エピソード(外伝) 29-4 ~丹下さん視点~
心揺れて 4
今日も病院を訪れるが、二人きりになる事は殆ど無い。
良く顔を合わせるのは柳君。
次いで、生徒会の1年生達。
「はは、注射」
なんとも楽しそうに笑う優ちゃん。
勿論彼女がされている訳ではなく、袖をまくって仏頂面をしている浦田への言葉。
「もっと太い注射無いんですか」
「中身を入れ換えるだけだから、そういう事も出来ますよ」
軽く応じる看護婦さん。
こういったやり取りが出来るのは、優ちゃんの人柄による部分が大きいだろう。
「では、お大事に」
「ありがとうございました」
最後は丁寧に頭を下げる優ちゃん。
でもってすぐに浦田を振り返り、肘の部分のガーゼを指差す。
「痛い?」
「気持ち良くは無い」
「今度は、空気を入れてもらったら」
「良いかもな、それも」
ひどい会話を交わす二人。
とはいえ彼らは十分に楽しそうで、部屋の中もいつもより明るい感じすらしてくる。
「おい」
「なんだ」
「お前、何してるんだ」
浦田が声を掛けたのは、部屋の隅にいた玲阿君に対して。
彼は手付かずとなっていた、学校からのお見舞いの果物を食べていた。
それ自体は問題ないが、かご山盛りになっていた果物が半分くらいなくなっている。
「早く食べないと傷むだろ」
「もう知らん。まんじゅうあるから、それも食え」
「そっちは、デザートに」
何だ、それ。
果物はデザートと呼ばないのか。
片付いて助かるが、どうも何かが違う気もする。
「楽しそうね」
落ち着いた口調で話しかけてくる遠野ちゃん。
浦田はへらへら笑い、お腹を押さえて彼女を見上げた。
「やっぱり、あの時刺せば良かったな」
「いいのよ、今からやっても」
背筋が寒くなりそうな、威圧感のある微笑み。
普通の人なら即座に逃げ出すか、気が遠くなりそうなほどの。
しかし浦田は相変わらずお腹を押さえ、へらへらと笑い続けている。
「丹下ちゃんも大変ね」
「え、何が」
「色々と」
なんともおかしそうに、いつもの彼女とは思えないくらい子供っぽい笑顔を浮かべてきた。
そんなに楽しい事はやってないつもりだし、むしろ不満の方が多いと思う。
「はは、ケーキがある。食べて良い?」
「死ぬまで食べてろよ」
浦田に何かを投げつけ、紙箱の中からレアチーズケーキを取り出す優ちゃん。
すると眉間の辺りに皺が寄り、ケーキの匂いを確かめ始めた。
「ユウ、どうかした」
「美味しいけど、少し味にムラがある。舌触りも違う」
「普通に美味しいじゃない」
「あくまでも、少しね。間違いなく手作りだな」
紙箱の品質証明を確認しだす優ちゃん。
こういう時のために洋菓子屋さんの箱で持ってきているため、私の手作りだと気付かれる事は無い。
玲阿君は、何も言わず食べてるし。
「美味しいわよ。ねえ」
念を押す遠野ちゃん。
優ちゃんにでもなく。
私にでもなく。
浦田に対して。
「俺に言われてもね」
「あなたへのお見舞いの品でしょ」
「どうなんだろう。マフィアからのお礼じゃないの」
「壊滅してるわよ」
鼻先で笑う遠野ちゃん。
その話は私も聞いたが、仮にもマフィアや暴力団がそう簡単に消えてなくなるものだろうか。
「ねえ、ショウ」
「綺麗さっぱり無くなった」
紙箱の中を覗き込んでいる玲阿君。
何がなくなったかは、ちょっと聞かない方が良さそうだ。
病院の外に出て、冷たい風に吹かれる。
別に嫌な事があった訳でもないが、ああいう喧噪の中にいると静けさを求めたくなる。
東へと登っていく急な坂。
正面の大通りには飲食店などがならんでいるものの、一歩奥へ入れば閑静な住宅街。
車の流れも、坂の下まで。
今はただ、冷たい風が吹くだけだ。
不意にその静寂が破られ、サイレンと共に救急車が緊急外来の玄関へ走ってくる。
私がこうして気楽にしている間にも、誰かが怪我をして病に苦しんでいる。
とはいえ私が医者になっても、全ての人間を救える訳でもない。
こういう発想自体、後ろ向きすぎるのだけど。
