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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第4話
26/596

4-5






     4-5




「血気盛んな年頃、というところですか」

 なんとも楽しそうな副会長。

 反論出来る訳もないショウは、ひたすらに身を縮ませるだけだ。

「年頃って、副会長も一つ年上なだけですよ」

 代わって私が、一応抵抗を試みる。

「私のピークはもう過ぎましたから。後は雪野さん達にお任せします」

「年寄りみたいな事言って。いつもこんな所にこもってるから駄目なんですよ。塩田さんみたいに、あちこち出歩いたらどうなんですか」

「そして未処理の書類や案件がたまっていき、学内の運営も止まっていくと。ああそうですね。私が遊びに行っている間は、雪野さんが代わってもらえますか」

「い、いえ。私はそういうのに不向きなので」

 あえなく敗北して、3歩くらい後ろにいるショウと並んで歩く。

 いくつもの部屋を通り過ぎ、さらに奥へ。



「さてと」

 警備のガーディアンに会釈する副会長。

 彼等も頭を下げ、ドアの横にあるスリットへカードを通した。

「あれでロックの一つが解除。ロックは奥にまだ、幾つもありますが」

「外部からの進入を防ぐというよりも、外へ出るの防いでいるようですね」

 からかうようなサトミの目線に、副会長は苦笑して頷いた。

「私も、生徒会長がいない間はあの状態でしたよ。トップがいない組織は動きようがありませんから。仕事をするしないではなく、その存在という意味ですけどね」

「部屋に一日中缶詰なんて、私なら耐えられない」

「俺も」

 つくづく楽な立場で良かったと喜び合う私とショウ。

 今度からは、あちこち遊び回っている塩田さんをあまり怒れないな。

 その負担がモトちゃん達へのし掛かるのは、ともかくとして。


 幾つものドアをくぐり、ようやく執務室へ入れた私達。

 生徒会幹部には部屋が幾つか用意されていて、このフロアにあるのもその中の一つ。

 室内はかなり広い間取りで、壁際にあるオフィクデスクでは何人ものスタッフが端末を前にしている。

 さらにその奥にある、一際大きな机。

 秘書さん風の女の子から説明を受けていた生徒会長が、その顔をこちらに向けた。

「……悪いけど、みんなは外して。仕事の方は、総務課で引き続き頼む」

「はい」

 一礼し、やや大きめの端末を手に出ていくスタッフ達。

 私達はドアが閉じたのを確認して、すぐに生徒会長へと詰め寄った。


「余計な話は良いから答えてっ。浦田光の在籍データはどうなってるのっ」

「ようやくそこにたどり着いたか。正直、待ちくたびれた」

 机の上で指を組み、そこにあごを当てる会長。

「どういう事です」

「遠野君。君がいながら、どうなってるんだ」

 笑いを含んだ問い掛けに、サトミの顔が一気に強ばる。

 剣呑、烈火。

 例え方は色々ある。

 怒りを表現する言葉は。

「前も言ったが、友情が判断を曇らせたのかな。それは悪いとは言わないが、今回は裏目に出たな」

「……どうでもいいから、早くデータを元に戻せ」

 低い、押し殺したショウの声。

 しかし会長は、わずかにも動揺しない。

「恫喝か。嫌だと言ったら」    

「断れないんだよ」

 机に手を付けるショウ。

 きしむような音が机から聞こえ、その表面が大きくたわみ出す。

「玲阿君、その辺で止めなさい。会長も冗談が過ぎます」

「ああ、済まない。では、最初の質問に戻ろう」

 隣に立っていた副会長に頭を下げ、会長は端末の画面をこちらに向けた。


「退学3名、無期停学2名、生徒会除籍5名。浦田、珪君の方がやった数だ。訓告や口頭注意などを含めれば、倍近くになるが」

「何よそれ」

「彼が生徒会のスタッフに対して申請した数さ。現時点で全て受理され、彼等はその処分を受けている。一般生徒の処分は、まだ審議中だがね」

 顔を見合わせる私達。

 そんな事にはかまわず、生徒会長の話は続く。

「規律違反、倫理的問題、地位の私的利用。身内をかばい合う体質はどの組織にもあって、当然生徒会もその一つだ。それにそういった情報は、なかなか私の耳には入らなくてね」

「申し訳ありません。通達は、会長が就任される以前から出しているのですが」

「大山さんが悪い訳では無い。私も、何一つ有効な手を打てなかったのだから」 

 苦笑気味な表情で端末を指さす会長。

 処分された人数と、今後処分を受ける可能性がある人数を。


「その意味に置いて、なんのしがらみもない外部の人間は遠慮がない。本当、浦田君はよくやってくれた」

「ケイを利用したんですか」

「はっきり言えばそうだ」

 あっさり認める会長に、サトミのさらなる質問が飛ぶ。

「では、ケイが私達の行動を制限した理由は。会長ご自身の命令だと聞かされていますが」

「君達への監視が緩いという指摘を各方面から受けてね。今の丹下隊長による懐柔策では不十分だと」

「各方面とは何です。各委員会ですか、生徒会の各局ですか」

「誰が矢を射ったか捜すくらいは、自分でしたらどうだ」

 怒りを含んだサトミの視線に、会長の意味ありげな視線が重ねられる。

 サトミはどうにか堪え、抑え気味に話を続けた。

「……質問を戻します。あなたが、ケイをスタッフの不正摘発に選んだ理由は」

「有能な人間は少なく、それを実行出来る人間はさらに希だ。例えば君達が以前、自警局長を退学させたのと同じさ。有能で実行力に優れた君達に目を付けた、大山さん達の策によって」

