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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第29話
318/596

エピソード(外伝) 29-2   ~丹下さん視点~






     心揺れて   2




「ドラッグ?持ってたって事?」

「いえ。使用したと聞いてます」

 真剣な顔で告げる神代さん。

 ガーディアンの終業時刻少し前。

 卓上端末で、浦田の名前で検索をする。

 かなり上位のパスが必要な所で、一件検索された。

 ドラッグの使用について、本人からの申告。

 医療部で検査後、警察に出頭したとある。

「逮捕された訳じゃないのね」

「情報局からは、特にそういった話は来ていません」

 ミイラ取りがミイラになったのか。

 一瞬背筋が寒くなり、思わず口元を手で覆う。

 ただ、自己申告。

 つまり、隠そうと思えば隠す事が出来た状況。

 彼には彼なりの意図があった。

 そう思いたい、都合の良い解釈を頼りたくなる。

「警察には連絡取れるか、一度情報局に問い合わせて」

「はい」

 端末で通話を始める神代さん。

 その間に、改めて彼が警察へ引き渡されるまでの経緯を確かめる。

 疑おうと思えば疑えるし、違うととも思えてくる。

「釈放されたらしいです」

「え、もう?」

「嫌疑不十分とか。非合法ではない、疑似ドラッグが微量に検出されただけだと」

 ただ、検出されたのは間違いない。

 つまり、彼が使ったのは確定したと見るべきか。

 でも、何のために出頭したんだろう。

「あの人、ドラッグを使うタイプかな」

「え」

「いや。誰でも使えるし、使えば習慣になるのは分かるけど。理由が無いですよね」

 小首を傾げる神代さん。

 今はその言葉にすがりたい気分で、つい彼女に詰め寄ってしまいそうになる。

「大抵不満があるとか、スリルを求めるとか。友達がやってるとか。そういう理由ですよね、手を出すのって」

「まあね」

「あの人って、そういう事に無縁じゃないですか」 

 あまり褒めてるとは言えない内容。

 だが、言ってる事はもっともだ。

「ただ、理由は誰にも分からないって言いますしね」

「そうなの?」

「って、ティーンエイジ向けの雑誌に書いてました」

 苦笑気味にネタをばらす神代さん。

 しかしこれも彼女の言う通り、理由はこの際どうでもいい。

 要は、本人が手を出したか出していないかが一番大切になってくる。

「で、浦田先輩はどうなるんです?」

「慣例だと、停学。逮捕されてないから、退学にはならないと思う」

「そう、ですか」

 やや安心したという顔。

 私もため息を付き、背もたれに大きくもたれる。

「引き留めて悪かったわね。私も、もう帰るわ」

「お疲れ様でした」

「ええ、お疲れ様」




 警察署へ行こうかとも思ったが、それは彼の意に反すると思い取り止めた。

 会いに行ったのは、早朝。

 男子寮の外で、彼と待ち合わせる。

「おはよう」

「ああ」

 いつものように眠そうな顔ではなく、あまり感情も感じられない。

 昨日の今日なので、当然と言えば当然だが。

「結局、どうなの」 

 質問は色々迷ったが、ストレートに聞く事にした。

 取り繕っても仕方なく、今はただ真実を知りたいだけだから。

「多分、聞いてる通り。ドラッグが、体内から検出された」

「でも」

「俺と一緒にいると、仲間と思われる」

 詰め寄ろうとした私から遠ざかる浦田。

 思わず怒鳴りつけそうになって、拳を握りしめかろうじて堪える。

 そんな事を意味はないし、何のためかも分からない。

「学校は、来てもいいの?」

「停学処分はまだ降りてない」

 その言葉に、最悪の事態は免れた事を理解する。

 とはいえ停学なのは決定済みらしく、またこの手の話はすぐに噂となって広がっていく。

 お互い口を閉ざし、視線を伏せる。

 朝日は私達に日差しを投げかけてくるが、それは頼りなくあまりにも儚い。



 会話にならず、すぐに彼と別れてそのまま学校へと向かう。

 オフィスで卓上端末を確認すると、浦田の事に関する情報が少しだが入っていた。

 情報局からの、噂話を中心とした情報。

 学校からの処分内容。

 医療部からは、検出されたドラッグのデータ。

 こうなると否定のしようがなく、現状を受け入れるしかない。

「いいかしら」

 艶やかな黒髪。

