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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第24話
263/596

24-1






     24-1




 風が涼しくて。

 空が青くて。

 お茶も美味しい。

 縁側にちょこりと座り、小さな湯飲みで煎茶をすする。

 少しぬるいくらいが、今の時期には丁度いい。

 やっぱり、ういろは桜だな。

 玲阿邸の広い庭を眺めながら、そう思う。


 目の前をかすめ飛んでいくバトミントンのシャトル。

 どたばたとそれを追うサトミ。 

 天才らしいし、美少女という噂。

 この姿を見る限りは、いまいち信用しかねるが。

「シャトルの軌道を見てれば、どこに跳ぶかくらい分かるでしょ」

「静かにして。気が散る」

 険のある返事。

 だったら、頭で受け止めないでよね。

「もう、止めたらどうだ」

 左手でラケットを振るショウ。

 ちなみに彼は、右利きである。

「何を。負けを認めるの」

 馬鹿だな、間違いなく。

 大体30分やって、一点も取れてないじゃない。

「タイム。タイム」

 左手の手の平に右手を突き立て、タイムをアピールする。 

 それと同時に、芝へへたり込むサトミ。

 哀れと言うにも悲しすぎる姿だな。

「ショウ、ちょっと」

「交代するのか」

「そうじゃなくて。ちょっと、手加減してよ」

「十分してる」

 憮然として答えるショウ。

 確かにそれは、見ていても分かる。 

 彼が返すのは、常に同じコース。

 速度も緩く、振れば当たる。

 普通なら。

「空振りしなさい。空振り」

「露骨だろ、それは」

「いいから。もっと優しくしてやって」

「これ以上、何をどうするんだ」

 そんな事は、私が聞きたい。

 よろよろと立ち上がり、素振りを始めた子にも。


「行くぞ」

「いつでも来なさい」

 返事だけは、毎回いいな。

 それはともかく、緩やかな弧を描きサトミの前に跳んでいくシャトル。

 これ以上はない打ち頃の速度とコース。

 後は軽く、腕を振り抜くだけ。

「うわっ」

 意味不明な叫び声と共に、フルスイングするサトミ。

 弧を描き、綺麗に跳んでいくシャトル。

 懸命に走るショウの頭上を越えて。 

 秋晴れの青空へ向かって。

「やった」 

 これも意味不明な、満足げな声。

 確かに、飛距離を競う競技ならそうだろう。

 当たり前だけど空に吸い込まれる事はなく、あっさりと失速して落ちてくる。

 でもって、風も吹いてきた。

「あれ」

 乾いた音。

 ようやく落ち着くシャトル。

 空よりは近いけど、どうやっても届かない軒先の上で。

「どうするの」

「困ったわね」

 顔を伏せ、地面を見ながら肩で息するサトミ。

 軒先を見上げる余裕すらないようだ。

「仕方ないな。ショウ」

「俺でも無理だぞ、これは」

 勢いよく飛び上がり、ラケットを振るショウ。

 先端はかろうじて軒先に届いているが、シャトルはその向こう。

 雨どいの奥に引っかかっているようだ。

「脚立は?」

「置いてある場所が遠いんだよな」

「取れそうな気もするけど」

 背伸びをして、手を伸ばす。

 別にそれで取れるという訳ではない。

 場所を確認しただけだ。

 手を伸ばしたのは、自分でもよくは分かってない。

「しゃがんで」

「あ?」

「ほら。早く」


 腰を落とすショウ。

 その肩に手を掛けて、背中に乗っかる。

 でもってもう少し進んで、肩に足を掛ける。

 つまりは肩車の体勢になって、彼の頭をしっかり掴む。

「立って」

「へいへい」

 一気に上がる視界。

 近くなる空。

 という程大袈裟な事でもないが、精神的に。

 しかしこれでも、軒先はまだ遠い。

「ちゃんと支えててよ」

「分かってる。しかし、細いな。肉を食え」

 人の足を掴みながら、訳の分からない事を言ってきた。 

 綺麗な肌だね、とか。

 照れるな。

 くらい言ってよね。

 いや。言われても困るけどさ。

「真っ直ぐ、上に跳んで」

「本気か」 

 そう言いつつ、すぐに跳ね上がる視界。

 近付くシャトル。

 でもって、すぐに遠ざかる。

 慌てて手を伸ばすが、勿論時すでに遅し。

「止まれないの」

「じゃあ、重力を操作しろ」

