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華やかな飾り付け。
軽やかなBGM。
浮き立つような雰囲気に包まれた学内。
綺麗に飾られた正門をくぐり、パンフレットを広げる。
今はここで、教棟がこっちで、グラウンドがこっち。
この辺りは、改めて確認するまでもない配置。
で、世界のカレー特集?
要チェックだな、これは。
場所は第4調理室。
どこだ、それ。
「学外の方ですか」
真顔で語りかけられた。
学内の地図を手に、きょろきょろしてたら仕方ないか。
「ええ、まあ。この第4調理室ってどこか分かりますか」
「正面を真っ直ぐ行って、右の通路へ入り二つ目の建物内にあります」
「どうも」
知らない人に礼を言って歩いていく。
自分の通う学校内を。
というか、こんな大きい敷地の全てを把握する方がおかしいんだ。
漂ってくる良い香り。
地図よりも、これを頼りした方がいいな。
「いらっしゃいませ。入場券はお持ちでしょうか」
ウェイターの恰好をした恰好いい男の子が、笑顔で話しかけてきた。
それはともかく、持ってない。
何だ、有料なのか。
一気に醒めたな。
「持ってません。では、失礼しました」
手を振って、唖然とする彼を残しこの場を去る。
楽しい事は、他にもある。
カレーだけが、私の人生じゃない。
「あ、何してるの」
私の行く手から歩いてくるケイ。
向こうからすれば、私が何をしてるんだという話だろう。
「カレー食べに来た」
「入場券がないと駄目なの。馬鹿だね」
「確かに馬鹿だろうな。入場券を持ってないと」
手の中で振られるカード。
オールフリーパスとの文字が浮き出た。
ケイは私が何かを言うより早く、それをこちらへ放ってきた。
「天満さんからもらったんだよ。秋祭りの謝礼に」
「だったら、これで無料になるって事?」
「入るのは。食べたり買ったりするには、金がいる場合もある。ほら、この前もらったチケットとか」
「中途半端だな」
贅沢いうなと言う台詞を聞き流し、紐を通して首に下げる。
へへ、業界っぽいな。
何業界かは、意味不明だけど。
「一枚だけ?」
「まさか。売り捌けるだけ確保してある」
真顔で言うな、真顔で。
二人してカレーを試食して、少しテイクアウトする。
意味はないけど、意味がないから面白い。
「お土産持って来た」
「ナンか」
いきなりかじるショウ。
カレーも付けずに、ナンをそのまま。
ナンは美味しい食べ物だけど、他の物と一緒に食べるのが普通。
言ってみれば、お米食べているようなものだ。
「固いな」
じゃあ、食べないでよね。
「ここで、何してるの」
「別に。やる事もないし、座ってた」
おじいちゃんみたいな答え。
場所は駐輪場の前。
連絡を取ったらここにいたんだけど、確かに日は当たるし人気は少ない。
日向ぼっこには、丁度良い。
「あー」
壁に背を付き、膝を抱える。
これだけで、世界中の幸せを一人占めした気分。
安上がりで暖かくて、本当に極楽っていうのはいつも身近にあるものだ。
「暖かいな」
隣でしゃがみ込むショウ。
二人で並び、日を浴びる。
風もないし、空は青いし、雲は白いし。
言う事無いな。
「おい。老夫婦よ」
「誰が」
「二人がだ」
ショウと。
私を指差すケイ。
それもそうか。
足を横へ振り、片手を付いて側転気味に立ち上がる。
「じゃあ、どこか行く?」
「二人で行ってくれ。俺は何かと忙しい」
「あ、そう。パスは」
ポケットから出てくるフリーパス。
ショウもそれを首から提げ、お礼を言った。
「忙しいって、仕事でもあるのか」
「俺の事は放っておいてくれ」
