24-8
24-8
レポートを届けに、A-1のオフィスまでやってくる。
その受付。
見慣れた背中があったので、声を掛けてみる。
「……何、それ」
顔にガーゼを貼り付けている名雲さん。
拳には包帯が巻かれていて、よく見ると足も引きずり気味だ。
「うるさいな」
「だって、怪我してるじゃない」
「俺にも色々と、事情がある」
吐き捨てるような口調。
叩かれる受付のカウンター。
この間の傭兵と揉めたと考えるのが、一番分かりやすいか。
「やっぱり危ないな。モトちゃんには、止めるよう伝えよう」
「お、おい。怖い事言うな」
「だって、そうじゃない。ケンカばっかして」
「じゃあ、自分のはなんだ」
指を指される額。
触れてみると、ガーゼの感触があったりする。
「こ、これは、その」
酔って暴れたとはとても言えず、カウンターを指で引っ掻きながら適当に答える。
「聞こえん」
「女に、細かい事を聞かないで」
「池上みたいな事言うな」
そういえば、今のはそんな台詞だった。
知らない内に、感化されているようだ。
でも、うしゃうしゃ笑わないだけまだましか。
「名雲さん、弱いから」
可愛らしく笑う柳君。
彼の顔には傷一つ無く、体を痛めている様子もない。
言うならば、豹をからかう虎といったところか。
受付を済ませるついでに、モトちゃんにも会う。
正確に言えば塩田さんの執務室なんだけど、今は彼女が使用している状態。
仕事は元々彼女がやっていたので、問題は特に無い。
また、それに疑問を呈する人もいない。
ここまで来ると、どうかとも思うが。
「また、怪我したんですか」
机の上で手を組み、そこに顎を乗せるモトちゃん。
大人しい、優しげな表情。
微かに傾げられる小首。
私の目には、その背中から鬼がはい出してきそうに見えるが。
「い、いや。その、さ。あれ」
「どれでしょう」
「さ、さあ。どこかな。ここか?」
壁際の棚を調べ出す名雲さん。
昔は強面で、今もそのせいで暴れているらしい。
この姿を見る限りは、借りてきた猫とも呼べないが。
「お気持ちは分かりますが、自重をお願いします。私達も、学校外生徒に対してはそれなりに対応を考えていますので。何が何でも排除する、というのは少数意見ですから」
「この前の会議では、叩き出せみたいな人もいたいじゃない」
「相手によりけりよ。無論、馬鹿は放り出す。でも真面目にやりたいと思ってるのなら、サポートはする」
「大人だね。ケンカばっかりしてる人とは違って」
笑う前に腕へ痛みを感じ、壁にもたれる。
私の場合は、地面とケンカしたらしいからな。
「大丈夫?」
「平気。それより、塩田さんは」
「その辺の棚に隠れてるんじゃない。最近、見ないわよ」
「忍者だからな。池があるだろ、この学校。あの中にいないか」
勝手な事を言い合う二人。
柳君は何故か、壁を叩いてそこに耳を当てている。
「何してるの」
「隠し扉とか無いかなと思って。ほら、忍者屋敷の」
「ああ。でもここは学校だし、そういうのはないと思うよ」
しかし私も、確信は持てない。
例えば、この棚の裏側はどうだろう。
勿論棚があるので、扉自体の意味がない気もするけど。
「おい」
不意に掛けられる声。
振り向くと、いつも通りいつの間にか塩田さんが立っていた。
「動く訳無いだろ」
私と柳君が動かそうとしていたのは、大きな棚。
中には書類や本が入ったままで、大地震が来ようと倒れないような安定感。
「でも、ここが一番怪しいと思って」
「怪しいのは、お前達の行動だ」
悪かったな。
仕方ないので拳で軽く叩き、ストレスを逃がす。
何かへこんだようにも見えるけど、気のせいだ。
少なくとも、私の気分はよくなった。
