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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第23話
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     23-7




 華やかな飾り付け。 

 軽やかなBGM。

 浮き立つような雰囲気に包まれた学内。

 綺麗に飾られた正門をくぐり、パンフレットを広げる。

 今はここで、教棟がこっちで、グラウンドがこっち。

 この辺りは、改めて確認するまでもない配置。


 で、世界のカレー特集?

 要チェックだな、これは。

 場所は第4調理室。

 どこだ、それ。


「学外の方ですか」

 真顔で語りかけられた。 

 学内の地図を手に、きょろきょろしてたら仕方ないか。

「ええ、まあ。この第4調理室ってどこか分かりますか」

「正面を真っ直ぐ行って、右の通路へ入り二つ目の建物内にあります」

「どうも」

 知らない人に礼を言って歩いていく。

 自分の通う学校内を。

 というか、こんな大きい敷地の全てを把握する方がおかしいんだ。


 漂ってくる良い香り。

 地図よりも、これを頼りした方がいいな。

「いらっしゃいませ。入場券はお持ちでしょうか」

 ウェイターの恰好をした恰好いい男の子が、笑顔で話しかけてきた。

 それはともかく、持ってない。

 何だ、有料なのか。

 一気に醒めたな。

「持ってません。では、失礼しました」

 手を振って、唖然とする彼を残しこの場を去る。

 楽しい事は、他にもある。

 カレーだけが、私の人生じゃない。


「あ、何してるの」

 私の行く手から歩いてくるケイ。 

 向こうからすれば、私が何をしてるんだという話だろう。

「カレー食べに来た」

「入場券がないと駄目なの。馬鹿だね」

「確かに馬鹿だろうな。入場券を持ってないと」

 手の中で振られるカード。

 オールフリーパスとの文字が浮き出た。


 ケイは私が何かを言うより早く、それをこちらへ放ってきた。

「天満さんからもらったんだよ。秋祭りの謝礼に」

「だったら、これで無料になるって事?」

「入るのは。食べたり買ったりするには、金がいる場合もある。ほら、この前もらったチケットとか」

「中途半端だな」

 贅沢いうなと言う台詞を聞き流し、紐を通して首に下げる。

 へへ、業界っぽいな。

 何業界かは、意味不明だけど。

「一枚だけ?」

「まさか。売り捌けるだけ確保してある」

 真顔で言うな、真顔で。



 二人してカレーを試食して、少しテイクアウトする。

 意味はないけど、意味がないから面白い。

「お土産持って来た」

「ナンか」 

 いきなりかじるショウ。

 カレーも付けずに、ナンをそのまま。 

 ナンは美味しい食べ物だけど、他の物と一緒に食べるのが普通。

 言ってみれば、お米食べているようなものだ。

「固いな」

 じゃあ、食べないでよね。 

「ここで、何してるの」

「別に。やる事もないし、座ってた」

 おじいちゃんみたいな答え。

 場所は駐輪場の前。

 連絡を取ったらここにいたんだけど、確かに日は当たるし人気は少ない。 

 日向ぼっこには、丁度良い。

「あー」 

 壁に背を付き、膝を抱える。

 これだけで、世界中の幸せを一人占めした気分。

 安上がりで暖かくて、本当に極楽っていうのはいつも身近にあるものだ。

「暖かいな」

 隣でしゃがみ込むショウ。 

 二人で並び、日を浴びる。

 風もないし、空は青いし、雲は白いし。

 言う事無いな。


「おい。老夫婦よ」

「誰が」

「二人がだ」

 ショウと。

 私を指差すケイ。

 それもそうか。

 足を横へ振り、片手を付いて側転気味に立ち上がる。 

「じゃあ、どこか行く?」

