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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第30話
329/596

30-9






     30-9




 クリスマス・イブ。

 夜になっても雪は降らず、空を見上げると星の瞬きが見えるくらい。

 体が冷える前に窓を閉め、肩を抱きながらリビングへ戻る。

 ショウとのデートは色々あったけど、最高の時だったとしておこう。

「あ、こんにちは」

「やあ」

「こんにちは」

 穏やかに挨拶をしてくるモトちゃんの両親。

 二人はお父さん達とお酒を飲んでいて、手元にはトランプを持っている。

 でもってテーブルには、爪楊枝が何本か。

「お金掛けてるの?」

「イブくらい、弾けないとね」

 明るく笑うお父さん。

 この人が弾けた所なんて今まで見た事無いし、多分今日も弾けないとは思う。

 ただ、そういう気持ちになるのがクリスマス・イブだろう。

「ポーカーか」 

 手札は5枚で、場の中央に捨てたカードと裏返しに積まれたカードが置かれている。

 知略と運が勝負のゲームだけど、ポーカーフェイスの言葉通り駆け引きも重要。

 私はそういうセンスは0なので、こういうゲームはやらないに限る。

 でも面白そうだし、お母さんの手札でも見てみるか。

「わ」

 3・6・7・11・13。

 これでは、何をやろうと勝てる訳はない。

「優」

「分かってる」

 お母さんの制止を受け、口を閉じて展開を見守る。

 わ、爪楊枝投げた。

「優」

「何も言って無いじゃない」

「もういい」

 モトちゃんのお母さんと張り合って、爪楊枝を追加していくお母さん。 

 私より熱い性格だとは思ってたけど、度が過ぎるんじゃないか。

「降ります」

 手札を伏せ、テーブルに置くおばさん。

 お母さんも微かに頷き、手札を伏せてテーブルに置いた。

 それを見せ合う必要はないし、だからこそ駆け引きに深みが生まれる。

 もしかしておばさんのは3カードかも知れないし、フラッシュだったかもしれない。

 でも、結果としては引き分け。

 優雅にワインを飲んでる場合じゃないよ。お母さん。




 騒ぎすぎてお母さんに怒られたので、場所を移動。

 庭に面した部屋に置かれたツリーの前で座っている木之本君に近付いていく。

 顔の傷はまだ痛々しく、頬のガーゼも取れてはいない。

「大丈夫?」

「あ、うん。体はプロテクターを着てて守られてたし、殆ど擦り傷だから」

「ならいいんだけど」 

 不平や不満は聞かれず、私の取った行動を責める事もない。

 今も穏やかに微笑んで、ツリーの絵を描いている高畑さんを優しい眼差しで見守っている。

「少しは弾けないの?」

「え、誰が」

「木之本君」

 押し黙る彼。

 しばし見つめ合う私達。

 高畑さんの走らせる鉛筆の音だけが虚しく響く。

「い、いや。イブだしさ。たまにはね」

「多分今日弾けても、明日凄い自己嫌悪に陥ると思う」

 なんだ、それ。

 じゃあ私は、毎日自己嫌悪に陥らないと駄目って事か。

「まあ、いいや。で、絵はどうよ」

 鉛筆を置いてジュースを飲んでいる高畑さん。

 その膝に乗っているスケッチブックを覗き込む。

 ラフなタッチのツリー。

 鉛筆だけの単色で、だからこそ優しさが伝わってくる。

「上手いね」

「描きますか?」

「いや。いい」

 この絵を見た後で描く度胸はない。

 センスに打ちのめされるという程大袈裟な話では無いけどね。

「玲阿君は?」

「な、何が」

「絵を描くために動かしたんだけど、元の場所に戻したくて」

 ツリーを指さす木之本君。

 まさか彼が皮肉を言うとは思ってないが、少し汗が吹き出てきた。

「キッチンで、ケーキの切れ端を食べてたはず。呼んでくるね」




 廊下を抜けてキッチンへ入る。

 いたにはいたが、まだ食べてる。

 今度はパンの切れ端か。

 この人さっき、ディナーを食べてなかったかな。

「レストランで食べたでしょ」

「美味しいんだ」

