24-9
24-9
教室に入り、筆記用具を用意して机に伏せる。
何か目的がある訳ではなく、何をどうする訳でもなく。
時間が過ぎるのを待つ。
やがて聞こえてくる、教師の声。
それを聞き流し、授業の開始を待つ。
聞き慣れない言葉。
普段以上に入ってこない内容。
顔を上げ、ようやく教室を間違えた事に気付く。
以前なら、慌てて教室を飛び出す所。
今は、黙って座るだけ。
一度くらい休んでも大差ないし、別な授業を受けてもそれ程問題はない。
誰も私には気を払わないし、また関心もないだろう。
見慣れない人間がいると思うかどうかくらいで。
いつも以上の違和感と疎外感。
自分の存在など、この中では何の意味もなさない。
ここにいる意味など、何一つ無い。
それでも何もしない自分。
ただ無為に、時を過ごしながら。
教室を出て廊下を歩いていると、サトミに出会った。
「どこ行ってたの?」
私よりも慌てた感じ。
多少、苛立ち気味にも見える。
「教室を間違えた。それだけ」
「それだけって……。ちょっと来て」
非常階段の踊り場。
人気はなく、いるのは私と彼女だけ。
小さな窓からは、秋の弱い日射しが差し込んでいる。
踊り場に落ちる、頼りない影。
薄い、今にも消え入りそうな。
「ユウ。大丈夫?」
「何が」
「何がって。ちゃんと、こっち見て」
肩を掴まれ、強引に前を向かされる。
鋭い、探るような眼差し。
詰問されているような状況に、多少怒りが無くもない。
ただ、それ以上にやる気がない。
「目を見て」
「見て、どうするの」
「ユウ」
背筋が寒くなるような低い声。
仕方なく顔を上げ、切れ長の瞳を見つめ返す。
「調子が悪いの?それとも、何か気になる事でもある?神代さん達の事?」
いきなり核心を突いてきた。
いや。これが核心なのかどうかは、自分でもよく分かってない。
きっかけの一つだったのは確かだとしても。
今の自分が何を悩んで、どうして気が滅入っているのか。
何故ここまで投げやりなのか。
自分の方が、知りたいくらいだ。
「カウンセリングを受ける?」
「どうして」
今度は自分が語気を強め、彼女を睨む。
そんな事はしたくないし、認めたくもない。
「カウンセリングに抵抗があるのは分かるけど。この学校じゃなくて、光の知り合いでもいいから」
「いやだ」
小さくステップを踏み、彼女を避けて階段を下りる。
これ以上話す事はないし、話したくもない。
「待って」
掴まれる腕。
振り払うのは簡単で、すぐにでもそうしたい。
ただ階段の途中であるのを考えると、あまりにも危ない。
それに彼女の気持ちを考えると。
「何か、気になる事でもあるの?」
黙ったまま床を見つめ、顔を逸らす。
自分でも何がどうなのか分かってないし、言いたくもない。
「ユウが気に病まなくても、問題ないのよ」
慰め。
私の気を軽くするための言葉だろうか。
今の自分には、重い一言だが。
また彼女もそれに気付いたのか、気まずそうに顔を伏せる。
「カウンセリングが嫌なら、光でもいいから」
「嫌だって言ってるでしょ」
ここまで来ると、半ば意地みたいなものだ。
その必要があるのは、さすがに自分でも分かっている。
だけどあれこれ言われてまで、カウンセリングを受けたくもない。
「じゃあ、どうする気」
「どうだっていいじゃない」
投げやりに答え、身をすくめる。
一瞬動いた彼女の手を、伏せた視線で捉えながら。
しかしそれは私の頬へは向かず、力無い仕草で手を握り締められた。
「どうでもいい訳無いでしょ」
絞り出されるような声。
それを聞きたくなくて、もう一度彼女を避けて階段を下りる。
腕は掴まれない。
彼女も追いかけては来ない。
それが良かったのか。
それとも、寂しいのか。
彼女から逃げ出した自分には、知る術もない。
行く当てもないし、どこへ行っていいかも分からない。
何のために、逃げ出したかも。
自分でも馬鹿げてると思う行為。
子供でも、こんな事はしない。
取りあえず足を止め、壁に背をもたれて一休みする。
サトミの姿は勿論、知り合いの姿は見あたらない。
少しの安堵感と、それ以上の寂しさ。
彼女達から逃げて、どうなるのか。
失うだけで、何も得る事などない。
でも、あそこでサトミと話しあってどうなるのか。
