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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第32話
348/596

32-1






     32-1




 正月気分も、もう終わり。

 そろそろ身も心も引き締めていく必要がある。

 だからという訳でもないが、ショウ達と一緒に出稽古へ向かう。

 別に他流派への道場破りではなく、格闘系クラブへと。

 連合が解体された今、時間はあるけど施設を使える時間が限られてきた。

 という訳で、腕試しも兼ねて強そうな相手を追い求める。

 私は求めてないけどね。


「済みません。練習したいんですけど」

 首からタオルを提げている、ジャージ姿の女の子に声を掛ける。

 ストップウォッチとメガホンも持っているので、おそらくはマネージャーだろう。

「入部希望、ではないですよね」

 ショウと御剣君を見上げ、少し下がる女の子。

 道場破りではないけど、誤解されたかも知れないな。

「元連合の者です。軽く、マスボクシングで結構ですから」

「部長に聞いてみますね。部長、お客さんが」

 女の子が声を掛けると、黙々とパンチングボールにジャブを叩き込んでいた男の子が振り向いた。

 体格的にはミドル級といったところかな。

「玲阿君と御剣君。いや、名乗らなくても名前くらいは知ってる」

「では」

「いいよ。異種格闘技戦だけど、蹴り無しでなら」

「それは勿論」

 簡素なグローブを装着した御剣君をリングに上げ、私はコーナーでセコンドに付く。

 一応、釘は刺しとくか。

「いい?当てちゃ駄目よ。殴られても我慢。私達の立場を分かってるでしょうね」

「そういうのは苦手なんですが」

「じゃあ、ここで私に殴られたいの」

「我慢します」

 グローブを重ね合わせ、リングの中央へ走る御剣君。

 連れてきたのは失敗だったかな。



「では、始め」

 手を交差させる部長。

 相手は御剣君と同じくらいの体型の男の子。

 スピードよりもパワー重視のタイプか、圧力はあるが機敏さに欠ける。

 細かい動きでサイドを取り、こめかみ脇腹と拳を添えていく御剣君。

 相手の肘が軽く鼻をかすめるが、このくらいは予想の範囲。

 それでも、改めて注意はしておくか。

「殴ったら、分かってるでしょうね」

 びくっと体を震わす相手の子。

 どうやら、自分に言われたと思ったらしい。

「そうじゃなくて、御剣君に言ったんです。気にせず、当てて下さい」

「雪野さん」

「冗談よ。ほら、真剣にやって」

 その言葉が効いたのか、より接近して打ち合う二人。

 自然とグローブが体を捉える場面も増えるが、倒すくらいの気で打たない事には意味がない。

 だからといって、当てても始まらないんだけどね。

 とりあえず大丈夫そうなので、後はショウに任せてサンドバッグに取り付く。

 もしくは、飽きた。


「さてと」

 軽くジャブを連打。横に回り込んでボディー。

 離れ際にジャブを放ち、すぐに飛び込んでワンツー、フック。

「ギャーッ」

「わっ」

 突然泣き叫ぶサンドバッグ。

 これってもしかして、例のあれか。

 どうでも良いけど、もっとちゃんとした事に予算を使ってよね。

「この、このっ」

「グワー、グワー」

 叩けば叩くだけ泣き叫び、面白い以前に気味が悪い。

 だからこそ、余計に叩きのめしたくなるんだけどさ。

「うわーっ」

 テクニックも何もなく、ひたすら連打。

 頭が真っ白になるまでサンドバッグを叩き、精も根も尽き果てる。

 本当、これは捨ててくれないかな。



 次にやってきたのは空手部。

 ショウが以前揉めた所ではないので、大丈夫だとは思う。

 打撃以外に投げや関節も認めていて、ルールとしては総合格闘技に近い。

「済みません。練習したいんですけど」

「入部希望なら、まずはサイン。道着は前払い」

 事務的というか、愛想のないマネージャー。

 こういうのは初めに出会う相手で印象が決まるし、その組織の雰囲気も分かる。

 むっとしかけた私を下げ、丁寧に言い直すショウ。

「入部希望ではなく、練習をしたいだけです。軽く、手合わせ程度に」

「興味本位のケースは断ってるんですが」

「一応、素人ではありません」

 この人が素人なら、この学校にいる殆どの人間は素人になる。

 結局ショウの容姿が物を言ったらしく、マネージャー風の子は軽い足取りで畳敷きの道場を奥へと進んだ。

「感じ悪いね」

「分かってるだろうけど、暴れるなよ」

「中等部の頃、空手部で大暴れしたの誰よ」

「俺は柔道部ですからね」

 訳の分からない事を言って、畳の端に正座する御剣君。

 別に意味はなく、仮にここを攻撃されても彼等は軽く相手をなぎ倒す。

 姿勢、人数、立ち位置、武器。

 ありとあらゆる不利な状況を前提に、日々の鍛錬に励んでいる人達だから。



「この忙しいのに……。いや、失礼。今日は忙しいので、また後日」

