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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第4話
31/596

エピソード(外伝) 4ー4 ~丹下沙紀視点~





     未来へ






 朝から、部屋の中で一人佇んでいた。

 明日という日を前にして。

 スピーカーからは、切なげな曲が流れている。 

 戦いに赴き、そのまま帰らない父を慕い待ち続ける歌詞だ。

 切なさに強さを秘めたその歌詞に、つい聴き入る。

 胸に染みいるような、ややハスキーで綺麗な歌声。


「MY FATHER’S EYES」


 というタイトルらしい。

 ベッドから起き上がり、ドレッサーの前に座る。

 束ねていない髪が前の方に流れ、膨らんだ胸元を覆っている。

 あの雨の日から伸ばし続けていた髪。 

 ここまで伸びた。

 それは過ぎ去った年月と、私の変化をも教えてくれる。 

 ただその日々を漠然と生きていた、昔の私。

 変わったのは外見だけか、それとも。


 身も心も傷付いていた私を、自分の事も省みず助けてくれた人がいた。

 それが誰かは分からない。

 私は、自分の名を告げる事すら忘れていた。

 古い夢の話だ。

 それでもいい。

 例え夢でも、私の幻想でも。

 私に変わるきっかけを与えてくれたのだから。

 目を閉じれば、あの夢の事が思い浮かぶ。


 降りしきる雨。

 痛む足を引きずり歩き続けた。

 傷付いた体よりも、苦しかったのは胸の中だっただろうか。

 涙と雨で、何も見えなかった。

 いつまで経っても寮には着かず、誰かに連絡する気もなれなかった。

 誰も通らない、川沿いの暗い夜道。

 何度目かに転んだその時、不意に手が差し伸べられた。

 私はそれを思わず振り払い、その人に何か言った。

 内容は覚えていない。

 とにかく自分に構うなという事だったと思う。

 向こうは呆れたのか、少しだけ何かを言って私から離れた。

 それからしばらく、結局私は再び倒れそうになった。


 すると、私の腕を掴んで起こしてくれる人がいた。

 顔は見えなかったが、さっきの人だった。

 ひどい事を言った私を、ずっと見守ってくれていたのだ。

 その出来事は、今でも私の中に生きている。


 その数日前観た映画に似たような話があったので、それを夢見たのではと疑ってはいるが。

 ごく一部を除いて記憶は曖昧で、現実感も殆ど無い。

 はっきり言えば、その人物は私の勝手な思い込みだとも思える。


 木村君の試合を警備して、観客が暴動を起こして、それを抑えて。

 そしてあんな事があって。

 記憶がはっきりしているのは、そこまでだ。 

 雨の中泣いて帰り、気付けば寮にたどり着いていた。

 その帰り道、私を助けてくれた人がいた。

 私の肩を抱き、話を聞いてくれた。

 遠い日の夢と現実。

 忘れ得ぬ、私の過去……。



 夕暮れの迫る、体育館裏。

 寂しげな風が、足元を駆けていく。

 乱れた髪をかき上げ、赤く染まる空を見上げる。

 胸元のジッパーを少し閉め、ハイネックの襟を前で併せる。

 少し冷えてきた。

 ミニスカートを押さえ、ブーツを軽く踏みならす。

 程良い土の感触が伝わる。

 もう大丈夫。

 心は揺れていない。

 見え始めた木村君の姿に、そう思う。


「早いな、もう来てたのか」

 腕時計を私に見せてくる。

 それはお互い様だろう。

 待ち合わせの時間には、まだなっていない。

 何となく落ち着きのない彼の顔。

 その意味は分からないし、今は考える必要もない。 

 私は、一言告げるだけだ。

「木村君」

 彼が目の前にいても、笑いかけていても。

 気持は変わらない。

「私は、あなたとは付き合えない」



 翳る夕日。

 私の薄い影が、彼に落ちる。

「……理由は聞かないぜ」 

 影の中、笑みを浮かべる木村君。

 暗い笑みを。

「断ったらどうなるかって、考えなかったのか」

「考えた。でも、それを理由にあなたと付き合うなんて」

「脅しには屈しないって。馬鹿だな、お前」

 鼻で笑い、封筒を取り出す。

 目を背けたくなるのを堪え、歯を食いしばる。

「メールにして全校生徒にばらまいても良いな」

「……好きにして」

「これが見られたら、お前何言われると思う?」

「何を言われても仕方ないわ。でも……」

 封筒を捨て、木村君が詰め寄ってくる。

「本気で言ってるのか。こんなのはどうでもいい。お前は、俺と付き合いたくないのか」

 不意に手が伸び、肩が掴まれる。

「お前、俺が好きなんだろ。告白はしてくれなかったけど、そうなんだろ」

 胸の痛みを感じつつ、頷く。

「そうよ。この間まで、私もそう思ってた。でも違うの」

「何がだっ」

 自分でも気付いたのか、手の力を弱めてくれる。

「……確かに、今まで俺は何もしてこなかった。いきなり会いに来て、付き合ってくれっていうのに無理があるのも分かってる」

 声に静けさが戻る。

「2年、会ってないんだよな。それに昔の俺も、お前には何もしなかった。たまに声を掛けるだけで、何も」

「木村君」

「そうしたらお前が突然いなくなって、俺はそれを気にも止めてなかった。高等部に入った後、報道部の記事を読んだんだよ。生徒会ガーディアンズの記事を」

 苦い笑み。

 わずかに彼の視線が下がる。

