31-6
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授業後。
前よりは確実に広い元資料室、現在は本部を予定している部屋へとやってくる。
「で、本部って何の本部」
「旧連合本部」
モトちゃんから返って来る、そのままの答え。
ただ、それ以外の答えも存在はしないか。
「で、この紙の山は?」
「私が聞きたい」
モトちゃん専用という机は無く、部屋の中央に机を並べたスタイル。
でもってその机の上には、紙の山があちこちにそびえ立っている。
ゴミかとも思ったが日付は今年に入ってからのもあり、どうやら必要書類らしい。
「ローテーション表、体育館使用許可書、領収書、賃貸契約書。ばらばらだね」
「整理してる暇が無かったのよ。……私。……そう悪いけど、神代さんと緒方さんをお願い。……ええ、また」
「手伝ってくれるって?」
「本当は私達だけでやりたいんだけど、多分それだと来年まで掛かる」
大げさな、と笑い飛ばすにはあまりにも多い紙の山。
今はサトミ達が一枚一枚仕分けをしていて、しかし少しも減る気配は無い。
「仕方ない、私もやるか」
「他のはともかく、領収書だけは必ず別にしてね。余分に払うお金は無いから」
「了解と。……備品使用状況書」
結局これとは離れられない訳か。
今の私達には絶対必要無い書類だと思うけど、どこかから紛れ込んだんだろうな。
「変な書類は」
「保留にしておいて」
机の上にある茶色のケースを指差すサトミ。
そこに備品使用状況書を滑らせ、保留の書類が結構溜まって来てる事に気付く。
サトミはそれには何も言わず、目の前にある紙の山を片付けている。
私も今は忘れた方が良いと思う。
人間、たまには現実逃避も必要だ。
少しして休憩。
どこからか帰ってきたショウが、紙袋をテーブルの上へと置いてくる。
中は予想通りと言うべきか、書類ばかり。
自然彼へと、険しい視線が集まっていく。
「嘆願書だ、木之本の」
「ああ、そっち。多すぎない?」
「署名だけじゃなくて、意見も書いてあるらしい」
「それはそのまま、奥にしまっておいて。後で、生徒会に届ける」
モトちゃんの指示通り、紙袋を持って奥の部屋へと向かうショウ。
奥ってヤギが住んでる部屋か。
私は二度と行かないだろうな。
突然音を立てる端末。
思わず手にしていたペットボトルを滑らせ、床にぶちまける寸前でキャッチする。
「な、な」
「意味が分からん。……はい、浦田です。……それは俺の管轄ではなくて。……ええ、ええ。……ネットワーク上で、報告書として提出して下さい。……その後については、こちらでも意見を添えますから。……はい」
ため息混じりに端末を置くケイ。
すると今度はサトミの端末が音を立て、同じような会話が交わされる。
モトちゃん、真田さんも同様に。
「何かのいたずら?……私か」
ポケットから端末を取り出し、知らない相手と会話を交わす。
「雪野ですけど」
「こちら学校内局の総務課です。ガーディアンの一時貸与についてお聞きしたいんですが」
「私に言われてもね」
「木之本さんがいない時は、雪野さん達にご連絡するようにと言われまして」
そういう事か。
外部との交渉は彼の仕事の一つであり、私達が活動を開始したと判明した時点でその手の連絡が入ってきたんだろう。
「私は担当じゃないし通話でも埒が明かないから、端末に情報を送って下さい。アドレスは」
サトミが滑らせてきたメモを読み、それを相手へと伝える。
向こうはそれを復唱しつつ、周りにも伝えている様子。
なんか、とんでもない事になってるんじゃないだろうな。
「ありがとうございました。では端末の方に送らせて頂きますので。木之本さんによろしくとお伝え下さい」
「はあ」
「では、失礼します」
通話が終わり、それと同時にサトミの側にあった卓上端末がデータの着信を連続で告げ出す。
私達への個人的な連絡は終わったが、それが向こうへ集中しただけの話。
その間に紙の山が減る訳も無く、疲労感だけが募っていく。
「木之本君一人で全てを片付けてた訳じゃないわよ」
私の疑問を読み取ってか、ゴーフルをかじりながら説明するモトちゃん。
「彼は窓口の一つで、それに連合の本部には事務や折衝用のガーディアンが大勢いた。その子達は生徒会ガーディアンズや生徒会に行ってもらってるから、そのしわ寄せが来てるだけで。こうして場所が確保出来れば、その子達も呼び戻せる」
「でも、木之本君を指名だったよ」
仕事についてはそうだろう。
彼は超人ではないし、ずば抜けて優秀という訳でもない。
統率力ではモトちゃんの方が、サトミは同時にいくつもの仕事を処理出来る。
交渉ならケイも得意分野の一つ。
でも多分今の通話は大半が、木之本君を頼ってきていた。
その意味は何なのか。
「結局、仕事が出来れば良いって訳じゃないのよ」
醒めた顔で、自嘲気味に呟くサトミ。
自分自身と木之本君を比較しての、多分彼女が気にしている部分の一つ。
