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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第26話   2年編後編
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26-3






     26-3




 明かりの灯るホテル街。

 それとは逆側、右は一転して漆黒の闇。

 明かりという存在を完全に拒絶した眺め。

 位置としては阿寒湖の奥。

 人の立ち入らない。

 いや。立ち入るべきではない場所。

 聖域と呼ぶのがふさわしいかどうかは分からない。

 でもその場所は明らかに、今自分のいる所とは隔絶されている。

 分かるのは、そこへ辿り着くのは不可能だという事。

 物理的にではなく、精神的に。


 温泉を出て、売店をうろつく。

 置いてあるのは、典型的なお土産品ばかり。

 特に目に付く物はない。

「貝柱、か」 

 小さな袋に入った、小さな貝柱。

 安いは安いが、よく見たらホタテじゃない。

 だから安いとも言えるし、こうして並んで置いてないと気付かない。

 お土産決定だな。

 その売店の隣。

 椅子と小さな台だけでこじんまり営業している、フットマッサージ。

 こういうのは耐えられないので、すっと通り過ぎる。

 いや。待てよ。


「何だ」

 近付いてこないケイ。

 こっちが近付くと、向こうが遠ざかる。

 野良猫だね、まるで。

「お菓子、お菓子あげる」

「誘拐でもするのか」

「いいから、こっち。ほら、飴上げる」

 当たり前だが、わずかにも寄ってこない。

 彼もこの前を何度か通っているので、この存在に気付いていたようだ。

「やってよ、マッサージ」

「まだ死にたくない」

 大げさな子だな。 

 でもこの手に対しての反応は私以上なので、案外冗談でもない気がする。

 だから見てみたかったんだけどさ。

「じゃあ、ショウやって」

「どうしてだ」

「歩いて、疲れてるだろ」

「俺も、こういうのはちょっと」

 そう言いつつ、リラックスチェアーに座るショウ。

 しかし足が長いので、マッサージのおじさんが少し後ろに下がる。

「い、痛い」

 足を揉み出した途端の、普段聞かない言葉。

 結構面白いな。

「今のところは、どこが悪いんですか?」

「腰かな」

「い、痛いってっ」

 股を叩くショウ。

 おじさんは構わず、足の裏を押して回る。

 それ程すごい事をやってるようには見えないが、まさしくつぼを突いてるんだろう。

「もっと、強く出来ます?」

「本人が耐えられるなら、別に大丈夫だよ」

「じゃ、限界ぎりぎりまで」


 ロビーのソファーに横たわり、ぴくりともしない男の子。 

 さっきまでは、あれ程暴れまくってたのにな。

 今は精も根も尽きたという様子で、微かにすら動く気配はない。

「風邪引くよ」

 反応なし。

 足の裏をつついてみると、途端に飛び上がった。

 どうもここは、敏感になっているようだ。

「あ、あのな」

「風邪引くって言っただけじゃない。大体、こんな所で寝ないでよね」

「誰のせいで」

 よろよろと歩いていくショウ。

 エレベーターに彼が乗るのを見届け、自分も部屋へと戻る。

 本当、世話の焼ける子だ。



 やはり今朝も、目覚めがいい。

 美味しいご飯と、適度な運動。ゆったりと入るお風呂。

 こういうのが贅沢って言うんだろうな。

 荷物をバスへ放り込み、よろけるショウも放り込む。

