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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第28話
305/596

28-10






     28-10




 柳君は落ち着いてきたし、風成さんは相変わらず。

 正直、やる事が無くなってきた。

 観客席の最後尾にある通路で壁にもたれ、試合の様子を何となく眺める。

 二人共準決勝も問題なく勝ち進み、後は決勝を控えるだけ。

 有名な人が出ているらしく会場はそれなりの盛り上がり。

 それとも盛り上がっているのは、女子の試合だからだろうか。

「あの程度なら、俺でも勝てるぜ」

 ドアの側にいた、柄の悪そうな男が侮蔑気味に試合会場に指を向ける。

 戦っているのは、私よりも一回り大きいくらいの女性達。 

 打撃よりもグラウンド中心で、大型モニターに映るその動きは非常に見応えがある。

 よくあるもつれ合うスタイルではなく、アマレスのように攻守が素早く入れ替わる戦い。

 打撃にありがちな殺伐とした雰囲気が無いのも、盛り上がる理由の一つだろう。

「あんなの、上から押しつぶせば終わりだぜ」

 自分の体格の良さを、強さと過信した発言。

 勿論体格が大きさは、もっとも強さと結びつく要因。

 ただ、それに奢っている限り上は望めない。


「そんな訳無い」

 私ではない。

 私の隣にいた、ジャージ姿の女の子が呟いた。

 小さく、震える声で。

 しかしはっきりと、男にも聞こえるようにして。

「何だ、お前。あいつの知り合いか」

「そうよ」

「馬鹿が。所詮女は、あの程度なんだ。ここに連れてきてみろ。一発で倒してやる」

 目の前を通り過ぎる、傷のある拳。 

 それは女の子の襟を掴み、彼女を引き寄せた。

「それとも、お前が」

 強引に引っ張られていく女の子。

 身長は私よりも高い、ただ多分幼いはずの。

 足を振り上げて手を払い、女の子の肩を掴んで彼女を引き寄せる。

 男は引っ張っていた勢いのまま、後ろへ数歩下がった。

「こ、この」

 女の子をさらに後ろへ下がらせ、仲間の女の子達の中に紛れさせる。

 下で戦っているのは、同じ道場の先輩か誰かだろう。

 彼女達は純粋に、心から応援している。

 戦っている彼女の強さを疑う事なく、誇りとする。

「ガキが。お前も、仲間か」

「そうよ。下の人だと勝ち目がないから、私を相手にしたら」

「ちょっと格闘技をかじったからって、調子に乗りやがって」

 襟に伸びてくる腕。

 しかしそれはフェイントで、ロー気味の足払いが放たれる。

 馬鹿馬鹿しい程の連携。

 速さとタイミングが良ければ別だが、これでは無闇に殴りかかる子供と同じ。

 第一、かわす必要もない。

「大人げないな」

 膝の裏をすくう革靴。

 男は油で滑ったかのように、足を上に向けて床に倒れた。

「お、お前。殺すぞっ」

「殺す、ね。そういう場合は、殺してから言え」

 喉にではなく、胸元に置かれる革靴のかかと。

 それがジャケットの中へとめり込んでいく。

「で、誰を殺すって。……おい、起きろよ」

「無茶苦茶ですね」

「子供を守るのは、大人の役目さ」

 ニヒルに微笑み、男を蹴って壁際に転がすユンさん。

 そして彼の合図で、警備員さんが男の足を持って引きずっていく。

 当たり前だが、余計なトラブルがないように初めから見ていてくれたらしい。

「試合は、負けか」

 試合会場ではなく、肩を抱き合って涙を浮かべている女の子達を振り返る尹さん。

 悲しいけど、一所懸命応援したからといって勝つ訳ではない。

 世の中そう甘くは構成されてはいなく、結局は本人の資質と努力による。

 だからといって彼女達の思いは否定出来ないし、私も痛い程分かってるつもりだ。 

 応援するのは勝利を願うだけじゃない。

