24-1
24-1
風が涼しくて。
空が青くて。
お茶も美味しい。
縁側にちょこりと座り、小さな湯飲みで煎茶をすする。
少しぬるいくらいが、今の時期には丁度いい。
やっぱり、ういろは桜だな。
玲阿邸の広い庭を眺めながら、そう思う。
目の前をかすめ飛んでいくバトミントンのシャトル。
どたばたとそれを追うサトミ。
天才らしいし、美少女という噂。
この姿を見る限りは、いまいち信用しかねるが。
「シャトルの軌道を見てれば、どこに跳ぶかくらい分かるでしょ」
「静かにして。気が散る」
険のある返事。
だったら、頭で受け止めないでよね。
「もう、止めたらどうだ」
左手でラケットを振るショウ。
ちなみに彼は、右利きである。
「何を。負けを認めるの」
馬鹿だな、間違いなく。
大体30分やって、一点も取れてないじゃない。
「タイム。タイム」
左手の手の平に右手を突き立て、タイムをアピールする。
それと同時に、芝へへたり込むサトミ。
哀れと言うにも悲しすぎる姿だな。
「ショウ、ちょっと」
「交代するのか」
「そうじゃなくて。ちょっと、手加減してよ」
「十分してる」
憮然として答えるショウ。
確かにそれは、見ていても分かる。
彼が返すのは、常に同じコース。
速度も緩く、振れば当たる。
普通なら。
「空振りしなさい。空振り」
「露骨だろ、それは」
「いいから。もっと優しくしてやって」
「これ以上、何をどうするんだ」
そんな事は、私が聞きたい。
よろよろと立ち上がり、素振りを始めた子にも。
「行くぞ」
「いつでも来なさい」
返事だけは、毎回いいな。
それはともかく、緩やかな弧を描きサトミの前に跳んでいくシャトル。
これ以上はない打ち頃の速度とコース。
後は軽く、腕を振り抜くだけ。
「うわっ」
意味不明な叫び声と共に、フルスイングするサトミ。
弧を描き、綺麗に跳んでいくシャトル。
懸命に走るショウの頭上を越えて。
秋晴れの青空へ向かって。
「やった」
これも意味不明な、満足げな声。
確かに、飛距離を競う競技ならそうだろう。
当たり前だけど空に吸い込まれる事はなく、あっさりと失速して落ちてくる。
でもって、風も吹いてきた。
「あれ」
乾いた音。
ようやく落ち着くシャトル。
空よりは近いけど、どうやっても届かない軒先の上で。
「どうするの」
「困ったわね」
顔を伏せ、地面を見ながら肩で息するサトミ。
軒先を見上げる余裕すらないようだ。
「仕方ないな。ショウ」
「俺でも無理だぞ、これは」
勢いよく飛び上がり、ラケットを振るショウ。
先端はかろうじて軒先に届いているが、シャトルはその向こう。
雨どいの奥に引っかかっているようだ。
「脚立は?」
「置いてある場所が遠いんだよな」
「取れそうな気もするけど」
背伸びをして、手を伸ばす。
別にそれで取れるという訳ではない。
場所を確認しただけだ。
手を伸ばしたのは、自分でもよくは分かってない。
「しゃがんで」
「あ?」
「ほら。早く」
腰を落とすショウ。
その肩に手を掛けて、背中に乗っかる。
でもってもう少し進んで、肩に足を掛ける。
つまりは肩車の体勢になって、彼の頭をしっかり掴む。
「立って」
「へいへい」
一気に上がる視界。
近くなる空。
という程大袈裟な事でもないが、精神的に。
しかしこれでも、軒先はまだ遠い。
「ちゃんと支えててよ」
「分かってる。しかし、細いな。肉を食え」
人の足を掴みながら、訳の分からない事を言ってきた。
綺麗な肌だね、とか。
照れるな。
くらい言ってよね。
いや。言われても困るけどさ。
「真っ直ぐ、上に跳んで」
「本気か」
そう言いつつ、すぐに跳ね上がる視界。
近付くシャトル。
でもって、すぐに遠ざかる。
慌てて手を伸ばすが、勿論時すでに遅し。
「止まれないの」
「じゃあ、重力を操作しろ」
屁理屈で口答えしてきた。
最近、どうもあれだな。
「もういい。上見ないでよ」
「頭の上には立つな」
ちっ、先を読まれたな。