 こっちはまだまだ、元気一杯だ。

「早くしないと、時間よ」 

 また腕時計を指さすサトミ。

 今度からは、レンタカーにした方が良さそうだ。


 ホテルから空港は、すぐ近く。

 早く着いたというか、また時間待ち。

「時間あるし、歩いたら」

「名古屋まで?おい、歩けってさ」

 ケイの呼びかけにも無反応のショウ。

 時間延長した効果が、てきめんに現れている。

「ご飯でも食べよう。えーと、どこにあるのかなと」

 ふと見える、オホーツクラーメンの文字。

 オホーツク海は少し遠いと思うけど、それっぽいのでここにするか。

 セオリー通りみそラーメンを食べていると、空港内にアナウンスがされた。

「名古屋行き261便へ搭乗予定の雪野優様、雪野優様。恐れ入りますが、空港受付までお越し下さい」

 それ程よくある名前ではないし、名古屋行きと限定されれば自分しかいないだろう。

「受付って、どこ」

「一階の右手」

 ラーメンの前から離れもしないモトちゃん。

 いいんだけど、ちょっと嫌だ。


 仕方ないので、階段を下りて受付に向かう。

 そこにいるのは、制服姿の凛々しい女性。

 こちらも対抗上、来た時にもらったキャップを被る。

「えと、雪野ですが」

「お忙しい中、申し訳ありません。こちらへおこし願えますか」

 受付の奥にあるドアを手で示す女性。

 なんか、悪い事でもしたかな。

「ご心配なく。トラブルではございませんから」

 ただドアには、「関係者以外立ち入り禁止」とある。

 これでは、気にするなという方が無理だろう。



 おっかなびっくりしつつ、職員のオフィスや倉庫を抜けていく。

 やがて出てきたのは、滑走路を見渡せる広い部屋。

 初めはVIPルームかとも思ったが、置いてあるのはロッカーくらいで応対するような人もいない。

 いや。一人いる。

 受付の女性同様、制服姿の女性が一人。

 そこで案内役が交代する。

 ただ彼女が違うのは、襟に付いてる階級章。

 後は、胸元の略章か。

「初めまして」

 名前と身分を告げ、敬礼する女性。

 私が敬礼するのもなんなので、頭を上げて部屋を見渡す。

「私に何か」

「ご心配なく、こちらへどうぞ」

 さっきの女性よりも、よりきびきびした動き。 

 歩幅は一定で、その背中に隙はない。

 ただ全くない訳ではなく、作ろうと思えば簡単に出来る。

 その後は、どうか知らないが。


 案内されたのは、そこから続く隣の部屋。

 もう少し狭い、事務的な。

「お連れしました」

「ご苦労。下がって良し」

「は」

 敬礼して去っていく女性。

 それに返礼し、こちらに顔を向ける瞬さん。

「何してるんです」

「水品が、ヘリで送ったんだろ。だから、俺も送る」

 子供か、この人は。

 大体、わざわざ北海道まで。

「でも、おじさんは陸軍でしょ。それに、ヘリでも高いって」

「免許はあるし、金は問題ない。名古屋へ戻る奴に乗るから」

「乗るって、軍は辞めたんじゃ」

「退役軍人は、何かと便宜を図ってもらえる。このくらい軽いさ」

 インカムを付けて、どこかと話し出す瞬さん。

 たどたどしいけど英語なので、管制か飛行機だろう。

「どうするんですか」

「今言ったように、名古屋まで行く。チケットは、キャンセルした。荷物も積んだ」

 馬鹿だな、間違いなく。

 でもいいか、言ってみれば客は自分達だけなんだし。



 狭い部屋。

 激しい爆音。

 揺れは収まらず、すぐ隣にいる声も聞こえないくらい。

 快適な旅どころか、今すぐ外へ飛び出たいくらい。 

 高度6000mでは、どうしようもないが。

