27-1
27-1
玲阿家本邸の庭先。
空はすでに秋模様。
半袖では、じっとしていると寒いくらい。
逆に、動けばそれなりには暖かい。
「ふぅ」
額に浮かんだ汗を、タオルで拭いてる人もいるが。
それをぼんやり眺めつつ、羽未の背中にブラシを掛ける。
秋は毛の生え替わる時期。
やってもやっても、毛が舞っていく。
「コーシュカも、こっち」
屋根の上にいたコーシュカは振り返る様子もなく、耳だけをこちらへ向けて去っていった。
あの猫は、本当に好き勝手に生きてるな。
「あーあ」
「あーあじゃない。代わってくれ」
疲れたような息をして、こちらに手を振ってくるショウ。
今度は私が顔を逸らす。
耳だけ向ける、なんて事は出来ないけどね。
「非力な子ね」
「なんとでも言ってくれ」
腰を押さえ、羽未の隣りにしゃがみ込むショウ。
仕方ないので彼と場所を変わり、土の上に出たつるのような葉を引っ張る。
かなりの手応え。
マグロでも釣れたかな。
「地球を引っ張ってる?」
「大袈裟だな」
「だって、これは。うわっ」
今は腰を落として、力強く引っ張っている所。
でもって、その引っ張ってる物が抜けたとする。
当然後ろへひっくり返る。
ただ、そこはそれ。
しりもちをつく前に足を素早く引きつけ、後方宙返りで事なきを得る。
やりすぎという意見も多々あるが、気にしてたらこの年まで生きてない。
地面に転がる、たくさんのジャガイモ。
以前ヒカルが持ってきた種芋から育てた物で、予想以上の収穫となっていた。
で、もう疲れた。
「代わって」
「言うと思った」
ペットボトルを放り出し、次々に引き抜いていくショウ。
こういう物を掘り返す農作機械もあるようだが、彼がいれば必要ないな。
「でも、こんなに作ってどうするの」
「植えた人間に聞いてくれ」
なるほど、いい事を言う。
じゃあ、ちょっと聞いてみよう。
「どうだった」
「分かんないって言ってた」
「自分の事だろ」
少し怖い声。
運搬用の一輪車に積まれた、ジャガイモの山。
いいじゃない、私が埋めたお陰でこれだけ採れたんだし。
使い道は知らないけどさ。
「もう嫌だ。止めた」
職場放棄するショウ。
私のように疲れた訳ではないが、さすがに腰が痛くなってきたのかも知れない。
でも、このまま放っておくと来年にはもっとイモが採れる事になる。
その事は、取りあえず黙っておこう。
「他にも育ててたでしょ」
「大体収穫してある。俺は、もう関係ない」
妙に疲れた、やるせない顔。
どうやら、彼が殆ど収穫したようだ。
何かと苦労するね、この人も。
誰のせいかは、ともかくとして。
「よう。楽しそうだな」
不意に掛けられる声。
いきなり背後に現れる塩田さん。
無論、彼自身はこの家にいた。
しかし、ついさっきまで周りにはいなかったはず。
それでも気配に気付いたのは、普段より早め。
たまにはそういう事もあるだろう。
「丁度良かった」
「イモなんて掘らないぞ」
「そんな事は、どうでもいいんです」
「俺は、どうでもいい事をやってたのか」
愚痴るショウを放っておいて、屋根の上に見えるコーシュカを指差す。
秋の青い空を背に、気高い表情で佇む彼女を。
「捕まえて下さい」
「ヤマネコだろ、あれ。下手したら、噛み殺されるんじゃないのか」
「平気平気」
「根拠を言え。大体、何のために捕まえるんだ」
みんなして、あれこれうるさいな。
捕まえるから捕まえる。
それだけでいいじゃない。
「シャ、シャンプー。シャンプーしたいから」
「ユウが洗えよ」
そう言い残し、うなだれて去っていくショウ。
塩田さんは嫌そうな顔で、私を見下ろしている。
「ほら、早く」
「あのな。ったく。大体、どうやって屋根に登るんだ」
手足を縛ると意味合いが違ってくるので、手で押さえて暴れるのを防ぐ。
後は首筋も押さえ、噛みつくのも防ぐ。
「動くな」
もがくコーシュカを抑えるショウ。
塩田さんは、やはり嫌そうに首を押さえている。
「洗っても仕方ないだろ。猫が、風呂に入るか?」
