30-5
30-5
クリスマスまで日数を残し、どうにか刺繍が完成した。
出来はともかく、完成は完成。
綺麗な紙袋にしまい、クローゼットの奥へしまう。
後は、しまったのを忘れない事だな。
部屋を出て階段を駆け下り、リビングへ飛び込んで一言告げる。
「何か、食べる物ある?」
「パン、あるわよ」
サンドイッチをくわえながらテーブルを指さすお母さん。
時計を確認すると、丁度お昼。
目が覚めた後からずっとやっていたので感覚としては、もうお昼。
とはいえ、これほど有意義な時の過ごし方も無いだろう。
薄切りの食パンにバターとマスタードを薄く塗り、レタスとチーズとサラミを乗せる。
最後にもう一枚パンを重ね、手を合わせて一口食べる。
程良い塩気と、それを和らげるバターの風味。
ホットミルクに口を付け、心の底から満足する。
「クリスマス。少し出かけるからね」
「デート?」
お母さんの指摘に思わずホットミルクをむせ返す。
鼻から出るかと思ったよ。
「そうじゃなくて、ちょっと出かけるだけ」
「普通、そういうのをデートって言わない?」
「買い物だって。大体、誰と出かけるとも言ってないでしょ」
にやにやしながら私を見てくるお母さん。
クリスマスに外出。
友人同士という事も当然ある。
ただ友人はみんな、この家に集まってくる。
それなのに出かける私。
疑って掛かって当然だろう。
「デート、ね。でも、男はみんな狼なのよ」
何を言ってるんだか、それも真顔で。
でも、待てよ。
「お父さんも狼?」
「イメージ的には秋田犬ね」
「犬じゃない。それも、可愛い」
「何事にも例外があるのよ。優だって、小悪魔じゃないでしょ」
また変な例えをしてきたな。
体型的には小さいけれど、悪魔というイメージは無いと思う。
悪戯な子鬼、というイメージは知らないけど。
「優がデートね。あなたがショウ君とデートしたのって、バイクを見に行った時が最初だった?」
「ああ。そんな事もあったかな」
遠い、ずっと遠い過去。
今以上に私が何も知らなくて、また自分の気持ちすら良く分かってなかった頃。
あれから4年以上。
少しは私も自分の気持ちに気付いてきた。
成長もした、のだろうか。
「デートも良いけど、テストの結果は」
「覚えてたの?」
「学校から通知があるのよ。成績が悪い場合は結果も届くらしいけど、それは無いみたいね」
少し安心した顔をするお母さん。
ここは親の心情が前面に現れる。
「テストは、えーと。これか」
「前より良くなってるわね。あなた、学校休んでたのに」
「一皮むけたの」
「甘栗みたいな事言って」
意味が分かんないよ。
休みなので家にこもっていても良いが、外を出歩くのも悪くない。
ただ、私の足が向くのはまずここだ。
「こんにちは」
「雪野さん。今日は何か」
「軽く見学に」
水品さんへ挨拶をして、熱心に練習している練習生の様子を眺める。
中等部の頃は毎日のように通い、中等部に進んでも余裕があればここに来ていた。
今はたまに顔を見せるくらいだが、ここで学んだ事を一生忘れはしない。
「生意気な子とかいません?」
「師範代のお陰で」
「風成さん?」
「ここの師範が私だとしたら、師範代は雪野さんですよ」
ちなみにこの道場はRASのトレーニングセンターで、師範もいないし師範代も存在しない。
指導するのはインストラクターだし、総合格闘技とはいえあくまでもスポーツ。
大体、私が師範代ってなんだ。
「別に誰も脅してませんよ」
「実力による序列です」
「プロ部門の人は?それに、インストラクターは他にもいますよね」
「実戦経験を考えると、こういう判断に落ち着きます」
冗談で言ってるんだろうけど、それはそれでちょっと嬉しい。
私の師は水品さん以外に無く、唯一の弟子という自負もある。
「じゃあ、師範代の仕事は?」
「受付にグローブを忘れてきたので、取ってきてもらえますか」
雑用じゃないのか、それ。
はめて遊ぼうかと思ったが、明らかに大きいので止めた。
水品さんはショウ達に比べれば小柄で、普通の成人男性と大差ない。
それでも大きいというか、いかに自分が小さいかを思い知る。
結局グローブを携えて階段を上がろうとしたら、受付に柄の悪い大男が数名現れた。
「一番強い奴出せよ。この前優勝した奴でもいいぞ」
「看板でも持って帰るか」
受付に響く馬鹿笑い。
場所が場所なので、こういう手合いは後を絶たない。
また先日風成さんがオープントーナメントで優勝したため、当分はその人数が増えるだろう。
「では、こちらにサインを」
事務的に書類とペンを渡す受付の女性。
必然的に彼女もこういう事には慣れていて、この程度で動じる性格でもない。
「対外試合における委任状?なんだ、これ」
「怪我をしても、その責任を我々RASは負わないという事です。何かの保険に入っていれば、保険会社への連絡はこちらで行っても構いませんが」
「書けば良いんだな」
「お願いします」
雑に名前を書いていく男達。
受付の女性はそれを処理済みの箱へ放り込み、カウンターにあった端末を手に取った。
