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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第29話
311/596

29-5






     29-5




 学校へ私服で来たのが珍しかったらしく、知らない人まで振り返ってきた。

「それ、何」

 教室で筆記用具を出していると、後からやってきたサトミにそう尋ねられた。

 この間ゴミのコンテナから出した物ではないし、どうやらこの服の事を言っているらしい。

「結局矢加部さんの家に泊まってね。着替え代わりにもらった」

 白いボアの付いた赤のコートと、緑のミニスカート。

 下は白のセーターで、足下は黒の革靴。

 値段は聞いてないが、高級ブランドなのは間違いない。

「サンタ?」

「そういう見方もあるかもね」

「そういう見方以外、何があるの」

 だからみんな、私を見てた訳か。

 薄々気付いてはいたが、改めて指摘されると腹が立つな。

 何って、これをコーディネートしたあの秘書に。

「……今日、クリスマスだったか?」

 私を見るなり、真顔でそう尋ねてくるショウ。

 目をこすってるのは、決して眠いからではないだろう。

「これはもらい物。緑は嫌って言ったんだけど、矢加部さんの秘書がうるさくて」

「ひしょって、夏の?」

「今、冬でしょ。寝ぼけてるの?」

「どっちが」

 お互いに険しい顔でにらみ合い、唸りながら距離を置く。

 猫のケンカだね、まるで。

「ケイは遅いね」

「病院行くから今日はこないって言ってたぞ」

「だったら、丁度良いかな」

「何が」


 声を潜め、ある程度はプリントに書いて昨日の内容を伝える。

 ショウは難しい顔で腕を組み、すぐに首を振り出した。

「女子寮じゃ、俺の出番はないな」

「あなたは寮の外で待機。話は、また後でね」

 不意に口をつぐみ、今のプリントにペンを走らせるサトミ。

 急にどうしたのかと思ったら、HRを行っていたキータイプの教師が怖い顔でこちらを睨んでいた。

「ハロウィンは、もう終わったわよ」

 教室内に巻き起こる大爆笑。

 笑ってないのは私とショウくらい。

 サトミに至っては、机に伏せて体を引きつらせている。

「あのね。私は好きでこの恰好をしてる訳じゃ」

「あなたの都合は聞いてない。授業に遅れても良いから、この書類を職員室に届けてきて」



 サンタじゃないと言いたかったが、この恰好では説得力の欠片もない。

 とはいえ窓に映る自分の姿は意外に可愛らしく、コートの裾が短めなのがポイントかな。

 出来ればちょこちょこ飛び跳ねたい所だが、これ以上恥を振りまいても仕方ない。

「これ、変な教師から届けろと頼まれました」

「……ああ。村井先生」

「村井。名字が違いますけど、理事長の妹って本当ですか」

「そうだよ。顔も似てるだろ」

 書類を決済用の箱に放り込み、レポートの採点に戻る日本史の教師。

 よく見ると今採点しているのはショウのレポートで、言うなれば私のレポートの別バージョンだ。

「扱いづらくありません?気を遣うというか」

「そうかな。普通の良い子だよ。……清水社なんて行ったのか」 

 楽しそうに笑い、ページをめくる年配の教師。

 レポートをプリントアウトして読むところは、彼の世代を表しているような気もする。

「だったら先生は、理事長が生徒だった頃を知ってます?」

「ああ。私は受け持ちじゃなかったけど、創設者の子供だから自然と目立ってね。色々問題はあったんだけど、今の理事をやってる鈴木先生達が上手くやってくれて」

「それは、聞いた事があります」

「元野先生の子供と知り合いだったか。あの頃は学内で銃の乱射事件とかあってね。それに比べれば、この学校も平和になった」



 しみじみと、怖い事を語られた。

 確かに銃で撃たれる事に比べれば、木刀やナイフなど物の内に入らないだろう。

 今学内で使用されている銃にしたって、所詮はゴム弾。

 余程の至近距離でも骨折に至るかどうかで、死という言葉とは無縁である。

 昼休みだが、食堂やラウンジではなく旧クラブハウスで食事を取る。

 一般教棟から離れている分、秘密の話をするのには向いているので。

「バイヤーを誘うのは、緒方さんという事で」

 サンドイッチ片手に提案するサトミ。

 話を振られた緒方さんは、綺麗な顔に悪い表情を浮かべて彼女を見つめ返した。

「あなたは顔も知られてないし、こういう事にも慣れているでしょ」

「否定はしませんが。そういう位置づけですか、私は?」

「適材適所。いいのよ、寮の外で風に吹かれる役目も」

「分かりました。今回は従います」

 素直には賛意を表明しない緒方さん。

 とはいえ、誰もバイヤーを誘う役。

 つまり、表だって売買組織と接触はしたくないだろう。

「私と真田さんがバックアップ。ユウは待機して、バイヤーが出てきた所を拘束」

「了解と言いたいけど。そんな簡単に誘い出せる訳?」

「昨日からエサは撒いてあるの。嫌な手段も使って」

「それって」

 苦い顔で頷くサトミ。

 尋ねるまでもなく、ケイの名前を利用したのは間違いない。

「実行は、今日の夜。詳細な内容は、追って話すわ。モト、生徒会と自警局は」

「了承するとの確約を得てる。人は派遣しないけど、機材と資金は提供するって」

