26-4
第26話 あとがき
閑話休題といったところ。
北海道は一度だけ行った事があり、その記憶を頼りに描写。
風景やユウの感想は、私が感じたまま情景とほぼ同一。
秋に行ったせいか、かなり切ない事になってました。
ルート的な違いは、釧路には行かなかった事くらいですね。
で、名古屋港水族館編。
これは相当デフォルメしています。
ただ作中のイルカにはモデルがいて、その辺は感慨深い思いがありますね。
それはともかく、第27話からは再び通常の構成に。
対学校。第2次抗争編としての色合いが濃くなってきます。
そろそろラストまでの道のりもはっきりしてきましたし、もう一息でしょうか。
26-4
気持ちの良い秋晴れ。
北海道では吹雪いていたが、名古屋では爽やかな風が吹いてくる。
遠出する程休みの残りが無いため、手近な場所で済ませてみる。
名古屋の観光スポットといえば名古屋城に東山動物園。
名駅にある、ブランドショップや有名料理店のテナントが入っているクワードタワー。
何より外せないのが、名古屋港水族館。
右手の長い階段を上った先が水族館。
正面には船着き場があり、海上保安庁や名古屋港水上署の船が停泊中。
左手に目を移すと南極観測船しらせが見え、その先にはポートビルがそびえている。
整備された遊歩道を家族連れが行き交い、青空にはカモメが飛び交う。
穏やかな平日の一時。
その中に混じり、船着き場に寄せては返す波を眺める。
いや。和んでる場合でもないか。
少し駆け階段の手前へとやってくる。
そんな私を出迎えたのは、機敏に動く赤いペンギン。
コンピューター制御で動くロボットで、色はともかく外見はペンギンそのもの。
ただし動きはかなり特殊で、階段を素早く駆け上がったり下ったりとせわしない。
夜中には船着き場から海へ飛び込むという噂もあるが、この子ならやりかねないな。
「こんにちは」
私が手を振ると向こうも手というか、羽根を小さく降ってきた。
負けずにこっちも腕をばたつかせ、階段上でペンギンと激しくやり合う。
「おい、止めろ」
人の腕を引っ張るショウ。
それに構わず、彼の腕も一緒に振る。
「あー」
「キャーッ」
突然大きな声を出すペンギン。
それにはたまらず、慌ててショウの腕へとすがる。
「お、怒った」
「仲間と思われたんじゃないのか」
「ロボットでしょ、この子」
さすがに気味が悪いので、止まるよう手で制して階段を上る。
ハンドサインさえ知っていれば、簡単な仕草をリプレイさせる事も可能。
という訳で、追っては来ない。
怖い顔で、いつまでも私を見つめているような気はするが。
さっさと館内へ逃げ込み、右手に見える大きな水槽へ駆け寄っていく。
右端からシャチ、イルカ、イルカ。
左手の遮蔽物に遮られた奥の水槽にはベルーガ、白いイルカが住んでいる。
ただ、始めに見るとなればやはりシャチ。
尾張名古屋はシャチで持つと言うし、彼女達に会わない事には始まらない。
平日とはいえ客の入りは良く、水槽にはカメラを手にした家族連れが集まっている。
「お」
ゆったりと、私の頭上辺りを通り過ぎていく巨大なシャチ。
続いて、もう一頭。
それに見とれていたら、下の方からイルカがふわりと浮いてきた。