「何だ、二人して怪我して。ケンカでもしたのか」
「私は何も。名雲さんは知らないけど」
「まあ、好きにしろ。ただ雪野はともかく、お前はあまり暴れるなよ。学校外生徒って辺りを突かれて、叩き出される可能性もある」
皮肉。
それとも忠告だろうか。
塩田さんは引き出しを開け、カエルのおもちゃを取り出した。
おかしいな、これは彼の部屋へ運んだはずなのに。
「間抜けだろ、これ」
チューブの先にあるボールのような物を押し、カエルを跳ねさせる塩田さん。
だったら、やらなければいいじゃない。
「真田さんが戻ってきましたけど」
「らしいな。あいつ、ロースクールはどうするんだ」
「こっちで通うんですって」
「ふーん。出戻りとか色々いるな」
意味深に頷く塩田さん。
その間もカエルは飛び跳ねるので、いまいち深刻さに欠けるが。
「僕にも貸して」
「やるよ。どうせ、浦田のだし」
「はは、ありがとう」
にこやかに笑い、大事そうにカエルを握り締める柳君。
何が楽しいかは知らないし、ケイの所有物と知った時点でどうでもよくなるが。
「前にあったのとは違うんですか?」
「やる事なくて寂しいだろうって、この間持ってきやがった。叩き出すなら、傭兵よりもあいつだな」
だったら、遊ばないでよね。
でもって、残念そうに見ないでよね。
「神代の件はどうなった」
「さあ。私は、風邪引いてたのでちょっと」
それだけが理由ではないが、ここであれこれ言いたくはない。
その辺りを察してくれたのか、モトちゃんが話を継いでくれる。
「今の所、特に問題はなさそうです。護衛も付けてますし、連中の目も逸れてますから」
「ケンカの原因はそれだろ」
顎を振る塩田さん。
名雲さんは鼻で笑い、ガーゼの付いた頬に触れた。
「玲阿が絡んでるって聞くが」
「馬鹿にお金を渡してるようです」
「いつの間に、そういう悪い事を覚えたんだ」
戸惑いと不安の入り交じった表情。
可愛い弟を気にする顔とも言える。
「お前は、親か」
苦笑気味に突っ込む名雲さん。
彼もショウへの思いは色々あるだろうが、ここまで気を病む事はないだろう。
それは性格的な部分と、付き合いの長さも関係してると思う。
少なくとも昔の彼だったら、こういう真似はしなかったから。
この変化が、良いか悪いかは知らないが。
「うるさいな。で、その馬鹿はどういう奴だ。お前、詳しいんだろ」
「気にする程の連中じゃない。後ろで操ってる奴も、たかが知れてる。せいぜい、しつこいくらいだな」
「全く、人の学校で好き勝手やりやがって」
壁を拳で突く塩田さん。
さっきとは違う、妙に乾いた音。
私と柳君は顔を見合わせ、壁を指差す。
「そこ、音が」
「一度、杉下さんに会ってこい」
「え」
「杉下さん。ほら、早く行け」
はぐらかされたと思いつつ、学校を後にして大学へと向かう。
あの音は、明らかに空洞を思わせる響き。
隠し扉とは言わないが、何かあるのは確かだろう。
何が、とか。
どうして空洞がある、という辺りは全く謎だけど。
「いるのかな」
わずかな敷地に教棟が立ち並ぶ狭苦しいキャンパスを歩きながら、辺りを見渡す。
夕方過ぎとあって、学生の姿はまばら。
それも帰る人が大半で、人の流れとすれ違うだけだ。
「大体、ここはどこ」
「大学だろ」
真面目に返してくるショウ。
そんな事は分かってるし、違ったら困る。
「法学部に行くんじゃないのか」
「馬鹿じゃない。あそこは、お墓を通っていくのよ」
「だから」
そう来たか。
それとも、お墓に入れて欲しいのか。
「怖い顔するな。別に、幽霊が出る訳でもないんだし」
「言い切れるの?人魂も浮いてないって。雨も降らないって」
