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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第27話
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27-7








     27-7




 ジャーキーを棚へ隠し、瓶で前をふさぐ。

 放っておくと、すぐに食べられるからな。

「腹減った」

 来たよ。

 オフィスに入った途端、出てきた台詞がこれだ。

「なんか無いのか」

 ごそごそと冷蔵庫を漁り出すショウ。

 この間彼自身が食べ尽くしたので、残ってるのは調味料と野菜が少し。

 さすがに手が出ないらしく、冷蔵庫が閉められる。 

 で、また開けた。

「おい。なんか無いのか」

「無いわよ。あなた、子供?」

「何でもいいんだよ。こっちには」

 高い位置にある棚を漁ろうとするショウ。

 私は椅子まで使って隠したのに、軽々と奥まで覗き込んでいる。

 包丁って、どこにあったかな。

「瓶が邪魔で」

「それより、野菜で何か作ろうか」

 即座に振り向くショウ。 

 これでジャーキーは救われた。

 しかし、何を作るんだか……。



 とはいえ手は抜かず、油通しして下味を付ける。

 豆板醤と、かろうじて残っていたミンチ。

 煮干しで取ったスープを最後に掛けて、一気に火を通す。

 この音、この煙、この香り。

 炎が飛び散り、油が跳ねる。

 これこそ中華だね。

 いや。和食でもいいけどさ。

「はい、出来た」 

 暖めておいた、保存用のご飯に野菜炒めを乗せる。

 油通ししたので、汁は殆どなし。

 あれはあれで、美味しいけどね。

「どう?」

 無言。

 ただ箸が動き、口が動く。

 それだけで十分だ。

「焦げ臭いわね。何か焼いたの?」

「野菜炒めをね。ショウが食べてる」

「昼食は食べたでしょ」

「そういう時期らしいよ」

 どういう時期かは私も知らないし、本人も知らないだろう。

 しかもこの後で、夕ご飯はしっかり食べるし。

「軍って、勝手にご飯食べていいの?」

「そんな事知らないわよ。それ以前に、場所によっては食べる物も無いんじゃなくて」

 なんか、色んな意味で不安になってきたな。

 将来の事。

 自分の事ではないとはいえ。

 だからこそ、余計に気になる。

「ちょっと、出かけてくる」

「仕事はどうするの」

「仕事なんてあるの?」

「ふざけた事言わないで」


 セーターを着込み喜んでいる、ふざけはいないらしい子。

 私は袖が余るので、初めから着ない。

「わざわざ、なんか用?」

 リビングのソファーにくつろぎ、テーブルに足をかける瞬さん。

 いつもの玲阿家本邸ではなく、マンションの方。

 サトミはショウのお母さんに服をもらって、喜んでる。

 私はちんまりとソファーに座り、短い手足をじっと眺める。

 同じ女性として、同じ人間として。 

 何がどこで、どう違ったんだろう。

「あの、優ちゃん?」

「私が何か」

「そう言われると困るんだけど。俺に用事じゃなかった?」

「用事なんて、別に。セーターも着れないし」

 いいや、私はねんねこでも着てれば。

 でもこれって、方言かな。

「しかし、今年は寒いね。シベリアも寒いけど、名古屋の寒さは独特だな」

「……ああ、思い出した。軍で、お腹が空いたらどうします?勝手に食べていいんですか?」

「まさか。食べる物は量も種類も平等に。何せ娯楽の少ないところだからさ。下らない事で揉めるんだ。要は、給料のもらえる刑務所だな」

 豪快に笑う瞬さん。

 何一つ面白くないけどな。

「優ちゃんも、軍に?」

「まさか、ただ、ショウがいつもお腹空いてるので」

「優しいね、どうにも。俺も、もう一度軍に入ろうかな」

 何を言ってるんだか、この人は。

「面白い事言うのね、あなた」

 きらめく刃。 

 沈み込む喉元。

 血こそ出ないが、切っ先はめり込んだまま出てこない。

 鈴音さんはにこやかに微笑み、更に果物ナイフの切っ先を差し込んだ。

「あ、危ない。け、頸動脈に」

「戦死する?それとも、ここで死ぬ?」

「い、いや。どっちも」

「そうして下さると、私も助かるわ」

 ようやく引かれる果物ナイフ。

 瞬さんは喉を押さえ、そのままソファーにうつぶせになった。

