23-9
23-9
轟音で目が覚めた。
音は閉められた、カーテンの向こうから。
ベッドから降り、その隙間から外を覗く。
窓を打つ雨粒。
街灯に照らされる、横殴りの強い雨。
最近晴れてたし、植物にはいい恵みだろう。
欠伸をして、防音用の音楽を掛けてベッドに戻る。
何か気になるんだけど、思い出せないんだから大した事ではないんだろう。
とにかく今は、寝るに限る。
朝。
差し込まない日射し。
開けたカーテンの向こうに見える、どんよりとした雲。
道路のわだちには水たまりが出来、今も時折波紋が出来ている。
「まだ降ってるのか」
タオルケットを羽織りつつ、部屋の中をもぞもぞと動く。
今日は休みで、学校へ行く必要はない。
まだ眠いし、もう少し寝るとするか。
タオルケットを被り、枕に顔を埋める。
何が楽しいって、食べるのと寝る事程楽しい事はない。
「わっ」
ベッドから飛び降り、部屋を飛び出て階段を駆け下りる。
「何よ」
「え」
「急いで、どこか行くの」
食パンにバターを塗りながら、私を見てくるお母さん。
そう尋ねられ、首を傾げる。
今日も文化祭。
しかしまだ朝で、急ぐ必要は特にない。
無理して行く用事も、どこかに消えた。
「別に。紅茶飲もう」
ティーポットにアールグレイの葉を入れて、沸いたお湯をゆっくり注ぐ。
開いていく葉。染まっていくお湯。
何とも言えない香りが、ポットの口から漂ってくる。
ミルクと砂糖を足して、一口含む。
程良い甘みと優しい味。
今日一日の幸せが、この瞬間に決まったような。
「さてと。ご飯でも食べようかな」
パンという気分ではないが、ご飯はどこにも見あたらない。
仕方ないのでレタスをかじり、ニンジンをつまむ。
何か、ウサギにでもなった気分だな。
着信を告げる自宅の端末。
それに出るお母さん。
「優に。端末くらい、持って歩きなさい」
「家なんだから、いいじゃないよ。誰」
「知らない」
知らないって事はないだろう。
良く分からないが端末を受け取り、耳に当てる。
「今すぐ来て」
聞き慣れたモトちゃんの声。
また、聞き慣れた嫌な台詞でもある。
「まだ朝だよ。何も始まってないでしょ」
「始まってからでは遅いの。とにかく、すぐ来なさい。それと、汚れてもいいような着替えを持ってきて」
一方的に切られる通話。
朝から、一気に疲れてきたな。
「どこか出掛けるの?」
「非常呼集が掛かった。おにぎり作って」
「自分で作りなさいよね。具は」
「梅とオカカ」
車の中で食事を済ませ、正門までやってくる。
「いるね」
小さくクラクションを鳴らすお父さん。
すぐに手を振ってくるモトちゃん。
制服ではなく、何故かジャージ姿で。
「ありがとう。ここでいいよ」
「そう。みんなによろしく。それと、無理しちゃ駄目だよ」
人にいい台詞。
モトちゃんにも聞かせてやりたいな。
「おはよう」
「早すぎるわよ。用事は何」
車から降り、彼女を見上げる。
モトちゃんは足元を指差し、空を見上げた。
「グラウンドが濡れてるから、乾かすの」
「呪文で?」
「面白いわね、それ。方法は簡単だから、すぐ出来る。じゃあ、行くわよ」
広いグラウンド。
雨でぬかるみ、今も小雨に降られている。
「はい、ご苦労様。では、今からグラウンドの整備を行います」
拡声器で話す天満さん。
その前に並ぶ、私達。
見た感じ生徒会、委員会、運動部。
後はガーディアンといった所か。
「方法は簡単。まずは重機で表面をならし、その後はトンボがけ。で、スポンジで吸い取ります」
確かに簡単だ。
これだけの広さをやるともなれば、その簡単な作業の繰り返しだが。
「つまんない作業だけど、頑張って下さい。では時間が惜しいので、始めて下さい」
ブルドーザーに乗るショウと名雲さんに、御剣君。
