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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第23話
260/596

23-9






     23-9




 轟音で目が覚めた。

 音は閉められた、カーテンの向こうから。 

 ベッドから降り、その隙間から外を覗く。

 窓を打つ雨粒。 

 街灯に照らされる、横殴りの強い雨。

 最近晴れてたし、植物にはいい恵みだろう。

 欠伸をして、防音用の音楽を掛けてベッドに戻る。

 何か気になるんだけど、思い出せないんだから大した事ではないんだろう。

 とにかく今は、寝るに限る。



 朝。

 差し込まない日射し。

 開けたカーテンの向こうに見える、どんよりとした雲。

 道路のわだちには水たまりが出来、今も時折波紋が出来ている。

「まだ降ってるのか」

 タオルケットを羽織りつつ、部屋の中をもぞもぞと動く。

 今日は休みで、学校へ行く必要はない。

 まだ眠いし、もう少し寝るとするか。

 タオルケットを被り、枕に顔を埋める。

 何が楽しいって、食べるのと寝る事程楽しい事はない。

「わっ」

 ベッドから飛び降り、部屋を飛び出て階段を駆け下りる。


「何よ」

「え」

「急いで、どこか行くの」 

 食パンにバターを塗りながら、私を見てくるお母さん。

 そう尋ねられ、首を傾げる。

 今日も文化祭。

 しかしまだ朝で、急ぐ必要は特にない。

 無理して行く用事も、どこかに消えた。

「別に。紅茶飲もう」

 ティーポットにアールグレイの葉を入れて、沸いたお湯をゆっくり注ぐ。

 開いていく葉。染まっていくお湯。

 何とも言えない香りが、ポットの口から漂ってくる。

 ミルクと砂糖を足して、一口含む。

 程良い甘みと優しい味。

 今日一日の幸せが、この瞬間に決まったような。

「さてと。ご飯でも食べようかな」

 パンという気分ではないが、ご飯はどこにも見あたらない。

 仕方ないのでレタスをかじり、ニンジンをつまむ。

 何か、ウサギにでもなった気分だな。 


 着信を告げる自宅の端末。

 それに出るお母さん。

「優に。端末くらい、持って歩きなさい」

「家なんだから、いいじゃないよ。誰」

「知らない」

 知らないって事はないだろう。

 良く分からないが端末を受け取り、耳に当てる。

「今すぐ来て」 

 聞き慣れたモトちゃんの声。

 また、聞き慣れた嫌な台詞でもある。

「まだ朝だよ。何も始まってないでしょ」

「始まってからでは遅いの。とにかく、すぐ来なさい。それと、汚れてもいいような着替えを持ってきて」

 一方的に切られる通話。

 朝から、一気に疲れてきたな。

「どこか出掛けるの?」

「非常呼集が掛かった。おにぎり作って」

「自分で作りなさいよね。具は」

「梅とオカカ」



 車の中で食事を済ませ、正門までやってくる。

「いるね」

 小さくクラクションを鳴らすお父さん。

 すぐに手を振ってくるモトちゃん。 

 制服ではなく、何故かジャージ姿で。

「ありがとう。ここでいいよ」

「そう。みんなによろしく。それと、無理しちゃ駄目だよ」

 人にいい台詞。

 モトちゃんにも聞かせてやりたいな。

「おはよう」

「早すぎるわよ。用事は何」

 車から降り、彼女を見上げる。

 モトちゃんは足元を指差し、空を見上げた。

「グラウンドが濡れてるから、乾かすの」

「呪文で?」

「面白いわね、それ。方法は簡単だから、すぐ出来る。じゃあ、行くわよ」


 広いグラウンド。

 雨でぬかるみ、今も小雨に降られている。

「はい、ご苦労様。では、今からグラウンドの整備を行います」

 拡声器で話す天満さん。

 その前に並ぶ、私達。

 見た感じ生徒会、委員会、運動部。

 後はガーディアンといった所か。

「方法は簡単。まずは重機で表面をならし、その後はトンボがけ。で、スポンジで吸い取ります」

 確かに簡単だ。

 これだけの広さをやるともなれば、その簡単な作業の繰り返しだが。

