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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第29話
309/596

29-3






     29-3




 普通に。

 正直そのまま通り過ぎてしまうくらい当たり前のように、ケイが教室にいた。

 私よりも早く登校している点に違和感があるくらいで、やつれていたり苛立っているようでもない。

 周囲が彼を遠巻きにして、何かをささやいているのはともかくとして。

「来てたんだ」

「一週間も休めば、さすがに出てくる。停学も解けたし」

「どうして、朝早いの」

「学校に呼び出されたり、書類をあちこちに提出してた。出来るだけ人目に付かない朝にやってくれって」 

 大きく欠伸をして机に伏せるケイ。

 この辺りも依然と変わりなく、まるで何事もなかったような気すらしてくる。 

 無論それは私の錯覚、都合のいい思い込みに過ぎないが。

「来てるじゃない」

 驚いた様子もなく、ケイの隣に座るサトミ。 

 彼はそれに反応せず、机に伏せたまま顔を上げようとはしない。

「あなた。お金持ってるでしょ」

「そんな訳あるか」

「ユウが相撲で勝った時の払戻金よ。あれは連合で使うから、後でカードをお願い」

「お願いって。あれは……」

 何かを言おうとして、しかしそれ以上続かないという顔。

 反論する根拠がない訳ではなく、朝の眠さとだるさ。

 後はたぶん、あまりもの馬鹿馬鹿しさにだろう。

「時期が来たら返すわよ。今は、鉛筆一本買うのも苦しいの」

「だったら、ゴミ箱漁ってろ」

「いいわね、それ。今日は、そっちの仕事をお願い」

 可愛らしく微笑み、耳元の髪を横へ流すサトミ。

 思わず見とれてしまいそうではあるが、言ってる内容は鬼よりむごい。

「いいところに来た。ショウ、あなたもケイに付いていって」

「何が。というか、こいつ停学解けたのか」

「そうみたいね。教授業が終わったら、ゴミのコンテナが置いてある所へ行って」

「絵でも探すのか」

 古い事を言い出し、私に向かって笑いかけるショウ。

 こちらは何より気恥ずかしさがこみ上げてきて、そのやり場を小さな手の中で必死に抑える。

 小さくても、指くらいは器用に動く物だ。



 噂話に飽きたのか他にもドラグが検出された子がいるためか。 

 騒ぎという程の事にもならず、普段とさほど変わりない調子で一日の授業が終わった。

 話題にしたところで大した面白みの無い子であるのも、理由の一つではあるだろう。

「それじゃ、お願いね」

 爽やかに微笑み、リュックを背負って手を振るサトミ。

 長い黒髪が緩やかになびき、コンディショナーの香りが微かに漂ってくる。

 気分はいいが、朝の言葉を思い出せば角が隠れているとしか思えない。

「ユウはどうする?」

「どうするって、私にもゴミを漁れって?」

「私も後で見に行くわよ。それと、あなたは探さなくていいから必要な物だけ選び出して。一応、リストもあるから」 

 ゴミの山から取り出すリストね。

 夢の欠片もない話というか、こんな事で学校と戦うって本当かな。


 一般教棟裏のゴミ置き場。

 焼却炉や、生ゴミ処理機。

 何より目立つのは、私の身長いくつ分かも分からない巨大コンテナの列。

 この辺りに来ると胸の奥が微かに痛むけど、コンテナに潜り込んでゴミを漁ってるケイ達の気分よりはましだろう。

 さすがにコンテナ内は不燃物ばかりで、臭いがしたり見たくない物を見たりする訳ではないにしても。

 私も立ってるだけでは申し訳がないし、簡素なリフトの爪に乗っかりリモコンでそれを持ち上げる。

 速度はゆっくりだが爪の幅を考えればそれ程安全な行為ではなく、間違いなくサトミにはやらせられないな。

「どう、調子は」

 爪を止め、コンテナの端へ乗り移ってジャージ姿の二人を見下ろす。

 その途端彼等は顔色を変え、何かをゴミの中に埋めて愛想良く笑い出す二人。

 明らかに良くない兆候というか、追求もしたくない気分だな。

「問題ない。ユウは下で休んでればいいって」

「そうそう。後は、俺達に任せろ」 

 肩を組み、初冬の空に向かって笑い出す二人。

 冷え冷えとした青い空に、虚しい馬鹿笑いも吸い込まれる。

「ごほん。喉乾いたから、お茶頼む」

「乾いたって、今座ってたたじゃない。……いいけどさ」 

 あまり突っ込んでおかしな事になっても困るため、適当なところで矛先を収めてリフトの爪に乗っかりそれを降ろす。

 このまま端に飛びついて、何を探すか様子を見てやろうかな。



 無論そんな馬鹿げた事はせず、自販機でお茶を買って戻ってくる。 

 彼等の作業を妨げないよう、かなりの余裕を持って。

「おーい。買ってきたよ」

 いきなり上に行って現物を見るのも嫌なので、下から声を張り上げる。

 すると彼等は顔を出し、リフトの爪に乗って下りてきた。

 少し疲れたというか真剣な顔だったので、今は真面目にやっていんたんだろう。

 今は。

「お疲れ様。良い物あった?」

「筆記用具はかなり揃った」

 私からペットボトルを受け取り、リフトの爪に乗っているビニール袋を指さすケイ。

 そこには彼の言う通りの筆記用具が詰め込まれていて、また傷んでいる様子は特にない。