 戦うその人を思うからこそ、応援する。

 怪我をしないように、努力の成果が出せるように。

 胸に宿る熱い思いを伝えるために。

「風成君は?」

「寝てますよ。ふて寝してます」

「そういえば、瞬もこの大会に出た事あるんだろ」

「馬鹿なんです、馬鹿」

 尹さんが共感めいた事を言う前に、先手を打って発言を防ぐ。

 その気持ちも分かるけど、決して納得は出来ないので。

「怖いな、どうにも」

 不意に頭上を過ぎる、尹さんの後ろ回し蹴り。

 頭上で交差する、長い足のふくらはぎ。

「よう」

 へらへら笑う瞬さん。

 尹さんも明るく笑い、彼の顔を指さしている。

「私が殺しましょうか」

 慌てて足を引く二人。

 だから馬鹿だと言ったんだ。

「いや。瞬が仕掛けてくるから」

「お前が受ければいいだけだろ」

「知りません。暇なら、警備でもしたらどうですか」

「いいけど、俺達がやると死人が出る」

 真顔で頷く尹さん。

 本当に、この人達は大人かな。

「風成君を見に来たんだけど、調子が良くないって聞いた」

「流衣が怒ってさ。俺にも食いついてきやがった」

 顔を歪め、左肩を撫でる瞬さん。

 寒い訳ではなさそうだし、派手な親子げんかでもあったらしい。

「お前が出た時は、どうなったんだ」

「どうもこうもない。鈴香に怒られた。それだけだ」

「試合の経過を聞いてるんだけどな、俺は」

「忘れた。こういうのは見てる方が面白い。おい、あの大男。後ろから、投げ飛ばしたくなるな」

 馬鹿げた話を振る瞬さんと、笑いつつそれに乗る尹さん。

 勿論冗談だろうけど、表情はお互い何とも楽しそうで子供そのもの。

 もしかすると、この二人にも警備を付けた方がいいかもしれないな。



 試合会場に消えていった二人と別れ、通路を歩く。

 観客席の後ろではなく、外壁と隔てられた窓のある。

 円上のドームに沿って続く通路。

 このまま歩き続ければ一周するんだろうか。

 暇だと、こういう下らない考えも浮かぶ。

 窓の外は薄闇から、完全な闇へと変わっている。

 見えているのはいくつかの街灯と、遠くを走る車のライト。

 その向こうに立ち並ぶ建物の明かり。

 人の姿はまるで見えず、木枯らしに吹かれる葉の落ちた木々も見えはしない。

 寂しさはなく、しかし無機質な眺め。

 何となく窓ガラスに指を触れるが、流衣さんのような切なさは生まれず指が冷たくなっただけ。

 慌てて手を引っ込め、手をこする。

「何してるの」

 フードを被り、こちらへとやってくるサトミ。

「自分こそ。それに、どこにいたの」

「私も学校とここの往復よ。休み前に片付けないと、正月にも出てこないといけないから」

「そんなに急がしい訳?」

「何の後ろ盾も無い団体でしょ、私達は。最低限の許可を得るために、あちこちに頭を下げてる訳」

 人の口調を真似るサトミ。 

 実際に何をやってるのかは知らないが、私の知らない気苦労は幾つも抱えているらしい。

「私は手伝わなくて、いいみたいだね」

「手伝ってくれてもいいけど、あなた多分倒れるわよ」

「疲労で?」

「それと、怒りとだるさで。役人と交渉するのが大変って言うけど、あれは本当ね」

 しみじみと呟き、フードを取って髪をかき上げるサトミ。

 現れたのは多少疲れ気味の顔で、少し苛立っているようにも見える。

 勿論私にではなく、今言っていた交渉相手に対してだろう。

「そこまでしてやる意味がある?って顔ね」

「私が言える義理じゃないけど。そういう話を聞くと、ちょっと」

「大丈夫。下準備は、私達に任せてくれて。ユウは、その後をお願い」

「そっちの方が、大変じゃないの」

 明るく笑って聞き流すサトミ。

 しかし彼女達がやっているのは、言ってみれば学校と対峙するための準備。

 それに対しての交渉だから、困難なのは当然過ぎる事。

 私がそれに甘えていていいのかとも思うが、必要と思えば彼女も遠慮無く言ってくる。