「そういう理屈は聞いてません」
「たまには、お前から理屈を聞きたいな」
シャワーを熱湯にして掛けようかとも思ったが、かろうじて思い留まる。
自分にも掛かるしね。
「この、この」
日頃の恨みとばかり、ごしごし洗う。
さすがに普段とは違い、不安げな声で鳴くコーシュカ。
泣いてる、のかも知れない。
しかし、ここで同情しては負け。
手を離した途端、バスルームは地獄絵図と化す。
「えーと。コンディショナーは」
「猫だろ」
同時に突っ込む二人。
しかしこっちも、黙ってはいられない。
「猫の前に、女の子です」
「偉いよ、お前は」
勝った。
何が勝ちで、何が負けかは知らないけど。
「精が出ますね」
腕を組み、バスルームの外でにやにやしているケイ。
手伝う素振りはまるでないし、それ以上は近付いても来ない。
コーシュカを警戒しているのか私を警戒しているのか、その辺は不明だが。
「浦田、代われ」
「申し訳ないですが、獣には関わらない事にしてるので」
「お前だって、同じだろ」
「なるほど。そうかも知れませんね」
あっさり認め、しかし近付いては来ない。
というか、去っていった。
完全に嫌がらせだな。
「くっ。次は、あいつを洗うか」
「洗いません。もう終わったから、バスタオル取って下さい」
一人でも手を離したらどうなるか。
初めに予想した通り、地獄絵図が待っている。
鳴くは、走るは、跳ぶは、ひっかくは。
本当、よく大怪我しなかった。
ただ洗った甲斐はあり、毛並みはさらさらして良い匂い。
彼女の背中も、いつも以上に輝いて見える。
「元気ね、あの猫は」
苦笑気味に指摘するサトミ。
芝の上で、ごろごろと転がっているコーシュカを。
端的に言えば、何のために洗ったのかという話でもある。
これも、ある程度予想は付いてたけどね。
「ジャガイモが山積みされてたけど、あれは何」
「ヒカルにあげて。元々は、あの子の物なんだから」
「ああ、前に植えた。もう少し、量を考えて育てれば良かったのに」
そういう話は、植える前にしてほしい。
というか、肥料の撒き方とか教えてきたのは誰だ。
「とにかく私は、もう一日分働いた。後は任せる」
「何も、やる事なんてないでしょ」
「まあね」
ソファーに転がり、サトミの膝枕で少し休む。
柔らかくて、良い匂いで。程良く暖かくて。
極楽は、案外近くにあるようだ。
観音様か、菩薩様だね。
「よだれ、垂らさないでよ」
と思ったら、鬼だった。
仕方ないので口元を拭き、足を振って立ち上がる。
多少目が疲れて来たので、サングラスも掛ける。
無くてもいいんだけど、無理をする理由はないし精神的にも落ち着くから。
「まだ治らないの?」
「治ってるよ。ただ、少し疲れるだけ」
気を遣わせるのは気が引けるけど、まずは自分の体を優先したい。
無理をして余計悪くしたら、同じ事なんだし。
「保険は?」
「たくさんもらった。使い道がないくらいに」
「欲のない子ね。代理人を雇えば、その倍はもらえるわよ。災害事故専門の弁護士を紹介しましょうか」
誰なんだ、それは。
その内、私ですとでも言いかねないな。
「もういいの。大体、今でももらい過ぎなんだし」
「私も、一度くらいそういう悩みを抱えたいわ」
「仲良くひなたぼっこ?」
笑いながらやってきた瞬さんは、庭でショウとグラススケートをしている塩田さんへ目をやった。
「しかし、忍者君は落ち着いてるな」
「そうですか?」
「それとも、君達が落ち着いてない?」
「私は、至って冷静です」
むきになって答えるサトミ。
それが、落ち着きのない証拠じゃないの。
「しかし、あの人の親父さんはどこいいるんだか」
「前も、そんな事言ってましたね」
「軍の公式発表では、確かに戦死。でも本当は生きてる。元軍人としては、その辺りを信じたくてね」
苦笑する瞬さん。
塩田さんのお父さんは、北米政府への工作活動をしていた情報将校。
最後にはホワイトハウスへ潜入し、大統領とも会ったとかいう話。