「つまんない作業だけど、頑張って下さい。では時間が惜しいので、始めて下さい」


 ブルドーザーに乗るショウと名雲さんに、御剣君。

 整列して進むブルドーザー。

 シャベル部分が表面の泥をすくい、水を端へ持っていく。

「こんなの、意味あるの?」

「地味にやれば、いつかは終わるわよ」

 遠い目で空を見上げるサトミ。 

 今も降り止まない小雨。

 レインコートに落ちる水滴を、手で払いながら。

「でもフォークダンスは、夕方でしょ」

「その前に、マーチングバンドが来るの」

「私達は汚れてよくて、マーチングバンドは汚れちゃ駄目なの」

「駄目なの。いいから、ショウの横にでも乗ってなさい」


 下らないが、乗ってみる。

 高い視界。重厚な低音。

 パワフルな動き。

 何となく、自分が強くなった錯覚を起こす。

 ただ乗っているのは、ショウの隣ではなくシャベルの上。

 当たり前だが、ブルドーザーにサイドシートは存在しない。

「石、石がある」

 気にせず進むショウ。 

 私が指さした拳よりも大きな石は、あっさり泥と共に運ばれていく。

「はは。私を遮る物は、何もない」

「あ、何か言ったか?」

「別に」

 さすがに間の抜けた台詞を繰り返す趣味はないので、シャベルの上に座ってみる。

 少し考えれば分かるが、泥や汚れた水が弾け飛んでくる。

「わっ」

 すかさず飛び上がり、宙に浮く。

 とはいえ、ブルドーザーから落ちる事はない。

 慣性の力は偉大だな。

「何してるんだ」

「いいの。憂さ晴らし」

「え?」

「こっちの話。それより、もっと早く走れないの」

 運転席へ登るステップへ足を掛け、屋根を支えるバーを掴んで彼に話しかける。

 体は外に出ているが、この爽快感がまた面白い。

「そういう乗り物じゃない」

 面白みのない発言。

 らしいといえば、らしいけど。

「代わりに、運転するか」

「免許がないの。というか、どこ見て運転してるの」

 視界に見えるのは、かなり先のグラウンド。

 足元や左右は一応モニターに表示されているが、人間同時に出来る事に限りはある。

「特に、気にしてないな」

 ごく素朴な答え。

 要は意識しなくても、辺りを注意しているという訳か。

「猫とか飛び出てきたら、どうするの」

「そのくらい気付くし、猫なんていないだろ」

「まあね」

 ようやくグラウンドの端までやってくるブルドーザー軍団。

 でもって綺麗に右へ移動して、やはり列になって動き出す。

「あの、泥の山はどうするの」

「乾いた後で、また元に戻すらしい」

「誰が」

「さあ。誰かな」

 遠い目で先を見つめるショウ。

 間違いなく、自分に指名が来るだろうと分かっている顔で。

「もう、飽きた」

「仕方ないだろ。乾かないと、どうしようもないんだから」

「神主さんか巫女さんでも呼んだ方が早いんじゃないの。日照り神とかさ」

「え?」

 揺れるブルドーザー。

 こちらを向く精悍な、しかし困惑気味の顔。

 どうもまだ、お化け屋敷を引きずってるようだ。

「もういい。じゃあね」

 ステップから飛び降り、宙に浮く。

 名雲さんのブルドーザー。

 で、御剣君のブルドーザー。

 最後に地面。

 泥が跳ねて、一巻の終わり。

 サトミにもね……。


 うるさいサトミを無視して、小さなシートの上に乗ってスポンジを使う。

 水たまりの水をそれで吸い取り、バケツへ絞る。

 吸い取って、絞る。

 この繰り返し。

 汚れるし、単調だし、地味だし。

「これって、どうなの」

「どうもこうもないわよ。水、捨ててきて」

「重いな、この野郎」

 バケツを持って、排水溝へ向かうケイ。

 ひっくり返されるバケツ。

 流される水。

 空になったという事は、また中に水を入れるという事だ。

「喉乾いたな」

「飲めよ」

 バケツに残った泥水を指差すケイ。

 奪い取って被せてやろうとも思ったが、虚しくて止めた。

「差し入れとか、無いのかな」

「コーヒーは」

「止めて」

 シートの上にしゃがみ、のろのろとスポンジを地面に付ける。

 こんな事してて、本当に終わるのか?