 頬を引きつらせて後ずさる、五分刈りの厳つい男。

 どう見ても脅す方が似合う外見だが、今は冷や汗を流して私達から目を逸らしている。

「分かりました。お手間を取らせて、申し訳ありませんでした」

「い、いえ。当分忙しいので、本当に」

 締め切りにでも追われてるのか、この人は。

 つまり、余程私達とは関わりになりたくない訳だ。

 それが連合関係者と関わりたくないのか、私達個人と関わりたくないのかは知らないが。

「部長。そいつらは何です。道場破りなら、俺が」

「ば、馬鹿。す、済みません、こいつ何も知らなくて」

「名前くらい知ってますよ。いますよね、そういう連中。名前だけは売れてて、実際は全然って」

 真っ青な顔で首を振る部長。

 一方ショウを真上から見下ろしている男は、高笑い。

 この程度の挑発に乗るような子でもないため、部長に伺いを立てるような顔をする。

「い、いや。どうしてもというのなら、俺は止めませんが。その、責任は」

「あんたもだらしないな。おい、その辺のスペース空けろ。こちらの玲阿君と今から試合だ」

 喜々として叫ぶ男。

 過去こういうケースはよくあり、その結果は毎回同じ。

 当然今回も、同じはず。

 この時点で、ため息が出てくるな。



 道場の中央で対峙する両者。

 ボクシング部とは違い、かなりの張りつめた空気。

 ただし張りつめているのは空手部の半数。

 残り半数は、ショウへの敵愾心に満ちている。

 この辺りは嫌な言い方だが、有名税としか言いようがない。

「ルールは空手部の」

「俺は何でもありで」

「では、それで」

 軽く手を握り込むショウ。

 ボクシング部よりも薄いグローブ。

 当たり所が悪ければ大怪我につながるし、また拳自体がその負担に耐えられるかというレベル。

「知らんぞ、もう。始め」

 おざなりに開始を告げる部長。

 突き出される二本の指。

 顔めがけて飛んできたそれを、半歩下がってやり過ごすショウ。

 そして無造作に晒された指に手刀を当て、半歩前に戻る。

 股間に飛んできた膝には肘を落とされ、タックルに来たところで横に回られ顎を軽く打ち抜かれる。

 急所も当たれば有効だが、そこばかりを狙うのはあまりにも見え透いている。

 そこに注目させてという考えだとしても、息が上がっている今はそれに何の意味も無いだろう。

 あくまでも受けに回っているショウ。

 こういう自制心がどこから生まれるのかは知らないが、私なら一撃で全てを終わらすところだ。


「そこまで」

 さすがに見かねてか、止めに入る部長。 

 ショウは数歩下がり、グローブを外して一礼した。

 彼の消耗は殆ど無し。

 一方の相手は、今にも倒れ込みそう。

 実質的なダメージは薄いが、空回りした分疲労度は相当にたまっているはず。

「という訳なので、帰ってもらえますか」

「ええ。こちらこそ、済みませんでした」

「いえ」

 ようやく厄介払いが出来るという顔。

 ただ、一応部員の体調を気遣う事はするようだ。


「ふ、ふざけるなっ」

 叫び声を上げて突進してくる男。

 ショウはそれを軽くかわし、通り過ぎた後頭部にかかとを添えた。

「文句があるなら、今聞く。試合は終わった。それで、他に何の話がある」

「は、話は」

「勝負は付いたんだ。それでもやるのなら、ルールも何も関係ないぞ」

 辺りの空気が凍り付くような低い声。

 それまで野次を飛ばしていた子まで、顔を逸らして彼を避ける。

「俺達は帰りますので、後はよろしくお願いします」

「え、ええ」

「続きがしたければ、いつでも来て下さい。俺は待ってますから」




 少し気を重くしつつ、空手部を後にする。

 やっぱり、私達だけで回るのは無謀だったのかな。

「頼もー」

 スティックを背負い、そう叫ぶ。

 少しして、左右に木刀を持った華奢な女の子が現れた。

「えと、何のご用ですか」

 にこやかな笑顔と、それとは対照的な低い腰の構え。

 私が少しでも敵意を見せれば、木刀が飛んでくるだろう。

「道場破りです。誰か、相手して下さい」

「武器を使いますか?それとも素手で?」

 少しも動じないな、この子。

 とはいえ緊張感ははらんだままで、不用意に近付いてくるような真似はしない。

「どちらでも。出来るだけ強い人をお願いします」

「私では役不足のようですね。済みません、どなたか部長を呼んで下さい」

 不用意に背中を見せる女の子。

 隙だらけと言いたい所だが、体を軽く振れば木刀は私の首筋を捉える。

 この辺りは、虚々実々の駆け引きだ。


「道場破り?一体、何時代の……。あなた達、暇なの」

 木刀ではなく、真剣を携えて現れる鶴木さん。

 自分こそ、何時代の人間なのよ。

「軽く調子を見ようと思いまして」

「空手部に殴り込みがあったって聞いてるわよ」

「あれは誤解です。それで、相手は誰が」

「まずは、彼女とやってみたら。雪野さんと体型も大差ないでしょ」

 さっきの女の子の肩に手を置く鶴木さん。

 彼女は一瞬戸惑いの表情を浮かべ、しかしすぐに木刀を腰にためた。