「プロテクターと、例の銃をお願い。ショウと御剣君達に持ってもらうから」



 班は4つ。

 バイヤーと接触する緒方さんの護衛。

 寮の外で待機するショウ達。

 寮内を警戒する遊撃班。

 バックアップと全体の指揮。

 私は緒方さんの護衛に行きたかったが、やはり目立つため遊撃班。

 やる事がないとも言うし、いまいち存在意義を理解出来ない。

「……01、ターゲットAに接触。端末において指示を仰いでいる模様」

「20から21にカメラ交代。廊下角に、一般生徒あり。直ちに誘導願う」

「了解。指揮班より伝達。寮外に、ワゴン車が2台停車中。ナンバーにより、警察から情報を照会中。繰り返す、領外にワゴン車が2台停車中。各自、警戒を」

 髪で隠したイヤホンに入ってくる緊迫した内容。

 私はどちらかといえば囮の役割で、ラウンジにとどまってのんびりお茶を飲んでいる。

「ターゲットA、ターゲットBに接触。両者の身元を、学内のデータベースで参照。……現在、プロフィールを配信中」

「……傭兵じゃないのか」

 舌を鳴らす土居さん。

 彼女も遊撃班というか、個人的に参加してくれている。

「あたしも傭兵が全部悪いとは思ってないけどね。元々の生徒が関わってるっていうのも、面白くない」

「でも、今の執行委員会や学校になびいている人も多いんだし」

「まあね。ただ、ドラッグ絡みではちょっと嫌っていう意味」

 それは同感だが、若干身勝手な考え方であるのも確かだろう。

 草薙高校の生徒は悪い事などする訳もなく、常に正義の側にある。

 無論そんなのは幻想に過ぎず、今までだってろくでもない人間はいくらでもいた。

 しかし土居さんの言うように、最低限のモラルはあると思っていた。

 思いたかったと、今は言うべきだが。

「マフィア相手か。これは、もう高校生の範疇を越えてるね」

「でも、見過ごす訳もいかないでしょ」

「それもそうだ。あんたも知り合いが絡んでるから、余計そうなんだろうけど」

「ええ。まあ。私情といえば私情なんだけど」

「私情無しで行動する奴の方が、私は信用出来ないけどね。……接触したか」


 声を潜め、耳に手を当てる土居さん。

 私も口を閉ざし、イヤホンに意識を集中する。

 残念ながら緒方さんとバイヤーとの会話は聞こえないが、指揮班の指示を聞いてる限りでは接触に成功したらしい。

「やばいかな」

「え、なにが」

「外のワゴン。罠と知って接触してくるような連中なら、寮内へ襲撃する可能性もある」

「分かりました。……こちら31。外部のワゴンを最警戒。場合によっては、先制攻撃を」

 すぐに了承したのと連絡があり、ショウ達が行動したとの連絡も入る。

 私には何か出来る訳でもなく、ただこうして人の行動を聞いているだけだ。

「あんたはここで待機。分かってるだろうけど、我慢するのも役割の一つだよ」

「ええ」

「バイヤーが拘束された後で、ワゴンがどう行動するか。それと、協力者がどれだけいるか。これは、後々揉めるよ」

 つまらなそうな口調とは裏腹の、生き生きとした表情。

 戦いを求めるという意味ではなく、この寮。

 この学校を強く愛するが故の。

 この学校を害する者への敵愾心の現れ。

 またそれは、私も彼女にひけは取らない。

 こうして苛立ちを募らせてる今も、無論。




 寮内にある警備会社の詰め所。

 バイヤーを名乗る女は、そこの小さな会議室に拘束されていた。

 外見は普通で、少し化粧を濃くしている程度。

 ただ周りを警備員さんや私達に取り囲まれても至って落ち着いていて、むしろ私達の対応を楽しんでいる様子。

 それは彼女の背後にマフィアなり暴力団がいる事を匂わせている。

「分かっているだけで良いから、学内の組織図を書いて。それと、バイヤーと常連客のリストも」

 モトちゃんが差し出した白紙の紙とペンを手で払い、床に落とす女。

  周りの子達が騒然とするが、女は半笑いで床に転がったペンを蹴飛ばした。

「私、眠いのよね。話を聞きたいなら、コーヒーお願い」

「調子に……」

「真田さん、コーヒー」

「分かりました」

 モトちゃんの指示で、会議室を出て行く真田さん。

 空気は一気に悪くなり、女の欠伸だけがやたらに目立つ。

「第一あなた達、警察じゃないでしょ。私を逮捕する権限でもある訳」

「あくまでも、話を聞くだけ」

「さっきのドラッグの事なら、冗談だから。寮の部屋を探しても良いわよ」

 やたら強気な発言。

 そして難しい顔をするモトちゃんとサトミ。

 どうも部屋の捜索は済ませていて、ドラッグは見当たらなかったらしい。

「警察に引き渡して終わりじゃないの」

「出来れば、寮内や学内での組織図を知りたいのよ。警察は、そこまで教えてくれないから」

「聞けばいいじゃない」

「どうやって」 

 逆に尋ねてくるモトちゃん。

 そう言われると私も答えようが無く、苛立ち気味に床を踏みならすしか出来ない。

 全員腰が引けている訳ではないが、相手の背後にはマフィアが存在する。

 また相手も事が事だけに、そうたやすく口を割る訳もない。

 膠着状態が解消される様子はなく、女は真田さんが運んでいたコーヒーを余裕の表情で飲み出した。 


 一旦寮の外へ出て、冷たい空気を浴びる。

 街灯は白く輝き、今はもう虫が辺りを飛び交う事もない。

 空気は刺すように冷たく、じっとしていると足下から痺れてくる感じ。

 拷問なんて言葉も思い浮かぶが、それこそ自分が犯罪者だ。