何となくこっちを見ているようなので、こっちも負けずに見つめ返す。
「キャッキャッ」
赤ちゃんのような甲高い声が、分厚い強化ガラス越しに聞こえてくる。
イルカ語は理解出来ないけれど、言いたい事があるようだ。
という訳で、エスカレーターを上がり3階へとやってくる。
ここは屋外で、イルカやシャチのパフォーマンスが行われるメインプールが存在する所。
でもってさっき見ていた水槽を、上から見られる場所でもある。
すぐさまシャチのプールへ走り、透明な防御フェンス越しにイルカの姿を探してみる。
広いプールにはシャチが3頭とイルカが3頭。
自然界ならあり得ない、捕食する側とされる側。
でも彼等は仲が良く、パフォーマンス中には一緒にジャンプをしたりする。
「いたいた」
イルカの見分けは付かないが、3頭の内2頭はトレーナーさんと遊んでいる最中。
シャチ達も、その周りにまとわりついている。
そんな中、一頭ふらふらしているイルカ。
少し寂しげだけど、でもどこか憎めない。
「おーい」
呼びかけてみるが返事なし。
イルカなので、当たり前か。
返事をされても困るしね。
「どうかしましたか?」
防水用のジャケットとパンツスタイルの若い女性が声を掛けてきた。
キャップの下から見える顔は優しげで、顔を出してこちらを見ているイルカへ手を振っている。
「いえ。あのイルカだけ、一人きりなので」
「Oですか。あの子はちょっと変わっているというか、他のイルカとはあまり親しくないんですよね。全然芸も覚えてくれないですし」
言葉の内容の割には楽しそうな女性。
その間もOは、顔だけ出して高い声で鳴いている。
「初めはエサも食べなかったんですけど、今はご覧の通りです」
「寂しくないんですか、一人で」
「さすがに話は聞けないので私からは何とも言えませんが。この子人間は大好きなので、それ程寂しい思いはしてないと思います」
水辺に手を付け、水を掛ける女性。
Oはそれを浴び、楽しそうに鳴き始めた。
いつも一人きりで、ちょっと偏屈だけど。
でも、イルカはイルカなりに楽しい毎日を過ごしているようだ。
「シャチとケンカしないんですか?」
「野生だと大変でしょうけどね。この子達はここで生まれたイルカやシャチで、昔から知り合いなせいか大丈夫みたいです」
「名古屋生まれなんですか」
「ええ。ご先祖は和歌山県で捕獲されて、それから代々ここに住み着いてます」
まさに尾張名古屋のシャチという訳か。
「この子達、何才ですか?」
「多少ばらつきがありますけど、大体10代ですね。まだ若いです」
「私と同じくらいか。ね」
「キャッ」
青空へ向かい、高い声で鳴くイルカ。
きっと偶然。
秋の空に吸い込まれる高い声も。
私を見つめるつぶらな瞳も。
そんな偶然が嬉しい、暖かな秋の一日。
水族館なので、イルカやシャチ以外の魚はいる。
イルカは魚じゃないけどね。
大きな水槽越しに見える、巨大なマグロ。
シャチ程の迫力では無いが、言うなれば現実的なサイズで色々考える事も出来る。
「上手そうだな」
見たままの、ストレートな意見を呈するショウ。
気持ちは分かるが、口にはしないで欲しい。
「もういいでしょ」
「マグロだぞ」
だからなによ。
待ってたら、大トロが回ってくるとでも言いたいの?
