表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第29話
312/596

29-6






     29-6




 ドラッグの対策本部だか知らないが、あまり役には立ちそうにない。

 人は多いだろうし、装備は言うまでもない。

 力尽くで押さえ込むだけなら十分だとは、私も思う。

 ただドラッグの取引は、秘密裏に行われている。

 またその背後にはマフィアが付いている。

 少しの武器を持った高校生が、そうたやすく対処出来るとは思えない。

 勿論力を示すのは大切で、一定の抑止力にはなる。

 でも、ケイの言葉通り根本的な解決には結びつかないだろう。


 授業には出ず、旧クラブハウスへ入ってお茶を飲む。

 あまり綺麗では無い部屋。

 窓もなく、自然と空気は重くなる。

「ケイ君は」

 顔を上げ辺りを見渡すモトちゃん。

 無言で後ろを付いて来ていて、クラブハウスに入った所までは私も見ている。

 しかし、その後の記憶はない。

 つまり、見てはいない。

「帰ったのかな」 

 あっさり結論づけ、さっき配布された資料を読むモトちゃん。

 私は少し気になり、部屋を出て廊下を走る。


 廊下の日が当たる部分にたむろする、以前からここにいる生徒達。

 彼等を横目で眺めつつ、一人日陰の中を走っていく。

 とはいえこの建物内の位置関係はよく分かっていなく、第一ケイがどこにいるかも分からない。

 闇雲に、ただ焦燥感に突き動かされているだけだ。

 何故焦っているのか、どうして彼を捜すのか。

 それは分からない。

 いや。分からない振りをしているだけか。


不意に空気が変わる。

 正確には周りの景色が一変する。

 廊下の壁に書かれた派手な落書き。

 床に散乱するスナック菓子の秋袋やたばこの吸い殻。

 何か胸が重くなる空気。

 その中を突き動かされるようにして歩いていく。

 どこまでも壁が続き、ドアや入り口めいた物はどこにも見られない。

 いつしか右側にあったはずの窓もなくなり、鈍い証明だけが行く手を照らす。

 色んな意味で、今すぐ引き返したくなる気分。

 しかしそれでも足は止めず、背中からスティックを抜いて短いまま腰元で構える。

 ようやく見えてくる壁の切れ間。

 曲がり角か階段か。

 どちらにしろ憂鬱な単調さからは解放され、だた逆に緊張感が訪れる。

 足音と気配を消し、姿勢を低くして壁の切れ間に歩み寄る。



 薄暗い階段の前。

 俯き加減の姿勢。 

 ジャケットのポケットから出た手が口元へ動く。

 指先に見える白い錠剤。

 それを口へ含み、すぐさま階段にしゃがみ込む人影。

 私はすぐに後ずさり、足音を消したまま逃げ出した。

 見てはいけなかった光景。

 だけど見てしまった自分。

 うずくまるようにしゃがみ込んだケイの姿は、どこまでも私に付いてくる。




 自分の胸にしまい込んでおくべきか、それとも誰かに話すべきか。

 結論は出ず、どうして良いかも分からない。

 つまり、誰かの助けが必要という事だ。

「ケイが?でもそれって、ドラッグなのか?」

 半信半疑。

 いや。信じたくないという顔のショウ。

 場所は玲阿家の本邸、その庭の中央。 

 授業や学校どころではなく、気付いたら彼と一緒にここへ来ていた。

「確証はないけどね。でも、錠剤を飲んでたのは間違いない」

「薬。……でも、そんな場所で飲む必要もないか。ただ、そこでドラッグを使う必要も無いだろ」

「私に聞かないで」

「それもそうだ」

 吐き捨てるように呟くショウ。

 私は答えようもなく、足元でうずくまっている羽未の背中を撫でる。

 柔らかい、心が安まるような感覚。 

 だがそれは一瞬に過ぎず、あの光景は頭の中から離れない。

「サトミ達には」

「まだ話してない。今はね」

 ため息を付き枯れている芝生の上にしゃがみ込む。

 膝の上に頭を乗せてきた羽未を撫で、もう一度ため息を付く。

 ショウも私の隣へしゃがみ、羽未のひげを軽く引っ張った。

「やっぱり、どこか施設へ放り込むか」

「簡単に捕まると思う?」

「無理だな」

 彼に話しても事態は好転せず、何一つ解決はしない。

 単に自分の負担を、彼へ預けただけに過ぎない。

 以前ならそれを卑怯と思っただろう。

 勿論今も、そういう考え方が無い訳ではない。

 ただ、彼を頼るのも悪くないと思い始めている。

 当たり前だが自分一人で出来る事に限界はあるし、以前からみんなを頼りにはしてきた。

 それでも彼については、何というのか甘えてもいいと思う。

 どうしてかという理屈ではなく、気持ち的に。

 これは私の独りよがりなので、彼がどう考えているかは分からない。

「何にしろ、注意するしかないな。俺達自身も、あいつについても」

「本当、嫌になってきた」

「あまり気にするな」

 私の肩に手を置き、少しだけ引き寄せるショウ。

 ちょっとだけ近付く私達の距離。

 寒そうな、澄み切った青空。

 枯れた芝生。

 だけど羽未の毛並みは柔らかい。

 彼の体も温かい。



 寮ではなく自宅へ帰り、食欲がないまま食事を取る。

 デミグラスソースの掛かったオムライスで、卵は半熟ではなくふんわりとした柔らかさ。

 薄目のチキンライスと一緒に食べると、優しい味が口の中へ広がっていく。

 普段なら無理をして余分に食べるくらいだけど、今は全部食べたれるかも疑わしい。

「あまり食べないのね。いつも、私の分まで食べるのに」

 サラダを頬張りながら話しかけてくるお母さん。

 お父さんはグラスで日本酒を飲みながら、心配そうにこちらを見ている。

「ちょっと調子が悪いだけ。別に、問題はないよ」

 コンソメスープを少し口にして、無理矢理オムライスを掻き込んでいく。

 食欲がないのは精神的な部分においてであり、肉体的にはむしろ空腹の状態。

 何にしろ食べれば美味しいのは間違いなく、自然とお腹の中へ入っていく。

「ドラッグって、どう?」

「漠然とした質問ね。私は全然知らないけど」

「僕は多少知ってるよ。戦争中、結構周りの人がやってたからね。戦時下の特別立法で、一部の薬品が合法化されて出回ったんだ。それこそ、薬に頼らないと戦えないって気分だと思う」