「ああ、分かった」
何が分かったんだか。
別に目的はない。
適当に学内を歩き、屋台を冷やかし展示物を見て回る。
それだけで楽しい。
二人一緒なら、なおさらに。
ケイが消えた理由も、何となく分かる。
無論何か用事があったのかも知れないが、気を遣う子だから。
「大食い大会だって。やれば」
「興味ないな」
すごい答えが返ってきた。
だったら普段のあの食欲は、一体全体何なんだ。
「養老の名水だって」
「水だろ」
「違うって。お酒に変わるのよ、お酒に」
「ああ、そっちの話か」
グラスに注がれる水。
一口飲んで、首を傾げる。
水道水よりは美味しいが、ミネラルウォーターと大差ない。
いや。まさに、ミネラルウォーターなんだけどね。
「酒じゃないのか」
怖い事言う子だな。
「孝行息子には、お酒が出てくるの。それに飲むのは、お父さんだよ」
「父さんか。止めた」
ひょうたんに伸ばしていた手を止めるショウ。
私は小さいのを一つ買い、腰に提げる。
はは、何か可愛いな。
「野武士か」
「結構良いと思うんだけどな。水、水入れて下さい」
ひょうたんを外し、水を入れてもらってまた腰に提げる。
二度手間だけど、気にしない。
「傾いてるぞ」
「何が」
「ユウが」
冗談でしょと答えかけ、景色を眺める。
右へ傾いた地面を。
「あれ?」
「ひょうたんくらいで傾くな」
「ぐー。がー」
仕方ないので、ひょうたんを諦める。
「おい」
「気にしないの」
「恥ずかしいんだけど」
ひょうたんを腰に提げるショウ。
じゃあ、さっきの私はどうなんだ。
「いいから。次行こう、次」
「目的はあるのか」
細かい事を言ってきた。
どうも最近、意見が多いな。
「あ、あれ」
「どれだ」
揚げ足まで取ってきた。
この、ひょうたん男が。
一旦、学校の外に出る。
別に逃げた訳じゃない。
記念の写真を撮るためだ。
「イェーイ」
ピースをして、少しジャンプ。
丁度正門に掛かっている、学校の名前が横に並ぶ位置。
「声は写らないぞ」
カメラをしまうショウ。
本当に生真面目というか、融通が利かないというか。
「じゃあ、ショウも」
「撮っても仕方ないだろ」
「いいから、ほら」
強引に彼と位置を代わり、少し下がる。
何となく周囲に、人の気配。
というか、女の子達の気配。
全員がカメラを構え、整列してる。
「あ、あの。よろしいですか」
私にお伺いをたててくる女の子。
駄目ですという事ではないので、位置を譲る。
ショウも動く。
当然女の子達も流れ出す。
「止まるのよ」
一斉に足を止める女の子達。
怯え気味の表情で、肩をすぼめて振り返りつつ。
「ち、違うんだって。ショウッ、正門の前に戻って」
「え、ああ」
首を傾げつつ、正門の前に立つショウ。
直立不動は止めてよね……。
撮影会を終えて、学内に戻る。
写真を撮る必要はないけれど、記念の一つには悪くない。
「被写体発見」
腰を落とし、床を這うようにして駆けていく。
足元を通り抜け、下からシュート。
「きゃっ」
可愛い叫び声。
驚いた顔。
いい一枚が出来上がった。
「何してるの。ショウ、カメラ」
人の頬を左右から引っ張るサトミ。
でもって、それを撮影された。
間の抜けた一枚も出来上がった。
「あのね」
「何よ」
「別に。あーあ、面白くないな」
「自分の顔は、自分では見られない物ね」
根に持つ子だな。。
ちょっとくらい綺麗な顔だからってさ。
いや。ちょっとくらいの騒ぎじゃないか。
「何してるの、サトミは」
「誰もいないから、一人寂しく回ってるの」
「誰もって。私とか」
そこまで言って、口をつぐむ。
私は今、誰といる。
今まで、誰と回ってた。