「どういう事だ」

「ああ、これは聞かされてなかったのか」

 目を合わす会長と副会長。

 微妙な雰囲気が二人の間に流れ、どちらからともなく目を逸らす。

「心配しなくても、大山さん達は君達を利用した訳ではない。言ってみれば生徒会幹部にもひるまないというステータスを君達に与え、その手柄を譲ったのかな」

「よく分からないけど、あなたがヒカルの在籍データを元にケイを脅したんでしょ。それはどうなのよ」

「逆だ」

「え?」

 高まりつつあった怒りが、不意に止められる。

 ペースは完全に握られているが、それをどうこう言う余裕もない。



「夏休みの終わりくらいに、彼がここへ乗り込んできた。さっきの玲阿君どころじゃなかったよ。ただし請求書は私が差し止めたから、安心して良い」

「ええ?」

「それはともかく、結論としてはお互いに条件を出しあったんだ」

「会長は、生徒会スタッフの不正摘発と私達の行動制限。すると、ケイの条件は何だったんです」

「今話題に上がっている、浦田光君の在籍データ。それが回復出来るよう、工作してほしいと」

 私達は戸惑いと困惑の表情で、その言葉の意味を理解しようとした。

「彼も、最初はそんな顔をしていた。なんにしろ彼は私が提示した条件を満たしたので、私も彼の条件を実行したよ。入力の時間を考えれば、そろそろだと思うが」

 サトミが顔色を変え、ポケットに手を入れる。

 取り出したのは、預かりっぱなしだったヒカルのID。

 それを近くの端末に通し、画面を見入る。


「……在籍データが回復してるわ」

「結構。これで問題は解決した訳だ」

 一件落着とばかりに宣言する会長。 

 でも私は、まだ何も理解出来ていない。

「じゃあケイは」

「データが回復したなら、私はもう部外者だ。後は当事者間で話し合えばいい。ああ、忘れるところだった」

 会長は机の上にあった書類ケースから封筒を取りだし、机の上に置いた。

「浦田、珪君に渡してくれ。本人へ、直接」

「中身は何」

「それも含めて彼に聞けばいい」

 どうしようか迷っていると、副会長が封筒を取り私の手の前に差し出した。

「必ず彼に渡しなさい。もし受け取らなかった場合は、あなた達が中を見てもかまいません」

「中身を知ってるんですか」

「済みません、雪野さん」

 頭を下げる副会長。

 私は封筒を両手で受け取り、そのまま彼の手も握りしめた。

 前と変わらない、温かな手を。

「いいんです。これ、ケイに絶対渡します」

 それをポケットにしまい、その場で端末を取り出す。

 ケイのアドレスを表示させ、ボタンを押す。

「……出ない」

「丹下ちゃんもよ」

「電源切ってるのか、これ」

 室内にある端末を使ってケイと沙紀ちゃんに連絡を試みたが、やはり二人とも出ない。

 どうもショウが言ったように、電源自体が落としてあるらしい。

「彼については、こちらでも捜しておこう。何か分かったら連絡をするから、一応気に止めておくといい」

 また何か企んでるかとも思ったけど、そうではなかった。

 それはケイと、そして私達を真摯に案じている、生徒会長という立場にいるべき人の態度。

 信頼に足る人間としての。

「そういう訳です。今はまず、浦田君のお兄さんに話をしてはどうですか」

 副会長は、暖かい笑顔で私達を見てくれる。

 この二人が何かを隠し、利害が違うのも何となく分かる。

 でも彼等が私達を見守ってくれるのも、また確かなのだ。

 慌ただしくドアを出ていくサトミ達を追いながら、そんな事を考えていた。



「ケイが……」

 絶句するヒカル。

 説明した私達も、何も言う事が出来ない。

「今、どこにいるの」

「連絡が取れないのよ。多分沙紀ちゃんと一緒だと思うんだけど、生徒会ガーディアンズでも分からないって」

「そう」

 ヒカルは端末に表示された自分のIDから視線を外し、電源をオフにした。

 彼には似つかわしくない、やるせない表情で。

「ケイには、僕が話をする。いいかな、みんな」

「それはかまわないけど、大丈夫?」

「辛くても、これは僕の責任だから」

「そう気負うな。お前らしくない」