お母さんに手を引かれて歩いてくる、幼い女の子。
彼女達も、ゆっくりと緊急の外来へと歩いていく。
一見すればどこも悪くなさそうだが、内面までは分からない。
病気にしても、心の中にしても。
冷えてきたので病院へと戻る。
夜の外来が始まるのはまだ先で、普段は大勢の人で賑わう受付は閑散としている。
誰もいない受付で、ソファーに座り一息付く。
急ぎの用事も、何かを求められてもいない。
誰かが呼びに来る訳でも、またそれを待ってもいない。
ただソファーに座り、人気のない受付で佇んでいる。
とはいえそれは、今に始まった事でもない。
昔。
例えば中等部に入った頃は、何も求められはしなかったし何もしようとしなかった。
先輩達の後ろに付き従い、言われるままに動いていただけで。
あのバスケの試合の後から、少しは前向きになりはしたけれど。
本質的には、何も変わってはいない。
家に戻り、自室にこもる。
人を避けたい心境というか、何もしたくない気分。
無為に時を過ごしていると分かっていながら。
ただベッドの上に寝転んでいる。
感情の起伏が激しくなっていると思いつつ、だけどこの状況から脱却出来ない自分。
病院へ行くのも、少し疲れた。
何かを考えるのも、何もかも。
翌日。
高校へ登校し、オフィスで溜まっている仕事を片付ける。
やる気もなく、何のためにやっているかも分からない。
しかし逃げ出す度胸もない。
生真面目なのか、根性がないのか。
こういう部分も、昔から変わってないんだろう。
「元気ないわね」
私の頭を撫でてくる石井さん。
その隣では、風間さんが鼻で笑っている。
今日は生徒会ガーディアンズの、隊長会議。
教棟の隊長と、それに並ぶ関係者の。
真理依さんと映未さんの姿もあり、さすがに真面目な顔をしている。
「議題は何?」
「ドラッグ関連の事だと聞いてます。不審者の身体検査と、パトロールの強化ですね」
こうして、事前に下調べもしている自分。
何も分からないとか知らないという状態で、この場に望めない。
「新妻さん。始まるわよ」
隣で寝ている、綺麗な女性の肩を揺する。
彼女は欠伸混じりに顔を上げ、口を押さえながら資料に目を通した。
「こんなの、通達だけでいいのに」
「お前、姉貴とは全然違うな」
「私はでがらしですので」
さらっと受け流す新妻さん。
風間さんはいつもより優しい顔で笑い、石井さんと視線を交わした。
確かに彼女のお姉さんは落ち着いていて大人で、激情を秘めていた人だった。
とはいえここにいる新妻さんも十分に有能であり、リーダーシップの意味においてはお姉さんよりも上だと思っている。
「では、始めます」
開始を告げる矢田自警局局長。
今日の議題を淡々と告げ、書類に書かれている内容を読み上げていく。
ここまでは新妻さんの言う通りで、眠くなるのも当然か。
というか、寝ないで欲しい。
「発言をよろしいですか」
手を上げる、一人の自警局幹部。
確か浦田と仲の悪い、中等部の頃彼をスパイに仕立て上げた人物。
男は局長の許可を得るまもなく、席を立つと全員を見渡しながら話し始めた。
「今回こうしてドラッグの事が議題に上がっているのは、言うまでもなくただ一人の人間によるものです。学校は停学処分としていますが、果たしてそれが妥当なのでしょうか」
顔を見合わせる何人かの自警局員達。
すでに決定済みの話であり、彼に非があるにしろ学校にとってはむしろメリットの方が多い。
ドラッグは一掃され、それを扱っていた生徒や傭兵も退学や転校をした。
やり方は多少強引でも、学校の処分からでその罪は相殺されると大抵の人は判断している。
「仮にも自らドラッグを使用した人間をのさばらせておいて良いのか。これでは、他の生徒に示しが付きません。またこれだけ学内の混乱を招き、対外的にも醜聞を引き起こした人物です。生徒会としては、より厳しい処分を要求しても当然だと思います」
「同感です」
「その通り」
あちこちから上がる同意の声。