ただ、あくまでもそれは冗談。
靴を脱ぎ、頭に手を置いて肩に足を乗せる。
後は指に力を入れて、腕を横へと伸ばす。
最後にゆっくりと腰を伸ばし、姿勢も正す。
「はは。高い」
視界に見える屋根の上。
あくまでも一階部分の屋根にしろ、普通に暮らしていたら一生縁のない光景。
ぐるりと回りを見渡して、両手を高く上へと伸ばす。
いつにない開放感と爽快感。
この世の全てを一人占めした気分。
「シャトルは」
ああ。忘れてた。
一気に現実へ引き戻されたな。
改めて集中し、雨どいに引っかかっているシャトルを視界に収める。
下からでは取れない角度だが、今はそれを上から見下ろす位置。
「はは。目の前じゃない」
「いいから、早くしてくれ。結構、きつい」
「鍛え方が足りないんじゃないの。今取るから……。わっ」
叩かれる手。
手の甲に置かれる、毛むくじゃらの小さな手。
いや。前足か。
「何よ」
「にゃー」
私を睨みながら鳴き声を上げる、ヤマネコのコーシュカ。
叩いた理由も、鳴いた理由も分からない。
猫に関して、そういう事は無意味だから。
「いいから。それをよこしなさい」
「にゃー」
反抗的だな。
「ほら。あっちいって」
「にゃー」
「ちょっと。どきなさいって言うの」
「うにゃー」
両手で器用にシャトルを転がしていくコーシュカ。
つまりは、目の前からシャトルが消える。
「ショウ右。いや、左っ」
「何言ってるんだ。大体、動けるか」
「事情は聞いてない」
「落ちても知らんぞ」
右へ流れる景色。
上体だけがその場に残り、下半身だけが横へ流れる。
「駄目っ。動いちゃ駄目っ」
「だから、そう言っただろ」
「猫。猫っ」
「飼いたいのか」
全く噛み合わない会話。
見ている世界が違うと、ここまで話が食い違うものなのか。
なんて程、大袈裟な事でもない。
というか、この猫は。
「うわっ」
突然後ろ足で立ち上がり、牙を剥くコーシュカ。
イエネコではない、ヤマネコ。
サイズも迫力も威圧感も、何もかもが桁違い。
「負けるかっ」
足を踏みきり、コーシュカの上へと飛び上がる。
猫との勝負は、位置の上下。
上にいる方が優位で、ケンカは大抵それで決着が付く。
食うか食われるかの世界でも、それは同様。
上にいた方が、有利なのは間違いない。
「にゃっ」
そう一声鳴いて、屋根を登っていくコーシュカ。
取り残される私。
屋根の上まで舞い上がり、二階の屋根が近付いて。
一気に急降下。
「っと」
体を右へひねって、バランスを調整。
右目で地面を確認し、両手を広げて膝を曲げる。
着地と同時に腰を落とし、膝をさらに深く曲げる。
最後に横へ転がって残りの衝撃も和らげて、後は倒立で立ち上がる。
「あー、びっくりした」
「それは、こっちの台詞だ」
「だって、猫。猫が」
「何だ、猫って。あれは、ヤマネコだ」
下らない事で訂正してきたな。
言葉としては間違ってないけど、根本的には違ってる。
「もういい。サトミは」
探す間もなく発見。
縁側に座布団を並べ、ぐったりと横たわっている。
張り切りすぎというか、考え無しというか。
ただ構う事でもないため、放っておいてよそに行く。
というか寝てるんじゃないのか、この子。
枯れ落ちた葉。
乾いた枝。
夏よりも日は差し込み、だけど冷たい空気。
湿った落ち葉を踏みしめ、森の奥を歩く。
実際は森ではなく、玲阿家の敷地内だけど。
そのくらい大きいし、私サイズからすれば森と言っても間違いない。
しかしこれだけ涼しいてって事は、秋どころか冬がその辺に隠れていそうだな。
「何してるんだ」
「いや。いないかなと思って」
「何が」
生真面目な質問。
冬が、とは答えようもなくもごもご言って先を急ぐ。
「薄暗くて、気持ち悪いね」
「そうか?涼しくて、気持ちいいぞ」
この辺は100年経っても噛み合わないので、深くは突っ込まない。
足元に違和感。
落ち葉の下に、岩か何かあるような感触。
「ああ。そこは涸れ井戸だ」
カレイド?