「いいじゃない、サトミちゃん。私と一緒に回りましょうよ」
「気持ち悪いわね。それと、暑い」
「拗ねないでよ。……いや、暑いか」
彼女から離れ、ひょうたんの水を飲む。
これは意外と、重宝するな。
「戻すな」
「重いから、嫌だ」
「何それ。間が抜けてるにも、程があるわよ」
「俺に言うな」
無愛想に答えるショウ。
全く、何も分かってない人達だな。
「いいから、行くわよ」
「だから、どこへだ。今度は、北門か」
「また、迷子にでもなりたいの」
やいやいうるさい二人。
何となく精神的に追い込まれてきたので、もう一度水を飲む。
もう、空か。
二つあれば、問題ない。
バランスも取れて、なお結構。
私は付けないけどね。
「おい。本気か、これ」
悲痛な声を出すひょうたん男。
「すぐ飲むから大丈夫。そっちは、サトミの分ね」
「人数分付ける気じゃないだろうな」
「ああ、そう言えばショウの分がないね。戻ろうか」
「行くな。止めてくれ」
腕を掴んで懇願してきた。
何となく、人目も気になる。
行動もそうだし、台詞がちょっとね。
「分かったわよ。じゃあ、どこ行く?」
「私は少し休みたいわ」
休むって、まだ何もしてないのに。
もっと弾けて、遊んで、楽しもうって気にならないのかな。
「人が多くて疲れたという意味よ」
「あ、そう。おばあちゃんになったのかと思った。喫茶店とか無いのかな」
「私はあなたより、半年早く生まれただけよ」
細かい子だな。
というか、さらっと流してよね。
「大体、休むにしてもお金がいるでしょ」
「甘い。甘いよ、サトミちゃん」
「何浮かれてるの。あら」
甲高い声を出すサトミ。
私の首に下がっている、フリーパスを見て。
「悪い手口で仕入れたの。サトミも一枚どう?」
「どうって、ケイからもらったんじゃなくて」
「鋭いね。……ケイ、一枚追加。……え、二人まで使用可?じゃあ、もう用はない」
それは向こうの台詞だろう。
つまり今は2枚あるから、4人まで大丈夫という訳か。
最上階で催されてる喫茶店に入り、窓際に座る。
さすがに眺めは良くて、熱田神宮の杜が眼下に見える。
畏れ多いという気もするが、単純に気持のいい眺めではある。
「はは。美味しい」
「無料だからでしょ」
そういうサトミはストレートティー。
レモンティーやミルクティーもあるが、そちらは有料。
私も無料の煎茶をちびちびと飲む。
眺めはいいし、お茶は美味しいし。
気分が落ち着いて、嫌な事も忘れられる。
やっぱり人間、慌てて生きてもいい事は何もないね。
「こんにちは」
落ち着いた声で話しかけてくる、綺麗な女の子。
ブルーのニットシャツに紺のミニスカート。
頭は可愛らしく、ツインテールでまとめている。
でも、どこかで見た子だな。
「覚えてません?」
苦笑する女の子。
脇を突いてくるサトミ。
痛いな。
というか、分かってるなら答えてよ。
「ほら。舞地さんの妹さん」
「ああ。華蓮さん。どうかしたの」
「一度くらい、お姉さんの通う学校を見ておこうと思いまして」
視線をさまよわせる華蓮さん。
「ここにはいないよ。その辺で、猫に煮干しでもやってるんじゃないの」
「名古屋でも?」
「そう。名古屋中の猫を、手下にするつもりみたい」
「逆に利用されてるんじゃないんですか」
楽しそうな笑顔。
お姉さんより明るくて、現実的な思考。
何より愛想がいい。
「庭にいるからね、あの人。今日もその辺にいないかな……。いたいた」
「え、どこに」
窓辺に立ち、顔を寄せる華蓮さん。
サトミも同じ事をするが、同じように首を振る。
「ああ、あそこか」
すぐに頷くショウ。
こういう時は、ちょっと嫌だな。