「どうも、上手くいきませんね」 

 私の隣で、両肩を押さえながら足を踏みならす緒方さん。

 コートを羽織っていて私よりも厚着だが、寒さに弱いのかも知れない。

「傭兵の頃ならもっと手っ取り早く尋ねるんですけど。この学校に所属している限り、それも難しそうですし」

「私達が法律を破っても仕方ないから。最後は結局、警察に引き渡して終わりかな」

「バイヤー一人消しても、大して意味はありませんよ。むしろ組織と敵対するって意思表明になるだけで」

「まあ、ね。だから連中の構成なり組織が、もう少し分かればいいんだけど」

 今日の作戦で、バイヤーまでのルートについてはある程度把握出来ている。

 ただ、あのバイヤーは単なる末端。

 その先のドラッグ自体を供給する人間や、マフィアとつながりのある者は殆ど分かっていない。

「ワゴンの方は、どうだったんです」

「こっちは他校の高校生だったんだけどね。今車の中を捜索してる」

「そっち次第かな。やっぱり、多少無茶な手を使わないと」

「まあ、ね」

 同じような呟きを繰り返し、自分の力のなさを痛感する。  

 緒方さんにしてもモトちゃん達も頑張っているし、それなりの成果は出ている。

 ただこの話を持ちかけたのは自分であり、私自身はラウンジでお茶を飲んでいただけだ。

「いつも、こうなんですか?」

「え、なにが」

「誰かを尋問する時。ああやって、ぬるいのかなって」

 かなり辛辣に表現する緒方さん。

 とはいえそれは間違っていなく、女の扱いは非常に丁寧で礼儀もわきまえている。

 内心どう思ってるかはともかく。

「そうでもないんだけど。やる時はみんな、かなり厳しくやるよ」

「相手がマフィアと関連しているから、腰が引けてるとか」

「それもあるだろうし。彼女達はどちらかといえば、飴の部分だから」

「じゃあ、ムチが浦田さんですか」

「そうなのかな」

 モトちゃん達も、相手に厳しく接する事が出来ない訳ではない。

 ただ普段はその役割を大抵はケイが担っていた。

 人がやりたがらない事。

 危険な人物への対応も。

「呼びますか、浦田さんを」

「いや。それは止めたい。モトちゃんはモトちゃんで、もっと穏やかに解決出来るし」

「時間が掛かりそうですね」

 やはり手ぬるいと言いたげな緒方さん。 

 ただ彼女も力尽く以外の策があるとは口にせず、私達の行動を見守るしかない様子。

 外に出てきたのもその苛立ちを抑えるためかも知れない。

「仮に今回は聞き出せたとしても、やはり浦田さんのポジションは重要だと思いますよ」

「一応、そのためにあれこれやってるんだけどね」

「本人の容疑は、どのくらいなんですか」

「あまりぱっとしない」

 容疑という言い方は気になったがそれにこだわっている場合ではなく、また実際そういった見方をされるのも仕方ない。

 少なくともお金の無心を始めた事で、以前より嫌疑は深まっているのだから。

「無理矢理施設に放り込んだらどうなんです?」

「普段は鈍いけど、その辺の勘は鋭くてね。私達が行動しようと思った時点で、間違いなく寮から逃げ出す。多分名古屋からも」

「厄介だな。彼が敵に回る可能性は」

 やけにケイへこだわる緒方さん。

 これは仲間に対する心配というより、自らの行動に対する判断材料にするつもりだろう。

 彼女は単なる後輩ではなく、かつて学校と戦った先輩達が送り込んできた存在。

 つまり、そのためだけに行動する立場なのだから。

「無いわよ」

 私ではなく、赤のカーティガンを羽織ったサトミが前髪をなびかせながらやってきた。

 街灯越しの薄い影は緒方さんの顔に落ち、その姿全てをも闇へと変える。

 サトミは冷めた表情で彼女の顔を覗き込み、肩へゆっくりと手を伸ばした。 

 ただそれだけで緒方さんは完全に硬直し、動くどころか何かを言う事すら出来はしない。

「あなたの傭兵としての立場や、契約。使命は分かってる。でも私達も、仲間を裏切るつもりはないから」

「げ、現に、彼の立場はかなり曖昧ですよ」

「それは認めるわ。だからあなたがそう判断した場合は、彼をどうしようと私達は咎めない。許可を得る必要もないわ」

「聞き直しはしませんよ、今の言葉」

 サトミの醒めた眼差しを跳ね返すように、強い口調で言い返す緒方さん。

 単なる虚勢ではなく、彼女は彼女で自分の役割を背負っている。

 それを果たすためには、万難を排する覚悟くらいあるだろう。

「大丈夫。あなたが手を下す前に、私達が始末するから」

「え」

「あなたに嫌な役目はさせないし、させる気もない。彼の存在なんて誰も意識しなくなるわ」



 冬の寒さなど、人の気持ちに比べれば大した事はない。

 無論サトミの発言は決意の表れであり、彼女の気持ちはむしろその逆だと思うが。

 ただ真っ青な顔で引き返していった緒方さんがどう捉えたかまでは分からない。

 私もその事をサトミと話し合う気はないし、十分に理解しているつもりだ。

「バイヤーは?」

「どうにか話は付いた。本人を退学させる事を条件に、組織の構成を聞いた」

「ちょっと、それって」

「マフィアを裏切るんだし、そのくらいの措置は許してあげて」

 話は終わったとばかりに、テーブルへ広げていた書類をバインダーへ収めるモトちゃん。 実は取るが、何か間違っているような気もする。

「不満は分かるけど、もう遅いわよ」

「帰したの?」

「あなたが騒ぐと思ってね。という訳で、終わり」

