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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第23話
262/596

エピソード(外伝) 23   ~ユウ視点・ニャンメイン~






     ニャンは風の中




 秋晴れの空。

 少し冷たい風に、前髪が揺れる。

 まばらな観客。

 それとは対照的に、活気あるグラウンド。

 ヘアバンドに手を触れて、未だに強めの日差しを避ける。

「まだかな」

「何度聞くのよ」

「まだかな」

 サトミを無視して、手すりにしがみつく。

 群れをなして走っていく、大勢の選手。

 今は1万メートルの予選中。

 どう考えても、当分は出てこない。

「ペースが遅いんじゃないの」

「だったら、代わりに走る?」 

「私は100m以上は走らないようにしてる」

「スタミナないものね、ユウユウ」

 ようやく現れるニャン。

 グラウンド場にではなく、私の後ろへと。

「何してるの」

「試合は先だから、一休み。今日は二レースだけだから、気楽気楽」

 黒のジャージ姿で伸びをするニャン。

 短い髪と、日に焼けた肌。

 愛らしい顔立ち。

 体型は私と大差なく、どちらかといえば華奢な方。

 それでも彼女の実力は、改めて言うまでもない。



 100m女子、インターハイ連覇。

 日本歴代2位記録保持者。

 アジアGP金メダリスト。 

 世界GP、セミファイナル出場。

 日本記録を破るのは時間の問題と言われ、10秒台をコンスタントに出すのは国内では彼女くらい。

 今までの日本記録が破られないのは、戦中の混乱で不確実な記録が登録されているからに過ぎない。

「とにかく、頑張ってよ。仮にも、私に勝ったんだから」

「はいはい。ユウユウのために、頑張るわ。暇なら、練習に付き合ってよ」

「おう」

「何、それ。サトミちゃん、またね」



 瑞穂陸上競技場に併設された、練習用の小さなグラウンド。

 見慣れた陸上部の何人かいるものの、今は集中してるのか一心不乱に練習をしてる。

 しかし私も、どうしてジャージを持ってきてるかな。

「リレー、出ないの」

「この間出たじゃない」

「あれは、体育祭でしょ」

「正直私、団体戦向きじゃないの。やれと言われればやるけど」

 スタートの練習を繰り返すユウ。

 一瞬の飛び出しではなく、フォームをチェックする感じ。

 だからこそ、こうして私と話していられる。

「よいしょと」

 私もスターティングブロックに付き、タイマーをセットする。

 小さく鳴るアラーム音。

 スタートは、この後3秒後。

 グラウンドに手を付き、腰を上げる。

 すぐに張りつめる緊張感。

 全ての景色も音も消える。

 感じるのは、自分の鼓動のみ。

 再びの小さなアラーム音。

 無論それを待たず、スターティングブロックを蹴る。

 実際に音を聞いて飛び出していては、明らかに出遅れる。

 スターターのタイミングもあるので常に3秒ではないが、ある程度予想で跳び出すのは当然の事だ。

「まあ、悪くない」

 一人で呟くニャン。

 明らかに私へではなく、自分への言葉。

 かなり集中してきたようだ。

「もう一本行く?」

 返事を返さず、そのまましゃがみ込むニャン。

 私もすぐに倣い、タイマーをセットする。

 引き締まる気持。

 だけどそれは心地いい緊張感。

 何より友と過ごす、かけがえの無い時。