整列して進むブルドーザー。
シャベル部分が表面の泥をすくい、水を端へ持っていく。
「こんなの、意味あるの?」
「地味にやれば、いつかは終わるわよ」
遠い目で空を見上げるサトミ。
今も降り止まない小雨。
レインコートに落ちる水滴を、手で払いながら。
「でもフォークダンスは、夕方でしょ」
「その前に、マーチングバンドが来るの」
「私達は汚れてよくて、マーチングバンドは汚れちゃ駄目なの」
「駄目なの。いいから、ショウの横にでも乗ってなさい」
下らないが、乗ってみる。
高い視界。重厚な低音。
パワフルな動き。
何となく、自分が強くなった錯覚を起こす。
ただ乗っているのは、ショウの隣ではなくシャベルの上。
当たり前だが、ブルドーザーにサイドシートは存在しない。
「石、石がある」
気にせず進むショウ。
私が指さした拳よりも大きな石は、あっさり泥と共に運ばれていく。
「はは。私を遮る物は、何もない」
「あ、何か言ったか?」
「別に」
さすがに間の抜けた台詞を繰り返す趣味はないので、シャベルの上に座ってみる。
少し考えれば分かるが、泥や汚れた水が弾け飛んでくる。
「わっ」
すかさず飛び上がり、宙に浮く。
とはいえ、ブルドーザーから落ちる事はない。
慣性の力は偉大だな。
「何してるんだ」
「いいの。憂さ晴らし」
「え?」
「こっちの話。それより、もっと早く走れないの」
運転席へ登るステップへ足を掛け、屋根を支えるバーを掴んで彼に話しかける。
体は外に出ているが、この爽快感がまた面白い。
「そういう乗り物じゃない」
面白みのない発言。
らしいといえば、らしいけど。
「代わりに、運転するか」
「免許がないの。というか、どこ見て運転してるの」
視界に見えるのは、かなり先のグラウンド。
足元や左右は一応モニターに表示されているが、人間同時に出来る事に限りはある。
「特に、気にしてないな」
ごく素朴な答え。
要は意識しなくても、辺りを注意しているという訳か。
「猫とか飛び出てきたら、どうするの」
「そのくらい気付くし、猫なんていないだろ」
「まあね」
ようやくグラウンドの端までやってくるブルドーザー軍団。
でもって綺麗に右へ移動して、やはり列になって動き出す。
「あの、泥の山はどうするの」
「乾いた後で、また元に戻すらしい」
「誰が」
「さあ。誰かな」
遠い目で先を見つめるショウ。
間違いなく、自分に指名が来るだろうと分かっている顔で。
「もう、飽きた」
「仕方ないだろ。乾かないと、どうしようもないんだから」
「神主さんか巫女さんでも呼んだ方が早いんじゃないの。日照り神とかさ」
「え?」
揺れるブルドーザー。
こちらを向く精悍な、しかし困惑気味の顔。
どうもまだ、お化け屋敷を引きずってるようだ。
「もういい。じゃあね」
ステップから飛び降り、宙に浮く。
名雲さんのブルドーザー。
で、御剣君のブルドーザー。
最後に地面。
泥が跳ねて、一巻の終わり。
サトミにもね……。
うるさいサトミを無視して、小さなシートの上に乗ってスポンジを使う。
水たまりの水をそれで吸い取り、バケツへ絞る。
吸い取って、絞る。
この繰り返し。
汚れるし、単調だし、地味だし。
「これって、どうなの」
「どうもこうもないわよ。水、捨ててきて」
「重いな、この野郎」
バケツを持って、排水溝へ向かうケイ。
ひっくり返されるバケツ。
流される水。
空になったという事は、また中に水を入れるという事だ。
「喉乾いたな」
「飲めよ」
バケツに残った泥水を指差すケイ。
奪い取って被せてやろうとも思ったが、虚しくて止めた。
「差し入れとか、無いのかな」
「コーヒーは」
「止めて」
シートの上にしゃがみ、のろのろとスポンジを地面に付ける。
こんな事してて、本当に終わるのか?