 私に背を向け、真田さん達に指示を出す緒方さん。

 その背中に掛ける言葉は思い付かず、また掛ける勇気も無い。

 彼女が何のためにそういう方法をとったのか。

 それがどれだけ非難を浴びるか、それは十分に分かった上での行動。

「結局、私は何も出来ないんだな」

「急に、何よ」

 モトちゃんから受け取った組織の構成図を読みながら話しかけて来るサトミ。

 また始まった、という顔にも見える。

「何も出来ないし、嫌な事は人任せだし」

「役割分担よ。モトだって、傭兵相手に暴れ回れないでしょ」

「そうだけどさ。……いつもケイは、どういう気持ちだったのかな」

「好きでやってたんでしょ」

 辛辣に言い捨て、書類をめくり何かを書き込んでいく。

 そう言われると、完全には否定出来ない。

「考えるだけ無駄よ。それより、結構生徒会に食い込んでるわね」

「ドラッグの売買組織が?」

「いえ。こっちは、学校に雇われた人間の組織図。関係ない事まで、色々教えてくれたみたい」

「それっていい話なの?」



 外へ出かける気にもなれず、寮の食堂で遅めの夕食を取る。

 おにぎりとみそ汁、揚げ物が少し。

 まずくはないが、いまいち味は理解出来ない。

 私には、何もかも。

「寒い」

「死ぬかと思った」

 突然目の前に座るショウと御剣君。

 二人ともジャージ姿で、頭は濡れているようにも見える。

「どうしたの」

「あいつら、薬品持ってやがってさ。いきなり掛けてきやがった」

「硫酸?」

「かもな。穴開いたから」

 温かいお茶をペットボトルから飲んでいる二人は、当然穴など開いてない。

 開いたのは着ていた服や、例のワゴン車の事だろう。

「他校の生徒って、何なの」

「親睦会がどうとか言ってたな。親睦会って、なんだ」

「俺に聞かれてもね」

 知らないという顔で首を振る御剣君。

 たてがみを振るうライオンって、多分こういう感じなんだろう。

「何だったかな。えーと、確か色んな学校組織の親睦会だったと思うよ。前、サトミが言ってた」

「そいつらが、どうして」

「私に聞かれてもね」

 御剣君と同じように答え、首を振る。

 しかしたてがみと呼べる程の長さもないし、何より元々の迫力に欠ける。

「学校、生徒会、マフィア、で親睦会。どうするんですか」

「一つ一つ片付けるしかないだろ。今はまずドラッグの問題に専念だ」

「そう簡単にいけばいいんですけど。……忘れてた」

 ジャージのポケットから簡素な端末を取り出す御剣君。

 草薙高校の生徒は出資企業から最新鋭の機種を定期的に渡されるため、ここの生徒の持ち物ではないと思う。

 つまり、その親睦会の持ち物か。

「元野さん達に渡すの忘れてた」

「中にデータ入ってる?」

「消すまもなく取り上げましたから。血も拭きましたし」

 最後の一言は聞かなかった事にして、端末を操作する。

 彼が言う通りセキュリティも掛けてなく、個人情報は勿論スケジュールや訳の分からない収支まで閲覧出来る。

「……これ、本当に取り上げたの?」

「俺の物ではないですよ。寮に置いてきてますし」

「本当に?」

「どうしてそんな事聞くんだ。どう見ても、武士のじゃないだろ……」

 私から端末を見せられ、息を飲む二人。 

 画面に表示されているのは、この数日間の着信履歴。

 そこに載っている、「浦田珪」の文字。




「偶然知り合いだった。なんて訳はないか」

 データを抜き取った端末を、小さな箱に入れてキーを掛けるモトちゃん。

 それを詰め所の金庫に保管し、聞こえないくらいのため息を付く。

「向こう。バイヤーの話には出てこなかったのよね、ケイ君の名前」

「でもランクとしては、ワゴン車の方が上なんでしょ」

「ええ。バイヤーから連絡を受けて、あの連中がドラッグを引き渡す。面倒ではあるけど、それだとバイヤー自身をどれだけ捜索してもドラッグ自体は見つからないから」

「困ったな、これは」

 改めてため息を付き、椅子に座るモトちゃん。

 サトミは無言で、先程の組織図を読んでいる。

 私から話を聞いても、端末で彼の名前を確認してもそれ程の反応はなかった。

 戸惑いや驚きを押し隠しているようではあるけれど、私達よりは冷静さを保っているように見える。

 しかし落ち着いている理由は語らないし、私も無理に聞く気はない。

 それは彼女の高度な推論から裏付けられた故の態度ではなく、ケイへの信頼でもあると思ったから。

「話を聞くしかないわね」

 私達に同意を求めるというよりは、意志を伝えるように告げるモトちゃん。

 それを否定する意見は聞かれず、ただ賛意を示す者も出てはこない。

 非常に嫌な仕事であり、答えがどうであれ相手を傷つけかねない事柄。

 室内の空気はより重くなり、会話どころか視線すら交わされない。

「今日はお疲れ様。この後の事は私達で実行するから、みんなは帰って良いわよ」



 みんなとは無論、私も指している。

 普段はそれが嬉しくもあり、楽しい事への前触れだった。

 今はさながら、冥界への一里塚を探しに行くような気分ですらある。

「しかし、素直に答えるか?」

 当然の疑問を呈するショウ。

 先頭を行くモトちゃんは何も答えず、サトミに至っては先程から一言も言葉を発しない。

「それより、大丈夫?武器は?」

「俺はプロテクターを下に着てる」

「ならいいけど。モトちゃん達は?」

 カーティガンの袖をまくるサトミと、ジャケットの下を見せるモトちゃん。