「及ばずながら、頑張ります」

「という訳。雪野さんも木刀?それとも、スティックを?」

「私も木刀を」

「二本は、無理か。誰か、プロテクターと木刀持ってきて」

 鶴木さんが声を掛けた途端に集まってくる部員達。

 部長というより、お姫様か。


 腕、胴、足。

 そして頭。

 打ち込まれる可能性がある場所に対応したプロテクターを着けては行くが、それ以外の場所へ打ち込まれる可能性も当然ある。

 だからこその緊張感と高揚。

 軽く木刀を振り抜き、その感覚を確かめる。

 なんか、やたらに重くて振り回されるな。

「大丈夫ですか」

 木刀に引っ張り回される私を気遣う女の子。

 彼女に愛想笑いをして、もう何回か振る。

「なんとか。お願いします」

「お願いします」

 お互いに一礼して、距離を開ける。

 木刀の先を重ね、後は試合の開始を待つだけ。

 分かる人は、この時点で相手の実力が分かるという。

 かなりの実力者というのは伝わってくるし、木刀を二本持つ体力は普通ではない。


「始め」

 開始の合図と共に左右から打ち込まれる木刀。

 下がってかわすには、長い木刀。

 木刀を胸にため、姿勢を低くして懐へ飛び込む。

 完全に打ち込まれる前に体勢を崩させ、さらに前へと出る。

 かわすよりも打たせない方が有効で、私のように小柄な場合は余計に。

「せっ」

 木刀を持ち替え、柄の部分で付いてきた。

 長さがない分、接近した相手には有効。

 胸に抱えていた木刀でそれを受け、足を払う。

 彼女が足を浮かせたところでさらに押し、軸足も払う。

「くっ」

 浮いた状態から私の肩に手を掛け、木刀を振り下ろして来た。

 肩を押さえられ、大きな動きは不可能。

 上からは木刀。

 単純にしゃがんでバランスを崩させ、なおも降ってくる木刀を横から掴んで軽く押す。

「え」

 落ちてきた勢いのまま横へ飛んでいく女の子。 

 一気に距離を詰め、倒れ込んだ所で喉元に膝を落とす。

 あくまでも、添える程度の勢いで。



「そこまで」 

 お互いに立ち上がり、向かい合って一礼する。

 お互いの健闘を湛え、認め合い、この戦いを心に残す。

「鉛背負って、グランド10周」

「はい」

 木刀を鶴木さんに預け、肩を落として去っていく女の子。

 なんだか、自分が罰を与えてしまったようで気分が悪い。

「一つ言っておくとね。あの子はこの部の次期エースなの」

「でも、別に」

「実戦系剣術というくらいだから、どうしても剣に頼る気持ちが強いのよ。勿論素手でも強いんだけど、あなたみたいに特殊なタイプはね」

 悪かったな、規格外で。

 私としては牽制のつもりで木刀を選んだが、鶴木さんの言う通り上手く練習台にされたという訳か。


「なに、殴り込み?」

 木刀を腰に差して現れる右動さん。

 構えもしなければ敵意も無し。

 ある意味、達人の域に達している。

「真由ちゃん、しっかりしないと」

「あなた、ここの師範代でしょ」

「俺はフェンシング部で、ここは籍を置いてるだけだよ」

「試合に勝った事あるの?」

 途端に押し黙る右動さん。

 鶴木さんによると、フェンシング部の試合では連戦連敗。

 すでに3年は試合に出る権利もなく、一勝も出来ないまま卒業らしい。

「ルールが細かいんだ。叩くなとか、蹴るなとか」

 何、当たり前の事を言ってるんだか。 

 というか、この人達3年なのにまだ部活に居座ってるのか。


「二人とも、引退は?」

「私も巧君も、籍があるだけ。本当の部長は他にいるし、顧問みたいなものよ」

 確かに彼等が檄を飛ばさなくても部員達は練習に励み、汗を流して頑張っている。

 3年が卒業し、在校生が進級し、新入生が入ってくる。

 人は入れ替わり、練習方法も雰囲気も変わっていく。

 だけどまた、受け継がれていく事もあるんだと思う。

「大した練習にならなくて悪かったわね。四葉君と武士君は、残って他の子の練習を見てやって」

「じゃ、私はこの辺で」

「ええ。また、来てね」

 またって、まだ居座るのかこの人達は。




 玲阿家と御剣家、鶴木家は遠縁の関係。

 お互い気心は知れてるし、言ってみれば姉弟のようなもの。

 とはいえ私をのけ者にした訳ではなく、ショウ達の方が気兼ねなく使えるんだと思う。

 さすがに彼女も、私に用具運びはさせにくいだろうし。

 それ以前に、物理的に無理だけどね。

「寒いね、ここは」

 肩を押さえて足を踏みならす。

 やってきたのは陸上部が練習しているグラウンドの一角。 

 息を切らして走るクラブ生達を見ていると、つい自分もそこに混じってみたくなる。

「ニャンだけ?」

「黒沢さんと青木さんは、SDC。向こうの方も忙しいのよ」

「ふーん」

 そう思うと少し寂しいな。

 私は出来ないせいもあるけど、そういう役職よりもこうして現場にいた方がいい。

 それは、彼女達が一番思っているかも知れないが。

「走る?」 

 直線に引かれたラインを指さすニャン。

 体は暖まっているし、服はジャージ。