 屁理屈で口答えしてきた。

 最近、どうもあれだな。

「もういい。上見ないでよ」

「頭の上には立つな」 

 ちっ、先を読まれたな。


 ただ、あくまでもそれは冗談。

 靴を脱ぎ、頭に手を置いて肩に足を乗せる。

 後は指に力を入れて、腕を横へと伸ばす。

 最後にゆっくりと腰を伸ばし、姿勢も正す。

「はは。高い」

 視界に見える屋根の上。

 あくまでも一階部分の屋根にしろ、普通に暮らしていたら一生縁のない光景。

 ぐるりと回りを見渡して、両手を高く上へと伸ばす。

 いつにない開放感と爽快感。

 この世の全てを一人占めした気分。

「シャトルは」

 ああ。忘れてた。 

 一気に現実へ引き戻されたな。

 改めて集中し、雨どいに引っかかっているシャトルを視界に収める。

 下からでは取れない角度だが、今はそれを上から見下ろす位置。 

「はは。目の前じゃない」

「いいから、早くしてくれ。結構、きつい」

「鍛え方が足りないんじゃないの。今取るから……。わっ」

 叩かれる手。

 手の甲に置かれる、毛むくじゃらの小さな手。

 いや。前足か。

「何よ」

「にゃー」

 私を睨みながら鳴き声を上げる、ヤマネコのコーシュカ。

 叩いた理由も、鳴いた理由も分からない。

 猫に関して、そういう事は無意味だから。

「いいから。それをよこしなさい」

「にゃー」

 反抗的だな。

「ほら。あっちいって」

「にゃー」

「ちょっと。どきなさいって言うの」

「うにゃー」

 両手で器用にシャトルを転がしていくコーシュカ。

 つまりは、目の前からシャトルが消える。

「ショウ右。いや、左っ」

「何言ってるんだ。大体、動けるか」

「事情は聞いてない」

「落ちても知らんぞ」

 右へ流れる景色。

 上体だけがその場に残り、下半身だけが横へ流れる。

「駄目っ。動いちゃ駄目っ」

「だから、そう言っただろ」

「猫。猫っ」

「飼いたいのか」

 全く噛み合わない会話。

 見ている世界が違うと、ここまで話が食い違うものなのか。

 なんて程、大袈裟な事でもない。

 というか、この猫は。

「うわっ」

 突然後ろ足で立ち上がり、牙を剥くコーシュカ。

 イエネコではない、ヤマネコ。

 サイズも迫力も威圧感も、何もかもが桁違い。

「負けるかっ」

 足を踏みきり、コーシュカの上へと飛び上がる。

 猫との勝負は、位置の上下。 

 上にいる方が優位で、ケンカは大抵それで決着が付く。

 食うか食われるかの世界でも、それは同様。

 上にいた方が、有利なのは間違いない。

「にゃっ」

 そう一声鳴いて、屋根を登っていくコーシュカ。

 取り残される私。

 屋根の上まで舞い上がり、二階の屋根が近付いて。

 一気に急降下。


「っと」

 体を右へひねって、バランスを調整。

 右目で地面を確認し、両手を広げて膝を曲げる。

 着地と同時に腰を落とし、膝をさらに深く曲げる。 

 最後に横へ転がって残りの衝撃も和らげて、後は倒立で立ち上がる。

「あー、びっくりした」

「それは、こっちの台詞だ」

「だって、猫。猫が」

「何だ、猫って。あれは、ヤマネコだ」

 下らない事で訂正してきたな。

 言葉としては間違ってないけど、根本的には違ってる。

「もういい。サトミは」

 探す間もなく発見。 

 縁側に座布団を並べ、ぐったりと横たわっている。

 張り切りすぎというか、考え無しというか。

 ただ構う事でもないため、放っておいてよそに行く。

 というか寝てるんじゃないのか、この子。


 枯れ落ちた葉。

 乾いた枝。

 夏よりも日は差し込み、だけど冷たい空気。

 湿った落ち葉を踏みしめ、森の奥を歩く。

 実際は森ではなく、玲阿家の敷地内だけど。

 そのくらい大きいし、私サイズからすれば森と言っても間違いない。

 しかしこれだけ涼しいてって事は、秋どころか冬がその辺に隠れていそうだな。

「何してるんだ」

「いや。いないかなと思って」

「何が」

 生真面目な質問。

 冬が、とは答えようもなくもごもご言って先を急ぐ。

「薄暗くて、気持ち悪いね」

「そうか?涼しくて、気持ちいいぞ」

 この辺は100年経っても噛み合わないので、深くは突っ込まない。

 足元に違和感。

 落ち葉の下に、岩か何かあるような感触。

「ああ。そこは涸れ井戸だ」

 カレイド?