 椅子にしゃがみ込み、うなだれる。

 端的に言えば、かなり疲れた。

 緊張した状態が続き、しかもアップまで手伝った。

 当分は、何もしたくないな。

「高跳びやってるわよ」

「どこでっ」

「どこかしらね」

 呆れ気味のサトミ気味を放っておいて、即座に手すりへ飛びつき身を乗り出す。

 危ないと誰かが叫んでるけど、気にしない。

 さっきのようには騒がず、しかし気持だけは込める。

 より高く跳べるように。

 より綺麗に跳べるようにと。

 フィードルへ関心を払う者は、あまりいない。

 せいぜい私か、家族くらいだろう。

 軽快な助走。

 しなやかに舞い上がる体。

 遠く、秋の空へと吸い込まれるような。

 柔らかな動きでその体はバーを越え、マットの上へと舞い降りる。

「やったーっ」

 何度も拳を突き上げ、手すりも叩く。

 よし、やった、跳んだ。

「うるさいわね」

「だって、青木さんが跳んだ」

「高跳びで跳ばなくてどうするの」

 醒めた子だな。

 しかしそれも最もなので、椅子に座ってうなだれる。

 もう疲れたよ。

「電池でも切れたの」

 答える気力もなく、腕を下げてため息を付く。

 精も根も尽き果てた。

 そろそろ引退する潮時かな。

「喉乾いた。お腹空いた」

「売店行ってきたら」

「そうする。何かあったら、教えて」



 大会の規模が小さいため、売店の営業も小規模。

 売ってるのジュースと、簡単な物ばかり。

 後は仕出しのお弁当か。

 取りあえずたこ焼きを頼み、もそもそ食べる。

 片手間に焼いてるという味で、具も適当。

 代わりに焼いてやろうかと思いたくなるが、そんな訳にもいかず半分残す。

 これなら、お菓子でも買った方が良さそうだな。

 仕方ないので、ポテチとお茶を買う。

 外れはないが、当たりもない。

 下らない事を考えながら外へ続く通路を歩いている所で、端末が音を立てた。

「何よ。私は、今忙しいの」

「ハードルが始まったわよ」

「今行くっ」

 人気のいない通路。

 そこを一気に駆け抜ける。

 風を切り、地面を蹴って、腕を振って。

 脇目もふらず、観客席に躍り出る。


 レースは丁度始まった所。

 規則正しい歩数で跳んでいく選手達。

 時折ハードルに掛かる足。

 当然落ちていく速度。

 実際に跳べば分かるが、ハードルの高さは意外と高い。

 一定のリズムを維持し続ける事。

 無論何より、体力脚力が必要となる。

 流れるようなフォーム。

 舞うように越していくハードル。

 長い黒髪が、その体を追っていく。

 最後のハードルを越え、一斉にゴールを目指す選手達。

 それでも先頭を切っていた黒沢さんは、問題なく一番でゴールした。

「よしっ」

 拳を上げて、手すりを叩く。

 でもって椅子にしゃがみ込む。

 もう、飽きた。

 冗談抜きで、これ以上続けたら死ぬんじゃないのか。

「早いのね、あの子」

「サトミよりはね。というか、ハードル跳べる?」

「馬鹿にしないで」

 しかし、跳べるとは答えないサトミ。

 間違いなく、全部倒してゴールだろうな。

 私なら、少ししゃがむだけで下を駆け抜けられるけどね。

「わーっ」

 多少回復したので、手すりへしがみつき黒沢さんへ手を振る。

 向こうも私に気付き、控えめに手を振ってきた。

 でもって、すぐどこかへ消えた。

「何よ、人が応援してるのに」

「恥ずかしかったんでしょ」

「照れる柄かな」

「ユウが、恥ずかしかったんでしょ」 

 何も、改めて言う事か。