「大丈夫。師範代に任せて」
「は」
呆れ気味に私を見てくる女性。
それに構わずグローブを改めて彼女に預け、軽く足を踏みならす。
ジーンズを履いてきて良かったな。
「ガキに用はない」
「だったら帰れば」
「調子に乗るなよ。殴られたいのか」
すり足で距離を詰めてくる男達。
こちらはすぐに壁を背にして、死角を減らす。
雰囲気からして、打撃系。
とはいえ何系でも問題なく、私は私の動きをするだけだ。
「土下座すれば許してやっても良いぞ」
「そうやって脅せば誰でも言う事聞くと思ってるの?」
「強い奴が偉いんだ。馬鹿が」
早い、ヒット目的のジャブの連打。
男と私の体重差を考えれば、一発当たっただけでも倒れるだろう。
勿論当たればの話で、それを全部受け流して肘を叩く。
徐々にジャブのスピードは落ち、額には汗が浮かび出す。
「せっ」
緩慢に伸びてきた腕を上へ払い、がら空きの脇腹に拳を叩き込む。
カウンター気味の、かつ鍛えようのない部分への打撃。
体が小さいなら小さいなりに、非力なら非力なりに戦う方法はいくらでもある。
男はあっさり床へ倒れ、体を追って呻き出した。
「次は誰」
「この野郎」
「死ね」
二人同時に掛かってくる男達。
こちらはそれより素早く前に出て、床を踏み切り両足を前に出す。
それですねを蹴り付け、床に手を付き横へ飛ぶ。
男達は突っ込んできた勢いのまま前に転がり、壁に激突して動かなくなった。
「話にならないな」
「師範代、どうかしましたか」
ため息混じりに階段を下りてくる水品さん。
別に隠す事ではないので、腕を組んで胸を反らす。
「道場破りを懲らしめました」
「東京本部のインストラクターに似てるんですが、気のせいでしょうか」
「え」
私の焦りをよそに、倒れている男達の顔を眺めていく水品さん。
そして受け付けの女性からさっきの書類を受け取り、名前を確認した。
「これも風成さんが優勝した影響だと思うんですが、名古屋本部への風当たりが強いんですよね」
「道場破りみたいな事言ってましたよ。ねえ」
「そうね、師範代」
鼻で笑う受付の女性。
笑うくらいなら、止めてよね。
「雪野さん。ここはいいので、本家へ行ってきて下さい」
「仕事ですか」
「干し柿を頂いたので、よろしくとお伝え下さい」
これって厄介払いじゃないのか。
いいけどね、私も干し柿食べてるし。
「美味しいですね、これ」
「俺は、あまり好きじゃないけどな」
そう言いつつ手を伸ばす風成さん。
この人達の食べ物に対する思考は意味不明なので、それについては気にしない。
でも干し柿って、こんなに食べて良いのかな。
「RASの道場に、東京本部のインストラクターが来てましたよ。道場破りの振りして、風成さんだって騒いでました」
「それで」
「水品道場の師範代として対処しました」
私の答えに大笑いする風成さん。
そんなに面白い事言ったかな、私。
「東京本部のインストラクターって言えば、他流派の試合も出てる連中だ」
「なんか、普通でしたよ」
「試合とケンカは別物だからな」
嫌な言い方しないでよね。
「優ちゃんは気にしなくて良いよ。それについては、俺と水品さんで処理するから」
「どうも」
「しかし、東京本部のインストラクターにね。また揉めるぞ」
再び大笑いする風成さん。
そこに以前の鬱積した感じはなく、普段の明るい彼そのまま。
気楽で朗らかな、頼れるお兄さんといった。
「一つ聞きたいんですけど、玲阿流で一番偉いのは?」
「親父。爺さんの総帥っていうのは、名誉職だから。一応その下が俺で、後は門下生」
「あれ。瞬さんは?」
「叔父さんは結局破門状態だから、正式には玲阿流の人間じゃない。まあ実際は親父、叔父さん、俺かな。いや、水品さんを含めると俺は4番目か」
アバウトに変わっていく序列。
明確なのは月映さんとお祖父さんの位置で、瞬さんに至ってはそのポジションすら不明である。
「もっと縦社会だと思ったのに」
「うちは適当なんだよ。あるのは、強い奴が一番偉いって事かな」
「じゃあ、もし玲阿家以外の人間が一番強かったら?」
「そいつが師範さ」
あっさり答える風成さん。
とはいえ現状においてその可能性は低く、なによりこの環境で育てば自然と強くなるだろう。
「RASは?」
「あっちはおばさんが代表で流衣が副代表、格闘顧問が叔父さん。基本的にこの3人がトップで、後は各部門の責任者から支部長で序列が固まる」
「RASの方が組織的に確立してるんですね」
「あっちは法人だから。適当で良いと思うんだけどな、俺は」
気楽に言い放つ風成さん。
彼もRASの責任者の一人のはずだが、その自覚は薄いようだ。
「急にどうしたの?」
「組織の事で悩んでまして。私達は、上下関係に緩いなと思って」
「緩くて良いだろ、何か問題か」
「さあ」
少なくとも今は問題ないし、問題になりそうでもない。
ただ、困る場面が出てくる可能性もある。
「今日、四葉は?」
「私は、水品さんの所から来たので」
「そうか。なんかあいつ浮かれてたけど、何か知ってる?」
浮かれてるって、ショウが?