 切れ長の綺麗な瞳と、絶妙のカーブを描く細い顎。

 同性の自分から見ても見とれてしまうような端整な顔立ち。

 遠野ちゃんは無断で執務室に入った事を謝り、卓上端末を指さした。

「ああ、どうぞ」

 端末を彼女の方へ動かし、自分は背もたれに身を任せる。

 昨日はあまり寝られず、今も眠さはあるけど気持ちの高ぶりの方がそれを上回る。

「浦田の事、知ってたの?」

「寮で噂話を聞いて。いまいち弱いわね」

 この件に関して、慌てたり動揺している素振りはない。

 それは彼に対する信頼なのか、思い入れからなのか。

「ん、どうかした?」

 小首を傾げる遠野ちゃん。

 このままずっと見入ってしまいそうになり、軽く首を振って意識を戻す。

「いや。困ったなと思って」

「そうね。ドラッグの使用はまずいわね」

 いまいち深刻さのない口調。

 それでも視線は、卓上端末の画面から離れない。

「遠野ちゃんは、浦田を信頼してる?」

「この件では信頼出来ないわね。ジャンキーだから」

 辛辣にそう言い放ち、卓上端末の画面を消す。

 すでに内容は記憶し終え、後は頭の中でまとめていくだけのようだ。

「どうして、とか。何故、とか思わない?」

「思うけど、それを言い出すときりがないわよ。私達とは、価値観も行動基準も違うから」

「みんなそれを言うけど、そんなに違う?」

「勿論一人一人違うんだけど、その揺れ幅が大きいのよね」

 彼への確かな理解。

 私には見えない、私には気付かない何かが彼女には見えているのだろうか。

「後、この件には関わらない方が良いわよ。多分、ケイからも聞いてるだろうけど」

「そう、ね」

 若干の反発を覚えつつそう答え、ため息を付く。

 遠野ちゃんは困ったように微笑み、デスクにそっと指を添えた。

「私はケイを友達としては信頼してるわよ。あくまでも、友達として」

「ええ」

「なんていうのかな。ちょっと違うのよね。例えば恋愛対象として見るのなら、まだショウの方だから」

 笑いながらの告白。

 それに耳を傾けつつ、背もたれへさらに身を預ける。

「そう?」

「前も言ったと思うけど、似て過ぎるのよね。私とあの子は」

「考え方が?」

「ええ」


 二人の共通点。

 他人のバックアップ。

 頭脳労働担当。

 他人からの信頼。

 自己完結型。

 確かに、共通点は多い。

 また、心理戦を得意とするという部分も。

 お互いがお互いを理解し合える関係。

 それが逆に、相手の事を分かりすぎると言う事か。




 授業に出るため、遠野ちゃんはすぐに帰っていった。 

 朝なのでトラブルの報告は何もなく、昨日残した仕事を処理するのが主。

 延々と続く単調な仕事。

 さっきまでは無かった眠気が一気に襲ってくる。

 寝ている場合ではないという状況が、余計に眠気を誘ってしまう。

「少し寝たらどうですか」

 どこからか聞こえる声。

 それに手を振り、ペンを握り直す。

 すでに文字は読み取れず、意識もとぎれとぎれ。  

 正直、こうして座っているのも辛いくらい。

「少し休んだらどうですか」

 朦朧とした意識の中で聞こえる、神代さんか誰かの声。

 それに手を上げて答え、多少ふらつきながら仮眠室へと歩いていく。


 思いに悩まされる事はもう無く、タオルケットに包まった瞬間意識が途切れた。

 何か夢は見たのか、見なかったのか。

 どちらにしろ目が覚めた時には、かなり体が軽くなっていた。

「嘘」

 端末で時間を確認し、思わずそう呟く。

 昼休みはすでに終わり、午後の授業が始まる頃。

 寝たのが多分、1時限目が始まったくらい。

 強烈な自己嫌悪に陥り、タオルケットを畳んで仮眠室を出る。 

 これでは無理にでも起きていた方が、少なくとも精神的には良かったようだ。

 結局は何をしても、心が休まる事は無い。


 そんな事は一度きりで、表面上はいつもと変わらない毎日が続く。

 浦田の停学もようやく終わり、学校へも出てくるようになった。

 情報局のデータベースを見る限り、好ましい情報はあまり無い。

 売買組織に深く関わっているという、信じたくない内容も目立つ。

「重いな、お前」 

 執務用のデスクから顔を上げると、銃を背負った風間さんが立っていた。

 この執務室へ入るのは私の許可がいるが、何人かの人間はフリーパスにしている。

 当然彼も、その一人だ。

「銃、どうしたんです」

「馬鹿が持ってたから、取り上げた」

「そういう報告は、どの教棟でも入ってませんけど」

「おかしいな。報告し忘れたかな」

