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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第30話
330/596

30-10






     30-10




 今日は12月25日

 つまりはクリスマス。

 しかしイベントごとはイブに行うのが主流になりつつあるようで、少なくとも私にはこれといった予定はない。

「ここ?」

「そう。丁寧にね」

 腕を組み、指示だけを出すお母さん。

 ショウは言われたまま、押し入れの奥にひな人形のセットをしまっている。

 私が言い出した話とはいえ、少し泣けてくるな。

「あの。これは」

「玄関を出て右の角に、粗大ゴミのコーナーがあるでしょ。そこへお願い」

「はあ」

 ぼんやりと頷き、小さなタンスを抱えて出ていく御剣君。

 誰にも容赦無しというか、少しは逆らってよね。

「済みません。前見えないんですけど」

「あ。私も行く」

「雪野さんも見えないんですが」

 このまま一緒に捨ててやろうかな。



 一応は手だけを添え、玄関を出て粗大ゴミ置き場までやってくる。

 目に付くのは、少し型が古い電化製品。 

 直せばまだ使える物もありそうで、このTVなんか結構良いんじゃないの。

「持って帰りませんよ」

 そのTVの上にタンスを乗せる御剣君。

 これで持って帰るのは、物理的に不可能となる。

 乗せて無くても不可能だけどね。

「昨日、うちに来なかったね」

「行きましたよ。雪野さんはいなかったけど」

「あ、そう?」

「四葉さんと出かけてたでしょう」

 さらりと言ってくる御剣君。

 彼らしいと言えばらしいが、少しは言い淀むくらいしてほしい。

「女には色々事情があるの。じゃあ、早く帰ったんだ」

「鶴木さんの所にも行きましたから。下っ端は辛いんです」

「下っ端って。今頃筆頭家も何もないじゃない」

「まあ、そうなんですけどね」

 若干寂しげに笑い、TVに掌底を叩き付ける御剣君。

 その途端TVだけが吹き飛び、タンスが真っ直ぐ落ちてきた。

 だるま落としじゃないんだからさ。

「デートしないの」

「誰と」

 真顔で普通に尋ねられた。

 そんな事を聞かれると、こっちも困る。

「彼女とか作ってさ」

「なんのために」

 なんか、とてつもなく根本的な話になってきたな。

 彼女とか恋人は理由なんて必要なくて、お互いの気持ちが高まってそれが結果として恋人になるんだと思う。

 逆に彼の場合は、まだそういう感情を抱くには至っていない訳か。

「まあ、いいや。さてと、何か買って帰る?」

「家の片付けはいいんですか」

「元々ショウ一人で大丈夫なんだって。いいから、行こう」



 向かったのは近所のスーパー。

 お昼にはまだ早いが、作る時間を考えれば丁度いいくらい。

「カレーだけど、どうする」

「え、なにが」

「カレー以外にも何か欲しいでしょ」

「多いに越した事は無いですけどね」 

 メニューの内容で語ってよね。

 とりあえず彼にカートを持たせ、後ろを付いていく。

 ショウとは違い勝手に食材を入れる事はせず、ただカートを押すだけ。

 私への遠慮も多少はあるんだろうか。

「何が食べたい?」

「肉」

 この辺は全く同じだな。


 出来合いのロースカツと牛乳プリン。

 後は何かな。

「なんか、困ってるよ」

 野菜売り場のコーナー。

 そこに山積みされたジャガイモの段ボール。

 セール品らしいが、高さが私の身長くらい。

 男性でもこれを降ろすのは一苦労で、インパクトはあるが無理もある。

「降ろしてよ」

「買うんですか」

「他の人が取れないでしょ。いいですよね」

 売り子をしていた若い男女に声を掛ける。 

 見た感じバイトで、二人はお客を裁くのに手一杯といった感じ。

「え、でも」

「大丈夫。この子、力だけはあるから」

「済みませんね、力だけで」

「いいから、ほら」

 段ボールを押すがびくともしない。

 しかし御剣君は私の目線辺りにある段ボールを軽々と持ち上げ、床へと置いた。

 これ二つで、私一人より重いくらいかな。

「さすが。どんどん行こう」

「家の片付けの方が楽だったな」



 そんな事は無いと思う。多分。

「お代わりいる?」

「いります」

 差し出されるお皿。

 それを持って台所に向かい、ご飯とカレーを盛りつけて戻ってくる。

 ショウが恨めしそうに見てくるので、彼の分も盛りつける。

「あなた、ウェイトレス?」

「事情があるのよ、色々と」

 カレーはもう十分堪能したので、牛乳プリンをゆっくり楽しむ。

 柔らかい、溶けるような食感。

 甘さも程ほどで、何とも心が安まる味。

「おい、それは俺の」