「終わりって、誰が決めるの」
「乾いたら終わり」
「乾くの?」
「最後に砂を撒くから大丈夫。除湿用のジェルも使うし」
一応、文明の利器はあるらしい。
初めから使わない所を見ると、効果の程は期待出来そうにないが。
拍手と歓声。
アップテンポの軽快な音楽。
統一された綺麗なコスチューム。
演奏しながら、乾いた道を進むマーチングバンド。
その行く手を囲む大勢の人。
私はグラウンドの隅で、木に背をもたれて水を飲む。
汚れたジャージ。
疲れきった体を、自分自身で労りながら。
「でも、いいか。少しは、役に立ったんだし」
独り言のように呟き、秋でも葉を生い茂らせる常緑樹の間から空を見上げる。
優れない空模様。
いかにも雨を降らせそうな黒い雲が、西の彼方に見えている。
「何か、降ってきそうだよ」
「だったら、また吸い取るのよ」
地面に落書きしながら答えるサトミ。
人の事は言えないけど、大丈夫かな。
一層大きくなる拍手。
向きを変えて進むマーチングバンド。
どうやら、演奏が終わったらしい。
それと時期を同じくするようにして、雨が一粒落ちてきた。
タイミングは分かっているようだ。
私達の心境を分かってるかどうかは、定かではないが。
「では、私の合図で一斉に走って下さい」
叩かれる手。
走り出す、レインコートを着込んだ生徒達。
後ろに大きなシートの端を掴んで。
私の力では大して役にも立たないが、勢いで一部を掴む。
引いてるという実感はないものの、引かなければシートの下に潜り込むだけだ。
それがどれだけ間が抜けているかは、想像しなくても理解出来る。
取りあえずグラウンドの大半に掛けられるシート。
隙間部分にはさらにシートが重ねられ、雨はその上を滑っていく。
大雨ならともかく、今程度の小雨ならこれで十分だろう。
当然今度は、シートを剥がす仕事が待ってるが。
「お疲れ様。もういいわよ」
ため息混じりにやってくるモトちゃん。
疲れた顔と、だるそうな足取り。
無論彼女も、泥まみれ。
「何か、見てきたら」
気のない、誰に話しかけているかも分からない口調。
そういう彼女がまず、教棟の壁にもたれてしゃがみ込む。
上にはコンクリートの屋根がせり出していて、下も乾いた状態。
私も動く気力はなく、膝を抱えてしゃがみ込む。
一人、また一人と。
雨が降った戦場って、こんな感じかな。
「今、何時」
「さあ。夕方には、まだ早いかな」
適当に答えるケイ。
深読みすれば違う意味もあるが、そこまでの事ではないだろう。
「降り続けたら、どうするの。フォークダンスは」
「取りあえず、講堂や体育館に分散。やるにはやる」
「晴れたら?」
「シートを剥がすだけ。問題なのは、その後」
何だ、その後って。
良く分からないし、考える気力もないので話を止める。
すぐに訪れる沈黙。
重苦しくはないが、楽しげでもない。
「お疲れ様」
ビニール袋を抱えてやってくるお父さん。
中はお茶やジュース、それにお菓子。
いないと思ったら、わざわざ買いに行っていたようだ。
手伝いには来るし、差し入れは持ってくるし。
こういう血が私に流れてるとは、どうにも想像出来ないな。
「済みません」
「いいよ。みんな、疲れてるみたいだしね」
そう言って笑う、ジャージ姿のお父さん。
裾や上着も、当然泥で濡れている。
「これ、いい?」
「どうぞ」
「やった」
やたら大きなバームクーヘンを手に取るショウ。
それをじっと睨む御剣君。
「くれよ」
「嫌だ」
「このっ」
「やるかっ」
突然取っ組み合う二人。
それも結構、楽しそうにして。
本当、誰が疲れてるのかって話だな。
「お父さん、仕事はいいの?」
「大体片付けたからね。何しろ、自宅で仕事を出来るのは大きい」
「ふーん」
「僕のお父さんの頃は、とにかく会社。雨が降ろうと何があろうと会社に行くのが第一。風邪で休むと、怒られる会社もあったっていう話だよ」
病人を働かせても意味無いし、色んな意味で効率が悪いと思う。
