27-6
27-6
夢も希望も何もない。
という程の状況でもない。
そう自分で思い込み、オフィスへと向かう。
連合の解体。
それに伴うオフィスからの退室は既成事実らしいが、少なくとも今はここにいられる。
「無理矢理居座るって、出来ないの?」
「出来なくもない。恥ずかしくなければ」
鼻で笑うケイ。
それは居座る以前の問題だろう。
「大体、ここにこもっても仕方ない」
「自分はどうする気」
「俺は、寮にこもる」
改めて、馬鹿決定だ。
というか、今でも寮にこもってるじゃない。
「むかつくな。エアコンも、どうにかしてよ」
「火でもつけるか」
取り出されるライター。
目の前にあるのは、書類の束。
暖かそうだけど、冗談抜きで何もかも失うだろう。
場合によっては、命すら。
「もっと、現実的に考えてよ」
「1.生徒会に媚びを売る。2.例の執行委員会に媚びを売る。3.学校に媚びを売る」
「そういう事以外で」
「じゃあ、無理だ。せいぜい着込めば」
聞く相手を間違えたらしい。
仕方ないから、サトミの服でも着るか。
コート、ね。
あの子お金がないとか言ってる割には、いつも違う服を持ってるな。
出所は怪しげなパパではなく、私のパパかママ辺りだろうけど。
もぞもぞと着込んでいると、そのサトミがやってきた。
「ちょっと、人の服」
「いいじゃない。どうせ、お母さんに買ってもらったんでしょ」
「私が、買ってもらったの」
私って、誰だ。
少なくとも私は、お母さんの娘だけどさ。
「寒いなら、お茶でも飲みなさい」
「もう、お腹一杯」
「ケイを見習ったら」
ドアへ視線を向けるサトミ。
正確には、トイレへ向かったケイの背中へ。
一体、何度行ったら気が済むんだか。
勿論、行かないよりはましだけどね。
「ショウは」
「知らない。私は、あの子の親じゃないし」
「それは大変ね」
元々大して興味も無かったのか、淡々と返してくるサトミ。
そう言われると、こっちが逆にむっと来る。
「怒りっぽいわね、あなた。煮干し食べたら」
人を猫みたいに言って。
食べるけどね。
猫の残り物とも言うべき煮干しをかじっていると、ショウが戻ってきた。
段ボールを二つ抱えて。
「何、それ。食べ物?」
「いや。備品。連合の本部から預かってきた」
「預かってって、この狭いところに持ってきてどうするの」
「俺に言うな」
じゃあ、誰に言うんだ。
中を開けてみると、出てきたのは例の銃。
どうやら、それを解体したものらしい。
連合の解体と掛けてる、訳無いか。
「これ、どうするの」
「一旦、組み立てる。いざという時、役に立つかも知れないし」
「いざって、どういう時よ」
「俺に聞くな」
何だ、それ。
どこで、こういう下らない言い訳を覚えてきたのかな。
「でもあなた、組み立てられる?」
「大して難しくない。ケイじゃないんだし」
「それもそうね」
仕方なさそうに笑うサトミ。
ただ彼女も興味はあるらしく、組み立てられていく銃に見入り続ける。
私は別段関心はなく、弾を机に置いて指先で転がす。
煮干しを食べたせいか、猫的になってきたな。
「……何してるんだ」
私にではなく、ショウに向かって話すケイ。
構えられた銃は、間違いなく彼のみぞおちに向けられている。
「お前が入ってくるから」
「俺以外だったら、どうしたんだ」
「さあな」
担がれる銃。
ケイは口元でなにやら呟き、キッチンへと消えた。
まさかとは思うが、包丁を取りに行ったんじゃないだろうな。
「怒らせたわね、あなた」
「たまには俺も、あいつをやりこめるべきだ」
何も、力説する事でもないと思うんだけど。
本人は気分が良いみたいだし、放っておこう。
これだけの筋肉なら、包丁も刺さりにくいだろうし。
「あーあ」
ため息をつき、天むすを食べ出す男の子。
お腹は大して空いてない。
目の前で食べられると、また別だけど。
「何よ、それ」
「俺がもらった。俺の物だ」
握り拳を作ってまで力説する事か?