 贅沢といえば贅沢な話だけど、気に入った品物だけを選んで古い物は捨てられてしまう。

 多分使える物が大半で、ある意味彼等に再び活躍の場を与えられる行為とも言える。

「意外と良いね。これから、ちょくちょくやろうか」

「勝手にやってろ」

「俺はいいぞ、いつでも」

「この、裏切り者が」

 鼻を鳴らし、空になったペットボトルをコンテナの中へ放り込むケイ。

 一瞬咎めようと思ったが、コンテナの中身が何だったのかすぐに思い出す。

「それにしても、ゴミまで漁るとは。俺達も、末期的だな」

「贅沢するよりいいでしょ。このペンなんて、殆ど新品だよ」

「雪野さんに、一つ質問。仮にそのペンが、矢加部さんの物だったら?」

 そう言われて、銀色の綺麗なペンを陰り始めた日差しにかざす。

 程良い重さと私の小さな手にもフィットするグリップ。

 コンテナの周りに落ちていたプリントにペンを走らせると、綺麗な線が思い通りに描かれた。

 非常にいい品物なのは間違いなく、私だったら捨てるという事は考えもしないだろう。

 だけど矢加部さんの性格や財力を考えれば、たかがペン。

 代わりはいくらでも手に入るし、床に落ちたからなんて理由で捨てかねない。

「捨てようか」

「おい。お前も、変な事言うな」 

 私からペンを取り上げ、ビニール袋に戻すショウ。

 人がいいのは結構だが、矢加部さん絡みともなると彼の背中を見つめる視線も思わずきつくなっってしまう。

 いや。矢加部さんの物ではないけどね。

「そういう、誰の物かも何のために捨てたのかも分からない物を使うって訳さ。案外呪われた定規なんてあるんじゃないのか」

「何よ、それ。第一、呪われてたからどうなの」

「落第した生徒が、死ぬ前に使ってたとか。本当、怖い話だ」

 鼻先で笑い、リフトの爪に乗ってたショウと一緒に上がっていくケイ。

 こっちも軽く笑い飛ばし、彼等が置いていったビニール袋を何となく眺める。 

 ペンの間に混じって、定規も何本か見えている。

 短いこれは、少し赤みがかっているような気もする。

 元々そういう色で、血の訳はない。

 第一、落第生の呪いって。 

 本当全然面白くないし、笑えない。

 でもって、これと一緒にはいたくない。



 何というのか、寒空の下でゴミを漁っていると物悲しくなってくる。

 成果はあっても、結局の所ゴミはゴミ。

 大きなビニール袋を背負って旧クラブハウスへ向かう道を歩いているショウも、サンタのイメージにはほど遠い。

「カートか台車が欲しいね」

「乗るのか」

 明るく笑い、ビニール袋を担ぎ直すショウ。

 するとあまり聞きたくない音がして、定規が一本飛び出てきた。

 例の、落第生の呪われた定規が。

「ふ、不吉な」

「破れただけだろ。ショウ、一旦降ろせ。やっぱり、担いでくのは無理がある」

「降ろすのはいいけど、台車なんてないぞ」

 ビニール袋を降ろし、肩を回すショウ。

 私達はそれを囲み、難しい顔をして腕を組む。 

 深刻な悩みといえば悩みだけど、運んでる物は元ゴミなんだよね。

「それに、まだコンテナの所に3袋はあるし。……スクーター借りるか」

「私のは、絶対嫌よ。落第したくない」

「はいはい。お前、持ってるだろ」

「ああ。用意してくる」

 軽く頷き、小走りで走り出すショウ。

 知らないよ、落第しても。



 少しして、軽いエンジン音と共にショウが戻ってきた。

 ちなみに彼は、スクーターと併走して。 

「ど、どいてっ」

 大声で叫び、私の方へ突っ込んでくるサトミ。

 何をやりたいのか分からないし、それは彼女が一番分かってないだろう。

 とはいえ放っておく訳にもいかず、前をショウに任せて後ろに付く。

「前から止めて。私が飛び乗る」

「おう」

 素早く前へ回り込み、腰を落としてハンドルを握りしめるショウ。

 それでもバイクの前進は止まらず、ショウの足は土に埋まりながら下がっていく。

 アクセル、緩めてよね。

「乗るよ」

「ど、どこに」

「いいから、大人しくしてて」

 ショウが限界に達する前にスクーターの後ろへ飛び乗り、サトミの脇に手を回す。

 馬鹿げた行為とは思うが、一番効果的でもある。

「やっ、いやっ」

 何とも色っぽい声を出すサトミ。

 さらには身をよじり、髪を振り乱し、頬を赤らめて吐息を漏らす。

 とはいえ見とれている場合ではない。

 文句一つ言わないが、ショウが倒れるか私達が倒れるかの瀬戸際なので。

 どちらにしろサトミはようやくハンドルから手を離し、アクセルも緩まってきた。

 その隙に手を伸ばしてブレーキを握り、足を伸ばして倒れるのを防ぐ。 

 防ごうと思ったけど、足が届かなかったので止めた。

「笑ってないで、足付いてよ」

「あ、足?……どうして乗ってるの」

「今頃、何言ってるの。いいから、足」

 狐に化かされたみたいな顔で、それでも足を地面に付くサトミ。

 両足がしっかり付いて、膝も少し曲がっている状態。

 神様は何を考えて私を作ったのか、一度でいいから聞いてみたい。

「大体、なんでサトミが乗ってるのよ」

「歩くのが面倒だったの。それにこれ、早過ぎる」

 自分の事を棚に上げて文句を言い出すサトミ。

 とはいえこれが普通のスクーターより速いのは事実で、また車体が軽い分その辺の車やバイクは問題にならない。

 今のサトミを見ていれば分かる通り、腕があればの話だけど。

「馬鹿には付き合ってられん。早く積もう」

