23-8
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歩き回って、さすがに疲れた。
ひょうたんの水も尽きてきたし。
「何か食べる?」
「ああ」
普通に答えるショウ。
今までさんざん食べていたように思えるけど、気のせいだろう。
「私はそれ程、お腹は空いてないけど」
「俺も」
どっちなんだ。
しかしこう店が多いと、どこへ行ったらいいのかも分からないな。
「新そば、か」
のれんに書かれた、「そば」の文字。
おろしそば。つまりは福井のそばか。
いい香りと、いい喉ごし。
少しのネギと、少しのわさび。
どれだけでも食べられる。
気がするだけで、一枚で十分。
目の前に積み重ねられるのは、気にしないでおこう。
「サトミは」
「もう、いらない」
そば湯をつゆに注ぎ、ゆっくりとすするサトミ。
私はそば粉をこね、そばがきを作る。
で、食べてみる。
それ程美味しい物ではない。
あくまでも、作る過程を楽しむ物かな。
「これから、どうする」
「お化けでも見てきたら」
サトミを見ながら話すケイ。
でもって、鬼みたいな顔で睨まれてる。
「面白いね、それ」
ご馳走様を言って、食器を片付ける。
お化けに知り合いはいないし、知り合いたくもない。
というか、いないよ。
竹林に柳の木。
ぶら下がる提灯に、気味の悪い音。
照明は薄暗く、なんとなく生ぬるい風が吹いている。
「帰る。絶対帰る」
柱にしがみつき、足もからめる。
何があろうと、ここからは動かない。
「たかが、お化け屋敷じゃない」
ほう。言い切ったな。
でも、お化けはお化けだ。
「いいから入りなさい。ほら、ショウも」
「え、俺も?」
「一人で入ってどうするのよ」
じゃあ、サトミは誰と入るんだ。
「ヒカルがいないから、パス。出口で待ってるから」
「ちょ、ちょっと」
「楽しめばいいじゃない。きゃーきゃー言いながら、抱きつけば」
耳元でささやかれる言葉。
去っていくいい香り。
なる程と思いかけ、ふらふらと入り口に近付く。
「お二人様ですか」
「へ?」
「フリーパスが使用出来ますので、中へお進み下さい」
気付いたら、中にいた。
お化けへ会う前に、女狐に騙されたな。
しかし、暗いし狭いし。
変な音は聞こえるし、悲鳴も聞こえるし。
こんなのにお金を出すなんて、どうかしてる。
というか、私はどうして藪の中を歩いてるんだ。
「は、早く」
ショウの腕にしがみつき、とにかく道を行く。
こうなるともう、恥ずかしいとか嬉しいなんて関係ない。
とにかく今は出口を目指し、ただひたすらに前進あるのみだ。
「この道で、合ってるのか」
「あ、合ってるも何も、一本道じゃないの?」
「さっき通ったぞ、ここ」
冷静な指摘。
なる程、そうだったのか。
いや。のんきに感心してる場合じゃない
「ど、どうするのっ。一生ここから出られないのっ」
「訳の分からん事を言うな。出口はあるんだし、その内着く」
当たり前だ。
というか、ここは本当に学校なんだろうな。
「ち、地図は」
「いいから、歩けよ」
「歩けって、歩いてるじゃない」
「あれ。景色がさっきから変わってない」
揺れる視界。
正確には、地面が揺れて体がぶれた。
倒れる程ではないが、叫び声を上げるには十分だ。
「お、置いてけ堀っ?」
「意味が分からん。下が平面のエスカレーターになってるんだろ」
あくまでも冷静なショウ。
全く驚かないというか、その素振りもないな。
しかしそれはそれで頼り甲斐があり、私も安心して。
「わっ」
冷たい感覚。
濡れる頬。
手に付く、赤い水滴。
「血っ。血の雨がっ」
「照明が赤いだけだ。ただの水だろ」
「そ、そんな訳っ」
