表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第30話
334/596

エピソード(外伝) 30   ~ユウ視点・クリスマス・イブ編~






     クリスマス・イブ




 朝。

 だと思うが、枕元に置いてあった端末が着信音を奏でだした。

 目を閉じたまま腕を動かし、それっぽい感触を握りしめる。

「はい」

「俺だけど」

 聞き馴染みはある。

 ただ、朝にはあまり聞いた事のない声。

 というか、向こうから私の端末に連絡をして来る事自体かなり希。

 つまりは余程悪い話か、いい話。

 相手が相手だけに、油断は出来ないな。


「どうかしたの」

「あのさ。今日、ショウと出かける予定じゃなかった」

 何となく言いにくそうに聞いて来るケイ。

 そうだよと彼に答え、話を続ける。

「出かけるって言っても、買い物して食事するくらいだから」

「デートじゃないの、それ」

「大袈裟な」

 街に出てウインドーショッピングを楽しみ、食事をする。

 ただそれだけの事。

 今までも普通にしてきたし、改めてかしこまるような話ではない。

「そこに、カレンダーある?」

「あるけど」

「俺のカレンダーは12月24日になってる。そっちのは」

 人間側の見間違いでない限り、カレンダー自体の日付が間違える訳はない。

 当然壁に掛かっているカレンダーも、今日は12月24日だと告げている。 

 待てよ。

 何となく背中の奥が、冷たい感じになってきた。

「えーと。24日って、クリスマス・イブだよね」

「日本は仏教徒みたいなものとしても、クリスマスを否定する習慣はないな」

 もっともな事を言ってくるケイ。

 イブにデート。

 イベントにイベントが重なり、自乗どころか無限大になるくらいの一日。

 ちょっと汗が吹き出てきたよ。


「でも、どうしてわざわざ連絡してきたの」

「ショウが、俺に金を借りに来た。相当切羽詰まってるのか余程大金がいるのか。間違いなく、その辺のファミレスでハンバーグを食べるって話ではないと思う」

 彼の言いたい事は何となく分かった。

 私も多少は小綺麗な格好をする気ではあったが、それは気持ち程度の問題。

 ブルゾンを羽織ってショートスカートを履いて、ちょこちょこ彼と歩き回るくらいの意識しか無かった。

 ただこの話の流れで行くと、それこそ店で止められそうな気になってくる。

「まさか、ジャケットとジーンズで出かける気だったとか」

「まさか。そんな」

 ジャケットとジーンズではないが、指摘としては間違いではない。

 少し息が苦しくなってきたな。

「ちょっと待ってて」



 階段を駆け下り、リビングでお茶を飲んでいたお母さんに声を掛ける。

「服、服。スーツ無い?」

「何のために」

「ちょっと出かける」

「たまに意味が分からないわね。服、服と」


 衣装部屋に使っている部屋のタンスを開け、中を漁り出すお母さん。

「クリーニングに出してるわね。真っ赤と真っ黒ならあるけど」

「赤と黒」

 見せてもらったが、デザインとしてそれ程悪くはない。

 しかし赤と言っても目が痛くなりそうな赤で、黒はどうも喪服風。

 喪服そのものでは無いにしろ、それに近い用途にしか使えないと思う。

「……ちょっと待ってね。服、サトミは?」

「サイズが合わないだろ。舞地さんに連絡する」

「ありがとう。後で行ってみる」

「ああ」

 通話を終え、足元に目を向ける。

 服は何とかなるが、靴は無理。

 多分、舞地さんのでも合わないと思う。

「靴。ハイヒール無い?」

「あるわよ。特注品がね」

 あまり楽しくなさそうに話すお母さん。


 今度は玄関の下駄箱を漁り、ハイヒールを出してくれる。

 何というのか、子供が履くような小さいサイズ。

 デザイン的に問題はないが、これを必要とする大人は私とお母さんくらいだろう。

「ちょっと借りるよ」

「いいけど。あなた履いた事あるの?」

「無い」

「バンドエイドかテーピングしなさい。絶対靴擦れする」

 生活の知恵を授けてくれるお母さん。

 今度はリビングへ戻り、バンドエイドを手に入れる。

「少し出かけてくる」

「デート?」

「そうかもね」

 時がここに及んではもはや否定せず、ハイヒールとバンドエイドをリュックに詰める。

「夜は?」

「帰って来る」

「どんなデートよ」

 娘に、過剰な期待をしないでよ。




「へろー」

 舞地さんのアパートを訪れたら、池上さんが現れた。

 というか、舞地さんの出てきた試しがない。

「スーツなら売る程あるわよ。雪ちゃんにはちょっと大きいけど、まあ良いでしょう」

「靴はないよね。一応、自宅から持ってきた」

「用意良いじゃない。足見せて」

 玄関にしゃがみ込んだ私の足の裏を揉み出す池上さん。

 それに身もだえするが、容赦なし。

 これ以上やられたら、多分彼女を蹴り付ける。