「もう一つ聞きたいんですけど。軍って、セクハラってあります?」

「当然。上官の命令は絶対。上官が脱げと言ったら脱ぐ。踊れと言ったら踊る。やらない奴は、ひどい目に遭う」

 伏せたまま答える瞬さん。

 鈴音さんはその隣に座り、苦笑気味に語りかけた。

「あなたは、どうだったの?そう言われた時」

「言っただろ、ひどい目に遭うって」

「あなたが、相手が?」

「言うまでもない。だから俺は、除隊した」

 低い声で付け加えられる一言。

 それだけが理由ではないだろうが、そういった不条理さが要因の一つという事か。

「ショウは、大丈夫なんですか?」

「俺には負けるけど、いい男だからな。確かに、危ないは危ない」

「え」

「勿論、それを断るのもあいつの自由さ。その結果軍を追い出されるなら、それはどっちが悪いのかって話だし」

 少し上がる顔。

 期待と希望。信頼の重なった笑顔。

「とはいえ、まだまだ先の話。士官学校に入れるかどうかも分からん」

「難しいんですか?」

「真面目に勉強してれば受かるけどね。体力テストは問題ないし。ただ俺の子供って事で、審査に引っかかる可能性はある」

「困った親ね。でも、それで軍に入らないでよくなるなら助かるわ」

 むしろ嬉しそうに微笑む鈴音さん。

 言いたい事は分からなくもないし、賛成したくなる。

 ただショウの夢、希望を考えると頷きづらい。

 彼の、昔からの目標。

 それに対する思いを考えると。

「しかし学校で揉めてるって聞いたけど、意外とのんきだね。四葉の将来まで心配するなんて」

「どこで聞いたんです、そんな話」

「学校から連絡が来た。お宅の息子さんがどうこうって。むかついたから怒鳴り込もうと思ったけど、さすがに止めた」

「いい加減、子離れしてよね」 

 首を振って去っていく鈴音さん。

 瞬さんも足を振り上げ、首を回しつつその後に付いていった。

 奥さん離れもしてよね。



 指輪までしているサトミを横目で観つつ、ショウの部屋へ向かう。

 相変わらず物はなく、トレーニング用具と雑誌が少し。

 ここには住んでいないので物が無くても不思議はないが、私の実家は物で溢れてる。

 性格の差というより、男女の差かもしれないな。

「どう、調子は」

「何だ、急に。俺は常に、調子いいぞ」

「ふーん。私はぱっとしないけどね」

 体調を崩して、目は未だにサングラスを必要とする状態。

 学校での立場は不安定で、先行きも見えない。

 この先どうなるかは、推測も出来ない。

「悩んでも仕方ないだろ。なるようになるさ」

「ヒカルみたいな事言うね」

「俺は、あそこまで脳天気じゃない」

「どうだか」

 棚に入っている雑誌を適当に抜き取り、ページをめくる。

 格闘技の雑誌、か。

「日本人は駄目だね」

「体格がな。そう思うと、風成は偉いよ」

「あの人も大きいじゃない。私からしたら、巨人だよ」

「外国人に比べれば、普通のレベルさ。今度の大会は、外国人もぞろぞろ出るんだぜ」

 それを聞くと、偉いというより馬鹿だな。

 大体、出てどうするんだろう。

 いや。そう考えると、ショウも大差ないか。

 言ってしまえば、私達も。

 学校とやり合って、どうするのか。

 何のために、誰のために。


「……考えても仕方ないか」

 目の前にぶら下がっているサンドバッグに、肩からぶつかる。

 理由なんて無い。

 そんなのは、後から考えればいい事だ。

 とにかく動く。

 私にはそれしかないし、それしか出来ない。

「な、何だ、急に」 

 慌ててのけぞるショウ。

 それにも構わず、拳で殴る。

 フォームなんて関係ない。

 ただ拳を前に出し、とにかく当てる。 

「この、この。えい、えい」

「訳が分からん。というか、止めろ」

「ちっ」

 最後に後ろ跳び蹴りを見舞い、戻ってきた所を肘でカットする。

 しかしそのくらいでは切れもせず、シャツの肘がすれたくらい。

 やるんじゃなかったな。


 裁縫道具を借りて、ちくちく縫う。

 継ぎを当てるのはさすがに恥ずかしいので、よく似た色の糸で縫う。 

 つい無言になるな、これは。

「これも縫ってくれ」

 青いシャツを出してくるショウ。

 子供か、この子は。

「捨てたら」

「そういう物じゃない」

「どういう物か知らないけど。分厚いな、これ」

 ジーンズ生地なので、針が通らない。

 というか、折れそうだ。

「ミシンは」