「いいから、ペンギン」
「あなた、子供」
人の頭を真上から撫でてくるサトミ。
まさかとは思うが、私をペンギンに見立ててるんじゃないだろうな。
「水族館といえばペンギンでしょ」
「さっき、イルカって言ってなかった?」
「言ったかもね。でも、ペンギンも見るよ」
ぐずぐずする二人を押して、標識通りに順路を進む。
すぐに通路が狭くなり、また一気に薄暗くなる。
慌てて二人の手を掴み、その間に入って緊張を和らげる。
どうでもいいけど、このスタイルだと二人の子供みたいだな。
タコ、イワシ、ウツボ、カレイ、ヒラメ、カニ。
比較的ポピュラーな、一目でそれと分かるような魚ばかり。
とはいえ泳いでいるのは日常的に見かける事はなく、これはこれで見ていて楽しい。
そこを抜けると、再び狭く暗い通路。
正直歩くのも困難な暗さで、自然と二人の手を強く握りしめる。
角を曲がった途端、壁際に立つ二匹の怪物と目が合った。
不気味な容姿と手に握られた小さい斧。
この場を通る者を狩ろうとしているのか、若干前のめりの姿勢でこちらの様子を窺っている。
「気持ち悪い」
よく見れば、この2体が古い潜水具を着た人形だというのに気付く。
しかし目の前も見えないくらいの暗闇と、角を曲がった先という展示位置。
明らかに、人を脅すために存在しているとしか思えない。
私一人なら、この前を通る事すらためらわれる。
「ふぅ」
中途半端なお化け屋敷のような場所を抜け、明るいスペースへとやってくる。
この先は熱帯魚のコーナーで、色鮮やかな魚が水の中を舞っている。
さっきの場所に比べれば、ここは極楽だな。
「なんか、睨まれてるんだけど」
頭上にある水槽。
というかどの水槽も、私からすれば頭上にあるが。
そこから私を見下ろす、巨大な魚。
サイズと顎のしゃくれ具合から見てクエだろうか。
「おぅ?」
負けずに睨み返すが、向こうはわずかにも目をそらさない。
次に会ったら、間違いなく鍋決定だ。
「ユウ、魚相手に何やってるの」
「向こうが始めに睨んできたのよ」
「元々、あの姿勢だったでしょ」
全く取り合おうとしないサトミ。
彼女の考え方から行けば、「魚が人を睨む訳がない。そういう感情は存在しない」といった所。
いかにもインテリにありがちな、論理的な思考。
だけど向こうは野生。
そういう理屈は通じないと分かって欲しい。
巨大な亀の水槽を通り抜け、ようやくペンギンのコーナーへとやってくる。
左右に長い水槽。
やや薄暗い中を埋め尽くすペンギンの群れ。
手前の方は水が浸かっていて、水中を泳ぐペンギンの姿がよく見られる。
陸地をよちよち歩く姿とは違う、俊敏この上ない動き。
本当、これが鳥とは子供の時は理解出来なかった。
今でも、半分くらいは疑ってる。
「おぅ」
ガラス越しに話しかけるが、当然ながら反応なし。
見てきたのはサトミとショウくらいだ。
「はは、氷食べてる。かき氷かな」
何言ってるのという顔のサトミ。
それに構わず、ガラスに張り付いてペンギンに見入る。
「お」
水の中に浮かんでいたペンギンがこちらを向き、鼻先を突きつけてきた。
私がシロクマなら、間違いなく餌食になっていただろう。
違うから、寄ってきたとも言えるけど。
「おうおう」
羽根を羽根をばたつかせるペンギン。
こちらも負けずに、手を動かす。
さっきこんな事があったようにも思うけど、気のせいかな。
一通り魚を見終え、イルカのプールへと戻ってくる。
なんというのか、こちらの方が和むというか気分が落ち着く。
屋外というせいもあるし、何より彼等が人なつこい。
プールの端にたたずんでいると、青いバケツを持ったトレーナーさんがやってきた。
するとそれまでのんきに泳いでいたイルカが、水しぶきを上げてその足元へと寄っていく。
生きてて何が楽しいって、食べるのに勝る事はないからね。
顔だけを出し、大人しく整列するイルカ。