「二人で行ってくれ。俺は何かと忙しい」

「あ、そう。パスは」

 ポケットから出てくるフリーパス。

 ショウもそれを首から提げ、お礼を言った。

「忙しいって、仕事でもあるのか」

「俺の事は放っておいてくれ」

「ああ、分かった」

 何が分かったんだか。



 別に目的はない。 

 適当に学内を歩き、屋台を冷やかし展示物を見て回る。

 それだけで楽しい。

 二人一緒なら、なおさらに。

 ケイが消えた理由も、何となく分かる。

 無論何か用事があったのかも知れないが、気を遣う子だから。

「大食い大会だって。やれば」

「興味ないな」

 すごい答えが返ってきた。

 だったら普段のあの食欲は、一体全体何なんだ。

「養老の名水だって」

「水だろ」

「違うって。お酒に変わるのよ、お酒に」

「ああ、そっちの話か」

 グラスに注がれる水。

 一口飲んで、首を傾げる。

 水道水よりは美味しいが、ミネラルウォーターと大差ない。

 いや。まさに、ミネラルウォーターなんだけどね。

「酒じゃないのか」

 怖い事言う子だな。

「孝行息子には、お酒が出てくるの。それに飲むのは、お父さんだよ」

「父さんか。止めた」

 ひょうたんに伸ばしていた手を止めるショウ。

 私は小さいのを一つ買い、腰に提げる。  

 はは、何か可愛いな。

「野武士か」

「結構良いと思うんだけどな。水、水入れて下さい」

 ひょうたんを外し、水を入れてもらってまた腰に提げる。

 二度手間だけど、気にしない。

「傾いてるぞ」

「何が」

「ユウが」

 冗談でしょと答えかけ、景色を眺める。

 右へ傾いた地面を。

「あれ?」

「ひょうたんくらいで傾くな」

「ぐー。がー」 

 仕方ないので、ひょうたんを諦める。

「おい」

「気にしないの」

「恥ずかしいんだけど」 

 ひょうたんを腰に提げるショウ。

 じゃあ、さっきの私はどうなんだ。

「いいから。次行こう、次」

「目的はあるのか」

 細かい事を言ってきた。

 どうも最近、意見が多いな。

「あ、あれ」

「どれだ」 

 揚げ足まで取ってきた。

 この、ひょうたん男が。



 一旦、学校の外に出る。

 別に逃げた訳じゃない。

 記念の写真を撮るためだ。

「イェーイ」

 ピースをして、少しジャンプ。 

 丁度正門に掛かっている、学校の名前が横に並ぶ位置。

「声は写らないぞ」 

 カメラをしまうショウ。

 本当に生真面目というか、融通が利かないというか。

「じゃあ、ショウも」

「撮っても仕方ないだろ」

「いいから、ほら」

 強引に彼と位置を代わり、少し下がる。

 何となく周囲に、人の気配。

 というか、女の子達の気配。

 全員がカメラを構え、整列してる。

「あ、あの。よろしいですか」

 私にお伺いをたててくる女の子。

 駄目ですという事ではないので、位置を譲る。

 ショウも動く。

 当然女の子達も流れ出す。

「止まるのよ」 

 一斉に足を止める女の子達。

 怯え気味の表情で、肩をすぼめて振り返りつつ。

「ち、違うんだって。ショウッ、正門の前に戻って」

「え、ああ」

 首を傾げつつ、正門の前に立つショウ。

 直立不動は止めてよね……。



 撮影会を終えて、学内に戻る。

 写真を撮る必要はないけれど、記念の一つには悪くない。

「被写体発見」

 腰を落とし、床を這うようにして駆けていく。

 足元を通り抜け、下からシュート。

「きゃっ」

 可愛い叫び声。

 驚いた顔。

 いい一枚が出来上がった。

「何してるの。ショウ、カメラ」

 人の頬を左右から引っ張るサトミ。

 でもって、それを撮影された。

 間の抜けた一枚も出来上がった。

「あのね」

「何よ」

「別に。あーあ、面白くないな」 

「自分の顔は、自分では見られない物ね」

 根に持つ子だな。。

 ちょっとくらい綺麗な顔だからってさ。