 間違いなく確信犯か。

 しかし今はそれ以上追及する気も無く、席を立って体をほぐしながら執務室の中を歩いていく。

「何か、御用でも」

「いや、別に。自分の教棟にいると、仕事しろってうるさくてな」

「当たり前です」

「俺は、そういう柄じゃないんだ。誰だよ、F棟隊長に任命した奴は」

 相当贅沢な悩みを漏らす風間さん。

 彼のリーダーシップや指揮能力は誰もが認めているが、それは就任後の事。

 復学したのは今年からで、この学校での実績や知名度は低かったはず。

 そう言われると、やや疑問だな。

「矢田局長ですか?」

「あいつは、別な人間を予定してたらしい。多分、傭兵だと思うが」

「となると、生徒会長」

「なんだろうが。面識はないし、どんな奴かも知らん」

 言葉の割には、何か引っかかるような表情。

 私も生徒会長。

 正確には、前生徒会長については聞いた事がある。

「間さんでしたっけ。元生徒会長にスカウトされて、この学校に来たんですよね」

「らしいな。杉下さんの知り合いだろ。地味で、押しの強い男」

「ええ」

 印象らしい印象の無いようなタイプで、また実際目立つような存在ではなかった。

 しかしあの杉下さんでさえ彼の言う事は比較的良く聞いていたらしく、何より普通の人間に生徒会長は務まらないだろう。

 あの当時の生徒会には、良くも悪くも癖のある人間が多かった訳だし。

「どっちにしろ、そういう訳の分からん人間が大勢入り込んでいるって事だ」

「風間さんも傭兵否定派ですか?」

「いや。よその学校で色んな傭兵にあったけど、大抵は普通の奴だった。この学校にいる生徒の方が、よほどろくでもないぞ」

 かなり真に迫った口調。 

 それが生徒会の特定の人間を指すのは、間違いない。

「で、浦田って奴は」

「え」

「その事で、悩んでるんじゃないのか」

 かなりストレートな質問。

 珍しいなと思いつつ、銃を担いでいる風間さんを見上げる。

「何だよ、違うのか」

「いえ。間違ってはませんけどね」

「お前もストレートな奴だな」

 何を言ってるんだか。

「あいつは、あまり勧められんぞ」

「そうですか?」

「見た目はまあ普通だし、頭も悪く無いらしいけどな」

 一旦間を置く風間さん。

 彼は深くため息を付き、鋭い眼差しで私を見据えた。

「生徒会と対立して、それを何とも思ってない。今回のドラッグの件を除いても、学内に敵も多い」

「浦田が悪い訳では無いですよ。少なくとも、生徒会との対立の件は」

 これは私も関わった事であり、怨みはこちらにも向いている。

 彼自身が主体だったにしろ、私自身責任を逃れるつもりはない。

「お前は、破滅願望でもあるのか」

「風間さんだって、中等部の頃は生徒会と対立してたじゃないですか」

 反発気味にそう答えるが、彼は鼻を鳴らして机を叩いた。

「俺一人じゃないだろ。あの時は」

「だけど」

「ずる賢く立ち回れとは言わんが、退学したくもないだろ」

「信念を曲げろって言うんですか」

 思わず声を荒げ、立ち上がって彼と睨み合う。

 自分の保身も、勿論悪い事ではない。

 だけど、それ以上に大切な事があるはずだ。

「じゃあ聞くが、信念ってなんだ」

「生徒による自治を貫く」

「それは、目標だろ」

 もっともな反論。

 確かに、信念とはなんだろうか。

 自分が何をすべきか、本当に考えた事はあるだろうか。

 あの日。

 足に怪我を負い、全てに絶望したあの時から。

 生まれ変わるきかっけを得たつもりだった。

 変わったつもりだった。

 でも結局は周りに流され、ただ追従していたに過ぎないのだろうか。

「答えは出ないようだな」

「少なくとも、今は」

 それは認めよう。

 信念は無いかも知れない。

 ただ目標を。

 人から与えられたそれを追っているだけかもしれない。

 でも私なりに、この4年間を懸命に生きてきたつもりだ。

 それは決して恥じる事ない生き方だったと誇る事が出来る。

「一つ言っておくぞ。浦田の、今の立場は最悪だ。元々生徒会には敵が多くて、今回のドラッグ騒ぎで決定的になった。学校からも、退学を匂わせる話が出てる」

「それで」

「馬鹿。お前、退学する気か」

「しませんよ」

 力強く答え、彼を見返す。

 信念は無くても、思いを抱く事は出来る。

 私はこの思いを信じる事が出来る。

 私を支えてきた、この4年間の出来事。

 私が生きてきた、この16年間の出来事。

 今も過去も、未来も。