視線がこっちへ向けられているのは、気のせいか。
ハンドサインと同時に、上半身を出して後ろ向きに進んでいくイルカ軍団。
初めは気付かないが、彼等は意外と大きくそれだけでも私の身長と同じくらい。
全身が出れば、多分ショウより大きいだろう。
「次は水が跳ねますから、少し気を付けて下さいね」
そう注意して、別なハンドサインを出すトレーナーさん。
するとイルカは顔を水面へくぐらせ、すぐに持ち上げた。
それと同時に水が跳ね、すいすいと前へ進んでいく。
当たり前だけど、溺れるって事は無いんだろうな。
「待て、待て」
声を出して制止するトレーナーさん。
実際その声に反応している訳ではなく、今のハンドサインや高音域のホイッスルでイルカを操っている。
とはいえそこは人間、自然と声も出ると思う。
「離しますね」
「はいー」
その呼びかけに応じる、他のイルカを操っているトレーナーさん。
目の前にいたいルカは顔をそらし、背を向けてどこかへ泳いでいった。
当たり前だが、話す訳はなかった。
日向で浮かんでいるイルカを眺めていたら、だるそうにケイがやってきた。
「あ、どこにいたの」
「座ってた。魚に興味はない」
ほ乳類だよ、ほ乳類。
まあ、動物を愛でるケイという絵も想像は出来ないけど。
「俺はトラが見たいんだ」
「ショウの家にいるじゃない」
「あれは猫だろ」
素っ気ない返事。
しかしあれはヤマネコで、猫という範疇は越えている。
「大体こいつはなんだ。丸い顔して」
そうケイが呟いた途端、水面から飛び上がるイルカ。
でもって激しく水しぶきが上がり、彼は頭から水を被った。
「辛い」
変な感想を漏らすケイ。
どうやらプールの水は、海水らしい。
「こんなのベーコンにして、食べてやれ」
険悪な目で彼がイルカを睨むと、向こうはもう一度潮を吹き興味もないとばかりに去っていった。
「そんな事、どうでもいいからさ。席取ろうよ。パフォーマンスが始まるんでしょ」
愚痴るケイを放っておいて、ステージ近くの席を確保する。
階段状に作られた広い観客席と、それと向き合う格好のやはり広いメインプール。
サイズとしてはサッカーコートくらいありそうで、水深は10m以上。
泳げない人にとっては、恐怖の対象でしかないな。
そう思っていると、何やら肩を叩かれる感触。
ショウ達は横に並んでいるので、知り合いはいない。
だけど肩は叩かれる。
嫌な予感を抱きつつ、やはり階段状になっている通路を振り向く。
「なによ」
階段の上段に立ち、私を見下ろしている巨大なペンギン。
こっちはロボットではなく、本物の皇帝ペンギン。
催眠術とトレーニングの成果らしいが、正直間近で見ると威圧されているような気になってくる。
「ぐわっ」
あまり可愛くない声で鳴き、私の肩を叩くペンギン。
この観客席にいるペンギンは相手を子供と認識した場合、芸をするようトレーニングをされている。
まさかとは思うが、私を子供と勘違いしてるんじゃないだろうな。
まあ、ペンギンの子供だと思われないだけましだけど。
「何よ、このお腹。腹筋でもやったら」
羽毛で覆われた丸みのあるお腹を撫でて、その感触を少し楽しむ。
この下は相当に厚い脂肪で、寒さを防ぐと同時に水中での浮力を保つ役割があるとか。
サトミにも、ちょっと分けてあげたらどうだ。
「喉乾いたな。ジュース買ってくるね」
「俺が行こうか」
「いいよ。すぐそこだから」
通路に出て、念のために杖を伸ばして階段を上がる。
その前をよちよちとペンギンが登っていく。
まさかとは思うが、付いてくるつもりじゃないだろうな。
なんとなくホットミルクを頼み、観客席の後ろにある通路で一休みする。
ここからは名古屋港の景色が眺められ、近くには巨大な倉庫。
南へ目を向ければ、大型のタンカーや海上高速道路が見えてくる。
もやときらめきで沖の方はかすんでいて、少し切ない眺めではある。
「オゥッ」
人の感慨をぶち壊す、間の抜けた声。
