27-3
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ようやく終わる授業。
体調の方も、かなり戻ってきた。
今からなら、どこまでも走っていける。
気がするだけで、体力の無さは自分が一番よく分かってる。
「よいしょと」
リュックを背負い、サングラスを胸元に差す。
サングラスはすでに体の一部みたいな物で、忘れるという事は殆どない。
気付けば手にしているか、少なくとも手の届く位置にある。
目が疲れるという理由もあるが、愛着が沸いているので。
自分の困った時、ずっとそばにしてくれたというか。
「あなた、最近そればかりね」
「何が」
「よいしょって」
「そう?」
自覚はないので、気にせず教室を出る。
なぜか廊下に積まれている、段ボールの山。
「済みません、今動かしますので」
作業服姿で段ボールを教室へ運んでいく人達。
それと入れ替わるようにして、備え付けの机が運び出されていく。
「業者を雇うお金があるなら、エアコン入れてよね」
少し愚痴って、段ボールの隙間を抜けつつ先を急ぐ。
隙間は狭いが、小さいので問題ない。
「よいしょ、よいしょ」
「ほら」
「何が」
「もういい。あなた、もう抜けたの」
途中で挟まったまま、前にも後ろにも行けなくなっているサトミ。
鈍い以前の問題だな。
「ショウ、段ボール動かして。というか、運んで」
「ああ」
業者が3人がかりで運んでいた段ボールを、一人で担ぐショウ。
若干無理をしてるようだけど、運ぶには運んだようだ。
「ほら、今の内に」
「分かってる」
引っかかり引っかかり、それでもどうにかこっちへとやってきたサトミ。
何も、肩で息するような事でも無いでしょうに。
「ケイは」
「あれでしょ」
段ボールを運び込んでいる教室のドアを指さす。
未だに段ボールを運ぶショウ。
その段ボールに手を添え、体重を掛けている馬鹿発見。
「平気で運んでるね」
「じゃあ、ショウも馬鹿なんでしょ」
冷たく結論付けるサトミ。
反論したいけど、この光景を見る限りはコメント不能だな。
ケイの体、浮いてるんじゃないの……。
さすがに息を荒くするショウ。
しかしサトミのそれとは、根本的に違うと言っていい。
「食べる?」
「ああ」
差し出したあんまんを頬張るショウ。
何個目とか、夕食という事は興味がないようだ。
「俺にもくれ」
「乗っかってたのに、そういう事言う訳」
「スキンシップ、スキンシップ。友達と、じゃれてただけ」
そういう柄か。
大体、友達なのか?
「G棟A-1で、トラブル発生。最寄りのガーディアンは、至急向かって下さい」
「はいはい」
例により、答えるはずのないスピーカーに返事をする。
意味はないけど、精神的にね。
「ただし、ドラッグを使用しているとの情報あり。各種プロテクターおよび、装備の確認をお願いします」
「またドラッグ?どうなってるのよ」
「情報は以上です」
素っ気なく終わる入電。
もしかして、聞こえてるんじゃないだろうな。
「仕方ない。行くよ」
野次馬をかき分け、先を急ぐ。
多少邪魔なので、スティックを振って強制的に。
文句が言いたそうな相手には、少し強めに振っていく。
「元気ね、あなた」
静かに声を掛けてくる、綺麗な女性。
ただやる気がないというか、眠そうにも見える。
「えと」
「新妻よ。用があって、近くに来てたんだけど。ドラッグを使う相手に、大丈夫?」
つまりは、小柄な私の事を言ってる訳か。
確かに私でも、こんな小さい子がここにいたら不安に思うだろう。
というか、私より小さい子はこの学校に何人いるんだ。
「どうかした?」
「いえ、別に。他のガーディアンは」