 決して自分を曲げはしない。

「勝手にしろ」

「風間さん」

「それと浦田の事だがな。警察の公安と密会してるらしいぞ」

 小声でそういい残し、執務室を出て行く風間さん。

 閉まっていくドアを見つめながら、彼に心の中で感謝の言葉を告げる。



 熱田署の受付。

 少年課の場所を聞き、制服の警官に多少緊張しながら廊下を歩く。

 悪い事はしていないが、自然と背が丸まり視線を伏せる。

 広い受付と、その前のオープンスペース。

 柄の悪いそうな若者がたむろし、ひげもじゃの男性に説教をされている。

 ちょっと引き返したくなってきた。

「何か」

 制服姿の、凛々しい女性が声を掛けてきた。

 30前くらいの、いかにも仕事が出来るといった雰囲気。

 髪は短めで、鋭い視線が印象的だ。

「あ、えと。ちょっと、知り合いの事で」

「そう。立ち入った内容なら、個室で聞くけど」

「お願いします」


 通されたのは、狭い個室。

 机が一つと、向かいあうように椅子が二つ。

 大きな曇りガラスが、彼女の背中。

 つまり私の正面にある。

 これは間違いなく、尋問室だな。

「他の場所が空いてなかったの。それで、友達が何か悪い事でも?」

「ええ。その、ドラッグを使用して一時拘束されたんです。その後、すぐに釈放はされたんですが」

「ドラッグ。最悪ね」

 吐き捨てるように呟き、卓上端末で検索を始める女性。

 しかし検索件数が多すぎたらしく、すぐに舌を鳴らす。

「名前を聞いていいかしら。その友達の名前を」

「えと。浦田珪です。珪は、玉偏に土二つ」

「いた。……何、これ」

 低い、困惑気味の声。

 彼女の視線は一度私に向けられ、再度端末に落ちる。

「公安って言うんですか。そこに関係してるって聞いたんですけど」

「守秘義務もあるし捜査中の案件だから、何とも言えないわね」

 思ってた通りの答え。

 つまり、公安に関わっている事を裏付ける結果になる。


「あなたの友達は、何がしたい訳」

 逆に聞かれた。

 それは私の質問で、そのためにここへ来たのだが。

「とにかく、この子には関わらない方が身のためよ」

「何故ですか」

「とにかくよ」

 強い、命令にも近い口調。

 単なる守秘義務だけではなく、私の身を案じてのようにも聞こえてくる。

「逮捕されるんですか」

「言えないんだけど。その可能性が絶対無いとは断言出来ない」

「どうして」

「言えないんだって」

 すぐに返って来る答え。

 いや。これは答えとも呼べないか。

「分かりました。どうも、ありがとうございました」

「ごめんなさい、何の役にも立てなくて。それともう一度念を押すけど、関わっちゃ駄目よ」

「どうしても?」

「どうしても」

 改めて諭され、不承不承頷き部屋を出る。

 諌めるような彼女の視線を、強く背中に感じながら。




 警察署を後にして、神宮駅前のロータリーへとやってくる。

 大勢の乗降客や、ショッピングモールへの買い物客。

 何もせず、ただたむろしているだけの若者も目に付く。

 そろそろ北風が冷たい時期で、ここでじっとしているのは辛い季節。 

 しかし彼らは意外と楽しそうに、仲間達と話し込んでいる。

 側を通り掛かった時に聞こえる会話はたわいも無い内容で、誰が可愛いとか誰と誰が付き合ってるとかそんなもの。

 ここでする必要の無い会話。

 ここでなければ、盛り上がらない会話だろうか。

 刹那的で、孤独。

 大勢で集まっていても、心の中はそんな気持ち。

 全員がそうとは言えず、単に今の私の心境だけから来る主観かも知れないが。

 雑踏の中。

 ふと目に留まる、ダッフルコート。

 グレーのどこにでもありそうな、またどこにでもいそうな雰囲気。

 夜なのにサングラスを掛け、キャップを深くかぶっている。

 ファッションのセンスは自由で、そういう子が全くいない訳ではない。

 ただかろうじて見える口元は、なんとなく浦田に似ている気もする。

 思い過ごし。

 思い入れすぎだろうか。

 男性はすぐに雑踏の中へ紛れ、どこにいるのか見えなくなった。

 探すにはあまりにも特徴が無く、追いかける理由も無い。

 理由、か。


「彼女、一人?」

 不意に声を掛けられ、咄嗟に身構える。

 相手は大学生風の男が数人。

 いかにも暇をもてあましているという風情で、ただ悪意があるようには見えない。

 無論それは外見からの判断であり、またナンパに付き合ってる暇も無い。

「今忙しいの」