 スパイクは、陸上部のクラブハウスにおいてある。



 何度かスタートをチェックして、スターティングブロックの位置を修正。

 スターターのタイミングを意識し、もう一度スタートをチェック。

「良し、行こうか」

「誰か、タイム計って」

 真剣な表情で隣に並ぶニャン。 

 私もヘアバンドの位置を直し、靴ひもを確認して腰を下ろす。

 ここからは、小等部からの親友という間柄ではない。

 同じ道を行く。だけと戦う、倒すべき相手。

 馴れ合いも同情も介入しない、真剣勝負の世界。


「Get on。Ready。go!」


 最高の飛び出しを見せるニャン。

 それが見えているのは、私が出遅れているから。

 しかしここで慌てては意味が無く、先行されているのを確認しつつ自分のペースを守る。

 本当に全力で走れる距離は、どんな人間でも100mには絶対に満たない。

 全てを綿密に計算しつつ、ただ臨機応変に対応もする。

 今のままでは引き離されるだけ。

 少し早めに加速して、出来るだけ距離を詰める。

 上がる息。

 きしむ手足。 

 これもこの場で走っていればこそ。 

 ニャンと共に走っていられるからこそ味わえる感覚。




 ゴールを駆け抜け、少し前を歩くニャンを見つめる。

 全力を出し切り、自分の持てる全てを振り絞っての結果がこれ。

 彼女と一緒に走る機会は、まだあるかもしれない。

 でも、彼女の前を行く事はもう二度とないだろう。

 相手はオリンピックに出場するような選手。

 一緒に走れるだけでも光栄と思うのが普通の考え方だとしても。

 例え子供の頃でも、一時期は共に競い合いあった仲。

 この時間が縮まる事は無く、私は遠く置いていかれた。

 それだけの才能が無かったし、陸上という道を選ばなかったせいもある。

 もし過去に戻れるとしたら、多分その可能性を探るだろう。


「10秒台じゃない」

 私の考えを知ってか知らずか、明るく笑いかけてくるニャン。

 他の部員も賞賛の眼差しで私を見てくる。

 彼女にはもう絶対追いつけないけど、走る事は出来る。

 それだけでも十分という気持も当然持っている。

「陸上部に転向する?」

「いや。一日1本が限界だから」

 陸上に進まなかったもう一つの理由は、この体力の無さ。

 1本なら、今くらいのタイムは叩き出せる。

 無理をすれば、もう一度走る事も出来る。

 ただし翌日は、全く使いものにはならない。

 大きなレースになれば、一日2本走ったり翌日も走るのは当たり前。

 予選は突破しても決勝は棄権の繰り返しという構図が目に浮かぶ。


「まあ、私は遊びでやっていく」

「遊びで10秒台出されても困るんだけど。東海地区でも、何人も出せない記録よ」

「決勝にシードしてくれるなら考える」

 私の体力の無さを知っていて、くすくすと笑うニャン。

 ショウにとって御剣君や鶴木さんがそうであるように、私にとっての近しい存在。

 共に時を過ごし、共に成長してきた関係。

 彼には彼の世界が、私にも私の世界がある。

 澄み切った冬の空に、ふとそんな事を思ったりした。




 という訳で、動く気力も体力も尽き果てた。

 よろよろしながら本部に戻り、椅子に座って机に伏せる。

 もう、本当に何もしたくない。

「ショウ達は?」

「鶴木さんの所」

「あなたは、何してるの」

「限界に達した」

 モトちゃんの質問にそう答え、全身の震えと疲労に耐える。

 回復は早い方だが、猫科ではないので今すぐという訳にはなかなかいかない。

 そう考えるとニャンは毎日こんな繰り返してるんだから、頭が下がる。

 彼女に限らず、さっきのボクシング部などの部活全般は。


「1年生が、練習を見て欲しいって言ってた」

「無理。ショウ達を呼び戻して」

 伏せたままそう答え、痺れる手足を軽く揉む。

 この刺激がまた心地良いんだか、悪いんだか。

「怖いから、一人で笑わないで」

「無理なんだって。……ちょっと、寝る」

 部屋の隅で毛布に包まり目を閉じる。

 人間、寝るか食べれば回復するよう出来ている。

 出来て無くても、今は寝る以外にやる事が無い。

「済みません。さっきの練習……・。わっ」

 頭上から聞こえる叫び声。

 それに反応する気力も無く、寝返りを打って壁に体を寄せていく。

 この狭さというか密着感が、なんとも言えない安心感を呼ぶ。

 猫が隙間で寝る心境が、少し分かった気にもなる。


「ユウ、さっき話してた1年生が来た」

「ショウ達を呼んで。私は、本当に限界だから」

「体調でも悪いんですか」

 なんか心配をされてきた。

 子供みたいにはしゃいで走ったら、体力を使い果たしました。

 なんて、先輩の貫禄が0の答え。

 寝てる時点で、貫禄も何もあった話じゃ無いけどね。

「えーと、あれ。隣から、渡瀬さん呼んできて」

「また、そういう事を言って。……丹下ちゃん?……悪いけど、渡瀬さんを少し貸して欲しいんだけど。……ええ、ごめんなさい。……ええ、それは後でユウに。……はい、また」