「1年で、自警局直属ガーディアン隊長に就任。一緒にお前の写真が載ってた」

「そう」

「綺麗になったお前を見て、その」

 自嘲気味な笑い声が洩れ、木村君は私から離れた。


「下らないだろ、こんな話。前は見向きもしないで、今は見た目だけで言い寄ってくるなんて」

 夕日を受け、彼が赤く染まる。

 初めて会った時、彼は走っていた。

 夕日の中を、一人走っていた。

 あの時の、懸命に何かを堪えている顔がそこにある。


 木村君を抱きしめて、その思いを受け入れられればどんなに楽だろう。

 一言「好きです」と呟けば、この胸の苦しみは消える。

 彼が本気で言っているのが分かる。

 自分を隠さず、全てを私に見せてくれている。


 心の中で繰り返す。

 「あなたが好きです」

 昔は言えなかった。

 恥ずかしくて、照れくさくて。

 断られると決めつけていて、そう分かっていたから。

 今も言えない。

 言いたくて、言いたくて仕方ないのに。

 言葉が出てこない。

 目の前にいる彼は私を好きなのに。

 そして私も、これ程までに彼を好きなのに。

 夕日を映す綺麗な横顔が、心を苦しく締め付ける。

 儚い、悟った表情を浮かべる木村君。

 まるで、私の心が分かっているように……。



「……そんな事無いわ。私だってあなたを好きになったのは、見た目からだもの」

 同じ様な笑い声が、私の口からも漏れる。

 初めて木村君を見た日の事を、もう一度思い出す。

 彼とすれ違い、その後を追った。

 体育館、彼が一人で走っている。

 夕日を浴び、みんなに遅れて一人走ってる。

 怪我、それとも体力不足。

 それでも彼は、ひたむきに走り続ける。

 綺麗な顔が苦痛で歪み、髪が乱れる。

 彼は足を止めない、走り続ける。

 時が経つのも忘れ、私はその姿を追い続けた。

 ただ彼の格好いい姿を見たいがために。 

 そのひたむきさに、その時は何の感慨も抱かなかった。

 素敵な男の子を見るために、私は彼を追った。

 そして、彼を好きになっていた……。 


「俺と、同じって訳か」

「お互い様よ」

 わずかな間があり。

 笑い出す私達。

 先程までの翳りや辛い思いを忘れた訳ではない。

 苦い彼の笑顔が、それを物語っている。

 そして、きっと私も。

「……ごめんなさい」

「沙紀が謝る事無いだろ。俺が馬鹿だっただけだ。せっかくの写真も無駄になったな」

 今は風に吹かれてどこにあるかも分からない封筒。

 そう言えば、どこへ行ったのだろう。

 いや、のんきにしている場合じゃない。

「後で捜しとく。人目に付いたらまずいだろ」

「まずいどころじゃないわっ。学校に来られないわよっ」

 思わず叫んだら、木村君は慌てて後ずさった。

「お、怒るな。お前、性格変わったんじゃないのか」

「そんな事言ってる場合じゃないでしょっ。あれが、あれが誰かに見られたら……」

 体が震えてくる。

 目の前が真っ暗になる。

 意識が薄れていく。

 駄目だ。

 もう立っていられない……。



「……何倒れてるんだよ」

 腕を掴まれる感触。 

 地面はすぐそこに見えず、体が倒れている様子もない。

 顔を上げ、目が合った。

「どうして、ここに」

「諸事情があって」

 訳の分からない事を言い、私を立たせる浦田。 

 その隣には、見上げるような体格の男性が立っている。

 確か拳法部部長で、SDC(運動部部長親睦会)代表代行の……。

「三島さん、どうしたんですか」

 怪訝そうに尋ねる木村君。

 彼はバスケ部のホープなので、面識があるのだろう。

「俺は、連れてこられただけだ」

 その巨体に似た重い声。 

 でも怖いというよりは、頼りがいのある重さ。

 鋭い視線が、私を支えている浦田へと向けられる。

「前ショウとやり合った時言ってたでしょ。運動部の事で何かあったら、俺の所へ来いって」

 むっとした顔で、三島さんを見上げる。

「何か問題でもあったの?」

 私も浦田の顔を覗き込む。

「問題って、のんきな事を。俺はガーディアンだから、運動部の事に介入したらまずいと思って」

「運動部って、俺の事か?」

 不思議そうな顔をする木村さんに頷く。

「あなたが丹下を脅してるって話があったから。SDC代表代行である三島さんに、一言言ってもらいたくて」

「ちょ、ちょっと。あなたこそ何言ってるのっ?」

 私は浦田の顔をさらに覗き込み、言葉に詰まった。

 何を言っていいのか分からなくなったからだ。

 木村君も同じらしく、肩をすくめてため息を付いている。


 ここへ来て様子がおかしいと気付いたのか、浦田の表情が変わる。

「……もしかして俺、勘違いしてる?」

「知らない」

「あ、あの」

「浦田君。俺は、君が緊急事態だと言うから付いてきたんだが」

 私は浦田を押し出し、三島さんの前に据えた。 

「ご、誤解ですよ。聞き込みや情報を整理したら、その」

「本人達は、違うという顔をしているぞ」

 丸太のような腕が、浦田の顔に伸びる。

 軽く触れただけで、首などすぐに飛んでいきそうだ。

 少し見てみたい気がしないでもない。

「三島さん、冗談はそのくらいでいいですよ」

「木村君。君が疑われているのにか」

「誤解を招く部分があったのは事実ですから」  

 三島さんの腕は素早く引かれ、その風圧で浦田の髪が舞い上がる。

 少し残念だ。

「それじゃ、俺は帰る。三島さんも一緒にどうです」

「ああ」

 並んで歩いていく二人。

