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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第30話
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30-6






     30-6




 医務室から連絡があり、女の子は特に問題無いとの事。

 ただそれは肉体的な部分であり、精神的な部分。

 気持ちについては、定かではない。

 受付の側にあるソファーに座り、額を抑える。

 頭は痛くないし、目にも異常はない。

 まさに、気持ちの問題だ。

「これ、捨ててきて」

 いきなりテーブルに置かれる紙袋。

 ぶっきらぼうにそう命令してきたのは、さっき一緒にパトロールしたガーディアンの男の子。 

 訓練とはいえ結果は惨敗で、良い所は何一つもなかった。

 誰でも苛立つし、八つ当たりもしたくなる。

 つまりは、私も彼と大差ない。

「どうして私が」

「新人は、先輩の言う事聞けよ」

 これがいわゆる、組織の論理か。

 言い争う気にもなれず、立ち上がって紙袋の取っ手を掴む。

「ユウ、行く必要はない。おい、調子に乗るな」

「お前、誰に言ってるんだ」

「口の利き方に気をつけろよ。少なくとも、1年にお前呼ばわりされる覚えは無いぞ」

 敵意剥き出しに食ってかかるケイ。

 男の子は顔を赤くして、肩口のIDを指さしながら彼に詰め寄った。

「俺はガーディアンで、そっちはまだ見習いだろ。年上でも何でも、俺の方が偉いんだ」

「久し振りに頭に来た。お前の上司を連れてこい。話がある」

「何様のつもりだ、お前。新人は大人しく言う事聞いてろ」

「調子に乗るなと言ったんだ、俺は」

 座ったままで警棒を横に振り、男の子の足を刈って床に転がす。

 そしてすぐに立ち上がり、今度は喉に警棒を突きつけた。

「口先だけでガーディアンが通用すると思ってるのか。しばらく入院してろ」

「ひっ」

「あ、あの。その子が何か」

 慌てて駆け寄ってくる、2年の女の子。

 救いを求めるような男の子の視線からして、その上司なのは間違いない。

「こいつが、俺達にゴミを捨てて来いってさ。俺達は、いつからゴミ捨て係になった」

「あ、いや。そういう訳じゃないんだけど」

「雑用が嫌だって言ってる訳じゃない。ただし階級が上だからって、どういう態度をとっても許されるのか」

「あ、その。いや。少し誤解が」

 真っ青な顔になり、今度は女の子が救いを求める顔をする。

 さっきまで私達は、単なる新人。

 しかし実際はそうではないし、ケイが生徒会に所属していたのを知っている人もいる。

 除名されたとはいえ、組織という意味においてはここにいる全員に指示を出していた立場である。

 何より彼の人間性を理解していれば、あんな命令は誰もしない。

「もういい。丹下を呼んで来てくれ。話がある」

「は、はい。今すぐ」



 珍しく恐縮気味にやってくる沙紀ちゃん。 

 だが彼女が目の前に立っても、ケイは何も言おうとしない。

 沈黙のプレッシャーではなく、体調が悪くなったらしい。

「で、どうする気」

「お腹痛いから、寝る」

「馬鹿」

 ケイの頭を叩き、遠巻きに見ていたガーディアン達を睨むサトミ。

 それだけで全員が一斉に目をそらし、顔すら動かさず仕事に没頭し始めた。

「大した事じゃないの。ただ先輩だからって理由で、新人にあれこれ命令しないでって言いたかっただけ。お互い、ちょっと苛々してたのよ」

「そういう話。新人でも年上でも、相手に敬意は払うようには言ってあるんだけど。どうしても個人差というか、性格があって」

「少し反省しなさい」

 もう一度ケイの頭を叩くサトミ。

 それにも反応は示さず、とうとうソファーへ横になった。

「ちょっとタイミング悪かったかな」

 気まずそうに呟く沙紀ちゃん。

 それも私を真っ直ぐ見ながらの。

「ん、どうかした」

「どうって言うか、すぐ分かるんだけど」

「私の事?」

「優ちゃん達の事というか。その友達に関して、ちょっと」

 何度も言いよどみ、しかし答えを口にしない。

 余程言いにくい事なんだろうけど、何なのかが思い当たらない。



 少しして、その理由が判明する。

 憮然とした顔でオフィスに入ってくるモトちゃん。

 その左右を囲むのは、完全武装のガーディアン。

