24-7
24-7
ようやく体調が元に戻った。
精神的な部分は、ともかくとして。
例によりぼんやりと授業を受け、メモを取る。
内容が分かっていない訳ではない。
ただ、事務的なのは否めない。
「大丈夫?」
「何が」
「いえ。何でもないわ」
首を振るサトミ。
それ以上は話しても来ず、私も反応しない。
言葉。いや、思考が続かない。
ため息を付き、メモを取る。
ただ、事務的に。
惰性で作業を進める……。
少し動いた方がいいかと思い、放課後にトレーニングルームへとやってくる。
スパーリング程度の練習をする、何組か。
それを横目で眺めつつ、ゆっくりと体を解す。
額に浮かぶ汗。
薄くなる意識。
ちょっとだけ、気が楽になる。
無理矢理という気がしないでもないが、さっきのままよりはましだろう。
「何だ、お前」
正面の鏡に映る巨体。
つまりは、私の背後に現れる男。
ショウを恐喝している馬鹿が。
「金は」
「あ?」
「金出せよ。それとも、稼ぎたいのか」
頭に血が上り、逆に意識は集中する。
ただ、飛びかかるような真似はしない。
気分的にも、今までの経緯を考えても。
ここは、自重するしかない。
「手持ちがないんだけど」
「じゃあ、持ってこい。逃げても無駄だからな」
ロッカーに戻り、財布からお金を取り出す。
汗はすでに引き、体も冷え始める。
また風邪を引く事も無いと思うが、不安は募る。
ロッカーのドアにある、小さなミラー。
そこに映る、自分の顔。
血の気の薄い、生気に欠けた。
一体自分は、ここで何をやってるのか。
手の中のお金を握り締め、顔を伏せる。
自分の情けなさ、ふがいなさ。
気が滅入るどころか、どうでもよくなってくる。
「これだけか。次は、もっと用意しとけ」
人を人とも思わない態度。
侮蔑と悪意の混じった視線。
それをただ聞き流し、鏡に映る自分を見つめる。
自分は確かに、ここにいる。
でも、実感はない。
姿があるというだけで、存在まで認められるのだろうか。
「おい。聞いてるのか」
肩へ伸びてくる手。
それをぼんやり眺めつつ、ため息を付く。
男の意思も、自分がどうなるかもよくは分からないまま。
しかし手は、途中で止まる。
止められる。
力強い、風を切る音。
残像すら残さず振り切られるバトン。
土居さんはそれを肩に担ぎ直し、腕を押さえる男を見下ろした。
「この子に用があるなら、あたしが聞く」
「な、何だと」
「二度は言わない」
低い声。
相手を押し潰すような威圧感。
男は陰惨な眼差しを土居さんに向けつつ、トレーニングルームから逃げていった。
「あんたも、あのくらい軽くあしらえるんじゃなないの」
「え。そうかな」
「そうかなって。熱でもあるの」
額に当てられる大きな手。
風邪はもう治り、熱もない。
あるのは自分の姿だけだ。
「調子悪そうだね」
「多少」
「無理しないで、少し休んだら。きつい言い方だけど、自分がいなくても地球は回るんだから」
「そう、ですね」
彼女が皮肉で言っている訳でないのは分かっている。
また、それに反応する気もない。
彼女が言う通り、私がいなくても世の中は動く。
誰も困らないし、必要にもされてない。
「じゃ、私はこれで」
「ああ。またね」
「はい」
背後に聞こえる風を切る音。
低い、抑え気味の笑い声。
「避けないんだね。それとも、気付かなかった?」
「いえ。鏡で見えてましたから」
「じゃあ、当てないって分かってたんだ」
鏡の中で頷く土居さん。
意味ありげに、もう一度。
「さっきも、あたしが見えてた?」
「え、ええ。まあ」
「私が、あの馬鹿を止めると思って何もしなかったとか」
「私がやってもやらなくても、大して変わりませんから」
曇る表情。
危ぶむような視線。
その意味は、何となく分かる。