「意味が分からん」
すたすたと歩いていくショウ。
置いて行かれては大変なので、慌てて後ろに追いすがる。
うっそうとした木々。
夕方の赤い日射しも差し込まず、虚ろな風だけが吹いている。
何故か木々の奥にはお地蔵様までいて、はっきり言えば楽しくない。
「や、やっぱり止めよう」
「引き返すのか」
指を指される後ろ。
頷きかけて、言葉を失う。
うっそうとした木々に、日の差し込まない小道。
街灯はぼんやりと灯るだけで、人気の無さだけが強調される。
「い、行く」
「でも、帰りはまた通るんだよな」
「え」
やはりさっさと歩いていくショウ。
当然慌てて追いすがる。
でもって今度は墓場。
私は、何か悪い事でもしたのかな……。
それでもどうにか、法学部までやってくる。
どうしてこんな離れた場所にあるのか。
大体、どうしてお墓の中を突っ切るのか。
何故、お墓があるのか。
ここの経営者なり管理者に、一つ一つ問いただしたい。
「どこにいるのかな」
「連絡はしてあるんだろ」
「してあっても、肝心な場所が分からない」
仕方ないので、階段の脇にある地図を確かめる。
取りあえず、現在地は分かった。
書いてあるからね。
「君達か。塩田君の後輩は」
不意に声を掛けてくる、細身の男性。
落ち着いた物腰だが、緊張感と紙一重の感じ。
少し長めの前髪をかきあげ、細い目元をこちらへと向ける。
「ええ。でも、どうして」
「連絡された特徴と同じだから」
確かに、これだけの大男と小女の組み合わせも珍しいだろう。
塩田さんがどう連絡したかは、聞きたくないが。
「立ち話もなんだから、移動しようか」
やって来たのは、小さな部屋。
ロッカーに机。
物がかなり雑然と置かれ、ハンガーにはスーツなども掛かっている。
「何か、前来た事がある」
ロッカーのドアに張られた写真を見て、ようやく理解する。
草薙高校の正門に並ぶ、大勢の男女。
その中には塩田さん。
そして、杉下さんの姿もある。
「ここって、河合さんの」
「ああ。個人的な作業をするには便利な場所でね」
出されたコーヒーに礼を言って、口を付ける。
変わらない物静かな態度。
ただ時折こちらに向けられる視線は、怖いまでに鋭さをはらんでいる。
「単刀直入に言えば、俺達はスカウトした人間を草薙高校に送り込んでいる。誰がとは言えないが、それなりの人数を」
「じゃあ、真田さんは?」
「誰はとは言えない。人の話はよく聞くように」
苦笑気味に諭す杉下さん。
それはそうだが、だったらここに来た意味がない。
「遅れました」
頭を下げて入ってくるサトミ。
その後ろからケイも、適当に会釈してやってくる。
「大学院に知り合いがいるそうだね。飛び級とは、恐れ入る」
多少皮肉混じりの口調。
何に対してかは分からないし、悪意は感じられないが。
「で、送り込んだ人達が裏切る可能性は?」
いきなり話し始めるケイ。
それも、さっきの話を聞いてたのように。
「その辺りは、俺達を信頼してもらうしかない。それと、その送り込んだ人間達を」
「学校が、金も権限も持ってるのは知ってるでしょう。目の前で金をちらつかせれれば、信念なんてあっさり吹き飛びますよ」
「否定はしない。ただ、その程度の人間は初めから対象にしていない」
「口では何とでも言えますからね。それに、人間は変わります」
愛想の良い笑顔。
彼のこういう場合は、あまり良い意味を持ってない。
「仕方ない。カードを一枚切るか」
「助かります」
「スカウトした一人の名前は、真田さん。対学校については、彼女のように冷静で事務的な人間が必要となる。殴り合いをする訳ではないし、またそれが出来る人間は現時点で十分揃ってる」
