25-5
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制服に着替え、リュックを背負って学校へやってくる。
久し振りの活気と賑わい。
目を開けていなくても、声や雰囲気でそれを体感する。
「大丈夫?」
「全然」
サングラスに触れ、位置を直す。
そして杖を動かし、足元を確かめる。
人が多く、またその動きが予測出来ない状況。
さすがに、手探りだけでは心許ないので。
教室へは行かず、教職員用の特別教棟へ向かう。
休学していた期間の診断書や、保健関係の書類を受け取りに。
いつもなら迷って仕方ないが、今は全く問題なし。
GPSと連動したアナウンスをイアフォンで聴き、杖で床のブロックを確かめながら歩いていく。
どこに何があるかは、聞けばすぐに端末が教えてくれる。
言ってみれば、地図の上を歩いているような物だ。
「どこ行くの」
「事務局」
「こっちじゃない」
腕を引いて、右へ行こうとするサトミ。
こっちは足を踏ん張り、杖を手すりに掛けてこの場に留まる。
「改装してるから、今日はこっちなの」
「詳しいわね」
「まあね」
「端末がよ」
余計な事を付け加えてきた。
それがもっともなだけに、余計腹が立つ。
「うー」
「唸らないで。あなた、本当に変わらないのね」
「変わってどうするの」
「もういいいわ。ここね」
どうやら受付に着いたらしく、誰かと話を始めるサトミ。
後は放っておいても大丈夫なので、ソファーを探してしゃがみ込む。
何か、行動がおばあちゃんじみてきたな。
「お茶をお持ちしましょうか」
そんなサービスまであるのか。
場所が場所だけに、至れり尽くせりだな。
「紅茶でよろしいでしょうか」
番茶が良いな。
などと思いつつ、欠伸をしてソファーに崩れる。
「タオルケットをお持ちしましょうか?」
ここでようやく、私に言っていると判断する。
恥ずかしいのでもぞもぞと起き上がり、ソファーの上に正座する。
「いえ。結構です」
ぺこりと頭を下げ、膝の上に手を置く。
何か、とてつもなく恥を掻いたな。
「お茶はどうしましょう」
「いえ。お構いなく」
もう一度頭を下げ、ソファーから転げ落ちそうになる。
ちょっと柔らか過ぎだな、これ。
「何してるの、あなた」
「誰が」
「ユウ以外に、誰がいるの」
ちょっと汗が出てくるような台詞。
どうやらさっき声を掛けてくれた人は、どこかへ行ってしまったらしい。
「お茶くれるっていうからさ」
「タオルケットは」
見てたのか、この女。
まあいいか、自分は何も見えてないんだし。
「こっちが恥を掻いたわよ」
「悪かったわね。で、書類は」
「全部渡して、全部受け取った。この後は、どうするの」
「授業に出ても意味無いし、その辺をほっつき歩こうかな」
当たり前だが、一人では動かない。
手を引かれ、よろよろと学内を歩く。
端から見ればかなり間抜けだろうが、私は全然恥ずかしくない。
目が見えないというのは、意外といいかも知れないな。
「へろー」
何か、私以上に間の抜けた挨拶が聞こえてきた。
でもって、頭を撫でられた。
「少し見ない内に、小さくなったわね」
そんな訳あるか。
せめて、痩せたって言ってよね。
池上さんは人の頬を引っ張り、腕も揉み始めた。
品定めでもしてるのか、この人は。
「目以外は、何ともないのね」
「少しだるい」
「あ、そう。私はだるくないし、関係ないわ」
それもそうだ。
仕方ないので彼女に寄り掛かり、胸に顔を埋める。
暖かいし柔らかいしで、言う事無いな。
「何、この子。甘え癖でも付いてるの」
「後輩が慕ってるんじゃない」
「よだれ垂らさないでよ」
「あのね。……と」
サングラスがずれて、耳の所で引っかかった。
無くてすぐに困る訳ではないが、掛けていた方がいいのは間違いない。
「それ、何」
「あ」
「目。瞳の色」
ああ、その事か。
じぶんではまだはっきりと見えていないが、うっすらと青いらしい。
アングロサクソンのような青ではなく、青みがかって見えるというくらい。
「何人よ、あなた」
「そんな事言われても。大体、日本人じゃない」
「目は青い。小さい。顔は丸い。よだれは垂らす」
おい、それは関係ないだろ。
やいやいうるさいのでサングラスを掛け、目元を押さえる。