しかしこの子にあげるって事は、天満さん辺りかな。
「俺にもくれ」
「君は誰だね」
「おい」
「土下座だ。そこに、土下座しろ」
馬鹿じゃなかろうか。
大体、土下座しないでしょうね。
そう思ったら腰を屈めて、床に手を付いた。
「ちょっとっ」
「え」
天むす。
ではなくて、ショウの手にあるのは小さなねじ。
さすがに、天むす程度で魂を売り渡すような事はないようだ。
「いくら何でも、土下座するか」
「日頃の行動がね。で、どうなのよ」
フリッカージャブ気味に腕を振り、笹の上に乗っていた天むすを一つもらう。
ケイがうろたえている間に、反対側からショウも。
彼がまごまごしている内に、残っているのはきゃらぶきだけになっていた。
「この。これは俺が」
「誰から、どういう理由でもらったの」
「昔の事は覚えていない」
ハードボイルドを気取るタイプか。
お茶を飲んで、一息付く。
入電は全くなし。
トラブル自体はあるんだろうけど、本部が稼働していない以上入電は限られる。
余程の緊急事態で、生徒会ガーディアンズからの要請とか。
「G棟玄関前で、トラブル発生」
すでに聞き慣れた声。
つまりは生徒会ガーディアンズからの、緊急を要する入電。
「誰が、何してるの」
「数名の武装集団が、銃を所持。怪我人は、いない模様」
向こうの話すだろう言葉を想定したため、それなりに会話になった。
「で、私に何か用?」
「G棟のガーディアンは至急向かって下さい」
「私連合だし、解体されるって話だけど」
「本当、大変ね。……あ、失礼しました」
マイクのオンオフくらい、確認してよね。
なんか、一気に疲れたな。
とはいえ、行かない事には始まらない。
しかし何かというと、G棟で暴れれてる気がする。
たまには学校の外とか、警察署の前でやって欲しい。
「誰だ」
いきなり突きつけられる銃と警棒。
肩口のIDは、生徒会ガーディアンズ。
それと、例の執行委員会。
この時点で、すでに共闘状態か。
「ガーディアンです、一応」
物静かに、肩口のIDを示すショウ。
彼らから漏れる、侮蔑気味な笑い声。
解体寸前の組織。
そこに所属する人間が、何を今更という所か。
「ここは、我々がすでに配置を済ませている。今頃来て、どうする気だ」
「済みません」
「自分達が遅れるから、周りの負担も増える。少しは他の人間の事も考えて、行動しろ」
「はい」
あくまでも低い物腰で返すショウ。
血の気は多いが、こういう事で怒るタイプではないので。
「だったらそういう言い方は、他の人間の事を考えての台詞なんですか」
「何だと」
「いえ。別に」
しらっととぼけるサトミ。
とはいえまだ甘いと、私は思うくらい。
大体遅れるも何も、この集まり方を見ると事前に生徒会ガーディアンズへは通告があったみたいだな。
要は連合を、ねちねちといじめる策か。
銃を持ってるっていう連中も、そう考えると怪しいな。
「準備はいいか」
周囲に声を掛ける、完全装備の男。
見た事無いが、それなりの役職なんだろう。
取り巻きは自警局と、生徒会ガーディアンズ。
彼の立場は、執行委員会の保安部。
場所としては、ガーディアンが何重も列を作るその一番後ろ。
指揮官が前に出過ぎても仕方ないが、現場の指揮官ならもう少し前に出てもいいと思う。
「前列散開。取り囲め」
囲むも何も、向こうは3人。
銃は持っているが、こっちは全員盾を所持。
威力も大した事はなく、プロテクターを着けていれば痛みすら感じない。
「観念しろ。銃を捨てて、投降しろ」
なんか、安っぽいドラマを観てるみたいだな。
そう思ってた途端、頭の上を何かが飛んでいった。
「伏せろっ」
後ろから聞こえる叫び声。
伏せるも何も、空に向かって撃ったと思う。
それに反応したのは、男とその取り巻き。
最前列にいるガーディアン達は、盾を構え直しはしたが微動だにしない。
彼らの所属は知らないし、名前も知らない。
だけどはっきりと分かる事はある。
その心と彼らの思いは。
とはいえ、雰囲気が白け気味なのは否めない。
「ここは、指揮官に先頭に立ってもらわないと」
どこからか聞こえる指摘。