他人との接し方、距離感、壁というものを。
モトちゃんは軽く彼女の頭を撫で、紙の山を目の前からどかした。
「私ものんきそうだから親しみやすいとは言われるけど、どうしても打算で動いたり妥協したりするのよね。立場上、仕方ないといえば仕方ないんだけど。駄目だと分かっていても、割り切るしかないというか」
「木之本君は違うって訳?」
「彼も勿論、相手の意見を全て受け入れるって事はしない。ただ精一杯の誠意は尽くす。自分の事は顧みないで」
「それは、本当に良い事なの?」
つまりは自分を犠牲にしてまで、相手に尽くしている。
自分よりも他人の幸せを優先する生き方。
その結果は、今回の事で如実に示された。
「本人が判断するしかない事ではあるんだけど。ケイ君はどう思う」
「慕われた試しがないから、分からん。大体俺達が変えろと言って変わる訳でもないんだし」
「まあね」
「来世もいいけど、現世ももう少し考えたほうがいいのは確かかな」
特定の宗教に限らず、現世で善い行いをすれば来世に幸せが訪れるという。
だからこの世で苦行と呼ばれるような事をする人も存在する。
また、苦労した分だけ来世で報われるとも。
だったら木之本君はどうだろうか。
こうして今苦しんでいて、来世で本当に救われるのか。
今の苦しみは、その幸せに見合うものなのか。
何より、来世なんて概念自体があまりにも曖昧で夢想的。
今の苦しみをごまかし、目くらまししているようにしか思えない。
「来世って何よ」
「さあね。俺は地獄行きだから、あんまり興味ない」
聞いた相手が悪かった。
結局仕事は片付かず、書類の一部を寮まで持って帰る。
食事を済ませて宿題と予習を終わらせ、一息付いて書類と向き合う。
ため息しか出てこないな、これは。
塩田さんが燃やせというのも、今となってはつくづく実感出来る。
「今日中に片付けるわよ」
書類を一瞥するだけで、即座に仕分けていくサトミ。
モトちゃんがそれをチェックし、私は袋に詰めていく。
適材適所とはよく言ったもので、私の負担は無いに等しい。
書類の山は片付かないにしろ。
「お茶飲む?」
「お願い」
「私、ビール」
とりあえず最後のは聞かなかった事にしておこう。
こぼすと大変なので、ペットボトルは床へ置く。
ふたはしてあるし、これを倒す不器用な人はここにはいない。
最悪カーペットは汚れるが、書類が濡れるよりはましだろう。
「これも木之本君の仕事?」
「分担を振り分けるのは、彼の仕事。勿論、手が足りない時は手伝うけど」
「地味に色々やってるんだね。全然知らなかった」
「あなたやサトミみたいに目立つタイプじゃないから。良くも悪くもね」
書類の端に再提出と書き込むモトちゃん。
それを袋へ詰め、減らない紙の山を軽くつつく。
「ネットワーク上で送れば済むんでしょ」
「前も言ったように、申請は紙でという意見が学校にあるの。正確には中部庁や教育庁。そこに影響力を持つ議員の意向らしいけど」
誰かは知らないけど、選挙権が行使出来るようになっても絶対その議員には投票しないでおこう。
私の一票は小さいけど、その一票一票の積み重ねがいかに強いかを思い知らせてやる。
なんて興奮してても仕方ない。
「それにしても、減らないね」
「学校にあるのは、すぐ片付く分だから大丈夫。これは保留にしておいた書類」
「私は明日から、何すればいいの」
「とりあえず、丹下さんを手伝って。私とサトミは、メンバーの意向を聞いたり組織構成を検討するから」
「一応は、こうね」
サトミが見せてきた書類にはこうある。
代表……元野智美
副代表兼補佐……遠野聡美
代表補佐……木之本敦、浦田珪
現場組織代表……雪野優
代表補佐……玲阿四葉
後は連合で聞いた事のある名前が並んでいく。
「私が現場指揮ってのは、無理があると思うんだけど」
「大丈夫。今は人数が少ないから、全体の統括とまでは行かない」
「だといいけどね。増えてきたら、他の人にお願い。私は、そういうのに向いてないから」
嫌だとか恥ずかしいという理由ではなく、全体を把握し指揮命令する能力に欠けるから。
局地的な戦いには対応出来るし、指揮を執る自信もある。
ただ100対100という状況は、私には荷が重い。
「やる事は生徒会ガーディアンズの雑用?」
「まずは信用を積み重ねないと。うかつな事をすれば、木之本君と同じ結果が待ってるんだし」
「私はちまちましたのは苦手なんだけどな」
派手な騒ぎを好む訳ではないが、出来れば一気に片をつけて状況を打開したい。
大体そんな悠長な事を言っていたら、3年生が卒業するどころか私達が卒業してしまう。
「……終わった」
そう宣言し、首を回すサトミ。
気付くと紙の山はテーブルの上から消え去り、仕分けされた小山が私の目の前に出来ている。
モトちゃんのチェックが残ってる分もあるが、殆どはこのまま封筒に詰めていけば良い。
「お疲れ様」
「やっぱり、木之本君がいないときついわね」
モトちゃんに肩を揉まれながら、そう呟くサトミ。