ある程度、予想をしていた答え。
いくら何でもこの時期に戻ってきたのはおかしいし、彼女のあの態度。
ただ悪いのは、彼女ではない。
「人を、そうやって駒みたいに使うんですか」
「ユウ」
「だって」
「いや、いいんだ。悪いが、なりふりは構ってられなくてね。必要と思えば、何でもやる」
はっきりと言い切る杉下さん。
それは分かる。
学校が何をしたいのか、その後でどうなるかも。
「そんなの、学校と同じじゃないんですか。結局私達は、言われるままにやるだけですか。結果がよければ良いという事でも無いでしょう」
「いつか分かる、とは言わない。俺も大義がある訳じゃない。仲間を失った恨みでやってるだけさ」
「そんなの」
そう言われては、これ以上言いようがない。
だったら、私達はどうすればいいのか。
何をするべきなのか。
勝手にやれと言われるのは分かってる。
でも、それも許されない。
他人のケンカに巻き込まれるような、この状況では。
「寒いね、今日は」
ブルゾンの前を合わせ、背を丸めて入ってくる男性。
大人しそうで、目立たない顔立ち。
彼は私達に頭を下げ、何事もなかったかのように部屋の隅へ収まった。
「エアコン入れていい?」
「え?ああ、はい」
何故か私にお伺いをたててきた。
彼は明るく笑い、端末を持ってエアコンの前に立っている。
暖かくて、気分が良いらしい。
「おでんって、まだあった?」
「自分で調べてくれ」
「そうだね」
冷蔵庫を開け、一人頷く男性。
ふざけている訳ではないだろうが、かなりマイペースな人だな。
「河合君達は?」
「知らない」
「掃除してくれって頼んでるのに。本当に駄目だな」
今度は雑誌の山を片付け、杉下さんも片付けるよう促した。
大人しい割には、押しもあるな。
何故かおでんをつつく。
でも、美味しいからいいか。
……いや、よくはない。
「そうじゃなくて。学校が無茶苦茶だからって、何をやってもいい訳じゃないでしょ」
「いきなり何を。杉下、この子は」
「塩田君の後輩だ」
「ああ。よろしく、間です」
もう一度頭を下げる間さん。
間って、どこかで聞いた名前だな。
「元生徒会長よ」
耳打ちしてくるサトミ。
そういえば、卒業式に来てもらった事もあったっけ。
というかこの子、知ってて黙ってたのか。
「俺達も、悪いとは思ってるんだけどね。卒業生としては、打つ手が限られてて」
「人を駒みたいに扱ってもですか?」
「スカウトの事?」
頷く私を見て、間さんは姿勢を正しこちらに向き直った。
「確かに、問題点はあると思う。それは認めるよ」
「だったら」
「学校がどうとか、俺達の恨みとは言わない。それは、君達には関係のない事だから」
意外な言葉。
それにはサトミ達も怪訝そうな顔をする。
「俺達は、草薙高校に来たい人しか呼んでない。その子達は、ここに来てやりたい事をする」
「でも」
「裏切られる可能性もある。向こうのダブルスパイって事もあるかも知れない。でも草薙高校に入ったからには、そこの生徒だからね。僕は、それを信じたい」
寮に戻り、少し考えてみる。
学校の現状。
それへの対応。
自分の置かれている立場。
間さん達の行動。
あの言葉の意味。
分かる訳もない。
第一、この学校に通ってるから信じるなんて。
それなら何一つ困らないし、こういった事にはなってない。
学校が色々やってるのは確かだとしても。
その事に乗る生徒がいなければ、何の問題もない。
悪いのが生徒とは言わないが、間さんの言う通り信じる事も出来ない。
やはり彼等は、単に感情だけで動いてるに過ぎないのではないか。
結局は、彼等と学校の戦い。
私達は、それに巻き込まれるだけに過ぎないのでは。