 二人ともショウ同様プロテクターを装着済みで、私もそれを脱いではいない。

 ただこれは、明らかに相手を。 

 ケイを初めから疑った行為。

 サトミ達の口数が減るのも当然で、私も自分自身が嫌になってくる。

「仕方ないよね」

「ああ。自分の気持ちがどうって言ってる場合じゃない」

 すぐに返ってくる、望んでいた答え。

 そんな彼の軽く触れ、腰に差しているスティックにも手を触れる。

 冷たい、無機質な感触。

 そう。感情は感情、事実は事実。

 その事は、決して忘れてはならない。



 男子寮内にある、多目的用スペースの小さな部屋。

 以前屋神さん達から学校との戦った経緯を聞かされた場所であり、防音設備も整っているため外部に会話が漏れる事はない。

 ケイはあっさりと呼び出しに応じ、普段とさほど変わらない様子で席に着いた。 

 私とサトミ、モトちゃんが正面。

 ショウはケイの右後ろに付く。

「尋問って感じだな」

 冗談っぽく呟くケイ。

 それに反応し体を震わせたのは自分くらいで、みんなは少しも動揺しない。

「俺に何か、話でも?」

「ストレートに聞く。この人物に、心当たりは」

 見た事のない顔写真をテーブルに滑らせるモトちゃん。

 おそらくはワゴン車にいた男で、ケイは写真を手に取りすぐ頷いた。

「ここの生徒じゃないよ、こいつ」 

 軽く認め、写真を戻すケイ。

 この辺りは会話以上に深いやりとりがあるのだろうが、私にはケイの落ち付きとモトちゃんの笑顔が逆に痛々しい。

「後期に入ってすぐかな。丹下の用事で中部庁に行った時、こいつとその仲間にあった。この辺の学校で作ってる、生徒会同士の親睦会だって」

「それで」

「俺はそこを首になった人間だ、で終わり。連中は草薙高校の生徒を取り込みたかったみたいだけど、俺は必要ないってさ。ただ、儀礼的に何度か連絡はあった」

 接点はありつつも、深い関係はないという答え。

 実際着信や通話の履歴はあっても、その会話がなんだったのかは分からない。

 つまりは、これ以上追求はしようがない。

「もう一つ聞く。ドラッグの治療は、どうなってる?」

「今日も病院に行ってきたし、検査結果は学校に報告されてる。ジャンキーになってたら、寮から追い出されてるさ」

「そう。いくつか、あなたに嫌疑が掛かってる事は?」

「何を今更。王水って、あんまり大した事無いな」

 鼻で笑い、後ろを振り向くケイ。

 そこには明るい笑い声を上げていた高畑さんと、やや気まずそうな顔をしている木之本君の姿があった。

 どちらも場違いという顔で、今にも部屋を出て行きそうである。

「ごめん。僕はただ、話してるだけだと思って」

「その通りだよ。子供は早く帰って、早く寝ろ」

 入り口で小さくなっている高畑さんの頭を撫で、彼等と入れ替わりに部屋を出行くケイ。

 誰も彼を呼び止める事はなく、また彼も振り返りはしない。

 ドアの閉まる音だけが虚しく響き、あの嫌な沈黙が訪れる。

「王水って、王水の事?」

 その沈黙を無理矢理解消させるため、少し声を高くして黙りこくっているサトミへ話を振る。

 彼女はけだるそうに頷き、端末をチェックした。

「ショウと御剣君の服から検出された成分も、塩化ニトロシルと塩素。つまり、王水の成分ね」

「じゃあ?」

「私達の行動は内密だけど、外部に漏れない訳でもない。ケイが知っててもおかしくはないわ」

 あくまでもその可能性があるというだけの話。

 出来事が起きたのはついさっきであり、そこまで簡単に話が漏れるのも不自然すぎる。

「もしくは、内部に別な協力者がいるか」

「え」

「そう考えだしたら、きりがないという話よ」

 笑いもせずにそう言って、先程の組織図へ顔を戻すサトミ。 

 これ以上話を聞くのは無理なようで、私もこの先の話はあまり聞きたくはない。

「高畑さんは、どうかしたの?」

「遊びに、来ただけなんですけど。何か、駄目みたいですね」

 声を潜め、体を小さくして。

 全ての罪を背負ったような顔になる彼女。

 私も彼女の頭をそっと撫で、自分の隣へ座るよう促す。

 彼女の置かれている環境、その状態。

 決して幸せだったとは言い難い、今までの生活。

 私にはなんの力もないけれど、それを少しでも和らげられるなら。

 彼女を虐げる物を遮る事が出来るなら。

 それを惜しむ気はない。



 男子寮を後にして、しかし女子寮にすぐ戻る気にもなれない。

 とはいえ何かあてがある訳でもなく、神宮駅前のショッピングモールを一人歩く。

 クリスマス前の綺麗なイルミネーションと、楽しげなカップル達。

 夜の街は華やかで、まだしばらくは終わる事はない。

 私には、終わりどころか始まりすらないが。

 すでに閉店したらしい、シャッターの下りた飲食店の前。

 何人かで集まりしゃがみ込んでいる、私と同年代くらいの子達。 

 会話の内容は聞こえず、ただ笑い声だけが耳に付く。

 普段なら気にも留めない、だけど今は耳障りな音。

 しかしそれを怒る理由もなく、背を丸めて先を急ぐ。

 急いだところで、どこかに行く当てなどないのだが。

「ちょっと、彼女。今、暇かな」

 不意に目の前へ現れる、軽そうな男。

 黒のトレンチコートと派手なチラシ。

 ナンパではなく、営業の方らしい。

「良かったら、この店へ」

 チラシはホストクラブの広告。

 私を勧誘してどうすると思いながら、適当に頷き男から離れる。