少し先に伸ばされる腕。
手の甲に付いた水滴は、あくまでも透明。
あっさりと騙された。
「むかつくな、これ」
「少し考えれば気付く。落ち着けって」
「そ、そうだね。そう、その通り。お化けなんていない。いる訳がない」
「いや、そういう意味じゃなくて」
聞こえない彼の声。
見える人影。
白い服に、青い顔。
手招きするのは華奢な腕。
今度こそ、血塗れの。
「で、出た」
「ででた?何だ、それ」
普段なら笑う所。
今は逃げる所。
「は、走るわよ」
「危ないだろ。こんな暗いのに」
構わず彼の腕を引き、一目散に走り出す。
右を見ては行けない。
右には奴がいる。
私を引きずり込もうと待っている。
「うぅおぅーっ」
「おわっ」
突然の叫び声。
こっちも負けないくらいの声を上げ、その前を駆け抜ける。
目の前に伸びてくる腕。
それをかいくぐり、両腕を振って逃げていく。
後ろから聞こえる呻き声からも逃げるようにして。
どこをどう走ったのか、どう来たのか。
目に付いたドアを開け、その中に滑り込む。
「わーっ」
目の前に現れる、一つ目小僧。
化け猫に、のっぺらぼう。
何か、気が遠くなってきた。
「わーっ」
叫び声を上げる雪女。
落ちる牙。
なんだ?
「ここは、控え室です」
困惑気味に現れる、制服姿の男の子。
よく見ると一つ目小僧はジャージ姿で、化け猫も顔だけ。
だからといって、何一つ楽しい事はない。
「お、お化けっ。外に、お化けが」
「ここは、お化け屋敷です」
「だ、だって。青い顔で、白い服着て、血塗れの腕で」
「井戸の幽霊でしょう。ここの」
モニターに映る、おそらくはお化け屋敷内の映像。
井戸の裏側から顔を覗かせる、ざんばら髪の青い顔。
「こ、これっ。お、お化け」
「だから、お化けですよ。そういう演出です」
こんこんと言って聞かせるような口調。
冷たい幾つもの視線。
一つ目小僧は、見なくてもいいの。
「で、出口は」
「そこを出て、右に歩いて下さい。後は道なりに進めば着きますから」
「そ、そうじゃなくて。ここから外に出る方法はっ?」
「ああ、そういう事ですか。楽しいのにな、お化け」
寂しげにろくろ首の頭を撫でる男の子。
ここにも長居しない方が良さそうだな。
明るい照明。
朗らかな笑い声。
大勢の人と笑顔。
これこそ、人の住む世界。
人間の勝利、人類の英知が結集された。
「どこ行ってたんだ」
ようやく現れるショウ。
得体の知れない、小さな人形を手に持って。
「出口でもらった。ユウは」
「さあね」
「一つ目小僧が、何か文句言ってたぞ」
それはそれで、面白いというか気味悪いな。
しかし、私の事を愚痴らなくてもいいだろうに。
「やるよ」
頭にずきんを付けた、白装束の女の子。
当然足はなく、手は腰の辺りで垂れ下がっている。
このくらいだと可愛いな。
「いたいた。あなた、出口から出てこないでどこから出てきたの」
にやにや笑いながらやってくるサトミ。
すでに情報は掴んでるようだ。
「いいじゃない、出てこれただけ」
「当たり前でしょ。それより、すねこすりが出たみたいね」
「何だ、それ」
「雨の日に、足元を撫でていく妖怪よ」
それって、さっき低い姿勢で走り抜けた私の事か。
しかし人を妖怪呼ばわりとは、一言文句を付けたいな。
「戻って、文句言えば。のっぺらぼうが、愚痴ってたわよ」
「絶対、嫌。で、ケイは」
「知らない。丹下ちゃんと、どこか行ったんじゃなくて」
なる程。
全く、誰も彼もが遊び呆けてるな。
いや。それが当たり前なんだけどさ。
「もう疲れた。帰る」
「弾けないの?」
「さんざん弾けた。じゃあね」
寮ではなく、自宅に戻る。
お母さんの愚痴を聞き流しつつ、ソファーに寝転びTVを観る。