何がないって、あの子が浮かれるって事が無いと思う。
落ち着き払っているとは言わないが、浮ついた部分が殆ど無い子。
想像が出来ないし、なんからしくない。
「どう浮かれてたんですか」
「笑いながら掃除してた」
なんだ、それ。
でも、そういう光景は彼らしい。
掃除をしているという部分も含めて。
「何かあった?」
「いえ。別に。この前、炒飯食べさせたくらいです」
それで浮かれるとは思えないし、浮かれられても困る。
しかし、ちょっと気にしておいた方がよさそうだ。
翌日。
何となくショウを誘い、街に出る。
世間的な感覚からすれば、この方がデートと呼ぶのだと思う。
私達はその辺の感覚に鈍いというか曖昧で、深く気にした事も無かったが。
「ゲームやる?」
「新機種でもあるのか」
「あるんだって、それ」
彼を引き連れ、駅前のゲーセンへ乗り込む。
友人同士にカップル、親子連れ。
楽しそうな彼等を横目に眺めつつ、大音響を背に店の奥へと向かう。
店の手前は大勢で遊べるような、イベント性の強いゲームが中心。
バスケのフリースローであったり、エアホッケーであったり。
奥に進むにつれマニアックな物が増え始め、技術と知識が必要となっていく。
銃を構えて岩場に身を隠している男の子に少し笑いつつ、ガンシューティングの筐体の横を抜けてさらに奥へと進む。
「ロケテスト中か」
小さく呟くショウ。
言ってみれば試作品で、その代わり料金は0。
ここで収集したデータを元に改善をして、改めて市場に送り出される。
「相性審査システムね」
「いいから、そっち」
「おう」
まだ入ったばかりの機種とあって、常連の人達も様子見といった感じ。
その辺を気にせず座るのは私達くらいか。
内容は単純な、横スクロールの格闘ゲーム。
ただし操作系が厄介で、一人が移動でもう一人が打撃と分かれている。
つまりはここが、相性に関わってくる。
「じゃあ、俺が打撃な」
「はいよ」
「よし、スタート」
軽快な音楽と共に歩き出す、兎の着ぐるみを着た女の子。
この部分に関しては、私の好みを優先した。
歩いているのは町中で、柄の悪いキャラが前後から襲ってくる。
それらを的確に殴り倒すショウ。
私はどんどん前へ進み、途中のハンバーガーショップに立ち寄る。
「おい」
「体力回復だって。ほら、出てきた」
「逃げろよ、少しは」
「敵には背を向けないんでしょ」
構わず野犬の群れに突っ込み、片っ端からなぎ倒す。
正確にはショウがね。
「このゲーム、多分ケンカの原因になるな」
「そう?」
「ボタンばっかり押して、ストレスがたまる」
「じゃあ交代しようか」
機能を切り替え、私が打撃を担当する。
その途端、熊の群れが襲ってきた。
町中じゃなかったのか、ここ。
「逃げて、逃げてっ」
「おい」
「わっ、また来たっ」
今度はトラの着ぐるみを着た大男が現れた。
どうやらこれは、他のプレイヤーのキャラでしかも「敵対中」との表示あり。
許せんな、これは。
「前、前」
「熊はどうする」
「飛んで、上。いや、下」
「ボタンも押してくれよ」
控えめに申し出てくるショウ。
そんな事、すっかり忘れてた。
「皮、皮剥いでやる」
「こっちの毛が剥がれてきてるぞ」
「逃げて、逃げてっ」
何というのか、すごい疲れた。
自分が操作出来ない分力が余計に入り、つい声が出る。
ゲームとしては普通だが、システムとしては面白い。
「よう。楽しそうだな」
お腹を抱えて現れる塩田さん。
その隣には、優雅に微笑む副会長も。
もしかして、さっきの虎はこの二人か。
「私は止めようって言ったんですけどね」
「後輩への愛情さ。なあ」
そうですね、と答える程人間は出来ていない。
塩田さんへの感情は先輩を越えた部分もあるが、それとこれと話が別だ。
「で、おまえらの相性は」
「相性?ああ、どうかな」
「プリントアウトしてみますか」
勝手に操作してプリントアウトする副会長。
それを受け取り、ショウと一緒に読んでみる。
「猪突猛進気味で、それをフォローする組み合わせ。それでも噛み合ってるので、万事オッケー」
良いらしい。
ショウはなんか、げんなりした顔だが。
「塩田さん達は?」
「倦怠期のカップルだ」
なんか怖い事を言ってきた。
しかしこの二人は小等部からの知り合いだし、そういう事もあるのだろう。