 しかしすぐに、木村君が振り向いた。

「……沙紀、さよなら」

 風に乗り、消えていく言葉。

「ええ、さよなら」

 薄く微笑んで、三島さんの後を追う木村君。

 小さくなっていくその背中が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。



「さて、俺も帰るかな」 

 去っていこうとするのを、パーカーのフードを掴んで制する。

「帰れると思ってるの?」

「いや、思ってない」

 フードが伸びるのも気にせず、逃げようとしている。

 仕方ないので、手を離して背中を軽く押した。

 当然前に倒れる。

「自分だって倒れてるじゃない」

「倒されたんだよ」

 鼻を鳴らし、這って体育館の壁に近付く浦田。

 少し高くなっている段に腰を下ろし、顔を押さえている。

 私も彼の隣に座り、その肩に手を置いた。

「どうしてSDC代表代行、三島さんを呼んだって?」

「……この間、何か無くしたとか言ってただろ。だから丹下が立ち寄った場所をあちこち回ったら、喫茶店に辿り着いて」

「学校の近くの?」

「ああ。そこで丹下が、木村君と難しい話してたとか聞いたから」

 苦しそうに唸っている。

「……それで、木村君は運動部だからガーディアンの俺が口を挟むのはまずいと思って」

「だから、三島さんを呼んだの?随分大袈裟な話ね。それにこの場所、どうやって知ったの?」

「その。あちこち歩き回って……」

 また唸る。

 彼が導き出したとか、推理したのではない。

 その足で歩き、捜してくれたのだ。

 私を……。


「あー」

 つくづく後悔という声を出し、額を押さえている。

「私は、木村君の告白を断っただけよ。それに脅しと言っても、多分本気じゃなかったと思う」

「そう、ですか……」 

 やるせない顔で首を振る。

 その口元が微かに緩み、ため息も漏れる。

「最初から、丹下の話を聞けば良かったんだよな。それなのに下らない意地張って、全然聞かなかったから」

「下らない意地って何?」

 聞こえていないのか、浦田は壁に背を持たれ大きく息を付いた。

「とにかく、丹下が無事でよかった。寒くなってきたし、帰ろうか」

「いいけど。私、ちょっと捜し物が……」

 目の前を白い封筒が漂っていく。

 落ち葉と共に、夕暮れの空へ舞い上がりながら。

「わっ」

 慌てて立ち上がり、必死で手を伸ばす。

 指先が掛かった。

 地面を踏み切って、手首を返し封筒を手の平に巻き込む。

 やった、取れたっ。

 即座に膝を曲げ、着地の衝撃に備える。

 地面を見た瞬間、息が止まる。

 大きな段差。

 封筒に気を取られ、足元を気にしていなかった。

 右足が段差に乗り上げ、左足が空を踏む。

 想像以上の衝撃が、足首に掛かる。

「クッ」

 痛みでバランスが崩れる。

 よろめく体。

 受け身を取ろうと、首を引き腕を構える。


「……だから、倒れるなって」

 崩れかけた体が、不意に止まる。

 私を抱きしめてくれた浦田が、すぐそばで笑っていた。

「いきなり飛んで、いきなり転んで。猫か、あんたは」

「ご、ごめん」

 彼に支えられ、壁に手を付いてどうにか立つ。

「それが捜し物?」

「ええ。木村君が、私を脅そうとした写真」

 一瞬、本当に一瞬浦田の顔が煙る。

 しかしそれはすぐに消え、端末を取り出した。

「歩けないなら、医療部呼ぶけど」

「大丈夫。少しひねったくらいだから」

 彼が私から離れると、痛みが再び押し寄せてきた。

 勿論骨折ではないし、打撲という程でもない。

 我慢さえすれば、どうにか歩ける。

「帰ろうか」

 笑顔を作り、彼の前を行く。

 地面を踏む度、鈍い痛みが繰り返される。

 そして、私の腕が軽く掴まれた。

「……頑張るのは立派だけど、ここで無理する必要は無いだろ」

 苦笑気味の言葉。

 古い、古い記憶が蘇る。

 雨が降っていた、泣いていた。

 倒れかけた私を支えてくれた。

 その人が、こう言った。


「……頑張るのもいいけど、ここで無理するのに意味があるのか」


 諫めるような強い口調。

 掴まれた腕が、きしむように痛かった。


 そうだ。

 私が頑張るのは、ここで痛む足を引きずる事じゃない。

 頼れる人がいるのなら、その人に頼ればいい。

「……肩、貸してくれる?」

 振り返り、手を差し伸べる。

 あの時のように。 

「ああ」

 私の腕を肩に回し、そっと支えてくれる。

 あの夢のように。

 目の前の夕日が曇ったのは、その日差しのせいだろうか……。



 身長は彼と同じくらいなので、それなりの体重がある。

 それでも彼は、何も言わず私を支えてくれる。

 ただいつまで経っても何も言わないので、少し気になった。

「今、何考えてるの」

「……女の子と密着出来て嬉しいなって思ってる」

 下らない答えが返ってきた。

 笑いつつ、彼へ寄り添う。

「昔、といっても中等部での事なんだけど。私、木村君の試合を警備してたの」

「そう」

「試合が終わると、結果に満足しなかった観客同士が乱闘を始めたわ。中1の終わりだったと思うけど、知らない?確か、南地区にも応援要請があったはずよ」

「さあ」

 素っ気ない応え。

 私は気にせず話を続けた。

「観客は会場の外に出ても乱闘を止めなくて、私達は必死にそれを抑えようとした。その日は朝からすごい雨で、地面は土。ひどかった」

「大変だったね」

 平坦な口調で相づちを打ってくる。