 どうやら交渉は成立したらしい。

 最後の方の台詞が少し気にかかるが、それは気力が回復してからゆっくりと考えよう。

「あなた達、練習する場所は?」

「えと、今から探そうと思いまして」

「そう。サトミ、どこか使えそう?」

「遠い所ならいくつか空いてる。それでも良いなら、抑えるわよ」

「お願い。後は、渡瀬さんと一緒にその施設で練習をしてきて。彼女も1年だから、気兼ねする必要は無いわよ」

 適当に告げて、ゆっくり眠る。

 刺すような視線は気にしない。

 気にしてたら、私は今まで生きてない。




 結局叩き起こされ、私も学校の端にある小さな道場へとやってくる。

 どうやら同じ2年なので、気兼ねする必要がなかったらしい。

 床は畳敷きとマットの両方。

 小さな町の道場といった風情で、窓から見える西の空が少し眩しい。

 少し切なくなりつつ、マットの上に座って欠伸をする。

 床も柔らかいし、こっちの方が寝やすそうだ。

「お前、何寝てるんだ」

 横になったところで掛けられる声。 

 口元を押さえて顔を上げると、名雲さんが笑っていた。

 多分、モトちゃん経由で呼ばれたな。

「雪野さん、疲れてるみたいだね」

 くすくす笑いながら、彼の後ろから現れる柳君。

 そうでもないと言おうとしたが、言葉にならず欠伸をする。

 本当、限界なんだって。


「始めて良いですか」

 ちょこちょこと駆け寄り、名雲さんと私にお伺いを立てる渡瀬さん。

 私は何一つ異論は無く、名雲さんもすぐに頷く。

「では、みんな集まって。まずは道場内を走って、体が暖まったところでストレッチ。その後、それぞれのレベルに合わせて練習。はい、走りましょう」

 そつなく説明をこなし、先頭を走っていく渡瀬さん。

 彼女は私のようにスタミナ不足というタイプでは無く、むしろ持久力に優れている方。

 加えて瞬発力もあり、かなり手ごわい相手と言える。

 今の私なら、全く相手にならないだろう。

「あいつ、普段はちゃかついてるのに意外と普通だな」

「済みませんね。いつ何時でもちゃかついてて」

「じゃあ、大人しくしろよ。お前、4月で3年だろ」

 こういう話を、中等部の頃もされたような気がする。

 そうなると大学に入っても社会人になっても、節目ごとにこう言われる訳か。

 でもってそのまま一生を終えるとしたら、ちょっと汗が出てくるな。


「雪野さん、何してたの?」

「陸上部で、友達と100Mを競争してた。負けたけどさ」

「雪野さんの友達って、オリンピック選手の猫木さん?」

「まあね」

「なんか、負けて残念って言い方だね」

 冷静に疑問を呈してくる柳君。

 相手はオリンピック選手で、負けて当たり前と考えるのが普通。

 だけどそれでも、わずかな可能性に懸けるのが戦いというものだ。

「一応、元ライバルだからね。負け続けても、一生挑み続けるの」

「タイムは?」

「これ」

 端末を取り出し、ここ10戦のタイムを表示。

 若干のばらつきはあるが、殆どが10秒台。

 それには柳君と名雲さんも、目を丸くする。

「お前、何者だ」

「一発勝負なら10秒台は出せるんです。連続しては走れないけど」

 そんな話をしている内に、ストレッチが終了。

 それぞれの申告で、レベル別に分かれていく。



「おかしくない、これ」

 柳君のグループは、上級者を集めるつもりだった。

 しかしそこに整列しているのは、頬を赤らめた女の子ばかり。

 どう見ても、ストレッチのせいだけではないだろう。

「俺の方は、どうしてこれなんだ」

 名雲さんの前に並ぶのは、やたらと大きい体の男の子達。 

 こっちは、腕試しという訳か。

「では、雪野さんの主観で選んで下さい。私は初心者、名雲さんは中級者、柳君は上級者で」

「なんか、恨まれそうだな。簡単にやってみるね。全員横一列に並んで。渡瀬さん、見てて」

 素早く整列する1年生達。

 その右端に付き、やや距離を置いて鼻先にジャブを放っていく。


 大きく避ければ中級。

 驚くだけなら初級。

 反射的に反撃しようとするか、余裕なら上級。

 無論例外もあるし順番を待ってる方は慣れてくるので、不意に攻撃を変えてみたりする。

「大体分かりました。今から指を指された人は初級に、残った人は中級にお願いします。えーと」

 私と同じ感覚で選んでいく渡瀬さん。

 結局女の子は殆どが初心者で、男の子は中級者が一番多い。

 逆に上級者は女2と男1。

 ただしかなりひいき目に見た結果で、ガーディアンとしてのレベルなら中級者程度だろう。



「じゃ、名雲さんそっちはお願い。渡瀬さんも」

 私は何をするかといえば、体調がまだ優れないので畳に座って欠伸をする。

「雪野さん」

 さすがに呆れ気味の声を出す柳君。

 言いたい事は分かるが、今はとても動ける状態ではないし無理して動けば手加減も出来ない。

「ちゃんと見てるから。女の子同士で、軽くスパー。男の子は柳君と。それが終わったら、1:3でやってみて」