万華鏡が、どうしてここに。
「随分、大きいね」
「普通だろ。これ以上小さい井戸って、なんだ」
……ああ、涸れ井戸か。
本当、口に出さなくて良かったな。
いや。安心してる場合じゃない。
「ど、どうして。い、井戸が」
「使わなくなったから、塞いだんだろ。落ちたら危ないし」
それもそうだ。
大体、その上に乗ってる場合じゃない。
慌てて飛び降り、木の幹にしがみつく。
「おい」
「ひ、引きずり込まれたらどうするの」
「あのな。別に幽霊が出る訳じゃないんだぞ。ただの、古い井戸だ」
「言い切れるの?絶対に、何もないって。手も足も出てこないって」
とにかくここからは逃げるに限る。
でもって、ここには二度と来ないに限る。
森の中をひたすら駆けて、明るい日射しの元に出る。
この家の事は、まだまだ謎だらけだな。
「どうしたんですか」
息を切らした私を見上げる渡瀬さん。
説明する余裕もないので、ジェスチャーで返す。
「全然分かりません」
それもそうか。
とりあえず彼女の隣りにしゃがみ、激しく肩で息をする。
「渡瀬さんこそ、何してるの」
「例のヤマネコがいたので、後を追ってました。足早いですね」
「あの猫か。危ないよ、突然怖い顔するし」
「顔、ですか」
私もでしょ、とでも言いたげな視線。
ここで彼女を睨むとそのままなので、伸びをして立ち上がる。
「神代さんは?」
「家の中で、難しそうな本読んでました。戦前の」
「真面目な子だね」
「浦田さんも読んでましたよ」
そっちは真面目かどうか、判断尽きかねる。
本人は、至って真面目かも知れないけどね。
マンガにもゲームにも。
「神代さんの調子はどう?」
「さあ。ナオが、どうかしたんですか」
「どうかというか、なんというか。変な連中が絡んでたから。何か知ってる?」
「さあ。あの子、自分の事はあまり話さないので」
予想通りの答え。
先日の一件すら、詳しい事は聞いてない。
だから渡瀬さんはと思ったけど、こちらも同じか。
「渡瀬さんは、大丈夫なの?」
「え。絡まれるっていう意味ですか」
「そう」
「無くは無いですよ。困ってもいませんけど」
普通に返ってくる答え。
秋の日射しの下の、明るい笑顔。
そういう事を気にしない性格という訳ではなく、実力に裏打ちされた答えだろう。
「わっ」
突然叫ぶ渡瀬さん。
何かと思ったら、背後に気配。
振り向いた途端、茶色の物体が飛びかかって来てた。
「おっ」
人の肩に乗って、さらに跳躍するコーシュカ。
流線型のしなやかな手足。
柔らかく滑るような動き。
日射しにきらめく短い毛並み。
「大丈夫ですか」
「全然」
地面から起き上がり、芝を払う。
何せ20kg以上の体重が、いきなり肩に掛かった状態。
大丈夫な方が、どうかしてる。
「一度、しつけないと駄目だな。あの猫は」
「じゃあ、捕まえます?」
「足早いし、逃げるのは得意だからね」
「でも、猫は猫です」
縁側の前に置かれた、小さなお皿。
ぐったりするサトミを眺めつつ、こちらは外を見る。
周囲を警戒しつつ、しかし一直線に近付いてくるコーシュカ。
低い姿勢、下がった尻尾。
草原なら様になる仕草だが、庭で見れば可愛いだけだ。
「ふにゃ」
聞き慣れない声を出し、芝の上に転がるコーシュカ。
ごろごろと鳴る喉。
焦点の定まらない瞳。
「はは。何、これ」
理由は分かっている。
お皿の上に乗った、またたびのせい。
それでもこれは、笑えるな。
「ライオンやトラにも効きますからね」