「まあ、いいけどね。送ろうか」
「いえ。じゃあ、失礼します」
誰もいないオフィス。
勿論いないのはたまたまで、少しすれば誰かが戻ってくるだろう。
いてもいなくても、変わらないが。
サトミ達が、ではなく。
私が。
適当に書類をめくり、事務的に作業をこなす。
ペースは遅いが、特に間違いはない。
仮に間違えていても、誰かが直すだろう。
ある程度終えたので、お茶を入れて一息付く。
夕暮れ。
赤く染まる薄い雲。
雁だろうか。
列をなした鳥が、西の空に飛んでいく。
暗い空。
雲も、鳥の姿も見えはしない。
オフィスには誰も戻らず、私が一人残っているだけ。
少しして、机の上にあったメモに気付く。
サトミ達は、全員先に帰るとの事。
一気に襲ってくる疎外感。
彼女達には、何の意図もない。
現にこうして、メモも残してくれている。
もっと早く気付けば、今までここに残る事もなかった。
全ては自分の見過ごしと、思い過ごしでしかない。
帰る準備をして、もう一度窓の外を見る。
暗く、何も見えはしない。
何もかも。
寮へ戻り、遅い夕食を取る。
生徒の姿はまばらで、厨房も後片付けを始めているくらい。
いつもなら、楽しさだけが感じられる食事。
今は、食べているだけ。
味は分かっている。何を食べているかも。
ただ、それだけだ。
「遅いんですね」
前に置かれるリュック。
愛想良く笑う緒方さん。
「私は、遊んでただけです」
「そう」
短く答え、サラダを掻き込む。
「一人ですか」
「うん」
「風邪は治りました?」
「うん」
愛想が悪いと思うが、それ以外に答えようがない。
正直言えば、一人でいたいくらいの気分。
それなのに、人が集まる食堂に来ている自分。
「お酒飲みます?」
「え」
「お酒。ビールありますよね、ここ」
食べ終わった私のトレイを持っていく緒方さん。
戻ってきた時には、ピッチャーと冷えたグラス二つを持ってきた。
「軽く」
重なるグラス。
仕方ないので、少しだけ口を付ける。
最近は風邪で、食事に付いているビールを断っていた。
久し振りの苦み。
低アルコールのため、すぐにどうこうなる訳ではない。
そう思いつつ、もう一口だけ飲む。
「薄いな、これ」
「え」
「低アルコールかな」
舌で唇を舐める緒方さん。
それでも空のグラスにビールを注ぎ、一気に飲み干す。
「雪野さんは」
「私はいい。風邪が治ったばかりだし」
「そうですか」
構わず減っていくビール。
私は串カツを手に取り、少しかじる。
肉ではなく、玉ねぎ。
肩すかしされた感じ。
ただ、今はこれで十分だろう。
「何か、ぱっとしませんね」
「天気が?」
「はは。面白いですね」
楽しそうに笑う緒方さん。
単にアルコールのためだけではなさそうな。
「もっと、弾けたらどうですか」
どこかで聞いた台詞。
曖昧に笑ってそれに応え、ビールに口を付ける。
「誰か呼びます?」
「いや。いいよ。緒方さんは、どうしてここに来たの」
「食堂に?それともこの学校に?」
逆に聞かれて、考え込む。
聞いていておいて、彼女の意図が一瞬理解出来なかった。
自分の考えすらも分かってない状態。
「この学校に来た理由」
やや語気を強め、彼女を見つめる。
頭の中は、はっきりとはしていない。
ただ、聞くべき必要があるのは分かっている。
聞いたからといって、私に何が出来る訳でもないが。
「ある人に、行くよう言われたんです。それに、一度来たかったんですよね」
「誰、それ」
「その内話します」
また、どこかで聞いたような話。
しかしアルコールが多少回ってきたのか、さっき以上にぼんやりとしてきた。
「試験は難しかったですけど。保証は十分にあるし、進路も有望。それに意外と揉めてて、面白いですよね」
「そうかな」