 すぐそばにある顔は無表情で、何を考えているかは全く読み取れない。

「どうにか乱闘を抑えたら、全身泥だらけ。蹴られたのか何かに打ったのか知らないけど、右の足首がすごい痛かった。それこそ、立っているのがやっとなくらいに」

 聞いているのか、全く表情に変化はない。

「それでも木村君に会いたくて、ロッカールームに行ったの。そうしたら、笑われた」


 私は苦笑して、封筒を取り出した。

「当たり前よね。全身泥だらけで、髪もぼさぼさで。よっぽどおかしかったのか、木村君が私の写真を撮ったのよ。これが、それ」

 頭から泥を被ったような、ぼろぼろのプロテクターを着けた私の写真。

 目元だけ泥を拭った顔が、愛想笑いを浮かべている。

「その時ちょっと太ってて、その事も少し言われたの。悪気はなかったのよね、彼。試合後の興奮状態で、ちょっと私をからかってみたかっただけだと思う」

 よく言えばふっくら、はっきり言えば太った姿。

 あの頃は、鏡を見るのすら辛かった。

 それでも木村君に会いに行った。

「……自分の姿を見るのも辛かった。それでも木村君に会いに行ったの。一言、「おめでとう。頑張ったね」って言おうと思って。そして、一言「ありがとう」って言ってもらおうと思って」

 もう涙は出ない。 

 あの頃は、思い出すだけですぐ泣きたくなったのに。

「それなのに、馬鹿にされて。写真まで撮られて」

 撫でたポニーテールが、風になびく。

 手の中を滑っていく、あの日から伸ばした髪が。

「怒りもせずに、止めもせずに。笑う事しか出来なかった。その場から、木村君から逃げる事しか出来なかったの。あの時の私は」


 暗くなり始めた空を見上げる。

 翳りと夕日が溶け合い、不思議な懐かしいような色を作りだしている。

 私は視線を隣にいる彼へと向けた。

 やはり変化はなく、俯き気味に歩いている。

 写真をしまい、少し笑う。

 いや、笑いがこみ上げてきたのだ。

 どうしてかは、自分でもよく分からない。

「外に出て、走ったのかな。全然その後の事は覚えてないわ。泣いて、雨に打たれて。まだ冬で、すごい寒かった」

 空にかざした手に雨は落ちず、わずかに残る日が指先を赤く染める。

「気付いたら、寮の前にしゃがみ込んでた」

「無意識っていう、あれかな。どんな時でも、自分の帰る場所くらい分かるから」

 肩を借りて、初めて言葉らしい言葉を発した。

「そうかもしれない。でもその時、不思議な夢を見たの」

「夢?」

「ええ。私に肩を貸して、話を聞いてくれた人の夢」

 何故か彼の顔が見たくなった。

 分からない気持ちのまま、触れ合う程近くにある彼の顔を見つめる。

 夕日で染まっているのか、少し赤く見える。

「雨に打たれて、熱でも出たんじゃない。だから、夢というか幻覚を見たとか」

「そうかも知れない。打ち身の熱も、次の日まで残ってたし」

 私と目を合わせず、暗くなった足元を確かめている彼。

「その夢の話をしていいかな」

「木村君の話は聞かなかったんだから、今度は聞かせてもらうよ」

「ありがとう」

 教棟に灯り始めた明かりが、心を和ませる。



「……雨の中を、足を引きずって歩いてた。端末は壊れてて、それより人を呼ぶ気にもなれなくて。試合があった会場から寮なんて、結構遠いのよ。しかも、殆ど人が通らないような道をわざわざ選んで歩いてた。これは、夢じゃないと思うわ」

「ああ」

「寒いし足はどんどん痛くなってきて、壁やガードレール伝いに歩くのもやっとだった。何度も転んで、壁に寄りかかって立ち上がった。とにかく、会場から離れたかった」

 この辺りは、すでに意識が曖昧となっていた。

 悪夢で、お化けに追いかけられるような気分。

 逃げても逃げても、なお追いすがってくるような。

「足は痛くて重たくて、体もあちこち痛かった。雨の音が、木村君やみんなの笑い声に聞こえてきて。でも、それすらも聞こえなくなってきたの」


 体が、あの時のように震えている。

 浦田が、少しだけ私を引き寄せた。

「派手に倒れて、水たまりにうずくまったわ。そうしたら、後ろから声が掛かったの。「大丈夫か」くらいの言葉だったと思う」

「ああ」

「ちょうどその人がいい対象だったのね。怒りや悔しさをぶつける。だから私は、「ほっておいてっ」とか言った気がする。夢の事だから、何もかもはっきりしないんだけど」

 日はすでに落ち、辺りが街灯の明かりに照らされる。

 彼の顔も、よく見えない。

「そうしたらその人、あっさりとどこかへ行っちゃうの。心のどこかで、慰めてくれると思ってたのに」

「ああ」

「勿論私は歩ける訳無くて、所々にあるガードレールを伝って数歩進んで休む事の繰り返し。倒れるのを堪えて、堪えて。でもやっぱり倒れた」

 私は手を前に差し出し、何かを掴む仕草をした。

「完全に倒れる前に、腕が掴まれた。そして、こんな言葉が掛けられた」

 苦笑して、その言葉を口にする。


「……頑張るのもいいけど、ここで無理するのに意味があるのかって。諫めるような強い口調で、掴まれた腕がきしむみたいに痛かったわ」

 前から来た生徒が、こちらを少し見てすぐ通り過ぎていく。

 肩を組み合う、変なカップルとでも思ったのだろう。

 それにも、少しおかしくなった。

「怪我してるのに、こんな雨の中歩く理由があるのかって。落ち着いて、今の自分がどうなのかよく考えてみろって。静かな声だった。暗かったし、雨と涙でその人の顔は見えなかった。向こうも、私の顔は見えてないと思う。夢だしね」