勿論、何をしなくても問題はない。
義務も責任も無いのだから。
後輩という、部分を除いては。
ただ、それでいいのかどうか。
この状況を見過ごして、放っておいて。
でも、自分には何が出来るのか。
どうすべきなのか。
気持ちの良くない目覚め。
それでも学校に行き、授業を受ける。
これは義務で、責任がある。
やらされるのではなく、やるしかない。
当然、自分のために。
勉強しなくても、生きてはいける。
はっきり言えば、強制もされない。
やりたくなければ、やらなければいい。
困るのは誰でもない。
自分自身だ。
伸びてきたラーメンをすすり、お茶を飲む。
これも義務だろうかと考え、心の中だけで笑う。
「食べないの?」
「え、うん。お腹一杯」
元々量が多かったのもある。
減らしてもらうのも忘れたので、どうでも良くなっていた。
「上げる」
「おい」
怖い目でこちらを睨みつつ、伸びたラーメンをすするショウ。
結局は食べるんじゃないか。
「昨日の話を気にしてるの?」
「多少ね。サトミは、気にならない?」
「それは、なるわよ。でも、考え過ぎても仕方ないでしょ」
考え過ぎ、か。
そんな事は、とてもじゃないが不可能だ。
今の自分にとっては、特に。
「ちょっと」
「何だよ」
「もういい」
人を怪訝そうに見てくるショウ。
ラーメンのどんぶりに、ご飯を入れてる男の子を。
どうしてこう、犬的な食べ方をするのかな。
「昨日の事とか、気にならない?」
「気になる程、気が回らない」
あっさりと答えられた。
つまり彼の場合は、そういった部分が気になるのだろう。
駆け引きや策謀、そういった事にまで気が回らない事が。
「ケイは」
「別に。俺は俺、人は人。やりたいようにやる」
「何を」
「さあね。人の食べさしに、ご飯を放り込む事でないのは確かだな」
それもそうか。
でもショウは美味しそうに食べてるし、問題はない。
この子はこの子で、やりたいようにやってるんだろうし。
誰の食べさしかは、ともかくとして。
オフィスにこもり、腕を組む。
やる事がない訳ではない。
どうも、考えがまとまらない。
何を考えてるのかも、よく分かってない。
最近、安定してないな。
「ユウ」
「あ」
「もう帰る時間よ」
時計を指差すサトミ。
時間は、終業時間少し前。
さっきここへ来たばかりだったのに。
とはいえここに残る理由もないので、片付けを済ませてリュックを背負う。
確かに窓の外はすでに暗闇。
灯っている街灯。
照らされている小道。
枯れ葉がその上を滑っている。
「なんだ」
「え」
「こっちの話」
自分でも、よく分かってはない。
ただの寂しげな光景。
それだけだ。
学校の外に出て、ご飯を食べる。
釜揚げうどんを、みんなで取りながら。
「どうして食べないの」
「食べられないんだ」
ご飯ばかり食べるケイ。
どうも、お湯に浮かぶうどんが掴めないらしい。
本当、不器用にも程があるな。
「ほら、貸しなさいよ」
ケイの器を持って、その中にうどんを入れていく沙紀ちゃん。
でもって、それを食べるケイ。
何だかな。
「神代さんは、どう?」
「問題ないわよ。渡瀬さんが付いてるし、彼女よりも玲阿君や名雲さんが気になるみたいね。馬鹿連中は」
「そう」
少しの安堵感。
ただ、完全に気が緩む事はない。
連中の行動、思考を多少とはいえ知っている限りは。
「ユウが世話を焼かなくても、大丈夫かも知れないわね」
「え」
「あの子達は、あの子達で頑張るって事」
うどんをすすりつつ、私を上目遣いで窺うサトミ。
探るような、何かを訴えかけるような瞳。
それを避け、お茶を飲んで一息付く。
「本当に、大丈夫なのか」
小声で呟くショウ。