「まだみたいね」
結局、自分達でやるしかないか。
いいけどね、もうどうでも。
一気に人が減る廊下。
正確には、壁にもたれて膝を抱える女の周囲から。
今は何をする様子もない。
それこそ身じろぎ一つ。
当然だが警戒は怠らず、慎重に距離を詰める。
サトミとケイは後方で待機。
私が右から。
ショウが遠回りで、左から近付いていく。
足音に気づいたのか、のろのろと顔を上げる女。
生気のない、青ざめた顔。
荒れた肌、表情の欠片のない。
血走った、食らいつくような視線だけが意識に残る。
ハンドサインでショウに合図して、まず声を掛ける。
「聞こえてる」
「え」
鈍い、だがかすかな反応。
もう一度手を振り、少し距離を詰めるよう合図する。
「名前は?」
「名前は」
「自分の名前」
「自分の名前」
完全なオウム返し。
意識の程度は、大体分かった。
ワイヤーの拘束具を取り出し、それをちらつかせる。
向こうも私の意図に気付いたらしく、いきなり立ち上がって爪を立ててきた。
鼻先を過ぎる、長い爪。
バックステップで距離を開け、あごを引いてそれをかわす。
少しずれたら、目元をかすめただろう。
「っと」
ぼやける視界。
何も、こんな時に。
目の前に彼女がいるのは分かる。
だが、動きは殆ど見えていない。
すかさずサングラスを掛け、目を閉じる。
まぶたの裏に残ったショウの表情を思い出しつつ、ハンドサインを示す。
予定通りに行動すると。
スティックを逆手で持ち、腰を落としてすり足で動く。
最も重要である視覚を排除した状態。
入ってくる情報は限られてくる。
だがそれでも、周囲の状況は十分に把握している。
肌に触れる風。
床からの振動。
耳に伝わる様々な音。
今までは気にもしていなかった、視覚を消したからこそ理解出来る状況。
床を蹴り飛んでくる彼女。
右前に出てそれをかわし、すかさず踏み込んで背後をとる。
足を踏ん張りこちらを向く女。
伸びてくる上体。
沈み込んで両腕をかわし、懐に入って胴を打つ。
鈍いうめき声。
それに続く叫び声。
その声は遠ざかり、床を転がる音が伝わってくる。
「ふぅ」
サングラスを外し、目薬をして目元を押さえる。
まだぼやけ気味ではあるが、十分に見えている。
精神的に疲労すると余計目に負担は掛かるものの、ああいった状況を今後も想定する必要はあるので。
「あなた、何者」
「別に。そんなすごい事をやった訳でも」
「自覚なし。まあ、いいけど」
いいのか。
案外嫌な人だな。
教棟を移動し、彼女のオフィスへとやってくる。
「とりあえず、さっきの子は病院送り。後は、警察の管轄ね」
「はぁ」
「以前は殆どなかったのに、今年になってからドラッグ関連のトラブルが増えてるみたい。当たり前だけど、よくない兆候ね」
卓上端末に示される、トラブルの件数とその内容。
数は増えているのは実感している。
しかし、内容の軽いのがせめてもの救いか。
「学内にそういう組織が入り込んでるのか。生徒が自主的に作ったのか。君は、どう思う」
話を振る新妻さん。
私でも、サトミでも、ショウでもない。
暇そうに、脇腹をさすっているケイへと。
「俺に聞かれても。詳しい人なら知ってるけど」
「阿川君?」
「まあね。何しろ、名古屋の悪の総締めだから」
そこまでひどくもないと思うけどな。
でも、実際どの程度の人なのかは分からないし。
「阿川……。呼んでもらえる?」
「仰せのままに」
露骨に嫌そうな顔でやってくる阿川君。
「俺は関係ない。否定はしないが、そういう事をやってたのは昔の話だ」
「大体でいいの。ドラッグを扱っている連中の事だけで」
「話を聞かない人だな。お姉さんは、もう少しまともだったが」