「ああ」

「その言葉に怒りかけて、ふと我に返ったの。怪我で熱が出ていて、振ってくる雨は冷たい。寮はまだ遠くて、いつ着くかも分からない」

 胸に手を当て、ささやく。

「こうして泣いて帰っている事を、木村君は知らない。知っても、一言謝られるくらいだ。それなのにぼろぼろのまま濡れ帰っている今の自分は、一体何をやってるんだろうって」

 私はまた手を差し出した。

 今度は、浦田に向けて。

「……肩を貸してって言ってた。素直に。その人は笑って肩を貸してくれた」

「そう」

「でもその人、歩いている最中何も言わないの。だから、思い切って聞いてみたわ」

「それで」

「ええ。……女の子とくっつけて嬉しく思ってるだって。呆れたというか、笑っちゃった」

 あの夢を思い出し、笑う。

「気付いたら、その人に木村君の事を話してた」

「ああ」

「でも少ししたら、足の痛みが我慢出来なくなったの。もう駄目だと思って、その人と別れようとしたら……」

 言葉を切り、街灯の光が映る彼の顔を覗き込む。


「その人、私を背負ってくれたの。「こうしてる限りは、立ち止まってない」とか言って」

「嫌な奴だな」

 初めて感想めいた事を言う。

「でも私は嬉しかった。その大きくない背中にすがって、ずっと揺られ続けてた。私はずっと木村君の話をして、その人はそれを聞いてくれてた」

「そう」

「本当に夢の話よね。それで揺られている間に、その人も少しだけ話をしてくれたの」

 暗闇の先、見えない遠い向こう側。

 過ぎた過去を見つめる。

「辛い事や苦しい事があるけど、それだから現実なんだって。楽しい事ばかりなんて、夢の世界だって」

「よく分からないけど」

「私も、最初は全然訳が分からなかったわ。勿論、今でも分かっていないし」

「夢の話だろ、それに」

 鼻で笑い、私を支え直す。

 街灯に照らされる寮の姿が見えてきた。

「知り合いに見つかったら、結構恥ずかしかったりして」

 そう言いつつ、私から離れようとはしない。

 優しく支え続けてくれる。

 腰に回される遠慮気味な手。

 肩に掛けた手をそっと握って。

 それも、後少しだけ。

 並木道の向こうにある寮の玄関を見ながら、そう思った。



「少し前にそんな内容の映画を観たから、それを夢に見たかとも思ってるけどね」

「夢と映画、か。いい性格してるよ」

 担ぐようにして私を部屋へ上げる浦田。

 ベッドに私を座らせ、足元に軽く触れる。

「……医者じゃないから何とも言えないけど、大丈夫かな」

「ええ。痛みも大分引いたわ。どうもありがとう」

「礼を言われる程でも無い」

 キッチンへ向かい、鍋に水を注いでいる。

「ご飯作るよ。簡単なのしか出来ないけど」

「ごめん。デリバリー頼んでもいいのよ」

「忙しいのにわざわざ届けてくれる人の事考えると、ちょっと」

 変なところで気を遣う人だ。

 その辺りは同感なので、彼の親切を素直に受け入れた。


 テーブルには、中華風のスープとチャーハンがある。

 菊の花を散らした小さな春雨サラダもあり、一応彩りも考えてあるようだ。

 簡単と言っていた割には、案外まめまめしい。

 不器用だが、料理は別なんだろうか。

「火力が弱いんだよね」

「家庭用だから」

 それでもよく炒められたチャーハンをほおばる私達。

 程良く解れていて、味付けもそう悪くない。

「……さっき端末見たら、優ちゃん達から連絡が入ってた」

「そうすると、俺のも」

 自分の端末に電源を入れた浦田も、何度か頷く。

「光の在籍データが回復したんだな、多分。明日にでも、会いに行くとしますか」

「何しに?」

 答えは返ってこない。

 私達はその後何も口を聞かず、食事を済ませた。


 後片付けも彼がやってくれて、目の前には彼の入れたコーヒーが香ばしい香りを漂わせている。

「もう一度聞くわよ。優ちゃん達に会って、何を言うつもり」

 腕を組み、後ろのハイチェストにもたれる浦田。

「……俺が学校を辞めても、ユウ達が気にしないようにするだけさ。軽く悪口でも言って」

「みんなに悪く思われて、学校も辞めて。それであなたは平気なの?」

「学校はここだけじゃない。例えば舞地さん達がそうだろ」

 淡々とした口調。

 表情にも、感情は表れていない。

「舞地さん達が言ってた。どれだけ別れを経験しても、やっぱり人と別れるのは辛いって」

「だろうね。でも、みんなに迷惑が掛かるって考えると。俺が処分させた奴の気持ちとかも」

「そうしないと、ヒカル君のデータが回復しなかったんでしょ。あなただけが責任取るなんて、間違ってると思わない?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、もう申請書は出してある」