勿論それを分かった上での、昔話だろうが。
「その点今は、楽でいいよ。こうして娘の文化祭にもやってこれる訳だし」
「泥水をすくってるだけじゃない」
「そういう考え方もあるけどね」
笑うお父さん。
それ以外のどういう考え方なのかは、今はあまり理解出来ない。
「お母さんは?」
「料理教室が終わったら来るって。ダンスがどうとか言ってたな」
何か、嫌な台詞。
まさか、フォークダンスをするつもりだったりして。
「優、どうかした?」
「えと、さ。番号の書いた紙とか持ってる?」
「いや」
少し安心した。
しかし相手が相手だけに、油断は出来ないな。
ようやく収まる雨。
剥がされるシート。
その過程で出来た水たまりに集まり、やはりスポンジで水を吸い取る生徒達。
教棟では楽しい事をしている人達が大勢いて。
私はここで、水をすくっている。
ただ、それ程嫌な訳ではない。
昨日の内に見る物は見たし、今はあまりはしゃぎたい気分でもないから。
この後に行われる事を考えれば、余計に。
「やってるようだな」
横柄な口調に、見下した視線。
ぞろぞろと人を引き連れてやってくる、理事の息子。
みんながならしたグラウンドを、敢えて踏みつけながら。
「何か、御用ですか」
丁寧に応対するモトちゃん。
息子は鼻を鳴らし、腕時計を指差した。
「この後のスケジュールが詰まってる。早くやれ」
「スケジュール管理は、私達でも行っています。ご心配なく」
あくまでも丁寧な口調。
逆を返せば、それ以上相手に踏み込ませない様な威圧感のこもった。
「俺は、急げと言ってるんだ」
「あらかじめ申しておきますが。予定外のスケジュールを組み込むつもりはありませんので」
「なんだと」
「今仰ったように、スケジュールが詰まっています。ここで誰かが視察にでも来られると、大変な混乱を招きます。もしそうしたいのであれば、今後の運営は全てそちらに任せします」
あっさり突き放すモトちゃん。
あくまでも柔和な笑顔は絶やさず。
しかし厳しく、相手を拒絶する。
「このっ」
「感情くらいコントロールしろよ。新カリキュラム」
スポンジを手に持って笑うケイ。
息子は何を思ったのか、慌てて人の後ろへと逃げ隠れた。
またそれは、いい判断だろう。
「役人か、スポンサーでも来てるんだろ。悪い事は言わないから、ここへは来ない方がいいぞ」
手の中で転がるスポンジ。
彼だけでなく全員の手にもある。
泥水を含み、重みを増した。
投げるにはもってこいの感触が。
「ちっ。貴様ら、覚悟しておけよ」
「じゃあ、メモでも取れ。今日も馬鹿にされましたって。それか、来年の会長選の公約にしろ。僕は、馬鹿にされませんって」
げらげら笑うケイ。
青い顔で彼を睨む息子。
とはいえここで突っかかる程馬鹿ではないらしく、殺意すら感じるような視線を残し去っていった。
「挑発してどうするの」
「いいから。多分、やり返してくる」
喜々とした表情。
地味な作業に飽きた訳でもないが、退屈しのぎになると思ったのだろう。
「やり返してくるって?」
「風間さんは……。いたいた」
彼の側へ駆け寄るケイ。
でもって、例の銃を持って戻ってきた。
「撃ってくるの?こんなの遠くからだと、当たらないでしょ」
「普通の弾を使えば。ただ、重い弾に変えれば風があっても真っ直ぐ飛ぶ。沢さん」
仕方なさそうに近付いてくる沢さん。
これからの展開を予想した顔で。
「屋上かどこかに、いません?」
「いるよ。君の言う通り、こっちを狙ってる」
「じゃあ、軽くお願いします」
「弾がないだろ。君の言う、重い弾が」
手招きするケイ。
今度は名雲さんが、苦笑気味にやってくる。
「持ってます?」
「俺の恰好見てみろ」
「で」
「万が一って事もある」
ポケットから出てくる散弾のような弾。
この銃の規格にあった形とサイズの。
「軽くお願いします」
「精密射撃は、得意じゃないんだが」
無造作に構える沢さん。
その肩をつつく、風間さん。