「そんなこの家にあったかな」

 一旦部屋を出て、ミシンを持って戻って来るショウ。

 当たり前だが手縫いとは違い、力強くて速度も速い。

 後は加減の問題だね。

「捨てないって、何か意味あるの?」

「昔、塩田さんにもらった」

 嬉しそうな、眩しそうな表情。

 なるほど、そういう訳か。

 とりあえず、着てみよう。

 当然だが袖は余るし、裾も余る。

 私自体、余り物みたいなものだしね。

「馬鹿みたい」

 すぐに冷静になり、シャツを脱いで畳んでしまう。 

 私には大きいが、今のショウには小さめ。 

 保管はしても、着るのはさすがに無理がある。

「全く、何をしてるんだか」

「何だ、さっきから」

「色々とね。私も悩む年頃なのよ」

 適当な事を言って、さっきの雑誌をめくる。

 読むというよりは、眺める程度。

 惰性で、何となく過ごす。


「っと」 

 微かな目の痛み。

 咄嗟に目元を押さえ、目薬をすぐに差す。

 そして、ふと思った。

 ここは、ショウの家。

 目が痛くても、例え寝込んでも問題はない。

 だけどもし、学校だったら。

 何かのトラブルに巻き込まれている最中だったら。

 このくらいの痛みなら耐えられるし、それ程の不便さはない。

 ただ、もっとひどい場合はどうだろう。

 滅多にはないが、痛みよりも感覚的に辛い時がある。

「大丈夫か」

「全然問題なし。今は、ね」

 目薬をポケットにしまい、今思った事を彼に告げる。

 ショウは無言でそれに聞き入り、最後に小さく頷いた。

「別に、問題ないだろ」

「どうして。突然倒れて、動けなくなるかも知れないのに」

 怒った訳ではないが、多少反発気味に答える。

 痛いのは自分自身で、動けなくなるのも自分。

 言ってみれば自分にしか分からない事で、人には理解しづらい。

 でも、だけど。

「言い方が悪かったな」

 鼻の辺りを撫で、顔を伏せるショウ。

 何か言いづらそうに、私を避けるようにして。

「俺がそばにいる限りは、何も問題ない」

 小さな、消え入りそうな言葉。

 彼のそばにいなければ、聞き取れないくらいの。

「本当、に?」

 からかう事もなく、照れもせず。

 私も小声で尋ねる。

 彼の目を、じっと見つめて。

「何があっても。ユウを守る」

 いつか聞いた。

 改めて聞く。

 何度聞いても、心を打つ一言。

 それ以外は、何もいらない。

 普段は分からない。

 でも、今この瞬間は強く思う。

 彼と私はつながってると。

 そっと触れ合う指先。

 ただそれだけの事。

 私はそれだけで十分だ。



 浮かれ気分のまま、病院へやってくる。

 それはそれ、これはこれ。

 嫌でも何でも、ここに来ないと始まらない。

「特に異状はないですね。一応採血しますから、そちらへどうぞ」

 袖をまくり、簡素な椅子に座って腕を差し出す。

 腕に巻かれるストッパー。

 近付いてくる針。

 嫌な痛みが走り、何とも言えない感覚が続く。

「採血しないで調べる方法はないんですか」

「それがあれば、私も知りたくて。こっちのあざは?」

「え、ああ。この間、木刀を受け止めて」

「訳が分かんないな」

 小声で呟く医師。 

 それについては何の感慨もないし、心も打たない。

 せいぜい、自分の馬鹿さ加減を再認識したというくらいで。

 確かに針と木刀、どっちがどっちと言う話だな。

「以前も話したけど、完全に治ったと実感出来るのは多分数年後だから。それまでは調子が悪いと思ったら、すぐ病院なり学校の付属病院へ行くように」

「手術、なんて事はないですよね」

「場所が場所だから、不可能なので。視神経を再生する実験も進んではいるけど、言葉通り実験段階でね。興味があるなら、連絡を取るけど」

「いえ、結構です」

 興味も関心も、何一つ無い。

 やっぱり来るんじゃなかったな。

 さっさと診察室を飛び出て、受付に向かう。

「あら」

 やや高い、耳に残る声。

 正確には、意識に触る。

「どうかなさったんですか」

 病院で会って、どうもこうもないだろう。

 なんて答える程子供でもないので、ポケットに閉まっていたサングラスを目にはめる。

 それでようやく悟ったらしく、矢加部さんは鷹揚に頷いた。

 この人に納得されても、仕方ないけどね。

「私は知り合いのお見舞いに。よろしければ、お送りしましょうか」

 何だ、それ。