開けていた分多少疲れたが、前のように痛んだりする事はない。
何より、あの嫌な感覚も。
「痛いの?」
「全然。疲れただけ」
「神経を使うのよ。真理依、背負ってあげたら」
「嫌だ」
一言で終わらした。
仕方ないのでこっちで動き、背中にすがる。
「重い」
「いいじゃない。あそこ、疲れたからラウンジ行って」
「私は馬じゃない」
「うるさいな。いいから、歩いてよ」
ラウンジにしては静かで、人の気配も少ない。
足元が、畳のような気もする。
「どこよ、ここ」
「うるさい」
邪険に答える舞地さん。
むかつくがどこにいるか分からないので、手をさまよわせて手がかりを探す。
手の届く範囲は、畳のみ。
座敷牢じゃないだろうな。
「まあ、いいか」
四つんばいで這って、壁際へ移動する。
でもって、壁を背にしてしゃがみ込む。
四方に空間があるより、少しでも遮蔽されていれば危険も薄れる。
一番いいのは壁の隅だけど、そこへ辿り着くまでが危ないので。
「お茶」
「あ?」
「喉乾いた」
足元に転がってくるペットボトル。
それを転がし返し、手を叩く。
「暖かいお茶がいい」
「この」
怒り混じりの声を出す舞地さん。
しかしこっちは何も見えてないので、気にもならない。
「後、お菓子欲しい」
「なに?」
「お菓子。ビスケットか、クッキー」
再び足元に飛んでくる袋。
手に取って袋を開け、匂いを確認する。
「獣か」
嫌みも聞き流し、チョコクッキーをかじる。
安っぽい味だけど、それがまたいい。
高級な味でもいいんだけどね。
「お茶」
「ありがとう。……熱いよ」
「だから」
「いや。ありがとう」
もう一度お礼を言い、お茶をすする。
これ以上やると、頭に注がれそうだったので。
「真理依、何してるの」
「私はもう、一生分働いた」
多分寝転んだまま答える舞地さん。
大袈裟だな。
ちょっとお茶をいれて、タオルケットを運んできただけじゃない。
これだから、お嬢様っていうのは。
「ここは、どこなの」
「宿泊用の場所みたいね。畳敷きの方が楽でしょ」
どこかの誰かとは大違いの気遣い。
これからは、池上さんに付いていこう。
「それで、いつまでいるの?」
「追い出すの?」
「あのね。私達は暇だけど、呼び出しがないとも限らないし。いくら何でも一人はまずいでしょ」
「私は問題ないけどね。端末と杖さえあれば」
逆にそれがないと、多少は困る。
自宅ならともかく、これだけ人の多い場所では何が起きるか分からないし。
「……と、言ってる側から。真理依、行くわよ」
「ああ」
「じゃあね。誰か来るように言っておくから、大人しくしてなさい」
「行ってらっしゃい」
端末で学内放送を聞きつつ、ぼんやりと時を過ごす。
何の予定もないし、やる事もない。
それに苛立ったり、焦燥感を抱く事も。
私がいなくても世の中は動く。
むしろ今は、大人しくしてる方がいいだろう。
自分を卑下している訳ではなく、冷静に考えて。
やる時はやる。
やらない時はやらない。
そして今は、慌てる時ではない。
ただ、慌てた方がいい時もある。
端末でトイレの位置を確認しつつ、先を急ぐ。
どうして部屋のは、鍵が掛かってるのよ。
今すぐ何かが起きる訳ではないが、決して安穏ともしていられない。
しかしそれ程速く歩く訳にもいかず、かなりもどかしい。
杖に何か当たる感覚。
人。
というより、革靴か。
「あ、済みません」
靴の感覚があった方へ頭を下げ少し避けて歩き出す。
しかし目の前に気配を感じ、再び足を止める。
正確には気配だけではなく、コロンやコンディショナーの香り。
顔に触れる風の感覚で、距離を測る。
「邪魔ね」
嫌悪感を露わにした声。
なる程、こう来たか。
無論ここで揉める訳にはいかず、もう一度謝り歩き出す。
鼻先を過ぎる風。
見えていないが、明らかに腕が通り過ぎた。
おそらくは壁に手を付き、行く手を遮ったのだろう。
「聞こえなかった?邪魔なのよ」
聞こえてる、とは言わず今度も頭を下げる。
それでも解放される様子はなく、逆に周囲を囲まれた。
「ここから消えろって言ってるの」
「魔女に見える?」
「え?」
「魔法は使えないから、消えるなんて出来ないのよ」
我慢出来るなら我慢する。