輪になって踊る子供達。
時季外れの、盆踊りの映像。
理由は分からないが、可愛いには可愛い。
胸の中に沸き起こる違和感。
いや。焦燥感。
盆踊り。夏休み。アイスクリーム。かき氷。頭が痛い。
全くつながらない。
「おかしいな」
「優の顔が?」
せんべいを囓りながら指摘するお母さん。
だったら、自分もおかしい顔だろうに。
「あれ。あれよ。文化祭。盆踊り。浴衣」
また違うな。
というか答えが分かってないから、何が違うのかも分かってないんだけど。
「今何時?」
「まだ、お昼過ぎよ。こんなに早く帰ってきてどうするの」
「お化け、お化けが出たの」
「ああ、お化け屋敷。あなた、そういうの苦手ね。私に似たのかな」
それはそうだろう。
大体夜な夜な妖怪辞典を読まれれば、誰だってお化けが嫌になる。
「これ、何」
テーブルに置かれた、小さな人形。
一つ目小僧と、小豆洗いの様にも見える。
「ああ。午前中にお父さんと行ってきたのよ。ね」
「うん。優は行ってない?」
楽しそうに微笑む雪野夫妻。
いい年して、何をやってるんだか。
「夕方にもう一度行くけど、優はどうする?」
「いいけどさ。夕方はもう暗くて」
文化祭。夕方。薄闇。
あれ。何かあるな、これは。
「えーとね。夕方ってどう思う?」
「どうもこうも、夕方じゃない」
愛想のない答えが返ってきた。
聞く相手を間違えたな。
「お父さん。文化祭と夕方で、何を連想する」
「そうだね。フォークダンスかな」
「それだっ」
ソファーから飛び降り、二階へ駆け上がる。
すぐに着替えて、リビングへ戻る。
「学校。学校行ってくる」
「まだお昼よ」
「用が出来たの。こんな所にいる場合じゃない」
「どうでもいいけど、雪女に愚痴られたわよ」
身に覚えのある台詞を聞き流し、大勢の人で賑わう学内を駆けめぐる。
本当に最近は、走ってばかりだな。
「天満さん。天満さんはどこ」
「さあ。屋上で、花火の準備をしてなかったですか?」
「地下二階で、バーベキューやってるんだろ」
「今日、学校に来てた?」
飛び交う様々な意見。
統一された、グレーのスーツを着た男女達。
運営企画局の、仮本部。
つまりは、今回の文化祭の司令本部でもある。
「どうして、親玉がそんな事するの」
「私達に聞かれても。とにかく、いるにはいると思いますよ。どういう用件ですか?」
「フォークダンス。フォークダンスで相談がある」
「ああ。なる程。それの管轄は、浦田さんになってます」
出てくる、嫌な名前。
この学校に浦田は何人かいるだろうが、運営企画局に関わる浦田は一人しかいない。
「で、何の管轄なの?」
「多分、雪野さんが思ってる通りの」
「本当?」
恐る恐る、しかし期待を込めてそう尋ねる。
女の子は力強く頷き、親指を立ててきた。
私も彼女へ親指を立て、もう一度走り出す。
背中に数多くの声援を受け。
「ケイ、ケイは」
「あなた。もう戻ってきたの」
「戻ってきたわよ。悪い?」
「突っかからないで。ケイ、お客さんよ」
誰だ、お客って。
どうやら、私だな。
「はい。ご用件は」
仮本部の片隅にある、狭いブース。
机を前にして、紙とペンを渡すケイ。
紙には名前を書く欄が二つある。
一つは自分。
もう一つは。
「何、これ」
「あくどい斡旋業者よ」
「無料だ、無料。で、相手はどなたでしょうか」
「どなたも何も。……本当に、本当?」
やはり不安と期待を込めて、彼に尋ねる。
ケイは何故か定規を二つ取り出し、机の上にずらしておいた。
「言いたい事は分かる。ただ、それ程難しくもない。仮に俺が11番。サトミが2番とする。右が男の輪、左が女の子の輪と仮定する」
口ずさまれる、間の抜けたリズム。