 万華鏡が、どうしてここに。

「随分、大きいね」

「普通だろ。これ以上小さい井戸って、なんだ」

 ……ああ、涸れ井戸か。

 本当、口に出さなくて良かったな。

 いや。安心してる場合じゃない。

「ど、どうして。い、井戸が」

「使わなくなったから、塞いだんだろ。落ちたら危ないし」

 それもそうだ。

 大体、その上に乗ってる場合じゃない。 

 慌てて飛び降り、木の幹にしがみつく。

「おい」

「ひ、引きずり込まれたらどうするの」

「あのな。別に幽霊が出る訳じゃないんだぞ。ただの、古い井戸だ」

「言い切れるの?絶対に、何もないって。手も足も出てこないって」

 とにかくここからは逃げるに限る。

 でもって、ここには二度と来ないに限る。



 森の中をひたすら駆けて、明るい日射しの元に出る。

 この家の事は、まだまだ謎だらけだな。

「どうしたんですか」

 息を切らした私を見上げる渡瀬さん。

 説明する余裕もないので、ジェスチャーで返す。

「全然分かりません」

 それもそうか。

 とりあえず彼女の隣りにしゃがみ、激しく肩で息をする。 

「渡瀬さんこそ、何してるの」

「例のヤマネコがいたので、後を追ってました。足早いですね」

「あの猫か。危ないよ、突然怖い顔するし」

「顔、ですか」

 私もでしょ、とでも言いたげな視線。

 ここで彼女を睨むとそのままなので、伸びをして立ち上がる。

「神代さんは?」

「家の中で、難しそうな本読んでました。戦前の」

「真面目な子だね」

「浦田さんも読んでましたよ」 

 そっちは真面目かどうか、判断尽きかねる。

 本人は、至って真面目かも知れないけどね。

 マンガにもゲームにも。

「神代さんの調子はどう?」

「さあ。ナオが、どうかしたんですか」

「どうかというか、なんというか。変な連中が絡んでたから。何か知ってる?」

「さあ。あの子、自分の事はあまり話さないので」

 予想通りの答え。

 先日の一件すら、詳しい事は聞いてない。

 だから渡瀬さんはと思ったけど、こちらも同じか。

「渡瀬さんは、大丈夫なの?」

「え。絡まれるっていう意味ですか」

「そう」

「無くは無いですよ。困ってもいませんけど」 

 普通に返ってくる答え。

 秋の日射しの下の、明るい笑顔。

 そういう事を気にしない性格という訳ではなく、実力に裏打ちされた答えだろう。

「わっ」

 突然叫ぶ渡瀬さん。

 何かと思ったら、背後に気配。

 振り向いた途端、茶色の物体が飛びかかって来てた。

「おっ」

 人の肩に乗って、さらに跳躍するコーシュカ。

 流線型のしなやかな手足。

 柔らかく滑るような動き。

 日射しにきらめく短い毛並み。

「大丈夫ですか」

「全然」

 地面から起き上がり、芝を払う。

 何せ20kg以上の体重が、いきなり肩に掛かった状態。

 大丈夫な方が、どうかしてる。

「一度、しつけないと駄目だな。あの猫は」

「じゃあ、捕まえます?」

「足早いし、逃げるのは得意だからね」

「でも、猫は猫です」



 縁側の前に置かれた、小さなお皿。

 ぐったりするサトミを眺めつつ、こちらは外を見る。  

 周囲を警戒しつつ、しかし一直線に近付いてくるコーシュカ。

 低い姿勢、下がった尻尾。

 草原なら様になる仕草だが、庭で見れば可愛いだけだ。

「ふにゃ」

 聞き慣れない声を出し、芝の上に転がるコーシュカ。

 ごろごろと鳴る喉。

 焦点の定まらない瞳。

「はは。何、これ」

 理由は分かっている。 

 お皿の上に乗った、またたびのせい。

 それでもこれは、笑えるな。

「ライオンやトラにも効きますからね」

「なるほど」

 なんて感心してる間に、一匹また一匹とやって来た。

 猫、猫、でもって猫。

 この敷地のどこにいたんだと言うくらい、猫の群れ。