分かるような気もする。
ただ、あまり考えたくはない。
今は逃げてさえいれば、それでいい。
それで気が楽になるのなら。
この後の事なんて、考えたくはない。
気付くと目の前に人垣が出来ていた。
こうなる理由は、分かり過ぎるくらい分かっている。
その向こうから聞こえる怒号の声。
明らかに何かで揉めている。
私には関係ないし、関わる気にもなれない。
暴れたければ、好きに暴れてればいい。
とにかく、ここから離れよう。
機敏な動き。張りのある声、淀みない指示。
それに応える動き。
割れる野次馬。
そこから覗く、揉めている何人かの男。
彼等を鎮圧し、即座に拘束していく男女。
見た事の無い人達。
咄嗟に袖を見るが、ガーディアンのIDは付けていない。
ここでようやく、彼等の存在を理解する。
例の執行委員会の護衛。
彼等をガードするだけだと思っていたが、こういう事もやるようだ。
手際は良いし、横柄な所もない。
事後処理も的確で、ガーディアンと比べても引けを取る部分はまるでない。
運ばれていく男達。
それを眺めつつ、壁際に下がる。
「雪野さん、ですか」
声を掛けてくる、人の良さそうな男の子。
彼等に指示を出していた所から見て、リーダー格といったところか。
どうして名前をという私の疑問を読み取ったらしく、袖口のIDが指差される。
「失礼ですが、主要な方の名前と顔は暗記していますので」
「そう。じゃあ、私はこれで」
理由はともかく、そういう事もあるだろう。
向こうは学校と関わってる訳だし、私達はその中でもマークされている。
要注意人物くらいに思われていても、不思議はない。
「あ。ちょっと、お待ち下さい。彼等を連れて行くんですが、付いてきてもらえますか。我々の立場がまだ曖昧なので、ガーディアンの方が同伴するよう言われてるんです」
「私じゃなくてもガーディアンは、その辺に」
辺りを見渡して、ガーディアンを発見する。
ただ彼等は丁度駆けつけた所で、しかも引き返している。
トラブルが収まり、この人達との話し合いも付いたのだろうか。
「申し訳ありませんが、ご足労願えますか」
室内は、ガーディアンの大きなオフィスとほぼ同じ。
受付があって、その前にロビーがある。
受付の後ろには幾つか机が並び、事務職らしい子達が忙しそうに働いている。
「こちらです」
男達を引っ立てていく男の子。
仕方なくその後に続き、その後に続く。
狭い室内。
あるのは机と記録用の端末。
壁際のミラーは、外部からの監視用だろう。
「調書を取りますので、見ていてもらえますか」
「え、ああ。はい」
ミラーの反対側。
つまり監視用の部屋に入り、尋問の様子を眺める。
やってる事は、ガーディアンと大差ない。
こういう事は人任せなので、比較する対象はやや少ないが。
「どう思います?我々は」
「え?そうね。いいんじゃない」
何がどうかは知らないし、何かいいかも知らない。
ただこれを見ている限りは、特に問題はない。
とはいえこれは、彼等のごく一部の面。
あの金髪達の事を考えれば、肯定する気にはとてもなれない。
「ガーディアンと比べれば規模は小さいですが、資金は潤沢ですし装備も揃ってます」
「そう」
勧誘と考えるのが妥当だろうか。
それとも、何らかの罠。
ここまで着いてきて、今さらという話だが。
「大体分かってるかと思いますが、我々と一緒にやる気はありませんか」
「別に。私なんか誘うより、サトミ……。遠野さんや元野さん達を誘った方がいいんじゃなくて。向こうの方が統率力も、影響力もあるんだし」
「役職としては、そうでしょうけどね。ただ、オピニオンリーダーとしては、どうでしょう」
「私は、フォロアーよ」
公的な立場ではなく、私的な関係でみんなの意見を導くのがオピニオンリーダー。
それに従うのが、フォロアー。
私がどちらかといえば、、間違いなく後者だ。
意見なんてないし、あっても大した事はない。
遊びの事か、食べ物の事。
そのくらいでしかない。
「いえ。謙遜なさらずに。それに雪野さんの影響力は、失礼ですが我々の方が把握していると思います」
横に裂ける口元。
人の良い笑顔が崩れ、一瞬だが悪意が見て取れる。
なる程、そういう事か。
「じゃあ、私の名前でも使って好きにやったら」