「私は、でがらしなの」
淡々と答える新妻さん。
阿川君は鼻で笑い、面倒げに髪をかき上げた。
「学内には、小物しか入り込めないさ。利用されてる馬鹿と、大物気取りの馬鹿だけで。ただ、そうやってルートを構築してるともいえるが」
「なるほどね。それが出来る可能性は?」
「どうだろう」
どうして私を見るのかな。
それも、全員で。
「私が、そういう連中とやり合うって言うの?マフィアがバックにいるんでしょ、ドラッグを扱う奴らの後ろには」
「いるよ。いるけど、それを気にしない人もいる」
「私も、そのくらいは気にします。自分の身が可愛いから」
「そう願うよ」
何だ、それ。
しかし反論するより早く、阿川君が端末を取り出した。
「……分かった、すぐ戻る」
「どうかしました」
「はっきりしないが、隊長クラス以上に招集が掛けられた。重要発表があるとか」
彼もそれ以上の情報はないらしく、短く挨拶してこの場を去っていった。
「何だろうね、発表って」
「エアコンの温度を上げる訳ではないようね」
笑い気味に答えるサトミ。
では何だろうとも思うが、想像も付かないし考える程の興味もない。
「あーあ。面白くないな」
「だったら、仕事してもらえる」
目の前に書類を積んでいく新妻さん。
燃やしてやろうかな、これ。
「遠野さん、お願い」
私に頼まないとは、優秀だなこの人。
お茶も美味しいし、お菓子も美味しいし。
「こぼさないで」
「うるさいな、仕事したら」
サトミにストレスを与え、おせんべいをポケットにしまう。
これは夜食にとっておこう。
「欲しいなら、まだあるわよ」
「じゃあ、ちょうだい
へへ、来てよかったな。
腕を揉み、肩を回す。
あるって、お菓子じゃなくて書類がか。
「まだあるわよ」
「もう結構」
わんこそばじゃないんだからさ。
本当、早めにふたをしないときりがない。
「事務仕事は苦手って聞いたけど、意外とこなすじゃない」
「色々とあって。女には、事情があるの」
「訳の分からない子ね。何にしろ。助かったわ」
「……今思ったんだけど。新妻さんは行かなくていいの。隊長は招集されてるんでしょ」
机から顔を上げる新妻さん。
しかし大変だとか、忘れてたという顔には見えない。
確信犯だな、この人。
「あのね」
「結果は自然と後から伝わってくる。慌てなくてもいいのよ」
大物、なんだろうか。
いいけどね、私の事ではないんだから。
「ご苦労様。後は、私だけで大丈夫みたい」
「あ、うん」
すぐには出て行かず、机の前でじっと待つ。
にこっと微笑む新妻さん。
私もにこりと微笑み返し、さらに待つ。
「そうそう。これ持って行って」
その言葉を待っていた。
だけど、また書類を渡すんじゃないだろうな。
もらったのは、クーポン券。
食事にも使えるし、買い物にも使える。
額は大した事無いが、ご飯を食べるくらいなら問題ない。
「コートでも買おうかな」
「誰が働いたと思ってるの」
真上から聞こえる怖い声。
がっしりと捕まれる両肩。
「じゃあ、手袋買ってあげる」
「どうして、上からの意見なのよ」
いいじゃないよ。
いつも、下からの意見なんだからさ。
「聞いたわよ。クーポン券せしめたんだって?」
どこからかやってくるハイエナ。
じゃなくて、モトちゃん。
サトミはともかく、この子は何もしてないでしょうに。
「知ってる、雪野さん?」
「何を、元野さん」
「あなたがいない間、誰が書類を片付けてたか。病院送りにした子の事後処理とかも」
「考えた事ない」
今は特に、考えたくもない。
ますます取り分が減るな。
「ケイ君達は」
「なんか運んでたよ。いらない書類とかを」