 私も、うすうすは実感してたさ。

「次が、ニャンの予選かな。ちょっと、栄養を補給しよう」

 お茶を飲んで、チョコをかじる。

 疲れた時は、糖分に限る。

 とはいえ食べ過ぎるとお昼が苦しいので、すぐに止める。

「よし。応援、応援して」

 サトミにではない。 

 後ろにいる、陸上部に声を掛ける。

 今回は出場しない子や、出場出来なかった子。

 後は1年生に。

「何も、そう張り切らなくても」

「ねえ」

「ああ?」

「頑張ります」

 すぐに声を出し始める陸上部。

 初めから、そうしてよね。

 メガホンはないのか、メガホンは。

「ネコちゃん、出てきたわよ」

「何っ」

「そればっかりね」

 サトミに構ってる場合じゃない。

 すぐに手すりへしがみつき、身を乗り出す。



 人もまばらな観客席。

 しかし突然騒ぎ出す、その少ない観客達。

 理由は言うまでもない。

 腕をストレッチしながらやってくるニャン。

 騒ぐ観客とは対照的に、口をつぐみ手すりを強く握り締める。

 位置に付く選手達。

 名前が呼ばれ、盛り上がりはピークへ達する。

「草薙高校2年 猫木明日香さん」

 地鳴りのような声援。

 決して多くはない観客の。

 紛れもない絶叫と歓声。

「On your mark.」

 一瞬にして静まり返る観客席。

 張りつめる緊張感。

 私はもう、息をするのも苦しい。

「Get set.」

 上がる腰。

 音のない世界。

 そして。


 クラッカーの音。

 一斉に飛び出す選手達。

 すでにニャンが、頭一つ抜け出している。

 徐々に開き出す距離。

 フォームもストライドも。

 何より速度が違う。

 一人だけ違う世界で、違う場所を走っているような。

 瞬きする間もなく、ニャンはゴールラインを駆け抜けた。

 さっき同様の歓声と拍手。

 それに手を振って答えるニャン。



 私は何もしない。

 手すりを掴み、息を殺して。

 一心に彼女を見つめる。

 何も言わず、何もせず。

 ただ彼女の姿を見つめ続ける。

 それだけで十分だ。

「さすがに、レベルが違うわね」

「当たり前じゃない。誰だと思ってるの」

「私に言わないで」

 それもそうか。

 取りあえず汗を拭き、息を整えてお茶を飲む。

 少し落ち着いた。

 というか、さっき以上に疲れた。

 何か、自分が走ったみたいだな。

「でも、いいや。ニャンも勝ったし、決勝も勝つし」

「これに勝つと、いい事あるの?」

「ないよ。陸連が、自分の知り合いを出場させるために開催した試合だし。くだらないったら」

「それにネコちゃんも付き合わされた訳。確かに、下らないわね」

 二人で肩をすくめ、ため息を付く。

 本当、こういう事のためにニャンが走るというだけで腹が立ってくる。

 彼女の走りはもっと純粋で、崇高な物だ。

 下らない権力や見栄を張るためなどに存在する訳では、断じてない。

「むかつくな。あー」

「吠えないで」

「だってさ」

「陸連は馬鹿でも、招待されてるんだから多少の謝礼は出てるんでしょ。それで、何か食べさせてもらえば」

 なるほどね。

 いっそ、余分にむしりとってやれ。

「肉、肉食べよう」

「知らないわよ。そこまでは」

「いいじゃない。焼き肉か、しゃぶしゃぶか。馬刺しでもいいな」


 真剣に考え込んでいると、影が差した。

 雲でも出てきたのかな。

「誰がカツって?」

「トンカツはいい」

「馬鹿にしてるのか?」 

 何だ?

 トンカツの美味しさを知らないのか?