男へと集まる視線。
この先どうするかは、本人に掛かっている。
「よ、よし。やってやろう」
一斉に上がる歓声。
開く道。
案外無造作に前へ出て行く男。
「じゅ、銃を置け」
震え気味の叫び声。
盾を構え、腰を引いて。
それでも一応、銃を持った連中と対峙はしている。
声が届くかどうか、という距離ではあるが。
「黙れ」
突然の発砲。
盾が揺れ、弾はどこかへ飛んでいく。
男は仰向けにひっくり返り、そのまま動かなくなった。
怪我や気絶ではなく、腰を抜かしたらしい。
ずるずる引きずられていく姿はかなり情けないが、前に出た気概だけは買える。
それだけではどうにもならないのが、この仕事とはいえ。
「まあ、良くやったよ」
仕方なさそうに笑うケイ。
さっき後ろの方から聞こえた声に似てるけど、多分気のせいだ。
「あなた、本当に悪いわね」
「だって、まさか前に出るとは思わなかったから。ただあいつもこれで、少しは評価が上がっただろ」
「敵に塩でも送ったつもり?」
「まさか。それに敵でも、連中は治安組織。育っても、悪くはない」
淡々と交わされる会話。
目先の事だけにこだわらない、広い視野。
自分の利益、立場ではなく。
学校にとって、生徒達にとってどちらがいい事なのか。
そこから導き出される答え。
「で、どうする気だ」
「さあね。玲阿君が、どうかしてくれるんじゃないの」
至って人事な台詞。
話を振ったショウは、嫌そうな顔でケイと銃を交互に見比べた。
どちらが嫌なのかは知らないが。
「君の実力を、みんなに見せつけてくれたまえ」
「何のために」
「最近、理屈っぽいな。昔は素直で、いい子だったのに」
馬鹿じゃなかろうか。
大体今も、素直でいい子だっていうの。
「で、どうするんだ」
「少しは自分で考えろ。というか、これだけ人がいるんだ。放っておいても拘束出来る」
「ここが陽動って可能性は」
「君は、最近知恵も付けたようだね。で、ここで陽動してどういうメリットがある?」
押し黙るショウ。
肩をすくめるケイ。
この辺りは、結局代わらない構図のようだ。
「何をだらだらやってんだ」
不意に後ろから聞こえる声。
誰かと思ったら、塩田さんがいつの間にか立っていた。
「何してるんです」
「それは、俺の台詞だ。さっさと、捕まえろ」
「生徒会ガーディアンズが仕切っているようなので。それと、例の執行委員会が」
それをふまえてどうします、と言いたげなサトミ。
塩田さんは首を振り、きびすを返した。
「塩田議長、どちらへ」
サトミの大きめな叫び声に、視線が一斉に集まってくる。
先程のとは違う、敬意と信頼に満ちた。
「この野郎」
「え、どうかしました」
「お前、叫ぶタイプか」
「あら、済みません。つい」
わざとらしく口元を押さえるサトミ。
塩田さんは射殺すような視線を彼女へ向け、集まってきたガーディアン達を手で追い払った。
「俺は関係ない。たまたま、ここを通りがかっただけだ」
「しかし、隊長が運ばれてしまいまして」
「副隊長なり、その下の奴なり。マニュアル通りの継承順位で指揮を執れよ」
「それが、全員隊長と一緒に」
「だったら、一番偉い奴がやれって。もう、マニュアルにこだわるな」
どっちなんだ。
いや。言いたい事は分かるけどさ。
「とにかく、散れ。俺に関わるな」
「そこを何とか」
「お願いします」
懇願するガーディアン達。
それを遠巻きに見守る、連合のガーディアン達。
言われた事は無難にこなすが、自主的な判断にまではつながらないらしい。
好き勝手にやり過ぎるのも、どうかとは思うけどね。
「うるさいな。もう、そこをどけ」
「は、はい」
割れるガーディアンの列。
再び見えてくる、銃を構えた男達。
さっきからかなり時間が空いたため、向こうもかなり拍子抜けという雰囲気。
何をしたいのは知らないが、私なら恥ずかしくてとっくに逃げ出してる。
「全く。おい、銃捨てろ」
「馬鹿が」
構えられる銃。
その先には、無造作に近付いていく塩田さんがいる。
武器も防具も無い。
茶の革ジャンとジーンズ。
寒いのか、手はポケットに入ったまま。