 いや。ちょっとくらいの騒ぎじゃないか。


「何してるの、サトミは」

「誰もいないから、一人寂しく回ってるの」 

「誰もって。私とか」

 そこまで言って、口をつぐむ。

 私は今、誰といる。 

 今まで、誰と回ってた。

「いいじゃない、サトミちゃん。私と一緒に回りましょうよ」

「気持ち悪いわね。それと、暑い」

「拗ねないでよ。……いや、暑いか」

 彼女から離れ、ひょうたんの水を飲む。 

 これは意外と、重宝するな。

「戻すな」

「重いから、嫌だ」

「何それ。間が抜けてるにも、程があるわよ」

「俺に言うな」

 無愛想に答えるショウ。

 全く、何も分かってない人達だな。

「いいから、行くわよ」

「だから、どこへだ。今度は、北門か」

「また、迷子にでもなりたいの」

 やいやいうるさい二人。

 何となく精神的に追い込まれてきたので、もう一度水を飲む。

 もう、空か。



 二つあれば、問題ない。

 バランスも取れて、なお結構。

 私は付けないけどね。

「おい。本気か、これ」

 悲痛な声を出すひょうたん男。

「すぐ飲むから大丈夫。そっちは、サトミの分ね」

「人数分付ける気じゃないだろうな」

「ああ、そう言えばショウの分がないね。戻ろうか」

「行くな。止めてくれ」 

 腕を掴んで懇願してきた。 

 何となく、人目も気になる。

 行動もそうだし、台詞がちょっとね。

「分かったわよ。じゃあ、どこ行く?」

「私は少し休みたいわ」

 休むって、まだ何もしてないのに。

 もっと弾けて、遊んで、楽しもうって気にならないのかな。

「人が多くて疲れたという意味よ」

「あ、そう。おばあちゃんになったのかと思った。喫茶店とか無いのかな」

「私はあなたより、半年早く生まれただけよ」

 細かい子だな。

 というか、さらっと流してよね。

「大体、休むにしてもお金がいるでしょ」

「甘い。甘いよ、サトミちゃん」

「何浮かれてるの。あら」

 甲高い声を出すサトミ。

 私の首に下がっている、フリーパスを見て。

「悪い手口で仕入れたの。サトミも一枚どう?」

「どうって、ケイからもらったんじゃなくて」

「鋭いね。……ケイ、一枚追加。……え、二人まで使用可?じゃあ、もう用はない」

 それは向こうの台詞だろう。

 つまり今は2枚あるから、4人まで大丈夫という訳か。


 最上階で催されてる喫茶店に入り、窓際に座る。 

 さすがに眺めは良くて、熱田神宮の杜が眼下に見える。 

 畏れ多いという気もするが、単純に気持のいい眺めではある。

「はは。美味しい」

「無料だからでしょ」

 そういうサトミはストレートティー。

 レモンティーやミルクティーもあるが、そちらは有料。

 私も無料の煎茶をちびちびと飲む。

 眺めはいいし、お茶は美味しいし。

 気分が落ち着いて、嫌な事も忘れられる。

 やっぱり人間、慌てて生きてもいい事は何もないね。

「こんにちは」

 落ち着いた声で話しかけてくる、綺麗な女の子。

 ブルーのニットシャツに紺のミニスカート。

 頭は可愛らしく、ツインテールでまとめている。

 でも、どこかで見た子だな。

「覚えてません?」

 苦笑する女の子。

 脇を突いてくるサトミ。

 痛いな。

 というか、分かってるなら答えてよ。

「ほら。舞地さんの妹さん」

「ああ。華蓮かれんさん。どうかしたの」

「一度くらい、お姉さんの通う学校を見ておこうと思いまして」

 視線をさまよわせる華蓮さん。 

「ここにはいないよ。その辺で、猫に煮干しでもやってるんじゃないの」

「名古屋でも?」

「そう。名古屋中の猫を、手下にするつもりみたい」

「逆に利用されてるんじゃないんですか」

 楽しそうな笑顔。

 お姉さんより明るくて、現実的な思考。

 何より愛想がいい。

「庭にいるからね、あの人。今日もその辺にいないかな……。いたいた」

「え、どこに」