これが私個人に対して言われているなら、すぐにでも引き返す。
しかし、状況は違う。
間違いなく、目が見えない人への嫌がらせ。
性質の悪い、人とも思えない行動。
このまま放っておいていい訳がない。
他の誰かに、被害を及ぼさないためにも。
「この」
一気に悪くなる空気。
ただ、誰かが助けに駆けつけるような雰囲気はない。
どうも、かなり人気がない場所のようだ。
端末を持ってくるのも忘れたし、一人でどうにかするか。
「調子に乗って。泣いても知らないわよ」
泣く、ね。
玉ねぎでも持ってきたのか。
取りあえずサングラスの位置を直し、杖の感覚を確かめる。
スティックやバトンよりは軽いが、強度の点では問題ない。
また外出する時は常に持ち歩いているため、手にも馴染んでいる。
壁に穴を開けるくらいは、問題ないくらいに。
「聞いてるの」
「聞いてない」
即座に答え、杖を肩で担ぐ。
声からして、相手は3人。
足音に規則正しさはなく、息遣いもみだれ気味。
口はともかく、実力としてはたかが知れている。
とはいえこちらは目が見えていないという、ハンディはある。
あくまでも慎重に行くとしよう。
「馬鹿が。裸にして、放り出してやるから」
「背中でも流してくれるの」
「このっ」
踏み込んでくる足音。
顎を引き、杖を逆手に持って腰を落とす。
そのまま膝を伸ばし、腕を横へ振って。
「ん」
振り抜く前に、動作を止める。
幾つかの叫び声を聞いた後で。
声の感じからして、強い刺激を受けた様子。
学内という場所柄、スタンガンだろうか。
同士討ちの可能性は薄く、誰か親切な人が助けてくれたようだ。
「ん?」
鼻先を微かに漂う、甘い香り。
記憶にはあるが、あまり思い出したくはない。
「矢加部、さん?」
返答はなく、足音だけが遠ざかる。
甘い香りを残したままに……。
用を済ませ、さっきの部屋へと戻る。
「どこ言ってたんだ」
焦り気味の、ショウの声。
トイレに行ってましたとは言えず、適当に答えて畳の上を這う。
「おい」
「何」
「いや。どうでもいいけど、そういう恰好するな」
恰好って別に。
待てよ、確かにかなり問題だな。
「見ないでよ」
「見てない」
そう言われると、これ以上はコメントのしようがない。
でもってその辺にしゃがみ込み、手探りで周囲を確かめる。
特に危険な物は無し。
あるとしたら、自分くらいか。
「今日、矢加部さんいる?」
「会ってはないけど、いるんじゃないのか。彼女が、どうかした?」
「別に。お礼言っておいて」
「は」
疑問を凝縮したような声。
彼でなくとも、こういう反応をするだろう。
「どうして」
「いいの。お礼を言えば」
「ああ。分かった」
何が分かったんだか。
とはいえ頼んだ事はやってくれるので、取りあえずは解決した。
借りを作ったという気はしないでもないが、その辺は忘れる事にしよう。
「誰もいない?」
「ああ、俺だけ。池上さんに呼ばれて」
「ふーん。今何時」
「もうすぐ、昼かな」
何が大事って、食べるのが一番大事。
この前の自分は、改めてどうかしてた。
ずるずるとラーメンをすすり、おにぎりを食べる。
サングラスは曇ってるんだろうけど、関係なし。
目も開いてないしね。
「すごい食欲だな」
「そうかな」
「前は食べてなかっただろ」
「まあね」
そう答え、ふと疑問に思う。
不安、と言い換えてもいい。
「どうして知ってるの」
「え?」
「食べてなかった事。誰かから聞いた?」
「そ、そう。聞いた」
取り繕うような口調。
疑問も不安も尽きないが、今は食べる事を優先しよう。
「デザートはどうする」
「プリンある?」
「持ってくる」
消える気配。
聞こえ始める周囲の声。
楽しげな、明るい雰囲気。
自分がのけ者にされているとは思わない。
その中の一人と感じられる、今の心境。
やはりこの間までの自分は、どうかしていた。
ただ、あの時の事を忘れる必要はない。
冷静さを欠き、自暴自棄になり、我を忘れていても。
あの時だって、間違いなく自分だったのだから。
デザートを食べ終え、かなり満足をする。
何の予定もないし、後は帰って寝るだけ。
気楽としか、言いようがない。
「お前、何してるんだ」
背後に、いきなりの気配。
杖を手に取り、振りに掛かる。
「お、落ち着け」