「降下準備開始。各自最終チェック始め。不備がある者は、後方へ回れ」

「ハッチ開放。第1小隊準備せよ」

「準備完了。降下開始する」

「グッドラック」

 親指を立て、外へ飛び出ていく空挺部隊。

 思った事を実践している人もいるようだ。

「ここ、うるさい」

「あ、なんだって」

 窓を隔てた、降下部隊を眺めるショウ。

 かなり楽しそうに、憧れの眼差しで。

 付いていけないので、別な場所へ移動する。

「狭い」 

 コクピットに来たんだけど、結局ここも狭かった。

 いるのは瞬さんと、もう二人。

 でもパイロットは、パイロットスーツを着た軍人。

 もう一人は機関士だろう。

「何してるんですか」

「コ・パイはやる事がないんだよ。特に、俺は」

 足を組み、外を眺める瞬さん。

 送ってもらうどころか、自分も荷物じゃない。

「馬鹿じゃないの」

 その言葉に、顔を引きつらせる二人。

 どうやら、この人にこういう口は聞かないのが当然のようだ。

「怖がられてますよ」

「優ちゃん程じゃない」

「あ、そう。これって、ミサイルとか撃つんですか?」

「機銃は付いてるけどね。実際は輸送機だから、装備は殆どない」

 なんか、ぞっとしない乗り物だな。

 撃たれたら終わり。

 撃たれなくても、飛び降りるだけなんて。

「俺も昔は、よく飛び降りたものさ」

「今はやらないんですか」

「楽しいけど、パス。また怒られる」 

 北海道へ来た時点で、怒られる気がするけどな。


 ようやく名古屋へ到着。 

 長い間轟音の中で揺すられていたため、まだ揺れているような気もする。

 最後の最後で、思いっきり疲れたとも言う。

「ここは?」

 目の前に見えるのは滑走路。

 ちなみにそこを利用しているのは、流線型の戦闘機。

 海なんてどこにもないし、私達が名古屋を発った時に利用した東海エアポートには思えない。

「小牧基地さ。さすがに許可無しで、民間空港には乗り入れられないから」

 全員の疑問を読み取ったのか、気まずそうに説明する瞬さん。

 位置的には、北と南。

 もう少し分かりやすく言えば、真逆である。

 距離的には、大差ないと思うけどね。


 さすがに乗り心地のいい大型バスに揺られ、どうにか自宅へ辿り着く。

「ただいま」

「あら。予定より早いじゃない。お父さん、車の準備してたのに」

「色々と事情があってね。耳痛い」

「目の次は耳?大丈夫なの?」 

 不安そうに顔を覗き込んでくるお母さん。

 心配される事ではないが、それはそれで素直に嬉しい。

 一応下らない理由を説明して、お母さんを安心させる。

 耳もそうだし、まだ揺れてるな。

「軍用機ね。チケット代は?」

「少し戻ってきた。いいのかどうかは、今は分からない」

 ソファーに崩れ、荷物を片付ける。

 大半は着替えで、後は洗顔用品の類。

 こういう作業も旅の終わりを思わせ、多少の感慨を覚えなくもない。

「これ、お土産」

「貝柱。へぇ、たくさん入ってるじゃない」

 例の袋を持って、小躍りしそうなくらい喜ぶ母さん。

 ホタテではないと気付くのは少し先みたいなので、とりあえずはどうにかなった。

「後、これ」

「北海道名産まんじゅうって。どの部分が名産なのよ」

「小豆じゃないの。結構大きいな」

 一つ開けて、割ってみる。 

 張りのいい皮と、重い手応え。

 中身は普通の餡で、ただ別にそう美味しいという訳でもない。

 いや。ちょっと待てよ。

「他、他の開けて」

「誰が食べるの」

「いいから」

 今のを元の形に戻し、他のまんじゅうも並べていく。

 それを見て、小さく声を上げるお母さん。