 苦い顔で話すお父さん。

 私は流行る気持ちを抑え、さらに問いかけた。

「その後は?」

「戦後すぐに非合法化されて、だけど常用してた人には通用しない。政府の治療施設があるとは聞いてるけど、入所者の実数すら報告されてないんだ」

「じゃあ結局、出てこれない訳?」

「立ち直れば大丈夫なんだけどね。最近は報道もされないし、一般的な知識からいってもそう簡単な話じゃないよ」

 重い沈黙。

 単調なニュースの音声だけが、ダイニングに響いていく。

「優の友達にでもいるの?」

 難しい顔で、それこそ詰問気味に尋ねてくるお母さん。

 まさか本当の事は言えず、学校でビデオを見せられたと適当に答える。

「第一、買うお金がない。高いんでしょ」

「知らないわよ。あんなの、小麦粉を袋に詰めればいいだけでしょ」

 どこかで聞いたような話。

 ただしケイが飲んでいたのは錠剤で、お母さんが言っているのは戦前の事なんだろう。



 卓上端末を使い、ドラッグについて調べてみる。

 内容はどれも同じような物ばかりで、手を出せば終わりという主張で締めくくられる。

 一度立ち直ったように見えても、ふとしたきかっけで再び道を踏み外してしまうとも。

 初めは非情に軽い、少しハイになる程度の物から。

 それが少しずつ強い物へと移っていき、やがてあらゆる物に手を出してしまう。

 ヘロイン、コカイン、大麻、覚醒剤、MDMA、LSD。

 何がどう違うのかは分からないが、どれだろうと手を出す物ではない。

 使用者の体験談を読んでいる内に気分が悪くなり、画面を消してベッドへ倒れる。

 目が重くなり、このままの姿勢で目薬をさす。

 ただ睡眠薬を多用して、ドラッグに代える人もいるという。

 そう思うと、この目薬に対しても不安を覚えてしまう。

 疑い出せばきりがないという、サトミの言葉をふと思い出した。

 とはいえ、一度思い浮かんだ考えはそうたやすく消えてはくれない。

 すぐに目薬の成分を検索し、一つ一つを真剣に読んでいく。

 痛みを麻痺させる成分が含まれていて、少しの不安が胸の中に沸き上がる。

 ただ非常に限定された効果で、心配する物ではないらしい。

 それでも今は手元へ置いておく気になれず、薬局でもらった袋に入れて引き出しの奥へとしまう。



 あまり眠れないまま朝を迎え、けだるさを感じつつバスに乗り込む。

 当たり前だが通勤通学の時間帯なので、車内はかなり混雑している。

 人の間をくぐり抜け奥へと向かい、椅子の手すりにしがみついて一息付く。

 乗っているのはスーツ姿の男女が半分程度で、後は中高生くらいの若者達。

 つまりは草薙中学や高校へ向かう生徒だろう。

「あ」

 小さく声を上げ、誰も反応しなかった事に安堵感を覚える。

 のんきにバスへ乗ったはいいが、家にスクーターを置いてきた。

 意識が定まってないというか、気を抜きすぎていた。

「あなた、何してるの」

 真上から聞こえる綺麗な声。

 顔を上げると、暖かそうなコートを羽織ったキータイプの教師が立っていた。

「実家に帰ってたんです。自分こそ、こんな時間に乗ってていいんですか」

「今日は2時限目からなの。それとこの路線、痴漢が乗ってるらしいわよ」

「私は問題ないですけどね。自分の方が、危ないんじゃ」

 絶妙なプロポーションという程でもないが、出る所は出ているしくびれてもいる。

 何より大人の色香というか、同性でも引き付けられそうな整った顔立ち。

 おかしな事をしでかす馬鹿の一人や二人はいるだろう。


 そう思っていると、私の肩越しに手が伸びてきた。

 彼女からは死角で、私も視界の隅にかろうじて見えているくらい。

 意識しなければ気付かない位置であり、その手は迷う事なく彼女の腰へと伸びる。

 今話していた痴漢なのか、それともスリか。

 分かっているのは、この手から感じる悪意だけ。

 完全に伸びきる前に、肘の急所を拳で叩く。

 声も上げずに卒倒する、スーツにダウンジャケットを羽織っていた若い男。

 何をしたいのかは知らないし、この後は警察の仕事である。

「ちょっと、大丈夫?」

 床へ倒れたままの男へ声を掛けるキータイプの教師。

 知らぬが仏とはこの事で、また何がどうなったかはこの男すら分かってないはずだ。

「朝だから調子悪いんでしょ」

 適当な事を告げ、ジャケットのポケットへ手を入れ警察へコールする。

 非常事態を告げる物ではなく、一時的な連絡用。

 後は警察の方で処理してくれる。



 教室に入ると、すでにサトミが席に付いていた。

 彼女が早いと言うより、多分私の来るのが遅かったんだろう。

「珍しいわね、私より後に来るなんて」

「まあ、色々あって」

 この一言を聞いて、意味ありげに頷くサトミ。

 付き合いの長さ、彼女の明晰さ。

 そして今自分達の置かれている状況が、これだけでも多くの事を悟らせる。

「よう」

 普段通りにやってきたショウは私と視線を交わし、何も告げず席に付いた。

 私も余計な事は言わず、ただ頷いてサトミへ向き合う。

「後で話がある。モトちゃん達とも」


 旧クラブハウスは行く気になれず、沙紀ちゃんのオフィスにある機密性の高い部屋を借りて話をする。