 ごろごろ、にゃーにゃー。うるさい事この上ない。

 却って失敗だな、これは。

「大丈夫、これ?」

「少しすれば、すぐに飽きますから」

 猫の群れを見ても、至って冷静な渡瀬さん。

 普段はちゃかついてるのに、こういう時はまるっきり別人である。

 私は、いつ何時でも同じだけどね。

「何だ、これ。三味線屋でも開くのか」

 げらげら笑いながら、猫の中に割って入るケイ。

 何をするのかと思ったら、コーシュカの頭をはたいて逃げ出した。

 だけど向こうはマタタビのせいか、少しも反応しない。

 彼は日頃の恨みを晴らしたつもりだろうけど、おおよそ人間が猫にする行動じゃないな。

「皮剥ごう、皮」

 自分の頭の皮でも剥げばいいんだ。

 大体、剥いでどうするんだ。

「いいから、その猫しつけてよ」

「子供ならともかく、成長した猫なんてしつけようがない」

 何だ、それ。

 ケイと同じじゃない。

「神代さんは」

「さあ。俺は俺で、忙しくて」

「何がだ」

「最近細かいね、四葉君。もう少し、大らかになりなさい」

 家の中に泥棒がいて大らかになれるなら、誰でもそうするだろう。




 猫と遊ぶのも飽きたので、家の中に入る。

 猫は猫で、同じ事を思ってるかも知れないが。

「また、難しいの読んでるね」

 ゆっくりと顔を上げる神代さん。

 彼女が読んでいたのは、戦前の本。

 よく分からないが、短歌の解説書らしい。

「最近、どう」

「え。何が」

 戸惑いの表情。

 痛い所を付かれた、という顔ではない。

 突然何を言い出すんだ、という方だ。

「いや。何となく。実家には帰らないの?」

「ええ、まあ」

「向こうの知り合いって、こっちに来たりしないの?」

「ええ、まあ」

 気のない返事。

 あまり答えたくないという様子にも見える。

 こちらも深く突っ込む訳にはいかず、テーブルにあったポットから紅茶をそそぐ。

「外に、猫いたよ」

「ああ。ヤマネコ」

「猫好き?」

「いや。あまり考えた事は」

 鈍い反応。

 私の考えすぎと言えば、それまでだが。

「よう」

 のそりと現れる風成さん。

 彼にとっては普通にやってきただけでも、この体型だと部屋が狭くなったような気にすらなってくる。

「俺にもお茶くれ」

 グラスがないので、ティーポットごと渡す。

 嫌な顔をしたけど、飲み出した。

 飲むなって言うの。

「熱いな、これ」

「遊んでて、いいんですか」

「もう仕事は終わった。大体今日は、日曜だぜ」

 そうなのか。

 普段も暇そうにふらふらしてるけど、そうなのか。

「しかし楽しそうだね。高校生は」

「だったら、入学したらどうですか」

「あのね。俺は、もう大学も出てるんだよ」

「いいじゃないですか。二度やっても」

 あられをかじり、紅茶も飲む。

 香ばしさの二乗という感じで、何とも美味しい。

「しかしなんだ。君は発達してるな」

「発達」

 きょとんとして、すぐに顔を赤らめる神代さん。

 大きな胸に、長い足。

 赤いシャツはきつそうで、スリムジーンズは足にフィット。

 ワンピース姿の私なんて、元一杯な子供そのものだ。

「悪かったですね。発達して無くて」

「いやいや。それはそれで、また」


「また、どうかした?」

 さっきの森より冷たい声。

 綺麗な口を横に開く流衣さん。

「うちの奥さんには敵わないなって」

「そう。とにかく遊んでないで、落ち葉を掃除して」

「俺がどうして……、もやる仕事だな」

 一睨みされて退場する風成さん。

 本当に、何が仕事なんだか。

「梨でも食べる?」

「いえ。私は。この発達した子にでもあげて下さい」

「優さんも、食べれば発達するんじゃなくて」

 梨にそんな効用あるのかな。

 言葉の響きを聞く自体では、真逆のような気がするけど。

「うちのお父さんは」

「さあ。さっき庭先で、見かけたわよ」