「また、そんな事言って。ちょっとでいいから、お酒飲まない?勿論、おごるから」

 この時点で、会話を続ける意志を失う。

 ナンパの対象となった事に悪い気はしないが、今の台詞で彼等の目的は大体分かった。

 こういう手合いは関わらないのが一番で、さっさと立ち去った方がいい。

「逃げるなよ」 

 行く手をさえぎる仲間の一人。

 すでに顔は赤く、アルコールか何らかの興奮剤を使用しているのは明らか。

 仲間が止めに入るが、その手を押しのけ私へと詰め寄ってきた。

「舐めた真似してると、痛い目に遭うぞ」

「おい、まずいって」

「ほら、こいつちょっとおかしいからさ。少しだけ付き合って」

 なるほど。

 一人が暴れて、仲間がなだめる。

 これ以上トラブルを大きくしないよう、相手に無理やり同意させて連れて行く手か。

 どちらにしろこれ以上付き合っても意味は無く、視線をさまよわせて警察を探す。

「この野郎。どこ見てるんだ」

 不意に伸びてくる平手打ち。

 スエーでそれを避けるより早く、男の手が叩き落される。

「ぐぁっ」

 絶叫すら出せないといった、詰まり気味の呻き声。

 男は地面へ倒れ、手首を押さえたまま体を丸くした。

「お前、なんだ」

「死にたいのか、この野郎」

 先ほど前の柔和さをかき消し、一転して凄みのある態度を見せる男達。

 そんな彼等に、湯気の立ったコーヒーカップが投げつけられる。

「うわっ」 

 顔を押さえる男達に、次々と加えられる打撃。

 全員が地面へ倒れたところで、ようやく浦田がこちらを見る。

「モテモテだな」

「自分こそ、暴力男じゃない」

「とにかく、ここにいるとこっちがまずい」



 息を切らし、駅前からかなり離れたファミレスへと入る。

 さすがにここまで来れば通報される事もないだろうし、あの男達もそんな余裕は無いはずだ。

「食べにくいな、これ」

 カルボナーラをフォークに巻き付けようとして、その端から落としていく浦田。

 だったらどうして頼むのかと聞きたいが、不器用さと好みはまた別らしい。

「箸を頼んだら?」

「俺に、恥を掻けと」

「意味が分かんない。済みません、この人に箸を」

 通りかかった店員にそう頼み、自分もナポリタンを頬張る。

 私も子供の頃は、フォークへ巻き付ける事が苦手ではあった。

 小学校へ入るより前は。

「この、この」

 箸でもぽろぽろ落とす浦田。

 とうとう犬食いで食べ出した。

「誰だ、スパゲティを発明した奴は」

「何、それ」

「で、ナンパされた気分は」

「最悪よ」

 率直に告げ、テーブルの中央にあった唐揚げへフォークを突き立てる。

「怖いな」

「それより、今何してるの」

「後で話す」 

 またこれか。

 付け合わせのポテトにもフォークを突き立て、一口で頬張る。

「いや、本当。大丈夫だから」

「何が」

「何って、その。色々と」

 唐揚げはもう無く、ポテトも全部食べた。

 ナポリタンはとっくの昔。

「食べます?」

「食べるわよ」

 カルボナーラの皿を奪い取り、犬食いで食べる。

 お腹が空いている訳ではないが、食べない事には気が済まない。

「太らない?」

「あ?」

「いや、なんでもない。……と、時間か」 

 腕時計を確認し、テーブルの上に錠剤を転がす浦田。

 フォークを持つ手が止まり、思わず彼の顔を見つめる。

「警察に行って分かってるだろうけど、多少厄介になってる」

「囮捜査に利用されてるって事?」

「鋭いね、どうにも。警察は、高校生にも容赦ない。まあ、公安を警察と呼ぶのならだけど」

 険しい顔で錠剤に指を触れる浦田。

 彼はそれをつまみ上げ、慎重に口へ運び水で流し込んだ。

 その途端顔色が悪くなり、呼吸が荒くなる。


「ちょっと」

「……すぐ収まる」

 小さく上げられる手。

 拳は白くなる程握りしめられ、唇からは血が滲む。

 それでも彼の言う通り、顔色が少しずつ元に戻り出す。

 ドラッグにしては異常な反応で、むしろ飲む事が苦痛な様子である。

「麻薬成分をブロックする薬だよ」

「そんな都合の良い物なんてあるの?」

「非認可で、保険も下りない。それを自腹で買わされた。公安様々だね」

 吐き捨てるように呟き、グラスの水を一気に飲み干す浦田。

 すると次は、何故そんな薬を飲む必要があるのかという話になる。

「狗だよ、狗。警察の狗」

「なんのために」

「学校にドラッグが広がるのも面白くない。何より警察に恩を売れば、対学校という面で有効になる」

 いかにも彼らしい論理。 