 美味しいって、食パンの耳じゃない。

 なんか、気が遠くなってきたな。

「それより、ツリー動かして」

「今行く」

 ちくわを持つな。


 ツリー自体は大した重さではなく、木之本君がやらなかったのは怪我のせいだと思う。

 大した事は無いと言っていたが、打撲くらいはしているかも知れない。

 あの子こそ、自分の事を他人に語らないな。

「ポーカーは」

「何、それ。今や時代は、神経衰弱よ」

 鼻で笑い、裏返しのカードをめくるお母さん。

 爪楊枝は小山になっていて、どうやらかなり勝ったようだ。

 まさしく度胸だけで切り抜けたな。

「あれ」

 間の抜けた甲高い声。

 これは駆け引きも度胸も必要ない。

 必要なのは記憶力、ただそれだけだ。

「優」

「私に振らないでよね」

 それでもお母さんの隣に座り、めくられていく札を覚えていく。

 いや。覚えようとして、すぐに忘れていく。

「巡行抑制ね」

 お父さんの隣に座り、そう呟くサトミ。

 なんだか知らないけど、あの子がいる時点で勝負あった。

「待った、ちょっと待った。サトミがいるんじゃ、圧倒的に有利じゃない」

「そうでもないわよ」

 口元に手を添え優雅に笑うサトミ。

 つられて笑う元野夫妻。

 分かってないな、この小悪魔の事を。

「駄目駄目。これからは、一回めくるごとにカードを混ぜる」

「何ですって」

 目を剥くサトミをよそに、裏返ったカードを混ぜていく。

 記憶力には自信がないが、動体視力ならお手の物。

 誰がどう動かそうと、目を付けていたカードを忘れる事はない。

 ただサトミは一度めくった全カードを把握してるので、これでも互角以下か。

「これ、かしら」

 サトミがめくったのは、ハートの2。

 次がハートの5。

 効果てきめんだな。

「いいよ、サトミちゃん」

「くっ」

 むきになってカードを混ぜていくサトミ。

 自分の思った位置に配置しているのなら感心だが、そこまでは手先が器用じゃない。

「じゃ、いただき」

 ハートの2と、ダイヤの2。

 こうなると、もうお父さんとお母さんは関係ない。

 私とサトミとの戦いだ。

「ちょっと待ってなさい」

 ソファーから立ち上がり、どこかへ消えるサトミ。

 でもって戻ってきた時には、ショウを引き連れてきた。

「私が指示したカードの位置を覚えて」

「え、俺が?」

「親友の言う事が聞けないの」

 さながら鬼のような顔。

 親友って、どういう意味かな。

「という訳らしい。悪いな」

 この言葉は、多分私に対してだろう。

 サトミの記憶力とショウの動体視力。

 ちょっとハンディがありすぎるな。

「じゃあ私も、悪魔を召還するわよ。おーい」

 手を叩き、TVゲームに興じていたケイを招き寄せる。

 記憶力も動体視力も二人には及ばないが、そこはそれ。

「なんか、私達は圧倒的に不利だね」

「誰か、助けてくれないのかしら」 

 苦笑気味に呟く元野夫妻。

 そこに、サンタの帽子を被ったヒカルが近付いていく。

「不詳浦田光。及ばずながら力になりましょう」

 低い物腰で現れ、床にしゃがみ込むヒカル。 

 正直敵ではないと思うが、このメンバーの中では一番底知れない人間でもある。




 悪い予感が的中したと言うべきか。

 結果は元野夫妻の勝利。

 私もサトミもお互いを潰す事ばかり考えて、カードを覚えるなんて忘れてた。

 その間にヒカルが黙々とカードを当てていき、爪楊枝は大半がそちらへ移行した。

「イブに賭け事なんて」

 責めるような口調で現れるモトちゃん。

 じゃあ、肩に担いでいるワインボトルはなんなんだ。

「いいから、モトちゃんも。次、7並べやろう」

「随分軽いわね」

 そう言いつつ、サトミの隣へ座る彼女。

 さすがに先日までのわだかまりは引きずっていないようで、サトミも困惑気味にワインボトルを受け取っている。

「チームは?」

「くじくじ」

 端末を使い、あみだくじを用意。

 木之本君達も呼んで、チームを3つ作る。


 まずは、サトミ、モトちゃん、その両親のインテリチーム。

 私の両親、ショウ、木之本君、高畑さんの穏やかチーム。