自分が、鷲か何かになったみたいで。
中庭の少し奥。
木々が生い茂り、人気のない物静かな場所。
下草は枯れ始め、落ち葉が風に揺れている。
「お姉さん」
「華蓮。何してる」
「会いに来たに決まってるじゃない」
「学校は」
一応は姉らしい事を言う舞地さん。
猫に煮干しをやりながらでは、威厳の欠片もないが。
「映未さん達は?」
「知らない。私はあの子の親じゃない」
「冷たいのね」
無言で答えに代える舞地さん。
本当に愛想がないというか、取っつきが悪いというか。
「なに」
「別に。あーあ」
煮干しをかじり、舞地さんに睨まれる。
真下にいた猫にまで。
「ああ、何よ」
睨みながら私の周囲を回り出す猫。
どうしてこう猫は、愛想がないかな。
「がー」
「ふー」
毛を逆立てて、尾を立てた。
ちょっと怖くなったので、小さく跳んで木の枝にしがみつく。
猫は跳んでも届かない距離なので、唸りながら手を出している。
「はは。馬鹿馬鹿」
「雪野がか」
真下からの幾つもの視線。
さすがにショウだけは、少し離れているが。
「うるさいな。やっと」
両手と両足を広げ、猫の上に舞い降りる。
しかしそこは、さすがに猫。
一瞬にしてその場から飛び退き、森の奥へと消えていった。
「勝った」
「偉い偉い」
わざとらしく拍手する舞地さん。
猫の姉御は嫌みだな。
「いいから、姉妹揃ってどこか行ってきたら」
「どこに」
声を揃えて言ってきた。
それは私が知りたいくらいだ。
「知らない。今、いい物上げるから。……フリーパス追加、今すぐ持ってきて。……あ、そう。じゃあ、すぐ持ってきて」
「浦田か」
「その内来るよ」
軽い足取りで現れる浦田君。
顔付きも明るいし、朗らかな笑顔。
さながら別人だ。
「どうぞ」
渡されるパス。
受け取る舞地さん。
笑い出す華蓮さん。
「済みません。つい」
「いいんですよ。僕達双子ですから」
ヒカルの後ろで、無愛想に佇むケイ。
確かにこの二人は、見てるだけで飽きないな。
「こんにちは」
控えめで丁寧な挨拶。
綺麗というより、可愛らしい笑顔。
「エリちゃん。中等部の文化祭は?」
「顔見せです」
「こんにちは。舞地真理依の妹で、華蓮と申します」
「あ、申し遅れました。私は浦田永理。ここにいる二人の妹で、雪野さん達にはいつもお世話になってます」
交わされる、礼儀正しい会話。
誰が大人で、誰が子供かという話だな。
「というか、それなんだ」
ひょうたんを指差すケイ。
私の顔をじっと見ながら。
「可愛いでしょ。その内、お酒が出てくるかもよ」
「あれは息子が、こっそり酒に入れ替えてるんだ。馬鹿親父のために」
夢も何もない話だな。
現実としては、そうかも知れないけどね。
「僕は悪くないと思うよ」
「じゃあ、お前も付けろ」
「恥ずかしいから、嫌だ」
どっちなんだ。
相変わらず、分かんない子だな。
「何集まってるの」
「木之本君。あれ」
彼の後ろ。
小さい顔が3つある。
「こんにちは」
声を揃え、礼儀正しく頭を下げる3人。
木之本兄弟、勢揃いだな。
「みんな、学校は」
「今日は休みなので、見学です」
代表して答えるお姉ちゃん。
他の二人は静かに頷き、大人しくしている。
ここの子は、みんな優しいし可愛いな。
遺伝なのか、親の教育がいいのか。
多分、両方だろう。
私の場合は、遺伝があれだし。
「流衣さんは」
「姉さん?風成と来るとか言ってたな」
「呼んで」
少ししてやってくる玲阿夫妻。
しかし見た目は、美女と野獣だな。
「何だ、この集団は」
「まだまだ、これからです。サトミ、秀邦さんは」
「知らないわよ。東京じゃないの」
「呼んで」
「人の話を聞きなさいよね」