「なるほど」
なんて感心してる間に、一匹また一匹とやって来た。
猫、猫、でもって猫。
この敷地のどこにいたんだと言うくらい、猫の群れ。
ごろごろ、にゃーにゃー。うるさい事この上ない。
却って失敗だな、これは。
「大丈夫、これ?」
「少しすれば、すぐに飽きますから」
猫の群れを見ても、至って冷静な渡瀬さん。
普段はちゃかついてるのに、こういう時はまるっきり別人である。
私は、いつ何時でも同じだけどね。
「何だ、これ。三味線屋でも開くのか」
げらげら笑いながら、猫の中に割って入るケイ。
何をするのかと思ったら、コーシュカの頭をはたいて逃げ出した。
だけど向こうはマタタビのせいか、少しも反応しない。
彼は日頃の恨みを晴らしたつもりだろうけど、おおよそ人間が猫にする行動じゃないな。
「皮剥ごう、皮」
自分の頭の皮でも剥げばいいんだ。
大体、剥いでどうするんだ。
「いいから、その猫しつけてよ」
「子供ならともかく、成長した猫なんてしつけようがない」
何だ、それ。
ケイと同じじゃない。
「神代さんは」
「さあ。俺は俺で、忙しくて」
「何がだ」
「最近細かいね、四葉君。もう少し、大らかになりなさい」
家の中に泥棒がいて大らかになれるなら、誰でもそうするだろう。
猫と遊ぶのも飽きたので、家の中に入る。
猫は猫で、同じ事を思ってるかも知れないが。
「また、難しいの読んでるね」
ゆっくりと顔を上げる神代さん。
彼女が読んでいたのは、戦前の本。
よく分からないが、短歌の解説書らしい。
「最近、どう」
「え。何が」
戸惑いの表情。
痛い所を付かれた、という顔ではない。
突然何を言い出すんだ、という方だ。
「いや。何となく。実家には帰らないの?」
「ええ、まあ」
「向こうの知り合いって、こっちに来たりしないの?」
「ええ、まあ」
気のない返事。
あまり答えたくないという様子にも見える。
こちらも深く突っ込む訳にはいかず、テーブルにあったポットから紅茶をそそぐ。
「外に、猫いたよ」
「ああ。ヤマネコ」
「猫好き?」
「いや。あまり考えた事は」
鈍い反応。
私の考えすぎと言えば、それまでだが。
「よう」
のそりと現れる風成さん。
彼にとっては普通にやってきただけでも、この体型だと部屋が狭くなったような気にすらなってくる。
「俺にもお茶くれ」
グラスがないので、ティーポットごと渡す。
嫌な顔をしたけど、飲み出した。
飲むなって言うの。
「熱いな、これ」
「遊んでて、いいんですか」
「もう仕事は終わった。大体今日は、日曜だぜ」
そうなのか。
普段も暇そうにふらふらしてるけど、そうなのか。
「しかし楽しそうだね。高校生は」
「だったら、入学したらどうですか」
「あのね。俺は、もう大学も出てるんだよ」
「いいじゃないですか。二度やっても」
あられをかじり、紅茶も飲む。
香ばしさの二乗という感じで、何とも美味しい。
「しかしなんだ。君は発達してるな」
「発達」
きょとんとして、すぐに顔を赤らめる神代さん。
大きな胸に、長い足。
赤いシャツはきつそうで、スリムジーンズは足にフィット。
ワンピース姿の私なんて、元一杯な子供そのものだ。
「悪かったですね。発達して無くて」
「いやいや。それはそれで、また」
「また、どうかした?」
さっきの森より冷たい声。
綺麗な口を横に開く流衣さん。
「うちの奥さんには敵わないなって」
「そう。とにかく遊んでないで、落ち葉を掃除して」