 で、浦田兄弟に私の出がらしチーム。

「じゃあ、サトミ達からね」

「パス」

「おい」

 パスは5回まで可能。

 しかし、初めからパスってありか。

 明らかに計画的反抗だな。

 次のお母さん達は無難にカードをテーブルに置いて、私達の番が回ってくる。

「さて、どうする」

 置けるカードはあるけど、敵はサトミ。

 こちらもパスで対抗するか。

「これ、出せるよ」

 私が持っていたカードを無造作にテーブルへ並べるヒカル。

 いや。別に悪くはないけど、少しは考えて出して欲しい。

 ババ抜きじゃないんだからさ。

「パス」 

 来たよ。

 本当に出せないのか、あえて止めてるのか。

 お母さん達はきゃーきゃー騒ぎながら、それでも普通にカードを置いていく。

 高畑さんを間に挟んで、ショウと木之本君がソファーの後ろから見守って。

 なんか楽しそうで羨ましいな。

「次は?少し考えてよ」

「変に考えるな。切れ切れ」

 またも勝手にカードを置くケイ。

 でもって取るカードを間違えて、関係ない手札を一枚晒した。

「ユウ達は1を持ってると」

「了解」

 喉元で笑うサトミとモトちゃん。

 なんか、嫌な汗が出てきたな。


 結果は惨敗。

 サトミ達は私達の持ってるカードを全部ブロック。

 お母さん達も負けなんだけど、一番楽しそうだったのは彼女達。

 やっぱり、こういうのが一番いいんだよね。

 気付いたら、爪楊枝を借金してる自分達よりも。

「ちょっと休憩」

 色んな意味で疲れてきた。

 大体今日は朝からばたばたしてて、よく考えたらずっと動き通し。

 少し休んだ方が方がいいだろう。

 とはいえ2階に行くのは寂しいので、リビングの隅でタオルケットにくるまる。

 さっきよりちょっとだけ遠くに聞こえる笑い声。

 視界の先にある、明かりの消えた部屋にあるクリスマスツリー。

 クリスマス・イブという事を、何故かこの瞬間強く実感する。



 寝てた時間は大して長くなかったとも思う。

 しかし気付くと高畑さんはいなく、木之本君が送っていったとの事。

 つまり彼もいない訳だ。

 真夜中という程ではないが、騒ぐ時間はやや過ぎた。

「良く寝た。お茶飲もう」

 誰かに持ってきてとか、何か理由がある訳ではない。

 単なる一人言で、まだ少し寝てるんだろう。

 グラスを口に運び、ウイスキーの匂いに顔を歪める。

 飲めなくはないけど、寝起きに飲む物でもないと思う。

「あー」

 烏龍茶をグラス半分くらい飲んで、それを抱えたままソファーに埋まる。

 テーブルに散乱した食事や飲み物。

 トランプやゲームのカード。

 宴の後とでも言った、寂しげな光景。

 片付けるのは分かっているけど、少し切ない気持ちになってくる。

「サトミ達は」

「2階で寝てるわよ」

 天井を指さすお母さん。

 お父さんは幸せそうな顔をして、ソファーの上で横たわっている。

「お酒の飲み過ぎだね。あー」

「何、それ」

「え。何が」

 しばし見つめ合う私とお母さん。

 理由は一生分かりそうにないので、残りのお茶を飲んで立ち上がる。

「さてと、玲阿家にも行ってくるか」

「お酒飲んでるでしょ、あなた」

「大丈夫。運転手を呼ぶから。おーい」 

 やはり手を叩き、注意を喚起する。

 TVゲームをやっていたケイは面倒そうに振り向き、嫌そうな顔を見せてきた。

「車運転して」

「なんのために」

「友達のために。私のために」

「光栄だね、それは」

 皮肉っぽい視線を受け流し、その辺にあった上着を羽織る。

 やけに大きいから、モトちゃんのだな。

「ヒカル、ショウ連れてきて」

「仰せのままに」

 皮肉っぽい事を言っているが、他意はない。

 この子に他意があった試しがない。


 緩やかに流れるクラッシック。

 いくつもの大皿に盛られた、高級食材の並ぶオードブル。

 クリスタル製の小さなツリー。

 手も付けられていない、大きなクリスマスケーキ。

 サンタが抱いたキャンドルには灯がともり、その周りを淡く輝かせている。

 クリスマス・イブを家族で過ごすというのは雪野家と同じだが、品というか落ち着きがある。