「だ、誰が馬鹿よ」

「さあ、誰かな。スクーターも止められない馬鹿って」

「殺す。絶対殺す」

 私達に背を向け、コンテナに向かい一人呟くサトミ。

 ケイは微かにも気にせず、不器用な手際でスクーターの後ろにゴミ、ではなくて文房具をくくりつけている。

 危ないかなとも思ったけど、それは本人も分かってるらしくかなり厳重にやっている。

 逆に言えば、解く時大変じゃないの。

「誰が解くの、それ」

「え」

 そこまでは考えてなかったという顔。

 するといつのまにかサトミがケイの後ろに立っていて、何とも優しく微笑んだ。

「何だよ」

「誰が馬鹿ですって」

「……俺かな」

「分かればいいのよ」

 やはり優しく告げて、がんじがらめのビニール袋を撫でるサトミ。

 こうなるとどっちも馬鹿というか、どうしようもないな。

 というか、単に紐は切ればいいだけじゃないの。



 旧クラブハウスに着くと、サトミは思った通りハサミで切った。

「なかなかの収穫ね。ユウ、これからもよろしく」

 文房具満載のビニール袋を担ぎ、人の肩を叩いてくるモトちゃん。

 まさか、これ専従じゃないだろうな。

「それと使えない物があったら、その分は捨ててきて」

「誰が」

「誰かな」

 すっとぼけられた。

 完全にゴミ係決定だ。

「後は分別して、種類別に分けて。生徒会のゴミ出し後が狙い目ね」

 狙わないよ。


 それ程働いた訳でもないが、寒い所にいたため暖かい物が恋しくなる。

 端的に言えば、鍋とかうどんとか。

「ラーメン食べたいな」

 何気なく呟くケイ。 

 それを聞いた私達は一瞬言葉を失い、思わず彼に視線を向ける。

 ドラッグが検出された原因は、ラーメンを食べた際にコショウを入れたせい。

 普通なら食べる気もしないだろう。

「お前は平気なのか」

 若干きつめに、彼の真意をただすように尋ねるショウ。

 ケイは大袈裟に肩をすくめ、物置として利用している部屋のドアを指さした。

「カップラーメンならいいだろ。余ってる奴もあるんだし」

「いいのかな?」

 持って回って、私に尋ねてくるショウ。

 そんな事知らないわよ。


 お湯を注いでふたを閉めて、少し待ったら出来上がり。

 店で食べる味とは当然違うけど、この手軽さは何物にも代え難い。

 これを考えた人は、間違いなく天才だな。

「まだ食べるの?」

「賞味期限が迫ってる」

 カップの底にある賞味期限を指さすショウ。

 確かに期限は年内だけど、少しくらいは余裕があるし3つも食べる方が問題だと思う。

「いいのかな」

「俺に聞くな」

 もっともな事を答えるケイ。

 ショウはすでにお湯を注いだ後で、腕時計を脇に置いて腕を組んだ。

 見た目は例えようもなく格好いいけど、単にお湯を注いだだけだ。

「木之本君は?」

「いいの?」

「どうぞ」

 ちょうど部屋に入ってきた木之本君を呼び寄せ、出来たてのカップラーメンを彼に渡す。

 ショウは鬼のような形相で睨んでいるけど、木之本君は愛想良く笑ってラーメンをすすり出した。

 こういうのは慣れっこだし、気にしてたらご飯粒一つ食べられない。

「仕事は終わった?」

「うーん。終わりっていう部分が存在しないからね。連合という組織を復活させるのが目的なのか、学校との抗争集結をもって終わりとするのか。どちらにしても、きりがない」

「私は、コンテナのゴミを漁ってていいのかな」

「いいと思うよ。今は暇でも、間違いなくこれからは忙しくなるから」

 朗らかに、物騒な事を言い出す木之本君。

 ただそれは決して脅しではなく、この調子で学校との緊張が高まっていけば彼の指摘通りになるのは当然の結果。

 むしろその部分を目指して、私達は行動している訳でもある。

「何か、大変、そうですね」

 木之本君の隣で、のんきに呟く高畑さん。

 どうしてここにいるのか知らないが、楽しそうにケイとゲームをやっている。

 ちなみに、彼女が遊んでやってると言った方が正しいだろう。

「学校は?」

「今日は、見学会なんです」

「で、ここにいていいの」

「ガーディアンの、見学です」

 純真な顔で答える高畑さん。

 ただ私達の今の身分は、ただの生徒。

 ガーディアンではなく、むしろガーディアンから監視されるような立場。

 しかしそれを説明しても分かってくれるかどうか分からない。

 第一、上手く説明出来る程自分自身が分かってない。

「本当、不器用ですね」

 心底からの言葉。

 ケイは鼻を鳴らし、リセットからの再スタートにつなげた。

「そうして人を馬鹿にしてると、罰が当たるぞ」

「浦田さんは、当たったんですか?」

「まさか」

「だったら、私は、一生大丈夫です」

 自身を込めて言い切る高畑さん。

 ケイは鼻を鳴らし、またリセットをした。

「もう、飽きました」

「冷たい事言うなよ。アイス買ってやる」

「冬ですよ、今」

「だったら肉まんだ。ショウ、行ってこい」

 自分のIDカードを放り、いつにない真剣な顔でパットを握るケイ。

 突っ込むのも馬鹿馬鹿しかったのか、ショウはIDを手に取ってため息混じりに部屋を出て行った。


 それでも楽しそうに遊んでいる二人を見守りつつ、声を潜めて木之本君に尋ねてみる。

「……例の、ドラッグの件は?」

「かなり厳しく取り締まるみたいだね。浦田君の申し出が、やっぱり大きかった」

「あの子自身は大丈夫なの?」