「この野郎。撃つぞ」
「うだうだ言ってないで、さっさと撃て」
「こ、この」
引き金に掛かる指。
辺りから聞こえる叫び声。
しかし塩田さんの姿は、どこにもない。
今まで彼に注目していた全員が、今度は驚きと戸惑いの声を上げる。
いつの間にか男の目の前に立ち、銃身を握りしめ空に向けさせている彼を見つけて。
「それで、まだ何かやりたいのか」
「え、いや」
「どっちが馬鹿だ。おい、拘束しろ」
連れて行かれる男達。
ガーディアン達も盾を抱えて引き返していく。
残っているのは私達と、憮然としている塩田さんくらい。
「さすが」
げらげら笑うケイ。
どう考えても誉めている態度には見えず、楽しくて仕方がないといった様子。
塩田さんは返す言葉もないらしく、無言で彼の頭をはたいた。
「だ、だって。自分がでしゃばって。ば、馬鹿」
「お前らがさっさと捕まえないから、こっちが恥を掻いたんだ」
「指揮権が向こうにある以上、仕方ないですよ。しかもこっちは、トップが解任されるような組織ですし」
遠回しな嫌み。
塩田さんはもう一度頭をはたき、私達全員を睨み付けた。
「俺は、もう議長でも何ででもないんだ。放っておいてくれ」
「じゃあ、今はただのガーディアン?」
「まあな」
「私達と一緒じゃない」
言い方は違うが、一斉に叫ぶ私達。
肩に置かれる手。
にやける表情。
「何だ、お前ら」
「何だね、塩田君」
偉そうな口調で話しかけるサトミ。
言いようもなく楽しいな、これ。
「おい」
「怒るなよ、塩田君」
馴れ馴れしく背中を撫でるケイ。
ショウはもっと無遠慮に、真上から頭を撫でている。
「お前ら、覚えとけよ」
「その前に卒業でしょ、塩田君」
「くっ。夜道を歩く時は、気を付けろ」
そう言い捨てて去っていく塩田さん。
いつの時代の台詞なんだ。
しかし忍者だし、気を付けた方がいいのは確かだろう。
色々あったけど、それなりに有意義な時間ではあった。
「あれは一体、なんだったの」
「執行委員会のアピールか、学校の治安が悪化してる事のアピールか。その辺りと考えるのが、妥当ね。当人同士が知ってるかどうかは、ともかく」
「どういう意味?」
「裏で絵を描いている人はいたと思う。ただ、本人達はそれぞれ自分の意思で行動したと思ってる。結果は同じだけど、操られたって気がない分尾は引かないわね」
見てきた事のように説明するサトミ。
尾を引かないのは暴れたか腰を抜かした当人達で、こっちは尾を引かないどころの騒ぎじゃない。
「あんな事やってて、意味ある訳?」
「シナリオ通りに進めばね。ただ、不確定要素がいくつもあるから」
「ケイの台詞とか、塩田さんとか?」
「ええ。その意味では、連合の解体はいい手だと思うわよ。そういう邪魔者を、少しでも排除出来るから」
全くの人事と言った口調。
邪魔者には、サトミも含まれてるんじゃないの。
「私は、敵が少ないから」
自分で言ってれば、世話はない。
これからは、まずは私が敵になろう。
「でも解体したら、そういう不満を持つ人間が増えるじゃない。まとめておいた方が、いいんじゃないの」
「そこまで先を見通してるかどうかね。ユウの言う通り、不満分子や不確定要素は押さえておいた方がいい。屋神さんがやったように、旧クラブハウスを押さえるとか」
「じゃあ、どうして」
「私情が含まれてるんじゃなくて。それが連合全体に対してなのか、そこに所属する誰かなのか。塩田さん個人かは知らないけど」
なんか、含みのある言い回しだな。
それって、要は私達も関わってるって事なんだろうか。
「ユウも、候補の一人かもね」
「私は至って大人しいけど」
「やられた方は、根に持つのよ。前も話したでしょ」
「別に、生徒会ガーディアンズや自警局に敵はいない。と思う」
こればかりは、サトミの言う通りだ。
嫌な事は、した方はすぐに忘れる。
逆にやられた方は、場合によってはいつまでも覚えている。
「でも、矢田君だけの判断で塩田さんを解任は出来ないんでしょ。連合の解体も」
「当然よ。彼はあくまでも飾り。手続きを済ませるだけの係。意志を持たない」
辛辣な発言。