「最悪ね。優、知ってて買ったの?」

「まさか」 

 二人してため息をつき、紙に包み直す。

 まんじゅうの表面に描かれた、「北」の文字。

 ちなみに、それは先頭。

 次が海で、次が道。

 後は名に、産。

 つまり全部で、「北海道名産」という訳だ。

 何というのか、一気に脱力だな。

「やる気なくなった」

「ちゃんと片付けなさい」

「はぁ」

 着替えを洗濯機の方へ持って行き、洗面グッズはバスルームと自室へ戻す。

 ついでに着替えも済ませ、ソファーに崩れる。

「ご飯、何?」

「お寿司は?」

「向こうで食べた」

「贅沢な子ね。麦飯でも食べてれば」


 鉢から山芋を注ぎ、麦飯を掻き込む。

 ウズラの卵が嬉しいね。

「明日は?」

「今週一週間は休み。部屋掃除して、後は温泉かな」

「優雅なものね」

 じゃあ、部屋の隅にあるまんじゅうは何なんだ。

 北海道名産じゃなくて、カニまんじゅうって書いてあるし。 

 まさかとは思うが、日本海へ行ったんじゃないだろうな。

「輸送機から、人が飛び降りてた」

「ああ、空挺部隊。あそこは、エリート部隊だからね。そのくらい平気でやるよ」 

「お父さんは?」

「僕は単なる歩兵だから、銃を担いで歩くだけ。飛び降りる度胸もないし」

 それもそうだ。

 というか、飛び降りる方がどうかしてる。

 清水の舞台から飛び降りるなんて言葉があるけど、やってる事はそれ以上だからな。

「その前にあなた、病院行かないと」

「なんで」

「最低一週間おきに通院しろって言われてるでしょ。北海道で、病院に行った?」

 行く訳がない。

 大体病院自体を、殆ど見なかった。

 そう考えると、身近に病院のあるここは恵まれた環境なんだろう。



 サングラスを掛け、慣れた坂を登っていく。

 自力ではなくて、車でね。

 ただし距離としては、自宅からここまでが多分ショウ達が湖から歩いた距離。

 あそこではすれ違う車も数える程だったけど、今はここへ来るまででも一苦労。

 無論便利さはこちらの方が上で、私自身離れられないのは分かっている。

 ただああいう光景を一回でも見ると、多少は気持ちが揺らがなくもない。

「雪野さん、どうぞ」

 アナウンスに応じて、診察室の中へ入る。

 未だになじめない消毒の香りと白い壁。

 白衣を着た医師が、モニターをチェックしつつこちらを振り返る。

「定期検診みたいなものなので、心配しなくてもいいですよ」

 どうやら不安が、顔に出ていたようだ。

 診察という行為自体、何度経験しても楽しい事でないので。

「検査結果も良好ですし、問題点は無いですね。今のところは」

 嫌な付け足し方。

 それは自分でも分かったのか、モニターへ指が向けられる。

「数値的には一定の所まで来ているんですが、標準値には若干及んでないんです。今でも目が疲れるのは、そのためですね」

「大丈夫、なんですか?」

 こればかりは、不安にならない方が無理というものだ。

 私だけではなく、付き添ってきたお父さん達も。

「少し低いだけで、生活には問題ありません。ただ回復は、緩やかという事ですね。無理に通院する必要はないんですが、時間があれば出来るだけ顔を出して下さい」

 なんか、制約を受けたような気分。

 それも中途半端な、伸びるけれど解ける事のない紐に絡まれたというのか。

「これ以上悪くなるって事は?」

「絶対とはさすがに言えませんが、まず無いといっていいでしょう。その代わり、あまりストレスをためない事ですね。この辺は医学的にはっきり証明されている訳ではないですが、視神経への負担を掛けないためにも」