 ただ、一つ出てこない言葉。

 高畑さんの事は、一言も言おうとしない。

「何」

「高畑さんの事はどうなの」

「それは全体の一部にすぎない。ドラッグを売られそうになった子は、他にもいる」

「高畑さんは、一人しかいないでしょ」

 何も答えない浦田。

 また何も言わない以上、彼の真意は分からない。

 彼にとって高畑さんの存在が、どの程度かは私にも分かっていない。

「彼女の事は、気にならないの」

「あの子はあの子で、こういった事を乗り切れるようにならないと」

「そうだけど」

「勿論、乗り切れないのなら助けるけどね」



 さりげない口調。

 表情にも特に変化は無い。

 ただ彼は、そういった事をたやすく口にする人間でもない。

 か弱いタイプに弱いと聞いていたが、どうやら間違いないようだ。

「なんだよ」

「別に」

 高畑さんに嫉妬しても仕方ないし、病弱になっても意味は無い。

 多少、面白くない気持ちがあるのも事実だが。

「とにかく俺はやばいから」

「後を付けないんでしょ」

「分かってればいい。免責特権を与えられはしたけど、口約束でしたって言われる可能性もある」

 それでもこの件から降りる意志は示さない。

 彼の強さ、思いの強さ。

 その気持ちは、誰へ向かっているのか。



 悶々とした気分を抱えたまま、毎日を過ごす。

 ガーディアンとしての仕事、隊長としての職務はこなしている。

 予習復習も欠かさず、オンラインの授業も出来るだけ受講する。

 自分に与えられた事はこなしている。

 逆に言えば、自分から何かしている訳ではない。

 そういう柄ではないと言ってしまえばそこまでだが。

 浦田の嫌疑はより深まり、寮の自室の捜索にまで発展した。

 あくまでも私達個人レベルでの話だが、警察の捜査よりもその方が辛い。

 仲間から信頼されない事の方が。

 彼の行方は知れず、ただ名古屋のどこかに潜伏しているらしい。

 連絡は無く、今の彼の状況を考えればこちらから連絡を取るのもためらわれる。

「機嫌悪そうね」

 一枚の書類を持って現れる遠野ちゃん。

 旧連合の備品の返却証明書で、はっきり言えば今更のもの。

 それでも目を通し、サインを書き込む。

「ケイから連絡は?」

「無いわ」

 若干反発気味に答え、書類を決済済みの箱に放り込む。

 遠野ちゃんは苦笑して、未決済の書類の山を指先で触れた。

「大変ね」

「変わってくれる?」

「私はサポートには向いてるけど、リーダータイプじゃないの」

「そうかしら」

 頭脳明晰で容姿端麗。

 この学校で彼女と並び立つ存在は無く、古い言い方をすればマドンナとでも呼ばれるような存在。

 ただこうして笑っている事もあるが、比較的壁を作るタイプ。

 端的に言えば、取っつきにくい。

 彼女が認めている通り、人を率いていくのは難しいだろう。

「それと」

「浦田には関わらない、でしょ」

「分かってくれればいいわ」

 真剣な顔で頷く遠野ちゃん。

 この態度を見る限り、彼女も浦田の行動をある程度は把握しているようだ。

 彼女の能力、二人の付き合いの長さから言えば当然か。

「今、どこにいるか知ってる?」

「どうして」

「何をしてるか知りたいから」

「私の話、聞いてた?」

 ため息混じりの、やるせない表情。

 聞いてはいたが、分かってはいない。

 信じる信じないは別にして、知る必要はあると思う。

 いや、知りたいと思う欲求か。

「警察無線を聞いてると、今日辺り組織と接触するみたいね。今、ユウ達が探し回ってる」

「そこに来るって事?」

「マフィアもね」

 露骨な嫌悪感のこもった口調。

 それも当然で、人を虐げ貶める事で生きている連中。

 関わらないよう生きていこうとするのが普通で、接触しようとは思わない。

「危険はないの?」

「あるわよ、勿論」

「私達じゃなくて、浦田が」

「それは承知の上だと思うわよ」

 もう一度ため息を付く遠野ちゃん。

 彼女は端末を取り出し、その画面に険しい視線を向けた。

「ここからは、そう遠くはないわね」

「場所も分かるの?」

「色々とね」

 私へと向けられる指先。

 それは胸元から下がり、スカートの先にまで降りていく。

「着替え、ある?」

「ロッカーに何着か」

「私は制服だから、着替えるわ」




 何でもない黒のジャケットと、紺のジーンズ。

 しかし目の前にいるのはファッションモデルか、アイドルか。

 ワゴンセールで買った服とはとても思えない。