「塩田さんは、屋神さんの言う事ならなんでも聞きますか?」
タコスのチェーン店に入り、トルティーヤに具を乗せる。
この作る作業が、また楽しい。
「聞きませんよ。一時期は、親の敵みたいに思ってましたし。まあ、それも愛情の裏返しなんですが」
「うるさいな」
一吠えして、青唐辛子の先端をかじる塩田さん。
私はそういう真似をせず、丁寧にトルティーヤを巻いていく。
「副会長は?」
「私も先輩達に絶対服従という考え方はしないですね。尊敬はしてますが、だからと言って無条件に従う訳ではありませんから」
「他の人もですか?天満さんとか」
「ああ。あの人は、新妻さんの言う事なら何でも聞きますよ。ただ、新妻さんが天満さんに理不尽な命令をする事はないですね」
ちょっと思っていたのとは違う話。
学校と全面的に戦っていた人達なのでもっと結束力が高いというか、絶対的な関係があると思ってた。
「意外と適当なんですね」
「悪かったな」
「それがああいう結果。退学と転校という事になってしまった訳でもありますが」
「だったら、組織を確立した方が良いんですか」
ポテトをくわえたまま固まる塩田さん。
副会長はダイエットソーダのストローから、口を離そうとしない。
「私は、真面目な話をしたら駄目なんですか」
「そういう訳じゃないが。がちがちの組織って事は、つまり学校のやる事と同じなんだぞ。第一お前、無理だろ」
「無理って、上下関係を保つのが?」
「俺の教育が悪かったってのもあるが、性格的にさ。例えばあのクラブハウスの占拠を止めろって言ったら、それに従うか?」
聞くも聞かないも、あそこを利用するって決めたのは私の意志。
私達の総意だ。
誰がなんと言おうと、あそこから出ていく気はない。
「聞かないだろ」
「ええ、まあ」
「組織っていうのは、上の言う事は絶対。それに従わない奴は排除されるし、そこにはいられない。その命令が正しい正しくないに関係なく」
真剣な表情で語る塩田さん。
それに何となく不満な顔をすると、すぐに鼻で笑われた。
「そういう顔もするなって事だ」
「だって」
「つまり、お前達に組織とか上下関係ってのは無理なんだよ」
改めて否定される考え。
しかしそれ程悲観した話ではない。
強固な組織の方が対学校という意味では効果的でも、私達らしくない存在になってしまいそうだったので。
「玲阿君は別ですけどね。軍隊は、上官の命令には絶対ですから」
「はあ」
「こいつは大丈夫だ。素直だから」
なんだ、それ。
私は素直じゃないって言うのか。
「だから、睨むな」
「済みませんね。でも沙紀ちゃん達は、組織化されてますよ」
「丹下か。あいつらは、生徒会ガーディアンズで、しかも北地区だろ」
「そんなに違います?」
「校風というか、ただあれがいわゆる普通の高校生だと思うんだが」
ちょっと怖い話をしてきたな。
そうすると、私達が普通じゃないって話になってくるじゃない。
「先輩の言う事は聞くし、学校の指示にも従う。規則は守るし、それを乱しはしない」
「私だって別に」
「なんだ」
「守らない時もあるけど、それはその」
ほらみろという顔の塩田さん。
ただ言わせてもらうなら、それは私だけが悪い訳じゃない。
やむを得ない事情、というのが世の中にはあるんだって。
「私達も、北地区に通ってたり生徒会ガーディアンズに入ってたら違ってたんですか」
「どうでしょうね」
婉曲に否定する副会長。
なんだかな。
「でも、別に悪くはないんですよね」
「いいか悪いかは俺にも分からん。ただ、お前に組織の歯車として動くのは無理って事だけだ」
「そうですか?」
「出来ると思うのなら、一度生徒会ガーディアンズで仕事を手伝ってみろ」
それについては、以前多少だが経験がある。
沙紀ちゃんの所で事務仕事を手伝い、少しは評価もされた。
ただあれはお客様扱いの部分もあったからな。
「出来たらどうします?」
「どうもしないだろ、別に。出来て当たり前。それが普通なんだから」
「普通って、誰が決めたんです」
「もういい。お前はまず、座禅を組め」
週明け。
という訳で、生徒会ガーディアンズG棟A-1ブロックへやってくる。
G棟を統括するガーディアンのオフィスであり、いわば中枢。
大勢の人が忙しそうに立ち振る舞い、また来客者も後を絶たない。
「えーと。私は何すればいいの」
「立場上は新人と同じだから、彼女についてね」