「俺が買ってきたから、俺のだ」

「この野郎」

「何を」

 休まらないな、ちっとも。

 というか、それって衣だけじゃない。



 食事も終え、リビングでゆっくり過ごす。

 今日は何の予定もないし、明日もなければあさってもない。

 後は大晦日を過ごし、お正月を待つだけだ。

 気が緩んだら眠くなってきたな。

「寝ないで」

 即座に揺すられ、ティッシュの箱が飛んでくる。 

 失礼だなと思いつつ、口元をティッシュで拭いて立ち上がる。

「なんか用事?」

「あなた、宿題は」

「宿題って、まだ25日じゃない」

「だから」

 顎をそらし、きっと睨んでくるサトミ。

 手には細い定規を持っていて、それを何度ももう片方の手の平に当てている。

 こうなると手に負えず、床に正座してテーブルと向き合う。

 誰だ、宿題を一式持ってきたのは。

「二人はもう始めてるわよ」

 テーブルに顔を伏せて、プリントに何やら書き込んでいるショウと御剣君。

 二人の分まで持ってきてたのか。

「サインは60度なら、0.866でしょ。0.939は70度じゃない」

 御剣君の間違いを指摘しているサトミ。

 頭の中に辞書が入ってるのは知っていたが、どうやら電卓も入っているようだ。

「尊氏じゃなくて、直義。間違いようがないでしょ」

 何の間違いようがないのか知らないが、私が言われてる訳ではないので放っておく。

 さてと、自由課題でもやろうかな。

「やっぱり絵か。無難だね」

 自分一人で呟き、画用紙をテーブルに置いてラフに描く。

 鉛筆なのですぐに消せるし、画家じゃないので深刻になる必要もない。

 何よりこれはサトミの専門外なので、雷が落ちてくる事もない。


 ぐったりしている二人をよそに、とりあえず完成。

 タイトルは「夕暮れと猫」かな。

 それも必要ないけどさ。

「もう描いたの?」

「描いたの。水彩画だし、ささっと描けばいいのよ」

 高畑さんは根を詰めて描くタイプだけど、あの子は芸術家だから。

 私はただの女子高生だし、詰めても良いのは描けもしない。

「そう」

 特に感想もなく、ショウ達のプリントをチェックするサトミ。

 こちらも問題はないらしく、ほっそりした顎が何度も引かれる。

「今日はこれでいいわ」 

 今日はって、明日もって事か。

 悪い事じゃないし、助かるけどね。

「サトミは宿題いいの?」

「全部、昨日中に終わらせた」 

 そうですか。



 とはいえ宿題を終えたら、本当にやる事は無くなってくる。

 冷蔵庫を動かしている男の子二人は知らないけどさ。

「また、そういう事やらせて」

「優と私で動くなら頼まないわよ」

 私と向き合い、力こぶを作るお母さん。

 二の腕にたるみはないが、盛り上がる事もない。

 それは私も同様で、筋力に関しては同年代の女性より劣るかもしれない。

「私達は、結局誰かに頼って生きていく人生なのよ」

「大袈裟な。お父さんは?」

「サトミちゃんと買い物に行ったわよ」 

 何だ、それ。

 私を置いて、二人きりでか。

「その顔、何」

「私達は買い物行かないの?」

「昨日の残りがまだたくさんあるもの」

 だったら二人は、何を買いに行ったんだ。

 どうもこの家にいると、たまに疎外感を感じるな。

 それとも、一度戸籍を確かめた方がいいのかな。



 スクーターで、住宅街を走っていく。

 別に家出ではなく、大して時間も掛からず目的のアパートと到着した。

 外からも見晴らしの利く階段を上り、部屋の前でノックする。

「あら、雪ちゃん」

 現れたのは、白のブラウスだけを羽織った池上さん。

 室内にいるならそれでもいいんだろうけど、私以外の人間には相当問題だと思う。

「真理依なら寝てるわよ」

「あ、そう。昨日のお礼言おうと思ったんだけど」

「律儀な子ね。入って」


 床にだらしなく座り、遠い目でテーブルを見つめる舞地さん。

 間違いなく私の言葉は素通りしていて、このまま帰ったら来た事すら覚えていないだろう。

「放っておきなさい。昨日は、どうだった?」 

 おかしそうに、だけど優しい顔で尋ねてくる池上さん。

 サトミ同様隠す相手ではないし、隠す事も別にない。

「まあ、普通。楽しかった」

「雪ちゃんは良いわね。幸せそうで」

「池上さんは違うの?」

「私も、まあ普通よ。普通」

 虚しげにため息を付く池上さん。

 なんか、地味にストレスがたまってそうだな。

「大丈夫?」

「まあね。あーあ、どこかにいい男でもいないかなー」

 とてつもない事まで言い出した。

 このアパート、防音設備は大丈夫だろうか。

「誰」

 ぽつっと呟く舞地さん。

 うっすらと目を開け、しかし焦点は定まってない様子。

 池上さんは彼女を軽く突き、床にあるクッションへと押し倒した。

「苦労するね、池上さんも」