それに構わず、動いていく定規を見つめる。
息を殺し、意識を集中して。
祈るようにして。
「で、曲が終わる。番号は?」
「11と2が重なってる」
「要はこれを、輪でやればいいだけの事。男女が入れ替わる時間は一定だから、曲の終わりさえ調整すれば何も難しくない」
重なる二つの数字。
曲が終わった後。
隣り同士になっている番号。
薄暗い空。
少し冷たい秋の風。
前髪が揺れ、影は照明に薄く彩られる。
「聞いてる?」
「え、ああ。踊れる」
「もういい。とにかく、ユウの分は組み込んでおく」
「ほ、他に希望者はいないの」
何が不安といって、これに尽きる。
競争率というか人気を考えれば、一月前から希望が入ってもおかしくはない。
「今のところ予約はないし、最悪俺の権限において不正を働く。一応、他の子にも踊るチャンスはあるけどね」
「あ、そう。でも、間違えて曲が早く終わるとか、遅くなるとか」
「一つ間違えると、他のペアも崩れる。当然それは、何重にもチェックする」
力強く言い切るケイ。
しかしそれでも、不安は払拭されない。
「あ、あれ。向こうはどうなの。向こうの希望は」
「問題ない。向こうは一ヶ月前から、希望を入れてる」
「嘘」
「本当。前日に言いに来るのは、ユウくらい」
何だ。そうか。
安心したというか、一気に気が抜けた。
これなら、わざわざ来る必要もなかったな。
「あーあ。疲れた」
「あなたは、何もしてないでしょ」
「サトミだって」
「私はペアのローテを作ってたの。計算もろくに出来ない人の代わりに」
卓上端末の画面に表示される、幾つもの輪。
その横に書き込まれる人の名前。
おそらくペア同士は同色で、曲が始まると輪が動き出した。
でもって曲が終わると、同色同士が隣同士になっている。
「へぇ。単純だけど、すごいね」
「複雑にすると、失敗する可能性も増えるのよ。何回か入れ替えて踊るんだけど、ユウは何番目が希望?」
「最後」
「定番ね」
人の頬を撫でるサトミ。
へへと笑い、ふふと笑われる。
ケイは鼻で笑い、机に伏せた。
「沙紀ちゃんと、どこか行かないの?」
「弟妹と遊んでる。俺はここで寝る」
「不毛な青春ね」
「不毛結構。俺はここで朽ちていく」
何を言ってるんだか。
出会った時から、朽ちてるじゃないか。
うだうだうるさいケイを引きずり、学内をさまよう。
「ショウは。ショウ」
「ひょうたんの水でも汲みに行ったんだろ。養老まで」
嫌みな子だな。
とはいえここで機嫌を損ねるのはまずいので、軽く笑って流しておく。
この件は、文化祭明けまで保留だな。
「写真展示コーナー」
当然のように、販売品有りの文字。
どうでもいいけど、こういう売り上げは誰が持っていくんだろう。
「サトミの写真は無いのかな」
「無いわよ。全部差し止めたから」
平気で言うサトミ。
恥ずかしがりというか、当然というか。
スナップ写真くらいならともかく、この子の場合専用のコーナーがありそうだからな。
「正門」
何もない、ただの正門。
誰が写ってる訳でもなく、特別に何かがある訳でもない。
単なる、門の写真。
ただ下には撮った年度が書いてあり、時系列に何枚もが飾ってある。
感慨深い、時間の経過を思わせる。
という事はなく、正直言ってどれも同じ。
後ろの木々が、多少変化しているくらいで。
掃除や手入れが行き届いているのか門自体は風化も変化もなく、創立当初の写真と昨日の写真はほぼ同じ。
撮影した人はともかく、私にとっては意味不明な写真である。
その隣のは、もう少し面白い。
学区を上から撮った、航空写真。
初めは、学校が出来る前。
堀川の左に広い庭園。右側には小さな学校。
その向こうに、熱田神宮。