つまり彼にそれなりの意思さえあれば、防げた事もある訳か。
ノックされるドア。
素早くその脇に張り付くショウ。
ケイは例の銃を抱え、黙ってキッチンへ消える。
サトミは私の後ろ。
私はスティックを握り、彼女をかばいつつドアの死角へ入る。
警戒のしすぎとも言えるが、今の話。
そして今までの経緯からして、警戒し過ぎという事はない。
「俺だよ、七尾」
聞き慣れた声。
彼が学校や執行委員会に取り込まれる可能性は薄いし、脅されてここに来るとも思えない。
「どうぞ」
「どうも。……と、なんか、物騒だな」
苦笑して入ってくる七尾君。
スティックに銃。
全員に睨み付けられれば、そう思うのも仕方ないか。
「警戒してるのよ、色々と。それで用は、……オフィスの引き渡しとか?」
「まさか。そんな怖い事は、とても」
怖いって、正式な書類か通達があれば今すぐにでも出て行くけどな。
勿論、その時の相手の態度という注釈は付くが。
「さっき暴れてた馬鹿。塩田さんが取り押さえてくれたから、礼を言いに来たんだけど。探してもいないから」
「そういうのは、モトちゃんにでもして」
「彼女、忙しそうだったから」
悪かったな、暇そうで。
現に、暇だけどさ。
「礼と言う事は、あなたが責任者?」
「まさか。虎に餌をやりたい人間がいなかっただけ」
「虎って。私達?それとも、塩田さん?」
「さあね。両方じゃないの」
苦笑する七尾君に微笑みかけるサトミ。
彼の指摘通り、牙を剥いた虎のような顔で。
「状況が状況だから、自警局とかも警戒してるんだよ」
「なんで」
「知らぬのは、本人ばかりなり。それとも、とぼけてる?」
「ユウは元々ぼけてる」
素早く飛びつき、脇腹を掴んで離脱する。
ぼけてるのは誰だか、身をもって知っただろう。
「もがいてるけど、大丈夫?」
「気のせいでしょ。邪魔ね、もう」
床に転がるケイを足蹴にするサトミ。
それでも動かないので、ショウがずるずると部屋の隅へ引きずっていった。
「面白いけど、無茶苦茶だな。いや、誰かはもう聞かなくていいから」
何故か脇腹を押さえる七尾君。
私だって、無差別に襲う訳じゃない。
状況によっては、無論相手は選ばないが。
「案外パンドラの箱を開けたって気はするけどね。塩田さんの解任や、連合の解体は」
「何、それ」
「最後に希望が残ればいいんだけど、その前に色々出てくるし」
私の質問には直接答えず、箱についてまだ話している。
しかし私達が、そこから出てくる悪い事とでもいいたいのか。
「例えだよ、例え。雪野さん達に限らず、連合は自分の意思で動く人間が多い。だったら上手く連合自体を抑えて、組織に縛っておく方がいいと俺は思うんだけど」
「じゃあ、解体しないでよ」
「俺の権限では、どうとも。解体にまで持ち込んだはいいけど、後で困るのは学校や執行委員会じゃないかな」
意外と冷静な視点で語る七尾君。
何が困るのかや、何故彼がそういう話をするかまでは知らないが。
「ただみんなが何か起こすと、今度は俺が取り締まる側になる」
細められる瞳。
引き締まる口元。
軽い調子は影を潜め、いつになく張りつめた空気が彼を包み込む。
それこそ、圧迫感すら感じる程に。
威圧。警告、忠告。
理由や彼の心情は分からない。
「その時は、その時じゃないの」
反発でも、対抗意識でもない。
純粋に、ただ自分の気持ちを伝える。
拘束されようと、取り押さえられようと。
自分が正しいと思えば、それを行動に移す。
もう戻る必要はないし、迷う理由もない。
誰がなんと言おうと、仮に私一人になったとしても。
自分の意思は、貫いてみせる。
「という訳さ」
苦笑気味に語りかけるショウ。
私同様気負った様子もなく、しかしその決意だけは読み取れる。
何があっても引く事はないという、彼の気持ちが。
「そう来ると思った。せいぜい俺は、逃げるとしよう」
一転して、軽い調子に戻る七尾君。
この辺りの彼の心理は分からないが、彼は彼なりの信念に基づいて行動するはずだ。
それがどういう結果をもたらすかは、今考えても仕方ない。
万が一不測の事態に陥ったとしても、その時はお互いに全力を尽くすしかないんだから。