「聡美ちゃんや智美ちゃんと変えて欲しいわ」

「いや。あの二人は二人で、一緒にいると疲れるよ」

「それは雪ちゃんに問題があるんじゃなくて」 

 怖い事を言ってくるな。

 ただしかし、あながち間違ってもないか。

「私の話はいいからさ。池上さん達は、卒業したらどうするの」

「唐突ね。でも、もう後何ヶ月?」

「3ヶ月」

 つまりは、あと3ヶ月経てば彼女達はいなくなる。

 彼女達だけではなく、塩田さん達も。

 今まで頼ってきた、そして今も頼っている人達が。

 そして慕い、思いを抱いて来た人達が。

「寂しい?」

 笑い気味に尋ねてくる池上さん。

 それへ素直に頷き、彼女の暖かな視線を受け止める。

「寂しいから、留年してよ」

「あのね。大体私達は全員、大学卒業資格を持ってるのよ。少なくとも、問題がない限りは卒業出来るの」

「じゃあ、大学は行かないの?」

「どうかな。少し真理依とも話したけど、気楽なキャンパスライフも良いかなって。ね」

「そうだね」

 床から聞こえる舞地さんの声。

 寝惚けてるのかな、この人。

「系列の大学に行くの?」

「学費も安いし、通うのも便利だし。郊外の大学はさすがに」

「私はそれでもいい」

「裏切り者」

 きゃっきゃっと笑って、舞地さんにしがみつく池上さん。

 楽しそうで結構だな。



 目が覚めたら、タオルケットが掛けられていた。 

 目の前には、ボックスのティッシュも置かれていた。

 なんだそれと思いつつ、口を拭いてタオルケットを丁寧に畳む。

「誰」

 テーブル越しに見える、物静かな女の子。

 少しして、それがキャップを被ってない舞地さんだと理解する。

「ああ、寝てたのか。池上さんは」

「夕食を買いに出かけた。寝るな」

「悪かったわね。あー、寝た寝た」

 立ち上がり、窓から差し込む夕日に気付く。

 良く寝て体調は良いが、少し間の抜けたクリスマスの過ごし方だったな。

「大学は、何かに進むの」

「まだその話か。映未は、美術系に進むと言ってた。私は体育系かな」

「え、別々?」

「何か、問題か」

 逆に尋ねられ、言葉に詰まる。

 彼女と池上さんは、一心同体とも呼べる関係。

 お互いを支え合い、認め合い。

 いつも一緒にいて、全てを共有して。

 ずっと一緒にいると思っていた。

 例えば、自分とサトミのように。

「一生離れ離れになる訳でもないし、何より一生一緒にはいられない」

 突きつけられる言葉。

 当たり前の現実。

 ショウとの関係もそうだけど、私はその当たり前の事すら理解していなかった。

「寂しいね」

「そうかな」

「そうだよ」

 反発気味にそう答え、手を動かす。

 しかし言葉は続かず、ただ手だけがもどかしく空を掴む。

「だって、今は一緒にいるのに。でも、だって」

「物事は変化するし、変化しない方が却っておかしい」

「そうだけどさ」

 やはり返す言葉は見つからない。

 自分でも舞地さんの言ってる事は分かるし、その通りだとも思う。

 だけど、気持ちはそう簡単には割り切れない。

「それに、遠野や元野はどうなんだ」

「あの二人は、多分文系じゃないの。サトミは、理系も選択するだろうけど」

「雪野は」

「私も運動系だと思う」

 家政科という選択肢もあるが、絶対という気持ちはない。

 自分の得意な事、好きな事。 

 将来、RASのインストラクターに進むという希望を考えた場合。 

 選ぶべき道は、自ずと絞られてくる。

「どうにかならないの」

「私に言うな」

「あ、そう」

 苛立ち気味に室内を歩き回り、お茶を飲む。

 考えはまとまらず、それ以前にまとまる訳もない。

「落ち着け」

「落ち着けない。何よ、これ。苦いな」

「じゃあ、飲むな」

 あくまでも落ち着いている舞地さん。

 彼女の性格的な事から来ているのか、気持ちの整理も付いているのか。

 私も時間が経てば、こうして全てを割り切れるのだろうか。

「大体、玲阿は」

「あの子は軍に進む」

「付いていかないんだろ」

「行かない」

 それこそ私の希望ではないし、体格の審査ではねられる。

 ただ彼の決意は出会った頃から変わらず、変わるはずもない。

 私はその事も、はっきりと割り切れた訳ではない。

「浦田は」

「ヒカルは大学院。中等部の時、大学に行くって聞いた時はショックだった」

「弟の方」

「ああ、そっち」

 指摘をされて、間違いに気付く。

 少なくとも、別れは一度経験していたとも。

 ただあの時はかなり唐突で、あの子は私達に内緒で手続きや試験を済ませていた。

 私達は事後に報告を受けたという形でしかない。

「ケイは、文系じゃないかな。前、言ってた気がする」

「浦田とは、離れ離れになっても平気なのか」

「平気じゃないけどね。タイプが違うから」