その後の消息は不明で、射殺されたというのが公式の見解。
ただ変装して未だにホワイトハウスにいるとか、ホワイトハウスの屋根裏に潜んでいるとの説もあるらしい。
のんきに、北米をバイクで旅行中なんて話も。
「じゃあ、ここにいる可能性も?」
「無いとは言い切れん。何せ、向こうは手練れの忍者。人を欺くのが仕事だから」
蔵の中を漁る瞬さん。
おおよそ疑わしいし、ネズミがいるらしいので入りたくはない。
大体、玲阿家にいる理由がないと思う。
「月映さんは、知らないんですか?」
「確かに、お互い情報将校ではある。ただ兄貴は反戦ムードを高めるため、目立つよう行動した要員。その点塩田少佐達は、存在すら極秘の部隊。面識はあるとしても、つながりはないよ」
古ぼけた日本刀を取り出し、鞘を抜く瞬さん。
やりたい事は分からないし、近付きたくもない。
「俺もこれから、素手を止めて武器を使うかな」
「鶴木流みたいに?」
「結構、こっちも得意なんだよ」
消える切っ先。
気付けば刃は鞘にしまわれ、腰へと収まっている。
これが実戦だったら、私は切られた事すら意識しないだろう。
「いや。遊んでる場合じゃない」
「捜し物ですか?」
「RASの大会で優勝した時の資料を持ってこいって言われてさ」
「ああ。今度、風成さんが出場する」
RASの世界大会に出場するのは、瞬さんの方が先。
何でもその際無茶をし過ぎて、玲阿家の出場は10年間禁止になったという。
「あった、あった。えーこれだ」
棚の奥から出てくる、ホコリの被った冊子や本。
雑誌類もあり、表紙は青年と呼べるような瞬さんの写真が載っている。
今のショウよりも精悍で、殺気立ってる感じ。
トロフィーを持ってる所から見て、試合後だろうか。
「こういうのは、誰でも持ってるんじゃ」
「色々あって、出版されなかったんだ。映像も、この家とRASに少しあるだけだし」
一体、どんな試合をしたんだか。
背後に気配。
しかし振り向くと、誰もいない。
「っと」
足で柄を抑え、抜くのを妨げる塩田さん。
瞬さんは即座に後ろへ下がり、鞘を捨てて体を反転させた。
横に振られる刃。
消える塩田さんの姿。
気付けば彼は、見上げる程の位置にある梁の上に立っていた。
「何するんですか」
「それは、こっちの台詞だ。後ろにいたはずだろ」
「気のせいでしょ。……息子に似てますね」
さっきの雑誌を見て笑う塩田さん。
確かに似ているが、それは外見だけだ。
「外見は」
同じ感想も出てきた。
瞬さんは鼻で笑い、刀を鞘に収めて背中に背負った。
「あいつは、母親似なんだ。いいんだよ、俺には似なくても」
「本当に」
しみじみ呟き、雑誌をめくる。
今度は表彰後か、綺麗な女性と並んでいる瞬さん。
間違いなくショウのお母さんで、若干厳しい顔立ちをしている。
「怒ってますよ」
「俺が出場するのが気にくわなくてさ。この後、怒られた怒られた」
「流衣さんも怒ってますよ。風成さんは、大丈夫なんですか」
「駄目だろうな」
今度は瞬さんがしみじみ呟き、本を抱えて出ていった。
だったら、何で出場するんだろう。
本当、ショウがそういうタイプじゃなくて良かった。
「玲阿は出ないのか」
ぽつりと呟く塩田さん。
古ぼけた、年代物のタンスを眺めながら。
「出ませんし、そういう人じゃないので」
「なるほどね。しかしここは、訳の分からん物がたくさんあるな」
「塩田さんの実家も、色々あるんじゃないんですか」
「だから、忍者じゃない」
何年経っても、この人は否定するな。
しかしこっちは確かめようがないし、確かめた途端どうなるかという話だ。
私も、もう何十年かは生きていたいし。
「大体俺の家に、この手の物は無い」
「下忍だから?」
「あのな。忍者っていうのは、そうと悟られない存在なんだ。俺なんて、ばればれだろ」
なるほど。
そう言われれば、そうだな。
しかし、そういうカムフラージュに思えなくもない。
裏の裏が、表で裏でか。