 反応は一様に重く、私も多くを語る気にはなれない。

「部屋を調べるしかないわね」

 そう告げたのはモトちゃんではない。

 ドアの側で壁にもたれ、ずっと押し黙っていた沙紀ちゃんだ。

 その必要性は誰もが認めるが、逆に誰もが言い出せない内容。

 また実行するともなれば、あまりにも問題が多すぎる。

「簡単に言うけど、どうやって」 

 ショウが尋ねているのは方法ではなく、彼女の覚悟。

 友達を疑い、その部屋を調べる。

 それが果たして許される事なのか、何より自信が耐えられるのか。

「真理依さんを呼んで。多分、私達では無理だから」

「分かった」

 端末で名雲さんと連絡を取るショウ。

 私は黙って二人のやりとりを眺めるだけ。

 ただ決まっている事はある。

 部屋に入るのは、私が一番初めだと。



 部屋にやってきた舞地さんは何も言わず、名雲さんと池上さんが机の上に工具を広げている。

「嫌な仕事だ」

 軽い口調でそう告げ、鼻歌交じりに細いヤスリを手に取る名雲さん。

 今の私達の心境とはかなり異なる態度で、しかし本人は至って平気な顔。

 端的に言えば反感を感じるが、そのくらいは彼も承知だろう。

 つまりは、そういう余裕が今は余計に苛立ちを募らせる。

「おいおい。今の俺に腹を立てるくらいなら、浦田の部屋に入るなんて止めた方がいいぞ」

「分かってます」

「だったらいい。仲間を裏切るって気分が少しは理解出来たか?」

 唐突な質問。

 それに答える者は誰もいなく、また答えたくもない内容。

 名雲さんは鼻で笑い、薄い皮のグローブをはめて私達を見渡した。

「浦田は普段から、こういう事ばっかりやってる。だからあいつは嫌われるし、苦労してる」

「別に嫌っては」

「お前達には嫌われてないさ。お前達に危害を加えようとする連中にって事だ。内偵って言うのは効果的だけど精神的な負担が大きい。俺も好きじゃない」

 つまりはそういう仕事を、私達は彼等に押しつける訳だ。

 ただこれに一番反発すると思っていた柳君の姿が無い。

「柳君は?」

「浦田について、病院へ行ってる。何かあれば、あいつから連絡が入る」

「何も言ってなかった?」

「自分の気持ちと契約はまた別だ。今回は丹下からの依頼だが、一応お前達も金は負担しろよ」

 彼等の好意ではなく、契約という訳か。

 ただむしろその方が気は楽であり、お互い割り切れる。

 多分それを考えて、契約という形を取っているのでもあるだろうが。

「それで、誰か付いてくる?」

 いくつか上がる手。 

 私、サトミ、ショウ、木之本君。

 逆に挙げなかったのは、モトちゃんと沙紀ちゃん。

 この辺りは各自の判断であり、他人がとやかくいう事ではない。

「物好きね。絶対後悔するわよ」

「もう、十分してる」

「だったら結構。あの子も部屋を捜索されるのは想定してるだろうし、ちょっとした知恵比べね」



 学校から近い、男子寮の一つ。

 私も良く訪れる、今はどこか陰って見える建物。

「ストップ。一旦監視カメラを止めるから、合図と同時に中へ入って」

「どうして」

「私なら留守中の映像を全部確認するからよ。ほら、走って」

 手を叩く池上さん。

 それを合図に、一斉に走り出す私達。

 女子寮と違い警備員はいなく、外部から建物を遮る木々も少ない。

 まずは申し訳程度の塀を乗り越え、そのわずかな木々に隠れて建物へ取り付く。

 少しして池上さんが、辺りに視線を配りながら走ってくる。

「次は、窓から入るわよ。見られないよう気を付けて」

 この時点で泥棒と大差なく、憂鬱になってくる。


 どうにか全員建物内に侵入し、再び走ってケイの部屋へと急ぐ。

 その間も池上さんは端末を操作していて、名雲さんは辺りに視線を向ける。

 誰かが来るたびに顔を伏せ、階段の踊り場まで逃げて、ラウンジで身を細める。

 非常に神経をすり減らせる、気の休まらない時間。

 悪い夢の導入部のような、しかしいつまで経っても覚める事はない。

「さてと」

 ようやくケイの部屋の前までやってくる。

 この付近にカメラはなく、また池上さんはそういった物を一時的に無効化する装置を持っているとの事。

 沢さんが持っていた物とは違うらしいが、今はどうでもいい事だ。

 すぐにはドアを開けようとせず、手を触れたり下がって目を細めたりを繰り返す。

「入らないの?セキュリティなら、解除してるんでしょ」

「まあな。ただ、問題はその先さ。外部の侵入を調べる簡単な方法の一つは、こういう部分に細い紐や髪の毛を結んでおく事。それが切れてれば、誰かが入ってきたって分かる」

 ドアの間を指さす名雲さん。

 確かに簡単だが効果的な方法。

 慌てて開ければ、そんな仕掛けがあった事すら気付かないだろう。

「とりあえず、入り口は問題なしか」 

「じゃあ、開けるわよ」

 一転して無造作にドアへ触れる池上さん。

 それに反応してスライドするドア。

 しかし彼女は中へは入らず、カメラを出して何枚か写真を撮った。

「出る時は、この通りに再現して戻る訳。色々面倒よ」

「分かってる」