 今はそれを信じて、大人しくしていよう。

 そしていざという時に、自分の成すべき事をすればいい。

「試合は?」

「今、女子の決勝。それが終わって、男子の決勝。柳君の試合は、セミファイナル」

「ライト級は、この大会で一番軽いクラスじゃない?」

「人気があるから、後ろに回ったみたい。TVの関係らしいよ」

 選手としてはコンディション作りに大変だろうけど、人に見せるという視点から見れば納得出来る。

 また構成としても、そちらの方がいいだろう。

 私達としては、気を揉む時間が長くなるだけだが。

「柳君は?」

「落ち着いてる。だいぶ、いい感じ」

「学校よりも、今は彼に専念しないとね」

「私達がいなくても、十分だと思うよ」

 それはそれで少し寂しいが、彼が成長しているのは間違いない。

 人の影に隠れ、自分の存在を否定する。

 そういった、暗い部分は確実に減ってきている。

 勿論試合に勝つ、優勝するのが大事なのは間違いない。

 ただ、それ以上に目指す事がある。

 彼が彼である理由。

 彼が彼でいいという。

 その事を柳君に分かって欲しい。

「だけど、ユウが人の世話ね」

「何よ、その言い方」

「褒めてるんじゃない、一応」

 一応か。

 自分でも、そういう柄ではないって分かってるけどさ。

「八百長とかは、どうなったの?」

「先生がどうにかするって言ってるし、私がやらなくても大丈夫だと思う」

「大人ね。急に成長した?」 

 からかい気味に私の体に触れてくるサトミ。

 言いたくないけど、体は何一つ成長してないよ。

「自分こそ、どうなの」

 サトミの手を抜けて、素早く後ろに回り込む。

 見た限り、身長は以前と変わりない。

 しかし腰はくびれていて、胸元はふくよか。

 明らかに、プロポーションは良くなってるな。

「よう、俺も混ぜてくれよ」

 与太者みたいな台詞と共にやってくるケイ。

 だったらという事で脇を掴もうとしたら、背を向けて逃げ出した。

 一体何がしたいんだ。

 いや。私がね。

「柳君の側にいなくていいの?」

「彼女がいるから、俺は用済みになった」

「気を遣ってるの?」

「俺は、柳君の彼氏じゃない」

 当たり前だ。

 怖い事を言わないでよね。

 それも、少し寂しそうに。

「三年寝太郎の方は」

「さすがに起きてると思うけど。決勝って、誰かな」

 サトミ達に聞いても仕方ないし、彼女達だってコメントを求められても困るだろう。

 という訳で端末を使い、相手のデータをチェックする。

 予想通りと言うべきか、八百長を仕掛けてきた柔術の男。

 準決勝までの試合のプレビューを見て、気になったところで何度か止める。

「どう?」

「強いよ。ルールにもよるけど、どの大会に出ても優勝争いくらいはしそう」

「それで?」

「風成さんの相手じゃない」

 安堵の表情を浮かべるサトミとケイ。

 ただ、ルールに基づいて試合をするならという但し書きが付く。

 その事まで言う必要はないし、どちらにしろ風成さんの勝利は疑わない。

 反則や審判を抱き込むくらいで勝てるなら、私もショウも苦労していない。

「取りあえず、会いに行こうか」



 相変わらず、控え室の隅で丸くなる風成さん。

 しかし、今ここにいる選手は彼一人。

 ヘビーの試合は一番最後で、他の階級の選手は試合を終えたり別な控え室を使っている。

 最後まで勝ち残った人だけが味わえる、優越感と孤独。

 風成さんは、隅で寝てるだけだとしても。

「準備しなくていいんですか?」

「あ。今何時」

「そろそろ、柳君の試合も始まります」

「ったく。俺を先にして、さっさと終わらせて欲しいぜ」

 この数ヶ月の彼の発言とはまるで逆の態度。

 想像と現実との乖離。

 という程大げさな話ではなく、流衣さんの事を読み違えたというか甘く見すぎていただけだろう。