「学校や警察の処罰は無いって聞いてる。ただ、ドラッグを広めようとしてた組織側には狙われる可能性もある」

 さらに声を潜める木之本君。

 考えていなかった訳ではない、しかし考えたくなかった指摘。

 勿論それは逆恨みに過ぎず、彼自身に非は一切無い。

 ただ、こうも思う。

 そこまで想定して、彼は病院へ赴き警察へ出頭したのではと。

「大丈夫なの?」

「生徒会に警備要請はしてるけど、はかばかしくない。ただその辺は浦田君の考えもあるだろうし」

「ケイが、何か企んでるって事?」

「僕に浦田君の考えは理解出来ないから。とはいえ、分かる人も殆どいないだろうけど」

 苦笑して食べ終わったラーメンのカップを片付ける木之本君。

 ケイはその間も不器用な手先でお茶をこぼしたり物を落としたりと、普段通りの行動を取っている。

 そこから何かを読み取るなんて事は出来ないし、木之本君同様彼の思考は理解出来ない。

「モトちゃん、ちょっと」

 私の手招きに応じ、チョコをかじりながらやってくるモトちゃん。

 それを一つもらい、包装紙を解いては元に戻す。

「ケイの事、どう思う」

「……普段通り。変なところはないし、落ち着いてる」

「本当に?」

「今見た限りでは。疑い出せばきりがないし、何をやろうと私達には止められないでしょ」

 素っ気ない、突き放したような発言。

 それはケイに対してでもあり、質問した私に対してでもあるが。

「じゃあ、どうするの」

「完全にドラッグが抜けるのを待つしかないわね。抜けるなら、の話だけど」

「何、それ」

「常用性の強いタイプって、私は聞いてる」

 低く言い残し去っていくモトちゃん。

 去り際の横顔はいつにも増して厳しく、呼び止める事すらためらわれる程だった。

 執行委員会の警備担当者から聞いた時は、それ程気にはしていなかった。

 彼が大袈裟に言ってるだけで、本当はそれ程ひどいドラッグではないと。

 だけどこうしてモトちゃんから話を聞いて、その話が本当だったとようやく思い知る。

 私が見ている限りでもケイに変な所はなく、こうして出歩けるくらいだから生活を送るには問題ないのだろう。

 どの程度問題ないか、私の知らない部分で彼はどういう生活を送っているのか。

 どういう治療を受けているのか。

 一度、詳しい人に話を聞いた方がいいかもしれない。



「俺も、詳しくはないよ」

 鼻で笑い、ホットミルクを口にする阿川君。

 彼の隣には沢さんが座っていて、やはり苦笑気味にコーヒーカップを眺めている。

 ファミレスのやや奥まったボックス席。

 人目に付かない場所で、何より沢さんがいるため誰かに話を聞かれる心配はない。 

「柄の悪い連中との付き合いはあるけど、扱ってる人間はいないしむしろ嫌ってるから。売人を見つけたら、無条件で潰す」

「マフィアがバックにいるんじゃないんですか」

「そこは、誰が仕掛けたか気付かれないように。名古屋でドラッグは、他の都市程蔓延してないしね。その理由は知らないけど」

 肩をすくめ、運ばれてきたビーフシチューを食べ出す阿川君。

 私はいまいち食欲が無く、サラダにドレッシングを掛けてフォークを刺しては戻す。

「フリーガーディアンの意見は?」

「立場上、学校や警察の情報は入ってくるけどね。教育庁から介入しろとの指示は受けてない」

「大丈夫って事なんですか」

「今の長官や幹部とは、少し疎遠なんだ。それと草薙高校に所属するのと引き替えに、いくつかの権限を制限されてる。フリーガーディアンといっても、普通の高校生に毛が生えたようなものだよ」

 半熟のオムライスにデミグラスソースを掛け、美味しそうに頬張る沢さん。 

 私はやはりサラダをつつくだけで、苛立ちが募っていくだけだ。

「やっぱり食べよう。……ペペロンチーノ下さい」

「人間、何か食べれば気分も良くなるさ」

 人ごとのように笑う阿川君。

 いや。彼にとっては人ごとであり、また私に呼び出される理由は何もない。

 それは沢さん同様で、彼等を付き合わせているのは単に私のわがままに過ぎない。

 だけど今は、彼等の心境を考えている場合でもない。

「モトちゃん達が言うには、習慣性の強いドラッグらしいんですけど」

「ちょっと、調べてみる。……強いには強いね」

 見慣れない端末の画面を見つめ、重々しく答える沢さん。

 否定の言葉はやはり返ってこず、運ばれてペペロンチーノもいまいち喉を通らない。

「彼が取り込んだのはかなり微量だから、習慣性が強いといっても常用者になる訳じゃない。その辺りは薬である程度抑えられるし」

「でも」

「雪野さんが思ってる通り、油断も出来ない。君は学校で無意味に暴れてるジャンキーしか見てないだろうけど、常用者っていうのはかなり狡猾でね。ドラッグを使っててもそれを否定するし、気付かれないようにする。つまりドラッグのために生活があって、全ての理屈や感情はその前にひれ伏してしまう」

 持って回った言い方。

 ただ言いたい事は、すぐに理解出来る。

 常用者は信用出来ないし、非常に危険な存在だと。

「俺からも一言。身内を疑うのは気分が悪い。ただ、見過ごすのは本人のためにならない」

「今のケイが、そうなんですか?」

「判断材料が乏しいから、何とも言えないが。俺が雪野さんの立場なら、常に最悪の状況を想定して行動する。例えではなくて、気付いたらナイフを突き立てられたなんて事にもなりかねないんだから」