 タクシーを降り、周囲を気にしながらコートの襟を立てる。

 熱田神宮の南に位置する、工場や住宅の混在する地域。

 駅前からどれ程も離れていないが、歩いている人も殆どいなく明かりは街灯くらい。

 どこからか聞こえる犬の鳴き声に身をすくめ、腰の警棒に手を伸ばす。

「大丈夫?」

 不安げな遠野ちゃん。

 浦田の身を気遣ってではなく、私の過剰反応が気になったらしい。

「大丈夫。それで、本当に来るの?」

「来ない方が良いんだろうけど。それは結論を先延ばしにするだけだから」

「マフィアとの交渉?浦田が、ドラッグをやってるって可能性?」

「どちらも」 

 冷たい、鋭利な刃にも似た声。

 思わず自分の肩を抱き、寒気を抑える。

「内偵と言えば聞こえは良いけど、向こうに取り込まれるケースも多いのよ」

「ちょっと」

「それはケイも承知してるわ」

「してるからって事でも無いでしょ」

 彼女に文句を言っても仕方なく、また私が言っても仕方ない。

 どうも冷静さを欠いているな。

「……あ」

 咄嗟に抑えられる口元。

 建物の壁に押しつけられる体。

 遠野ちゃんは精悍な顔で私に体を寄せ、顔を近付けてきた。

「来た」

 口元を抑えられながら、建物の間から視線だけを動かす。

 古い工場の前に止まる、何台もの黒塗りの車。

 少し遅れてタクシーが離れた所へ止まり、背を丸めた人影が現れる。

「落ち着いて」 

 前に出かけた私の体を押し戻す遠野ちゃん。

 それに従い、体の力を抜いて壁に背を持たれる。

 どうして、何故。

 疑問だけが沸き上がり、力が入らないのが本当のところ。

 だから気付かなかった。

 すぐ目の前に、浦田がやってきてる事を。

「馬鹿が」



 誰が馬鹿か。

 シャツを血まみれにして、ベッドの上で喘いでる人はどうだろうか。

 高校の医療部。

 そこの廊下をベッドに乗せられ運ばれていく浦田。

 すぐに点滴とモニターが付けられ、電子音が鳴り響く。

「おい、誰だそいつは」

 横柄な、上からの口調。

 綺麗に頭のはげ上がった年配の医師が、険しい顔で浦田を指さしていた。

 看護婦がすぐに、彼の容態と状況を告げる。

 医師はカルテを受け取ると、それを無造作に浦田の胸元へと放り投げた。

「馬鹿者。ジャンキーなんて後回しだ。交通事故の患者を優先しろ」

「しかし、この患者も」

「止血して、その辺に放っておけ。良い薬だ」

 無慈悲な、医者とも思えない言葉。

 それが顔に出たのか、思わず医師と睨み合う。

「彼女か」

「いえ、違いますけど」

「どうだか。とにかくそいつは軽傷で、放っておいても死なん。平田は」

「ここに」

 苦笑気味に現れる浅黒い顔の平田医師。

 彼の態度からして、どうやら上司らしい。

「ポニーテール」

「え、私?」

「他に、誰がいる。医者志望なら、そいつの面倒を見ておけ。モニターを監視して、この数値より下がったら報告しろ。まずいと思ったら、すぐにこれを静脈に打て」

 強引に手渡されるパッケージに包装された注射器。

 二人はすぐに駆け出し、奥にある出術室へと飛び込んでいった。

 残されたのは私達と注射器。

 浅い呼吸を繰り返す浦田。

 病院って、一体なんだろうか。



 何をして良いのか分からず、気付いたら彼の手を握っていた。

 それ以外に出来る事は無く、つながっている手に思いを込める。

「……下がってる」

 ポツリと漏らす優ちゃん。

 彼女の言う通り、少しではあるが血圧が下がりだした。

 すぐに端末を取り出し、院内の回線に接続する。

「済みません、血圧が下がってきてるんですけど」

「血が出てるんだ、当然だろ」

 素っ気無い、人の意見を頭から否定する答え。

 思わずむっとして、端末を強く握り締める。

「痛い」

 何か呟く浦田。

 どうやら、彼の手も握り締めていたようだ。

「下らん事で連絡してくるな。こっちは忙しいんだ」

「でも」

「すぐ平田をよこすから、とりあえずさっきの注射を使え。静脈、青い血管だ」

 それだけ告げて、通話が切れる。

 端末を床へ叩きつけてやろうかと思ったが、かろうじてそれを思いとどまる。

「ちょっと待ってて」

「おい」

「いいから」

 かすれた声を出す浦田を無視し、パッケージから注射を取り出す。

 説明書きを読むと、「一時的に血流を良くする薬」とある。

「静脈って、どれ?」

 かなりもっともな疑問を呈する優ちゃん。

 多分、普段注射をされる血管だと思う。

 多分。

「玲阿君、押さえてて」