 私は雪野家のクリスマスも好きだけどね。

 ただそれは、この場に集まっている人達の年齢にもよるだろう。

 玲阿家の兄弟夫妻と、水品夫妻。ユンさん夫妻。

 いるのは大人ばかりで、この人達にはしゃがれてもちょっと困る。

「ケーキ、残っちゃうわね」

 もったいなそうに指差す、月映さんの奥さん。

 私の顔より大きい、デコレーションのほとんど無いタイプ。 

 表面はホワイトチョコでコーティングされていて、その上に紅いベリー系のソースが掛けられている。

 シンプルな、だからこそ食欲をそそる外観。

 無論味の面でも最高なのは間違いない。

「雪野さんが持って帰るそうですよ」 

 くすくすと笑う水品さん。

 私は何も言っていないが、顔には出ていたかも知れない。

 ずっとケーキ見てたしね。

「先生は食べないんですか」

「年を取ると、そういうのはちょっと。私はもう、枯れていく一方です」

 なんか寂しい事を言い出すな。

 大体先生が枯れるなら、瞬さんなんて朽ち果ててるんじゃないのか。

「そんな事言わないで、弾けましょうよ」

「私はそういうキャラではないので」

 あくまでも物静かな水品さん。

 一方瞬さんは、窓を隔てて庭にいる羽未に何やら吠え立てている。

 大丈夫かな、この人は。

「父さん、恥ずかしいから止めてくれ」

「お前の犬が、俺を睨むんだ。こんな犬、ミカン箱に詰めて川に流せ」

「何だ、それ。大体、父さんの犬だろ」

「あのどら猫もこの犬も、全部お前のだ」 

 はっきり言い切り、ドアを開ける瞬さん。

 その途端羽未が上半身を伸ばし、彼に飛びかかった。 

 しかし瞬さんは即座に懐へ手を回し、羽未を抱きすくめたまま庭に飛び出ていった。 

 何をやりたいのかは分からないけど、笑い声が聞こえるし大丈夫だろう。


「寒いので、閉めてもらえますか」

 苦笑する月映さん。

 この人がそういう真似をするのは想像出来ず、というかああいう事をする人は誰も思い付かない。

「あの男は、落ち着きって言葉を知らないのか」

 ため息を付き、やるせなさそうに首を振る尹さん。

 水品さんも月映さんも尹さんも、全員年相応の落ち着きがある。

 尹さんや意外に水品さんも昔は武闘派だったらしいけど、今はこの通り。

 またそれが普通だと思う。

「瞬さんは、昔からああなんですか」

「軍ではずっと、ああだったが。子供の頃は?」

「さすがに、子供の頃よりは落ち着いてきましたよ。子供の頃よりは」

 その部分を繰り返す月映さん。

 結局は大差ないという訳か。

「俺もそれ程偉そうな事を言えた立場じゃないが。子供もいて、孫でも出来る年だろ」

「そこが瞬さんの良い所なんですよ」

「どの辺が」

 答えない水品さん。

 というか、答えようがないんじゃないの。

「四葉君は、あいつに似なくて良かったな」

「はあ」

「気楽で本人は楽しいんだろうが。回りは苦労する」 

 しみじみ語る尹さん。

 ショウはどう答えて良いのか分からないという顔で、曖昧に頷いている。

 この子の場合は、似て無くても苦労してるけどね。



 ゆったりとお酒と食事を楽しむのは、今の私にはまだ早い。

 という訳で、コーシュカを伴って庭に出る。

 ダッフルコートを着ていても震えが来るような寒さ。

 足元の芝は枯れていて、乾いた音が辺りに響く。

 昼間とは違う、闇に包まれた広い庭。

 あちこちに照明はついているが、それが届く範囲は限られている。

 逆に都心部よりも明かりがない分、星の瞬きははっきり見える。

 冬の澄んだ空気のせいもあるだろう。

 今年ももう終わり。

 来年は何が待っているのか、なんて事を思ったりもする。

「なー」

 突然声を上げるコーシュカ。

 敵意のあるそれではなく、挨拶程度といった感じ。

 私には何も見えていないが、そこは山猫。

 また仮に敵が潜んでいたとしても、彼女がいれば特殊部隊の一人や二人は退治出来る。

「誰かいる?」

「父さん」

 並びとしては、コーシュカ・私・ショウ。 

 暗いと視力がより落ちるため、今は彼の腕にすがっている状態。