 冗談めかした口調で、しかし微かにも笑わず忠告する阿川君。

 それは間違いなく彼の経験からきている言葉であり、私はただ頷くより他ない。

「今更言うまでもないけど、精神的な抑制のない常用者は普通の人間とは訳が違う。スタンガンは最低限使用すべきだし、周りの人間にも持たせた方がいい」

「阿川君は、ケイが常用者だって言うんですか?」

「さっき言っただろ。最悪の想定をすべきだって。取り越し苦労で彼を怒らせるか、事前に準備をして被害を最小限に食い止めるか。選ぶのは俺じゃない、君だから」

 あくまでも突き放す阿川君。

 ここに来ても彼のスタンスは少しも変わらず、むしろそれが何故か笑えてしまう。

「施設に入れるなら、いい所を紹介するよ」

 淡々と、世間話をするように勧めてくる沢さん。

 今の話を受けて、何より私がどう考えているかをふまえての発言。

 彼に悪気はなく、むしろ善意から出た言葉。

 またケイが置かれている立場を考えれば、彼の好きなようにさせている方が傍目にはおかしいと映るのかも知れない。

「そうした方がいいんですか?」

「阿川君の言った、最悪の想定をするとしたらね。施設に入ればドラッグに触れる可能性が完全に失われるし、治療に専念するしかなくなる」

「だったら、今は?」

「あまり言いたくはないけど、非常に危険だね。仮に僕が彼の立場なら、自分から施設に入ってる」

 はっきりと、微かな揺らぎもなく言い切る沢さん。

 ペペロンチーノは出てきたままの形で冷え切り、今更それに手を付ける気もしない。

 二人の容赦ない、だからこそ私を思っての言葉。

 何より、ケイのための。

 そしてまた、あまりにも厳しく過酷な。

 だけど二人の言ってる事は、何一つ間違いはないと理解出来る。

 また出来るなら、そうすべきだと。


「私は、ケイに。彼の判断に任せようと思ってます」

「どうなってもいいとでも?」

 いつになく険しい顔で私を見つめる阿川君。 

 沢さんは何も言わず、腕を組んでテーブルを見下ろしている。

「あの子を信じてますから。例えどうなろうと、この考えは変わりません」

「周りの人間に、迷惑が掛かってもかな」

「私が、そうはさせません」

 強くはっきりと言い切り、冷め切ったペペロンチーノを口に運ぶ。

 美味しくもなければ、食べたくもない。

 だけどこれを頼んだのは自分で、これをどうするかは私に責任がある。

「そういう結論を出すのなら、俺達を呼ばないで欲しいな」

「あ、済みません」

「冗談だよ。俺も一応、ドラッグ関係について知り合いに聞いてみる。何か分かったらすぐ知らせる」

 自分の食事代をテーブルに起き、席を立つ阿川君。

 沢さんもそれに続き、レシートを持ってレジへと向かう。



 冷たい夜風に体を縮め、コートの前を合わせて襟を立てる。

 阿川君はもう帰った後で、会計を済ませた沢さんがファミレスから出てきた所で礼を言う。

「一応は僕も先輩だからね。それに僕も彼も、否定的な事を言うだけで何の助けにもなれなかったんだし」

「いえ。話を聞いてくれただけで、私は十分です。それに自分が正しい訳でもなくて、単に独りよがりなだけだし」

「そのくらいの方がいいと思うよ。結果がどうなるかはともかく、自分の考えがないと」

 褒めているのかからかっているのか、いつになく楽しげに笑う沢さん。

 実際には笑っていられるような会話ではなかったが、私も付き合いで少しだけ笑顔を浮かべる。

「油断は禁物だけど、張りつめすぎても仕方ない。勿論そのバランスは難しいし、自然体なんて達人じゃない限り難しいかな」

「はあ」

「僕も彼については、注意しておく。雪野さんも気を付けて」

「あ、はい」

 駐車場で車に乗り込み、クラクションを鳴らして帰って行く沢さん。

 そのテールランプを見送り、女子寮へ歩いていく。 

 スクーターでも良かったが時期的にはやや寒く、少し着込んで徒歩を選んだ。

 ただいまの沢さん達の話を思い出すと、一人で帰るのが不安になってくる。

 私が狙われている訳でもないし、そういう兆候は何もない。

 だけどこの街にはドラッグを売りさばく人間がいて、それを買う人間がいる。

 大通りは人で賑わい、車道は激しく車が行き交う。

 でもそこから一本路地に入れば、薄い闇がどこまでも続いている。


 気付けば駆け出し、息を切らせて女子寮の敷地に辿り着いていた。 

 走った時間は大して長くもなく、歩くのとどれ程の違いもないと思う。 

 口では色々言っても、精神的には多少追い込まれているのかもしれない。

「顔色悪いわね。調子悪い?」

 心配げに声を掛けている、門の隣に立っていた警備員さん。

 彼女に愛想良く微笑んで何でもないと告げ、一旦後ろを振り返って寮へと向かう。


 自分の部屋に付き、ベッドに倒れ込んでようやく一息付く。

 ファミレスでご飯を食べて少し話しただけなのに、とにかく疲れてたまらない。

 精神的な疲労が肉体にまで影響しているのだと思うが、今は何もしたくないし動く事も出来ない。

 急いでする事は何もないし、しばらくこのまま寝ていたい。

 いや。宿題が3教科出ていたはずだ。

 どうもケイの事に意識が向きすぎて、それ以外が抜け落ちている。

 無理矢理体を引き起こし、ベッドから下りて服を脱ぐ。

 エアコンは効いているが、今は初冬。

 夜ともなれば空気は冷え込み、下着姿でうろつく季節ではない。

 すぐにバスルームへ入り、シャワーを浴びて覚醒を促す。