「笑うくらい小さいわね」

 ちなみに笑ってるのは私だけで、彼女はくすりともしていない。

 大体揉む意味はなんなんだ。

「真理依の足よりは、確かに小さいか。靴見せて」

「じ、自分で出してよ」

 床を這って部屋に上がり、そのままキッチンの前で力尽きる。

 しばらくは何もしたくないというか出来そうにない。

「何している」

 無愛想な顔で見下ろしてくる舞地さん。

 それに答える気にもなれず、体を丸めて目を閉じる。

 とにかく今は、ただこうして休んでいたい気分。

 笑い収めどころの話じゃないな。


 ベッドに並べられるスーツ。

 池上さんはその中から、慎重に一着を選び取った。

 色はグレー。

 襟元の部分は少し色が浅く、裾は右側が若干短め。

 また肩が出るタイプで、デザインとして文句はないが冬場にこれは少し辛い。

「後はコート。毛皮と」

「毛皮?」

 思わず声を裏返すが、池上さんは構わず白い毛皮のコートを出してきた。

 何の毛皮か知らないけど、ふんわりした手触りでこれにくるまってそのまま寝たくなるくらい。

「それと、メイクね」

「メイク?」

 もう一度声を裏返すが、構わず鏡台の前に座らされた。

 でもって引き出しから化粧道具を取り出し、私の顔に乳液を付けだした。

「肌は綺麗だから、必要ないんだろうけど。メイクといっても薄め。うっすらとする程度よ」

 この辺は私の顔立ちを分かっている発言。

 というか私が普通にメークをしたら、間違いなく笑われる。

 子供がふざけて、お母さんの化粧をするのと同じ理由で。



 顔に塗られていくファンデーション。

 正直この匂いだけで嫌になってくるが、施してもらっている立場では文句の言いようもない。

「ルージュとアイラインだけでいいわよね。それとも、まつげを上げる?」

「いや。何もしなくて良い」

「分かった。口閉じて」

 顎に添えられる綺麗な手。

 鏡台に映った池上さんの後ろ姿。

 頬に感じる柔らかな肌触り。

 何となく夢見心地の内にメーキャップが終わり、鏡の前に見た事の無い女性が現れた。

 私は私。

 ただ少し大人びて、自分で言うのもなんだけど綺麗と言って良いだろう。

「後は着替えて、玲阿君の連絡を待ちなさい」

「ありがとう」

「無理に化粧しなくても良かったんだけど。まあ、イブだから」

 苦笑気味に呟く池上さん。

 多分今日は多少の事をしても、この一言で許される。

 それがクリスマス・イブという一日だろう。


「あ、俺だけど」

 いつもより少し固い声。 

 それに釣られたのか、こちらもつい声が少し高くなる。

「あ、うん」

「えと。下に来てる」

「分かった。今行く」

 お互い素っ気無い会話を交わし、通話を終える。

 少なくとも、これからデートという雰囲気からは程遠いな。

 いや。この緊張感こそデート前と言うべきか。

「じゃあ、行って来る」

「行ってらっしゃい」

 優しく微笑み見送ってくれる池上さん。

 床で丸くなってる人は、この際考えないでおくとするか。




 アパートの玄関を降りると、ダブルのスーツを着たショウが待っていた。

 色はグレー。ブリティッシュスタイルのデザイン。

 肘にはコートが掛けられ、どこの紳士が現れたのかと錯覚してしまう。

「ごめん。靴が歩きにくくて」

 はにかみつつハイヒールを指差したら、ショウは曖昧に頷いて頭を掻いた。

「ん、何」

「いや。見違えたと思って」

 その一言だけで、冬の寒さもどこかへ吹き飛ぶ。

 毛皮のコートが要らないんじゃないかと思えるくらいに。

 丸まったまま、「馬子にも衣装」とか言ってた人とは大違いだな。

「それで、どこ行くの」

「名駅に店を予約してあるから、そっちへ行こうか。えーと、地下鉄で」

「分かった」

 別に車を期待はしていないし、もしお酒を飲むような事になれば車は逆に必要なくなる。

 それにお互い二人きりになる事を、そこまで求めている訳でもない。



 地下鉄の車内は着飾ったカップルや、買い物袋を下げた家族連れの姿が目立つ。

 車内が幸せだけで包まれたような雰囲気。

 ケイが言っていたように私達はクリスチャンではないけれど、本当キリスト様は偉大だなと思う。

「あっ」

 停止のために地下鉄が減速し、それに揺られて体が流れる。

 重心が低いため普段はさほど気にもしないが、いまはつま先とせりあがったかかとだけで立っている状態。

 転ばない方がどうかしてる。

 咄嗟にショウの腕へすがりつき、しかし甘酸っぱさを覚えるどころの話ではない。

「これは、人間が履くものじゃないね。それか、私が履くものじゃない」

「似合ってるぞ」 

 小声で嬉しい事を言ってくれるショウ。

 それだけでこの格好をした甲斐はあったが、明日もお願いと言われたら多分断る。

 それ以前に明日は、足がつって動けないような気もする。

「予約って。まさかと思うけど、ファミレスじゃないよね」