オフィスの奥を指さす沙紀ちゃん。
オフィス内の間取りは、手前が受け付けのカウンターとロビー。
その奥に事務方のガーディアンが仕事をする机が幾つか並び、その先に幾つかのドアがある。
役職が上になれば奥へ行く機会が増え、逆に末端ならそういう必要は無い。
彼女の手招きでやってきたのは、制服を着た長髪の女の子。
生真面目そうで、いかにも固いタイプ。
「彼女は自警局からの出向組。悪いけど、この子の面倒をお願い。2年生で、最近ガーディアンになったばかりなの」
沙紀ちゃんが頼んでいるのは、私にでなく女の子に対して。
つまり、私は完全に新人扱いという訳か。
「後3人来るから、その子達も一緒にね」
「分かりました」
「じゃあ、また後で」
くすくす笑いながら去っていく沙紀ちゃん。
私がここに来た理由は始めに告げたが、余程それがおかしかったらしい。
もしくは、これからの展開を期待してといった所か。
「装備は」
「これがある」
背中のスティックを見せた途端、女の子の表情が曇った。
スティックに対しての不満だけでなく、どうやら私の態度が良くないらしい。
「これがあります」
「支給された物を使って下さい」
「サイズがちょっと」
「慣れて下さい」
強引に突きつけられる警棒とフォルダー。
仕方なくそれを腰に装着し、スティックは受付の知り合いに預ける。
その子も相当笑いを堪えていて、しかし私が誰かは語らない。
「規則は少しずつ覚えてもらうとして、今日は丹下隊長から指示があったようにパトロールに同行してもらいます。危険な場面に遭遇する時もあるので、気を付けて」
「そうなったら、どうするんですか」
「危ないので、見学していて下さい」
それは助かった。
などとは言わず、素直に頷いて警棒に手を掛ける。
中等部の頃よりはましだが、邪魔というか足に引っかかる。
「お待たせしました」
現れるや、丁寧に頭を下げるサトミ。
余計な事は言わないし、言葉遣いも丁寧。
この辺は本当に如才ないな。
「よろしくお願いします」
やはり一礼するショウ。
この子の場合は生真面目の固まりなので、特に問題はない。
最後の一人はどうかなと。
「お願いします」
静かに呟き、そのまま押し黙るケイ。
機嫌が悪い訳ではなく、未だに体調が優れないらしい。
「揃ったようなので、パトロールへ向かいます。今彼女には説明しましたが、トラブルに遭遇しても前に出ないように。あくまでも見学していて下さい」
綺麗に隊列を組んで歩いていくガーディアン達。
全員1年生で、どうやら私達の事を知らない様子。
周囲へ目を配り、多少緊張している様子はあるが練度は決して低くない。
ただ水品さんではないが、実戦はまた違う。
ガーディアンのIDやこの人数が作用してか、トラブルに遭遇する事は今のところ無し。
私達は普段4人でパトロールしていたので、むしろこちらが威圧しているような気にもなってくるが。
受け持ちのフロアの境界に辿り着き、そこでオフィスへと引き返す。
もう少し荒れているかと思ったが、拍子抜けという気がしないでもない。
「……はい。……ええ、今A-4との境界付近です。……はい、すぐに向かいます」
端末で会話を交わす女の子。
おそらく付近のブロックでトラブルがあり、その応援を要請されたのだろう。
「A-4でトラブルが発生しています。管轄外ですがこのまま向かいます」
廊下を埋め尽くす野次馬。
怒号と叫び声。
過去何度となく目にした光景。
咄嗟に背中へ手を伸ばし、何もないのにすぐ気付く。
何より、ここを突破する権限がない。
ガーディアン本体は野次馬の排除に取りかかっていて、こっちはその後ろに付いていけばいいだけではあるが。
「お手並み拝見だな」
私達だけに聞こえるくらいの声でささやくケイ。
つまり、この件に関わる気はないという意味か。
「大丈夫?」
「仮にもガーディアンなんだし、対処出来ない方が問題よ」
ケイ同様、あくまでも静観の構えを崩さないサトミ。
私はどうもじれったいというか、気ばかりが急く。
自分達なら、もう野次馬は突破しているはず。
しかしガーディアン達は、まだ野次馬の排除をしている途中。
丁寧なのは良いが、今は一刻を争う時だと思う。
「ユウ」
「分かってる。何もしない」
サトミにそう答え、胸元にあったサングラスを目に掛ける。