「俺がどうして……、もやる仕事だな」
一睨みされて退場する風成さん。
本当に、何が仕事なんだか。
「梨でも食べる?」
「いえ。私は。この発達した子にでもあげて下さい」
「優さんも、食べれば発達するんじゃなくて」
梨にそんな効用あるのかな。
言葉の響きを聞く自体では、真逆のような気がするけど。
「うちのお父さんは」
「さあ。さっき庭先で、見かけたわよ」
未だに残る猫の群れを通り抜け、庭を早足で歩く。
母屋の角を曲がった所で現れたのは、テニスコートくらいの広さのスペース。
踏みしめる足元は芝から土へと変わる。
でもってその足元を、何かが通り過ぎていった。
「はは」
正面から聞こえる笑い声。
私のお父さんと、流衣さんのお父さんの。
自分を笑っているのかと思ったけど、様子が違う。
瞳の輝き、笑い声、視線の動き。
細かく体が動いていく。
言ってみれば、おもちゃに熱中する子供のそれ。
「なんだ、これ」
再び足元を過ぎていく物体。
猫ではなく、間違ってもすねこすりでもない。
長方形の、やや細長い無骨な車。
要は、無線で動かす子供のおもちゃか。
「これの、何がそんなに楽しいの」
「僕達は昔、こういうのに乗っててね。戦争中に」
「ああ」
過去の思い出。
郷愁とはまた違う、かすんだ過去だろうか。
無邪気に笑う姿は、単なる子供だが。
「百式装甲車さ。すごいぞ、こいつは。岩だろうが川だろうが、平気で乗り越える」
「このおもちゃが?それとも、本物が?」
「どっちもさ。周囲を警戒しつつ、北西へ前進」
「了解」
敬礼して端末を操作するお父さん。
馬鹿決定だな。
「微速前進。前方に、敵影発見」
「了解」
「進路、二時の方向へ。各種武器展開」
「了解」
少し回り込む車。
でもって左右が開き、小さな筒が飛び出てきた。
「照準合わせ。……発射」
「発射」
緊迫した二人の顔。
前のめりの体。
何が起きるのかと思ったら、筒の先端から小さな弾が発射された。
指で弾いた方が余程遠く届くくらいの距離に。
「敵陣地、完全に沈黙。機関停止。乗員は降車の後、即座に展開」
「了解」
走り出す二人。
低い姿勢で地面に屈み、その陣地を確認する。
アリの巣穴を。
大体アリは沈黙なんてしてないし、邪魔そうにさっきの弾を迂回してるだけだ。
「馬鹿みたい」
「あ、あのね」
「優、そういう言い方は」
「空飛ばないんですか。空を」
青く高い、綺麗な空。
薄い雲があちこちに浮かび、トビが遠くを飛んでいる。
「俺達は陸軍だから」
「だから?」
「人間、地面に足を付けて生きるのが一番だよ」
肩を組む二人。
意味は分からないし、結局空は飛ばないらしい。
「面白くないな」
「そういう事は、水品に頼んでくれ。あいつは空軍だったから」
なるほど。
そういう考え方もあるか。
「飛行機?どこか行くんですか」
卓上端末から顔を上げる水品さん。
今日は事務所で仕事中。
構わずその前に座り、自分でいれたお茶を飲む。
「そうじゃなくて。無線のおもちゃ」
「ああ、ラジコン。私は、そういうのは持ってません。子供ではないので」
はっきり言い切る大人。
もっともな回答とも言える。
「瞬さんは、持ってましたよ。四角い車を」
「あの人は、子供ですから」
「うちのお父さんも、笑ってましたよ」
「付き合いがいいんですよ」
そういう訳、なのかな。
じゃあ、この机に乗ってるのは何なんだ。
「これは?」
「F8戦闘機。私が戦争中に乗っていた飛行機です」