 もぞもぞとサンドイッチを食べる。

 ホットミルクも飲む。

 気持ちとしてはあまり面白くないが、お腹はすくので。

 これはもう、気長に付き合っていくしかないな。

「今も見えにくい?」

「全然。元がどうだったかも、もう忘れてる」

「鶏、あなた?」

 三歩歩いたら忘れるって言いたいのか。 

 それもそうかなと思いつつ、ホットミルクに蜂蜜を注ぐ。

 砂糖とは違う、風味の付いた甘み。

 好みはあるだろうが、これはこれで美味しいと思う。

「しかし、名古屋は暖かいな」 

 今はサンドイッチ屋さんの窓際の席。

 店内の暖房と、ホットミルク。

 でもって外からの、強い日差し。

 半袖でもいいくらいだな。

「向こうは、雪降ってたよ。鹿もいたし」

「鹿なら、動物園行けば。馬もいるわよ」 

 それは馬鹿って言うんじゃないの。

 大体そんな事言い出したら、虎でもライオンでもいるじゃない。


 象もいる、ヒョウもいる。

 何だ、この熊。真っ白だな。

 しかもこの寒空の中、水の中を泳いでるし。

 シロクマにとっては、冗談抜きで暑いんだろう。

「はは、氷かじってる」

 プールに浮く、大きな氷。

 それへしがみつき、牙をたてるシロクマ。

 すごいけど、あの氷が自分じゃなくて良かったとも思う。

「優の親戚がいたわよ」

「どこに」

「こっち」

 ちょこちょことついて行くと、猿がいた。

 猿山というか、猿の群れ。

 きゃーきゃー、ぎゃーぎゃー。うるさい事この上ない。 

 落ち着き無く走り回るし、食べてばっかりだし。

 確かに身につまされる光景だ。

 ただし私にとっての親戚なら、お母さんにも親戚じゃないの。

「ぎゃー」

 柵にしがみつき、吠えてくるお猿。

 対抗上、手すりにしがみつき一吠えする。

「おぅ、おぅ」

「止めて、恥ずかしい」

「お猿さんに負けろって言うの?」

「勝ち負けを、どこで判断するの」

 なるほど、それももっともか。 

 きびすを返して立ち去ろうとすると、他のお猿まで一斉に吠え出した。

 気のせいだろうが、こっちを見ながら。 

 許されるなら柵の中に飛び込んで、一頭ずつ誰が強いのか教えてやりたいな。


 勿論、そこまで馬鹿じゃない。

 手すりにしがみついて吠えるのは、どうか知らないけど。

「お」 

 広場のような広いスペースを、延々と小走りしている狼。 

 疲れないのかなと思うけど、向こうにとってはそれが普通なんだろう。

 またお猿さんとは違い、態度は至って冷静そのもの。

 私の存在には気付いているようだが、特に関心は払ってない。

「愛想がないね」

「犬じゃないんだから。大体、来られても困るでしょ」

 肩を押さえるお母さん。

 寒いというより、狼がやって来た時の状況を想像したらしい。

 私達なんて小さいから、二人で一人分だろうな。

「懐かしいね。僕もシベリアで、何度か見たよ」

「食べられそうになった?」

「いや。狼が頭がいいから。こっちが銃を持ってると、近付いてこない。とはいえ動きが早いから、襲われてたら食べられてたね」

 笑いながら話すお父さん。

 しかし笑い事でもないと思うけどな。


「こっちは、虎か」

 この間見た鹿とは根本的に違う、胸を締め付けてくるような威圧感。

 大きさも存在も、何もかもが圧倒的。

 やってる事は、ただ地面に寝そべってるんだけど。

 とはいえ、向こうは虎。

 その気になりさえすれば、この姿勢から一瞬にして獲物へ飛びかかる。

 気付いた時には、私なんて骨も残ってないだろう。

 大体この腕って、私の腕より太そうだな。

「はは、子供」

 大きな虎の胸元で、よたよたと転がり回る小さな虎。

 サイズ的には猫よりも二回り大きいくらい。

 可愛いには可愛いが、牙もしっかり生えている。

 しかしこの手の生き物は、外見だけで判断出来ないのも十分に分かっている。




 家に戻り、増えた荷物を片付ける。

 食べ物ばかりだから、いずれは無くなる。

 いつまでかは、深く考えたくはない。

 自分が片付けないだけ、まだましだけどね。

「さてと、部屋でも片付けるかな」

「その前に、キッチンもお願い」

「どうして」

「さあ。あまり考えた事無いわね」

 何を言ってるんだか。

 仕方ない。適当に物色して、寮に持って帰るとするか。


 これがマーマレードで、こっちがピクルス。

 日持ちはするし、量も少なめ。

 後は、干し肉でも探すとしよう。