 窓辺に立ち、顔を寄せる華蓮さん。 

 サトミも同じ事をするが、同じように首を振る。

「ああ、あそこか」 

 すぐに頷くショウ。

 こういう時は、ちょっと嫌だな。 

 自分が、鷲か何かになったみたいで。



 中庭の少し奥。 

 木々が生い茂り、人気のない物静かな場所。

 下草は枯れ始め、落ち葉が風に揺れている。

「お姉さん」

「華蓮。何してる」

「会いに来たに決まってるじゃない」

「学校は」

 一応は姉らしい事を言う舞地さん。

 猫に煮干しをやりながらでは、威厳の欠片もないが。

「映未さん達は?」

「知らない。私はあの子の親じゃない」

「冷たいのね」

 無言で答えに代える舞地さん。

 本当に愛想がないというか、取っつきが悪いというか。

「なに」

「別に。あーあ」

 煮干しをかじり、舞地さんに睨まれる。

 真下にいた猫にまで。

「ああ、何よ」

 睨みながら私の周囲を回り出す猫。

 どうしてこう猫は、愛想がないかな。

「がー」

「ふー」

 毛を逆立てて、尾を立てた。

 ちょっと怖くなったので、小さく跳んで木の枝にしがみつく。

 猫は跳んでも届かない距離なので、唸りながら手を出している。

「はは。馬鹿馬鹿」

「雪野がか」

 真下からの幾つもの視線。

 さすがにショウだけは、少し離れているが。

「うるさいな。やっと」

 両手と両足を広げ、猫の上に舞い降りる。

 しかしそこは、さすがに猫。

 一瞬にしてその場から飛び退き、森の奥へと消えていった。

「勝った」

「偉い偉い」

 わざとらしく拍手する舞地さん。

 猫の姉御は嫌みだな。

「いいから、姉妹揃ってどこか行ってきたら」

「どこに」

 声を揃えて言ってきた。

 それは私が知りたいくらいだ。

「知らない。今、いい物上げるから。……フリーパス追加、今すぐ持ってきて。……あ、そう。じゃあ、すぐ持ってきて」

「浦田か」

「その内来るよ」



 軽い足取りで現れる浦田君。

 顔付きも明るいし、朗らかな笑顔。

 さながら別人だ。

「どうぞ」

 渡されるパス。

 受け取る舞地さん。

 笑い出す華蓮さん。

「済みません。つい」

「いいんですよ。僕達双子ですから」

 ヒカルの後ろで、無愛想に佇むケイ。

 確かにこの二人は、見てるだけで飽きないな。

「こんにちは」

 控えめで丁寧な挨拶。 

 綺麗というより、可愛らしい笑顔。 

「エリちゃん。中等部の文化祭は?」

「顔見せです」

「こんにちは。舞地真理依の妹で、華蓮と申します」

「あ、申し遅れました。私は浦田永理。ここにいる二人の妹で、雪野さん達にはいつもお世話になってます」

 交わされる、礼儀正しい会話。

 誰が大人で、誰が子供かという話だな。

「というか、それなんだ」

 ひょうたんを指差すケイ。

 私の顔をじっと見ながら。

「可愛いでしょ。その内、お酒が出てくるかもよ」

「あれは息子が、こっそり酒に入れ替えてるんだ。馬鹿親父のために」 

 夢も何もない話だな。

 現実としては、そうかも知れないけどね。

「僕は悪くないと思うよ」

「じゃあ、お前も付けろ」

「恥ずかしいから、嫌だ」

 どっちなんだ。

 相変わらず、分かんない子だな。

「何集まってるの」

「木之本君。あれ」

 彼の後ろ。

 小さい顔が3つある。

「こんにちは」

 声を揃え、礼儀正しく頭を下げる3人。 

 木之本兄弟、勢揃いだな。

「みんな、学校は」

「今日は休みなので、見学です」

 代表して答えるお姉ちゃん。

 他の二人は静かに頷き、大人しくしている。

 ここの子は、みんな優しいし可愛いな。

 遺伝なのか、親の教育がいいのか。 

 多分、両方だろう。

 私の場合は、遺伝があれだし。

「流衣さんは」

「姉さん?風成と来るとか言ってたな」

「呼んで」


 少ししてやってくる玲阿夫妻。

 しかし見た目は、美女と野獣だな。