 素直に頷き、言われた通り動いていく1年生達。 

 私は本当に見ているだけで良く、とにかく眠くして仕方ない。

 猫は良く1日中寝てるなと感心するけど、今はその気持が良く分かる。

「っと」

 横に転がり、側転気味に飛んで畳みにしゃがむ。

 突然人が転がってきたので、意識するより先に体が動いた。

 塩田さんに言われた通り、勘は確実に鋭くなってきてるようだ。


「お前は、達人か」

 笑いながら近付いてくる名雲さん。

 どうやら、1年生を軽く投げ飛ばしたらしい。

「何も、私めがけて投げなくても。大体、どうやって」

 飛んできたのは、鏡餅の下のお餅を連想させる大きな男の子。

 普通なら、組み合うだけでも一苦労だろう。

「何事も厳しくだ」

「良いですけどね、大怪我しなければ」 

 擦り傷切り傷打ち身というのは、怪我の内に入らない。

 つまり、そのくらいの事をやらなければ強くはなれない。 

「ほら起きろ。お前はまず、グランドを10周だ」

「え」

「嫌なら、俺ともう一勝負でもいいぞ」

「走ってきます」

 真っ青になって道場を飛び出ていく男の子。

 体型から見て体重過多なのは明らかで、まずは絞り込む事が優先される。

 やり方はともかく、理には適っている。


「次は5対5。適当に組んで、リーダーを決めろ。リーダーは腕にバンダナを巻いて、それを奪った方が勝ち。負けた奴は、ジュース買ってこい」

 一斉に上がるブーイング。

 名雲さんは構わず手を叩き、強引にグループを組んでいく。

 この辺りのリーダーシップや統率力は、見習うべき物がある。

 私も自分を鍛える事はそれなりに自信があるけど、他人の指導はやや不得手。

 そういう機会が少なかったのと、元々向いてないんだろう。


「そつがないですね」

「ガーディアンの指導もよくやったからな。お前も、マニュアルくらいは読んだ事あるだろ」

「口で説明したりするのは苦手なんです」

「らしいといえばらしいが。……良し、そこは負け。ジュース買ってこい」

 文句を言いつつ道場を出て行く1年達。

 名雲さんは勝ち残った子達に歩み寄り、笑いながらその頭を撫でている。

 この人は傭兵や渡り鳥よりも、指導者タイプなんだろうか。

 それとも、そういった過去があるからこそ指導技術が磨かれたかもしれない。




 本部に戻り、やはり毛布に包まる。

 眠いのもそうだし、何より暖房が効いてない。

「何とかならないの、この寒さは」

「元々資料室だから、清掃用の空調設備しかないのよ」

 足元のヒーターに手をかざし、背を丸めるモトちゃん。

 その内ストーブの上で、焼き芋を焼くんじゃないだろうな。

「それより、1年生はどうだった?」

「特に問題なし。意外と名雲さんがまともだなってくらい」

「元々まともです」

 ここは少し怖い声を出す彼女。

 ただ、元々まともかどうかは疑問の残るところだが。

「でもあの人達も、この学校に来てから長いよね。去年の夏前でしょ」

「それこそ、元々の目的は何なのかね」

 やや低い声でそう指摘するサトミ。

 モトちゃんは翳った表情で彼女を一瞬窺い、すぐに笑顔を浮かべた。


「あまり深く考えても仕方ないじゃない。今はこうして協力してくれているんだし」

「そうね」

 やや気の無い返事を返し、前髪を横へ流すサトミ。


 冷えた空気に、少しの緊迫感が含まれる。

 良くあるとは言わないが、最近見かけられる光景。

 意見の対立という程でもないが、二人の細かなぶつかり合い。

 モトちゃんは大局を見て動く必要があり、時には妥協し意に沿わない判断を迫られる。

 逆にサトミは細部にまで意識を配り、それを逐一分析する。

 単にその違いが現れているだけならいいんだけど。


「あなたはどう思うの」

 話を振られたケイは、鼻をすすって大きなポットから自分のマグカップにお茶を注いだ。

「あの連中を俺達の基準で捉えようとするから、分かりにくい事になる。学校を渡り歩くのが当たり前の生活をしてたんだから、基本的に学校や生徒に対する考え方も違う」

「今は、ここにいるわよ」

「勿論、なじみはするだろ。ただ、忘れもしない。それに、……。いや、それはいいか」

 途中で話を止めて、お茶をすするケイ。

 ただ、彼が言おうとした続きは私にも分かる。

 彼らが元々ここに来た理由は、草薙高校の生徒会長の命令に従うため。

 生徒会長がいない今、その辺りはうやむやになっている状況。

 ただ、契約自体が破棄されたとは聞いていない。

 また彼らがこの学校に留まっている理由も、そこにあるだろう。

 私と親しくなったから、という理由もあるとは思いたいが。


「気にしても仕方ないんだよ、あの連中は。明日姿が消えてても、それはそれで不思議じゃない」

「消える理由は?」

「俺達とは違う価値基準で行動してるから。第一大学卒業資格も持ってるんだから、本来なら高校に通う必要すらない。通学とか授業とか卒業とか、そういう概念とは別の世界に存在してるんだよ」