「ジャーキーってないの」

「今は無いわね。持って行くなら、もっと大きいのにして」

 棚の奥から出てくる、大きな瓶。

 何というのか、一抱えありそうな程の。

 中は梅干しが、これでもかというくらい入っている。

「売り物?」

「優が食べないから、どんどん増えるんじゃない」

「だったら、漬けるの止めたら」

「私に死ねと言ってるの?」

 大げさな人だな。 

 えーと。これが去年でこれが一昨年。

 これは10年物か。

 さすがに量は少ないが、しっかりと残っている。

「それに、熟成すると美味しいのよ」

 言われるままに、一つ取り出しかじってみる。

 塩気や酸味はかなり薄い。

 感じるのは梅の風味。

 それもこなれた、口当たりのいい。

「売れば?」

「こういうのは、自分で楽しむために作るのよ」

「あ、そう。私が生まれた頃のとか、ある?」

「実家には、あるはずよ」

 実家って、ここじゃない。

 ああ。お母さんの実家、つまり私にとってはお祖父ちゃんの家ね。



 古い棚を開け、壺を探る。

 強い、目が痛くなるような匂い。

 くらくら来ると、言い換えてもいい。

「お酒?」

「泡盛よ。昔買ったのを、ずっと寝かせてあるの。飲む?」

 グラスを振るお祖母ちゃん。

 とても飲めるような度数ではないだろうし、匂いがちょっときつ過ぎる。

 モトちゃんなら、明日の朝までしがみつくだろうが。

「いらない。それより、梅干し。私が生まれた頃の」

「どこかにあったはずなんだけど。えーと、これか」

 出てきたのは、30年前の。

 もう梅干しという外見ではなく、種しか残っていないようにも見える。

「あった。これ、これ」

 出てきたのは、小さな瓶。

 ただ梅は、薄い黄色の液体に漬かっている。

「梅酒じゃないの、これ」

「めでたいから、梅酒も漬けたのよ」

「だから、梅干しだって」

「梅干しなんて、スーパーに売ってるじゃない」

 なんか、すごい事を言い出すな。

 ふたを開けてみると、さっきの泡盛よりは淡い香り。

 心を浮き立たせる、甘く涼しげな。

「ん、美味しい」

 10年物の梅干し同様、こなれた味。

 お酒というよりも、綺麗な宝石を溶かして飲んでいるような気分。

 これだと、薄めなくてもぐいぐい飲めるな。

「子供がお酒飲んでどうするの」

「法律で許されてるのよ」

「私が漬けたのに、どうして飲むって言ってるの」

「うるさいな」

 二人して瓶を掴み、奪い合う。

 この、年寄りの癖に元気だな。


「うるさいよ」

 だるそうにキッチンへ入ってくるお祖父さん。

 細くて華奢で、かなり小柄。

 間違いなく、体格は遺伝だな。

 お祖母ちゃんも小さいけどさ。

「だって、お祖母ちゃんが」

「この子が」

「もういい。それより、飯作ってくれ」

「自分で作れば」

 すげなく答え、その隙に人の瓶をひったくるお祖母ちゃん。

 仕方ないので、奥の方にあった30年物の梅酒を抱える。

「下らん事はいいから。早く、作ってくれ」

「いい年して、自分でご飯も作れないんだから。本当に、昔の男ってのは」

「そう言うな。優、酒くれ」

 グラスを振るお祖父ちゃん。

 軽くキッチン内を見渡し、冷蔵庫を開けて鮭の切り身を取り出す。

「年寄りをからかうな」

「はいはい。でも年なんだから、飲むの止めたら」

「人間いつかは死ぬ。だったら、楽しい事をやって過ごせばいい」

 アバウトな。しかし、納得も出来る答え。

 なるほどなと思い、リュックに梅酒をつめる。

「おい。酒くれ」

「今用意してます。優、お祖父ちゃん連れて行って」

「はいはいと」

 年寄りは世話が焼ける訳ではなく、この人は世話が焼けるんだろう。

 少なくとも、お父さんのお祖父ちゃんはここまで人に任せっきりではない。

 不器用なりに食事は作るし、自分の事は自分でやる。

 年代的な男性像もあるけど、箸くらいは自分で持ってきてもいいと思う。




「どうする気、これ」

「の、飲めばいいじゃない」

「誰が」 

 瓶をつついて、私もつつくお母さん。

 つまりは、また増えた食材を見て。

 仕方ないじゃない、私が生まれた時の物なんだしさ。

 結局、梅干しも梅酒ももらってきたのよ。


 自室に戻り、部屋の片付けに取り掛かる。 

 多少は寮に持って行ってあるが、あちらにあるのは最近買ったのが大半。

 ここにあるのは、物心付いた頃からという物ばかり。