 ファミレスに問題は無いし、私も好きだ。

 ただ逆に、今度はこの格好が仇となる。

 毛皮にドレスでファミレスに。

 なんて、むしろ痛々しさしか感じない。

「一応、高級レストランという名前にはなってた」

 笑い気味に教えてくれるショウ。

 ただそういう事は、もう少し事前から匂わせておいて欲しい。

 それとも単に、私が鈍すぎただけか。




 名古屋駅で地下鉄を降り、地下街を歩く。

 ここでもやはりカップルが目立ち、これでもかというほど幸せな雰囲気をあたりに振りまいている。

 いつもはそれが過剰に感じられる時もあるけど、今日はそれも含めてクリスマス・イブなんだろう。

「少し休もうか」 

 急に気のきく事を言い出すショウ。

 誰かから教わったのか、マニュアルでも読んだのか。

 少し驚くな、この発言は。

「ん、どうかしたのか」

「いや。そういう気が回るタイプだとは、今の今まで知らなかった」

「あのな。俺も、それなりには成長してるぞ」

 なんとなくむくれ気味に、行く手にあった喫茶店へ入っていくショウ。

 それでも彼の腕にすがる私のペースに合わせてくれるところが、ただ嬉しい。



 コーヒーと紅茶を頼み、地下街を歩く人の流れをぼんやり眺める。

 予定らしい予定は、ショウが予約しているというレストランへ行く事だけ。

 時間的にはまだ余裕があり、言ってみれば今は何もしなくてもいい。

 時間的なゆとり。

 それは心のゆとりへもつながっていく。

 最近何かとあわただしかったので、こういう時間を作るのは大切な事だと思う。

「顔、変じゃない」

 服や靴もそうだが、一番不安なのはこの事。

 舞地さんや池上さんは褒めてくれたが、それを素直に受け取っていいのかは少し判断出来なかった。 

 自分でもそれ程ひどいとは思わないけど、これは私のためにした訳ではない。

 今目の前にいる男の子。

 ショウのためだけにした事なんだから。



「綺麗だよ」

 はにかみ気味に。

 私の目を真直ぐ見据えて言ってくれるショウ。

 たった一言。

 その一言が、私の全て。

 このまま帰って、その幸せを一日噛み締めたいくらい。

 帰らないけどね。

「ショウも似合ってるよ。でもダブルのスーツなんて、持ってた?」

「姉さんが仕立てろって言うからさ。金額にびっくりした」

「またローン?」

「もう、今さらだ」

 苦笑気味にため息を付くショウ。

 彼が抱えているローンは、私の持っているスティックの支払い。

 本来なら私が払うべきものだが、つい最近までその事を教えず彼が一人で払っていた。

 多分この先10年でも払い終えないと思うが、それに対する不満を聞いた事が無い。

「ありがとう」

「え」

 目を丸くして、改めて私を見つめるショウ。 

 確かに、色んな意味でタイミングがおかしかったな。

 どうも、自分の中で自己完結しすぎたようだ。

「いや。今日の事もだけど、スティックのローンでも迷惑を掛けてるなと思って」

「迷惑って、俺は」

「分かってる。でもさ、ローンを払ってくれてた事には感謝してるから」

「まあ、それは。その。俺は別に、なにも」

 なにやら口の中で呟くショウ。

 振り返って考えると、この件でお礼を言ったのは中等部の頃スティックを受け取った時だけのような気もする。

 仲たがいして事情を知った時も、お礼は言ってないはずだ。 

 そう考えると、私もつくづくひどいな。

「気にするなよ。それより、そろそろ出ようか」

「分かった。どこか行くの?」

「特に当ては無いんだけど」


 その割には、比較的目的を持ったコースを辿るショウ。

 私が店のウィンドーを眺める間は足を止めるが、見終わると先へ進む。

 彼から足を止める事は無く、特定のどこかを目指しているのは間違いない。

「どこか行くんでしょ」

「ん、大した事じゃない」

 口数は少なく、少し足も早くなりがち。

 私が腕にすがってなければ、走り出しそうな雰囲気すらある。



 やがて辿り着いたのは、宝石店。

 店内のショーケースには、桁を間違えていると言いたくなりそうな指輪やアクセサリーがこれでもかというほど並んでいる。

 さっきの今。

 まさかこれを買うとは言い出さないだろうな。

「おまたせしました」

 紺のスーツを着た綺麗な女性が、細いケースを持ってしずしずと現れた。

「どうぞ」

 それを受け取り、ケースを開けるショウ。

 現れたのは、ネックレス。

 細いシルバーの鎖と、小さなアクセサリー。

 宝石は付いていなく、シルバーでデザインをしてあるようだ。

「結晶?」

 目を細め、アクセサリーをじっと眺める。

 雪の結晶。

 多分これは、「雪野」と「雪」を掛けているんだろう。

 しゃれているのかどうかはともかく、ちょっと恐縮するな。

「付けて見ますか?」

「へ」

 思わず変な声を出すが、店員さんは構わず私を後ろ向きにして後ろ髪を上げた。

 別にいいけど、どうなんだこれは。