私はこの手の仕事に関わってはいないので、彼らの苦労や役割分担は分からない。
現にサトミは仕事を終わらせていて、どうきついのか理解出来ない。
「木之本君がいると、どうなるの」
「大抵の仕事にしても折衝にしても、彼がワンクッション入るから柔らかくなる。無意味な諍いは起こらないし、仕事の流れもスムーズになるわ」
「それって、木之本君にストレスがたまってるだけじゃないの」
「多少はね。でも、向き不向きもあるから。彼はそういうポジションに向いてるって事。ユウが現場でトラブルを押さえ込むのに、疲れはしても負担とは思わないでしょ」
確かに、それはそうだ。
肉体的な疲労はあるし、暴れた事による虚脱感もたまにはある。
ただそれが自分に出来る事であり、向いているという自負もある。
彼に私と同じ事をしろと言っても難しいだろうし、その逆も同じ。
ただ私は、彼ほどかけがえのない存在という訳でもない。
目を患って休んでいた間でも問題があったとは聞いていなく、実際多少回復して登校した後も私が何をしなくてもガーディアンとしての業務は滞りなく進められていた。
私の代わり。同じ事を出来る人は大勢いる。
ただ、木之本君の代わりとなりうるような人は思いつかない。
大人しくて、控えめで。
だけどいなくなって、初めて気付く。
そんな人こそ、かけがえのない存在だと。
翌日。
登校して教室に入ると、明るい笑い声が聞こえてきた。
少し懐かしさを覚える、ただここでは聞くはずの無い笑い声を。
「何してるの」
「一応僕も、高校生だから」
朗らかに微笑み、席から立ち上がるヒカル。
執行委員会が推す制服姿で。
勿論彼に他意はなく、勧められるままに試着してそのまま着ているのだろう。
ただ、一つ確かめておいたほうが良い。
「強引なのと、愛想の良い方。どっちに頼まれた」
「愛想の良い方」
大丈夫だとは思っていたが、それならまだ納得出来る。
また彼も、理不尽な振る舞いに従うようなタイプではない。
むしろそれには、過敏すぎる程に反応するくらいか。
「断っておくけどね。その制服は、管理案の象徴なんだよ」
「それは困ったね」
全く困っていない、陽気な笑顔。
これ以上何を言っても虚しいので、リュックから参考書を取り出しそれを読む。
「朝から予習?」
「逃避してるの」
「……何、それ」
鋭い眼光で、制服姿のヒカルを見下ろすサトミ。
一方の彼は、刃のようなそれを春の日差しにも似た笑顔で受け流す。
「世の中、まだ捨てたものじゃないね。もらったよ、これ」
私の話を聞いてなかったのか、この人は。
サトミもそれ以上は虚しいと感じたのか、軽く首を横へ振ってそれでもヒカルの隣へ座った。
「ユウから聞いてるだろうけど。それは管理案に賛成してると言ってるようなものなのよ」
「困ったね、それは」
もう良いんだって、それは。
「おはよう。って、何かの冗談?」
「え、何が」
いい加減、話の流れを読んで欲しい。
モトちゃんは首を振る私達から状況を読み取り、力なく微笑んで席に着いた。
ショウも彼を見るなり、表情を曇らすが。
「お前、それなんだ」
「似合ってる?」
「似合うといえば、まあ似合うのかな」
間が抜けた事を言う人もいる。
この辺は仲間なので、仕方ないとも言える。
「おはよう」
自分から声を掛けるヒカル。
ケイは彼を一瞥し、何も言わず席について机に伏せた。
愛想を尽かしたという訳ではなく、ただ眠いだけ。
多分愛想を尽かすには、あまりにも時機を逸していると思うし。
「ねえ、制服着てるよ」
反応なし。
ノートを乗せるのはもう古い。
という訳で、髪の毛の先を結んでみる。
しかしこれが、意外に固くて難しい。
髪を束ねるのとは違って、一本一本を結ぶ訳だから。
「楽しいか」
「黙って。今、集中してる」
どうにか3つ結び終え、大して面白くない事に気付く。
止めた、止め。
もっと刺激とスリルのある事を楽しみたい。
「楽しいか」
「今のは駄目だった」
「俺は……」
何か言おうとしたらしいが、眠くて先が続かないらしい。
私も彼には飽きたので、前を向いてHRに集中する。
幸い村井先生ではないため、バインダーが振ってくる事も無い。
「……では、講堂へ移動して下さい」
そう言って教室を出て行く教師。
前の部分を聞き逃したが、また集会でもやる訳か。
それも授業を潰してまで。
「何やるって?」
「連合が復活するから、多少脅して来るんだと思う。学校や生徒会からのクレームが届いてる」
端末の画面をこちらに見せて来るモトちゃん。
送り主は理事会や執行委員会。
件名は、連合と称する武装組織の再結成についてとある。
「部屋を借りたのがまずかったって事?」
「それはお互い承知よ。保安部や執行委員会に批判的な意見が高まってきてる今に乗じないと、このままずるずるとやられる」
いつに無く厳しい顔付きになるモトちゃん。
ただサトミは少し違い、危ぶむように彼女の様子を眺めている。
いつかあったやり取り。
モトちゃんが連合のあり方についてインタビューで答え、それにサトミが苦言を呈した。