 いや。トンカツは食べないんだけどさ。

「……誰」

 顔を上げて、影の主を確認する。

 長身の男が数人。

 明らかに敵意を示した顔。

 服装はジャージ。

 他校の陸上部か。

「何か用」

 こっちも即座に敵意を示し、男達を見上げる。

 引く理由はないし、引く気もない。

「お前、猫木の知り合いか」

「だったら、何」

「あいつが勝つって?」

「勝つわよ。当たり前でしょ」

 記録を出せばきりがない。

 今までの成績を考えれば、言うまでもない。

 何より、私の感情がそう告げさせる。

「馬鹿が。今日は、北米から選手を呼んであるんだ」

「だから」

「あ?」

「そんな下らない事言いに来たの。消えたら」

 舌を鳴らし、手を振る。

 とにかく、これ以上付き合う気すらない。

「じゃあ、賭けようぜ」

「どうして」

「勝てるんだろ。だったら、やろうぜ」

 誰を賭の対象にしてるんだ。

 人を一体、なんだと思ってるんだ。

「いいわよ。幾ら賭ける?」

「ちょっと」

「よし。これだけだ」 

 端末に表示される、高校生が動かしようのない数字。

 サトミは即座に頷き、手を振った。

「後で泣くなよ」

「払えない時は、好きにさせてもらうからな」


 消える男達。

 サトミは平然とした表情で、耳元の髪を指で巻いている。

「ちょっと、どうするの」

「勝てるんでしょ」

「絶対勝つ。負ける訳がない」

「だったら大丈夫。あの馬鹿達のお金で、もっといい物が食べられるわ」

 何を、のんきな事を。

 勝つのは当たり前でも、怪我や事故など万が一という事もある。

 世の中、絶対なんて事は存在しないのよ。

「陸連の関係者は、今の連中みたいね。自分達は弱い相手と戦って試合に勝つ。でもって陸連に反抗的なネコちゃんは、北米からの招待選手で潰す気よ」

「ああ?」

「勝つんでしょ」

「当たり前じゃない。ちょと、行ってくる」



 通路を駆け下り、人を掻き分けグランドへやってくる。 

 陸上部のパスを持っているので、チェックも受けない。

 ニャンは、どこに……。

「あれ」

 褐色の肌。

 長い手足。

 しなやかな動き。

 綺麗なグリーンの瞳に、短めの黒髪。

 顔立ちは凛として、しかしあどけなさも残している。

「どうしたの」

 タオルを首に掛け、汗を拭きながらやってくるニャン。

 すぐに今の彼女を指差し、腕を振る。

「意味が分からないわよ」

「あれ。北米。陸連」

「ああ。陸連の招待選手。そう、北米の高校選手権では敵なしだって」

 事も無げに説明するニャン。

 あの体格と、あの動き。

 走ってる所は見てないが、その説明も頷ける。

 それにしても綺麗だし、足は長いし、足も早いし。

 神様は、何を考えてるのかな。 

 私に、その一つくらいくれたっていいじゃない。

「Hello.」

 なんだ、池上さんでもいるのか。

 しかし、妙にネイティブだな。

「Hello.」

 目の前に現れる、褐色の少女。

 正確には、その首辺りが。

「Are you the person who was running a while ago?」

「Yes, that is right.」

「It was very beautiful form.」

「Thank you.」

 人の頭越しに交わされる会話。

 いいか、何か良い匂いするし。

 それにしても、胸も大きいな。

 だけど走りにくいって訳でもなさそうだし、どうよこれ。

「What is your name?」

「Asula Nekogi.」

「Neko?」

「Catよ、Cat。ニャーって鳴く、あれ」

 爪を立て、彼女を見上げる。

 彼女も私を見下ろし、にこっと笑う。 

 意外と親しみやすい人だな。

「Are you her friend?」

「そう。じゃなくて、Yes.Just for a moment, you may touch.」

「Yes, please.」

 すぐにしゃがみ込み、太ももの辺りに触れてくる。

 思った通り、殆どが筋肉。

 しかも意外に弾力があり、足首も柔らかい。

 私のと代えてくれないかな。

 それに結構触り具合が、気持ちいい。 