訳が分かんないし、そこまで考える必要があるのかも疑問だ。
「っと」
外へ出た途端真上から振ってくる、茶褐色の物体。
気配なんて全くなかったし、この子こそ忍者だな。
「おい、睨んでるぞ」
「塩田さんが捕まえたから」
「お前が命令したんだろ」
「知りません。ね、コーシュカ」
短く鳴いて、私の肩から滑り降りるコーシュカ。
でもってそのまま、振り返りもせずどこかへと消えた。
「忍描、なんていません?」
「今見たように、猫は人の言う事を聞きにくい」
「じゃあ、忍犬を呼ぼう。羽未ー」
手を叩き、もう一度名前を呼ぶ。
すぐに見える、細く精悍な体。
外見にあった、綺麗な鳴き声。
ただ、何かを追っているようにも見える。
「ば、馬鹿」
そう言い残し、地面に倒れるケイ。
その上を踏み越え、私の足元へやってくる羽未。
やってる事は不明だが、別に問題はない。
「いい子、いい子」
「ど、どこが。そいつ、俺を食い殺そうと」
「大袈裟ね。食あたりするから、食べちゃ駄目よ」
「バウ」
素直に答える羽未。
やっぱり犬は可愛いな。
なんて思ってると、また降ってくるから要注意だけど。
「お前は、動物と相性が悪いな」
「しょ、所詮犬。人間とは、相容れません」
「人間とも、相容れないだろ」
「そういう事もあります」
どういう事があるんだか。
喉が渇いたので、縁側を上がり飲み物を探る。
リビングは無し。
という訳でキッチンへ向かうと、流衣さんがエプロン姿で出迎えてくれた。
「ジュースならあるわよ」
「頂きます」
ピッチャーから注がれるオレンジジュース。
ただ若干酸味が強く、香りも付いている。
「レモンか何か入れました?」
「ええ。すごい味覚ね」
犬並みねと言われてる気もするが、気にせず飲み干す。
この程良い酸味が、疲れた体に丁度いい。
「お父さんが、資料探してましたよ」
「試合のでしょ。私は必要ないんだけど、大会の歴史として少し展示するらしいの」
「いいんですか?」
「ごく一部にね。関係者のみ」
薄く微笑む流衣さん。
どこか、さっきの雑誌の表紙にも似た精悍な顔で。
「関係者、ですか」
「ええ。一般ではなくて、軍や格闘技の関係者。誰が強くて、誰が勝ってもいいと思うんだけど」
それは同感だ。
ただ、全くどうでもいい訳ではない。
少なくとも、その道の入り口を歩いている自分としては。
「でも、出るんですよね」
「馬鹿なのよ」
「はぁ」
「いっそ、怪我でもさせてやろうかしら」
包丁片手に、物騒な事を言い出した。
本気ではないだろうが、顔はかなり真剣に見える。
綺麗な顔立ちだからかな。
私だったら、いつでも笑ってると思われる。
のんびりしてたら、不思議な人がやってきた。
いや。顔自体は地味でどこにでもいそうな感じ。
ただ、同じ顔ををついさっき見た。
「どうしたの」
「ジャガイモ取りに来いって」
大きなリュックをテーブルに置くヒカル。
なるほど。
人に育てさせて、回収に来た訳か。
「どんどん持っていって。他にも色々あるから、全部お願い」
キッチンの隅にある段ボールを指差す流衣さん。
それも4箱。
知らない間に、恐ろしい事になってたようだ。
「いえ。僕は一つか二つで」
だったら、どうしてそんなリュックを背負ってきたんだ。
なんて思っていたら、流衣さんが嫌そうな顔で窓の外を指差した。
「それなら、駐車場に行ってみて。持って帰るなら、あれをお願い」
「何があるんです?」
「ひどい物よ。というか、私が聞きたいわ」
訳の分からないまま、駐車場へと回る。
居並ぶ車とバイク。
人の動きをトレースする監視カメラを睨み、足を止める。
「これ、何」
「カボチャだね」
冷静に答えるヒカル。
確かに、そういう形はしてる。
そういうサイズには見えないが。
もしかして、私よりも大きいんじゃないの。
「アトランチック・ジャイアントだよ。食べるよりも、ハロウィンとかの飾り付けに使う」
「ああ。あのお化けの」
「そうそう。文化祭もあるし、これでもいいかな」
本当にいいの?