 苦笑気味に指を指されるヒカル。


 彼は私達と同い年、本来なら同級生。

 しかし今は飛び級で、大学院に進んでいる。

 ここにいるのも論文を終えたからで、彼もまた高校に通う必要も授業に出る必要もない。

 そう言われると、少しではあるが納得出来る。


「木之本君はどう思う?」

「大丈夫だと思うよ。あの人達が僕達を傷つけたり裏切る事は無いから」

「そういう仏的な発言も良いんだけどね。俺は、散々殴られたし手術後に蹴り付けられたよ」

「例外はあるけどね」

 笑いながら付け加える木之本君。 

 私も心情としては彼と一緒で、口ではあれこれ言っていても彼女達が私達を陥れるような真似はしないと思う。

 して欲しくないという願望でもあるが。




 翌日。

 昨日の疲れもすっかり無くなり、普段どおりに登校する。

 正門の前は相変わらず、制服の着用を呼びかける集団でごった返している。

 またそれとは別に、私服のチェックをしている集団もいる。

 これが前に聞いた、風紀の乱れを糾すという奴か。 

 おそらく制服着用を呼びかける集団とはセットになっていて、服装チェックから制服着用という流れ。

 とはいえ制服が義務化されていない以上、何を着ても個人の自由。

 他人に迷惑を及ぼすものでなければの話だが。


「そこのあなた。ちょっとこっちに来なさい」

 高圧的に呼び止める女。

 視線は私の頭上を通り過ぎ、多分真後ろに向けられている。

「私の事?」 

 落ち着いた、少し笑い気味の口調。

 振り向けば、そこには毛皮を羽織った池上さんが控えていた。

「高校生がそういう服装で良いと思ってるんですか。華美なものは身に着けないよう、通達が出てると思いますが」

「ごめんなさい」

「謝って済むと思ってるんですか」

「服装について謝ったんじゃないわよ。私が綺麗だから、この程度じゃ華美どころか引き立てるまでもいかないの」

 前髪を横へ流し、さらりと言ってのける池上さん。

 周りにいた子達は男女問わず口を開け、魅入られたように彼女を見つめる。

 無論皮肉ではあるんだろうけど、これだけの容姿ならそのくらい言っても罰は当たらないだろう。


「ふ、ふざけないで。とにかく、そんな格好は認めません」

「それは残念ね」

 ふっと鼻で笑い、毛皮を脱ぐ池上さん。

 その下から現れたのは、クラッシックな制服。

 つまりは女達が呼びかけているタイプの。

 女は絶句して、池上さんを指差したまま口だけを動かしている。

「これでいいでしょ。他に、何か問題は」

「問題って、それは」

「じゃあ、後はよろしく」

 人に毛皮を着込ませ、一人正門をくぐる池上さん。

 どうでもいいんだけど、私が着ると裾をするんだけどな。



「そ、その毛皮は」

「預かっただけよ。没収するのは構わないけど、多分とてつもない金額だと思うよ。普通に外車が買えるんじゃないの」 

 別に脅してる訳ではない。

 彼女の服や装飾品には、そういうものが結構多い。

 個人的な趣味よりも、ワイルドギース時代の名残。

 交渉する時に着飾るため、相手への対抗上高級品を買い揃えたとは聞いている。

 これが、その高級品かどうかは知らないけどね。

「それは、その。あの」

「没収するなら、持っていって。私も邪魔だから」

「い、いや。それは、あなたが処理して下さい。今回は特別に許可します」

「しなくても良いんだけどね」

 半分は本気でそう言って、毛皮を抱えて正門をくぐる。

 私よりも毛皮の方が大きいというか、殆ど前が見えない状態。

 当然注目も集まり、とてもじゃないが持ってられない。



「ちょうど良い所に」

「何」

 有無を言わさず後ろに回り、サトミの肩に毛皮を掛ける。

 黒髪とシルバーのコントラスト。

 美に美が映えて共鳴すると言うんだろうか。

 朝日に毛皮と黒髪がきらめき、倒れそうなくらいに綺麗に見える。

「映未さんの、これ?」

「そう。私だと、裾を摺る」

「切れば」

 平気で怖い事を言ってくるサトミ。

 今の長さはロングコート。

 勿論裾を切れば、私にも着れる。

 そういうセンスや感性は、私の庶民的な感性には存在しない。

「残りでマフラーでも作るの?」

「捨てるんじゃなくて」

 平気で言うな、この人は。

 というか、人の物だと遠慮が無い。

 自分の物なら、毛が落ちただけで叫びそうだけど。



「聡美ちゃん、切っちゃ駄目よ」

 ニヤニヤと笑いながら現れる池上さん。

 クラッシックな制服に身を包んでと言いたいところだが、良く見るとあちこちのデザインが微妙に違う。

 本来なら襟先は鋭角だが彼女のは丸みを帯びているし、スカートは本来のもの以上にプリーツが入っている。

「自作?」

「まさか。外部発注よ」 

 どう違うのかは知らないけど、下らない事に手間隙を掛けているのは間違いない。

 これなら着ても良いとは思うけど、多分学校が着させたい服とは違うだろうな。 

「からかってたんですか?」

「制服制服ってうるさいから、一度くらいはと思って。これで、明日からは何を着てもフリーパスよ」

 うしゃうしゃ笑い、サトミから毛皮を受け取る池上さん。


 明日からという言葉。 

 彼女達は今日もいるし、明日もいる。

 卒業まではもうどれ程も無いけど、その時まではいてくれる。

 暗にそう示してくれたのだろうか。


「雪ちゃん、どうかした?」

「ん、別に。昨日走ったから、疲れがちょっと」

 疲れは抜けているがそうごまかし、この場を取り繕う。

 それとも朝なのでまだ眠いと思ったのか、池上さんもそれ以上は取り合わずに去っていった。