 態度や雰囲気からして、護衛ではなく護送にしか見えはしない。

「どういう事」

 いまいち事態が飲み込めず、沙紀ちゃんに話を振る。

 それでも彼女は答えず、代わりにモトちゃんと一緒に入ってきた山下さんが近付いてきた。

「生徒会から要請があったので、身柄を拘束しました。正式な要請です」

 固い口調と冷たい態度。

 突きつけられた書類を受け取り、それに目を走らせる。

 内容は今聞いた通りで、理由も書いてある。

「治安を乱す言動が認められる。何が」

「先日のインタビュー内容。生徒会の方針に公然と反抗し、抵抗組織を構築。これが、具体的な嫌疑です」

「ちょっと待って。武装も建物の使用も許可は得てますよ。覚え書きにもサインしたし」

「組織的な抵抗までは認めて無いとの事です。それとこの件は生徒会自警局ではなく、執行委員会の指示に寄ります」

 だから私達には関係ない。

 と言ってる訳ではないだろうが、私にはそうとしか聞こえない。

「身柄を引き取りに来るまで、ここで休憩して下さい」

「ご配慮痛み入ります」

 無愛想に告げ、ソファーに座るモトちゃん。

 さすがにガーディアンは遠ざかるが、一定以上の距離からは離れない。

「だから言い過ぎたのよ」

「今更言われても」

「それで、どうするつもり」

 小声で尋ねるサトミ。

 モトちゃんは彼女を指さし、そしてケイにも指を向けた。

「全体的な事は木之本君に任せてあるから、二人はそのフォローをお願い。私がいなくても動くようにはしている」

「組織は、でしょ。あなた自身はどうするの」

「一応抵抗しようと思ったんだけど、私には無理だったみたい」

「今度からは、あなたの警備を名雲さんに頼むわ」

 そう言って端末を取り出したサトミだが、ガーディアンの一人が進み出てそれを止めるよう手を振った。

「通信の自由も妨げられるのかしら?学校の規則以前に、憲法違反よ」

「しかし、規則上は」

「憲法を否定する規則が認められるとでも?法的根拠と具体的な例を挙げてみて」

「いや。ですが、規則ですので」

 同じ言葉を繰り返すガーディアン。

 どちらにしろ通信を許すつもりはないらしく、サトミの前から離れようとはしない。

「いいわよ、サトミ。連絡は、落ち着いた後で」

 モトちゃんの言葉を受け、返事もせずに端末をしまうサトミ。

 ガーディアンはようやく彼女の前から離れ、私達を囲む周囲の輪に戻った。

「こういう事か」

 ガーディアンの後ろで細かく指示を出している沙紀ちゃん。

 彼女も組織の一員であり、上からの命令には従うしかない立場。

 また私達の知り合いという事で、拘束するのを要求された可能性も高い。

 今考えると訓練騒ぎも、私達をここにつなぎ止める策だったのだろうか。

「どうするの」

「知らん。俺は眠い」

 ソファーに横たわったまま動かないケイ。

 とはいえ本当に寝ているかは疑問で、何もしていない方が危険な存在である。

 今は怪我を負っているため、本当に眠いのかも知れないが。

「逃げちゃ駄目なの」

「それこそ追われるわよ。今回は話を聞くだけと聞いてるし」

 普段のように笑ってこそいないが、冷静さは保っているモトちゃん。

 私はそこまで冷静にはれず、スティックを手の中に収めて反撃の機会を探る。

 逃げて事態が悪化するのは十分に理解しているので、実行には移さないが。

「ショウ。モトちゃんの側に付いてて」

「突破するつもりか」

「しない。今はね」

 席を立ち、彼と場所を入れ替わる。

 私は一番ドアに近い側。

 ショウはサトミとモトちゃんの隣。

 その左斜め前に、ケイが寝ている。

 何もないに越した事はないが、現実にトラブルは起きている。

 心情的な部分を考えると辛いけど、この状況を受け入れる気もない。



 気まずい沈黙がしばらく続く。

 それを破ったのは、ガーディアン以上の集団。

 例の銃とガーディアンとは色違いのプロテクター。

 執行委員会の警備部門であり、かつガーディアンの上に立つ組織。

 確か、保安部とか言ってたな。

「被疑者は」

「あちらに」

 静かに告げるガーディアンの一人。

 周囲を囲んでいる輪が解け、その間を警備部門の一群が通ってくる。

 露骨な敵意は感じないが、親しみやすい雰囲気もない。 

 あくまでも職務を果たす。

 つまり、モトちゃんの身柄を受け取りに来たという意志しか感じない。