「俺の銃だ。俺にやらせろ」
「当てる自信は」
「何だ、それ」
自分こそ、何を言ってるんだ。
だったら一体、どういう目的で撃つっていうんだ。
「沢さん、早く。向こうが仕掛けてきます」
「分かってる。名雲君。死なないだろうね」
「この距離なら、問題ない。蜂に刺されたくらいだろ」
引かれるトリガー。
乾いた音。
屋上で仰け反る、幾つかの人影。
それが見えたのはごく一部の人間で、促したケイは見当違いの方向に目を凝らしている。
「当たりました?」
「一応ね。これで、馬鹿なをやってくる事もないだろ。自分が馬鹿な事をやったのはともかくとして」
「みんなの安全を守ったという事で」
適当な事を言い、泥水をすくう作業に戻るケイ。
結局何をやりたかったのかは知らないが、少しは気分が晴れた。
見当違いの憂さ晴らし、という気はしなくもないが。
汚れたジャージを着替える。
あらかじめ持ってきていた、もう一つのジャージに。
ここまで来ると、怒るとかそういうレベルではなくなってくる。
「一つ聞きたいんだけど。どうして、私達がこの作業をやってる訳?」
「人手が足りないの。その分は、みんなで助け合わないと」
黙々と働くモトちゃん。
それはいいが、私達が困った時も助けてくれるんだろうな。
何となく釈然としない思いを抱きつつ、バケツに泥水を絞る。
無論働いているのは、私の知り合いだけではない。
人数にして100人は軽く越えている。
誰のためとか、何のために。
という言葉は、誰も口にはせずに。
ただ私はわだかまりが無くもないので、つい愚痴っぽくなる。
「はい、終了ー。除湿用のジェルを散布するから、みんな下がって」
どこからか聞こえる天満さんの声。
さすがにきびきびとは動かず、だるそうに移動する生徒達。
朝から延々とこの作業の繰り返しでは仕方ない。
しかも終わったと思ったら、また雨が降ってきた日には。
「フォークダンスの準備はいいの?」
「準備もなにも、そっちはせいぜいラインを引くだけ。出来ないなら、マーカーを置くだけでも事足りる。問題は、その後さ」
「何、その後って」
「聞くまでもないだろ」
バケツの中へスポンジを放り込んでいくケイ。
突っ込んで聞く気にもならず、空を見上げる。
雲の向こうに、かろうじて見える太陽。
すでに西へ傾き始め、グラウンドを乾かすのはも不可能だろう。
翳り気味の日射し。
湿った空気。
今の自分の気持ちを表すような。
気を滅入らせていても仕方ないので、気分を入れ替える。
別に何をするという訳でもなく、少し食べるだけ。
単純な行為だが、人間食べていれば文句は出ない。
少なくとも私は、そういう構造になっている。
「ちょっと、寝る」
「牛になるわよ」
「じゃあ、牛になる」
下らない事を言って、部屋の隅で丸くなる。
ここは私達に与えられた、休憩用の部屋。
広くはないが畳敷きで、くつろぐには丁度いい。
以前お化けで騒いだ所のような気もするが。
「何、あの肉まんじゅうみたいのは」
うしゃうしゃした笑い声。
反論する気にもなれず、タオルケットを被り直し壁に顔を向ける。
「疲れているようです」
「泥水すくっただけじゃない。あのくらいで疲れてたら、砂金なんて取れないわよ」
「古い話をするな」
嫌そうに突っ込む舞地さん。
一般的な事実ではなく、どうも本人達の体験から来ている話らしい。
「浦田君。例のフォークダンスは、あなたが仕切ってるんですって」
「多少は関与してますが。誰か、踊りたい相手でも?」
「私じゃなくて、柳君の分を手配して」
「ああ。あの対馬の女」
すごい言い方だな。
いつになく、険があるし。
「睨むし蹴ってくるし。あれは、なんです」
「従兄弟の娘さん。いいから、お願い」
「むかつくな。いいですけどね、一つ空きがあったから」
つまりは私が代わった子の分か。
これで完全に、ショウと踊る機会は失われたな。
今さらという話で、もう気にもならないが。