次は堀川が埋め立てられ、敷地が整備されている。
一つ、また一つと立っていく建物。
ただ緑はさほど減らず、建物だけが増えていく。
最後はやはり、昨日の写真。
これはさすがに、感慨がある。
自分の現在地はどこか示せと言われると、かなり困るが。
「あれ」
動きのある写真。
顔よりも、体に焦点を当てた。
切られるテープ。
高く上がる足。後ろに飛び散る土。
ぶれ気味の表情は厳しく、引き締まっている。
「ニャンか」
タイトルや名前を確認しなくても分かる一枚。
私が見なかった、彼女のゴールシーン。
思っていた通りの、精悍かつしなやかな。
心に焼き付いていた瞬間。
「これは」
その後ろを指差すサトミ。
仁王立ちで腰を落とした、小柄な少女。
実際にも、映像的にも。
間違いなく、私だな。
「どこを見てるの、あなたは」
「ニャンを襲って来そうな奴を。でも、この写真買おうかな」
「よく見なさい」
写真の下に書かれた、但し書き。
「非売品」の文字が、読んで取れる。
「どういう事。誰の権限で、こういう事になってるの」
「後ろに小鬼が映ってるからだろ」
あばらの隙間に指を突き立て、即座に黙らせる。
即座に呻き声も聞こえてくるけど、気にする程暇じゃない。
「正門みたいな下らない物は売るのに。何やってるのよ、この学校は」
「私に愚痴らないで。それと、猫ちゃんなら持ってるんじゃなくて。本人なんだから」
「後ろの小鬼も本人だろ」
つま先で膝の裏のツボを突き、もう一度声を上げさせる。
どうしてこう、余計な事ばかり言うのかな。
でもってどうして私は、余計な事ばかり言われる真似をするんだろう。
頭を冷やすついでに、水を求めて学内をさまよう。
ひょうたんがないと、結構困るな。
なんて思っている内に、気付くと人気が無くなっていた。
この先は、立ち入り禁止の区域。
つまり出し物や展示ブースは、ここで終わり。
どうやら、例により道に迷ったようだ。
誰もいないはずの場所。
耳に聞こえる人の声。
お化けにしては荒っぽい、敵意を感じさせる。
足音を消し、壁に張り付いて音がする方へと歩いていく。
廊下の行き止まりにある階段。
その角に背を付け、聞き耳を立てる。
言い争いではなく、一方的な会話。
相手を責めるような口調。
それも複数対一人。
「とにかく、渡せばいいのよ」
「で、でも」
「玲阿君が、あなたと踊ると思ってるの?」
どこかで聞いた内容。
つまりは、フォークダンスの件か。
しかしショウのファンは統制が取れていて、こういったトラブルは皆無のはず。
それとも私が、裏の事情を知らないだけか。
「渡せって言ってるのよ」
「あ」
悲痛な声。
続く笑い声。
「これって、幾ら?」
「安いわよ。でも10枚あるし、多少は金になるでしょ」
「じゃあ、私に売って」
踊り場の上から、女達を見下ろす。
上は屋上で行き止まり。
現れるはずもない私の存在に、全員が戸惑いと驚きの表情を見せる。
実際には足元を駆け抜け、壁を蹴り上を跳んだだけだ。
「だ、誰よ」
私を知らないという事実。
つまり、以前からのショウのファンではない。
別に編入生へ偏見はないが、こういう連中を放っておく程甘くもない。
「そんな事、関係あるの。チケットを返しなさい」
「うるさい子供ね。やっちゃおうか」
「そうね」
取り出されるスタンガンに警棒。
人の出入りが激しいし、ボディチェックまではやってないはず。
つまりこういう事態も、十分に想定出来る。
ただし武器は、持てばいいという訳でもない。
使い方と使う人間によって、その威力も効果も大きく変わる。
それこそ達人なら、割り箸一本でこの連中を叩きのめすだろう。
その足元にすら及ばない私は、より強力な武器を使わせてもらう。