「雪野さんはずっといるから、実感が無いんですよ。他の学校とは、何もかも違います」
何やら話し続ける緒方さん。
それを聞いているのか、聞いていないのか。
泡の消えたグラスを眺めつつ、時を過ごす。
それにただ、身を任せる。
目が覚めた途端、頭を押さえる。
昨日飲んだ記憶はあるが、そういう痛みではない。
額に付けられたガーゼ。
何だか、腕にも痛みが走る。
右腕には包帯、手の甲にはかすり傷も付いている。
「何だ、これ」
ベッドサイドに腰掛け、もう一度額に手を当てる。
昨日、緒方さんとビールを飲んだ。
それは覚えている。
その先は、覚えてない。
怪我をしてるのは分かる。
治療した後もあるから、医療部に行ったか自分で治したか。
「起きた?」
部屋に入ってくるサトミ。
救急箱を、手に提げて。
「怪我見せて」
「これ、サトミが?」
「包帯を替えたのはね。怪我させた訳じゃないわよ」
言わずもがなの台詞。
自分で包帯とガーゼを取り、鏡で怪我を確かめる。
大した事はなく、かすり傷程度。
どちらにしろ、傷は付いている。
「もう、何もしなくていいでしょ」
「駄目。化膿したらどうするの」
「しないと思うけどね」
傷は殆どふさがっていて、治療するするしないもない。
大体額にガーゼがあるのは、あまり見栄えも良くはない。
「それより、どうして怪我したか知ってる?」
「自分の事も分からないの?」
「最近、ちょっとね」
「そんな大袈裟な事じゃなくて。あなた、ふらふらしながら寮に戻ってきたわよ」
スプレーを腕に吹きかけるサトミ。
少しの痛みが走り、思わず腕を引く。
「逃げないで」
「痛いから、仕方ないじゃない」
「だから、消毒するの。額は、こうか」
ノズルがスプレーからシートタイプに変えられ、額にも痛みが走る。
こっちは擦り傷というより、打ち身の気もする。
「どうしたのかな」
「酔ってたんでしょ」
「いや。飲んだのは一杯だけだから。それも、低アルコールだし」
もう一度額を抑え、考えてみる。
飲んだのは確かだ。
ただ、誰が持ってきたビールか。
低アルコールと言ったのは、誰だったのか。
人を疑いたくはない。
しかし、疑問は残る。
「ちょっと、医療部行ってくる」
医療部の前まで来て、足を止める。
「何を調べるのかな」
「私に聞かないで」
「いや。帰る」
「面白いわね、それ」
顎を振るサトミ。
後ろから人の腕を掴むショウ。
「ちょ、ちょっと。いつの間に」
「気付けよ。とにかく、早く行こう」
「嫌だって言ってるの」
「い、痛っ」
叫ぶショウ。
しかし構わず、私を引っ立てていく。
「済みません。この子を診てもらいたいんですけど」
「どっちを」
私とショウを交互に見る看護婦さん。
私は今にもここから逃げ出しそうな態度。
ショウは顔を歪め、足を引きずっている。
「そっちの、小さい子です。アルコールの検査をお願いします」
「了解。じゃあ、そっちの大きい子は外科に診てもらって」
思った通り、血を抜かれた。
だから、来たくなかったんだ。
「血中アルコール濃度が現在0.1%。ほろ酔い加減だね」
「ビール一杯しか飲んでないのに。それも、昨日の夜」
「殆ど分解されてるからはっきりとは言えないけど、血液の検査結果を見ると蒸留酒っぽい。薬物は検出されなかったから、そちらは問題ないよ」
書類に書かれる、幾つもの数字。
要は、ただ酔っているだけか。
「だったら、問題は無いんですね」
「高校生の飲酒はあまり勧められないけどね。低アルコールならともかく」
「自分の意思で飲んだ訳でも」
「飲まされたにしても。とにかく、たくさん水を飲んで休みなさい」
女子寮の自室に戻り、大きなペットボトルを前に置いてじっと睨む。
飲んでも飲んでも、全然減らない。
「飲めよ、もっと」
別なペットボトルを片手で持ち、ぐいぐいと飲んでいくショウ。
