、その使命だけで十分じゃない」
サトミが、うっとりした顔で手を揉みしぼる。
あなたはいいよ、彼女のファンだから。
「そんなに着たいなら、自分で作れば。教えてあげようか」
「いい。もうやる事があるから」
「初恋の少女になったのよ、ユウは」
「な、何それ」
慌ててハンカチを捜したら、すでにモトちゃんが持っていた。
「葉っぱ……。違う、色が明るいし、縦の楕円。葉の位置は……」
ぶ、分析してる。
細い目がさらに細められ、私を捉える。
「……クローバー。四つ葉のクローバー」
「さすがモト」
モトちゃんを転がす事で、さらに感心を表現するサトミ。
「素敵じゃない。ショウ君も喜ぶわよ」
「そうかな」
「勿論。でなかったら、ショウ君なんて振っちゃいなさい」
振っちゃいなさいって、あなた。
そりゃ受け取ってくれなかったら寂しいけど、だからってそんな。
「私は、何も男の子はショウ君だけじゃないって言いたかっただけ」
「そ、そうだけど。でもさ」
「そこまでショウが好きなら、一言言えばいいじゃない「好きです」って」
苦笑して、モトちゃんからハンカチを受け取るサトミ。
そこに刺繍された四葉の一葉を、ほっそりとした指先で撫でる。
「格好良くて、強くて、真面目で、優しくて。それでも、まだ何かご不満?」
「不満とかじゃなくて、その。まだ自分でもはっきりしないの。ショウを好きなのかどうかって」
「丹下さんがこの間言ってたでしょ。ケイ君の事を「悪くないって思ってる」って」
私は頷き、体を起こしたモトちゃんと向き合った。
「彼女は、別に付き合うなんて言っていない。ただ、自分の気持ちを認めただけ」
「私もそうしろって?」
モトちゃんは優しく微笑み、私の手を握った。
「あなたにはあなたの、丹下さんには丹下さんの考え方がある。どうするかは、ユウ自身が決める事よ」
「私は……。私はやっぱり、まだ何とも言えない。今はただ、心の中で想ってるだけで十分だから」
勇気がないのだろうか。
それとも、男女としての好きじゃないのだろうか。
分からない、自分の心なのに。
それがはっきりするまでには、どれだけの時間が掛かるのだろう。
どうすれば、本当の自分の気持ちに気づくのだろう。
前期に、彼が戦った時の事を思い出す。
無我夢中で彼に抱きついた。
何も考えず、ただ彼の事しか考えられなかった。
あの気持は、一時だけの高ぶりだったのだろうか……。
「悩んでるわね、雪野さん」
顔を上げると、笑っているサトミと目が合った。
「ん、少し」
「私もよく分からないけど。そういう事を考えるのも、また恋なんじゃないかしら」
はにかんで、耳元をかき上げる。
「サトミも、ヒカルとはそうだったの?」
「さあ、どうかな」
モトちゃんを転がし、シートをたたみ出すサトミ。
「人を勝手に呼んでおいて、用済みになったらこの扱い?」
文句を言いつつ、モトちゃんはたたむのを手伝っている。
シーツをリュックにしまった二人は、それをサトミが背負って立ち上がった。
「じゃあ、また明日。刺繍で分からなくなったら、モトを呼んで」
「うん、分かった」
「勝手に、何決めてるの」
笑う私達。
「ショウ君の事は、ゆっくり考えなさい。まだあなた達は、高校生なんだから」
「お姉さまは、言う事が違うわね。本当に同い年?」
「どうせ年寄りです、私は」
じゃれ合う二人を見ていて、少し気持が楽になる。
確かに、何も結論を急ぐ必要はない。
それに、私だけじゃなくてショウの気持もある事だし。
「ユウ。そんな顔してたら、また映未さんに好かれちゃうわよ」
髪がそっと撫でられる。
ちょっと落ち込み気味な私を慰めるように、労るように。
「さて、私はまたお針子さんに戻ろうかな」
「少し手伝うわ」
「そのつもりで言ったの」
はしゃぎながら廊下を歩いていく二人を、笑顔で見送る。
ドアを閉め、ベッドの上で少しぼんやりとする。
髪に残る、柔らかな柔らかな感触。
サトミが撫でてくれた。
悩んでいた私を、慈しむように。
モトちゃんが私のお姉さんなら、彼女は何だろう。
外見も、頭の良さも彼女にはかなわない。
でも私は思う、彼女は私と同じ。
恋して、悩んで、怒って、笑う、普通の女の子なんだって。
彼女が撫でてくれた髪に、手を当てる。
その温もりを、もう一度感じたくて。
優しい気持ちを。
私への思いを。
自分の思いも込めて。