「ショウの言う通りよ。IDは回復したんだから、あの子はただ笑うだけだと思うわ」

 ヒカルの手に自分の手を重ねるサトミ。

 私もショウを見つめ、小さく頷く。

 ケイがここに座って、照れくさそうに笑っている光景を思い浮かべながら。



 結局連絡が取れたのは、翌日の午後。

 ヒカルのIDが回復したせいか、あっさりと私達と会う事に承諾した。

「沙紀ちゃんも一緒に来るって。でも、IDの事は何も言ってないよ」

「照れてるんじゃないのか。ああいう奴だから」

「さて、何を言うのか楽しみだわ」

 朗らかな笑い声がオフィスに響く。

 そんな中にあって、ヒカルは沈痛な面持ちでIDを握りしめている。

 でも私達は彼に声を掛けない。

 ヒカル自身が、自分の問題と言ったから。

 私達が、そこに割って入る事は出来ない。

 例えヒカルの彼女であるサトミでさえ。

 兄と弟。

 それだけではない。

 良くも悪くも、お互いにしか分からない相手への感情がある限り。


「でもあいつ、生徒会ガーディアンズはどうするんだ。やっぱり向こうに残る気かな」

「どうだろ。居心地良さそうだし、そうかもね」

「いいじゃないの。ブロックは同じなんだし、いつでも会えるんだから」

「仕事は全部あいつに任せて、俺達は楽するか」

「はは、それいいね」

 笑い声のさざめく中、ドアが不意に開く。


 笑顔で振り向く私達。 

 そこにはケイと、やはり沙紀ちゃんの姿がある。

 だが彼の表情が、いつにもまして醒めている。

 隣にいる沙紀ちゃんも、あまり表情が勝れない。

 今までの経緯を気にした単なる気まずさとも違う、張りつめた空気が二人からは感じられる。

 自ずと私達にも、それは伝わって行く。

「……今度は、何の用」

 感情の消えた冷たい口調。 

 まだ、ヒカルのIDの事が分かってないのだろうか。

 いや、彼に限ってそれは無いはずだ。

「用って、分かってるでしょ。ヒカルのIDが回復したのよ。だからもう、生徒会長の命令なんて聞かなくていいんだって」

「そんな事なら分かってる。IDは俺も確認した」

「だったらなんでっ」

 声を荒げた私を制するように、ヒカルが席を立つ。

「ごめん。色々迷惑を掛けて」

 深く、それこそ机に付くくらいまで頭を下げるヒカル。

 しかし、それに対する答えは小さな笑い声だった。

 耳に触る。

 弟が兄へ向ける物ではない。

 信頼し合う人間同士では聞かれないような。


「謝って済む問題だと思ってるのか。今まで俺が何やってたか知ってたら、とてもそれじゃ」

「分かってる。僕に出来る事なら何でもする」

「言ってくれるね。じゃあ、靴でも舐める?」

 右足を浮かせ、軽く振って見せるケイ。

 ショウが席を立ち掛けたが、ヒカルが手で制した。

「それで気が済むなら」

「済む訳がない。一日中監視されて、処分を下した連中からは脅しを受けて、それでもまだ他の処分者を捜すんだ。神経がすり減るどころか、病気になるかと思った」

 歪んだ笑顔、そして横柄な態度。

 私は呼吸を整え、気持を落ち着けようとした。

「謝る?何だそれ。いっそ大学院辞めます、くらい言えないかな。ああもう遅いか。誰もこっちが出してたサインに気づかなくて、俺の無駄な努力でIDが復活したから」

「僕を責めるのはかまわない。でも、みんなにはそういう事を言わないでくれ」

「友情、か。こっちの事情も知らずに、力尽くで話を聞き出そうとする友情ね」


 違う、こんなのは違う。

 あの時、食堂で笑っていた。

 前と何も変わらなかった。

 でも、今ここにいる人は違う。

 私の疑問を悟ったのか、酷薄な笑顔がこちらに向けられる。

「食堂で、どうして普段使わない「兄貴」って言葉を使ったと思うんだ。何も分かってない顔したね、あの時。やる気がなくなったよ。もう済んだ事だし、どうでもいいけど」

「珪。頼むから止めてくれ……」

「本当の事を言ってるだけだろ。こっちが監視にばれないように色々手を尽くしたのに、みんなは何も分かってくれない。仲間だとか友情だとか言ってるけど、そんなのある訳無いんだよ。いや、みんなの間にはあるけど、俺にはそれが向けられてないだけか」