 すべすべして、柔らかくて。

「いつまで触ってるの?」

 頭がはたかれた。

 何よ、せっかく楽しんでたのに。

「Oh.」

 突然声を上げる彼女。

 突然突風が起き、彼女のタオルが舞い上がった。

 今いるのはグラウンドへ続く通路非常口なんだけど、そのまま風に吹かれて案内のランプに乗っかった。

「It does not arrive.」

 その下で飛び跳ねる彼女。

 しかし彼女が高飛びの世界記録保持者でも、この高さでは届く方が無理だろう。

「取って上げなさいよ」

「敵に塩を送れって?」

「そんな大袈裟な話じゃないでしょ。私だと届かないから。ほら」

 つんと肩を押され、彼女の隣へ並ぶ。

 楽しませてもらったし、義理は返すか。



 真下に来ると、意外と高い位置。

 彼女は手足も長いので、私が普通に跳ぶのと大差ない。

 つまりは、私が跳んでも意味はない。

 という事で、後は普段通りにやらせてもらう。

 最近、跳んでばっかりだな。

「えーと。これか」

 壁に手を付き、段差を探す。

 丁度いい辺りに、若干の継ぎ目。 

 彫りは浅いが、なんとかなるだろう。

「ちょっと、待ってて」

「Just for a moment, please wait.」

「少し下がって」

「A little, please fall.」

 ニャンに通訳を任せ、自分は助走を取る。 

 壁から下がりながら歩数を量り、一度軽く走って感じを掴む。

「よし、行ける」

「どうでもいいけど、怪我しないでよ」

「大丈夫」 

 マーカー代わりに置いていたペットボトルの位置まで下がり、腰を落として一気に出る。

 狭い通路。

 当然壁も、すぐに迫る。

「よっ」

 壁に向かって飛び上がり、さっきの段差へつま先を掛ける。

 そこを足場として、さらに上へと舞い上がる。

 遠のく床。

 近付く天井。

 非常灯と赤いタオルも、目の前へ近付いてくる。

 手を伸ばすが、やや遠い。

 ここはこの間同様、足で取るか。

「せっ」

 体を開き、横へひねって足を伸ばす。

 足元に見える天井。

 頭上に見える床。

 素早く右足で左足の靴を脱がせ、その左足でタオルを引っかける。

 上昇はすぐに止み、今度は当然落下が始まる。 

 迫る床。

 誰かの叫び声。

 足を畳んで体を再度ひねり、体を入れ替え足を床へ向ける。

 即座に落とした靴の位置を確かめ、多少軌道修正。

 最後に両腕を左右に開き、膝を曲げて着地の衝撃を和らげる。

 9.45というところかな。


「Fantastic!」

 興奮気味の叫び声。

 飛びついてくる、筋肉質の体。

 でもって、良い匂い。

 気付くと、彼女が抱きついてた。

 へへ、何か役得だ。。

 私も抱きついてやれ。

 いや。しかし、かなりがっちりした体型だな。

 思った通り、侮れないぞ。

「Thank you also for how.」

「It is good. Don't care.」

 何故か、私の代わりに答えるニャン。 

 いいんだけどね、別に。

「Are also you some players?」

「No. It is a free visitor.」

「Possibly, are you a ninja?」

 何を真顔で言ってるんだ、この子は。

 どうも、相当に日本を誤解してるな。

「Isn't a game said from it?」

「Oh, he forgot. Let's meet again.」

 小さい叫び声を上げ、予想通りの早さで通路を駆け抜けていく彼女。 

 やはり、かなりの強敵と思って間違いない。

「向こうは、ニャンの事知らないの?」

「北米イコール、世界標準。アジアに目を向ける必要なんて無いわよ。私が世界GPに出てる時は、試験勉強中だったらしい」

「ふーん。しかし、あの足の長さはどう?」

「他に見る所はないの?」 

 あるだろうけど、見てないから仕方ない。

 見てたとしたら、綺麗な顔か大きい胸くらいだ。

「何にしろ、強敵だ」

「他人事みたいに言って。大丈夫なんでしょうね」

「当然。レースは参加するためじゃない。勝つために出場するんだから」