「じゃあ」

 私の前に立ち、覆いかぶさるようにしてネックレスを掛けてくれるショウ。

 厚い胸板が目の前に来て、なにやら色々錯覚しそう。

 それ以前に、この身長さは自分でも驚くな。


 多少ずれた事を考えている間にショウはネックレスの留め金に苦戦していたようだが、額に汗が吹き出た頃にはどうにかはめ終えた。

「いかがでしょうか」

 近くの鏡に私を促す店員さん。

 ハイヒールの歩きにくさに今度は私が苦戦をしつつ、その前に立ってみる。

 ドレスの色に映えるシルバーの輝き。

 控えめで目立ちはしないけど、私にとってはまばゆいばかりの輝きを放つ。



 店を出て、ネックレスに触れつつショウを見上げる。

「高くないよね?」

「ん、ああ。さすがに俺も、そこまでの金は無い」

 なにやらやるせないため息を付くショウ。

 ただ店の雰囲気や値札から見て、高校生が気軽るに立ち寄る店でないのも確かだった。

 誰かスポンサーがいるのか、また借金を重ねたのか。

 ただ、クリスマスにボーナス全部をつぎこむというタイプでもなかったはずだけど。

「福引で当たったんだ」

 仕方なそうに笑うショウ。

「当たるまで引きまくったってオチじゃないよね」

「いや。普通に当たった。どうも、良くない予感がする」

 なにやら悲しい事を言い出すショウ。

 確かにこの人が福引やくじで当たったなんて記憶はない。

 もしかして一生分の、ギャンブル運みたいなのを使い果たしたかもしれないな。

 そう思うとこのネックレスは貴重で、やっぱり私の宝物になる。



 お店を出たところで、ようやく彼にも落ち着きが戻ってくる。

 自分からショーウインドーに足も止めるし、店の中へ入ろうと言えば付いてきてくれる。

 何かを買う事は無いけど、こうして一緒に歩いてなんでもない話をするのが私にとっては一番の幸せ。

 ささやかでも暖かい、春を思わせる心地。

 時は過ぎ、再びショウの落ち着きがなくなってくる。

 どうやら、レストランの予約時刻が迫ってきているようだ。

「ああ、そうか」 

 突然声を上げるショウ。

 何事かという具合に、通りすがりの人が彼を見るくらいの声で。

「な、なにが」

「いや。ああいうところって休憩というか、待てる場所があると思って」

「ああ、そういう事ね」

 当たり前だが、6時予約で6時ちょうどに着けるなんて事は無理な話。

 それこそ店の前で時計と睨みながら出ない限り。

 そのため店には予約客や席が空くのを待つ客のため、バーのような場所がある。

 高級店ならの場合で、ファミレスや普通の店なら何もせずにただ行列を作るだけだ。




 超高層ビルの高速エレベーターに乗り、めまぐるしく変わる階数の表示を眺める。

 階数は30で止り、ショウが廊下の様子を確認しつつエレベーターを降りる。

「合ってる?」

「多分」 

 あまり頼りにならないエスコート役。

 ただこれは慎重を期す彼の性格から出た言葉で、私のように迷っての発言ではない。

 静かな廊下に響く私達の靴音。

 廊下の左右にはいかにも高級そうな店が並び、大半は

 「本日、予約のみ」

 という説明がされている。

「ここだな」

 胸元から何かを取り出し、店名と照らし合わせるショウ。

 彼がドアを開けると、ふっといい香りが漂ってきた。

 食堂の雑多な香りとは違う、品があって足元が浮き上がりそうな。

 また騒ぎ声や喧騒といった世界とは全く無縁の、静かな店内。

 BGMは無く、夜景の見える窓際にピアノが置かれているだけ。

 店内はやや照明が暗く、ただ席はほぼ満席。

 ショウは店員に名前を告げ、予約の確認を取った。

「こちらへどうぞ」


 少し早かったらしく、予想通りバーへ通される。 

 椅子に座るのがやっとで、胸から上がようやくカウンターに出ている感じ。 

 笑い事じゃないけど、笑えるな。

「何かご用意いたしましょうか」

「お茶か水で」

 そう告げるショウ。

 別に支払いを惜しんでるのではなく、これからディナー。

 今からおなかを膨らますのは、確かにどうかと思う。

「どうぞ」

 すぐに出てくるティーカップ。

 飲みたいが、正直頭から被りそうな気もするので遠慮して匂いだけを楽しむ。

「玲阿様。お席へご案内いたします」

 音も無く近付いてくる綺麗な女性。 

 あまり足音を立てて近付いてこられても困るが、ある意味達人だな。



 案内されたのは窓際のテーブル。

 位置的に、昼間なら高校が見えているはず。

 今は街明かりにかすみ、それ以前に私の視力ではぼやけて殆ど見えていないが。

「事前に伺ったコースでよろしいでしょうか」

「はい」

「では、食前酒をお持ちしますが。何かご希望があれば」

「いえ、特には」

 固い受け答えをするショウ。

 それは私も同様で、正直場違いさを感じている。

 周りにいるのはカップルや年配の客ばかり。