 体が温まるごとに意識は軽くなるが、当然全てを忘れられる訳ではない。

 また、忘れるべきでも無いだろう。


 とりあえず物事を考えられるだけの意識に戻し、コーヒーを用意して机に向かう。

 数学の難しい数式を無理矢理解き、卓上端末で正解を確かめる。

 何か当てはめ方が違っていたらしく、全然違う数字が表示された。

 模範解答例を確認し、それに沿って一度解いてみる。

 さっきよりは理解が深まり、次の問題に取りかかる。

 時間は掛かるが、大切なのは正しい数字を出す以上にそこへの道筋を理解する事。

 正しい数字を出したいなら、端末のソフトを使ってすぐに終わる。

 ただしそれはあくまでも理屈であり、一問取りかかるごとにコーヒーを口にして苛立ちをどうにかごまかす。

 またこれは私やショウの考え方で、他の人はまた違う意見を持っている。

 その極端な例がケイだろう。

 あの子は結論さえ正しければ、経過は関係ないと思ってる部分がある。

 勿論経緯を否定する訳ではないが、優先されるのは結論だろう。


 そんな事を考えても宿題が終わる訳はなく、改めてお湯を沸かしてコーヒーを飲む。

 何杯目か分からないけど、ショウが作った物ではないため美味しく飲める。

 数学の参考書を机の本棚へ戻し、日本史の参考書を机の上に広げる。

 いつに誰が何をやろうが知った事ではないと言いたくなる。

 再び精神状態が悪くなってきたため、一旦立ち上がって軽く体をほぐす。

「身近にある歴史的な場所を訪ね、そのレポートを提出?」

 戦国時代の三英傑を排出した土地柄なのでその手の場所には事欠かないが、草薙高校の立地から言って熱田神宮を想定しているのは明らかだ。

 これの提出は来週だから、週末まで後回しにしよう。

 最後に残ったのは家庭科で、雑巾を縫うという内容。

 今更何故と問いたくなるが、作る事自体に問題はない。

「裁縫道具は」

 毎日ではないにしろ比較的使用頻度は高いので、それ程探す事もなく小さな箱が見つかった。

 布は学校から支給された、若干荒い感じの品を使う。

「……ミシンは使用不可」

 一応規則を確かめ、針に糸を通す。

 しかし実際はミシンを使って作る人も多いだろうし、生真面目に縫ってるのは自分だけかも知れない。 

 とはいえこんな所で手を抜いても意味が無く、お針子さんよろしく正座して雑巾を縫っていく。

 そう言えば昔も雑巾の宿題が出て、一騒ぎしたな。

 いや。一騒ぎどころの話ではなく、停学という言葉も飛び交った。

 今考えればかなり下らない話というか、雑巾一つであそこまで揉める必要もなかった。

「懐かしいな」

 雑巾はすでに縫い終わり、左端に雪野と縫い込んでリュックにしまう。

 あの時泣きそうになっていた女の子は、今頃何をしてるんだろうか。


「紅茶作ったけど」

「もらう」

 キッチンからの言葉にすぐ応え、ベッドサイドを背にして雑誌をめくる。

 サトミはテーブルにティーカップを置き、一緒にチョコレートを終えてきた。

 少なくとも、今は泣いてないようだ。

「どうかした?」

「雑巾の宿題があったから、大丈夫かなと思って」

「ああ。中等部の話。そんな事もあったわね」

 苦笑してティーカップにレモン果汁を注ぎ、スプーンでかき混ぜるサトミ。

 私はミルクを注ぎ、ノンカロリーのシュガーをたっぷり入れる。 

 本当の砂糖には及ばないけれど、入れない事には始まらないので。

「今考えると、どうしてあんな騒ぎになったか不思議だわ」

「私は騒いでないよ、それ程は。モトちゃんもそうだし。……ショウか塩田さん?」

「光じゃないかしら。ケイではなかったと覚えてる」

「確かにあの子は、騒いではなかったね」

 その代わりという訳ではないが、教師をポールに掲げたのは彼である。

 ただ一連の騒動についてはほぼ全員同罪であり、彼一人が悪い訳ではない。

「そう考えると、よく停学にならなかったわよ」

「人ごとみたいに言って。サトミが雑巾縫えなかったから、みんな大騒ぎしたんでしょ」

「そうだった?何か違う気もするわよ」

 小首を傾げ古い記憶を辿るサトミ。

 正確さについては彼女に勝てる訳が無く、あまり遡られても困る。

「まあいいや。それより、阿川君と沢さんに話を聞いてきた」

「良くはないけど。何を聞いたの」

「気が重くなるなるような事ばかり」

 ファミレスでの話を簡単に説明し、彼女の反応を待つ。

 自分が最後に何を言ったかは、適当にごまかして。



「まだ何かあった訳でもないから、私が騒ぎ過ぎてるのかな」

「どうかしら。答えようが無いわね」

 疲れたようにため息を付き、湯気の消えたティーカップを両手で包み込むサトミ。

 何もないだけに考えだけが先行する。

 しかし何かあった後では全てが遅く、後悔のしようもない。

 ジレンマという一言では片付けられない、重苦しい苦悩。

 当の本人は、何を思っているんだろうか。

「サトミは、どうしたらいいと思う?」

「放っておくしかないわね。私達が何を言っても聞かないんだから」

「そうだけどさ」

「それに、なんとなくは分かってるのよ。何を考えてるかは」

 小さな、しかし確信のこもったささやき。

 私には見えなくて、彼女には見えている世界。

 正確に言うのなら、彼女とケイには理解出来る部分。

「何考えてるの」

「多分、心配しなくてもいいとは思う。具体的にどうしたいのかまでは分からないけど」