とはいえスティックを使うのももったいないので、適当に奪うとするか。
「っと」
ハンドスピードだけのジャブ。
取りあえず警棒を奪い、肩に担ぐ。
「で、やるの?やらないの?こっちは忙しいのよ」
敵意と怒りのみの顔を向けてくる女達。
私が警棒を奪った一人を除いては。
「この馬鹿女が。死ね」
「どっちがよ」
手の平に収まる警棒。
それなりの早さで放った一撃。
無論速度だけで、寸止めするつもりだったが。
しかし止められたのは、かなり手前。
まだ十分に速度も威力もあったはずの位置。
「怖い女だ」
私と女達の間に割って入る屋神さん。
彼は私から警棒を奪い取ると、それを担いで女達を見下ろした。
「で、こいつとやりたい奴は誰だ。俺が相手になる」
「え?」
「掛かってこいって言ってるんだ。おら、こい」
振り切られる警棒。
仰け反る女達。
腰を抜かしたように見えなくもない。
「自分こそ、何してるんです」
「お前な。助けてもらった恩を、仇で返す気か」
「仇もなにも、自分が暴れたいだけじゃないの」
「このガキ」
「あ、やる気?」
構えられた警棒の懐に飛び込み、鳩尾を肘で突いて足を払う。
殴るのではなく、バランスを崩すだけ。
後は肩を押して、階段から叩き落とす。
「わっ」
落ちていく屋神さん。
しかし転ぶような真抜けた真似はせず、長い足を開いて踊り場の手前で体勢を立て直した。
「こ、この女、殺す気か」
「弱いだけでしょ」
「何だと?」
「お前こそ、何をしてるんだ」
野太く良く通る声。
小山の様な、階段の段差を無視した巨体。
「河合君よ。俺は、階段から突き落とされたんだ」
「知らん。君も、落ち着け」
「だって、この人が馬鹿で」
「馬鹿は誰もが認めてる。それを分かった上で言ってる」
大人の意見。
子供な屋神さんは、ともかくとして。
「何にしてるんですか、二人とも」
「文化祭だから、遊びに来ただけだ。揉めるつもりは無い」
「大人だね、君は。でも、僕は子供だよ」
「もういい。誰か、この馬鹿を止めろ」
首に当てられる木刀。
頭を抑える大きな手。
「高校生じゃないんだから」
「落ち着け、この馬鹿」
バンダナの美青年と、坊主刈りの青年。
どうでもいいけど、大きい人間が集まったな。
「大体、揉めている原因は」
「この女達が、この子のチケットを盗もうとしたんです」
「なる程」
木刀を担ぎ、女達を見下ろすバンダナの美青年。
冷たい、人を人とも思わないような醒めた目で。
「屋神も馬鹿だが、それ以上の馬鹿を相手にする理由もないだろ。何のチケットか知らないけど、出せば良し。出さないなら、身ぐるみ剥ぐ」
振り下ろされる木刀。
仰け反る女達。
その迫力にではなく。
剣風によって。
「やり過ぎだ、お前は。で、チケットは」
床に落ちるチケット。
投げ捨てた訳ではなく、体の力が抜けたらしい。
坊主頭の青年はそれを拾い上げ、真上から女達を見下ろした。
「今日は、これで勘弁してやる。文句はあるか?」
返らない返事。
ただ振られるだけの首。
人形のように、ぎくしゃくとした動きで階段を下りていく女達。
「馬鹿、馬鹿」
「お前がだろ」
鼻を鳴らす屋神さん。
しつこいというか、根に持つ人だな。
「あなたのチケットはある?」
「い、いえ」
「何?」
ただ、女達が持っていった訳はない。
さすがにこれ以上、関わりたくはないだろうから。
「これか」
階段の下から現れる三島さん。
二つにちぎれた、番号の書かれた紙を手に持って。
「あ」
乾いた、小さな声。
糸が切れたような、気のない表情。
絶望という言葉も当てはまらない、現実を現実として理解出来ない状態。
「これ、上げる」
「え、でも」
「いいの。これで、楽しんできて」