 少し、さっきまでの余韻が残っているのかも知れない。

「何してるんだよ」

「犬に逃げられた」

 ようやく見えてくる、あぐらを掻いた瞬さん。

 冷たい風が吹きすさぶ中、シャツとスラックスだけで。

 それ程寒そうな様子はなく、空を仰ぐ視線は遠く切なげである。

「寒くないんですか」

「寒いけどね。シベリアはこんな物じゃない。まあ、どうでもいい事か」

 枯れた芝生を払いながら立ち上がる瞬さん。

 その足元にまとわりつくコーシュカ。

 彼はコーシュカを抱きかかえ、その顔を覗き込んだ。

「これも昔は可愛かったんだが。最近は、寝首を掻こうとしやがる」

「じゃれてるんだろ」

「お前は女に騙される口だな」

 なんだ、それ。

 確かにコーシュカはメスだけど、そういう問題じゃないと思う。

「いいか。騙すより騙されろって言うし」

「そういう経験でも?」

「さて」

 曖昧に微笑む瞬さん。

 それこそ、女絡みじゃないだろうな。



 さすがに寒くなったので、家へと戻る。

 大人達はさっきと変わらず、ゆったりとお酒を楽しんでいる所。

 慌てず、騒がず、仲間との時を大切にする。

 大人というのは、多分こういう事を言うんだろう。

「親父はどこ行った」

「道場に」

「また訳の分からん」

 コーシュカを抱きかかえ、にやにや笑う瞬さん。

 結構気に入ってるんじゃない。

「ちょっと見てきますね」



 この家で迷わず行けるのは、リビングとショウの部屋とキッチン。

 後は離れの道場。

 近付く度に緊張感が高まり、ただ心は澄んでいく。

 薄暗い道場の入り口。

 そこで一礼して、中に足を踏み入れる。

 木製の壁と、床は畳敷き。

 正面には神棚があり、お祖父さんはそれに向かって正座をしている。

 私達の気配に気付いたのか、お祖父さんはゆっくりと立ち上がり歩み寄ってきた。

「どうかしたかね」

「いえ。少し気になっただけです」

「クリスマス・イブもいいんだがね。これは、毎日の習慣だから」

 神棚を振り向くお祖父さん。

 それに対して向き合い、心を研ぎ澄ますという意味か。

「我が家の場合は、熱田神宮だが」

「確かに」

 普通は勝負の神様である香取大明神であったり、武道の神様である鹿島大明神。

 ただ名古屋に根付いた古武道だから、別に悪くはないとも思う。

 少なくとも、私個人としては。

「何にしろ、クリスマスというのは幸せでいい。宗教も人種も関係なく、みんなが楽しめる」

「そうですか」

「戦争中は、なかなかそうはいかなくてね。本当、この国も良く立ち直った」

 遠い、遙かな過去を振り返る眼差し。

 私がたやすく言葉を返す事の出来ない話であり、また耳を傾けるに値する事柄。

 今が戦時中だったら、確かにクリスマスどころか食べる事すらやっとだろう。

「さて、昔話をしていても仕方ない。私ももう少し飲むとするか」



 少し疲れたため、ショウの部屋で一休みする。

 普段住んでいる訳ではないせいもあり、私物は殆ど無くて雑誌とトレーニング器具が転がっているだけ。

 ただそれは、寮や彼の実家でも同じだが。

 ベッドサイドに座り、たまたまあった雑誌をめくる。 

 「イブはこうして過ごせ。100完璧マニュアル。マニュアル通りで、何が悪い」

 開き直れれてもちょっと困る。

 大体こういう事が出来るのは、お金にも時間にも余裕がある人だけ。

 とはいえ参考にしても悪くはないと思う。

「今年はダイヤで決まりだって」

「怖い事言うな」

 苦笑するショウ。

 確かに高校生が送るプレゼントでもないな。


 結局は、普段のクリスマスと同じ過ごし方。

 私の家に集まって騒いで、この家にやってきて。

 少し疲れて、一休みするという。

 勿論今年はそれだけではなく、大切な一生の思い出になる出来事もあった。

 ただ私は、この変わらなさも決して嫌いではない。

「はぁ」

 ため息を付いてベッドに倒れこむショウ。

 怪我は絶えないが病気とは無縁で、風邪を引いた記憶すら殆ど無い。

 今日の事で、かなり気疲れしたのだろう。

「眠い?」

「いや。そうでもない」

 気持ちが高ぶって、むしろ目は冴えてるかも知れない。