「そう言わないの。あの子は、柳君のお姉さんみたいな子なんだから。普段離ればなれで、寂しいのよ」
「だからって、俺に当たられても」
「狙いやすい対象なのよ。それと分かってるだろうけど、やり返さないでよ」
「はいはい。せいぜい、蹴られてますよ」
虚しい呟き、仕方なさそうな笑い声。
何となく沈滞した空気。
体は疲れているが、眠気は薄い。
横になるのが楽と言うくらいで。
また積極的にあれこれ話す気分でもない。
「その柳君は」
「彼女と学内を回ってるみたいね」
「それでいい」
重々しく言い放つ舞地さん。
何がいいのかは知らないが、多分いいんだろう。
「玲阿は」
「ブルドーザーを片付けに行きました」
「雪野は」
「丸まってます」
嫌な言い方をするサトミ。
勿論、何一つ間違ってはいないが。
気付いたら、またスポンジを手に持っていた。
意識せずに作業をするようでは、どうしようもないな。
つまりは、それ程この仕事に慣れてきたという意味で。
「はい、ご苦労様。フォークダンスに参加する人は、そろそろ抜けて下さい」
天満さんの言葉に従い、謝りながら掛けていく少年と少女達。
あくまでも申し訳なさそうに。
だけど足取りは軽く、跳ねるようにして。
私は以前として地面に張り付き、ゆっくりと手を動かす。
手を抜く事はないが、一生懸命という訳でもない。
義務というか、事務的に働いていく。
言われたから、その通りに行動する。
とにかく、モチベーションは低いまま。
正確に言えば、存在しない。
ふと周りを見ると、知り合いは誰もいない。
ケイやサトミは、おそらくフォークダンスの運営。
舞地さん達は、柳君の所にでも行ったんだろう。
モトちゃんや木之本君は、警備の指揮。
残るのは私くらいという訳か。
だから私も帰る。
なんて真似をする訳もいかず、同じ作業を繰り返す。
自分がこの後踊るのなら、もう少し気が入るんだろう。
我ながら身勝手とは思うが、仕方ない。
そこまで割り切れる程大人ではないし、この作業を張り切るような理由もない。
「スポンジが、水を吸わなくなったんですけど」
何故か私に言ってくる女の子。
サトミ達と話してるのを見て、運営側の人間と思ったらしい。
「替えがいるのかな。他に、使えなくなった子は」
あちこちで挙がる手。
仕方ない。放っておく訳にもいかないし、替えを持ってくるか。
バケツにスポンジを詰めて、教棟の裏までやってくる。
吸わなくなったのは、泥が中に入ったせいもあるんだろう。
だから重くて、手が痛い。
「済みません。スポンジの替えってあります?」
「ああ。グラウンドの。それ使って下さい」
大きめの段ボールを指差す、作業着姿の男性。
バケツに、段ボールか。
さっきよりは軽くなるが、サイズは明らかに大きくなる。
段ボールを抱え、バケツは指で引っかける。
歩きにくいし、前は見えない。
しかも雨まで降っている。
小学生だったら、間違いなく泣いているだろう。
高校生でも、泣きたいような気分だが。
ため息混じりによろけていると、どこからか音楽が聞こえてきた。
それほど耳馴染みのない。
だけど、聞いた事のある。
ふらふらと、誘われるようにして音のする方へ歩いていく。
大人しく、ゆっくりとしたテンポ。
フォークダンスで掛かるはずの音楽。
勿論まだ始まってはいないのは、私が抱えているスポンジを見るまでもない。
「あ」
教棟の陰。
人気のない、木々の陰。
手を取り合い、ぎこちない動きをする男女。
端末から流れる音楽に合わせ、時に顔を見合わせながら。
そして目を逸らして。
だけど手を取り合ったまま、踊り続ける。
「早く。早くやって」
スポンジを配り、がしがし拭く。
で、絞る。
「ほら。急いで。早くやるの」
「は、はい」
一斉に地面へ張り付く生徒達。
私も負けずに、拭いて絞る。
やってもやってもきりはないが、きりはなくてもその内終わる。
いや。終わらせる。
「あー」
「何叫んでるんだ」
私に差し掛かる影。
雲ではなく、人によって出来た。