「怖い話をしないで。暴れるなら、二人だけにして」
「何よ、友達を見捨てる気」
「私は希望だもの。最後まで、箱に残らないと」
しらっと言ってのけるサトミ。
いっそそのまま、ふたを閉めてやろうかな。
何なら、ロッカーでもいいや。
「あー、痛かった」
ようやくよろよろと立ち上がるケイ。
しかし構う理由はないので、放っておく。
視線が私から離れないようにも見えるけど、多分気のせいだ。
「浦田君は、どうする気」
「七尾君や、知り合いと対峙したら?そんなの決まってる。ユウ達を売って、俺だけ生き残る」
平然と、改めて言うまでもないという態度。
逆側も掴んでおけば良かったな。
立ち上がった私を見て、ケイは素早く下がって両手を振った。
「ご、誤解だって。俺は屋神さんのように、反対側に付いてさ。その、ユウ達に何か合った時は俺一人で」
「一人で何よ。窓から吊されたい?それとも、プールに飛び込みたいの?」
「雪野さん、冗談が過ぎますな」
「冗談だと思う?随分のんきね、浦田君」
冬にはやっぱり、暖かい物を食べたくなる。
鍋もいいけど、この揚げたてというのがたまらない。
程よいところで串を引き上げ、塩を付けて頬張る。
かりっと揚がった衣に、ジューシーさを失わない豚のバラ肉。
これはビールが美味しい訳だ。
「おい、お前何本食べる気だ」
「気にするな、食べ放題だろ」
次から次へとと、テーブルにあるフライヤーに串を放り込むショウ。
ケイが指摘したのは自分の支払いの心配ではなく、彼のお腹についてだろう。
というか、本当に揚がってから食べてるんでしょうね。
「馬鹿には付き合いきれん」
そう呟き、串で油に浮いた衣の欠片をつつくケイ。
つついて、つついて、またつついている。
意味は知らないが、彼の空しさは十分に伝わってくる。
「サトミは、もう食べないの?」
「太るわよ、あなた」
串を握りしめた私に、薄く微笑みかけるサトミ。
そう言われると、揚げ物か。
量は食べてないとはいえ、決して食べすぎる物ではない。
「じゃあ、サラダでも食べよう。すいません、シーフードサラダ下さい」
「おい、それは別料金だ」
「いいじゃない、このくらい。あ、彼女にも一つ」
「この。ショウを見習え。……馬鹿、それは飾りだ」
皿に乗っていたパセリまでフライヤーに放り込むショウ。
勿論食べれなくはないが、常識的に考えれば揚げるものでもない。
本人は美味しそうに食べてるからいいけどね。
「お待たせ」
「誰も待ってない」
「はは、なるほど」
鷹揚にケイの肩を叩くヒカル。
1人より2人、4人より5人。
食事は大勢で食べるに限る。
「どうでもいいけど、油の色が悪くなってない?」
「そうか?」
そうだよ。
あれだけ揚げれば、色くらい変わる。
浮いてる衣だけで、一つの串が出来るくらいだ。
さすがに油を換えてもらい、温度が上がるのをしばし待つ。
「賭ける?」
「いいよ」
「馬鹿が」
まずは私が、衣の欠片を放り込む。
ヒカルとケイも、その後すぐに。
油の下へ沈み込む衣の欠片。
少しずつ出てくる気泡。
表面が揺らめき出し、油の中は対流も起き始めている。
「来た、来たよ」
動き出す、私の衣。
ヒカルとケイのは、まだぴくりともしない。
「ほら、いい子だから。早く来て」
「ユウにはなついてないみたいだね。僕だよ、お父さんだよ」
衣に向かって馬鹿げた事をいうヒカル。
しかしそれが作用したのか、突然彼の衣が気泡を発し始めた。
どうもまずいな。
「ちょっと、私の言う事が聞けないの」
「怖いお母さんだね。でも、僕は優しいよ」
馬鹿じゃなかろうか。
でも子供のしつけは優しい方が、効果的なのかも知れないな。
自分の経験も含めて、そう考えたりする。
「ほら熱いでしょ。アイス、アイス買ってあげる」
「よかったね。でも、僕は君をずっと待ってるよ」
「ちょっと、甘やかしすぎじゃないの」
「物を上げればいいって物じゃない。まずは気持ちを伝えないと」
妙に力説するヒカル。
一方のケイは黙って衣に見入ってるだけ。
基本的にこういうのには向いてないので、初めから私もヒカルも相手にしない。