 彼の口から漏れる、乾いた笑い声。 

 それを無言で受け止める私達。

 憔悴しきった顔をするヒカルとサトミ、ショウも顔を伏せじっと耐えている。

 私は何もしない。

 ヒカルが、自分で話すと言ったのだから。

 例えどんな感情が私の中にあろうと、口を出すべきではない。



「そうやって、友達ごっこでもやってれば。とにかく俺はもう関係が無いし、関わりたくもない」

「これからあなたはどうするつもりなの」

「言う必要もないだろ、遠野さん」

 醒めた、何の感情も含まない冷たい言葉。

 苗字で呼ばれる名前が、全てを物語る。

「これ以上下らない話をしても仕方ない。みんなはこの人の在籍データ回復を祝えばいいんじゃないの。俺はもう行くから」

「行くって、どこへだ」  

「だから言うつもりはないんだよ、玲阿君」

 ケイは鼻を鳴らし、見下したような視線をショウに向けた。

 ショウは一瞬身を引き、唇を噛んで顔を逸らした。

 怒りと焦り、持って行き場のない複雑な感情を押し殺しながら。

「浦田……」

 それまでずっと黙っていた沙紀ちゃんが、小さな声を掛ける。

「丹下は残ってればいいよ。もう俺とは何の関係もないんだから」

 やや口調が柔らかくなるが、彼から発せられる冷たい雰囲気はそのままだ。

 心も何も感じさせない。

 この場にいる事すら厭わしいと語る、醒めきった表情。

「それじゃ、もう会う事はないだろうけど」

 背を向けドアへと向かうケイ。

 ヒカルが一瞬追いかけようとするが、顔だけで振り返ったケイにそれを遮られる。

「いい加減にしろよ。話す事はもう無いし、話したくもない。人に汚い仕事をやらせておいて、自分だけ気楽な立場にいて。何が兄貴だ。もう、顔も見たくないんだよ」

 ケイは舌打ちをして、再び歩き出した。 

 彼の靴音だけが、静まりかえったオフィスに響く。

 重く沈みきった雰囲気の中、彼は私の脇を通り過ぎていく。



「あなたこそ、いい加減にしなさいよっ」

 彼の肩に手を掛け、こっちを振り向かせる。

 不意を付かれた格好で、ケイが戸惑い気味の顔をこちらに見せる。

 私は固めた拳を、迷う事無くその顔にぶつけた。


「グッ」

 顔をのけぞらして床に倒れるケイ。

慌てて止めに入ろうとするみんなを、私は睨み付けて下がらせる。

「な、なにするんだ……」

「殴ったのよっ。そんなの分かってるでしょっ」

 あごを押さえる彼を見下ろし、床を指さす。

 爆発しそうな感情を、必死で押さえ込みながら。

「そこに座って」

「座れって、ここは」

「いいから座りなさいっ」

 足を踏みならすと、ケイは慌ててその場に正座した。

 不満げな顔。

 私は拳を振り上げ、それを何度も振り下ろした。

「誰も、好きこのんでのんきにしてた訳じゃないでしょっ。みんなはあなたが何やってるか分からなかったから、ずっと不安だったのよっ。それなのに、あの言い方はなにっ」

「い、いや。俺は」

「口答えするなっ」

 怒鳴りつけ、彼を黙らせる。

「いい?みんなあなたの事心配してたし、真剣に悩んでたのよ。確かに私達は何も分かってあげられなかった。それは反省するし、悪いと思う。だけどね、そうならそうと一言いえばいいじゃないっ」

「だ、だから」

「あ?」

「な、何でもない」

 顔を伏せ、上目遣いでこちらの様子を窺うケイ。

 髪をかき上げようとして手を上に上げると、彼の体が一瞬震えた。

 いつもなら笑うんだけど、今はもうそれどころじゃない。


「困ってるならまず私達に相談すればいいでしょ。それなのに自分だけ辛い目にあってるような事言って。そうやって、何でも自分で解決しようとするからこうなるんじゃないっ」

「そ、それは」

「監視された?脅された?そんなの自分でやった事の結果でしょ。そのくらいの責任は自分で持ちなさいっ。あー、何かますます怒れてきたっ」

 拳で自分の太股の脇を叩き、怒りのやり場をそこへ持っていく。

 その度にびくびくするケイに余計怒りを感じつつ、荒々しく息を整える。

「それにね。人を責めてる暇があったら、まず自分の行動を反省しなさいよ。今日の事だってそう、最近の態度もそう。大体前から言おうと思ってたんだけど……」



 それからどれだけ時間が経っただろうか、さすがに喉が苦しくなってきたので言葉を一旦切った。

「水、水っ」

「は、はい」

 テーブルに手を伸ばし、ミネラルウォーターのペットボトルを下から差し出すケイ。

 それを一口二口と含み、軽く息を付く。

 真っ白になっていた意識が少しづつ戻り始め、気持も少し落ち着いてくる。

「で、分かったの」

「分かったって言われても……」

「ああ?」

「あ、はい。分かりました」

 ケイは膝に手を付き、深々と頭を下げる。

 本当に分かってるのか。

 取りあえず、一度みんなに意見を求めてみよう。


「ねえ、サトミ?あ、あれ?」

 壁際にいるサトミと視線が合う。

 その隣には沙紀ちゃんとショウが。

 みんな姿勢を正して、一列で並んでいる。

「何やってるのよ」

「だ、だって、ユウが……」

「そ、その。怖くて……」

「だ、だから。俺達まで怒られるんじゃないかと……」

 真顔で言う3人。

 はっと我に返り、顔を戻す。

 床に正座して体を小さくさせている男の子がいる。

 どうしてか。

 私が座らせたから。

 そして、説教したから。

 でも、悪いのってケイだけ?

 私達も、同じじゃない?