いいか。本人が納得してるなら。
「動かせる?」
「無理だね。ショウは?」
「じゃ、呼ぼう。ショウー」
もう一度名前を呼んで、手を叩く。
さっきの羽未と同じ扱いな気もするが。
「どうした」
近くにいたらしく、すぐに現れるショウ。
でもってカボチャを見て、一歩下がった。
「知らん。それは、俺のじゃない」
「何も、そんな事言ってないでしょ。ヒカルが持って帰るから、車用意して」
「助かった。そいつ、お化けだぞ」
お化けカボチャ、でしょ。
それとも、何かあったのかな。
確かにハロウィンのあれは、意外と怖い顔だけどさ。
何というのか、疲れて眠い。
「起きなさい」
耳を引っ張られた。
それでも机にしがみつき、意地でも寝る。
「起きなさい」
バインダーみたいな何かで、頭をはたかれた。
さすがに顔を睨み上げると、もっと怖い顔で睨み返された。
「顔を洗ってきなさい」
無慈悲にドアを指差す、キータイプの教師。
どうも、この人とは相性が悪いな。
だったら寝るなという話だけどね。
ばしゃばしゃと顔を洗い、眠気を覚まして教室へと戻る。
「早く練習して」
「はいはい」
「返事は一回でいいんです」
細かい人だな。
仕方ないので短い指を動かし、卓上端末に表示される文字をトレースする。
しかし難しいな、これ。
大体単調で、退屈で。
「起きなさいと言ってるの」
「分かってる」
「え?」
陰気な声。
真上から人を見下ろす教師。
うるさいので適当にむにゃむにゃ言って、指を動かす。
何がストレスって、これが一番のストレスだな。
正式な配置に、指が届かないんだって。
「指は、ここでしょ」
わざわざ、人の指をホームポジションへ持って行く教師。
それは置けるが、一本動かすと他がずれる。
「何、その指」
「うるさいな。じゃあ、自分でやって下さい」
「私は、長いもの」
嫌な事を言ってくる人だな。
でもって代わりに人の上から手をかぶせ、キーを押し始める。
滑らか、かつ正確。
淀む事はまるでなく、見ているだけでも楽しいくらい。
「とりあえず、今日から指のストレッチでもやりなさい」
「あ?」
「はい。今日はここまで。出来なかった人は、各自練習して結果を提出して下さい」
それは大変だ。
のんきに欠伸をしていたら、間近で視線が合った。
思った通り、私に対して言っていたらしい。
「分かりましたか」
「分かりました」
「では結構です。それでは、また」
颯爽と去っていく教師。
このまま、どこまでも遠ざかって欲しい。
「何寝てるの」
「昨日、夜色々とね」
結局ヒカル達と一緒に、夜通しカボチャを掘っていた。
掘り出していたのではなく、カボチャの中を掘っていた。
大体、今日文化祭って。
「とにかく、眠い」
「そのカボチャはどうしたの」
「知らない。歩いて大学へ行ったんじゃないの」
そこまで興味はないし、もう関わりたくもない。
入ったら、出られなくなったのよ。
「ご飯。ご飯食べよう」
こういう時に限って、メニューにカボチャが付いてくる。
明らかに嫌がらせだな。
でもいいか。美味しいから。
「どこまでもカボチャね」
「しかし、これはちょっと」
デザートのカボチャプリンは、カボチャをくりぬいてその中に入っている。
表面には顔も彫り込まれていて、昨日というか今朝方までの馬鹿げた事を思い出す。
「パス」
さすがに食べる気にはなれず、サトミのトレイへ移して彼女のミルフィーユを奪い取る。
食べにくいけど、十分それだけの価値がある味。
程良いクリームの甘さと、生地の食感がたまらない。
「あなた、後でひどいわよ」
「じゃあ、後で考える。残りのジャガイモはどうしたのかな」
「さあ。芽が生えて、毒でも発生してるんじゃないの」
言葉通り、妙に毒々しいな。
しかも、毒って。
「死ぬくらい?」
「まさか。ソラニンなら、吐き気や下痢くらいよ。それも、たくさん食べた時だけ」