「まさか、そんな訳にも行きません。ただ、出来ればこちらに署名をしてもらえると助かります。後は、そうですね。軽く、演説でもしてもらえますか?それが面倒なら、個別の面談でも構いませんが」
つまり私は、都合の良い駒。
マスコットガールか。
扱いやすくて、どうやら影響力もある。
「どうして、私が……」
そう言いかけた所で、異変に気付く。
マジックミラーと思っていた窓の向こう。
こちらを見ている男達。
尋問する側と。
される側が。
どうやら、初めから全部仕組んでいたらしい。
こうなると、途中で引き返したガーディアンもかなり怪しい。
何らかの裏交渉、取引があるのかも知れない。
いつの間にか囲まれている周囲。
ミラー越しの尋問室よりは広いが、私の逃げ道をふさぐには十分だ。
咄嗟に背中へ手を当て、スティックを抜く。
気分は滅入っている。
何もやる気は起こらない。
ただ、最低限身を守るだけの覚悟はある。
「我々も、出来るだけ穏便に事を進めたいんですが」
「じゃあ、そこを開けたら。こっちも、暴れる心境じゃないの」
ここでも、ふと思う。
あえて、このタイミングを狙ってきたのではないかと。
ただ、そんな事を考えている余裕もないのも確かだろう。
「まずは、武器を渡してもらえますか」
「自分で何を言ってるか、分かってる?」
「無理矢理サインさせられるのは、面白くないですよ。それとも、そういうのが好きですか」
小さなビニール袋から錠剤が取り出されたのを横目で確認して、ため息を付く。
治安が悪化してるのは、身を持って知っていた。
ただ、こういう手段を使う人間はいないと思っていた。
思いたかった、という方が正確か。
ドラッグが出回ってるのは分かっていたが、これは性質も意図も違う。
どちらにしろ、それを受け入れる気は毛頭無い。
「いい加減にして」
「私も、こういう事はやりたくないんですけどね。何分、ノルマがきつくて」
大袈裟に肩をすくめる男。
勧誘のノルマか、それ以外の何かか。
理由はともかく、男の表情には多少の焦りもある。
ノルマをこなせない場合の罰則も、当然だがあるという訳か。
「大変ね。せいぜい頑張って」
「ああ。頑張るさ」
近付いてくる男。
取りあえず後ろに下がり、距離を取る。
ただ背後からも人が迫り、そちらとの距離は自然と狭まる。
体は重いし、気分も勝れない。
馬鹿馬鹿しさと虚しさだけが、ただ募る。
叫び声と、何かの倒れる音。
一斉にそちらを向く男達。
私もそれを気にしつつ、ポジションを少し変える。
背後から人を消し、ドアに近い距離へと。
「誰か、見てこ……」
男が指示を出した途端、ドアが開き人が入ってきた。
正確には床へ転がり、動かなくなった。
「なっ」
もう一人飛び込んで来る。
その男を踏み越え、刺すような視線を室内に飛ばしていく。
この場にいるだけで全てを支配するような威圧感。
凛々しい横顔は険しさと怒りを漂わせ、まともに目を合わせる事もままならない。
「だ、誰だお前は」
真っ直ぐ伸びたストレートが男の顎を捉え、あっさり床へと叩き落とす。
これを見て掛かっていく者はなく、誰もが彼を避けて視線を伏せる。
「行くぞ」
床に倒れる男達。
倒れたロッカーや本棚。
壊れた花瓶と割れたガラス。
飛び散った血が、壁や床を染めている。
「ま、待てっ」
出口の前に立ちふさがる女達。
手には警棒とバトン。
その先端からは、青い火花が飛び散っている。
「どけ」
低い、普段は聞いた事もない冷たい声。
女は喉を鳴らし、ドアの脇にどいた。
しかしそれでも、武器をこちらへ向けるのは止めようとしない。
「掛かってくるなら、手加減はする」
安堵。
それとも、狡猾な表情を浮かべる女達。
女としての特権を利用出来ると判断した上での。
「殺さない程度にはという意味だ。それでもいいなら、掛かってこい」
腰を抜かす二人。
そちらへは目もくれず、壊れたドアを通っていく。
私もその後に続く。
振り返る事もなく、その理由もなく。
ただ、彼の後に付いていく。
自販機の前。
差し出されたコーヒーを一口飲み、頭を下げる。
「ごめん」
「謝る事ないだろ」
ぶっきらぼうに返すショウ。
彼はブラックを一気に飲み干し、空になった紙コップをゴミ箱へ放り投げた。