「ご、ごめんっ」

 慌てて腰を屈めると、ケイは飛び上がるように後ずさった。

 どうも、かなり怯えているようだ。

「ち、違うの。私、ちょっと言い過ぎたというかやり過ぎたみたい。ごめん、本当にごめん」

 私も正座して、彼に頭を下げる。

「だ、だったら。俺もう立っていい?」

 恐る恐るお伺いを立ててくる。

 ここまで不安げな彼の顔は、今まで見た事がない。

 私は一体、どれだけ怒っていたんだろう。

「うん、いいよ。大丈夫?」

 手を差し伸べたら、また体を震わせた。

 でも叩かないと分かったらしく、手を取ってよろよろと立ち上がる。

 しかし、一体どれだけ正座させてたんだ。


 ショウの助けも借りて椅子に座ったケイは、大きくため息を付いて机に倒れ込んだ。

「殺されるかと思った……」

「や、止めてよ。ちょっと怒っただけでしょ」

「そうかしら。私達も、見ていてどうしようかって思ってたのに」

「止めようって相談はしたんだけど、みんなそこまでの勇気が無かったの」

「あれは、誰にも止められん」

 しみじみと呟くショウ。

 サトミと沙紀ちゃんも、納得という顔で何度も頷く。

「それとね、優ちゃん」

「丹下」

 机に伏せているケイが、そのままで声を出す。

 かすれ気味の声を。

「いいじゃない、もう。浦田は、今のを本気で言った訳じゃないのよ」

「え、どういう意味」

「みんなは、浦田に負い目みたいなものが出来てた訳でしょ。だからこうして嫌われれば、みんなもそれを気にせずに済むって。後は、もう2度と会わないくらいにすれば……」

「止めろって」

 顔を上げ沙紀ちゃんに手を伸ばすケイ。

 それはあっさりとかわされ、逆に椅子を蹴られて再び机に伏せる。


「何考えてんだ、お前は」

「自分こそ、友達ごっこじゃない」

 責められるたびに体を震わす。

 恥ずかしいようだ。

 それも、かなり。

「まあまあ。事情は分かったんだし、もうやめてあげようよ。ごめんね、ケイ」

「それは全部丹下の思い込みだから。さっきのが、俺の本心だって」

「はいはい」

 軽く受け流し、机に伏せているその頭を叩く。

 さっきのようにではなく、優しくゆっくりと。

 その時、ヒカルと目が合った。

 胸元に小さく手を上げるヒカル。

 私が口を挟んでしまった事に対するお礼だろう。

 感謝と、そして大きな笑顔。

 これはヒカルだけの問題ではなく、私達の問題でもあったのだから。

 そしてそれは、リーダーである私が解決しなければならなかったのだ。

 ヒカルも、そう気づいていたのだろう。

 そんな元リーダーの気遣いに答えるべく、私はケイの頭を少し強く叩いた。


「奥歯が、何かグラグラするんですけど」 

 あごを押さえ、顔をしかめる男の子。

 私は赤くなった手の甲を押さえ、視線を逸らした。

「と、年なのよ。しばらく固い物は控えなさい」

「素直に謝れないのか……」

「大丈夫、その内直るから」

 何を根拠にしているのかは知らないが、無責任に言い放つお兄さん。

 ケイは鼻を鳴らして、あごをさすり続ける。

「本当におかしいなって気付いたのは」

「この間舞地さんから、ヒカルも高校に行けとか言われた時よ。ユウも言ってたけど、あなたがはっきり伝えてこないから」

「全部お前が悪いんだ」

 怖い顔で指を差すサトミとショウ。

 勿論それが冗談だと分かっているので、みんなからは笑い声が漏れる。

「大体俺が生徒会の連中を狙ってるのは、最初に会った時教えただろ。わざわざみんなの前で、舞地さんとあんな話したんだから」

「あれは、あなたの趣味だと思ったのよ。現に嫌でやってた訳じゃないんでしょ」

「まあ、そうだけどね」

 彼らしい皮肉っぽい笑み。

 でも、そこに冷たさはない。

 さっきまでの薄い、人を人とも思わない雰囲気は。


「話はまだ色々あるけど、そろそろ俺行かないと」

 急に席を立とうとするケイ。

「行くって、何かまだやる事でもあるの」

「それもあるけど、今度は俺の在籍データが無くなってるから」

「え?」 

 みんなの表情が一斉に変わる。

 するとケイはIDを取り出して、軽く振ってみた。

「……また怒られるといけないから、やっぱり言うよ。自分の、退学申請を出したんだ」

「おい、本気か」

「辞めれば良いって物じゃないけど、他に責任の取り方が分からなくてね。どうでも良い連中だけど、俺が利用されて退学させたのは事実なんだし。それにユウ達にも迷惑掛けたから」