 しかし向こうはさらに前へと回り込み、私を見下ろしながらコートの裏を一瞬見せた。

 露出狂でもなければ、銃やナイフを隠していた訳でも無い。

「それじゃ」

 やはり軽い調子で去っていった男は、先程の若者達の所に立ち寄り会話を交わして雑踏の中へと消えた。

 胸の中に沸き上がる不安。

 そして怒り。

 男が見せたのは、薬局でもらうような錠剤のシート。

 それが持つ意味は、今は嫌になる程分かっている。



 苛立ちと絶望感。

 自暴自棄になるとは、多分こういう心境なのだろう。

 以前なら、そうなっていたかも知れない。

 でも、今は違う。

 そう思う自分を、どうにか冷静に見ていられるもう一人の自分がいる。

 幾つもの経験、幾つもの出来事。

 成長したとはいかないまでも、少しは進歩していると思う。

 どちらにしろ、気分が悪いのは言うまでもない。


 コンビニで雑誌を立ち読みし、適当に飲み物と食べ物を買う。

 目的のない行動、単なる時間つぶし。

 不安定な精神のバランスを、かろうじて保っている状態。

 目に薬品を浴びた後の休養を経験していなければ、どうなっているか分からない。 

 絶望も無力感も虚無感も、あの時に嫌という程味わった。

 もう二度と戻りたくはない、だけど今の私を作り上げた一つの経緯。


 コンビニの前で温かいお茶を飲み、肉まんをかじる。

 寮はすぐそばで、何もここにいる必要はない。

 ただ、慌てて帰る理由もない。

 それでもすぐに食べ終わり、ゴミを片付け立ち上がる。

 駐車場に入ってくる、大きな音を立てる何台もの車。

 マフラーやエンジンを変えてあえて大きな音を出している、やや時代錯誤の趣味。

 関わり合いになるのも面倒だし、今はそういう気分でもない。

「彼女、暇?」

「忙しい」

 即座に答え、声を掛けてきた男を睨み付ける。

 相手は言い返す事も怒る事もなく、その場に崩れて青い顔で私を見上げた。

 理由は分からないが、関わり合いにならずに済んだ。

「おい。どうした」

 車を降りて集まってくる男の仲間達。

 柄が悪い雰囲気ではないが、あまり友好的な態度でもない。

 どちらにしろ、私には関係ない。

「ちょっと待てよ」

「私は何もしてない。勝手に倒れただけでしょ」

「話を聞くだけだ」

 肩に伸びてくる手を下がってかわし、ジャケットの裾を払って腰に触れる。

 冷たい、なじみのある手触り。

 即座にスティックを抜いて、先端を伸ばさないままそれを構える。

「何もしてないと言った。聞こえなかった?」

「だったら、どうして倒れてるんだ」

「そんな事知らない。私には関係ない」

「関係ないで済むか」

 いつの間にか周りは男達に取り囲まれ、距離も詰められている。 

 走り抜けられるような隙間はなく、また相互の連携も取れている様子。 

 何かの罠かと判断し、皮のグローブをはめてスティックのスタンガンを作動させる。

 プロテクターはないがジャケットが厚いため、多少の打撃なら吸収する。 

 それでも顔色一つ変えず私を囲んだままの男達。

 武器を取り出す気配はなく、相当の自信が窺える。

 ただそれはお互い様で、全員を倒すならともかく突破するのはたやすい話だ。


「その辺で止めておけ」

 男達の後ろから聞こえる、馴染みのある落ち着いた声。

 一瞬不満の表情を示し、しかしすぐに包囲を解く男達。

 油断はせず、スティックを構えたまま囲みを抜け出し声の主を確かめる。

「阿川君。何してるんですか」

「ツーリングの帰りなんだが。俺はちょっと遅れてね」

「改めて言いますが、私は何もしてませんよ。声を掛けられて、少し逃げただけです」

「分かってる。おい、彼女は俺の知り合いだ。俺達全員で掛かっても勝てないような人だから、失礼な真似はするな」

 大半のまさかという顔と、ただ一人激しく男。

 相当誤解されている気はするが、今は否定する気にもなれない。

「雪野さん一人?」

「ええ」

「車もないようだし、送ろうか。といっても、寮はすぐそこだけど」


 それでも言葉に甘え、スポーツタイプのセダンに乗り込む。

 運転しているのは綺麗な女性で、意外と大人しく走っていく。

「ドラッなら、繁華街で結構売ってるよ」

「そういう連中が、学内で売りさばいてるんですか?」

「どうかな。系統がいくつかあるし、学校にいる連中は傭兵絡みの気もする。何にしろ、迂闊に突かない方が良い。蜂の巣どころの騒ぎじゃないからね」

 苦笑気味に釘を刺してくる阿川君。

 それへ適当に頷き、スティックを手の中で転がす。

「浦田君の事が関わってるから、俺がたやすく口を出す話でもないとは思うけど。相手はマフィアがバックにいるからね」

「そういう経験は無いんですか?」

「無くはない。いい思い出もない」

 淡々とした口調。

 一瞬凍り付く車内の空気。

 だがそれに動揺する事もなく、私は改めてスティックを手の中で転がす。

「現時点で、私は嫌な気分を味わってます」

「分かるけどね。生死にも関わってくるよ」

「ケイはどうなんです」

「その辺を疲れると、俺も痛い。ただ一言断っておくと、俺は関わらないから」

 冷たい、突き放すような台詞。

 ただそれは初めから分かっていて、私も彼を頼る気はない。

 また頼るべきでもない。

 関わりのある人は、一人でも減らしたいから。