傭兵はこの場に殆どいない。
つまり、元々彼に恨みを抱いている生徒会関係者。
おそらくは、以前彼が退学にした生徒の知り合いか。
「という意見が出ていますが」
判断を示さず、意見だけを求める局長。
曖昧な態度とはいえ、生き残るためには賢いやり方である。
「学校の処分が出ている以上、それで問題は無いと思いますが」
どこからか上がる声。
見慣れた顔。
病院へ良く見舞いに来ていた1年生の一人。
「所属と名前は」
「そんな事が関係ありますか」
「序列という言葉を知ってるのか」
人を見下した、あまりにも馬鹿馬鹿しい発言。
空気が一気に白けるが、男と一部の人間は至って真剣だ。
つまり彼らは挑発している訳はなく、本気でこういう思考をしている。
「自警課所属です」
「役職は」
「ありませんが」
「話にならないな」
ため息、失笑、嘲笑。
これが生徒会の本質であるとするなら、私が中等部の頃から努力してきた事はなんだったのだろう。
少しでも生徒のために役立つ組織にしようと思っていたのに。
依然としてこういう人間が幅を利かせ、今もまた組織を自分達の都合の良いように利用している。
エリート意識を持つのも当然の立場とはいえ、だからといって人を見下していい理由にはならない。
何より人として、見過ごす訳には行かない。
「J棟隊長、丹下沙紀です。私の序列でも、発言権は無いのでしょうか」
一斉に集まる視線。
私と浦田の関係を知っているものも多く、露骨に指をさしてささやく者もいる。
それがどうしたという話で、今は個人的な感情で動く場面でない事くらい私にも分かっている。
「何だ」
とりあえず発言は認める男。
1年生の女の子に軽く手を振り、座るよう合図する。
先鞭をつけた、あなたの頑張りに感謝する。
「彼の学内及び学外での行動は、警察や学校も把握していたとの情報もあります。つまり彼の行動を黙認していながら、停学という処分にまで及んでいる。それだけでも、十分すぎると思いますが」
「ドラッグの使用について、今は話をしてるんだ。学校の規則ではなく、法律を犯してるんだぞ」
「逮捕はされていませんし、起訴もされていません。ドラッグの使用に関しても、緊急避難としての行動だったとコメントが警察から出ています」
「だから、ドラッグをやっても許されるのか。一つを見過ごせば、次は何を許すんだ。人を殺しても緊急避難で逃れるのか」
半ば言いがかりに近い言葉。
ただ、私の発言がいまいち弱いのも分かってはいる。
彼がドラッグを使用したのは紛れも無い事実で、売買をしていたとの証拠もある。
黙認はされていても、罪には問われなくても。
彼の行動を認めない人間もいるだろう。
「では、彼の行動が一切無駄だったと?誰のおかげで学内からドラッグが一掃されたと思ってるんですか」
「生徒会の努力だろう」
「本気で言ってます?」
思わず笑いそうになったが、男の顔は至って真剣である。
汚い事は他人任せ、手柄は全部自分にか。
浦田とはまるで逆だな。
「では、採決でも取ろうか」
「何のために。そんな規則は無いですが」
「学校へ報告するための、一つの目安としてだ。生徒の総意を伝えても問題は無いだろう」
「取ってどうする気」
静かに声を上げる新妻さん。
男は彼女を睨み、再び「所属は」と言い出した。
「J棟隊長新妻。名前も覚えられない無能な訳?それとも大物を気取りたいの?」
「なんだと」
「言った通りの意味よ。大体生徒の総意ってここにいるのは、ガーディアンと自警局の人間だけでしょ。総意どころか、相当偏った構成じゃない」
矢継ぎ早に責め立てる新妻さん。
男は顔を赤くして怒りはするが、まともな反論も出来ない。
「いいわよ、採決をしたいならしても。ただし記名投票。結果は全生徒に公表。理由についても併記する事」
「な、なに」
「私達に、生徒を裁く権利があるとでも思ってる訳?もしそうだと言うのなら、この程度の責任は取るべきでしょ。その覚悟もないなら、あれこれ言わない事ね。じゃあ、採決に入りましょうか」