「は、はい。ありがとうございます」
一転して明るい表情を取り戻し、会釈をして階段を下りていく女の子。
廊下の途中でもう一度頭を下げた彼女に手を振り、壁にしゃがみ込む。
全く、何を恰好付けてるんだか。
勿論、私がね。
「おい、どうした」
「知らんよ」
「大丈夫?」
「寝てるのか」
真上からの幾つもの声。
床にしゃがんだ私を見下ろす大男達。
圧迫感というか、冗談抜きで押し潰されそうだな。
「あれは、大切な物なのか」
「別に。無くて死ぬ訳でもないし」
ため息を付き、取りあえず立ち上がる。
彼女の空きスペースに再発行してもらってもいいが、もうどうでもいい。
今さらという話だし、そういう性質の事でもない。
とにかく、もう疲れた。
「帰る」
回りを取り囲む大男。
その内側にいる私。
外にいる人からは、私の姿は見えてるのかな。
というか、ここはどこなんだ。
「屋神さん。あんた、何してるの」
「この女の護衛だ」
「護衛って。誰もいないだろ」
山の向こうから聞こえる、塩田さんの声。
ただ隙間から視線は感じているので、冗談だろう。
「雪野。どうかしたのか」
「別に」
「拗ねるな。拗ねてないで、出てこい」
そういう問題なのか?
とはいえ山越しに話していても仕方ないので、道を空けるよう手を振る。
行く手を遮る山が割れ、そこに道が出来上がる。
海じゃないけど、聖書の一コマだね。
「何か、用ですか」
「用というか、人目に付く。ケンカでもしに行くのか」
一歩距離を置き、屋神さん達を眺めてみる。
見上げる程の大男が、計5人。
何もしなくても謝りたくなるような佇まい。
確かに、誤解は招くかな。
「別に、私が頼んだ訳じゃないんですけど」
「じゃあ解散。解散してくれ」
「ほう。随分偉くなったな、お前」
塩田さんの前に進み出る屋神さん。
同様に前に出る他の人達。
気付けば今度は、塩田さんが輪の中に消える。
「どうする」
「決まってるだろ。押しくらまんじゅうだ」
「お、おい。このメンツでそれは」
「知るか。押しくらーまんじゅうー、押されてー泣くなー」
後ろではなく、前を向いて押し出す屋神さん達。
楽しそうには楽しそうで、回りからは笑い声や拍手が聞こえる。
活気も出てきて、和やかその物。
震える指を天に向けている塩田さんの心境までは、定かではないが。
机に手を付き、ケイを睨む。
「予定変更。フォークダンスのチケットを譲った」
「ケンカでもした?」
「した。ショウとじゃなくて、馬鹿な女とね」
改めて説明する気力もないので、それ以上は何も言わない。
また彼も、聞こうとはしない。
「で、どうする」
「もういい。諦めた。別に、死ぬ訳でもないんだし」
「当たり前だろ。譲った相手の名前とか、学籍番号は」
「名前なんて知らない。ああ、これで分かる?」
破れた例のチケットを渡すと、その番号を元にケイが名前を検索した。
そこに映る顔写真は、あそこで見た彼女。
「しかし、な」
「何よ」
「経緯は知らないけど、悪い推測は出来る。ユウからチケットを、トラブルなく受け取る方法として」
「そうかもね。でも、もういい。そこまで考えると、自分が悪い人間に思えてくる」
真下からの嫌な視線。
そこまで考えている、嫌な人間からの。
「あーあ。何か、面白くないな」
「チケットを、奪い返せば」
「今さら?」
「面白いだろ」
鼻で笑うケイ。
確かに面白いには面白いだろう。
笑える類の面白さではないが。
「あれだ、あれ」
「どれ」
「最後に二人だけで踊れば。屋上とかで。……ほら、月明かりが照らしてるよ。……あ、ごめん。……いや、俺こそ。……駄目、星が見てる。……はは、馬鹿だ」
誰が馬鹿なんだ。