「一応俺は止めたんですけどね。こういうやり方は逆効果だって」

 申し訳なさそうに説明する、前島君。

 とはいえその命令を拒否するではなく、彼はこの場で指揮を執っている。

「済みませんが、特別教棟までお願いします。あくまでもお話を聞くだけで、処分については考えていないとの事です」

「だったらここで話を聞いても良いんじゃないの」

「組織としての体面もありますので」

 言葉遣いや態度は丁寧だが、やはり職務を放棄する姿勢は見せない。

 組織の一員としては優秀で、またその行為自体は間違っていないんだと思う。

 ただそれは彼の論理であり、私の論理とは相容れない。

「はいそうですか、って言える程私も人間は出来てないの」

「という訳だ。とりあえず、俺を倒してから連れて行ってくれ」

 席を立つショウ。

 体格で彼に勝る者は何人もいる。

 しかしこの風格に敵う者は、少なくともこの中にはいない。

 実力に裏打ちされた佇まいと周囲からの評価。

 そして彼の人間性。

 役職や地位とは無縁な部分から来る、周りの人達からの敬意。

 何よりも、畏怖。

 プロテクターを来た集団は自然と後ずさり、銃を構えはするが前には出ない。

「ユウ、ショウ君。大人しくして」

「出来ない。理不尽な事には従えない」

「だからあなたは、組織に向いてないのよ。とにかくここは、私に任せて……」

 目の前を飛んでいくマグカップ。

 それは責任者の足元に落ち、音を立てて激しく割れた。

「抵抗する気か」

 一気に緊迫する集団。

 そんな彼等の間を縫って、どこからか現れた七尾君がケイの襟に警棒を突きつけた。

「オフィス内の不祥事に付き、彼を拘束させてもらう。指示を出した元野さんも含めて」

「ほう」

 一瞬目付きが鋭くなる、前島君。

 その内側に隠れていた狼の顔が現れたというべきか。

「丹下隊長。あなたの判断は」

「彼の言った通り。規則上は、そうなっています。執行委員会の権限が我々に及ぶとしても、このオフィス内については我々の権限が優先されますし」

「結構。彼等の尋問には、俺も立ち会うのでよろしく」

「無論です。彼等全員を、奥に連れていって」



 連れてこられたのは、尋問室ではなく小さい会議室。 

 中にいるのも私達だけで、唯一の部外者は彼だけか。

「元野さんを連れて行くのは、現状では不可能と報告しました。これについては問題ないんですが、代わりに話を聞くようにとの事です。回答が納得出来ない場合は、それ相応の方法も検討しますのでご了承を」

 四角形に並べられた机。

 彼と向き合う格好でモトちゃん。

 その斜め右、ドアを背にした側に沙紀ちゃん達。

 私達はその彼女と向き合う位置に座る。

「他意はないわ。あの発言通りの内容よ」

「実力による抵抗、という部分が委員会内で問題になってます」

「無差別に生徒を襲うとは言ってないし、自己防衛に関しては認められてる」

「大勢の生徒を集めて、武装して、建物を占拠して。自己防衛というのはやや無理がありませんか」

 物静かな面は変わらないが、普段よりも迫力のある口調。

 この場にいるのは、言ってみれば全員彼の敵に回ってもおかしくない人ばかり。

 それでも動じる事は無く、自分の意見を冷静に展開出来る。

 正直、あの組織にいるのが惜しいとしか言いようがない。

「武装と建物に関しては、執行委員会も認めた権利よ。その時点で私達の行動は予想されたはずで、それとも言いがかりを付けるために権利を認めたとでも?」

「自己を正当化する論理は良いんですが、一応世の中は建前で動いています。元野さんがインタビューで本音を主張したからには、こちらも建前で付き合う訳にはいきません」

「分かったわ。で、今回の処分は警告程度?」

 小さく頷く彼。

 モトちゃんもそれに応え、軽く手を挙げた。

「ただし、さっきの理不尽な行動に対しては断固として対応するわよ。一般生徒への過度な干渉、我々への妨害行為に関しては」

「自己防衛の範囲でお願いします。我々に対する敵対行動は無いと考えてよろしいですね」

「無論。私からは以上」

「分かりました。では、他にお話がある方は」

 会議室内を見渡す彼。

 モトちゃんが連れて行かれない以上、私としては何もない。

「遠野さんは、何か」

「モトが言った通り。私達は混乱を望んでいる訳じゃない。ただ、学校の一方的な規則変更に意義があるだけ。それについて私達の権利が侵害されるなら、こちらもそれに対抗するわ」