 名古屋港に連れてって、そのまま流すつもりじゃないだろうな。 



 大きな、カーブを曲がれないんじゃないかと思える程の外国車。

 何もしていないのに、その威圧感からか自然に前の車がどいていく。

 車内にはオーディオセットは無論、バーもあれば冷蔵庫なんて物まである。

 冗談じゃなくて、ここに住むのも悪くないな。

 車内には二人きり。

 運転手さんはいるけど、私達に会話はなし。 

 共通の話題なんてないし、何が趣味かも知らない。 

 考えた事はないし、この先考える必要もないだろう。

「止まって」

 怪訝そうな顔をする矢加部さん。 

 構わず身を乗り出し、シートを一つ隔てた運転席のヘッドレストを軽く叩く。

「止まって下さい」

「え、あ、はい」

 滑らかな、止まったとは気付かないくらいの制動。

 景色さえ見えなかったら、走っている事にすら気付かなかっただろう。

 後ろを確認して車を降り、道ばたにいた子猫へ歩み寄る。

 茶色の縞の、小柄で華奢な。

 この寒空の中、よろよろと歩いている。

 手をさしのべようとした途端、背後から影が走った。

 私の手をはね除け、子猫をかばいつつ歩いていく大柄な猫。

 私を威嚇しつつ、一歩も引いた素振りを見せず。 

 おそらくは母親。

 親としての威厳を保ち、子供を守り、この寒空の中を生きていく。

 吹き抜ける木枯らし。 

 でも私の心は、自然と温かくなっていく。


「お待たせ。どうぞ、行って下さい」

 やはり滑らかに走り出す車。

 グラスのお茶はわずかにも揺れず、遠ざかる猫の親子が車の移動を告げさせる。

「満足ですか、あれで」

 冷たく語りかけてくる矢加部さん。

 要は、自己満足出来たかという意味だろう。

 それは言われなくても分かってるし、初めから何も出来ないとも分かってた。

 だからといって、何もしないではいられない。

 出来なくても、空回りだとしても。

 じっとしているなんて、私には出来ない。

「いいのよ。大体あなたお金持ちなんだから、野良猫とか野良犬の面倒くらいみてもいいでしょう」

「どういう理屈ですか」

「困ってる子供とか、施設とかに寄付するでしょ。それと同じ。そういう収容施設を作って、じゃんじゃん猫とか犬を助けてもいいじゃない」

 がんがん前のシートを叩き、お茶を飲む。

「変な宝石買うお金があるなら、そういう事をしてよね。何のために、お金を持ってるの」

「私は、猫にも犬にも興味はないんです」

「あるなしじゃなくて、困ってるか困ってないかでしょ。この寒い時期に外で寝るのが、どれだけ辛いか知ってるの?」

「あなただって知らないでしょ」

 それはそうだ。

 上手い事言うなとは納得も出来ず、窓を開けて外気を取り入れる。

 ただでさえ冷たい空気。

 走っている分風は強く、体感温度はより下がる。

「こ、このくらい寒いって訳」

「意味が分かりません」

 閉まっていく窓。 

 どうやら、自分側の操作パネルで閉めたらしい。

 何にしろ、風が来なくなって助かった。

「とにかく、猫の件はやっておいてよ」

「あ、あなた、何の権限があって」

「無いわよ、権限なんて。じゃあ、お願いね。はい、終わり」

 話を打ち切り、お茶を飲んで一息付く。

 微かな振動。 

 車は依然として静かに走行。

 矢加部さんはむすっとしたままで、声すら発しない。

 そうなると、残ってるのは。

「す、済みません」

 前を向いたまま謝る運転手さん。

 どうやら、私達の会話を聞いていたらしい。

「いいえ。というか、このお嬢様も世間知らずで困るでしょ」

「え、いえ」

「車で送り迎えなんて、贅沢な。一度、放っておいて帰ったらどうですか」

「あ、いえ。そういう事はちょっと」

 苦笑気味に答えてくる運転手さん。

 この辺りは職業意識や責任の強さもあるだろう。

 私なら、間違いなくやるけどな。

「馬鹿な事は言わなくていいんです」

「そうですか。あ、そこで止めて」

 やはり静かに止まる車。

 一応矢加部さんへ礼を告げ、リュックを背負い車を降りる。

 しかし、良くこの路地へ入り込めたな。

「車、出して」

 窓を叩き、手で前に出るよう示す。 

 矢加部さんは呆然とした様子。

 しかし運転手さんはすぐに悟り、信じられないくらいの加速で発進させる。

 その後ろから突進してくる、数台のバイク。

 単なる暴走行為の連中ではなく、黒いボディに黒い服とヘルメット。