 それはそれで彼女なりの理由があるが、今ここで言う事でもない。

「帰ろうかな、もう」

「え?」

「冗談だよ、冗談」

 欠伸混じりに立ち上がる風成さん。

 さすがに多少はやる気を出しているが、それは試合に対する意気込みと言うより怪我をしないためにというくらいの雰囲気。

「四葉、こい」

 ゆっくりした速度のワンツー。

 襟を掴んで、足払い気味にロー。

 足元ではなく、胴へのタックル。

 今度はその逆を、風成さんがショウに対して行う。

 キレがあるとは言わないが、特に問題はない動き。

 決勝の相手は決してあなどれないとはいえ、やはり彼の勝利は揺るがないと思う。

「こんなくらいか。早く帰って寝よう」

 今まで寝てたじゃないよ。

 さすがにちょっと、不安になってきた。

「……え。ああ、もう?うん、今行く」

 端末をしまい、サトミ達の背中を押してドアへと向かう。

 こんな所で遊んでる場合じゃない。

「お、おい。どこ行くんだ。俺は今から試合が」

「柳君も試合なんです。試合は後で見に行きますから」

「お、おい」

「ショウは残って。じゃ、頑張って下さいね」



 多少後ろ髪を引かれる思いだが、優先順位を考えるとどうしても柳君を選んでしまう。

 こういった場所での経験、性格、心境。

 はっきり言えば風成さんは放っていても大丈夫だし、一応は大人。

 対して柳君は、私達と同じ高校生。

 今は彼を気遣うのが自然だろう。

「血圧、心拍共に正常。何か、問題は?」

「特にありません」

 素直に答える柳君。

 彼を診ていた茶髪の女医さんは、ペンライトを胸元にしまって頷いた。

「打撃を殆ど受けてないから心配はないけど。万が一危ないと思ったら、すぐ棄権するように」

「はい。ありがとうございました」

「いいえ。試合、頑張ってね」

 彼の肩に軽く触れて去っていく女医さん。

 最後にドアの所で名残惜しそうに振り返ったのは、致し方ないだろう。

「テーピングは?」

「軽く」

「よし」

 柳君の右手を取り、バンテージを巻いていく名雲さん。

 静かに、淡々と。

 何も話しかける事もなく、丁寧に巻いていく。

「握ってみろ」

「多分、これでいい」

 その言葉を受けて、左側も巻く名雲さん。

 今までこういう光景を見た事はないが、特に名雲さんは慣れている様子。

 また単に怪我を防いだり打撃の威力を増す事だけではなく、柳君を落ち着かせるための意味もあるのだろう。

 単調な行為を見ていれば、自然と意識はそれに集中する。

 後は自分の思う意識に持っていけばいいだけだ。

「良し、サインだ」

「オフィシャルの?」

「バンテージは個人の自由。サインも、個人の自由」

 テーブルにあったペンを放る名雲さん。

 それは緩やかな弧を描き、彼女の手の中へと舞い降りた。

「え、でも」

「何でもいい。書く事がないなら、名前でも」

「え、ああ。はい」

 困惑気味に頷き、柳君の足元にかがみ込む彼女。

 そして大切そうに彼の右手を握りしめ、祈るような表情でペンを走らせた。

「雪野さんも、お願いします」

「私?私は、こういうのは苦手なんだけど」

 やはり、祈るような表情でペンを渡してくる彼女。 

 私の手を両手で握りしめ、今にも泣き出しそうにして。

 ここまでされて書かない訳にもいかず、やはり柳君の足元に屈んで左手を取る。

 右手は彼女一人で十分だし、書くべきでもないだろう。

「えーと。フレフレ、Tukasa」

 どこからか聞こえる忍び笑い。

 誰かと思ったら、舞地さんがキャップを深く被って肩を揺らしていた。

 私だって分かってるわよ、下らないって事くらいは。

「ごちゃごちゃ書いても仕方ないし、後は舞地が書け」

「私は、そういう柄じゃない」

 知らんとばかりにペンを押しつけ、彼女を柳君の前まで引っ張ってくる。

 こういう時こそ、その人の性格というか人となりがでると思う。