手を叩く新妻さん。
一斉に俯く男と、その周辺。
しかし彼女は構わず、席を立って机を大きく叩いた。
「では、始めます。浦田珪君の退学について賛成の方は挙手を願います。5秒後に票読みを開始します。……挙手0。では、反対の方は挙手を願います」
あちこちから挙げられる手。
1年生達。
風間さん達。
真理依さん達。
勿論私も手を挙げる。
「過半数には満たないですが、相対的には反対票が優勢。この事は、学校に報告して下さい。局長、よろしいですね」
不意に話を局長へ向ける新妻さん。
それまで黙っていた彼は静かに頷き、了承したとの意志を示した。
最近は影が薄く、また何かと批判されがちな彼。
今もなにかをした訳ではなく、ただ状況の推移を見守っていただけ。
自分は傷付かない位置に立ち、保身に勤めている。
つまり彼は、事態がどうなろうとその立場を守り続ける。
卑怯だと非難されるような行動ではあるが、賢い生き方でもある。
退学になっては、どれ程崇高な目的を抱いていようと何もならないのだから。
まとめもないまま会議は終わり、幹部達は逃げるように会議室から出て行く。
私の言いたい事は新妻さんがより簡潔に、より分かりやすく言ってくれたので不満はない。
若干の、拍子抜けの気分はともかく。
「笑ったぞ」
「たまには、こういうのも良いかと思いまして」
風間さんに対して事も無げに答え、私に笑いかけてくる新妻さん。
軽く彼女の肩に触れ、その思いやりに感謝する。
「私は転入組だから、そろそろ名を売らないと」
「何のために?」
「姉さんほどじゃないけど、私は私なりにこの学校への思い入れもある。多少うるさい奴だ、くらいに思われてると何かと便利なのよ」
浦田が言っていたような事を説明する新妻さん。
ただしそれは、生徒会の一部を敵へ回すのと引き替えで得られる。
そこまで自分を犠牲にしてまで、私達は何をすればいいのか。
管理案の導入阻止は、そこまで犠牲を強いる物なのか。
「あなたは、多分こういうの似合わないわよ」
「え」
書類をまとめながら、くすくす笑う新妻さん。
彼女は上目遣いで私の顔を覗き込み、そっと私の頬へ触れた。
「あなたはまっすぐ生きるのが向いてると思う」
「まっすぐって、それは」
「私はどちらかというとひねくれてるから。丹下さんみたいな生き方も憧れるけど、ちょっと無理ね」
そう言い残し、会議室を出て行く新妻さん。
彼女に触れられた頬へ手を添え、今の言葉の意味を考える。
人から憧れを抱かれる程の存在では無いなと思いながら。
「あいつの言う通りだ」
「真理依さん」
「攻めに強いタイプと、守りに強いタイプがいる。沙紀は、どちらかと言えば後者だから」
「そうですか?それって、ただ殻に閉じこもってやり過ごすって事?」
「それも含めて。闇雲に前へ出ればいい訳じゃない。雪野が、その典型だ」
鼻で笑う真理依さん。
彼女にしては珍しく、おかしそうに表情を緩めながら。
「雪ちゃんは雪ちゃんで頑張ってるのよ、多分」
うしゃうしゃ笑う映未さん。
笑い事だろうか、それは。
「第一、沙紀があそこで噛みついたら下らない噂が広まるだけだ」
「浦田とのって事ですか?そんなの、別に」
「それは、私が許さない」
意味が分からなくなってきた。
「柳君達は」
「病院にいるわよ。大丈夫だとは思うけど、おかしな連中が来た時のために」
「え」
「別に沙紀ちゃんを邪魔してる訳じゃなくてね」
くすくす笑う映未さん。
完全に勘違い。思い違いをしていたようだ。
勿論柳君は浦田と一緒にいたいという気持ちがあるにしろ、その目的は護衛。
ただ遊びに来ていたのではない。
それを私ときたら。
「大体、何持ってきてるのよ」
「別に何も。事前に配布された書類だけです」
「それ、レシピじゃないの」
「まさか」
笑い飛ばそうとして、思わず笑顔が凍りつく。
資料も持ってきてはいる。