 それを聞いて安心した。

 これで掛け金も問題ない。

 そう思いたい。

「ちょっと。どうよ」

「勝つんでしょ」

「そうだけどさ。あれは、すごいよ。……と、出てきた」

 必然と人目を引く外観。

 またその容姿だけではなく、一流のアスリートが放つ独特の雰囲気。

 すでに選手はそれに飲まれ、観客も魅了されつつある。

 かなり早いが、この時点で勝負ありだ。

「見た目はすごいわね」

 中身もすごいとは言わず、手すりにしがみつき彼女に集中する。

 さっきの明るい笑顔とは違う、戦う者の引き締まった表情。 

 遠目でも分かる、仕上がった体。

 やがてスターターの合図がされる。


 フライング寸前の、素早い飛び出し。

 すでに体二つ、他の選手をリードする。

 出だしから速度は、トップ状態。

 スピードは落ちるどころか、さらに上がってるくらい。

 他の選手は視界に入る位置になく、一人我が道を行く。

 外見とは違う、力強いフォーム。

 恵まれた体型から生み出される、爆発的な脚力。

 当然ぶっちりぎりの早さでゴールして、一人歓声を浴びている。



「何、あれ」

 呆気に取られるサトミ。

 スポーツに疎い彼女ですら、この状態。

 経験者からすれば、仮に他種目であっても力の差に打ちのめされるだろう。

「早いね、確かに」 

 そう告げるのがやっと。

 これ以上は、言葉が出てこない。

 早いというのは、あまりにもありきたりな言葉。

 しかしそれ以外に、彼女を形容する言葉は思い付かない。

「勝てる?」

「当たり前じゃない」

 これだけは、即座に返す。

 彼女は間違いなく早い。

 さっきのニャンよりも、タイムもいい。

 だけど、ニャンが負けるイメージは湧いてこない。

 私の独りよがり。

 勝手な思い込みだとしても。

 ニャンが負ける訳がない。

「そう。……あの子、手を振ってるわよ」

「手くらい振るでしょ。勝ったんだから」

「ユウに振ってない?」

 どうして私にと思い、手すりにしがみつきグラウンドを見下ろす。

 サトミの言う通り、明らかに私へ振っている。

 ……ああ、タオル。

「渡すの忘れてた。こっち、ここ来て」

「英語で話しなさいよ」

「いいじゃない。ほら、来てくれた」

 丁度真下に現れる彼女。

 そこ目がけ、縛った赤いタオルを慎重に落とす。

「Thank you.」

「いいよ。私こそ、ごめん」

「だから、英語で話しなさい。大体、どうして知り合いなの」

「色々とね。It was a good run.」

 親指を立て、彼女の健闘を称える。

 ニャンのライバル。

 彼女が勝てば、私も困る。

 でも、あの走りは尊敬に値する。

 自分の立場や感情を越える、選ばれた人だけの。

「Michelleだから、フランス系かしら」

「何系でもいいじゃない」

「あ、そう。肌の色や顔立ちからすると、北アフリカ系みたいね」

 どうにも細かいな、この子は。

 そんな事、本当にどうでもいいって。 

 彼女の足が早くて、綺麗なのは事実なんだし。

「瞳はグリーンだし、ヨーロッパの血も混じる可能性もあるかしら」

 人類学者か、この人は。

「筋肉質だけど、良い匂いしてた」

「……抱きついたんじゃないでしょうね」

「向こうが抱きついてきたの」

「本当に目を離すと、何をする変わらないわね」

 何か、私が悪いみたいだな。

 あくまでも私は悪くない。

 少なくとも、今回は。



「よう。大丈夫か?」 

 一気に嫌な気分に襲われる。

 さっき賭を仕掛けてきた馬鹿達。

 今のレースを見て、気が大きくなってるんだろう。

「当然でしょ」

 弱気になった時点で負け。

 というか、こういう場面で弱気になった記憶はない。

「じゃあ、掛け金を倍にするか」

「どうぞ」

 勝手に答えるサトミ。

 この女、さっきの走りを見てなかったのか。

「何なら、3倍にするか」

「10倍でもいいわよ」

 もう、どうでも良くなってきた。

 お金って、何だっけ。

「顔は覚えたからな。逃げても無駄だぞ」

「自分こそ。負けた後でごねても聞かないわよ」

「馬鹿が」

 あまり思いたくはないが、今はつくづくそう思う。

 この子、計算が出来るのか?