すでに残りわずかで、次の分も控えている。
彼のお手製コーヒーじゃないだけ、まだましか。
「結局、緒方さんに騙されたって訳?」
「どうなのかな。ただ、ビール飲んだだけだし。私は、どうやって寮にやって来た?」
「千鳥足で。でも、緒方さんはいなかったわね」
お茶を飲み、首を傾げる。
次にレモンをかじり、またお茶を飲む。
即効性はないがお医者さんの言う通り、やらないよりはましだろう。
「少しは、元気が出たみたいね」
「お酒のせいでしょ」
適当に答え、息を付く。
さっきの検査結果通り、今も多少酔っている状態。
学校が休みで助かった。
今の自分では、どちらでも同じだが。
「飲めよ」
「もういい。それより、どうかしたの」
足の甲をさするショウ。
今だけでなく、さっきからずっと。
「何って、自分が蹴ったんだろ。さっき逃げようとした時」
「忘れた。いいじゃない。私も怪我してるんだし。それよりさ」
「俺の怪我は、その程度か」
「後で聞くから。それで、私はどこで怪我したの?」
たおやかに首を振るサトミ。
当たり前だが、彼女が知らないならショウが知る訳もない。
「ごろごろ転がってた」
部屋に入ってきた途端人を指差し、鼻で笑うモトちゃん。
じゃあ、助けてくれてもいいじゃない。
その考えを読み取ったのか、もう一度鼻で笑われた。
「あなたね。腕を振り回しながら歩いてきたのよ。近付いたら、こっちが危なかったの」
「じゃあ、私は何してたの」
「腕を振り回してた。それも、一人でね」
壁際で腕を回すモトちゃん。
でもって、壁で腕を打った。
勿論、その場にうずくまる。
お陰で、怪我の理由が良く分かった。
「ケンカした訳じゃないんだ」
「私も、そう願いたい。寮の前までは私も見たけど、学校から寮までは分からないから」
「怖い事言わないでよね。……一度、緒方さんに聞いてみようかな」
「何を?どうして酔わせたのって?何のためにって?」
矢継ぎ早に尋ねてくるサトミ。
勿論その意味は、重く深過ぎる。
「でも、私を酔っぱらわせていい事ある?何か知ってる事がある訳じゃないし。仲間に引き込むにも、酔わせても仕方ないでしょ」
「まあ、ね」
含みのある頷き方。
私の考えが、短絡過ぎるという事か。
ただその辺は彼女達の領域なので、元々私には理解出来ない。
今は、余計に。
「いいじゃない。ユウが怪我しただけなら」
「まあね。ちょっと、外行ってくる」
別に、何か用がある訳ではない。
サトミ達と、距離を置くという意味でも。
酔いが回ってる分、多少気分が浮ついているのかもしれない。
女子寮前のロータリー。
車やバイクは、基本的に進入禁止。
入れるのは緊急車両か、警備員さんに許可をもらった時くらい。
その許可を得たのか、タクシーがロータリーに入ってきた。
遠くに住んでいる子の親だろうか。
降りてくる女の子。
長めのお下げ髪。
大人しそうだが、凛とした表情。
私を見て、彼女は丁寧に会釈した。
「お久し振りです」
態度と同じ、丁寧な口調。
皮肉ではない、私への親しみと敬意。
私も思わず彼女に駆け寄り、その肩に手を触れる。
「どうしたの?東京に行ってたはずじゃない」
「やはり、ここが良くて」
「そう。サトミ達もいるから、行こうか。真田さん」
「はい」
さっき同様、丁寧に頭を下げる真田さん。
彼女は、中等部の時の後輩。
卒業と同時に、東京の高校へ行ったはずだった。
戻ってきた理由は不明だが、素直に嬉しいのも確かである。
「皆さんも、お変わりなく」
以前同様、落ち着いて礼儀正しい態度。
この固さも、今となっては懐かしい。
「ロースクールに進むんじゃなかったの?」
「こちらでも通えますから」
聞けば答える。
微妙にはぐらかされている気もするが。