 未だに残る猫の群れを通り抜け、庭を早足で歩く。

 母屋の角を曲がった所で現れたのは、テニスコートくらいの広さのスペース。

 踏みしめる足元は芝から土へと変わる。

 でもってその足元を、何かが通り過ぎていった。

「はは」

 正面から聞こえる笑い声。

 私のお父さんと、流衣さんのお父さんの。

 自分を笑っているのかと思ったけど、様子が違う。

 瞳の輝き、笑い声、視線の動き。

 細かく体が動いていく。

 言ってみれば、おもちゃに熱中する子供のそれ。

「なんだ、これ」

 再び足元を過ぎていく物体。

 猫ではなく、間違ってもすねこすりでもない。

 長方形の、やや細長い無骨な車。

 要は、無線で動かす子供のおもちゃか。

「これの、何がそんなに楽しいの」

「僕達は昔、こういうのに乗っててね。戦争中に」

「ああ」

 過去の思い出。

 郷愁とはまた違う、かすんだ過去だろうか。

 無邪気に笑う姿は、単なる子供だが。

「百式装甲車さ。すごいぞ、こいつは。岩だろうが川だろうが、平気で乗り越える」

「このおもちゃが?それとも、本物が?」

「どっちもさ。周囲を警戒しつつ、北西へ前進」

「了解」

 敬礼して端末を操作するお父さん。

 馬鹿決定だな。

「微速前進。前方に、敵影発見」

「了解」

「進路、二時の方向へ。各種武器展開」

「了解」

 少し回り込む車。

 でもって左右が開き、小さな筒が飛び出てきた。

「照準合わせ。……発射」

「発射」

 緊迫した二人の顔。 

 前のめりの体。

 何が起きるのかと思ったら、筒の先端から小さな弾が発射された。

 指で弾いた方が余程遠く届くくらいの距離に。

「敵陣地、完全に沈黙。機関停止。乗員は降車の後、即座に展開」

「了解」

 走り出す二人。

 低い姿勢で地面に屈み、その陣地を確認する。

 アリの巣穴を。

 大体アリは沈黙なんてしてないし、邪魔そうにさっきの弾を迂回してるだけだ。

「馬鹿みたい」

「あ、あのね」

「優、そういう言い方は」

「空飛ばないんですか。空を」

 青く高い、綺麗な空。

 薄い雲があちこちに浮かび、トビが遠くを飛んでいる。

「俺達は陸軍だから」

「だから?」

「人間、地面に足を付けて生きるのが一番だよ」

 肩を組む二人。

 意味は分からないし、結局空は飛ばないらしい。

「面白くないな」

「そういう事は、水品に頼んでくれ。あいつは空軍だったから」

 なるほど。

 そういう考え方もあるか。



「飛行機?どこか行くんですか」

 卓上端末から顔を上げる水品さん。

 今日は事務所で仕事中。 

 構わずその前に座り、自分でいれたお茶を飲む。

「そうじゃなくて。無線のおもちゃ」

「ああ、ラジコン。私は、そういうのは持ってません。子供ではないので」

 はっきり言い切る大人。

 もっともな回答とも言える。

「瞬さんは、持ってましたよ。四角い車を」

「あの人は、子供ですから」

「うちのお父さんも、笑ってましたよ」

「付き合いがいいんですよ」

 そういう訳、なのかな。

 じゃあ、この机に乗ってるのは何なんだ。

「これは?」

「F8戦闘機。私が戦争中に乗っていた飛行機です」

 かなり細い形で、翼が動くというか折りたたまれると完全に流線型。

 飛行機というより、ロケットという印象すら感じる形。

「変なの」

「どこが、どう変なんです」 

 立ち上がる水品さん。

 飛行機のおもちゃを持って。

 一体、誰が子供で誰が大人なんだ。

「はいはい。そうですか。よかったですね」

「全く。これの加速と旋回性能を知れば、雪野さんもそんな事は言えませんよ。それに、マッハ3での戦闘が可能な機体ですからね。離陸後3分で、高度1万mへ到達。ブースターを装着すれば、成層圏までも到達可能。無線による浮遊バルカン砲を……」