 ライトは落とされ、微かにエンジン音が聞けるくらい。

 明らかに襲撃の目的。

 それも私ではなく、矢加部さん目当て。

 現に私などは見向きもせず、目の前を通り過ぎていく。

 送ってもらった恩もあるし、少しやるか。


「せっ」 

 スティックを取り出し、先頭を走っているバイクのテールに投擲する。

 車ではなく、二輪。

 あっさりとバランスを崩し、後続を巻き込んで道を滑っていった。

 後は矢加部さんと、警察の仕事だろう。 

 いや。その前に、スティックを回収するか。

 こう考えると、お嬢様もそうそう楽な立場ではないようだ。

 誘拐、それとも単純な脅し。

 運転手さんの動きからして、こういう事は日常的にあるとみて間違いない。

 これからは、多少彼女への見方を変えるとしよう。

 あくまでも、多少。



 当然だが見逃してはくれず、警察で聴取を受けた。

 過剰防衛で、厳重注意だってさ。

「あなたは、何がしたい訳」

「だって、危ないと思って」

「この子、牢屋に入れてやって下さい」

 下らない事を刑事さんへ訴えるお母さん。

 とても親の言葉とは思えないし、それ以前に現代人の台詞じゃないな。

「いえ。まあ、今回は相手に非があるのは明らかだったので。それに、もし君に襲ってきたらどうするつもりだったんだ」

「はあ」

「友達の心配もいいけど、まずは自分の身を守りなさい」

 優しく諭してくる刑事さん。

 別に友達ではないし、私だって自分の事を優先して考えてる。

 自分を犠牲にして何かする程、彼女に恩義がある訳でもないし。 

「調書も取り終わりましたし、帰ってもらって結構です」

「あ、はい。どうも」

「しかし、あの棒は何ですか。触ったら、電気が走ったけど」

「私にしか、なついてないんです」


 警察署を出て、怒られながらバス停へ向かう。

「何が、なつくよ。犬でもあるまいし」

「例えよ、例え。セキュリティを作動させると、私以外の人間だと電流が流れるの」

「前は、普通に触れたじゃない」

「色々考えてね」

 今の、自分の置かれている状況。

 今後の展開は見えないが、警戒し過ぎてし過ぎる事はない。

 一応ショウ達も登録はしてあるし、万が一を考えてお母さんも改めて登録した方がいいのかな。

「握って」

「親を脅す気?」

「今は大丈夫。お母さんも登録して、電気が流れないようにするから」

「こんな棒になつかれても困るけど」

 そういう割には、スティックを振り回し始めるお母さん。 

 警察署の前だよ、前。

「恥ずかしいから止めて」

「あなた学校で、いつもこうしてるんでしょ」

 なんか、娘の事を相当に誤解してるな。

 いや、あながち間違えてもないけどさ。

 ただ他の人が振り回すと手首を激しく痛めるが、お母さんは至って平気。

 軍の技官が言うには骨格や神経系、腕の動かし方が私に似てるかららしい。

 似てるのは、外見だけではないようだ。


「こんばんは」

「あら、こんばんは。無事だったみたいね」

「ええ。雪野さんのお陰で」 

 愛想良く微笑む、毛皮のコートを着込んだ矢加部さん。

 さっきはこんなの来てなかったし、お嬢様は底が知れないな。

 大体外面はいいんだ、この子。

「私のせいで、ご迷惑をおかけしました」

「気にしないで。優が勝手にやったんだから。本当、落ち着きが無くて、小さくて、鼻ばっかり出して」

 それは自分だって、大差ないじゃない。

 しかし矢加部さんはそんな事無いですよ、みたいな事を言って優雅に微笑んだ。

 何だかな、全く。

「よろしければ、お食事でも。今回の、お礼も兼ねて」

「嬉しいけど、もう用意してあるから。それより、学校で優の事よろしくね」

「ええ、勿論」

 はっきりと、ゆっくりと頷く矢加部さん。 

 なんか今日は、北風が冷たいな……。



 カレー、ね。

 矢加部さんと食卓を囲むのはどうかとは思うが、間違いなく高級料理だったのを断るのもどうかと思う。 

 美味しいからいいけどさ。

 丸ごとのタマネギに、丸ごとのジャガイモ。

 タンはとろけてるし、言う事ない。

「優も、もう少し落ち着いた方がいいね」

 苦笑気味に諭してくるお父さん。

 しかしお母さんのように、牢屋に入れろなんて馬鹿げた事は言ってこない。 

 常識があって優しくて、人も良くて。

 どうしてお母さんと結婚したのかな。

 いや。そういう人は身近にいたか。

 あの人は、一体誰と結婚するんだろう。