「何だ、この集団は」

「まだまだ、これからです。サトミ、秀邦さんは」

「知らないわよ。東京じゃないの」

「呼んで」

「人の話を聞きなさいよね」

 ため息混じりに取り出される端末。

 間を置かずやってくる秀邦さん。

 どうやら、学内にいたらしい。

 知ってたな、この女。


 玲阿姉弟に従兄弟。 

 遠野兄妹。

 浦田兄弟に妹。

 木之本兄弟に妹。

 舞地姉妹。

 壮観というか、揃えてみれば揃うものだな。

 みんな楽しそうだし、笑ってるし。

 知らない人同士も盛り上がっていて、こっちまで嬉しくなってくる。

 兄弟は兄弟で、より仲が良くて。

 ちょっと、待てよ。

「ユウ、何してるの」

「いや。妹がいないかなと思って」 

 見上げた木の上には誰もいなく、せいぜいハトに睨まれただけ。

 ちょっと、寂しいな。

「もういいっ」

「何がいいのよ」

「うるさいな。私は私で生きていく。もう、誰にも迷惑は掛けない」

「いい事聞いたわ」

 安堵のため息を付くサトミ。

 それを背中で聞きながら、この場を離れる。

 私は今も昔も、一人で生きていくんだから。



 さすがに水を飲み過ぎた。

 今からは、少し自重しよう。

 ひょうたんも無いし。

「絵画展示中、か」

 ドアの横にある、どこかで観た絵。

 興味があるというより、確認した方が良さそうだな。

 観るだけなので、入るのにパスは必要なし。

 愛想良く笑うスーツ姿の女性に笑いかけ、奥の展示コーナーへと進んでいく。


 繊細なタッチ。

 切なさと温かさを小さな四角の中に収めた一片の絵。

 深い緑の山々。

 その奥へと沈む夕陽。

 緑と赤の重ならない色が合わさって、光と闇の間が不思議な色に溶けている。

「お気に召しましたか」

 すごい口調で語りかけてくる女性。

「ええ、まあ」

 適当に答え、下にある説明を見る。

 タイトルはそのまま、「夏の山」

 作者は思った通り、「高畑 風」

 どうしてあの子の絵が、こんな所にあるのかな。

「こちらの作品は、比較的お求めやすい価格になってますが」

「価格?」

 なんだそれ。

 女性は私の戸惑いも気にせず、展示されている絵の一覧表を見せてきた。

 高畑さんの絵は意外と多く、7点ある。

 しかし、何でも売り物にする学校だな。

「本人の許可は得てあるんですか」

「ええ、勿論です。この方と、お知り合いですか」

「多少」

 事情を説明する気にもなれず、釈然としないまま一覧表を見る。

 またあった。

「えーと、この絵は」

「こちらへどうぞ」


 壁を隔てた、その裏。

 水彩画のコーナー。

 淡いタッチで軽い絵風。

 高畑さんの様な写実的な絵ではなく、どちらかといえば抽象的。

 キャップを被った女の子が、薄暗い景色の中で車の前に佇んでいる。

 タイトルは、「つかの間の休息」

 作者は当然、「M-A」

 さすがに詩までは、添えてない。

「こちらの作品は、ご購入頂きますと作者の詩もお渡し出来ます」

 結局付いてくるのか。 

 どちらにしろ、買う物じゃない。

 というか、どっちも家にある。

「わっ」

「ど、どうかなさいましたか」

「こ、この、この絵は」

「こ、こちらへどうぞ」


 やってきたのは、もっと明るい感じのコーナー。

 色調も明るい物が多く、華やいだ雰囲気という言葉が当てはまる。

「うわ」

 ディフォルメされた、横に大きなニンジン。

 後ろ足で立ち上がる猫。

 するめ、などという訳の分からない物まである。

「なんだ、これ」

「ご、ご興味が、おありですか?」

「あるというか、作者は誰ですか」

「え、ええ。こちらです」

 手で示される、絵の下の説明書き。

 なる程。興奮してて、見てなかった。

 また、すごい名前だな。

 「まんまる・U」って。

「この絵は、本人じゃなくて誰かが持ち込んだんですよね」