確かに、この程度で苛ついていても仕方ないか。
待つ事しばし。
ようやく野次馬が左右に割れ、トラブルの中心へと辿り着く。
理由は一目瞭然。
いや。正確な理由は分からない。
ただそこにいるのは、柄の悪そうな集団二組。
後はこの連中を解散させればすぐに終わる。
「全員のIDを確認して」
ガーディアンにそう告げる女の子。
規則というか、身元の確認は確かに必要であり手順の一つである。
ただ全員確認する場面ではないし、今は省略しても問題はない。
「解散させて終わりじゃないの」
「この連中が規則を犯してるのなら、拘束する必要もある。正式には」
「ふーん。そういえば、前に小谷君がそんな事言ってたね」
「この方法は、別に間違ってはない。言ってみれば、俺達がアバウト過ぎる」
意外にも、彼女の方法を否定しないケイ。
ただし肯定している訳ではなく、冷笑気味の表情でもある。
「それで?」
「組織は規則を遵守し、そこからは逸脱しない」
「それが正しいって事?」
「組織としては」
どうも核心に触れないというか、曖昧に逃げるな。
全員のIDを確認し、話を聞いて簡単な調書を取る。
昔読んだマニュアルに、こんな事が書いてあったとは思う。
ケイの言う通り、確かに間違ってはいないだろう。
膨大な時間と相当の人手があれば、やる価値があるかも知れない。
どちらにしろ、私には悠長すぎて疲れてくる。
「悪くはないけど、面倒だね」
「でも、これが規則よ」
「そうだけどさ」
欠伸をして、壁にもたれてサングラスの位置を直す。
これを見ていると、今までの自分達が以下にルーズでアバウトかを実感する。
ただ、決してそれが悪いとも思わない。
4人だけでトラブルに対応するのなら、必然的にそれ相応の方法をとるしかない。
好んで規則を逸脱する気は無いが、状況によっては規則にこだわるつもりはない。
ガーディアン達は首謀者らしい男を数名拘束し、オフィスに向かって歩き出した。
「大体は、こういった流れです。お分かり頂けましたか」
「はあ。なんとなく」
曖昧に頷き、サングラスを胸元へ戻す。
すると彼女は怪訝そうに、私の顔を覗き込んできた。
「目が悪いんですか」
「多少。明るい光が少し疲れるくらいです」
「それでガーディアンをやれるんですか」
詰問ではなく、単純な疑問だと思う。
またそれは、彼女ならずとも抱く疑問か。
「特に問題はありません。目以外は普通なので」
「そう。あまり無理しないで下さいね」
私の肩に軽く触れてガーディアンの後を追う女の子。
ちょっと気持ちが和む瞬間。
例えではなく、人との触れ合いの中で生まれる空気。
組織という枠ではないはずの。
オフィスへと戻り、尋問にも立ち会う。
内容は良くある、目が合った合わないという下らない話。
拘束するまでもなく、あの場で解散させて終わりのケース。
ただそれは私の判断であり、厳密に規則へ照らせばこういう処置が正しいのだろう。
マジックミラー越しに尋問を眺め、規則とはなんて事を考えてしまう。
「時間の無駄って顔ね」
「違う?」
「私は嫌いじゃないわよ、こういうのも。理由を明らかにして、原因を追及するのは」
笑い気味に告げるサトミ。
ただそれはトラブルに対する対処ではなく、統計学や犯罪心理学への関心である。
トラブル自体への考え方は、私とどれ程も大差ない。
「結局解放するみたいね」
「だから、時間の無駄じゃない」
「大きなトラブルにはつながらなかったでしょ」
「まあ、ね」
その部分は私も納得出来る。
力に力で対抗する無意味さは理解しているし、それが悪循環を生むのも分かる。
ただ必要悪の部分があるのは、過去幾度となく経験している。
「……緊急事態発生。A-1オフィスに武装集団が襲撃予定。全ガーディアンは、直ちに迎撃態勢に入れ」
突然のアナウンス。
一斉に浮き足立つガーディアン達。
私も警棒に手を添え、不審者がいないか周辺を見渡す。
「繰り返す、緊急事態発生。全ガーディアンは、直ちに迎撃態勢に入れ。伝達は以上」
鼻で笑うケイとサトミ。
私も警棒から手を離し、集中を解く。
その理由は最後の一言。
「伝達は以上」との台詞。
変哲のない内容だが、いわゆる符丁の一つ。
表現は多々あり、ここはわざわざ終わった事を伝える必要のない場面。
つまり幹部のみが分かる、抜き打ち訓練との合図。
「一応警戒はするか」