どこで私があそこにいるのを知ったのかは、分からない。
私がどういう状況だったのかも。
でも彼は、来てくれた。
その事だけが、今の自分には分かっている。
「俺が、勝手にやった事なんだし」
息が止まるような言葉。
目の前が暗くなり、息が苦しくなる。
だがそれは、すぐに楽になる。
「その。あれ。なんだ、ユウのために」
素っ気ない、すぐ側にいる私にしか聞こえないささやき。
私のような身勝手ではなく。
独りよがりの考えでもなく。
自分の事だけを考えていた自分とは違う。
人のためにあれだけの事を出来る人だと、今さらながらに気付く。
「あれがいいのかどうかは、ともかくとしてさ」
鼻で笑うショウ。
私も少しだけ笑い、コーヒーを飲む。
程良い温かさ。
ミルクで柔らかくなった味。
砂糖の丁度良い甘さが、喉を通りすぎていく。
「何を悩んでるか知らないけど、無理するなよ」
「そう、だね」
当たり前だが、やはり彼も気付いていたようだ。
むしろ、気付かない方がどうかしてるかも知れないが。
「サトミは、カウンセリングがどうとかって言ってたけど」
「行かない」
すぐに否定して、視線を伏せる。
彼も善意で言ってるのは分かる。
自分で解決出来るかどうかも、定かではない。
下らない意地。
無意味で、むしろ害にしかならないような。
「そう、か」
短く、やるせなさそうに呟くショウ。
自分の状態が、彼にとっても重荷になっている。
彼だけでなく、サトミ達にも。
誰のせいでもなく。
私のせいで。
今も逃げ出して、かえって迷惑を掛けて。
それでもまだ、逃げ出している自分。
一人だったら、泣き出してしまいそうな気分。
あまりの情けなさに、消えてしまいたくなる。
「まあ、なんとかなるさ」
「なにが」
反発半分で、そう尋ねる。
彼も深くは考えていなかったのか、戸惑い気味に小首を傾げた。
「いや。何とかなるんだろうなと思って」
これ以上聞くのも無意味だろう。
単に思い付きで言ったのか、私を慰めようとしたのか。
とにかく適当に頷き、空になった紙コップを捨てる。
残るのは、苦みと甘さ。
後は、少しだけ体が温かくなった事くらいか。
オフィスへ戻り、サトミと顔を合わせる。
向こうからは、何も言わない。
私も、何も言わない。
ただ視線をかわし、席に付く。
それだけで十分だ。
少なくとも私は。
きっと、彼女も。
「玲阿四葉君は、いますでしょうか」
わざとらしい口調で入ってくるケイ。
いつにない、明るい笑顔。
若干、強ばり気味に見えなくもない。
「なんだ」
「君はさっき、どこにいましたか」
「どこって。その、学校」
「面白いな、それ。クレームと始末書と、請求書と召喚状。どれから見たい」
机に並べられる書類。
当たり前だが、どれ一つとしてみたい物はない。
「例の執行委員会からだ。で、どうしたい」
「あいつらが悪いんだ」
「男だね、君は。でも、馬鹿だな」
誉めてるんだろう、多分。
書類を破りだしたので、まず間違いはないと思う。
「どうでもいいけど。もう少し、冷静に行動してくれ」
「無理だ」
「言い切るな」
ゴミとなった書類を捨て、リュックを背負うケイ。
サトミとショウも、同じように荷物を片付け出す。
「どうしたの」
「午後の授業が残ってるじゃない」
指差される時計。
ここでようやく、時間の感覚を取り戻す。
「大丈夫?」
「なんとかね」
室内を見渡し、リュックを探す。
しかし、どこにもそれは無い。
理由は簡単で、ずっと背負っていたからだ。
笑い話にもならない状況。
勿論今は、笑う気にもなりはしない。
「解決した?いつ、どうやって」
次の教室へ移動する途中。
廊下で足を止め、サトミを見上げる。
「私もよくは知らないけれど。神代さん達だけで、どうにかしたみたいね」
「そう、なんだ」
何にしろ、私は何の役にも立たなかったという訳か。
今さらという話で、落ち込む気にもならないが。
「じゃあ、ショウのお金は」
「それは、向こうに聞いて」
顎をケイへと振るサトミ。
そのケイは、暇そうに窓の外を眺めている。
「お金は、戻ってくるの」
「当たり前だろ。矢加部さんには30%の利息も払うんだし。根こそぎ奪い取ってやる」