 だからこそ、何がどこにあるのか分からない状態。

 探しても見つからない、なんて物もある。

 何を探したらいいのか分からない、とも言えるが。

「さてと」

 まずは押入を開け、中を覗き込む。

 紙袋に収納ケース。本の山。

 どこから手を付けたらいいのかって話だな。

 とりあえず手前の紙袋を出し、奥に見えた布袋も出す。

 本の山も、何かの箱も。


 気付いたら、部屋が物で埋まっていた。

 一体、どこにこれだけ入ってたんだというくらい。

 勿論、この部屋にあったんだけどさ。

「なんか、疲れた」 

 一人で呟き、どうにか確保したベッドの隙間にしゃがみ込む。

 どうでもいいけど、寝る時はどうするんだろう。

 自分の事なのに、かなり人ごとのように考える。

「はぁ」

 ため息をつき、滑るようにして床へ座る。

 でもって膝を抱え、窓の外を眺める。

 開いたままのカーテン。

 暗い闇。

 明かりのない色。

 今自分がいる部屋とは違う。

 とはいえ阿寒湖のように、人が立ち入れない世界ではない。  

 あくまでも、相対的に暗いだけだ。


 などと結局人ごとのように考え、膝を抱える。

 眠いな、なんか。

「優。さっきの梅酒はどこへしまう……。わっ」

 ドアの辺りから聞こえる叫び声。

 しかしここへこようにも、荷物が邪魔で近付けないらしい。

「あ、あなた。何してるの」

「片付け」

「ひ、膝抱えてるじゃない」

「そうだね」

 やはり人ごとのように答え、上に置いてあった本をめくる。

 はらぺこぺこり、か。 

 懐かしいな、これ。


「今日もカレー、明日もカレー。昨日もカレー。毎日毎日カレー・カレー。かれー、カレーで、彼氏も喜ぶ」 

 冒頭の文を読んで、内容も思い出す。

 カレー屋の子供の話で、毎日カレーばかり食べさせられるという話。 

 カレーの種類はたくさんあるが、要はカレー。 

 それがある日、魚を食べられるという事になる。

 子供は大喜びするが、出てきたのはカレイのカレー。

 昔は意味があまり分からなかったが、下らない駄洒落だったらしい。

「とにかく、片付けなさい」

「どうやって」

「どうやってって、どうやって出したの」

「手前から、一つずつ。でも、どうやってしまう?」 

 荷物の山と対峙して、二人でしばし見つめ合う。

 親子揃えば、少しは知恵が出るのかな。

 まず、無理だ。

「ゴミは捨てて、いる物だけ残して」

「何がいるの」

「あ、あなたの物でしょう」

「そうだけどさ。愛着もあってね」

 穴の開いた、赤い靴下。

 小学校の頃、これという時はこの靴下をはいていた。

 いつしか穴が開き、それをほつろい、でもまた穴が開き。

 気付けば足が入らなくなっていた。

 でもって、今に至る。

 要は、捨てられなかった。

「そういうのから、捨てなさい」

「私に死ねと言ってるの」

「どこでそういう言葉を覚えるのよ。とにかく、この辺はいいでしょう」 

 古い雑誌を、廊下へ出していくお母さん。

 背を伸ばしてチェックしてみるが、今見るとそれ程惜しくもない物が大半。

 余裕があれば取っておきたいが、どうみても余裕のない状態。

 ここは、泣く泣く諦めるとするか。

「古本屋に売れるみたいね」

 端末でチェックするお母さん。

 でもって額も告げてくる。

 お昼ご飯くらいは食べられそうな額を。

 それも、私一人分。

 まあ、捨てるよりはましと考えるか。



 当たり前だけど、片付く訳がない。

 十畳の部屋。

 そこを埋め尽くす、物の山。

 確保したのは、かろうじてベッドだけ。

 後は帰るたびに、少しずつやるとしよう。

「ここは」

「服だけ」

「缶詰もあるわよ」

 クローゼットの奥から、鯖の水煮を出してくるお母さん。

 緊急用に、隠してあるんだって。

 今思い出したけどさ。

「大体、自分の部屋も片付いてないのに」

「ここも、私の部屋じゃない」

 今いるのは、女子寮の自室。

 広い意味でも狭い意味でも、自分の部屋だ。

「まずはこっちを片付けようか。向こうのを少し運んでこれるしさ」

「卒業したら、どうするの」

「その時は家に戻すんじゃない?」

「倍になって戻ってくるだけじゃないの」

 真顔で言われると、かなり困る。

 とりあえず聞こえなかった事にして、ベッドのマットを剥がしてみる。

 若干埃っぽいが、特に隠してある物はなし。

 男の子じゃないしね。