 普段はあれこれ言っていても、彼も私にとってはかけがえのない一人。

 とはいえ彼が別れを惜しむとは思えず、すでに達観していると思う。 

 私達と離れ離れになるのが寂しいと言って騒ぐケイ、なんて想像出来ないししたくない。

「どうなんだろう」

「何が」

「いや。何もかもが」

「意味が分からない。もう帰れ」

 何だ、それ。



 とはいえ舞地さんと話していて解決する問題ではない。

 誰かに相談という事でもないし、一人で思い悩んでいても進展はしない。 

 少しずつ、自分の中で整理していく以外には。

「遅かったわね、もうご飯よ」

 テーブルへ、ボールに盛られたサラダを置くお母さん。

 サトミも、エプロン姿で食器を運んでいる。

 長期間の休みには、当たり前のように見られる光景。

 明日も、あさっても、年を越しても。

 でも、その次の年は。

 10年後は。

 心の奥が、締め付けられるように痛くなる。

「優、どうかした?」

 不安そうに尋ねてくるお母さん。

 私は目元を指さし、そのせいだと場を取り繕う。

「あまり悪いようなら、病院へ行く?」

「大丈夫。良くある事だし」

「あなたは大人しく座ってなさい。後は、私とサトミちゃんでやるから」 

 目の前に並んでいく食事。

 楽しそうなお母さんとサトミ。

 幸せそうで、見ている自分も嬉しくなるような。

 だけどそれが幸せな分、気持ちは沈む。

 どうも昨日の反動で、気持ちがマイナス傾向に傾いてるのかもしれない。

「お父さんは?」

「部屋で仕事してる。呼んできて」



 ドアをノックして、中へと入る。

 本棚と机で構成された、お父さんの書斎でもある部屋。

 会社へ提出する書類や原稿はここで書き、また一人きりの時間を過ごせる場所でもある。

 とはいえ、仕事以外でお父さんがここにいる印象はあまりない。

 むしろサトミが使っている印象の方が強く、本棚にも彼女の本が並んでいる。   

「ご飯出来たって」

「ありがとう。今行く」

 卓上端末の電源を落とし、椅子から立ち上がるお父さん。

 照明も落とされ、室内には闇と静寂が訪れる。

「ずっと一緒にいるってのは、駄目なのかな」

 お父さんはドアの所で振り向き、薄暗い部屋の中にいる私を見つめる。

「何も変わらない、って事はありえないからね」

 薄闇に広がっていくお父さんの言葉。 

 普段の優しさとは違う、厳しい一言。

 いや。それは単に、私の捉え方が違っているだけか。

「そう、だよね」

「何かあった?」

「いや。別に」

 深くは語らず、お父さんも深くは尋ねては来ない。

 足音は遠ざかり、自分の回りは闇しかない。

「別れ、か」

 廊下から漏れる明かりを頼りに、本棚から一冊抜き取る。

 物理学の新設を説いた英語の本で、タイトルすら理解出来ない。

 分かるのは、「ひも理論」という部分だけか。

 本にはメモ書きが挟まれていて、サトミの字で数式が書き込まれている。

 こちらも全く理解出来ず、本を本棚へと戻す。

 だけど彼女はこれを全て理解し、気持ちを傾けている。

 本棚には理系だけではなく、万葉集の原文が載っているものもある。

 私は仮に意味が分かっても、これについて深く知りたいとは思わない。

 ただサトミも、スポーツの良さは理解出来ても体を鍛え精神を研ぎ澄ます事に興味は持たない。

 言ってみればお互いの相反する面であり、分岐点とも呼べる。


「ユウ?」

 ドアの外からの呼びかけ。 

 それがサトミだと気付き、軽く目元を押さえて部屋を出る。

「本読んでたの?」

「いや。少し考えてた。ずっと一緒にはいられないんだなって」

「一緒?ああ、そういう事」

 すぐに私の意図を読み取るサトミ。

 彼女の表情にも陰りが訪れ、切れ長の瞳は床を捉える。

「確かに、そうね」

「ごめん、変な話して」

「いいのよ。私も考えなくもないから」

 そっと触れられる肩。

 この感覚もぬくもりも、永遠には続かない。

 当たり前の、少し考えれば分かる事。

 だからこそ、今はそれが余計に寂しい。



 夜。

 一緒に寝るという事も思い付いたが、今はそれに耐えられない気がした。

 結局一人でベッドに潜り、薄暗い天井を眺める。

 塩田さん達が卒業し、私達も卒業し、それぞれの道に進み。

 いつかこうして一緒に過ごした事も、過去の話として思い出に変わる。

 年に何度か出会い、昔はそんな出来事もあったねと語り合う。

 世間には良くある話。

 その時になれば、私も別れを受け入れているのだろうか。

 それとも、その事すら忘れてしまっているのだろうか。




 朝。

 あまり良くない目覚め。 

 慌てて起きる必要はなく、ベッドサイドに腰掛けて時間を過ごす。

 寝る前に色々考えすぎたせいか、まだ少し気分も重い。

「優、起きた?」 