ため息混じりに取り出される端末。
間を置かずやってくる秀邦さん。
どうやら、学内にいたらしい。
知ってたな、この女。
玲阿姉弟に従兄弟。
遠野兄妹。
浦田兄弟に妹。
木之本兄弟に妹。
舞地姉妹。
壮観というか、揃えてみれば揃うものだな。
みんな楽しそうだし、笑ってるし。
知らない人同士も盛り上がっていて、こっちまで嬉しくなってくる。
兄弟は兄弟で、より仲が良くて。
ちょっと、待てよ。
「ユウ、何してるの」
「いや。妹がいないかなと思って」
見上げた木の上には誰もいなく、せいぜいハトに睨まれただけ。
ちょっと、寂しいな。
「もういいっ」
「何がいいのよ」
「うるさいな。私は私で生きていく。もう、誰にも迷惑は掛けない」
「いい事聞いたわ」
安堵のため息を付くサトミ。
それを背中で聞きながら、この場を離れる。
私は今も昔も、一人で生きていくんだから。
さすがに水を飲み過ぎた。
今からは、少し自重しよう。
ひょうたんも無いし。
「絵画展示中、か」
ドアの横にある、どこかで観た絵。
興味があるというより、確認した方が良さそうだな。
観るだけなので、入るのにパスは必要なし。
愛想良く笑うスーツ姿の女性に笑いかけ、奥の展示コーナーへと進んでいく。
繊細なタッチ。
切なさと温かさを小さな四角の中に収めた一片の絵。
深い緑の山々。
その奥へと沈む夕陽。
緑と赤の重ならない色が合わさって、光と闇の間が不思議な色に溶けている。
「お気に召しましたか」
すごい口調で語りかけてくる女性。
「ええ、まあ」
適当に答え、下にある説明を見る。
タイトルはそのまま、「夏の山」
作者は思った通り、「高畑 風」
どうしてあの子の絵が、こんな所にあるのかな。
「こちらの作品は、比較的お求めやすい価格になってますが」
「価格?」
なんだそれ。
女性は私の戸惑いも気にせず、展示されている絵の一覧表を見せてきた。
高畑さんの絵は意外と多く、7点ある。
しかし、何でも売り物にする学校だな。
「本人の許可は得てあるんですか」
「ええ、勿論です。この方と、お知り合いですか」
「多少」
事情を説明する気にもなれず、釈然としないまま一覧表を見る。
またあった。
「えーと、この絵は」
「こちらへどうぞ」
壁を隔てた、その裏。
水彩画のコーナー。
淡いタッチで軽い絵風。
高畑さんの様な写実的な絵ではなく、どちらかといえば抽象的。
キャップを被った女の子が、薄暗い景色の中で車の前に佇んでいる。
タイトルは、「つかの間の休息」
作者は当然、「M-A」
さすがに詩までは、添えてない。
「こちらの作品は、ご購入頂きますと作者の詩もお渡し出来ます」
結局付いてくるのか。
どちらにしろ、買う物じゃない。
というか、どっちも家にある。
「わっ」
「ど、どうかなさいましたか」
「こ、この、この絵は」
「こ、こちらへどうぞ」
やってきたのは、もっと明るい感じのコーナー。
色調も明るい物が多く、華やいだ雰囲気という言葉が当てはまる。
「うわ」
ディフォルメされた、横に大きなニンジン。
後ろ足で立ち上がる猫。
するめ、などという訳の分からない物まである。
「なんだ、これ」
「ご、ご興味が、おありですか?」
「あるというか、作者は誰ですか」
「え、ええ。こちらです」
手で示される、絵の下の説明書き。
なる程。興奮してて、見てなかった。
また、すごい名前だな。
「まんまる・U」って。
「この絵は、本人じゃなくて誰かが持ち込んだんですよね」
「ええ」
「名前の由来は……。いや、結構です」
聞かなくても分かってる。
誰が持ち込んだかも、名前の意味も。
丸いから、まんまる。
Uはそのまま、優だ。