「これは、どこへ運ぶ?」

「廊下にお願い」

「分かった」

 マットを引きずって、ドアへと向かうお父さん。

 やっぱり、持つべき者は親だろう。

 タンスの上に指を滑らせ、ホコリを調べている人はともかくとして。



 マットを外まで引っ張り出し、スティックで叩く。

 あくまでも軽く、柔らかく。

 上下、左右。

 規則正しく、不意にフェイントも交えて。

「あなたね」

「布団叩きなんてないもん。この、この」

「一人でやってなさい」

 ため息をつき、寮へ消えるお母さん。

 お父さんの姿もなく、残ったのは私とマット。

 後は窓から私を見下ろす女の子くらいか。

 見せ物じゃないので、スティックを背負って上を見上げる。

 すぐに閉まる窓。どこからかの、謝罪の声。

 そうされると、結構困る。

「ユウ、何してるの」

 だるそうに、寮から出てくるサトミ。

 私が見上げようがスティックを振ろうが、動じる気配はまるでない。

 それは付き合いの長さもあるし、人間性もあるだろうな。

「もう済んだ。後は、干すだけ」

「少しは、外観とかを考えたら」

「広いじゃない」

 寮の前のロータリー。

 その中央にある得体の知れないモニュメントに立てかけられた、私のマット。

 別に何も問題ない。

「いいけど。ユウがいいなら」

「私はいつでも大丈夫よ」

「訳の分からない事言わないで。……あれ」

 少し高い声を出すサトミ。

 マットの上に飛び乗る、小さな黒猫。

 でもってサトミの手が伸びてくる前に、小さく鳴いて逃げていった。

 愛想が無いどころか、何にをしにきたのかも分からない。

「毛が付いた」

 スティックを振って、毛をはたく。

 サトミの鼻先をかすめたようにも見えたけど、気のせいだ。

 少なくとも、当たってないし……。



 ねちねちうるさい子を引き連れ、部屋へ戻る。

 当たり前だが、片付いている訳はない。

 家と同様、荷物が外に出ただけだ。

 量が少ない分、それ程途方には暮れないけどね。

 あくまでも、それ程には。

「ゴミはどうするの」

「どれがゴミなのよ」

 指さされた袋の中を覗き込み、一つ一つチェックする。

 これはいい。こっちは駄目。

 いる分だけを確保して、残りは一旦廊下に出す。

「ゴミばかりじゃない」

「片付けてる暇がないの。色々と忙しいのよ、私は」

「ユウは、寝てばかりでしょ」

 やいやいうるさい二人。

 姑と小姑がいたら、多分こんな感じなんだろう。

 一人は実の親だけどさ。

「いっそ、配置換えしようかな」

 卓上端末を起動させ、部屋の間取りを表示させる。

 動かせる家具は少ないが、こういうのは考えるだけでも楽しかったりする。

「ベッドがここで、ローテーブルがここか。でも、ここだと狭いか。いや、日差しがこっちから来るから」

 一通り配置を終え、満足する。

 もういい。

 これだけで、すでに飽和点に達した。

「で、どれを動かすの」

 袖をまくるお母さん。

 仕方ないので、ローテーブルの上にあるペンを指さす。 

「良かった、軽くて」

 笑ってペンを動かすお母さん。

 袖をまくったのも冗談で、お互いの体格を考えれば家具の移動なんてまず無理だ。

 しかしいっそ、このまま寝てしまいたい気分だな。



 それでも一通り片付け、食堂へ向かう。

 平日だから、授業は行われている。

 そのため寮の食堂は、かなり空席が目立つ。

 いる人はいるけどね。

 こういう人は、学校を休んで何してるのかな。

 煮え立つ小鍋をじっと見つめ、慎重に溶き卵を垂らす。 

 でもってすぐにふたをして、少し蒸らす。

「よしと」

 さっとふたを取り、カウンターに出す。

 丁度いい半熟具合で、なかなかいい感じ。

「上手いね」 

 腕を組んで感心する、厨房のおばさん。

 お母さんは口元に手を当て、ほほと笑った。

「全然。偶然ですよ」 

 それに苦笑しつつ、吹きこぼれそうになっている小鍋の火を弱める。

 でもって三つ葉を散らし、卵を注ぐ。

「よしと」

 こっちも完成。

 これで全部出来たかな。


 みんなでテーブルを囲み、ご飯を食べる。

 綺麗な眺めもない。 

 珍しい食材もない。  

 豪華ではない、だけど美味しい食事。

 家族で食べるこその。













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