「ええ」

「名前の由来は……。いや、結構です」

 聞かなくても分かってる。

 誰が持ち込んだかも、名前の意味も。

 丸いから、まんまる。

 Uはそのまま、優だ。

「どうにかならないのかな」

「は、はい?」

「いや。この絵を撤去するって事は?」

「何か、問題でも?」

 不安そうな表情。

 そういう顔をされると、こっちも困る。

 ただ、このまま恥をさらすよりはいい。

「意外と売れ行きはいいんですよ」

「え、本当?」 

 調子に乗りかけて、がくっとする。

 よく見ると、値段が違う。

 池上さんの絵は勿論、高畑さんのとは二桁以上。

 何というのか、子供でも買える値段。

 いいけどね。売れないよりは。

「足りないので、追加を頼みたいくらいなんです」

「簡単そうな絵に見えるけど、描くのは意外と大変なの」

「作者の方と、お知り合いなんですか?」

 目を輝かせる女性。

 すでにはまった感じだな。

「知り合いというか、何というか。知らない仲ではありません」

「でしたら、野菜の絵を何点かお願い出来ますか?」

「だから、描くのは結構面倒なんだって」

「ストックはないんでしょうか」 

 引き出しの中にはあるのかな。

 第一描いた先から人にあげるか捨てるので、ストックなんて持ってない。

「バイヤーはどこにいるんです、バイヤーは」

「え、ああ。はい。連絡を取ってみます」

「お願いします。私も、バイヤーと話し合ってみますから」



 来たよ、バイヤーが。

 長い髪と、長い足をひっさげて。

「ヘロー」

 馬鹿げた挨拶と共に。

「へろーじゃないの。何、あの絵は」

「いいじゃない。お金は全部、雪ちゃんに渡すから」

「そういう問題じゃないの」

「じゃあ、お金はいらないの?」

 いや。お金は単純に欲しいけどさ。

 あって困る物でもないし。

「だったら、問題ないわね」

「あ、うん」

「さっき聞いた通り、バックオーダーが入ってるから。在庫を持ってくるか、今すぐ描くか。早くお願い」

「あ、分かった」

 気付いたら小さな画用紙を前にして、ペンを持っていた。

 丸め込まれたという気がしないでもない。

「華蓮さん来てたよ」

「みたいね」

 チョコバーをかじりながら私を見下ろす池上さん。

 まさかとは思うが、監視してるんじゃないだろうな。

「あの子って今、真理依よりも大きいんじゃなくて」

「私よりも大きい」

「当たり前の事言わないで」

 怒られたよ。

 仕方ないので、池上さんでも描こうかな。

 髪が長くて、足が長くて、綺麗だけど怖くて。 

 サトミにも似てるが、もう少し大人というか丸みはある。

「何、それ」

「さあ。雪女じゃないの。とにかく、一枚出来た」

「こんなの、売れるの?」

「私に聞かないでよ。大体、野菜が売れる事自体どうかしてる」

 本当、何が楽しくてダイコンの絵なんて買うのかな。

 それに大根は食べる物で、観る物じゃない。

「池上さんの絵は、売れてるの?」

「まさか。私のは、場所を埋めるために飾ってあるだけ。売れる程の内容じゃないわ」

 冷静な。

 謙遜もあるだろうが、かなり割り切った考え方。

 自分への客観的な視線とでも言うんだろうか。

「じゃあ、メインは?」

「風ちゃんね。本人は嫌がったけど」

「絵描きにでもなるのかな」

「短絡的ね、あなたは。でも、そのくらいの才能はあのかも」

 どっちなんだ。

「じゃあ、どうするの。池上さんは、将来」

「怖い事言わないで。私、まだ17よ」

「そうだけどさ。気にならない?」

「この学校にいれば、いい所に就職出来るんでしょ。それに私、外面はいいから」

 自分で言わないでよね。

 しかし結局、先走ってるのは私だけか。

 いや。ショウもいる。

 いいんだ、二人でどこまでも突っ走れば。

 その先に、崖があるのに気付いてないだけかも知れないけど……。



「名雲さんは」