「ああ」

 何か嫌そうな顔で浦田を押さえる玲阿君。

 以前は真剣で協力的だったのに、どうも嫌だな。

「それ、本当に大丈夫か」

「大丈夫」

 自信を込めて言い切り、思い切って針を刺す。

 何か嫌な抵抗を感じたが、刺さるには刺さった。

「血圧が安定したわ」

 冷静に指摘する遠野ちゃん。

 やけに余裕があり、かつ少し笑っているようにも見える。

 それに反感を覚えつつ、浦田の手を握り締める。


 少しして、手術着を血に染めた二人が戻ってきた。

 禿げ上がった先生は浦田の手を見て、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「落第だ」

「え」

「医者か、看護婦ならな」

 なんだ、それは。

 何か言ってやろうかと思ったが、二人はすぐに処置を始めて浦田のお腹を消毒し始めた。

 ストレッチャーを看護婦が押し、浦田は手術室へと運ばれていく。

「後はこっちに任せて休んでろ。全身麻酔の必要もない、傷口を縫うだけの簡単な手術だ」

「え、ええ」

「ドラッグの方は専門外だから分からんが、血液検査の結果では完全にブロックされてる。しかしこの薬、誰が処方したんだ」

 小声で呟きつつ、ストレッチャーを押して手術室に向かう先生達。

 その手前で小柄な先生の方が振り返り、鼻を鳴らして浦田の顔を指さした。

「心配するな。悪党はなかなか死なないように出来ている」



 慰めだったのか皮肉だったのか。

 彼の言葉通り手術はすぐに終わり、浦田が手術室から運ばれて来た。

 顔色はかなり良く、ただすぐに彼を警察が取り囲む。

 といっても私服の警官ばかりで、そうと聞かされてなければただの柄の悪い連中としか思えない。

「何だ、貴様らは」

「こういう者です」

 一斉に提示される顔写真付きの警察手帳。

 大人の立ち入りは各門でチェックしているため、彼らが本物であるのは間違いない。

 しかし医者はそれを一瞥し、鼻で笑った。

「見ての通り、手術が終わったばかりだ。話を聞くのは後にしろ」

「しかし」

「ここは病院だ。私の指示に従えないなら、さっさと出て行け」

 先程と変わらない横柄な口調。

 そこにあるのは確かな信念と誇り。 

 自分という存在への強い自信。

「分かりました。では、いつになれば話は聞けますか」

「しばらく麻酔が効いてるから、どっちにしろ話にならん。その雰囲気からして、お前ら公安だろ。こいつの前の病室が空いてるから、そこで待機してろ」



 ロビーのソファーに座り、ペットボトルを両手で包み込む。

 ホットコーヒーの暖かな感覚。

 さっきの浦田の手のように冷え切ってはいない。

「麻酔が切れたから、警察を通したぞ」

 綺麗な手術着に着替えて現れる平田先生。

 さっきの人は、こないらしい。

「真野先生は、もう帰った。あの人は第3日赤の外科部長だからな」

「嘘」

「人間性はともかく、腕は超一流だ」

 声を潜める先生。

 彼の言う通り、変わった人間なのは間違いない。

「あの、一つ聞きたいんですが」

「なんだ」

「さっき私が打った注射は」

 ずっとこの事が不安で、正直胸が詰まるような思いだった。

 あの注射のせいで何かあったら。

 打った箇所が間違えていたら。

 量が多すぎたら、少なすぎたら。

 そんな私の不安をよそに、平田先生は仕方なさそうに笑い出した。

「ただの生理食塩水。インターンの練習道具だ」

「え」

「付き添いの人間を落ち着かせるために使う時もある。注射をされると、結構大人しくなる。それと中が塩水でも、本人は麻酔でもされた気になるらしい」

 私の場合はされた方ではなく、注射をした方。

 効果はあったとも言えるし、無かったとも言える。

「というくらい、医者や看護婦はプレッシャーを感じながら仕事をしてる」

「ああ、そういう意味ですか。医学部に進むって聞いて、私のために」

「それはどうかな」

 なんだ、それは。

 本当にここは正式な許認可を得た病院なのか、一度調べた方が良さそうだ。



 ようやくこみ上げる安堵感。

 体の力が抜け、ソファーに深く腰掛ける。

 まだ何も解決した訳ではないけど、彼の無事は確認出来た。

 無茶をする事も、今日からは必要ないだろう。

 とにかく今は、何も考えたくない。

 全てを忘れ、この安らぎに身を任せたい。






  







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