「……ここも大丈夫ね。じゃあ、どうぞ」

 一旦下がり場所を空ける池上さん。

 私は深呼吸して、軽く胸に手を当てた。

 今更引き返す事は出来ないし、そのつもりもない。


 靴を脱ぎ、心の中で謝って部屋に上がる。 

 馴染みのある、だけど違和感のある眺め。

 その理由は、考えずともすぐに分かった。

「本がない」

 床に積んであった物も、本棚の中も、机の上にも。

 あるのは教科書が少しと、今週の雑誌が申し訳程度においてあるくらい。

 中には食費を削って手に入れた本もあるはずだが、本らしい物はどこにも見あたらない。

 いや。本だけではない。

 ゲームの本体もソフトもどこにもない。

 ゲーム自体はオンラインでプレイ出来るが、初回限定版や設定資料を手に入れるため彼はパッケージ版もいくつか持っている。

 本もゲームもない部屋は閑散としていて、寂しいという言葉以外思い付かない。

「邪魔だから、売ったんじゃないのか」

 机の引き出しを開けながら話す名雲さん。

 それに同意するのは誰もいなく、サトミに至っては低い声で笑い出した。

「笑うような事言ったか、俺」

「ゲームについては、そういう事もあるかも知れません。でも本に付いてはあり得ません。名雲さんも、明日からご飯を食べるなと言われたら困りますよね」

「まあな」

「ケイにとっては、本がそれです」

「なるほど。本を売って、金に換えたのかな」

「高額な本は持ってないから、額としては知れてます」

 しかし否定はしないサトミ。

 私は何も言えないし、この光景に打ちのめされるだけだ。

「雪ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫ではないと思う。それで、何か見つかりそう?」

「物自体無いから、空振りって感じ。仮にドラッグを持ってるにしろ、私ならここへは置かず持ち歩く」

 だったら何のためにと言いたくなるが、ドラッグを見つけるだけのために沙紀ちゃんもここを家捜しようと思った訳ではないだろう。

 とはいえ池上さんの指摘通り、彼の性格からしても疑われるような物は残さないはずだ。

「まあ、現物がないからといって終わりでもないんだけど」

「何、それ」

「木之本君、アナライザー貸して」

 ウエストポケットから出したペンのような道具を、机の引き出しの中に入れて先端を動かしていく池上さん。 

 少しして微かな電子音が鳴り、池上さんは端末の画面に視線を落とした。

「当たり」

「何が」

「ドラッグの成分が検出された」

 あっさり、事も無げに告げる池上さん。 

 それにどう答えればいいのか分からず、その言葉自体を信じられない。

 しかし彼女が嘘を付いている訳でも、冗談を言ってる訳ではないとは理解出来る。

 サトミは自分の端末でそのデータを確かめ、軽く頷いた。

「例の、食堂で検出されたドラッグと同じですね」

「ええ。これは非合法すれすれで、所持してる事自体は違法ではないんだけど」

「少なくともケイが、ドラッグを所持していた証拠にはなります」

 無慈悲に断定し、引き出し内の写真を撮るサトミ。

 私は何をする気にもなれず、部屋を捜索する彼等をただ眺めるだけしか出来そうにない。



「これは」

 机の上に置かれてある、可愛らしいウサギのぬいぐるみ。

 手の平に収まるくらいの、ただ彼には似合わない物。

「浦田君が入院した時、私が上げたのよ。沙紀ちゃんとお揃いで」

「そう、ですか」

 つぶらな赤い瞳で私を見上げる白いウサギ。

 純粋で、素直な眼差し。

 そう思いたい私の主観の裏返しかも知れないが。

 少なくともこれがここにある以上。

 彼がこのぬいぐるみを手放していない今は、大丈夫だと思う。

 たかがぬいぐるみ。

 それにすがるしかない今の自分。

 結局私は、この弱さからは抜けきれない。

「あの子って、目が悪い?」

「いや。どうして?」

「サングラスがある」

 やはり引き出しの中からサングラスを取り出す池上さん。

 彼はこういう物を付ける柄ではないし、持っている所すら見た事がない。

「クローゼットには、帽子もあるぞ」

 名雲さんが手に取ったのは、つばの大きい黒のキャップ。

 深く被れば顔は完全に隠れ、人物の特定も難しくなる。

「俺もあいつが帽子を被ったところなんて、見た記憶無いな」

「状況としては限りなくクロね。少なくともドラッグは検出されたし」

「……と、柳からだ」

 端末を耳に当て、話を始める名雲さん。 

 会話の内容からして今から帰ってくる所らしく、池上さんは工具を小さなバッグへしまい出している。

「ちっ」

「どうしたの」

「浦田が、ゲームの景品でサングラスを手に入れたってさ。あいつ、俺達が部屋を捜索してるって気付いてるな」

 苛立ち気味に壁を指で叩く名雲さん。

 池上さんはそんな彼の肩に軽く触れ、平然と玄関を指さした。

「気付かれるのは、初めから分かってた事よ。みんな撤収して」



 寮を後にしてやってきたのは、名雲さんのアパート。

 ここなら心配する事無く話は出来るが、話したい事は何もない。

 忘れたい事、思い出したくない事はどれだけでも思い付くが。