こういう話を聞くと、どっちが悪いのかという気がしないでもない。
しかもこの事が、冗談ではないだけに。
「名雲さんの方は?」
「あっちは知らん。やりたいようにさせてやってくれ」
「させてやってって。放っておいて、モトちゃんに何かあったら」
「前も聞いただろ。名雲さん本人に手を出す奴はいても、その女に手を出す奴はいないって」
意味ありげな視線。
少しの咳払い。
サトミも困ったような視線を、私へ向けてくる。
そこでようやく、その意味に気付く。
ついさっきの出来事と会話。
ショウが何をやったのか。
いや。誰のために、やったのか。
今は、あまり深く考えないでおこう。
「とにかく、馬鹿は少し減る。でもって、次が補充される」
「どうして分かるの?」
「今までが、そうだっただろ。大体屋神さん達の時から、どれだけ傭兵が入り込んでる?俺達自体それなりに叩き出したけど、むしろ増えてる」
鼻で笑うケイ。
そうなると、何をやっても無駄という事になる。
彼等を受け入れる権限を持つのが学校である以上、致し方ないとも言える。
それに逆らう事の意味というか大きさも、今さらながらに実感出来る。
つまり生徒を受け入れる事が出来るのと同様に。
学校は、私を叩き出す事も出来る訳だから。
ただ過ぎていく時間。
多少、過ぎ気味にも思える。
それからややあって配信される、学校からの連絡。
自習の文字が、見て取れる。
かなり拍子抜けした気分。
さっきの神代さんの話といい、この事といい。
自分がやる事は、何もないようだ。
すぐに教室を出て行く、何人かのクラスーメート。
本当に自習を始める子もいるにはいるが、それ以外は友達と話し込んでいる。
自分はどうしようかと間もなく、再びメールが舞い込んできた。
さっき同様、簡潔な文章。
しかし内容は、かなり違う。
「ラウンジへ来いって」
「誰から?」
「書いてない」
眉をひそめるサトミ。
腰を浮かすショウ。
ケイは鼻で笑い、リュックを背負った。
「行くの?罠かも知れないのに」
「仮にそうだとしても、罠があるなら餌もある。それを確かめるくらいは問題ないさ」
指定されたのは、同じ教棟の同じ階のラウンジ。
自分の行動は把握されていると思って、間違いない。
さすがにいきなりは入らず、出口の辺りで人の流れを確認する。
見ている限り、不審者は見あたらない。
柄の悪い連中はともかく、何かを企んでいるような奴という意味で。
「……早く来いって」
端末の画面に映る、送り主不明のメール。
ここにいる事も、分かってるのだろうか。
「人も多いし、それ程危険はないと思うけれど」
顎に手を添え、小首を傾げるサトミ。
彼女が言いたいのは、一般論という事だろう。
常識のない人間は、回りがどうだろうと自分の好き勝手に振る舞うから。
「見てきてよ」
「あ?」
「自分が言い出したんじゃない。ほら、見てきて」
「この。しかし、本当に大丈夫なんだろうな」
及び腰で、ラウンジの広い出入り口をくぐるケイ。
しかしその姿は、私達にとって笑い事ではない。
彼が認めた通り、罠の中に飛び込んでいくようなものだから。
すぐに引き返してくるケイ。
表情に焦りはないが、かなり苦いように見える。
「帰ろう。ここにいていい事は、何一つ無い」
「誰がいたの?」
「さあ。何しろ、早く帰った方が」
「どこへ行く気」
高飛車な、やや高い声。
スリットの入ったミニ、体にフィットしたTシャツ。
その上に赤いボレロを羽織り、長い髪をかき上げる。
「大内、さん」
彼女は鼻先で笑い、ケイを睨みつつ私達の方へ手を振ってきた。
どうしてという疑問を口にする事もなく、向こうから話しかけてくる。
「久し振りね。でも、元気は無さそうじゃない」
「何か、用?」
「そう、邪険にしないでよ。自習なんだし、お茶でも飲まない?」
余裕に満ちた態度。
彼女がやった事とその結果を考えれば、私ならとても冷静にはふるまえない。
しかし大内さんはあくまでも自分のペースで、事を進めていく。
「すぐに運ばせるから」
「知り合いでも来てるの」
「来たのは、私。この意味、分かる?」
悪戯っぽい、ただ若干皮肉も感じる笑顔。
それを見たサトミの表情が、微かに変わる。
「あなたの後輩という訳?」