だがその下には、映未さんの言う通りレシピのコピーが隠れていた。
今まで病院へ持っていた料理のレシピが。
「いや。これは、その」
「相当重症ね。気付いてなかった?」
「全く」
自分でも驚いたとしか言いようが無く、今はただ恥ずかしいだけ。
新妻さんがフォローしてくれたのは、これを見たからかも知れない。
大切な会議にこんな物を持ってくる人間は、あまり信用が出来ないから。
ため息を付き、近くの椅子にしゃがみこむ。
最近はしょっちゅうだが、今回も強烈な自己嫌悪に陥った。
「完全な人間なんていないんだから。誰にだって、波はあるわよ」
「そうですけどね」
「真理衣も何か言ったら」
「ケーキより、水菓子がいい」
そういう事なのか。
でも、水菓子は今まで作ってなかったな。
「大丈夫か、お前ら」
苦笑する風間さん。
本人が言うのもなんだけど、大丈夫ではないだろう。
私も、真理衣さんも。
「俺個人としては、ああいう奴は退学にしたいけどな。トラブルの要因というか、何をするか分からんから」
「悪い事はしませんよ」
「あいつの価値観が俺達と一緒なら問題ないが。理由さえあれば、教棟を爆破しても平気ってタイプだろ」
「平気かどうかは」
多分、平気だろう。
自分が信じれば。
正しいと思えば、周囲の意見や評価は関係無く行動する。
それが彼の良さであり、また風間さんの言う悪い部分でもある。
「傭兵としてはどうなの、ああいうタイプは」
笑い気味に尋ねる石井さん。
私のレシピを読んでいる真理衣さんに代わり、映未さんが話し始める。
「特殊だけど、いるにはいるわよ。大切なのは経過じゃなくて、結果だから。馬鹿でも卑劣でも、結果を起こした人が偉いのよ。逆に賢くても善人でも、結果を残さないのは最悪」
「嫌な稼業ね」
「だから私は足を洗ったの。大体、傭兵ってなによ。兵隊じゃない」
「私に言わないで」
楽しそうに盛り上がる二人。
私を優しく見守ってくれる人達。
自分には大した力も無いけれど、こうして支えてくれる人がいる。
ずっと前から。
そして今も。
その気持ちに応えられるだけの存在に、私はいつかなれるのだろうか。
結局は、やはり病院へと来てしまう自分。
ドアをノックし、慎重に病室へと入る。
珍しく今日は彼一人。
水ようかんを冷蔵庫に入れ、今日の出来事を簡単に話す。
「退学ね。俺は困らないけど、しないに越した事は無いか」
「新妻さんが、かばってくれた」
「あの、いつも寝てる人?何のために」
「さあ」
ここは曖昧にごまかし、ベッドサイドに腰を下ろす。
ちょっと近いかとも思うが、二人きりだし良いだろう。
「退院は、まだ?」
「怪我は治ってるけど、ドラッグの治療プログラムがある程度進むまでは無理だと思う」
「手を出したいって思わないの?」
やや踏み込んだ。
また、聞かなければならない質問。
浦田はお腹を軽くさすり、俯き加減に陰惨な笑みを浮かべた。
「薬で全部ブロックされたから、ドラッグに関しては何の効果も無かったんだよ。あれをもう一度味わうなら、死んだ方がましって所かな」
「そう、良かった」
「良くはない」
むっとする浦田。
やや失言かとも思うが、そのくらいの方がこちらとしては安心出来る。
「あれなら、指でも詰めた方が余程ましじゃないのか」
「そんな事、保安部の彼、前島君が言ってたわよ。腕を落とした方がましって」
「経験者かな、あれも」
すっと鋭くなる表情。
私もそれに何か言おうとしたところで、ドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
転がるようにしてと入ってくる、制服姿のふっくらした男の子。
彼は前へ転がるのではないかと思うくらい深く一礼し、人の良さそうな赤ら顔を浦田へと向けた。
「こんにちは。大石進と申します」
飲みかけていたお茶をむせ返す浦田。
私も思わず、ベッドに飛び上がって正座する。
「ご丁寧にどうも。今日は、何か」
若干うわずり気味の声。