「俺達はそう思ってないぞ……」

 ショウは短くなった髪をかき上げ、深いため息を付いた。

「他の学校でも行く気」

「それかオンラインの授業だけ受けて、しばらくのんびりしようかとも思ってる」

「自分はそれで気が済むかも知れないけど、残された私達はどうすればいいか考えてる?」

 サトミの問い掛ける様な視線に、ケイは曖昧に笑っただけだ。

 私はまたもや持ち上がってきた難問に、頭を悩ませた。

 引き留めて思いとどまる人なら、いくらでも言葉を尽くす。

 でもこの人は、そうじゃない。 

 自分の考えをはっきりと持ち、それに従って行動をする。 

 良くも悪くも人の意見に影響されない。

 それは昔から。勿論、今も……。


「辞めるって、書類なりメールなり送られてきた?」

 沙紀ちゃんが、不意にケイへ話しかける。

 私達とは違う、どこか余裕を漂わせて。

「いや何も」

「申請書は提出してたのよね。でも、返答が来ないのはおかしくない?」

 意味ありげな台詞を並べる沙紀ちゃん。

 どうも彼女は、前からケイが退学する意志がある事を分かっていたようだ。

 最近ずっと行動を共にしていたから、私達よりは色々知っているのだろう。

「時間の問題さ。生徒会スタッフを処分して、俺の役目はもう終わったんだから。口封じの意味も込めて、向こうから退学させてくるかも」

「あっ。もしかして」

 その言葉を聞いて、私はポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのは一枚の封筒。

 昨日生徒会長から受け取った、そして副会長から必ずケイに渡すよう言われた物だ。

 その事を告げると、彼は肩をすくめて封筒を受け取った。

「俺が退学させた奴も、こういう感じだったのかな」

 珍しく神妙な顔付きで封筒の中から紙を取り出すケイ。

 それに目を落とす事しばし。


「……なんて書いてあるの」

 我慢出来ず、つい尋ねてみる。 

 ケイは紙を裏返し、私の鼻先でひらひらさせた。

 近過ぎて読めない。

 あごを引き、恐る恐る文字を読んでみる。

「……退学の申請を却下する。こ、これって」

「辞めるなって事らしい」

 紙を机に放り、椅子に腰掛けるケイ。

 サトミがそれを取り、目を通していく。

「ここの署名読んだ?生徒会長と副会長の連名になってるわよ」

「知ってたんだ、あの二人」

「懐深いな」

「どんな人?」

 とぼけた間で尋ねてくるヒカル。

 聞きたかったというよりは、流れに乗って口を挟んだだけのようだ。 

「という訳で、良かったわね」

 元気よく笑い、ケイの背中を何度も叩く沙紀ちゃん。

 いつも元気だけど、今日は特にテンションが高いな。

「痛いんですけど……。じゃあ、もう少し話を続けようかな」

 端末を取りだし、ケーブルをテレビにつなぐ。

 どうやら、解説モードに入るらしい。

「色々分かったんだ、本当に。生徒会がポイントなのは分かってたから、一度中に入ってみたかったんだよね。そうしたら向こうから仕掛けてくれるから」

「だけど、怒って生徒会に乗り込んだんでしょ。ヒカルのために」

「演技だって、あれも」

 少し照れくさそうだ。

 ここは彼の気持ちを汲んで、そういう事にしておこう。


「俺は光のデータ回復、向こうは生徒会スタッフの処分。でもおかしいのは、俺を監査関係の部署じゃなくて生徒会ガーディアンズに所属させた事。しかも、矢田自警局長の頭越しで」

「監査をカムフラージュさせるためと、ガーディアンの権限を考えたらそうおかしく無い話だと思うけど」

「でも私の所へ来た通達には矢田君の名があったけど、連絡したら知らないような口振りだったの」

 沙紀ちゃんの言葉に、綺麗な眉をひそめるサトミ。

「そう言えば私達が聞きにいった時にも、はっきりとしなかったわ。彼が関係ないとすると」

「俺に条件を出して、生徒会ガーディアンズに行くよう命令を下した人物。みんなも疑ってるように、生徒会長が問題なんだ」

 モニターには生徒会の組織図が表示され、自警局にバツがそして生徒会長にマルが打たれる。


「舞地さん達を、俺の監視役にしたくらいだからね」

「それで逆に、あの人達を雇ったのか。どうやったんだ、一体」

「彼等の出した条件を飲んだだけ。それは大した事無かったんだけど、しっかりと契約金を持ってかれた」

「いくら?」

「聞かない方がいい。俺はもう、一文無しだから」

 画面の端に表示されるケイの残高。

 夏休み前には驚くような数字が表示されたのに、今はかろうじて4桁をキープしている状態だ。

「それなら最初から舞地さん達で、スタッフの不正摘発をすればよかったんじゃないかしら。あなたにやらせれば確かに依頼者が分かりにくいけど、2度手間な気がするわ。それに、池上さんも手伝ってたんでしょ」