「そういう事になるのかな。案外、優秀でしょ。私程じゃないけど」
「そうね」
普段にない鋭い眼差し。
大内さんはそれを平然と受け止め、小さく手を振った。
私達に対してではなく、どうやらその後ろに向けて。
「お待たせしました」
トレイに乗ったお茶やコーヒー。
落ち着いた声。
ただ、若干伏せ気味の綺麗な顔。
緒方さんはトレイをテーブルに置き、紙コップを一つずつ並べ出す。
私達を見ようとはせずに、ただその作業をこなしていく。
「それ程、驚くような事でもないでしょ」
紅茶に口を付け、鼻で笑う大内さん。
自分は仕掛けた張本人なので、ゆとりはあるあろう。
こちらは戸惑いと疑念だけが膨らむが。
「別に、あなた達を混乱させるためじゃないわよ。視察というか、チェックも兼ねてね」
「何の」
「学校と対抗出来るだけの人間が、どれだけ揃ってるか。勿論それを考えてるのは、私ではないけれど」
細められる瞳。
その視線は私達を過ぎ、端の方でお茶をすすっているケイへと突き刺さる。
「峰山さんの指示だろ」
淡々と呟くケイ。
確かにそれなら、ある程度は理解出来る。
彼は大勢の傭兵を束ねる存在で、なおかつこの学校のために尽くしてきた人間。
今は学外からバックアップをしている様子で、今度の事もその一環という訳か。
「報告で見る限りは、あなた達かなりぬるいわね」
「悪かったわね」
「神代さんだった?彼女が巻き込まれたトラブルへの対応も、結局1年が収めたらしいし」
何気ない一言。
そして、事実。
私にとっては、重い一言。
「峰山君はあなた達に期待してるみたいだけど。この調子なら、1年に任せた方が良さそうね」
「任せるもなにも。私達は別に」
「関係ないし、関わってもいないんでしょ。それでも良いとは思うわよ。皮肉じゃなくて、後2年もすれば卒業なんだから。今から揉める方が、むしろ馬鹿よ」
素っ気ない口調。
ただたしなめているように、聞こえなくもない。
彼女の言うように、大人しくしているのが無難ではある。
時が経てば全てが終わり、本当に関係はなくなる。
高校での揉め事なんて、遠い記憶でしか。
そんな事もあったなと、何年も過ぎた後に思い出すくらいで。
「一つ聞きたいんだけど」
さっき同様、淡々とした口調で切り出すケイ。
大内さんは可愛らしく小首を傾げ、彼を見つめた。
その瞳は、不安そうに見えなくもないが。
「緒方さんの件はばればれだったから、俺達もそれほど驚かない」
一瞬体を震わす緒方さん。
ケイは構わず、大内さんを見つめ返す。
「彼女以外には、誰を送り込んできてる?俺達の、身近な人間で」
「確かめて、何かいい事でもあると思う?それに私の知る限り、あなた達の身近にはいないと思うわよ」
「峰山さん経由じゃなくて。それ以外の、間さん達が送り込んでる人。情報を扱ってるんだから、そのくらい抑えてるだろ」
微かに歪むケイの顔。
聞くべきではなかったというように、見えなくもない。
でも彼は、口にした。
いつまでも、知らぬ存ぜぬではいけないという事か。
「仕方ないわね。私も確証はないけど、何人かの名前は聞いてる。……これか。えーと、小谷っている?」
「いるね」
「彼は、杉下という人がスカウトしたらしい。先輩の後を追ってここに来たがってた所に、誘いを入れたみたい。何か、苦労してるみたいよ」
「それは、俺達も分かってる」
苦笑するケイ。
しかし今の言葉に、驚く様子は見られない。
「それと、さっきも名前が出た神代さん」
「え?でも、彼女は」
「慌てないで。どうもこの子は、自分でもスカウトされたとは思ってないわね。好待遇で編入出来るから来たと、自分では考えてる。気が弱そうだし、こういう勧誘の方がいいと思ったんじゃなくて」
解説まで挟む大内さん。
自分の知らない所での策謀、か。
こうなると、本当に誰が悪いかという話にも思えてくる。
自分の意思には関係なく、トラブルに巻き込まれるような自体になっっている今は余計に。
「そんな事が、許されると思ってるの?」
「なりふりを構っていられないんでしょ」
どこかで聞いた台詞。
大内さんは空になった紙コップを振り、替えを持ってくるよう緒方さんを促した。
「あの子は、どう?」
多少不安げに尋ねる大内さん。