 やたらむきになってるな。

 取りあえず、頷いておけばいいか。

「聞いてます?」

「ええ、聞いてますよ。すごいですね、陸軍とは違って」

「当たり前です」

 何が当たり前なのかは知らないけど、本人がそう言うならそうしておこう。

「さてと、帰ろうかな」

「もうですか」

「やる事無いし、退屈だし」

「済みませんね。退屈な話で」

 分かってくれて、助かった。

 というか、これが面白くてたまらない方がどうかしてる。



 翌日。

 遊び疲れた訳ではないが、やや眠い。

 ぼんやりと授業を聞き、それでも右腕はメモを取っている。

 私も意外と器用だな。

「おい。もう終わってるぞ」

 どこからか聞こえる声。

 意味は分からないが、メモさえ取れば後で確認出来る。

「もう、終わってるぞ、と」

「寝てるのか」

「寝てる……、訳無いじゃない」

 メモを丸め、ポケットにしまう。

 ただ聞いた事はメモしてるので、問題はないだろう。

 それ程は。

「起きてる、起きてる。ご飯食べに行こう」

「寝起きで、元気がいいな」

 リュックを背負いつつ呟くショウ。

 別に嫌みではなく、本気で感心しているようだ。

 それはそれで、ちょっと嫌だけど。


 食堂に入り、メニューをチェック。

 いや。メニュー自体は事前にチェックしてるけど、変更って場合もあるからね。

「タケノコご飯か。サンマもいいな」

「何でもいいだろ」

「じゃあ、卵かけでも食べてれば」

「いいな、それも」

 真顔で頷くショウ。

 頼むな、頼むな。

 それも、どんぶりで。

「やっぱり、タケノコにしよう」


 トレイに乗った、タケノコご飯。

 タケノコが入った、ではなく。

 タケノコの中に入った、ご飯。 

 味はそのままなんだけど、見た目もそのままだな。

「あなた、かぐや姫?」

 楽しそうに笑うサトミ。 

 またオーダーしない所を見ると、自分が食べたい訳でもないらしい。

 恥をかきたくない、かもしれないが。

「企画した人に言ってよね。この器というか、タケノコも食べろって事なのかな」

「試してみれば」

「試すもなにも、こんな大きいの。大体、どうやって」

 箸でつつくが、効き目無し。

 フォークとナイフでもいるのな。

「もう、いい。飽きた」

「俺の前に置くな」

「捨てる訳にもいかないでしょ」

「何だよ、これは」

 そう言いつつ、手づかみで食べ出すショウ。

 かじる、と言った方が正確か。

 豪快というか、なんというか。

 何を考えて、こんなのを作ったのかな。

「美味しい?」

「食べ応えはある」

 それはあるだろ。

 パンダだって、こんなのは食べないんじゃないの。


 ラウンジへ移動し、お茶を飲んで一服。

 サトミは何か、本を読んでいる。

 紅茶を傍らに置いて、耳元の髪をかき上げて。 

 優雅な午後の一時といった所。

「面白い?」

「あなたは、聞かないと分からないの」

 逆に質問された。

「分からないから、聞いてるんじゃない」

「子供ね」

「ああ、子供よ」

 ぎっと脇を掴んで、すっと離れる。

 わっと叫んだように聞こえるけど、気のせいだ。

 ラウンジ中の視線が集まってきたように思えるのも。

「あ、あのね」

「子供の悪戯じゃない。いちいち、怒らないの」

「子供をしつけるのは、大人の役目なのよ」

 大人、ね。

 鼻に絆創膏を貼った大人がいたら、見てみたい。

 いや。目の前に一人いるか。

「それよりさ」