かなり細い形で、翼が動くというか折りたたまれると完全に流線型。
飛行機というより、ロケットという印象すら感じる形。
「変なの」
「どこが、どう変なんです」
立ち上がる水品さん。
飛行機のおもちゃを持って。
一体、誰が子供で誰が大人なんだ。
「はいはい。そうですか。よかったですね」
「全く。これの加速と旋回性能を知れば、雪野さんもそんな事は言えませんよ。それに、マッハ3での戦闘が可能な機体ですからね。離陸後3分で、高度1万mへ到達。ブースターを装着すれば、成層圏までも到達可能。無線による浮遊バルカン砲を……」
やたらむきになってるな。
取りあえず、頷いておけばいいか。
「聞いてます?」
「ええ、聞いてますよ。すごいですね、陸軍とは違って」
「当たり前です」
何が当たり前なのかは知らないけど、本人がそう言うならそうしておこう。
「さてと、帰ろうかな」
「もうですか」
「やる事無いし、退屈だし」
「済みませんね。退屈な話で」
分かってくれて、助かった。
というか、これが面白くてたまらない方がどうかしてる。
翌日。
遊び疲れた訳ではないが、やや眠い。
ぼんやりと授業を聞き、それでも右腕はメモを取っている。
私も意外と器用だな。
「おい。もう終わってるぞ」
どこからか聞こえる声。
意味は分からないが、メモさえ取れば後で確認出来る。
「もう、終わってるぞ、と」
「寝てるのか」
「寝てる……、訳無いじゃない」
メモを丸め、ポケットにしまう。
ただ聞いた事はメモしてるので、問題はないだろう。
それ程は。
「起きてる、起きてる。ご飯食べに行こう」
「寝起きで、元気がいいな」
リュックを背負いつつ呟くショウ。
別に嫌みではなく、本気で感心しているようだ。
それはそれで、ちょっと嫌だけど。
食堂に入り、メニューをチェック。
いや。メニュー自体は事前にチェックしてるけど、変更って場合もあるからね。
「タケノコご飯か。サンマもいいな」
「何でもいいだろ」
「じゃあ、卵かけでも食べてれば」
「いいな、それも」
真顔で頷くショウ。
頼むな、頼むな。
それも、どんぶりで。
「やっぱり、タケノコにしよう」
トレイに乗った、タケノコご飯。
タケノコが入った、ではなく。
タケノコの中に入った、ご飯。
味はそのままなんだけど、見た目もそのままだな。
「あなた、かぐや姫?」
楽しそうに笑うサトミ。
またオーダーしない所を見ると、自分が食べたい訳でもないらしい。
恥をかきたくない、かもしれないが。
「企画した人に言ってよね。この器というか、タケノコも食べろって事なのかな」
「試してみれば」
「試すもなにも、こんな大きいの。大体、どうやって」
箸でつつくが、効き目無し。
フォークとナイフでもいるのな。
「もう、いい。飽きた」
「俺の前に置くな」
「捨てる訳にもいかないでしょ」
「何だよ、これは」
そう言いつつ、手づかみで食べ出すショウ。
かじる、と言った方が正確か。
豪快というか、なんというか。
何を考えて、こんなのを作ったのかな。
「美味しい?」
「食べ応えはある」
それはあるだろ。
パンダだって、こんなのは食べないんじゃないの。
ラウンジへ移動し、お茶を飲んで一服。
サトミは何か、本を読んでいる。
紅茶を傍らに置いて、耳元の髪をかき上げて。
優雅な午後の一時といった所。
「面白い?」
「あなたは、聞かないと分からないの」
逆に質問された。
「分からないから、聞いてるんじゃない」
「子供ね」
「ああ、子供よ」