私は全身を硬くして、事の成り行きをただ見守る。
「今回の出来事に関して、幾つかお伝えしたい事がありまして」
「はあ」
「治療費は、全額保険で補えます。また申請して下されば、食事やタクシー代の補助も出ると思いますので」
「それはどうも」
ただ頭を下げるだけで、余計な事は言おうとしない。
また大石君も、書類を事務的に読み上げるだけ。
ただ、この構図はちょっと汗が吹き出てくる。
「定期テストは出来る限り受けて頂きますが、場所はここでも構いません。また採点については、平均点を下回らないよう考慮すると学校から通達を受け取っています」
「数学も?」
「ええ。全教科です」
「それはどうも」
一気に深くなる微笑み。
まさかとは思うが、お腹を切ったのもこのためではないだろうな。
「何かご要望がありましたら、生徒会と学校に伝えておきますが」
「全然、何も。どうも、ご苦労様でした」
「いえ。お大事に」
丁寧に頭を下げ、書類を私に差し出す大石君。
何となくそれを受け取り、こちらからも頭を下げる。
「お久し振りです」
「あ、ええ。お久し振りです」
彼との面識は殆ど無く、中等部の頃一度会った後は挨拶をする程度。
何より気まずくて、話すのも気恥ずかしいくらいだ。
「足は、大丈夫ですか」
「え、ええ。全然、何も。全く」
「そうですか。良かったですね」
人の良い、知的な笑み。
何か裏を読まれてるような気もするが、あまり深く考えないでおこう。
「では、僕はこれで。お大事になさって下さい」
「どうも、ありがとうございました」
静かな病室内。
会話は何もなく、話す事もない。
いや。話したら、何がどうなるか分からない。
「よ、ようかん食べる?」
話の切り出しとしてはどうかとも思うが、このままでは間が持たない。
浦田は微かに頷き、だるそうにベッドへ転がった。
「まあまあかな」
冷蔵庫からタッパを取り出し、果物ナイフで切り取っていく。
すぐに作った割には形になっていて、手作りっぽい味も出ている。
「どうぞ」
小皿に水ようかんを乗せ、小さなフォークを添える。
起きあがった浦田は一口でそれを頬張り、温かいお茶で流し込んだ。
「どう?」
「美味しいよ」
思わず飲んでいたお茶をむせ返し、浦田に背中をさすられる。
相当に不意を突かれてしまった。
「な、何?」
「そんな変な事言ったか、俺」
くすくすと笑う浦田。
言ってはいないと思うが、彼が言う事ではない気がする。
「お、お茶」
ペットボトルを受け取り、半分くらいを一気に飲み干す。
冗談抜きで、死ぬかと思った。
「あー」
「何だ、それは」
「え、何が」
「もういい」
呆れられた。
深呼吸して気持ちを落ち着かせ、自分でも水ようかんを一口頬張る。
程良い甘さと適度な歯応え。
「美味しい」
「それは結構」
鼻で笑い、お茶を飲む浦田。
私もお茶を飲み、どうにか平静を取り戻す。
「これ、美味しい?」
「言っただろ、そうやって」
「ふーん」
「今までのも美味しかったけどさ」
もう一度お茶を吹きそうになり、かろうじてそれを堪える。
また汗が吹き出てきた。
「今までって、今までの料理の事?」
「ああ」
苦笑気味に頷く浦田。
いつもここには大勢の人が来て。
二人きりになるなんて事は無くて。
持ってきた料理も殆ど彼には食べてもらえなかった。
せいぜい一口や二口。
それについて、何も聞いた事はない。
いや。私が何も聞かなかっただけか。
「良かった」
明るく笑い、軽く彼の肩に触れる。
ぶっきらぼうで無愛想で、取っつきが悪くて。
それでも今は、こうして思いを伝えてくれる。
私の料理が美味しかったと。
素っ気なく、何の飾り気もなく。
ただ、その思いを伝えてくれた。
「もっと食べる?」
「甘いから、いらない」
「い、今美味しいって言ったじゃない」
「一口食べればもういい」
果物ナイフってどこだったかな。
それとも、この点滴を。
「もう一口もらおうかな」
何やら感じ取ったのか、小皿を差し出してくる浦田。