「来た」
「よし」
同時に上がる声。
でもって衣も浮いてくる。
若干私の方が早いものの、対流で少し流された。
その間にヒカルの衣が一気に浮上し、そのまま表面へと浮かび上がる。
どうも愛情の掛け方に問題があったか、彼の愛情が上回ったらしい。
「あなた達、馬鹿?」
「どうしてよ」
「衣相手に、愛情って」
声を潜めるサトミ。
店内を見渡すと、それとなくこちらの様子を伺ってる客が数名。
多少張り切り過ぎてしまったらしい。
「軽い冗談じゃない。ねえ」
「そうそう。で、何してるの」
「……底に張り付いてる」
悲痛な声を漏らすケイ。
彼の衣は底に沈んだまま、微動だにしない。
気泡は出ているから、揚がっているのは間違いない。
しかし、余程浮かび上がりたくないようだ。
「所詮衣。人間の気持ちが通じる訳がない」
当たり前だ。
衣と心を通わすなんて、そっちの方がどうかしてる。
この人のお兄さんは、どうか知らないけどさ。
お腹が膨れれば、後は甘い物が欲しくなる。
甘い物は別腹とは、本当によく言ったものだ。
さすがに揚げ物はパスで、可愛らしい洋菓子屋さんに入る。
綺麗な内装と、その雰囲気にあった美味しそうなお菓子の数々。
かなりの人気店らしく、テイクアウトのコーナーは人の列がどこまでも続く。
「どうしたの」
「別に」
無愛想に答え、ミルフィーユをフォークでつつくケイ。
支払いが面白くないとか、食べるのが下手という事だけでもなさそうだ。
「恥ずかしいわよね」
ぽつりと、紅茶のタルトにスプーンを滑らせながら呟くサトミ。
ケイは陰険な顔で、彼女を上目遣いにうかがった。
「場違いだものね」
「あ?」
「この後は、お菓子でもすくう?」
脇腹を押さえるケイ。
薄く微笑み、優雅な仕草でタルトを頬張るサトミ。
よく分からないが、何か痛いところを突かれたらしい。
「どういう意味?」
「子供は知らなくていいの。あなたは、お菓子食べてなさい」
言われなくても食べるわよ。
というかここで、お菓子を食べる以外何するの。
「それより、あなたの彼氏がまた変な事してる」
「またとか、変な事って言わないで」
「だって、あれ」
レジの横。
初めから包装されたクッキーやチョコレートの並ぶコーナー。
その前に立ち、片っ端から買い物用のかごに放り込んでいくヒカル。
甘い物が大好きというタイプではないし、浪費癖もない。
それにいつも、彼には彼なりの理由があって行動はしている。
一応、そういう理由とやらを聞くとするか。
「へろー」
「へろー」
愛想良く答えてくるヒカル。
院生でも、この辺りは私と大差ない。
「急にお腹でも空きだした?」
「いや。今度、子供を被験者にしてテストするんだ。その時の、お土産」
返ってくる、彼にしては無難な答え。
でもってレジを済ませたら、その中の一つを手渡してきた。
私もその子供に含まれる、って意味じゃないだろうな。
「連合が解体した後、何かあったらこれで食いつないで」
「あ、あのね」
「甘い物だし、日持ちするよ」
人の良い、私達の事を思っているのが分かる笑顔。
言っている内容自体はともかく、その気持ちはありがたい。
それに痛む物でもないし、もらうとするか。
「どうせなら、こっち頂戴よ」
「ユウの好みに合わせると、こっちが大変だね」
困った物だという口調。
どっちがだと言いたいが、今はレモンクッキーを確保する方が先だ。
「サトミもいる?」
「いらない。大体こんなに買って、お金あるの?経費では落とせないでしょ」
「困ったね」
「俺を見るな」
やはり憮然とするケイ。
よく分からないがお互いの間で意思の疎通が図られ、ケイが支払う事になったらしい。
だったらこれも頼むとしよう。
「ユウ、こっちも美味しそうよ」
「じゃあ、それも」
「おい。いい加減にしろ」
「二人とも、まだまだ子供だね」
のんきにのたまう兄上。
でもって弟の方は怒ったままかと言えば、意外と気楽そうに笑っている。
「何よ、気持ち悪い」
「だって、あれ」
さっきまで、私達がいた壁際のテーブル。
そこに、一人で残ったはずのショウ。