 テーブル一つとっても高級感が溢れていて、座っている椅子にも遠慮しそうなくらいの心境だ。


 運ばれてきたのはスパークリングワイン。

 低アルコールとは付け加えたので、いきなりひっくり返る事は無い。

「それでは、お食事をお持ちいたします」

「お願いします」

 お餅を持ってくるのかと、ケイなら突っ込みそうな台詞。

 私もそう言いかけ、ただ店内の分に口をつぐむ。

 非常に肩がこるな、この店は。

「ふぅー」

 一気にワインを飲み干し、大きく息を付くショウ。

 どうやら疲労の度合いは、彼の方が数段上なようだ。

「ネクタイ緩めたら?」

「ん、ああ」

 襟に指を掛けて、少しだけ引っ張るショウ。

 外しても良いと思うが、彼なりに今のスタイルを気に掛けているのだろう。

「飲む?」

「飲む」

 差し出した、手つかずのグラスを空にするショウ。

 この辺は、あまり気にしないようだ。



 酔いが回る事もなく、テーブルの上でちろちろ燃えているろうそくを眺めていると前菜が運ばれてきた。

「ポワロ葱のコンソメ煮でございます」

 器に盛られた太いネギ。

 綺麗にコンソメの色に染まっていて、型くずれもしていない。

 なかなか食欲をそそるな、これは。

「ネギか」

 そう呟いてネギを切るショウ。 0

 ねぎの風味を残しつつ、濃厚なコンソメの味が染みている絶品。

 野菜なのでしつこさも無く、ついつい笑顔が浮かんでくる。

 多分これがサラダの代わりで、冬だから暖かいのを出してくれてるんだろう。

「ネギか」

 まだ言ってるのか、この人は。

 その割には、皿の上は何も乗ってないし。

 仕方ないので自分の皿を彼の方へと動かし、ネギを乗せる。 

 私は残ったスープだけで十分だ。 

 ちょっと普段味わった事の無い感覚で、使ってるスパイスや調理法は勿論食材自体根本的にその辺のスーパーで売ってる物とは違うんだろう。

 そうなると金額が気になってくるけど、そこはショウに任せてある事。

 私は素直に食事を楽しむとしよう。



「カボチャとズッキーニのスープです」

 カボチャ色したスープの上に浮かぶ、ズッキーニの薄いスライス。

 スプーンでそっと表面をすくって口に運ぶと、カボチャのいい甘みが口の中へ広がっていく。

 ズッキーニは歯応えより、風味付けだろう。

「カボチャか」

 もういいんだって。


「いくらとパルメザンソースのパスタです」 

 ようやくほころぶショウの顔。

 とはいえ皿の中央に、ちんまりと綺麗に盛り付けられているだけ。

 皿から溢れんばかりと言う普段彼が食べるスタイルとはおおよそほど遠い。

「食べる?」

「食べる」

 私は一口食べれば十分で、何よりこれからメインディッシュが待っている。

 普通に今まで出された分を食べていたら、多分おなか一杯になっていただろう。

 マナーとしてはどうかとも思うが、残す方が悪いと考えたい。


「牛ヒレ肉のあぶり焼き、アスパラソースでお召し上がり下さい」

 静々と目の前に置かれるお肉の塊。

 綺麗に焦げ目が付いていて、皿の上に散ってる白と黒の粉は多分トリュフ。

 緑色のソースがアスパラか。

 ナイフを突き立てた途端、その重みで切れていく感じ。 

 中はミディアムレアと言ったところで、放っておくと肉汁が皿の上でソースと交じり合う。

 小さくカットして口に運ぶと、肉の濃厚なコクとアスパラの風味がいい感じにマッチする。

 そこにトリュフが重なり、これはちょっと家で食べられるものではないな。

 ただ後はもう、見てるだけで十分という量。

 お母さんに持って帰りたいくらいだ。



「鮎のパイ包みです」

 お皿に乗っているのは魚の形をした小さなパイ。

 ナイフを入れると、確かに中から魚の身が現れた。

 鮎の独特な癖と言うか風味を嫌う人がいるけど、パイの下に撒かれている笹の葉がその匂いを取った感じ。

 かといって風味が無い訳ではなく、笹の爽やかな香りと共に口の中に広がっていく。

 川魚の柔らかな身と、焼くと分かりにくい脂加減がしっかり味わう事が出来る。

 これも一口だけでショウに譲り、おなかをさする。

 十分堪能したし、むしろ食べ過ぎたくらい。

「結構少ないな」

 空耳が聞こえたけど、気にしないでおこう。


「ミルクプリンでございます」

 目の間に置かれるガラスの器に入ったミルクプリン。

 小さな瓶もいくつか置かれ、それにはソースが入ってる様子。

 イチゴ、ブルーベリー、カラメルソース、小豆。

 ただ私は何も掛けないのが好きなので、そのまま頂く。

 これはもう、ミルクの塊と言った味。

 ミルクを濃縮してそれをプリンの形にしたというか。

 それでもやはり癖は無く、後味は爽やか。

 ミントが入ってるかな、これは。

「これで終わりかな」

 なにやら言ってるけど、デザートの後にステーキが出てくるコースなんて聞いた事が無い。



 お店を後にして、毛皮のコートを抱えながらショウの横へと並ぶ。