状況こそ違うが、構図としては同じ。
どちらも基本的な考えは変わらないと思う。
連合という組織を再構築し、これからに備えるという部分に関しては。
モトちゃんはあくまでもそれを、多少の無理をしてでも推し進めようとしている。
彼女個人の考え方というよりは、責任者としての立場から。
サトミもそれは当然分かっているだろうが、拙速だと判断している様子。
どちらが正しいかは私には判断出来ないし、正しい答えがあるとも思えない。
結果を見て初めて、もしかするとそうだったかも知れないと分かるくらいで。
モトちゃんは少し重くなった空気を和らげるように、大きく手を叩いて私達を促した。
「とにかく、その集会に出ない無い事には始まらないわ」
冬休み中にあった集会とは違い、今日は全校生徒が出席。
いくつかの講堂に分散し、それでも席に空席は無い状態。
少し出遅れたのも影響しているだろう。
「後ろいこう。圧迫感がある」
3階席だろうか、ここは。
最後方の席のさらに後ろにある通路。
その壁際へ並び、ざわめく会場内を見下ろす。
壇上からは距離がありすぎるものの、音声はスピーカーを通じて必要以上に聞こえてくる位置ではある。
「よう」
気付くと塩田さんが、私の目の前に立っていた。
これだけの騒音と人の多さ。
気配を感じ取るのは難しい状況で、ただ前よりは多少なりとも感覚は鋭くなっていると思っていた。
しかし現実はこの通り。
やはりこの人には敵わない。
「木之本は、まだ来てないか」
「来週まで来ませんよ」
「睨むな。あいつも義理堅いというか人が良過ぎるというか。人の事より、自分の事を考えろっていうんだ」
苦笑して私達を眺めていく塩田さん。
なんか私達が不義理な人間か、人が悪いみたいじゃない。
「だから睨むなって」
「だって」
「見てみろ。誰もお前らに近付いてこない」
私たちの周囲へ顎を振る塩田さん。
立ち見の人も結構いるが、私達の周りは彼が言う通り多少のスペースが出来ている。
扉が近いせいもあるが、勿論それ以外の理由もあるんだろう。
「なんだかんだ言って、お前らは有名人だし普通とは違うからな。近寄りがたい」
「少なくとも私は普通ですよ」
「普通の人間が、生徒会に殴りこむか」
それを言われては返す言葉も無い。
とはいえそれが悪いとも思ってはいない。
「その点木之本は常識があって、規則も遵守する。ごく普通に、無難に生きてきた」
「はあ」
「お前らと付き合うと何かと疲れるし、余計な負担も掛かってくる。それでもあいつは、態度を変えずお前達と普通に付き合ってる。それがどれだけすごい事か少し考えろ」
考えろといっても、私は自分を普通だと思っている。
多少考えが無くて、落ち着きが無いというくらいで。
「分かってないなら良い。とにかくあいつに負担を掛けさせるな」
「だってあれは、あの女と保安部が」
私が声を上げたと同時に、びくりとして逃げていく保安部の人間。
いつの間にか周りを固められていたようだが、何やら危険を察知したらしい。
「脅すなよ」
「私が悪いんですか?郵便ポストが赤いのも、私のせいとか言うんじゃないでしょうね」
「もういい」
勝った。
もしくは、相手にされなくなった。
大体、誰だって自分が普通だと思っているから生きていける。
自分がおかしいなと気付いてる時点で、それはかなりどうかしてる。
「それと木之本が出てきたら、周りを固めてろよ。もう一度仕掛けてくる可能性が高い」
「ああ?」
「セオリーだろ、そのくらい。なあ、浦田」
「弱い、と思える部分から追い込むのは有効ですからね。木之本君が弱いかどうかはともかく」
喉元で低く笑い、怜悧な表情を浮かべるケイ。
少なくとも彼は木之本君を弱い部分だとは思っていなく、また次に何かあった時の行動も考えているようだ。
私が敵なら、間違いなくこの時点で逃げている。
「それと、女は拉致というか誘拐される可能性もある。何しろ前例もある話だ。雪野はともかく、遠野と元野は必ず誰かと一緒に行動しろ。個人で動く場合は、常に居場所を誰かに知らせろ」
軽く足を踏みならし、たまったストレスを少し逃がす。
勿論私の身体能力を踏まえての発言ではあるにしろ、女心としてはあまり面白くない話だ。
「一つ質問」
「何だ、浦田」
「この学校は一部借地じゃないですか。前回は、そこを突かなかったんですか」
「時間も予算も無くてな。杉下さんは考えたかもしれんが、大抵の人間は知識すらなかっただろ」
その言葉に軽く頷くケイ。
塩田さんは目を細め、探るような眼差しを彼へと向けた。
「買収する気か」
「場合によっては。多分学校も買収工作は今回の件に関係なくやってるとは思いますけど、そういう発表がないって事は成功もしてない。俺達がつけ込む隙もあります」
「金は」
「誠意なんてどうですか」
一番あり得ないというか、縁遠い事を言ってきた。
何より学校の半分の土地を買収するという話自体が、夢物語。
ノートを一冊買うのとは訳が違う。