「分かりました。浦田さんは」

「別に。お腹が痛いだけかな」

 だるそうに手を振るケイ。

 今も机に顔を伏せていて、しばらくはこの調子が続きそうだ。

「そうですか。今回はこれで結構です。ただし上からの命令があれば次は違う対処になるかも知れませんので、ご了承を」

「私は構わないわよ」

「俺も勝てるとは思ってませんが、皆さんの組織がそれ程結束している気もしません」

「それが良いところなの」

 誇らしく語るモトちゃん。

 しかし彼は特に何の感慨も抱かなかったらしく、おざなりに頷いて顔を横へ向けた。

「では次に、先程の対応についてお伺いします。我々が元野さんの身柄を受け取りに来たのに、それを妨害する事になった訳ですが。その理由をお聞かせ下さい」

「執行委員会への反抗と見なされるの?」

 毅然とした表情で問い返す沙紀ちゃん。

 彼は机の上に肘を乗せ、指を組んでそれ越しに彼女を見つめた。

「規則の抜け道を利用するのは、決して好ましくはありません」

「問題は無いと私は判断したわ」

「申し訳ありませんが、この場合判断を下すのはポジションが上位の者。つまりは、俺です。G棟隊長及びその部下は、ガーディアンの資格停止に相当します」

 沙紀ちゃんの言葉へ被せるように突きつけられる台詞。

 彼は瞳に力を込め、机の上に身を乗り出した。

「先程の決定を破棄。元野さんを拘束し、生徒会特別教棟に連行して下さい」

「……分かりました」

 すぐに答える沙紀ちゃん。

 冗談を言っている顔ではなく、そこからは厳しさしか読み取れない。

「こちらからは以上。元野さんを連行した時点で、G棟隊長及びその部下への処分を撤回します」

「七尾君、彼女を連れて行って」

「了解」

 席を立ち、モトちゃんの後ろに立つ七尾君。

 彼女もそれに促され、ため息混じりに立ち上がった。

「私達を食い合わせる気?」

「解釈はご自由に。先程の話は、特別教棟で再度お願いします」

「私を捕まえても、大して意味無いわよ」

「それも、こちらで判断します」

 少しも動じない前島君。

 七尾君が先導し、その後ろを阿川君と山下さんが付く。

 黙って部屋を出て行くモトちゃん達。

 残ったのは私達と彼、そして沙紀ちゃんになる。

「怒ってる?」

「いや。怒ってないとは言わないけど、組織の論理は私も理解してる」

「そう」

 短く呟き、部屋を出て行く沙紀ちゃん。

 振り向きもせず、何かを言い残すでもなく。 

 彼女は、私達の前から姿を消した。

「では、俺には怒ってると」

「当然でしょ」

「襲いかかってこないだけの自制心はあるようですね」

「少し、考え方が変わった。無意味に暴れるのは止めた」

 スティックを抜き、椅子を蹴って机に飛び乗る。 

 勢いそのまま机に飛び乗り、彼の眉間にスティックを振り下ろす。

「っと」

 腕でスティックを受け止める彼。

 寸止めだが、それなりの速度で放った一撃。

 また手応えからして、おそらくは打撃兼用のプロテクターを装着していると思う。

「あなたを倒しても意味無いし、何の解決にもならない。それにここで暴れても、沙紀ちゃんに迷惑が掛かる」

「……ちょっと待った」 

 顔色を変える彼。

 机を蹴って後ろに飛び、床へと降り立つ。

 そのままドアへ走り、笑顔で彼に手を振ってみせる。

「慌てるタイプじゃないと思ってたけど、そういう顔もするんだね」

「自分が何をやろうとしてるのか、分かってるのか」

「敬語も止めたんだ。多分、分かってないと思うよ」

「たまには考えて行動しなさい」

 鼻を鳴らし、私の隣を抜けて外へ出るサトミ。

 ケイはお腹を押さえながら、肩を揺すって彼を振り返った。

「心配しなくても、時間が来たら開けるよう連絡はしておく。ちょっと、ユウを甘く見すぎたんじゃないのか」

「絶対後悔するぞ」

 それには答えず、笑いながら部屋を出るケイ。 

 最後にショウがドアの前に机や椅子を山積みにして、苦笑しながら私の後ろに立った。

「そういう事だ。悪いな」

「意味が分からん」

「俺も分かってない」

「止めてよね、そういう言い方は。じゃ、また今度」



 ドアを閉め、サトミが外からキーを掛ける。

 どうやら特殊な操作をしたらしく、何をしてもドアは開かない。

「これでしばらく、時間は稼げるわ。ただ、特別教棟を襲撃しても大して意味無いわよ」

「じゃあ、何か考えてよ」

「また、そういう事を言って。何か意見は」

「お腹痛いって言ってるだろ」

 足早にオフィスを出て行く私達。 

 モトちゃんが連れて行かれた事に怒っていると見えるのか、誰一人として声を掛けてこないし近付いても来ない。

 つまり、彼を閉じこめている事が悟られるのはまだ先の話だ。

「七尾君が引き渡した後じゃないと、旧連合対生徒会ガーディアンズの構図になる。あの男も、多分それを狙ってるんだろうけど」

「それで」

「協力者がいればなんとかなる。……また金がいるな」 

 舌を鳴らし、端末を取り出すケイ。 

 彼は無愛想な顔で通話を始め、とってつけたような愛想笑いを始めた。

「いや、そこをなんとか。……だから、金は無いんだって。……分割?……分かったから、お願いしますよ」

「誰」