「ん、帰るんじゃないの」

「いや。ちょっと」

 口ごもりつつ、エレベーターのボタンを押すショウ。

 階数は先ほど同様めまぐるしく変わり、あっという間に70階へ到達する。

 高所恐怖症の人がいたら、これだけで倒れるかもしれないな。

「ここで降りよう」




 眼下に見える夜景。 

 さっきのレストランよりも眺望はよく、目が良ければ名古屋港で打ち上げれられている花火が見えるかもしれない。

 視線と星の高さが同じくらいで、眺めとしては最高と言える。

「スカイラウンジを予約したかったんだけど、一瞬で予約が埋まった」

 苦笑しながら、展望台の手すりに肘を掛けるショウ。

 私からすればこちらの方が合っているというか、堅苦しくなくて助かる。

 カップルもいれば歓声を上げる子供もいて、普段に戻った気になる。 

 ただそれは私の考えで、彼はもう少し違うプランを考えていたのかも知れないが。

「学校はどの辺りかな」

「逆だぞ」

 フロアの反対側を指差すショウ。

 つまり私は、琵琶湖の方を見てたのか。

 いや。遠すぎて見えないけどね。

「冗談だって、冗談」

 コートを抱えてちょこちょこ歩き、表示板が「熱田神宮方面」になっているところで足を止める。

 景色はやはり真っ暗。

 下のほうにうっすらと明かりが見えるくらい。

 正面に見えている星の瞬きも、私の錯覚かもしれない。

 以前なら夜でもビルの形が見えるくらいだったけど、今は明かりすらはっきりしない。

 つくづく症状は重いなと実感する。

「ああ、見えなかったか?」

 少し困った顔をするショウ。

 ここへ連れてきたのは失敗だったと思っているのかもしれない。

 私はすぐに彼の腕へ手を添え、にこりと笑って電子望遠鏡にお金を入れた。


「見えなくても、雰囲気は分かるから」

「でも」

「私はここにいるだけで楽しいよ」

 カップルの笑顔。家族連れの会話。 

 窓に映る自分と彼の姿。

 うっすらとしか見えてはいないけど、この暖かな場所に私は彼といる。 

 彼の思いが伝わってくる。

 景色はぼんやりとしか見えなくても、それは大した事ではない。 

 彼が私のために何かをしてくれた。 

 そこは暖かで、誰もが笑顔を浮かべる場所だった。

 私にはそれだけで十分だ。



「俺は駄目だな」

 苦笑して電子望遠鏡を操作するショウ。

 もしそうだとしても、あまり気がきく彼というのも少し付き合いづらい。

 やっぱりショウは少しくらい不器用で、世慣れてない方が合っている。

 彼自身が困るのはともかくとして。

「見えないな」

 モニターに移るのは、ぼやけた画像。

 なんとなく熱田神宮っぽい輪郭をしてはいるが、照明も何も無いのでその暗闇の形がそれだと判断する以外に無い。

「お母さん、これなに」 

 電子望遠鏡のモニターをのぞきこみながら尋ねる女の子。

 お母さんは大きな虫眼鏡という、なにやらすごい説明をしている。

 ただ、決して間違えては無いか。

「やってみる?」

「あ、済みません」

「いえいえ。もっと引いた方がいいのかな」

 子供の小さな手に自分の手を添え、コンソールを操作。

 映像が一気に引かれ、今度はテレビ塔が見えてきた。

 クリスマス用に、ツリー風の照明をしているところ。

これははっきりと、それが何であるかを分からせてくれる。

「お母さん、これ何」

「TVの素」

 間違ってないけど、どうなんだこれは。



 後は子供とお母さんに譲り、私達はベンチに座る。

 慣れない靴と慣れない服装。 

 そしてさっきの店の慣れない雰囲気。

 さすがに少し疲れてきた。

「ふぅ」

 なんとなくため息を付き、膝に置いた毛皮を撫でる。

 羽未を撫でているよりも柔らかい手触り。

 それでいて暖かく、このまま動き出してもおかしくはないくらい。

 「では」と言われて、動かれても困るけど。

「疲れてないか」

「ん、少し」

 素直に答え、にこりと笑う。

 隠すような事ではないし、疲れているのも事実。 

 目の事も考えれば、それは報告しておいた方がいい。

「そろそろ帰るか」

「うん」




 地下鉄の駅を降り、バスの時刻表を確かめるショウ。

 その顔が少しだけ曇る。

「ちょっとタイミングが悪かったな」

 いつも利用する神宮駅や今私達が乗ってきた名駅なら、間をおかずにバスも地下鉄もやってくる。

 ただここは、私の家に近い駅でありバス停。

 利用する人数は限られ、自然バスの本数も減る。 

 駅前はコンビニと食べ物屋さんが少しあるだけで、ロータリーにはタクシーすら止っていない。

「近いし、少し歩こうよ」

「足は?」

「バンドエイドが効いてる。母の力は偉大だね」

「そういうものなのか」

 くすくす笑いつつ歩き出す私達。

 気付くと空には月が浮かんでいて、優しく私達の背中を押していた。



 夜の路地に響く靴音。

 地下鉄に乗っている間もだったけど、なんとなく無言になってしまう。