サトミは前髪を横へ流し、彼女が作ったらしい評定表を端末で見せた。
「仕事は出来るし、気も回る。優秀は優秀ね」
「そう」
「ただ、高飛車で多少自己中心的。周囲との協調性には欠けるかしら」
「それって、悪い事なの?」
すごい事を言い出した。
この辺は、先輩譲りという訳か。
「これで出来が悪かったら、来たその日にいなくなってたわよ」
「あなたも、怖いわね」
「よく言われるわ」
笑いもせずに答えるサトミ。
大内さんは額に手をやり、前髪を指に挟みながら彼女を見つめた。
「ここへ、緒方さんを残すっていいたいの?」
「分かってるなら聞かないで。峰山君はそれなりの意図があるだろうけど、あの子自身はごく単純よ。ただ残りたいから、それだけ」
「それを信じろと?」
「私を信じろとは言ってない」
厳しいやりとり。
二人の間に走る、張りつめた空気。
しかし若干大内さんが押され気味なのは、致し方ない。
「いっそ、あなたが来たら?」
「面白いわね、それ」
やはり笑わない大内さん。
サトミもくすりともせず、テーブルの上に指を組んで背筋を伸ばしたまま彼女を見据える。
「とにかく、頼んだわよ」
「どこ行くの」
「舞地さん達に会いたくないから、早めに逃げるわ。じゃ、またね」
颯爽と席を立ち、出口へと向かう大内さん。
その容姿と派手な服装に、自ずと周囲の視線が集まる。
ただ当の本人は、むしろそれを楽しんでいる様子。
私とは思考がかなり違うようだ。
でもって出口の所でひっくり返り、何か言いながら逃げ出した。
「へろー」
普段通り、ふざけた口調で現れる池上さん。
よく考えると、彼女も情報を扱う傭兵。
大内さんが来る事は、事前に察知していたのかも知れない。
「あの子、何しに来てたの?」
「色々と事情があるようです」
さっきの話をかいつまんで説明するサトミ。
池上さんは薄いセーターの毛玉を取りながら、何度か頷いた。
「スカウト、ね。言ってみれば、私達もそうよ。ねえ」
「そうかな」
素っ気なく返す舞地さん。
彼女は例により、Gジャンにジーンズ。
代わり映えはしないし、変わらないとも言える。
「名雲さんは?」
「馬鹿は神代さん達がやっつけたら、やる事が無くなったみたい。どっちが馬鹿かって話でもあるんだけど」
「あの男とは、何があったの?」
「よくある話よ。名雲君の評判を聞いて、襲ってきてた馬鹿なんて。その中の一人と、たまたま出会っただけの事」
事も無げに説明する池上さん。
それ程軽い話ではないと思うが、彼女達にとってはまさに良くある話なんだろう。
「一つ疑問に思うんだけど」
ぽつりと呟き、気付いたらみんなの視線を浴びていた。
それに多少戸惑いつつ、話を続ける。
「そうやって、外の人間を集めて。それで学校とやり合う事に、意味はあるの?」
「いきなり核心に触れるわね」
「だって、この学校というか生徒を守るためにやる訳でしょ。でも、戦うって表現がいいかどうかともかくとして。それをやるのが、外から来た人達なんて。何か、おかしくない?なりふりに構ってられないとか言うなら、それこそ自分達が来いって話じゃない」
目の前にいる二人も、外から来た人間であるのは分かっている。
その事を差別する気はないし、普段はそれ程意識もしない。
でもさっきまでの話を聞いていると、疑念ばかりが募っていく。
「じゃあ自分はどうなんだって言われると困るけど」
ずるいとは思うが先手を打ち、一人で話を終わらせる。
何となく気になったから話した。
言っていいかどうかの判断も付かないままに。
身勝手で、独りよがりな行為。
言っても嫌になる、言わなくてもストレスがたまっていく。
自分自身が、嫌になってくる。
「あまり、気にしない事ね」
「何を」
「何もかもよ。思い詰めるのは分かるけど、個人でどうにかなる問題じゃないんだから。もう少し言うなら、何年掛かるか分からない」
肩をすくめる池上さん。
舞地さんは暇そうに、紅茶の入った紙コップを指で突いている。
「雪ちゃん達の先輩の頃から数えて、何年よ」
「その頃はまだ中3だから、2年」
「でしょ。それに今のは、生徒側の話。学校、草薙グループ自体はもっと前から計画を練ってたと思うわよ。そう簡単に、何もかもが上手くいく訳じゃない。長い目で物事を見るのも、大切なじゃなくて」