「私の脇を掴むのは、そんな簡単に流される話だったかしら」

「いいから。北海道って寒い?」

「この時期だと着込むどころか、防寒具が必要よ」

 今度の旅行は、北海道。

 確かに名古屋でも肌寒いんだから、向こうではそれ以上という訳か。

「沖縄にする?」

「そこまで短絡的じゃないけどね。今度、上着買いに行こう」

 端末で、これといった物をチェックする。

 セーターではなく、ジャケットかブルゾン。

 コートはちょっと、重いかな。



 ファッション雑誌を買いに、購買へ向かう。 

 その購買前を埋める、大勢の生徒。

 廊下にも生徒は溢れていて、歩くのもやっと。

 いつも人の多い場所ではあるが、廊下は比較的空いているはず。

 つまり、何かあったと考えるのが妥当だろう。

 何があるのかは、この人垣を越えない限りは始まらない。

「どうなってるの」

「全然見えないわ」

 首を振るサトミ。

 私の頭上を過ぎていく、彼女の黒髪。

 くすぐったくて、良い匂い。

 いや。まったりしてる場合じゃない。

「前、行けないかな」

「放っておくなんて選択肢は、あなたにはないの」

「考えた事もない」

 ないにはないが、どうしようもない。

 仕方ないから、壁越しにいくか。

「ユウ。隙間があるわよ」

 足元を指差すサトミ。

 確かに、無くはない。 

 腰を屈めて通れるくらいの位置には。

「猫じゃないんだから」

「という訳で、止めなさい」

 一応は諫めるサトミ。

 私の性格と行動パターンを知り抜いた上での。

「ちゃんと、後で来てよ」

「分かってる。ほら、伏せて」

 ますます犬か猫だな……。 


 かろうじて出来ている足元の隙間をくぐり抜け、どうにか前の方までやってくる。

 でもって立ち上がるが、視界0。

 目の前に、まだ人がいるためだ。

「どいて」

「あ?」

 面倒げに振り向く男。 

 その鼻先にスティックを突き付け、横に振る。

 男もそれに従い、横に動く。

 全く、どうしようもないな。

 いや。私がね。

 ようやく開ける視界。

 購買と廊下の境にある、何本もの柱。

 柱にもたれる、小さな女の子。

 彼女の前に立つ、何人もの男。

 少なくとも友好的な雰囲気はなく、明らかに嫌がっている様子。

 しかもそれを止める者は、誰もいない。

 傍観している者は、いくらでもいるが。

「いい加減にしたら」

 少し大きめの声を出し、注目を集める。

 周囲のではなくて、目の前の男達のそれを。

「何だ、お前」

「自分こそ何よ。その子の知り合い?」

「お前に関係あるのか」

「自分こそ、関係あるの」

 口を閉ざす男。

 その代わりに仲間達と一緒に、こちらへ歩いてくる。

「馬鹿が。調子に乗ってると、潰すぞ」

「あ、そう」

 手を振って、柱へもたれていた女の子に逃げるよう促す。

 小さく頷き走り出す女の子。

 その後を追おうとする男の足を払い、腰を軽く後ろから蹴る。

 あっさりバランスを崩し、倒れる体。

 良いのは威勢だけとは、まさにこの事だな。

「この野郎」

 すぐに私を囲みに掛かる仲間。

 当然そんな事をされる前に、バックステップで後ずさる。

 囲むどころか男達はぶつかり合い、床へと転がる。

「このっ」

 倒れていた男が立ち上がり、懐から警棒を抜いた。

 持ち込み禁止の割には、最近誰でも持ってるな。

「覚悟しろよ」

「お前がしろ」


 鋭いかかと落としが肩に落ち、首を刈って引き倒す。