「心配しなくていいと言われても」

「せずにはいられない、でしょ。私もこれ以上、何も言いようがないわ」 

 そう。彼女がどう言おうと、私はそれに納得しない。

 性格的な部分でもあり、今回の出来事の特殊性もある。

 何にしろ、私は気が重い時をこれからも過ごすしかない。

「困ったね。どうして、こんな事になったんだろ」

「だからこそ、今の学校の体制を変える必要があるのよ。自治を貫く必要が」

 不意に語気を強めるサトミ。

 それ程力を入れる話を入れる事かと思いつつ、机に置かれた拳を見つめる。

「自治が大切なのは分かったけど、そんなに力説する程なの」

「だって、大切じゃない」

 曖昧に答え、具体的な事は語らないサトミ。

 とはいえ言ってる事自体は間違っていないので、そのまま流す。

 ただ、自治に関しては先輩がいる。

「塩田さん達の時も、同じだったのかな」

「ドラッグを使われたとは聞いてないけど。拉致はされたんでしょ」

 そう言えば、天満さん達がさらわれたとは言ってたな。



 珍しく、早い時間に寮へ戻ってきている天満さん。

 早いと言っても食堂はしまっているような時間で、朝練のあるクラブ生の中には寝ている子もいるだろう。

「ドラッグ、ね。私は自警局じゃないから、その辺には疎いんだけど。私達の時も、そこまで悪質じゃなかったわよ」

 ベッドの上で寝転び、TVを観ては大笑いする天満さん。

 サーカスの熊が器用に自転車を運転している映像で、確かに面白いが大笑いする程でもない。

「熊は、どうしても三島さんと重なるの」

 笑い気味に説明してくれる天満さん。

 そう言えばあの人のあだ名が、熊だったか。

 普段は大人しいし、どっしりとした安定感がある。

 またひとたび力を振るえば、全ての物をなぎ倒す。

「管理案の施行をもくろむ学校が一番悪いとして。次に悪いのは誰かって話よね」

「最近入ってきてる傭兵じゃないんですか」

「うーん。確かに連中はあくどいし、実際悪さをしてるんだけどね。傭兵っていう名前の通り、雇われなのよ」

「ああ、そういう事」

 つまりはその雇い主が存在し、彼等は雇い主の命に従った行動をしているに過ぎない。

 自らの手を汚さず、高みの見物を決め込んでいるのは誰かという訳か。

「当然傭兵も排除する必要があるけど、雇ってる人間をどうにかするのが一番大事だと私は思うのよね」

「目標、ですか?」

「まあね。最終的には管理案の撤回と生徒の自治の確立だとしても、それをやらない事には先へ進まないわ」

 分かったような気がしたというか、今始めて聞いた気もする。

 サトミ達があれこれ説明してくれた事にも含まれていたとは思うが、その時点では情報量が多すぎた。

「それ以外の目標は?」

「同調者の確保。あなた達は旧連合だけを固めてるけど、現状では単なる武装集団にしか過ぎないでしょ。仮にも学校と全面的に戦うつもりなら、全校生徒の最低2/3は確保したいわね」

「出来るんですか」

「私達は出来なかった。やらなかったという面もあるし、そう悠長な事を言ってる場合でもなかったから。勿論今も、時間は決して多くはないけれど」

 くすくす笑い、カレンダーを指さす天満さん。

 今年ももうすぐ終わり。

 後期の定期テストが済めば学校に来なくなる生徒も増え、同調者を募るどころではなくなってくる。

「他には?」

「予算の確保、同調者ではない実働出来る人材の確保。学校と戦うための後ろ盾とか」

「後ろ盾って」

「教育庁は草薙高校よりだから除外として、有力者の協力が得られるとかなり有利ね。その辺は、遠野さん達も考えてはいるだろうけど」

「まさか、矢加部さんとか?」

 学校に影響力のある有力者として真っ先に思い付くのが彼女。

 莫大な寄付金、幾つもの施設や教材の提供。

 理事にも関係者が何人かいるらしく、草薙グループ自体とも付き合いがあるとの話。

 無論それは矢加部家がであるにしても、長女である彼女の影響力は計り知れない。

「面白くないな。いや。矢加部さんを頼る事もだけど、そういう有力者がどうこうって話も」

「綺麗ごとだけでは通用しないって事。やりたくないなら無理には勧めないけど、そういう事も必要になると思うわよ。不良高校生を相手にしてる訳ではないんだから」

「そう、なんですけどね。どうして、こんな事になったのかな」

「さあ。私はもう、そういう事を考えるのは諦めた」



 拉致の話を聞きに行ったんだけど、余計な悩みを背負って帰ってきた。

 サトミの部屋にはモトちゃんも来ていて、ワイングラスを険しい顔で睨み付けている。

「まずいの?」

「赤より、白が飲みたいなと思って」

 ワインだって睨まれてもせいぜい青くなるくらいで、間違っても白くはならない。

 間違いなく酔ってるな、この子。

 私はワインという気分ではないため、日本酒を少し熱燗にする。

 するめをあぶり、それをくわえてテーブルへと戻る。

「冬は、こういうのが恋しくなるね」

「モトは、アルコールが入ってれば何でもいいのよ」 

 私のお酌で日本酒をあおるサトミ。

 モトちゃんは聞こえていないのか、グラスを睨んだままするめを黙々と囓り出した。

「天満さんが言うのは、有力者も味方に付けた方が良いって」

「考えてはいるけど、その辺は本当に最後の手段ね。私達は管理案を撤回させて生徒の自治を保つのが目的であって、有力者をバックに付けたら今度は彼等が支配側に回る可能性もある訳だし」