「え、どうして」
「抜き打ち訓練に合わせて襲ってくる場合もある。分かってる連中は手を抜くし、行動するのは多分1年が中心。俺が傭兵なら、間違いなくここに被せてくる」
「なるほどね」
今の話を聞いていた受付の子に手を振り、スティックを受け取る。
警棒は外し、代わりに背中のアタッチメントにそれを装着。
サングラスをして、改めて集中力を高める。
「丹下ちゃんに連絡。訓練を装った襲撃計画の可能性もあり」
「了解」
すぐに連絡を取ってくれる受付の子。
いわば組織の盲点を突いた攻撃といった所か。
しかし待ち構えていれば、逆に組織の強い面が出る訳でもある。
「私達はどうする?」
「さっきの子に付いてた方が良いわね。生真面目な分、危なそうだから」
誰かに指示を受けたらしく、彼女達は階段の前で固まっていた。
すでにこのフロアに侵入してるならともかく、下から来るのならこの階段を使う可能性がある。
もしくは、上から来るのなら。
「固いね、どうにも」
「仕方ないだろ」
皮のグローブをはめ、軽く肩を回すショウ。
ここに来て自分達の立場がと言っている場合ではない。
勿論彼女の顔を立てては上げたいが、それは事と次第による。
自分の肩に手を触れ、緊張気味の彼女の顔を見つめる。
「だ、大丈夫ですから」
緊張気味の口調。
青白い顔。
それでも気丈に振る舞う彼女。
組織である以上、この場の責任者は彼女でありそれは揺るがない。
彼女を制止して指揮を執ったり、自分が前に出る事は許されない。
正論と現実。
私が取るべき行動は本当に正しいのか。
少し、気持ちが揺らぐ。
どれだけ待ったのか。
それとも、大して待っていないのか。
階段の下から、激しい足音が聞こえてきた。
訓練にしては激しすぎる、おそらくは武装していると思われる音。
いや。雰囲気か。
何か言おうとするのを堪え、彼女が指示を出すのを待つ。
「全員、攻撃に備えて下さい」
警棒を抜き腰を落とすガーディアン達。
人数は20名以上。
しかも完全武装で、練度も高い。
経験不足は否めないが、余程の事がない限り後れをは取らないだろう。
「盾は」
小声で呟くショウ。
彼が見ているのは、階段の下。
登ってくる武装集団の装備。
「銃持ってるぞ。弾くだけならプロテクターだけで十分だけど、精神的に違う」
「なるほどね。……盾欲しいんですけど」
「盾?」
少なくともこれで注意は喚起出来たし、後は銃を見てそれを使えば良いだけ。
ただ私には重すぎるので、ショウに渡してその後ろに隠れる。
「でも、ガーディアンを襲って何か得する?」
壁にもたれてだるそうにしていたケイは、私の視線を受けてヘルメットを気にしながら近付いてきた。
「この学校を支配したい人間にとって目障りなのがガーディアン。人数が多くて装備も充実してて、練度も高い。襲撃したくらいでは無くならないけど、体面を潰す事は出来る」
「本当に?」
「そう思ってるからやるんだろ。邪魔だな、これ」
彼がヘルメットを取ろうとした瞬間、乾いた音がしてその手が弾かれた。
理由はすぐに判明し、床には小さなゴム弾が転がっている。
「何で俺を狙う」
「丁度手を挙げたから、指揮を執ってると思われたんじゃないの。ほら、しゃがんで」
「やっぱり銃の配備は再検討させたいな」
大して怒りもせず、盾を持っているショウの後ろにしゃがむケイ。
その前には隊列を組んでいるガーディアン達がいて、私達が襲われる可能性は少ない。
ガーディアンへの直接的な攻撃。
加えて銃という要素がどう作用するかが問題ではあるにしろ。
ただ下から登ってくる以上、地形の利もこちら側にある。
オフィスへの襲撃という性格から、ここだけ守ればいい訳でもないが。
しかし、今は現実に直面する方が優先される。
激しく銃が乱射され、壁と言わず盾と言わずゴム弾が叩き付けられる。
私達は後ろにいるので直接には当たらないし、プロテクターを着込んでいるため当たっても軽い衝撃がある程度。
それでも最前列にいる人達は、決して楽しい状態ではないだろう。
「前進」
意外にも先頭に立って指示を出している女の子。
彼女は指揮官であり、かつ正確にはガーディアンではない。
だけど彼女はその場所にいる。
「きゃっ」
小さな叫び声と雰囲気の乱れ。
女の子の声が止まり、隊列が乱れ出す。