 なんて考えても虚しいので、ナンをちぎって皿に残ったカレーをこそぐ。

 学校や店でやると笑われるが、インドでならごく普通。

 ショウみたいに、舐めるのもどうかと思うけど。

 いや。私も今舐めてるか。

「あなた。前世で飢え死にでもしたの?」

「それはショウ。残すよりいいじゃない」

「鍋には、まだいくらでも残ってる」

 キッチンの奥を指さすお母さん。

 大きな、私でも煮込めそうな寸胴を。

 今でも3人。 

 普段は二人なのに、どうしてあんなに作るかな。 

「店でも出す気?」

「あなた。たまに面白いわね」

 言葉とは裏腹に、くすりともしないお母さん。

 というか、鬼か般若か山姥だな。

「たくさんカレー作れって言ってたじゃない。何かの大会で、持って行くとかで」

「大会?体育祭は終わったし、もう年末だからイベントなんて」

 私の頭にあるだろうスケジュール表をめくってみる。

 特にイベントと呼べる程の事は、思いつかない。

 当たり前だが、端末を使った方が早そうだ。

「ああ、これか」

 端末に表示される、RASレイアン・スピリッツオープントーナメントの文字。

 そう言えば、差し入れ用にそんな事言ったかも知れないな。

「あなた、それに出る気?」

 一転して不安そうに尋ねてくるお母さん。

 さっきの今でこれ以上迷惑を掛けても仕方ないので、それはあり得ないとすぐに告げる。

 というか、身長の審査で跳ねられる。

「出るのは、風成さん。ショウは出ない。そういうキャラでもないし」

「出て、いい事でも?賞金がもらえるとか」

「風成君は、主催側の立場だろ。やっぱり、男の子なんじゃないかな」

 訥々と語り、ビールのグラスを傾けるお父さん。

 よくは分からないが、何か共感する部分があるらしい。

「殴り合いなんて、何が楽しいんだか」

 一方、理解の欠片も示さないお母さん。 

 これは性別以前に、個人の考え方の違いだろう。

 私はどちらという訳でもないが、ショウが出ると言い出せばかなり困ったのは間違いない。

 三島さんとの試合の時を思い出す。

 一緒にトレーニングをして、ご飯を作って楽しかった日々。 

 でもその後に待つのは、彼が戦うという事実。

 相手を傷付け、自らも傷付いてしまう。

 それを、ただ見守る事しか出来ない自分。

 あんな思いは、もう味わいたくはない。

「流衣さんは、怒ってるけどね」

「従兄弟……、じゃなくて奥さん。怒るに決まってるじゃない。それが普通よ」

「よかった、僕は出なくて」

「当たり前です」

 一喝するお母さん。

 お父さんは肩をすぼめ、俯き加減にビールを飲み始めた。

 こうなると、誰が強いとかいう事を真剣に考えたくなる。

「それで、大会はいつなの」

「年末。うちの冷蔵庫には、ちょっと無理か」

 とにかく大きな寸胴。

 冷蔵庫どころか、キッチンにあるだけで圧迫感を与えてくる。



 翌日。

 手配をして、寸胴を運ぶ。

 それをそのまま冷蔵庫に収め、扉を閉める。

「タッパとかに詰め替えないのか」

「寝かして、まだ何時間か煮込むの。詰め替えるのは、その後」

「誰がやるんだ」

 真上から感じる視線。

 答えてるときりがないし、ここは私の家じゃない。

 後はおぼっちゃんに任せるとしよう。

「風成さんは?」

「庭で、石を担いでた」

「石、ね。意味あるの?」

「大会が近いし、気合いを入れてるんだろ」

 ショウの後について、庭に出る。

 一人だと迷うのよ、この家は。

「よう」

 石というよりは、岩。

 それの下から声を掛けてくる風成さん。

 映画やマンガで岩に押しつぶされるシーンを、ふと思い出した。

 風成さんは、それを担いでうろうろ歩いてるが。

「普通に、バーベル担いだらどうなんです?」

「気合いだよ、気合い。この、この野郎」

 放り投げれる岩。

 めり込む地面。

 間違いなく飛んだな、今。

「すごいけど、後で流衣さんに怒られません?」

「う。四葉、担げ。運べ」

「運べって、重いなこれ」

 岩の反対側に手を差し入れ、腰を伸ばすショウ。

 風成さんも反対側に回り、岩を支える。

 しかし二人がかりでも、よく持ち上げられるな。

「私くらい乗れそうですね」

「優ちゃんくらい、軽い軽い」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ひょこりと岩の上に乗り、空を見上げる。