「金の用意しとけよ」

「自分こそね」

 あくまでも余裕の態度で見送るサトミ。

 何か、後ろから飛びつきたくなるな。

「勝てるんでしょ」

「当たり前じゃない」

 どうも、こっちの台詞を読まれてる。

 というか、答える私も私か。

「ネコちゃんの様子でも見てきたら」

「試合前は難しいけど。まあ、いいか」


 とはいえ控え室へ入らず、その前で様子を探る。

 見あたるのは、数人の陸上部員。 

 後は陸連や、取材陣。 

 当然だが、ニャンが目当て。

 この雰囲気だと、彼女が出てくる事はないだろう。

 やはり観客席で見守るとするか。

「雪野さん」

「へ」

 私に頭を下げるジャージ姿の女の子。

 見た事はない顔で、1年生だろうか。

「猫木さんが、是非来て下さいとの事です」

「レース前だよ」

「雪野さんがお見えになったら、ご案内するよう連絡を受けていますので」




 ロッカールームの奥。

 ロッカーに遮られ、周囲からの視界を遮れる場所にあるベンチ。

 ベンチに引かれた、何枚ものバスタオル。

 そこにしゃがみ、顔を伏せる少女。

 耳にはヘッドフォンを掛け、周囲とは隔絶した空気を作っている。

 普段とは違う、張りつめた顔。

 触れただけで壊れてしまいそうな。

 その側にすら近付けない、脆いガラス細工のよう。

「ユウ」

 低い、押し殺し気味の声。

 外されたヘッドフォンからは、かなり大きめの音楽が漏れてくる。

「大丈夫?」

「まあ、ね」

 長く、重いため息を付くニャン。 

 先程までの勝ち気な雰囲気はわずかにも見られず、今にも消えてしまいそうなくらい。

 試合に挑む前としては、あまりにも弱々しい態度。

 それこそ、今にもここから逃げ出しそうにすら見えてくる。

「私は、どうしてここいいるんだか」

 投げやりな呟き。

 あまりにも弱い、自暴自棄とも言える。


 突然小さなアラーム音を立てる端末。

 ニャンはだるそうな動きでをそれを止め、ゆっくりと顔を引き上げた。

 翳っていた日射しが射すように。

 山間から朝日が昇るように。  

彼女は戦士へと生まれ変わる。

「大丈夫。って聞くのは」

「当然、愚問」

 拳を合わせ、手を取り合う。

 それ以上言う事はない。

 聞く必要もない。

 後はただ、ゴールの瞬間を見届けるだけだ。

「でも、あの子は早いよ」

「確かにね。陸連は私を潰すために呼んだみたいだけど。私も、一度やってみたかったのよね」

「却って、好都合?」

「その通り。レースを勝ち進む手間が省けたって訳」

 勝ち気で自信に満ちた表情。

 勝利以外は、思いもつかない。 

 それ以外は考えてもいない顔。

 また私も、それは同様だ。

「じゃ、私は戻るから」

「これだけ」 

 額からヘアバンドを外し、彼女へ渡す。

 笑いつつ、それを付けるニャン。

「普段は自分のために走ってるけど。賭の事もあるし、今日はユウユウのために走るかな」

「詳しいね、随分」

「あれだけ騒げば、誰でも気付く。儲けの1割は渡しなさいよ」



 観客席へ戻り、手すりにしがみつく。

 視界の端へ一瞬映る、さっきの男達。

 何かを言っているようだが、今は全く聞こえない。

 現れるニャンとミシェルさん。 

 自然と盛り上がる観客。

 それに水を差す、陸連幹部の挨拶。

 しかし、そんな事はどうでもいい。

 今は彼女達しか、見えていない。

「さて、始まるわね」

 遠くに聞こえるサトミの声。

 それへ適当に頷き、身を乗り出す。

 位置に付く選手達。

 ニャンとミシェルさんは隣同士のレーン。

 どちらが勝者か、より分かりやすい位置。


 潮が引くように静まる観客。

 拍手も、フラッシュすらも起こらない。

 全員の視線は選手達。

 そしてスターターへと向けられる。

 止まる時。

 痛いような静寂。

 崩れてしまいそうな緊張感。


 耳に響く、クラッカーの音。

 一斉に飛び出す選手達。 

 ニャンとミシェルさんが、頭一つリード。

 いや。ミシェルさんの方がさらに前。 

 風にでも押さえているような加速。

 後方の選手は、一瞬にして置き去りにされる。

 しかしニャンだけは、かろうじてその後ろに付ける。 