「終わりって、誰が決めるの」

「乾いたら終わり」

「乾くの?」

「最後に砂を撒くから大丈夫。除湿用のジェルも使うし」

 一応、文明の利器はあるらしい。

 初めから使わない所を見ると、効果の程は期待出来そうにないが。



 拍手と歓声。

 アップテンポの軽快な音楽。

 統一された綺麗なコスチューム。 

 演奏しながら、乾いた道を進むマーチングバンド。

 その行く手を囲む大勢の人。

 私はグラウンドの隅で、木に背をもたれて水を飲む。

 汚れたジャージ。 

 疲れきった体を、自分自身で労りながら。

「でも、いいか。少しは、役に立ったんだし」 

 独り言のように呟き、秋でも葉を生い茂らせる常緑樹の間から空を見上げる。

 優れない空模様。

 いかにも雨を降らせそうな黒い雲が、西の彼方に見えている。

「何か、降ってきそうだよ」

「だったら、また吸い取るのよ」

 地面に落書きしながら答えるサトミ。

 人の事は言えないけど、大丈夫かな。

 一層大きくなる拍手。

 向きを変えて進むマーチングバンド。

 どうやら、演奏が終わったらしい。

 それと時期を同じくするようにして、雨が一粒落ちてきた。

 タイミングは分かっているようだ。

 私達の心境を分かってるかどうかは、定かではないが。


「では、私の合図で一斉に走って下さい」

 叩かれる手。

 走り出す、レインコートを着込んだ生徒達。

 後ろに大きなシートの端を掴んで。

 私の力では大して役にも立たないが、勢いで一部を掴む。

 引いてるという実感はないものの、引かなければシートの下に潜り込むだけだ。

 それがどれだけ間が抜けているかは、想像しなくても理解出来る。

 取りあえずグラウンドの大半に掛けられるシート。

 隙間部分にはさらにシートが重ねられ、雨はその上を滑っていく。

 大雨ならともかく、今程度の小雨ならこれで十分だろう。

 当然今度は、シートを剥がす仕事が待ってるが。

「お疲れ様。もういいわよ」

 ため息混じりにやってくるモトちゃん。

 疲れた顔と、だるそうな足取り。

 無論彼女も、泥まみれ。

「何か、見てきたら」

 気のない、誰に話しかけているかも分からない口調。

 そういう彼女がまず、教棟の壁にもたれてしゃがみ込む。

 上にはコンクリートの屋根がせり出していて、下も乾いた状態。

 私も動く気力はなく、膝を抱えてしゃがみ込む。

 一人、また一人と。

 雨が降った戦場って、こんな感じかな。

「今、何時」

「さあ。夕方には、まだ早いかな」 

 適当に答えるケイ。

 深読みすれば違う意味もあるが、そこまでの事ではないだろう。

「降り続けたら、どうするの。フォークダンスは」

「取りあえず、講堂や体育館に分散。やるにはやる」

「晴れたら?」

「シートを剥がすだけ。問題なのは、その後」

 何だ、その後って。

 良く分からないし、考える気力もないので話を止める。

 すぐに訪れる沈黙。

 重苦しくはないが、楽しげでもない。



「お疲れ様」

 ビニール袋を抱えてやってくるお父さん。

 中はお茶やジュース、それにお菓子。

 いないと思ったら、わざわざ買いに行っていたようだ。

 手伝いには来るし、差し入れは持ってくるし。

 こういう血が私に流れてるとは、どうにも想像出来ないな。

「済みません」

「いいよ。みんな、疲れてるみたいだしね」

 そう言って笑う、ジャージ姿のお父さん。

 裾や上着も、当然泥で濡れている。

「これ、いい?」

「どうぞ」

「やった」

 やたら大きなバームクーヘンを手に取るショウ。

 それをじっと睨む御剣君。

「くれよ」

「嫌だ」

「このっ」

「やるかっ」

 突然取っ組み合う二人。

 それも結構、楽しそうにして。 

 本当、誰が疲れてるのかって話だな。

「お父さん、仕事はいいの?」

「大体片付けたからね。何しろ、自宅で仕事を出来るのは大きい」

「ふーん」

「僕のお父さんの頃は、とにかく会社。雨が降ろうと何があろうと会社に行くのが第一。風邪で休むと、怒られる会社もあったっていう話だよ」

 病人を働かせても意味無いし、色んな意味で効率が悪いと思う。

 勿論それを分かった上での、昔話だろうが。

「その点今は、楽でいいよ。こうして娘の文化祭にもやってこれる訳だし」

「泥水をすくってるだけじゃない」

「そういう考え方もあるけどね」

 笑うお父さん。

 それ以外のどういう考え方なのかは、今はあまり理解出来ない。

「お母さんは?」

「料理教室が終わったら来るって。ダンスがどうとか言ってたな」

 何か、嫌な台詞。

 まさか、フォークダンスをするつもりだったりして。

「優、どうかした?」

「えと、さ。番号の書いた紙とか持ってる?」

「いや」

 少し安心した。

 しかし相手が相手だけに、油断は出来ないな。



 ようやく収まる雨。 

 剥がされるシート。

 その過程で出来た水たまりに集まり、やはりスポンジで水を吸い取る生徒達。

 教棟では楽しい事をしている人達が大勢いて。

 私はここで、水をすくっている。

 ただ、それ程嫌な訳ではない。

 昨日の内に見る物は見たし、今はあまりはしゃぎたい気分でもないから。

 この後に行われる事を考えれば、余計に。

「やってるようだな」

 横柄な口調に、見下した視線。

 ぞろぞろと人を引き連れてやってくる、理事の息子。

 みんながならしたグラウンドを、敢えて踏みつけながら。

「何か、御用ですか」

 丁寧に応対するモトちゃん。

 息子は鼻を鳴らし、腕時計を指差した。

「この後のスケジュールが詰まってる。早くやれ」

「スケジュール管理は、私達でも行っています。ご心配なく」

 あくまでも丁寧な口調。 

 逆を返せば、それ以上相手に踏み込ませない様な威圧感のこもった。

「俺は、急げと言ってるんだ」

「あらかじめ申しておきますが。予定外のスケジュールを組み込むつもりはありませんので」

「なんだと」

「今仰ったように、スケジュールが詰まっています。ここで誰かが視察にでも来られると、大変な混乱を招きます。もしそうしたいのであれば、今後の運営は全てそちらに任せします」