「そう」
追求しても何だし、聞いても仕方ない。
彼女には彼女の生き方があるんだろう。
「こんにちは」
昨日同様、明るい笑顔で現れる緒方さん。
真田さんは大きな目をすっと細め、彼女へ視線を据えた。
「初めまして。真田と申します」
「丁寧にどうも。緒方よ」
挨拶を交わす二人。
何となく、緊張感をはらみつつ。
「ああ。この子は、今私達と一緒にいるの」
「エアリアルガーディアンズとして?」
「おかしい?」
「いえ、別に」
醒めた微笑み。
緒方さんの方も薄い笑みを浮かべ、彼女を正面で睨み付ける。
「何だよ、眠いのに」
例により、だるそうにラウンジへやってくるケイ。
彼の視界にも真田さんは映ってるはずだが、その事には触れようともしない。
「お久し振りです」
「ああ。出戻ったの」
「そんな所です。相変わらず、やる気の欠片もないですね」
「朝からやる気のある奴は馬鹿だ」
理屈という理屈が通じない子だな。
真田さんは鼻で笑い、再び視線を緒方さんへと戻した。
「どうして、ここにいるんですか?」
「あなたに言う理由があって?」
ぎすぎすとした空気。
核心に触れた分、自ずと緊張感も増す。
「ここにいても、仕方ないと思いますよ」
「あなたが決める事?」
「言われないと、分かりません?」
「自分こそ、ここに戻って来た理由は?」
陰険にやり合う二人。
これ以上はないくらい悪くなる雰囲気。
それでも彼女達は止めようとしない。
「黙れよ」
小さな、聞こえないくらいの声。
しかし二人は即座に押し黙り、視線を伏せた。
虎の尾を踏んだとでも言うのだろうか。
普段何もしない分、こういう時の迫力は尋常ではないものがある。
「喉乾いたわね。お茶持ってきてくれる?」
「え、ああ。はい」
逃げ出すようにカウンターへ向かう緒方さん。
真田さんも、少し間を置いて後を追う。
サトミはその背中を見送り、ケイの頭を軽くはたいた。
「脅してどうするの」
「眠いのに、ガタガタ騒ぐから。俺の事は、放っておいてくれ」
「真田さんが戻ってきた理由は気にならない?緒方さんの事とか」
「興味ない。俺は、自分の世話も焼けないんだから」
なる程、それもそうか。
とはいえ、私も人の事は言えないが。
「少しは気にしろよ」
「じゃあ、それは玲阿君に任せる。俺は寝る」
「何を任すんだ」
「分からないなら、あれこれ考えるな。自分の出来る事だけやってろ」
突き放した。
しかし、ある意味真実とも言える言葉。
「何を」
あくまでも質問を繰り返すショウ。
それこそ、子供並みのしつこさで。
「うるさいな。そっちのお姉さんに聞けよ」
「どうして」
「この野郎」
とうとう飛びかかるケイ。
しかし普段以上の緩慢な動きのため、あっさり避けられて床に転がった。
でもって、そのまま動かなくなった。
寝てるんじゃないのか、この子。
「わっ」
叫ぶ真田さん。
緒方さんも、目を丸くして床を見下ろしている。
「大丈夫なんですか?」
「何が」
まだ言ってる。
というか、私達も構ってないんだけど。
到着するトラック。
下ろされる荷物。
運ばれていくそれを眺めつつ、お茶を飲む。
「私も、何かやろうか」
「風邪が治ったばかりだろ。休んでろ」
そういって、段ボールを運んでいくショウ。
表には「本」と書かれていある、それを。
間違いなく、私一人くらいは軽々持っていくだろうな。
「何かあったんですか」
ショウとすれ違い、彼を振り返りながら声を掛けてくる神代さん。
そういえば、彼女も寮だったか。
「後輩が、編入してきたの。東京にいたんだけど、戻ってきて」
「ああ。引っ越し」
「初めまして。真田と申します」
「あ、え。あ、どうも。神代です」
丁寧に頭を下げ合う二人。
さっきよりは、かなり友好的に。
ただ神代さんは、若干ぎこちなく。