「まあ、それは任せる。俺は隠居だからな」
「権利書を盗んできてくれると、一番手っ取り早いんですが」
やっぱり、まともに聞かない方が良さそうだ。
やがて集会が始まり、壇上には理事や執行委員会の幹部が並び出す。
数人がこちらへ指さしたように見えたのは、どこかから連絡が入ったせいか。
当たり前だが、完全にマークされてるな。
「では、臨時集会を始めます。今回のテーマは、学内の治安維持についてです」
端末へ要旨が配信され、サトミ達は話よりもそちらへ意識を向ける。
私は周囲へ気を配り、保安部の動きを確認する。
何事もないとは思うが、木之本君の例もある。
「今日の議題は、学内の治安悪化に対する防護策についてです」
特に生徒からの反応は無い。
治安悪化は今更で原因は誰かという話でもあるから。
「一部武装勢力が再結集しているとの情報もあり、当局としてはそれに対しても重大な関心を持って当たる所存です。万が一生徒会に敵対的な行動を取る場合は厳重な処分を予定していますので、もしこの中にそういう人がいるのなら直ちに」
ひらめく塩田さんの右手。
少しして聞こえる叫び声。
よく分からないが壇上で誰かが倒れ、頭から生卵を被っている。
「どうやったんですか」
「投げただけさ」
そうとぼけ、近付こうとした保安部の人間を軽く睨む塩田さん。
側にいた私達ですら、彼が何をしたのかは見えていなかった。
何より物を投げて届くような距離ではなく、その物が生卵という事実。
追求する状況証拠すら存在しない。
理由を探せば、どれだけでもあるが。
壇上では人が入れ替わり、保安部の責任者である前島君がマイクを握った。
あの人なら、卵くらい軽く避けるだろうな。
「では、改めてご説明致します。本日付を持って、生徒会自警局は保安部の全面的な指揮下に入ります。組織としてはそのまま存続しますが、上位幹部は保安部の人間が占めるとお考え下さい」
若干のざわめき。
それは生徒からではなく、会場を警備するガーディアンから聞こえてくる。
彼らの立場は、とりあえず保障されている様子。
しかしその上部組織が、正式に保安部となってしまった。
今まで通り、何も変わらなくて済むのかどうか。
不安が募り、警備どころでなくなるのも無理は無い。
「塩田さん」
静かに、壇上を見たまま呟くケイ。
塩田さんは軽く頷き、人ごみの中へ姿が消える。
「どういう事?ここで、誰かが暴れるって意味?」
「生徒会ガーディアンズが動揺している所を狙ってくる可能性はある。でもって、それを保安部が収めるってワンパターンなシナリオだろうけど」
「見え見えじゃない」
「分かりやすいほうが伝わりやすいのよ」
鼻先で笑い、後ろ髪を束ねるサトミ。
私も一応グローブをはめ、背中にあるスティックへ手を伸ばす。
体調に今のところ問題は無く、視界も良好。
ただ音が反響するのと多すぎるため、勘だけに頼るのは難しそうだ。
「では、今日はこれで散会します。皆様ご苦労様でした」
「退場は、ドアに近い列の方から順にお願いします。中央、前方の方は指示があるまで席を立たないで下さい」
良くある指示。
いくつもない出入り口に人が殺到すれば、将棋倒しになって事故が起きる場合もある。
そうさせないためガーディアンが配置されていて、いくらさっきの話があってもここは集中をするだろう。
「同時に来るって事?」
「ただ丹下も、そのくらいは分かってる」
「連合がいない分、人手が足りないって事?」
「まあね」
腕を組み、あちこちで発生し始めたトラブルを眺めていくケイ。
散発的なトラブルは、これだけ人が多ければごく自然に発生する。
ガーディアンはそれを収集し、人の流れをスムーズにするという光景も。
しかしトラブルの発生に対してガーディアンの絶対数が不足しているのか、徐々に騒ぎの方が大きくなっていく。
「静まれっ」
スピーカーからの大音響。
天井への一斉発泡。
勢いの無くなったゴム弾が、私の目の前に落ちて小さく跳ねた。
扉や通路に配置されていた保安部の仕業。
一瞬騒ぎは収まった。
しかしその振り戻しで、それまで大人しくしていた生徒までが騒ぎ出す。
威嚇とはいえ、いきなりの発泡。
そしてあまりにも上からの態度。
反発するなという方が無理で、こうなると収拾は付きそうに無い。
「……はい、元野です。……ええ、分かった。……一応、保安部に確認するわ。……丹下さんから。サポートの依頼だけど、状況上保安部には断りを入れる」
「それが断られたら?」
「大丈夫だとは思う。どちらにしろ、行動するほか無いんだし」
悲鳴と怒号の渦巻く講堂内。
落ち着いているのはごく一部で、放っておけば保安部を襲撃する人も出てくるような空気。
今のが逆効果だったのは、講堂を出て行く人間の足を止めた事もある。
そのため混乱は増幅し、騒ぎに拍車が掛かっていく。
「……元野です。……ええ、承知しています。……では、許可をいただけると。……いえ、それはこちらで。……はい、失礼します。……矢田君から許可が出た。サトミ」