「だったら、いいじゃない。三等分で」
何がいいのかは知らないが、いいならそういう事にしておこう。
たまには、高そうな物でも食べようかな。
「へろー」
とりあえず、無視。
耳に息が掛かってるけど、無視。
脇をくすぐるなっていうの。
「止めてよね」
「いいじゃない。私、中華がいいわ」
いきなりすごい事を言う人だな。
というか、どこで情報を聞きつけてきたんだ。
「エビマヨがいい」
短く、素っ気なく。
しかし、はっきりと主張する舞地さん。
こうなると、池上さんは可愛い方か。
「俺はチャーハンでいいぞ」
「発言する権利あるの?」
「あるのよ」
強く出るモトちゃん。
へっ。彼女彼氏で仲がいいな。
「柳君は」
「僕は何でもいいよ。最後に、マンゴプリンでも食べられれば」
謙虚な子だ。
顔も可愛いし、馬鹿な事も言わないし。
それに引き替え、他の3人はどうしようもないな。
「雪ちゃん、どこいくの」
「中華じゃないの。……わ」
足を踏み入れかけていたのは、いかにも高級といった感じのお店。
入ってすぐに店内ではなく、ロビーというか広い受付のある。
一品頼むだけで、間違いなくクーポンを使い果たすだろうな。
「パス、パス。寮で、ラーメン作ろう」
「どうしてそう、短絡的なの。それに、誰か呼んでるわよ」
「こんな店に、知り合いなんて」
いない訳ではない。
考えたくもないが、矢加部さんならこのくらい毎日でも通うだろう。
しかし、そういう姿は見あたらない。
細身の、鋭い眼光を放つ初老の男性しか。
「あ、こんばんは」
「やあ。ここで、食事かね」
「いえ、間違えただけです。私は、もっと細々と生きてるので」
「遠慮しなくていい。一緒に食べよう」
出てくる豚。
豚一匹。
葉っぱと野菜に囲まれて、コミカルかつもの悲しい眺め。
しかも美味しいとしては、物の言い様がない。
それにしても皮だけ食べるなんて、贅沢な食事だな。
勿論お肉の部分も、別な料理に利用するんだろうけどね。
「名雲君の息子さんか」
「ええ、まあ。一応」
恐縮する名雲さん。
でも、一応ってなんだ。
「聞いてると思うが、彼とは同じ部隊にいてね。四葉君のお父さん達と一緒に」
「ええ」
「飄々とした、だが優秀な兵士だった」
重く、静かに語る黄さん。
ショウのお父さん達の元上官で、今は神戸に在住。
古物商や漢方薬を扱ってるらしいが、結構謎な面もある。
「しかし、よく食べるな」
「え」
皿を抱えたまま止まる名雲さん。
それを言ってるのよ。
「お父さんは、華奢でどちらかといえば小食だったが」
「はあ。俺と逆ですか?」
「外見は似ているよ。ただもっと軽いというか、掴み所の無い人でね」
薄く微笑む黄さん。
遠い、切なそうな眼差しで。
「昔話はそれくらいで。どうぞ」
たおやかな手つきでお酌する池上さん。
黄さんはグラスのお酒を一気に飲み干し、彼女へ返杯した。
「私はそれほど飲めないので。雪ちゃん、あげる」
「いや。私に振られてもね」
軽く口を付け、少し飲む。
何だ、これ。
「暑い」
ジャケットを脱ぎ、袖をまくる。
度数何度なんだ。
「暑いよ」
「度数50よ。大丈夫?」
当然だが、手を付けないサトミ。
仕方ないのでモトちゃんへ渡し、残りを託す。
「あのね。私もこれはさすがに。あら、いやだ」
こっちが嫌だ。
しかし白酒って、甘酒の親戚かと思ってたけど大違いだな。
「名雲さん、残りどうぞ」
さすがに一口であきらめるモトちゃん。
名雲さんはそれを受け取り、眉をしかめて一気にあおった。
「倒れるよ、名雲さん」
「大丈夫だろ、多分」
根拠のない返事。
すぐに赤くなってくる顔。
お父さんの話を聞いて、多少気分が高揚してるのかもしれない。