「今何が起こってるのかは分かりませんし、私には判断も付きません。ただ私は、自分の力で解決するつもりです」

「辛いよ、相当に」

「分かってます」

「なら、俺から言う事は何もない。死人が出ないよう祈るとしよう」 

 鼻で笑う阿川君。

 信号で止まる車。 

 運転をしていた女性が、者言いたげに振り返る。

「言っただろ。彼女は俺より強いし、仲間にも恵まれている。俺が関わる理由もない」

「ですが」

「関わりたいのか?」

「子供じゃないですか、その子」 

 一瞬の静寂。

 すぐに声を出して笑う阿川君。

 しかし私に睨まれて、咳払いして姿勢を正す。

「失礼。彼女は俺の一つ下。高校2年生だよ」

「え」

「ちなみにこの角度なら、君の首くらい簡単に折れる」

 青と同時に突然加速する車。

 動揺して、アクセルを強く踏みすぎたらしい。

「そんな事はしません」

「出来ません、じゃないんだ」

「うるさいな。女子寮はそこなので、もういいですよ。ありがとうございました」

 今度は緩やかに停止する車。

 女性はもう振り返る事はなく、阿川君が笑っているだけだ。

「君へ声を掛けた馬鹿は探しておく。対症療法的だとしても、何もしないよりはましだから」

「済みません」

「俺も一応、この街に住んでる人間だからね」




 自分の部屋へ戻り、シャワーを浴びてベッドに倒れる。

 何かが解決した訳ではなく、疲労が募っただけ。 

 それも精神的な疲労で、緊張して体が休まらない。

「ふぅ」

 お酒を飲む気にもなれず、冷蔵庫からアイスティーを出して一口飲む。

 お風呂で温まった体には心地良い冷たさ。

 季節や行動としてはかなり矛盾しているが、人間とは大抵そういう生き物だ。

 酔ってもいないのに適当な事を考え、もう一度口に付ける。

 テーブルへ置いたペットボトルの横で音を立てる端末。

「……ああ、ごめん。ちょっと出かけてた。……明日会合?……分かった。……大丈夫だって。……はい、またね」

 端末をテーブルへ戻し、ため息を付く。

 内容はサトミからの短い伝達。

 学内でのドラッグに対処するための会合が明日開かれ、それへ出席するよう私達にもオファーが来ている。 

 その事は問題ないし、むしろ歓迎出来る。

 だけど私のため息は増え、気持ちは重くなる。


 翌日。 

 教室ではなく、特別教棟内の会議室へと向かう。

 側にいるのはサトミとショウ。

 モトちゃんや木之本君、沙紀ちゃんも仕事を片付け次第来る予定。

 ガーディアンのチェックをパスし、会議室へと足を踏み入れる。

 正面は生徒会の各局幹部。 

 私達はその対面側にある、末席。

「よう」

 意外と気安く声を掛けてくるケイ。

 例により朝から眠そうで、辛そうな顔。

 彼はすぐに顔を伏せ、元の姿勢へと戻る。

 昨日の会話を引きずってはいない感じ。

 あくまでもそう見えるというだけで、いつもの事だが彼の内心は掴めない。

 彼の隣へはショウが座り、私は彼を間に置いてその隣へと座る。

 意識しない方が無理な距離であり、状況。

 さらに私を間に置いて座ったサトミも、無言で事前に配布された書類を読んでいる。


 ただ会議と聞いてはいたが、机の配列からして通常のそれとは異なっている。

 大きなモニターを背にした正面側に、一列。

 その左右へ向かい合うようにして一列ずつ。

 コの形に配列された場所に座っているのは、生徒会と執行委員会。

 対して私達は、そこから離れた位置で彼らと向き合う格好で横一列に並んでいる。

 もう少し位置が前なら、完全に査問の形態。

 机や椅子の質を落とす程露骨ではないが、私達への意識や考え方は十分に理解出来る。

 オブザーバーとは聞いていたが、名目だけとはまさにこの事か。


 単調かつ事務的に行われる会議。

 一方的な伝達と、簡単な質疑応答。

 全て段取りがあるらしく、時計を見ていると等間隔でタイムスケジュールが進行している。

 楽は楽で良いが、だったら始めから呼ぶなと言いたい。

 サトミは聞いているような振りだけをして、配られた書類に小難しい数式を延々と書き込んでいる。

 どうせ聞いても分からないし、それ程知りたいとも思わない。

 宇宙がいつ終わろうと、最低限私が死ぬまではあるだろうし。

「寝ないでよ」

「誰が」

 平坦な口調で返してくるショウ。

 起きてはいるが、意識は無いな。

 仕方ないので軽く腕をつねってみる。

 しかしこの程度では、それこそ子猫がじゃれついているようなもの。

 それに体脂肪が少ないので、つねる程の肉もない。

 ちなみに自分の腕は、痛みを感じない程十分に付いている。

 女の子は、男より体脂肪が多いのよ。


「何か、質問でもございますか」

 今更話を降ってくる生徒会の誰か。

 記憶にない顔で、多分自警局ではないのだろう。

 内局か、外局。それとも総務。

 何にしろエリートで、私には縁のない存在ではある。

「では、少しだけ」

 控えめに発言を申し出るモトちゃん。

 この辺はそつが無いというか、波風を立てないというか。

 内心で何を思っているかはともかく、こう穏やかに微笑まれれば人間悪い気はしない。

「結局現在、どういった種類のドラッグがどの程度蔓延しているのでしょうか」

「資料でお配りしたとおり完全な把握は出来ていませんが、習慣性の強いタイプの物は出回っていないはずです。最近は警察の目もありますし、これ以上悪化はしないと思います」