「了解。……所定位置に待機している各ガーディアンに連絡。生徒会ガーディアンズの指示を仰ぎ、迅速に混乱を収拾して下さい。各班班長は常時こちらへ連絡を。……丹下ちゃん?……ええ、今指示を出した。……分かった、今行くわ」
「ユウ、ショウ君。移動するわよ」
これがさっきの知名度、有名度の話か。
私達が歩くと、自然と前の人達が左右に割れていく。
騒ぎは収まり、あちこちでささやく姿も現れる。
以前もこういう事はあったが、さらにその傾向が強まっているようだ。
「さすが有名人」
くすくすと笑い、辺りに愛想を振りまくヒカル。
その隣には愛想の欠片も無いケイもいて、人目を引く原因の一つとなっている。
「丹下さん、どう?」
壇上の袖に立っていた沙紀ちゃんは、モトちゃんに軽く触れて感謝の意を表した。
「とりあえずは、収まりそう。本当は、生徒会ガーディアンズだけで対処したいんだけど」
私達をのけ者にするという意味ではなく、組織として外部に頼っていては仕方ないという考えだろう。
実際こういう事態が今後起きた場合、都合よく私達がいるとは限らない。
それを考えれば、沙紀ちゃんの話は理解出来る。
「保安部は?」
「良い顔はしてないけど、混乱させたのは彼らなんだから大丈夫みたいね。事前のトラブルは、自作自演の感じだけど」
ストレートにそう言い放つ沙紀ちゃん。
側にいた保安部の人間らしき子は、気まずそうにどこかへと去っていく。
ここは生徒会ガーディアンズや保安部の仮説本部。
机と端末が幾つか並び、連絡要員がこまめに指示を出している。
自警局の幹部と保安部の幹部は、かなり苦い顔で私達の様子を窺っている。
毎回だが、手柄を立てるどころか対応は失敗の連続。
手口が荒いのと、人材が足りていないんだろう。
それと個々には優秀かもしれないが、統括する人間に問題があるのかもしれない。
ただそれは逆の見方をすれば、混乱を収拾する人間が存在しないという事でもある。
「……保安部と一般生徒との間で小競り合いが起きています。ゴム弾を発砲したとの情報あり。転送します」
早口で知らせるガーディアン。
自分達の正面にあるモニターへ視線を向ける沙紀ちゃん達。
場所は、東-2出口。
地図を見ると、私達から見て右手。
それ程遠い距離ではない。
「手が空いている人は」
「怪我人の搬送で、人手が足りません」
「SDCに連絡して、人員整理と負傷者の搬送を依頼。ガーディアンはトラブルの収集に専念させて」
「了解」
「次いでその現場には、こちらから出動させる」
沙紀ちゃんへ軽く手を挙げ、プロテクターを確認する。
レガースとアームガードは無いが、この際は仕方ない。
「御剣君は」
「ここに」
「あなたとショウで前を。サトミとケイはここで待機。抵抗する者がいる場合はそれを排除しつつ、現場へと向かう」
「了解」
重戦車とでも言うのだろうか。
目の前は二人の背中しか見えず、その前に立ち塞がる者は誰もいない。
いや。いるのかもしれないが、弾き飛ばされて横へ跳ね飛ばされているだろう。
お陰でこちらは後方だけに意識を向けていればよく、何とも頼もしい限り。
この二人に睨まれた者にとっては、不運としか言い様がない。
「ユウ、着いた」
「状況は?」
「銃が5丁。何人か、床に倒れてる。人数は保安部の方が10人いないな」
「生徒の武装は?」
「特に無い。人数で押す気なんだろ」
「まずは怪我人の確保。強引でも良いから、前進して」
「了解」
野次馬なのか、なんなのか。
人垣から悲鳴が上がり、怒号が飛び交って床に倒れる。
何か踏んでるような気もするが、床が柔らかくなったと考えよう。
少なくとも私達としては問題も無く、野次馬を突破。
保安部と生徒が睨み合っている地点に辿り着く。
場所は出入り口のすぐ側で、ここに野次馬が固まるから余計に混乱するのだろう。
「怪我人の確保。次いで、出入り口付近の人員整理。沙紀ちゃん、現場に着いた」
「了解。出入り口は、こちらで処理するわ」
「お願い」
とりあえずスティックを抜き、保安部と生徒両方に警戒する。
これが罠という可能性も捨てきれず、また生徒も興奮している以上どう行動するかは読みきれない。
「打撲と切り傷程度か。雪野さん、程度は大した事ありません」
「分かった。誰か、この子達を医療部へ連れて行って。あなたと、あなたとあなた」
こういう場合は指名した方が早く、確実。
救急車を呼ぶ時と同じで、その場に居合わせても「どうせ誰かが呼ぶだろう」と思ってしまうから。
怪我人が運ばれていったのを確かめ、野次馬をスティックで後ろに下げる。
文句がありそうな相手には、御剣君を前に出す。
「もう少し下げて。そう、そのくらい」
「反対側は?」
「そっちもお願い。それで、と」
スティックを肩に担ぎ、今度はショウを前に立てて保安部と生徒の元へと向かう。
お互い引く気は無いようで、まさに一触即発。
ただのケンカなら放っておいても良いくらいだが、銃を持っている以上は力尽くでも押さえ込むしかない。