沙紀ちゃんは小首を傾げ、彼を見据えた。
「どういう意味?」
「連中は一人二人じゃないから。相手が少なければ、放っておいてもいいと思う。でも、何十人と来たら?」
「そうね。そうなったら、考えないといけないかもしれない。でも、たまには彼等に任せるのもいいじゃなくて」
「まあ、そうだろうけど」
釈然としない顔付き。
沙紀ちゃん達の言ってる事は分かるし、ショウの言いたい事も分かる。
つまりは、何がどうとも言いきれない。
「浦田は」
「何度も言うけど、興味ない。来るなら叩く、来ないなら放っておく」
「七尾君みたいな事言うわね」
「あの子の思考は、俺とは多少違う。どうでもいいさ、何にしろ」
あくまでも無責任な態度。
ただ言葉通り、完全に放っておく訳でないのも分かっている。
今は彼等に任せておいて問題ないと、彼なりに判断しているのだろう。
「あの子達の事はともかく。玲阿君の渡したお金は、ちゃんと返ってくる訳?」
「さあ。俺は、支払い係に過ぎないから」
「じゃあ、回収係はどう思ってるの」
「前も言ったように、倍は取る。勿論神代さんの問題とリンクしてるから、向こうがいつ解決するかによるけど」
そうすると結局は、傍観するしかないという訳か。
何もせず、ただ見ているだけで。
「不満そうね」
耳元でささやくサトミ。
諭すような、危ぶむような声にも聞こえる。
「別に。私には、何も出来ないんだし」
「大丈夫?」
「だと思うよ。とにかく、見守ってればいいんでしょ」
適当に答え、うどんをすする。
ぬるく、柔らかくなったそれを。
「こんばんは」
「あ、こんばんは。どうかしました?」
「いや。最近、どうかなと思って」
「はあ。とにかく、どうぞ」
部屋の中に招き入れてくれる神代さん。
落ち着いた内装。
小さな女の子の人形がローテーブルの上に、何体か並んでいるのが目に入る。
「これは?」
「えと。こっちへ来る時、向こうのの知り合いがくれて」
よく見ると、人形は手作り。
胸元には白い布が縫いつけられ、愛称らしきものが書かれてある。
「神代さんの人形は?」
「えーと。これかな」
他のより、やや大きめの女の子。
胸元の愛称は、「ナオキ」となっている。
「恥ずかしいんだけど、やっぱりこれがないとちょっと」
はにかみ気味に説明する神代さん。
その辺の気持はよく分かるし、そうでない人はどうかとも思う。
「あのさ。前神代さんに文句付けてた馬鹿は、どうなった?」
「最近、見ませんよ。お陰で、気楽に生活出来てます」
朗らかな笑顔。
無理をしたという感じでもなく、実際にそうだと思えるような。
「何か、あったとか?」
「ううん。ああいう連中はしつこいから、大丈夫かなって」
「心配性なんだね」
「そういう訳でもないけど。後輩の事だし」
「はは。ありがとうございます」
照れ気味に頭を下げる神代さん。
私も何となく頭を下げ、胸元に手を当てる。
放っておいていいというサトミ達。
気にした方がいいというショウ。
ただ声を掛けるだけで、自己満足をする自分。
これ以上は、もうなにが何だか分からない。
「どうかしました?」
「ん、別に。今日は寒いなと思って」
「もう、秋だから。暖房入れるね」
暖かくなる室内。
だけど、私の心の中はどうだろうか。
「真田さんとは、どう?」
「親切にしてくれるよ。礼儀正しいし、いい人だね」
なるほど。
見かけは正反対だが、確かに内面的には似ているかもしれない。
お互い真面目で、細かい事に気が回るタイプだから。
「緒方さんは?」
「ん?えーと。悪い人じゃないと思うけど」
「苦手?」
「どうかな。悪い人じゃないけどね」
繰り返される、同じ言葉。