「無病息災」

 ……この人、何か勘違いしてないか。

 だけど柳君は神妙な顔で頷いているし、舞地さんも同じような顔で頷き返している。

 突っ込むのは、試合が終わった後にするか。

「浦田は」

 ペンを放りかけ、すぐにテーブルへ戻す舞地さん。

 別に嫌がらせではなく、ケイがそれより前に首を振ったので。

 柳君の心情的には書いてもいいと思うけど、読める字が書けるかどうか。

 ただでさえ下手な字。 

 なおかつ、布の生地にペンで書き込む。

 結果は舞地さんならずとも想像出来る。

「よし、円陣組むぞ」

「自動車工場だった、ここ」 

 鼻で笑うケイ。

 笑ったのは彼くらい。

 「分かりましたっ」て、涙を流すタイプでもないしね。

「いいから、肩組め」

 強引にケイを引き寄せる名雲さん。

 みんなもすぐに輪を作り、腰を落として顔を近付けた。

「ファイト、オーだ」

「私と大差ないじゃない」

「いいから、行くぞ」

 さすがに黙り、息を整え合図を待つ。

 名雲さんは大きく息を吸い込んで、さらに腰を落として声を張り上げた。

「ファイトッ」

「オーッ」

 円陣を組んだ全員の、声を揃えた。

 心を合わせた掛け声。

 柳君とハイタッチを交わし、他の子達とも手を重ね合う。

 自然と出てくる声、高揚する気分。

 理屈ではない、今この場にいるからこその感情。

 逆に柳君はより落ち着いていて、微かに視線を落として深呼吸を繰り返している。

 彼の緊張や興奮を、私達が受け取ったようにして。

「よし、行くぞ」



 名雲さんを先頭にして歩く私達。

 柳君はそのすぐ後ろで、隣には彼女。

 私達は少し距離を置き、彼等に付いていく。

 多分明るいはずの、しかし薄暗く感じられる通路。

 壁の汚れや小さなゴミが、否応なく目に付いてくる。 

 極度の高ぶりが集中力を高め、普段気にならない物まで意識してしまう。

 まるで自分が試合に挑むような緊張。 

 サトミもいつにない興奮した顔で、鋭い眼差しを正面へ向けている。

 少しずつ聞こえ出す、会場のざわめき。

 揺れる地面。

 おそらくは、観客の足を踏みならす音。

 これも普段なら、ここにいては何も感じないと思う。

 今の高ぶりと集中力がなかったなら。

「少し、お待ち下さい」

 インカムを付けたスーツ姿の男性が、先頭を行く名雲さんを一旦止める。

 ドア越しにも伝わる会場の熱気。

 ここを一歩踏み出せば、その渦に巻き込まれる。

 但し、渦を生み出しているのは他の誰でもない。

「TV中継入りました。準備はよろしいですか」

「いつでも」

 柳君の代わりに答える名雲さん。

 スーツの男性もすぐに頷き、インカムで指示を仰ぐ。

「……では、どうぞ。御武運を」

 伸びてくる拳。

 柳君はそれに軽く自分の拳を重ね、開かれたドアをくぐっていった。



 薄い闇。

 微かなざわめき。

 スポットライトが通路を照らし、会場内が歓声に包まれる。

 飛び交うレーザー光とカクテル光線。

 響き渡る、今までと同じテーマ曲。

 戦場に赴いた父を慕い、帰還を願い。

 強く生きる、少女の歌。

 小走り気味に通路を進む柳君。

 通路の脇からは声援を来る観客達の姿が見える。

 手を伸ばし、拍手を送り、声を枯らして叫ぶ。

 柳君はその中を過ぎていく。

 視線をやや落とし、淡々と。

「あっ」

 どこかで上がる声。

 殺到する警備員。

 柳君はすぐに手を上げ、彼等を制止した。

 通路を乗り越えて手を伸ばしたのは、まだ幼い少年と少女。

 小学生か、それに満たないくらいの。

「あ、あの。お、俺。じゃなくて、ぼ、僕」

 言葉に詰まり、喉を鳴らし、それでも柳君から視線を話そうとはしない少年。

 その傍らにいる少女も、彼の裾を固く握りしめている。

「ぼ、僕。あ、あなたの、え、えと。あの、あなたの」

 続かない言葉。