 その言葉には、何の揺らぎもない。 

 彼の持つ考えや信念が、私なりに分かる。

 生徒会スタッフを退学させた事への罪悪感ではない。

 自分の意志ではなく、生徒会長との取引によって彼等を処分した事への気持。

 その事への、彼なりのせめてもの償い。

 この人は、そこまで自分を強く律しようとしている。

 誰よりもまず、自分を見つめている。


「……分かった。あなたがそのつもりなら、何を言っても無駄よね」

「ごめん。今まで勝手な事してて、また勝手に学校辞めて。丹下には悪いと思ってる」

 彼は軽く頭を下げ、そばにあったリュックを手に取った。

「じゃあ、俺帰る。足が痛くなったら、すぐ医療部に連絡して」

「ええ。私午前中は用事があるから、優ちゃんの所へ行くのはその後にしてくれない?」

「いいけど。丹下も付いてくるの」

「大丈夫。余計な事は何も言わないから」

 リュックを背負った彼に手を振る。

「また明日。連絡してね」

「ああ」

 彼の姿が消え、ドアの閉まる音を確認して端末を取る。

 これこそ、余計な事だなと思いながら……。



 歓声と、拍手。

 息苦しい程の熱気。

「……まだ奥歯が痛い」

 顔をしかめ、あごを抑える浦田。

 昨日優ちゃんに殴られたのが、余程効いたようだ。

「あれだけの事言ったんだもの。そのくらいで済んで良かったじゃない」

 鼻で笑い、私に顔を向ける。

「昨日の用事、生徒会長か副会長に連絡したんだろ。俺を退学させないようにって」

「あ、分かってた?」

「昨日、急に書類なんて言うから。それはいいとして、どうやって申請書を却下させた?」

 今度は私が笑う。

「退学すると何するか分からない人だから、この学校に在籍させて下さいって。それと、在籍中に問題が起きないように、私が責任を持って監督しますって」

「エアリアルガーディアンズとしてじゃなくて、俺個人を監督するって事?」

「あなた今回の件で、生徒会の一部からかなり睨まれてるのよ。生徒会除籍は、それを和らげる意味もあるの」

「じゃあ俺じゃなくて、そっちを監督するんじゃない?」

 私は真顔で、彼の顔を覗き込んだ。

「一つ聞くわよ。そういう人達から嫌がらせをされたら、どうする?大人しく耐えるか、生徒会にそれを報告するか」

「徹底的にやりかえすのは、どうかな」

 当たり前のようにそんな事を言う彼の両肩に手を置く。

「だから、あなたを監督するの。私の苦労、分かって下さる?」

「何となく。これからも、ご迷惑をお掛けします」

 下らない事を言って笑う私達。 

 コートでは誰かがシュートを決めたらしく、拍手と歓声が巻き起こる。

「駄目ね。また離されたわ」

「木村君は何やってんだ。エースなんだろ」

「今日は調子が悪いみたい。それに、全然シュートしてない」


 そう。

 私達は木村君から渡されたチケットで、バスケの試合を見に来ていた。

 この地区の高校生選抜が大学生を相手にしているエキシビジョンマッチで、一年生でのスタメン出場は木村君だけ。

 彼にとっては絶好の見せ場であり、その実力を最も発揮出来る場面のはずなのだが。

「素人だから何とも言えないけど、動きが変なんだよな。攻めるタイプなのに、パスばっかりして」

「シューターがパスすれば意外性はあるけど」

「さすがに遠慮してるのかも。周りは知らない人ばかりだし」

「ええ。前より大人になったと言えば、大人になったのかな」

 そうは言ったが、自分でも引っかかりを感じている。

 彼は攻めてこその人であり、そのスタンドプレーともいえる強引さが彼の持ち味なのだから。

 でも今の彼は、みんなに合わせ無難な事をしている。

 それはそれで、良い事だ。


 私はもたれていた壁際から離れ、階段を下りていった。 

 観客席の最前列には、一種の雰囲気を醸し出している集団がいる。

 ただ、どこか沈みがちであるが。

「ちょっと、どうして応援しないの」

 通路の近くにいた、黄色のバンダナを巻いている子に声を掛ける。

「……誰です?」

 怪訝な視線をこちらに向けてくる。

 当然だろう。

「いいから。あなた達、木村君のファンなんでしょ。だったら、応援したら」

「無理よ。相手は大学生だし、今日は調子が悪いみたい」

「そうよね。シュートもしないし」

 やるせない雰囲気が漂ってくる。

 私は手を激しく叩き、周りにいる全員を振り向かせた。

「だからこそ、応援しないと。違うっ?」

 何人かが釣られたように頷き、小さいながらも声を出し始める。

 しかし気の強そうな子達は、明らかに私を睨んで来た。

「誰、あなた?そう言えばこの前も、木村君に声掛けてもらってたけど」

 彼女は見覚えがある。 

 木村君と再会した時、私を睨んでいた子だ。

「……これだけは言いたくなかったけど」

 浦田を振り返り、歯を食いしばりながらある物を取り出す。


「ファンクラブナンバー08、丹下沙紀っ」

 一斉にどよめく彼女達。

 後ろからはむせるような笑い声が聞こえるが、今はもうどうしようもない。

 まだあどけない頃の写真が付いているIDカードを、彼女達に見せつける。

「ひ、一桁って、幹部の人だけでしょ」

「……丹下さん?」

 驚愕する彼女達の間から、可愛らしい女の子が出てきた。

「久し振りね。随分背が大きくなったじゃない」

「久井さんは変わらないわね」

 数年間の隙間を埋めるように、強く手を握り合う私達。

「まだ追っかけなんてやってるの?」

「彼氏公認よ。こればっかりは、どうしてもね」

 くすっと笑い、セミロングの髪をかき上げる。