「ユウッ」
止められる、杖と腕。
どうも、まださっきのイメージが残っていたらしい。
「目、見てるのか」
「いえ。閉じてますよ」
「怖い女だ」
しみじみ呟く塩田さん。
もう一度振ろうかと思ったが、すでにショウが持っていった後だった。
「ちょうどいい。塩田さんに、話があるんです」
「分かった。ここだと何だから、俺の部屋へ来い」
どこでも一緒のような気はするが、確かにあまり大勢いても良くはない。
まずはお茶を飲み、クッキーをかじる。
舞地さんからもらったのとは違って、かなり高級な味。
微かにブランデーの香りもするな。
「おい」
「え?ああ、そうか」
もう一度お茶を飲み、姿勢を正してサングラスを外す。
「私、やります」
「何をだ。リレーなら、この前やっただろ」
「そうじゃなくて」
「分からんな。ガーディアンをしばらく休むとか言い出すと思ったら」
机の上に、足が乗る音。
何だかな。
「だから、やるんですよ」
「何をだ」
「学校と戦うって言ってるんです」
「は?」
さっきのショウ同様、疑問の塊の口調。
そんなに変な事を言ったかな。
「お前。頭にまで、毒が回ったのか」
「至って正常です。何か、おかしいですか」
「おかしくはないが。一時の感情で判断する事でもないぞ」
「休んでる間、ずっと考えてました。決して、短い期間ではないと思います」
「馬鹿が。どうなっても知らんぞ」
呆れ気味の声。
何か、予想と展開が違うな。
どういうのか、もっと感動的な事になると思ってた。
「そうか。その言葉を待ってた」
とか。
「お前がいれば、俺も安心だ。後ろの事は任せて、思いっきりやれ」
とか言われると想像してたのに。
「熱でもあるのか、こいつ」
「さあ。俺も、今聞いたばかりなので」
そう言う割には、あまり驚いた様子のないショウの声。
はっきりはしないが、ある程度は予想していたのかも知れない。
何を、どう予想したかは分からないけど。
「大体お前、目も見てないんだろ」
「その内治ります。それに見えないからといって、別に困らないし」
「大丈夫か?玲阿、医者に連れて行け」
目ではなく、頭を疑われたらしい。
無論医療部へは行かず、ソファーに埋まってお茶を飲む。
この時期になると、温かいお茶の方が美味しいな。
「お前に、面会が来てるぞ」
「私?どうしてここにいる事を知ってるんですか。大体、学校に来てる事も」
「知るか。何か、悪さしたんじゃないのか」
「別に。あれは勝手に向こうが」
そこまで答え、口を閉ざす。
誘導尋問に引っかかったという気がしないでもない。
「どこかの女子トイレ前で、何人かの女が失神してたって連絡があったぞ」
「あれは、私じゃありません。やる前に、誰かがスタンガンか何かで倒したみたいです」
「報告でも、そうなってる。お前は、いつでも揉めるんだな」
悪かったな。
それにしても、面会って誰だ。
「面会は、その誰かなんですか?」
「いや、お前のクラスーメートだと名乗ってる。菓子折持ってたぞ」
「どうして」
「俺が知るか。玲阿、連れて行け」
人を猫の子みたいに言って。
しかし、菓子折にはちょっと興味があるな。
「私に何か」
「ユウ、こっちだ」
体の向きを変えられた。
部屋が狭くて、音が反響するのよ。
改めて姿勢を正し、同じ事を問い掛ける。
「あの。この前は、ありがとう」
「私、何かやりました?」
「理科準備室で」
「ああ」
ようやく事態を飲み込み、サングラスに触れる。
すぐに甦る、あの時の記憶。
今でも汗を掻いてしまいそうな、出来れば思い出したくない記憶を。
「大丈夫?」
「全然。目が見えないだけ」
「それは、大丈夫とは言わないんじゃ」
申し訳なさそうな口調。
確かに、問題といえば問題だな。
最近はこの状態に慣れていたので、いまいち分かってなかった。
「その内治るし、問題はない。疲れを気にしなければ、目も開けてられるし。自分達こそ、大丈夫?」
「私達は、数日休んだだけだから。体調ももう戻ってる」
「よかったね」
正直彼女達の事は、殆ど忘れていた。
あまりにも自分の事ばかり考え過ぎて。
また、あの時の事を思い出したくなくて。
でも今の話を聞く限りは元気そうだし、一安心といったところか。
「何のお礼も出来ないんだけど」