 もどかしそうな表情。

 胸の中に募る、熱く切ない思い。

 それを伝えたくても、伝えたくても伝えられない。

 幼さ故の足りなさと、何よりも強い情熱。


 柳君は何も言わず、そっと手を伸ばした。

 少女と、少年の頭へと。

 彼等と視線を交わし、小さく頷く。

 少年と少女も、同じような笑顔で頷き返す。 

 彼が何を言いたかったかは分からない。

 だけどその思いは伝わった。

 そして、返された。


 戦うのは、柳君一人。

 会場にいる、大勢の観客達。 

 今、通路を乗り越えようとしていた少年や少女達。

 それぞれの思いや気持ちは様々で、異なるだろう。

 共通するのは、彼への期待。

 ともすれば、たやすく人を押しつぶしてしまうくらいの。

 それらを背負い、彼は行く。

 私はもう、その背中を見守るだけしか出来ない。

 そして彼は、誰の手助けもいらないだろう。

 自分が決めた、この道を歩むには。




 耳が痛くなるような声援。

 レフリーの注意は、セコンドにいる私達にすら聞こえないくらい。

 柳君達ですら、はっきりとは聞こえていないだろう。

 腕を動かすレフリー。

 それに合わせてセコンドに別れる両者。

 柳君は私達に向き直り、胸元へ拳を当てた。

 私達もすぐそれに倣い、彼を送り出す。

 ここから先は、文字通り彼一人の世界なのだから。

「ファイトッ」



 いきなり跳び蹴りを見舞ってくる相手。

 柳君はサイドステップでそれを避け、軽やかなフットワークで左へ回る。

 相手はなおも攻め立ててきて、大振りな左右のフックを連続で放つ。

 動きは雑だが、こちらからは攻めづらい攻撃。

 柳君は数歩下がって距離を置き、その場で軽い跳躍を繰り返した。

それを挑発と思ってか、一直線に出てくる相手。

 前蹴りからの肘、回転しての裏拳。

 そこからつなぐ、後ろ蹴り。

 直線的だが、避ける間もない程の速さ。

 柳君はそれらを受け流し、受け止めながら後ろに下がる。

 一方的に押される展開に、会場は爆発したような歓声が巻き起こる。

 激しいラッシュ。

 拳と蹴りと、タックル気味の体当たり。

 柳君はガード一方で、少しも手を出そうとはしない。 

 少し緩む、男の口元。

 決めるつもりか、大きく振りかぶっての右ストレートが放たれる。

 角度、速度、体重の掛け方。

 何もかもが完璧な、絶好のタイミング。

 観客席からは、悲鳴にも似た声が上がる。



 真下から跳ね上がる、天を突くような前蹴り。

 それが右ストレートをはたき、踏み切った軸足ががら空きの顎を打つ。

 弾かれたように倒れる相手。

 柳君はそのまま足を振り上げ、上体を後ろにそらす。

 華麗に宙を舞う彼の体。

 天へ向かい、光の中に届こうかという勢いで。

 両手をやや広げ、宙返りを終えて舞い降りてくる柳君。

 光に輝く汗を散らせ、彼の姿は地上へと再び現れる。

 一瞬の静寂。

 それに続く、先程までとは比べものにならない歓声。

 言葉にならない声。

 誰もが興奮に包まれ、我を忘れている。

 その中で冷静さを保っているのは、勝利をコールするレフリーと頭を下げている柳君。

 後は私達くらいだろう。

 私達からすれば、いつも通りの彼。

 初めに押し込まれたのも、相手への見せ場を作ったと考えるのが妥当。

 最後の決め技も彼が得意とする動きで、どちらかと言えばアクロバティックで象徴的なもの。

 だから避けようと思えば避けられるし、予想も出来る。

 攻め込ませて油断させたのも、この辺りも理由の一つか。




 マットを降りてくる柳君。

 私達は軽く彼と手を合わせ、笑顔で出迎える。 

 彼の健闘を称え、無事を喜び。 

 勝利を祝う。

「まあまあだな」

 柳君の頭から水を掛ける名雲さん。

 よく見ると頬には薄い擦り傷があり、腕にも同じような傷が幾つか見える。