「それで、どうする気だ」

 ベッドサイドに腰掛け、淡々と尋ねてくる舞地さん。

 彼女も捜索には加わらなかった人で、今はその考えが正しかったと嫌になる程理解出来る。

「何も考えてないか」

「悪いの」

「悪くはない。ただ、それ程賢くもない」

 馬鹿にしているのか、からかっているのか。

 どちらにしろ今は反論する気もなれず、またその根拠も思い付かない。

 言われるように思慮が足りず、成果といえば彼の疑いを濃くしただけ。

 いや。どうするべきかは分かっている。

 ただ、踏み出すのをためらっているだけに過ぎない。

「……ケイに話を聞いて、場合によっては治療施設に入れる」

「ユウ」

 何か言いかけるサトミを手で制し、同じ事を改めて告げる。

 彼への信頼、友情、敬意。

 自分の情けなさ、ひどさ、冷たさ。

 だけど私はもう決めた。

 後はもう、それを実行するだけでしかない。

「すぐ柳君に連絡して、連れてくるよう言って」

「ああ」

「それと治療施設を探して、警察へも連絡出来るようにして」

 感情を交えずいくつか伝え、ベッドにもたれてうなだれる。

 結局自分では何もせず、人にあれこれ指示を出すだけ。

 しかしたったそれだけの事が、これだけ辛く苦しいとは思わなかった。

 何も考えずただ行動し、言われるままに動いていた以前とは比べものにならない苦悩。

 今回における責任は当然私が取るべきであり、動く人はただそれに従ったに過ぎない。

 文句を言って、気楽に笑っていられた前の自分。

 私はやはり、何も分かっていなかった。


 伏せている頭の上を過ぎていく幾つもの言葉。

 その一つに反応し、素早く顔を上げる。

「逃げた?」

「知り合いの家に行くとか言って、神宮駅で別れたらしい。さすがに勘は鋭いな」

「もしくは盗聴されたかもしれません」

 淡々と告げるサトミ。

 名雲さんは舌を鳴らし、自分の端末を拳で叩いて半分に割った。

「これにハッキングしてたって言うのか」

「方法は分かりませんが、私達の通話も聞かれていると考えるべきでしょう」

「ちっ。池上、全員の端末に防御措置。この部屋も、一度チェックするぞ」

「誰を相手にしているか、もう少し冷静に考えた方が良かったですね」

 人ごとのように告げ、自分の端末を操作するサトミ。

 彼女はすぐに頷き、私の端末も手に取った。

「どう?」

「事前にセキュリティを特殊な物にしておいてから、私達のは大丈夫。盗聴された可能性があるのは映未さん達と、ショウくらいでしょ」

 つまり彼女は事前に、こういった事態になると想定していた訳か。

 私も気を付ける必要があるとは分かっていたが、ここまで追い詰めるとは思っていなかった。

「多分隣の部屋の住人に話を付けて、人の出入りも監視してるはずよ」

 まさかとは言えず、彼ならそのくらいはやるだろう。

 サトミは理詰めでそれをある程度は読み解いていけるだろうが、彼は理屈ではない部分で仕掛けてくる。

 むしろ追い詰められるのは、私達の方と言う訳か。

「だからもっと早くから手を打てば良かったんだ」

 忠告とも付かない事を言う舞地さん。

 それこそ今更という話で、第一彼の部屋を捜索すると決めたのは今日。

 まさかいきなりここまでの状況になるとは思っても見なかった。

「ドミノ倒しみたいな物よ。放っておけば何でもないけど、一つ倒せば全てが動き出す」

「それで」

「居場所を探すしかないわね。前に、池上さん達を探したみたいに。あの時程簡単にはいかないと思うけど」

 こたつの上にあった卓上端末を引き寄せ、何度か電源を切っては立ち上げるサトミ。

 その後で自分の端末を接続し、何かデータを送り込んで見た事のない画面を呼び出した。

「多分カメラは避けて動いてるはず。とはいえ逆に言えば、カメラがないルートを辿れば良い訳よ」

「意味が分かんない」

「結局は化かし合いよ。こっちは追う立場だから、多少分が悪いけど」

 いつにない真剣な顔付きで、幾つもの監視カメラ映像を見ているサトミ。

 彼女は自分の心情、ケイに対する気持ちは語らない。

 ただ現実を見つめ、それに対処するという姿勢を見せている。




 監視を続けるサトミの傍らで、名雲さんは銃を取り出しそれを組み立て始めた。

 以前見せてもらった小型の物ではなく、学校で見かけるショットガンのような大きい銃。

 池上さんはスタンガンを取り出してその作動具合を確かめ、警棒も用意している。

「ケイが襲ってくると思ってる訳?」

「否定は出来ないな。あいつが何を考えてるか分からない以上、事前の準備は必要だろ。捕まる場合にも」

「銃も使うって事?」

「スタンガンを仕込んだゴム弾を使う。プロテクターを着てる程度なら、簡単に気絶させられる」

 細身の自動小銃を抱え、壁に掛かってあったコートを羽織りその中へ隠す名雲さん。

 一見すれば何も持ってないように見えるが、手を外に出してない以上疑われる可能性は高い。

「……誰か来たわよ」

 ノックされたドアに視線を向ける池上さん。 

 名雲さんはコートを羽織ったまま、慎重な足取りでドアへと向かう。