 ちなみに彼女のファンクラブナンバーは06だ。

「でも今日は、木村君が元気ないの。丹下さん、何とかして」

「応援するしかないんじゃない。そうでしょ、久井さん」

 頷き合った私達は、小刻みな手拍子を始めた。

 口に出すのも恥ずかしいような事を叫び、手拍子をさらに大きくしていく。

「木村君ーっ。ファイトーッ」

 絶叫と言ってもいい。

 周りにいた観客が、一斉にこちらを見てきたくらい。

 後ろの笑い声が止む事もない。

「ほら、みんなもっ」

「あ、はいっ」

 慣れないのか、照れくさそうに私達の後に続く彼女達。

 私も恥ずかしいが、それに優る楽しさがある。 

 あの時の、全てを掛けていたような高揚感。

 声を張り上げ、歓声を上げ、拍手をし続けた。

 みんなと肩を叩き合い、笑い、涙を流した。

 もう過去の事だと思っていた。

 でもこうしていると、それが間違いだと分かる。


 彼を好きだった、本気で好きだった。

 どこまでも純粋に、限りなく透明な気持で。

 彼を見ていられれば幸せだった。

 声を聴ければ、もう何もいらなかった。

 その時の私が、今ここにいる。

 声を枯らして、手の痛みも気にせずに応援している私が。

 彼のシュートを見たくて、彼の姿を追い続けている。

 目の前には、もう彼の姿しか見えない。


 歓声が上がる。

 ディフェンダーをかいくぐり、一気にゴール下へ目指す。

 激しいチャージによろめく木村君。

 倒れない。

 そう、彼は倒れない。

 ふらつく足を利用して、体を入れ変える。

 即座にディフェンダーの後ろに回り込み、ゴールの真下に立つ。

 取り囲まれる木村君。

 味方の選手が、パスを要求する。 

 笑った。 

 彼によく似合う、自信満々の笑顔。

 床を蹴り、わずかに開いた隙間を飛ぶ。

 覆い被さってくるいくつもの腕。

 木村君の飛翔は止まらない。

 追いすがるように伸びる手をあざ笑うように、彼の体が宙を舞う。

 一人、空へと抜け出す。

 大きく振りかぶられる彼の腕。


 ホイッスルが響き渡り、大歓声が沸き起こる。

 リングにぶら下がった木村君は、レフリーが注意するのも気にせず手を振り続ける。

 指が3本立てられる。

 3点ではない、30点取るという意味だ。

 再び巻き起こる大歓声。

 リングから降りた木村君は、相手のパスを素早くカットし大きく下がって3ポイントシュートを決める……。


 久井さんと視線をかわし、私は階段を上り始めた。

 ファンの女の子達は、目の色を変えて木村君を応援している。

 もう、私を見ている人は誰もいない。


「あの時に戻ったわ」

 壁にもたれる浦田の隣に立つ。

「でも、木村君がゴールを決めた時気付いた。終わったんだって。今さらながらに、そんな事を思ったわ」

 彼は何も言わず、微笑んでコートを見ている。

 大きくなり始めた木村君への声援を聞きながら、私はドアへと向かった。


 人気のないロビーに腰掛けていると、浦田がやってきた。

「もう終わる。さっき、木村君が33点目を取った」

「そう。みんなが出てくる前に、早く帰ろうか。混むと大変だから」

「ああ」

 ドアの向こうでは、一際大きな歓声が上がっている。

 彼の名を呼ぶ大歓声が……。



 やや冷えた秋風。

 落ち葉が、乾いた音を立てて道を行く。

「……あの人、すごい努力家なの」

 風を読むように目を細め、ジャケットの襟を立てる。

「格好いい人がいると思って、彼の後を付いていった時の事。練習が終わっても、彼はこっそり戻ってきて一人で練習を始めたの」

 あれから、何年経つのだろう。

「いつまでも、彼は一人で練習してるの。でも、それを誰にも言わない。私が覗いてたのも、きっと知らないと思う。それからかな、本当に木村君を好きになったのは」

「一人努力する天才か。今でも遅くないんじゃない、彼と付き合うのは」

「さっき言ったでしょ、もう終わったって。私の中では、済んだ事」

 まだ足が痛む私は、浦田の腕を借りて歩いている。

 その腕に、少しだけ寄り添った。

「今日は言わないの。女の子と密着出来て嬉しいって」

「余計な事は言わないようにした」

 素っ気ない口調、足取りは私のペースに合わせてくれている。


「昨日思ったの」

 顔を寄せ、少し笑う。

「あの夢の話。私を助けてくれた人の事を」

「夢と映画の話だろ」

「ええ。でも、少し続きがあってね」

 こみ上げてくる笑いを抑え、息を整える。

「雨と暗さでお互い顔も見えなくて、向こうは私が誰かも分かって無かったと思う。でも私は名乗るのを忘れたけど、その人の名前は聞いたの。……大石進だって」

「誰、それ?」

「情報局のデータベースで調べたら、ガーディアンだったわ。もう少し調べたら、ガーディアンの会報にその人のインタビュー記事が載ってた」

 彼の姿を思い出し、声にならない笑い声を上げる。


「全然他人だった。その人小太りで、背も小さいの。私を助けてくれた人は中肉中背って感じだったから」

「じゃあ丹下は、その会報も前に読んでたんだ。だから、映画とその大石君がだぶったと」

 私は首を振り、彼の顔を指差した。

「その会報は、私がいた北地区では配布されてなかったのよ。あなた達がいた、南地区でしか」

「ふーん。不思議な話もあるもんだ」

 感心している、というか感心しようとしている。

「それに夢で私を助けてくれた人は、生徒会ガーディアンズのIDを付けてたの。南地区のIDをね」

「なるほど。凝った夢だ」