 水を浴びた顔や肩からは湯気が立ち上り、荒い呼吸が歓声越しに聞こえてくる。

「選手、退場」

 再びスポットライトで照らされる通路。

 周囲に手を振りながら、ゆっくりと引き上げていく柳君。

 送られる声援や拍手は、さっきよりまでもより落ち着いている。

 そんな中、柳君の足が不意に止まる。 

 一瞬彷徨う視線。

 そして彼はグローブをはずし、観客席へ向かってそれを放り投げた。

 手を伸ばす大勢の観客。

 しかしグローブはその頭を、軽やかに越えていく。

「あ」

 弧を描き、吸い込まれるようにして少年と少女の元へと舞い降りる二つのグローブ。 

 小さく拳をかざす柳君。 

 彼等もグローブを胸元へ抱き、彼に向かって拳をかざす。

 自然と周りに醸し出される、暖かな空気。

 控えめな拍手と彼等を励ますような声。

 二人は顔を赤くして、胸元のグローブを精一杯抱きしめる。

 ただ勝つだけではない。

 ただ戦うだけではない。

 人に何かを与える存在。


 私が彼を出場させた理由は、もっと単純に彼に自分という存在を知って欲しかっただけ。

 大勢の人に好かれ、十分に価値がある人間なのだと。

 でも彼は今、それ以上の何かを見いだしている。

 この先、彼がどんな道を歩むのかは分からない。

 私が導く事や、背中を押す必要はもうないだろう。

 私もここにいる大勢の人達と一緒に、彼に期待すればいい。

 何を期待するかは、人によって違うと思う。

 強さ。外観。

 暖かさ。優しさ。

 分かっているのは、彼はそのどれもを与えられるという事。

 今、彼がそれを示したように。

 間違いなく、これからも。

 私も、彼の何かに期待しよう。

 少しだけ先に、他の人達より彼の存在に気付いた者として。

 少しだけ近くで、彼を見つめ続けよう。


 塩田さんへの、憧れの気持ち。

 ケイや木之本君達への、信頼の気持ち。

 ショウへの、胸が苦しくなる程の切ない思い。

 そのどれかに似た、でもどれにも当てはまらない。

 淡く、儚い気持ち。

 今日を限りに終わる、短い夢の日々。  






                                                       第28話 終わり





  












     第28話 あとがき




 RASレイアン・スピリッツオープントーナメント編でした。

 RASは、玲阿流をスポーツアレンジした総合格闘技団体。

 全国のみならず全世界に支部があり、一般的な認知度も高いです。

 この時代は総合格闘技の地位も向上し、一般紙のスポーツ欄にも試合結果などが掲載されています。

 また今回のオープントーナメントも全国放映をされました。

 本部は名古屋、東京には東京本部。

 代表がショウのお姉さんとお母さん。

 お父さんは格闘顧問という名称で、いわば師範。

 従兄弟の風成はインストラクター統括責任者で、師範代。

 基本的に玲阿家で運営されていますが、水品もおそらく関わっているはず。


 で、柳君。

 彼は今後RASと試合についてのプロ契約を結び、活動していく予定。

 ただ専属ではなく、他の団体への出場も可能。

 RASがバックアップはしていくという方向ですね。

 本編にあるように、彼は自分を無価値と思う傾向があります。

 実際に無価値かどうかではなく、そう思う傾向が。

 原因は、両親に捨てられたという錯覚から。

 これが渡り鳥になったきかっけでもあり、彼の陰を作り出してきました。

 ユウが彼にオープントーナメントの出場を進めたのも、その価値を見いださせるため。

 格闘技に秀でている事だけではなく。

 大勢の人に愛されていると。

 それこそが、彼の資質であり価値なのだと。




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