 それでもベッドに伏せたまま動こうとはせず、背中だけが早く上下している。

「マッサージしようか」

「頼む」

 疲れの混じった口調。

 こういう彼を見るのは久しぶりで、負担を掛けた原因は私。

 その恩返しという訳ではないが、何かをするのは当然だ。


 自分もベッドの上に乗り、立て膝を付いて太ももの辺りから軽く揉んでみる。

 マッサージの知識は殆ど無いが、どこをどうすれば痛むかは理解している。

 ショウのように力だけで相手を倒す事が出来ない自分は、より急所を狙っての攻撃が必要。

 逆を言えば、その辺りを理解しつつマッサージをすればいい。


 鍛えこまれた体ではあるが無駄に固い事は無く、体脂肪もそれなりに付いている。

 相手からの打撃を想定した体の作り方で、あの食べすぎもこういった面では必要なのかも知れない。

 今は多少張りがあり、お酒を飲んでいる割には血の巡りも悪いようだ。

「冷えた?」

「そうでもない」

 だるそうに呟くショウ。

 顎を枕の上に乗せて気持ちよさそうにはしているが、精神的な疲労は短時間では癒せない。

 太ももから膝、ふくらはぎへとマッサージの場所を移動する。 

 今はショートパンツとTシャツ姿。

 素足のため、よく見れば傷だらけなのが見て取れる。 

 この一つ一つが彼の努力の証であり、私からすれば尊いとすら思えてくる。

 傷付き、血を流し、幾度と無く地を這い。

 それでも彼は前を向き、遥かな頂を目指している。

 私はその裾野をゆっくりと歩いている程度で、彼には到底及ばないけれど。

 歩む道は同じで、少しでもその近くに行きたいと思っている。

「傷は多いけど、肌自体は綺麗だよね」

「あまり気にした事無いな」

 それもそうだ。

 男の子が美容に気を遣って悪いとは言わないが、ショウがそういうタイプとも思えない。

 というか、ちょっとそれは止めてほしい。

「うわっ」

 足の裏をくすぐったら、上半身がまっすぐ上にのけぞった。

 普段はこのくらいでは動じないので、疲労の分逆に過敏な反応になるのかも知れない。

「あのな」

「冗談だって。上乗っかるからね」

 彼の体をまたぎ、腰からお尻の辺りにしゃがみ込む。 

 両手を腰に添え、体重を乗せて押していく。

 いっそ踏んでも良いくらいで、これでもどの程度効き目があるか分からない。

「気持ちいい?」

「ん、ああ」

 ゆったりとした反応。

 体もさっき以上に柔らかく、力が抜けている。

「眠くなってきた?」

「いや、どうかな」

 少し間を置いての返事。

 背中の上下は緩やかに、よりゆっくりとなっていく。

「今日は色々あって疲れたもんね」

「そうだね」

 なんか口調まで変わってきた。

「私も少し疲れたかな」

 欠伸をして、肩の方を押していく。

 気疲れと、少しのお酒。

 楽しい、一生の思い出となる一日。

「あーあ」 

 そのまま伏せて、目を閉じる。

 柔らかくて暖かくて、気持ちが安らいでいく。

 幸せって、多分こういう時を言うんだろうな。




 頭を軽く撫でられる感覚。

 良い夢を見ていた気もするけど、内容は覚えていない。

 幸せという言葉以外は。

「起きた?」 

 上の方から聞こえる落ち着いた声。

 それが何を意味するか分からず、顔を埋めてこの心地よさを満喫する。

「起きなさい」

 少し怖くなる声。

 ようやく意識が戻ってきて、目元を抑えながら顔を上げる。

「おはよう」

 照明を背負って微笑むサトミ。

 端正な顔に陰が宿り、普段以上にすごみがある。

「おはよう」 

 それに動じるようでは彼女と付き合えないし、何より今は眠くて仕方ない。

 今はただ、この心地よさに浸っていたいだけだ。

「あなた、どこに寝てるの」

「どこって、ベッドの上に。……わ」

 思わず声を上げて転げ落ちそうになる。

 私の下にはベッドがある。

 正確には一つ間を置いて。

 その間には何があるか。

「何がしたいの」

「さあ」

 小首を傾げつつ、ショウの背中から床へと降りる。

 どうやらマッサージをしていて、そのまま寝てしまったらしい。

「いつ来たの」