「この子もガーディアン。事務職専門のね」
「元野さんの部下になるんですか」
「いや。沙紀ちゃん……。丹下さんっていう出来の良い子がいるの。その子の手下」
「あ、こんにちは。引っ越しですか?」
ちょこちょこと現れる渡瀬さん。
赤のブルゾンに、スリムジーンズ。
遠目に見えているのは、大きなバイク。
「あれ、何?」
「最近、面白くて。雪野さんも乗ります?」
「いいけど、足が届かないから」
「アメリカンだから、大丈夫ですよ」
「ふーん」
駐車場前のスペースに運び込み、取りあえずまたがってみる。
スタンドを立てて、ちょっと勢いを付けて。
そうしないと、押し潰されるかそれ以前に足が届かない。
「なるほど、なるほど」
舞地さんのよりは小さいが、私からすればかなりのサイズ。
前輪はかなり前に付いていて、背もたれも高め。
黒光りするボディが、なかなかに恰好良い。
「えーと、こうか」
マニュアルは久し振りなので、一つ一つ確認しつつギアを入れる。
後はクラッチを少しずつつなぎ、アクセルを開いて発進させる。
「っと」
若干持ち上がるフロント。
さすがにパワーはあるな。
「軽い軽い」
ローで走り、右へ傾ける。
倒れるような不安感はなく、ゆるやかに右へ曲がっていく。
すぐにギアをセカンドに変え、即座にサードへ上げる。
体が潰されそうな加速感。
一気に流れていく景色。
花壇が迫ってきたのを確かめ、リアををブレーキロックで滑らせる。
次いでバイクを傾け、クラッチを繋いでアクセルを開く。
花壇をかすめてターンするバイク。
どこからか聞こえる叫び声。
後はフロントを浮かし、ウイリー気味にみんなの所へ戻っていく。
「だ、大丈夫?」
「な、何してるんです」
真顔で駆け寄ってくる、神代さんと真田さん。
何って、アクセルターンしただけじゃない。
「上手いですね、さすがに」
さっき同様、ちょこちょことやってくる渡瀬さん。
彼女は全く動揺していなく、このくらい普通という顔。
逆にそうでなければ、こんなに大きいバイクには乗らないだろう。
「雪野さんは、乗らないんですか」
「ああ、バイク?私は、スクーターで十分。近場なら、そっちの方が早いし」
「面白いのにな、これ」
ハンドルを、愛おしそうに撫でる渡瀬さん。
一度乗ってしまうと、つい頷いてしまいそうになる。
「そういえば、昔は欲しかったたんだよね」
「どういうのを?」
「ホンダの、ジェイド。あの細いラインが恰好良いというか、可愛くて」
「ああ、あれいいですね。私もホンダ好きですよ」
ついつい、話が盛り上がる。
そういえば、ショウの家に何台かあったな。
余ってるのを、今度借りて乗ってみよう。
スクーターを手放す気はないが、たまには浮気したっていいじゃない。
いつまでもバイクの話をしても何なので、寮の中へと戻る。
片付けはすでに終わった後。
中には、どうやって運んだのか分からない重そうで大きな物もある。
とにかく出されたジュースを飲んで、一息付く。
いや。私は何もやってないけどね。
「あーあ」
ベッドの上に転がって、タオルケットを被り目を閉じる。
病み上がりのせいか、こうしていると気分がいい。
人が多いので、夜のように嫌な気分になる事もない。
「眠いんですか」
「その子、最近まで風邪引いてたの。悪いけど、寝かせて上げて」
「構いませんよ。その代わり、よだれ垂らさないで下さいね」
嫌な台詞を聞き流し、ごろごろしながらみんなを眺める。
何でもない行為。
だからこそ、楽しいとも言える。
「本ばかりね」
「覚える事が多いので。遠野さんなら、覚えるまでも無い事なんでしょうけど」
「そうでもないわよ。……懐かしいわね、六法全書。小学生の頃、良く読んだわ」
何か、すごい事を言い出したな。