 いつもより、少しだけ近い空。

 風もどこか、澄んでいる気がする。

 この感動を、一人で味わうにはもったいない。

「羽未」 

 遠くにある、小さな点。

 それは一瞬にして小山になる。

 気付けば風を巻き込み、黒い影が空を覆う。

「何よ、あなた」

 羽未かと思ったら、コーシュカだった。

 さすがに羽未は分別があり、ショウの足下にまとわりついている。 

 ふざけて岩の上になんて、乗りはしない。

「はは。よきに計らえ」

「にゃー」

 私とコーシュカはふざけてるので、岩の上に乗ったまま。

 扇子でも欲しいところだな。


 岩を本宅の裏へ運んで、一件落着。

 二人はこの寒空の中、汗を吹き出しているが。

「そんなに流衣さんが怖いなら、出場は止めたらどうです」

「嫌だ。俺は出る」

「子供か」

「うるさいな。軍には行かなかったんだし、そのくらいのわがままはいいだろ」

 なんか、初めて聞く話だな。

 それは風成さんも気付いたらしく、咳払いをして声を潜めた。

「一応、俺も元々は軍へ行くつもりだったんだ。だけど、流衣が嫌がってさ」

「はあ」

「RASの試合はまだ、黙認というか仕方ないとは思ってるみたいだけど。軍の方は、どうもそうじゃない。それこそ、ここで死ぬか戦死するかって話だ」

 どこかで聞いたような台詞。

 ただ流衣さん達の気持ちは、痛い程分かる。

 ショウの事を考えるまでもなく。

「色々と、各方面で風当たりが強くてさ。胃が痛いよ、俺は」

「大変ですね」

「本当に。俺も高校生みたいに、気楽になりたい」

「いや。俺達は俺達で大変だぞ」

 しみじみと語るショウ。

 それが妙に真実みを帯びていて、逆につい笑ってしまう。

「お前も出るか、大会に」

「出ません」

 ショウより先に答え、岩を叩く。

 と思ったら、妙に柔らかい感触。

 コーシュカが、恨めしそうな顔で睨み上げてきた。

「同じ色してるから。煮干し、煮干し上げる」

 ポケットを探り、煮干しを放る。

 体は大きくても、猫は猫。 

 大きな目を輝かせ、煮干し目がけて飛んでいった。

「どうして、煮干しを」

「知り合いに、猫の親分がいるんです」

「ますます分からんな」

 首を振り、岩に拳を当てる風成さん。

 それ程の勢いはないが、普通の人なら触れただけでも痛そうな表面。

 しかし彼は気にした様子もなく、その動きを繰り返す。

「あー。面白くない」

「試合に出られるのに?」

「出られるけどさ。だけど、あれ。なんか、なんていうのかな」

 意味不明とは、まさにこの事だな。

 というか、自分でも何がいいたいのか分からないようだ。

「なんか、面白くないな。誰か、一緒に出ようぜ」

 誰かって、ここにいるのは私とショウ。

 いや。待てよ。

「エントリーって、今からでも出来ます?」

「どうかな。水品さんか、親父にでも聞かないと」



 やって来たのは、月映さんではなくそのお父さん。

 理由は知らないが、腰に木刀を差した姿で。

「月映は、出かけている。何か、用事でも?」

「いえ。RASのオープントーナメントにエントリーしたいんですけど」

「悪いが、エントリーは締め切った。もう、出られない」

 言いにくそうに告げてくるお祖父さん。

 しかし、そこはそれ。 

 主催者の特権にすがりたい。

「そこを、なんとか。別にシードとかじゃなくて、予選の端っこからでもいいんです」

「エントリーは締め切ったんだよ」

 返ってくる、同じ言葉。

 そうなると、こっちも意地になる。

「だから、一番下の予選でいいんですって。休んだり、逃げる人もいますよね」

「リザーブの選手は、別にいる。無理なんだ」

 何だ、それ。

 人を頼った私が馬鹿だったらしい。

 一気に疲れたというか、やる気がなくなった。

「もう、いいです」


 玄関を出て、人のいない住宅街を歩いていく。

 大通りは、少し先。

 それまではしばらく、高級住宅街が続く。

 私には縁のない、生け垣や竹林に囲まれた家々。

 時折通る車は、見た事もないような高級車ばかり。

 伏せた視線の中に、車のタイヤが時折見えるだけ。

 日差しは周囲の木々に遮られ、わずかにも差し込まない。

 見た目は綺麗で豪華。 

 でも私は。

「何してるんだ」 

 さっきから聞こえていた足音。

 特に意識もせず、隣に並んだショウを見上げる。

 今は、慰められたい気分でもない。

「エントリー出来るって」

 バイクのリアシートに触れるショウ。