「鋭いね、サトミ嬢は。そう、不正摘発自体もカムフラージュの一つなんだよ。しかも、二通りのカムフラージュなんだ」

「まだ何かあるの?」

 ケイはククッと笑い、表示をメモ画面に変えた。

「生徒会からの通達。過去にトラブルを起こしたガーディアンズには、厳しく対処しろ」

 以前ケイが私達に言った言葉。

 だからDブロックから出ていけとか、大人しくしていろとか言われたのを覚えている。

 それに、どんな意味があるというのか。


「遠回しな言い方だけど、明らかにユウ達の事。はっきり言えば、解散もしくは全員退学させろくらいの」

「え、何それ。私達が何やったって言うのよっ」

「一つ、前自警局長を退学させた。一つ、生徒会ガーディアンズとフォースとの密約を暴露させた。まだあるんだけど、確信があるのはこの二つ」

 身に覚えはある。

 でもそれはもう済んだ事だし、今さら言われても訳が分からない。

「前は俺も、その密約は生徒会と予算編成局幹部の暴走だと思ってた。それかもう少し上の幹部が仕掛けた動きだと。だけどよく考えてみるとおかしいんだよ」

「……仲が悪いと言われていた両陣営が、何故密約を交わせるのか」

 何かが分かったのか、引き締まっていくサトミの表情。

 ケイは軽く頷いて話を続けた。

「こう考えるのが自然だよ。誰かが仲介もしくは命令をしたから、密約を交わしたって。で、学内で最も力がある生徒会と予算編成局にそんな事が出来るのは」

 画面に書き込まれる文字。


 「生徒」という文字にバツが打たれ。

 「学校」に大きなマルが付けられる。


「どうしてよ。私達、学校には別に迷惑かけて無いじゃない」

「向こうはそう思ってないんだろ。それに、推測だから」「

「学校は前自警局長や両陣営を使って何かしようとしたけれど、それをも利用した人間がいるとでも」

「鋭いね、天才少女は。何にしろ全ては推測で、塩田さん達のいう「その内」って話がキーじゃないのかな。それはともかく」

 画面を消し、今度は「校則」と書かれた一覧が現れる。

「初めて読んだよ、この間。というか、これ普通は読めないんだ。生徒会の上層部とかじゃないと。俺達は生徒会の規則を校則と勘違いしてるから、余計気にしないんだけどね」

「じゃあ、お前はどうやってこれを手に入れたんだ」

「舞地さん達に金払ったのは、監視を逃れるためだけじゃない。さすがはワイルドギース、いい仕事をする」

 文字が拡大され、一つの項目がはっきりと読み取れる。


「色んな申請書は生徒会に提出され審議されるから、その権限は生徒会にあると思われがちなんだ。例えば退学申請や、在籍データとか」

「違うの?」 

 ケイはモニターを指さし、つまらなそうに笑った。

「生徒会は各申請書を審議し、それを学校へ提出する権利を有する。生徒会はあくまでも一次窓口で、実際の処分や判断を下すのは学校なんだよ」

「つまり光の在籍データを抹消したのも、学校なのね」

「生徒会長はその取り消しを願い出てくれる代わりに、生徒会スタッフの不正摘発を頼んだんだ。そしてこうも言ってきた、「エアリアルガーディアンズを解散させるように」って」

 大袈裟にすくめられる肩。

 古い話。

 以前も自分に科せられた使命を、思い出したのかも知れない。

「だったら、生徒会長は学校の命令通りに動いてるの?」

「どうかしら。それなら肝心の舞地さん達を、ケイに雇わせないでしょ。今言ったように、監視出来ないもの」

「だろうね。だって交換条件はスタッフの不正摘発であって、ユウ達の処分じゃないんだから。生徒会長がどちらを重要視しているかは、それだけで判断付くよ」

 何だか訳が分からなくなってきた。 


 生徒会長は、スタッフの不正摘発を命令した。 

 その交換条件は、抹消された光の在籍データ回復。  

 それとは別に、私達の解散や退学も口にしている。

 でもって、在籍データを実際に管理しているのは生徒会ではなく学校側。

 つまり、在籍データを抹消したのは学校。

 私達を解散させようとしたのも、おそらくは。

 ただ生徒会長を通した話という事は、彼が学校側と何らかの関係があるのは明らかだ。

 でも彼はスタッフの不正摘発だけで満足して、光の在籍データを回復に協力してくれた。


「……どうして学校は、ヒカルの在籍データを元に戻したの?私達は、まだ解散してないのに」

「生徒会長が何かしたんだと思う。学内の自治は絶対だから、いくら学校側でも生徒会の意向を無視は出来ない。生徒会長は自分の目的を達したんだから、後は約束を果たすだけだと思ったんだろ」

「学校の意向を無視しても?」

「その辺の経緯は俺も分からない。分かってるのは光の在籍データが回復した事。それと、生徒会長はユウ達を解散させる気は無かったって事」

 ケイの言う通りだと、私も思う。

 ヒカルの在籍データ回復の条件に、私達の解散や退学を絡めなかったのがその証拠だ。

 つまり彼は学校の命令を逆手にとって、ケイにスタッフの不正摘発をさせた訳か。


 その事を口にしたら、ケイとサトミが大きく頷いた。

「学校の命令はユウ達の処分だけで、スタッフの不正摘発は生徒会長の個人的意見だと俺も思う。学校にはカムフラージュだと思わせておいて、彼にとってはこっちが本題だったんだよ」