「舞地さん。執行委員会には疎んじられてるけど、自警局長直属の立場。執行委員会のエリアにも立ち入れる」

 階段を駆け下りていくケイ。

 しかし足元がおぼつかず、すぐに速度が落ちる。

「それで」

「分からん」

「ちょっと」

 例により押し黙り、階段へしゃがみ込んだ。

 ちょっと無理をさせすぎたようだ。

「サトミ」

「モトの身柄を確保しても、解決しないわ。命令自体を撤回させないと」

「どうやって」

「大して難しくはない」

 硬くなる表情。

 私に向けられる危ぶむような視線。

 つまり、私にとって不快な内容という事か。

「矢加部さんに頼むの?」

「近いわね」

「……局長?」

「執行委員会の一員であり、警備部門の責任者の一人。当然、モトの拘束についても影響力があるわ」



 G棟を出て、急ぎ気味に生徒会特別教棟前までやってくる。

 ケイは全くの無言で、今度は近くの植え込みにしゃがみ込んだ。

「舞地さんは?」

「少し待ってくれ」

 お腹と頭を抑えて動かなくなるケイ。 

 サトミも無理には急かさず、また自分から舞地さんに連絡を取りはしない。

「舞地さんに迷惑は掛からないの?」

「契約を受けた以上、それも含まれてるわ」

 特別教棟の入り口を気にしながら答えるサトミ。

 彼から連絡が伝わってる様子はないが、私達と生徒会の関係を考えればそれ程良い状況とは言えない。

 この場に長くいればいる程怪しまれるだろう。

「……よし。教棟に入って、そのまま自警局まで行く。今はフリーパスになってるから、捕まる事もない」

 ようやく立ち上がり、そう告げるケイ。

 まだ顔色は悪いが、少なくとも今は動けると判断したのだろう。



 彼の言う通り、視線こそ感じるが声を掛けられる事無く自警局までやってきた。

 ただモトちゃんが連れてこられている以上、私達に何らかの思惑があると考える人もいるだろう。

「来たか」

 黒のキャップを深く被り、私達の前に現れる舞地さん。

 顔は隠れ、そこからは何の感情も読み取れない。

「矢田と交渉して、その後元野を解放する。順序が逆になれば、弾圧の口実になる」

「交渉って、そんな簡単に解放してくれるの?」

「そこまでは契約に含まれてない」

 あっさりと見放す舞地さん。

 とはいえそこまで頼るのも悪いし、私の本意でもない。

「モトちゃんは無事なんだよね」

「別に犯罪を犯した訳じゃない。話を聞いてるだけだ」

「そうだけどさ」

「あの子はもう少し頭が良いと思ってたけど、違うらしい」

 じゃあ、どの子は頭が悪いんだ。

 でもって、どうして私を見ながら話すんだ。



 舞地さんの先導で、局長室前までやってくる。

 彼女が手を振ると、警備のガーディアンがドアから下がってそれを開けた。

 とはいえドアはその奥にもあり、今度はその前まで進み出る。

 ここで後ろのドアを閉められたらと思うが、襲撃された場合はそうもなるのだろう。

「連れてきた」

 前のドアが完全に開いたところで、舞地さんがそう告げる。

 執務室内にいたのは、局長と数人の幹部。

 私達と中等部の頃敵対していた男もいる。

「お久しぶりです」

 固い口調で挨拶をする局長。

 席を勧めては来ないし、こちらも座る気はない。

「結論だけ言う。モトちゃんを解放して」

「あくまでも話を聞いているだけです」

「聞いてどうするの」

「執行委員会において判断します」

 曖昧な、自分の立場をはっきりしない答え。

 いかにも最近の彼らしい。

 前はこうではなかったし、規則重視のタイプではあったが頑なではなかった。

 彼には彼の理由があり、考えがある。

 そこまでは否定しない。

 とはいえ、認められる状況でないのも確かである。

「あなたもその一員でしょ。しかも、警備部門の責任者じゃない」

「個人の独断ではなく、合議によって運営されています」

「あの理事の息子の言いなりじゃないの」

「それは悪意ある人間の噂に過ぎません」 

 やや語気を強めて否定する局長。

 分かってはいたが、言う事を聞いてくれる様子はない。

 だとしたら、私のとるべき行動はそう幾つもない。

「もう、良い。分かった。そっちがそのつもりなら、私にも考えがある」

「雪野さん」

「知らない。モトちゃんは連れて帰る。それを妨げるのなら、こっちも実力で対抗する」

「馬鹿」

 私の真後ろで呟く舞地さん。

 これでは彼女がさっき言っていた通り、私達を弾圧する良い口実である。

 私達の学内での立場は相当危うくなるし、孤立するかも知れない。

 それでも、友達を連れ去られて大人しくしている程人間は出来ていない。

「とにかく、話は通した」

「僕達が、それを見過ごすとでも?」

「生徒会ガーディアンズを動員すれば?私達は、4人だけで十分よ」

 局長にではなく、ドアから入ってきたガーディアン達にそう告げる。

 初めは話し合いをしようという気もあったが、それが無駄だと分かればいつまでもこだわっていても仕方ない。

 やり過ぎ。

 そう、やり過ぎだろう。

 こうして私を興奮させ、暴れさせるためにモトちゃんを拘束したとも思う。

 だとしても彼女が拘束されているのは事実である。