「いいよ、気にしなくて。私はたまたまあそこにいたってだけだし」
「そんな。とにかく、これ。大した物じゃないけど」
「ケーキだ」
耳元でささやくショウ。
ふーん。良い事聞いたな。
「じゃ、遠慮無く。チーズケーキがあれば、それで。後は、みんなで食べて」
「モンブランしかないぞ」
「あ、そう。じゃ、モンブランで」
「何でもいいだろ」
うるさいな。
私がもらったんだから、どうしようと勝手じゃない。
勿論魔女ではないから、ケーキの種類までは変えられないけどさ。
「今思い出した。あの、馬鹿教師は」
馬鹿は余計かとも思ったが、ついそう評したくなる。
彼女達が学校を休む事になったのも。
私がこういう状態になったのも、あの男の管理がなってなかったからだ。
「学校が調査して、休職になったわよ。美味しいわね、このチーズケーキ」
聞き捨てならない事を言うサトミ。
すぐに手を動かし、チーズケーキを探し出す。
「モンブランしかないって、さっき」
「後から、持ってきたみたいね。あなた、催促したでしょ」
「だ、だったら、私のためにじゃないの?」
「知らないわよ。意味が分からないわ」
この女、一度目に物見せてやろうか。
さっと杖を逆手で掴み、腰を落として左手を顎に添える。
「危ないわね」
遠くから聞こえる声。
おかしいと思ったら、さっきの声は端末から出ていたらしい。
完全に人で遊んでるな。
「あー」
「うるさいよ」
「うるさくしてるのよ。あー」
「目よりも口をどうにかしたらどうだ」
間違いなくそばにいたので、指で脇を突く。
距離感がはっきりしないため、あくまでも程々に。
それでも、床に転がすくらいはさせる。
「こ、この」
「何よ」
「い、いや。このショートケーキ美味しいな」
ようやく大人しくなるケイ。
喉に杖を当てられれば、熊でも静かになるだろう。
「そういえば、塩田さんが何か言ってたわよ。ユウから、話があるって」
「話?……ああ、あの事ね」
そんな事、まるっきり忘れてた。
ケーキの力は偉大だな。
「はい?」
「え?」
変な声を出す二人。
ショウはさっき聞いているので、特に反応はない。
どういう顔をしてるとか、どういう態度かまでは不明だが。
「あなた。本気?」
「じゃあ、どういう意味の冗談なの」
「怖い子ね。学校って、雀の学校じゃないのよ」
何を下らない事言ってるんだか。
私だって、学校に楯突く事の意味くらいは分かってるっていうの。
多分。
「前も言ったように、草薙グループ、中部庁、教育庁。つまりは、中央政府を相手にする訳なのよ」
「だから、どうしたの」
「もう、いい。好きにしなさい」
よかった。分かってくれた。
呆れかえったという気も、しないでもないが。
「雪野さん。一つ質問なんですが」
「何よ、浦田君」
「理由は?」
何だ、理由って。
意味が分かんないな。
「あのさ。俺の声聞こえてる?」
「耳は、悪くなってない」
「じゃあ、理由は」
しつこいな。
あーあ、チーズケーキ食べたかった。
「おい」
「何よ、もう。理由、理由って」
「一番大切な事だろ」
「どうして。理由なんて、必要あるの?」
ようやく黙った。
呆れて口も聞けない、とは思いたくない。
「あのよ、雪野さんよ」
「うるさいな」
「言いたくないなら無理には聞かないけど。言える事もあるだろ」
「そうね。強いて言うなら、むかつくから」
また静かになった。
間違いなく、ため息も聞こえてきた。
「それが、理由?」
「悪い?」
「出たよ。この、アバウト女が」
えーと、杖はどこだったっけ。
しかし向こうも察知したらしく、逃げるような足音が聞こえてきた。
「とにかく、これは決定したの。でも、強制はしないから」
「当たり前でしょ」
「何を言ってるんだ」
どうも、反応が予想とは違うな。
「分かった。私も一緒にやるわ」
とか。
「ああ、俺もやる。大した事は出来ないけどさ」
くらい、言えないのかな。
「まあ、ユウも色々考えた結果だから」
こういう、優しい事を言ってよね。
本当、これからは友達を選ぶ事にしよう。
「え?馬鹿?」
「大丈夫、雪野さん?」
友達、だと思ってたんだけどな。
大体、馬鹿ってなんだ。
「あのね。私は真剣にね」
「目も見えない、まだだるい。誰も協力しない。で、何やる気」