間違っても人間ではなく、艶のある体毛で覆われたオットセイ。
動物に好かれる性質とは思わないが、彼等が子供に反応するよう仕込まれている以上この辺りは宿命か。
どちらにしろオットセイは、私の足元に寄ってきて「オウオウ」いいながら手を叩きだした。
可愛いと言えば可愛いし、やかましいと言えばやかましい。
そんな光景を、皇帝ペンギンが醒めた目で見下ろしている。
別に営業成績やノルマがある訳ではないし、仲が良い悪いもないだろう。
しかし、妙な空気が漂っているのは確かである。
というか、どうして二頭も私のそばにいるんだろう。
「ほら。他にも子供はいるでしょ。向こう行って、向こう」
ハンドサインで去るように示し、二頭を目の前から遠ざける。
それには反射的に反応して、巨大な背中と艶やかな背中は二手に分かれて通路を上がり観客席へ去っていった。
「ふぅ」
ようやく一人きりとなり、再び名古屋港の景色を眺める。
大勢で来るのは楽しいし、今は一人での行動が制限されている以上誰かと一緒なのは必然的な状況。
それでもというか、だからというか。
少しの間だけでも、一人になりたい時がある。
何かをする訳でもなく、何も考えずに。
ただぼんやりと、自分だけの時を過ごしてみたい。
心に積もった重い記憶や感情が薄らぎ、気分が軽くなっていく。
それらは完全には消え去らないし、消えなくてもいいと思う。
でもこの瞬間だけは、かすんだ景色の彼方に佇んでいて欲しい。
迷子になるような構造ではないし、そこまで広い観客席でもない。
しかし万が一に備えて、ガイド機能も備わってはいる。
「オウオウ」
「グワッ」
派手な鳴き声と共に私を先導する二頭。
その大音響に、自然と誰もが振り返り指を差す。
恥ずかしいというかいたたまれないというか。
通常の迷子ならこの騒ぎで親が気付くんだろうけど、頼んでないよ。
「よう。猛獣使い」
人の事を鼻先で笑うケイ。
ペンギンやオットセイは猛獣ではないし、使ってもいない。
というか、どうしてこう付いてくるのかな。
「私は頼んでないんだけどね。向こうが勝手にやってるの」
私が席に座ると、二頭はその足元で丸くなってきた。
猫の子じゃないんだからさ。
もう意味が分からないし、少し放っておこう。
そうこうしている間に正面の巨大なモニターへ、観客席の映像が流れ出した。
これが始まるとパフォーマンスは間近で、自然と期待が高まっていく。
やがてカメラの映像が横へ流れ、見たような人が映った。
艶やかな長い黒髪と、深く被った茶のキャップ。
微かに見える口元からもその端正な容姿が窺える。
普通映像に映るのは、家族連れやカップルが主流。
明らかに、ディレクターかカメラマンの趣味だな。
カメラはその隣にいたショウを映し出し、二人のショットに観客席からはどよめきも起こる。
方やキャップを被った美少女。
方や精悍さの中に甘さを漂わせた美少年。
芸能人とでも勘違いしてるんじゃないだろうか。
というか、そのツーショットは止めてよね。
「わ」
若干苛ついている所へ、今度は私が映し出された。
正確には、足元に丸まっているペンギンとオットセイ込みで。
今度はどよめきはなく笑い声が上がり、何故か拍手まで巻き起こる。
笑い事じゃないんだけどな。
「オウオウッ」
「グワッ」
突然叫び声を上げ、バタバタと暴れ出す二頭。
これもカメラを向けられた時の反応。
映像を見ているだけなら楽しい事この上ないが、間近でやられては迷惑極まりない。
気付くと他のペンギンやオットセイ、アシカまでやってきて私の周りで騒ぎ出した。
こういう趣向があるのも知ってはいるが、映像に映っているのはペンギンやオットセイばかり。
その真ん中に、申し訳程度に私が映り込んでいる。
夢見心地というか、夢なら早く醒めて欲しい。
一足早いフィナーレを勝手に迎え、ようやくパフォーマンスが始まった。
本当、笑い事じゃないよ。