「ブルドーザーは」
「いつの話してるんだ」
スポンジを手にして、地面に張り付くショウ。
何も言われなくてもそれを泥水につけて、バケツに絞る。
私もその隣で、同じ事をする。
「地味だな、これ」
「じゃあ派手にやれば」
適当な事を言って、泥水を絞る。
しかしこの水は、どこから出てきてどこに消えるんだろう。
世の中、まだまだ不思議で一杯だな。
「溝掘って、そこを流したらどうだ」
「この後、フォークダンスするのよ。その溝はどうするの」
「埋めるんだろ」
「貯まった水は」
返ってこない返事。
大体傾斜もないのに、どこへ流そうとしたのかな。
「もっと考えて発言したら」
「鏡に話してるのか」
言うな、随分。
突き飛ばしてやろうと思ったけど、こっちが水たまりに落ちるので止めた。
第一遊んでる場合でもない。
「ほら、いいから急いで」
「何か、用事でもあるのか」
「私は無い」
「そうですか」
もう知らんという顔。
こっちは構わず、泥水をすくう。
しかしその間にも雨は降ってくるし。
賽の河原って、こんな感じかな……。
菩薩様が来てくれたかどうかはともかく、取りあえず雨は止んだ。
西の空も雲は薄く、どうにかこの先も持つ様子。
どちらにしろ疲れて、もう動きたくない。
「何してるの」
「丸まってる」
今度は自分から言って、タオルケットを被る。
部屋の隅ではなく、部屋の真ん中で。
気持ちが変われば、行動も変わる。
寝てるだけなんだけど。
「喉乾いたな。ひょうたんは」
「さっき、出掛けたわよ」
一人歩きするひょうたんか。
お化け屋敷にでも行ったんじゃないだろうな。
勿論お互い、ショウの事だと分かってるんだけどさ。
「何かある?」
「無い」
「じゃあ、買ってくる」
「ストレートティお願い」
使いっ走りをさせられた気もするが、リュックにペットボトルを放り込んで来た道を戻る。
人気のない廊下。
ようやく切れ間の見え始めた空。
窓から差し込む弱い日射し。
薄く伸びる長い影。
少しの隙間から吹き込む、冷たい風。
思わず肩を押さえ、足を早める。
背後に気配。
慌てて振り返るが、誰もいない。
気配はあるのに人はいない。
「お、置いてけ堀?」
そう口走り、自分の間抜けさに呆れ果てる。
どちらにしろ、ここにいていい事は何もない。
とにかく振り返っては危ないので、今はただ走るに限る。
何もいないのは分かってる。
分かってるけど、分かってない……。
すぐに足を止め、振り返る。
明らかに人の声。
姿が見えなかったのは、廊下ではなく教室から発せられたせいか。
少しだけ気を楽にして、教室のドアに手を掛ける。
その途端、勝手に開くドア。
自動らしい。
「誰だ」
私を睨み付ける、柄の悪そうな男。
その仲間か、何人かが側にいる。
彼等の後ろには、見慣れた子も。
「神代さん。何してるの」
男達を無視して、彼女の方へ歩いていく。
何かされたようには見えないが、何かがありそうな気配はあるので。
「こっちこっち」
男達が戸惑う間に彼女の手を引き、後ろへかばう。
これで問題は無くなった。
後は向こうの出方次第だ。
「お、おい。待て」
待つか。
ドアを開け、一旦外の様子を確認して彼女を廊下へ出す。
私も後に続き、そのまま走る。
せっかくの文化祭。
揉めても仕方ないし、馬鹿の相手をするのは面白くない。
「せ、先輩」
「何。知り合いって言うんじゃないでしょうね」
「そ、そうじゃないけど」
「じゃあ、走って」
休憩用の部屋に辿り着いた所で、男達に追いつかれた。
私一人ならともかく、神代さんが走り疲れたので。
どちらにしろ、ここまで来れば一安心。
「お前。舐めてるのか」
息を切らしながらすごむ男。
当然だが迫力は欠片もなく、こっちは欠伸で答えるしかない。
「この野郎」
「放っておけ。それより、後ろの女を渡せ」
「どうして」
「お前に関係ない」
無い訳あるか。
これ以上は揉めそうなので、ドアを開けて天満さんを中に入れる。