 無理に話す必要はない。

 空気が重い訳でもない。

 なんとなくお互い口数が減り、何か話しても会話は途切れがちになる。

 普段とは違う服装。普段とは違う振る舞い。

 気持も、なんとなく普段と違ってきているのだろうか。

「あっ」

 何も無いところで躓いてしまい、よろめきつつショウにしがみつく。

 位置としては彼の胸元。

 路地の中央で、彼と抱き合うようにして。

 とくんと鳴る胸の奥。

 背中に回った彼の手に力がこもり、私も彼の背中に手を回す。

 高まる鼓動。 

 早まる呼吸。

 眩しそうにして顔を上げ、いつに無い真剣な顔をしている彼と視線を交わす。

 背中を丸める彼。

 背伸びする私。

 そこでつい、笑ってしまう。


 ムードも何も無い自分の行為。

 ただこういう事は、偶然に頼らなくて良いと思ってる。

 もっと必然的な状況になるまで待てばいいだけで。

 それは私の一方的な考えでしかなく、彼はまた違う考え方を持っているかもしれない。

 ただこの件に関しては、私にも異議を唱える権利はあるだろう。

 それ以前にこの身長差が埋まる必然的なシチュエーションは、少し想像出来ないけど。


 気まずくは無いがやはり殆ど会話も無いまま歩いていく私達。

 行く手を月明かりが照らし、靴音が人気の無い路地に響く。

 世界には自分と彼だけしかいないような気分。

 だったらと思わなくも無いが、それはもう済んだ事。

 私はこうして彼の腕に手を添えているだけで十分だ。




「ん?」

 突然眉間にしわを寄せるショウ。

 さっきの事を怒ってるにしては、あまりにも時間が空きすぎ。

 何かと思って視線をさ迷わせるが、私に見えるのはぼやけた景色。 

 昼はともかく、夜は本当に見えていない。

「どうかしたの」

「公園で、バイクをいじってる奴がいる」

 真夜中ではないが、外で何かをするには遅い時間。

 彼の表情が曇るのも当然だろう。

「盗もうとしてるの?」

「いや。倒れたバイクを起こしてる」

「盗んできたバイクって事は?」

「聞いてみれば分かるさ」


 一番手っ取り早い方法を選ぶショウ。

 せっかくのデートなのにという意見もあるだろうが、ここで通り過ぎていく彼の姿こそ見たくは無い。

「どうかしたのか」

 声を掛けられ、慌ててバイクから飛びのく男の子二人。

 ここまで近付くと私にもようやく姿が見えてきた。

 見た感じ中学生といった所。 

 倒れているのは、それには不釣合いな大きいバイク。

 これを起こすのは、多分大人でも大変だと思う。

「これは?」

「あ、いや。家にあったのを修理して走らせようと思ったんだけど」

「その。動かないし、倒れちゃって」

 意気消沈はしているが、嘘をついている様子は無い。

 それを見抜くだけの能力も無いと言われると、少し困るが。

 あどけなさが残り、手は油だらけ。

 ジャージも汚れや擦り傷が目立ち、これで嘘ならそれは自分の不明を恥じるだけだ。

「大丈夫。このお兄さんが起こしてくれるから」

「軽く言うなよ」

 そう言いつつ、しゃがみ込んでハンドルを握るショウ。

 そして腰を入れ、低い姿勢からバイクを押すようにして立ち上がる。

 男の子達が驚く間もなく起き上がるバイク。

 二人は汗だくなので、彼等なりには頑張っていたんだと思う。

 それがショウも相当疲れはしただろうが、結果としては一瞬。

 やっぱりこの人は格好いい。

「セルじゃなくて、キック式か」 

 スタンドを立て、フットブレーキの後ろにあるペダルを足で踏むショウ。

 しかしエンジン音が鳴り響く事は無く、ペダルの空回りする音が聞こえるだけ。 

「セルモータはー?」

「初めから無いんです」

「ペダルを踏んでる内に、バイクが倒れちゃって」

 なんとなく状況は飲み込めた。

 バイクにまたがってペダルを踏んでいる内にバランスが崩れ、バイクが転倒。

 そして今に至るという訳か。

「仕方ないな」

 バイクにまたがり、ペダルの上に足を掛けて体を下へ落とすショウ。

 すぐに鳴り響くエンジン音。

 鳴り響くというのは夜だからで、話しているとその音は微かに聞こえる程度だが。

「嘘」

「ええ?」

 二人が驚くのも無理ないが、私には見慣れた光景。

 バイクを持ち上げて走り出さない限り、大抵の事はもう慣れた。

「あれ」 

 すぐに小さくなるエンジン音。

 そしてバイクの振動が止り、公園には再び静寂が舞い戻る。


「調子悪いな」

「私がやってみようか」

「え」

 一斉に振り向くショウと男の子達。

 何もそこまでおかしな事は言って無いと思ったが、足元に視線が向けられてようやくその意図に気付く。

 毛皮のコートと、下はドレス。

 靴がハイヒールと来れば、確かにバイクも何も無い。

 完全に忘れてたな、この格好を。

 ただ、それはそれだ。

「いいから、ショウ。乗せて」

「そこまでしてやる事なのか」