 素知らぬ顔で腕を組み直す浦田。

「……あれって、あなたでしょ」


 くすっと笑い、顔を傾けて下から彼の顔を覗き込む。

 垂れ下がる前髪を耳元までかき上げ、じっとその目を見つめる。

 少し顔が赤くなった。

 それは私の顔が近いせいか、それとも。

「俺がそんな事する訳無いだろ。夢だよ、夢」

「じゃあ、首見せて」

「首?」

 私は肩に掛けていた手を離し、彼が来ている厚手のパーカーを引っ張った。

「寮で気が付いたら、私の胸元が血塗れだったの。でも自分にそんな傷はない。だったら、私を背負ってきた人の傷でしょ。しかも、位置としては首筋」

「何年前の話だよ。もし俺がそうだとしても、傷なんてもう消えてるだろ」

「じゃあ、見せて」

「ほら」

 首を前に傾け、背を屈める浦田。

 私はパーカーを引っ張り、その首筋を覗き込んだ。

「……何もない」

「気が済んだ?マンガの読み過ぎだよ」

「あなたに言われたくない……」

 力無く呟く。

 もしかしてそうならと思ってたのに。

 そうだったら、どれだけよかったかと。

 やっぱりあれは私が見た夢で、私が作り上げた幻想の人なんだ。

 それはそれで悪くもないけれど……。



 私達は、住宅街を歩いていた。

 あの日、雨の中歩いて帰ったあの道を。

 浦田も分かってくれてるのか、文句も言わず私を支えてくれている。

「変わってないわ、2年も経ったのに」

「俺は、この辺に来た事がないから」

 その答えに頷き、道沿いに流れる川を眺める。

 矢田川。

 寮や大曽根ドームから観て北に当たる、言ってみれば遠回りの道。

 闇雲にさまよい歩いている内に、あの頃の私はここへ辿り着いた。

「この川へ色々投げ込んだ気がするの。警棒や、プロテクターとか。でも、何日かするとそれが見つかったのよ。会場に忘れてあったらしくて」

「それが、夢の証だよ」

 優しい、慰めるような口調。

 私は切ない気持になって、川へと身を寄せた。

 あの時も、しばらくこうして眺めていた気がする。

 雨で増量した川が、自分の気持ちを表しているような気がして。


 ややきつめの土手に生い茂る雑草。

 少し広い川幅、綺麗な水質。

 今は穏やかな流れが、柔らかな日差しを受け止めている。

 それを眺めていると、ここしばらくの色々な思いが溶けていく気がする。

 辛さや、苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜び……。

 そのどれもが私の中に生きづき、一つに溶け合っていく。

 あの日の涙や悔しさと同じように。

 恋しさや情熱と共に……。


 私達は足を止めて、しばらく流れに見入っていた。

 急な土手に生える草が、秋の風にそよいでいる。

 その時何の気もなく、ふと思った疑問を口にしてみた。

「小さな川だけど、深いのかしら」

「いや。膝くらいしか……、ないんじゃないかな」

 わずかだけど、口調に焦りが含まれた。

「どうして知ってるの?」

「見た目で、そのくらいだと思っただけ」

「そう」

 それ以上は尋ねず、私は彼を促した。

「行きましょ。早くしないと、日が暮れるわ」

「ああ」

 何となく気まずそうな、照れくさそうな顔をしている。

 でも私は、もう何も聞かなかった。


 あれが夢でも、仮にこの人であっても関係ない。

 私があの日を境に、変わろうとした事に変わりはないのだから。

 そして、そのために優ちゃん達と出会えた。

 この人とも。


 今、私の隣にはこの人がいる。

 この目で、この腕で、それを確かめる。

 夢じゃない、現実に私を支えていてくれる。

 彼が私をどう想っているのかは分からない。




 それより大切なのは、私の気持ち。 

 私が彼をどう想っているかという。

 そんな事をこの人に相談したら、どんな顔をするのだろう。

 いつか、試してみたい……。






                                終わり














     エピソード4 あとがき






 メインは丹下沙紀。

 ユウとはまた違うタイプの、前向きな性格。

 どうも女の子が強いですね、スクールガーディアンズは。

 彼女、本編ではそれ程目立ってませんが、これからです多分。

 ただ今回で明らかになったように、浦田珪との絡みは色々あります。

 立場としてはユウ達の上司(表現として変?)に当たるので、それも書いてみたいですね。


 中等部編においては、彼女は完全にメインですし。

 今回の木村君絡みの話も、勿論書きます。

 夢の謎はほぼ分かっているでしょうが、もう少し引っ張ります。

 場合によっては、中等部編まで。


 今回のストーリーは、第4話を補足する関係にもあります。

 みんなが悩んでいた時、その対極にいたケイは何をしていたかという。 

 第4話に分かりにくい部分が多かったので、その説明ですね。

 無論まだ分かっていない部分も幾つか残っているので、それは本編で。

 それにしても、最初予定していた話とは大幅に変わりました。

 もっと木村君は悪人で、ケイがそれを懲らしめる展開を考えていたのに。

 丹下沙紀ちゃんの考え方も、自分でも思ってみないほど健気になりました。

 でも、みんなまだ高校生ですから。 

 悩んで、傷付き、それでも立ち上がると。

 この方が自然で、私としては気に入っています。 


 


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