 あっさり突き放すモトちゃん。 

 あくまでも柔和な笑顔は絶やさず。

 しかし厳しく、相手を拒絶する。

「このっ」

「感情くらいコントロールしろよ。新カリキュラム」

 スポンジを手に持って笑うケイ。

 息子は何を思ったのか、慌てて人の後ろへと逃げ隠れた。

 またそれは、いい判断だろう。

「役人か、スポンサーでも来てるんだろ。悪い事は言わないから、ここへは来ない方がいいぞ」

 手の中で転がるスポンジ。

 彼だけでなく全員の手にもある。 

 泥水を含み、重みを増した。

 投げるにはもってこいの感触が。

「ちっ。貴様ら、覚悟しておけよ」

「じゃあ、メモでも取れ。今日も馬鹿にされましたって。それか、来年の会長選の公約にしろ。僕は、馬鹿にされませんって」

 げらげら笑うケイ。

 青い顔で彼を睨む息子。

 とはいえここで突っかかる程馬鹿ではないらしく、殺意すら感じるような視線を残し去っていった。

「挑発してどうするの」

「いいから。多分、やり返してくる」

 喜々とした表情。

 地味な作業に飽きた訳でもないが、退屈しのぎになると思ったのだろう。

「やり返してくるって?」

「風間さんは……。いたいた」

 彼の側へ駆け寄るケイ。

 でもって、例の銃を持って戻ってきた。

「撃ってくるの?こんなの遠くからだと、当たらないでしょ」

「普通の弾を使えば。ただ、重い弾に変えれば風があっても真っ直ぐ飛ぶ。沢さん」

 仕方なさそうに近付いてくる沢さん。

 これからの展開を予想した顔で。

「屋上かどこかに、いません?」

「いるよ。君の言う通り、こっちを狙ってる」

「じゃあ、軽くお願いします」

「弾がないだろ。君の言う、重い弾が」

 手招きするケイ。

 今度は名雲さんが、苦笑気味にやってくる。

「持ってます?」

「俺の恰好見てみろ」

「で」

「万が一って事もある」 

 ポケットから出てくる散弾のような弾。

 この銃の規格にあった形とサイズの。

「軽くお願いします」

「精密射撃は、得意じゃないんだが」

 無造作に構える沢さん。

 その肩をつつく、風間さん。

「俺の銃だ。俺にやらせろ」

「当てる自信は」

「何だ、それ」

 自分こそ、何を言ってるんだ。

 だったら一体、どういう目的で撃つっていうんだ。

「沢さん、早く。向こうが仕掛けてきます」

「分かってる。名雲君。死なないだろうね」

「この距離なら、問題ない。蜂に刺されたくらいだろ」

 引かれるトリガー。

 乾いた音。

 屋上で仰け反る、幾つかの人影。

 それが見えたのはごく一部の人間で、促したケイは見当違いの方向に目を凝らしている。

「当たりました?」

「一応ね。これで、馬鹿なをやってくる事もないだろ。自分が馬鹿な事をやったのはともかくとして」

「みんなの安全を守ったという事で」

 適当な事を言い、泥水をすくう作業に戻るケイ。

 結局何をやりたかったのかは知らないが、少しは気分が晴れた。

 見当違いの憂さ晴らし、という気はしなくもないが。



 汚れたジャージを着替える。

 あらかじめ持ってきていた、もう一つのジャージに。

 ここまで来ると、怒るとかそういうレベルではなくなってくる。

「一つ聞きたいんだけど。どうして、私達がこの作業をやってる訳?」

「人手が足りないの。その分は、みんなで助け合わないと」

 黙々と働くモトちゃん。

 それはいいが、私達が困った時も助けてくれるんだろうな。

 何となく釈然としない思いを抱きつつ、バケツに泥水を絞る。

 無論働いているのは、私の知り合いだけではない。

 人数にして100人は軽く越えている。

 誰のためとか、何のために。

 という言葉は、誰も口にはせずに。

 ただ私はわだかまりが無くもないので、つい愚痴っぽくなる。