 自然と私達にも緊張が走り、固唾を飲んでこの先の展開を見守る。


「はい、何か」

「ピザ、お届けに参りました」

「……今開ける」

 一応は外の映像を確認し、あっさりとドアを開ける名雲さん。

 気付くと池上さんも銃を取り出し、ドアの脇の死角となる部分で息を潜めている。

 しかしやってきたのは、ピザ屋の制服を着た若い男性。

 そう装ってる訳でないのは、手にした大きなピザの箱を見れば十分分かる。

「支払いはカードでいいのかな」

「いえ。もう頂いていますので。それでは、失礼します」

 愛想良く微笑んで去っていく店員。

 残されたのは銃を構えた名雲さん達と、ピザの箱。

 ただ誰も頼んでいない以上、疑って掛かるのが当然だろう。

「食べましょうか」

 名雲さんが嫌そうに持っていたピザの箱を手に取り、テーブルの上に置くサトミ。

 彼女がこっそり頼んでいたという訳ではなく、この素振りからしてケイの差し金か。

「ただ、一応チェックはします。アナライザー持ってますよね」

「あるけどな。……特に問題ない」

「カミソリを仕込む程器用ではないですし、だったら大丈夫ですよ」

 小さいナイフでピザを切り分け、皿へ乗せていくサトミ。

 名雲さんは文句を言いつつ、それでも一番初めに口を付けた。

「あの野郎。人をからかって、遊んでるのか」

「現時点では、私達が監視されてるでしょうから。でも見つかるのは、時間の問題です」

「カメラからは逃げてるんでしょ」

 グラスにジュースを注いでいる池上さんの問いに、サトミは床へどけていた卓上端末を指さして答えに代えた。

「カメラのないルートがこれで、モトが今目撃情報を当たってます」

「偽の情報が送られてくる可能性は」

「十分ありますが、それはこちらで判断すればいいだけですから」

「簡単に言うわね。……仕方ない、奥の手を出すか」

 ピザに付いていたフライドポテトをくわえ、卓上端末を操作する池上さん。

 少しして画面に現れたのは、熱田神宮の航空写真。

 いや。よく見ると車道上の車は移動しているから、監視衛星の映像か。

「大丈夫なんですか」

「駄目でしょうね。でもいいのよ。これは沢君のパスで侵入してるから」

「むしろ、そちらの方が問題では」

「やられっぱなしなのは好きじゃないの。……智美ちゃん?……そう。映像を送るから目撃情報と確認して。衛星が切り替わる時画像がとぎれるから。……ええ、お願い」

 次に彼女が呼び出したのは、数字の羅列された見た事のない画面。

 それを見たサトミが鼻で笑い、名雲さんが舌を鳴らす。

「IDをいじるのは止めろって言っただろ。それも、俺の端末から」

「いくつも迂回させてるから大丈夫よ。利用記録から辿って、足取りを掴むか」

 画面に映し出される、直近の利用履歴。

 学校近くのファミレスと自販機。

 神宮駅から名古屋駅への切符を買い、名古屋駅から東京に向かっている。

 車内では駅弁を購入。 

「じゃあ、名古屋にはいないって事?」

「いや。IDを別人に渡してる可能性もある。東京へ逃げるメリットは大して無いし、土地勘を考えればまだ静岡でしょ。浦田君の地元」

「ああ。でも多分、静岡には行かないと思うけどね」

「だったら、東京にも行かないわよ。東京は森山君達に監視してもらうとして、やはり名古屋市内を探すか」


 しかし結局彼は見つからず、モトちゃんからも発見したとの報告は聞かれなかった。

 勿論そんな簡単に見つかれば警察は検挙率を飛躍的に増大してるだろうし、そこまでの権限が無い私達には限界とも言える。

 以前池上さんを探した時すぐ見つけられたのは初動が早かったのと、彼女が隠れて行動してなかったからに過ぎない。

 私達は一旦解散してそれぞれが家路に付き、身辺には警戒するようにお互い確認し合った。

 彼の性格上私達に危害を加えるとは思えないが、ドラッグという要素が絡んでいる今は何も言えない。

 考えたくはない、しかし紛れもない現実。

 寮へ戻ってセキュリティを最大に高め、名雲さんから受け取った盗聴防止用のチップをセキュリティシステムに読み取らせる。

 ここまでしなければならないのかという疑問と、そうするしかないという考え。

 どちらにしろ今更引き返す事は出来ず、この現実を結局は受け入れるしかない。

 流されているという気もするが。

「……あ、うん。……大丈夫。……分かった、今行く」


 女子寮の外に出て、当たりを見渡す。

 すぐに聞こえる短いクラクションとヘッドライト。

 逆光の中に見えるシルエット。

「こっち」

 助手席のドアを開け手招きするショウ。 

 ケイにだまされてやってきた、という可能性も無くはない。

 そこまで疑ってしまう自分に自己嫌悪を覚えつつ、助手席に乗り込む。

 車内は暖房が効いていて、微かなエンジンの振動が心地良い。

「ケイにだまされてる訳じゃないからな」

 私の顔から何を読み取ったのか、自分から言い出すショウ。

 嘘はつけないタイプだし、彼が私に危害を加えるのは考えられない。

 勿論だまされているなら、その限りではないにしろ。

「俺はサトミや池上さん達の考え方とは違うんだけどな」

「何が」

「ケイを疑わないって事さ」