「舞地さんは」
「体に悪い」
「じゃあ、それは何」
グラスに注がれた、泡の出ている茶色の液体。
隣に置かれた瓶には、青島ビールというラベルが貼ってある。
「子供には関係ない」
「あ、そう」
むかついたので、彼女が食べていた青菜炒めを奪い取る。
あっさりしていて、程よい食感。
高級な料理もいいけど、私にはこのくらいが丁度いいな。
お土産ももらい、お店を後にする。
名雲さんは、黄さんと一緒に帰っていった。
というか、腰が抜けたようにも見える。
それでも柳君を背負っていくのは、おかしいというか微笑ましい。
「飲み過ぎた」
壁にもたれ、お腹を押さえる。
お酒の飲み過ぎではない。
あの暑さを消すために、後でお茶をがぶ飲みした。
おかげで、お腹が張って張って。
「どうやって帰る気」
「車は、車」
「全員お酒飲んでるでしょ」
冷静に指摘するモトちゃん。
酔ってても、人間性は変わらないらしい。
「私は、飲んでないわよ。どこかで、車借りましょうか」
酔いが覚めてないのかな。
なんか、空耳が聞こえてきた。
「タクシー、タクシー」
手を挙げるが、止まるどころか通り過ぎる。
丁度一杯飲んだ人が帰る時間。
というか、私達もその中の一員なんだけどさ。
「仕方ない。白タクを呼ぶか」
すっと止まる大型のRV車。
降りてくるのは、長身の素敵な運転手。
「酒臭いな」
開口一番、嫌な事を言ってくるショウ。
かまわず助手席に乗り込み、ナビを操作する。
「まずは、池上さんのアパートが近いか。行って」
「どこでも行くさ」
嫌みな台詞を聞き流し、少し目を閉じる。
お酒を飲んで、ご飯を食べて。
体が揺れて。
寝ない方が、どうかしてる。
すぐに目を開け、端末を取り出す。
なんかうるさいと思ったら、誰か連絡してきてる。
「何よ。……え、知らない。……さあ、今どこ」
知る訳無いと答えられた。
それもそうか。
「というか、誰」
愛想の悪い返事が返ってきた。
埒があかないので、サトミに渡す。
誰の拉致があかないかって話だけど。
「ユウの事なら気にしないで。……今から聞けばいいのね。分かった、すぐに行くわ」
「誰」
「丹下ちゃん。話したい事があるって」
「こんな夜中に。明日にしてよね」
真横から感じる、鋭い視線。
何か言いたそうだが、放っておこう。
第一、眠いし。
「早く行って」
「どこへだ」
「女子寮よ、女子寮」
「もう一度言ってくれ」
妙に反抗的だな。
仕方ないのでナビの画面で、今の場所をチェックする。
学校から、意外に近く。
寮が大体、このくらいの距離だ。
「……ああ、ここか」
「分かってくれて、助かった」
「じゃ、ありがとう。また明日ね」
素早く飛び降り、後ろを振り返る。
でもって足をもつれさせ、ごろごろ転がる。
咄嗟に受け身はとったが、あまり格好良くはない。
まだ多少、お酒が残っているようだ。
「スタントでもやってるのか」
「い、いいから。手」
ショウの腕にしがみつき、よろよろと立ち上がる。
膝を打ったらしく、多少歩きにくい。
「おい」
「あ」
揺すられて、顔を上げる。
部屋の前にいる。
瞬間移動したらしい。
「ありがとう。もういいよ」
ショウの背中から降りて、軽く膝を動かす。
まだ痛むけど、歩けない程ではないと思う。
というか歩けなかったのは、酔っぱらっていたせいだな。
「来たよー」
ドアを叩き、顔を付ける。
冷たくて、気持ちいいな。
「あなた、酔ってるの」
沙紀ちゃんの肩越しに、無慈悲な声を掛けてくるサトミ。
仕方ないじゃない、顔が熱いんだから。
「モトちゃーん。サトミがいじめる」
「いないわよ」
「どうして」
「名雲さんと一緒に帰ったから」
何だと?