 ドアを開けて入ってくるお母さん。

 キーは掛けて無く、プライバシーを言うような間柄でもない。

 少し手を挙げ、それに応えて立ち上がる。

「聡美ちゃんが出かけるって」

「そう」

 欠伸をしながら聞き流し、パジャマのボタンを外して何に着替えるか考える。

 それとも、もう少し寝てもいいのかな。

「優が起きたら呼んでくれって」

「私は出かける予定はないよ。それとも、何かあった?」

 知らないとばかりに首を振るお母さん。

 思い当たる節は何もなく、起こしに来る程急いでいるようでもなさそうだが。

「どこに行くって言ってた?」

「学校。制服、はいらないわよね」

「だと思う」

 あまり確信を持てないままそう答え、パジャマを脱いでクローゼットを開ける。

 トレーナーとスカートと、後は上着。 

 寒いし、マフラーもいるのかな。

「調子は良い?」

 唐突な、しかも漠然とした質問。

 母親だけに、私の言動や行動に異変を感じているのかも知れない。

「何とか。少しずつね」

「無理しないでよ」

「大丈夫。体力的にも出来ないし」

「あなたは、その辺が怖いのよね」

 つまりは、それなのに無理をするという意味か。

 気持ちは嬉しいが、私の場合は無理をしなければ何も出来ないという気もする。



 着替えを済ませ、サトミと一緒に家を出る。

「バスで行く?」

「車があるでしょ」

 車庫を指さすサトミ。

 確かにお父さんのワンボックスカーは停まっているが、どういう意味だ。

「私が運転する……」

「キー貸して」

 同意を得る前にキーを奪い、車へ乗り込む。

 無理はするが、彼女の運転は無理ではなくて我慢の部類に入るので。

「私が信用出来ないって言うの?」

 助手席に乗り込みながら怒るサトミ。

 それを聞きつつ、シートを前に出して背中にクッションを当てる。

 これでとりあえずは、運転出来る環境が整った。

「手、手も届かないのに」

「技術はあるから問題ないの。出すよ」

 道路の左右とモニターを確認し、車庫から車をゆっくりと出す。

 オートドライブという手もあるが、こういう路地では慎重過ぎて使えない。

「学校に、何か用?忘れ物とか」

「全校集会ですって」

「え。じゃあ、車は?」

「グラウンドや近所の空き地を使うらしいわよ。それと、帰省した人はいないから」

 モニターに透過して映っているカレンダーを指さすサトミ。 

 今は冬休みで、だからこそ私ものんびりと寝ていられた。

「何よ、休みなのに集会って。休めばいいじゃない」

「出席しないと問題なんじゃなくて」

「ああ。なるほど」

 私達は先日暴れたばかり。

 欠席してもペナルティがあるとは思いたくないが、少しは執行委員会の覚えが良くなるかもしれない。

 それはそれで、馬鹿馬鹿しい話とも思うけど。


 家を出たのが遅かったためか、グラウンドはすでに満車。

 仕方なく、少し離れた工場の跡地に止める事となる。

「で、集会って何やるの」

「さあ。昨日届いたメールには、集会としか書いてなかったから」

 私が読んでいない事には触れないサトミ。

 昨日は確かに、メールどころではなかったか。

「暇だからいいけどさ。ちょっと面白くないね」

「権力を振りかざしたい時期なんでしょ」

「何それ。思春期みたいなもの?」

 二人で仕方なそうに笑い、ようやく正門が見える大通りまでやってくる。

 私達の前後も私服姿の生徒が大勢いて、ただ普段の朝のように爽やかではない。

「権力があっても、逆効果じゃないの」

「そこまで考えてないのか、何か裏があるのか」

 不意に言葉を切るサトミ。

 私達の行く手。つまりは正門。

 その周りに立つ、制服姿の男女。

 彼らは派手な服装の生徒を呼び止めては、ビラを渡している。

「まずくない?」

「良くは無いわね」

 足を止め、来た道を引き返す。

 逃げるようでしゃくだが、連中と会えば再び揉めるのは間違いないので。

「帰っちゃ駄目なんでしょ」

「どこかから入れるわ」

「私はどこからでも入れるよ」

 塀の高さは、飛び上がれば手が届くくらい。

 どうすればセキュリティが反応するかは分かってるし、常習犯なので監視カメラに見つかってもそれほどは怒られない。

 しかしサトミを引っ張りあげるともなれば、出来なくは無いが相当に目立つ。

 もしくは恥ずかしい姿を見られ続ける事となる。

「困ったね」

「他の門に行きましょ。少なくとも、正門を通るよりはましよ」

「歩くんだよね、その分」

 ため息を付き、来た道をとぼとぼと引き返す。

 これなら始めから、バスで来た方が良かったな。

 というか、引き返していくだけでもかなり目立つんじゃないの。

 正面からのクラクション。

 平ぺったい黒のスポーツカー。

 フロントガラス越しに見えるのは、サングラスを掛けた村井先生。