「さあ。智美ちゃんとデートじゃないの」

 さらっと言うな、この人は。

 しかし、十分あり得る話だぞ。

「こんな事してる場合じゃない」

 ペンを置き、席を立つ。

 そんな不純異性交遊を見逃すなんて、許されるはずがない。

 純粋な交際を邪魔するのも、許されるはずないかも知れないけどさ。

「どこ、どこにいるの」

「探せば。あなた、ここに2年も通ってるんだし」

「私はこの学校の事の、1/10も分かってない」

「自慢する話でもないでしょう。世の中、丸いだけじゃ生きていけないのよ」

 そんな事は分かってる。

 というか、丸くない。

 ショートヘアのせいで丸く見えるだけだ。多分。

「自分こそ、玲阿君とどこか言ってきたら」

「人にこういう事やらせておいて、今さら何言ってるの」

「そうだったわね。じゃあ、もういいわ。消えなさい」

 お許しが出たよ。

 この人、その内一回とっちめてやりたいな。

 こっちは、年中とっちめられてるけど。

「でも、あのひょうたんは止めた方がいいわよ」

「……どうして知ってるの。それと、あれはあれで可愛いの。重宝するし」

「可愛いって柄じゃないでしょう、玲阿君は」

 髪をかき上げ、鼻で笑う池上さん。

 優雅に、大人っぽく。

 なんでもない、だけど相手へ強い印象を与えるような仕草。

 私も髪をかき上げ、同じように鼻で笑ってみる。

「かゆいの?」

「あのね。あーあ、髪伸ばそうかな」

「伸ばせばいいじゃない。一度、玲阿君の好みを聞いてみたら」

「別に、あの子のためって訳じゃ無いんだけど。それに伸ばしても、似合うかどうか」

 だったら誰のために伸ばすかという話でもあるが。


 高畑さんの絵の前に陣取ってぐだぐだ話していると、可愛い子がやって来た。

 ひょうたんを下げたショウではなく、柳君が。

「わっ」

 変な声を出して後ずさる柳君。

 露骨に怪しいし、すでに逃げ出している。

「どうしたのよ」

「い、いや。別に。ここじゃなかった」

「じゃあ、どこなの。お姉さんに話してみなさい」

 愛想のいい表情。優しい口調。

 だからこそのプレッシャー。

 柳君は壁際につまり、魔女のように微笑む池上さんに見下ろされた。

「ぼ、僕は別に。ただちょっと、歩いてただけで」

「昨日からいないと思ってたのよね。名雲君とも一緒じゃないし」

「ほ、ほら。名雲さんは、元野さんと遊んでるから。邪魔したら、悪いなって」

「いつも邪魔してるじゃない。雪ちゃん程じゃないにしても」 

 人の名前を出すな。

 いや。邪魔してる事は、否定しないけど。

「司君。どこ」

 少し高めの、可愛らしい声。

 コーナーから現れる、大きな目をした可愛らしい女の子。

 少し早めのスカジャンと、赤のミニスカート。

 顔付きはまだ幼い感じがしなくもない。

 というか、司君ってなんだ。

「あ、いた。急にどうしたの。絵を観るって言ってたのに」

「あら。あらら。あれ、ああ。そういう事」

 手を叩き、一人で盛り上がる池上さん。

 まさか、柳君の彼女とか言わないだろうな。

 そういう事は私の許可を得て、しかるべき審査を経てからにして欲しい。

「えーと。従兄弟だった?」

「いえ。従兄弟の娘です」

 明るく、天真爛漫な笑顔で答える女の子。

 なる程。親戚か。

 一安心、という訳でも無さそうだな。 

 柳君を見つめる眼差しや、二人の近過ぎる距離を見ていたら。

「学校が休みになったので、司君と遊ぼうと思って」

「いい事じゃない。この子、滅多に対馬へは帰らないし」

「本当。もう少し来てくれると、私も嬉しいんだけど」

 寂しげで、切ない微笑み。

 それとなく視線を外す柳君。

 後ろを通っていく人の足音。

 誰かの笑い声。 

 ここだけにある、さっきまでは無かったはずの沈黙。

「じゃあ、行ってくれば」

「はい?」

「二人でこの学校を、ぐるぐる回ればいいって事。別に対馬じゃないと駄目って訳でもないんだしさ」