「ふざけてるのか」
「どっちが。大体、彼女にどういう用事。私が代わりに聞く」
「じゃあ、手っ取り早く金持ってこい」
事情は知らないが、決定はしたな。
こいつらの馬鹿さ加減と、今後の対応は。
「佐渡島でも行けば」
「あ?」
「金山で穴掘ってれば、その内金が出てくるんじゃないの」
詰まる距離。増す迫力。
ただだからどうしたという話で、所詮は眠気も覚めない程度。
また今後を考えれば、こっちもこのままで済ますつもりはない。
「どうかしたの」
軽い口調の綺麗な声。
声に似合った、綺麗な顔。
独特の、周囲を引きつけ威圧する雰囲気。
「だ、誰だ、お前」
「名乗る程の者じゃないわ」
人の事は言えないが、かなりふざけた台詞。
またこの状況を、微かにも気にしていない態度。
「こ、この野郎」
「止めた方がいい。火傷するわよ」
「何だと?」
「硫酸持ってるの」
手の中で振られる、ラベルのないペットボトル。
見た事のない、奇妙な色。
「だ、騙されるか」
「じゃあ、試してみる?まあ、被っても死なないけどね。肌が焼けて、死にたくなるくらい苦しいだけで」
床に垂らされる液体。
おかしな音を立てる床。
顔を青くする男達。
「引くなら見逃す。来るなら、容赦しない」
振られるペットボトル。
刺すような冷たい眼差し。
喉を鳴らし、転がるようにして逃げていく男達。
しかし、馬鹿はどこにでもいる。
一人残る、初めに声を掛けてきた男。
明らかに普通ではない表情。
左足が踏み込んできたのを確認して、その懐へすかさず飛び込む。
ジャブをかわし、腰をためる。
ストマックブローを一発、そのバックブローでレバーにも。
下がってきた顎に膝を合わせ、その勢いで飛び後ろ蹴りを見舞う。
つもりだったが、男がひっくり返ったので空振りで終わり。
話にもならないとは、この事だな。
「馬鹿が」
「あなたがでしょ」
鼻先に突き付けられるペットボトル。
慌てて下がると、鼻で笑われた。
「ジュースよ、ジュース。炭酸」
平然とした顔でペットボトルを傾ける女性。
笹島さん、だったか。
「何してるんです」
「母校の文化祭に来ただけよ」
「あの綺麗な人は。お嬢様みたいな」
「美貴?嶺奈ちゃんへ会いに行ったんじゃなくて」
嶺奈って、天満さんの事か。
名前がどうこう言える義理ではないけど、あのちゃかつき振りからは想像出来ないな。
「大体、何を揉めてたの」
「後輩が絡めれてたから、助けただけです」
「で、これはどうする気」
廊下にひっくり返ったままの男。
そんな存在、頭の片隅にもなかった。
「あなたって、塩田君の後輩だった?」
「ですよ」
「そういう血の気の多い所ばかり引き継いでるのね。他に学ぶ事はないの?」
「ありません」
はっきりと言い切り、ドアを開ける。
寝たままの馬鹿なんて気にしたくないし、笹島さんはもう部屋に入ってるので。
「大丈夫?」
「え、ええ」
作った笑顔を浮かべる神代さん。
ただ取りあえずの危険は去ったと分かっているのか、憔悴するような雰囲気でもない。
「あんな馬鹿は放っておけばいいのよ。何かあったら、この子達に相談しなさい」
「は、はい」
控えめに頷く神代さん。
笹島さんは鷹揚に頷き、私が買ってきたお茶を飲んだ。
「硫酸飲めば」
「何の話?」
「詐欺師の話」
怪訝そうなサトミにさっきのペットボトルを渡し、彼女のストレートティーを飲む。
「あなたこそ、自分のを飲みなさい。……ああ、これを硫酸って思わせたんですか」
「そう。馬鹿を騙すのは簡単よ」
「さすが、魔女ですね」
お茶を蒸せ返す笹島さん。
何だ、魔女って。
「だ、誰から聞いたの、それ」
「色んな方から」
「まあ、いいけどね。熊とか、山鯨よりは」
仕方なさそうな笑い声。
それを聞いて、さっきよりは明るい表情を浮かべる神代さん。
少し和む空気。
自然と軽くなる会話。
心に影を残す内容。
この後も尾を引くだろうと思わせる。
また当然、このままにはさせないとも思わせる。