「帰る気」

 ドアを開けて明るく声を掛けてきた。

 いつもよりも親しみやすく、当たり前だがバインダーは落ちてこない。

「いや。正門は避けたいので」

「ああ、服装チェック。乗りなさい」


 サトミは助手席。

 私は狭い後部座席。

 しかし妙に体型に合っていて、圧迫感はあるがしっくりくる。

「いつもバスですよね」

「休みに駆り出されるんだから、このくらいいいでしょ。車は、姉さんのだけど」

「お金は、あるところにはあるんだ」

「私は学校からの給料しかもらってないわよ」

 ただ乗せてもらったのはいいが、そう答えた村井先生の挙動は若干不審。

 ナビを起動させ、カメラも全部表示させ、一つ一つに指を指していく。

 間違いなく、サトミタイプだな。

「免許あるんですか」

「失礼ね。これには乗りなれてないから、難しいのよ」

 ようやく発進する車。

 オートパイロットも起動させてるんじゃないのか、これ。

「なんか怖いな」

「もう降ろさないわよ」

「シートベルトしますね」

 青い顔でベルトを締めるサトミ。

 少しは自分の運転が理解出来たかも知れない。


 それでも特に問題は無く、車専用の通行門まで辿り付く事が出来た。 

 といっても、まっすぐ走っただけなんだけど。

 駐車証明みたいなのを警備員さんに見せて、あっさりと門をパス。

 正門を通っていたら多分こうはいかなかったはずで、その点には感謝したい。

 こちらは外来や教職員用の駐車場があるらしく、車道の左右は背の高い木々が並んでいる。 

 何度か来た記憶はあるが、一般教棟との位置関係は分からない。

 それだけこの学校の敷地は広い、という事にさせてもらおう。

「ちょっと、冗談じゃないわよ」

 低い声を出し、クラクションを鳴らす村井先生。

 広いスペースに並ぶ、何台もの車。

 どうやらその中の、彼女の場所に他の車が止まっているらしい。

「警備員呼びます?」

「呼んでもいいけど、持ち主を呼ばないと意味無いでしょ」

「なるほど。じゃあ、乗せてくれたお礼に何とかします」

「お礼、ね」

 物言いたげに車から降りるサトミ。

 村井先生は、何の事やらという顔。

 この辺は、付き合いの長さの違いだな。


 召集したのは、ショウと御剣君と名雲さん。

 でも、3人だとちょっときついかな。

「駄目だな」

 ドアの下に手を回し、持ち上げてみる名雲さん。

 少しは上がるが、3人で出来るという手応えではなかったらしい。

「面倒だ。浦田呼べ、浦田を」

「もう呼んでます」

「俺は知らんぞ」

 先手を打つショウ。

 私も知らんと言いたいな。

「ご用でしょうか」

 いつも通り、眠そうに現れるケイ。

 でもって私達を見渡し、村井先生の駐車場所に停まっている車を見つめる。

「どかせばいいんですか」

「ええ。でも、そう簡単には」

 腰から警棒を抜き、無造作にサイドガラスに叩き付けるケイ。 

 すぐに警報ブザーが鳴り響くが、ハンドル回りにも叩き付けてそれを無理矢理止めさせる。

「後は、えーと」

 サイドブレーキを外し、ショウ達に向かって押す仕草をする。

 手の平を指さして。

 つまり、手袋をしろと言う意味か。

「本人に警備会社から連絡が行くんじゃなくて」

「悪いと分かっててここに止めてる馬鹿。どこかのすねかじりか、馬鹿な理事。何なら、燃やします?」

「そこまでは求めてない。……何してるの」

 車を駐車場から押し出し、建物にぶつけているショウ達。

 ブレーキを操作する人がいないので停まらないのは分かるんだけど、度が過ぎるのどころの話じゃないな。

「撤収、撤収。先生も、他言無用に願います」

「誰に言うのよ、こんな事」

 怖い顔でケイを睨み付け足早に去っていく村井先生。

 私達も、当然長居は無用だな。



 講堂に集まる生徒達。

 普段の集会や行事ごとは幾つかの講堂に分散されて行われるが、今日はこの大講堂一つで収まっているらしい。

 私も帰省すれば良かったな。

 いや。帰省してるけどさ。

「静粛に願います。では、早速ではありますが生徒集会を開始いたします」

 唐突に始まる集会。

 ざわめきは多少収まるが、静まりかえる事はない。 

 本来なら今日は休みで、学校に来る必要は何一つ無いのだから。

「今日皆さんをお呼びした趣旨につきましては、今からご説明します。天満局長、どうぞ」

 司会者の使命により、無愛想な顔で壇上に現れる天満さん。

 基本的に笑顔を欠かさない明るい人で、こういう顔は殆ど見た事がない。

「どうも。今日は執行委員会の提案により、学内及び学外の清掃を行うようです。休日の所申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 原稿を棒読みし、すぐに下がる天満さん。