 それを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく仲間の男達。

「お前は、何をやってるんだ」

「だって」

「全く。で、この馬鹿は」

「さっき、女の子に絡んでて。……でも、どこかで見た顔だな」

 足で男を仰向けにさせる塩田さん。

 その顔をもう一度確認し、指を指す。

「分かった。あれ、あれです」

「どれだ」

「えーと、あれ。そう、神代さんに絡んでた馬鹿」

「神代って、あの大きな女か。よく分からんな」



 分からない事は、聞くに限る。

 どう聞くかは、人による。

 男を近くのオフィスに連行し、床へ転がして取り囲む。

「さて、どうするよ」

「聞けばいいじゃないですか」

 床に転がった男の枕元に立つケイ。

 多分悪魔は、こういう感じでやってくるんだろう。

 ごく普通に、気付かない内に。

「おい。お前、神代さんとどういう関係だ」

「お前に関係が」

「あるから聞いてるんだろ」

「誰が言うか」

 あくまでも強気な男。

 虚勢か、私達が何もやらないと思ってるのか。

 何も考えてないのか。

 おそらくは、そのどれもだろう。

「お前達なんか、俺の仲間が来れば」

「来ないんだよ。浦田、ラー油持ってこい」

「了解」

 すぐにキッチンから戻ってくるケイ。

 手には指示通り、ラー油を持って。

「な、何を」

 意味の分からない展開に焦りの表情を浮かべる男。

 塩田さんは無表情で、ラー油の瓶を男の鼻に近付けた。

「まあ、飲めよ」

「な、何を」

「見ての通りだ。酒に見えるか」

「す、す」

 引きつった顔。うわずった声。

 首を必死で動かし、瓶から逃げる。

「浦田。酢の方がいいらしい」

「了解」

「す、済みません。な、何でも話しますっ」

 あっさり落ちる男。

 さっきの虚勢は何だったのかという話だな。

 というか、やり過ぎだ。

「じゃあ、話せ」

「べ、別に知り合いじゃなくて。む、昔、ちょっとあいつを襲った事があって」

「それで」

「あ、あいつの先輩に逆にやられて。ここに来たらあいつがいたから、仕返しをしようと」

 ほぼ予想通りの内容。 

 以前神代さんから聞いた話とも一致する。

「じゃあ、お前はどうしてここに来た」

「金をもらって、転校しただけです。ほ、本当に」

「分かった。今すぐ、もう一度転校しろ」



 腕を組む塩田さん。 

 ケイはキッチンから戻り、その前に座った。

「あんた、脅してどうするんです」

「知るか。とにかく、今の馬鹿の知り合いもチェックしろ」

「面倒見がいいんですね」

「お前なら、放っておくけどな。しかし見た目は怖そうな奴なのに」

 首を傾げる塩田さん。

 彼女とはそれ程付き合いがないので、性格的な事はあまり知らないのだろう。

「案外、気が弱いタイプです。あの子は」

「お前とは逆だな」

「あ」

「吠えるな」

 きっと塩田さんを睨み、机を引っ掻く。

 理由は分からない。 

 苛立った時の猫って、こういう心境かな。

「困ったもんだな」

「じゃあ、どうにかして下さい」

「俺の担当じゃない。大体、お前の後輩でもあるんだろ」



 後輩という言葉。

 自分がではなく。

 自分の、という意味。

 以前は深く考えもしなかった。

 でも今は、強く意識する事。

 確かな現実。

 誰のでもない、私にとっての。












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