「このままにする訳にもいかないでしょ」

「まあ、そうなんだが」

 脇腹に手を差し入れ、私を持ち上げてバイクにまたがらせるショウ。

 ハンドルまでやや遠いが、とりあえず握るくらいは何とかなる。

 軽くスターターを蹴ってみるが、反応なし。

 一瞬乾いたエンジン音がするだけで。

 バイクの上に立ち上がって足に全神経を集中させる。

 点のようなヒールとスターターが重なり合い、その感触を確かめつつ押しつぶすようにして腰を落とす。


 闇夜に響くエンジン音。

 ただ少し勢いよく蹴りすぎたのか、バイクを止めていたスタンドが外れて前に動き出した。

 止めたいところだが足が付かないので止めようも無く、仕方なくギアを入れてゆっくり発進。

 ぼんやりとしか回りは見えてないが、公園内を照らす照明が近いためそれ程苦にはならない。

「っと」

 目の前に迫る鉄棒。

 このまま進めば、顔を打つか喉を打つか。

 どちらにしろ、あまり楽しくない展開が待っている。

「よっと」

 アクセルを開き、一気に加速。

 ただしフロントブレーキを掛けて、リアを強引に滑らせる。

 鉄棒へ当たる寸前でバイクを強引に傾け、横に滑りながらその下を潜り抜ける。

 後はゆっくり走り、ショウ達の元へと戻っていく。



「止めて、止めて」

 ショウに一声掛け、後ろから支えてもらう。

 センタースタンドも立ててもらい、最後は彼に抱えられてバイクから降りる。

 もし彼がいなければ、一生バイクに乗り続けるところだった。

「取り合えず、走るみたいだね」

「あ、ありがとうございます」

 顔を赤くしてお礼を言う二人。

 彼等はどちらが次に乗るかを言い争いながらバイクに取り付き、楽しそうに笑っている。

 これで、私達の役目は終わったか。


 再び並んで路地を歩く。

 少し右足に違和感を感じ、足を止める。

「痛いのか」

「いや。蹴りすぎた」

「無茶苦茶だな」

 声を上げて笑うショウ。

 多分今日一番の、楽しそうな表情で。

「こういう格好もいいけど、私はやっぱりもう少し気楽な方がいいのかな。今日は今日で楽しかったんだけどね」

「言いたい事は分かる」

「はは。ごめん」

「俺も正直、苦しいんだ」 

 少し襟元のネクタイを緩めるショウ。

 今となればもう外してもいいのだが、緩めはしても外しはしない。

 今日一日は、これを締めたままでいるのだろう。

 正装をして、プレゼントをして、レストランで食事をして、夜景を見て。

 そう考えると、私はあまり彼の期待には添えなかったと思う。

 服装はともかく、態度という面では。

 結局普段通りにしか振舞えず、最後はバイクに乗ってしまうくらい。

 彼の努力に比べて、私はつくづく至らない。

「痛いのか」

「何が」

「足」 

 なんとなく沈んでしまった私を労わってくれるショウ。

 そう。

 彼はそんな事は気にしてない。

 今日はただ彼に甘えればいい。

 そういう私を彼が望んでいるとは限らないが、私はそういう気持だから。

「痛くないけど、歩きにくくてね」

 今ままで以上に彼へ寄り添い、肩を震わせる。

 毛皮のコートは着ているが、下はドレス一枚。

 長い距離を歩く格好ではない。


「ほら」

 自分のコートを少し広げるショウ。

 その意味を理解して、彼の胸元に飛び込む。 

 暖かなぬくもり。

 彼の匂い。

 彼の優しさ。

 それが恥ずかしく、また嬉しくて。

 そっと彼の体に身を寄せる。

「余計歩きにくいんじゃないのか」

「寒いよりはいいよ」

「ユウがいいなら、いいんだけど」

「いいよ」

 彼に肩を抱かれ、ゆっくりと夜道を歩く。



 空に浮かぶ大きな月が行く手を照らし、彼の鼓動が耳を打つ。

 世界には私と彼しかいない。

 それは錯覚ではなく、私の心がそう告げている。

 だからそれは真実。

 冷えた彼の手を胸元に抱きながら、その真実を確かめる。




 今日はクリスマス・イブ。

 世界中が幸せに包まれる日。

 私もその一人として、この幸せに感謝する。






         








     エピソード30 あとがき




 クリスマス・イブ、デート編。

 もしくは、玲阿四葉生殺し編でした。

 もう少し練り込んで書けば良かったんですが、かなりのやっつけ仕事。

 特に食事は、少しリサーチしたかったですね。


 作中にもあるように、これが初デートという訳ではありません。

 二人きりで出かけるのはしょっちゅう。

 それを彼等が、「デート」だと深く考えていないだけで。

 共に行動するのが当たり前。

 しない方に違和感を感じるくらい。

 それでもお互い、相手が自分にどの程度好意を抱いてくれてるのかは不安に思っています。

 知り合って5年あまり。

 未だに初々しい二人でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