無慈悲な事を言ってくるモトちゃん。
さすがに木之本君は分別があるので、責め立てては来ない。
無言である事自体、かなり重い気もするが。
「もういい。私は私で生きていく」
「生きるも死ぬも、人にすがってばかりじゃない。ちょっと、重い」
仕方ないじゃない、回りを確認しないと危ないないんだから。
「それで、何をやる気」
「さっきも聞いた」
「もう一度聞く。何を、やる気」
しつこい子だな。
何をやろうといいじゃない。
というか、何でもやればいいじゃない。
じゃあ何かと聞かれると、かなり困るけど。
「他、他呼んで」
「友達に、代わりなんていないのよ」
「うるさいな。いいから、次。次」
「え、何言ってるの?」
「まあ、笑えるけどね」
聞き返す沙紀ちゃんと、鼻で笑う七尾君。
どうも評判が悪いな。
ちょっと、自信が無くなってきた。
「優ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫なんだろ。まあ、笑えるよ」
所詮は北地区か。
聞く相手が悪かった。
「後輩、後輩を呼んで」
「次の方どうぞ」
手を叩くケイ。
目の前に、人の現れた気配。
多分私の話は聞こえてたはずなので、反応を待つ。
「あたしも、どうかな」
「確かに、笑えますけどね」
「せいぜい、頑張って下さい」
「しかし、無茶苦茶だな」
神代さんと小谷君と御剣君か。
恩を仇で返すとは、まさにこの事だな。
そんなに恩を掛けた記憶もないけどさ。
「じゃあ、先輩は」
「俺は、どうともね」
「私も」
「同じく」
「あたしも、同感」
阿川君に石井さん山下さんと、土居さんか。
だから、北地区はパスだって。
「私はいいと思いますよ。まあ、結果は知りませんけど」
「面白いじゃない。はは」
多少好意的な渡瀬さん。
この後の笑い声は、天満さんか。
「まあ、気持はありがたいけどね」
落ち着いた声で語る中川さん。
ようやく意見が変わり出す。
この辺りは、今までの経緯も関係しているだろう。
実際に中川さん達は、学校と現時点でもやりあってる訳だし。
「とにかく、頑張って」
「はぁ」
何か他人事というか、突き放された感じ。
どうも調子が狂うな。
「他に、誰かいないの」
「物好きだね、雪野さん」
「柳。そう、ストレートに言ってやるな」
「笑えるじゃない」
うしゃうしゃ笑うな。
全く、誰一人私の事を分かってくれないな。
「好きにやれ」
何気ない、ささやくような一言。
間違いなく私の耳に。
心にも届いた。
「舞地さん」
思わず立ち上がり、彼女を捜して手をさまよわせる。
今の、この気持を伝えるために。
言葉にもならない、この思いをぶつけるために。
「馬鹿に付ける薬はない」
「あ、あのね」
「何」
「いや。仰る通りです」
もう、疲れた。
それに結局彼女の言う通りなんだし、好きにやるか。
むしろ誰にも迷惑掛けないし、気楽でいいや。
自嘲気味に笑いつつ、助手席で揺られる。
あのくらいが、却ってよかったのかも知れないと思いながら。
「世話が焼けるな、本当に」
頭に置かれる手の平。
仕方なさそうな、でも温かい口調。
私もその手に自分の手を重ね、鼻で笑う。
「いいじゃない。私に何が出来るか知らないけどさ」
「俺も、だろ」
「あ、そう。馬鹿じゃない」
「馬鹿同士で、何をやるんだか」
楽しげな笑い声。
笑い事ではない気もするが、重苦しくなっても仕方ない。
世の中、なるようになる。
ならなかったら、なるようにすればいいだけだ。
「あーあ」
「なんだよ」
「みんなは、友達甲斐がないなと思って」
「本当に、そう思うか」
静かな、諭すような口調。
サングラスを外し、ゆっくりと目を開ける。
かろうじて見える車の列。
流れていく街並み。
そこには存在しない。
さっきも見てはいない。
だけど脳裏に浮かぶのは、紛れもなくみんなの笑顔。
仕方なさそうに。
だけど私の事を分かってくれている表情。
「さあ、どうかな」
適当に答え、サングラスを戻す。
すぐに消える景色。
だけど消えはしない、みんなの笑顔。
今まで一緒にいた。
そしてこれからも一緒に居続ける。
初めて目が見えた時と同じ笑顔。
お母さんと、お父さんと同じ表情。
それと重なる、みんなの笑顔……。