 二人をぐいぐい押して、展示コーナーから追い出す。

 後は知らない。

 この先は二人の問題で、二人で解決して楽しめばいいだけだ。

 何か、むかつくけどさ。

「彼女じゃないの、結局?」

「前話したでしょ。柳君のご両親が亡くなられた後に、あの子の家で育てられたの。確か1つ下かな」

「それにしては、お姉さん気取りじゃない」

「柳君が、ああいう性格だから。私達が気にする事でもないでしょ」

 同意を求める表情。 

 そういう考え方も、無くはないだろう。

 納得しろと言えば、かなり難しいが。

「あーあ。彼女か」

「雪ちゃんだって、彼氏がいるじゃない」

「それは、その。あれ」

「どれよ。下らない事言ってないで、表で遊んできなさい」


 私は子供か。

 あんず飴をかじりながらでは、否定のしようもないが。

「よう」

 気楽に手を上げる名雲さん。 

 その横で、居心地悪そうに私から顔を逸らすモトちゃん。

 全く、何をやってるんだか。

 いや。私がね。

「デートですか」

「まあな」 

 あっさり認められると、こっちが惨めになってくるな。

 いいか。私はあんず飴でもかじってれば。

「それって、かじるお菓子?」

「ストレスを逃がしてるの」

「いいわ。指をかじらないだけ」

 人をタコと同類にするとは、私もいい友達を持った。

 でもって、さらに飴をかじる。

「恥ずかしいから止めて。サトミ達は、どうしたの」

「兄弟と親睦を深めてる」

 さっきの経緯を簡単に説明し、棒をかじる。

 これに甘みが染みてて、また美味しいんだ。

「ちょっと、いい加減にしなさい。もう、飴はないでしょう」

「まだ甘い」

「お前は、前世で飢え死にでもしたのか」

 大笑いする名雲さん。 

 誰にって、この人には言われたくない台詞だな。

「そんな事より、柳君が彼女連れてた。あれは、どうなってるの」

「彼女だ?あいつ、そんなのいたかな」

「目が大きくて、気が強そうな。対馬生まれの」

「ツシマヤマネコ?ヤマネコと彼女を間違えてるの?」

 真顔で指摘された。

 猫と親しいのは、舞地さんだけだ。

「ああ、分かった。従兄弟のなんとかっていう、あれか。柳が育てられた家の子」

「そう、それ。猫じゃないよ、猫じゃ」

 モトちゃんを見ながら頷き、彼女へプレッシャーを与える。

 別に意味はない。

 日頃の憂さ晴らし、という事以外は。

「名古屋に来てるのか。何しに来てる?」

「私に聞かないで。お姉さん気取りで、柳君と楽しそうだったけどさ」

「ユウが気にする事無いでしょ。それよりも、棒をかじるの止めて」

 そう言われて、ようやく思い出す。

 何というのか、木の味しかしないな。

「名雲さんはいないの。兄弟とか」

「俺と池上は一人だ」

「私も。ユウも、そうよね」

「へへ。仲間」

 二人の肩を叩き、その幸せを祝福する。

 さっきまでの疎外感が、少しは消えた。

「じゃあ、二人で楽しんできなさい」

「随分、大人の立場だな」

「放っておきましょう」

 あっさりと私を見捨て去っていく二人。

 その背中を見送り、一人取り残される。

 すぐにやってくる疎外感。

 いや。孤独感か。


「いた。何してるんだ」 

 苦笑気味にやってくるショウ。

 相変わらず、腰にひょうたんを提げながら。

 私とはずっと離れていて、それを外しても大丈夫だったのに。

 律儀につけ続け、今もこうして私を探しに来てくれた。

「ちょっとね。喉乾いたかな」

「好きにしろ」

 手渡されるひょうたん。

 さっきよりも冷たい喉ごし。

 意味ありげに笑うショウ。 

 そんな彼の肩に触れ、感謝の意を告げる。

 潤った喉。

 潤う心。

 この冷たさと同じくらいの、彼の温かさに。 






    







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