そこへよ水うかんを一切れ乗せ、残りは全部自分で食べる。
「食べ過ぎじゃないのか。太るぞ」
「だ、誰が」
間違いなく、タッパごと水ようかんを掻き込んでる自分だろう。
どうも最近食べ過ぎるきらいがある。
大丈夫だとは思うが、前にみたいに太るんだろうか。
「体重計ってある?」
「良いだろ、体重なんて」
「女には譲れない事があるのよ」
「意味が分からん」
彼に案内され、ナースステーション前の検査コーナーへとやってくる。
身長、体重、体脂肪。
血圧や心電図を簡単に計測する装置もある。
ここは入院患者よりも、見舞客の退屈しのぎ用だろう。
「見ないで」
「見られると減るんじゃないの」
「あなたの寿命が減るわよ」
勢いよく腕を振って彼を遠ざけ、体重計に乗る。
電流が良く流れる部分。
つまり体の重さだけを検出するため、服を着ていても正確な体重が計測される。
「嘘」
「何が」
「おかしいな、これ」
ジャケットを脱ぎ、改めて数値を確認。
少しも変化無し。
「脱いでも意味ないだろ」
「服、服が重いんだって」
「処置無しだな。いっそ、素っ裸になれよ」
それで減るなら、今すぐにでも全部脱ぎ捨てたい気分。
靴も脱いで、靴下も脱ぐ。
当然数値に変化は殆どない。
「減るよりいいだろ。俺は確実に減ってるし」
「食べて寝てるだけなのに?」
「病院は怖いね」
そういえば、私も入院していた時は体重が減っていた。
食事が制限されるのと、筋肉が落ちるのもあるんだと思う。
では、今の私に増えているのはなんだろうか。
「どうしよう」
「太って、何か困る?」
「前も話したけど、中等部の一時期は結構太ってたの。あまり良い記憶がないのよ、その頃に関しては」
「そんな事言ったら、さっきの大石君はどうするんだ」
あまり品の良くない笑い方。
確かに彼は丸い体型で、中等部から変わってないと思う。
本人は、それを気にしていない様子。
正直私なら耐えきれないが。
「顔、顔はどう?」
「綺麗だよ、とか言えばいいの?」
へらへらと笑う浦田。
その顔を真正面から睨み付け、拳を固く握りしめる。
どうも、私の真剣さが分かっていないようだ。
「気にしすぎだと思うんだけどな」
「これは他人の評価じゃないの。主観の問題なのよ」
「そうですか。さてと」
ポケットからチョコを取り出し、かじり出す浦田。
さっき、甘い物は食べないって言ってなかったか。
強烈にストレスがたまり、胃が痛くなりそうになってくる。
「怒るのは良くないよ」
絶対わざとだな。
深呼吸して気持ちを落ち着け、改めて体重計に乗る。
減るどころか、増えてないか。
「乗ってないでしょうね」
「乗っかってるのは脂肪だろ」
「死にたいの」
「脂肪と死亡?うまいね、どうにも」
げらげらと笑う浦田。
笑い事では無いし、笑えないようにしてやりたい。
「俺も乗ろうかな」
よろよろと体重計に近付き、壁を伝いながら上に乗る。
極端に減っている訳では無いと思うが、身長に対する平均体重は割り込んでいる。
「だるい」
そう言って体重計にしゃがみ込む浦田。
顔は少し青く、それきり何も言わなくなった。
「大丈夫?」
軽く振られる手。
ゆっくりとだが立ち上がり、ため息を付いてお腹を押さえた。
「ほら」
手を伸ばし、彼の腕をそっと取る。
彼も私に身を委ね、一歩ずつ歩き出した。
「病室へ戻る?」
「ああ」
一応看護婦さんを呼び、特に問題ないとの診断を受ける。
患者に接する機会は医者より彼女達の方が圧倒的に多く、この病院ではある程度の医療行為を代行もしている。
昔の看護婦と言えば医者に従属している存在だったらしいが、今は対等の立場と言ってもいいだろう。
「抜糸出来そうですね」
お腹の傷を確認して、小さく頷く看護婦さん。
そして院内用の端末で、連絡を取り始めた。
やってきたのは平田先生。
彼もお腹の傷を確かめて、何故か私を振り返った。
「やるか」
「何を?」
「糸を抜くんだ、これで」