「さっき、モトと一緒にタクシーで。ユウがいないから探してたら、もう」

「はは」

 明るく笑い、さっきまでの自分を思い出す。

 ショウはうつ伏せで、私もその上にうつ伏せ。

 親ガメと子ガメだね、まるで。

「寝苦しそうよ、ショウ」 

 ショウの顔を指さすサトミ。

 よく見ると寝汗をかいている。

 軽いとはいえ、私一人ずっと背中に乗せていただけだから。

「はは」

 もう一度笑い、その辺にあったタオルで額を拭く。

 彼の表情は少し軟らかくなり、口元が緩んでくる。

「おかしな事になってるかと思って損したわ」

「悪かったわね。良く寝た」

 体を解し、軽く目元を押さえる。

 痛みは無く、物が見えにくくなっている訳でもない。

 この辺は無意識の行動に近く、完全に治っても癖となって残ると思う。

「デートはどうだった?」

 笑い気味に話しかけてくるサトミ。

 とはいえからかうようではなく、あくまでも優しげに。

 隠すような事ではなく、また彼女に隠すような事は何一つとしてない。

「まあ、普通かな。ただ、一生の思い出にはなると思う」

「幸せね、あなたは」

「そうかな」

「そうよ」

 微笑みながらそう言ってくれるサトミ。

 私も彼女に微笑み返し、眠り続けるショウの頭をそっと撫でる。

「それと、これ」

 紙袋を差し出してくるサトミ。

 何かと思って中を開けたら、丁寧に畳まれた白のシャツが出てきた。

 刺繍を施した、彼のシャツが。

「ああ。すっかり忘れてた」

「枕元に置いておいたら」

「サンタじゃないんだから」

 笑いつつ、サトミの言う通り枕元にシャツを置く。 

 靴下に入るサイズではないが、雪野サンタからのプレゼントという事で。

 もう一度彼の頭を撫でて、部屋の明かりを落とす。 

 ショウが起きる様子はなく、健やかな寝息が聞こえるだけ。

 そんな彼に別れを告げ、心の中でお礼を言う。

 今日はありがとうと。

 そしてこれからもよろしくと。



 ヒカルの運転で家に戻り、後片付けをする。

 残った食事は明日の朝食や昼食で、それはそれで楽しみの一つ。

 玲阿家からもらってきた分もあるし、また当分は楽しめそうだ。

「ツリー片付けないと」

 ため息を付くお母さん。

 私はあえてその事を念頭から遠ざけていたが、やっぱり逃れられないか。

「いいよ。明日、ショウにでも頼むから」

「またそういう事言って」

「じゃあ、お母さん片付ける?」

「お昼はカレーでいいのかしら」

 なんだ、それ。

 喜ぶには喜ぶだろうけどね。

「あれ」

 テーブルに積まれた、爪楊枝の山。

 どうやら清算はせず、うやむやに終わったようだ。

 その辺がいかにも宴の後といった感じで、おかしくも少し切ない。

「今年も、もう終わりだね」

「急に何」

 食器を片付けながら、戸惑い気味に振り返るお母さん。

 爪楊枝に物の哀れを感じていたとは言えず、カレンダーを指差して適当にごまかす。

「後一週間だから、そうだけど。その代わり、新しい年がまるまる1年待ってるじゃない」

「前向きだね」

「その分私は、また1年年を取るのよ」

 グラスに残っていたワインを飲み干し、ため息交じりにキッチンへ消えるお母さん。

 まさかと思うが、そっちで飲み直すんじゃないだろうな。



 さすがにそういう事は無く、少しずつ洗い物も片付けていく。

「ごめん。すっかり寝てた」

 眠そうな顔でキッチンに現れたお父さんは、お母さんが差し出した水を飲み干してシャツの袖をまくった。

「僕も手伝うよ」

 そう言いながら、もう洗っているお父さん。

 この辺の人の良さというか優しさを、私はどのくらい引き継いでいるのかな。

 なんて事を、皿に残っていたジャーキーをかじりながら考える。


 別に遊んでいる訳ではなく、親子3人で並ぶには多少手狭なキッチンなだけ。

 たまには夫婦水入らずもいいだろう。

 いつもって気がしないでもないけど。

 リビングへ戻り、再び後片付けを始める。

 食器やグラスは残っているが、床やテーブルが汚れている事は殆ど無い。

 昔はテーブルクロスに食べ物やジュースのこぼした後が残り、床にも色んな物が落ちてお母さんが少し怒っていた気もする。