「ショウは大丈夫かな」
「毒なんて受け付けないんじゃなくて。いや、それは塩田さんかしら」
確かにあの人は忍者だからな。
毒への耐性もあるだろう。
「一度、試してみれば」
「ジャガイモの芽で?」
「青酸カリとか、ヒ素とか」
何を真顔で言ってるんだか。
手に入らないし、第一理由がないっていうの。
「よう。カボチャ女」
この男には、間違いなく盛ってもいいな。
やはり眠そうな顔で、トレイを置くケイ。
昨日はヒカルが他の用事で呼ばれたため、同じ顔を呼んでみた。
不器用だけど、ゴミくらいは捨てられるし。
「あのカボチャは、どうしたの?」
「ユウが寝た後、ヒカルが来て回収した。だけど、日本でハロウィンでもないだろ」
「被るのかもよ」
ぽつりと呟くサトミ。
まさかと言いかけ、口をつぐむ。
何せ、顔を象った物。
被ればそれなりのインパクトはある。
大きいし重いのでそう簡単にはいかないだろうけど、あの子ならやりかねないな。
「残った野菜は」
「さばく事にした」
「切るの?」
「売り捌くんだよ」
どうやってと聞く前に、トレイを抱えてカウンターへ向かう。
でもってそれを返却し、ケイの脇を突く。
「な、何をっ」
「どこ、どこで」
「ラ、ラウンジ」
「馬鹿っ」
廊下を一気に駆け抜けて、ラウンジへやってくる。
しかし売ってるのは、古着とクッキー。
野菜は売ってない。
「野菜、野菜は」
「え?」
「売ってる所知らない?」
「そ、それなら、J棟で」
怯える女の子に礼を言って、来た道を戻る。
息は上がってきたけど、まだまだこれからだ。
エレベーターが使用中だったので、階段を駆け上ってラウンジへ飛び込んでいく。
やはり野菜の姿は無し。
ケイに騙されたんじゃないだろうな。
「や、野菜は」
「え?」
「野菜を売ってる所。八百屋じゃないよ」
さすがに自分でも馬鹿らしいが、そう注釈を付けて聞き直す。
やはり怯え気味の女の子は、引きつった顔で天井を指差した。
「上、上の階で売ってるの」
「は、はい」
「……何階?」
これを聞かないと、また往復する羽目になる。
知らないというので、すぐに飛び出す。
本当、何をやってるんだか。
最上階で、ようやく見つけた。
まだ売り出す前で、段ボールからジャガイモを取り出している所。
高校で野菜を売るという光景に、物珍しいのか人が集まり出している。
それとも、売っている人目当てにか。
「か、買う。全部買う」
それだけ言って、床に崩れる。
四つんばいになって息をして、ぼたぼた落ちる汗を眺める。
季節は秋だったと思ったけど、どうやら気のせいらしい。
「何してるんだ」
その言葉通りの自分。
というか、それは私が一番知りたい。
とにかく壁伝いに立ち上がり、山と積まれた段ボールに目を眩ませる。
もし可能なら、前言撤回と叫びたい。
「売らないんですか」
みんなに押し出されるようにして、震えながら尋ねてくる女の子。
その後ろに、大勢の女の子を背負っての。
「い、いくら」
「え」
「予算はどれだけ?」
「え、えと。ジャガイモって一つ幾らですか?」
お嬢様か、この人は。
仕方ないので端末で、今日の相場をチェックする。
今週は出荷が多いらしく、やや安め。
それを告げて、辺りを見渡す。
「袋は」
「何だ、袋って」
不思議そうに聞き返してくるショウ。
この人は、裸で売る気だったのか。
「袋がないと、持って帰れないでしょう。購買で、小さいのを買ってきて」
「誰が……。いや、俺だな」
分かればいいんだ、分かれば。
えーと。
ジャガイモに玉ねぎ大根。
高原でもないのに、よくキャベツなんて育てたな。
「一人一つずつ。3種類まで。はい、これに希望書いて。行き渡らない場合は、数を減らすからね」
メモ用紙を配り、野菜の数を数える。
当たり前だが、やたらとイモが多いな。
これだけは、二つまで可にするか。