それは許せんな。
「どこ行く気」
「探しに。モトちゃんを探しに。不純異性交遊なんて、神が許しても私が」
「黄さんも一緒によ」
「あ、そう。じゃあ、いいや」
壁に背を付けてしゃがみ込み、膝を抱えて顔を埋める。
ここって、オフィスより暖かいのかな。
とにかく、暑いし眠いし。
気付いたら、部屋の中にいた。
もう、深く考えるのはよそう。
「眠そうね」
「眠いよ。お腹一杯だし、お酒飲んだし。ベッドどこ」
「どこかな」
自分が寝ている所かも知れない。
何となく寒い風が吹いてきたので、タオルケットをまとって体を起こす。
沙紀ちゃんは少し笑いつつ、床に座って私と目線を合わせてきた。
「で、話って」
「はっきりしないけど、統合を早めるみたい」
とうごう。
東郷平八郎。
日露戦争。
ロシアに圧迫されていたトルコの人に、評判の良かった人。
間違いなく、違うだろうな。
「ガーディアンの統合を?」
「ええ」
「でも、どうして隊長を呼ぶの。何かもらった?」
「話だけ。というか、結束を固めるのが目的みたい。離反者を出さないとでも言うのかな」
ただでさえぼーっとしてるのに、難しい事も言ってきた。
とりあえず、寝るとしよう。
起きたら、白い日差しが差し込んでいた。
さすがに、度が過ぎるな。
しかも、二日続けてだし。
「おはよう」
挨拶するが返事なし。
みんな、すでに出かけたようだ。
もぞもぞとベッドから降りると、ローテーブルに書き置きがあった。
「先に行くので、キーのロックをよろしく」
と、達筆な字で書いてある。
間の抜けた、私の寝顔の写真と共に。
むっとしつつ、ご飯を探す。
昨日とは違い、時間的にはまだ余裕がある。
それよりも、他の子が何を慌てているのかと聞きたいくらい。
「パンか」
悪くはないが、パス。
今はご飯の気分だから。
「炊けてないのか」
今から炊く程の余裕は無い。
とりあえず冷凍庫を漁り、冷凍されたご飯を取り出す。
ちょっと多いけど、まあいいか。
待つ事しばし、程よく解凍されたご飯の出来上がり。
味の劣化もさほど無い。
「えー、おかずはと」
時間もないし、卵と漬け物だけでいいや。
卵を割って、醤油を垂らす。
汁物も欲しいな。
「インスタントか」
舌を鳴らし、だしを探す。
一杯分なら、すぐに出来る。
鰹でだしをとって、みそを溶かして、ネギを入れてと。
「いただきます」
十分に満ち足りた。
体も軽いし、眠気もない。
こんな坂、軽い軽い。
「……ん」
私を見るなり避けていく、何人かの生徒。
敵意や嫌うといった様子より、気まずそうに。
もう少し言うなら、危険から避けるようにして。
訳は分からないが、聞く訳にもいかず正門をくぐる。
廊下を歩いていく途中も、人が前を開けていく。
大物って、こういう感じかな。
体型は小物以下だけどさ。
「おはよう」
「あ、おはよう。今日はどうしたの。珍しいじゃない」
「ちょっとね」
朝から一般教棟に現れる木之本君。
普段は大抵連合の本部か自分のオフィスにいて、一般教棟に来るのは希。
本人は来たいんだろうけど、周りがそれを許さない。
頼られるのも、良し悪しだな。
「ふーん。昨日変なお酒飲んで、ひっくり返った」
「そう」
気のない返事。
調子でも悪いのかな。
「元気ないね。どうかした」
「え。雪野さん知らないの」
「何かあった?」
そう言われると、多少焦る。
でもって、ようやく気付く。
さっきまでのみんなの態度。
昨日の、沙紀ちゃんの話を。
「何かあったかなとは思ったけど。具体的には知らないから」