今はMCのお姉さんが、挨拶を兼ねて注意事項を伝達している所。
殆どは一般常識で、普通にしていれば気にしなくても良い事ばかり。
問題は、最前列だと水を浴びるという点くらいか。
ただ子供にとってはそれもイベントの一つで、最前列に目立つのは子供の姿か親子連れ。
私も昔はあの場所にいて、歓声を上げながら水が掛かるのを待っていた。
しかし今はさすがにそこまではしゃぐ気になれず、何より秋で水は冷たくなっている。
「それではパフォーマンスの始まりです」
お姉さんの合図と共に、右手の奥からイルカが飛び出してくる。
ここから見えるのは水面を滑る背びれだけ。
しかしそれは、観客席がどよめく程の早さ。
プールの端を回り込んできたイルカは、やがて正面の観客席前を通過する。
激しく上がる水しぶき。
透明になっている防護壁越しに見えるイルカの姿。
それに見とれるまもなく、中央のステージにイルカが3頭登ってくる。
秋の日差しにきらめく艶のある体。
ひとしきり拍手を浴びたイルカ達は後ろ向きに水の中へと戻り、姿が消えたと同時に今度は左手からイルカが3頭飛んできた。
一回、二回、三回。
大きなジャンプを繰り返し、対面側のステージへ戻っていくイルカ。
そこにいたトレーナーさんが、空を手で示す。
その先にあるのは、雨よけの屋根からぶら下がる赤いボール。
高さとしては3階建ての建物くらいで、私が飛んでどうこうなるものではない。
水面から勢いよく飛び出したイルカは体を翻し、その尾で勢いよくボールを叩く。
辺りへ舞い散る水しぶき。
秋の空へ吸い込まれるその姿。
逆光の中、そのシルエットが心へと焼き付いていく。
余韻に浸っている間にMCのお姉さんが戻り、イルカについての説明を始めた。
私はサングラスを外し、一旦目を休める。
神経を高ぶらせ過ぎるのも良くないだろうし、何より疲れた。
騒いではいないが、精神的にね。
「それでは、この後のアトラクションへの参加を希望される方は前へどうぞ」
アトラクションとはいくつかあるが、その内の一つはプールでイルカやシャチと一緒に泳ぐ事。
夏場は休み中と重なれば、ケンカも必至という大人気。
しかし冬場に泳ぎたい人などそうはいなく、そろそろこのアトラクションも終わりの時期だ。
「誰も行かないね」
イルカと握手、シャチにご飯といった物には子供や家族連れが列をなしている。
こちらは抽選が行われるくらいの人数で、ただ反対側のプールで一緒に泳ぐ方は誰一人として並んでいない。
「行ってくれば」
「魚に興味はない」
一言で終わらせるケイ。
とはいえさすがに無理矢理泳がせるのもむごいし、絵的にもなんか違う気がする。
「仕方ないな。ショウ、行ってきてよ」
「別に、仕方なくはない。第一寒い」
「記念記念。シャチと泳げるなんて、一生に一度あるかないかだよ」
「その台詞、前にも聞いた事あるぞ」
アウアウうるさいオットセイとイルカの混合ダンスをひとしきり楽しみ、カメラを構えて少し待つ。
やがて音楽がアップテンポ変わり、巨大なオーロラビジョン全体にシャチのイラストが現れた。
ポップなタッチのシャチが空を飛び、日本上空から降下。
そのまま地図は拡大されていき、やがて名古屋の全景が見えてくる。
シャチはさらに降下を続け、栄のTV塔や熱田神宮をかすめて名古屋港水族館のプールへと吸い込まれていった。
それと同時に、メインプール中央から飛び出す黒と白のシルエット。
イルカやアシカとは違う、圧倒的な大きさ。
遠目にもそのサイズは実感出来、すいすいとステージへ近付いてくるごとに観客のどよめきも大きくなる。
シャチは一鳴きすると、巨体を揺らせながら器用にステージ上へその体をよじ登らせた。
そこに黒と白の小山が出現したような、強烈な存在感。
私など、顎の下で雨宿り出来そうだ。
今度は水面が激しく波立ち、プールの端すれすれを2頭のシャチが全速力で泳いでいく。