「はい、終了ー。除湿用のジェルを散布するから、みんな下がって」

 どこからか聞こえる天満さんの声。

 さすがにきびきびとは動かず、だるそうに移動する生徒達。

 朝から延々とこの作業の繰り返しでは仕方ない。

 しかも終わったと思ったら、また雨が降ってきた日には。

「フォークダンスの準備はいいの?」

「準備もなにも、そっちはせいぜいラインを引くだけ。出来ないなら、マーカーを置くだけでも事足りる。問題は、その後さ」

「何、その後って」

「聞くまでもないだろ」

 バケツの中へスポンジを放り込んでいくケイ。

 突っ込んで聞く気にもならず、空を見上げる。

 雲の向こうに、かろうじて見える太陽。

 すでに西へ傾き始め、グラウンドを乾かすのはも不可能だろう。

 翳り気味の日射し。

 湿った空気。

 今の自分の気持ちを表すような。


 気を滅入らせていても仕方ないので、気分を入れ替える。

 別に何をするという訳でもなく、少し食べるだけ。

 単純な行為だが、人間食べていれば文句は出ない。

 少なくとも私は、そういう構造になっている。

「ちょっと、寝る」

「牛になるわよ」

「じゃあ、牛になる」

 下らない事を言って、部屋の隅で丸くなる。

 ここは私達に与えられた、休憩用の部屋。 

 広くはないが畳敷きで、くつろぐには丁度いい。

 以前お化けで騒いだ所のような気もするが。

「何、あの肉まんじゅうみたいのは」

 うしゃうしゃした笑い声。

 反論する気にもなれず、タオルケットを被り直し壁に顔を向ける。

「疲れているようです」

「泥水すくっただけじゃない。あのくらいで疲れてたら、砂金なんて取れないわよ」

「古い話をするな」

 嫌そうに突っ込む舞地さん。

 一般的な事実ではなく、どうも本人達の体験から来ている話らしい。

「浦田君。例のフォークダンスは、あなたが仕切ってるんですって」

「多少は関与してますが。誰か、踊りたい相手でも?」

「私じゃなくて、柳君の分を手配して」

「ああ。あの対馬の女」

 すごい言い方だな。

 いつになく、険があるし。

「睨むし蹴ってくるし。あれは、なんです」

「従兄弟の娘さん。いいから、お願い」

「むかつくな。いいですけどね、一つ空きがあったから」

 つまりは私が代わった子の分か。

 これで完全に、ショウと踊る機会は失われたな。

 今さらという話で、もう気にもならないが。

「そう言わないの。あの子は、柳君のお姉さんみたいな子なんだから。普段離ればなれで、寂しいのよ」

「だからって、俺に当たられても」

「狙いやすい対象なのよ。それと分かってるだろうけど、やり返さないでよ」

「はいはい。せいぜい、蹴られてますよ」

 虚しい呟き、仕方なさそうな笑い声。

 何となく沈滞した空気。

 体は疲れているが、眠気は薄い。

 横になるのが楽と言うくらいで。

 また積極的にあれこれ話す気分でもない。

「その柳君は」

「彼女と学内を回ってるみたいね」

「それでいい」

 重々しく言い放つ舞地さん。

 何がいいのかは知らないが、多分いいんだろう。

「玲阿は」

「ブルドーザーを片付けに行きました」

「雪野は」

「丸まってます」

 嫌な言い方をするサトミ。 

 勿論、何一つ間違ってはいないが。



 気付いたら、またスポンジを手に持っていた。

 意識せずに作業をするようでは、どうしようもないな。

 つまりは、それ程この仕事に慣れてきたという意味で。

「はい、ご苦労様。フォークダンスに参加する人は、そろそろ抜けて下さい」 

 天満さんの言葉に従い、謝りながら掛けていく少年と少女達。

 あくまでも申し訳なさそうに。 

 だけど足取りは軽く、跳ねるようにして。

 私は以前として地面に張り付き、ゆっくりと手を動かす。

 手を抜く事はないが、一生懸命という訳でもない。