 さらに加速するミシェルさん。

 彼女を追走したまま、50m辺りまで差し掛かる。

 力強いフォーム。

 向かい風もグラウンドのコンディションも無視した、圧倒的な速度。 

持って生まれた体格と、それを十分に使いこなした走り。

 この場は、彼女のためにあるとしか思えない。

 だけど。


 しなやかな。

 空を飛ぶ事は敵わず。

 優雅に。

 あくまでも地を行く。

 凛として。

 この場を走るために存在する少女。


 ミシェルさんが強風だとすれば。

 ニャンはそよ風。

 軽やかに、涼しげに。

 だけど風は吹く。

 彼女を包み込み。

 その中に彼女自身を溶け込ませて。

 ゴール目がけて吹き抜ける。


 気付けばニャンが、隣りに並ぶ。

 ほぼ並んで走る二人。

 決してミシェルさんが遅れ始めた訳ではない。

 ニャンの加速が止まらない。 

 通常後半は、大抵の選手が速度を落とす。

 しかしニャンは止まらない。

 むしろ早くなる。

 すでに酸素不足は明らかで。

 乳酸もたまり。

 体力は限界に達している。

 それでも彼女は止まらない。


 そして止まらないのは、彼女だけではない。

 ミシェルさんも。

 その後ろを走る選手達も。

 一心に走り続ける。

 ただゴールだけを目指し。

 そこを駆け抜けるだけのために。

 彼女達は、100mという距離を走り続ける。



 タイムで言えば、0.0何秒。

 しかし何秒だろうと、明らかに差は存在する。

 誰でもない、猫木明日香の勝利と。

「やったーっ」

 手すりに飛び乗り、両手を上げる。

 サトミが危ないと騒いでるが、何なら飛び跳ねたいくらいだ。

「で、お金は」

 逃げて行こうとする男達を振り返り、顎を反らす。

 しかし向こうも開き直ったのか、鼻で笑ってこちらを指差してきた。

「馬鹿が。誰が払うか」

「そういう事言う訳。冗談じゃ済まないわよ」

「じゃあ、取り立てるって言うのか」

「調子に乗ってると」

 押し黙る男達。

 正確には、そのまま通路になっている階段にへたりこんだ。

 男達を取り囲んでいるのは見慣れない他校の生徒で、今のレースに敬意を抱いた人達だろう。

 例え面識が無くても、話をした事が無くても。

 今の光景を見ていれば、お互い十分に分かり合える。

 そのくらいの誇らしいレースを、彼女達はやってみせてくれたんだから。 

 胸を張り、グラウンドを振り返る。

 こちらを見て、手を振っているニャン。

 私も両手を振り、それに応える。

 何も言う事はない。

 彼女も、手を振る以外の事はしない。

 勝利を祝うよりも。

 その健闘を称えたい。

 怪我もなく走り終えた事を。

 今も、こうして笑っていられる事を。

 手を取り合う、ニャンとミシェルさん。

 激しい戦いの末にある出来事。 

 次のレースでは、当然戦うべき相手。

 でも今は、お互いを称え合う。

 誰よりも相手を理解する同士で。

 何よりも強い絆で結ばれた。


 吹き抜ける秋の風。

 私とサトミの前髪を。

 ニャン達の間をすり抜ける。

 彼女達を包み込み、それは秋の空へと上っていく。

 彼女達を、風の中に消えていく。






                         了















     エピソード 23話 あとがき




 第23話にもありましたが、ニャンこと猫木明日香はすでに国際レースでも活躍する選手。

 国内に敵はなく、次回オリンピックではメダルが期待されています。

 そのくらいのレベルなので、優が体育祭で勝てなかったのは当然といえば当然。

 勝ったら逆に、とんでもない話になりますので。


 タイトルは手塚治虫さんの名作「るんは風の中」から取らせて頂きました。

 とはいえ内容は全く別物で、そちらはポスターの女の子に恋をしてしまうというかなり倒錯したストーリー。

 今でこそロボットだ人形だなんだと色んな物を恋愛対象にしてますが、その先駆者は言うまでもなく手塚治虫さんでしょう。




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