「なるほど」

 いかにも感心したように頷くモトちゃん。

 相手も彼女が納得したと思ったらしく、にこやかに微笑んでみせる。

「ケイ君は、どう思う」

「常習者としての意見として?」

 鼻で笑い尋ね返すケイ。

 しかし彼女もこれで動揺する程甘い人間ではないため、今までよりも少し迫力のある表情で彼を見つめる。

「一匹いれば、20匹いるって言うだろ。表面に表れてる時点で、終わってるさ」

 辛辣に指摘し、脇腹を押さえるケイ。

 そろそろ冬の盛り、傷が痛む時期でもあるのだろう。

「何か、発言でも?」

 今度は今の子ではなく、自警局の人間が尋ねてきた。

 横柄さと傲慢さの固まりといった顔で、絶対知り合いにはなりたくないタイプ。

 多少出来がいいからといってこういう態度では、その能力も役に立たないと気付かないのが不思議でしょうがない。

「俺も発言していいですか」

「ええ。是非とも貴重なご意見をお聞かせ下さい」

 女の周りから聞こえる、失笑に似た笑い声。 

 つまりは、ケイがドラッグを盛られていたことを知っている連中か。

 当然その程度は微かにも気にする様子はなく、むしろ笑顔さえ浮かべて彼らと対峙する。


「ドラッグが学内に入り込んでいるのは事実なので仕方ないとして。具体的に、それをどうやって排除していくつもりでしょうか」

「執行委員会の警備部門が中心となり、バイヤー及び購入者を拘束します」

「出来ますか?ただのチンピラではなくて、ドラッグを使用してる人間ですよ。精神状態も身体的な能力も、普通じゃないですから」

「ご心配には及びません。警察より、装備をいくつかお借りしてます」

 女の合図で机の上に並べられる幾つもの装備。

 大半が銃と、それに似た形状の武器。

 力尽くで押さえ込むのは理解出来るが、警察という点は多少引っかかる。

「警察の代行的な事も行うのでしょうか」

「生徒の自治を維持するため、警察の導入は出来ませんからね。多少一般生徒の権利を制限する場合もありますが、非常事態ですので」

「その時点で、自治じゃないと思うんですけどね」

 何気ない口調で軽く否定するケイ。

 女はそれが気にくわなかったらしく、机に身を乗り出して彼を睨み付ける。

「私達にはそれだけの権限があり、また義務があります」

「力尽くで押さえ込むのは分かりますよ。ただ、どうしてドラッグが蔓延したのかとかさばいいるのは誰なのか。そういった点も考えないと。場当たり敵過ぎる気がしますけど」

「ご心配なく。我々には十分な計画と能力がありますので。またあらかじめ断っておきますが、我々の行動を妨害する場合はあなた達でも拘束の対象にしますので」

 ようやく本音が出たという所か。

 こうなるとドラッグが蔓延している理由も、やはり彼らが学校全体を力尽くで押さえ込むための一つの手段かもしれない。

「警察権の代行ですので、その点は十分に留意して下さい」

 脅し、警告。

 どちらにしろあまり品がいい事ではなく、少なくともここにいる人間でそれに怯える子は一人もいない。 

「狐だな」

「はい?」

「虎の威を借る狐っていう、ことわざさ。いや。警察の手下だから、この場合は狗か」

 いつも以上に挑発的で敵意に満ちた態度。

 室内は騒然となり、ケイへの罵倒や怒号が一斉に飛び交う。

「わんわん吠えるなよ。さてと、俺はドラッグの治療プログラムがあるのでお先に」

 気楽に手を振り部屋を出ていくケイ。

 その後を追おうとする者も表れたが、それはかろうじて止められる。

 ただし今止められただけであり、この先の保証はまるでない。

「挑発して、何やる気」

「私に聞かないで」

 素っ気なく返すモトちゃん。

 確かに彼女に聞いても分かる訳はなく、サトミもそれは大差ない。

 ショウに至っては今の騒ぎでようやく起きた所なので、聞く意味すらない。

「木之元君は、どう思う」

「浦田君が何を考えてるかは、あまり気にしない方がいいよ。僕達のためにか、学校のためにか。多分そういう事だとは思うけど」

 あくまでも人のいい、先程のケイの発言内容とはかけ離れた台詞。 

 彼らしいといえばらしいし、脳天気すぎるともいえる。

「なんか、うるさいな」

 寝起きの虎みたいな発言をするショウ。 

 端的に言えば、機嫌が悪い。

「今まで寝ていて、何か不満でも……。退屈な内容でしたからね」

 慌てて取り繕うさっきの女。

 ショウが寝ぼけた目でそちらを見ただけだが、向こうにすれば肉食獣と目が合ったような心境だろう。



 場所をラウンジへと移し、その隅に集まる私達。

 存在自体が相当有名らしく、しかし一定の距離を保って取り囲まれている感じ。

 周りの人間からすれば、気の荒い野良猫がいるようなものかもしれない。

「あれは、何?お得意の、自分に注目を集めて周りの人間の目をそらすパターン?」

 笑い気味に指摘するモトちゃん。

 ケイは空になったお茶のペットボトルを手の中で転がし、少しだけ声を潜めた。

「まさか。ドラッグを抜く薬の副作用。気が高ぶるというか、イライラする」

「と、冷静に分析する訳」

「第一本当に危ないのは、俺よりもあの連中だろ。こっちが相手にするのは、所詮高校生。警察の代理といっても、学内で出来る事に限りはある。でも連中が捕まえるのは、バイヤーだから」

 彼らにしても、バイヤーにしても高校生。

 ただし、ケイの言葉はこう続くだろう。

 彼らの後ろに警官がいるのなら、バイヤーの後ろにはマフィアがいると。

 警官は色々と問題があるとしても、法を守るべき立場。

 だがマフィアは法を守り、秩序を乱す存在。

 非常に難しい選択ではあるが、やはりマフィアを敵に回したいとは思わない。

「本当あいつらも分かってるのかな。警官気取りも良いけど、誰を相手にするのかって」

「それで、どうする気」

「あ?」

「ケイ君は、どうするのかなと思って」

 放っておくと答えるのは、モトちゃんも分かっているだろう。

 分かっていながら尋ねるところに彼女の深さや、大人である事を強く意識する。

「俺ばかりに言われても。こっちはただのジャンキーなんだし」

「検出されるかどうかの量程度でしょ」

「何分、離脱プログラムの最中で色々制約がある。後は勝手にやってくれって気分だね」

 あくまでも手の内は見せない。

 それとも、本当にやる気がないだけか。

 どちらにしろ彼が学校の監視下にあり、かつ病人に近い生活を送っているのも間違いはない。

「分かった。もし何かするにしても、私なりサトミに連絡してから始めて。次は退学って言われてない?」

「何もしないから関係ない」

「どうだか」

 肩をすくめるモトちゃん。

 まだ書類に数式を書いていたサトミは、ようやく顔を上げてだるそうに肩を回し始めた。

「診断書と薬の成分表、後で持ってきて。ドラッグも、処方された薬も」

「俺は制約があるって、今言わなかったかな?」

「聞いてたわよ。夜は寮にいるから、それまでにお願い」

「この。ドラッグで心身喪失状態になって、襲ってやるからな」

 物騒な台詞を残して去っていくケイ。

 私達には単なる冗談で通用するが、それが聞き取れた周囲の何人かは顔を青くして俯いている。

 そういうのを見ると、自分が麻痺しているというか毒されている気にもなる。

どちらにしろ、彼は変わらない。



 あくまで自分を貫き通す彼。

 それへ感じずにはいられない不安と危うさ。

 彼が何をするのか、どうしたいのか。

 今の私には、それを見守るしかない。






  







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