 義務というか、事務的に働いていく。

 言われたから、その通りに行動する。

 とにかく、モチベーションは低いまま。

 正確に言えば、存在しない。

 ふと周りを見ると、知り合いは誰もいない。

 ケイやサトミは、おそらくフォークダンスの運営。

 舞地さん達は、柳君の所にでも行ったんだろう。

 モトちゃんや木之本君は、警備の指揮。

 残るのは私くらいという訳か。

 だから私も帰る。

 なんて真似をする訳もいかず、同じ作業を繰り返す。

 自分がこの後踊るのなら、もう少し気が入るんだろう。

 我ながら身勝手とは思うが、仕方ない。

 そこまで割り切れる程大人ではないし、この作業を張り切るような理由もない。


「スポンジが、水を吸わなくなったんですけど」

 何故か私に言ってくる女の子。

 サトミ達と話してるのを見て、運営側の人間と思ったらしい。

「替えがいるのかな。他に、使えなくなった子は」

 あちこちで挙がる手。

 仕方ない。放っておく訳にもいかないし、替えを持ってくるか。


 バケツにスポンジを詰めて、教棟の裏までやってくる。

 吸わなくなったのは、泥が中に入ったせいもあるんだろう。

 だから重くて、手が痛い。

「済みません。スポンジの替えってあります?」

「ああ。グラウンドの。それ使って下さい」

 大きめの段ボールを指差す、作業着姿の男性。

 バケツに、段ボールか。

 さっきよりは軽くなるが、サイズは明らかに大きくなる。


 段ボールを抱え、バケツは指で引っかける。

 歩きにくいし、前は見えない。

 しかも雨まで降っている。

 小学生だったら、間違いなく泣いているだろう。

 高校生でも、泣きたいような気分だが。

 ため息混じりによろけていると、どこからか音楽が聞こえてきた。

 それほど耳馴染みのない。 

 だけど、聞いた事のある。


 ふらふらと、誘われるようにして音のする方へ歩いていく。

 大人しく、ゆっくりとしたテンポ。

 フォークダンスで掛かるはずの音楽。 

 勿論まだ始まってはいないのは、私が抱えているスポンジを見るまでもない。

「あ」

 教棟の陰。 

 人気のない、木々の陰。

 手を取り合い、ぎこちない動きをする男女。

 端末から流れる音楽に合わせ、時に顔を見合わせながら。

 そして目を逸らして。

 だけど手を取り合ったまま、踊り続ける。



「早く。早くやって」

 スポンジを配り、がしがし拭く。

 で、絞る。

「ほら。急いで。早くやるの」

「は、はい」 

 一斉に地面へ張り付く生徒達。

 私も負けずに、拭いて絞る。

 やってもやってもきりはないが、きりはなくてもその内終わる。

 いや。終わらせる。

「あー」 

「何叫んでるんだ」

 私に差し掛かる影。 

 雲ではなく、人によって出来た。

「ブルドーザーは」

「いつの話してるんだ」

 スポンジを手にして、地面に張り付くショウ。

 何も言われなくてもそれを泥水につけて、バケツに絞る。

 私もその隣で、同じ事をする。

「地味だな、これ」

「じゃあ派手にやれば」

 適当な事を言って、泥水を絞る。

 しかしこの水は、どこから出てきてどこに消えるんだろう。

 世の中、まだまだ不思議で一杯だな。

「溝掘って、そこを流したらどうだ」

「この後、フォークダンスするのよ。その溝はどうするの」

「埋めるんだろ」

「貯まった水は」

 返ってこない返事。

 大体傾斜もないのに、どこへ流そうとしたのかな。

「もっと考えて発言したら」

「鏡に話してるのか」 

 言うな、随分。

 突き飛ばしてやろうと思ったけど、こっちが水たまりに落ちるので止めた。

 第一遊んでる場合でもない。

「ほら、いいから急いで」

「何か、用事でもあるのか」