「そう。僕の口から言うのもどうかと思うし。まだ、決定もされてないから」
「良くない事」
「ん、まあね。でも、どうなのかな」
曖昧というか、はっきりしない態度。
これも埒があかないので、他を探す。
「雪野さん、授業は」
「自分こそ」
「放っておくと、ちょっと心配だから」
何が心配かは、あまり聞きたくないな。
とりあえず教棟前の玄関で立ち止まり、端末を起動させる。
メールと通信は複数あり。
性能のいいフィルターのせいで、おかしな物は皆無。
サトミの場合は、それでもくぐり抜けてくるけどね。
「えーと、どこ行けばいいの」
「教室だよ」
本当に真面目な子だな。
現在地は把握した。
問題は、どこへ行くべきか。
いや、どうやって行くべきかだ。
「いいじゃないよ。どうせ、後になっても分かるんだし」
「僕からは言いにくくて。遠野さんか、元野さんを探して」
「教室じゃないの」
「多分、いないと思うよ。僕も、すぐ戻るから」
よく分かんないな。
だったら、他の子はどこにいるんだ。
「ショウは」
「いないと思う。浦田君は知らないけどね」
それは何となく理解出来る。
でもって、どうでもいいや。
「どこ行こうかな。ここ」
「教室だよ」
こだわる子だな。
端末に地図を表示させ、適当に指で示していく。
少しして、ふと変わる表情。
分かりやすい子で助かった。
やはり私を避けていく生徒達。
気分がいいのか悪いのか、ちょっと微妙だ。
「えーと、どこだろう」
「さあ、興味ない」
あ、そう。
いいよ、自分で探すから。
「授業中なのに、みんな何やってるんだろうね」
「僕も聞きたい」
「なるほどね。えーと、ここか」
中へ入る訳にはいかないので、背を伸ばして窓の小さなガラスを覗き込む。
覗き込む、意志を示した。
むかつくな、これ。
仕方ないので小さく跳ね、教室の中をチェックする。
閑散とした教室内。
習字なのか、硯と紙が机の上に置いてある。
「いた、いた」
「恥ずかしいよ」
悪かったな。
とはいえもっともなので、壁際に下がって背をもたれる。
「少し待てば、出てくるよね」
「え、どうして」
「相手が相手だから」
予想通り、少しして開くドア。
出てきた人も、予想通り。
「何か用か」
素っ気なく問いかけてくる塩田さん。
それについては、私も知りたい。
「木之本、何か教えたのか」
「いえ。ご本人から聞くのがいいと思いまして」
「下らん気を回すな。別に、大した事でもない」
鼻の辺りを触れる指先。
言葉とは裏腹な、逡巡の表情。
それは内容にというより、私へ対してに見える。
「議長を解任された。それだけだ」
静かな、ごく自然な口調。
しかしその言葉の持つ意味は、限りなく大きい。
「ど、どういう」
「知るか。おかげで、せいせいしたぜ」
のんきに伸びをする塩田さん。
深刻さの欠片どころか、言葉通り気楽そのもの。
開放感に浸っているとしか思えない。
「木之本、後は任せた」
「任せたと言われても。僕は何も」
「お前らはこれから忙しいぞ。引き継ぎとか、交渉とか。あー、大変だ」
楽しくて仕方ないといった顔。
なんか、疲れてきたな。
「じゃあ、誰が議長になるんです」
「空位になるのか。連合自体を潰しに掛かるのか。その辺は、もう何日か待つ必要があるだろ。本当、大変だ」
もういいっていうの。
木之本君の言う通り、授業に出てればよかったな。
「沙紀ちゃん達に招集が掛かったらしいですけど」
「今言ったように、連合を潰すなり吸収する相談だろ。しかし向こうにも心情的に俺たちのシンパはいるからな。誓約書でも書かせたんじゃないのか」