「ショウは前。サトミはその後。ケイは後ろから来て」

「最後はどうするか考えてるんだろうな」

「モトちゃんを助け出してハッピーエンドでしょ」

「絵本の話はしてない」

 鼻を鳴らして、それでも腰の警棒に手を掛けるケイ。

 サトミは髪を束ね、あらかじめ持ってきていた革のキャップを深く被った。

「あなた、何も考えてないでしょ」

「大人しくしようと思ったんだけどね。らしくないと思って」

「破滅に向かってるだけだと思わないの?」

 辛らつな言葉を聞き流し、スティックを抜いてサングラスの位置を直す。 

 目の調子は悪くない。

 この先どうなるかは、後でゆっくり考えれば良い。

「ショウ行って」

 私の言葉と同時に走り出すショウ。

 ガーディアン達は突然の事に、戸惑い気味に後ずさった。

 こちらはそこを駆け抜ければ良いだけだ。


 そう思った途端、目の前のドアが閉まる。

 次いで、後ろのドアも。

 あっさりと閉じこめられる私達。

 さっきここを通った時に危惧した通りの状況。

「馬鹿」

 ため息混じりに呟く舞地さん。

 つまりは彼女も閉じこめられている。

「さっき、私はなんて言った」

「交渉して、解放。その逆は駄目」

「それで」

「交渉しようとは思ったけど、私の話を聞く雰囲気でもなかったでしょ」

 局長が見ていたのは私ではなく、その取り巻き達。

 私が何か言う度に彼等へ視線を向け、言葉を聞き、返事をする。

 彼自身の意志や考えは反映されず、周りの言うがまま。

 交渉どころか、私の言葉は決して彼には届いていない。

「矢田は、内側から改革するタイプ。それと、人の話を聞く性格だ」

「褒めてるの、それ」

「雪野よりは」

 何だ、それ。 

 むっとしつつ、スティックの先で扉を叩く。

 別に八つ当たりではなく、強度を再確認しただけ。

 この程度では傷も付かず、固い金属感が辺りに響く。

「出られるのか、ここから」

「平気。何せ、この子がいるから」

 ショウの肩を叩き、ドアも叩く。

 当然、ドアには親愛の情を示してはいない。

「お願い」

「モチベーションがちょっと違うけどな」

 そう呟き、コンソールに手を添えるショウ。

 軽く腰が落ち、肩が引かれて体が回る。

 その途端火花が散って、私の頭の上を通り過ぎた。

「よっ」

 わずかに開いた隙間に私がスティックを差し込み、それを蹴る。

 てこの原理で扉が揺れ、隙間がさらに大きく広がる。

 それに合わせてショウが扉に取り付き、腰を落として一気に押し出した。

「ほらね」

「壊しただけだろ。カードで開いたのに」

 取り出したカードを胸元で振る舞地さん。

 もしかして、ただ単にドアを破壊するのを見たかっただけじゃないのか。

「あのね」

「元野の事はどうなった」

「今行く。ショウ、前行って」

「少し待て」

 扉の外に出て、激しく肩で息をするショウ。

 多分車1台を押したくらいの疲労感があると思う。

「だらしない奴だ」

「お前が言うな」

 無造作にケイのお腹を押す舞地さん。

 その途端彼は床に崩れ、呻き声を上げ出した。

「こ、この女」

「先輩に、そういう口のきき方をするのか」

「契約主だろ、俺は」

「だから」

 腕を組み、真上から見下ろす舞地さん。

 ケイは口元で何やら呟きつつ、お腹を押さえて立ち上がった。

「少しは分かったか。組織には不向きだって」

「そういう話はユウに。もしくは、ここを突破してからして下さい」

 当然というべきか、ドアの外にも集まっているガーディアン達。

 彼等が逃げる気配はなく、すでに警棒やバトンを構えて私達との距離を詰めつつある。

「ユウ。生徒会ガーディアンズと対立するのは避けて」

「じゃあ、突破するだけ?」

 小さく頷くサトミ。

 それを受けて、ショウがケイに声を掛ける。

「ライター使ってくれ。それでひるんだ隙に突破する」

「知らんぞ」

 鼻で笑い、ライターを取り出すや何の躊躇もせず火を付けるケイ。

 炎は一直線に前へと進み、辺りは赤い色に彩られる。

 怒号と悲鳴。

 スプリンクラーからの放水と非常ベル。

 隊列が乱れた隙にショウが駆け出し、先程同様私達が続く。


 ドアの前からは脱出出来たが、ガーディアンはどこからでも現れる。

 ただ積極的に私達を止めようとはせず、近付くと軽く牽制するだけで道を空けてくれる。

「どういう事?」

「ショウとユウの実力を知ってるんでしょ」

 若干息を荒くしつつ答えるサトミ。

 確かにショウの事を知っていれば、それに立ち向かいたいとは思わない。

「それとも、命令系統が混乱しているのかも」

「どうして」

「自警局と、執行委員会の保安部。両方が指示を出すから、どちらを聞けばいいのか分からなくなってる可能性もあるわ。この場合は、組織の弊害ね」

 サトミはそこで言葉を切り、走る事に専念し出した。

 私もこれ以上話ながら走るのは辛いので、大人しくする。



 人気が切れた階段の踊り場で一旦休む。

 ショウはともかく私とサトミは息切れで、ケイに至ってはうずくまったまま動こうとしない。

「モトちゃんは大丈夫なの?」

「名雲と司が先行してる」

「だったらいいのかな」