 素っ気なく、しかしはっきりと言い切るショウ。

 迷いも気負いも何もなく、彼は素直にその事を告げてくれた。  

「だまされるにしても、利用されるとしても。俺はあいつを疑わないし、裏切らない」

「いいの、それで」

「よくないだろうな」

「何よ、それ」 

 思わず笑ってしまい、少し曇った窓に指を走らせ絵を描く。

 窓に浮き上がったのは、小さなウサギ。

 どうしてなのか、何故なのかは分からない。 

 どちらにしろすぐに窓の曇りは消え、外の景色が代わって見える。

「でも別に、サトミ達も」

「分かってる。俺が馬鹿なだけだ」

「役割じゃないの、結局。サトミは疑うのが仕事だし」

「俺は信じるのが仕事か。いや。だまされる、か」

 鼻で笑い車を走らせる。

 ゆく当てはなく、彼もどこかへ行くつもりではないだろう。 

 景色が流れ、無数のヘッドライトとすれ違う。

 街にはクリスマスの飾り付けが現れ始め、闇の中に綺麗な輝きがどこまでも続く。

 だけど明るいのはその回りだけで、少し外れれば薄暗い闇でしかない。



 やってきたのは名古屋港ガーデン埠頭。

 南極観測船や水族館のある観光スポットで、ここもクリスマス用のイルミネーションで飾り付けがされている。

 夜遅い時間のせいかカップルの姿が目立ち、その意味においては私達も彼等と同じ。

 違うのは彼等が華やいだ気分なのに対し、私達は打ちのめされているという事か。

 水族館はすでに閉まっていて、併設されているショッピングモールの賑わいが対照的に目立つ。

 何かを買うとか食べる気にはなれず、手すりに寄りかかって名古屋港を眺める。

 すぐそばには小さな船が何隻か停泊し、沖合には大きな貨物船が見える。

 正確には警告灯の点滅が見えているだけで、船体自体ははっきりしないが。

「寒くなってきたな」

「冬だからね」

「もうすぐクリスマスだって言うのに、何をやってるんだか」

 自嘲気味に笑い、足元の小石を蹴飛ばすショウ。

 それは岸壁を滑り落ち、証明に輝いている水面に波紋を付くって消えていった。

 いつかこんな光景を見た覚えがある。

 その時も、今と似たような心境だっただろうか。

「ケイは何がしたいのかな」

「聞いてみたらどうだ」

 右手にある水族館を顎で示すショウ。

 あそこにいるのは、イルカやシャチ。

 同じほ乳類ではあるけれど、私達とは少し違う生き物。 

 彼等に話しても通じないのと同様、ケイの思考も私達とは違う部分がある。

「イルカは寒くないのかな」

「感覚が違うんだろ。脂肪が厚そうだし」

「ケイは」

「あいつは、面の皮が厚いんだろ」

 自分で言って、下らないとばかりに笑うショウ。 

 私も少しだけ笑い、端末でケイのアドレスを表示させる。

 一緒に映るのは、愛想のない彼の顔写真。 

 もう少し笑うなり、ポーズを取るなりすればいいのにと何度か思った。

 今もそう思っている。

 今度で会えたら、写真を撮り直そう。

 色んな話を聞こう。

 全てを彼任せにせず、少しでも彼の負担を分け合おう。

 もう一度出会えれば。 

 そういう機会があれば。



 翌日になっても彼は学校に現れず、サトミも所在を確認出来ていないとの事。

 完全に消えるなど不可能なので、どこかに隠れているのは間違いない。 

 勿論そのどこかが分からない以上、消えているのと同じなのだが。

「馬鹿だな、お前達」

 授業後。

 旧クラブハウスへやってきた私達の元を訪れ、そう言ってくる塩田さん。

 しかしそれには反論のしようもなく、愛想のない顔で応じるしかない。

「名雲達はなんて」

「自己防衛を心がけろと」

「傭兵のトップにしては大した事無いな。もう浦田を捕まえてるかと思ったぜ」

「今回に関しては、ケイ君の方が先手を打ってたようです」

 感情を交えず、淡々と返すモトちゃん。

 塩田さんは鼻で笑い、彼女が仕事をしていた机に腰を掛けた。

「それも含めて、ぬるいって言ってるんだ。普段からあいつに対しては警戒しておくべきだろう」

「仲間を疑えと?」

「そういう事が嫌なら、学校とやり合うのは止めた方が良い。金や権力で転ぶ奴は、どれだけでもいるんだから。第一ドラッグ漬けの人間を信用しろって方が、どうかしてるぞ」

 冷酷な。しかし今となっては、あまりにも明確な真実。

 友達だから。仲間だから。

 都合の良いフィルターを掛け、自分をだまし。

 結局は、この状態を生み出している。

 友情と現実的な判断。

 それをどこかで見誤っていたのだろうか。

「わざわざ、私達をからかいに来たんですか」

「そんな所だ。もしくは、浦田に抱き込まれて内通してるか」

「なるほど」

「覚えとけよ。今この建物にいる奴らの中には、学校と内通してる奴が何人もいる。そいつらのコントロールも重要だからな」

 最後の方は声を潜め、殆ど聞き取れないくらいのトーンで話す塩田さん。

 モトちゃんはそれに目線で応え、卓上端末の電源を落とした。

「そろそろ今年も終わりですし、結局は来期。私達が3年になってからでしょうか」

「そうなら俺は卒業して楽が出来る。と言いたいが、去年も大騒ぎしたのは年明けだ」