「どうにかならないのかな」
「は、はい?」
「いや。この絵を撤去するって事は?」
「何か、問題でも?」
不安そうな表情。
そういう顔をされると、こっちも困る。
ただ、このまま恥をさらすよりはいい。
「意外と売れ行きはいいんですよ」
「え、本当?」
調子に乗りかけて、がくっとする。
よく見ると、値段が違う。
池上さんの絵は勿論、高畑さんのとは二桁以上。
何というのか、子供でも買える値段。
いいけどね。売れないよりは。
「足りないので、追加を頼みたいくらいなんです」
「簡単そうな絵に見えるけど、描くのは意外と大変なの」
「作者の方と、お知り合いなんですか?」
目を輝かせる女性。
すでにはまった感じだな。
「知り合いというか、何というか。知らない仲ではありません」
「でしたら、野菜の絵を何点かお願い出来ますか?」
「だから、描くのは結構面倒なんだって」
「ストックはないんでしょうか」
引き出しの中にはあるのかな。
第一描いた先から人にあげるか捨てるので、ストックなんて持ってない。
「バイヤーはどこにいるんです、バイヤーは」
「え、ああ。はい。連絡を取ってみます」
「お願いします。私も、バイヤーと話し合ってみますから」
来たよ、バイヤーが。
長い髪と、長い足をひっさげて。
「ヘロー」
馬鹿げた挨拶と共に。
「へろーじゃないの。何、あの絵は」
「いいじゃない。お金は全部、雪ちゃんに渡すから」
「そういう問題じゃないの」
「じゃあ、お金はいらないの?」
いや。お金は単純に欲しいけどさ。
あって困る物でもないし。
「だったら、問題ないわね」
「あ、うん」
「さっき聞いた通り、バックオーダーが入ってるから。在庫を持ってくるか、今すぐ描くか。早くお願い」
「あ、分かった」
気付いたら小さな画用紙を前にして、ペンを持っていた。
丸め込まれたという気がしないでもない。
「華蓮さん来てたよ」
「みたいね」
チョコバーをかじりながら私を見下ろす池上さん。
まさかとは思うが、監視してるんじゃないだろうな。
「あの子って今、真理依よりも大きいんじゃなくて」
「私よりも大きい」
「当たり前の事言わないで」
怒られたよ。
仕方ないので、池上さんでも描こうかな。
髪が長くて、足が長くて、綺麗だけど怖くて。
サトミにも似てるが、もう少し大人というか丸みはある。
「何、それ」
「さあ。雪女じゃないの。とにかく、一枚出来た」
「こんなの、売れるの?」
「私に聞かないでよ。大体、野菜が売れる事自体どうかしてる」
本当、何が楽しくてダイコンの絵なんて買うのかな。
それに大根は食べる物で、観る物じゃない。
「池上さんの絵は、売れてるの?」
「まさか。私のは、場所を埋めるために飾ってあるだけ。売れる程の内容じゃないわ」
冷静な。
謙遜もあるだろうが、かなり割り切った考え方。
自分への客観的な視線とでも言うんだろうか。
「じゃあ、メインは?」
「風ちゃんね。本人は嫌がったけど」
「絵描きにでもなるのかな」
「短絡的ね、あなたは。でも、そのくらいの才能はあのかも」
どっちなんだ。
「じゃあ、どうするの。池上さんは、将来」
「怖い事言わないで。私、まだ17よ」
「そうだけどさ。気にならない?」
「この学校にいれば、いい所に就職出来るんでしょ。それに私、外面はいいから」
自分で言わないでよね。
しかし結局、先走ってるのは私だけか。
いや。ショウもいる。
いいんだ、二人でどこまでも突っ走れば。
その先に、崖があるのに気付いてないだけかも知れないけど……。
「名雲さんは」
「さあ。智美ちゃんとデートじゃないの」
さらっと言うな、この人は。