「両方とも離れて。それと、銃口を下に向けて」
「誰だ」
突然こちらを向く銃口。
反射的にスティックを振り、銃身を軸にして横へと回す。
結果として手首が決まり、銃は床へと落ちる。
それを足で蹴飛ばし、後ろにいる御剣君へと渡す。
「元、ガーディアン。権限がないとか、そういう事は一切聞かないからそのつもりで」
「なんだと」
距離を詰めてきた男の銃を下からかち上げ、すぐに上から振り下ろしてやはり床へと落とす。
こちらはショウに拾ってもらい、戦力的にも五分へ持って行く。
「はい、離れて。そっちも離れて」
味方という顔をしている一般生徒達を睨み、スティックを振って後ろに下げる。
文句を言いたげだが、暴れた時点で同罪だ。
「理由は今更聞かない。そっちの生徒達は、すぐに帰って。保安部も撤収」
「ふざけてるのか」
一斉にこちらへ向く銃口。
ショウの回し蹴りがそれらを同時に捉え、床へ落ちる前に御剣君が足で蹴り上げ全てを抱える。
これで、最悪の事態は避けられた。
「せっ」
私の頭越しに放たれる、ショウの後ろ回し蹴り。
同時に御剣君が前に出て、警棒を抜こうとしていた保安部の人間を押しとどめる。
背後からは一般生徒。
もしくはそう振る舞っていたかも知れない連中が襲いかかってきていたが、今は床に倒れている。
「ふざけてるのはどっちなの。保安部の責任者呼んで。話がある」
「よ、呼ぶって」
「それと、そっちは解散。しないのなら」
改めてスティックを構え、軽く振り抜く。
勢いも力強さもないが、これで何が出来るかはすでにデモンストレーション済み。
銃の延長線上には腕があり、それに同じ事も出来るという訳だ。
生徒達はすぐに野次馬の彼方へ消え、床に転がっていた生徒も這うようにして逃げ出した。
「銃は没収。文句があるなら、今聞く」
誰も口を開く事は無く、喧騒の中私達の周りだけは静けさが支配する。
私も先を見ず行動してしまう事はある。
でもここで暴れて何の意味があるのか、怪我をして誰が得をするのか。
お互いに言い分や理由があるのは分かる。
ただし状況を考えれば、自制する必要があるのも分かるはず。
「ユウ、来たぞ」
多少物思いに耽っていたせいか、前島君がやってきた事に気付いていなかった。
さすがにスティックは背中へ戻し、それでも意識は集中したまま彼と対峙する。
「大きな事故になる可能性があると判断して、武器は回収した。言い訳は、今聞く」
「ありませんよ。発砲する段階ではなかったし、発砲するなら天井に向ける必要もない」
やや違和感のある発言。
しかし当人は、それをごく自然と口にした。
ショウと御剣君も表情を引き締め、それとなく優位なポジションへ移動する。
「で、ここの担当者は」
「じ、自分です」
前に進み出る一人の男。
顔は青く、膝は震えて今にも倒れそうな雰囲気。
責任者は笑いもせず、黙って彼との距離を詰める。
「軽はずみな行動は取るなと言った。それが守れない人間は、厳罰に処すとも」
「いや。だけど、所詮は」
一瞬揺るむ男の表情。
所詮高校生のケンカ。
それとも警備の真似事。
なにやら軽い言葉が続くはずだった。
でもその言葉は最後まで聞かれない。
「黙れ」
半歩前に出て体を開き、男の左腕を取って脇を極める。
それが下ろされると同時に、膝が鋭く突き上げられる。
悲鳴と叫び声。
涙を流して腕を押さえる男。
演技でもなんでもなく、間違いなく腕の骨を折られた。
躊躇もせず、当然の事のように腕を折った。
「連れて行け」
責任者の周りにいた男女が彼を担ぎ、黙って運び去っていく。
今の光景に何の興味も示していないのは明らかで、彼らにとってもこれは日常に近い出来事なんだと理解出来る。
「不手際をお詫びします。それと、お見苦しいところをお見せしました」
丁寧に頭を下げる責任者。
これをもって威圧するという態度は全く感じられず、彼自身は先程までと何一つ変わらない。
骨を折るというのは、どういう人間であろうとためらってしまう行為。
しかし彼は平然と、コップを取るのと同じようにそれをやってのけた。
やはりこの人は侮れないようだ。
「雪野さん、やりますか?」
小声で許可を求めてくる御剣君。
彼の勝利は疑わないし、実力的にも上回っているはず。
ただ今はそういう場面ではないし、そうする理由も見当たらない。
この危険な存在を抹殺するという、御剣君の考えに頷きたくなる自分もいるのだが。
「今はいい。ただ、離れるまで警戒はしておいて」
「了解」
肩の力を抜き、張り詰めていた空気から開放された顔になる御剣君。
しかしそれは一瞬で元の体勢に戻る事も知っている。
「問題はあるかと思いますが、銃の配備については今後も続けて行きます」
「それは好きにすれば良い。私も完全には否定しないし、使い方次第だと思う。自分で使おうとは思わないけど」
「ありがとうございます。それと連合の今後については、先程言った通り重大な関心を持っていますので」
肌に感じる威圧感。