先生が渡して来たのは、先の丸まった小さいハサミ。
これなら他の部分を傷つけずに、糸だけを切り取る事が出来る。
「子供でも出来る。早くやれ」
「は、はい」
ようやく治り始めた、赤い傷口。
出血はもう無く、傷の部分全体が大きく盛り上がっている。
「ど、どうやって」
「糸を切って抜く。一応、手袋はした方がいいか」
言われるまま薄いゴム手袋をはめ、糸を指先で持ち上げる。
それにより周囲の皮膚も引き上げられ、彼の顔が少し歪む。
だが、それに気に取られる訳には行かない。
私のなすべき事は、この糸を切り抜いていく事。
彼の苦しみは受け取るが、それに溺れはしない。
「出来た」
ようやく一本の糸を抜き、額の汗を拭う。
ただ糸を切り抜いただけだが、中距離走をしたような疲労感。
注射をした時とはまた違う感覚。
「どんどん抜け」
「あ、はい」
切っては抜いて、切っては抜いての繰り返し。
やがて全部の糸が抜け、傷口だけがそこに残る。
「後は消毒して終わりだ」
「は、はい」
消毒薬を塗り付け、大きめのガーゼを貼って全てを終える。
床にしゃがみ込んでしまいたいくらいの疲労感。
ただ糸を抜いただけなのに。
「医者に向いてないとか思ってるのか」
「あ、いえ」
「人の体に傷を付けたりするんだ。医者になっても、その気持ちを忘れるな」
そう言ってくれる先生。
私は頷く事しか出来ず、病室を出て行く彼をただ黙って見送った。
ベッドサイドに座り、じっと床を見つめる。
手は震え、呼吸の荒さは収まらない。
医者としてとても向いているとは思えず、今の自分すらコントロール出来ない。
もう、何もかもに自信が無くなった。
無くなりはしたが、出来るという事も分かった。
自信なんて、元々何もない。
初めから何かが出来る訳もない。
手は震えたまま。
呼吸の荒さも。
昔と変わらない自分。
進歩をしていないのかも知れない。
成長していないのかもしれない。
それでも私は、そんな自分を受け入れている。
自分らしさだと思っている。
「大丈夫?」
努めて明るい声を出し、そう尋ねる。
浦田は鼻で笑い、ベッドに倒れた。
自分はどうなんだと言いたげに。
私もベッドに倒れ、目を閉じる。
疲れたし、少し休みたい。
構わず体の力を抜き、手足を伸ばす。
すぐに訪れる眠気。
薄れていく意識。
誰かが何か言っているが、良く分からない。
重いとか、太ったという言葉も聞こえるような気もする。
どうしてなのかは、また明日考えよう。
了
エピソード29 あとがき
という訳で、浦田&丹下編でした。
今回も入院した話でしたが、怪我の程度が軽いため内容も軽め。
何にしろ、楽しそうで結構です。
ちなみに作中に登場する、禿げた医師。
「真野」先生は、ERのロマノがモデル。
実際あんな感じの嫌み氏で、ただ抜群に腕が立つ外科医。
難聴を煩っている部下の子供に向かって手話で
「親父の面倒を見ろよ」
と、部下には気付かれないように伝える面もあるナイスガイ。
ERの作中では雑に死んでいってしまいましたが、味のあるキャラでした。
という話ではなく。
作中にもあるように、ケイは意外に大勢の人から信頼。もしくは頼りにされています。
都合良く利用されている、とも言えますが。
頼めば大抵の事はしてくれますし、仕事は確実。
本人は認めてませんが、多分人望はある方なんでしょう。
丹下さんは、まあ彼女も女の子という事で。
特に体重の話は絶対にタブー。
本人も述べているように彼女が変わったきかっけでもありますが、触れられたくないトラウマでもあるので。
木村君の話などから実際はそれ程太っていなかったという説あるにしろ、本人にとっては自分の認識が全て。
これについては、中等部編にて。
で、中等部編っていつ終わるんですか……。
なんだかんだといって仲の良い二人。
本編ではユウがメインなのでそれ程登場はしませんが、外伝ではまた登場するかと。
よろしければ、そちらもご期待下さい。