何も泣く程面白くはないだろう。
さすがにこれ以上は、ついて行けないな。
やはり、ここにいた。
「ほら」
放られるひょうたん。
少し重い間隔。
取りあえず水を飲み、ひょうたん売り場の前で一息付く。
「あの、さ」
「ん」
「その。ここだとなんだから、屋上行こうか」
立ち入り禁止のロープをくぐり、閉まっていたキーを勝手に開けて屋上へとやってくる。
問題は問題だろう。
ただ、その代わり人は来ない。
遠くに見える、山々の尾根。
吹き抜ける秋の風。
空にはちぎれた雲が、無数に浮かんでいる。
「ごめん。踊れなくなった」
間の抜けたダンサーみたいな台詞。
しかし状況はより深刻で。
与える影響は大きいだろう。
無言のショウ。
私の言葉を待つ態度。
「別に嫌とかそういう訳じゃなくて。そのさ。事情があって、チケットを人にあげたの」
「ああ」
何となく安心したように見える顔。
それに私の気持ちも軽くなる。
「だからって、義務みたいな気持でその子と踊らないでね」
「え、ああ」
「とにかく、そういう事。あー」
手すりに掴まり、少し吠える。
風に流される叫び声。
馬鹿げてはいるが、気は楽になる。
「あー」
「うるさいな」
「悪かったわね。月でも出ないかな」
「え?」
怪訝そうな表情。
まさかケイの話を説明する訳にもいかないので、首を振って手すりを越える。
その先にも私の身長あまりのスペースがあるため、危険はない。
また腰には例のワイヤーがあるので、万が一にはこれを投げればいいだけだ。
「何か、いい事無いかな」
「そこにはないだろ」
手すりに腰掛け、苦笑するショウ。
この先は断崖というか、単なる空間。
求める物など無いし、それを得る前に地面へ落ちる。
下らない禅問答みたいだな。
「寒いと思ったら、もう夕方だね」
長く伸びる影。
西の空へ傾く夕陽。
赤く染まる街並み。
前髪を揺らす、切ない香りの風。
「そういう事もあるさ」
「どういう事よ。っと」
助走を付けて手すりを飛び越え、屋上へ戻る。
危ないという人もいるだろうが、私にとっては階段を登るようなもの。
当然危険はある物の、意識を払う程でもない。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
「一度、帰ったなんだろ」
「まあね。どっちにしろ、ここにいても仕方ないし」
誰もいない屋上。
あるのは長い影と、冷たい風。
沈む手前の紅い夕陽くらい。
ここにいる理由はないし、思いもつかない。
家に戻り、ソファーに寝転ぶ。
一気に疲れた気分。
動けないのではなく、動きたくない。
「ご飯は」
「学校で色々食べたから」
「あ、そう。美味しいのに、焼きうどん」
芳ばしい香りと、鉄板の焼ける音。
何とも食欲をそそる状況。
「少しだけ食べる」
箸を持ってきて、お母さんの鉄板から少しだけ取り分ける。
醤油味で、控えめな甘さ。
精神的な飢えを満足させ、お茶をすする。
「あーあ」
「何よ。人が作った物を食べて」
「そうじゃなくて。色々とね」
「思春期だから、悩みもあるよ」
日本酒のグラスを傾けて、優しく笑うお父さん。
確かにその通りなので、空になった湯飲みに日本酒を注ぐ。
やや辛目の味が、喉を過ぎて滑っていく。
「ひょうたん、か」
「え?」
「はい?」
「こっちの話」
訳の分からない事を言って、もう一口飲む。
程良い喉ごし。
ただ、この辛さは変わらない。
「もう、どうでもいいや」
「訳の分からない事言わないで。今さら」
「大丈夫、優?」
突き放すお母さん。
不安げに私を見つめるお父さん。
それに構わず、湯飲みを傾ける。
更けていく秋の夜。
庭から聞こえる虫の音。
長い夜を告げるような。