おそらく初めてではないかと思う、明確な敵意。
私達が本気である以上、当然相手もそうだろう。
ただくみしやすい相手ではないが、不快ではない。
それがわずかな救いだろうか。
「我々の傘下に入る気は」
「無い」
即答し、彼らに背を向けこの場を立ち去る。
自分のやるべき事は終えた。
後は彼らの仕事であり、私はこの場には必要ない。
曖昧な身分。
そしてここで暴れていた人間達と、自分がどれほど違うというのか。
彼程の非情さも統率力も無い。
あるのは人を信じる心。
ただそれだけだ。
壇上の袖に戻ると、こちらもあまり空気は軽くなかった。
「話は聞いた。結構厄介な相手ね」
苦い顔で私達を出迎えるモトちゃん。
ただ彼女の表情からは、想像通りだったという色も見えなくも無い。
「本当に躊躇しなかった?」
「全然。折る事自体は、箇所によっては難しく無いんだけどね」
骨自体は固いが、タイミングと角度さえ合えば折れる時は折れる。
転んだだけで折る場合もあるように。
ただ故意に、しかもためらい無くという部分はかなりのインパクトを与えてくれた。
「俺でもそう簡単には折りませんからね」
この中では一番血の気が多い御剣君ですら、この発言。
自制心は私より欠ける方だが、その彼も当然ためらう行為。
あの場に居合わせた生徒達は、どんな気分を抱いただろうか。
「取り巻きは?」
「平気な顔してたし、慣れてるんだと思う。前に議事進行してた傭兵。あの子もいた」
「あの金髪達は切るつもりなのかしら。それに焦ってポイントを稼ぐために、木之本君を襲ったのかな」
サトミへ確認するように視線を向けるモトちゃん。
彼女は軽く頷き、それを肯定した。
「集まってる情報では、スキンヘッドの男が中心みたい。学校も生徒会も、もう役目は終わったと判断したみたいね」
「だから無茶をするか。ケイ君はどう思う」
「気が合いそうだね」
唯一陰りの表情を見せない人がいた。
いや。唯一ではないか。
「骨折り損のくたびれもうけだね」
静まり返る空気。
乾ききった風が袖を揺らし、側を通りかかった生徒が気まずそうにして足早に逃げていく。
というか、私も逃げたい。
「ほら、その骨を折られた子は」
「兄貴、冴えてますな」
「いやいや。私なぞ、まだまだ」
なんだ、この馬鹿兄弟は。
大体何を話題にしてるのか本当に分かってるのかな。
「あのさ。骨を平気で折るような相手だよ」
「骨くらい、別に良いだろ。死ぬ訳でもないし」
根本的に価値観が違うな、これは。
彼らしいといえば、彼らしいんだけど。
「阿川タイプだな、あれは」
ポツリと呟き、袖の端で佇んでいる阿川さんへ顎を振る塩田さん。
向こうはそれが聞こえたのか、一瞬だけ視線をこちらへ向けてきた。
「容赦が無いというか、情けが無いというか。その分規律は守られて、外部からの責めにも強いんだが」
「デモンストレーションって事なんですか?」
「その側面もあるだろう。外向けにも、内向けにも。なんにしろ、関わらない方が良さそうだ」
「保安部の責任者である以上、我々と直接的に対峙する最も重要な相手だと思いますが」
苦笑気味に説明するモトちゃん。
彼の姿は観客席にあり、声こそ聞こえないが生徒も彼の指示には従っている様子。
直接の部下らしい傭兵も完全に掌握し、また仲間意識が強いはず。
これが徐々に浸透していけばかなり厄介だが、彼という人間自体は信用出来る気もする。
「あいつが信用出来る、とか思ってるのか」
「違いますか」
「傭兵は、任務に忠実。でもって、お前達は敵。あいつが信用出来る人間であればあるほど、お前達には厄介な相手だ」
「それはそうですけどね」
ただ、あの金髪や委員長を相手にするよりはよほどましだと思う。
人間的に信用出来るからこそ、一線を越えないと思うから。
この場合の一線は具体的な何かではなく、お互いが暗黙の内に理解する境界線だ。
殴り合い戦い合っても、そこに最低限のルールは存在する。
多分彼は、それを守るタイプ。
だがあの金髪はどうだろう。
そして、委員長は。
「そういえば、組織図を作ったんだってな」
「こちらをどうぞ」
「……顧問ってなんだ」
サトミから受け取った組織図の紙を顔の前で振る塩田さん。
よく見ると、端っこに「顧問……塩田丈」とある。
なんか手書きで「馬鹿」て書かれてるし。
それも、下手な字で。
「私達もガーディアンではないとはいえ、直接的に解任されたのは塩田さんだけですから。代表として就任していただくのは見合わせました」
「顧問からも外してくれ」
「いいだろ、顧問」
馴れ馴れしく塩田さんの肩を叩くケイ。
先輩とはいえ、今はお互いガーディアンではないし上司部下の関係でもない。
顧問と代表補佐のどちらが上という序列も曖昧だし、元々連合に序列があったかどうかも疑わしい。
ただ、親しき仲にも礼儀あり。
当然のように床へ倒されるケイ。
とはいえこれも分かっている事。
コミュニケーションの一種だろうか。
それが、涙を流してまで喜ぶ事なのかは知らないけど。