「でも両者は何らかの結び付きはあるけど、必ずしも同じ目的を持ってる訳じゃないのかしら。謎が謎を呼ぶってところ?」

「……もういい、考えるのやめ」 

 私は机を何度か叩き、話の打ち切りを宣言した。


 まだ分からない要素が多過ぎるし、これ以上話し続けたって同じ議論の繰り返しだと思う。

 私達を退学させるという話は気分が悪いが、そういうふざけた話になったらこっちも対抗するだけだ。

 それにヒカルのデータは元に戻ったし、ケイも……。

 そうだ。

 この人は、これからどうするつもりなんだろう。 

 お兄さんのデータが回復したんだから、もう誰かに遠慮する必要はない。

 彼は自由なんだ。

 例えば、生徒会ガーディアンズに残るのも。



「それで、浦田はこれからどうするつもり」

 私の質問を先取りするように、沙紀ちゃんがケイの顔を覗き見る。

「俺を置いてくれるところがあればいいんだけど」

 はっきりとは答えない。

 するとサトミがさっきの書類を取り出し、その下に隠れていた紙を机の上に広げた。

「……期限までに案件を処理出来なかった。よって生徒会長の権限に置いて、生徒会からの除籍を決定する。ですって。この案件の差す意味は、私達の処分みたいね」

「という事は」

「私の所から出ていってもらうっていう意味でしょ」

 ケイに向かって手を振る沙紀ちゃん。

 何だか楽しそうだ。

「仕方ないな。どうしてもって言うなら、考えてやるぞ」

「そうね。あまり気が進まないけど」

 大仰に構え、ニヤニヤするショウとサトミ。

 するとケイは鼻を鳴らし、面倒げに首を振った。

「いや、俺はしばらく気楽にさせてもらう」

「何拗ねてるのっ。二人も変な事言っちゃ駄目でしょっ」

 がーっと吠え、机を叩く私。

 みんなは一斉に顔を伏せ、肩を縮みこませた。

 沙紀ちゃんと、やたら感心ながら話を聞いていたヒカルまでも小さくなる。

 だから、そういうのはやめてって。


「と、とにかく、あなたはここに戻ってくるの。決定、もう決定」

「勝手に決められても。俺が戻ると、みんなに迷惑かもしれないし……」

 珍しく気弱な表情を見せるケイ。

 私達の気持ちは、彼も分かっているのだろう。

 ただそれを素直に受け容れるには、自分の行った事が妨げになっているのだ。  

 たとえ演技とはいえ、私達にひどい事を言ってしまった事。

 そして彼は、自分が処分を申請した人達からの脅迫や脅しを受けている。

 私達も、その対象になりうると思っているのかも知れない。

 でも……。


「前、こんな事言ったの覚えてる?」

「ん、何」

 私は指を自分に向け、それを今度は床と向けた。

「ここ以外の、どこに行けって言うんだ」 

 はにかみながら、そう呟く。

 少しの沈黙、そしておもむろにケイが口を開く。

「……迷惑かけるかも知れないけど、またここに置いてもらえるかな」

 私と同じくらい、はにかんだ笑みを浮かべるケイ。

 皮肉っぽい笑顔が似合う男の子。

 でも、こんな笑顔もまたよく似合ってる。

「丹下、今までありがとう。俺……」

「らしくないわよ、そういうの」

 頭を下げた彼の肩を、優しく叩く沙紀ちゃん。

 ショウとサトミも、嬉しそうな顔でその様子を見守っている。


「そういう訳で、今日は浦田の奢りと行きますか」

「いいね、それ。私、ピザ食べたい」

「私は魚かな。香菜がパラリと上に掛かった揚げ物とか」 

「俺は肉。絶対霜降りの奴」

 好き勝手な事を言う私達。

 ケイは「お金無いんだって」と言ってIDを振るが、全然聞いてない。


 するとヒカルが、IDをすっと差し出した。

「今日は僕が払うよ。珪は僕のために頑張ってくれたんだから」

「……ちょっと、感動した」

 頬を赤くしてIDを手にするケイ。

 しかし、ヒカルの言葉はさらに続く。

「ちなみに、立て替えるって意味だからよろしく」

「お、お兄さん、それは無いでしょう」

「うん?そのお兄さんって、また何かのサイン?僕鈍いから、分からないんだ」

 しらっと言ってのけ、鼻歌まじりで部屋を出ていくのんき者。

 その背中を、苦笑気味に見つめる弟。 

 彼らの性格を表す、対照的な姿。

「わかった。今日は私が出すわ。生徒会の交際費を使って」

 さすがに見かねたのか、沙紀ちゃんが大きな胸を叩いてにこっと笑う。

「横領じゃないの、それ」

「友達との会食は問題無しよ。それにこれが横領なら、私達なんて何回退学になるか」

「そういう事。何も、自分達の事まで報告する必要は無いんだよ」

 くすくすと笑い合う二人。

 自分達しか知らない秘密を共有してる、強い仲間意識と楽しさが私達にも伝わってくる。

 どうも、知らない間に色々やってるみたいだなこの二人。

 まあいいか。

 何となく右足をかばいがちな沙紀ちゃんを労っているケイの背中を見ながら、私はちょっと嬉しくなっていた。



 仲間が戻ってきた事に。

 本当はお兄さん思いで、誰にも負けない程優しい彼が戻ってきた事に。

 そして、彼のそんな優しさが一人の女の子に向いている事に。

 窓の外には秋が訪れ始めている。

 私達が歩いている廊下も、少し肌寒いくらい。

 そんな季節がケイには似合ってるなと思いつつ、私は彼と沙紀ちゃんの背中を見守り続けた……。 









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