「買ってきた」
「じゃあ、この通り袋に詰めて」
集めたメモを彼に渡し、メモの名前と端末の名前を確認する。
でもって、お金を受け取っていく。
「はい、どうも」
「あ、あの。ひまわりの種は?」
「えーと。じゃあ、10粒ずつ」
これは手渡しして、やはりお金を受け取る。
小銭が足りなくなってきたな。
「両替してきて」
「……俺が行くんだろうな」
分かってるじゃない。
しかしそうすると、人手が足りなくなってくる。
もう二三人、呼ぶとするか。
気付けば完売。
これを人へ譲るのは惜しかったけど、みんなの笑顔が見られればそれでいい。
ひまわりの種も、少し残ったし。
「私はね、行商のおばさんじゃないのよ」
小うるさい子を放っておいて、金額を集計する。 一財産とは言わないが、一日の稼ぎとしては破格だろう。
「一割くれ」
伸びてきた手に、ひまわりの種を置く。
昨日から頑張ってるし、特別に二割上げよう。
「この。大体、金取っていいのか」
「寄付すればいいじゃない」
「人がいいのね、あなた。それで、私の労働の対価は」
うるさい子には、売り物にならなかった小さなジャガイモを上げる。
これで本当に完売だ。
「それと、手数料払ってくれ」
「あ、何それ」
「ラウンジで物を売る時は売り上げの10%」
10%も?
払えと言えば払うけどさ。
「馬鹿。5%よ」
怖い顔でケイを睨むサトミ。
なる程。自分の取り分も請求した訳か。
ショウ一人じゃなくて良かったな。
「私が払っておくわ」
「いい。暇だし、行ってくる」
「いいのよ。私が行くから」
妙にしつこいな。
これはこれで、怪しいぞ。
疲れた体にムチを打ち、内局までやってくる。
私にとっては高い位置にあるカウンターへ手を付き、その向こう側で話し込んでいる人達へ視線を走らせる。
生徒会自体に知り合いなんていないし、内局と限定すればもっといない。
「どうかしましたか」
優しく声を掛けてくる、綺麗な感じの子。
私は知らないが、向こうはこっちを知ってるようだ。
「えーと。ラウンジで物を売ったので、売上金を持ってきました」
「ご苦労様と言いたいけど、手数料が必要なのは業者だけよ。生徒は、事前に申請すればいいの」
「え」
「どうしても納金したいなら、止めないけど」
くすくす笑う女の子。
さすがにそこまで人は良くないし、使い道はまたゆっくりと考えたい。
しかし、サトミも結局騙してた訳か。
というかあの二人、始めから組んでたな。
「じゃあ、事後申請で」
「はい。扱った品物は?」
「野菜です」
「……随分、現実的な物を売ったのね」
遠回しに馬鹿にされている気もするが、自分の事なので仕方ない。
大体、学校で売ろうと考えた人間が悪いんだ。
「申請は、私の方でしておくわ。何か、トラブルは?」
「特に。売上金を巻き上げようとした人間がいたくらいで」
「それはそれで、すごい話ね」
「野菜?優ちゃん、何やってるの」
真後ろから人を見下ろす沙紀ちゃん。
何せ身長差が身長差なので、冗談抜きに顔を覗き込まれる。
「色々とね。あくどい男がいてさ」
「売上金を巻き上げようとしたっていう?」
「そう。悪い男なのよ」
「そうかしら」
小声で呟く沙紀ちゃん。
そうだよ。
「沙紀ちゃんの知り合い?」
「ええ。内局の久居さん。前、会わなかった?」
「物覚え悪いの。じゃあ、北地区とか」
「ええ。バスケ部の木村君いるでしょ。丹下さんと私は、そのファンクラブの会員なのよ」
どこかで聞いたような話だな。
ああ、木村君ってあの恰好いい顔した。
でも、ショウには負けるね。
「勿論、玲阿君には負けるわよ」
笑いながら言ってくる沙紀ちゃん。
分かってればいいんだ、分かってれば。
「玲阿君って、あの玲阿君?」
「そう。というか、玲阿なんて名前他にいないでしょ」
「へぇ。ふーん。はぁ」
何か、妙に感心された。