 また、それを怒りながら笑っていた気も。

 今は汚れも見当たらず、仮にこぼしても食べている途中に片付けるくらい。

 以前のように騒いだり、部屋の中を走り回る事もいつのころからかしなくなった。

 玲阿家程ではないが、私達も少しずつ落ち着き始めているのだろうか。

 食器をトレイに載せ、誰もいなくなったリビングを眺める。

 胸に感じる寂しさ。 

 庭に通じる部屋に置かれたツリーは、暗闇の中で電飾を灯し淡い光を辺りに投げかける。 

 いつかこうして集まる事も無くなり、これはただの思い出として語られるだけになるのかも知れない。

 そう思うと、胸の奥がすぼまっていくように苦しくなる。


「うなー」

 遠くから聞こえる乾いた鳴き声。

 窓辺に歩み寄り、闇に包まれている庭へ視線を向ける。

 そこにいたのは一匹の猫。

 黒の背中に白のお腹。

 暗いのと視力が落ちているため、今はかろうじて輪郭が把握出来るくらい。

 後は緑色に輝くその瞳か。

「何、ご飯欲しいの?」

 人恋しい気分。

 いや。この場合は猫ではなく、私の方が。

 今日はクリスマス・イブ。

 お母さんは怒るかも知れないけど、余っている食べ物をあげても罰は当たらないだろう。

 それがだたの自己満足に終わるとしても、私の気持ちは軽くなるんだから。

「ふっ」

 鼻で笑い背を向ける猫。

 なんか、一気に腰が砕けてきた。

 猫に感情移入した自分が馬鹿というか、もともと向こうには私に対して何の気持ちも無かったはず。

 それを私の独りよがりで感情を高めてしまっただけだ。

「しっ。二度と来るな」

「うにゃーっ」

 突然の唸り声。

 慌てて窓を閉め、カーテンも閉めてその隙間から様子を伺う。

 すでに猫の姿はどこにもなく、唸り声だけが遠くから響く。

 多分、他の猫とケンカでもしてるんだろう。

 とにかく、疲れた。



 リビングの床に座り、食器の山をぼんやりと眺める。

 朝から大騒ぎして、気疲れして。

 家に帰ってきても、また少し騒いで。 

 さっき寝たばかりだけど、疲れが一気に出た感じ。

 大体、猫とは相性が悪いんだ。

「優、残りは。……何してるの」

「黄昏れてる」

「そんな年じゃないでしょ。夜通し弾けるんじゃないの」

 赤いエプロンを振ってステップを踏むお母さん。

 いい年して元気だな。

「何よ」

「いや、別に。さてと、片づけるか」

 大きめの皿に小皿を乗せて運び出す。

 これで食器はかなり片付いて、後はテーブルを拭くだけか。

「後は、グラスくらい」

「分かった」

 青いエプロンをして洗い物をするお父さん。

 妙に似合うというか、しっくり来るな。

「ツリーは、明日ショウに頼むから」

「頼んでばかりで、悪くないの?」

「無いよ」

「言い切るね」

 苦笑して大皿を受け取るお父さん。

 私は終わった物を乾いたタオルで拭いて、食器棚へと戻していく。

「今年ももう終わりだね」

「確かに、年の暮れは少し寂しいかな。今年も無事に1年過ごせて良かったよ」

 しみじみと呟くお父さん。

 私としては色々あったけど、結果的には無事に過ごしたと言っていい。

 何より、今こうしてお父さんの隣で笑っていられるんだし。

「目の調子は?」

「波があるけど、とりあえずは大丈夫。みんな、助けてくれるから」

「本当、良かった」

 もう一度呟き、水を止めるお父さん。

 私も食器を棚へしまい終え、リビングへと向かう。



 リビングの片づけも殆ど終わり。

 お母さんは床に座り、台ふきでテーブルを拭いている。

「全部洗ったよ」

「ご苦労様」

 笑顔と共に差し出されるグラス。

 テーブルに残っているのは、3つのグラスと少しのお菓子。

 お父さんもお母さんの隣に座り、グラスを受け取る。

「では、ささやかながら乾杯」

「乾杯」

 3人でグラスを重ね、お茶を飲む。

 ささやかな、雪野家だけのクリスマス・イブ。













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