ぎっと脇を掴んで、すっと離れる。
わっと叫んだように聞こえるけど、気のせいだ。
ラウンジ中の視線が集まってきたように思えるのも。
「あ、あのね」
「子供の悪戯じゃない。いちいち、怒らないの」
「子供をしつけるのは、大人の役目なのよ」
大人、ね。
鼻に絆創膏を貼った大人がいたら、見てみたい。
いや。目の前に一人いるか。
「それよりさ」
「私の脇を掴むのは、そんな簡単に流される話だったかしら」
「いいから。北海道って寒い?」
「この時期だと着込むどころか、防寒具が必要よ」
今度の旅行は、北海道。
確かに名古屋でも肌寒いんだから、向こうではそれ以上という訳か。
「沖縄にする?」
「そこまで短絡的じゃないけどね。今度、上着買いに行こう」
端末で、これといった物をチェックする。
セーターではなく、ジャケットかブルゾン。
コートはちょっと、重いかな。
ファッション雑誌を買いに、購買へ向かう。
その購買前を埋める、大勢の生徒。
廊下にも生徒は溢れていて、歩くのもやっと。
いつも人の多い場所ではあるが、廊下は比較的空いているはず。
つまり、何かあったと考えるのが妥当だろう。
何があるのかは、この人垣を越えない限りは始まらない。
「どうなってるの」
「全然見えないわ」
首を振るサトミ。
私の頭上を過ぎていく、彼女の黒髪。
くすぐったくて、良い匂い。
いや。まったりしてる場合じゃない。
「前、行けないかな」
「放っておくなんて選択肢は、あなたにはないの」
「考えた事もない」
ないにはないが、どうしようもない。
仕方ないから、壁越しにいくか。
「ユウ。隙間があるわよ」
足元を指差すサトミ。
確かに、無くはない。
腰を屈めて通れるくらいの位置には。
「猫じゃないんだから」
「という訳で、止めなさい」
一応は諫めるサトミ。
私の性格と行動パターンを知り抜いた上での。
「ちゃんと、後で来てよ」
「分かってる。ほら、伏せて」
ますます犬か猫だな……。
かろうじて出来ている足元の隙間をくぐり抜け、どうにか前の方までやってくる。
でもって立ち上がるが、視界0。
目の前に、まだ人がいるためだ。
「どいて」
「あ?」
面倒げに振り向く男。
その鼻先にスティックを突き付け、横に振る。
男もそれに従い、横に動く。
全く、どうしようもないな。
いや。私がね。
ようやく開ける視界。
購買と廊下の境にある、何本もの柱。
柱にもたれる、小さな女の子。
彼女の前に立つ、何人もの男。
少なくとも友好的な雰囲気はなく、明らかに嫌がっている様子。
しかもそれを止める者は、誰もいない。
傍観している者は、いくらでもいるが。
「いい加減にしたら」
少し大きめの声を出し、注目を集める。
周囲のではなくて、目の前の男達のそれを。
「何だ、お前」
「自分こそ何よ。その子の知り合い?」
「お前に関係あるのか」
「自分こそ、関係あるの」
口を閉ざす男。
その代わりに仲間達と一緒に、こちらへ歩いてくる。
「馬鹿が。調子に乗ってると、潰すぞ」
「あ、そう」
手を振って、柱へもたれていた女の子に逃げるよう促す。
小さく頷き走り出す女の子。
その後を追おうとする男の足を払い、腰を軽く後ろから蹴る。
あっさりバランスを崩し、倒れる体。
良いのは威勢だけとは、まさにこの事だな。
「この野郎」
すぐに私を囲みに掛かる仲間。
当然そんな事をされる前に、バックステップで後ずさる。
囲むどころか男達はぶつかり合い、床へと転がる。