とはいえ今でも大学院から誘いが来るくらいだし、法曹資格なんて軽いんだろう。
「高校に通ってていいの?」
「取りあえずは、オンラインで補います。それ程急ぐ用がある訳でもありませんし」
「そうよね」
遠い眼差しで苦笑するサトミ。
その先には、大学院に通うヒカルの姿でも浮かんでいるのだろうか。
「ガーディアンは?」
「入りますよ。元野さんに連絡を取ればいいんでしょうか」
「ええ。それか、木之本君に」
「分かりました。私は事務しか能がありませんし、地味に頑張ります」
部屋に戻り、軽く室内を片付ける。
最近気を抜いていたせいか、多少ちらかり気味。
掃除機を掛け、雑巾も掛けて、ゴミをまとめて捨てに行く。
当たり前だが、人気の少ないゴミの集積所。
紙、プラスチック、資源と分別して放り込む。
後は生ゴミを、リサイクル装置に放り込んでスイッチを入れる。
これらのゴミは、次の何かへと全部生まれ変わる。
何かの素材になったり、同じ物になったり、肥料にも。
馬鹿馬鹿しいが、どんな物でも役に立つ。
さすがに、ゴミを自分と置きかえる気にはなれないが。
翌日。
ショウの実家へとやってくる。
正確には、お祖父さんの家に。
何台か止まっている車の奥。
シートをめくり、中を確認する。
カウルの付いた、大きなバイク。
「GPZ900R」
「NINJA?」
緑色のタンクにあるエンブレムには、そう書かれてある。
どう考えても、忍者という意味にしか取りようがない。
「いいだろ、それ」
ひょこひょこと現れる瞬さん。
手にはキーの束と、ヘルメット。
黒い革ジャンと、革のパンツを履いている。
どうやら、自分も乗る気らしい。
「ゼファーもあるよ」
「バイクの名前ですか」
「ああ。漢カワサキの」
腕を組んで唸る瞬さん。
何が男か分からないし、私が乗るにはあまりにも多き過ぎる。
「GSX1100S」
やたらとアッパーカウルの大きいバイク。
ここまで来ると、風防どころか風をもろに受けそうな形。
「カタナさ。早いよ、これも」
「こんな恰好なのに?」
「この形が、またね。俺も年を取ったから、こういうはもう乗らないけど」
瞬さんが撫でたのは、それでも大きめのモトクロス。
「XR600」のロゴがテールに見える、赤いバイク。
これはまたがるどころか、ステップにすら足が着かないだろう。
「軍でこれの同型に乗ってたから、最近は懐かしさついでにね」
「ショウが乗ってるのは?」
「あれも良いバイクだよ。ただ、年寄りには速過ぎる。俺はもう、のんびり生きる」
ちなみにモトクロスのアナログメーターは、220km/hまで刻まれている。
高速ならともかく、一般道では明らかに無意味な速度である。
「それで、どれに乗る?」
「ジェイドは、無いですね」
「ネイキッドか。えーと、確か流衣のがこっちに」
出てきたのは、赤と白のツートン。
やや小さめのネイキッド。
またがると、私でもかろうじてつま先が付くくらい。
加速も申し分なく、何より軽い。
曲がろうと思ったら曲がるし、止まろうと思ったら止まる。
何というのか、思った通りに動いてくれる。
従順というか、素直というか。
乗りやすいという言葉以外は思い付かない。
「どう?」
「楽ですよ」
そう答え、支えてもらいながらバイクを降りる。
楽しいし、早いし、見た目もいい。
文句を付ける部分はないし、不満もない。
ただ、気持はあまり動かない。
昔ディーラーで足が付かなかった時を思い出す。
あの無念さと悔しさを。
多少とはいえ成長し、今は乗れるようになっている。
大袈裟に言えば、夢が叶う状況。
それは間違いない。
でも、思いは動かない。
色褪せたのではなく、あの時と同じ気持ち。
スクーターとバイク。
当たり前だが同時には乗れず、維持するのも難しい。