波というか殆ど津波で、防護壁から観客席手前の側溝に激しく水が溢れ出る。
「わ」
野太い声と共に息を継ぐシャチ。
噴き出した潮が日差しにきらめき、七色の虹を作り出す。
風に乗った潮は観客席まで辿り着き、最前列だけではなく後ろの方の客席にまで潮の香りを漂わせる。
「うわ」
まず一頭が、水面を這うようにしてジャンプ。
オーロラビジョンには水面を疾走する3頭の姿が映し出される。
深く深く潜り、突き出た鼻先がふっと水面へ向けられる。
彼等は即座に浮上を開始し、水しぶきと共に水面を割って出た。
降り注ぐ秋の日差し。
濡れた漆黒の体はきらめきに包まれ、彼等はどこまでも青い空を目指していく。
目の前はもうその姿しか見えず、意識はその事しか考えられない。
高く、高く飛翔するシャチ。
豪快で綺麗で。
だけど何故か心を締め付けられる、尊さを抱かせる。
私は胸に手を添えて、空を目指すその姿を見守り続けた。
迫力満点のショーが終わり、続いてアトラクションのコーナーが開始される。
昔は私もイルカやアシカに握手をしたが、今はわざわざ前に出てまでしたいとは思わない。
何より足元に、茶色い固まりが丸まってるし。
私の場合は寮や実家から近いので、来たいと思えばいつでも来れる。
ただ遠くから来る人にとっては、今日という日を逃せば次はいつになるか分からない。
そういう人達にとっては最高の思い出になると思うし、まだ幼い頃の自分はそう感じていた。
今でも、イルカやアシカに握手をしてもらった時の感動を忘れてはいない。
「では、ベルーガ3番ちゃんです」
なんか、味気ない名前。
出てきたのは頭の先から尾っぽの先まで真っ白なイルカ。
顔はボールのように丸く、ある意味イルカ以上に愛嬌のある顔立ち。
しかし意外と巨体で、握手しようと水面から体を出すと軽く大人の背丈を越える。
ベルーガはロシア語で「白い」という意味。
ただ彼等も名古屋生まれの名古屋育ちらしいので、ロシア語は話せないだろう。
それ以前に、言葉を話さないけれど。
「握手会は以上で終了です。パフォーマンスは午後からもありますので、またの参加をお待ちしています」
一斉に起こる拍手。
トレーナーが頭を下げると同時に、イルカやアシカ達も同じように頭を下げる。
中には逆さになって、尾っぽを振っているイルカもいたりする。
私も彼等に手を振って、改めてカメラを構え直す。
「さて。次はお待ちかねの、イルカとシャチとのスイミングアトラクションです。最近は寒くて参加される方もいなかったんですが、今日は素敵な男の子が登場してくれます。どうぞ」
「ど、どうも」
何とも気恥ずかしそうにステージへ登場するショウ。
服装は黒のウェットスーツに、首からはゴーグルを提げている。
また万が一のために腰の辺りには小型の酸素ボンベも携帯していて、それをくわえれば1時間程度は呼吸が可能らしい。
簡単に練習をしたのか髪は濡れ、寒さに対する反応か若干顔が赤くなっている。
それでも彼の凛々しさが損なわれる事はなく、むしろその魅力がより増している。
「あなた、何映してるの」
「ショウ」
「シャチも映したら」
無粋な事を言うサトミ。
仕方ないのでズームを止めて、ステージ全体が映るようにする
そこにいるのはMCのお姉さんが一人。
ウェットスーツを着たトレーナーさんが3人。
でもってショウ。
その後ろのプールには、シャチが3頭とイルカが3頭顔を出している。
「では、お名前は」
「玲阿四葉です」
「素敵なお名前ですね。玲阿さんは、泳ぎは得意ですか?」
「まあ、普通です」
当たり障りのない、言ってみれば面白みのない答え。
とはいえここで下らない事を言うショウも想像出来ないし、言って欲しくもない。
「それではまず、イルカと一緒に泳いでもらいましょうか」
「あ、はい」
腰を屈め、体に水を掛けるショウ。
その手をイルカが噛もうとして、観客席から笑い声が起きる。