「なるほどね。後、有力者って誰」

「勿論矢加部家は筆頭よ」

 これが聞きたかったんでしょという顔のサトミ。

 ただそれは冗談だったらしく、すぐに別な家の名前も出てくる。

「ショウや御剣君の実家。つまり玲阿家や御剣家、鶴木家。舞地家もね」

「万が一有力者を頼るとしても、矢加部家は最後にして」

「筆頭って、今言ったでしょ。いいのよ、雪野家が協力してくれても」

 私の家で協力出来る事なんて、美味しいケーキを作るくらいだ。

 勿論そんなのは役に立たないけど、私個人は非常に嬉しい。

 と、下らない事を考えていると少しは気が紛れる。

「後、生徒から支持されないと駄目だってさ」

「私は駄目ね。人気薄だから」

 熱燗の注がれたお猪口を眺めながら、淡々と呟くサトミ。

 彼女の容姿はすれ違う人がみんな振り返る程で、能力的な面も申し分ない。

 ただ親しみやすいかと言われれば、私から見てもどうかと思う。

 以前程ではないが人を遠ざけるような雰囲気があり、知らない人はどれだけ彼女に惹かれても近付きがたいと思っているはずだ。

「モトとは違って」

 彼女が羨ましげに見つめたのは、ワイングラスにウイスキーを注ぎ出したモトちゃん。

 モトちゃんの場合は、サトミとは対極に位置するくらい。

 外見はどちらかといえば普通で、十分優秀ではあるけどサトミには到底及ばない。

 ただし知らない人でも気安く声を掛けられるだけの親しみやすさがあり、自分から声を掛けるのも厭わない。

 自然と彼女の周りには人が集まり、意見を求めてくる。

 ただし私からすれば二人とも贅沢な無い物ねだりをしているだけで、何も持ち合わせてない自分からすれば今のままで十分すぎる。

「私が、どうかした」

 少し赤い顔で話しかけて来るモトちゃん。

 基本的にお酒に飲まれるタイプではなく、自分を見失う事もない。

 この辺りが、サトミの気にする部分でもあるだろう。

 彼女は冷静なように見えて、意外と頭に血が上りやすいので。

「学校に立ち向かうためには、生徒に受けの良い子が必要って話」

「受け、ね。私は外面が良いだけだから」

「私なんて、外面も内面も悪いわよ」

「そう?」

 サトミの愚痴を軽く受け流し、ウイスキーをお湯で割るモトちゃん。

 こういう余裕がサトミにはない。

「受けも良いけど、説得力でしょ。どうして学校と戦うのかを明確にしないと」

「私に要旨をまとめろって」

「天才少女でしょ、あなた」

「人を乗せるのが上手いわね」

 肩をすくめ、お猪口の日本酒をあおるサトミ。

 二人ともそれ以上話は進めず、黙々とお酒を飲み出した。

 重くはないが軽い雰囲気でもない。

 そして私は、少し眠くなってくる。



 気付けば床の上で横になっていた。

 タオルケットは掛かっているが、それを殆どはね除けていては仕方ない。

「朝」

 カーテンの隙間から差し込む淡い日差し。 

 サトミとモトちゃんは、ベッドの上で抱き合うようにして眠っている。

 少し妬けるが、じゃれつく程の気合いもないため体を伸ばしながらキッチンへ向かう。

 牛乳をコップに注ぎ、それを飲んでコップを洗う。

 今日は休みで、慌てて自室に戻ったりご飯を食べる必要はない。

 第一、今朝日がが昇っていたくらいの時間。

 やる事といえば、キッチンに差し込む日差しを何も考えずに眺めるくらい。


 激しい鼓動、しかし規則正しい呼吸。

 バランス良く手足を振り、足首を返す。

 早朝とはいえ女子寮の周辺を走る生徒は意外と多く、名前も知らないが挨拶を交わす相手もいる。

 他人でありここでしか会わないが、彼等は間違いなく仲間だと私は思っている。

 とはいえ私が気分良く終われるのは、一周が良いところ。

 体に負荷を掛けるなら2周3周と走ればいいが、今日は女子寮へそのまま戻る。

 いや。戻ろうとしたが、姿勢を低くして地面を蹴る。

 一瞬にして後ろへ流れていく景色。

 肺は激しく酸素を求め、頬に当たる風が痛いと思える程。

 塀を蹴って宙に舞い、体をひねって地面へ降り立つ。

 そのまま後ろ蹴りを放ち、回し肘打ちにつないで再び塀を蹴ってその上に飛び乗る。

「このっ」

 軽やかに宙を舞い、同じく塀の上に飛び乗るショウ。 

 この巨体がさながら猫の子のように動く様は、感動の一言でしかない。

「朝から、何してるんだ」

「不審者に襲われた時のシュミレーションよ」

「良く言うぜ。……なんか、音しないか」

「不審者がいるんじゃないの」

 聞こえてくるのは、塀の内側から。

 過去何度か聞いた事のある、不審者を発見した時の警報音。

 どうやら塀の上にセンサーがあり、私かショウの動きに反応したのだろう。

「逃げろ」

「はいっと」

 即座に息を合わせ、塀を飛び降り一目散に逃げていく。

 疲労や心拍なんて言葉はどこかへ消え、ただ楽しさだけが募っていく。 

 何が楽しいのか、何のために走っているかはもう分からない。

 どこへ向かってるかも分からない。 

 朝の淡い日差し。

 辺りの住宅街をうっすらと包む白い朝靄。

 私達の姿も、その中に溶け込んでいく。



 一周以上走ったので、乳酸も相当募った。

 当然動く事もままならず、体力が回復したのはお昼前。 

 休みの醍醐味は、二度寝に尽きる。

「へろー」

 お昼から陽気な池上さん。

 女子寮の食堂に来るなんて珍しいなと思いつつ、彼女が持っている紙袋に目を留める。

「実家のお土産。湯葉だけど、食べる?」

「食べる。わさび醤油は?」

「持ってきてる。ほら、ここの調味料は危ないから」

 うしゃうしゃ笑い、紙袋から一式取り出す池上さん。

 生醤油とは分かってるな、この人。

「刺身用か。ふーん」

「私はちょっと苦手なのよね。豆乳も」

「そう言われてみると、癖はあるかな」

「青臭いのよ、どうにも」

 自分で持ってきた割には、手も付けない池上さん。

 食べているのは自分だけで、とはいえお腹一杯食べられる食材でもない。

「私も限界に達した。……真田さん、こっち」

「こんにちは。湯葉、ですか」

「こっちのお姉さんのおごり」

「頂きます」

 礼儀正しく頭を下げ、湯葉を口にする真田さん。

 池上さんは少し目を細め、探るような顔で彼女をじっと見つめる。

「あの、何か」

「雪ちゃんも、先輩なんだなと思って。ちょっと笑ったわ」

「悪かったわね。私達はその、色々あって先輩も後輩もあまりいないの」

「いても気疲れするだけよ。勿論、いても悪くはないけれど」

 どっちなんだと自分で突っ込む池上さん。

 私は今答えた通り先輩も後輩も少なので、その判断は付きにくい。

 アドバイスを受ける事は少なく、また求められる事も少ない。

 言うまでもなく、今回の件に関しても。

 頼れるのは自分と、その仲間。

 そうだと、今まで思っていた。

 そうではないとも、気付いてきた。

 静かに、だけど楽しそうに会話を交わす池上さんと真田さん。

 少しずつ私も、私達も変わっていく。

 それは成長と呼べるものなのかもしれない。













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