階段を下りていたガーディアン達が後退を始め、少しずつ廊下へと戻ってくる。
そのガーディアンの間を縫って運ばれてくる女の子。
プロテクターとヘルメットを装備しているため、大きな怪我にはつながらないはず。
ただその顔は真っ青で、指示どころか言葉を発する事すら難しそうだ。
仲間の女の子達に介抱される彼女。
その間にもガーディアンは後退し、武装集団は階段を上りきる。
「どうするの」
「私達は見学。丹下ちゃんが指示を出せば行動してもいいわよ」
「出して無いじゃない」
「だったら見学」
同じ言葉を繰り返すサトミ。
ケイに至ってはすでにオフィスの前まで逃げている。
「これで良いの?」
「リーダーが倒れたのなら、序列に従って次の人間が指揮を執れば良いだけ。その辺りを明確にしなかった彼女の失敗ね」
「失敗?でも」
「言いたい事は分かるわ。でも失敗よ」
繰り返される言葉。
後退するガーディアン。
女の子は肩を担がれ、引きずられるように運ばれていく。
私達は後退するガーディアンの先頭に立って逃げる位置。
普段なら考えられない、想像もしない行為。
「前に出ちゃ駄目なの?」
「指示が無い限りは駄目。少なくとも今日は」
「でも」
「それにそこまで緊急性もないわよ、今は。オフィス内に侵入される様子はないし、多分応援が来て駆逐するはず」
冷静さを崩さないサトミ。
私はそこまでは割り切れず、女の子の側に寄り添いその肩に手を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「え、あ?」
鈍い反応。
怪我よりもショックの影響が大きそうで、立ち直るかどうかは分からない。
自分の経験上、それがどれだけ大変かも理解している。
女の子はさらに後退し、すれ違うようにして別のガーディアンが現れる。
先頭にいるのは七尾君と阿川君。
後方には山下さんの姿も見える。
「交代だ。1年は全員下がれ」
冷徹に指示を出す七尾君。
一様に俯き、それに従うガーディアン達。
彼は私の物言いたげな視線を受け、フェイスカバー越しに少しだけ表情を緩めた。
「俺も一応は、こういう立場だからね」
「あの女の子はどうなるの」
「ガーディアンじゃないから、ここで失神しても大して問題はない。自警局に戻って、デスクワークが本業なんだし」
「でもさっきは」
そこで言葉を切り、首を振ってスティックを抜く。
今言い争う事ではないし、ここまで来れば私も見学とは言ってられない。
武装集団はオフィスの前。
つまり、私の目の前まで来ているんだから。
「サトミ」
「七尾君、丹下ちゃんの指示は?」
「雪野さん達にも協力してもらえって。反対側の通路は全部制圧済みで、玄関と屋上も確保してある。後は、ここだけ」
「経験を積めば大丈夫」
物静かに語り、ガーディアンに前進するよう促す阿川君。
さっきの女の子のように緊張したり、声を震わせる事もない。
その態度は自然とガーディアンにも浸透し、全体の落ち着きを保つようになる。
「階段から上がってくるB-2のガーディアンと連携。挟撃する」
インカムで指示を出す阿川君。
ガーディアン達は整然と前進を続け、それだけで武装集団は押され気味となる。
「5秒待つ。武装解除してこちらの指示に従え。抵抗する場合は、当方も全力で対処する」
事務的な。だからこその威圧感。
数人が銃を床に置き、残りも武器を捨てていく。
ガーディアンは即座に前進して彼等を拘束し、阿川君達の指示を待たずオフィスへと連行した。
「組織について、少しは分かったかな」
フェイスカバーを上げ、静かに尋ねてくる阿川君。
私は首を振り、そのまま床へしゃがみ込んだ。
何もしていないし、何もされていない。
ただ疲労だけが溜まり、気持ちが続かなくなっただけだ。
「それと、これは訓練だから」
「そうですか」
今となってはどうでも良く、何かを答える気にもなれない。
また阿川君も、それを求めてはないだろう。
「ユウ」
「大丈夫」
ショウの手を借りて立ち上がり、ヘルメットを外してため息を付く。
おそらくはこれも教育の一環。
いつか来る本番に備えての、まさに訓練。
だけどあの子にとっては、そんな言葉は意味をなさない。
組織内での評価も悪くなるだろう。
人間としては、少し生真面目だけど優しくて良い子なのに。
この訓練がもたらした物は、彼女の敗北感と私の憂鬱さだけだ。