 司会者は苦い顔で彼女を見つめ、詳細な内容を説明しだした。

 要は大掃除で、地域社会への労働による還元の意味らしい。

 天満さんが出てきたのは、運営企画局という立場からだろう。

「場所の割り振りに関しましては、分散するようこちらである程度指定しますが友人同士で同じ場所を掃除しても結構です。高校生らしく、元気よく頑張りましょう」



 私達に割り振られたのは、駐車場付近の掃除。

 というか、さっきの場所。

「証拠隠滅も出来て、一石二鳥だな」

 悪びれる事無く呟き、車の回りに散乱したガラスをゴミ袋に入れていくケイ。

 私はそこまでの度胸はなく、駐車場を囲む木々の枯れ葉を拾っていく。

「でも、高級車が多いね」

「ケイが言ってた理事や、コネでここに止めてる有力者の子弟の車でしょ」

「矢加部さんのは無いのかな。まさか、さっきのとか」

 少し焦ったが、あの子が自分で車を運転するという記憶は余りない。

 ここまで乗り付ける事はあるかも知れないけどね。

「後で、たき火出来るかな」

「焼き芋か」

 即座に反応するショウ。

 別に芋とは一言も言ってないけどな。

「やってもいいけど、サツマイモが無いでしょ」

「何の話してるんだ」

「焼き芋じゃないの」

 しばし見つめ合う、私とショウ。

 少しして、彼が言いたい事に気付く。

「ああ、前に植えた分。まだ残ってた?」

「この前風成が石を掘ってたら、ざくざく出てきた」

 出てきたのは大判小判ではなく、サツマイモという訳か。 

 だけど焼けば黄金色になるし、大差ないと思う。

 多分。

「ここのはどっちにしろ捨てるから、落ち葉は家で集めておいてよね」

「おう」 

 元気よく返事をして、熊手で落ち葉を集め出すショウ。

 私の言葉を聞いてたのかな。

「来たわよ、持ち主が」

 私に寄り添い、小声でささやくサトミ。


 現れたのは、毛皮のコートを着た品の良さそうな女の子。

 逆に言えば、その辺を鼻に掛けた雰囲気でもある。

 彼女は車を見て小さく叫び、私達を見て大声で叫んだ。

「これは、どういう事っ。誰がやったのっ」

 体型的に扱いやすいと判断したのか、私に詰め寄る女の子。

 しかし私もさすがに、自分が壊しましたと言う程の度胸は無い。

「俺達が来た時、柄の悪そうな連中が逃げてきましたよ」

「ええ?」

「傭兵って言うんですか。「覚えてろ」とか「次は燃やす」とか言ってました」

 疑わしげに彼を睨む女の子。

 しかし思い当たる節は無くも無いのか、そのまま小首を傾げていく。

「今度俺の場所に止めたら、覚悟しろよって」

 真面目な顔で駐車場の端を指差すケイ。

 そこには頬へガーゼを張ったまま、ゴミを片付けている木之本君の姿がある。

「今回は、このくらいで許してやるって言ってました」

「ど、どういう事」

「さあ。世の中、悪い人もいるんですね」

 自分の事を言ってるのか。



 一旦休憩との連絡が入り、寒さを避けるため近くの建物の中へと入る。

 廊下を歩いていると、教室のドアから列が出来ていた。

 でもって別なドアからは、お茶と菓子パンを持った生徒が出てきた。

「俺達は難民か」

「差別じゃなくて、その言い方は」

「知らんよ。・・・おい」

 気付くとショウ達は、列の後ろに付いている。

 朝から何時間も経ってないし、車を押したとはいえその後は大した運動もしていない。

 第一、お茶と菓子パンがそんなに嬉しいかな。


 コクのあるバターと、しっかりとした味の小豆。