「私は無い」

「そうですか」

 もう知らんという顔。

 こっちは構わず、泥水をすくう。

 しかしその間にも雨は降ってくるし。

 賽の河原って、こんな感じかな……。



 菩薩様が来てくれたかどうかはともかく、取りあえず雨は止んだ。

 西の空も雲は薄く、どうにかこの先も持つ様子。

 どちらにしろ疲れて、もう動きたくない。

「何してるの」

「丸まってる」 

 今度は自分から言って、タオルケットを被る。

 部屋の隅ではなく、部屋の真ん中で。

 気持ちが変われば、行動も変わる。

 寝てるだけなんだけど。

「喉乾いたな。ひょうたんは」

「さっき、出掛けたわよ」

 一人歩きするひょうたんか。

 お化け屋敷にでも行ったんじゃないだろうな。

 勿論お互い、ショウの事だと分かってるんだけどさ。

「何かある?」

「無い」

「じゃあ、買ってくる」

「ストレートティお願い」


 使いっ走りをさせられた気もするが、リュックにペットボトルを放り込んで来た道を戻る。

 人気のない廊下。

 ようやく切れ間の見え始めた空。

 窓から差し込む弱い日射し。

 薄く伸びる長い影。 

 少しの隙間から吹き込む、冷たい風。

 思わず肩を押さえ、足を早める。

 背後に気配。 

 慌てて振り返るが、誰もいない。

 気配はあるのに人はいない。

「お、置いてけ堀?」

 そう口走り、自分の間抜けさに呆れ果てる。

 どちらにしろ、ここにいていい事は何もない。

 とにかく振り返っては危ないので、今はただ走るに限る。

 何もいないのは分かってる。

 分かってるけど、分かってない……。


 すぐに足を止め、振り返る。

 明らかに人の声。

 姿が見えなかったのは、廊下ではなく教室から発せられたせいか。

 少しだけ気を楽にして、教室のドアに手を掛ける。

 その途端、勝手に開くドア。

 自動らしい。

「誰だ」

 私を睨み付ける、柄の悪そうな男。

 その仲間か、何人かが側にいる。

 彼等の後ろには、見慣れた子も。

「神代さん。何してるの」

 男達を無視して、彼女の方へ歩いていく。

 何かされたようには見えないが、何かがありそうな気配はあるので。

「こっちこっち」

 男達が戸惑う間に彼女の手を引き、後ろへかばう。 

 これで問題は無くなった。

 後は向こうの出方次第だ。

「お、おい。待て」

 待つか。

 ドアを開け、一旦外の様子を確認して彼女を廊下へ出す。

 私も後に続き、そのまま走る。

 せっかくの文化祭。

 揉めても仕方ないし、馬鹿の相手をするのは面白くない。

「せ、先輩」

「何。知り合いって言うんじゃないでしょうね」

「そ、そうじゃないけど」

「じゃあ、走って」


 休憩用の部屋に辿り着いた所で、男達に追いつかれた。

 私一人ならともかく、神代さんが走り疲れたので。

 どちらにしろ、ここまで来れば一安心。

「お前。舐めてるのか」 

 息を切らしながらすごむ男。

 当然だが迫力は欠片もなく、こっちは欠伸で答えるしかない。

「この野郎」

「放っておけ。それより、後ろの女を渡せ」

「どうして」

「お前に関係ない」

 無い訳あるか。

 これ以上は揉めそうなので、ドアを開けて天満さんを中に入れる。

「ふざけてるのか」

「どっちが。大体、彼女にどういう用事。私が代わりに聞く」

「じゃあ、手っ取り早く金持ってこい」

 事情は知らないが、決定はしたな。

 こいつらの馬鹿さ加減と、今後の対応は。

「佐渡島でも行けば」

「あ?」

「金山で穴掘ってれば、その内金が出てくるんじゃないの」

 詰まる距離。増す迫力。 

 ただだからどうしたという話で、所詮は眠気も覚めない程度。

 また今後を考えれば、こっちもこのままで済ますつもりはない。