「名雲がカッとしなければ」

 鼻を鳴らす舞地さん。

 モトちゃんは名雲さんの彼女。

 怒りのレベルは、ある意味私の比では無いかも知れない。

「ここは、まだ自警局?」

「いや。執行委員会のエリアだ。ガーディアンは入ってこない」

「そう」

「つまり、遠慮をしてこない連中が襲ってくる」

 淡々と告げる舞地さん。

 ガーディアンは私達の事を知っている人が大半で、サトミが言ったようにショウと対峙する事の無意味さは理解してる。

 組織として明確な指示があれば別なんだろうけど、それが混乱していてはどうしようもない。

 ただこの先は、完全に私達の敵。

 少し気構えを改めた方が良さそうだ。

「モトちゃんはどこに?」

「連絡では、尋問室にいるらしい」

「ちょっと」

「おかしな事はされてないと連絡は受けてる」

 あくまでも冷静さを崩さない舞地さん。

 しかし私はその逆。

 こうなると、誰の話も耳に入らない。

「急ごう。舞地さん、場所は分かってるの?」

「勿論。この階段を上ったフロアにいる」

「警備の人数は」

「少なくはないが、反対側から名雲達が動く」

 取り出された端末の画面に表示される、周辺の地図。

 階段を上った後は、直線でモトちゃんがいる場所に着く。

「……名雲か。状況は。……いや、こっちは問題ない。……ああ、任せる」

「もう行って良いのね」

「ちょっと待った。舞地さん、七尾君達は?」

「引き渡しは済んだはずだ。……終わってる」

 これも端末で確認し、小さく頷く舞地さん。

 ケイはその画面を覗き込み、地図を指でなぞった。

「このままだと、七尾君達と会いませんか。出来れば、それは避けたいんですが」

「二兎を追うなということわざもある。元野を助けるか、沙紀とのトラブルを避けるか。お前達は、どちらを選ぶんだ」

 突きつけられる選択。

 付き合いとしてはモトちゃんの方が圧倒的に長く、姉妹同然と言っても良い程の関係。

 全てを話し、共有し、共に歩んできた親友。

 沙紀ちゃんと知り合ったのは、高等部に入ってから。

 その出会いは敵として。

 でも今はかけがえのない存在で、私にはない物を持つ人として敬意も抱いている。

 そして今は、そのどちらかを選ばないと行けない状況。

 迷っている時間もない。

「雪野」

 厳しい声で急かす舞地さん。

 顔を伏せ、一旦その視線から逃れようとする。

 付き合いの長さを考えればモトちゃん。

 自分達の立場、今後の事を考えれば沙紀ちゃん。

 ここにいる事、モトちゃんを助けるという行為自体が私対の存在を危うくする。

 沙紀ちゃん達と対立すれば、生徒会ガーディアンズとのわずかなつながりもたたれてしまう。

 でも、だけど。

「雪野」

「ちょっと待って。今考えてる」

「リーダーなら、決断しろ」

「決断って。大体リーダーって」

 反論しようとして、すぐに口をつぐむ。

 この場にいるのは、私とサトミとショウとケイ。

 その中で少なくともリーダーと呼ばれているのは自分一人であり、何より彼女達は私の決断にいつも従ってくれた。

 それぞれの意見や考え方があり、いつも私と一致するとは限らない。

 時には不満を抱き、納得してない場合もあっただろう。

 それでも彼女達は、私に付いてきてくれた。

 そして今も、私の決断を待っている。


「分かった」

「どうする」

「名雲さん達と沙紀ちゃんがぶつかってもまずいんだよね。いや、今いるのは七尾君だけど」

「当然だ」

 舞地さんの返事を受けて、地図を確かめる。

「七尾君達はどっちを通るの」

「名雲達の存在は分かってないだろうから、当然こっち。つまり、雪野達を捕まえるよう指示を受けているはずだ」

「七尾君か」

 いまいち彼の行動パターンが掴めず、ただその実力は十分に把握している。

 おそらく指揮的能力にも優れ、私達4人を拘束する策も事前に考えているかも知れない。

「やっぱり、衝突は避ける。相手が読めない」

「元野はどうする」

「この上でしょ。だったら簡単よ」



 冷たい風。遠くに見える名古屋の町並み。

 冬の日暮れは早く、辺りの景色は薄い日差しに照らされる。

「大丈夫だって」

「強度は、耐性は、大体どうして」

「大丈夫なの。ショウ、もう行って」

「後でひどいわよ」

 嫌な捨て台詞を残し、窓の外へ出るサトミ。

 外には、はしごもなければ足場もない。

 それでも彼女は重力に引かれる事無く、空の高みへと舞い上がっていく。

 残念ながら白い羽根は備わっていなく、光の輪が頭の上に輝いている訳でもない。

「きゃっ」

 小さな叫び声。

 不意に吹き抜けた風が、彼女の体を軽く揺らす。

「大丈夫だって。ショウ」

「もうすぐ付く」

 サトミを抱きかかえながら、壁に張り付いて窓を覗き込むショウ。

 彼は片手を離し、慎重に窓を覗き込みながらそれを開けだした。

「手、手は」

「ワイヤーが付いてるだろ。大丈夫だって」

「あなた、死にたいの」

 低い声を出して、それでも窓枠に手を掛けて中へと転がり込むサトミ。

 死にたいって、一緒にいるから自分も死ぬじゃない。

 とにかくサトミ達は、無事に上の階へ到達出来た。

「俺もだっこ」