「あの人も、他にやる事は無いのかな」

「ああいう事。かく乱が専門なんでしょ」

「かく乱ね」

 それは渡り鳥、ワイルドギース時代での話を指しているのだろう。

 彼女が情報戦、諜報活動に優れているのは知っている。

 ただ今回のは趣味というか、個人的な楽しみなんだと思う。

 サトミはその辺の遊びが少ないので、表現が違ってくるんだけど。

 人を騙してうしゃうしゃ笑うサトミという絵も、あまり想像は出来ないし。




 教室に入り、その暖かさに一息つきつつ筆記用具を取り出していく。

 本当暖房の力は偉大で、窓の外で吹きすさぶ木枯らしも眺めている分には風物詩の一つだなんて達観出来る。

 とはいえ授業後には暖房の無い資料室に行くので、その悟りもすぐに潰えるが。

「嘘」

 息を弾ませて登校してくるショウ。

 この真冬に、Tシャツ姿で現れた。

「何がしたいの」

 さすがに突っ込むサトミ。

 ショウは背負っていたリュックからペットボトルを取り出し、それを一気に空にした。

「家から走ってきた」

「何のために」

「昨日家に帰ったら、バイクのバッテリーが上がってた」

 ごく普通に答えるショウ。

 ちなみにこの街には、地下鉄もあればバスもある。

 彼の実家には、他にバイクも車もある。

 走ってくる理由は、どこを探そうとも一つも無い。

「どうして走ったの?」

「駄目か」 

 真顔で聞き返された。

 それにはサトミも答えようが無かったらしく、無言で首を振って参考書を読み始めた。

「どうかしたのか?」

 小声で尋ねてくるショウ。

 それは、私が聞きたいよ。



「朝からすごいね」

 くすくすと笑いながら現れる木之本君。

 どうやら、ショウが走ってくる姿を途中で見かけたようだ。

「正門の、制服着用を呼びかけるグループが今日は少なかったね。毛皮がどうって言ってたけど」

 何か探るような台詞。

 もしかして、私が関係あると疑ってるんじゃないだろうな。

「あれは、池上さん。私は毛皮を預かっただけ」

「ならいいけど。時期が時期だけにね」

 苦笑して筆記用具を並べていく木之本君。

 いつもニコニコしてるけど、締めるところは締める子だからな。

「おはよう」

 眠そうな顔で現れるモトちゃん。

 彼女は黙ってサトミの肩にもたれかかり、そのまま寝息をかき出した。

 多少ギクシャクしていてもそれは予定の範囲内であり、実際はこのくらいの近しい関係。

 それだけ信頼されているという事でもある。


「重いのよ」 

 そうは言っても邪険にどかそうとはしないサトミ。

 また、眠っている彼女を見つめる瞳はいつもよりも温かい。

「おはよう」

 朗らかな挨拶と共に現れるヒカル。

 その後ろから死にそうな顔で現れたケイは黙って彼の隣に座り、そのまま机へと伏せた。

 ケイが誰かに寄りかかるのは想像が出来ないし、それこそ叩き起こされそうな気がする。


「HR始まるよ」

 別に始まろうが終わろうが関係ないけど、暇なのでケイを突く。 

 よほど眠いのかだるいのか、少しも反応無し。

 それでは面白くないので、端末をバイブモードにして机に乗せる。

 机全体に伝わる小刻みな振動。

 端末が徐々にケイへと近付き、その頭へ到着した。


「はは」

 すぐに自分の端末を取り出し、反対側に置くヒカル。

 私も位置を直して、再スタート。

 二つも揺れると振動もかなりの物で、起きていても耳障りなくらい。

 机に顔を伏せていたら、とてもじゃないけど我慢出来ないだろうな。


「お」

「わ」


 ケイの頭上というか、頭の前でぶつかり合う私達の端末。

 勢いがあったせいか二つとも起き上がり、取っ組み合いのような形で机の上を転がっている。

「はは、紙相撲みたい」

 咄嗟に振り向き、肘を横へ流す。

 振ってきたバインダーは肘で流され、村井先生が鬼みたいな顔で見下ろしてきた。

「うるさいから止めなさい」

「だって、寝てる」

「寝てられるか」

 珍しく、顔を赤くして怒るケイ。

 というか、これで怒らない人がいたら一度お目にかかってみたいものだ。

「授業が始まるまで、廊下で立ってなさい」

「はは、馬鹿が」

「あなたも行くのよ、馬鹿」



 真冬の廊下に立ち尽くす、馬鹿3人。

 遅刻してきた生徒達が奇異な顔で私達を見ては、笑いながら走り去っていく。

「日が当たらないと寂しいね」

 手をこすり合わせ、息を吹きかけるヒカル。

 そこまで寒いとは思わないが、彼の言う通りこの薄暗さはどこか心細さを感じさせる。

 これが日の当たるグラウンドなら、また違う感想が漏れるんだろう。

「はは、何してるの」

 もこもことしたセーターを着た柳君が現れ、私達を指差して声を出して笑ってきた。


 この子は授業に出る必要もないし、昨日の話ではないが登校する必要すらない。

 どうして来るのかといえば、そうは思いたくないがケイに会うためだろうか。

「寒い?」

「俺は別に」

「でも、手は冷たいよ」 

 ケイの手を両手で包み込み、切ない顔をする柳君。

 一方のケイは少しはにかみ、もう片方の手を柳君の手に添えた。

 これ以上はさすがに問題なので、強引に二人を分けさせる。

「でも、ここで何してるの?」

「横暴な教師がいてね。廊下で立ってろだって。一体、何時代の教育なのよ」

「先生が悪いの?」

 純粋な、疑う事を知らない澄んだ瞳。

 それは、私も知りたいな。






    







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