なるほど。
なかなか、面白くない話だな。
「暇なら、お前らも習字やるか」
「嫌だ。そういうのは、ケイにでもやらせて下さい」
「つまんない奴だな。俺なんか、今水墨画も描いてるぞ」
あ、そうかい。
宮本武蔵じゃないんだからさ。
「もういいです」
「何だ、帰るのか。俺の私物がまた残ってるから、それも回収してきてくれ」
かなり物々しい雰囲気の連合内。
比率としては、連合と生徒会関係者が半々か。
「どちら様でしょうか」
銃を背負った、執行委員会の警備が行く手をふさぐ。
深呼吸をして、一旦気持ちを落ち着ける。
「ガーディアン連合議長補佐。木之本です」
私に任せては危険と判断したのか、IDを差し出す木之本君。
警備はそれを端末でチェックし、道を空けた。
「失礼しました。木之本さんには便宜を図るよう、承ってます」
礼儀正しい男性。
そういう素振りとも取れるが、いちいち構う状況でもない。
「どうする?」
「そうね。えーと、モトちゃん。元野補佐は」
「議長室で整理をしています。ご案内しますので、こちらへどうぞ」
部外者に案内されるのもどうかと思うが、迷子になる心配はない。
ただ、状況としては芳しくない。
古い機材が運び出され、新しい機材が運び込まれている状態。
救いなのは、それに抵抗するガーディアンがいない事か。
心情としては何かしたくなるが、ここで揉めても仕方ない。
第一ここまでされては、もうどうしようもない。
「じゃあ、ここはどの組織が使うの」
「予定ですが、執行委員会の警備組織。つまり、我々が使用します」
「生徒会ガーディアンズじゃなくて?」
「組織として、別ですので。我々は学内の治安維持ではなく、委員会の警備を優先するよう指示を受けています」
冷静な受け答え。
感情的に高ぶった部分も、おごった感じも見られない。
思いつくのは、ただ一つ。
「あなた、傭兵?」
「ええ、まあ。この学校にいるワイルドギースと比べれば、相当に落ちますが」
謙遜する男性。
ただ物腰や雰囲気は、決してそうとは思えない。
無造作に背中を見せてはいるが、隙は殆ど見られない。
わざと作っている隙を除いては。
「こちらです」
ドアの前に立っていた、やはり武器を構えた人達に敬礼する男性。
指揮系統もしっかりしているらしく、無駄口はなく機敏に動く。
「私達はここで控えていますので、用件がありましたら遠慮無くお申し付け下さい」
「ありがとう。とりあえず、お茶買ってきて」
「お茶?」
「そう。それ飲んでて」
段ボールの山と紙袋。
「はは。追い出された」
書類を詰め込んでいるモトちゃんを指さし、少し笑う。
使えると思ったら、もうお払い箱だって。
人ごとだと、どこまでも笑えるな。
「あのね、ユウにとっても笑い事じゃないのよ。これは残っていた、塩田さんの私物。全部運んで」
「私にそういう事を求めないで。外の警備の人は?」
「あの人達は、私達のお手伝いさんじゃないの」
「困ったね」
困った時は、頼りになる人を呼べばいい。
「またか」
それだけ言って、黙々と運ぶショウ。
本当に人がいいというか、損をするというか。
だったら、誰がやらさてるのかって話だけど。
「とりあえず、全部運んだ?」
「ええ。ご苦労様。掃除は、私達がやる事でも無いし」
リュックを背負い、ドアを出て行くモトちゃん。
名残惜しさも、悔しさも感じさせない背中。
彼女がそうなら、私が何か言う必要もない。
というか、塩田さんは何してるんだ。