この場合もよく分かる。
緒方さんも細かい事に気は回る。
ただ、真面目というタイプとは若干違う気がする。
彼女の言う通り悪い人間には思いたくないが、生真面目な子でもないだろう。
「とにかく、問題は無い訳ね」
「ええ。あたしは鈍いから、その辺の事はよく分からないけど。今は、特に」
「安心した。でも、気を付けて。何をやってくるか、分からない連中だから」
「あ、はい」
彼女の部屋を後にして、廊下を歩く。
まだ早い時間帯と会って、すれ違う人も多い。
楽しそうな笑顔、明るい笑い声。
それをどこかと奥で感じながら、自分の部屋に向かう。
「ん」
「あれ」
「どうかしたの」
小首を傾げ、上を見上げる女の子。
彼女の隣にいた男の子は、困惑気味に行く手のラウンジを指差した。
「先に行っててくれる?俺も、すぐ行くから」
「分かった。早く来てね」
嬌声を上げて駆けていく女の子。
その友人らしい子達も、声を上げてその後を追う。
「もてるのね」
「相談をされただけです。そういうのじゃなくて」
苦笑気味に説明してくる小谷君。
彼は自警局のメンバーであり、さらに言うなら自警局長付きのガーディアン。
見た目は普通だが、気は付くし優しいのでその辺りが受けるのだろう。
「何か、変な男に付きまとわれてるとかで」
「それにしては、楽しそうじゃない」
「危険性がないからでしょう。ただ、多少面倒だなってくらいで」
「そのくらい自分でどうにかすれば」
しかし、ここで彼に言う事でもないか。
無論、彼女達に面と向かって言う気にもなれないが。
「神代さんの件はどうなってるの」
「護衛も付けてるし、問題はないです。ただ、その回りの方がちょっと」
「回りって、ショウ達?」
「ええ。名雲さんが暴れ過ぎてるので、自警局の一部から問題視する声が出ています。それと玲阿さんへの脅迫。これの真意はともかく、額が多いので警察に通報するという人もいまして」
意味ありげに笑う小谷君。
今の台詞。
彼の態度。
そこでようやく、私も気付く。
「そういう口実で、私達をどうこうしようっていう気?……いや、違うか」
「ええ。つまりは神代さんがターゲットと見せかけて、実際はそういった介入を誘ってたのかも知れません。確証もないですし、実際の所は不明ですが」
盲点を突かれたとは、この事だろうか。
単に神代さんだけを見ていればいいと、私は思っていた。
何かあったら、彼女を助けさえすればいいと。
でも、それすらも罠だったら。
今の話通り、彼女を狙うと見せかけて私達を誘うという。
ただ、だからといって彼女を放っておいていい訳もない。
巧妙で、苛立ちだけが募る話。
そして自分の無力さを思い知らされる。
「小谷君、まだー?」
甘い、鼻に掛けたような声。
邪魔者を見つけたとでも言わんばかりの視線。
私も、このくらい気楽になればいいのだろうか。
「ば、馬鹿。す、済みませんっ」
慌ててその子を制止する、友達らしい女の子。
即座に耳打ちがされ、小谷君に声を掛けた子も慌てて頭を下げる。
私としては、意味が分からないし困惑するだけだ。
「何、あの子」
「それだけ雪野さんが有名なんですよ」
「評判が悪い、じゃないの。私の事はいいから、あの子達の話を聞いて」
「あ、はい。何か分かったら、連絡します」
さっきの話を考えつつ、机を指で叩く。
要は、向こうの手の平で踊っていたという訳か。
ショウではないが、ここまで来るとどうしようもない。
自分の考えとは違う所でのやりとりだから。
それどころか迂闊な行動が、どんな事になるのかも分からない。
「待てよ」
ショウの件を思い出す。
あの子がお金を払い、ケイ達はそれを容認している。