しかし、十分あり得る話だぞ。
「こんな事してる場合じゃない」
ペンを置き、席を立つ。
そんな不純異性交遊を見逃すなんて、許されるはずがない。
純粋な交際を邪魔するのも、許されるはずないかも知れないけどさ。
「どこ、どこにいるの」
「探せば。あなた、ここに2年も通ってるんだし」
「私はこの学校の事の、1/10も分かってない」
「自慢する話でもないでしょう。世の中、丸いだけじゃ生きていけないのよ」
そんな事は分かってる。
というか、丸くない。
ショートヘアのせいで丸く見えるだけだ。多分。
「自分こそ、玲阿君とどこか言ってきたら」
「人にこういう事やらせておいて、今さら何言ってるの」
「そうだったわね。じゃあ、もういいわ。消えなさい」
お許しが出たよ。
この人、その内一回とっちめてやりたいな。
こっちは、年中とっちめられてるけど。
「でも、あのひょうたんは止めた方がいいわよ」
「……どうして知ってるの。それと、あれはあれで可愛いの。重宝するし」
「可愛いって柄じゃないでしょう、玲阿君は」
髪をかき上げ、鼻で笑う池上さん。
優雅に、大人っぽく。
なんでもない、だけど相手へ強い印象を与えるような仕草。
私も髪をかき上げ、同じように鼻で笑ってみる。
「かゆいの?」
「あのね。あーあ、髪伸ばそうかな」
「伸ばせばいいじゃない。一度、玲阿君の好みを聞いてみたら」
「別に、あの子のためって訳じゃ無いんだけど。それに伸ばしても、似合うかどうか」
だったら誰のために伸ばすかという話でもあるが。
高畑さんの絵の前に陣取ってぐだぐだ話していると、可愛い子がやって来た。
ひょうたんを下げたショウではなく、柳君が。
「わっ」
変な声を出して後ずさる柳君。
露骨に怪しいし、すでに逃げ出している。
「どうしたのよ」
「い、いや。別に。ここじゃなかった」
「じゃあ、どこなの。お姉さんに話してみなさい」
愛想のいい表情。優しい口調。
だからこそのプレッシャー。
柳君は壁際につまり、魔女のように微笑む池上さんに見下ろされた。
「ぼ、僕は別に。ただちょっと、歩いてただけで」
「昨日からいないと思ってたのよね。名雲君とも一緒じゃないし」
「ほ、ほら。名雲さんは、元野さんと遊んでるから。邪魔したら、悪いなって」
「いつも邪魔してるじゃない。雪ちゃん程じゃないにしても」
人の名前を出すな。
いや。邪魔してる事は、否定しないけど。
「司君。どこ」
少し高めの、可愛らしい声。
コーナーから現れる、大きな目をした可愛らしい女の子。
少し早めのスカジャンと、赤のミニスカート。
顔付きはまだ幼い感じがしなくもない。
というか、司君ってなんだ。
「あ、いた。急にどうしたの。絵を観るって言ってたのに」
「あら。あらら。あれ、ああ。そういう事」
手を叩き、一人で盛り上がる池上さん。
まさか、柳君の彼女とか言わないだろうな。
そういう事は私の許可を得て、しかるべき審査を経てからにして欲しい。
「えーと。従兄弟だった?」
「いえ。従兄弟の娘です」
明るく、天真爛漫な笑顔で答える女の子。
なる程。親戚か。
一安心、という訳でも無さそうだな。
柳君を見つめる眼差しや、二人の近過ぎる距離を見ていたら。
「学校が休みになったので、司君と遊ぼうと思って」
「いい事じゃない。この子、滅多に対馬へは帰らないし」
「本当。もう少し来てくれると、私も嬉しいんだけど」
寂しげで、切ない微笑み。
それとなく視線を外す柳君。
後ろを通っていく人の足音。
誰かの笑い声。
ここだけにある、さっきまでは無かったはずの沈黙。
「じゃあ、行ってくれば」
「はい?」