諭すような口調。
言いたい事は、何となく分かる。
でもそれは私には苦手な事だし、どうしてもすぐに結果を求めたくなる。
「何て言ってるけど。私達の立場も結構不安定なのよね。生徒会長の指示に従うって契約が、ネックになってるから」
「どうするんですか」
「契約は守る」
短く。
しかく、力強く言い切る舞地さん。
彼女の考え、思惑。
それは分からない。
彼女が自らに課された事を為し遂げるという意思以外は。
「こんにちは」
ひょこりと現れる柳君。
手には例の、変なカエルを持っている。
「へへ」
「それって、塩田さんの」
「もらった。欲しい?」
「一度は、俺がもらったんだけどね」
それでもカエルを受け取り、遊び出すケイ。
面白いんだろう、多分。
今は、単なる子供のおもちゃにしか思えないが。
「さっき、大内さんいなかった?」
静かに尋ねる柳君。
可愛らしい顔に浮かぶ、酷薄な表情。
彼女がケイにした事を考えると、それは仕方ない。
私だって、今でも複雑な気持ちがある。
「もう帰った」
短い。
さっきとは違う、釘を刺すように告げる舞地さん。
柳君は不満そうに彼女を見上げ、柔らかそうな髪をかき上げた。
「いいけどね、今さら。それより、緒方さんは?」
「彼女が、どうかした?」
「お金渡すの忘れてた。この前、みんなでお酒飲んだ時の」
お酒?
緒方さんと、柳君が?
しかも、みんなという言葉も付け加えられた。
「神代さんの事で、色々あってね。お礼だって」
「1年だけで片付けたって聞いたけど」
「僕は、たまたま通り掛かっただけ。御剣君がいれば、相手が熊でも逃げ出すよ」
なる程。
はっきりしないが、1年同士の交流が進んでいるという訳か。
集められた。
また、それだけの能力のある子達。
杉下さん達にとっては、こっちの方がいいのかもしれない。
むしろ、これが狙いだったのだろうかとも思えてくる。
敢えて危機を作り出し、団結を生み出す。
うがった考え方。
人を疑う事を前提にした。
もう、何もかもが嫌になってくる。
「僕は、多少疑問だけどね」
「何が」
「あの子達だけで、学校と対抗するって事。勿論もっと人数が増えて、バックアップする人がいたとしても」
普段の彼とは違う、冷静な表情。
醒めた、一歩引いた態度。
「ケンカが強いとか、頭が良いとか。そういう能力だけの問題だけじゃないと思うから」
「まとめる人が必要って事?」
「うん。昔学校とやり合った時も、そうだったみたいに。何人かリーダーシップを取る人間がいたから、曲がりなりにもやり合えた。でも、今のままだと単なる人の集まりだから」
辛辣とも言える台詞。
人の集まり、か。
それは、私達も同じだろう。
仲のいい人が集まっているだけの事。
好き勝手に、自由にやっている。
私は、それでも問題ないと思っていた。
ただし彼の言うように、学校と対抗する場合は違ってくるだろう。
単なる人の集まりだけでは、何もならない。
それを引っ張っていく人がいなければ。
支えていく人、後に続く人も。
「そう、だよね」
短く答え、席を立つ。
これ以上言う事は何もない。
やれる事も、やりたい事も。
私には、関係のない事だから。
そう思い込みたいだけなのか。
本当にそうなのか。
どちらにしろ、今は何も出来そうにない。
第24話 終わり
第29話 あとがき
かなり中途半端な内容。
とはいえある程度意図した事で、25話への布石になっています。
神代さん絡みの話に関しては、エピソード 24話にて。
今回登場した1年生について、少し。
真田
1年生。長いお下げ髪で大人しそうな外見。
事務方らしく、「ロースクール」などの発言から法曹界を目指しているらしい。
基本的に敬語で寡黙。
目立たない外見を生かし、情報収集活動を行っている。
ユウ達とは、中等部南地区からの付き合い。
最近まで東京に行っていた?
緒方
1年生。背の高い、綺麗な顔立ち。
峰山の指示を受けて草薙高校へ潜入した傭兵の一人。
大内の後輩?
そのためか、情報操作に優れる?
高飛車で自尊心が高い。
大体ですがこんな感じ。
ここまで来ると、もう収拾がつきませんね。
次の第25話で、2年編前編は終わり。
ちなみに、非常に暗いので念のため。