 ふざけた事を言うケイを舞地さんが軽くはたき、上から振ってきたワイヤーを彼の首に巻き付ける。

「ば、馬鹿。ふざけてる場合じゃ」

「誰がふざけてるって」

「空気を和ませようとしただけです。でも、本当にこれ大丈夫なのかな」

 不器用に警棒のフォルダーへワイヤーを装着するケイ。

 なんか不安定な気がするし、ここで彼に落ちられても寝覚めが悪い。

「舞地さん、ついて行ってよ。この子だけだと、ちょっと怖い」

「契約金は倍増だ」

「お、おい。何勝手に」

 ワイヤーを外し、改めて自分とケイの腰に装着する舞地さん。

 そして彼を後ろから抱きかかえ、窓から顔を出して引き上げるようショウに手を振った。

「ちょ、ちょっと脇は」

「危ないから、動かない」

「あ、あんた。わざとだろ」

 奇っ怪な笑い声と共に宙吊りになるケイ。

 舞地さんも珍しく笑い気味に、彼を抱きかかえて登っていく。

 私も腰のワイヤーを伸ばし、先端部分を掴んで上に放る。

 それは狙い通り窓の隣へ張り付き、完全に密着した。

 車を引き上げるくらいの強度があるため、私達がぶら下がったくらいでは問題ない。

 頭上でふらふら揺れてるような想定をしているかは知らないが。



 今すぐにでも牙を剥きそうなサトミから離れ、ワイヤーを回収する。

 下の警戒ばかりをしているのか、このフロアは人気がない。

 この静けさが不気味とも言えるが、疑い出せばきりは無い。

「後は下に降りれば良いんでしょ」

「どこまでも落ちればいいのよ」

 小声で文句を言うサトミ。

 ケイはうずくまったままだし、再び休憩か。

「……名雲さん?……いや、上の上。……そう、七尾君達が外に出てからお願い。……はい、よろしく」

 ここから下を覗き込んでも教棟の入り口は見えず、木枯らしに吹かれる木々が並んでいるだけ。

 すでに日は傾き、暗闇が景色を塗りつぶしつつある。

 冬の切ない眺め。

 だが、その感慨にとらわれている余裕はない。

「沙紀達との対立を避けたとしても、元野を助ける時点で生徒会とは対立する。それはどう考えてる」

「遅いか早いかの違いでしょ。私はもう下がらないの」

「下がった事があったのか」

「無いかもね」

 適当に答え、違和感を感じて壁に手を付く。

 目の前が極端に暗くなり、足元がおぼつかない感覚。

 最悪のタイミングだな。

「ユウ」

「大丈夫。少し見えなくなっただけ」

 ポケットから目薬を取り出し、それを差して壁際にしゃがみ込む。

 すぐに良くなる訳ではないが、痛みや不快感は軽減される。

「来た」

 小さいケイの呟き。

 地面からの微かな振動。

 耳に聞こえる幾つもの足音。

 少し追い詰められた気分になってきた。

「俺に任せろ」

 さりげない。

 何よりも頼もしい言葉。

 ぼんやりと見える彼の指先に軽く触れ、その気持ちを受け取る。


 しゃがみ込んでいる私とケイ。

 サトミが警棒を構えて私達を守るという、普段とはかなり違う状況。

 しかしいつまでも彼女に負担を掛ける訳にもいかず、壁伝いに立ち上がってスティックを抜く。

「大丈夫?」

「気持ちだけね。ショウに任せてあるし」 

 自信と誇りを込めてそう答え、おぼろげに見える視界でショウの姿を捉える。

 彼に突進する、完全武装の集団。

 それを一旦下がり、目標をずらす。

 前列の体が若干流れたところで腕を横に振り、大振りのフックを繰り出す。

 真横から拳を受け、重なって壁際まで飛んでいく前列。

 不意に目の前が空いた事で、後列の足並みが乱れる。

 フックの返しで裏拳を放ち、やはり横一列をなぎ倒す。

 床に倒れた集団を乗り越え、肩からのタックル。

 集団の中央が割れ、即座にしゃがみ込んで水面蹴りを放つ。

 足を払われ、彼の周囲に空間が出来る。

 倒れたところに後続が続き、将棋倒しとなって集団としての動きが完全に止まる。

 過去何度も見た圧倒的な強さ。

 古武道宗家という血筋だけではない。

 例えではなく、血を吐くような毎日の努力の成果。

 たゆまない研鑽と、決して妥協しない心。

 彼はまだ高みを目指し、その歩みを止めはしない。

「こんな事をして、もったいない」

 小声で呟く舞地さん。

 彼の実力、能力を惜しんでの言葉。

 ここで戦っても、誰からも評価される訳ではない。

 むしろ学内での立場は悪くなる。

 彼もその事は分かっている。

 分かっていて、ショウはその拳を振るう。

「そういう子なの。反対側は大丈夫?」

「当然来てる」

 素っ気なく告げ、腰の警棒に手を添える舞地さん。

 だが、ここは彼女に甘える場面ではないだろう。

「いいよ。私が」

「私も、一応は先輩だ」

 軽く頬を撫でられる感触。

 小柄な、だけど今の自分には限りなく大きく見える背中。


 私のやっている事は間違っているかも知れない。

 大勢の人に迷惑を掛けているかも知れない。

 それでも分かってくれる人がいる。 

 守ってくれる人がいる。

 今はただ、その思いと共にいられる事に感謝したい。






   







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