 フレンチトーストのしっとり感と相まって、たまらない事になっている。

 これを紅茶で流し込んだ日には、もう。

「あなたが一番喜んでるんじゃない」

「小倉トーストは好きなの」

 しかし半分食べたところで限界に達し、残りはショウに譲る。

 名雲さんと御剣君が恨めしそうに見てきたけど、さすがにこれは譲れない。

「大体二人とも、二個食べてるじゃない」

「二個しか、だ」

「そうそう」

 名雲さんの言葉に、激しく頷く御剣君。

 この3人を養うとしたら、エンゲル係数が100を越えるんじゃないのかな。

「休憩はまもなく終わります。ゴミを片付けて、みなさん持ち場に戻って下さい」

 教室内に流れる放送。

 文句を言いつつ立ち上がる生徒達。

「上手い方法よね」

「何が?」

「掃除なら、不満はあっても強くはいえないでしょ。建前上は、いい事をしてるんだから。その調子で要求をエスカレートさせてすり替えて行けば、執行委員会の思惑通りになるわ」

 そんな簡単にいくかなと思いつつ、ダウンジャケットを着込む。

 少なくとも私は該当しないなとも思いながら。



 ゴミ袋を背負い、集積所へとやってくる。

 幾つものコンテナと、生ゴミ処理用の施設。

 この場合は燃えるゴミと燃えないゴミで、それぞれのコンテナ前に置いていく。

 ゴミはすでに結構な量になっていて、自動のリフトは順番待ち。

しかしこんなにこの学校って、ゴミだらけだったのかな。

「少し漁る?」

「そこまでの度胸はないわ」

 すぐに否定するサトミ。

 またリフトで登っていくゴミは、本当にゴミばかり。 

 廃材であったり、枯れ木であったり、紙くずであったりで。

「はは」

 不意に笑い出すケイ。

 でもってお腹が痛くなったらしく、その場にうずくまった。 

「どうかした?」

「普段この手の清掃は、業者がやってる。でもって今日は、生徒がやってる」

「それが、何か……。ああ、清掃代」

「間違いなく、抜いてるな」

 この場合抜いてるのは、勿論お金の事だろう。

 どのくらいの金額かは知らないが、敷地の広さを考えれば決して安くはないはずだ。

「問題にならないの?」

「学校からすれば、経費削減でむしろ褒められるくらいよ」

 冷静に指摘し、風に吹かれる前髪を直すサトミ。

 それにぼんやり見とれつつ、もう少し考えてみる。

「ゴミの引き取りは、有料だよね」

「資源ゴミは逆。戻ってくる種類の物もあるわ。生ゴミを処理した後の肥料も、花壇以外で余った分は売却してるから」

「それも関わってる?」

「可能性はあるわね」

 目線で示される生ゴミ処理機が入っている小さな建物。

 その出入り口にたむろする、制服姿の男女。

 表情は少し緩んでいて、サトミの指摘を裏付けている。

「私、学校や傭兵が悪いとばっかり思ってた」

「悪い奴はどこにでもいるんだ」

 低い声を出して笑うケイ。

 彼が言うと、説得力がありすぎる。

「本当に管理案を廃止なんて出来るのかな」

「じゃあ、私達も学校にすり寄る?」

「寄らないけどね」

 即座に答え、居並ぶコンテナと運ばれていくゴミ袋を眺める。

 それを運んできた生徒達も。

 ただの大掃除と、その裏の側面。

 それを意図している人達。

 彼等に迎合し、利益を得ようとする人達。


 そして大半は、利用されるだけの生徒。

 私はそのどちらにも回る気はない。










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