 即座に飛び乗り、堅いお腹に腕を回す。

「早く、ほらっ」

「叩くなよ」

 構わず足を伸ばして、ギアを入れる。

 誰かの足を踏んだような気もするけど、気のせいだ。



 玄関を回り込み、庭へ回り込んでもう一度戻る。

「ユウ、こっちだ」

「は、初めから」

「だったら、少し待て」 

 ヘルメットを手に提げ、冷静に指摘するショウ。

 それもそうだね、なんて言う程悠長な生き方はしていない。

 だから損をしてるという事は、考えない。

「……一応、特別枠でのエントリーなら受け付ける」

 玄関先。 

 低い声で、そう告げてくるお祖父さん。

 特別枠でも何でもいい。

 エントリーを受け付けてくれた事に、素直に喜ぶ。

 でもって、すぐに反省する。

「済みません。身勝手な事を言ってしまって」

「いいんだ。私こそ、頑なになり過ぎた」

「お父さんが、いい年をして拗ねてしまって。済みませんね、雪野さん」

 楽しそうに笑う月映さん。

 その拗ねたらしいお祖父さんは、顔を逸らして足下で彼を蹴っている。

「私こそ、つい甘えてしまって」

「いいんですよ。孝行したい時に、死んでたら困りますからね」

「だったら、まずはお前を殺してやろうか」

 なんか、話が物騒になってきたな。

 しかもこの人達の場合は、冗談の範囲では済みそうにないし。

「ただ、特別枠といっても優遇する訳ではない。参加希望者同士で試合をやって、最後に勝ち残った者だけを予選に出てもらう。それも、シード選手相手に」

 別に甘い訳ではないと言いたげな顔。

 しかしそのくらいは予想済み。

 むしろシード選手と当たれる、いいチャンスだ。

「参加希望者は基本的に、トーナメントの参加資格に達しなかった者や町のケンカ自慢。要は、腕はないがラフプレイが得意な連中だ。大丈夫かね」

「いや。私が出る訳じゃないですから」

「なんだ、そうか」

 拍子抜けした様子のお祖父さん。

 だから、出場資格がないんだって。

「では、誰が?」

「呼びましょうか」

「是非会いたいな」



 細い体に丸まった背中。

 ではなく。

 華奢だがしなやかな動きをする体。

 甘い、初冬の風にも似たどこか陰を持つ横顔。

「君か」

「え。僕が何か」

「話してないのかね」

「話すよりも、まずは確かめて下さい」

 私が言い終えるよりも早く、右手を伸ばす月映さん。

 世界ランカーのジャブよりも早いと思える一撃。

 柳君は左へ回り込み、右ストレートを受け流して突き上げてきた膝もかわして足を絡めた。

 そのまま肩を掴み、ストレートでわずかに前傾した勢いを利用して倒しに掛かる。

 だが、そこは玲阿流師範。

 しなやかな動きで足を抜き、風を巻き込むようにして足を振り上げつつ後方宙返りで距離を開けた。

「なるほど。流派は」

「我流です」

「なるほど」

 同じ言葉を繰り返す月映さん。

 戸惑いと驚き、喜びを隠せない表情で。

「技術的にも体力的にもまだまだですが、悪くはないですよ。無理に色々と覚えずとも、今のままで伸ばしていった方がいいでしょう」

「は、はい」

「これは確かに、面白い。雪野さんが推薦する訳ですね」

「へへ。賭けます?」

 盛り上がる私達。

 盛り上がっていないのは、その話題になっている柳君だけだ。

「あの、一体何の話?」

「RASのオープントーナメントに出るの。私じゃないよ、柳君が」

「え、なんで。どうして」

 そう尋ねられると、多少困る。

 困るけど、出て悪い理由もない。

「第一、僕なんて」

 顔を伏せ、声を小さくして。

 そのまま無言になる柳君。

 甘い、優しげな顔。

 今もまた、かげりを帯びる。

 普段は明るく、楽しげに笑う彼。

 でも時折見せる、そのかげりある表情。

 これだけの容姿と実力を持っていて。

 だけど自分自身に自信を持てない彼。

 自分の存在意義を持ちきれない。

 だからこそ、出るべきだと思う。

「まあ、ユウもたまにはいい事をする」

 婉曲に賛成するケイ。

 言い方はともかく、私の真意は分かってくれたようだ。

 せいぜい、脇腹をつつくのは2回くらいにしておこう。

「浦田君も賛成?」

「まあね」

「じゃあ、出る」

 明るい、底抜けの笑顔。 

 愛らしく、純粋で、暖かい。

 ケイが思わず、顔を赤らめしまうくらいの。

 しかし私は、ケイよりも劣るのかね。     













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