「このっ」
倒れていた男が立ち上がり、懐から警棒を抜いた。
持ち込み禁止の割には、最近誰でも持ってるな。
「覚悟しろよ」
「お前がしろ」
鋭いかかと落としが肩に落ち、首を刈って引き倒す。
それを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく仲間の男達。
「お前は、何をやってるんだ」
「だって」
「全く。で、この馬鹿は」
「さっき、女の子に絡んでて。……でも、どこかで見た顔だな」
足で男を仰向けにさせる塩田さん。
その顔をもう一度確認し、指を指す。
「分かった。あれ、あれです」
「どれだ」
「えーと、あれ。そう、神代さんに絡んでた馬鹿」
「神代って、あの大きな女か。よく分からんな」
分からない事は、聞くに限る。
どう聞くかは、人による。
男を近くのオフィスに連行し、床へ転がして取り囲む。
「さて、どうするよ」
「聞けばいいじゃないですか」
床に転がった男の枕元に立つケイ。
多分悪魔は、こういう感じでやってくるんだろう。
ごく普通に、気付かない内に。
「おい。お前、神代さんとどういう関係だ」
「お前に関係が」
「あるから聞いてるんだろ」
「誰が言うか」
あくまでも強気な男。
虚勢か、私達が何もやらないと思ってるのか。
何も考えてないのか。
おそらくは、そのどれもだろう。
「お前達なんか、俺の仲間が来れば」
「来ないんだよ。浦田、ラー油持ってこい」
「了解」
すぐにキッチンから戻ってくるケイ。
手には指示通り、ラー油を持って。
「な、何を」
意味の分からない展開に焦りの表情を浮かべる男。
塩田さんは無表情で、ラー油の瓶を男の鼻に近付けた。
「まあ、飲めよ」
「な、何を」
「見ての通りだ。酒に見えるか」
「す、す」
引きつった顔。うわずった声。
首を必死で動かし、瓶から逃げる。
「浦田。酢の方がいいらしい」
「了解」
「す、済みません。な、何でも話しますっ」
あっさり落ちる男。
さっきの虚勢は何だったのかという話だな。
というか、やり過ぎだ。
「じゃあ、話せ」
「べ、別に知り合いじゃなくて。む、昔、ちょっとあいつを襲った事があって」
「それで」
「あ、あいつの先輩に逆にやられて。ここに来たらあいつがいたから、仕返しをしようと」
ほぼ予想通りの内容。
以前神代さんから聞いた話とも一致する。
「じゃあ、お前はどうしてここに来た」
「金をもらって、転校しただけです。ほ、本当に」
「分かった。今すぐ、もう一度転校しろ」
腕を組む塩田さん。
ケイはキッチンから戻り、その前に座った。
「あんた、脅してどうするんです」
「知るか。とにかく、今の馬鹿の知り合いもチェックしろ」
「面倒見がいいんですね」
「お前なら、放っておくけどな。しかし見た目は怖そうな奴なのに」
首を傾げる塩田さん。
彼女とはそれ程付き合いがないので、性格的な事はあまり知らないのだろう。
「案外、気が弱いタイプです。あの子は」
「お前とは逆だな」
「あ」
「吠えるな」
きっと塩田さんを睨み、机を引っ掻く。
理由は分からない。
苛立った時の猫って、こういう心境かな。
「困ったもんだな」
「じゃあ、どうにかして下さい」
「俺の担当じゃない。大体、お前の後輩でもあるんだろ」
後輩という言葉。
自分がではなく。
自分の、という意味。
以前は深く考えもしなかった。
でも今は、強く意識する事。
確かな現実。
誰のでもない、私にとっての。