「では、まだ山があると?」

「年明けか年末に、一発かましてくると予想はしてる」

 机の上のデスクカレンダーを指さす塩田さん。

 12月に入ったばかりで年末と呼ぶにはやや早い気もする。

 ただ定期テストが終われば学校へ来なくなる生徒が半数以上と考えれば、モトちゃんの言ってる事も理解出来る。

「浦田を捕まえるか。端末に連絡は?」

「何度かしましたが、電源を落としているようです」

「居場所を掴ませない気だな。ああいう陰険な奴が敵だとやりにくい」

「敵、ですか」

 鼻で笑いカレンダーの隣にあったフォトスタンドを指でつくモトちゃん。

 今年の初めに、正門で撮ったみんなの写真。

 私達だけではなく、端の方には元生徒会長や矢田君も写っている。

「この写真には写ってますよ。ケイ君」

「ボタンを押せば写るだろ。幽霊じゃないんだから」

「そういう問題ですか」

「じゃあ、どういう問題なんだ。これは、お前達の一番弱い部分を付いてきてるって分かってるか」

 机から降り、私達一人一人を指さしていく塩田さん。

 そして一番最後に私を指さし、険しい眼差しで見据えてくる。

「人を信用するのは良い。仲間を思いやるのもな。ただ裏切りや寝返りを考えた事あるか」

「考える必要があるんですか」

「あるから言ってるんだ。今回はあいつ一人が勝手に逃げたに過ぎないが、これが学校側に走った場合はどうする。例えばお前達の情報を逐一流す格好で」

 考えたくもない、しかし現実としては当然ありうる出来事。

 その心構えはあると思う。

 でも、対処の方法まで私達はどこまで考えていただろうか。

「ケイを見捨てろって言いたいんですか」

「そのくらいの覚悟は必要って事だ。お前達の中にドラッグの使用者がいるって、学校に指摘されたらどうする。生徒の支持どころか、身内からも脱落者が出るぞ」

「仲間よりも、学校との戦いが大事っていう意味ですか」

「どちらを選ぶかは、お前達の自由さ」

 そう言い残し、足早にドアへ向かう塩田さん。

 私は小走りで彼の前へと回り込み、ドアを背にして顔を上げた。 

 多分本人にとっても辛い忠告。

 私達が至らない故の、彼に課してしまった苦悩。

 今は自分の肩にのし掛かる重圧。

 すぐにでも押し潰されてしまいそうな、逃げ出してしまいたい気分。

 夢なら覚めて欲しい。

 何もかも放り出し、ただ笑っていられたあの頃に戻りたい。



「選びませんよ」

「あ?」

 怪訝そうに私を見下ろす塩田さん。

 彼の肩越しに見えるモトちゃん達の顔にも、同じような表情が浮かぶ。

「ケイは見捨てないし、学校とも戦います」

「……お前、俺の話を聞いてなかったのか」

「聞いてました。それを踏まえての判断です」

「子供か、お前は」

 鼻を鳴らし、私を避けて部屋を出て行く塩田さん。

 その間際に見えた、微かに緩んだ口元。

 私も彼を呼び止めはしないし、呼び止める理由もなくなった。

 一つの大切な事のために、もう一つの大切な事を諦める。

 より価値の高い方を大切にする。

 当然の、多分子供でも分かる理屈。

 それが分かってない私は、子供以下という訳か。

「あのさ」

「もういい」

「聞きたくないわ」

 同時に答えるモトちゃんとサトミ。

 だったら話早いし、私も助かる。

「大して難しくない。ケイを捕まえて治療すればいいだけでしょ」

「どこにいるの」

「多分、結構近くにいると思う。出歩かない性格だから、数日間は部屋にこもっても平気だと思うし」

「だからカメラには映らないって?考えれるけど、実際はどうなの」

 モトちゃんの問いに、首を振るサトミ。

 それは私の意見への否定なのか、ケイの居場所を突き止める事の困難さを表したのかは分からない。 

「……はい。……え?あ、うん」

 着信のあった端末を、私に向かって差し出す木之本君。

 それを見てサトミとモトちゃんが、顔を見合わせる。

「ケイ君?」

「うん。雪野さんと代わって欲しいって」

「音声をスピーカーからも流して」

「いいけど。個人的な通話だよ」

 生真面目な事を言い、それでも設定をする木之本君。

 私は手の平に浮かんだ汗を拭い、彼の端末をその手の中へと収めた。

「……何よ」

「一応断っておくけど、ここまでの騒ぎにするつもりはなかった。ただ、ちょっと一旦距離を置きたかっただけだし」

 意外と軽い調子で話してくるケイ。

 まるで普段と変わらない、むしろ明る過ぎる感じもあるが。

「それで、一つだけ」

「何」

「俺に何があっても、放っておいてくれればいい。大内さんにだまされた時みたいな事は、もういいから」

「ちょっと、待って」

 脳裏に蘇る、絶望的な記憶。

 決して忘れる事の出来ない、私の胸に引っかかっている鋭い針のような。

「自分がいないから、探すのは当然でしょ」

「この前は俺が斬られるだけで済んだけど、今度もそうとは限らない」

「だからって」

「警告はした。後は、俺の知った事じゃない」

 素っ気ない一言と共に、通話は切れた。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