それがショウに対してなのか、私に対してなのかは知らないが。
「とにかく、申請はしたから。もう、帰っていい?」
「どうぞ。玲阿君にもよろしく」
「よろしくって言われても」
いや。育てのはあの子だし、それくらいは言うべきか。
二人は二人で盛り上げっててるし、帰るとしよう。
やる事も、色々出来たし。
取りあえず二人を正座させ、頭を丸めた書類で叩く。
「ちょっと、なってないんじゃないの」
ケイは慣れた物で、へらへら笑いながら土下座した。
内心何を思ってるかはともかく、低姿勢ではある。
ただ、問題はこっちだな。
「何よ、それは」
真下から人を睨んでくるサトミ。
どこかで見た顔だと思ったら、コーシュカが丁度こんな感じ。
猫娘だし、間違いない。
「文句あるの。5%も取ろうとして」
「あなたが無駄遣いしないように、預かろうとしただけよ」
これも、どこかで聞いた台詞。
ああ。
お年玉をもらった時、お母さんがこんな事言ってたっけ。
となると、その時のお年玉はどうなってるんだ。
「こんな事してる場合じゃない」
「助かった」
足を崩したケイのつま先をつつき、速攻でオフィスを飛び出す。
でもってすぐに戻ってきて、ショウを指差す。
「バイク、バイク出して」
「今日は、学校にあったかな」
「無かったら、寮から持って来て」
「無茶苦茶ね、あなた」
人の手が届かない所で、気楽そうにゴーフルをかじるサトミ。
この子のお仕置きは、戻ってるまで延期だな。
「おい」
「急いでるの」
バイクが停まるよりも早く飛び降りて、転ぶよりも前に走り出す。
普通ではあり得ない速度。
ショウが運転するバイクを追い抜くくらいの。
「よし」
閉まっている玄関前の扉を飛び越え、短い階段を駆け上がる。
ドアのキーを開け、靴を脱ぎながら中へ入る。
「うわー」
玄関を上がり、キッチン目掛けて駆け抜ける。
やはりいた。
子供から、お金を巻き上げた大悪党が。
「お金。お金」
「お小遣いなんて必要ないでしょ。あなた、学校から幾らもらってるの」
こちらを見もせず、キャベツを刻むお母さん。
包丁を持ってるので、要注意だな。
「そうじゃなくて、お年玉」
「まだ、お正月には早いでしょ」
何となく崩れる、包丁のリズム。
使い込んでる可能性大か。
「昔預けた分の事。まずは、残金を確認させて」
「優が大きくなった時のために取ってあるの。無駄遣いしないように」
「大きくって、いつ」
「だから、大きくなったらよ。今、大きい?」
随分、根本的な事を聞いてきた。
そう聞かれると、答えようがない。
「また今度ね」
「今度って、いつ」
「結婚したら、考える」
何を言ってるんだか。
結局、返す気ないんじゃないの。
「それで、ご飯は」
「ご飯の話はしてないよ」
「だったら、食べないの?」
しゃぶしゃぶか。
美味しいな、これ。
「アスパラは」
「食べる」
アスパラは長めに茹でて、洋辛子マヨネーズで食べる。
これはこれで、美味しいな。
「ジャガイモは」
「食べる」
茹でたジャガイモを、丸ごと食べるショウ。
肉も食べて、魚も食べて。
でもって、野菜も食べて。
バランスはいいけど、ボリュームはどうなんだ?
「すごい量だね。これは、全部四葉君が育てたの?」
「ええ、まあ。植えたのは、俺じゃないけど」
「誰だろうね」
すっとぼけて、お湯に浮かんでいた牛肉の欠片を食べる。
味は殆ど無いけど、あっさりしてて食べやすい。
むしろ、これで丁度いいくらい。
「それで、優は何しに帰ってきたの」
「お母さんが、お年玉使い込んでてさ」
「人聞きの悪い事言わないで」
「じゃあ、通帳見せてよ」
答えないお母さん。
いや。それ以前に通帳はあったのか。
「ねえ」
「知らない。四葉君、ジャガイモ食べる?」
「食べる」
もういいんだって。
収穫の秋。
楽しく過ぎていく食事。
家での収穫は0だったけど。