「どうかしたの」

 軽い口調の綺麗な声。

 声に似合った、綺麗な顔。

 独特の、周囲を引きつけ威圧する雰囲気。

「だ、誰だ、お前」

「名乗る程の者じゃないわ」

 人の事は言えないが、かなりふざけた台詞。

 またこの状況を、微かにも気にしていない態度。

「こ、この野郎」

「止めた方がいい。火傷するわよ」

「何だと?」

「硫酸持ってるの」 

 手の中で振られる、ラベルのないペットボトル。

 見た事のない、奇妙な色。

「だ、騙されるか」

「じゃあ、試してみる?まあ、被っても死なないけどね。肌が焼けて、死にたくなるくらい苦しいだけで」

 床に垂らされる液体。

 おかしな音を立てる床。

 顔を青くする男達。

「引くなら見逃す。来るなら、容赦しない」

 振られるペットボトル。 

 刺すような冷たい眼差し。

 喉を鳴らし、転がるようにして逃げていく男達。

 しかし、馬鹿はどこにでもいる。

 一人残る、初めに声を掛けてきた男。

 明らかに普通ではない表情。

 左足が踏み込んできたのを確認して、その懐へすかさず飛び込む。

 ジャブをかわし、腰をためる。

 ストマックブローを一発、そのバックブローでレバーにも。

 下がってきた顎に膝を合わせ、その勢いで飛び後ろ蹴りを見舞う。

 つもりだったが、男がひっくり返ったので空振りで終わり。

 話にもならないとは、この事だな。


「馬鹿が」

「あなたがでしょ」 

 鼻先に突き付けられるペットボトル。

 慌てて下がると、鼻で笑われた。

「ジュースよ、ジュース。炭酸」

 平然とした顔でペットボトルを傾ける女性。

 笹島さん、だったか。

「何してるんです」

「母校の文化祭に来ただけよ」

「あの綺麗な人は。お嬢様みたいな」

「美貴?嶺奈ちゃんへ会いに行ったんじゃなくて」

 嶺奈って、天満さんの事か。

 名前がどうこう言える義理ではないけど、あのちゃかつき振りからは想像出来ないな。

「大体、何を揉めてたの」

「後輩が絡めれてたから、助けただけです」

「で、これはどうする気」

 廊下にひっくり返ったままの男。

 そんな存在、頭の片隅にもなかった。

「あなたって、塩田君の後輩だった?」

「ですよ」

「そういう血の気の多い所ばかり引き継いでるのね。他に学ぶ事はないの?」

「ありません」 

 はっきりと言い切り、ドアを開ける。

 寝たままの馬鹿なんて気にしたくないし、笹島さんはもう部屋に入ってるので。


「大丈夫?」

「え、ええ」

 作った笑顔を浮かべる神代さん。

 ただ取りあえずの危険は去ったと分かっているのか、憔悴するような雰囲気でもない。

「あんな馬鹿は放っておけばいいのよ。何かあったら、この子達に相談しなさい」

「は、はい」

 控えめに頷く神代さん。 

 笹島さんは鷹揚に頷き、私が買ってきたお茶を飲んだ。

「硫酸飲めば」

「何の話?」

「詐欺師の話」

 怪訝そうなサトミにさっきのペットボトルを渡し、彼女のストレートティーを飲む。

「あなたこそ、自分のを飲みなさい。……ああ、これを硫酸って思わせたんですか」

「そう。馬鹿を騙すのは簡単よ」

「さすが、魔女ですね」

 お茶を蒸せ返す笹島さん。

 何だ、魔女って。

「だ、誰から聞いたの、それ」

「色んな方から」

「まあ、いいけどね。熊とか、山鯨よりは」

 仕方なさそうな笑い声。

 それを聞いて、さっきよりは明るい表情を浮かべる神代さん。

 少し和む空気。

 自然と軽くなる会話。


 心に影を残す内容。

 この後も尾を引くだろうと思わせる。

 また当然、このままにはさせないとも思わせる。   













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