さすがに彼等が、小谷君が言っていた事に気付かない訳がない。
つまり、それについては何か考えがあるのだろう。
私程度には分からない、より高度な何かが。
一気に馬鹿馬鹿しくなり、ベッドに伏せる。
これでは自分が何をやろうと、どう考えようと意味がない。
結局は出来る人達が、自分の分かるようにやっているだけだ。
私には何も分からないし、手の打ちようもない。
いてもいいんだろう。
でも、いなくても同じだ。
私は単なる数合わせ。
それか、何かあった時に暴れるだけの人間でしかない。
私でなくても務まるし、私がやる必要もない。
出来るのはただ気に病む事。
それだけだ。
そしてそんな事は、何の役にも立ちはしない。
朝。
普段のように軽く走り、トレーニングをする。
これだって、やる必要はない。
それでもやるのは、習慣に過ぎない。
また仮に何もしなかったら、周囲が不審がるだろう。
虚しさを感じつつ、事務的に体を動かし汗を掻く。
今までの自分は、何をやってたのかと思いながら。
教室に入り、みんなの顔を見て少しだけ気が楽になる。
あくまでも、少しだけ。
不安定さは、以前として無くならない。
つい自分の価値、なんて事を考えながら。
「あなた、トレーニングまだやってるの」
何気ない口調。
彼女自身、それ程深い理由があって聞いた訳では無いとも思う。
「風邪は、ちゃんと治った?」
「まあね」
短く答え、筆記用具を揃える。
この間からの、何か言いたげな視線。
それに耐えきれず、視線を逸らし卓上端末を起動させる。
微かな苛立ちと焦燥感。
思わず叫びだして、ここから逃げ出したくなるような気持。
無論、それをやらないだけの自制心は残っている。
非常に危うい、微妙な部分では。
お昼。
軽く食べて、すぐお茶にする。
食欲はあまりない。
あくまでも、最小限を取るだけにする。
別に食べたくない訳ではない。
ただ、喉を通らない。
会話に合わせて言葉を返し、適当に笑う。
反応をしているだけという感じ。
どうにか自分を保っているような。
夜の焦燥感は無く、自分を遠くから見ている気分。
何をやってるかは分かる。
自分の行動、周囲の出来事。
でもそれが、遠くにある。
さながら、夢でも見ているような。
夕方。
オフィスに入り、事務仕事をこなす。
淡々と、黙々と。
作業をこなす。
やり方は分かってるし、考えなくていい。
マニュアル通りに、指示通りにやりさえすれば時が過ぎる。
言われるままの作業。
だからなんだという事もなく、ただ作業をこなす。
自分のやりたい事なんて無い。
言われた事を、与えられた事をやっていればいい。
自分に出来る事なんて、何もない。
夜。
ご飯を食べて、お風呂に入って、少し休む。
ぼんやりTVを眺め、お茶を飲み、雑誌を読む。
ただ時が過ぎるのを待つ。
風に揺れる窓。
一瞬それに怯え、TVの音を大きくする。
カーテンを閉め、明かりを強くして、布団にくるまる。
何もやらないし、やりたくもない。
時間が過ぎさえすれば、それでいい。
今は、ただそれだけで。
真夜中。
目が覚める。
薄い明かりのついた室内。
それなりに片付いた部屋の中。
相変わらず風に揺れる窓。
どのくらいの風なのか。
でも、開ける気にはならない。
その向こうは見たくない。
暗い闇の奥。
そこを覗く勇気はない。
どんな眺めかは分かっている。
幾つもの花壇と植え込み。
その間を通る、正門へ続く小道。
今は街灯が灯り、辺りを照らしている。
冷たい風に揺れる葉。
落ちた何枚かは、小道の上を滑っている。
誰もいない道を。
そこには、誰もいない。
そこを歩く人がいる訳もない。
誰一人として、私の回りには。