例え好意で乗せてもらうとしても、それは見せかけだけに過ぎない話だ。
自分には過ぎた事。
また、必要がない。
遊びでたまに乗るくらいならいいとは思う。
それでも、これを持つのは違う気がする。
何が違うのかは、自分でも全く分からない。
「取りあえず、スクーターに乗ってます」
「遠慮しなくてもいいのに。どうせ、流衣も乗ってないし」
「いえ。私には、スクーターの方が合ってるみたいなので」
「そうか。残念だな」
駐車スペースの前で、ゆっくりとしたアクセルターンを繰り返す瞬さん。
これも良くは分からないが、私よりはかなり気楽なようだ。
「背負ってる自動小銃を構えて、射撃。これが昔は、難しくてさ」
「はぁ」
「走りながら、撃つんだよ。運転する、撃つ、逃げる。今でもやってるのかな、軍では」
竹ぼうきを構えながら走る瞬さん。
やってる事は意味不明だし、どうしてやってるのかはもっと分からない。
「本当、俺もよく生き延びた」
「はぁ」
「大体戦場だと、頑張り過ぎると死ぬんだよ。適当に手を抜いて、人の後ろにいるくらいがね」
多少、彼らしくない発言。
バイクはエンジンが切られ、ホウキも物置へと放り込まれる。
「軍で世話になった人が、そういう考えの持ち主でさ。ほら、優ちゃんの先輩の」
「ああ、名雲さん」
「とっつぁんは、すごかったな。だからって逃げる訳じゃなくて、きっちり仕事はしてた。それに何と言っても、死んだら戦うも何もないんだし」
ため息混じりの台詞。
北の空を仰ぐ視線。
北陸、それとも遠いシベリアの彼方だろうか。
「それにこういう考え方もある。頑張るか、成果を出すか」
「成果」
「そう。一所懸命やって失敗したら、それを誉めるのか。何もしなくて適当にやってて、でも成功したら非難するのか。勿論、一所懸命やって成功するのが一番なんだが」
ガレージへしまわれるバイク。
掛けられるシート。
これで私が乗る事は、しばらくないだろう。
「後、こういう考え方もある」
「え」
「適当にやっても、失敗してもいい。生きていさえすれば、それに勝る物はない」
スクーターを運び出し、丁寧に洗車する。
普段から手入れは欠かしていないので、今も殆ど汚れはない。
5年間以上乗り続け、今でもまだ私を乗せて走ってくれる。
当たり前だが文句も言わず。
私のためを思ってかどうかは知らないが。
コンソールに触れ、システムをチェック。
オールグリーンで、問題ない。
故障もなく、事故した事もない。
危ないと思った時は何度かあったが、その都度どうにか切り抜けてきた。。
助けてもらった、というのだろうか。
擬人化するのもおかしいが、今は何となくそんな気がする。
「どうよ」
ハンドルに触れて、前を覗き込む。
返事があっても怖いし、勿論ない。
第一何を尋ねられたか分からないと言われそうだが。
「まあ、いいか」
エンジンを掛けて、オートバランサーを作動させる。
こうすれば後は、手を添えて軽く押すだけ。
これで極端に傾けない限りは、倒れる事もなく進んでくれる。
地下駐輪場にバイクを戻し、キーを抜いてセキュリティを作動させる。
監視カメラもあって、盗難はほぼ0。
昔盗まれかけた時は、キーも付けっぱなしだったからだ。
「じゃあね」
軽く手を振り、外へ出る階段へ向かう。
人に見られていたら恥ずかしいなと思いながら。
それなら止めればいいんだろうけど、ついという部分である。
赤く染まる西の空。
東はすでに紺色で、暗い闇が広がっている。
今日も訪れる夜。
少し重くなる気分。
バイクのキーを握り締め、視線を伏せる。
何も変わらない自分。
変わろうともしない。
それが良いのか悪いのか。
やはり、分かる訳もない。
分かるのは、意味もない夜の不安。
それを微かに和らげる、キーの温もり。