ショウは躊躇する事なく足からプールへ入り、淵に掴まってイルカ達と同じように顔を出した。
これはこれで、また笑えるな。
「では、イルカの背びれを掴んでもらえますか」
「こう、ですか」
「はい、結構です。ちょと水圧が掛かりますけど、頑張って下さいね。では、レッツゴー」
MCのお姉さんが可愛らしく手を挙げ、それと同時にイルカが泳ぎ出す。
背びれに掴まっているショウの周りには激しい波が巻き起こり、彼の姿は時折その中に消えて見えなくなる。
楽しそうと言えばたのしそうだが、私がやったら一瞬にして取り残されるだろうな。
イルカはステージの前を軽く一周し、ショウを引き連れて戻ってくる。
でもって魚をもらい、ショウの顔をじっと見た。
まさか、メスイルカじゃないだろうな。
「上手でしたよ。次はシャチに乗ってみましょうか」
「あ、はい」
「こっちはイルカより楽ですね。背中に乗って、背びれにしがみついて下さい」
一旦ステージへ登り、改めてシャチの背中にまたがるショウ。
背びれだけで彼の上半身くらいはあり、体に至ってはまだ3人は乗れそうなスペースが余っている。
シャチにとっては多少の違和感はあるにしろ、重さは殆ど感じてないだろう。
「たまに潜ったりジャンプしますけど、その時は気を付けて下さいね」
「え」
「冗談です。では、レッツゴー」
何か尋ねたそうなショウを放っておいて、再び手を挙げるお姉さん。
シャチは潮を噴き上げ、微速前進する。
プールの右端まで来た所でギアが切り替わったのか、波飛沫が高くなり速度も増す。
自然とショウの姿勢も低くなり、シャチと一体化するようになっていく。
「わ」
メインプールの正面。
対面側のステージで小さく跳ねるシャチ。
当然ショウも一緒になって飛び上がり、その体が宙を舞う。
高いという程ではないが間違いなく水面よりは上で、そうなると着地の衝撃も待っている。
水しぶきと共に水面へ消えるシャチとショウ。
しかしオーロラビジョンには、水の中を泳ぐ姿が映し出される。
ショウはいつの間にかゴーグルを付け、口にはボンベをくわえている。
そのくらい深い潜行であり、だからこそ幻想的な眺め。
光は青く、水は透き通って。
しなやかに優雅に泳いでいくシャチ。
その背中に乗り、一緒になって水中散歩を楽しむショウ。
不思議な、日常とは違う。
だけど自分の知っている人がそこにいた。
無論シャチはすぐに浮上し、お姉さんが冗談混じりに謝った。
これはこういう趣向で、体験者が体力のある人間なら行われるバージョン。
逆に私とかなら、横座りになってステージの周りを一周するというちょっとメルヘンチックな事をやってくれもする。
多少疲労の色が見えてきたショウをステージ上へ上げ、その間にトレーナーさん達がイルカの上に立ってプールを周り出した。
綺麗な姿勢と水の上を滑るようなその姿。
あの丸っこい背中へどうやって立ってるかは知らないが、見た目は観音様によく似ている。
イルカに乗っているので、イルカ観音様といった所か。
私が年配者なら、間違いなく拝んでるな。
「さて、次は彼にも挑戦してもらいましょう。サーフィンの経験は」
「多少」
プールの端に漂っているイルカに両足を乗せるショウ。
彼が腰を少し落とすと、イルカが少しずつ泳ぎ出す。
ショウは徐々に体を起こし、若干手を横に伸ばしてバランスを取る。
加速するイルカ。
真剣みを帯びる彼の表情。
一人と一頭は一つになって、水面を駆けめぐる。
一瞬にして迫り来るプールの端。
ショウは勢いよく踏切り、しなやかな動きで頭からプールの中へと飛び込んだ。
観客席から起きる拍手と歓声。
私もカメラを置き、一緒になって拍手をする。
水面から顔を出し、控えめに手を振るショウ。
さらに大きくなる拍手と歓声。
秋の青空に響く。
いつまでも絶える事のない。
私の心にまた一つ出来た思い出。
第26話 終わり