でも今は、何故か何人かの女の子がテーブルを囲んでいる。
知った顔ではないし、招待をした覚えもない。
「あの男はすごいね。座ってるだけで、女が寄ってくる。俺なんて、追えば逃げるのに」
「いっそ、地の果てまで追いかけたら」
「兄上、なかなか良い事を言いますな」
「はは。年の功ですよ」
年の功って、双子じゃない。
何分どころか、何秒の差じゃないの。
とにかくそんな馬鹿話には付き合ってられず、テーブルへととって返す。
「……いいじゃない。すぐ近くだから」
どこがだ、天国か。
「きゃっ。だ、誰よ」
「誰だか、関係あるの」
真上から見下ろしたい所だが、身長の関係上ここは見上げる。
学校の制服などではなく、おしゃれなスーツ。
学生ではなく、OLか。
「な、なに。何の用。私は、今忙しいのよ」
なかなかに、面白い事を言う。
まずは自分の席に着き、残っていたミルフィーユを全部掻き込む。
粉っぽいけど、美味しいな。
「ひ、人のを勝手に」
「私のを私が食べて、何が悪いの」
「私って、ここは」
「あ?」
びくっと身を震わせ、青い顔で去っていくOL。
その仲間もセカンドバッグを抱え、飛ぶようにしてその後を追った。
勝った。
年齢、職業、外観。
そんなのは関係ない。
人間気力、それしかない。
「あなたは、何がしたい訳」
怖い顔で、真上から私を見下ろすサトミ。
そうそう、これをやりたかったのよ。
「だって、私の席で」
「私達のテーブルは、この後ろ」
「また、冗談ばっかり。そういうのは、彼氏だけでいいんだって」
「よく見なさい」
頬を手で包まれ、そのまま後ろを振り向かされた。
ミルフィーユに紅茶のタルト。
どう見ても、さっきのままの。
「ここは彼女達の席。あなたが食べたのも、彼女達のミルフィーユ」
「あ。あ、そう」
「もういいから、謝ってきなさい」
レモンクッキーと引き替えに、事なきを得る。
走るは恥はかくは。
本当に、私は何をやってるんだか。
「ちゃんと、謝ってきた?」
寮の暖かい部屋で、暖かそうなお茶を飲みながら尋ねてくるサトミ。
こっちは鼻をすすり、上着の上から肩を押さえる。
「謝るも何も、写真まで撮られたわよ」
「裸の?」
「あのね。ごめんなさいって謝ってる写真」
いいけどね。その後で、マフラー買ってもらったし。
クッキーの代わりに、お寿司ももらったし。
子供扱いされた気は、多少しないでもないが。
「もう少し、考えて行動しなさい」
「無理」
一言で終わらせ、上着を脱いでこたつに埋まる。
天国は、どうやらここにあったらしい。
「大変よ。それだと、これからも」
優しく諭してくるサトミ。
それは連合解体後の事に対してか、ショウの事なのかは分からない。
「いいの。私は、私のやりたいようにやるんだから」
「少しは周りの事も考えたら」
「余裕があったらね」
少なくとも今回はそういう余裕がなかったし、我慢も出来なかった。
またあれを見過ごすようでは、私は私ではない。
「しかしあの子は、普通にもてるわね」
誉めてるのか何なのか、楽しそうに語るサトミ。
勿論いい事ではあるんだけど、それが何をもたらすかは言うまでもない。
「軍に進んだら、もっと大変かしら」
「何が。女の上官に同じ事されるって言いたいの?」
「それもあるけど。男の上官だったら」
怖い事を、真顔で言うな。
いくら上官の命令は絶対でも、それはまた別問題だろう。
「学校や街中での揉め事とは違うんだから。軍はそういう、不条理な事は多いんじゃなくて」
「じゃあ、どうするのよ」
「学校とやり合うのとは、また別な次元。まさかユウが乗り込む訳にもいかないし、自分でどうにかするしかないわね」
何が言いたいのか分からないが、ろくでもない事だけは十分に分かった。
とはいえ彼女の言う通り、それは私がどうこう出来る問題でもない。
学内でのトラブル。
生徒同士の揉め事。
多分、それらが甘いとすら思える状況。
だけどそれでも、それが駄目だとは思わない。
甘くても、子供じみた事だとしても。
この学校にいる限り。
この場に、私がいる限り。
その全力を注ぐ。