「二人でこの学校を、ぐるぐる回ればいいって事。別に対馬じゃないと駄目って訳でもないんだしさ」
二人をぐいぐい押して、展示コーナーから追い出す。
後は知らない。
この先は二人の問題で、二人で解決して楽しめばいいだけだ。
何か、むかつくけどさ。
「彼女じゃないの、結局?」
「前話したでしょ。柳君のご両親が亡くなられた後に、あの子の家で育てられたの。確か1つ下かな」
「それにしては、お姉さん気取りじゃない」
「柳君が、ああいう性格だから。私達が気にする事でもないでしょ」
同意を求める表情。
そういう考え方も、無くはないだろう。
納得しろと言えば、かなり難しいが。
「あーあ。彼女か」
「雪ちゃんだって、彼氏がいるじゃない」
「それは、その。あれ」
「どれよ。下らない事言ってないで、表で遊んできなさい」
私は子供か。
あんず飴をかじりながらでは、否定のしようもないが。
「よう」
気楽に手を上げる名雲さん。
その横で、居心地悪そうに私から顔を逸らすモトちゃん。
全く、何をやってるんだか。
いや。私がね。
「デートですか」
「まあな」
あっさり認められると、こっちが惨めになってくるな。
いいか。私はあんず飴でもかじってれば。
「それって、かじるお菓子?」
「ストレスを逃がしてるの」
「いいわ。指をかじらないだけ」
人をタコと同類にするとは、私もいい友達を持った。
でもって、さらに飴をかじる。
「恥ずかしいから止めて。サトミ達は、どうしたの」
「兄弟と親睦を深めてる」
さっきの経緯を簡単に説明し、棒をかじる。
これに甘みが染みてて、また美味しいんだ。
「ちょっと、いい加減にしなさい。もう、飴はないでしょう」
「まだ甘い」
「お前は、前世で飢え死にでもしたのか」
大笑いする名雲さん。
誰にって、この人には言われたくない台詞だな。
「そんな事より、柳君が彼女連れてた。あれは、どうなってるの」
「彼女だ?あいつ、そんなのいたかな」
「目が大きくて、気が強そうな。対馬生まれの」
「ツシマヤマネコ?ヤマネコと彼女を間違えてるの?」
真顔で指摘された。
猫と親しいのは、舞地さんだけだ。
「ああ、分かった。従兄弟のなんとかっていう、あれか。柳が育てられた家の子」
「そう、それ。猫じゃないよ、猫じゃ」
モトちゃんを見ながら頷き、彼女へプレッシャーを与える。
別に意味はない。
日頃の憂さ晴らし、という事以外は。
「名古屋に来てるのか。何しに来てる?」
「私に聞かないで。お姉さん気取りで、柳君と楽しそうだったけどさ」
「ユウが気にする事無いでしょ。それよりも、棒をかじるの止めて」
そう言われて、ようやく思い出す。
何というのか、木の味しかしないな。
「名雲さんはいないの。兄弟とか」
「俺と池上は一人だ」
「私も。ユウも、そうよね」
「へへ。仲間」
二人の肩を叩き、その幸せを祝福する。
さっきまでの疎外感が、少しは消えた。
「じゃあ、二人で楽しんできなさい」
「随分、大人の立場だな」
「放っておきましょう」
あっさりと私を見捨て去っていく二人。
その背中を見送り、一人取り残される。
すぐにやってくる疎外感。
いや。孤独感か。
「いた。何してるんだ」
苦笑気味にやってくるショウ。
相変わらず、腰にひょうたんを提げながら。
私とはずっと離れていて、それを外しても大丈夫だったのに。
律儀につけ続け、今もこうして私を探しに来てくれた。
「ちょっとね。喉乾いたかな」
「好きにしろ」
手渡されるひょうたん。
さっきよりも冷たい喉ごし。
意味ありげに笑うショウ。
そんな彼の肩に触れ、感謝の意を告げる。
潤った喉。
潤う心。
この冷たさと同じくらいの、彼の温かさに。




